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今晩は。今日は、まま暖かい1日になりました。午後から、我が家の花壇(?)の植木鉢等の移動や整理をしていました。 今は、ビオラやゼラニューム、スイセンが咲いています。それに、えんどう豆の花が咲いています。あともう少しで、シンビジュームが咲きます。 昨年暮れに、種まきしていたほうれん草やこかぶ、葉大根なども収穫時期をむかえ、ときどき食しています。プランター栽培ですが、畑で育てたのと変わりません。 ・・・・・ 今夜は、宇治植物公園で撮った写真の残りが、3枚ありましたので掲載します。 タペストリーです。今年は丑年なので、牛が花等で模られています。 鉢植えの木ですが、このような花が咲いていました。2mくらいの樹木ですが、名前はわかりません。ずっと前に、一度紹介した気がします・・・ 明日の朝はまた、栗林公園内の写真紹介をします。 そして明日は、歴史ウォーク(京都市内)ですが、8時には家を出ます。いつもよりも、1時間以上も早い待ち合わせで、幕末関連の場所を散策予定です。
2009/02/28
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おはようございます。今日は晴れたり曇ったりの天気になりそう・・・雨は心配なく、気温は13度を予想していますね。 今朝は、お花の写真でも・・・ 上の2枚は、1年ほど前でしたか、紹介した「室町椿」です。平等院の池の改修工事(?)をした際に出てきた種子を、見事に開花させたようですね。 今日と明日は、バイトが休みです。連休は、これまでほとんどありませんでしたが、新採用の方も入り、少しずつ休みも多くなりつつあります。 その分、運動不足になりますので、散策に、カラオケ(?)にまた時間をかけなければいけないかも・・・(笑い)
2009/02/28
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今日は、昼少し前から雨が止みました。バイトから帰る頃から、小雨程度は降っていました。帰宅後、確定申告のため、近くの体育館(税務署員が移動出張で来られていましたので)に出かけました。 年金とバイト代で、税を払うことになってしまいました。カラオケ代、何回分になるんでしょうか。まあ、日本国民ですから支払い義務はありますね。 そして、ワイフがバレーボールの練習が休みでしたので、午後から二人でカラオケに・・・昨日、ワイフの方は、午後からバドミントン、そして夜はバレーボールの練習試合がはいっていましたので、そのため今日は休みになりました。 で・・・いつものように、以下の写真のようなモノを注文して・・・6時間半ばかり。 菜食主義というわけではありませんが、歌うときは肉類は注文しないようにしています。口の中が、油っこくなります。鶏肉は多少入っていますが。そのほかエビなど海の幸が何種類か包み込まれています。まあ、アルコール類はそれほど飲めませんが、喉が渇くのでソフトドリンクなど飲んでいます。 今日は、飲み放題を含めて、締めて7619円(5%引き後)・・・ワイフと行くときは、1回につきこれくらいの出費になります。 でも、税金は痛かったなあ。(笑い)
2009/02/27
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おはようございます。今朝は、3時半ころから小雨が降りだしました。今日は曇りで、雨が降ったり止んだりかも・・・寒さは、あまり感じません。 今朝もまた、高松市内の「栗林公園」からの写真紹介です。 鶴亀松というようですね。 また、いつものようにネットから借用しましたので、ご一読ください。「栗林公園は、寛永中期(1631頃)生駒家が当地の豪族であった佐藤家の庭をもとに南湖一帯を築庭し、さらに寛永19年(1642)に入封した松平家が5代100年余りをかけて拡大、修築を行い延亨(えんきょう)2年(1745)に完成した。松平家11代228年間下屋敷として使用され、明治8年(1875)3月16日県に移管され、一般に公開された。四国で唯一の特別名勝である。 公園は南庭と北庭とにわかれ、南庭は江戸時代初期から中期に見られる回遊式大名庭園として優れた地割り石組みを有し、北庭は元禄年間(1688~1704)に造園され鴨場として使われてきたが、明治末から大正初期にかけて近代的に整備改修された。 なお、昭和63年度まで北庭にあった高松市立美術館の跡地は、平成5年に鴨引き堀が復元され、平成14年に閉園された栗林動物園の跡地は、発掘調査の後、平成18年に管理棟と駐車場が整備された。」 100年もかけて完成させたという「栗林公園」・・・やはり日本有数の公園ですね。これまでにも、日本三名園と言われている水戸の偕楽園、岡山の後楽園、金沢の兼六公園を見ましたが、決して見劣りするものではありませんね。 そのほか見た庭園として、熊本の水前寺成趣園(水前寺公園)や、彦根城の玄宮園(?)も見事な庭園でした。 また、小規模ながら、神社仏閣内の名庭園も挙げれば切りがありませんね。
2009/02/27
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今晩は。午後から、晴れてきましたね。カッターシャツにセーター姿でも、寒いとは感じませんでした。相も変わらず、時間を有効に使ってお出かけでした。 今夜は、「鬼瓦の部屋」写真集の表紙の紹介です。とは言っても、これが必ずしも表紙になるとは限りません。もっといろいろ作ってみて、その中から選択することになるかと思います。 したがって、取り敢えずは、最初に作った「表紙」です。 2枚を組み合わせます。鬼瓦が、ちょっと多かったかも・・・ この写真は、PC画面をそのまま撮りましたので、細かい線などが入っています。撮り方にも寄るのでしょうが、下の方ははっきり見えていますね。どうしてこうなったのか、よくわかりません。 まあ、これからもいろいろと作ってみたいと思います。
2009/02/26
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おはようございます。今日は、天気が回復するようで、少しは暖かくなるでしょうか。日中は、12度前後を予想しています。 今朝から数回にわたり、高松市内の「栗林公園」内の風景写真などを紹介しようと思います。以下の写真は、1月2日に撮りました。 説明等は次回あたりからで、いつものように、ぼちぼち紹介していくことにします。 ・・・・・ 今年も、確定申告の時期に入りました。明日、税務署の方から近くの体育館に臨時の出張所を設けます。PCを使って申告してもいいのですが、ONIGAWARAの場合、20年度の申告に聞きたいこともあり、明日、出かけてみようと思っています。 昨年は、出かけた分(足を運んだ分?)が還元されました。(笑い)
2009/02/26
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おはようございます。今朝、3時頃から雨になりました。今日はまた、1日中雨になりそうです。気温は、8~13度くらいとか・・・ 今朝は、法然寺から最後の写真紹介です。 ONIGAWARAに似て(?)、立派な鬼瓦ですね。 これも、同様ですね。 大きな「わらじ」ですね。あちこちの寺社で、見ています。わらじのあるところ・ないところは、お寺さんの宗派によるんでしょうね。 梵鐘は、真ん中の写真の2階部分にあります。 以下に、先日のネットの続きを・・・ 法然寺は、専修(せんじゅ)念仏興行の故(ゆえ)をもって四国配流(はいる)となった上人がしばらく逗留(とうりゅう)されたという讃岐小松庄生福寺の遺跡で、のち高松藩主松平頼重(まつだいらよりしげ)公が菩提寺として寛文十年(1670)に一寺を建立されたことにはじまる。ここには法然上人の四国逗留中にまつわる各種の伝承があり、また2・3の特徴ある御影が残されている。 (この記事は総本山知恩院発行 月刊『知恩』2005年12月号に掲載されたものです) 一部省略していますが、上掲に出てくる「御影」というのが3枚あり、今回は掲載していません。(念のためですが、これまでの説明文の中に、それぞれ1枚ずつ掲載されていました。) 次回から、高松市の栗林公園からお送りします。今朝も、早出です。小包の方はゆっくりしてもいいのですが、別の部署ではそうはいきません。
2009/02/25
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今晩は。今朝9時頃から降り始めた雨は、まだ降ったり止んだりが続いています。夜遅くまで、このような状態が続くと思いますが、あまり降っても決していいことはありませんね。植木鉢の受け皿(?)が、雨でいっぱいになっています。 時々は、受け皿の水を捨ててはいるものの、あまり溜めておくと植物の根腐れを起こしますね。気をつけてはいますが、昨年購入した「ハマナス」の木は、すでに枯れかかっています。冬の間は、10日に1度くらい潅水していました。こちらの気候では、無理なのかもしれませんね。昨年は、花は咲きましたが、結実しませんでした。 さて今夜も、お花の写真を掲載することにしました。 先日、宇治植物公園で80枚ばかり写してきましたが、あと1~2回で終わります。明日は、法然寺の最後の写真を掲載します。
2009/02/24
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おはようございます。今日も、昨日とほぼ同じような天気でしょうか。新聞の天気予報欄では、お昼前あたりから雨になりそう。気温は、11度くらい・・・ 今朝は、話だけの紹介に終わっていた中国南部原産のお花、「ミケーリア」の紹介です。昨夜、ちょっと遊びすぎて「法然寺」境内の写真登録を怠けていました。 そのため、急遽、お花に変更になりました。 ミケーリア:モクレン科・・・・・そういえば、お花自体は、モクレンの花そのものって感じがしますね。木自体からみれば、日本にあるモクレンの木とは似ていません。 モクレンの中国名は、深山含笑というようですね。「深山含笑」・・・と書くのは、単なる当て字なのか、意味があるのか、さっぱりわかりませ~ん。 今日はバイト後、近くの公園でボランティア活動ですが、雨が心配。
2009/02/24
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今晩は。5時半を回っても、まだ明るく、日が長くなってきました。1日1日と、春が近づいてきました。北国では、猛吹雪のところがあるっていうのに、日本も広いと言えば広いんですね。 さて今夜は、日本では、温室でしか育たない外国産の果物たちを紹介します。宇治植物公園にあった以下の果物たちです。 ブシュカンは育ちにくいと思いますが、さすがに、公園の技官さんたちは、きちんと実をならせています。 チェリモヤは、初めてみました。それほど大きくない木です。ONIGAWARAの背丈より低いですが、生産国では大きいのでしょうね。 フトモモは、2mを超える木です。たくさんのきれいな実がなっていましたね。こういうのを見ると、育ててみたいですね。我が家には、鉢植えのスダチ、レモン、キンカンの木があります。ですが、近所の子供たちのボール遊びのため、いつもなった実は落とされてしまいます。 キンカンのみが、まだましです。スダチやレモンは、ONIGAWARA同様(?)にデリケートな木ですね。(笑い)
2009/02/23
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おはようございます。昨日から、降ったりやんだりの雨が、現在も降っています。今日は、昼ごろまでこのような天気が続く予報です。また昨日は、暖かくなる予報ではありましたが、寒い1日(ONIGAWARAの体感温度)となりました。今日は、昨日に比べれば、3~4度低めの予報となっています。 今朝は、何やら夢でも見ていたのでしょうか。3時40分ころに目覚めてしまい、そのまま起き出してしまいました。 したがって、少し早めのブログ登録です。今朝も、法然寺境内からお送りします。 上の3枚は、御廟の場所から、仏生山の町並みを見たところです。大分、暗くなってきていましたので、写真映像がよくありません。 松平家の御廟です。この上にあります。 順不同で、申し訳ありません。そして、以下の文章は、ネットから借用しています。 法然上人について・・・建永2年(1207)、配流(はいる)の刑によって京をあとにされた法然上人は、長旅ののち、 讃岐(さぬき)国塩飽(しわく)島に着かれた。この地の地頭高階保遠(たかしなやすとお)入道西忍(さいにん)の館で旅の疲れを癒(いや)されたのち念仏往生の道をこまやかに授けられた。そして西忍の心からの歓待に「極楽もかくやあるらむあら楽しはや参らばや南無阿弥陀仏」と詠まれたという(『法然上人伝記』一部省略)。 (この記事は総本山知恩院発行 月刊『知恩』2006年1月号に掲載されたものです。) 今朝は、少し早めに出勤します。多分、忙しい方の部署で、ONIGAWARA一人の配置になっていると思いますので・・・ワイフにいつも言われますが、そこまでやる必要があるのか。団塊世代と言われる、ちょっと前の生まれのONIGAWARAです。
2009/02/23
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今晩は。天気予報どおり、夕方から雨になりました。ただし、気温が上がらず寒くなりました。 今夜は、先日の鬼瓦等の写真紹介で、ヒントを出していた答え「法然寺」境内からお送りします。有名な寺院ですから、やはり正解者がいました。旧高松藩・松平家の墓所でわかったようですね。 いつものことですが、参考までにネットから借りてきました。法然上人について、多少なりとも、知っていただければと思います。 讃岐(さぬき)における法然上人の生活はわずか一年未満であったが、各地に念仏を弘(ひろ)められていたようである。地元の法然研究家である近兼和雄氏や米本仁氏らの調査研究によれば、上人念仏行脚(あんぎゃ)の旧跡は満濃(まんのう)町を中心に宇多津(うたづ)、丸亀、綾南(りょうなん)など十六ヶ所に及ぶとされ、また伝承、伝説を十余話紹介されている。その中の一つが「滝宮(たきのみや)念仏踊り」である。念仏踊りは滝宮神社、滝宮天満宮に伝えられているもので、行基の開創伝承及び菅原道真にその源を求める伝説がある。のち法然上人がこの踊りに振り付けをされ、雨乞(あまご)いを行われたという。 (この記事は総本山知恩院発行 月刊『知恩』2006年2月号に掲載されたものです) 法然上人について、ネットからの借用は、また次回に紹介したいと思います。 今日は、何時間、PC前に座っていたことか・・・新機種が出たばかりのPCは高かったですが、ここまで使うとPCも安いものですね。ちなみに今日は、木喰上人の彫られた木喰像について調べていました。
2009/02/22
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おはようございます。今日は、いつものようにメンテの日です。そのため、ゆっくりとPCに向かっています。 今日の京都・南部の天気は、晴れから雨の予報、降水確率0~60%、気温は14度と暖かい1日になりそうです。 今朝は、昨夜のブログ登録段階で、どこのキーに触れたのか、突然ログオフになってしまい、結局は登録じまいになってしまいました。当たり前のことですが、ログインにして登録を試みましたが、残念ながらすべて消えてしまいました。 そんなわけで、今朝は、改めてお花の写真を紹介しようと思います。 上の花は、白と赤のカリアンドラでしょうか。 見慣れた花ばかりですが、普通に撮ってみたり、アップしたりすると、どこか違った感覚で見ることができるのではないでしょうか。
2009/02/22
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おはようございます。今日は曇り、気温は8度前後を予想しています。2月も下旬に入ったとは言え、春はもう少し先のようです。でも、木々は確実に春の様子を示していますね。 今朝は、「鬼瓦」等の紹介です。次回に、お寺さんの名前を紹介します。知っている方がおられたら、どこのお寺さんかお答えください。 面白い顔の「鬼瓦」でしょう? ONIGAWARAが、笑ったとき、困ったとき、悲しいときの顔に似ているでしょうか。 これで、わかってしまったかも・・・ ヒントは、このお寺さん、善通寺同様、立派なお寺さんです。そして、四国は、旧高松藩・松平家の菩提寺になっています。 ここまで言ったら、わかりますね。 今朝も、いい汗かいてきます。
2009/02/21
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今日は。雨が上がったようですが、でもまだ降りそうな空模様です。こんな日は出かけず、ONIGAWARAには不似合いなお勉強(?)でもしようかな、なんて思ったりも・・・ とにもかくにも、調べモノがたくさんあり、どこから手をつけようか迷っています。ヤフーにして、グーグルにしても、項目は数え切れないほどありますが、それでもまだ調べるには事欠くこともあります。 先日、ひょんなことから付録本の「先代旧事本紀」などに目を通していたら、あまりにもチンプンカンプンなことが多くネットで調べていました。 調べ始めたらなかなか止まらなくなり(どうでもいいことなんですが)、つい夜更かしになったこともありました。(笑い) PCを離れる前に、果物の木でも紹介しようかと思います。宇治植物公園の温室にある、カカオの木とパラミツの木です。 カカオもパラミツも、面白い実のなり方ですね。もう一つあるのですが、デジカメで撮った最後の方になっていますので、次の機会にでも紹介します。 上のはおまけですが、リュエリアコロラタでしょうか。よくわかりません。
2009/02/20
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おはようございます。昨夜からの雨が、まだ降り続いています。今日は、雨の1日になりそうですね。降水確率は60~30%、気温は13度の予想です。 今朝は、富田神社から300mほど離れた、「古枝前方後円墳」の紹介です。 上3枚が、向かって右側から写した古墳全体像です。 案内板が、少し見にくいため、いつものようにネットから借りてきました。 「四世紀中頃近くになると、雨滝山の南西の山麓に古枝古墳が出現する。この古墳は、丘陵の先端を利用し、前方部を北にした全長約35メートルの前方後円墳で、直径20メートル の後円部を大川町の平野部に向け、後円部は前方部より高く、前方部がバチ形に開くという古い形の古墳である。 墳丘には葺石はあるが、埴輪はまだ発見されていない。後円部には、主軸に直交して東西の向きをとる竪穴式石室と粘土槨の二つの埋葬施設があった。 全長4.47メートル、幅0.8メートルの竪穴式石室からは、副葬品として、小玉五個、管玉三個、直径11.2センチメートルの方格矩四神境一面が出土した。表土から2メートル下で、竪穴式石室の南側に、平行して全長4.4メートル、幅1.1メートルの粘土槨があり、全長3.35メートル、幅1.1メートルの木棺があったことが推察できる。 木棺内の西の頭部周辺より、小玉と管玉、遺骸に向けて木棺壁に斜めに置かれた直径14.5センチメートルの三角縁人物獣形鏡一面と、頭部粘土槨外側より鉄鏃二個が発見された。保存状態も良好で、埋葬施設や副葬品など詳細な特徴がわかる県内でも有数の貴重な前期古墳である。」 現在も、良好な形で残されています。 今朝は、久しぶりに雨の中の出勤になりそうです。一時的にでも、止んでくれるとありがたいのですが、どうでしょうか。
2009/02/20
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今晩は。今日もまた、寒い1日になりました。今朝は、出勤前、いつもはそれほど寒いとは思ってはいませんでしたが、今朝だけは”寒さ”を感じました。日頃は、少し”寒い”という表現をしていましたが、今朝は全く違っていました。風邪気味? いえいえ、それはありません。 今夜は、観葉植物を紹介したいと思います。 皆さん、よくご存知ですね。ポトスです。家では、小さい葉のものしか育てていませんでしたが、植物園では何倍もの大きさの葉に育つんですね。種類が、違うのかな。 ツユクサ科のお花のようですね。 これは、?です。 ヤブコウジ科のようです。 今日は、夕方まで韓国ドラマを観ていました。韓国ドラマは、それほど観ているわけではないのですが、けっこう面白いではありませんか。 ワイフがドラマが好きなものですから、ワイフに途中まで付き合いました。その後は、ワイフはバドミントンに出かけました。 夕食後は、今度はバレーボールの練習試合に出かけるようです。まあ、健康であればこそできること、怪我のない様にだけは気をつけて欲しいものです。 実は、退職後に「ハングル語」を勉強しようと、NHKの教材を10巻ほど購入していました。これから、少しずつでも、ハングル語に親しむことになりそう・・・ ずっと昔でしたが、奉職する前(大学院時代)には、あるところで(韓国の方々の援助団体)2年半ばかり勤務したことがありました。現在は、すっかりハングル語からは遠ざかっています。ちなみに、スペイン語の教材も・・・これは、勤務上、多少、必要でした。 まあ、そうしたところを離れてしまえば、いつの間にか外国語も忘れてしまいます。もう一つ付け加えれば、高校2級英語教員免許も持っています。したがって、哲学科でもありましたから、ドイツ語、ギリシャ語、ラテン語も一応は・・・ でも今や、これらの語学は、遠~い遠~い昔になってしまいました。(笑い)
2009/02/19
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おはようございます。今日は、曇り空の天気になりそう。気温も10度前後で、昨日とほぼ同じような予報ですね。 今朝は、津田八幡宮(石清水神社)からの帰り道に寄った、「富田神社」の紹介です。ですが、もう一つはっきりわからない神社です。 大きな楠です。1000年を超えているとか・・・ この富田神社についての詳しいネットは、なかなか見つかりません。秋季祭などについては、たくさん載っているのですが・・・ 案内板による祭神は、品陀和気尊(ほんだわけのみこと)=応神天皇、帯仲彦尊(たらしなかのひこのみこと)=仲哀天皇、息長帯日売尊(おきながたらしひめのみこと)=神功皇后ということですね。 天皇とか皇后の「御名」・「異称」の読み方は、難しいですね。ちなみに、応神天皇は誉田別尊(ほむたわけのみこと)、仲哀天皇は足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)、神功皇后は気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)とも書きますね。 ああ、ややこしい・・・でも、○○天皇とか○○皇后とか言うよりも、○○尊とか○○命と言った方が、ずーっと神様に近く聞こえますね。 ついでながら、「古事記」、「日本書紀」により、多少、漢字の使い方に差異があるようですね。
2009/02/19
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今日は。 先ほど、バイトから帰りました。お天気はいい方ですが、外気温度が10度前後ですから寒いですね。そんな中でも、ONIGAWARAは元気に出かけたりしています。 このブログを登録したら、いつものように、またお出かけです。今日は、ワイフがバレー教室休みです。それで、我が家の近くに2~3ヶ月前にできた「さぬきうどん店」に、昼食のため一緒に出かけます。ONIGAWARAは、先日、1度行っていますが、ワイフは初めてです。その後は、カラオケかな。 どんな花が咲くんでしょうか。 ラン科の花ですね。 名札でもついていないと、さっぱりです。 観葉植物も、こうして見るときれいですね。
2009/02/18
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おはようございます。今日も、気温10度を割る寒い日になりそうですね。 さて今朝は、「道の駅・みろく」にある「水臼・延命石」の紹介です。これは、モニュメント? でも、何やら、御利益がありそうな・・・ この道の駅には、レストランと物産館がありますが、時間制限があります。道路を渡ったところにも、何やらあったんですが、行った当日は閉まっていました。 右上に少し見えるのが、「みろくしだれ」でしょうか。 ここは、讃岐と阿波を結ぶ四国最古の官道「南海道松本駅」があった地と言われています。北には、先日紹介した、四国最大の前方後円墳「富田茶臼山古墳」があります。そして、これも紹介しましたが、キャンプ場や温泉、スポーツ施設等のある「みろく自然公園」が近場にあります。 今朝は、区切りのいいところで・・・
2009/02/18
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今晩は。今日は予報どおり、寒い1日になりました。時折、小雪が舞ったりもしました。 今日はバイトが休みでしたので、12時前に植物公園を訪ねました。久しぶりにお花の写真でも・・・と思いつつ、珍しい花を探しながら温室を回りました。 まあ、ほとんどが見慣れた花ばかりでしたが、一つだけ中国原産のお花が目に付きました。近いうちに紹介しようと思いますが、今夜は、以下の写真の紹介です。 皆さん、おなじみの花ばかりです。 アップするとまた、いいですね。明日もまた、お天気はそれほど変化はなく、寒い1日になりそうですね。インフルエンザや風邪が流行っています。お気をつけてくださいね。 ONIGAWARAの場合、現在のところ、インフルエンザも風邪も寄ってきてはいないようです。
2009/02/17
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おはようございます。今朝は、少し冷え込んでいます。今日も、昨日同様に、寒い1日になるのでしょうか。 早めに、目が覚めてしまいました。 今朝は、さぬき市内の「津田八幡宮」(石清水神社)の紹介です。この八幡宮については、詳しい案内がありません。京都府八幡市の石清水八幡宮と関わりがあるのではないかと思いますが・・・ この八幡宮は、以前、紹介した「津田の松原」の側にあります。いくつか、ネットを調べましたが、祭神等の案内が見つかりません。再度調べて、あればまた紹介したいと思います。 ・・・・・ 諦めずにもう1度調べていたら、以下の案内を見つけました。 津田の松原は往古には津田から白鳥に至る道端の松並木程度であり、いつのころよりか常楽寺の住僧が燃料用または防風林としてあちこちに植林していった。そして慶長5年(1600)3月に石清水八幡宮が(現)神野から常楽寺の隣接地に移転するのに合わせ、氏子たちにより大規模な植栽が行われたのが始まりといわれている。(※常楽寺は明治2年、神仏分離のため廃寺となる。) でも、これだけの神社や八幡宮ですから、ネットのどこかに載っているはずですね。
2009/02/17
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今晩は。今日は、昨日と打って変わって寒い1日になりました。明日もまた、同様の天気のようですね。 午後から、ONIGAWARAには珍しく「面白すぎる日本神話と古代史の謎」という本に目を通していました。いつものように、自分の読みたい箇所だけに目を落としていますが、???の箇所が多いです。このあたりの書物を読む場合は、やはり「古事記」や
2009/02/16
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おはようございます。今朝は、それほど寒いことはありませんが、今日から少し寒さがぶり返すようですね。 昨日は、日中、何度あったのでしょうか。新聞では、14度と書かれていたんですが・・・ウィンドブレーカーを着て出かけたのですが、途中から半袖のブレーカーに替えて歩きました。でも、汗、汗、汗・・・ 途中、竹林公園があり、昼食がてら涼をとりましたが、以後また、汗だく・・・帰路途中、京都駅八条口の商店街が一新した「竹・・・」で、従兄弟と軽く(?)一杯・・・ ・・・・・ 今朝も、昨夜に続いて「富田茶臼山古墳」の写真紹介です。 朽ちれかけた「木製の鳥居」です。 この小屋みたいなのは、風速30mくらいで倒れてしまいそうです。 年代モノの「燈篭」でした。 何を祀っているのでしょうね。 逆方向から見た古墳です。表現に困ってしまう・・・「鳥居」と言っていいのでしょうか。 降りるとき・・・中央の人影は、娘です。 公園から眺めた、富田茶臼山古墳でした。案内については、昨夜、ご覧いただいていますね。 先日のマーキー同様、こんな面白いやり方があるんですね。
2009/02/16
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今晩は。今朝はいつになく、長いメンテでしたね。歴史ウォークに出かける時間までに、まだ終わっていませんでしたので、出かけてしまいました。 それにして、今日は暑かったです。何度あったんでしょうね。 ・・・・・ まあそれはそれとして、6時過ぎに帰ってきました。早速ながら、今朝、紹介しようと思っていたモノを、以下に紹介します。 昨日の「みろく自然公園」から数百メートル離れた「富田茶臼山古墳」の紹介です。 みろく自然公園内の、「みろくの湯」の建物です。1枚、残っていました。 富田茶臼山古墳前ですが、そんなに大きくもない公園になっています。 石段を登る右手にあった、「仏石」等です。 同じく、石仏の手前にあった「弥勒堂」だったと思います。 古墳の石段です。続きはまたの機会に・・・その前に、古墳の全景をご覧になりたい方は、いつものようにクリックしてください。ほぼ完全な形で残っています。 今日の歴史ウォークでは、京都府向日市にお邪魔しました。物集女(もずめ)車塚古墳、寺戸大塚古墳、中海道遺跡、五塚原古墳、元稲荷古墳、長岡宮などを訪ねました。 それで、ちょっと面白いというか、とても読めそうにない町名を一つ紹介して、今夜のブログを終わりたいと思います。 ONIGAWARAのブログ友達である皆さん、さて何と読むでしょうか。「鶏冠井」町です。お答えは、明日の朝にでも・・・
2009/02/15
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今晩は。今日は、2時頃からでしたでしょうか、日が照り始め暖かい1日になりました。 外出から帰り、またまた暇でしたのでPC前に座りました。それこそブログ以外にやることないのかと思われるかも知れませんが、いやいやけっこうやることはあるのです。でも、その前にたくさんプールしている写真も消化しないといけません。 そんなわけで、せっかく、「みろく自然公園」を紹介しましたので、今夜は大サービスします。公園からは、最後の写真紹介になります。 もっと園内を歩けば、たくさんの珍しいモノが見られたと思いますが、ここを訪ねたのは、どうしても見たかった古墳があったからでした。古墳は、明日から紹介することになるでしょう。 公園内にある、「さぬき市歴史民俗資料館」です。また、公園内には温泉「みろくの湯」があります。ただし、お正月中でしたので、資料館は閉館していました。 みろく石穴です。 さぬき市大川町の「みろく自然公園」には、案内図にも見られるように、キャンプ場もあれば、アスレチック・花木園などもあり、四季により楽しむことができます。 時間がある方は、是非、一度行ってみてください。
2009/02/14
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今日は。 昼食後の眠気覚ましに、ちょっといたずら気分でブログを・・・ みろく公園内の池の景色です。 いかがですか。 マーキーって面白いですね。これで、目がぱっちりしましたので、もう少ししたら4時過ぎまでお出かけです。 明日は、歴史ウォークに出かけます。
2009/02/14
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おはようございます。今朝は、雨や風の音で目が覚めてしまいました。3時頃には、けっこう強い雨の音、そして、風が強いため電線をヒューヒューうならせています。 今の時点では、雨の音は聞こえませんが、風はまだ吹いています。午前中は、このような天気ではないかと思います。 さて今朝は、さぬき市の「大川町みろく自然公園」内の紹介です。 大川町に向かう途中・・・ではなかったかな? 公園内の「旧恵利家住宅」です。 いつものように、ネットから借用してきましたのでご覧ください。 国指定重要文化財(昭和46年6月2日) 大川町富田中3277-1 所有者 さぬき市 「旧恵利家住宅」は、香川県に現存する最古の民家で有名である。(構造・手法などから十七世紀末頃建造) 特徴は、当時九州から東北地方まで広く一般的に建てられていた「三間間取り」という間取りに香川県東部独自の様式を加えている点が挙げられる。間口七間奥行三間半の寄棟造り、藁葺平屋で内部は広間型三間取である。向かって右側三間を土間とし、左側四間の内、中央の二間を広間とし、左側の二間を前後に二分し、前部三分の二を八畳の座敷と半間の縁、後部の三分の一、四畳を納戸としている。後に納戸の後方に二間半に一間半の曲家を増築して納戸を広くし、押入れや仏間などが作られている。当時の人々の日常的な暮らしぶりを顧みるにはこれほどの材料はない。広くとれた土間ひとつとってみても、ここで行われたであろう収穫物の仕分け作業が想像できるし、当時の多人数家族を考えると、肌を寄せ合い、裕福ではないけれど、家族の触れ合いが自然と行われていた様子も伝わって来る。 間取り等をもっと知りたい方は、クリックしてご覧くださいね。 公園内の案内図です。広いため、一部しか見ていません。明日の朝には、あるいは今夕にでも紹介しようかと・・・ 今朝は時間がありますので、日本国の借金について・・・2~3日前の新聞でしたか、国の借金が、現在、846兆6905億円あるとか。国民一人当たり、約663万円の借金をしている計算になるようです。 これからも不景気の中、ますます借金が増え、国民に思い税が課せられます。また、高齢者たちには、ますます苦しい生活が虐げられます。国会議員はじめ、霞ヶ関の役人たちの猛省と国民を苦しめない政策が早期に望まれます。
2009/02/14
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今晩は。午前中から雲が多くなり、ときどき霧雨が・・・道路が濡れるほどではありませんが、降ったりやんだりを繰り返していますね。 ONIGAWARAの方は、今、風呂上りでくつろぎながらPCに向かっています。今夜は、先日紹介した「綾川町うどん会館」の側を流れる「綾川」の景色を紹介します。 綾川町うどん会館のシルエット(?)です。 以前はきれいな川でしたが、ダムができてから澱みになり、水が濁っている箇所も・・・ 滝宮神社境内に、昨年新しい「念仏踊り追恩碑」が完成していました。案内にある法然上人の修行石は、以前、紹介しましたね。 上2枚の写真は、ある方にはお話していましたが、実家の所有地(家から少し離れた飛び地)の中に、このようなモノが・・・誰が、いつ建てたものなのか、地元のお年寄りに聞いても、小さい時分からあったということで詳しくはわかりません。 ただ、この近くには、昔、高松奉行所の首切り場所があった・・・という話が耳に入ってきています。調べれば面白い、いや奇怪なことがわかるかもね。
2009/02/13
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おはようございます。今日の京都府の天気は、曇り・・・気温は19度前後と高めの予想です。札幌は、4度の予想ですね。 今朝は、滝宮神社・滝宮天満宮から距離にして700mくらいあるでしょうか。滝宮小学校の横にある岡の御堂古墳の紹介です。 滝宮小学校校庭付近から、古墳の全景(中心より左)を撮りました。 これが、ほぼ全景ですね。 案内板以上の説明は、なかなか・・・それよりか、この岡の御堂古墳をネットで検索していたら、何と「頼政(首)塚」の項目が目に入りました。 源頼政は、以仁王挙兵の際に平家に敗れて宇治平等院で自害した方ですね。多少、このあたりの話は知っていますが、話をこれ以上続けると長くなるのと、出勤前なので、残念ながら次の機会に・・・ ところで、岡の御堂古墳は、今朝の紹介のみで続きはありません。
2009/02/13
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今晩は。今日はいい天気になり、外はまま暖かったですね。皆さん方の地方は、いかがだったでしょうか。でも、来週にはまた、寒さがぶり返してきそうな・・・ 今夜は、「綾川町のうどん会館」の前に立っていた、「滝宮の念仏踊り」の由来の碑の紹介です。いつだったか忘れてしまいましたが、滝宮神社境内の紹介をした折に、「念仏踊り」についての「碑」を紹介した記憶があるのですが・・・ただし、この「碑」とは違います。 もう少し詳しくは、「香川用水史」から借用します。 滝宮念仏踊りは、伝説によると、仁和4年(888年)の大干ばつで農民が苦しんでいるのを見て、時の国司 菅原道真が城山の神に降雨を祈願、断食7日の祈願の結果、大雨が降った。喜んだ農民たちは道真の屋敷の庭に集まり、感謝の踊りを行ったのが始まりだと言われており、後に讃岐に流された法然上人が仏教を広めるため「南無阿弥陀仏」をこの踊りに取り入れたことから、念仏踊りと呼ばれるようになったと伝えられています。 毎年8月25日(昔は7月25日)に滝宮神社と滝宮天満宮の境内で行っており、その前日は傘揃いといって、準備のために勢ぞろいします。踊り役は騎馬、帯刀、長刀、抜刀、棒突き、青竹突き、願成就、下知、かね打ち、太鼓打ち、子踊りなどを加えると数十人にのぼります。当日は、ほら貝を吹くものが先頭に立ち、行列をつくって神社境内に入り、ゲンジ(下知役)の指揮に従い「南無阿弥どうや」のはやし言葉に合わせて踊ります。 ・・・・・ 余談ですが、ワイフと結婚した翌年だったか、当時、ワイフの家の前をその「念仏踊り」の行列が通ったのを見たことがあります。町内何ヶ所からか、同様の踊りをしながら滝宮神社と滝宮天満宮に集結していたようです。ただ、現在は、昔ながらに家の前を「念仏踊り」の行列が通っているかどうか、ワイフもわからないそうです。そうですよね、二人とも「念仏踊り」に合わせて8月25日には、以後、行っていないのですから。
2009/02/12
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おはようございます。今日の京都・南部の天気は、晴れ間も多く、気温は13度を予想しています。 今朝は、四国は香川県・滝宮にある「龍燈院跡」の紹介です。現在は、下記に掲載の碑しか残されていませんが、この「龍燈院」について調べるのにずいぶん時間がかかりました。 道真が讃岐に赴任した当時、綾南町の滝宮神社の境内になっている辺りには行基が開創といわれる龍燈院(りゅうとういん)という寺がありました。道真は、龍燈院の一角にあった官舎に住んだと伝えられています。道真が赴任した当時、龍燈院の一角には讃岐一国の氏神を祀る祠があり、寛平元年(889年)、その祠に道真と龍燈院主とが祇園から牛頭天皇(ごずてんおう)を勧請(かんじょう)して社殿を創建し、それが後の滝宮神社になったと言われています。しかし、明治維新の神仏分離策により滝宮神社は残り、龍燈院は廃寺となってしまいました。その後龍燈院の建物は焼失して、今は神社境内に跡地の記念碑が残されているのみです。 これを調べるのに、ネットを50数件探しました。ウィキペディアでさえも、駄目でした。この龍燈院跡は、滝宮神社と滝宮天満宮の中間あたりにあります。一見、民家のお庭と見間違うほどです。ONIGAWARA自身、何度、この道を通ったでしょうか。四国に来るたびに、この道を通っているのに、今年の元日に初めて気づきました。やれやれ・・・
2009/02/12
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今晩は。夕方から、小雨が降り出しました。 娘の縁談について、双方の親が初対面しました。午後から、我が家に彼氏と彼の両親が挨拶に来られ、縁談の件はお互い隔たりもなく、無事にまとまりました。次回には、結納の日取りへと話が進みました。 両家とも、子供たちの意見を尊重することで一致しました。楽と言えば、楽な初対面でした。でも、ワイフは気疲れしたようでした。(笑い) さて今夜は、今年の元日早朝の高速道路の景色です。京都から四国への道中を、撮りました。撮れたのは、まあ、岡山に入ってからでしたが・・・早朝の3時50分に高速に入り、それまでは暗闇の中を走行していました。 瀬戸大橋に向かう途中です。 鷲羽山の観覧車が、遠くに見えてきました。初日の出が、雲の陰に・・・ 瀬戸大橋を渡る頃、朝日が・・・でも曇り空・・・せっかくの初日の出は拝むことができませんでした。 高松道に入る手前の景色です。結局、府中湖ICで降りるまで、初日の出にはお目にかかれませんでした。府中湖ICは、現在、試験的にETC車でなければ通行不可能です。これまでは、高松西ICまで行っていたのですが、ETC車のため30分ほど時間短縮になりました。 午前0時から4時までに高速に入れば、どこまで走っても、これまでの約半額の高速料金で通過できますので大助かりでした。 また、帰路には、第一週の日曜日だけだったのか検索しないとわかりませんが、各SAの売店のお土産やレストランの食事代もすべて2割引きでした。そのためお土産代も大助かりで、いつもよりたくさん買うことができ、ご近所さんに四国のお土産を配りました。
2009/02/11
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おはようございます。今日は、昨日よりも1~2度暖かい1日になりそうですが、午後からは、所により雨になるような・・・京都・南部、このあたりは雨になる予報ですね。 ところで昨夕は、大変失礼をいたしました。朝のブログで、次回は寂光院最後の写真紹介と言っていましたが、時間があったため「阿波内侍のお墓」を先に紹介してしまいました。申し訳ありませんでした。 ・・・・・ 今日はバイトが休み・・・ゆっくり取り組むことにします。したがって今朝は、正真正銘「寂光院」最後の写真紹介です。寂光院については、昨日の朝のブログをご覧くださいね。 最後に、平家物語冒頭の一節を・・・ 祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。・・・・・ 皆さんご存知のはず。私も中学生のころでしたか、入試に必ず出るということで、「平家物語」、「徒然草」などの冒頭の一節を暗記していました。多少のど忘れはあるものの、今でもまま、覚えているものですね。 以下の写真は、お・ま・け・・・・・ この日は、散策後に京都・三条で忘年会をしました。料理は、これ以外にも次々に出てきました。2時間半の間、よく食べそして飲み放題でした。散会後は、カラオケに行った方もおられたようです。 今日は、娘の彼氏の両親が挨拶に来られるということで、多少、緊張しています。TVドラマなどでは、お見合いの席やら、婚約成立で結納を交わすシーンなど見ていますが、いざ自分の娘のこととなると、頭が飛んでしまいそうになりますね。 ONIGAWARAは何分にも話し下手ですから、あまりしゃべらない方がいいのかもしれませんね。こんなときは、逆に、奥さんたちの方が上手かもしれません。まあ、子供たちの好きな方法でやってくれる方が、ONIGAWARAとしては有難いのですが・・・ 予定とすれば、我が家に来られた後、どこかで皆で飲食しようかという段取りになっています。娘たちはいいのですが、さて親同士は話が弾むかな。何分にも、初対面ですから・・・
2009/02/11
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今日は。外は晴れ間が出て、少しは暖かいでしょうか。午後から予定が入っていましたが、急な用事のため中止せざるを得なくなりました。その後出かけてもよかったのですが、明日のこともありますし・・・ それではということで、PC前に座りました。朝のブログでは、次回に紹介予定ということで、寂光院を予定していました。寂光院は、明日の朝に回す事にして、今回は阿波内侍のお墓の紹介です。 寂光院入り口から草生川沿いに、上流へ歩けば、川を渡ってこの史跡へと続く道があります。通常は鍵がかけられている(?)フェンスがありますが、この日は開いていました。そこから写真のような石段を登ります。 暗いので、明るさを平均化しています。 どれが、阿波内侍のお墓なのでしょうか。真ん中2つのうちのどれかではないかと思いますが・・・(お墓の後ろ側から撮っています。) 阿波内侍は、建礼門院とともに寂光院で暮らしていた女官の1人ですね。女官たちは生活のための収入を得るために、阿波内侍の提案で、京の街中へと「しば」(小枝の薪のこと)を売るため出かけていたそうです。その際に彼女が考案した服装が、今の大原女の姿だと言われていますが、果たして・・・ おそらく、右から2つ目が阿波内侍のお墓かと・・・ 一般の方々は、ここ阿波内侍のお墓まで足を延ばすのは少ないでしょうね。ONIGAWARAも初めて知りました。 それから、暗くてよくわからなかったのですが、阿波内侍のお墓からの帰路、真正面に「???遺跡」の石碑が立っていました。前方20mくらいのところから、アップで撮りましたがはっきりしませんね。後日、調べてみようかと思います。 帰路につくときには、このように空は澄み渡っていました。
2009/02/10
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おはようございます。暖かい朝を迎えました。私の体感気温が、いつもよりそう感じているのかもしれません。居間の温度が16度ですから、あるいは外も少しは暖かいのかもしれませんね。 TVの天気予報では、各地の朝の気温も少し高めですから、まんざら私の体感気温は間違っているわけではなさそう・・・ さて今朝は、寂光院境内からです。 写真左手の枯れた木ですが、これは「千年姫小松」と言うそうです。建礼門院と後白河法皇がこの松の下で対面されたようです。 平成12年でしたか、寂光院が火災に遭いました。そのせいで枯死してしまったようです。 「御案内」板・・・日陰になり、はっきりしません。 アップしてみましたが、読めますか。 新しく建てられた「本堂」です。 「書院」だったように思います。 南蛮鉄の「雪見灯篭」です。伏見桃山城にあったもののようです。秀吉が、天守閣から眺めていたのでしょうか。 「汀の池」(?)です。 次回、残りの写真を紹介します。
2009/02/10
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おはようございます。今日の京都・南部の天気は、晴れから、夜半には雨? 降水確率が10~30%、気温10度前後の予想です。 今朝は、寂光院に到る道端等の写真紹介です。 建礼門院のお墓前から、下った石段です。 落合の滝・・・ 下記の案内は、京都新聞特集アーカイブから借用しました。 京都市左京区大原の寂光院につながる狭い道沿いに高さ八十センチほどの石碑が建つ。風化が進み、彫り込まれた字は見づらいが、古いひらがな交じりで「おぼろのしみず」とある。奥の岩にできた空洞には透明なわき水がたまっており、一部の住民が使っている。 この朧(おぼろ)の清水には、平清盛の二女で、平家没落後、菩提(ぼだい)を弔うため、寂光院そばの庵に移り住んだ建礼門院の悲しいエピソードが残る。美しい容姿の持ち主だったが、おぼろ月夜の時、水面を通して映るやつれた姿を見て、身の上を嘆いたといわれる。 そうしたことが詩情を誘うのか、朧の清水は古来、歌枕として親しまれている。 吉田兼好「大原やいづれ朧の清水とも知られず秋はすめる月かな」 与謝蕪村「春雨の中におぼろの清水かな」 石碑の側面には、石碑の建立者とされる「円観宗清」の名が刻まれている。宗清は平家の残党で後に石屋となり、兵庫に移ったという説がある。だが、大原古文書研究会庶務の上田寿一さん(五九)は「人名事典などでいくら調べても分からない」と語り、謎のままだ。 寂光院の門に向かって・・・
2009/02/09
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おはようございます。今日の京都・南部の天気は、曇りから晴れ・・・気温は10度を予想しています。5時20分ころでしょうか、いつものメンテが終了しました。 今朝は、建礼門院のお墓の紹介です。いつもように、順不同で写真紹介します。なんて言いつつ、一応は・・・ 大原の畑の風景・・・このあたりが、きれいなんだそうです。 いつものように、ネットから借りてきましたが、少しだけ脚色させていただきます。ここが、平清盛と二位の尼・平時子の間に生まれ、後、高倉天皇の皇后となられた平徳子(後の建礼門院)の御陵ですね。 徳子は、1171年(承安元年)、後白河天皇の猶子(ゆうし)となって入内し、17歳の時、高倉天皇の女御となりました。そして、翌年には、中宮になっています。 1178年(治承2年)に安徳天皇を出産します。1181年(養和元年)、建礼門院となっています。 以後、清盛亡き後、源氏が勢いを盛り返し、1183年(寿永2年)源義仲(木曽義仲)が、都に攻め上ってきます。その直前、平家は、六波羅にあった屋敷を焼き払い、西国に逃げていきます。その後は、ご存知の通り、義経の活躍があり、一ノ谷、屋島での戦い・・・そして、壇ノ浦での最後の戦いになりますね。そこで、平家が滅亡します。 壇ノ浦の戦いで、時子、徳子、安徳天皇を抱いて入水しますが、徳子は源氏に助けられます。翌月、京都に戻ったと言われていますね。 (中略)その後は、大原・寂光院にて隠棲されること28年、1213年(建保元年)59歳で崩御します。そして、この寂光院の裏手の大原西陵に葬られたと言われていますね。 今朝は、バイトが休み・・・本日の予定は、珍しく何にもありません。こんな日は、自室の整理整頓か、我が家の花壇(市の側溝上)の手入れに時間を使うことにしています。
2009/02/08
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おはようございます。今日も晴れの予報、気温は10度前後とか・・・ 三千院・・実光院・・勝林院・・と回り、今朝は来迎院の紹介です。 三千院の横の通りを進んで、いざ来迎院へ・・・ 山門です。 本堂に向かう石段・・・ 本堂です。 鎮守堂です。 またまた、ネットから借用です。来迎院は、日本音楽の源流といわれる声明(しょうみょう)の発祥地で、日本天台宗を開宗した最澄の直弟子・慈覚大師円仁が声明の修練道場として開山されたものです。一時期衰退しましたが、平安時代末、融通念仏(一人の念仏と衆人の念仏とが互いに融通しあって往生の機縁となること)の開祖・聖応大師良忍は、円仁が伝えた声明を統一し魚山流声明を集大成しました。この魚山流はその後天台声明の主流となり、良忍上人以後、来迎院からは湛智・宗快・喜淵などの声明評論家を輩出し声明の本山としての血脈を守り続けました。 また、来迎院の北に位置する勝林院も声明音律で有名です。
2009/02/07
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おはようございます。今朝は、少し暖かく感じます。日中は、いかがでしょうか。新聞の天気予報では、晴れから曇り・・・気温は10度前後のようですね。 今朝は、次の来迎院に行く前に、再度、勝林院の蛙股の紹介です。1度紹介したものもありますが、アップすれば気がつかなかったものが見えてくるかも・・・ お魚? 波? 鳥? 翁と花? 翁と? 花と? 後ろ向きの翁と篭? いろいろと・・・? お寺さんの蛙股は、そのお寺さんによりまちまちですが、それでも何かを暗示しているのでしょうね。単に飾り物で片付けてしまったら、面白くも何ともありませんよね。
2009/02/06
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おはようございます。今日も、暖かくなりそうです。気温は12度を予想していますから、昨日より少し暖かいようですね。 今朝もまた、取り混ぜています。と言うよりも、以下の仏像はどこのものだったか・・・勝林院のものだったか、次に行った来迎院のものだったか、忘れてしまいました。 でも、勝林院のような・・・撮った順番では、勝林院だから・・・何とも頼りないONIGAWARAですね。申し訳ありません。 勝林院の入り口付近にあります。法然上人がこの石に腰をかけたかどうか・・・かけたと思えばいいんですね。 大きな彫刻のさらに上の彫刻をアップしたら・・・何でしょうか。上のは、全くわかりません。 今日は歴史ウォークの日でしたが、用事ができ、残念ながら欠席です。Y文化センターの歴史ウォークですが、次回の大和郡山市内に夢を馳せることにします。 11日も出かける予定でしたが、これまた、用事が入ってしまいました。娘の縁談に関することですから、仕方ありませんね。
2009/02/05
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今晩は。今日は、暖かい1日になりましたね。小春日和と言ってもいいくらいでした。それに、またうれしいことが・・・ バイトから帰り2~3分したころ、私がまだ大学院生だったころにお世話になったある先生から、近くに来ているから会いたい旨の電話があり、何十年ぶりかで会いました。 75歳になられ、多少、足腰が弱くなったようですが、まだまだ元気。本当に懐かしく、当時を改めて思い出しました。いつまで経っても、思い出していただけるなんて、ONIGAWARAも幸せです。 また、どうでもいいことですが、自分が勤務していたころの上司(数人)から、どこそこに行ってきたと言ってお土産を送ってもらうことがよくあります。もらうたびに、ONIGAWARAのお茶が恋しくなってきたな・・・とお茶を送り返しています。 当時は、100g2000円するお茶(玉露茶と玉露のかりがね)をブレンド(200g4000円)して飲んでいましたから、上司もその味を覚えていてくれます。お茶が恋しくなれば、ONIGAWARAを思い出すのかもしれません。 それにしても、安心して「長」でのさばっておられたのは、ONIGAWARAのおかげなのに・・・と、いつもお土産を送ってくるたびに、思い出しては苦笑いしています。 そんなことは、全くどうでもいいことですが、今夜も「勝林寺」境内からの写真紹介です。 この散策には30人ほど参加して、にぎやかで、楽しい1日になりましたね。12月7日のことでした。 明日は歴史ウォークの日なのですが、用事ができてしまい、残念ながら欠席することになりました。
2009/02/04
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おはようございます。今朝は、薄く霧がかかっています。日中は少し暖かくなりそうで、気温は11度を予想しています。 さて今朝は・・・いろいろと取り混ぜて紹介します。 遅れてしまいましたが、三千院の案内板です。日本語はもちろんですが、英語、中国語(?)、ハングル語で書かれていますね。それだけ、外国人の訪れが多いと言うことでしょうね。 京都では、ハングル語の案内板がたくさんみられます。 三千院の門前から、勝林院に向かう途中にあります。 法華堂の前の、実光院だったと思います。門構えだけ撮りました。 桜をかたどった鬼瓦ですね。 上2枚は、勝林院への途中の「藪」とまではいかない疎水のそばです。 勝林院の前から、通ってきた道を振り返ったところです。 次回は、勝林院境内からお送りします。
2009/02/04
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今晩は。今日は夕方よりも早く、お昼過ぎから雨になりました。雨が降るたびに、春が一歩一歩近づいてきていますね。 今日は節分、各地で豆まき行事が行われたと思います。我が家から、車で1時間弱の大阪府寝屋川市の成田山不動尊でも恒例の豆まき式があり、約3万人の参拝客があったようです。 特設舞台から、約2トンの落花生などがまかれたようです。この成田山不動尊では、通常は「福は内、鬼は外」の掛け声でまかれますが、面白いことに、不動尊のいる境内に鬼はいないということで、「福は内」だけの掛け声で落花生などがまかれたそうです。 全国の不動尊でも、同じようなまき方で、豆まき式が行われたのではないかと思いますね。 ・・・・・ さて今夜は、京都市左京区大原にある、「勝林寺」の蛙股などを紹介します。勝林寺は、三千院のならびにあるような所です。順序から言えば、境内等から紹介しようと思いましたが、半端な枚数でもありますので、すべて掲載したいと思います。 珍しいと思われるものは、その部分だけアップして、境内を紹介した後にでも再度掲載します。彫刻するだけでも何年もかかったと思いますが、大して道具のない時代によくもまあ、と驚かされます。先人のすごさは、改めて感心しますね。 全体的に言っても、神社仏閣の彫刻には、目を見張るものがあります。「鬼瓦」も然りですが・・・しかし、当時の権力者というか、政治を司った方々には、度量があったんですね。今の政治家たるや、金銭欲だけの連中ばかり。悲しいですね。
2009/02/03
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おはようございます。今日は夕方あたりまで曇り、以後は雨になりそうですね。気温は、11度を予想しています。 今朝は、三千院境内から、最後の写真紹介です。 これは、中に入って撮ったわけではなく、デジカメをアップにして外から撮りました。 これも少し変わった顔の鬼瓦ですね。 これも、多分、三千院の中の鬼瓦だったように思います。 三千院を3~4回に分けて写真紹介しましたが、いかがでしたか。ご満足いただけたでしょうか。でも、案内不足だったですね。毎度のことで、申し訳ありません。 さて、今朝もいい汗かいてきましょう。
2009/02/03
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今晩は。今日も、あと数時間で終わります。1月もあっという間に終わってしまいました。今月は28日しかありませんので、これまたあっという間に終わってしまいそうです。 老後の生活・・・1日が終わるのが、ますます早く感じるようになりました。そして、老後の生活にあわせたわけでもありませんが、社会情勢もますます不安のどん底に陥った状況の中で、国民の生活はどのように変わっていくのでしょうか。 私はまだましな方ですが、現在、働き盛りの方々がリストラされたりしています。国が面倒を見てくれない限り、こうした方々は今後どうなるのでしょうか。 全く見通しのないまま、家族を抱え途方にくれている方も多くなっていくのではないかと、懸念しています。 国の政策に、つい愚痴を言いたくなります。国債の発行もうなぎのぼり、自国の国民を考えずに、他国への援助はこれまたうなぎのぼり、そして増税を何かに上乗せしようとするやり方。自民党にしろ、民主党にしろ、各政党の議員たちよ、もっとしっかりせいと檄を飛ばしているONIGAWARAです。 ・・・・・ ONIGAWARA一人がここで騒いでも、何のつっぱりにもならないので、昨年12月に行った「三千院」の境内写真でも、続けてご覧いただこうと思います。 三千院の紹介も、明日の朝、もう1回掲載して終わりになります。その次は、どこになるでしょうか。 ”朝ぼらけ 漕行く跡に きゆるなみのあわれ 誠に浮世なりけり”・・・・・なんて。新拾遺集だったかな。
2009/02/02
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おはようございます。今日の京都は晴れ、気温は11度を予想しています。昨日より、2~3度高めです。 今朝も、三千院境内からの写真紹介です。 昨日は、京都市伏見区内の幕末維新史の総決算ともいうべき鳥羽・伏見の戦跡を訪ねました。これまでは、一人で1~2度訪ねてはいましたが、お寺の境内、また案内板や石柱を見ただけでした。今回は、住職さんからの説明などもしていただきましたし、それにどうしても見たいと思っていたモノを見ることができ、またデジカメに収めることができて、本当にいい散策でした。 このブログでも、すでに紹介済みのモノがありますが、その他にたくさんの珍しいモノをデジカメに収めてきました。 1例として、どうしても見たかったお寺さんに飛び込んだ不発弾、浄土宗最古の木魚・・・等でした。いずれ、このブログでも紹介したいと思いますが、早くても来月に入ってからになるでしょうか。 それまでに、プールしてある写真を、何とか消化しようと思います。
2009/02/02
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おはようございます。今日の京都・南部の天気は、新聞記事によれば「曇り」のようです。降水確率も40%前後になりそうですから、外出には雨具、傘が必要ですね。 今朝はメンテ・・・5時30分~40分くらいに終わったのでしょうか。メンテが終わるまで、ネットのニュース欄をみていました。 女子高生が出産直後に、刃物のようなもので赤ちゃんを殺害した・・・親も教師も、少女の妊娠に気づかなかったとは、あきれますね。 20年も前になりますが、あるトコロに勤務していたとき、上記の少女と同じ17歳の少女が妊娠していることに、男子の先生が気づきました。女子の先生にその旨話したところが、まさかと取り合ってくれません。そこで、医務課の職員に連絡し、検査してもらったところが「妊娠7ヶ月」・・・体調の異常に本人も気づかず、運動もみんなと一緒にしていた、女子の先生さえも気づかなかった等・・・が重なったものでした。でも、その後、きちんと出産に向けて体調管理等に気遣い、無事に女児を出産しました。こういうケースの方が、どちらかと言えば少ないですが、上記のような状況にならないうちにも、親や兄弟、先生などが気づいて欲しかったですね。 話がそれてしまいましたが、今朝も懲りずに三千院の境内からです。 これは、特別に許可をいただいて撮らせていただきました。香炉のような・・・それで、近くにいたお寺の関係者に断り、撮らせてもらったというわけです。 上2枚の写真は、ガイドブックなどでお見かけになっているかもしれませんね。少し角度が違いますが・・・ 今日はまた、歴史ウォークに出かけます。今月は、このほかに5日、11日(行けない場合があるかもしれません)、15日・・・と続いています。 またまた話が変わりますが、京都府福知山市に、大江町鬼瓦公園というのがあるそうですね。その他に、日本の鬼の交流博物館があるとか・・・ 2年前に福知山市に行ったのですが、この公園や交流博物館のことは知りませんでした。鬼瓦のモニュメントが並ぶ「鬼の回廊」を、一度は見たいものです。
2009/02/01
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