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パリを、午後セーヌ川クルーズをした後、専用バスでモンサンミッシェルへ向かったから、約370キロ、約5時間かかった。8時間の時差。車窓観光を楽しんでいたが、ツアーも5日目で、ドイツ~スイス、そしてパリを経由してきてそろそろ疲れが出て、半分うつらうつらしていたようだ。早朝舗装した家の前に、また枯葉が強風で散っていた、側溝と道路の隙間に雑草が生えていました。そこに枯葉が溜まっている。ゴミが溜まり湿気ができて種子がどこからか飛んできて芽を出すのでしょう。自然は僅かの時間も無駄にしない。彼らの生き残るための戦略がある。人間は自分たちの利益の為に大きなアスファルト道路を造るが、生物たちはそのために棲み処を追われますが、やがて抵抗が始まるのです。薬と免疫のように果てしない闘いがある。 強かに雑草は生えてきます。根こそぎにしても少しでも根が残っていれば、彼らはチャンスを逃がさない強かさを持っています。しかも潔いのです。これこそ現在の人間が忘れていることでもあります。彼らは黙々として自分の役割を果たすのです。それこそ、神さえ知らない野卑な蛮人と思われるモンゴル軍が、ヨーロッパ人を罠に嵌めて狡猾さを発揮できたのだろうか。どちらが勇者と呼ぶに相応しいのだろうか。 どうやら私のこころの木の枝には、色んなゴミが溜まりだしたようです。引っかかったゴミで風通しが悪くなっている気がします。それこそ、レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」が必要であり、心の底からわきあがるようなよろこびに満たされねばならない。 強風が吹いて、木立がすっきりと見えるとき何か自然の浄化を感じます。溜まったゴミを吹き飛ばす強風が吹いてくれる。風が通る場所はひとを優しい気分にさせます。きっとそんな場所がひとは昔から好きなのかも知れない。 自分の体のどこに何がひっかかっているかで、自己診断できなければならない。自分の心の中に迷った時のコンパスがあり、秤があり、いつも心の中には、風が吹き抜けているか。澱みが無く汚染のない空気を吸い込み、きれいな水を飲んでいるか。頭にフレッシュな酸素を送り込む必要がある。人は動き回って自分を探さねばならない。
2021.03.31
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トルコ。シーボルトの最後の言葉と「シーボルト、波瀾の生涯」に記されている。本当にそういったのかは定かではないが、シーボルトの遠い親戚の著者はそう信じたかも知れない。 「私は美しい国へ行く、平和の国(日本)へ」 シーボルトの晩年、ナポレオン三世と謁見しており、フランス使節団の団長として3回目の来日予定され、本人も願望していたようだ。彼はミュンヘンで1866年(70歳)で感冒をこじらせて死んでいる。 シーボルトは再来日したときは、その豊富な経験と人脈でひと稼ぎするつもりでいたらしいが、時期が悪かったようだ井伊直弼が暗殺されたりして幕府は混乱していた。彼は大きな失望を味わうことになる。ただ彼の名声は日本でも広がっており、師と仰ぐもの者たちも大勢居たのだ。帰国時には幕府老中から直々贈物も貰っている。そして、連れてきた息子のアレキサンダーは日本にのこり、のちに明治政府の外務省で働き1910年まで、40年間勤めて、勲章まで貰っている。 シーボルトの拠って立つスタンスは、オランダであり、ドイツ・バイエルンであり、ロシア、フランスなどと日本研究家としての著名であり、単純ではないが、相手はひとり日本国であった。然も、幕末という時代背景をもっている。タイミングよく、その場にいた商館医は、当時の騒乱の時代の日本人にとって、間違いなくシーボルトは医師であり、華やかなヨーロッパを代表する存在だったのだろう。 シーボルトは、知的なヨーロッパ人であり、思慮深く日本人と接しており多くの知己をえたが、政治的人間ではなかったのだろう。反面ペリー提督は、黒船によって日米交渉を強引なやり方で不平等条約を締結させたのだ。
2021.03.31
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ひとの免疫システムというのは、元来子孫を残すためであり、ウイルスやその他の病原微生物から、人体を守るだけのために創り上げられた。他の野生動物で、数年間も他者の介護を必要とするヒトのような存在はあり得ない。すぐに捕食者か仲間の栄養になる。免疫は、漸次衰えて行くようにプログラムされている。加齢によって細胞は劣化し、その特異性は内外ともに障害を生じ始める。外からの侵入に対して、非自己を認識できなくなり、更に自己を非自己と捉えてしまうようになる。つまりバクテリアやウィルスが感染しても、其れを排除できなくなるし、自分自身の身体の一部さえそうでないと認識してしまうのだ。これが、自己免疫疾患の状態だ。 私たちが、人間をみることができるのは生きている人間であり、死んだひとたちではない。勿論記憶や、映像や、ことばとして残る「容」はあるが、それは、「真のひと」ではない。語り合えるのは、生きている人間とだけだ。然し、思えば何と瞬間のことであろうか。懐かしいひとたちは、遂に過去のひととなり、尊敬すべきひとは、もう眼にすることもできない人たちばかりだ。愛するものはいるが、それをもう素直に自分の口から言うことはないだろう。今は、もう誇れるものはなにもない。のこすべき優しいことばも彼方に忘れている。在るのはささやかな日々でしかないだろう。せめて、知ることとあと僅かな時間。ひとは、勝つことのない自然へのチャレンジ。自然の摂理とともにあり、種としてのヒトのプログラムを生き抜くだけ。
2021.03.31
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ローテンブルク。現代の日本には、「自分さえよければいい」「勝ちさえすればいい」そして、「カネが儲かればいい」即ち、「カネが儲かれば女だってついてくるんだ。」という風潮。慢性疲労が脳からの危険信号だというNewtonの特集で、TGF-βという免疫物質。それから、寺田寅彦は、「好きなもの、イチゴ コーヒー 花 美人 懐手して、宇宙見物」と言う。「空弁」は、「みち子がお届けする若狭の浜焼き鯖弁当」。これは旨い。以前何度か羽田で買ったことがあり懐かしい。図書館に行き、そのあと図書館の周囲を歩いて来た。木々の中を歩くのは、慢性疲労にも良いらしい。TGF-βの放出で、脳内のグルタミン酸やGABAなどの神経間の情報を伝える物質が低下して、脳内の情報がうまく伝わらなくなるため、体のだるさや集中力の低下などの症状を呈するらしい。慢性疲労が続くと、「前頭前野」の萎縮を招き、シンドロームに突入することになる。ストレスが蓄積するのは、それこそ万病の因。構えて生きていると、不幸が後ろから忍び寄る。肩の力を抜け。
2021.03.31
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万里の長城。天草四郎は、一瞬輝き暗闇に消えて人びとの網膜に焼付いた、陰画(ネガ)だという。歯科治療で、ランチを詰め込んで、口の中にチョコを頬張って今図書館にいる。内緒だ。目前に「飲食厳禁」の貼紙がある。参照・天草四郎・吉田松陰全集 上・飯沼二郎著作集 全5巻・・・「書物の知識は軽蔑すべきだ。」内容から・異なった社会現象の国家と「比較」することによって、その社会現象の底にある本質を突き止めることができる。・近代農業革命の典型とされる19世紀のイギリスの農業革命の研究から、近代日本社会の農業との比較研究の価値があリ得る。・「近代主義」は、西欧の「価値」を基準としていることが明らかだ。・日本は、中国の「官僚制度」を導入したが、「試験制度」を取り入れていない。朝鮮との相違が注目される。寧ろ、官僚制と氏族制をドッキングさせた。中国では皇帝は、最も優れた人格の所有者であって飽くまでも「個人」であるが、日本は、「神格化」されたこと。・日本の支配階層は、7世紀から明治維新まで、1300年間中国の文化を利用して、日本の人民を支配したこと。それまで、支配層の資格は中国文化についての知識量で決定された。寧ろ固有の文化は無視された。精々趣味の程度であった。・それが、維新後「中国」が「西洋」に変わっただけで、精神構造は変わっていないことが指摘される。・その後、日本の知識人は、「先進国」と「後進国」との区分を行い、先進国に向かって一歩でも近づくことをもって進歩とし、それを自らの役割としたのだ。・開国したアメリカから、国情の違いから、やがて関心がドイツに向かう。日本の歴史は、隙間だらけのようだ。風穴がいくつも空いている。自然科学と違い、すぐに成果の上がらないからだろうか。それともな著作資料が多く厖大過ぎるのであろうか。
2021.03.31
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パリからモンサンミッシェルへ。島原の乱も悲惨だ。原城に籠城した37,000人の一揆軍は皆殺しされた。ひとりの生き証人を残して。凶作と過酷な苛歛誅求で生きる望みを失った人たちだった。島原藩主は、冷酷な男で、完納しないといって、多くの農民を「蓑踊り」にし、罪の無い娘たちや妊婦まで水牢で殺し恨みをかった。正義は、一揆を起こした側にあることは明らかだ。これが、全国に広がれば民衆による革命にもなっただろうか。併し、悲しいかな、組織化できずそこには打ち立てるべきビジョンもなく、あるのは絶望でしかなかった。脆くも圧倒的な13万の幕府軍に惨殺された。こうして、それこそ徳川幕府は300年の安定を得たのだ。これは、幕府の農民に対する「見せしめ」でなくて何だろうか。キリスト教弾圧は、幕府の口実でしかない。多くの歴史は、権力者のご都合主義であと付けられるだろう。だから、その時々で見解が変わるのだ。島原の乱の殺戮をしたのは、知恵伊豆であり、あの名将軍家光である。女子供も惨殺された。370年前の話など、と思うし、聞きたくも無いが、知ることは大切なことだ。何があったのかはまたあるかも知れないのだから。統治を優先させる政治は、隠し事があるからだし、多くの人間を不幸にする兆しでもある。開かれた政治が、大事なのは、一部のものが権力を支配して社会を腐敗させるからだろう。腐敗した政治は、多くの善良なひとびとを殺してきたのだ。それは、歴史が証明している。二度と圧政が繰り返さないと言う保障はどこにも無いのだ。島原の乱は、切支丹弾圧だけの悲劇ではない。それは、武士集団が、農民の絶望に対して下した解答なのだ。信長は、一向一揆に対して、老若男女幼児まで撫で斬りにした。武士たちは、貧しい農民たちを食い物にする寄生虫になったのだ。武士たちが腹を切るのは、その僅かな代償でしかなかっただろう。封建社会は、こうして根付いただろうか。論語や儒教はそのための道具としての役割をになっただろう。それは中国も同じだ。米の育たない寒冷地で生き延びた者たちにやがて、領土を蹂躙されることになる。孔子の思想は、新しい時代の創造ではない。すなわち「述べて作らず、信じて古を好む」のだ。別に天を怨まず、人を咎めず、悠々自適が孔子の生涯であったという。これでは、西欧列国の弱肉強食に明け暮れた集団に、餌食にされずには措かれまい。実にそのことをアヘン戦争で経験することになったのだ。孔子は、まだ人間が海を渡ることが無かった時代の思想だろう。中国でさえ自然の擁壁に囲まれた「井底の蛙」でしかなかった。現代の私たちは、過去のひとつひとつの出来事や先人たちの謂わば「骨」を拾って行かなければならないのではないだろうか。それは、これまでの権力者たちが、食い散らかされた後始末でもある。弾圧され、踏みにじられた人びとの「怨念」を記録する旅でもある。蓋をされ、隠蔽された事実を明らかにすることは、日本人の形成を知ることではないだろうか。とても私ひとりでできることでも、その力がある訳でもないが、誰かが遣るべき仕事ではないかと思う。それこそ、ヒモ付きでない市井の人が遣らねば意味がない。そのこころを持つものが一つひとつ積み上げるものが文化ではないだろうか。無恥な時代の行動は、無意味であろう。そのことをいいたいだけだ。
2021.03.31
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セーヌ川クルーズ。徳川時代を「幕藩体制」というようになって既に久しい。幕府があり、諸藩があるという社会体制は、世界でも日本だけらしい。世界史的な視野で見て、徳川時代の性格ははっきりしないということは、実は、必然的に明治維新以後の時代もはっきりしないことになってしまう。それは他国の歴史的事実と、日本がどう違うのかと言う視点が見えないことにもなる。明治維新がブルジョワ革命といえるのかなど定説が無い有様のようだ。これの根源は、徳川幕府が、絶対王政か?という位置づけに係わるのであろう。日本の学者は、ドラステックな議論を避ける嫌いがある。というより論理の積み上げが苦手なのだろうか。自分の立場が保障されないと発言できない風潮があるのだろうか。何れにしても、決着のつかない議論は不毛でしかない。次の議論に進めないからだ。文化のない空白の時間が流れているのではないだろうか。いつまでも結論のでない議論は、議論ではない。い島原の乱にしても、研究者は、一揆をしたものの生の記録が殆どないと言っていた。徳川幕府が、証拠を抹殺したのだという。人間だけではない。それは、その存在をも消滅させようとしたのであだれば、それは究極の犯罪行為だ。その痕跡をも残らないと言うのは原爆を想起させる。放射能に晒された細胞は生きることに絶望し、アポトーシスを起こして自らの細胞を破壊するのだ。人間は過ちを常に犯すものだが、少なくともその証拠を残さねばならない。承継者たちは、何が間違いであったのかを知る権利がある。検証しなければ、修正すべき手がかりさえあたえられないことになるからだ。歴史は検証するためにあるのだ。
2021.03.31
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セーヌ川クルーズ。視覚的刺激から放たれる光は眼球の水晶体を通るときに逆転して、さらに奥にある網膜に到達する。光感受性のある細胞が、それを電気パルスに変え、視神経により視床の一部外側膝状体に送られ、さらにV1という場所に向かう。視覚野はそれぞれ色や形、大きさなどの視覚の各要素を担当している。家のねこが片目の摘出をする。 如何に視覚が果たす役割が大きいかが分かる。然も左右の目はそれぞれ役割分担があるのだ。それは脳の地形図を知れば誰でも知っていることだろう。少なくとも両目が必要だ。片目になれば、彼は自分の体の半分を失ったようなハンディを感じることだろう。それがたとえ猫だとしても・・・。人間の眼のような研究が進んでいるとは思えないが、少なくとも人間の協力なしには厳しいものになる。 右脳と左脳のそれぞれの担当する分野が生きる上で大切な役割を担っている。猫は可哀想だが、私は、観察者だから、面白いものを見ることになるだろう。まあ猫にとっては面白くないだろうが、猫のこれからは片目で生きていくのだ。 それが猫だとしても、生きることはチャレンジだと思っている。自分の持つ寿命を・・・らしく生きていけばいいのだ。何にもいじけることはない。だれかがこまればだれかがたすけてくれるように、できているだろう。いやそうしなければならないのだ。
2021.03.31
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これからは、愈々、世界が迫ってくる感じがする。そのためには島国根性では通用しないことは確かだろうが、どうすればいいだろうか。外国語を覚えるだけではない。彼らの正体を見極める力が必要だ。外国語は道具でしかなく、会話するのが目的ではない。逆転の発想ができなければ壁を乗り越えられないのではないだろうか。故国を棄てなければできないこともあるだろう。こうでなければならないのではなく、出来ることは何かを考えるべきだろう。 ・どんどん棄てて、あるものを拾いつづけることだろう。それで何ができるだろうか。その何かを創り出す創造力がなければならない。素材をどうして集めるだろうか、それはそのひとの日頃の研鑽でもある。 ・へ2・・・明日から4月。気分を入れ替えてやり直したい。 皮相のことしかわからないと全てが分からない。
2021.03.31
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和白干潟。世にあるものは、スポットとスポットであり、無関係に見えて、実は、連関がある。寧ろ関係のないものはない。これからのテーマは「情報を生活に活かす」だ。何が「情報」で、何が「生活」で、何が「活かす」なのか、いまもコンセプトが曖昧だ。短絡的な点と点の集積でしかない。価値を見出すには、リレーする論理がなければならない。 ・世界で起きることは、そのままではバラバラのテーマで、一貫性がなく、一方的で、自慰的だ。焦点が大きすぎるか小さすぎるか、そのどちらかでもない。噛めば噛むほど吐きたくなるような。違うことばかり想起してしまう。でも現実はスポットとして、分らないでもない。おそらく私の知らないことばかり。何がリレーできるのだろうか、分るものだけが分かる。 ・へ2・・・リセットがされつつあるだろう。フロチャートもテストもないたった一度の人生を生きているのに・・・。それでも人間は誰でも、否応なく遺伝子のリレーをしている。グーグルアースで、空から見た故郷の現在の様子を見てみると、もう50年以上になるのだから当時の家も殆ど建て替えられているし、昔の面影もなくなっている。住んでいた人たちがいなくなってしまったから、もう違う光景でもある。父が、私たちと一緒に暮らし始めた時に家を処分したので、それから40年近くになる。幼馴染のひとたちも皆同じだろう。懐古するだけでもある。もう故人の人知人もいるかもしれない。
2021.03.31
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ルーブル美術館。いつか肺機能が止まり酸素を取り込むことができなくなる。時計の針が止まるだけだが、それまでは ego-based の組織化がある。勿論 ancestor-based 組織化という。これは祖先を中心として成り立つ descent group でもある。これを明確に認識しているものを「リニージ」共通の始祖の子孫であることが伝承されているものを「クラン」という。リニージは土地などの保有体を意味し、クランは内部での婚姻が禁止されたりするタブーを共有したりする>。 ・へ2・・・段々と自己を基点とした周囲の人々を知りたくなるものらしい。それは組織化された一定の範囲の親族・姻族であり、文化人類学では、kindred という。日本でいえば、「シンルイ」の一種。生きている間はこの柵に縛られているが、それが無くなりつつある。なくなるのは仕方がないにしても、どこまで自立できるかだろう。ただ飛び出せば何とかなるものでも酸素のないところでは生きていけないように、私たちの世界にはルールともいえるものがある。それは自分と他者との境界でもある。そして時に、権力は圧殺者にもなる。 ・日本では「同族」「家」がある。あったというべきか。それは因習であり、固定観念でもあったが、構成員たちの生命を守っても来たのだ。冠婚葬祭における交際や、祖先祭祀の共同や、家格の上下差などは完全に消滅していないのは、それに内面では頼っているところがあるからだ。 ・へ2・・・私たちの日常は昔とは大いに違ってきている。それは確かだ。だが違わないものはある。そこに回帰しないまでも守るべき何かを知るべきだ。それでも、私は最期の息が消えるまで自分でいたい。
2021.03.31
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セーヌ川クルーズ。若者たちが、大いに青春を謳歌すべきだ。そのチャンスさえない人たちが多すぎないだろうか。新疆ウイグル族の人たちの苦しみは、人生はパンのみではないということだろう。自分の人生は、自分で決めたいと思うのが、ノーマルでもある。私は、だれにも強制されなかったが、つねにプレッシャーを感じてきた。それは幻想ではない。なぜ思うようにできなかったのだろうか。それはm期待されなかったからでもある。 ・仕組まれた社会がある。なぜ知りたいことを教えてはくれないのだろうか。アヘン戦争は、なぜ起きたのだろうか。日米修好通商条約は、日本の無知に付け込んだアメリカの思惑があったからだろう。強者が弱者たちを食いものにする。韓国人の国民性は、長い中国の支配によって形成されたものだという。相手と対等に付き合うことができないのは悲劇でもある。良き友人を得ることができなくなる。 ・へ2・・・地球には、現在77億人以上の世界人口があるが、どれだけの人たちが、人間らしい暮らしができているのだろうか。他人を憎むしかできない人たちがいる。ミャンマーでは、僅か1歳の幼児の目にゴム弾が当たって横たわる写真が放映されていた。500人以上の犠牲者は、国軍や警察がやっていることだ。アブノーマルとしか言いようがない。それをだれが、止めるのだろうか。
2021.03.31
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ドイツの日の出。もう3月もあと一日。九州では、雪らしいものも降らなかった気がする。パンデミックもワクチンができて一安心かと思ったら、変異株が出て、また感染者が増加しているという。日本でも第3波が収まりかけたところで、次の波が始まったのかもしれない。今年に延長された東京オリンピックも、海外からの観客をうけいれ入れないことが決まったが、それをあてこんだホテルとか様々なことが準備されていたが期待外れになった。 ・このままズルズルになると、結局、あぶは血取らずになりかねない。柳の下に泥鰌はおらずだろうか。それこそ、結果次第で考えようというのは、これまでの政府のやり方でもある。黒船が来て、徳川幕府も生き残りをかけた延命策を幕閣は探して右往左往したが、何しろ無知と偏見と、封建社会で、しかも鎖国で情報もなく、列強から侵略されようとした。植民地にされなかったのは、極東で資源もなく魅力がなかったからだろう。 ・へ2・・・、ひと昔まで殆どのアジア諸国は、植民地や半植民地にされた。古来中国では、日本は倭人でしかない。小さい人間という意味だ。どうやら外圧に弱いのは、日本ばかりではない。民族が団結するちうことが苦手なのだろうか。森鴎外の「阿部一族」というのがあるが、一族が滅んでいくものだ。タイでも、ミャンマーでも、民衆は、現在自由のために尊い血を流している。国家権力は、ことに軍は、自国民にむかって銃を向けるとき悲劇が起きる。中国も同じだ。
2021.03.31
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博多湾と玄界灘。・ダーウィンの恩師であるチャールズ・ライエルは地質学の先駆者で「現在は過去を理解するための重要な手がかりだ」と説いた。現在の危機に瀕した生物多様性からいえば「過去は現在を理解するための重要な手がかり」ということになる。 ・へ2・・・生物の進化は地球生命の系の内側からコントロールされているといえる。しかし異なる専門分野から集めた生物学情報の巨大なデータベース化で、進化の法則を発見し、種を厳密に特定しようとか、量的に計測しようとすることは不可能に近いことがわかってきた。人間にはまだすべてを詳細に語る能力がないという現実に晒されている。まだ謎と曖昧さに満ちたものでしかない。時とともに変化する多様な地球環境における生命の系はあまりに複雑すぎて把握できずにいる、それはおとぎ話で説明するしかない。 ・むかしは、科学が世界について知っていることを示したうえで、これが証拠です、といって誤魔化していたが、現代では、それこそ次々と無数の証拠が発見されているのだ。そして物語の、それとは異なりハッピーエンドとはいかない。然も私たち人類にはまだその結末を変えることなどできそうにないのである。 ・へ2・・・お伽話のようにはいかないが、新たな物語をつむぎ出そうとしているのだろうか。それが無駄な足掻きかどうか。科学を超えるものがあるだろうか。 ・あまりにも単純化しすぎた考え方が、メディアを賑わす流行語のように、一般大衆を誤った方向に導いているのではないか。たとえば政治のシステムも内側からコントロールされているのだろう。 志賀島へ。自宅から10キロくらいのところにあり、車も少ないし、快適なドライブがいつもできるので、妻の参拝に付き合っている。午後は、福岡市の指導もあり、地域の建築協定の話が進んでおり、今回で3回目だが7割以上の賛同があったようで、合意書を集めることになったが、口出ししたので、その役割の一端をもつことになった。一部ファミリーマンションが建ったこともあり、これ以上建つと用途地区から、どんなマンションができるかわからないので、今のうちに建築協定をしておいたほうがいいと思う。福岡市では85か所目とかいう話だった。
2021.03.30
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ハレム。昼間に眠気や集中力低下、集中持続困難や倦怠感が起きてくるケースでは、慢性疲労症候群と診断されることがある。患者の内因性リズムが関与している。睡眠も人間にとって重要な健康のバロメーターでもある。人間の持っている睡眠相の生体リズム一日25時間であることが地球の自転と衝突している。人間が長い時間をかけて、地球環境に適応してきたがまだそれができない人もいる。自由に生きてきた時代では好きな時に寝ていたに違いない。それができなくなった。日中起きて働き、夜眠ることで、この世界を造り上げてきたのだ。周期的な不眠や覚醒困難が引き起こす深刻な社会的不適応をきたしている。そういう悩みを持ちながら暮らしている人もいる。それが病気の原因になり、Non-24シンドロームにもなる。その予備軍もいるに違いない。それが社会に確りと認識されているだろうか疑問だ。
2021.03.30
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セーヌ川クルーズ。中国の経済システムの大きな問題は、チェック・アンド・バランスの制度を認めていないことだ。民主主義では、個々の政治機関・経済主体を、別の独立した外部機関を統制または監視する制度をもっている。制度全体は有権者の意志で統制されている。中国は中国共産党があらゆるものの上位に存在であるとされる。 ひとたび政策方針が決定されると後戻りはできない。それは燃焼するまで継続されることになる。毛沢東路線も毛沢東の死後修正された。少なくとも1949年から1977年まで計画経済時代は継続され、1978年から市場経済化時代がスタートした。 しかしどれだけ優秀な装置があろうとそれを活用しなければ意味がない。ハードだけで動くのではない。ソフトも必要だ。そしてそれはいつも有効でなければならない。 政治体制の違いがどういう形で問題を解決していけるかの差になるかはわからない。それは各国が拠って立つ環境が同じ条件ではないからだ。資本主義経済を効率よく管理統制するためにはどうしてもチェック・アンド・バランスの制度は必要であった。それに代わるものが中国にあるかだろう。風通しのいい環境がなければ、ややもすれば汚職が蔓延することになるだろう。その現象がみられるのではないか。 暴走してきた政府を確りと監視しなければならない。そのための制度がある。歯止めがかからなくなる前にしなければならないのは、市民の目だ。
2021.03.30
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スリランカ。自分たちが一番だと思っている時ほど愚かなことはない。なにが問題かを見ようとしていない。自分たちがしでかしていることを見ていないからでもある。自惚れた人間ほど手が付けられない。ひとを愛することが出来なくなった人たちが、やろうとすることは不毛でしかない。武器で他人を脅しつけて、奪おうとするものはゴールドフィンガーでしかない。 ・長く生きているときれいな空気が吸えなくなるのだろうか。世の中が住み難くなっていくようだ。地球から脱出しなければならない日が、来るのだろう。日本の男性の平均寿命が、やっと80歳を越えたらしいが、私には余り励ましにはならない。血管年齢の老化が進んでいる。 ・へ2・・・一日も、結構長い。呼吸をするのも辛くなっていくのだろう。最期はもういいと思うだろうか。炭素になって分解されていく。そして本当の自由が来るのだろうか。悲しいとは思わない。生命とはそうしたものだから。何時かもう5時になっている。
2021.03.30
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セーヌ川クルーズ。ここまでセーヌを下ってきたが、ここでUターンして、もとの船着場まで、右の水路を通って戻った。ひとは易々と生きてきたのではないし、現在も生きているわけでもない。解れば解るほど複雑なスペースであり、人体の仕組みをもっている。ひとは人体をよくミラクルと呼ぶ。興味深いのは、取巻く宇宙はひとつだが、それぞれのミラクルコスモスをもっていることだ。それは微妙で、脆く崩れ易い。そしてはたして他の宇宙があるのだろうか。 何でも便利すすることが善ではない。量だけで判断できる世界でもない。何も無理にこの歪な社会に自分をはめ込むことはない。自分を殺して、そこで自分なりに生きていける工夫をすればいいだけだ。上手くいくだけのノウハウを学んでも本当の自分を活かすことを知らなければ何にもならない。自分が活き活きしていることが周囲を活気づける。自分で自滅して惨めで卑しいだけの世界にもする。ハリー・ポッターは、意地悪な叔母家族で苛められて育ち、いつも命を狙われており、愉快なストーリーではない。それでも、ベストセラーになったのは、現実とは違う「ファンタジー」だと誰でもしっている。 ・へ2・・・現実と仮装社会をうまく使って生きている。聖書にも比喩がある。何がミクロコスモスで、それでも現実の世界で何をしなければならないかを知らねばならない。アメリカの大学で惨劇を起こしたチョーは、USでは、卑劣な虐殺者。チープなアジア系アメリカ人でしかない。そして、多くのアジア系アメリカ人がそのために苦しめられることになる。チョーは、大学生なのに子どものように英雄気取りで「ランボー」の真似をしたかったのだろう。仮装世界と現実の接点を見失った。
2021.03.30
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クスコ「屋根上のバイオリン弾き」で「トラディション!」という言葉が耳に残っている。ユダヤ教でだけでなく、キリスト教の教理も、「トラディション」がルーツにあるのだろう。どう教理を時代に適応させるかで、多くの宗派に分かれているが、これも多様性がさせている生き残りの戦略でもあろう。近・現代は、1750年から現代までを指している。キリスト教神学は西ヨーロッパの状況から離れて世界規模の現象になる。第一に北アメリカの植民地化だ。ルター派、改革派、アナバパティストなどのプロテスタント神学の流派が、主流となる。しかし、アメリカが神学論争で世界的に重要な役割を果たすようになるのは、20世紀半ばからだ。西欧の歴史の何を学べばいいだろうか。それとも異文化でしかないだろうか。参考にもならないだろうか。西欧が常に正しいのではない。その野望は、神の名に値しないことを何度も繰り返してもいる。そのためには、更に多くを知らねばならないことは確かだろう。そのためには、現状では駄目だろう。更なる大ジャンプが必要だ。それだけは言える。
2021.03.30
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ルイ14世、紛れもなく歴史上の人物だが、その威光に拘わらず、その個人的な力量、個人的な才能は、決して並外れたものではなかった。それは偉大というより、凡庸なものだったようだ。ドナルド・キーン著「明治天皇」で、天皇の歴史的存在について触れている。然し、それなりの配慮が見える。それだけでも、日本人にとっては確かにそれまでの明治天皇は虚像ではないだろうか。島国日本の鎖国が齎したものは大きいだろう。1868年の東京行幸で、天皇は始めて太平洋と富士山を見たという。ルイ14世と明治天皇の違いは、何だろうか。少なくとも明治天皇は、維新後変わり続けたのであろう。横井小楠暗殺に対する天皇の対応とその後の臣下に対する対応は変わり続けている。意識の変化だろうか。如何にも、データ不足の「日本史」があるだろう。
2021.03.30
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何故自立心が大切なのかと云えば、個人としてこの社会で生きるためのスベースだからだ。親元を離れて暮らしてみると、解かるさまざまの事がある。それらは当前のことでしかないが、それさえ子どもにはわからない。自立とは食事や勉強や眠ることさえ自己管理しなければならない。誰も他人は自分のために指一本使って呉れないからだ。上京して腹が減ってどうしようもなかったことがあった。真夜中ラーメン屋をさんざん探して回ったことがあり、懲りた。 ・他力本願になるのは、それで済んでしまう社会があるからでもあるが、それは見せかけでしかない。占いを信じるのも、自分がないからだろう。自分は一人であることを曖昧にしないことだ。世の中には色々な意味で優秀な人間もいる。ハンディのある人も多いだろう。自分の存在を客観的に見つめることが出来なければ、何をすべきかの方向性も得られない。 ・へ2・・・今、私は食事も運動も自己管理をして、病気と闘っている。病気と闘うと云うのは、これまで真正面から出来ないでいた。何かしなければならない決意が新しい生き方を考えだすのだ。自分のからだのことを真剣に考えたことがなかった。いのちさえ何か詰まらないもののように思っていた。そういうegoが氾濫していたからだ。何か違うと思い始めて長いが、やっと少し分かりかけている。それを確り知ろうと思う。
2021.03.30
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現場のない理論は空論でしかない。対立のない論理もやがて広がりを失う。自然状態とはどのようなものだろうか。万人の万人による戦いだろうか。ホッブスや、ロックから近代社会は生まれてきたが、現代社会は、国家の数だけ社会体制は違いもする。 市民階級のために供給されてきた理論は精彩を欠いている。 ・どうも体が重いようだ。これまでは春になるとどこかへ出かけていた。さくらも牡丹もあるし、春の山もいいし、海もあるのに。来月から8年目のウオーキングが始まるが、朝のウオーキングもしていない。別に行けない理由はないが、体が動かない。なんのために学習しなければならないのだろうか。実際に理論と実践の意味が理解されていない。 ・へ2・・・何故、インドは植民地になったのだろうか。他のアジアも植民地化した国家はいくつもある。帝国主義は、何をしたのか。日本ではどうだろうか。強国のまねをして社会システムを構築し、そして国民を支配したのは国家権力であり、それは誰が掌握していたかだろうか。国民の自由権を。沈黙させたものたちだ。
2021.03.30
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インド。どれだけ文化的質の高まりがいえるだろうか。最中では評価はし難い。それでも良くしようとする熱意があるかだろう。可能性がないならひとは努力しようと思わない。良いも悪いも私たち次第で決まるに違ない。しかしそう「事」は簡単にはいかない。それは公正ではない社会でもあるからだろう。その認識がなければならない。 ・すぐ近くにある溢れる自然の美も、見る心がなければ見えない。どれだけ美しいものがあったとしても、それを受け入れるだけのレセプターが準備されているかだろう。ゲーテがあって、ゲーテの詩が生まれたのだ。何もないと思うのは早すぎるのではないだろうか。自分の目は感受性が残っているのではないだろうか。 ・へ2・・・どれだけ内に清らかな美しい心を持っていたとしても、それを表現できなければ他人には分らない。それだけのことだ。我欲に塗れた人間を善とはしない。たとえ生まれが高貴だとしても、為すことが下品である。。
2021.03.30
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ツグミとミサゴ。日々はリフレイン。そして何の変哲もない穏やかな自然でしかない。アインシュタインの頭脳は、人類の宝石でもある。よく生まれてくれたものだと感謝したい。モーツァルトとも、物理学も、知らなければヒトとして生まれた価値の半分を知らないようなものだ。知識や芸術を知らなくても生きていけるのは事実だし、ちゃんと金儲けもできるだろうが、どっこいそれだけではない。 ・天は、二物(佛?)を与えないというが。一物(佛?)も得ることは難しい。出来ると思うからできるのでもない。馬鹿な人間ほど自分を過大評価するだけなのだろう。豚小屋の理想だと言われてしまうのだ。今頃、アメリカの西部と、インドと、ネルーの自然を比較しているが、もうひとつ日本の自然もあった。 ・へ2・・・この10年間、いくらかのほかの世界を見てきたが、若いころに見ていれば、世界観も人生観も変わったのだろうか。恐らく、そう簡単ではないだろう。観ようと見まいとわかる人にはわかるに違いない。本日の写真が相応しいのだ。
2021.03.30
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高野山。武士たちの死を恐れない勇気だけが勇気ではあるまい。華々しいものが目立つのだろうが、真の勇気は中々わからないのではないだろうか。一時の勇気だけではない。むしろ長くその勇気を持ち続けることが重要ではないだろうか。他人の命を救って自己犠牲になった人たちもいる。武道を重んじた教育が何を意味するのだろうか。レスリングがオリンピックの競技種目から消えようとしているが時代の流れもあるのだろう。 ・日本でも、軍人たちの政治が如何に国民の未来を奪ったかを考えないわけにはいかないが、軍事優先の国家はいまだに存在している。権力者には都合のいい体制でもあるのだろう。一つ間違えば国民の命を奪いかねない危険なシステムであることは言えるのだろう。 ・へ32・・・呪縛を解かれたとき極端な行動に出ないでほしいが、血の雨が降るのがある。熱愛は憎悪に代わりがちだ。相手を権力や暴力で支配するのは、その根幹に恐怖がある。恐怖によってできた社会体制は、破滅を招きやすい。心が凍り付かないようにして春を待ちたい。どんなときにも希望はあると思いたい。
2021.03.30
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ジョウビタキの雌。 昔は、何か一つでも足跡を残したいという意欲もないではなかったが、それが何だと思うとできなくなってしまった。バブルで融資や、不動産関係の仕事をしたから、暴露本でも書こうと資料も集めていたが、それはありふれたことでしかないことに嫌気がさした。他人を傷つけるだけでしかない。自分が、特別ひどい目にあったのでもない。経営者たちの内部を赤裸々に描いたとしても、類似するものでしかない。能力があるといえば、それができたときでしかない。 ・いくつかのツアーをして海外の世界遺産を見てきたが、どれだけ見ても限りがない。遺跡は残っても人間たちは過去のイメージしか残らない。地球の歴史から見れば、人間の歴史などあっという瞬間でしかない。権力者たちも短い命を惜しんだことだろう。栄枯盛衰を繰り返してきた。一つのことを成し遂げるというのも、それは容易ではない。のちの世に名を残そうとした人たちがいたとしても、果たしてどんな意味があるのだろうか。 ・へ2・・・栄誉に拘っても、問題は、その中身だ。未来の社会に貢献できたかでもある。権力の座を争って成し遂げた人はいるが、どれだけの仕事をしたかだろう。なぜ討幕があり、明治維新がされたのだろうか。大衆は何を思っていたのだろうか。そして、昨年からパンデミックで国民は苦しめられているがクールに乗り越えられるだろうか。
2021.03.30
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和白干潟。黄砂がやってきた。明治半ばの作家の状況を「表現苦時代」と呼び、「欧土のノベルを凌駕」せしめんと坪内逍遥は書いたが、女性にとっては、その創作以上に社会的な軋轢と闘わねばならなかった。平田由美「女性表現の明治史」の副題は、一葉以前とある。その中で、「某老博士の女子教育論」を掲載している。「文学は人の思想を高尚優美ならしめ其の品格を卓越ならしむるの効能ありと雖も、思想を高尚にし心情を優美ならしむるのみを以て女子教育の目的と見做すは大いなる誤謬なり。女子の本分は善良なる家庭の王となり聡明なる子女の母となるにあり、・・・要するに女子をして文学を学ばしめたる結果は、生意気となり・・・家政嫌ひとなり、甚だしき良人嫌ひとなり結婚嫌ひとなり終には痩意地を張て独立の世渡りを為すが如きことあるに至るべきなり。(読売「婦人と文学」1891・6・9)これが、当時の女性小説家に対する批判者の一般的な認識である。女性が書く小説というものが、このような状況の中で樋口一葉が小説を書いたということであろう。勿論、社会的環境は、改善されたことは言うまでも無いが、まだ、少なくとも meme としては、無意識の底にはあるだろう。その亡霊がじめじめした夏の夜には、時として出てくる気がする。日本人よりも幅広い高い見識で、文学書や評論を解釈する「外からの眼」をもつ人たちがいることだ。外国人による日本の研究も侮れる時代ではなくなりつつあるだろう。それだけシビアでもあるだろう。内からだけでなく、外からもみられて、評価をされる時代だ。
2021.03.29
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「カインの末裔」その凍てつくような光景は象徴的だ。人間の温もりを感じさせない厳しさが感じられる。ユダヤ人はこうした放浪の果てに、生きて来たのであり、ヨーロッパ人も凍てつく大地に苦しめられた民族でもあるだろう。それは決してアジア人たちが忘れてはならない、彼らのルーツでもある。自然と慣れ親しんだのではない。闘わねば殺されるという差し迫った緊迫感があったのだろう。それが、今日の東西のそして南北の問題のズレを生じ、やがて近代化という知識の差に繋がったのではないだろうか。 ・飢えの恐怖を知らない民族の楽天主義が何れ敗れ去る運命かも知れない。その甘さが最後の最後で敗れるのではないだろうか。その予感がする。彼らは油断することを知らない。それは死を意味していたからだ。「カインの末裔」は、日本人の小説でしかないのではないだろうか。柔らかいものしか食べない民族に殺し合いの戦いができるだろうか。甘さだけで生き残れるはずもない。鍛え上げた精神でなければ勝てない世界がある。男の女のという話は、下司の話でしかない。もっと根源的なものがある。それは民族であり、精神や思想の話だ。 ・へ2・・・他人の懐ばかり覗くようで、何をしようというのだろうか。かって八甲田山でバタバタと兵士が軍事訓練で死んでいったが、それは何だっただろうか。それを自分に問うたことがあるだろうか。それは自分のことではないだろうか。それだけの準備をして臨んでいる人生だろうか。そのために何をしなければならないのか、そう問いかけている気がする。
2021.03.29
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自由からの逃走をしようとばかりしてきたが、その必要がないのにまだ続けようとする自分がいる。搾取されているのに自分の方から歩み寄ることはないが、それをしている。ひとはアイロニカルな生き方をしてしまうところがある。したくないことをしなければならないと思い込んでいるところがあるのではないか。ハエのサーカスというのがある。ハエは何度も逃げようとするが透明なガラスで外に出れないと思い込んで、暫くするとガラスを取り除いても逃げなくなる。逃げられないと諦めるらしい。 ・莫迦な亭主に死ぬまで隷属した女たちが目覚め出している。慌てている棄てられた男たちがいる。歪な社会にしたのは、無知だろう。何が自由であるのか、自由のない人間はその意味を理解できないでいる。目には見えないところで本当の自由を謳歌している人たちがいるに違いない。それを評価できないでいるだけだ。 ・へ2・・・自分のフリーハンドは何に向かっているだろうか。それは無駄に空費されてはいないだろうか。限られた時間の中で有意義だろうか。毎日ウオーキングをしているが、それが常に健康のためになるとは限らない。自分を殺している加担をするかも知れない。
2021.03.29
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セーヌ川クルーズ。何が問題の所在なのだろうか。憲法改正の議論も、国民の敗戦への歴史認識が曖昧では話にならない。憲法は確かに押しつけ憲法であるが、それは日本国民の側にも問題があるのは事実だろう。なぜ問題の核心を問わないのだろうか。それを抜きにして、憲法改正しようとする態度は真摯とは言えないのではないのだろうか。議論もできないのか、公平さが問われる所以だ。普遍的妥当性は問えないのだろうか。 不毛の議論をしても意味がない。中国や韓国が何を言っているのか知るべきだろう。そしてすべきことをすべきだ。これから愈々厳しい時代が来る。生き残る努力をしていくしかない。広い識見と洞察力を持ち、近未来の予見をしなければならない。 戦争の悲惨さを忘れつつある今だからこそ、国民が、政府に間違った政治をされ世界の孤児になったことを反省すべきだろう。この道しかないと言われたのだ。政府の暴走をさせないのが国民の役割でもある。
2021.03.29
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セーヌ川クルーズ。自分の考えとは違う世間があり、それはそれで仕方がない。勘違いされると困ることがないではない。それは自分の過失もあるが、そうとばかりは言えないかもしれない。世間があって私もあるのだから、自分を先に考えると間違いもする。腹が立っても自分の思い上がりもある。世間に負けてばかりも居れない。 どういう因果かこうしているが、それも悪くはないが、困ることにもなる。「莫迦は死ななきゃ、解からない」。死んでからでは取り返しが利かないが、そうなるのだろう。科学を利用し、それで自業自得にもなる。利用してあとで迷惑だと言っても遅い。便利に生きてきたが、それで苦しまねばならないのがある。色が好きで、あとで厭になったからと言っても、知らないふりもできない。あと始末をしなければならない。それがなければけじめがつかない。 ・へ2・・・「面白」の語源というのが、天岩戸神話の 「天晴れ、あな面白、あな楽し、あなさやけ、おけ!」と叫び、ともに歓び踊る。から来ていると歴史読本にあった。それは、アメノウズメノミコトの踊る姿がぽろりとみえて、それをみた神々が、いっせいに花が咲いたように大笑いして騒いで踊りだしたという。何が種になるか解らない処がある。それが人間性でもあるのだろう。おおらかな時代があったというべきだろう。生きることは運動であり、体を動かさねば頭も動かなくなる。誰も振り向かなくなるまでが自分の存在でもあるのだろう。そういう意味では、家族もそのためにいる。家族を愛することもそうしないことも自分のためにしているようなものだ。愛されたくない人は、他人を愛さないことでしかない。
2021.03.29
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生物は前を向いて生きている。過去を振り返るのは人間だけだろう。それが人間を賢くもしたが、絶望さえ持つにいたる。人の人生は悲劇になり易いが喜劇で終わる。肯定し、否定し、肯定できるかだ。否定のままでしかない人生は悲しい。「平家物語」の根幹は「哀れ」のようだ。「軍記」としての特色でもある。人生を軍記のようにおもうのだろう。 ・歳をとると自分の過去を振り返ってみようとする誘惑から逃れられなくなり、そしてそれゆえに「哀れ」の感情を生んでもいる。それが自然でもあるのだろう。ひとも植物のように枯れて散るための準備が要るのだろう。前を向いて倒れるか、後ろを向いて取れるか、肯定か否定か、それは個人の問題でしかない。人間も生物であり、生きることに目標も、肯定も否定もない。 ・へ2・・・真面目に考えることは、人間の形質だが、それがどこまでできるかでもある。自由の本質を維持することは簡単ではない。そして前がどこにあるかだ。
2021.03.29
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本地垂迹(ホンジスイジャク)は、平安時代ごろからの神仏習合の思想でもある。時の権力者によって利用された宗教がある。宗教国から視れば日本の宗教は訳のわからないものに見えるのだろう。クリスマスだったり初詣だったりする。何でも都合のいいように考えている。素性のわからない民族だと思うだろう。それは言えないでもない。外国の良いところを自分たちに同化して利用して来た。 ・解かっているからできることと解かっていないからできるものもある。良いが悪いになり悪いも好いにもなる。良いと思ったがその時で変化もするからだ。日本にとって、アメリカも中国も、その時の風の向きで違うだけだろう。敵に味方にもなる。まあ国家とは似たようなものだが。成功が没落の原因にもなる。日本の時代も今では嘘のようだ。中国もバブルになるだろう。 ・へ2・・・栄枯盛衰。どんな人も社会的ステータスで変化する。老人は老人のような考えになるし、どこから視ても若くはない。老醜というが、どんな綺麗な牡丹だって最後は萎れて行く。五百羅漢の石仏を見て感じることはある。先日宗勝寺の露天の石仏も風雨にさらされていたがあれもあのままで好いのだろう。祖母が五木の子守唄をよく唄って呉れた。・・・死んだら…水は天から貰い水。
2021.03.29
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和白干潟。かなり黄砂が広がっているようだ。自分の考えとは違う世間があり、それはそれで仕方がない。勘違いされると困ることがないではない。それは自分の過失もあるが、そうとばかりは言えないかもしれない。世間があって私もあるのだから、自分を先に考えると間違いもする。腹が立っても自分の思い上がりもある。世間に負けてばかりも居れない。 どういう因果かこうしているが、それも悪くはないが、困ることにもなる。「莫迦は死ななきゃ、解からない」。死んでからでは取り返しが利かないが、そうなるのだろう。科学を利用し、それで自業自得にもなる。利用してあとで迷惑だと言っても遅い。便利に生きてきたが、それで苦しまねばならないのがある。色が好きで、あとで厭になったからと言っても、知らないふりもできない。あと始末をしなければならない。それがなければけじめがつかない。 ・へ2・・・「面白」の語源というのが、天岩戸神話の 「天晴れ、あな面白、あな楽し、あなさやけ、おけ!」と叫び、ともに歓び踊る。から来ていると歴史読本にあった。それは、アメノウズメノミコトの踊る姿がぽろりとみえて、それをみた神々が、いっせいに花が咲いたように大笑いして騒いで踊りだしたという。何が種になるか解らない処がある。それが人間性でもあるのだろう。おおらかな時代があったというべきだろう。生きることは運動であり、体を動かさねば頭も動かなくなる。誰も振り向かなくなるまでが自分の存在でもあるのだろう。そういう意味では、家族もそのためにいる。家族を愛することもそうしないことも自分のためにしているようなものだ。愛されたくない人は、他人を愛さないことでしかない。
2021.03.29
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セーヌ川クルーズ。 ノートルダム寺院。 ルソーの年譜をみていると彼の書いていることが少し理解できる気がする。生まれてすぐ母と死別し、伯母に育てられる。父が喧嘩で出奔したりで、牧師にあずけられたり伯父の家の世話になったりする。13歳で徒弟となる。その後も修道院に入ったり出たりをし、20歳でヴァランス夫人の愛人になる。その後も自堕落な放蕩を繰り返している。 33歳の時テレーズとの関係がはじまり、翌年年末第一子を出産するが捨て児にした。続いて第二子も捨て児にしている。酷い男だ。併し時代背景を考えると当時結婚できないものが多かったのは、家族をもてなかったのだ。裕福なものしか家族はもてなかった。そこに寄宿していきるしかなかったのだろう。そして、39歳の時の第三子も捨て児している。 50歳「社会契約論」「エミール」を公刊する。併し高等法院「エミール」の焚書およびルソーの逮捕を命じている。ルソーはテレーズを残して逃げた。ルソー弾劾がされた。ロンドン、パリと転々としている。一時は、ルヌーと仮名を使ったようだ。テレーズを妹と称した。 晩年テレーズが病気をしたり経済的にはくるしいおもいをしている。その日1778年7月2日、散歩ののちテレーズと朝食、午前11時、ルソー死す。翌年テレーズは、ジラルダンの従僕と結婚した。1794年国民公会は、ルソーの遺骸をパンテオンのヴォルテールのかたわらに移葬した。 ルソーとは、18世紀を代表し、19世紀と20世紀とを作った偉大なる人物である。そこに住む人びとはその意味を知るのがいつも後からであろう。 「告白」は、それこそ「ただひとりで生き、そしてただひとりでたたかった」人間の一生を描く自伝なのである。ただひとりで、新しい信念を確立し、共和国を予告した。
2021.03.29
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世の中には、黙っていては解らないことはある。以心伝心にも限界がある。言いたいことを言うべきであり、いわないと損もする。それこそ言いすぎるくらいの世の中で当り前なのだろう。おとなしいひとが隅の方へ押しやられてもしまう。躾や指導だと称して暴力を振るう。ちょんまげをしていた時代と変わらないことが行われている。体育系が嫌いだったが、暴力が暗黙や公然と行われていたことを誰でも知っていることだ。 ・そんなことをされて我慢している友人を馬鹿だと思って軽蔑していた。他人よりそれで巧くなって優勝しようという下心が見えていた。世の中の強い奴に逆らわない人間になってしまう。体を鍛えるのは、軍事訓練しかないのではあるまい。表面的には従順で、しかも腹では軽蔑していたに違いない。そんな体験のトラウマが連鎖して、社会がい歪にもなる。 ・へ2・・・プロ選手を出すためにされていることは、人間教育ではない。良い歯車にするために大学がマスプロ化して、大量生産されてきた。勉強しない典型がスポーツ入学の学生たちだった。目的が違っている。何のための大学かわからない。沈黙の羊だろう。戦後69年の時間は重い。 明治維新前は、ほとんどの民衆とは、問屋支配下の内職や賃仕事で糊口をしのぐか、小作に頼るしかない貧農か無高百姓たちだった。そこに尊王攘夷や、鎖国から開国への大津波が押し寄せたのであろう。倒幕や維新があったのは、その蓄積された内憂外患のひとびとのはけ口だったかもしれない。政治は、危うい道を歩きたがるものでもある。
2021.03.29
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ホーリー・トリニティ教会 ステンドグラス声聞弟子というのは、文字の読めない弟子のことだが、文字が読めても理解できないひともいる。聴いただけで理解できるということは容易ではない。たった一度しか聞いていない言葉をいつまでも忘れない。ひと脳力は計り知れないところがある。感性が豊かだという意味は、真実を理解できることなのだろう。こどもたちの想像力は、玩具さえ空を飛ばすことができるのだろう。 ・赤ん坊は、大人が考えている以上に、現実を理解しているらしい。発達心理学の発達で驚くべき能力の高さが解ってきた。ひとは物事を見て、読んで、考えて暮らしているが、思考には個性がある。文字を知らない文化でも、それに代わる知性が向上するに違いない。決して聴いたことを忘れない能力があるのだろう。とてもぼんやり暮していてはできないが、一生に二度とない出会いもあるからだ。 ・へ2・・・お経もよく知らない人が、優れた仏教徒もいるし、聖書も読めない人が熱心な信者として殉じた人さえいるのだろう。エリートだけが優れた人間ではない。むしろ謙虚に生きている人の中に尊敬できる人が沢山いるのだろう。韓国の人たちが、最近沈没した多くの高校生たちを見殺しにした本当の理由を問うているらしい。いざというときに何ができるかが問われているのだ。多くの犠牲者を出して、初めてわかることがある。
2021.03.29
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屋久島。世の中、「ああぁー、いいやつぁー、早死にする」らしい。日本だけかと思えば、どこの国でもそう思うひとがいるようだ。それは、誰もが抱く想いでもあるのだ。自分の周囲を見回してもそういえることばかりだろう。遠慮し過ぎていたのだろうか。ふてぶてしい連中が長生きするので世間は世知辛くなるばかりだろうか。勿論妄想だろうが・・・。 心の優しい人は、いなくなってしまって我利我利亡者ばかりになってしまったら、どんなにか暮らし難いことだろうか。でもそれを許容する現代社会ではないだろうか。他人よりも好いサービスを望むものが多いのではないか。他人より少しでも好いものを、豪華でいたいと内心思っているのではないか。それを増長する商業主義が闊歩しているではないか。 寧ろ謙虚にあろうとするものが社会の隅に押しやられ悲涙むせんではいないか。太った豚が痩せたソクラテスを虐げてはいないか。そういう社会を世間が黙認してはいないか。 鎖国によって、目と耳をふさがれていた日本は、開国にあたって列強から食い物にされ騙されていたのは国際社会の基本を知らなかったからだという。ハイエナたちが餌食にしたからだ。外交さえ知らずに開国したのだという。尊王攘夷も、天保の改革も狭い視野でしかない。いまだに俯瞰的な視野が狭いのではないだろうか。
2021.03.29
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モロッコ。サハラ砂漠。やはりモンゴルの歴史は、壮大だ。中世の暗黒時代を読んで人間の残酷さを思ったが、モンゴル軍の殺戮の遣り方も無残としかいいようがない。それでも強かに生きて来た人類とは何ぞや、といいたくもなる。チンギス・ハーンから、世界制覇のための長い遠征と時間の経過と激しい無数の虐殺があり、長い戦いの果てに、フビライがついにアジアの最強の男になる。 しかし、フビライには各地のハンを招集したクリルタイで公式に大ハンの称号をうけ、正統の大ハンになったのではなかった。それぞれが広大な領土をもつハン国は、独自の道を歩みだしていた。かってのチンギス・ハーンの統合された帝国ではなかった。ペルシャに侵攻したフレグの大遠征が、大ハーンの名においておこなわれた帝国最後の軍事遠征であった。 フビライは、実質には大ハンではなかった。現実にはキプチャク・ハン国とチャガタイ・ハン国は、フビライの手から離れていたのだ。フビライの頭は中国統治で充たされていた。中国におけるモンゴル人は略数十万人で、中国人は数千万人に達していた。非中国人による露骨な人種差別政策によって成立したのだ。 やがてモンゴル帝国の長が世界の大ハンとして君臨する時代は、二度ともどることはなかった。大ハンによる世界制覇の夢は消え去り、東洋は長い眠りの中につくことになるのだ。
2021.03.29
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高野山参り。5月にツアーの予約をしてみた。前回は、2013年3月のようだ。8年前になる。伊勢神宮や出雲大社は、何回か出かけたが、高野山は2回目。今ころは、吉野山の桜見だろう。パンデミックがあるので、何があるかわからないが。予定は、予定でしかないが、ないよりかはましだろう。商品価値を求めている社会があり、謂わばその鬩ぎ合いがあり、神経をすり減らしてしまう。ストレスは社会が仕向け自分でも創り出してしまう。ニッチを追及するのは種の保存の宿命だけではない。社会的動物である人間は、つねに生存競争に晒されてもいる。複雑化した社会では、価値観が一様ではない。敵が敵であり、味方も敵になる。ステージをアップするほど先鋭化する。 ・この社会で生き残るためにスペシャリストになろうと高い壁を越えなければならない。そのためにどれだけの時間と労力を必要とするだろうか。縦しんば運よくその専門家になったとしたところで、その先がある。社会的ステータスを得なければ一人前に発言できない。常に前進しなければそこへは届かないらしい。一生かけてそれにチャレンジしろと社会から要求されている。 ・へ2・・・年々社会の壁は高くなってきた。とても越えられそうもない目には視えない万里の長城が立ちはだかっているようだ。そう思ってきた。それは幻想ではないだろうか。時代が描きだす集団陶酔がある。イラク戦争はなんだったのだろうか。独り勝ちのアメリカでさえ、あの巨大なエリート集団でさえ、誤りを起こすのだ。そしてそれを未だに修正できていない。どうも米中関係にしろ、きな臭い。中国も本性を現し始めたようだ。国際社会が中国の言う世界観を認知するだろうか。国内統治のようにはいかないだろう。一帯一路も思うようにはいかないだろう。それこそ他国の理解を得られるかだ。姑息な手段で覇権を得るべきではない。武力や経済だけでは人間を支配はできないことを知るべきだ。なぜバイデン大統領が選挙でトランプに種利しただろうか。アメリカファ―ストは、甘い言葉だろう。それはアメリカ国内では称賛されても他国にとっては迷惑な話でしかないからだ。再選をするためにしか仕事をしない男が許されるとしたら、それは漫画の世界だ。
2021.03.29
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セーヌ川クルーズ。火災前のノートルダム寺院。自然を見ていると、ヒトも自然の一部のように思えてくる。生まれ育ち枯れていく。山に降った雨が集まり、川となって下っていき、やがて海に至る。そのどこを見ているかでしかない。数キロでしかない川もあれば、延々と大地を流れる大河もある。一直線に流れていく川もあまり見たことがない。それこそくねくねと蛇のように蛇行していくのが大河の特徴でもあるのだろう。 ・へ2・・・数億年をかけてコロラド川は流れて、グランドキャニオンをつくり、数億年経過すれば、そのなれの果てがモニュメントバレーのようなイメージになるそうだ。マクロの目で見れば、皆同じでしかない。
2021.03.28
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セーヌ川クルーズ。 ノートルダム寺院。焼失事故前。 ノーマルな時代があったのだろうか。そして、現在少し、最近のテレビドラマが変わってきたように思える。異質なものとは感覚でしかわからない。説明できないが、あるものだろう。不安な時代に長く浸かっていると異常なものが発生してくる。それは異質なものとしかいえない。あとで気付くがその時は解からない。何か匂いがする。否臭いだろう。悪臭だろうか?決して心地いいものではない。先端の芸術とはそうした何かの兆しだろう。 ・頽廃した社会が、醸しているものは腐った魚のような。無為なことを始める若者たちが増えている。帰りのない戦闘機に乗った若者たち。絶望の美学が美学などではない。 ・へ2・・・樹木が枯れ始めると、いくつかの枝が枯れ始める。葉も枯れ始め炭素化してくる。注意して見ていれば解かる。国家も、人も、崩壊の軌跡が似ている。今日は、強風が吹いて、ソロソロ寒さが増してくるようだ。季節が変わるだろう。不安に駆られた人たち絶望を始めるのだろうか?
2021.03.28
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セーヌ川クルーズ。美しいものを見ると心惹かれる。この世は黴菌ばかりだと絶望して死んだ科学者がいたが、それは本当に科学者だったのだろうか。生命活動は、闘いの中にあり、ほんの4%でしかない物質世界の中で活きてもいる。猫の目は美しいと発見した。生命は美しさで充ちていると思う。 ・和白干潟に絶滅危惧種のクロツラヘラサギたちは、去年は4月ころまでいたが、今年はどうだろうか。まだいるかどうかわからない。群れでやってきて群れて北へ帰るようだ。数年前から、冬のシーズンに野鳥の観察を始めているが、楽しみが一つ増えた思いがする。 ・へ2・・・年々社会の壁は高くなってきた。とても越えられそうもない目には視えない万里の長城が立ちはだかっているようだ。そう思ってきた。それは幻想ではないだろうか。時代が描きだす集団陶酔がある。イラク戦争はなんだったのだろうか。独り勝ちのアメリカでさえ、あの巨大なエリート集団でさえ、誤りを起こすのだ。そしてそれを未だに修正できていない。
2021.03.28
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セーヌ川クルーズ。何故か? 錯覚した方が都合が良いから・・・。脳は、空間を都合の好いように歪ませる。「脳はなぜ「心」を作ったのか」前野隆司著で、「意識するこころの作用は、意識下の脳内活動よりもあとに生じる。」というリベットの実験結果を紹介している。オーグメンテッドリアリティーというらしい。私たちの五感は、それを感じる時、五感で感じているのではなく、脳の「知」の働きが、あたかも感覚器のある場所で感じたかのようにみせているに過ぎないという。ひとは錯覚でものを感じているのだ。そういえば、何故結婚したのかと言えば、それはお互いだろうが、錯覚だ。どうも人生とは錯覚の連続でもある。その連鎖はとんでもない結論を導いてもしまう。自惚れ易い人間たちが、何でも知っていると思い込んでしまう。それこそ虫けらと変わらないのに。
2021.03.28
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守らなければならないルールはあるとしても、殻を破らないと外には出られない。殻が問題。21世紀になって、わかった科学的事実も多い。政治が未だ遅れている。致命傷になりかねない。なにしろ核兵器は、地球を破壊してしまう威力がある。それを手に入れて自分のものにしたい人間までいるのだ。どんなことになるか、ローマ帝国と変わりはしない。 ・どうせヘイフリックの限界がある。栄枯盛衰は世の習いだが、頭を叩かれないと解らない人間もいる。KYな首相は、いつかとんでもないことを仕出かすかも知れないのだ。油断しているのは、こころが怠慢になっているからでもある。まさかまさかがある。戦後生まれで、兵役もなかったが、これからどうなるか分からない。 ・へ2・・・なんの確信もないのに、リスクが低下すると仮請け合いばかりしている政治家たち。何を今さらノーベル賞受賞の経済学者の意見を聴くだろうか。自ら勉強もしないでいる証拠でもある。そのひとがアベノミクスと言っている。研究した後でも成果でもない。日和見主義者の所以でもある。そして近未来の結果責任は誰が取るのか。すでに科学者たちは、真実を発言しなくなったかもしれない国家はいくつもある。本当は違うと、子k炉の中では知っているのだ。日本だって戦時中は同じだろう。もしかしたら、いまでもそうかもしれない。自由に発言できないとしたら、同じことだ。会社でも、官庁でも、おなじだろう。ジェンダーも、かなり前から話はあるが、いつまでも変わらない。
2021.03.28
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モンサンミッシェル。自由を求めて、戦った人たちは大勢いたに違いないが、そのことをすべて知っている人はいない。何らかの容で力を貸した人たちも無数にいたのだろう。それらの努力があって今日もある。不完全ではあるが、できる自由は拡がったが、それをどれだけ生かしきっていると言えるかは疑問だ。与えられたチャンスをものしているといえるだろうか。価値のある教育がされ、必要なスキルとか、教育者やシステムや、そこで学ぶものたちが、自分の行くべき道を理解していたと言えるだろうか。 ・教育は、大量生産されただけの、企業や国家に役立つものでしかなく、法や社会規範を守り、小市民的に生きることを仕組まれたものでしかなかったのではないだろうか。自立した考えを持ち、ひととしてあるべき人格の形成を放棄してはいないだろうか。自由からの逃走をつづけているだけではないか。先人たちの死を懸けても守ろうとした自由があったに違いない。・へ2・・・他人にできない自分にしかできないことをしたいが、何をどうすればいいのかいつも悩んでいる。やっても失敗ばかりする。挫けたらそれまでだ。絶望してもそれまでだ。みつかるまでやればいい。誰かに繋げられるかだ。 砂のようにばらばらの個性でしか人の能力が使われていない。昆虫の世界が人間よりもまとまりが好いのは確かだが、個性が喪失している。希望のない世界が希望ではない。軍国主義を良いことに甘い汁を吸っている連中が蔓延っているのだろう。かって日本もそうだった。軍人志向が増えるのだろうか。政治家たちが狂い始めているのは、なにかの前兆かも知れない。
2021.03.28
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セーヌ川クルーズ。 どうやらパリ市民の憩いの場でもあるらしい。コロナ禍のなかでひとときの安らぎを求める人たちもいる。市民たちの思いはみな同じらしい。漱石の「ガラス戸の中」八 の冒頭で、「不愉快に充ちた人生をとぼとぼ辿りつつある私は、自分のいつか一度到着しなければならない死という境地について常に考えている。・・・」 「死は生よりも尊い」 ・漱石でさえ、いつも理性的であった訳ではない。漂浪の末辿りつく場所が、虚偽の港もあるということではないだろうか。闇に迷いこめば自分の存在さえ分からなくなるのだろう。立ち直れるかは最後まで行かないと分からない。考え続けるということが人間の特質であってまた弱点にも強みにもなる。夢をみるのはいつも善い夢ばかりではない。悪夢もある。夢から覚めねばならない。 ・へ2・・・漱石もいつも正しいことを言うのではない、莫迦なこともするし、迷い事を書いてもいる。だから文豪と言われるのが間違いというのではない。優れた文学作品を書いた人でもある。作品を文脈で読まなければならないのは普遍的な論理を知ることでもある。部分を視ただけでは結論は出せない。出してはいけない。人は善人でもなく、悪人でもない。正しいことをするから正しいだけだ。正しいことを言うから正論という。無知という安心から曠野に過ぎない世界も立ち向かうときに得られる突き刺さるような理解という爽快さを知るべきなのだろう。 爽快さを求めるのはよくない。クールに生きていけるほど世の中はきれいでもない。浅い海の上を生きている。なにかあれば呑み込まれてしまう。つなみてんでんこだ。ひとりひとりばらばらで逃げるしかないがみんなのみ込まれてしまうだろう。 それだけ。50歩100歩でしかない。
2021.03.28
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何が美しく見えるかは簡単ではない。人間の意識は単純ではないことを示している。隣国の韓国でも中国でもないものが、やはりあるのだろう。中国を旅行して水を飲むことができなかった。飲んだら腹痛を起こすだろうとあったからだ。勿論それは中国だけではない。他国も同じだ。日本人が日ごろ飲んでいるものと成分が違うものがあるからだ。 ・へ2・・・ひとがそこの土地の水に適応しているからでもある。だから日本国内でも水が変わるといわれる。旅立つときには水に・・・と言われた。元気な若者の、老人ではまた違うらしい。環境に適応できるレセプターや柔軟性が違うのだろう。 ・富士山をみて美しいと思うのが誰でも同じかというとそうではない。何とも思わない人たちがいるということだ。仏像をみれば手を合わせる日本人は多いだろうが、西欧人から見れば単なる美術品でしかない。或いはその以下のものでしかないかもしれない。異教徒の仏像でしかない。 ・へ2・・・クスコのアルマス広場は、二度出かけたが、一度目には高山病になった場所でもある。二度目は何ともなかった。噴水のところが待ち合わせ場所になり、ベンチに座って思い出作りをしてきた。 過ぎてしまった時間は、どんな時間も過去の記憶でしかない。そしていつか消えてしまう。風邪の中にかき消されてしまう。かって父母や、親戚の人や、親しくしてくれた友人たちも死んでしまったし、そしてやがて私の時間も終わるのだ。喜怒哀楽も。幕末の幕府も志士たちも清国の哀れな事態を知っていたらしい。そこで倒幕し、尊王攘夷で、幕府と討幕派が争ったが、内憂外患という認識があったのだろう。清国は弱かったのだ.それこそ天保の改革から紆余曲折の歴史がある。日本政治の脆弱な文化は、ここでも見ることができる。西側の民主主義と中国の言う民主主義は、次元の違いがあるらしい。人民と国民は違うのだ。そして人民になれない国民たちは抑圧される。国を選べない人たちが非うさんな人生が待っている。人としての言論の自由や自分らしい暮らしを収奪されるのだ。
2021.03.28
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セーヌ川クルーズ。 行動の柔軟性は若者の極めて大きな特質だ。そして年をとることは成熟と伴に新しい行動パターンを受け入れ難くする。即ち本質的にこうした柔軟性は若い動物が環境に適応する為のなくてはならないものだ。コピーはあらゆる複雑な行動を習得するために不可欠でもある。ロールプレイングも同じ。そして、現代は「遊びこころ」があらたな価値を生むかも知れない。ヒトの幼児化は、複雑系に生まれた現象。未来を定めない戦略は、ヒトをぼろぼろにするかも知れない危険な選択だが、敢えて選択した賭けであろう。この道を辿らねば明日をみることはできないとしたら、この道を行くしかない形質を抱えている。同性愛だろうと何であろうと、先に辿り着くものが「ニッチ」を得る。
2021.03.28
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逃げた猫。作品「吾輩は猫である」 2・悲劇と喜劇が表裏にある。・漱石は「連想中枢」が発達していた。(死後の漱石の脳の解剖で証明されている)。・日本人は元々連想的。・方法的だが、資質がそうさせている。・前と後ろが繋がる。本を読むのも自分の読み癖による。作家にもあるので重なる人と会わない人がいて当然。・ストーリー上の繋がりではない。理屈ではない。同じパターンの繰り返し。・作家をどう読むか。・漱石は悲劇から喜劇への繰り返しである。「落語」の落ちと下げ。・落語の延長として「猫」を読むと解かる。前近代・反近代。・無関係と思われるものがあとで繋がる。・ブラックユーモア。落語でも、人間の死をコミカルに描く場面がある。・主人と猫が初めてであるシーン。「吾輩の顔をしばらく眺めておったが、・・・やがてそんなら」猫と主人の表裏の関係。通じ合う関係。主人は、同情した。捨て猫への同情。ポイント。・同情から始まっている。主人から拾われる瞬間。主人だけである。・迷亭像が、1章と2章では、人物像が変化している。・車屋の黒の憐れな最期。心象風景が書かれている。情景描写でもそれを締めくくっている。・1の終わりと13の終わりと同じ終わり方をする。・8 「鏡」が出てくる。自分の正体を晒すから。狂人扱いされた。あばた顔でコミカルに描いている。深刻さがないように書く。・逆上。インスピレーション。異常なもの。狂人。カフカ変身。・狂気から異常なものを生まれる。自覚している。漱石自身でも思っている。・おれは可笑しいかもしれないと思う。 9章。・笑いと悲惨とが、内省的になる。・自分の中の非情さを感じている。苦沙弥は非情に書いている。漱石は違うのではないか。・「水底の感」藤村操女子。寺田寅彦宛の手紙。漱石と寺田との関係が出てくる。・自己批評に向かう。内省的。寒月には、同情があるが、先生にはないように書いている。・「呑気と悲しい」の表裏にある。漱石の構造の中核。「猫」も同じ。・悲しいと美しい・・・川端の世界。
2021.03.28
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