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なんか涼しい素材で出来たパジャマ(兼部屋着)みたいなものが欲しいなと思い、ユニクロでそんな感じのものを買ってしまいました。 買ったのは、鹿の子のようなシャリシャリした布地で出来ているもので、上は基本、丸首のTシャツなんだけど、ちょっと切れ込みが入っている奴。下は半ズボンみたいな感じです。 で、家に帰ってから実際に着てみたんですけど、ひゃー軽くて軽快! 暑い時期の部屋着としたら最高ですね。気に入っちゃった! で、得意になって鏡の前に立ったところ、我ながら若々しい。何だか、中学時代の自分のようだなあ・・・。 ・・・と思ったら、思い出しました。この恰好、何かに似ているような気がしていたのですが、そうそう、中学時代、バスケットボール部にいた時のユニフォームにちょっと似ているんだ! ま、バスケ部ですから、実際のユニフォームは袖無しでしたけどね。 でも、それを思い出した途端、気分はもう現役バスケ選手です。両手を広げてディフェンス! チーム・メイトがボールを奪った! よし! ダッシュ! ロングパスが回ってきた! ドリブルで相手ディフェンスを抜く! 最後は釈迦楽選手得意の秘技! 半回転シュートで決まり! 唖然としながら見つめる家内を尻目に、(空想上の)試合終了直前大逆転シュートを加齢に・・・いや、華麗に決めたワタクシだったのでした。 いや~、服が軽くなると、気分もフットワークも軽くなるねぇ! ちなみに、ワタクシは中学時代、今はミュージカル俳優となった川平慈英とバスケ部のチーム・メイトだったんですよ。懐かしいなあ。今やスポーツとは無縁の生活になってしまったワタクシにも、そんな時代があったんですわ・・・。 しかし、やっぱ、アレですかね。学校を卒業した後のことまで考えたら、バスケ部みたいなチーム・スポーツじゃなくて、テニスのような個人スポーツをやって行けばよかったのかしら。今更ながら、ちょっと後悔。 ま、それはともかく、当分はこの軽快な部屋着で、身も心も軽快に過ごしたいと思っているワタクシなのでした。さ、フットワークも軽く、勉強でもしてくっか!
June 30, 2007
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今日、日進市のギャラリー、「ラウラ」さんで展示を見ていたところ、たまたま一緒に作品を見ていた方がカメラマンをしていらっしゃると聞いて、つい話し込んでしまいました。 その方、残念ながらお名前を聞きそびれてしまったのですが、朝日新聞で「漢詩と写真のコラボ」という企画があり、その写真の方を担当されていたのだとか。我が家の新聞は朝日ではないので、その辺よく分からないのですが、漢詩で描かれた場所に行き、当該の漢詩に合うようなイメージを探して写真に収めるのだ、とおっしゃっていましたね。今度大学の図書館で朝日新聞のバックナンバーを調べ、どんな感じのコラボになるのか、見てみたいですなあ。その写真は、デジカメではなく、トラディショナルなカメラで撮ったのだそうですけどね。既にプロの世界でもデジカメが主流になりつつある昨今、まだ古典的なカメラでなければというこだわりを持っていらっしゃる方がいらっしゃるのは、面白いもんです。 ところで、そこで予想外に長々とおしゃべりをしてしまったので、夕食の時間になってしまい、今から準備するのも、と思い、結局近くにあるカレー屋さん、「ココイチ」に行って簡単に済ますことに。 ちなみに、名古屋圏以外のところにお住まいの方、「ココイチ」というカレー・チェーンをご存じでしょうか? 私も名古屋の大学に赴任して初めてその存在を知ったのですが。 ここのカレーは、「本格インドカレー」みたいなのではなく、本当にごく普通の、「ザ・ニッポンのカレー」といった趣のカレーです。ただ非常にシステマティックなところがあって、ご飯の量、カレーの辛さ、トッピングを自由に変えることが出来るようになっている。でまた、季節によってスペシャル・メニューみたいなのが出てくるのも面白いところ。 で、今日の私はご飯「300グラム」、カレーは季節限定の「アスパラ&トマトカレー」、辛さ「並」、そしてトッピングは「ロースかつ」、そして「半熟卵」。一方家内はというと、ご飯「200グラム」、カレーは「オクラ&豆腐」、辛さ「並」、トッピングは「メンチカツ」。これに付け合わせとして「シーザース・サラダ」を一皿つけて、二人で2000円ちょうど。ま、そこそこリーズナブルというべきでしょう。 で、お味は、と言いますと・・・。 うまーい! なんか久々にカツカレーを食べましたが、あれ、久々に食べるとうまいもんですなあ! カツの方にちょろっとかけたソースが、カレーと混ざり合って一層複雑な味を醸し出したりなんかして。というわけで、若干「ジャンク」な夕食となってしまいましたが、ま、たまにはそういうのもいいですよね。 ま、今日はそんな感じでちょっと遊び過ぎました。明日はしっかり仕事しなくちゃ。それでは、皆様、お休みなさーい!
June 29, 2007
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今年度絶好調のシェイクスピア講読。3年生諸君がよく勉強してくれるので、毎回楽しい授業ができていることは前にも報告しました。 ところで、今週の授業ではまた新たな展開が・・・。 この授業、『リチャード3世』の原書の輪読なんですが、逐語的な和訳をしていると到底読みきれないので、テキストの注釈や既存の翻訳を読み合わせながら、それでも理解できないところだけ質問してもらい、それに私が答える形で進めているんです。ですから、通常ですと「今読んだところで質問ある?」と私が問いかけ、もし学生側に質問があれば「○○行目から○○行目までの構文が分からないのですが・・・」などという風に応じるわけ。 ところが、この前の授業では、学生が突然面白いことを言い出したんです。曰く、「質問は特にないのですが、第1幕第3場284行目のセリフが気に入りました」。 ・・・え? 何ですって? 気に入った、ですと? そうなんです。気に入ったんですって。ある行が。 ちなみに、その学生(女子)が気に入ったというのは、王妃の座を追われたマーガレット元王妃が、自分、および自分の所属するランカスター家の者に害を与えた人々を呪いつつ、その中の一人に対して、「あなたは私の呪いの対象ではない」と言い渡すセリフでした。原文は「Thy garments are not spotted with our blood, /Nor thou within the compass of my curse.」というのですが。 で、彼女曰く、後半の「呪いの輪の中に入っていない」という表現が、とても視覚的でいい、というのですな。はあ、そうですか・・・。 しかし、どんなものであれ、シェイクスピア劇のセリフの中で気に入ったものが見つかったなんて、それ自体素晴らしい経験じゃないですか。いやー、シェイクスピアの輪読を始めて随分経ちますけど、学生からそんな嬉しい一言を聞かさるのなんて初めてですよ。良かった、良かった。 で、おかしかったのは、次に当てられた学生が、「ええと、僕が気に入ったのは・・・」などと言い出したこと。あのねー、別にこの授業、気に入ったセリフの発表会じゃないですから! それにしても、上に挙げたセリフもその一部ですけど、『リチャード3世』を読んでいて感心するのは、「呪詛」の場面の迫力です。まあ、すごいですよ。例えば、夫エドワードを殺されたアンの、リチャードに対する呪詛はこんな感じ:「ああ、呪われるがいい、こんな無残な傷口を残したその手こそ! この血を流した男に血の呪いを! これほど残忍なことをやってのけた心の持ち主が呪わしい! お命を奪い、私たちをみじめな目にあわせた忌わしい人でなし、あの男のうえに恐ろしい禍がふりかかればいい! 狼よりも-いいえ、いやらしい蜘蛛やひき蛙よりも、この地上を這いずり回るどんな毒虫よりも、もっと苦しい目にあうがいい! あの男に、もしも子供が出来たなら、その子は化物のように不様で、月たらずで、不気味な醜い姿形が、楽しみにしていた母親を一目で震えあがらせるのだ、そうしてあの父親の忌わしい根性を、そのまま受けつぐがいい! もしもあの男が妻をめとるなら、その女は、生涯、あれに連れ添うて苦しむがいい、この私が夫に死なれ、そしてお義父様を失って、みじめな思いに浸っているように、それよりも悲しい目にあわせてやる!」(第1幕第2場・福田恆存訳) あるいはまた、夫ヘンリー6世を殺されたマーガレットの呪詛はこんな感じ:「お待ち、この犬畜生、聴かずに行かせるものか。一人の私の想いも及ばぬ数々の堪えがたい禍いを、もし天がどこかに取っておいてくれるものなら、おお、願ってもない、お前の罪が熟し切るのを待って、その怒りの雨を一気に降らせてもらおう、お前の頭上に! この憐れな世界の平和を掻き乱す張本人! それまでは、良心の牙に魂を噛みさいなまれるがいい! 生きてあるかぎり、己の身方を裏切り者と疑いつづけ、胸に一物ある連中を無二の腹心と恃むのだ! その憎たらしい目、いかなる眠りにも閉じるなよ、おおさ、眠るがいい、そのときは、身の毛もよだつ地獄の鬼どもが現われて、悪夢にうなされるのだ! 悪魔の烙印を押された出来そこない、土ほじりの猪め! 生まれながらの下司野郎、地獄の小せがれ! お前を生んだ母親は恥辱で腹を痛め、父親もまるで腫物のように憎んでいたぞ! 貴族の名を穢すぼろ裂れめ!」(第1幕第3場・福田恆存訳) ふー。そのまま書き写すだに恐ろしい。 ま、これは劇中のセリフですから、これをもって「イギリス人の呪詛はすごい」などと言うことは出来ませんが、それにしてもシェイクスピア劇に現れる「呪詛の力」への信頼、とりわけ「言葉の力」への信頼というのはすごいと思います。言葉で罵って罵って罵り倒すというガッツ、これはやはり西洋人ならではのものなのではないかと。 日本人の怨念は、沈黙の怨念って感じがするもんなあ。そ~っと出て行って、「うらめしや~」の一言だけでしょ? ま、どっちがいいってもんでもないですけど、私なんぞ、いわばないものねだりで、そういう西洋的な言葉の力への信頼ってのには惹かれますね。 ということで、いつか私も喧嘩相手に「地獄の小せがれ、土ほじりの猪め!」などと言ってみたいなあと思う今日この頃なのでした。
June 28, 2007
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このブログをお読みの方は既にご存じの通り、このところ「ジャズ」に凝っているワタクシ。しかし、ジャズを聴き出すと、どうしても「オーディオ」の方にも凝りたくなってくるのは人情というものでございまして。 結局、私が今まで聴いていたような「ロック」や「ポップス」ですと、曲を聴きながら自分でも歌ってしまうんですよね。声に出す、出さないは別として。ですから、オーディオから聞こえてくる音は、自分の歌の伴奏みたいになってしまっているのであって、音自体を堪能しているわけではない。音が良かろうが悪かろうが、あまり関係がないんですな。大きな音でガンガン鳴ればいい、みたいな・・・。 ところがジャズとなりますと、これは基本、インストルメンタルですから、もう「音自体」を楽しむしかない。となると、どうしても「音自体」の質が気になってくるわけですよ。 というわけで、今私はまさにオーディオのグレードアップを考えているところなんですが、そんな時に参考になるいい本を見つけました。デジタル・メディア評論家、麻倉怜士氏の『やっぱり楽しいオーディオ生活』(アスキー新書)です。 この本の冒頭で麻倉さんが述べていることなんですが、このところオーディオに対する世間の関心が高まっているんですってね。それはつまり、若い頃オーディオに凝り、『レコパル』なんか読んでFMエアチェックに余念のなかった人が、三十代・四十代となって仕事や子育てが忙しくなり、音楽から遠ざかった生活をするようになってしまった。で、その連中が今、ちょっと生活に余裕ができるような年代にさしかかったため、彼らのオーディオ回帰が始まっている、というわけ。昔は買えなかった高級オーディオも、四十代・五十代・六十代になった今なら買える、という側面もある。 で、そんなオーディオ回帰世代のために、デジタル・オーディオのなんたるかを解説したのが、この『やっぱり楽しいオーディオ生活』であるわけですが、これねえ、読むとオドロキますよ。「目からウロコ」とか、そういうレベルでなく、「え、ええっーー!」と声を出してしまうほど。 例えば、「CDは洗ってから聴け」なんてアドバイスがある。 皆さんは、どうですか? お店から買ってきたCD、聴く前に洗っています? 洗わないでしょ? でもね、洗ったCDと洗わないCDでは音がまるで違うんですって。だからプロは当たり前のようにCDを洗ってから聴くんだそうですよ。「ええっー!」って思いません? しかし、そんなもん、序の口です。まだまだオーディオの世界は奥が深い。 例えば、洗って乾かしたCDをプレーヤーにセットするじゃないですか。するとプレーヤーがCDを認識してトラック数などを表示しますよね。で、普通はそこで「プレイ」ボタンを押すと。 「そこが素人じゃ!」と麻倉さんはおっしゃいます。プロはそこで「プレイ」ボタンなんか押さない。じゃ、何を押すか? 「オープン」ボタンを押してもう一度CDトレイを出すんです。で、そうやって一度出してから、あらためてトレイを押し込み、それからようやく「プレイ」ボタンを押す、と。すると、あーら不思議、体感できるほど音質が良くなるのだそうです。ちなみに、じゃ、この作業を三度繰り返せばもっと音が良くなるかというと、さにあらず。「二回」がベストなのだそうで・・・。 それから、オーディオの電源だって、重要なんだそうですよ。一番いいのは、オーディオのプラグを部屋の壁のコンセントに直接差すこと。それで初めて「新鮮な電気」を取り入れることが出来るのですって。普通の延長コードなんか使ったら、全然ダメなんだそうですが、電気にも「新鮮な奴」と「新鮮じゃない奴」があるなんて、ワタクシ、この本読んで初めて知りました・・・。 あ、それからもちろんコンセントの「+」と「-」、そしてプラグの「+」と「-」は、当然合わせないといけません。コンセント側の「+」と「-」について言えば、溝の長い方が「-」。プラグの方にも「-」側に印があるそうですが、ない場合は実際にプラグをコンセントに差し、CDをかけてみれば分かるそうです。「+」「-」が合っていれば、いい音が出るので、プラグの差し方を逆にして比べれば一目瞭然なのだとか。 あと、もう一つワタクシが特に驚いたのはスピーカーのこと。よく小型スピーカーで「ブックシェルフ型」というのがあります。ワタクシはあれは「本棚」に収まるサイズだから「ブックシェルフ型」というのかとばかり思っていたんです。ま、それは確かにそうなんですが、実はもっと深い意味があったんですな。 つまり、ブックシェルフ型スピーカーを、ブックシェルフ(=本棚)以外のところに置いてはいかん、ということなんです。むき出しで置いたりしたらいかんわけ。あれは元来、本棚の中に入れて音を出すことを前提にして作ってあって、スピーカーだけでは鳴らせない低音を、「本棚の共鳴」を利用して出すように設定されているのですって。ひゃー、そんなこと知らなかった! 恐るべし、オーディオの世界!って感じでしょ? とまあ、そんな感じで、あの手この手の裏技がこの本には満載。もちろんそういうことだけでなく、オーディオの歴史やデジタル・オーディオの仕組み、おすすめの機材、おすすめのコーディネイト、おすすめの楽しみ方などなど、オーディオにまつわる様々な話題が、非常に分かりやすく丁寧に書いてある。 というわけで、上に書いたことに一つでも「ええっー!」っと驚いた方、あるいは少なくとも音楽好きで日頃よくCDを聴かれる方は、この本をぜひ一度お読み下さい。決して後悔はしないはず。教授のおすすめ!です。これこれ! ↓やっぱり楽しいオーディオ生活
June 27, 2007
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忙しいということもあるし、食事くらい静かにとりたいと思っているワタクシ、お昼はコンビニで買ったオムスビなどを研究室で食べることが多いのですが、最近気に入っているオムスビがありまして。 それは、ジャーン! ローソンの「鮭 漬け焼きハラミ」みたいな奴(大体、こんな感じの名前。正確かどうかは分かりません)。 これねー、案外うまいよ。コンビニのオムスビなんて、なんてバカにしていると、驚くよ。 値段は普通のオムスビより高くて、一個168円くらいするのですが、大きな鮭がドデーンと入っていて、食べ応えも満点。というわけで、ワタクシ、時々コイツを買っては堪能しているんです。 で、これまた最近知ったのですが、これ、今コンビニのオムスビの人気ナンバーワンなんですって! やっぱりなー。私の味覚は正しい! かくして、他のオムスビには目もくれず、この「高級」なオムスビで、ささやかなハイソを気取っているワタクシなのでした。(ほんと、ささやかだな~!)
June 26, 2007
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勤務先の大学では現在、卒論作成のための所属ゼミを決定するため、3年生が科の教員のところに面接に行き、卒論テーマの相談などをやっています。というわけで、私のところにもひっきりなしに学生が面接に訪れるのですが、彼らの言い分を聞いていると、まあ画一的な、つまらんことしか言わないわけ。 曰く、「ディズニーのことを調べたいです」「アカデミー賞の歴史について調べたら、卒論になるでしょうか」「映画に興味があるので、アメリカ映画を卒論テーマにしたいのですが・・・」「アメリカの祝日とかって、面白くないですか?」などなど・・・。えーい、なんでみんな同じようなことしか思いつかないんだ! しかし、今日、一人の男子学生が、ついに私をも唸らすテーマで相談に来たんです。いつかはこういうテーマで卒論書く奴が現れるのでは、と思ってはいましたが、それがついに来た。 彼曰く、「あのー、僕、アダルト・ビデオに興味があるんですが、アメリカのAVをテーマに、卒論って書けないでしょうか・・・」。 ひゃっほう! で、思わずワタクシ、聞いてしまいました。「なんでこのテーマを思いついたの?」と。すると彼が言うには、「某レンタル・ビデオ・チェーンでバイトしていて、アダルト・ビデオ・コーナーの担当なんです。で、いわゆる『洋モノ』も扱うのですが、日本のそれとは随分作りが違うので、その辺、どうなっているのかな、と思いまして・・・」。 なるほど。基礎知識もあるわけか・・・。 で、彼が発したトドメの一言。「こういうテーマで卒論を書くことを許してくれそうなのは、科の先生方の中でも釈迦楽先生だけだろうと思いまして・・・」。 ドッキューン! う、撃たれた・・・。 まあね。世の中には色々と異論もございましょう。しかし、ワタクシ個人としましては、このテーマ、あり得るかな、と思います。例えば、つい先日、神戸学院大大学院の院生(女子)が、「日本におけるラブホテルの研究」というのを完成させて話題になりました。また、ラブホ研究について言えば、我が国のシンクタンクの一つ、国立国際日本文化センター教授・井上章一先生の力作、『愛の空間』(角川書店)というのもある。つまり、下ネタは、立派に学問研究の対象になる、ということですな。 ですから、「アメリカにおけるアダルトビデオの研究」というのも、やりようによっては非常にすぐれた文化研究になるんじゃないかと思うんです。 例えば、日本とは比較にならないほど厳しい宗教的倫理の罷り通る国で、こうしたメディアがどのように受け入れられているのか。規制はどうなっているのか。売り上げ規模は? 誰が見ているのか? 流通経路は? 制作過程はどうなっているのか? フェミニスト勢力は、こうしたメディアをどのように考えているのか。年代毎に流行はあるのか? 共和党・民主党、それぞれの見解は? などなど・・・。とりあえずこれらの疑問にちゃんと答えるだけの準備をするだけでも、相当な勉強になるでしょう。 それに、何と言っても、「今まで誰もやろうとしなかった(or 思いつかなかった)テーマを持ってきた」という時点で、称賛に値しましょう。なんでもそうですが、学問に関してはなおさら、「人と違うことをする」というのは重要なポイントですから。 しかし・・・問題は幾つかあります。 まず、資料がどのくらいあるか。あったとしても、それらがすべて英文のものだとしたら、それをどこまで読みこなせるか。これは非常に大きな問題(障害)です。 あと、テーマがテーマだけに、ヘタな手のつけ方をすると、女性教員から総スカンを食う可能性がある。その方たちを十分に説得するに足るほど、アカデミックに徹底的な調査をする自信があるかどうか。これも、はじめに確認しておかなければなりません。 さらに、周囲の反応のこともある。例えばご両親。「お前、卒論で何について書いているんだ?」と親御さんから問われて、「アダルト・ビデオについてだよ!」と答えた場合、OKかどうか。また、就職を考えている場合、就職試験の面接などでその種の質問があった時に、マイナス査定されないかどうか。これらのことは、学問とはまるで関係のないことではありますが、しかし、この先生きていく上で必ずしも無関係とは言い切れませんから、そういうことだって考えておかなければなりますまい。 ということで、さすがのワタクシも、その学生に対し、必ずしも全面バックアップを約束することはできませんでしたが、それでも、久々にこちらを唸らせるテーマが出た、ということだけでも、彼の登場は今日のハイライトでしたね。 ま、もちろん彼が本当にワタクシのゼミに入れるのかどうかもまだ全然分かりませんが、ひょっとして成り行きによっては、来年の卒論指導は、相当○しい(←○の中に「苦」「厳」「楽」などの中から当てはまりそうなものを適当に入れて下さい)ものになりそうな勢いなのでした。思わず、納得!
June 25, 2007
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今日は家内を連れてドライブがてら、蒲郡の近くにある形原というところにあじさいを見に行きました。 が、その前にまずお昼。今日のお昼は日進市にあるサンドイッチの店、「ラ・パン・シェリ」へ。ここ、割と気に入っているサンドイッチの店なんですが、ランチがいいんです。2種類のパンと2種類の具を選ぶことが出来、それにスープとコーヒーがついて800円也。でまたパンも旨いし、具も旨いんだ、これが! うちの場合は家内と私でそれぞれ別な具を選ぶので、計4種類の味のサンドイッチが楽しめるという寸法。今日は私が「ミートローフ」に「チキン&卵」、家内が「ベーコン」と「アボカド&シュリンプ」。どれもうまかったですなあ。 さて、ここでお腹を満たしてから、東名に乗って一路、音羽蒲郡インターを目指します。で、そこから三ケ根山の麓の形原までは20分ほど。あじさいで有名なので、ネットで調べても行き方は分かるでしょう。 形原のあじさいは毎年この時期に見に行くのですが、今日もきれいでした~! ま、正直、もう1週間早ければもっと良かったのかも知れませんが、それでも十分にきれいでした。今日は生憎の雨でしたけど、あじさいはやっぱり雨の中で見るべきものでしょう。ピーカンの青空の下のあじさいってのも、なんだか合わないような気がしますしね。では、皆様にも少しあじさいのお裾分けを。 遠くに見えるのは蒲郡の海です。 こちらは下から見上げたところ。 さて、かくしてあじさいを堪能した我らが次に向かったのは、形原のほど近く、愛知工科大学すぐそばにある「Rustic House」という喫茶店です。ここは初めて訪れるのですが、なかなかいい喫茶店でした。特に私が気に入ったのは、そのたたずまい。なんだか、初めて来たのに妙に落ち着くんですよね。店の中から見える景色も緑に溢れているし、カリモクの椅子が並ぶインテリアもなかなか洒落ています。コーヒーの味こそ、それほど特筆すべきところはなかったものの、一緒に頼んだドーナツが揚げたてで、なんだか懐かしい味だった。 それに、ここ、雑貨や服も置いてあって、これがまた趣味がよろしい。ただ服の値段は高くて、ちょっとしたワンピースでも3万から4万といった値付け。ま、良い物は高い、ということでしょうか。今回はポケットマネーが足りなくて涙を飲みましたけれど、次はお小遣いを貯めてリベンジしに来ますか。 で、ラスティック・ハウスでのんびりした後、帰りにちょっと「ラグーナ蒲郡」というところに寄って、食料品を調達。ここには「おさかな広場」というのがあって、色々な魚製品を売っているんです。ちなみに今日、我らがゲットしたのは、どでーんとでかい「マグロのカマ焼き」。これ、帰宅後、夕食に食べたのですが、骨の周りにたっぷりと肉がついていて、しかもその肉がまたシコシコとした独特の歯ごたえのあるもので、とてもおいしかった! ってなわけで、今日は形原のあじさいとラスティック・ハウスでのひと時を堪能し、さらにマグロのカマ焼きまで味わうことが出来て、盛り沢山な休日となったのでした。今日も、いい日だ!
June 24, 2007
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今日、たまたま公務員採用試験(名古屋市)の予想問題集をチラ見する機会があったんですけど、あれ、ひどいですな・・・。 私が見たのは、「一般常識」のテストだったんですが、これが難しい、難しい。高校卒業時点で、各教科の知識がピークにある時ならまだしも、「かつてそれを習った」という事実すら記憶の外、というような今の私が受験したら、到底、好成績を残せそうもありません。人文科学・社会科学・自然科学の諸分野から30問出され、このうち任意の20問に答える、という形らしいので、自分の得意なジャンルからの設問にばかり答えればいいわけですが、それにしても問題が難し過ぎて、答えられましぇーん! これが「常識を問う」問題なのだとすれば、それにまったく答えられない私はとんでもなく「非常識な男」ということになりそうです。ガーン! ま、ある意味、当たっているところもありますが、しかしねえ・・・。私がイカレテいるのはもっと別な意味でして、ごく普通の社会人としてみたら、それなりに一般常識もあれば、能力も経験もあると思いますよ。その私が答えられない問題ばかり並べて、それのどこが「常識問題」なんじゃ! このバカチンが! なるほど、ゼミの学生たちが就職試験で泣かされていたのは、こういう種類の問題でありましたか・・・。納得。そして、同情。 しかし、こんな試験で公務員採用決めるなんて、ナンセンスだと思うなあ。 常識を問うのなら、事前の詰め込み勉強を必要としないところで問うて欲しいですわ。普通に新聞読んでいたら分かるようなこととかね。もちろん、日本語運用能力とか礼儀とか正義感とか世界観とか、そういうものも含めて、ですが。 沢山受験者がいると、そんなことも言っていられないのかもしれませんが、それにしても、あまりにも浮世離れした公務員試験問題には改善の要あり、です。 ところで、試験といえば、うちの大学では再来週、「ゼミ分け」、すなわち卒論を書く際の指導教官の決定が行われるのですが、我が釈迦楽ゼミは入ゼミ希望者が異常に多いので、どうしても「入ゼミ試験」というのをやらなければならないんです。でも、これが結構キツくてね。 何がキツイって、私のところで卒論を書きたいと言ってくれる可愛い学生たちを「試験」という形でふるいにかけ、そのうちの大半をよその先生のゼミに追いやらなければならないからです。もちろん私としては、来る者は拒まずで、全員の面倒を見てやりたいのですが、あまり多くの学生を引き受けると、一人一人の学生に目が届かなくなってしまうのでね。ですから、仕方なく、涙を飲んで学生をふるいにかけるわけですが、そこでふるいにかけられ、ゼミに入れなかった学生としたら、当然、「釈迦楽先生に嫌われた」と思うでしょう。それが可哀相でね・・・。私としても、ストレスが多いんです。 ま、試験で人をふるいにかけるってのは、どのみち、因果なもんですなあ。 でも、釈迦楽ゼミの入ゼミ試験には、「世界地図上で、モンテ・ネグロの位置を示せ」なんて「常識」問題は出しませんから~!
June 23, 2007
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先日の渋谷・スパ爆発、恐ろしいですなあ。当該の建物なんか、骨組みの鉄骨だけになって、後は壁といわず天井といわず吹き飛んでいましたもんね。 ところでワタクシ、あの爆発について「燃焼工学」の専門家に話を聞いてしまいました。 で、その先生によると、あれはどうも普通のガス爆発ではない、というんですな。普通のガス漏れに引火した程度なら、あそこまでの破壊力はない、と。 じゃ、何が起こったかといいますと、どうも「デトネーション(detonation)」が起こったらしい。日本語で言うと「爆轟(ばくごう)」です。なんか、「爆発」より凄そうでしょ! 新聞なんかを読むと、「地下から汲み上げた温泉に含まれるメタンガスが爆発した」、というような報道がなされていますが、その先生によれば、「メタンガス(CH4)だけではデトネーションは起こりにくいので、多分、その他にエタン(C2H6)、エチレン(C2H4)、アセチレン(C2H2)、プロパン(C3Hg)などが混ざっていたのではないか」、とのこと。 ちなみにデトネーションが生じた場合の衝撃波(detonation wave)のスピードは、なんと「秒速6kmから9km」というもの凄さで、この衝撃波をまともに喰えば、ガラスなどはもちろんのこと、ブロックやコンクリートで出来た壁くらい簡単に吹き飛ばしてしまうのだとか。もちろん、人間などひとたまりもありません。なるほど、だからこそのあの「焼け跡」なわけですな・・・。 そんな話を専門家から聞くと迫力があります。 ま、先程も言いましたように、普通のガス漏れに引火したくらいでは、あそこまでの破壊力はないそうなので、いたずらに「ガスは怖い」というほどではないのですが、逆に、恐るべき破壊力を持つデトネーションを引き起こす可能性のある温泉施設の設計・管理が、あそこまで杜撰であったというのは問題ですね。そこは管理者のみならず、監督官庁にも猛省を促しておくべきでしょう。 それにしても、「爆轟温泉」といい、ミート・ホープによる「闇鍋風挽き肉」問題といい、平和に見える我が国の足元は、案外、危なっかしいものと知るべきですな! さて、今日の私ですが、今日は割と時間に余裕があったので、久し振りに夕食を私が作ることにしました。メニューは例の「レモンカレー」です。 「例の」と言われても、分からない方もおられるかもしれませんが、これは小淵沢にあるギャラリー・折々の専属アーチスト、本杉琉さん考案になるカレー料理でして、本杉さんからその奥義を伝授された私は、適宜アレンジを加えて自己流レモンカレーを完成させていたのだ! ・・・なんて、興奮するほどのことでもないですけど、要するに普通にカレー作って、最後にレモン果汁を絞り込むというもの。ちなみに釈迦楽流レモンカレーについてもう少し詳しく述べますと、まずタマネギ半個、ニンニクひとかけ、セロリ一本を粗微塵くらいに刻んでオリーブオイルで炒め、そこに人参一本、ジャガイモ一個、マッシュルームを数個、やはり適当に切り入れ、さらに鶏のモモ肉の刻んだものと共に炒めます。そうして10分ほど炒めたら、ワイン(白でも赤でも)を100ミリリットルほど入れてアルコールを飛ばし、さらに水500ミリリットルとトマトの水煮缶を一缶丸ごと入れて20分ほど煮込みます。この時、適宜スパイスも入れてください。 そして具がすべて煮えた頃、一旦火を止め、市販のカレールーを入れて溶かし、さらに10分ほど煮込みます。そしてトロみがついてきた頃、レモン半個分ほどの果汁を絞り込むわけ。「え~? カレーにレモン?」などと考えず、ジュワ~っと入れちゃって下さい。これでレモンカレーは完成。 あとはコイツをご飯にかけて出来上がりですが、今日はこれにミニ・アスパラガスをバターでソテーしたものを添えました。彩りとバターの香りが、レモン風味のカレーによく合いますのでね。 さて、かくして完成したレモンカレーを食した結果はと言いますと・・・ うま~い!・・・でも辛ーい! 辛さ「爆轟」級! 「味の衝撃波」や~!! むむむ・・・。今日はちょっとルーの選択に失敗したかなあ。今日はS&Bの「手作り用ケララカレー」というルーを使ったのですが、これ、我が家には少し辛過ぎでした。どうも釈迦楽家にはS&B系のカレー・ルーよりハウス系の方が合うみたい。でも、レモンカレー自体はおいしいものなので、ぜひお試し下さいね~! というわけで、今日は久々に自ら夕食に腕を振るって、なかなかいい気分のワタクシだったのでした。今日も、いい日だ!
June 22, 2007
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大学の研究室で使っている大昔の初代「iMac」がさすがにヤバくなってまいりまして。 そりゃ、そうですよね。これ、一体何年前のマックだっけ? ひょっとして8年くらい使っているかしら? でもこれ、名機は名機だったんです。故障も少ないし、忠実によく働いてくれた。しかし、さすがにパワー不足は否めず、インターネット・サイトを見るにしても反応が遅いわ、完全に表示しきれないわ、で、ほとんど末期症状。いよいよ、買い換えだなあ・・・。 ま、私もウィンドウズ勢力には抗しきれず、このところ仕事で使うのはもっぱらウィンドウズ・マシンばかり。ですから、今度買い換えるとしたら、やっぱりウィンドウズになるのだろうな、と思っていたわけ。 しかし、先日父に買ってあげたウィンドウズのヴィスタ搭載機、これが駄目な奴で、ワードを使うにも反応が遅い、遅い。一瞬、変換キーを押し忘れたかと思うほど遅い。しかも、キーボードの配列が悪いのか、ブラインド・タッチでキーを打っているうちに、いつの間にか半角・全角ボタンを押してしまうらしく、ヘンテコな文字列になってしまう、なんてことが頻繁に起こる。 そんなこともあって、ウィンドウズ・マシンに対する偏見が私の中には依然として根強くあるわけですよ。 で、そんな折も折、同僚の「兄貴」ことK教授がパソコン買い換えるにつき、下見に行くとおっしゃるので、大学が退けてから二人して近くの家電量販店に行ってみたわけ。 で、兄貴が店員に色々質問をしている間、私は店内にあるパソコンをあれこれいじっていたのですが、ふと見るとあちらにアップル・コーナーが・・・。吸い寄せられるようにそこへ行き、現行のiMacを動かしてみたのですが・・・ ひょえ~、サクサク動く~! 気持ちいい~! なんかねー、やっぱりいいわけですよ。パソコン自体にオーラがあるというか。もちろん最新のウィンドウズ・マシンだってサクサク動くわけで、どこが違うってわけでもないんでしょうけど、なんか、作動自体が気持ちいいんですよね、Macって。 ああー、やっぱりまたMacが欲しくなってきたなあ。 聞くところによると、今後、Macはますますウィンドウズ・マシンとの互換性を高める方向に動いていくというし、もうちょっと待って、次の新型iMac が出るくらいのタイミングでもう一回Mac 買ってみようかな~。 というわけで、アップル贔屓、Mac贔屓の血が、また騒ぎだした今日この頃なのでありました。今、Mac でお仕事している方、特にMac で「ワード」を動かしている方、使用感や問題点などありましたら、ご教示下さいませませ!
June 21, 2007
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私、縁あってアムステルダムに住むオランダ人テレビ・プロデューサーとお付き合いがあるのですが、先日、その方からご著書を送っていただいたので、そのお礼に何を贈ろうかと考えた挙げ句、荒井由美のベスト・アルバムを贈ることにしました。荒井由美なんていうと今の若い人は知らないかもしれませんが、「ユーミン」こと松任谷由美さんの独身時代の作品集ということですな。 で、今日、その方からCDが届いた旨のメールをいただいたのですが、えらく気に入ったそうで、オフィスでユーミンをかけまくっているとのこと。よかった、よかった。 ちなみにそのテレビ・プロデューサー氏、日本の歌謡曲に大層興味がおありで、「椎名林檎はいいなあ」とか、「古賀政男、最高!」とか、「服部良一、痺れるねえ」といった調子で、時代もジャンルも超越する卓越した鑑賞力で日本の歌謡曲を堪能なさっているんです。ま、その分、必ずしも日本の歌謡曲の歴史を年代順に把握しているわけでもないご様子。 というわけで、今回もどんなものをプレゼントすればいいのか、私も相当悩みました。演歌でいくか、井上陽水でいくか、はたまた沢田研二でいくか、サザンでいくか、あるいはいっそ明和電機あたりを送ってみるか、なんて考えたりして。で、最終的に出した結論がユーミンだった、と。 しかし、そこはウルサイ私のことですから、同じユーミンでも「松任谷由美もの」ではなく、あえて「荒井由美もの」をセレクトしたんですな。だって、荒井由美時代と松任谷由美時代では、曲のレベルが全然違うんですもの。 もちろん、前者の方が格段に上、という意味ですが。 荒井由美時代のユーミンはねえ、曲の内容がことごとく「後ろ向き」ですよね! 「悲しいことがあると、開く革の表紙。卒業写真のあの人は優しい目をしてる」とか。「輝きは戻らない、私が今死んでも・・・」とか。いつも何かの思いを引きずっている感じ。 そこがいいんだよなあ・・・。 一方、松任谷由美時代になると、ユーミンは前向きになります。攻めの姿勢ですな。「ラブ・ウォーズ」とか。戦います、勝ち取ります、私に任せなさい路線。ま、時代もバブルに突入していたしね。興行的には、ユーミン人気が絶頂に達していた頃でしょう。 でも、そういう攻めの歌、イケイケの歌って、結局残らないわけよ。やっぱり、失恋の歌に代表されるような、暗い、後ろ向きの歌の方が、人の心を打つわけでね。 というわけで、私はあえて「後ろ向きのユーミン」をアムステルダムへと送ったのでありました。 でも、そんな荒井由美を絶賛しているのは、テレビ・プロデューサーですからね。ひょっとして今後、オランダで「ユーミン・ブーム」が起きないとも限りません。 そうなったら、火付け役はこの釈迦楽であること、皆さん覚えておいてね~!これこれ! ↓荒井由実(松任谷由実)/TWINS ~SUPER BEST OF YUMI ARAI【「卒業写真」収録】
June 20, 2007
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私が所属しているある学会では、学会員が著書を出した場合、原則として一部を学会の資料室に寄贈することになっています。で、私、たまたま今年からこの資料室を預かっているのですが、ということは要するに日本全国から私のところへガンガン本が送られてくるということなんですな。 で、これがね・・・結構半端ない数なんですわ。そうですね、少なくとも毎週2冊くらいは新著が届くくらいのペースかな。このままで行くと、年間で150冊くらいは送られてくることになるのかしら・・・。もう、研究室も足の踏み場がないです。 大新聞の書評委員なんかをやっている方の話を聞くと、こういう委員のところには、それこそ一日に何冊というペースで日本中の出版社から本を寄贈されちゃって、たちまち本屋が開けそうなほど新刊本がたまってしまうそうですが、学会の資料室をやっていると、そこまでとは言わないものの、ちょっとだけそんな気分が味わえます。嬉しい悲鳴、という感じですかね。 しかし、時には「?」というような本も送られてくるわけですよ。 例えば『農地改良法大全』みたいな本まで送られてくる。こんなの、アメリカ文学と何の関係もないじゃん! 著者はほんとに学会員なのかなあ・・・? でもね、こういう本でも寄贈されちゃったからには礼状を出し、大切に保管せにゃいかんわけ。キビシ~っ! ま、そうは言っても、送られてくる本の大半は、私自身の研究分野と多少なりとも関わりのある本ですから、ある意味、贅沢な環境とも言えそうです。 実際、送られてきた本をパラパラめくっていると、「ほ、ほう!」と思うようなこともあります。 例えばアメリカのノーベル賞作家、ウィリアム・フォークナーが1955年に日本を訪問し、当時の日本の若手研究者を集めてセミナーをやった時のことを記録した本が送られてきた時は、思わず熱心に頁をめくってしまいましたよ。というのは、私の恩師がこのセミナーに参加していたのを知っていたものでね。 で、当時の模様を写した写真数葉に目を凝らしたところ・・・、あった、あった! セミナーの参加者がフォークナーに捧げた寄せ書きの中に、私の恩師の名前が! まだご健在であった頃、先生からフォークナーが長野にやってきた時の話は聞いていましたが、実際にその証拠が出てくると、思わず感動しますね。 ま、たまにはこういうこともあるので、押し寄せる新刊本の洪水にも、何とか対処していけるというものでございます。 それにしても、学会員の皆さん、ガンガン本を書いているなあ。この人、一年に何冊本を出しているんだろう?と思うような先生もいらっしゃいます。私も受け取るばっかりじゃなくて、寄贈する側に回らないといけませんね。頑張ろうっと!
June 19, 2007
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アメリカでここ20年ほど、注目されている都市形態に「ゲイテッド・コミュニティー」というのがあります。大都市の郊外に突如現れる巨大住宅地で、周囲が塀で囲まれており、住民だけが門番付きの入り口から入れるようになっているんですな。門番付きの門(=ゲイト)があるので、このような名前で総称されているのですが、実際、ロスアンゼルスの郊外などを小一時間ほどクルマで走ると、砂漠のただ中にこの種の住宅地が忽然と現れるのでびっくりすることがあります。 で、今年のゼミ生の中に、この「ゲイテッド・コミュニティー」をテーマに卒論を書くという学生がいるんです。というわけで、私も折を見ては資料捜しの手伝いをしているのですが、まだ比較的新しい現象なので、資料を捜すのにも一苦労。 しかし、それでもこれまで調べたところによると、なかなか面白い現象ではあるようなんですな。 例えば、なぜ塀で囲まれた、門番付きの住宅地が各所に現れているのか、ということなんですが、そりゃ誰だって「防犯対策がしっかりしているからだろ」と思うじゃないですか。 ところが、さにあらず。 犯罪率から言うと、ゲイテッド・コミュニティーの中だから安全、というわけでもないんですって。むしろ、場所によっては塀の内側の方がよほど犯罪率が高かったりするので、ディベロッパーとしても、安全を売り物にしてこの種の住宅地を造成・販売しているわけではないのだそうです。 じゃ、何が売り物かというと、「ハイソな均質性」なんですな。 例えば経済的な面から言えば、これらのゲイテッド・コミュニティーは大都市から大分離れた砂漠の真ん中にあったりする。つまり、交通面から言うと不便なところにある。つまり、通勤や買い物の足として複数のクルマを所有している家庭のみが購入できる住宅ということになるんですな。それはつまり、ある程度富裕な家庭が塀の内側に揃っているということになる。ここが魅力なわけ。貧富の差が激しくなってきたアメリカにおいて、この塀の内側では「貧しい人」を見かけなくて済む、ってところがいいんですって。 つまり、「厳しい現実」を見たくない人々の夢の住宅街なわけですよ。実際、ゲイテッド・コミュニティの最良のモデルは「ディズニー・ランド」なんだそうです。 しかし、そうした「均質性」を求める現代アメリカ富裕層のメンタリティは、突然生じたわけではない。アメリカにはもともと「均質的なコミュニティ」を求める伝統がある、というんですな。例えば、ひと頃日本でも話題になった「アーミッシュ」のコミュニティーとか。あるいは「オナイダ・コミュニティー」とか。あるいは悪名高き「人民寺院」とか。あるいは、ヒッピーにとってのサンフランシスコとか。その他、こういった各種の「共同体」はアメリカの歴史の中にはごまんとある。 そうなってくると、ゲイテッド・コミュニティーもそうしたアメリカ人のDNAのどこかに隠れている「共同体志向」を反映しているのだ、ということも言えそうです。また、そう考えると、個人の自由より共同体の利益を若干優先させる思想、いわゆる「コミュニタリアニズム」の思想がアメリカで顕著に現れるようになった時期と、ゲイテッド・コミュニティー人気が上昇し始める時期が大体重なる、ということも説明がつくのかもしれない。 ま、そんなような視点から、この新しい住宅地形態を分析していったら、ひょっとしたら面白い卒論になるのかなー、なんて思っているんですけど、どんなもんですかね? というような話を、今日のゼミの時間、当該の学生と話していたのですが、まだまだものになるかどうかはハッキリしないものの、なかなか面白い話題ではありました。卒論指導をしていると、指導しているワタクシの方がよほど勉強になりますわ。 とはいえ、卒論指導は夏以降が本番。他のゼミ生たちもようやくそれぞれ本格的に調査を開始したようですので、お楽しみと苦労はこれからです。私も頑張らなくては!!
June 18, 2007
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いや~。今日は頑張って仕事しましたー。 といっても専門の仕事ではなく、サイド・ビジネスの方。英語の教科書作りです。 以前にも書きましたが、最近では大学の教員ものんびり自分の研究だけやってりゃいいってもんでもなくなってきまして。「専門分野の研究」だけでなく、「教育」の方にどのくらい力を入れているか、ということも評価の対象になっているんです。 でまた、特に最近の文部科学省は「実用的な英語教育」に重点を置いていますからねー。昔のように、文学系の教員が英語で書かれた小説かなんか訳読させておしまい、なんて授業やっていると風当たり強いんですよ・・・。つまり、我々文学系の教員も実用英語方面の業績を作っておかないとマズいことになるわけ。 ま、そんなわけで、いわば世知辛い教員評価への対応として始めた「実用的」英語教科書作成の仕事ですが、やっぱりやり始めると熱中するものでして、ここ数年、授業を通じて少しずつ改善を重ねてきた「ベーシック・イングリッシュ」のノウハウを整理・統合しつつ、「画期的」な教科書を作るべく、かなりの熱を込めながら執筆しているんです。 ところで、この種の実用英語の教則本を書く上で一番重要なのは何かと申しますと、ズバリ、「いい例文」です。 ではその例文をどこからとってくるか、ということなんですが、昔はそれこそ一人一人の研究社が膨大な読書の中から抜き書きして作った独自の例文集をもとにしたのでしょう。しかし、最近では「コーパス」という便利なものがあるんです。 「コーパス」というのは、本・雑誌・新聞など英語で書かれたありとあらゆる文献やそれに類するものの中から抽出した文例集のこと。その文例数の膨大なことと言ったら、ものすごいですよ。ちょっと大型のコーパスになると100万、1000万なんて単位はとっくに通り越して、今や「億」の単位の文例があるんですから。 ま、私が日頃使っているのは、さすがにそこまでのものではないのですが、それでもトンでもない数の文例が手元にある。その膨大な数の文例から適当な文例をひいてきて、それを適宜加工しながら教科書を作るわけですけど、これがまた楽しくも時間のかかるものでございまして・・・。 ということで、今日もコーパスと格闘しながら、朝から晩まで教科書の執筆をしていたという・・・。ま、とりあえず半分位は書き終えたかな? しかし、それでも予定は遅れっぱなし。できれば6月中には完成させたかったのですが、それは無理っぽくなってきました。せめて7月中には完成させたいんですけどね。そうしないと、自分の専門の研究ができなくなってしまう・・・。何とか夏休み前には片をつけたいなー。 かくして、あとしばらくはこの仕事に熱中することになりそうです。いい教科書作って、目指すは夢の印税生活! というのは無理ですけど、とにかく実用英語方面の著作があると、文部科学省方面の覚えがよく、「科学研究費」の申請なんかしても通り易いんですよねー。 つまり、この本さえ書いちまえば、その後の道も開けてくるわけ。よーし、もういっちょ頑張るぞー!
June 17, 2007
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週末、実家に電話をするのが常なんですが、今日、電話口に出た父の声にまったく張りがないのにびっくり。聞いてみると、耳鳴りの具合がよろしくないのだとか・・・。 昨年秋頃から父を悩ませている耳鳴り。「シャーシャー」という音がずっと鳴り続けていて、何かに熱中している時は割と気がつかないのですが、そうでない時は気になって気になって、それこそ気が変になりそうなのだそうです。 もちろん医者には通っていて、薬ももらっているのですが、耳鳴りの根本治療というのはないらしく、もらっている薬も耳の薬というよりは精神安定剤のようなもので、これを飲むと一時的に耳鳴りが小さくなるような気がするものの、副作用として眠気・倦怠感・ふらつきが生じ、まともに歩くことすら出来ないとのこと。となると、畢竟、家にこもりがちになり、これがまた鬱のような気分にさせる元になっているのだとか。 うーん。困りましたなあ・・・。 私も何とか改善法はないものかと思って、色々ネットで調べたりするのですが、検索に引っ掛かってくるものといえば、大概、インチキ臭いものばっかり。たとえば、カイロプラクティク的な治療法を主張しているサイトが色々あって、「血の流れを正常に戻せば、必ずや耳鳴りは治ります」みたいなことが書いてあるんですけど、そんな、「悪血」を蛭に吸わせて病気を治していた時代のようなこと、私はどうも信用できないですなあ。あと、よくあるのが「ヒーリングCD」系。「このヒーリングCDを聞けば耳鳴りなんてすぐ治ります。以下、このCDに救われた人々から送られてきた手紙を掲載します!」とか書いてあって、匿名の体験談みたいなのが載っているわけですけど、こんな霊感商法まがいのしかないのかよっ! って感じです。 しかし、それはそれとして、実際、家の中に穏やかなクラシックのようなものをBGMとして流し続けたら、少しは耳鳴りが気にならなくなる、というようなことはないですかねえ? BGMの音が耳鳴りの音を物理的にかき消すわけですから・・・。今度、実家に戻った際にでも試してみようかなあ。 でも、我々と違って父は昔の世代の人ですから、「BGM」という概念が分かるかなあ・・・。音楽をかけっぱなしにし、「聴くわけでなく、聴かないわけでもない」という状態を続けるということが出来るだろうか? CDをかけたら本気で聴いてしまって、聴き終わったらスイッチを切ってしまう、なんてことになるんじゃないかしら・・・。それじゃ、意味がないんだけどなあ。 というわけで、どんよりと落ち込んだ父の声を聞いて、こちらまで少々落ち込んでしまった今日のワタクシだったのでした。もし、耳鳴り解消法のいい奴をご存じの方、いらっしゃいましたら、ぜひコメントをお願いしまーす!
June 16, 2007
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今日、ワタクシ、生まれて初めてフランス・パンを食べてしまいました。 いや、私の言うのは、ほんとのフランス・パンという意味ですよ。フランスで作ったパン。 実は敬愛するロケット工学の権威・F教授が今日、フランスでのお仕事からお帰りになったのですが、その際、パリの空港のパン屋さんで買ってきたパンをお土産に下さるというので、教授の研究所まで顔を出してそのパンを受け取ってきたんです。ですから、ほんの16時間ほど前まで、パリのパン屋さんの店先にあったパンなんですよ! いただいたのは大きなバゲットと、刻んだ黒オリーブの実が練り込んである硬く平べったいパンの2種類。「Paul」という、フランスでよく見かけるパン屋さんのものだそうですが、いやー、さすが本場! 夕食の時に食べてみたら、これが実に旨かった! まずバゲットの方ですが、日本で売っているものだと皮がやけにバリバリしたものがありますでしょ? そういうのと比べると、いただいた本場のバゲットはよほどしっとりした感じ。中の部分も気泡が少なく、みっしりと充実しています。食べてみても、堅からず、柔らか過ぎず、穀物の風味がしっかり効いていて、食べ応えがある。うーん、いいですなあ。 そしてもう一つのオリーブ実入りの方は、そのまま食べるとかなり歯ごたえがあるのですが、電子レンジで20秒ほど加熱すると焼きたての柔らかさと香りを取り戻し、こちらもなかなかいい感じ。もぐもぐと噛んでいるとオリーブの風味が口の中に溶け出してきて、これが食欲を増進させてくれるんですわ。 というわけで、今日の我が家の食卓は、まさに上等舶来のパンで大いに賑わったのでございます。 それにしてもF教授、世界的に活躍しておられます。今回のフランス行きも、9月に行われる国際学会の下準備だそうで、学会の理事会のメンバーとして研究発表の部屋割りなどを決めてこられたのだそうで、3日間、それこそ一日18時間労働で仕事をこなされてきたのだとか。 ちなみに、理事会の他のメンバーがフランス人とイタリア人だったので苦労した、とF教授はおっしゃっていました。彼らは瑣末なことまでいちいち細かく決めようとするので、時間がかかって仕方がないんですって。ですから、F教授が大鉈を振るい、大本となるルールだけはしっかりと守りながら、細かいことはあまり気にせずに案配してきたのだそうです。 F教授によると、こういう場合、イギリス人かアメリカ人がメンバーとして入っていると、ことがスムーズに運ぶのですって。つまり、アングロ・サクソン系の人たちは「administration(管理・運営)」ということを十分に理解していて、事実それをやるのが上手なのに対し、ラテン系はそこが駄目なんですな。木を見て森を見ないところがある、と言うんです。「だから戦争やると、ラテン系は負けるんだよなあ、あっはっは!」とF教授は豪快に笑われるのですが、長年国際的に活躍されている教授ならではの人種観は、多分に愉快な偏見が含まれているとはいえ、傾聴するに値しますね。 しかし、F教授を見ていると、何をやってもこの人には勝てないな、と思います。30代そこそこでアメリカのNASAからヘッドハントされたほど、科学者として世界にその名が知れ渡っているというところからしてそもそも負けてますが、NASAだけでなくスタンフォード大でも何年も研究生活を送られてきただけに、英語はネイティヴ並みにペラペラ。東大での学生時代には第4外国語まで勉強したというだけあって、ドイツ語も大概のことは分かるとのこと。勉強だけでなく、学生時代は柔道部で鳴らし、ボート部にも駆り出されて一橋大学との伝統のボート戦に出場されたほどですから、体力的にも敵わない。何しろ今日の昼間、フランスから帰って来て、時差ボケも何のその、明日は朝からテニスだ、というのですからね・・・。これがもうすぐ70歳になられようという教授か? という感じです。 それでいて、私なんぞと話をしていて、拙い私の文学談を面白がって下さり、鋭い質問を向けてこられるのですから、参ってしまう。F先生とお知り合いになれたことは、私にとって幸運でした。 というわけで、今日はそんなF教授のご活躍にあやかって本場のフランス・パンを食べることが出来、感謝感謝の一日となったのでした。今日も、いい日だ!
June 15, 2007
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「父の日」が近いせいか、「父の日」関連のCMをあちこちで見かけますが、アレは面白いね! 何が面白いって、「父の日」を祝われたお父さんのイメージ映像が面白い。だって、大概、作務衣を着たお父さんがろくろを回していたり、あるいはそうやって自分で焼いたと思しき杯に、陶器の焼酎サーバーから焼酎を注ぎ、満足げな表情をしていたりするじゃないですか。何なんですか、アレは? 要するに、「父の日」の贈り物として望ましいのは、「作務衣」であり、「陶芸セット」であり、「焼酎サーバー」だ、ということなんでしょうけど、いやー、そんなものもらって喜ぶお父さんっているんでしょうかね・・・? そんなにお父さんに作務衣姿で陶芸させたい? 少なくとも私がそんなものもらったら苦笑いですけどねえ・・・。 いやあ。私だけでなく、実際にそんなものもらったら、どこのお父さんだって困ると思いますよ。作務衣って、案外暑いものだしね。それに陶芸用にろくろもらったって、処置に困るでしょうよ! 焼酎サーバーだけは重宝するかも知れないけど、これからの季節、どっちかっていうと冷えた缶ビールの方が嬉しいんとちゃうのん? 要するに、発想が貧困なんだよな。で、CM制作会社かなんかが苦し紛れに作り上げたイメージに乗っかっているだけでしょ。 でも、その発想の貧困さには、日本のお父さんの側にも責任あるんじゃないですかねー。家の中における父親の位置が分からないから、そういうことになっちゃうわけですから。休みの日に家でごろごろしている姿しか見せていないから、「たまにはろくろでも回したら?」と家の連中に言われちゃうわけですよ。 そこで突然「ろくろ」が出てくるところが面白いけどね! そこへ行くと昔の日本映画に出てくるお父さん方は偉かった。なんだか「役所勤め」みたいな設定のお父さんが「背広」(スーツではなく・・・)を着、帽子を被り、革の手提げ鞄をもって、時にはステッキまでついて出勤していき、休みの日には和服をきちんと着こなして机の前に端座し、なにやら「書き物」とかしているじゃないですか。ま、小津映画における笠知衆さんをイメージしているんですが・・・。 ちなみに私の父も昔はそんな感じで、外に行く時は洋服、家に帰ると和服に着替え、家にいる時はなにやら部屋に籠もって書き物をしている、という感じでしたから、ああいう感じの由緒正しき「お父さん像」ってのは、私が子供の頃までは実在していた気がするんですけど、いつのまにか消えましたなあ。 こういう風に新旧「お父さん像」を比較すると、隔世の感がありますね。 でも、何を贈ればいいのか悩んだ挙げ句、「作務衣」やら「ろくろ」を贈られるような、お父さんにはなりたくないナーと、ワタクシは思うのであります。ま、まだ実際に父親になってないんですけどね!
June 14, 2007
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今日、大学から帰宅してみると、玄関で出迎えてくれた家内の元気がありません。 どうしたのかと思いつつ家に入ると、夕食の支度も投げ出したまま。テーブルには電話帳が開いたまま置いてある。おおっと、これは近来にない重症だな・・・。 そうなんです。家内には偏頭痛の持病があり、しばしば悩まされているんです。ま、そういうことは時折あるので、私も慣れてはいるのですが、それにしても病院嫌いの家内が電話帳で病院を調べていたところを見ると、今日のは相当重症らしい・・・。 しかし、時計の針は7時を回っています。大概の病院は受け付けが7時までなんだよな~。 と思ってネットで調べてみると、おお、運のいいことに近くの病院でただ一軒だけ、7時半まで受け付けているところがあるぞ! ということで、もう取るもの取りあえず家内をそこへ連れて行きました。ギリギリ5分前に到着! ふー、間に合った! もっとも、偏頭痛なんて病院に行ったからすぐによくなるというものでもなし。とりあえず診察してもらい、偏頭痛用の頓服をもらっておしまいです。 しかし、こう偏頭痛が頻繁に起こるようでは先行き心配なので、今回はちゃんとMRIをとって、しっかり調べてもらうことにし、その予約も入れておきました。偏頭痛にも色々な種類があり、それに応じた治療法があるようなので、それもハッキリさせてやろうと思いましてね。 というわけで、今日は帰宅してからの大波瀾。いやはや、びっくりしましたわ。 それにしても、幸福の礎は何といっても健康ですな。皆様も健康にはくれぐれもご留意を!
June 13, 2007
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新潟県長岡市の女子高生が学校のトイレで出産という仰天ニュースがありましたが、件の彼女、結局殺人容疑で逮捕されることになったみたいですね。本人が「始末に困って新生児を窒息死させた」と白状しているようで・・・。 しかし、これで容疑が固まれば殺人罪か・・・。「ひと夏の経験」が、随分高いものにつきましたな。 それにしても、この事件で誰もが思ったのは、「周囲の誰も気付かなかったの?」ということじゃないでしょうか。妊婦体型というのは、どう考えたってかなり目立つと思いますけどねえ・・・。ま、そこはちょっとぽっちゃり体型、ということでごまかせたとして、本人はどうだったんですかね? ひょっとして、本人も気付いていなかった、とか・・・。 ま、「さすがにそれはないだろう」と思う人が多いと思いますが、でもね、分かりませんよ~。 と言いますのは、最近、ちょっと似たような話を聞きまして。 私の知人の、さらに知人のことなんですが、その方、現在重い病気で入院中なんです。しかし、これが運の悪い話でね。彼女、数年前に自転車か何かに乗っていてコケたことがあって、その時、腰を強打したんですな。で、それ以来腰に鈍痛が絶えなかった。 で、ただの打ち身にしては随分長引くなあ、変だなあ、と思っていたらしいのですが、そのまま放っておいたんですって。つまり、「腰が痛いのは、自転車で転んだせいであって、ただの打ち身に過ぎないんだ」と信じこんでいたのでね。しかし、さすがにこんなにいつまでも痛いのはおかしいということになって病院に行ってみたら、痛みの原因は自転車でコケたことではなく、内科的な疾患のせいだったというのです。危ない、危ない! まあね。彼女にしても、内心、「ひょっとしたら」という疑いはあったんだろうと思うんです。でも、病院に行って、本当の原因を知るのが怖かったんでしょうな。だから、自分で自分に「これは、自転車でコケたせいだ」と思い込ませてしまい、危うく手遅れになりそうなところまで放っておくことになってしまったわけですよ。 しかし、こういうことは誰にも起こり得ることなんじゃないでしょうか。件の女子高生だって、「妊娠なんかしてたらヤバイ」という恐怖のあまり、「これは妊娠ではない、ただちょっと太っただけだ」「これは陣痛ではない、ただちょっとお腹をこわしただけだ」と自分で自分を騙していたのかも知れませんよー。 人間誰しも「見たくないものは、たとえ見えていても見えない」というところがありますからね。私なんぞも弱虫で、病院にはあまり行きたくない方ですから、そういう意味では私こそ手遅れになるタイプかも。いよいよというところまで我慢してしまって、いざ蓋を開けたらドッカーン、みたいな。ひゃー、くわばら、くわばら! ま、そんなことを考え合わせるだに、今回の女子高生出産殺人事件についても、本質的には決して他人事ではないなあと思っているワタクシなのでした。
June 12, 2007
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今日は夕食後、家内を連れて『スパイダーマン3』を見に行きました。夜9時過ぎの回だと、一人1000円ですのでね。映画なんて、1000円が妥当な料金でしょう! 1800円はちょっと高過ぎる。 ま、人気の映画ですし、これから見ようという人も多いでしょうから、今回は粗筋なし。いきなり点数をつけますが・・・ 79点です。合格~。 でも、ま、誰もが言うことですが、やっぱり一番最初の奴が一番面白かったですね。『2』『3』と右肩下がりなのは否めない・・・。 大体、「愛情のすれ違い&友情のすれ違いネタ」をここまで引っ張られると、ちょいと飽きますね・・・。ピーターとMJの関係にしても、お互い好きならもっと単純にくっついちゃえばいいじゃん? それからピーターとハリーの関係に関して言うと、執事の爺さまには、もっと早く真相をハリーに伝えて欲しかったぜ! 今回面白かったのは、高級フランス料理店の支配人みたいなオッサンだけだったなあ。あれはなかなかのキャラクターだったけど。 それにしても、『スパイダーマン4』はあるのかしら? とりあえずハリーとの確執、MJとの関係も一段落しちゃったみたいだし、次に続くネタがないですよね・・・。ま、強いて言えば、ピーターのおばさんをいじるしかないですけど、どうかな・・・。夫を失った寂しさのあまり、何かに変身しちゃうとか? しかし、内容はともかく、スパイダーマンがNYの町を滑空する場面は、何度見ても気持ちいいね。スーパーマンみたいに純粋に空を飛ぶわけではないというところが、妙にリアリティーがあっていいんだよなー。ワタクシも腕からクモの糸、シューっと出たらいいのに! そんな他愛のないことを考えながら家に向かって20分のドライブをしている時、さすがのワタクシも気がつきました。名古屋の郊外では、いかにスパイダーマンでも思うような滑空はできないということを。だって、背の高い建物がないんですもの・・・。せいぜい15階建てのマンションが、あっちにポツン、こっちにポツンじゃ、無理だよなー! かくして、やっぱ空想の世界にも「適材適所」ということはあるもんだと思い知った、今日のワタクシだったのでした。はいちゃ!
June 11, 2007
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今朝方、変な夢を見ました。 長い夢の最後の方の場面なんですが、私はどういうわけか猫が沢山いる家に遊びに行っているんです。 で、その中の一匹がどういうわけか私になついて、頻りにまとわりついてくるんです。で、優しーく猫パンチを繰り出して、私に「遊ぼう」と言っているようなんです。 その様子がなんだか拳を振ってジャンケンをしたがっているように見えたので、私もつい調子に乗って、「お、君は僕とジャンケンがしたいのかい。そーか、そーか。でもね、君の場合、グーしか出せないでしょ。ジャンケンやったら、僕、絶対勝っちゃうよ」なーんて言いながら、実際にやってみたわけですよ。もちろん私はパーを出すつもりで、いわば必勝の構えです。 いくぞー。ジャンケン、ほかほか、北海道っと! そしたら、グーしか出せないだろうとばかり思っていたその猫ちゃんの拳から、にょっと二本の指が出た。 ウソ! 負けたの、オレ?! っと思った時、目が覚めました。 以上。 ま、そんなトホホな目覚めで一日がスタートしたもので、今日は仕事もそれなりです。学会関連の仕事をしたり、仕事関連の読書をしたり、ベーシック・イングリッシュのテキストを執筆したり。ごく普通の休日でしたな。 そんな平凡な一日の中で、ちょっと印象的だったのは、夕食の時に見ていた『ジャンク・スポーツ』の中で、トミーズ雅さんが放った一言。 ボクシングが好きで、日本でのランキングの1位まで昇りつめた雅さんですが、彼自身「そこが限界でしたな」と言うんです。「好きでボクシングをやる身としては、それが限界だ」と。 彼曰く、「ボクシングって人を殴るスポーツでしょ。人を殴るには理由がいるんですよ」。つまり、プロとしてさらに上を目指す、あるいは世界チャンピオンを目指すには、「ボクシングが好き」という位では、モチベーションとして足らないというわけです。もっと強力な理由がなければ、人の顔を殴り続けられないというわけ。は~、なるほどねえ・・・。 いいこと言うじゃないの。説得力あるねえ。 ま、ボクシングに限らず、なんでもそうかな。私なんか、石に齧りついても一流の学者さんになろうっていうモチベーション、欠け欠けだもんなあ。それがいかんのだな。 のんびり猫とジャンケンしているようじゃ、しかも負けているようじゃ、駄目だね。 というわけで、トミーズ雅さんの一言に、深く納得しつつ、反省しきりの私だったのでした。明日は、頑張るぞー!
June 10, 2007
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今日は久し振りにゆったりとした週末。ということで、仕事関係の本をあれこれ読んだりして過ごしました。 ところで、このところ仕事と言わず、遊びと言わず、あらゆるシチュエーションの中、ヘビー・ローテーションでかけまくっているCDがビル・エヴァンスの『アンダー・カレント』。これがいいんだ、実に。 ピアノ、ベース、ドラムから構成されるピアノ・トリオ作品が多いビル・エヴァンスですが、『アンダー・カレント』はギタリストのジム・ホールと組んで、ピアノ+ギターというシンプルな構成で作り上げた作品。こういう組み合わせというのは、割と珍しいのではないでしょうか。 しかし、そこはそれ「エヴァンス作品に駄盤なし」ですから。 何しろ、出だしからすごいですよ。合っているのか合っていないのかも分からないほど絶妙なタイミング(?)でエヴァンスのピアノにジム・ホールのギターが絡み合い、競い合う冒頭の曲、これがよくよく聴いてみると、かの有名な『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』なんですから、もうビックリ。あの名曲をこういう風にアレンジするのかい! という感じです。チェット・ベイカーが『チェット・ベイカー・シングス』というCDの中で切なく、甘く歌う『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』も好きですが、エヴァンス・ヴァージョンもいいですなあ! 以下、このCDに納められた6曲、すべていいですから、絶対買って後悔することはありません。釈迦楽教授に騙されたと思って、ぜひ聴いてごらんなさいませ。あなたもめくるめくジャズの世界に引き込まれちゃうかもよ~。 それにしても、エヴァンスのピアノってのは、不思議なまでに心地よい音がしますね。例えばクイーンのギタリスト、ブライアン・メイのギターも独特で、聴き違えることがないですけど、エヴァンスのピアノもすぐ分かる。あの独特の響きは一体どうやって出しているんでしょうか。謎ですなあ。 ま、とにかくエヴァンスの『アンダー・カレント』、教授のおすすめ!です。これからの季節、降り注ぐ雨を見ながらこのCDを聴く、なんてのもいいと思いますよ。これこれ! ↓アンダーカレント
June 9, 2007
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「大気の状態が不安定」っていう言葉の響き、いいですねえ。集中豪雨が大好きな、というと語弊がありますが、どうせ降るならバケツをひっくり返したような雨が好きな私としては、天気予報からこの言葉が聞こえてくると、何だかワクワクしてきます。 ま、私の期待に応えるほどではありませんでしたが、今日は名古屋でも一雨ありました。 で、そんな雨の降る夕方、私は車を運転していたのですが、そこでちょっとどうかと思うような光景を見かけたんです。 ちょうど高校生の帰宅時間だったらしく、とあるバス停の前にどこぞの高校の生徒たちが長蛇の列をなしていたのですが、午前中までは晴れていたためか、並んでいる生徒たちの中には傘の用意がない子も多く、一つの傘の中に友達同士数人が入っていたりする。ま、それはいい。いかにも賑やかな高校生らしい風景です。 ところがそんな中、一人だけ、雨の中、傘を持たずにずぶ濡れになっている女の子がいたんです。 ま、要するに周囲に傘を持っている友達がいなかったということなんでしょうが、それにしても彼女の両隣には一人で傘に入っている女の子がいるんですよ。しかしその子たちは、彼女がずぶ濡れになっているのにも我関せずという感じで知らんふりをしている。 いやー。通りすがりに一瞬見ただけですけど、私の目には異様に映りましたね。どうして、傘を持っている両隣の子は、彼女に傘を差しかけてあげないんだろう? いじめ? いや、そんな感じでもない。ただ、「友達じゃないから」という理由で、無視しているような感じでした。しかし、いくらなんでも、この状況ですよ。自分は傘を持っていて、隣にはずぶ濡れになっている子がいるという状況。この状況下で、ずぶ濡れの子に傘を差しかけてあげないというのは、ワタクシには分からないですなあ。 まあ、ね。例えばずぶ濡れになっている子の隣にいるのが両方とも男の子だったら、少しは分かりますよ。女の子に傘を差しかけたりしたら、後でクラスメートに冷やかされたりするでしょうから。あるいはまた、ずぶ濡れになっている子が他校の生徒だったとしたら、照れもあって、知らんふりすることもあり得るかも知れない。 しかし、同じ制服を着た女の子同士ですよ、どう見ても。それだったら、たとえ知らない者同士であったって、両隣の子のどちらかが黙って傘を差しかけてあげるくらいのこと、どうしてできないんだろうか・・・。 こういう状況、多分、日本ならではのものなんじゃないかと思います。少なくとも、アメリカだったらこんな状況、あり得ないな。ま、アメリカってあまり雨が降らないので、そういう状況自体が生じないかも知れないけど、仮にこういう状況を想定した場合、アメリカ人だったらたとえ知らない者同士だって傘を共有しますよ、当然のこととして。 いやー。これが日本っていう国なんですよ。当然のことがなされない国。よく外国人の方が「日本人は親切だ」って言いますけど、とんでもない。 そぼ降る雨の中、ずぶ濡れになりながら、またその気まずさを隠すように一心に携帯でメールをうちながらバスを待つその女の子を見やりつつ、「美しい国、日本」なるキャッチ・コピーの虚しさにあらためて思い至った今日のワタクシだったのでした。ほんと、わけ分からん!
June 8, 2007
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今日は教育実習生の研究授業参観で、イチロー選手の母校、豊山中学校に行って来ました。 参観したのは、中1の「地理」の授業。およそ30年ぶりくらいで「地理」の勉強しちゃいましたよ。 しかし、「地理」かあ・・・。小学生の頃から一番嫌いな時間だったなあ。だって、「地理」って、今ひとつ勉強する意義が分からないんですもーん! 「伊豆七島で最大の島は何か?」とか、そんなこと知ってどうすんだよ! って、子供心に思ったものでございます。もしどうしてもそれを知る必要があったら、その都度百科事典引けばいいじゃん! なーんてね。我ながら、可愛くないガキでございました。ま、「『三』番目に大きいのは『三』宅島!」という、先生お得意のギャグだけはよく覚えていますが。 あと、「白地図」塗るのも嫌いだったなあ・・・。「小学生にもなってお絵描きかよ!」とか、憤慨したもんです。 さて、それで今日の授業ですが、ま、30年前とあまり変わってないなあ、とは思いつつ、それでも中学生に混じって色々なことを勉強しましたよ。 例えば、「豊山中学校のグラウンドをどんどん下に掘って行って、そのまま地球の裏側まで掘ったら、どこへ出るか」なんてことを、ね。 どこへ出ると思います? 答えは、「アルゼンチン沖の海」だそうです。ほーら、勉強になったでしょう! あ、じゃあ、これは? 「南北アメリカ州にある、世界で2番目と3番目と5番目に国土の広い国はなーんだ」。 答えは、「2位カナダ、3位アメリカ、5位ブラジル」だそうです。ちなみに4位は中国ですが、アメリカの方が中国よりでかいって、ちょっと驚き・・・。ま、アメリカにはアラスカという「おまけ」がありますからね、あれが決め手かな。 じゃ、ついでにもう一問。「アイスランド共和国は、1944年に独立するまでどこの国の支配下にあったでしょう」。 答え:デンマーク。ほれ、意外だったでしょう! あと、「エクアドル」という国名は「赤道」を意味し、事実赤道直下にある、というのも今日小耳にはさんだ知識でしたね。そういえば英語で赤道のことを「イクエーター」と言うんでした。納得。 さ、今日ワタクシが中学生と一緒に学んだ地理的知識は、以上でーす。 はあ~。1時間勉強して、増えた知識はこれだけか・・・。なんかねー、やっぱり物足りないな。結局、どうでもいいような知識じゃないでしょうか? もう少し、ガツンと腹にこたえるような地理的知識ってないもんですかねー。一応、授業後に実習生にもそう言っておきましたけどね。 例えば、日本から見て地球の裏側(=もっとも遠いところ)はアルゼンチン沖(=ブラジルの近く)だ、ということを教えるのだったら、どうして明治時代にそんな遠いところまで数多くの日本人が移民していったのか、ということをあわせて教えたら、地理的知識が歴史的知識と結びつくじゃん? ま、これはひとつの例ですが、地理的事実の中に人間のドラマを見出さないと、単なるクイズ的知識の伝授になっちゃいませんかね。ワタクシはそんな風に思うのですけどねえ。 ま、それはともかく、久々に見る「中学1年生」ってのは、可愛いもんです。 「日本の人口を統計で調べてみよう」という実習生の問いかけに、一人の女の子が「はーい、日本の人口は1万2千7百十三万人です!」なんて答えていましたけど、可愛いねえ。「1万2千7百十三万」人と来たか・・・。 でも、教室に居並ぶ、大人にもなりきらず、さりとてまるで子供でもない、微妙な年齢の子供たちの顔を見ていたら、ワタクシの中学時代の同級生たちの顔がそこここにダブって見えました。みんな、今頃どうしているのかなあ・・・。 とまあ、豊山中学校での研究授業を参観しつつ、色々なことに思いを馳せた今日のワタクシだったのでありました。
June 7, 2007
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先日は『病牀六尺』、このところ『仰臥漫録』と、続けざまに正岡子規の病床日記を読んでいるのですが、これが哀しくてね・・・。 ま、日記ですから、子規としてもこれ見よがしに病気の苦しさ、辛さを訴えているわけではないんです。むしろ淡々と、今日は何を食った、便通があった、友人が来た、何を読んだ、あれが食いたい、これが食いたい、というようなことばかりがそっけなく書かれているんですが、それでも時折病勢が募るのか、病から来る痛みや癇癪のことを悲鳴のごとく書き出しているところがある。「痛みに耐えかねて号泣、また号泣」なんて書いてあると、気の毒で気の毒で・・・。 子規最後となる誕生日の祝いに、店から料理を取り寄せて母親・妹と三人で食事をする風景とかね。もうしみじみ哀しい。 でまた、長いこと病床に臥せっていると、食事の他には友人・知人が来てくれることほど気が紛れることはないようで、日記に「今日は客なし」なんて記してあるところは、一層寂しいんですよ。 それでも、感心なことに、高浜虚子だとか河東碧梧桐だとか、その他子規の友人・弟子たちはかなり頻繁に子規の病床を訪れ、彼の無聊を慰めているんです。それぞれ自分の仕事で忙しかっただろうに・・・。しかし、彼らが訪問してくれることが、子規をどれほど元気づけたかは、これらの病床日記を読んでいればよく分かる。 そんなことを思うにつけ、私にも思い当たることがありまして。 私の大学時代の恩師は、高血圧がもとで腎臓を病み、人工透析をするようになったのですが、この透析というのが傍で見ていてもなかなかしんどいものなんです。それに、これを何年も続けていると、やはりあちこちに障害が起こってくるので、体調もすぐれなくなることが多い。そんなこともあって、先生も晩年に至って頻繁に入退院をくり返すようになられました。 で、その当時私は大学院生で、暇な身分なものですから、病院に入院されている時など、しばしば先生からお声がかかる。「釈迦楽、ちょっと来い」というわけです。 で、行ってみると、先生も具合が悪いのか、ただ黙って俯いてベッドに腰掛けていたり、横になっておられるわけ。ですから、私も何を話しかけるというわけでもなく、ただ手持ち無沙汰のまま、ベッドの脇の椅子に腰を下ろし、黙っている。そんな風に、二人とも押し黙ったまま4時間、5時間、時には10時間くらいそうしている。その間、言葉を交わすのなんか、ふた言三言ですよ。 それで、夜の11時頃、さすがに終電が気になり出して、「じゃ、先生、また来ます」というと、先生は「おう」と一言。そんなことが週のうち三日、それが延々二ヶ月、三ヶ月と続くわけ。 そんな具合ですから、時々、私も気が狂いそうになるんですけど、きっとそういうイライラが顔に出るんでしょうな。そんな時は先生が帰ろうとする私の後ろ姿に向かってボソッと、「釈迦楽、今日は悪かったな」なんておっしゃるんですよ。それを聞くと、私の高ぶっていた気持ちがふうっとほぐれて、「いいんですよ、明日また来ます」と言ってしまう。 そんなことが二年、三年、続きましたかねえ・・・。 今から考えれば、とりわけ、子規の病床日記なんかを読んだ後で考えれば、ただ黙ってベッドの脇に座っているだけの取り柄のない私なんぞでも、病気の先生の気を紛らすという点ではお役に立っていたのかなあと思います。しかし、当時は、自分の時間が容赦なく無駄にされることに対して、私はどうしようもなく苛立っていた。まったく、あれだけ先生と時間を過ごしながら、私は先生の気持ちのほんの一部すら分かっていなかったんですな。それで、先生に「悪かったな」なんて謝らせてしまって・・・。 ほんと、情けなくって涙が出ます。 そんなことも、もう15年、いや20年近い昔のこととなりました。子規の病床日記を読んでいて、そんな昔のことを思い出させられましたわ。 それにしても、子規の時代にペニシリンがあれば、ペニシリンさえあれば、と思いますねえ。もともと頑健な子規のこと、結核なんぞたちどころに治って、元気になれたでしょうに・・・。 まっこと、人の世は、思うに任せないことばかりでございます。
June 6, 2007
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前にも書きましたが、わけ分からんのが多いジャズ・ライターの中で、寺島靖国さんという方は感性が私と若干似ているところがあり、彼の書くものは割と楽しんで読んでいたんです。少なくとも、ちょっと前まで、ね。しかし、最近、そのことに関して一つ問題が生じてきまして・・・。 寺島さんは、どうも安原顕氏と仲が良かったらしく、彼の書くものの中にしばしば安原氏のことが出てくるんです。いや、それどころか、ジャズを巡って安原氏と仲睦まじく対談した本まで何冊かある。そこが問題なんですな。と言いますのも、私はこの安原顕という人物のことを非常に胡散臭く思っているので、そういう人物と意気投合している寺島氏というのは一体どういう人なんだろう、と、ついつい思うようになってしまったわけですよ。 安原顕というのは・・・いや、自称「スーパー・エディター」の「ヤスケン」と言った方が通りがいいのかもしれませんが、『パイデイア』『海』『マリ・クレール』などの編集で鳴らした敏腕編集者のこと。それぞれの時代をリードするような雑誌を編集してみせたのですから、こと編集に関する限り、安原氏というのは確かに腕利きだったのかも知れません。が、残念ながら、人格的な面で彼のことをよく言う人はあまりいないのも事実。ま、既に故人になった人のことを悪く言うのも何ですが、例えば大江健三郎をやけに持ち上げていたかと思うと、ある時から突然、手のひらを返したように彼のことを口をきわめて罵倒し始めた、といった突然の変節ぶりは有名で、同じようなことを村上春樹に対してもやったことがある。要するに、変な人なんですな。 それでも、特定の作家に対する評価を突然変える変な人、というだけなら、まだいいんです。問題なのはそういうことすべての裏にある彼の下劣さですね。例えば宮田毬栄という人の書いた『追憶の作家たち』(文春新書)という本にも、安原氏の嫌らしさを表すエピソードが出てきます:「(『死の棘』の作者の)島尾さんは『海』編集部の内情にも詳しく、私とY氏との深まる確執を心配して、一夜食事をしながら話し合う席を設けて下さったことがある。二人とも島尾さんとは親しい関係にあったからだ。新宿『中村屋』でのフランス料理のフルコースの間中、和気藹々とした空気がみちていて、島尾さんはほっとした表情で二人に『握手をしたらいい』と提案された。握手した瞬間、私でさえ今夜かぎり心塞がる関係が霧散するのではないかと錯覚したくらいだ。島尾さんは『ぼくのためにも仲良くしてくれなきゃ困るんだ』と満足そうだった。食後は西新宿のバー『火の子』に席を移し、私たちは夜遅くまで話し合った。 島尾さんに、『仲良くやるからさあ、ぜーんぜん、だいじょうぶ!』とくり返していたY氏は、翌日もう元通りになり、『甘い、甘い。人が好すぎるっつーの、島尾さんは!』と言いまくっていた。島尾さんのせっかくの配慮は空振りに終わったのである。 (中略)社内にいても、同じ職場でなければY氏の人間性は絶対にわからない。同じ囲いのなかにいて初めて理解されることなのだった。(『海』編集長の)塙氏の嘆息の重さを私はつくづく実感した。塙氏が亡くなったとたんに、Y氏は彼を絶賛しはじめた。見事な転換ぶりと言うほかはなかった。塙氏はもはやY氏の嫉妬や羨望の対象から外されたというところなのだろう。」(132-133頁) ま、安原氏という人物について、私がしばしば目にする人物評は大概こんな感じです。ですから、私が安原氏のことを「品性下劣を絵に描いたような人物」として認識しているのも、無理ないでしょう? ごく最近も、村上春樹氏の自筆原稿が市場に出回っていることに関して、村上氏自身、自筆原稿を著者の許可なく市場に売り払ったのは安原氏である、と告発していましたが、いかにもそういうことをやりかねない人物であるわけですよ。 で、そういう人物と寺島氏は仲がいい、と。 さて、ここで問題です。このシチュエーションをどのように解釈すればよいでしょうか?1 安原顕氏に関する否定的な情報はすべて間違いで、本当はすごくいい人であり、寺島氏が彼と仲がよいことは何ら問題がない。2 安原顕氏のような卑劣な奴と仲良くつきあえる寺島氏はどうかしているのであり、寺島氏も同じ穴のムジナかもしれない。そんな人の書いた本は読まない方がいい。3 安原顕氏は卑劣な奴かもしれないが、寺島氏に対してはそうした卑劣な面を見せなかったのであり、その友情は貴い。よって、寺島氏が安原氏と親しいことは何ら問題がない。 さて、正解はどれでしょう? ま、「3」が正解なんでしょう、多分。しかし、ワタクシはまだまだ修行が足りないので、ついつい「2」の解釈に傾きそうでございます。だもので、どうも最近、寺島氏と安原氏が重なって見えるようになり、以前ほど熱心に寺島さんの本が読めなくなってしまったという・・・。残念なことですが、冒頭で述べたのは、そういうことなんですな。 ほんと、偏見ってのは、恐ろしいものでございます。 しかし、それにしてもヤスケンってのは、本当のところ、どんな奴だったのでしょうか・・・。聞くところによると、作家の村松友視さんが、『ヤスケンの海』という本を書いて安原顕氏のことを(好意的に)追悼しているようですので、今度、この本でも読んでみますか。これを読んで、少しでもヤスケンへの偏見がとれれば、そのとばっちりで寺島さんに対して私が抱き始めてしまった偏見も、氷解するかも知れませんからね。
June 5, 2007
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なんかね~、今年の3年生は出来が良くて、ビックリよ。 私、3年生に対しては毎年シェイクスピアの講読やっていて、今年は『リチャード三世』を読んでいるんですけど、まあよく予習してくること・・・。本文はもちろん、オックスフォード版の注もすべて読み、福田恆存訳も十分参考にした上で、的確な質問してくる。 しかも、授業が終わった後も毎回のように数名の学生が教壇に駆け寄ってきて、さらに質問してくるんですわ。テキストにはばっちり書き込みがあるし、詳細なノートを作っている奴もいる。いやあ、こんな出来のいい3年生って初めて。で、相手がそれだけ勉強してくるとなると、こちらも負けずに予習していくので、結果として、とてもいい授業が出来る。だもので、今年は月曜日が楽しみなんですよね~。今日も、実にいい気分で授業を終えることが出来ました。 で、いい気分で研究室に戻ってみると、またまた嬉しいサプライズが! というのも、今年の3月に卒業していった釈迦楽ゼミの卒業生のTさんが、ほんのちょっとですけど、研究室に遊びに来てくれていたんです。しかも・・・ ボーイ・フレンド同伴で! マジかよ、聞いてないぞ、そんな話。 で、聞いてみると、この彼氏君、4月から同期として働き始めた会社の同僚とのことで、研修の期間を通じて親しくなったのだとか。ちなみにTさんは、つい「イーコ、イーコ」したくなるほど小柄なお嬢さんなんですが、彼氏君の方は背の高い、穏やかそうな好青年で、なかなか微笑ましい凸凹カポーでした。 ま、私は大学にあってはゼミ生の親代わりみたいなものですから、この彼氏君には、「Tさんは釈迦楽ゼミの大事な箱入り娘なんだから、めったなことがあったら許さんぞ!」と釘を刺しておきましたが、「は、大切にします!」と大真面目に答えていましたから、一応、交際は許してやろう。はっはっは! ってなわけで、思いもかけない卒業生の来訪もあり、ただでさえ気分のいい月曜日がさらに気分よく過ごせたのですが、今日はそれだけではなかったんです。帰宅してからも、さらなる楽しみがありまして・・・。 そう、夕食後、家内を連れてまたお気に入りのジャズ喫茶、「青猫」に行ってしまったのです! わーい! ここを訪れるのは3回目ですが、もう(玉村豊男似の)マスターにも顔を覚えてもらっているので、気分は既に常連さんです。 で、そんな気軽さもあり、今日はついに生まれて初めて「リクエスト」なるものをしてしまいました。一度はポール・ブレイというピアニストの『オープン・トゥー・ラヴ』、二度目の時はチック・コリアの『マイ・スパニッシュ・ハート』です。ポール・ブレイの方は、私は初めて聴いたのですが、エヴァンスっぽいというよりは、キース・ジャレットっぽい感じでしたね。まあまあじゃないすか? 一方、チック・コリアの方はいまいちだったかな・・・。ワタクシ、多分、チック・コリアはあんまり好きじゃないんでしょう。彼が何をしたいのか、よく判らんですもん、何を聴いても。 それにしても「青猫」、目立たない外観のわりに常連がついているみたいで、私たちは11時過ぎまでいたのですが、その時間でも結構新規の客が入っていました。やっぱ、居心地のいいところは、人は皆、嗅ぎつけるんでしょう。ここ、コーヒーも旨いしね。 かくして、今日は大学院も含め3コマの講義があったにもかかわらず、その疲れも吹き飛ぶほど楽しい月曜日となったのでした。今日も、いい日だ!
June 4, 2007
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今日は町の自治会の年中行事の一つ、「町内清掃」の日でございます。 ま、このマンションに住んで10年。この種の行事に参加したことのない不良住民のワタクシ。しかし、今年は違います。なにせ私、今年は自治会役員、それも環境委員ですから。今年度の「町内清掃」の責任者は、かくいう私なのだ! ということで、今日は朝もはよからゴミ拾いに草むしりですわ。ヤレヤレ・・・。 しかし、例年のしきたりを知らないもんですから、私はてっきり、最初に参加者が全員集合するんだと思っていたんです。だから、当然、責任者の私がそこで一言挨拶と、それから各種の指示をするんだと思っていたわけですよ。 だから、一応、スピーチの心づもりだけはしていたんです。「えー、皆様、今日はお休みのところ、自治会の清掃活動にご参加いただきまして、誠に有難うございます。えー、今日はお日柄もよく・・・」みたいな感じ? ところが、そういうんじゃないんですな・・・。もうね、住民が三々五々集まってきては勝手にこちらが用意したごみ袋や軍手なんかを受け取り、もうそのまま清掃に行っちゃうの。毎年やっているから、勝手が判っているんですな。 でもさあ・・・。じゃ、ワタクシのスピーチはどうなるの。せっかく寝ないで用意したのに、聞かないの? しかし、肩を落とすワタクシを尻目に、清掃活動はどんどん進んでいったのでした。そして、せめて閉会の挨拶でも、と思ったワタクシの野望も虚しく、始まった時と同じように流れ解散となったのであります。ガクガクッ! それでも、私にとって意外だったのは、こんなにも多くの住民が自治会の清掃活動に自主的に参加するんだー、ということ。それも親子連れで参加なんてところも結構ある。ま、1時間の清掃活動の後、マンションの管理組合が独自に用意したジュースの差し入れというご褒美があるので、子供なんかはそれがお目当てなんでしょうけど、それにしても、ね・・・。 ま、それはそれで結構なことでございます。 だけど、私のような超夜型人間にとって、日曜日の早朝起床はきついね。清掃活動は午前中に終わりましたけど、午後は眠くて、だるくて・・・。使い物になりませんでしたわ。やっぱ、善良な老若男女とご一緒に清掃ボランティアだなんて、やりつけないことはやっちゃいかんってことかしら? というわけで、色々な意味で不完全燃焼の週末となった今日のワタクシだったのでした。
June 3, 2007
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俳優の石立鉄男さんが亡くなったそうで・・・。享年64歳。俳優としては早過ぎる死でした。 石立さんというと、何と言っても『奥さまは18才』、そして『パパと呼ばないで』での好演が光ります。『奥さま』では、当時抜群の人気を誇っていた岡崎友紀さんの相手役でしたが、高校教師と生徒が結婚してしまったことから生じるドタバタ喜劇という、当時としてはかなり斬新な設定が話題になったものでした。 しかし、やはり石立さんの本領が最初に発揮されたのは、『パパと呼ばないで』ですね。天才子役・杉田かおる演じる「チー坊」の継父役、あれは良かったなあ。ま、こちらのドラマもいわば「なさぬ仲」の父と娘が次第に本物の親子になっていくというのですから、ドラマの設定としては相当斬新です。 要するに、「普通だったら、あり得ない」というような特異なシチュエーションに振り回される二枚目半を演じさせたら、当時、石立さんの右に出るものはなかった。日本版「シット・コム(=シチュエーション・コメディ)」俳優として、貴重な存在だったんです。 またその伝で行けば、気の強い女ばかりの5姉妹(冨士真奈美、大原麗子、川口晶、山口いづみ、杉田かおる)の家庭に一人下宿することになってしまった若いカメラマン見習い、フーテンのジャックこと十一の喜劇を演じた『雑居時代』というドラマも印象的でしたね。私はこのドラマが『パパと呼ばないで』と同等、いや、それ以上に好きだったのですが、どういうわけかあまり再放送されたことがない・・・。5姉妹の父親役の大坂志郎さん、十一の師匠役に川崎敬三さんなどを配し、なかなか重厚な作りだったのですが。ちなみに、このドラマの中で十一としょっちゅう喧嘩しながらも、最終的に恋に落ちるのは若き日の大原麗子ですからね。いかに石立鉄男が二枚目としても認知されていたかが分かろうというものです。 それにしても昔のテレビドラマは短いものでも今の倍、半年で1クールでしたからね。24話ものエピソードを作って、個々の挿話としても、また全体としてもちゃんと起承転結つけていたんですから、大したものです。私思うに、そういうちゃんとしたテレビドラマの傑作は、水谷豊の『熱中時代』を最後に、存在しなくなりました。脚本家も、俳優も、それだけ力のある人がいなくなったということでしょう。 ちなみに、世代の違う家内に聞いてみると「石立鉄男」と言えば、「この薄汚いシンデレラ!」(『少女に何が起こったか』での名セリフ?)なのだそうですが、日本でも稀なシット・コム俳優の活躍の場が、そんなセリフを言わせるようなレベルの低いドラマしかなかったということは、実に残念なことだと思います。俳優としてもっとも油の乗ってくる40代、50代の頃、彼は作品に恵まれなかったんですなあ。 ま、中年・壮年の二枚目半というのは、使い難かったのかも知れませんけどね・・・。 近年、あまりテレビで見かけなくなったとはいえ、私にとっては存在感のある俳優だった石立鉄男さんの急死の報に接し、何だかとても寂しい気がしています。石立さんの熱狂的隠れファンのことを巷では「テツ・マニア」というそうですが、私も全国のテツ・マニアの方たちとともに、1970年代のテレビドラマで一時代を築いた名優のご冥福をお祈りいたします。合掌。
June 2, 2007
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またまた遅ればせながら『世界最速のインディアン』という映画を見てきました。アンソニー・ホプキンス主演の映画です。 この映画、時代設定は1960年代前半。ニュージーランドの片田舎に住むスピード狂のオートバイ乗り、バート・マンロー(アンソニー・ホプキンス)が、愛用のオートバイで世界最速記録を塗り替えるため、アメリカに渡って「最速レース」に参加するんですな。 しかし、何といってもこのマンロー、既に年金暮らしの63歳、アメリカに渡るといってもそんなお金なんかあるわけない。でもって、愛用のマシンというのが42年前から乗っているポンコツ・バイクってんですから、周囲の連中だって「世界最速」にチャレンジしようなんていう彼の無謀な計画には半ば眉唾です。 そんな時、彼は狭心症の発作を起こすんですな。もう、これからはニトロが離せないようになってしまう。 で、普通だったら、その時点で夢をあきらめるわけです。が、マンローはそうじゃない。自分の老い先がそんな長いものでないと知ったら、逆に「今、チャレンジするしかない!」と思っちゃった。彼はついに自宅を抵当に入れて渡米資金を調達、人々の協力も得てついにアメリカ行きの貨物船にもぐり込み、愛機「インディアン」とともにアメリカを目指すことになる。 そしてロサンゼルスに上陸してから、レース会場となるユタ州ボンヌヴィルまでの道のりは、まさにロード・ムービーそのもの。ニュージーランドとアメリカの文化的ギャップに戸惑いつつ、色々な人たちと出会い、彼らを助けたり、彼らから助けられたりしながら、マンローはついにボンヌヴィルに到着。25年間もの間夢に見続けた、スピード・マニアの聖地・ボンヌヴィルの塩水湖跡の白い大地を踏みしめるんですな。 とはいえ、そこから先も苦難の連続ばかり。そもそも世界最高速にチャレンジするレースへのエントリーの締め切りはとっくに過ぎているし、彼の愛機「インディアン」は、42年前に作られたオールド・マシン。しかもひたすらスピードを出すためだけに改造に改造を続けたマシンだけに、ブレーキなどの安全装置は一切なし、タイヤもひびの入った古タイヤのゴムを肉きり包丁で極限まで薄く削ったお手製の溝なしタイヤというシロモノですから、レースの参加要件となる「車検」に通るわけがない。 しかし、そういった幾多の障害も、スピード命の一途さと人間的な魅力でことごとく乗り越え、彼がレースに参加することを思い止まらせようとしたレース主催者たちまで味方に引き入れたマンローは、ついに正式にレースへの参加を認められることになります。 さて、63歳の老オートバイ乗りは、愛機「インディアン」に打ちまたがって、なみいる強豪たちに伍し、オートバイの世界最速記録である「時速315キロ」の壁を打ち破れるのか?! ま、そんな映画です。 で、その『世界最速のインディアン』に対するワタクシの印象批評点はと言いますと・・・ 83点です! 合格! もうね、アンソニー・ホプキンスが主演したら、その映画は合格以外のものではあり得ません。映画の最初から最後まで、彼がスクリーンの上にずっとい続けるのですから、どんな映画ファンにとっても至福の2時間半としか言い様がない。 それに、障害物が何もない広大な塩水湖跡を、「インディアン」が疾走していく映像の迫力のあること! でまた、300キロで疾走しているマシンがとんでもないポンコツで、しかもそれに乗っているのが心臓病の爺さんだと分かっているわけですから、余計ハラハラする。これはねえ、見物です。 また、年老いたオートバイ乗りのマンローと、彼を応援する隣の家の少年との交流なんかもあってね、これがまた泣かせるわけですよ。 というわけで、『世界最速のインディアン』、まだご覧になっていない方は、ぜひDVDでお楽しみ下さい。教授のおすすめ! です。
June 1, 2007
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