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欲張りは生き残れない。寧ろ優先順位を選択して重要なものを見失わないことだろう。豊かな社会とは経済的な裕福や贅沢な暮しをすることではないことを戦後の日本人は、思い知ったのではないだろうか。乾坤一擲こそ、為すべき道でもある。 ・人間的な純粋さを失くし始めた人々が増えているのは民族の劣化でもある。それは一言では証明できないが、時代の雰囲気でもある。それは文化の臭気のようなものだ。それが老醜とでもいえるものかは知らない。 ・へ2・・・植物の光合成には、太陽と水と二酸化炭素が必要であり、その条件を整えなければ成長できないように、人間にも生きるための必要不可欠のものがある。それを確り見据えていくことだろう。時代は新しい価値を探し出している。真価が問われるのだ。メタボでは生き残れない。
2021.09.30
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杞梁は春秋時代の斉の人。その妻が戦死した夫を思って泣くと、そのこころに感じれ城壁が崩れたという言い伝えがある。長城築城のために何万、何十万もの若者が犠牲になっただろうし、その妻たちもいた。無数の孟姜女がいたのだろう。山海関の孟姜女伝説もある。 築城の人夫として駆り出された男の妻が夫の身を案じて冬着をととのえてはるばる工事現場まで夫を尋ねたが、夫は過酷な労役のため既に死んでいた。それを知った妻は、悲しみのあまりに長城のもとで泣き崩れた。すると、にわかに雷鳴がとどろき、長城の壁が崩落し、そこから夫の遺骸が現れた。妻はその遺骸を抱いて海に身を投げて死んだ。 ・あるいは誇張があるかも知れないが、真実だろう。時代の冷酷な悲惨があり、人々には赤い血が流れ優しさと暖かい夫婦愛がある。 ・へ2・・・それこそ濃密な人間の触れ合いがあった。自然はあくまでも厳しく、圧政は過酷であればある程、それを耐え抜くだけの勇気が生まれる。
2021.09.30
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.漱石が、何に関心があったか、の結論が作品なのだろう。してみると、彼の関心は偉人でも、創造的な人間でもなかったことになる。自分の器にあったサイズで作品を書いた、としか言いようがなくなる。それこそ些細な人間のありようを書いている。どこにでもいる人間のことでもある。時代背景がないわけではない。苦悩したから、神経衰弱にもなった。自分のエリアでものを書いただろう。先人たちのいた場所は広々としたスペースではなかったともいえる。ひがみと偏見と固定観念を払拭していた訳ではない。世の中にばらまいたものは夢ばかりではなかった。 ・世間知らずの19歳の家出をした少年の物語「坑夫」を読み出している。作家のミステリー仕立ての作品を、彼の死んだときから逆に読んでいる。どうして「明暗」「こころ」なのだろうか、作家の偏執が見えてくるだろうか。彼の到った境地は、作品の中にもある。日本仏教の他力本願が齎しているものは小さくはない。人間を小さくしてもいる。それこそ国家や文化が人間を小さいサイズに押し込めようとしたのではないだろうか、とさえ思えてくる。 ・へ2・・・偏頗な社会が、変な政治家を創ってしまう。そしてそれがこの国の未来を狂わせてもしまうだろう。軍国主義も、皇国思想もそうした歴史的背景がある。日和見的な政治家の言動は世界から蔑視されるだけだ。民族の思想の劣化もその顕著な徴表でもある。エゴイストの社会が、未来への道を阻むだろう。
2021.09.30
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学問が国家の政策に利用され、唆されてその一端を担った歴史を否定できない。そのダメージが文化の発展を阻害もする。どの国にも文化の発展と衰退の時期がある。明治以来、戦争を繰り返し、表向きだが勝ち続けた歴史が、人びとに与えた自信は、思い上がりだった。そしてやがて敗戦による、国民の失望があり、戦後のジャパン・デイケイドがある。そしてさらには空白の10年間があり、それがまた「空白の20年間」になるかも知れない。このまま斜陽国にならないとも限らない。 ・戦争中の教育は、やがて嫌悪の的になった。その否定の中から這い上がるような学問の手法が考えられた。アメリカ文学もベトナム戦争が、暗い文学が生まれたと言われる。能天気ではやってはいけない。文学のその時代のテーマを抱えてもいる。そういえば、日本文学でノーベル賞を貰った人たちが、日本の文化の代表者ではない。日本人も納得できる客観的で冷静な評価がされているわけではない。国際社会における評価も当てにはならないことの所以でもある。 ・へ2・・・日本人が、戦時中訳のわからない論理で、世界から白い目で見られた消し難い歴史がある。世界の孤児になった。そのとき日本で何が起きていたのか。誰も知らないでは済まされない。本当に知らなくてよいことばかりなのだろうか。隠された秘話がまだ沢山あるのではないか。時間を無駄にしてはならない。
2021.09.30
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イスタンブール。時として絶望を感じている人なら、それが簡単な相手でないことを知っているだろう。問題の解決法はあるだろうか、と。多分ない。自分が死ぬまでないだろう。軽減はできるにしてもコストがかかり過ぎるだろう。法学を専攻したが、或る時○○市大で分子生物学を知った。それから、○年前横浜に単身赴任して、また○○市大で講座を聞いたのも自然科学だ。違う分野を知ることが如何に大切かを知った。つまり自分のメルクマールに拘ると視野が狭まってしまうことが理解できた。真っ直ぐ行こうとするからできない。道は、幾つもあるだろう。それこそ地球を一周するつもりになれば、反対からでも行けるだろう。何故、自然科学を遣らなかったのだろうかと後悔したものだ。案外易々とことは、乗越えられたのではないだろうか。急ぐ奴は、急ぎ過ぎるために挫折するのではないだろうか。人間とは何かを理解して、始めるべきではないか。それが、できていないから小さな壁を乗越えられないでいる研究者が多い気がする。絶望するのは、どこか間違っている。
2021.09.30
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ハワイ。新婚旅行では行けなかったので、リタイアして出かけた。スタートから間違っていたのかもしれない。香港人は、愛国者でなければならないというが、押し付けでしかない。それで果たして豊かな社会といえるのか。人権のない社会ほど不幸はない。言論や学問の自由が制限されるほど才能は萎んでしまうjだろう。誰もみな、少し違うだけの人生を生きている。同じ人はいないだけだ。歩くのは危険が伴うがそんなことは構っておれない。ひとは外に出て歩くことで自分の運命を切り拓いても来た。人生にリスクはつきものだといえる。これではだめだと思えばやり直すだけだ。それが失敗でも仕方がない。何度かそういう経験をしたから慎重になった。そしたら考え過ぎて行き詰まりもした。そして数年前、また方向転換した。何も利口である必要はないのだ。少数点以下が何位であろうと、それが何だろうか? ・誰も、私の評価をするつもりはないのだ。自分の自身の評価が何であろうと無関係なのだ。誰も私に聖人になれと期待してもいないし、命令もしていない。思い込んでいるのは自分自身でしかない。私はこどものころ、自分で言うのも可笑しいくらい内気だった。それはいまなら原因がわかる。環境と素質がそうさせたのだろう。しかしそれが自分では大いなる悩みであったし、内気を克服することが大きな課題だった。それは自分の個性であってどうしようもないことだと気づいたら楽になった。 ・自分が普通の人間だと気づくまでにハードルがいくつかあるのだろう。それを一生超えられないひとがいる。引っ返して来れば何でもない。跳びこえるまでやり直せばいいのだ。静かな雨が降っていて部屋にいて気がつかなかったが、少し濡れながら歩いてきた。ひとは歩いて脳を解放したのではないか。くよくよ考えてもいい考えは浮かばないのではないか。自分を縛りあげるようなことばかりしている。自己卑下していては、明日は来ないだろう。 ・へ2・・・余計なことを考えるから不幸になるのではないか。自分以外のことを心配していればいいのだ。自分のことは何とかなる。ちゃんと守ってくれる自分の脳がある。目がさめれば一瞬にして、数十万か、数百万の情報を処理してくれる。
2021.09.30
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インドの衝撃。他人より悧巧になりたいと思っていたのは、そうした方が善いと世間から教わったこともあるが、自分でも思っていたのだろう。そうしたくても、出来ない人もいるし、自分もその一人だと実感もした。出自によるところも小さいものではないし、この社会の封建由来の拠って立つ潜在的なものもある。裏表のある社会である。法秩序は、抽象的な条文で書かれている憲法の下で構成されてもいる。 ・それこそご都合主義なのだ。裁判官の裁量というのも実は怪しい論理である。日米、日中、そして米中とその関係は、時代とともに変化している。戦前日米は戦い。米中関係は悪くはなかったが、中国が共産化し、米中はその後、冷戦下になり悪化した。日米は、その後、日米安保条約を締結して、朝鮮戦争を経由する。三国の歴史は、それこそ三つ巴の関係でもある。勿論国家間の力の関係は差があるが。単純に敵味方だけではない。最近の米中の蜜月を見ていると不思議な感慨がある。 ・へ2・・・夫々の国益を見て動いているだけだろう。何の不思議でもない。力の論理だろう。それにしても、総力戦の戦いは、熾烈になりつつある。敵味方の安易な構図では説明できない国際社会になっている。中国人の形質は、「砂」だと孫文は称したが、その「砂」が政治状況の変化で、元に戻るのだろうか。一枚岩も、過去のことになるのだろうか?いまや60年代の日米安保時代のアメリカでもない。それこそITの進歩によって、100年前とは桁違うの情報がコントロールできる。選挙制度もやり方次第で、国民の投票を直接管理できるだろう。自民党の総裁選で、岸田文雄総裁が誕生したが、現代にふさわしいものだろうか。派閥に有利な選挙でしかない。しかも国民の代表者といえるかだ。これからも一部の権力者たちの愚かさのために振り回されるのだろうか。
2021.09.30
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プラハ。自分の中に狂気があるのを自分では気づかないのかもしれない。それはオーバーな表現だろうか。それこそテレビ時代を無防備に日常の暮らしの中に溶け込ませている。誰もが遣っている事をしているから常識があるとは言えない。アメリカ人を歴史的にも好戦的な国民だと思ってきたが、日本も誰がどうのではなく、戦前は、まともな神経ではいられなかったのだろう。 ・それこそ、最近5年余日本文学の講義を受けているが、日本の知識人とは狭い世界にいたのだろうと思わないではいられない。文学ばかりではないのは、それは言われなくても判る。作家にはそれをサポートした愛読者の多くが大衆でもある。国家が狂い、国民も狂いだすのだ。それを生みだすものがあるとしても、ミームはそれを培養するものがなければならない。 ・へ2・・・何が狂気と言えるのか?それを見極めることは、なかなか容易ではない。過去でしかわからないのが歴史の過酷な現実でもある。そしていつも見誤って来た。その呪縛から逃れられないらしい。外に出たら、名月の名残と、オリオン座が見えた。
2021.09.30
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ロンドン。断固として遣ろうとするなと言われる。強く遣ろうとするからストレスになる。ストレスは万病の源だ。然し、適度のストレスも進化のためには必要。最近、何かを強く思うことが少なくなっている。でも一言では言えない難しさもある。広く浅くが生きる上で利口なのかはよくわからない。全てに当てはまる訳ではない。どうやら、何も思おうとしないのではないか。だからのほほんと生きている。若いうちはまだ時間があるが、老人には時間がないというのはうそ。心身共に「健康寿命」か?これまで役に立たないと思っていた近世の文学や、四書が面白いと思うのは、いくつも空地がある。自分なりの。どうやら、研究しても価値がないと放置されていたのではないか。西欧流を真似しても所詮仮想でしかない。故郷が消去されかけている。消去してきたのは自分たちだ。消してしまえば綺麗になるが、自分たちの存在もなくなる。それは漠然としているが、何かを強く思うことが、いま必要ではないだろうか。何かを強く思い描いてそれに向かう。それが何であるか。 自分を見出すのには時間がかかるものだ。そして、何があろうと私も自分らしく生きている考えである。 「シキの人間が南京虫になっても、・・・・」(漱石「坑夫」より)
2021.09.29
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・李陵は匈奴を破って二分海子まで引き揚げてきたとき、この湖は四面草原で休養するのには恰好な地であると思い、宿営した。連日連夜祝宴を開いていたが驕慢から全将兵に二分海子の中央に二十数日間をかけて土を盛り「誉満辺関」という碑を建て、悦にいっていた。それを知った匈奴の単于が、大軍を率いて二分海子を攻め、李陵の全軍を滅ぼした、というのが匈奴の伝説だ。 ・へ2・・・その匈奴の伝説では、この碑は押すと揺れるが、倒れもしなければ、まっすぐにもならない。それは李陵が前半の勝利と、後半の驕り高ぶったため悲惨な敗北をした、との沈痛な教訓だとした。 ・中島敦「李陵」(昭和18年)はこの李陵と、蘇武、司馬遷の三人三様の生き方を描いている。それは戦時中の日本の知識人の生きていくこと自体の苦しさが投影されていると駒田信二は書いている。(前掲)当時の読者の思いが三人の主人公を身近に感じさせたかも知れない、という。 即ち、李陵は、匈奴と戦い破れ、投降して単于の娘を娶り、右校王に任じられて、匈奴にあること二十余年して病没した。(前74年) 蘇武は、匈奴に使して抑留されたものの投降せず、抑留19年後に帰国した。(前140年) 司馬遷は、李陵の敗戦と投降とを聞いて激怒した武帝に対して、これを弁護し、矢尽き道窮まり救兵至らず、士卒の死する者積むがごとき戦況の中で、最後まで奮戦しつづけた勇心こそ賞賛すべきものであると述べたために武帝のいかりを買って宮刑(陰茎切断の刑)に処せられながら、その恥辱を耐え忍びながら「史記」を完成させた。(前86年頃) ・へ2・・・まさに三様の壮絶なる生き様である。なお学ぶべきものがあるだろう。
2021.09.29
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脳は未知の世界だった時代は長い。漸くその地形図が描けるようになってきたが、まだ一部の専門家でしか知らないことばかりだ。勿論私も無知だが関心はある。学校で殆ど脳の話を教育されたことがないし、あったとしても、現代の科学の知識とは相当遅れていただろう。土台、私たちの学んだ殊に科学は役に立たなくなっている。それだけ進んでいる。・知らねばならない知識もあるし、それが自分だけではなく家族の寿命にも影響するかもしれない。自分でできることもあるが、他人やこの社会が動かなければ出来ないことも多い。飲酒や禁煙や、公害にしたところが、本気で取り組むかどうかだろう。犯罪の多くも脳の病気に関係したことが殆どだ。自殺も防ぐ手段はある。一つの病気でもあるからだ。・へ2・・・病気になる前に予防の手段はある。それは病気にならないための知識があるからであり、病気と闘う最大の武器は「知識」でもある。これは、或る人の言葉だが、これを聴いて目が覚めた。人生を無為にしないためにも知識が必要だ。人は間違いを冒し易いのであり、そうならないための努力をすべきなのだ。穴だらけの知識にはいつでもメンテナンスをしなければならない。私の脳も少し空地が多くなったようだ。
2021.09.29
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19世紀にドイツの漸く統一される前では、地方分権的な政治体制であったが、これが独自の文化を生んでもいる。16~17世紀にかけて魔女狩りの嵐が吹き荒れたのはドイツばかりではないが、もっとも残酷な歴史がある。これは教会と裁判所の人為的な捏造の免罪でもある。見せしめのための公開処刑だった。刑の重いものは火あぶりにされた。 ・死の苦痛が長引くのが厭でどんなことをしても火あぶりから逃れようとした。爆発的に拡大したのは、拷問によって彼女たちが仲間の名前を白状するように強要されたからであり、芋づる式に魔女が増えたからだ。被害は身分の高いものから、子供たちまで及んだ。「魔女は実在する」と信じられたからだ。原因は、いくつもあった。30年戦争、カトリックとプロテスタントとの対立。俗信と自然科学の摩擦など。時代の過渡期であったことがある。そして暴力に弱い人間の宿命でもある。それを利用した人間の醜さでもある。 ・へ2・・・17世紀前半ではバンベルクで600人、ヴェルツブルクで1,200人、シュトラースブルクでは、5,000人など、ヨーロッパ全体では、犠牲者は、およそ20万人といわれる。人びとは集団ヒステリーを引き起こしていた。それは、それに続く集団妄想の、あのヴァルブルギスの夜祭りの背景でもある。
2021.09.29
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「風立ちぬ」の中で遣われる「・・・のような」というフレーズが多用されるのはそれこそ尋常ではない。作家は同じ言葉を繰り返さないのが常識でもある。それを敢えて排除している。堀辰雄の目指しているところは、事実そのものよりも、その場面の雰囲気だという。例えば「軽井沢」という場所を特定すれば、ある誰もが持つイメージがある。それは歴史の中で人びとか知っている軽井沢のイメージだ。それは、一人ひとり違いもする。金持の別荘がある洒落た西洋風の避暑地のイメージであり、バタ臭い感じや、行ったことがあれば幾つかのシーンでもあるだろう。堀辰雄は、比喩によって主人公と恋人との軽井沢で二人きりの光景を描こうとする。 ・そして、三角関係。私と恋人節子と、父親だ。否むしろ、父娘と私だろう。父娘との親密な関係に、私は邪魔ものでしかない。そして節子はサナトリウムに入り、私も付き添いをするというのだ。二人っきりの生活はサナトリウムでの節子の闘病生活の中だ。私はその中で、その物語を書いている。不思議な作品でもある。現実と私の切ない思いが交錯して行く。恋人との甘い生活の「・・・のような」、それで何が言いたいのだろう?ありきたりの恋愛であって、どこまで真実があるのだろうか。然し、視点を変えると、「ような」を多用したのは、作家が、日本という社会を、西洋のような文化を目指しているが、実は、西洋ではない日本であり、それこそ「ような」社会なのではないかということを云いたかったのではないだろうか。然も戦前書かれている。 ・へ2・・・すべてが仮想の世界なのだ。事実ではなく、その雰囲気で感じている社会だ。西洋風なサナトリウムも、田舎の病院でしかないし、昔は死病と言われた肺病に節子はなっており死んでいくのだ。悲劇的な結末が用意されている。然し、その現実の暮らしが描かれているわけではない。そこには赤い血がない。
2021.09.29
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和白干潟。作品> 「風立ちぬ」 「雉子日記」・「目覚め」で発表された。・書き改めた。「・三島・・・「美徳のよろめき」・・・「菜穂子」は失敗作。・「物語の女」は三島は、認めている。・母娘の不和の原因。・母と美穂子の関係。日記の内容。・母と森と関係。を菜穂子が疑っていると母は考えていた。・母・・・永遠に女性的なもの。ファウスト。・崇高なものに対する疑い。・摩擦がありながら同化して行く。そしてさらには嫌悪感をもつ。 ・お葉・・・「水族館」・・・「雪国」・成立過程の問題。・川端・・・堀辰雄との交流。無意識のうちに同じようなことを書いていた。・目覚め・・お葉・・・。「よう」。・・・「えふ」。・三島の「鹿鳴館」の結末。水族館・・・から出発している。・川端・・・堀との関係。・お葉親子。再現している。無意識のうちに川端の作品の中に出てくる。・あと、終りが始まり。「聖家族」。死から生。あたかも新しい季節ように感じる・・・「美しい村」にもある。・展開。いつになく生き生きした・・・。・繰り返しが、キーである。・作家はスタイルから抜けられない。・カフカ「変身」のように。 「風立ちぬ」・堀辰雄の代表作。その文学的価値はどこにあるか。 「風立ちぬ、いざ生きめやも」 然し、生きられない。・「やうに」が300以上出てくる。正体はこれ。リアルではなく、雰囲気が重要。・堀辰雄は、ムードの作家。・ヴァージニア・ウルフ「波」。・朔太郎。・片山広子の影響。古典。かぜがたつ。古典では、誰かがやってくるととらえていた。・ヴァレリー「海辺の墓地」。・「めやも」・・・反語。生きられない。さあ生きようではなく、然し生きられない。・「死のかげの谷」。・ロマンチック・アイロニー・反語の世界。リルケ・・・ヴァレリーの詩をドイツ語に翻訳した。・「似てゐる」「似たやうな」。・文体。文章がすべてである。・前半・・三角関係・父親から娘を奪う物語。娘の比喩・・・白い薔薇のつぼみ。反復表現。・帽子。何度も出てくる。父が娘に買って遣った帽子。・藤村「新生」ヒロイン節子。同じ名前。藤村は姪の節子と関係をもった。そのことを堀辰雄は書いた。・父親と娘の関係。結婚。奪還するドラマがある。・親と子の関係は切られなければならない。宿命。・白いつぼみ・・・婦人帽子。は「符号」である。シグナル。親子の関係。・作家は私たちの感情ではない。・「軽井沢」のモチーフ・・・藤村。「ノオト」より。・龍之介・・・「読書」。を調べて研究論文が出来る。・節子のことを書く。直ぐ死ぬかも知れない恋人を小説にする。エゴイズム。小説。恋愛ではない。いま目の前にしていつ恋人の死を書こうとしている。・芥川「新生」の藤村を「老獪な偽善者だ」と書いた。それを読んだ堀辰雄が、ここでは、婚約者の死を非情に書こうとしている。異常性。・朔太郎は・・・堀には野蛮な力がない。「堀辰雄」のことを「蛮力」がない。・風起きると何かが起きる。「風が立つ」・そして、病に倒れる。肺病・・・薔薇・・・の比喩。リルケの「バラ」。・内から溢れる夏。何故か夏。夏・・・キーワード。・夏がひとつの部屋。・薔薇・・・病巣。レントゲン写真に映った胸の写真。・小説は、傍線を引きながら読むのが仕事。・自分の知らない節子に戻った。父親の娘に戻る。見知らぬ他人のような節子だと思う。・悲しみに似たような幸福。レトリック。・悲しいほど美しい。・・・川端的レトリック。繋がっている。・同質。偶然ではない。・薔薇色。・医者・・・のことば。・いま目の前にいる死にかけている婚約者をモデル書こうとするのが堀辰雄。・非情な作家。そう思われても仕方がないように書いている。・作家の業。・行き止まりだと思っているところから始まっているようなこの生の愉しさ、・・・。・態と書いている。・藤村のように書く。私小説。藤村「破戒」のつぎに「春」。・揶揄のように書いている。・私小説のパロディとして書いている。・「新生」の節子と同じ名前は偶然ではない。・冬・・・「死のかげの谷」日記体。前の章と違う。「恢復期」。・・・人間関係。・節子との断絶。・違う世界になる。冷静に見ている。・蛾が出てくるのはパクリ。・横光利一の作品。・田園の憂鬱。・リルケの薔薇。・似たような微細なものを気にする。・変化は、異変になる。・変化のない日常。鳥渡した変化。・同じものの繰り返し、どう変化させるか。ムードをもくろんでいる。・病人の生活は変化がない方が良い。 「雉子日記」・「風立ちぬ」を描きながら書いて「小品」。・犬に殺させてそれを食べる。・「風立ちぬ」の中にも書いている。・二人の男のために死ぬ女の話。万葉の女の連想。・堀が、古典に興味を持ち始めた。・「ノオト」は、古典の女につながっている。
2021.09.29
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よく考えると、人間はそれこそ一寸したことで死んでいる。周囲の小さな石もそれが高いところから落ちてくれば致命傷にもなる。自転車から落ちても、ベットから落ちても、死ぬことがある。毎日使っている階段や、風呂場でだってはずみで怪我をすることがあるし、それですまないこともある。それから、最近では、何十年も真面目に仕事をしていた公務員が、一回の酒酔い運転や交通事故で一発アウトになる。人は、たった一度の出来心で一生を棒に振るかもしれない。 病気も、老化も長い時間をかけて進行しているが、本人はそれに気づないかも知れない。人間は、先祖の形質を遺伝子で受け継いでいるが、いくつかの変異を起こす細胞も受け継いでいるが、反面それを修復する免疫も持っている。しかし修復できないときがある。それがアポト-シスや病気の原因にもなる。生命の営みの中から発生する。 例えば、戦争でさえ、外部から見れば突然起きるように見えるが、実は多くのプロセスを経由している。第二次世界大戦も、多くのそれまでのプロセスがあった。 それは、経済であり、政治的情勢であり。大衆の意識でもあっただろう。だから、よく国際社会の状況を観察すれば、この世界の健康状態が解かるのかも知れない。それの処方箋を提示できないのは、学者たちの怠慢だと思う。原因は、客観的で、冷静な目を持っていないからだ。 忍び寄る危険を知らないで生きている。ひとはたった一度のダメージで死ぬかも知れない。どれだけ用心深く生きていても、最期のたった一度の失敗で命を失くすだろう。不運は、ひとに纏いつくものだからだ。病院の検査を何百回受診しても最後の一回で不治の病が発見されるかも知れない。ふとした気持ちの弛みが、或いは驕りが最後の引き金を引いて、決定的なダメージになるかも知れない。 どうも、そんなことばかり考えていたら、厭になってしまった。目を違うところに向ければ良いだけだけれど・・・。
2021.09.29
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・或る意味で古い社会の中で、新しい生命が生まれているわけで、いつか衣を替えるように新しい生き方をしなければならないだろう。伝統として継承するものだけではこれからの、新たな事態に対応できなくなるときが必ず来るだろう。伝統ばかりにしがみ付いていたら生き残れないことにもなる。そこに自立した考えがないと、選択肢を誤ることにもなる。 ・へ2・・・私たちの時代が、全世界を敵に回して敗戦したという混乱期の中から出発しなければならなかったのであり、公正な世界観や、歴史観が正しく教育されたわけではなかったし、身につけるべき道徳についても日本人としての確立したものがないまま来たのも事実だろう。そのために「自由」と一緒に頼りなさと曖昧な思想を持っているものが多いのではないか。よき指導者が周囲にいないまま来てしまったのではないかという心の喪失感が確かにあるだろう。政治家や官僚、学者や芸術家が、確たるモラルもなしに仕事をしてきたのではないだろうか。そこに将来に対する危うさを感じてもいる。 ・しかし、少なくとも私たちは周囲にあるものから道具を探さねばならない。そうしかできないからでもある。それでも有難いことに、いまや多くの情報収集が手に入るようになった。道具はいくつもあるだろう。問題はその道具が使えるかどうかを確かめねばならない。意図的に流されるものがあるからだ。自立した信念を身につけて用心深くことをなすべきだ。・誰も障害のないものはいないだろう。ハードルは次々に出てくるものだ。それに耐えねばなるまい。おそらくある意味で直前の死に逝くものには苦悩や苦痛はないのだろう。あちこち故障があるから人間の証明だと思えば、少しは気が楽になってくる。
2021.09.28
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<作品> 「風景」「ルウベンスの偽画」堀辰雄は、芥川の死後、東大の卒業論文「芥川龍之介論」。芥川の弟子であり、彼は、芥川の「歯車」を最もオリジナルな傑作とした。資料4枚。堀辰雄作品年表。最初の「風景」資料あり。最初の作品は、1926年で、書き直して発表した。(昭和5年1930年)。何度も書き直すタイプの作家。三島にはないのは頭が良いからか。普通の作家が書き直している。講師は、最初に「美しい村」を読んだ。・柱の真ん中が膨らんでいる。パルテノン宮殿の柱。・税関の柱が出てくるシーンが似ている。・最初の作品にあるヒントが重要。・ルウベンスの中に出てくる風景に注意。・写生・・・ではない風景を描こうとする。風景を従来のものと同じにしたくない。ひとが風景を診るのではなく、風景が人間をみるという視点を書こうとしている。・「偽画」というのも捻っているフレーズ。・「堀辰雄事典」に「風景」「ルウベンスの偽画」がある。何故「偽画」なのか?・二つの作品とも面白い小説ではない。・面白くないのは、何故そうなのか?・福永武彦・・・作品は、ある気分を書いている。・「千の風」福永の父が翻訳した。・「ように」「やうに」。ものそのものではない状態。意図的に書いている。・萩原朔太郎「青猫」詩集。「スタイルの用意に就いて」。比喩ではなく象徴的に感覚的憂鬱性。妙に物憂く物柔らかい、そしてどうか薄ぼんやりした感じ。或る神秘ひょうびょうとした柔らかい詩操。・堀辰雄は「ように」の作家。「やうに」の文体の作家。・「やうに」の説明。・「風立ちぬ」では、「やうに」を350回使っている。・「ように」を多用している。文章の特徴でもある。芥川龍之介菊池寛テーマ小説主題がはっきりしている作家。・堀辰雄は違う。・評論家は、頭で考えたものを論として立てようとする。・堀辰雄は、気分を書いている。・「風景」とは、「風景」の方がどきどきしている。主客を逆転させる。比喩ではなく、ありそうもないがあるかも知れない。それが堀辰雄の新しさ。オリジナルになる。・目で見たありのままではない。風景の方が脈打っている。この当時では新しい感覚といえる。画家ではなく、風景が画家をみる視点。・従属附加文。・逆転の発想。・「何気なく」「ふと」は、そのままことではない。何気なくではない「ふと」ではない。・「ぼんやり」もぼんやりではない。・「風景」の結末の結び方が似ている。「羅生門」。「大和路」にもある。・堀辰雄の発見がある。・最初の「風景」の冒頭が削除されている。・菅野昭正「憂鬱の文学史」。・アンニュイ・世紀末の憂鬱。・憂鬱が書かれている部分を削除したと判断した。それは堀の判断が他の作家と違うことを選択した。ありふれてしまう。当時の雰囲気には憂鬱という気分がある。自分の憂鬱を強調したくなかった。・同時代のキーワードを外した。そこに気付くのは凄いことである。・僕は「異邦人」である?・空想であれば、どこにいてもおかしくはない?・風景の発見。国木田独歩の書いた「風景」ではない。「武蔵野」。・「始めて風景を見たような驚きは・・・、」波止場。・風景の擬人化。・感情の擬人化でもある。・人間が初めて海を見たとき、そのひとの感性に大きな意味があると云われている。何故波止場なのか?それを知って堀は書いている。・堀が「風景」を発見した。擬人化した。リアルではない。・斎藤茂吉。の見方が違う。スケッチ・・・万葉集。「古今集」ではない。・三島「古今集」。 「ルウベンスの偽画」・「風景」の中にもあったフレーズがある。応用した作品。・感じ方が書かれている。別の作品ではない。・風景ではなく、対象は女性になっている。・片山広子 宗瑛。・堀辰雄が関心をもっていた。母と娘。片山親子。・芥川龍之介が好きだった。・「聖家族」でも書いている。片山は、堀辰雄は好きでもなかった。迷惑したのではないか。・堀辰雄の出生の問題がある。実父ではない。・母が水死した。無残な死。堀はそのことを触れていない。「麦わら帽子」。・出会う女性たち。・娘をモデルにして描こうとしている。ぶれる一致しない。違うところ狙っている。自分が描こうとしている「ルウベンスの偽画」がある。・自分が描こうとしている娘と「ルウベンス」と一致しない。娘が後退して行く。現実とは違う。・ズレは娘と自分が描こうとしている頭の中の「ルウベンス」のような女性の薔薇の皮膚がない。と思っている。重ならない。ずれてしまう。・「空気」という言葉を使っている。朧にする方向ではない。上手くいかない。堀の描こうとしている方向ではない。風景から女性に対象を換えている。・違う女性に惹かれている。・鳥渡意地悪な女性。異常な魅力。惹かれる対象が違う。・自分の描こうとしている「ルウベンスの偽画」は、何れも現実の女性ではない。・ベクトルが目指しているものがない。・平野謙「新生」論。島崎藤村と姪。・「風立ちぬ」・・・どういう目で見ていたか。現実のこと書いた。作家の非情さ。・堀辰雄は。素材とどう向き合うか。・ヒロインと父との仲を切断しようとしている。・堀辰雄は気に喰わない人も多い。生易しい人間ではない。・ぼかそうとする傾向があるので、それをはっきりさせる。
2021.09.28
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ある意味で、人は自分のニッチを探して一生を終える。不安定から安定へと向かおうとしてもそれは無理なことでもある。そういう世界に生きてはいないからでもある。不安定な世界だからこそ、進化もある。宇宙の時間からすれば、太陽系も、地球の歴史も、果てしなく無に近い存在でしかない。ましてヒトの進化の過程も一瞬のことだ。 ・人の感じている時間は、人だけのものだ。それは蝉の一生とかわりはしない。それでも人類はニッチを求め、社会はそれぞれのニッチを求めており、個々人も、自分なりのニッチを探している。自分の措かれた環境に安心するものいれば、一生得られないものもいる。それはそう思うからそう思うだけでもある。安心は薄い氷の上だ。 ・へ2・・・まだ外に出て見ないが、気温は25℃。これでも少し涼しく感じる。義母の見舞いに行けるかどうか。私は、妻に任せている。行きたいと言えば連れて行くだけだ。自分の世界は自分だけしかわからない。他人にはわからない。それが無知の知でもある。本当はどう思うのか、それは自分でも気付いていないことが多いのだ。あとで泣く目にもあう。そうならないようにしたいものだ。だれでも今日も一日自分の運命と闘わねばならない。
2021.09.28
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アンコール遺跡。裾野の広くなった社会では、一つの山に登ろうとしても相当長い道程を登らなければならない。ハイキングだと思っていたら、5年や10年はかかってもしまうだろう。そんなに簡単なてっぺんではないだろう。まともであればある程困難なものにもなるに違いない。学問はゲームとは違うし、才能だけでも駄目だろう。選挙で人気で当選して、議員になる人もそれに相応しい教養や知識があるとは限らない。科学を知らない政府が、指導者では国民は不幸だ。 ・自分の幸福だけを考えていると、世の中がどんなに悪くなっているか解らなくなる。小さなお山の大将だけが増えても仕方が無い。スキルもないのに大きなことばかり言っている人々がリーダーでも困る。豪そうなやつほど、勇気が無い。問題の先送りが生りして、今日の政治の混迷がある。ビジョンのない公務員たちが、国家の中枢で、寄生虫のようにしてはいないか。 ・へ2…日本外交はどこが強かな外交だろうか。大国のいいなりになってきたツケがまわってきたのだろう。原発だって安全装置もないのに造り続けてきて、たった一つの事故で、経済は危機に為りかねない。数十万の住民が路頭に迷おうとしている。原発難民に為りかねない。政府は、東電を救おうとばかりしている。それは同じ穴の狢がすることだ。
2021.09.28
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清張にとって歴史とは何だったのだろうか、高等小学校卒業で殆んど独学であれだけの作品を残したのは、驚嘆に値するだろう。小説化という作家の基本的作業は、題材の選び方と人物の社会的背景を通じて歴史に接触していくことであり、そのプロセスは、作家によって違うだろうが興味がある。清張の場合は現代史をテーマに選んだについて、どのような契機があったのだろうか。その間の学習と調査研究の軌跡を辿るのは私にとっても、無駄なことではない気がしている。 ・清張は、流行作家という側面が先行して、すこし離れた気持ちが強かったが、最近日本文学の講座を聴くようになり、違った意味で日本の作家の中でも清張の特異性と存在価値を知るようになった。清張と一葉は、或る意味貴重な研究対象になると思う。権力に属さない庶民の視点があるのではないだろうか。 ・へ2・・・日常において手を汚さないものが書いたものではなく、文学への飽くなき情熱の滾りあるものが書かねばならないものがあるはずだろう。小手先の文章ではひとは動かない。心を揺さぶられるような人物が雨後の筍のように生まれなければ、文化は育たないのではなかろうか。そしてそれは象牙の塔からは生まれないと思う。
2021.09.28
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触れまいとする心多寡がだが、それでも少し雑音がするような気の所為か。気儘に遣りたいがそれを鳥渡も見逃さない頑迷な因習がある。あらゆるもので縛ろうとする。「自由」と言いながら何と狭い世界だ。朝から晩までというより、私は一日中好きにPCばかりしている。少し目も翳み出した。これまでのリアクションも確かにあるが、飽きるまで遣ればいい。鳥渡で飽きるのであればそれだけのことだ。若い頃から遣り出すと止まらない。それでも、まだ触れまいとする。ブログとは自分にとって何だろうか。たった6年。その意味もまだまだ。まだ点でもない。痩せ我慢はあるが、それも個性。然し、まだ触れまいとするこころがある。ブログを始めたのは、2004年ころからで、楽天ブログは、あるきっかけがあり始めたが、いくつか同時進行でやっていたが、毎日となると二股も苦しくなって、楽天ブログだけになった。ブログjをやる前は、日記を書いていたが、これも高校生ころから始めたが、その前もある。父親譲りでもある。そういえば義父も書いていた。誰に見せたいのでもなく、自分だけのひともあるのだろう。社会とどれだけ関係があるだろうか。一次史料が少ないとよく言われる。個人的な話ばかりでは史料にならないからだ。過去を忘れることで済まされることあるが、そればかりではない。水に流されては困る大事件もぁるj。
2021.09.28
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ブッダの臨終に起こったという奇跡を涅槃図が描かれているという。それよりも私には人間ブッダの最期がどういうものであったのかを知りたいと思う。ブッダは遊女や最下層の人々にも貴族と平等に接して捉われることがなかった。やさしさ、人間理解の深さ、情愛のこまやかさがあふれていることが、人々を感動させるのだ。多くの人はブッダを「お釈迦さま」と呼び、父のように、恩師のように思ったのではないだろうか。 ブッダの生前に残した最後の言葉は さあ、修行僧たちよ、お前たちに告げよう、 「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成しなさい」と。 (中村元訳「ブッダ最後の旅」) ・ブッダは、この臨終の時も繰り返し弟子たちに「すべてのものは過ぎ去る。変化しないものはない」と告げ、修行を怠るなく真理を究めるように、語ったという。この社会の脆く壊れ易い世界であることを知っていたのだろう。そして人間の忘れ易く愚かなことも知っていたのだ。 ・へ2・・・21世紀の現代人もそういう意味では輪廻の中にいるのだろうか。ブッダはクシナガラの地で80歳の生涯を終えたが、私たち凡人はいまだに苦界の旅をつづけている。どうも大した修行もしていないのに人格の完成もできないが、仏陀の謂わんとするjことは少しは分かる気がする。それは知らず知らずのうちに身に着けてきた体験があるからだろう。楽して生きようとしてもそうはさせてはくれない人間社会がある。「水滸伝」を読んでいると、人間さえ食べるという盗賊や好漢が登場するが、暴力が否定されていない。殺し合いの人間の姿が描かれている。ある価値観にとらわれて人たちでもあるj。白人たちが黒人たちを奴隷としてみてもキリスト教は否定していたのは聖書の中だけである。理想と現実は違うと割り切っていた。米中も自分たちに都合のいいことばかり言っているが、結末は悲劇だろぅいか。権力者たちが正しいことをするとは限らないのであり、それにブレーキをかけるだけの勇気があるかだ。
2021.09.28
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プレートはアセノスフェアが対流し融解したリソスフェアが地表で新しい地殻となる。反対側のヘリの古い地殻がアセノスフェアに引き込まれ深部で溶解する。2億年後大陸はひとつになる。第二バンケアとなる。ひとつの大陸とひとつの大海となる。それは、3億年前に形成されたバンケアは、2億年前に分裂し始めた世界に回帰する訳だ。生物が絶滅したあと1億年後に大量絶滅で陸生の脊椎動物は死に絶える。そのニッチを埋めるのは、たこ、いかなどの進化した頭足類だという。2億年後には、8トンのいか(メガスクイド)が地上を押し歩くのだ。想像するだけで、愉しくなりますね。ヒトは、通過点でしかない・・・。
2021.09.28
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未来に価値をもつものが生き残るとは限らないが、今あるものたちの中から明日に繋がっている。新たに出てくるのではなく、あるもののかたちをかえたものになるのではなかろうか。今朝は、ウオーキングしようとした矢先に強雨になり諦めてまた寝た。そういえば2時ころ起きて、また寝て。これで三回寝たことに為る。少し涼しくなり、眠気を誘うような気温でもある。やっとからだが軽くなってきたと思っていたが、想うようには行かない。 ・午後から、照明器具の取り付けがあるので、対応を頼まれている。しなければならないことがこれから増えそうでストレスに為りそうだが、自分のキャパがどれだけあるか解らないが、それはそれで仕方が無い。エネルギー消費の多いものから先に死んでいくのだろう。修復細胞の不足が、アポトーシスの処理を間違えてしまう。人間の心や体には、計測器が無い。 ・へ2・・・社会との扉をサビさせてしまう。出入りができなくもなる。人は壊れ易い道具でもある。何者かで終わることは難しい。どんなに世の中に知られる人になったとしても、自分が楽しいと思わない人生は不幸でしかない。自分という存在の何も知らない一生だとしても、羨ましい人生はあるに違いない。宗教の理解者がほんとうは宗教家ではなかったことは、どの宗教でもいえることだ。科学者が人間の本当の意味を理解しているとは限らないように。
2021.09.27
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屋久島の雑草取りの難しさを聴いたが、家の庭も雑草が繁茂して来た。これはひどいと普段の手入れをしなかったのを反省して来た。そろそろ始めないといけない。雨の多いと、雑草たちは途端に元気になる。どんなところも雑草だらけになるだろう。アスファルトのクラックにさえ雑草は生えてくる。まずゴミが溜まり、そこに植物の種は生えてくる。するとそこへ木の葉などが集まってきた保湿力を高めていく。 ・コンクリートで固めたどんな堅固な建物だって条件が揃えば雑草たちのすみかに為っていくだろう。ハエもどこからともなく飛んでくるし、アリも数キロ先の餌を嗅ぎ分けるし、動物にも、人間以上の脳以外では優れた能力があるものは沢山いる。油断をすると、人間の環境を脅かす存在に為る。恐竜のニッチは数億年続いたと言われるが、人間はまだその数ではない。今度の台風12号は大きな被害を齎したようだ。 ・へ2・・・たった一度のことで取り返しの効かないことに為る。病気だって同じだろう。想わないことで命を落とすことにもなる。何故そうしなかったのか。いつもと同じだと思ってしまうからだ。そうではない。そうではないことが何時でも起きる。人のいのちはいつか終わるのだ。それが、今日だってあるだろう。若いからとか、元気だからでは何の保障にもならない。雑草を取らないと藪の中に為る。
2021.09.27
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ひとにも物にも限界がある。それは皆知っている。知っているつもりでいる。本当に知っているかとなると、怪しいのではないか。斯く言う私も根本的には分かっていないと思う。解かったふりをしているだけだ。解ったつもりかも知れない。ただ時々考えているに過ぎない。仕事をしているとき朝通勤のために定時に家を出て駅まで歩いていると、反対から歩いて来る老人たちがいた。余り考えもせずにいたが、違う人種だろうくらいに思っていたのはいただろう。その違う人種を今やっている。思い足を引きずって通勤していた自分がいたが、どうやら悩んでいることの質が違う。 ・一本の道があり、こちらから歩いて行くのと、向こうから歩いているのとではものを見る目が違いもする。何故あんなに老人たちが優しい眼をしているのだろうと思ったものだ。それが最近少し解かってきた気がするが、当時の私は理解できなかった。職場と違う人たちだったからだろう。今考えると、伯父や伯母や父たちも同じ眼をしてたのではないだろうか?自分のエリアが狭いと文句ばかり言っているし、考えてもいる。自分がソーシャル・ステータスを追われれば何のことはない。動物が植物に代わってしまうようなものだ。 ・へ2・・・何時までも自分の車で運転できるわけがないし、自分の家もなくなるだろう。妻子もどこかに行ってしまう。そうならない訳ではみんなない。みんなそうなるのだ。本当のことを言われるのを恐れている。黙っていればそうならない訳ではない限界がある。燃え尽きない蝋燭はない。容あるものは消えていく。世の中を優しい目で見ている人がいるのを忘れないで・・・。
2021.09.27
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同じミスを何度も糺せなければ、そのことはできない。切換えるスイッチの時期を失えば其れは多分そのままだ。学ぶことも、唯同じことの繰り返しであればステージはグレードアップできない。決断と見極める力がなければ失速する。いつまでもあるタレントではない。短いからタレントなのだから。変異種はあるにしても、其れは「変態」しているからだろう。日本人も、いつまでも昨日までの日本に迷うべきではない。他人に嫌がられることを繰り返せば、何れストーカーにされるだろう。もう「時間ですよ・・・」の声が聞こえない。としたら、危ういだろう。唯、「利巧な人間」で自己満足していないか。それは絶対評価ではないのだ。失敗を懼れず、突き進むチャレンジ精神があるものだけが生き残るだろう。それは、そうしなければ生き残れなかった生物だけしか私たちは、現在見ることができないことを知っている。
2021.09.27
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概して日本人のスピーチやエッセイは面白くないものが多い。ブログも同じだ。どこか本音と違うから、解釈力がないと誤解もする。ジョークも未熟だ。私のブログもそうだろう。どうやら、左脳(自分脳)が、邪魔をするらしい。右脳では、判っているのに左脳のことばに「置き換える」ことが下手だし、基本的なスキルができていない。左脳中心に慣らされている。これでは右脳のもつ本来のパワーを、殆ど生かすことができないでいる。左脳では、アドレナリン系のホルモン由来で早死にするだろう。脳の解析は、遅れている。脳は、残された最大の未開拓地だろう。これから、未知との遭遇だ。それにしても、ある研究者の話では、皮肉なことに右脳の能力を高めるには座禅や坊主の修行が、有効なのだという。どうやら、恵まれた生活や、隠遁生活ではストレスを排除できない。右脳中心ではないからだ。どうやら、近道は、強いて言えば、DM生活が長生きの秘訣らしい。勿論それだけでは駄目で、プラス思考と愉快に暮らさねばならないという。別に貧富の差ではない。キーワードは、A-10神経が前頭連合野で開放されることだという。「置き換える」ことは、何とも厄介だ。まさかということがいつも起きる。所と時間を待たない。運が悪いかだけの違いだ。恋人になるか、ならないかも偶然でしかない。相手が善人か悪人かもあるが、それは、事と次第で変わりもする。つまり善人も悪人になりかねない。平時と戦時でも変わる。兵士になれば殺人が仕事にもなりかねない。追い込まれた人間がすることは常識を超えるだろう。自分の死が明日ではなく今日かもしれないと覚悟している人がどれだけいるだろうか。地球が誕生して以来、太陽は毎日東から昇ってくるが、自分の太陽はすぐ消えてしまう。
2021.09.27
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概して日本人のスピーチやエッセイは面白くないものが多い。ブログも同じだ。どこか本音と違うから、解釈力がないと誤解もする。ジョークも未熟だ。私のブログもそうだろう。どうやら、左脳(自分脳)が、邪魔をするらしい。右脳では、判っているのに左脳のことばに「置き換える」ことが下手だし、基本的なスキルができていない。左脳中心に慣らされている。これでは右脳のもつ本来のパワーを、殆ど生かすことができないでいる。左脳では、アドレナリン系のホルモン由来で早死にするだろう。脳の解析は、遅れている。脳は、残された最大の未開拓地だろう。これから、未知との遭遇だ。それにしても、ある研究者の話では、皮肉なことに右脳の能力を高めるには座禅や坊主の修行が、有効なのだという。どうやら、恵まれた生活や、隠遁生活ではストレスを排除できない。右脳中心ではないからだ。どうやら、近道は、強いて言えば、DM生活が長生きの秘訣らしい。勿論それだけでは駄目で、プラス思考と愉快に暮らさねばならないという。別に貧富の差ではない。キーワードは、A-10神経が前頭連合野で開放されることだという。「置き換える」ことは、何とも厄介だ。
2021.09.27
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肯定か否定か、黒か白か、ついそのどちらかしかないように思うのは、”to be or not to be “ のフレーズが、頭に残っているからでもある。確かに、生か死かの局面に立つ時は来るのだろうが、それはノー・チョイスの時でもある。その時が来るまでは、自分の時間を活きるのであり、とても二元論ではない。25℃以上の朝の気温が続いていたが、今朝は、天気が好いらしく、放射冷却もあるようだ。福岡市の最低気温は21℃である。鳥渡寒く感じる。 ・朝晩の冷え込みというには早いが、数日前まで裸で寝ていたのだから、そのままでは風邪をひいてしまう。人は肯定的なものを求めている。ネガティブなものは見たくない。それでもそれに魅かれるこころもどこかでもっているらしい。清らかなものに。自殺をしかねないものとか。儚いものが好きなのだろう。人間は冷酷なのだろうか。それは冷静のカテゴリーにあるのか。 ・へ2・・・山紫水明の日本では、川は清らかに澄んでいなければならないが、時として雨などで濁ってしまう。濁り増水した川も、川の一面でもある。メコンはいつも濁った川である。だから母なる川と呼ばれる。人間を活かしてくれる魚たちが多くいる豊かな川でもある。澄んだ川は、魚には豊かな棲家ではない。河が濁らなければ、魚に頼っている人々はそこで活きてはいけないのだ。国民不在の自民党総裁選でしかない。それが当然だというのだろうか。1億2千万人の日本人が、この訳の分からない政治家たちによって運命が左右されるのだ。少なくともデモクラシーを理解しているのだろうか。安倍政権から菅政権になったがたった一年でなにができただろうか 。そして派閥や世論から見放され国民の税金を浪費しただけでやめていく。それをバイデン大統領は寂しくなるそうだ。
2021.09.27
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自堕落な私と、そうでもない自分がいる。その間を振れている。どちらも私の存在の一部でもある。他人からどう見えるのか知らないが、自分の気持ちが一様ではないことは感じている。今夜もこれからウオーキングをしてくるが、ツアーの時の体調が嘘のようだ。こうして規則正しく暮らしていれば変調もないのかも知れない。そして、ひとつ違う生活をすればすぐ元の生活に戻るのではないだろうか。 ・社会的ステータスがその人の意識を決定する。或いは下部構造が上部構造を規定する。そうではない例外があるとしても、その法則は一定の傾向を持つのは事実だろう。付和雷同かも知れないが、そうならざるを得ないものもある。経営者でも目刺しを食べていたひとや敬虔なひとはいる。だが労働者の搾取をしているのはいうまでもない。自堕落な私もこの時代が創り上げた人間のひとりであるだろう。 ・へ2・・・謂わば、紙一重の違いでしかない。自分が何ものであるか、それはその意識によって変化もする。どこへ自分を導いていこうとしているのか、その信念をもとうとするのであれば、日々検証していかなければ見失いかねない。
2021.09.26
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比較的まだ安全な社会で、夜明け前でも好きにウオーキングができる静かな場所や時間があるというのは、或る意味恵まれているのではないだろうか。そして歩いている方の気分もある。体調が悪く嫌なことがあればその気分も違う。40ヶ月も毎日続けているので、四季の移ろいや、時間帯の違いとか、天候とか、同じコースを歩いてもいる。約1時間。1万歩、7キロくらいだ。 ・万歩計もあまり性能のいいのではないので、歩数が安定しない。歩幅とか、何かの微妙は相違があるのだろうか。家の外に出たら明るい星がでいていたが、木星だろうか、明けの明星らしいのもあったが、少し家を出たのが遅かったようだ。いつも食事や、ブログを書いているので、タイミングが遅くなってしまう。今朝は、日の出が 5;54なので、5時過ぎくらいに家を出れば、星も見えたのだろう。 ・へ2・・・ほんの束の間のチャンスを逃すと見られない。ああ好いな、写真でも撮ろうかな、と思いながら歩いていると、直ぐに視えなくなってしまうものは多い。その瞬間だからいいのだ。何も考えずに、これだというタイミングが写真には必要なのだが、いつも遅れる。空を飛ぶ渡り鳥も、その瞬間があるのに撮れないでいる。「草枕」の、最後のあの「絵に為るシーン」だ。その瞬間が問題なのだろう。
2021.09.26
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図書館ももう少し近ければと思わないでもない。何もかも都合よくはいかないが、せめて、好きなことの出来る場所で暮らしたい。汚れた空気や、汚染された水や、散歩には向かない道路とか。ごみごみした街とか。言ったら限が無いくらいがある。それでも生きていかなければならない。敗戦後、人びとは、良い暮らしをもとめ、豊かな社会を目指して来た筈だが、そうなっているのだろうか。 ・私には挫折感が強い。振り返れば親子とか、親族とか人間関係にしても、それほど親密感が無い。愛国心とは何だろうか。他人との利害ばかりが強調されて、本音と建前があり過ぎる気がしてならない。表と裏の違いが、ない社会は無理としても、余りにも違い過ぎる。うそつきにならないためにしなければならないことがあるのは疲れる。 ・へ2・・・何故、高い医療費なのだろうか。人びとは家族と離れ離れに暮らしていかなければならないような社会システムがあり、住宅ローンも結構長い間支払い続けてきた。そして、終わった時には建物は建替えなければならなくもなる。納税もある。国民の義務が公平だろうか。長い我慢をして草臥れてもしまう。もう嫌だと思って逝くひといるにちがいない。そう思わせるのもこの社会の罪であろう。本当は何が問題で、何を先にして遣らなければならないのかを決めるのは、政治だ。それができていないのは可笑しい。それは言えることだと思う。
2021.09.26
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ダーウィンの恩師であるチャールズ・ライエルは地質学の先駆者で「現在は過去を理解するための重要な手がかりだ」と説いた。現在の危機に瀕した生物多様性からいえば「過去は現在を理解するための重要な手がかり」ということになる。 ・へ2・・・生物の進化は地球生命の系の内側からコントロールされているといえる。しかし異なる専門分野から集めた生物学情報の巨大なデータベース化で、進化の法則を発見し、種を厳密に特定しようとか、量的に計測しようとすることは不可能に近いことがわかってきた。人間にはまだすべてを詳細に語る能力がないという現実に晒されている。まだ謎と曖昧さに満ちたものでしかない。時とともに変化する多様な地球環境における生命の系はあまりに複雑すぎて把握できずにいる、それはおとぎ話で説明するしかない。 ・むかしは、科学が世界について知っていることを示したうえで、これが証拠です、といって誤魔化していたが、現代では、それこそ次々と無数の証拠が発見されているのだ。そして物語の、それとは異なりハッピーエンドとはいかない。然も私たち人類にはまだその結末を変えることなどできそうにないのである。 ・へ2・・・お伽話のようにはいかないが、新たな物語をつむぎ出そうとしているのだろうか。それが無駄な足掻きかどうか。科学を超えるものがあるだろうか。 ・あまりにも単純化しすぎた考え方が、メディアを賑わす流行語のように、一般大衆を誤った方向に導いているのではないか。たとえば政治のシステムも内側からコントロールされているのだろう。テロや大地震や、パンデミックがあり、さらには米中の深刻なイデオロギーの対立が現実化し始めている。日本社会もこれに無関係ではいられない。アメリカとの軍事同盟がある。13億人の中国は隣の国でもある。台湾や韓国は、第二次世界大戦後、76年間も自分たちの未来に対して脅えなければなかったに違いない。それこそ平和と安全は約束されたものではなかったからだ。日本人たちは、原爆を投下した国との日米安全保障条約を締結するしかなかった。そうでなければ何をされたかわからない。
2021.09.26
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「めからうろこがおちる」【目から鱗が落ちる】・・・今までわからなかったことが突然はっきりわかる.目の鱗が取れる.(『新約聖書』から) というのがあったので驚いた。どうやら日本の歴史ではなく、聖書から来ている。歴史は辻褄を合わせようとして史実と違う虚構さえ創り上げている。それが突然判る。魚の目がどんなふうかは知らないが、ウロコはウロコだ。軍隊の経験はないが、軍人精神という言葉はこれまで聴いてきた。本も読んだ。見せかけの歴史がある。 ・読書の秋に相応しい行動もしなければならない。自分を腐らせないためには何をしたらよいのだろうか。 ・中島敦は、「テキスト」の人なのだそうだ。テキストとはどんな意味か。彼が知られたのは、「山月記」などの作品が、教科書になったからだという。やはり浦がある。
2021.09.26
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フアウスト そんな迷いの海から浮かび出ることができたら幸せだ。 知らないことがまさに役に立つので、 知っていることは、とんだ役立たずだ。 しかし、まあ、つまらぬことにこだわって、いまのこのときを無駄にしたくない。 夕陽をあびて、緑にかこまれた家々がくっきりと見えている。 なんと美しい眺めではないか。 ・・・・・・なんとゲーテの詩は、率直なのだろうか。こうして、様々の人間を描き、ひとびとに問いかけたのだろう。レーニンは、この書を何時も携帯していたという。小さなことに拘らぬこころこそ、寧ろこれから、大事な資質なのではないか。あまりにささいな部分に目が行って、森を見失うのではないか。マザーグースの歌の意味を読み解くのは、現代人の務めではないのか。さすれば、「ファウスト」も同じだろう。ゲーテの若いころの才気と、老齢の魂が混在しているだろう。彼の臆病と勇気が混ざり合った作品だろう。前進と後退がある。進化と退化が同時進行する。「はじめに言葉ありき」「はじめに行為ありき」のほうが、相応しい。私たちは、率直な意見を訊かなくなった。活字にならないと信用しなくなった。証拠のない犯罪をなしにしても平気でいる。74歳の老人が、19歳の娘に求婚しても恥ではない。求めている目的が違う。くだらない常識など、これからの役には立たない。もう、他人の為に墓堀をするのは辟易。腐りかけた常識など、欲しい人にどれだけでもくれてやればいい。
2021.09.26
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トルコツアー10日間1日目・・・18;00 福岡空港発~ 関西空港着。1706便 24;10 関西空港発 ・・・タシケントでトランジット 528便 2日目・・・10;30 イスタンブル着 フェリーダーダネルス海峡 18;30 ホテル着(チャナッカレ泊)3日目・・・午前 トロイ着 <トロイの古代遺跡観光> ホメロスの叙事詩「イーリアス」のトロイ戦争の舞台。午後 ベルガマ遺跡観光 クシャダス着(泊)約380km4日目・・・午前 <エフェソス観光>、<アルテミス神殿跡>。 パムッカレ着(泊)180kmパムッカレ観光。<ヒエラポリス観光>。ホテル温泉プール。5日目・・・午前 ホテル発 夕刻 コンヤ観光・・・ <メプラーナ博物館><イン ジェミナ―レ神学校>。 約410km18;00 ホテル着(泊)6日目・・・午前 キャラバンサライ午後 <カッパドキア観光> 約230km 18:00 ホテル着(泊)夜 民族舞踏とベリーダンスディナーショー観賞。7日目・・・午前 ホテルの裏の丘の上まで一人で歩いた。 午後 アンカラへ (バス300km)22;00 アンカラ駅発 アンカラエクスブレス<寝台列車> (車中泊)<8日目> 8;00 イスタンブル駅着 <イスタンブル歴史地区観光> ・ブルーモスク・アヤ・ソフィア ・トプカプ宮殿 午後 ・グランド・マーケット 20;00 ホテル着9日目・・・ 8;30 ホテル前で記念写真。ホテル発 空港へ。12;00 イスタンブル発 272便19;20着 タシケント (トランジット)22;15発 527便10日目・・ 8;00 着 成田空港 (トランジット)変更のため。12;45着 関西空港 (トランジット) 16;10発 1705便 17;25着 福岡空港 天神経由で無事帰宅した。
2021.09.26
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プラハ散策。自分の人生は、「今こそ」と思うことだと。いつか他人事のように生きていた気がしてならない。嫌な世の中だとか。諦観とか。「空」とか。この世は「苦厄」とか、「生か死か」とか、それでは、自分の人生はいつなのだろうか?それは、あるのだろうか?知識は、活きるためか?錯綜した中で、物事はあったように思える。気が付いて時にはいつも遅い。喜怒哀楽を感じながら、どこか自分を見失いがちだった。実感しながら、それを疑い続けていた。 ・自分の「こころとからだ」が一致して初めて実感する今がある。「奇跡の人」のように。そして、それは本当か。さらに今までかかった何かがある。或いはそれは死に直面しなければ解らないのかもしれない。何れにしろ、私の想いは、私にしかわからない、「無智亦無得 以無所得故」なのだろうか。中島敦「古譚」の「文字禍」を思い出す。知識は時に人を迷わす。 ・へ2・・・ひともエネルギーを消耗して活きている。遺伝子によって操られている。ヒトも道具に過ぎない。太陽が、いまこれまでになく活動が弱っているらしい。原因は黒点にあるそうだ。M9の3.11があったように、今年は、日本は苦厄の年でもある。そしたまだ終わらない。何があるか、解かったものではない。誰にも安全地帯はない。今があるだけだ。いまを乗り越えなければならない。あるものを最大限に活かして遣う。それしかない。後悔しようとしまいとあとはないのは確か。それが自分の人生でもある。覚悟はできているか。今朝の福岡の気温は、20℃以下で、放射冷却があっている。降水確率は、0%だ。 いまこそ、活きている私がいる。それを伝えないだけ。
2021.09.26
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こどものように、なぜ?なぜ?と問い続けても、最終的な答えはない。答えられない。科学に結論はない。今ある究極まで行っても、その先がある。人間の知識では、まだ光の届かない場所が無数にある。ブラックボックスばかりだ。ヒトの誕生の起源さえわからないでいる。悟りを得ても、それはその人が感じた悟りでしかなく、この世で悟りなどあるわけがない。天国も地獄もなく、冷たい宇宙があるだけだろう。 ・終わらない物語を書きつづけることで、人は生きている。夢を見失う時が来るのだろうか。何か答えがあるかも知れないと思うその時が、それがその人の人生の始まりであり、答えが無いことを知って終わるのだろう。なぜ?と一緒に生きているのだ。物が燃えるためには、酸素と燃えるものと発火点に達しなければならない。やがて燃え尽きるだろう。 ・へ2・・・ヒントを見つける旅でもある。何のためのヒントであるか。それがその人の人生の課題でもある。これから秋も深まるだろう。あの暑さを忘れる時が来る。真っ赤な太陽が懐かしくもなる。不妊手術をしたサビ猫モモが、自分の産んだ2匹のジジとババを舐めて遣っているが、恐らくそれは習慣でしている事だろう。どうして活きているのか、その意味も知らない。猫の世界で活きて死ぬのだ。イヌとネコの祖先は一緒らしい。イヌは300以上の種の多様化を図り、ネコはそれが無いという。何故そうなるのだろうか?答えはない。
2021.09.26
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プラハ散策。他人のいうことは色々。一概には言えない。だから難しい。聴かなければならないこともあるし、そうでないこともある。神はその人との契約である。親子や夫婦のそれではないという。人間同士はその時々だ。利害が対立して反目もする。個人的な恨みはなくても、国家間の対立もあるし、宗教もある。立場の違いというのもある。医者は患者ではない。「患者の身に為って」も怪しい。できるだけだろう。 ・相手の立場には厳密には成れない。経営者が労働者の立場で考えたら企業は潰れるだろう。医者の崇高な医療への意志を疑うわけではない。違うということをいいたいだけだ。男が女の立場には立てない。「江」も女性のシナリオでしない。どこか違和感がある、男だからだろう。個人の想いは夫々違うのだから、同じではない。10年来、医者と患者の関係がつづいているので、かなりの医者を見てきたが、患者からの感想はある。 ・へ2…医者の言葉に感銘を受けたこともある。それは人間同士だからでもある。名医だけが持て囃されるが、地味な医師たちの献身的な努力が無ければ救われない命は多いだろう。病気を蔓延させてしまう社会システムがあるのも事実だ。矛盾した社会が健康な暮らしを国民に保障するまでには時間がかかりそうだ。
2021.09.26
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誇りが高く、理想を高く掲げるからこそ、現実の自分の醜さに苦しめられる。それが自分に固執している人間ほど酷くなる。中島敦もそれだったらしい。知り過ぎても嫌になる。それを我慢して遣らないと何も出来ない。高慢と卑屈が同居している。隠された作家の暗部がある。それは、追い込まれた未熟な作家たちを餌にして喰いものにした社会やハイエナのような連中がいるからでもある。 ・中島敦は、中学始まって以来の秀才といわれた。そして大学では勉強もしないで、放蕩した。病気に為る原因を自ら招いたのでもある。そして33歳で夭折することに為る。どうして誇りが高く、理想が高いと早く死ななければならないのだろうか、その理由はない。自分が醜いのは、自分が招いたことだ。日本の有能な作家ほど、有名大学に入学し、そして自滅している気がしてならない。 ・へ2・・・愚劣な社会であると思うのは、別に天才でなくても解かることだ。それを糺そうとはしない。寧ろちやほやされて身動きができなくなる。遊郭で女遊びを続けながら文学でもない。卑劣な行いをしてそれが芸術とどんな関係があるのだろうか。ことばと行為とは違い、心と体とは違うというのだろうか。それにしてもあまりにも自分の生命に対する無知が、かかる秀才たちの自滅への原因でもある。ボケないためにしないといけないことがあるが、それが、よくわかっていない。医者の不養生という。つい溺れてしまうのだ。溺れてからでは遅いとどれだけ教えられただろぅか。それでもひとはだれもそのことをわすれてしまう。一度のミスで死ぬのだ。苦しみもすぐに忘れてしまう。何でもないことで、なぜ苦しんだのだろぅか。祖母と母と父と、伯父や伯母、そして知人たちの死を見てきたが、だれも死について話をしたことはない。したとしてもその時理解できたのだろうか。だんだん外歩きもできなくなるのだろう。それでもテレビで自然や宇宙の事、世界中の世界遺産を見ることができる。テレビしか楽しみがない人が増えている。体が動かせないひとさえいる。日本は30%近い高齢者がいるらしい。姥捨て山が、悪しき日本の伝統でもぁる。何も言わないで死者たちは旅立っていくが、それを見送るかは人間の哲学の問題である。
2021.09.26
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和白干潟。苦労も多い人生ですが、それなりに楽しいこともある。探さないと見つからないのは厭だと言わないで、二度とない人間という一生はそれほど棄てたものではない。凡人にもそれなりに悦びを発見できるだろう。相手に棄てられたのではなく、自分は自由になったと思えば好い。愛されるより愛した方がどれだけ幸福だろうか。そういう相手のいない人も多いのだ。自分を愛せないほど不幸はない。 ・一日二万歩を日課にしているが、歩いて満足し、歩けなくても明日やろうと思う。未だ生きている間にできることはある。のびやかであるのは自分の意識であり、あろうとする思いがなければならない。他人にだけではなく、自分自身にも問いかける。いまのびやかに生きているか?これから、朝食後のウオーキングを約1時間、1万歩、約7キロ。夜も同じくらい歩いている。 ・へ2・・・楽しく生きるための努力はしなけらば得られないと思っている。それこそ生きている限り、社会的動物でもぁるj。喜怒哀楽を繰り返している。大谷翔平さんも差別に苦しんでいる。偏見もある。スポーツも商売である。スポイルされかねない。コストは常に付き纏う厄介なしろものだ。潰されないことだ。
2021.09.26
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和白干潟。<作品> 古潭 「山月記」・レジュメ2枚・原典は、「人虎傳」のみではない。・カフカ「あな」、穴のような家。・カフカ「罪・苦痛・希望・および真実の道についての考察」より。・変身。むしろ、引用は、元本になるのは、・司馬遷は「任小卿にかえす手紙」参照。司馬遷は宮刑された。これと「山月記」は関係がある。ふつうの人ではなくなる。・トーマスマン「トニオ・クレエゲル」・中島敦は、日本人には珍しく、英語や中国が堪能で原本を理解できる。鴎外、漱石と同じ。・虎狩り。との共通点。・何かに憑かれた人間というのも中島という作家のモチーフである。詩に憑かれた人間。・虎を「文字に憑かれた獣」という中国で風潮がある。・あのシーンの「月に吠える」のは「虎」でなければならない。・何故虎なのか?かっこ悪くてはいけないのか。太宰も格好悪さを格好良く書こうとする。・自分が虎になったことを自分で理解できない。カフカの変身もある面リアルに描く。詩人の悩みと虎の悩みは同じではない、そこに違和感がある。・「李徴」は、何故虎になったか、答えの無い苦しみ。・人間にはどう考えても判らないものがある。人間の限界がある。・有限と無限。・哲学的な問い。いくら考えても判らない。・詩人の悩みと虎になった悩みは、別のテーマである。・三島や北杜夫は、トーマスマン「トニオ・クレエゲル」を愛読した。・「北方行」・生活への愛着を棄てきれないのは、プロではない。・俗人・・・「生活」。画家のプロ意識もある。・芸術は何に向かって描くか。人に向かう。・やましい良心をもった芸術家。・中原中也 明治以前事象・妻子への愛情の欠如。・・・反面、妻子のために衣食のためにと書いていると別のところで書いている。・どう読むか。非人間的ではない。・虎になったのは非人間的だからではない。安易な答えではない。・アリ地獄の苦しみを書いている。具体的に描こうとする。中島風のあり地獄。・問いそのまま答えである。・納得できないこと。答えを求めていない。哲学的。・生活への愛を棄てきれない。李徴の嘆き。・志賀直哉「荒絹」。蜘蛛にする。女神から妬まれた孤独な少女。・人との接触を断つと可笑しくなる。孤高の人。・世の中から離れていく。コミュニケーションの断絶が異類になっていく。・自殺する人間の気持ちは誰にもわからない。解って貰えない。・人間は教育だと思っているひとがいる。漱石。・聖書を読まない人で信仰者もいる。・あらゆる芸術は凡庸を否定できないのではないか。・選ばれた人間である李徴と、トニオ・クレエゲルとの比較。芸術と生活。愚かな人間と天才。その対立。・司馬遷「史記」。宮刑。・李徴の独白。司馬遷の境遇。男でなくなることと同じ。内面の葛藤。・手紙と語りと独白など同類。外枠は人虎傳だが、内面は、司馬遷とトニオ・クレエゲル。・人がトラになる話と一致するかしないか。カフカの作品では解からない。確かめる作業がある。モチーフ。発想。が気になる。調べてみる価値はある。・中島のカフカのメモがある。・Man and Books 漱石、秋成、鴎外。カフカなど。・定説に捉われないことが大事である。「人虎傳」とは内容が違う。
2021.09.25
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和白干潟。そろそろ渡り鳥たちが干潟に帰ってくるシーズンになる。・性染色体がXXなら女、XYなら男。・何が違う。どこが違う。・狩猟時代の命をつなぐ力を養った違いが、男女にある。それが現代にも性差として容を変えて存在している。・46本 染色体。・Y染色体は消滅する運命。精子の減少。・人類滅亡の怖れ。Y染色体は、来週でも消えるかも知れない。性の未来。・X198;Y78 Y染色体・・・初めは同じだったが減少してきた。・あと500万年~600万年後。或いは突然変異などで早まる恐れがある。・Y染色体の遺伝。そのままの形で子孫に遺伝する。崩壊の一途をたどっている。Yは、1本で修復ができない。・男なしなら絶滅か? 爬虫類でオスなしで子を産む。雌のトカゲ・・・フローラの子。・哺乳類は?受精卵・・胎盤・・なければ子供ができない。雌だけでは子供ができない。絶滅する。卵か胎盤かによる。・恐竜時代。哺乳類が胎盤を持った。卵・・・胎盤の獲得。Yのオスがいないと子を作れない。・SRY遺伝子・・・Y染色体。 滅びの道を選んだ。得たものを最大限に生かすしかない。・女と男 50%;50% 男の子が生まれる確率が高いが、成長過程で死亡率は高い。・胎盤・・・あらゆる環境に適応することができる。Y染色体を手に入れることを引き換えにした。・とげネズミ・・・Y染色体がない。絶滅していない。謎・・・突然変異。偶然でしかない。人がたどるとは限らない。・男の危機。精子が弱ってきている。人間の精子の質が低下している。85%に異常がある。・デンマーク・・・濃度が悪い。不妊20% 不妊予備軍も多い。日本も。・人間独自の進化がある。・チンパンジー・・・精子・・乱婚がある。人間には、精子に他人との競争がない。・質や濃度が低い。・予想以上に結果が悪い。更にここ数年の間に、濃度・質の低下がみられている。・今目の前にある危機、環境の悪化?原因が分からない。・対策はあるか?・体外受精。試験管ベビー。顕微授精。活動的でない精子を受精させる。質の低下が加速させる恐れがある。精子の競争力の低下。・生殖医療の行きすぎが懸念されるようになっている。・バチカンの反対。・精子バンク・・シングルマザー。ビジネスとして利用される。精子の相手を選べる。・テクノロジーで子供を得られる。同性愛。・男と女・・・家族の<かたち>が変化している。・テクノを使うか、使わないという選択をするのか?・性の進化・・・タブーか?乗り越えることができるか。・未知なる環境を生きてきた。恋愛のシステムをつくり。役割分担をし。肉体の違い・・個性を活かすため。自ら未来を予期し、選択した道を歩いている?
2021.09.25
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和白干潟。眼が視えなくなったらどうしようと思わない人はいまい。ヒトは大抵視覚から殆どの情報得ながら暮らしている。脳には、他の機関から来る情報もあるが、見たものを優先している。あと余命も気に為るが、少なくとも視覚はあって欲しいと思うのが当然だろう。余り考えたくもないことだが、自分もいつそういうことにならないとも限らない。アクシデントもあるが、必然性のあるものもある。かすみ目が出てきたし、視力も落ちてきたと思っていたら、1年前と同じだった。 ・どうやらかなり前から視力が悪いようだ。自分のことを自分ではよく解らないというのは、それだけ検査をし、確り把握していない。いい加減だから長生きするし、そのために死ぬこともある。ストレスも上手に遣ってこそ。余程の運のいい人でない限り、100歳は生きていない。平均寿命はそのことを示してもいる。自分のからだのDNAの定期券と回数券タイプの設計図と、措かれた環境でも違う。 ・へ2・・・遺伝子の定期券は個人差がある。それは現代医学を使えば、その人の大体の「余命」くらいは推定できるだろう。回数券タイプは、難しいが難しいなりに調べる方法はあるに違いない。顔や体の外観ばかりではなく、体の内臓の加齢もある。あと10年と考えるのか、まだ10年と考えるのか、それは様ざまだが、日々の気分は違うだろう。誰のために生きているかだ。到底全うなどできはしないが、自分らしく。いざとなると、首が竦むに違いない。遺伝子がそうさせる。
2021.09.25
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和白干潟。変異・淘汰・遺伝。 大進化と小進化。自然淘汰と適応進化。生存し繁殖することで遺伝子を次世代に伝える。自然淘汰に目的はなく、進化は価値とは無関係。身につけたものを失う退化も 進化である。恐竜の絶滅も進化の過程である。遺伝子・蛋白質・酵素・神経・ホルモン・脳内物質から行動が機序。人間は多細胞の生物 。ある機能を果たすための行動のセット、戦略の進化を示す。ダーウィンの観察は、、雄間競争と雌による配偶者決定があり、大きな体などが雄に選択され、雌はシンメトリーや鳴き声など。配偶者選択の基準。生物学がキー。
2021.09.25
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・自分のからだの中で起きているダメージが、どんなものであるか、それは疲れたかな?くらいしか感じていないが、それが良くない有難くない大きなダメージのスイッチを押してしまうかもしれないだろう。それが怖い。例えば、鳥渡足を挫くだけでも、それが原因で歩けなくなり体調も崩していくだろう。どこから大きなダメージになっていくか予想はできない。言えることは年々と加齢が進むほどリスクも高まることだろう。 ・とても自分の肺の奥まで何が起きているか考えないが、確実に起きている事は事実でもある。鳥渡したことで、人生は終りもする。それだけ人体は複雑なのだ。人は病気で死ぬのではない。如何にこころがかかわっているかでもある。それは脳のことだ。一時のことというが、それは、産まれてからその人が刻んできた結果でもある。見た目ではなく、肺年齢が、この汚れた空気に悲鳴を上げている。自分を守るのは自分の体への関心と知識だ。 ・へ2・・・この暑さも、目には見えなくても、生命への影響があるに違いない。それを修復できるかであろう。
2021.09.25
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和白干潟。小さな部屋に入ると全体を見渡せ易い。自分がどこにいるか直ぐに解かる。加齢とともに小さな部屋に変わっていくような日常なのだろう。同じ場所にいながら違う次元に入り込んでしまう。時々妻子も違う人に見えてしまうのはそうしたことから来るのではないか。段々行動ができなくなり、ことばの世界だけになるのだろうか。動物から鉱物へフィードバックか。 ・どれだけ言葉を知っていたとしても遣い方を知らなければ意味がない。平易な言葉で、威張らないこと。だんだん平凡に近くなることだ。自分の人生の処世術など多寡が知れている。偉い人の話を聴いて偉くなれるかもしれないと思っていたが、それは子どもの頃の話だ。大学で講座を聴いていると、訳のわからない学者がいると思う時がある。 ・へ2・・・受講者のことが解からないのだ。恐らく自分の親の気持ちも判らない人ではないだろうか。世間のことも知らない。医者は患者の事を知らないで治療している。誰のための医療だかわからない。この社会は自分たちのことを解からないで生きている人が多いのではないだろうか。いつでもどこでもヒントはあるが、知ろうとしなければ何も分からない。閉じ込められていく小さな部屋には虫の声がする。
2021.09.25
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「一万年の旅路」は、蔵書で、何度か読んでいる。素朴な口承史だ。民と呼ばれる一族が、地球を横断して行く旅は、ひとがもつ飽くなき衝動だろう。リーダーが、出来て消えて、更に新しいリーダーが出来る。それもいつか消えねばならない。過去は消えなければ、新しい事態に向かうことができないからだ。そうして人類は旅を続けたのだろう。そういう民が、あちこちにいて、ヒトは、世界に拡がっただろう。私たちは、過去を捨ててきたが、ことばと文字を残している。そして、恐らく、それさえ過去の遺物になるに相違ない。多くの国境がなくなり、言語が整理され、あらゆる無駄が減少してゆくだろう。もう私たちには、想像もできない世界になることだけは確かだろう。私たちは、「ヒトとは、生まれ、生殖し、移動して、死ぬ」というルールを守って生きて来たが、それが、永遠だとは思っていない。然し、果たしてそうでなくなった、人類は、今と同じ人間だろうか。更に、行き着く先は、炭素だろうか。少なくともリセットされたヒトは、もうヒトではないだろう。地球でのニッチもいずれ失うに違いない。Oral History は、そのことを教えてくれているように思う。
2021.09.25
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鳥には人より一つ多い視力のベクトルがあるそうだ。それがどういうものかよく知らないが、それは人には視えない世界でもあるらしい。矢の様の飛ぶ鳥たちにどんな能力があるのだろうか。人間には、他の生き物たちがどのような世界に生きているのか、本当は知らない。そうだろうと思っているだけなのだろう。人間のことだって自分は他人とは違うし、他人の気持ちは分からない。煩悩というが、それが善悪でなどで、表現できはしない。 ・自分はなにものでもないが、個人として生きているのだから、自分の想いはある。まともかそうでないかもわかりはしない。普遍的妥当性も、それは口だけのことで終わりがちだ。何故、と問いつづければ、最終的には答えはない。どういう問いをするかであろう。答えのないものを追いかけたがる傾向があるのが人間の習性なのだろう。それで自滅もする。 ・へ2・・・鳥瞰したいが、人間には其のことが難しい。ただ視るだけでは真実は理解できない社会でもある。私たちの活きている世界は余りにも複雑である。厖大な宇宙を、其のミクロからマクロまでを鳥瞰できる能力はない。自分が活きて視える世界は狭い。どこまで視ることができるかでしかない。一日でも長く生きて、驚異の世界をイメージしたいだけだ。猫たちは人間を支配したいと想わないのだろう。
2021.09.25
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