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ベネズエラのカラカス市内はトニカク”危ない”と釘をさされていたので、大きなカメラを取り出し本腰を入れて撮影するのは難しい状況でした。特にそういった場面を目撃したわけではないのですが,, 何枚も扉があって鍵を大量に持ち歩いている友人の家の様子や、電流の流れる鉄線のはりめぐされた家を見るにつけ、ブエノスも安全とは言い難いですが、別物の危険な気配が漂っています。仕方ないので友人といるときに小さなカメラをさりげなく取り出し、場面を軽く抑えていました。2ピクセルの本当にササイな画像を何枚か紹介します。カラカスには、やたらピカピカしたガラスばりの近代的な建物がそびえています。密集してるわけではないので新宿のソレとはマタ違いますが,, そのピカピカに反射する「空」は見物でした。カラカスの空は本当に輝くコバルトブルー、そして周りを大きな山に囲まれているせいか、大きな雲が忙しくいったりきたりしています。そんな空模様が映し出されたガラスばりの建物の数々。街角には思わぬ商売が.. カラカスの街では携帯電話が非常に浸透していて、街は携帯産業で溢れかえっていました。ここではその携帯電話を利用して電話局を開いていました。地下鉄はとても近代的(フランスから輸入とのこと)バスは様々 400-700 Bs 地下鉄の切符で乗れる大型のMetrobus市内を駆け巡りどこでも止まってくれるCarritoタクシーにはメーターはなく、全て交渉次第でした。
2006.02.28
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ベネズエラ最終日 思わぬドキュメンタリー作品が生まれました。今回、広島のドキュメンタリー制作における写真と音楽の提供でベネズエラを訪れることになったのですが、様々な機会に撮影してきたものを Julio君が編集、素敵にまとめてくれました。最後の夜、徹夜で仕上げ国営放送と大使館にお届けすることができました。タイトルはCHEVERE CARACAS人々の口癖 CHEVERE チェベレ.. OK、最高などの意味で使われる、この言葉を聴くたびに本当はちっともチェベレじゃないような気がして複雑な気持ちになるときがありました。かといって最悪といわないところが南米の豊かさ。演奏のシーンを繋いでいく中で最後にチェベレに到達します。カラカスを取り囲むアビラ山の頂上、カラカスの街の景色をバックに「はちどり」を演奏、エンディング。カラカスの夕暮れから夜景へ.. Julio君の故郷に対する思いと願いが反映されています。ベネズエラとは末永いお付き合いになりそうです。
2006.02.27
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一般的なベネズエラの家庭を訪問しました。街角で出会った面白い女性 Jolvik 彼女は非常に視野の開けた女性で英語を自由自在に操り、先日こちらで行われていた社会運動の世界大会 Foro Social で大活躍していたようです。彼女のアフリカや中東における理解の深さに感動しました。世界大会の後、何人かのアフリカ人が仕事で残っており、彼女は様々な面で彼等をサポートしています。ベネズエラでアフリカの方と出会えるとは思わなかった,,貴重な機会となりました。踊り好きの彼等に連れられ、思わぬ場所に伺いました。最も危険といわれている Sabana Grande 地区。でもそこはベネズエラの一般市民が安全に楽しむ出会いの空間でもありました。厳しいガードに守られているディスコ、作りはバラック小屋のようでしたが中では多くの若者達が楽しく談笑、流行のレゲエサルサが流れています。正直あまり好きなタイプの音楽ではありませんでしたが、一般市民の素顔を見る貴重な機会となりました。サングリアがとても好きみたいです。最後の日、彼女の自宅でカレーライスを作りました。激辛カレーを持ってきてしまったので,,少し不評でしたが、とても喜んで下さったみたいです。丁度カルナバルということもあって御家族がまるでクリスマスのように全員集合していました。家族の多くはカラカス郊外に住んでおり、マラカイボやバレンシアに行くように薦められ、今度の機会には連れていってくださる約束をして送別会を終えました。素朴で暖かく、それでいて未来を探してソレゾレが一生懸命..ベネズエラの日常を体感することができました。チャベス政権の象徴は「赤」 真っ赤なベネズエラの帽子を頂きました。この帽子をかぶる機会はありませんでしたが,, 上、下、右、左.. 見事に分かれる複雑な事情にあるベネズエラ。でも人々の素顔はどこも同じ、家族との団欒を大事にして厳しい事情に立ち向かっている。どうかこの国が法律を改善して、もっともっと一般市民にとって安全で、よりよいものになっていきますように。
2006.02.26
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帰国直前はラジオ一色でした。国営放送に出演、素敵な出会いがありました。やぱりこのラジオ界が好きです。通じ合えるアナウンサー、報道関係者との出会いは何より嬉しい。多くの地に足の着いた情報をインタビューを通じて掴むことができます。素晴らしいアナウンサーと出会うことができました。帰国直前、ベネズエラの皆様に御挨拶のできる機会と出会いを求めてラジオ局の連絡先を電話帳であたりました。カラカスには非常に多くのラジオ局があります。でもやはり今回は国営放送に的を絞りました。その国を代表する歴史ある場所、多くのことが掴める場所はヤハリ国営放送です。ただ視聴者の数においては実は意外と難しいところで、どこの国もダントツに民放だとは思いますが..。出演に至るいきさつはマジックでした。訪問した矢先、電話で応対してくださった方と遭遇、その方が即、思い当たる方にその場で接続して下さって、出会いの輪が局内で広がっていきました。アルゼンチンで積み上げてきた経歴、特に現地での報道における紹介で、物事がグーンと進むことがよくあります。私自身もラジオ番組を担当していて何かの機会に作品などを受け取った場合、まず報道における紹介をチェック、その後はインターネットでその方の名前を検索することで現在の活動と信頼を掴むことができる。多分そんな一連の作業を終えた頃でしょうか,, 「再び連絡を」という応対の後、30分後に担当者からお電話を頂きました。声の調子から、これは良い出会いとなる..確信を持てました。分かり合えない取材は逆に危険。生放送の場合はともかく、録音や記事における場合、言っていないことや見当違いの紹介をされれば逆効果になってしまう。海外の場合、自分だけの問題に収まらないケースもあるので特に気をつけています。出演依頼の段階でお断りしたことも何度かありました。ベネズエラでの日々で少々複雑な気持ちになっていることがあります。人々の応対の乱暴さ,, 思いやりに欠ける言動や対応。一言でいえば「失礼」きわまりない場面に街角で数多く遭遇しました。一体なぜなのか,,アルゼンチンではそのようなことがなかったのでショックでした。帰国の際、隣り合わせたベネズエラ在住のアルゼンチン人が、その理由を教えてくれたのですが、どうやら東洋人に対して非常に失礼な対応をするとのこと,, そういった意味では70年代のアルゼンチンに似ています。当時は石をぶつけられたり,,本当にひどいものがありました。理解のない差別,, そういった意味で街角は遅れている部分があるのかもしれません。ここは違いました。全てが限りなく繊細で木目細やか。一言でいうなら「エレガント」 ベネズエラはココゾという場所にはココゾという方が揃っています。その面ではアルゼンチンは平均的、逆にココゾという場所に意外な人材に遭遇して驚かされることが多い。ある意味、境界線が非常にハッキリしているようです。仕事は進めやすいのかもしれません。文化人のレベルと教養の高さを感じました。様々な意見や思い、創造を交換することができました。
2006.02.25
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再びブエノスアイレスに戻ってきました ベネズエラ、カラカスの報告が途中、USBドライバーを紛失してしまってできなくなってしまったのですが、、今日から振り返ってご報告します。 アルゼンチンとベネズエラの架け橋作戦が始まりつつあります。
2006.02.24
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どなたかのツテで御連絡を頂いたパーカッションの方とお会いしました。カリブ音楽のグループ PALENQUE のパーカッショニスト Sahu Castizillonさん。丁度この日、Teresa carren'o劇場でJazzコンサートがあるというので一緒に連れていってくれました。Priscaという女性Jazzピアニスト。新しいアルバムで新たに歌の世界を追求、今日はCD発売記念ライブとのこと。ベネズエラJazzはカリブのリズムをフンダンに取り入れつつ繊細で非常に面白い音作りでした。何よりビックリしたのは彼女の共演しているパーカッショニストの方。またしても天才をみつけてしまった! こんなパーカッションは見たことがない... セットはカホンを中心にシンバルなど全て手で打ち鳴らしていきます。劇場が細やかな音を全て拾ってしまう小ホールのため敢えてドラムセットを使用しなかったと後から聞きましたが、何より驚きは足にマラカスを備え付け、身体全てが楽器になっている,, 実際、彼は身体パーカッショングループを指揮していて発表に向けて準備中。クリエィティブとエネルギーの塊のような強烈な方でした。彼は途中、実際にその仕事を舞台で見せてくれました。細かい,,しかも完璧なリズムを身体のアチコチを叩いて生み出していきます。まさに自由自在!ベネズエラの音楽模様を見ていてシミジミ思ったのは、その自由奔放さに加え、しかも正確で物凄く細かい仕事を見せる,,その瞬発力とエネルギーは天才的。愛地球博でもワールド音楽のステージに思わぬベネズエラ人が現れ、何より拍手喝采をさらっていった瞬間が何度かありました。世界を驚かす思わぬ天才がひしめいている街、カラカス。先日、伺った交響楽団出身でドイツのベルリン交響楽団で活躍している方も何人かいらっしゃるそうです。この音楽的土壌は一体どのように育まれているのか,,深くさぐってみたいところですが、今回は時間が足りません。でも、このベネズエラ音楽模様を体感することが出来たのは本当に大きな心の財産になりました。
2006.02.23
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早朝、劇場に音響のセッティングとチェックに伺いました。でも実際はチェックされる機会となりました。オーケストラの団長さんと副団長さん2人が客席に座り演奏を見ています。コスキンの審査会以上に緊張しました。踊るチャランゴ..最初の足をあげるか、あげないか,, あげる、あげない、あげる、あげない.......悩みに悩んだ末、少しだけと思いながら一旦、動き始めたら音響の素晴らしさにも後押しされて、楽しくなってきてしまい..気がついたら踊りまくっていました。はたと我に返り、演奏をやめ..客席を見上げると、そこは空席。だと、完全な"お笑い"になってしまうのですが,,いらっしゃいました。立ち上がったお二人はゆっくりおりていっらっしゃって一言。「チェベレ」(ベネズエラではOKという意味)傍にある音響の台をどかすように指示。チェックを無事終了するうことができました。皆さんチェベレ、チェベレと言って下さるのは有難いのですが、それでも未知のものを送り出す得体の知れない心配を何気に感じます。久しぶりに舞台に向けて僅かですが怖さを感じました。場違いかも,,という怖さ。それはコスキンの舞台に上がる前に選抜地区の責任者から「絶対おどるな」と指定されてしまった、あの日に似ています。それに比べて今回は全然、好意的な対応でしたが,,ソリストの楽屋は素敵でした。プロデューサーの方がジュースなど差し入れもしてくださって、本番直前まで楽屋でくつろぐことができました。カレコレ6年前、日本で公演をしていた頃以来..ずっとずっと本番ギリギリまで問題を抱えクタクタになるアルゼンチンでの日々。ここは全てが行き届いています。そのために多くのスタッフが楽屋裏を走りまわっている。演奏家と同じくらい舞台裏で心をこめて働く人がいるのですね..交響楽団の重みを感じました。本番直前、舞台脇から送り出される時は一瞬どうしようかと思うほど緊張したのですが,,昼間たまたまインターネットでチャットで遭遇したリリアーナ先生の一言(思わぬ偶然)Nada de miedo aregrina nada mas..「心配はいらない必要なのは歓喜のみ」バレエの巨匠リリアーナ先生は現役時代ここの舞台で踊ったそうです。先生が踊られている姿を想像するとナンダカ共に舞台にいるような気持ちになりました。ブエノスアイレスの母、国営放送の理事の方もメールでToda la famiria de argentina esta con vos..「アルゼンチンの全ての家族がついている」真っ暗な舞台中央でスポットを頂いて、御馴染みの鳥笛を吹いた瞬間ハチドリになれました。全てが終わって客席を初めてみると、お客様が立ち上がって拍手をして下さっていました。一旦舞台そでに戻ると、まるでバレエの舞台のように再び舞台に戻って挨拶するように言われ,,戻って挨拶。鳴り止まない拍手,笑顔に迎えられました。踊るチャランゴ、楽しんでくださったみたいです..チャランゴはハチドリの羽ばたきに似ている世界中を飛び回り、星に向かってとぶ,,con muchas amistad y la paz..アルゼンチンに帰国してからの報告は日々つのっていきます。
2006.02.22
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できることなら,,どこかで と密かに思っていたところ、午前中に電話が鳴りました。大使館の文化担当者の方からでした。12時に伺ってお話を,,とのこと。その直後に再び確認の電話が入りました。なんと明日、早速演奏の予定が,, バタバタと大使館に伺って、お食事をとりながら打ち合わせがありました。料亭のような凄い場所で,,長いこと気さくな場所に滞在しているので、なんだか場違いで食事が喉を通らなかったです。なんと,,先日から通いつめていたTeresa carren'o劇場でベネズエラ交響楽団のゲストで演奏を行うことになりました!! アルゼンチンのコロン劇場にあたるような場所です。いきなりそんなに凄い場所にシカモ突然おじゃましてしまってよろしいのでしょうか.. という恐縮な出来事に戸惑いつつ、駆け足で下見を済ませ準備中です。丁度カルナバルがテーマということで白羽の矢がたったのですが,,「花祭り」をベネズエラで,,しかも交響楽団が出演される場で演奏することになるとは,,あまりの機会に正直とまどっています。ここで「踊るチャランゴ」を実行してしまってよいものだろうか,, 紹介していただいたこの流れでは、何よりマズ先方にご迷惑のかからないように、あたりさわりなく進め、失敗なく実行する、そんな任務に近いものを感じるので好き勝手なことはできません。かといって自分のスタイルを崩してまですることもない。でも駄目なら断ればいい、と言い切れないのが今回の流れ。こんなに大きな不安に包まれたのは久しぶりです。夜はジャズ系のライブハウスにつれていってもらいました。丁度この日はサルサのバンドが出演中。本場のバンドのかっこよさに感激しました。飛び入りで演奏することになったのですが、なぜかこの日はチャランゴのラインが機能しませんでした。明日の不安がマタ増えてしまった,, 生で3曲、ドラムの方と共にジョイントで楽しく演奏。初めてのベネズエラの演奏,,個人的には全く納得できない演奏だったのですが,,お客様と店の方は喜んでくださいました。エネルギーの循環はアルゼンチンと変わらない。演奏後の感触が同じなら大丈夫かもしれない。明日のクラシカルな場に向けて一歩安心しました。
2006.02.21
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友人Julioの家に居候していたのですが、Julioが応接間で固い床に横たわってる姿はいたたまれなく、自分自身も仕事のための独立した空間の必要性からJulioの家を卒業、ホテルへ移動しました。コストは確かに高くつきましたが..何より困ったのが、友人Julioのベネズエラに関する嫌悪感。ベネズエラに限らず南米全土に対する嫌悪感が非常に強いので、一緒にいるとベネズエラが好きになれないどころか、得体の知れない恐怖心でイッパイになっていく,, 確かに困難は多い国だけれど私には違った見方がある。誰かの影響でベネズエラに対して不快感を持ってしまうのは好ましくない,,と思いました。 大使館に相談のもとで伺ったホテルは素晴らしい環境で,,何よりマズゆっくり眠ることが出来ました。心と身体を静養して元気復活。そして何か機会がありましたら,,と資料を置いてきました。
2006.02.20
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ベネズエラ音楽におけるシンボル的な楽器4弦ギタークアトロ。とってもシンプルですが奏者によって物凄く豊かな音色に驚かされます。ベネズエラ初日、テレビ局のスタッフに薦められ素晴らしい奏者の演奏を見ることができました。Cheo Hurtado最高峰の奏者が日本大使館の主催するイベントに出演していらっしゃいました。い最近、日本ツアーを終えたばかりというCHEO。音色の細やかさと共に、その迫力、そして共演のマラカスJuan Ernesto Layaの繊細なマラカス。久しぶりに鳥肌が立ちました。マラカスでこんなに豊かな音色を奏でることができるなんて.. 開いた口が塞がりませんでした。本当に本当に素晴らしいベネズエラの音楽。ブエノスアイレスに戻ったら番組で音色と共に御紹介できれば,,と思っています。そのための取材に徹することをきめました。昨日おとずれたTeresa Carren'o劇場でベネズエラが世界に誇るアーティストCecilia Toddの芸暦30周年記念コンサートを見てきました。多くのアーティストをゲストに向かえ、さすがCecilia! という共演の数々。特に鳥肌がたったのはコロンビアの巨匠Leonor Gonzales Mina。女優から歌手に転身、プロテストソングを高らかに歌い上げる彼女の歌声は力強く、輝きに満ちていました。Ceciliaとのコラボレートはありませんでしたが、彼女のうたうCAMPESINO。物凄い迫力で.. 商業主義のプロテストソングが溢れる今日この頃。さすがコロンビア.. 本物のオタケビを満喫しました。革命の真っ只中にある国に滞在するのは刺激的です。特にテレビ番組に影響が反映されています。国をどのように前進させてくか,,そんな討論番組が頻繁に行われていて..国民の「夢」を感じることができる。今まで全くふれることのなかった南米の一面を刻々と見せ付けられ..絶句。厳しさの中、立ち上がっていこうとする市民の願いと闘いの姿を見るにつけ、何も知らなかったことを恐縮。一般的な情報に甘んじて、こんなにも無知のまま過ごしてしまう.. 友人Julioの哀しみを初めて知りました。日本に憧れ日本人以上に東洋を知ろうとしているJulio。彼は日本がベネズエラを全く知らないという事実に日本に滞在期間中にイヤというほど知らされ幻滅。確かに..タンゴ王国のアルゼンチンに比べ、ベネズエラの存在感は非常に薄い。観光産業を全く機能させていないので自業自得のような気もしないではありませんが,,,実際滞在してみても、やはりアルゼンチンに比べ存在感の薄いベネズエラ文化。ただ、この勢いを見ているとキットそのうち大きな存在感を世界に発揮することは間違いないでしょう。それにしても..常に各国のこれぞという番組を見ることができれば..とシミジミ思いました。
2006.02.19
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深夜4時に到着、荷物を受け取り出口へ。まずは友人に電話をしなくては,,ところが飛行場の全ての店が閉まっていて、電話はカード。なすすべもなく、立ち尽くしていると係員が「アルゼンチン航空ならバスでカラカス都心に無料で送り届けている」 ここでもキッチリ責任をとっていました。「エライ!」 ささいな律儀に物凄く感動してしまいます。送迎バスは意外とオンボロでした。スーツケースをいれる収納スペースがないため、まずは車内に全て荷物を積み込んでから隙間に人間が.. どのくらいの時間で都心に到着するのか,,聞くと問題が起きているから2時間くらい,,といいます。丁度、今日まで本来のルートが閉鎖されているというのです。そうこうしているうちにバスが出発。なんだか凄い道でした。まっくらで街灯ひとつなく、山の中をクネクネと..しかも道幅が凄く狭いので、対向車がくると本当にすれすれの距離。何度も危ない瞬間がありました。深夜の車内、ご丁寧に大音量で音楽を流してくれます。ベネズエラのHit曲でしょうか,,ルイスミゲルのようなメロディアスなテーマでした。しかも冷房が効きすぎていて寒い,, オンボロバスはガタゴトと得体のしれない山道を.. どこかで体験したことがあるような,, ボリビア。そうボリビアへの旅と似ています。不安と恐怖もりだくさん,,でも疲れていたので眠ってしまいました。ふと目を覚ますと,,そこは別世界。大きなビルが立ち並ぶ大都会が目の前に。一体あの道程は何だったのでしょう。都心アルタミラ地区のオベリスク前に到着。まだ暗い深夜5時に到着。バスの中で親切なベネズエラ人に携帯電話を借りて友人に連絡。オベリスク前で待っているようにいわれ、ブエノスアイレスに比べるとダーイブ小さなオベリスクの前で一人待ちぼうけ.. ベネズエラば危険と聞いていますが、このあたりは穏やかな気配でした。早朝、人々は足早に仕事や学校に向かって行きかっています。少々困難な始まり。今回はどんな物語になることやら,,朝焼けにそびえるオベリスクを眺めていました。大都会ですが周囲は山々に囲まれていて、どことなく日本の景色に似ています。夏なのか、春なのか,,わかりませんが結構、朝方冷え込んでいて寒い! 心配と寒さに凍えていると友人が現れました。愛地球博で出会ったベネズエラの記者。アンデスアマゾン館では映像技師をしていたJulio君。久しぶりの再会に感動。ひとまず自宅へ伺いました。都心を取り囲む山のふもとのアパートで景色が最高でした。彼の話によるとベネズエラは四季がないそうです。昼間はサンサンと強い日差しが降り注ぎ、真夏のように暑い。でもどこかさわやかな暑さでした。まずは都心の銀行へ。案内役に張り切るJulio君に連れられ早速、街を散歩。私の興味の方向性を知っているJulio君はマズ、カラカスの誇る文化施設へ連れて行ってくれました。Teresa Carren'o劇場、及び文化会館。まるで近代ピラミッドのような素晴らしい建築で、これまでの不安や憤りがスーーッと収まりました。ここを照準に今回のベネズエラ取材を進めることになりそうです。Julio君の指導でまずは交通手段における強力なチケットをゲット。そして電話連絡に欠かせない公衆電話用カードも..早速地下鉄にのりました。飛行場からカラカスまでの山道と、あのオンボロバスはなんだったのだろう,,と思うほど、近代的な地下鉄でした。まるでヨーロッパの地下鉄のよう.. 人々は皆、携帯電話を片手にエネルギッシュ。想像を絶する近代化の波にくるまれているカラカス。銀行のあるSabata Grande駅周辺はマルデ原宿のよう。路上にギッシリ露天商が立ち並び、活気ある商売模様が展開されていました。大量のDVDの違法販売..に絶句。著作権というものが全く存在していない生業には正直、複雑な気持ちになります。コンピューターを設置して、その場でコピーしながら販売している驚きの業者もありました。
2006.02.18
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from Caracas with friend journalistconsiert of CUATRO in Caracas Cheo Hurtado Cementry of Simon Boliverthinking future of Venezuera
2006.02.17
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午前10時に飛行場で手続きを済ませようとすると、大幅に時間が変更になっていました。出発時間13時が18時に,, 5時間も待たなくてはいけない,,大袈裟にショックを表現すると航空会社が往復のタクシーを支払ってくれて一旦、自宅へ戻りました。怒りはキッチリ表現すべきなんですね。これで相棒マリオと少し過ごせる,,出かけ際の寂しそうな顔が心残りだったので”ラッキー” 喜びを隠してさっさとタクシーにのりこみ自宅に戻りました。ところが1時間後、航空会社から再び連絡が入り、尚一層おくれるとのこと,, 結果20時出発となりました。(実際は21時だった)最近アルゼンチン航空は時間が大幅に変更になる傾向があるそうです。それにしても困るのは到着時間,, 夜7時半が深夜3時になってしまいました。サスガに迎えに来てくれる友人も、その時間は無理.. とにかく到着してから策戦を練ることにしました。只今、機内で初めてパソコンを開き打ってみています。ちょっとしたビジネスマン気分,, アルゼンチン航空は機内食がビーフシチュー、ワインも美味しくて満足。
2006.02.16
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タンディル音楽祭からブエノスアイレスに帰省して3日目、明日からベネズエラです。生まれて初めていく場所はドキドキするものです。友人の住んでいる台湾に行くときもそうだった,,全く関わりのなかった場所への旅。でも言葉の面で同じスペイン語なのでアルゼンチン内を移動する気分であったりもします。南米全土に話題を何かと振りまいているチャベス氏率いるベネズエラ。なんとうか..とても興味深いのですが地に足のついた情報が全くない。行って見なければわからない,,そんな得体の知れないベネズエラ。とはいえ今回は観光ではなく、まずお仕事が大前提,, ベネズエラのジャーナリストが制作しているドキュメンタリー番組に写真と音楽を提供するのですが、幸い昨夜それに関する最後の作業を無事終えることができたので、後は先方の反応をうかがうのみ。納得できるものが仕上がったので楽しみです。今回の音楽制作はEloisa Lopezと共に仕上げました。チャランゴを主体としたインストに彼女のコーラスワークを最後にレコーディング、ミックスも仕上げてもらって大活躍のEloisa. 彼女と共作はこれで2度目、創造の面で最も信頼できるアーティストです。滞在期間は2週間なので1週目に仕事が終われば後は冒険あるのみ。ベネズエラで演奏の機会を探るのはもちろんのこと、そしてこれぞというものを撮影してみたい。そういった意味で1週目は下見、2週目に本番.. ただ、タンディルで絆の深まったマリオを置いていくことだけが気がかり。大家さんが見てくれるので安心ですが、「今回は2週間だからね,,」と言い聞かせています。敏感なマリオは昨日から気がついていて肩にひしっとしがみついています。きっと出かけは大騒ぎでしょう..明日からはベネズエラ報告をこちらで届けていきます。
2006.02.15
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タンディルの新聞 Nueva Era タイトルが凄いです,, MURITA SAMURAI日本語訳にするとモット凄い..サムライ・アルマジロどうしたらこういうタイトルになるのか,,取材を受ける時に何時も一抹の不安があります。1.言ってないことを書かれやしないか2.おもしろおかしく扱われやしないか有難い反面、危険でいっぱいなのです。でも幸い内容は暖かでホッとしています。大きな間違いはコンサートが帰省を予定していた日曜日におこなわれると書かれてしまったこと。念のために準備しなくてはいけない?? 帰省の日を変更することになってしまいました。しかも2日間のもろもろでつかれきっています,,できるだけのことをしよう、と昨日から共演しているタンディルの音楽家と準備、アットホームな演奏を行いました。場所はCASA CHANGOここは天井にスピーカーが8個設置してあってトテモ心地よい音色。音響効果抜群です。お客様も暖かく、心地よい一時でした。昨夜は散々だったのですが元気復活。WAYRATUTA曰く,,「この日の思いを胸に旅立ちたい」 よい転換になりました。満月の浮かぶ心地よい夜、少し街を散歩して部屋に戻るとマリオがおなかをすかせて待っていました。外食時に持ち帰ってきたスパゲティを提供、もりもり食べて帰省準備。マリオは内弁慶で外出先は不安になってしまうのか、夜はしがみついて離れません。タップリ食べて重たいマリオを胸に抱いてぐっすり眠りました。
2006.02.12
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幸い天候に恵まれ満月のポッカリ浮かぶ夜、最後の演奏に出かけようとすると..WAYRATUTAのメンバーが「僕等は演奏にいかない」 ??? 急に真顔で話を持ちかけられビックリ。どうやら本舞台での音響の悪さを非常に怒っているようで..確かにステージサイドの担当者は酔っ払っていたし..腑に落ちないことは沢山あった気がする。「こういったことを我慢するほど若くない」確かに彼等は50代に手が届きつつある。フェスティバルを駆け回った時代から2年,,何かが変わった。私自身も様々なものを積み重ねてきて2年前のタンディルに滞在した頃とは違う、、でも主催者のレベルは変わらない。アルゼンチンのフォルクローレ界では主催者がマルデ王様のよう、音楽家はマルデ奴隷。敬意に欠けた言動や対応に毎度、閉口します。ただ音楽家が利口で彼等の手の内に収まらないと感じると途端に攻撃的になる。どうやら彼等は攻撃の対象になってしまっていたようです。私は気がつきませんでした,,彼らは昨夜のcautivaでの演奏を胸に次の場所へ旅立ちたいとのこと。わいわいとグループ気分で出かけていた昨日から一変、今日は一人。彼らに言われたからではないのですが、今日は多くの問題を舞台裏で目の当たりにしました。昨日、遠方からやってきたグループが早い時間帯に手続きを済ませるも、ラストの演奏をさせられ非常に怒っていました。観客は全くいなかったそうで,,しかも今日も同じパターン。地元の一押しグループがメインの時間帯にもぐりこみ大幅に時間をかけ演奏、昨日の幕開けの演奏から一変して今日は最後。時間は朝5時近く,,待ち時間は8時間。まるで将棋のコマのような音楽家.. コスキン音楽祭も舞台裏は悲惨だったようで、、ラナシオン新聞に批判的な記事が出ていました。待ち時間で疲れきって、しかも身体が眠っている時間帯での演奏、音響担当者もつかれきっているので残念ながら昨日のように納得できる舞台にはならなかったのですが、、それでも出来る全てのものを注ぎ、笑顔で会場を後にする。WAYRATUTAの言葉を頭によぎらせ,,「こういったことを我慢するほど馬鹿じゃない..」部屋に戻ると相棒マリオがささっと飛んできてくれました。いつも付き添ってくれています。
2006.02.11
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お蔭様で今日のタンディルは快晴!気温も穏やかで満月が浮かぶ最高の一夜となりました。今回フェスティバルでは幕開けを努めることとなり、今回は音楽仲間WAYRATUTAの曲にパーカッションで参加。彼らも演奏に参加してくれて、幕開けを大いに盛り上げることができました。2003年に出演して以来のタンディル音楽祭。2年間の積み重ねを舞台へ..終わってから多くの方が感想をのべにきてくれたので多分、何かしら驚きを届けることができたのかもしれません。非常に大きな反響がありました。ホッとして機材を片付けていると、3月にAZUL地区で行われるフェスティバルVACA(直訳では牛フェスティバル)の主催者から招待を受けました。3月はコリエンテスでの演奏も入りそうなので当分、旅続きです。真夏の音楽祭は一度足を踏み入れると、芋づる式に広がっていきます。本舞台の後、タンディルにある話題のライブハウスにWAYRATUTAのメンバーと駆けつけました。コスキンフェスティバルで出会った音楽家Silviaが主催する店CAUTVA。彼女はコスキンでSonia Alvares のサポートメンバーでした。2004年5月にオープン、信頼を積み重ね非常に盛況のようです。この日はマルデルプラタのアーティストがツアーできていました。新しいアプローチのクリエィティブな音作りで好感が持てました。彼等の演奏の後、引き続いて演奏、持ち時間の関係で本舞台で出来なかったものをここで披露することができて、特にWAYRATUTAのメンバーは感激していました。ここで再び音楽の輪を広げ、多くの友人と再会、演奏の一夜を終えました。
2006.02.10
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2003年のフェスティバルで出会って、その年の様々な音楽祭で行動を共にしたWAYRATUTA。多くのコンテストに共に参加しました。残念ながらフォルクローレの催しは詐欺師や心無い人物が度々登場するため、厳しい一時や怒りを共有する機会が溢れています。彼等に限らず音楽家同士はマルデ戦友のような交流が生まれます。今となっては全て笑い話ですがトンデモナイことが沢山ありました。主催者が音楽家から集めた費用を持って蒸発するのは日常茶飯事。黒幕に取り込まれ媚を売って立ち回る者もいますが、決してそれは長続きするものではなく、一過性の注目。彼等は真っ直ぐ黒幕に不可解なことを問い詰める。そんな姿勢に好感が持てました。今回タンディル音楽祭の招待状を受け取ったときに真っ先に彼等に相談、約2年ぶりの再会、同じ宿泊先に滞在して、家族のように過ごしています。残念ながら昨夜からタンディルの天候はいまひとつで、開始直前に大雨が降って2日間に渡って野外の公演は中止となってしまいました。遠方から自費で訪れている出演者には厳しいことですが、素早く気を取り直す国民性は素晴らしい。夜明け近くまで宿泊先で演奏、様々な共演を楽しむことができて楽しかったです。明日は晴れますように..フェスティバル会場の楽屋でプログラム責任者と宿泊先の名物店長CHANGOとこの日はメンバーの奥様が誕生日でした
2006.02.09
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ブエノスアイレスからバスで5時間、本当に久しぶりに旅にでました。この旅の後、すぐに海外での仕事があるため徹夜で準備、早朝6時半に家を出てバスターミナルへ,,ブエノスアイレスの窓口Retiro駅は朝から物凄い人。この時期、夏休みをとる人々が入れ替わり立ち替わりしています。バスターミナルは何の用がなくても、たまにきてみるとワクワクする場所。なんというか映画のワンシーンに取り込まれたような気がします。それは日本の東京八重洲口や新宿のターミナルも、新潟、福岡..も同じだった。旅の始まりにあたるターミナルは物語の始まり。今回のバスCondor Estrellaは冷房がききすぎていて、真冬のような寒さにびっくり。急に温度が下がって驚いたマリオが籠の中で大暴れ、あわてて衣服でくるんであたためました。相棒のマリオはアマゾン出身なので寒さに弱いのです。即、冷房を下げてもらいに運転手さんに苦情。ポカポカ暖かくなって深い深い眠りについて3時間,,ふと目を覚ますと、そこにはパンパの大草原。窓から見える景色はアルゼンチンそのものでした。真夏の草原は眩しかった..うっとりとみとれているとパーーっと広がる黄色。ひまわり畑でした。撮影しそこないましたが、ゴヤのひまわり畑を思っていました。大草原に突如ひまわり畑、最近イタリア映画にはまっていたせいか全て映画のワンシーンに思えてしまう。こんなパンパの景色をメインにしたロードムービーを撮影したいのです,,母を訪ねて三千里の現代版のような。マルコは猿のアメディオをつれていた。アマゾンインコのマリオ..映像のことばかり考えていたら現実になりました!タンディルは今回で3度目になるのですが、毎回お世話になっているユースホステルCasa Changoに到着。少し休んで応接間に顔を出すと撮影が行われていました。今年で10年目にあたる記念にプロモーションビデオを制作中。館長さんに依頼されて出演することになりました。もちろん相棒マリオと共に.. カウンターに腰掛けてビールを飲みながら談笑。良い絵になったようでディレクターも館長さんも喜んでくれました。カメラ好きなマリオも御機嫌。彼は何故かカメラを向けると首をかしげ御馴染みのポーズをとります。それにしても寒い,,高原タンディルは今年は異常気象。真夏ですが雪が降ったりしているとか。「世界的な異常気象だ地球が危ない!! 」、とタクシーの運転手さんが嘆いていました。タンディルの森林の多くが最近、伐採されてしまったみたいです。かれこれ2年ぶりですが街はカナリ小奇麗になっていました。大雨の後の虹がトテモトテモ大きくて感動しました。
2006.02.08
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ここ数日、少しずつ荷物をまとめたり、音楽祭のステージのための演奏をまとめたり、、異変に敏感なマリオは、旅の訪れを察知したようです。昨夜は夜なかなか眠らずカーテンの上から様子を伺っていました。まるで見張られているような気持ち、、正直言うとたった3日間だし、すっかり大家さんと仲良しのマリオは安心して置いていくつもりでいました。ところが日が近づくにつれて「置いていかないで、、」という眼差し。まとわりついて離れない、、必死になってしがみついてきます。日本に帰国した6ヶ月のトラウマか、、心配でならない様子のマリオ。しがみついている姿がとっても可愛い,,連れて行くことにしました。荷物も増えるし、マリオを隠すためのバック(バス車内は動物侵入禁止)を日本に持っていっておいてきてしまったので、買い直さなければいけないし、、 でも連れて行くための籠の準備をしていると、またしても「今回は大丈夫」と敏感に察知したもようです。只今、非常に安心してぐっすり眠っています。キボウシインコの頭脳は犬猫なみとのこと、、本当に敏感で賢いマリオに驚かされます。タンディルはブエノスアイレスから5時間ほど、明日は7時半に出発、昼に到着の予定です。素晴らしい森と湖があって、ステージは森の中。山の傾斜が客席になっている素敵なつくりです。ひさしぶりのマリオとの旅、以前は飛べなかったのでタンディルの森の中を肩にのせて歩いていましたが、今回は籠から出すのは難しいかもしれない。旅好きなマリオ御機嫌に眠っています。タンディルの森の教会でマリオと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・引き続き、、ご署名のほどおねがいします!帰国したら1番に伺いたい場所バナナホールがピンチ!!バナナホールを存続させる会読売新聞 バナナホールが閉鎖のピンチ
2006.02.06
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今から約10年前、、全国に伺っているころ非常にお世話になったライブハウス大阪バナナホールが存続の危機にあることを知りました。とても有名で素敵なライブハウスです。そしてその大きさに負けない素晴らしいスタッフの方達。音響の素晴らしさと共に忘れがたい場所でした。懇切丁寧、敬意ある対応、全国さまざまな場所に伺いましたがダントツでした。皆様どうかご署名のほどおねがいします!帰国したら1番に伺いたい場所です!!バナナホールを存続させる会読売新聞 バナナホールが閉鎖のピンチ
2006.02.05
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アルゼンチンが世界に誇る南米最大の音楽祭、コスキンフェスティバルの特集番組を制作しました。番組では音楽祭の目玉にあたるアーティストの歌、演奏を次々と紹介しています。音楽祭がどんなものなのか、アルゼンチンのフォルクローレの現代を感じて頂けると思います。フェスティバルには400組近くのアーティストが出演しているので全てを紹介するのは無理なのですが、際立った瞬間を厳選しました。 コスキン音楽祭は今年で46年目の歴史ある音楽祭です。多くのアーティストがコスキンの舞台をきっかけに世に出ました。コルドバ州のコスキンという小さな街で1月3日よりプレコスキン(新人音楽家選抜)そして本フェスティバルが21日より9日間に渡り行われます。役1ヶ月に渡り文化の祭典として多くの催しがコスキンで行われ、アルゼンチン全土から文化人、そして観衆が集う特別な機会。毎年、様々な物語と伝説が生まれるのですが、今年のフェスティバルは大きな「変わり目」として新しいフォルクローレ界の動きをフンダンに盛り込んだ興味深いものでした。 1部では日本語で音楽を中心に紹介2部ではスペイン語で批評、問題点や感動を現場に詳しいスタッフと語り合いました。ダウンロードもしくはメディアプレイヤー起動で聞いて頂けます! (番組で紹介したアーティスト) メルセデスソーサアルゼンチンの女性歌手第一人者。65年にコスキン音楽祭でJorge Caruneに見出され大きくクローズアップされて以来、人々を魅了する素晴らしい歌声で民衆を励まし続けてきました。コスキン音楽祭を7年はなれていたのですが今回感動の復帰の瞬間を特集しました。 他、(リンク先はスペイン語ですが写真など見ることができます) Chaqueno alavesino チャケーニョ・パラベシーノSuna Rocha スナ・ロチャSoredad Patoruttti ソレダーJAIRO ハイロLeandro Lovato レアンドロ・ロバトJoel Tortur ジョエル・トルトゥルVeronica Condomi ベロニカ・コンドミMarta Gomez マルタ・ゴメスRaly Barrionuevo ラリー・バリオヌエボPeteco Carabajal ペテコ・カラバハルJuan Faru フアン・ファルーArgentino Luna アルゲンティノ・ルーナAlejandro Avira アレハンドロ・アビラMariano Carriso マリアーナ・カリソVictor Heredia ビクトル・エレディアLeon Gieco レオン・ヒエコRuben Patagonia ルーベン・パタゴニア
2006.02.04
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今から約20年前、1982年アルゼンチンでマルビーナスという最南端の小さな島を巡ってイギリスと戦争がおこりました。アルゼンチンが関わった唯一の戦争です。フォークランド紛争と教科書などでは記されていました。この戦争は本当に無意味なものとして知られています。悪名高き軍事政権時代の最後に国民の反感をそらすなど、様々な思惑で翻弄されてしまった若き兵士達。 南極の近くですから物凄く寒い、しかも食料もろくにとれない厳しい状況だったそうです。送られた食料も衣服も何故か届かなかったのです。軍部が横領したとのこと,, 本当に何から何までメチャクチャ。そんな中で国のためと信じて現地に向かった兵士達。多くは地方から徴兵され、終戦間際は15歳少年兵徴収などもあり、本当に若い訓練もままならぬ兵士達が命をおとしました。そして生き残った多くのものが自殺,, 軍事政権時代の蒸発者3万人に加え、この戦争に関わったものの不幸。 昨年公開された初めてこの戦争をとりあげた映画 Iluminado por fuego 監督は Tristan Bauer スペインのGOYA映画祭他、数多くの映画祭で高く評価されました。音楽はレオンヒエコが担当しています。 とても気になっていたのですが劇場での公開期間が短く見損なってしまったのですが、久しぶりにビデオ屋さんにいくと新作としてズラリと並んでいたので借りてきました。この戦争に関しては凄く知りたかったことが沢山あるのです。 当時、父の仕事の都合でアルゼンチンに滞在していて,,当時のことは記憶に深く残っています。ブエノスアイレスでも時折、空襲警報がなっていました。あくまで万が一の練習だったと聞いていますが,, 友人のお兄さんがマルビーナスに兵士として向かったことから、この戦争がトテモ身近なものだった。でなければ遠くの出来事として何事もないように感じるほど、報道は規制されていました。テレビでは白い鮮やかな軍服の兵士が子供を抱きかかえ、アルゼンチン勝利を、、という華やかな宣伝が何度も何度も流されていました。始まった当初はマルビーナスの地図の書かれたアルゼンチンの勝利を 願うTシャツを着て盛り上がっていました。知ることの出来なかった現場での出来事、兵士達の帰還した後のことが克明に描かれていました。 歴史の中で蓋をされている多くのことが少しずつ映画化されています。表現の自由が保障された今だからこそ出来る制作。想像はしていたのですが,,実際、映像で見て凄くショックでした。アルゼンチン人の友人に「気になってはいるけれど見られない」という人も数多くいます。身近な人が関わっていたら尚更でしょう。友人のお兄さんは無事帰還したものの,,狂ってしまったということを風の便りで聞きました。この映画を見て、その理由を思っていました。 残されたものの悲しみや苦しみに対して、複雑な気持ちになることは溢れています。無神経な人々が握る権力。無神経だからこそ多くの人を踏んづけて権力を握れる。今、ベネズエラのジャーナリストと制作しているドキュメンタリーは、そんなことがテーマになっています。
2006.02.01
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