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今日は昼食を外で食べようということになり、両親と姪を連れて「オールド・ヒッコリー」というピザ屋さんに行きました。 このお店のことは前にも書きましたが、今回行ったのは町田・境川団地のそばにあるお店です。ま、父のリクエストなんですが、なかなかおいしかったです。 ところでこのお店、客の目の前でピザを焼いてくれるのですが、ただ焼くだけではなく、ちゃんと生地を伸ばすところから見せてくれる。しかもなかなかその腕が良いらしく、ピザの生地をアクロバティックに回転させ、時には空中高く放り上げたりしながら薄く伸ばしていくわけ。それがなかなか面白いので写真に撮ろうということになり、父が若い職人に頼むと、非常に快く承諾してくれて、カメラを構える父の前で何度も職人芸を見せてくれました。いや~、なかなか感じのいい青年じゃないですか。父もご満悦です。 さて、食べ終わって帰路についたわけですが、せっかくここまで来たのだからということで、途中、「町田ダリア園」というところに立ち寄ることにしました。今、ちょうどダリアが満開の頃ですからね。 このダリア園(入園料350円也)というところには初めて行ったのですが、まあ、色々な色、形のダリアが所狭しと咲いています。ま、論より証拠、実際の写真をご覧下さい。 とまあ、こんな調子です。世の中には、色々な種類のダリアがあるもんですなあ。 ま、ワタクシの好みからいいますと、ダリアというのは少し人工的過ぎて、それほど好きな花ではないのですが、それでもデジカメに凝っている父がやたらにシャッターをきっていましたから、めでたし、めでたしです。一方、俳句好きな母に言わせると、もう少し情緒豊かに植えるなりしてくれないと、句になる風景にならないとのことでした。ま、同感ですね。 ちなみにこのダリア園、入園しなくとも入り口のところの売店で様々な草花を結構安い値段で買えるので、庭いじりの好きな人にはいいかも知れません。我が家も少し花を買いました。 さて、ダリア園を堪能した後、次に向かったのは「パティスリーMamis」というお菓子屋さんです。ダリア園の近くに「風見鶏」という喫茶店があると聞いてうろうろ探していたところ、肝心の「風見鶏」を発見する前に、このお店を発見してしまったんです。で、見たところ良さそうなお店だったので、ここでもいいか、ということになったという次第。 でも、このお店、案外掘り出しモノでした。何だか自宅を改装した小さなお店で、パンや焼き菓子を売っているのですが、そこにテーブルも置いてあって、コーヒーもタダで飲めるようになっているんです。ちなみに店の名前は、パティシエを務めているお嬢さんの名前からつけたとのことでしたから、ここのパンやお菓子は「真美さん」が焼いているんですな。 ということで、我ら4人もこの「真美さん」お手製のタルトやらプリンやらを買い、ベランダのテーブルで勝手にコーヒーを飲みながら食べたわけですが、店自体が高台にあるので、なかなか眺めがよろしい。で、屋外にもかかわらず、天然の風が吹き渡ってきて涼しい、涼しい! また知る人ぞ知るようなところにあるので、客の出入りも少なく、のんびりできる。しかもコーヒーはタダですから、4人でお菓子を食べながらリラックスして、お代はたったの1030円也。いやあ、ここは穴場だなあ! また来てもいいな。パティスリーMamis、教授のおすすめ!です。これこれ! ↓パティスリーMamis かくして、おいしいピザを食べ、様々な品種のダリアを堪能し、パティスリーMamisでリラックスして、なかなか優雅な午後を過ごしたワタクシだったのでありました。今日も、いい日だ!
July 31, 2007
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今朝の名古屋地方、明け方に猛烈な雷があり、日頃寝汚いワタクシもあまりの轟音に叩き起こされてしまいました。もう、自分の上に落ちたかと思った。 何を隠そう、実はワタクシ、この雷という奴が苦手でして。雷が激しく鳴っている中、傘をさして外を歩くなんて、とてもできません・・・。絶対狙われる・・・。おへそ取られる・・・。 子供の頃、夏の夕方など、外で遊んでいる時に突然の雷雨にあったりすると、魂の縮むような思いをしたものです。どういう言い伝えか、「雷は青いものの上には落ちない」と聞き、青い屋根の家の軒下などを伝いながら、ほうほうのていで家まで逃げ帰ったりして。 ところが、母方の故郷である群馬県というところは、これがまた雷の名産地でございまして。夏の夕方には夕立とともに必ずものすごい雷が鳴る。もう、決まったように鳴る。 で、地元の人は慣れているせいか、雷が鳴ろうが、近くの木に落ちようが、平気の平左なんですが、ワタクシのように雷の嫌いな都会ッコが夏休みに田舎を訪れているような場合ですと、この雷が怖くて仕方がない。 で、耳を塞いで部屋の片隅でじっとしていると、大人たちに「意気地がない」とさんざん馬鹿にされたりして、悔しい思いをしたものでございます。 さてその後、私も大学生となり、一人前に家庭教師なんぞをしたりしたものですが、ある時、高校生を教えている最中に雷が鳴り出した。 で、「おやおや、嫌なものが鳴り出したぞ」と思いながらふと傍らを見ると、私の教え子の高校生が真っ青になってブルブル震えている。 聞くと、彼が中学生の頃、学校の行事で山に登っていたところ突然雷となり、クラス委員であった彼が持っていた先頭旗の上に落ちたというのです。彼は電撃によって数メートルも飛ばされ、幸い命に別状はなかったものの、顔も身体も腫れ上がって見るも無残な姿になってしまったとのこと。以来、彼は雷が鳴り始めると自分でも止めようもなく震えが来てしまって、どうしようもないのだそうですが、さもありなん、さもありなん。 彼に比べれば私の雷嫌いなんぞ大したことはないんですが、今でも雷が鳴っているうちは、安全な家の中にいたいものですなあ。 実は私、所用があって、今東京の実家に戻っているのですが、今まさにこの辺りではかなり激しく雷が鳴っております。何だか雷が嫌がらせに私の後について名古屋から移動してきたみたいな感じですが、こんな時はもうさっさと布団の中に入ってしまうにしくはないですね。 ということで、今日はいつもより早目ですが、もうさっさと寝ることにします。お休みなさーい!
July 30, 2007
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このブログを初めて2年半ほど経ちますが、ついにアクセス数の総計が10万に届きそうなところまで参りました。日記代わりに日々の出来事を綴り、あるいは読んだ本・見た映画の感想などを綴り、時に職場での不満や社会に対して疑問に思うことのぶつけ先として批判的なことも綴って参りましたが、そんな我が儘勝手な文章を述べ10万人の方が読んで下さったかと思うと、嬉しいような恥ずかしいような、といったところでございます。 それでも、こんなものでも面白いと言って下さる方があり、またかつての教え子の中にはこれを読んで母校の様子を伺う縁にしている者もあり。それらの方々の励ましにも支えられ、これからも日々駄文を連ねて参る所存でございますので、今後ともご贔屓のほど、どうぞよろしくお願いいたします。 さて、今日の私ですが、毎年夏休みのはじめはいつもそうであるように読書三昧でした。一度に何冊かの本を同時に読むのは、あまり勧められた読み方とも思いませんが、読みたい気持ちと、実際に読めるスピードとの間に大きな差がある場合、ついじれて、読んでいる本を投げ出し、次の本に手を出してしまうということは、ワタクシの場合にはよくあることでして。 というわけで、今日も特に脈絡なく様々な本に手を出していたわけですが、その中で特に一冊、つくづく素晴らしいと思ったのは鈴木牧之(ぼくし)の書いた『北越雪譜』(岩波文庫)でございます。 この本が我が国の誇る名著であることは、何も私が言挙げする必要もないのでしょうが、しかし、誰であれ、とんでもない名著であるがゆえに逆に敬遠してしまうということはよくあることで。私も、この本のことは前々から知っていましたが、パッと見のとっつき難さからなんとなく読まないうちにこの歳まで来てしまったわけ。 しかし、以前このブログにも書きましたように、毎年夏になると「山」や「登山」に関する本を一冊は読むと決めているもので、ま、この本は「山」の本ではないものの、「北国」の「雪」についての本だから、ということで、無理やり今年の夏の課題図書に自ら指定してしまったという次第。 で、読み始めてびっくり。これが、まあ面白い、面白い。 鈴木牧之というのは江戸時代末期の人ですが、その時代の北越の風土や人の暮らしを様々なエピソードや牧之自らの経験をもって語ったこの本、とにかく日本語が美しい! そのリズムのある、格調高い日本語の文を読んでいくと、それ自体が快感、という感じ。 で、淡々とした語り口で北国の厳しい自然とそこでの暮らしを説きながら、そこに知恵があり、ユーモアがあり。ほろりとさせるところもあって、江戸末期の知識人とはこのようなものでありましたか! と、その力のほどを見せつけられます。ちょっと凄味すら感じますね。 ま、まだ最後まで読んでいないので、トータルな読後感はまた後ほどということにしますが、とにかくこんな面白い本は久し振りに読みました。これ読んだら、巷に溢れる現代の本なんか、ちゃんちゃらおかしくて読めやしねえ、というもんですよ。 ということで、とりあえず何はともあれ、夏の読書に『北越雪譜』、教授の熱烈おすすめ! ということで、今日もいい日だ! とまとめておきましょう。これこれ! ↓北越雪譜改版
July 29, 2007
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喫茶店でおいしい紅茶を飲むのは難しいですが、家でおいしいコーヒーを飲むというのもまた難しいものでありまして、ワタクシも長年研究してはいますが、依然として「これ」という方法論を確立していないのも事実。 で、スターバックスのコーヒーの味が好きな私は、家でもああいう味のコーヒーが淹れられたらいいのになあ、と思っていたのですが、先日某雑誌を読んでいたら、そのスターバックスの教育担当ディレクター、スコット・マクマーティン氏の話として、家庭でできるおいしいコーヒーの淹れ方、というのが出ていた。 スコットさん曰く、家庭でおいしいコーヒーを淹れるには「コーヒープレス」を使うにしくはない、とのこと。 つまり、紙ドリップや布ドリップを使ってコーヒーの粉にただお湯を通すのではなく、ちょうど紅茶を淹れる時のようにコーヒーの粉をある程度の時間お湯に浸すのがいい、というのですな。で、その時に使うのが「コーヒープレス」なんです。ほら、紅茶用の「ティープレス」というのがあるじゃないですか。あれのコーヒー版で、粉を漉すアミみたいのをグッと押し下げる奴。うまく説明できませんが。 で、これまたスコットさんによれば、コーヒープレスを使う時は、コーヒーの粉がプレスの編み目に引っ掛かるように「荒挽き」じゃないとダメなんだそうですが、その荒挽きに挽いたコーヒーの粉に適温(90度~95度)のお湯を注ぎ、ちょっと掻き混ぜて4分待つ。そして4分経ったらプレスを押し下げて粉とコーヒーを分離し、カップに注ぐというわけ。ま、抽出に4分もの時間をかけるというところがアレですけど、手続き自体は簡単です。 この記事を読んで以来、いつかこの方法でコーヒーを淹れてやろうと思っていたのですが、昨日、覚王山からの帰りにスターバックスに立ち寄ってコーヒーを飲んだ時、そこでコーヒープレスを売っていたのをいいことに、そいつを一つ買い求めたわけ。で、今日、午後のお茶の時間にスコットさんの言う通りにコーヒーを淹れてみたわけですよ。 で、その結果はと言いますと・・・ スターバックスで飲むコーヒーの味とまったく同じレベルとは言わないものの、相当うまーい! でした。やっぱり、4分間じっくり時間をかけてコーヒーの旨味を引き出すのがいいのでしょうか。ただ、荒挽きにした粉とはいえ、それでもコーヒープレスの編み目に引っ掛からない細かい粉がカップに入ってしまうので、カップの底の方にコーヒーの粉が沈んでしまいます。その影響か、この方法で淹れるコーヒーは、「ベトナム・コーヒー」の味わいに近いものがありますね。 そして、今日、コーヒーのつまみとなったのは、昨日覚王山のケーキの名店「シェ・シバタ」で買ってきた焼き菓子。マドレーヌやらカップケーキやらですが、これがまたコーヒーにはぴったりの味で、おいしかったですよ。 ということで、今日は「コーヒープレス」なるものを初めて使った「コーヒープレス記念日」となった釈迦楽家だったのでありました。今日も、いい日だ!これこれ! ↓ ボダム(BODUM) フレンチプレスコーヒーメーカー ケニヤ 6カップ用【ウェディングフェア...
July 28, 2007
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なんだか連日外食が続きますが、今日の昼は名古屋郊外・覚王山は日泰寺の参道にある桜屋というお店でランチをしてきました。私が勤める大学での恩師である名誉教授H先生ご夫妻にお招きを受けたためです。 で、その桜屋さんですが、今日私達がいただいたのは1600円のコースで、メインが「肉じゃが」だったのですけれど、通常の肉じゃがとは異なって野菜が豊富で新鮮。肉も「冷しゃぶ」風にあっさり仕上げてあるので、夏の暑い時にはもってこい。現在「マクロビオティック・ブーム」の釈迦楽家としては非常に嬉しいものでした。 ところで、H先生にお会いするのは春休み以来なんですが、その時お会いしてから先生は転んで利き腕の右手首を骨折され、随分不自由されたそうで、また転んだ時の衝撃が相当大きかったらしく、手首だけでなく身体全体の調子がおかしくなってしまったとのこと。 そういうお話を事前に伺っていたので、お会いするまでは少し心配していたのですが、それでも実際にお会いすれば、いつも通りの先生でしたね。ま、我々に心配をかけないように、無理にそのように振る舞っておられたのかも知れませんが。 ということで、先生の体調の方はまだ回復途上という感じではあるものの、それでもこの夏、H先生ご夫妻は久し振りにロンドンに滞在される予定とのことで、また今年も日本に釘付けの私としては羨ましい限り。 ところで、今日、私と家内が先生ご夫妻のご招待を受けたのには、このロンドン行きが大いに関係あるんです。と言いますのも、先生の奥様がイギリス行きに際してデジタルカメラを買いたいとおっしゃるので、その機種選定のアドバイスを、私が仰せつかっておったのでございます。 しかし・・・実はワタクシ、カメラのことにさほど詳しいわけではなく、あまり頼りにならない助っ人なんですな。しかし、そこはそれ、何事であれ「調査」すること自体は得意ですから、インターネットなどを駆使して、今売れ筋の機種、満足度の高い機種などを見繕い、その上で大手家電販売店へ先生ご夫妻をお連れした、という次第。 ちなみに今日先生ご夫妻をお連れしたのは「K'sデンキ」という量販店です。ここは他の量販店とは異なり、ポイント制ではなく現金値引きなので、一回きりの購入にはいいかな、と思ったので。それに、先日、この量販店の別店舗で電気製品を買った時、店員の商品知識が非常に豊富だったので、割と好感を持っていたためでもあります。 しかし、今日先生をお連れした「一社店」は、あまりよくなかったですなあ。対応してくれた店員の二人とも、素人に毛の生えたような商品知識しかなく、私以上に頼りない、頼りない。しかも、私の調査によると今、デジカメで一番売れ筋という「リコー・カプリオR6」という商品を置いていないというじゃないですか! なんじゃ、そりゃ! 責任者出て来い! とはいえ、今日のこの暑さですから、先生ご夫妻をまた別な店に連れて行くということもためらわれ、この店にある商品から選ぶことに。で、最終的にはパナソニックの「ルミックスDMC-FX30」というのと、ニコンの「クールピクスS500」のどちらか、というところまで絞られました。 で、両者を比べると、ひょっとするとパナソニックの方がトータルな性能はいいのかもしれないものの、使い易さではニコンの圧勝。ということで、ニコンの方をおすすめし、奥様はこちらをご購入されました。ま、私としてはお役目を果たしたということで、ほっと一安心。 ちなみにH先生ご自身は、フィルム式のカメラのマニアでいらっしゃるので、デジタルカメラなんぞには目もくれず、という感じでしたが、最近のデジカメは性能がいいですからねえ。奥様が使っていらっしゃるのを見て、そのうちご自身も一つ欲しくなられたりするのではないかしらん。 というわけで、今日はH先生のお宅の「デジタル化」のお先棒を担ぎつつ、和やかなひと時を過ごすことができたのでした。今日も、いい日だ!
July 27, 2007
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新聞配達の兄ちゃんにもらった映画のタダ券で『ダイ・ハード4.0』を見に行って来ました。 ま、まだ見てない人もいるかも知れませんので詳しい内容は言いませんが、それなりに面白かったですよ。退屈するということはないです。 ただね、第1作の『ダイ・ハード』の面白さに比べちゃうと、もう全然。 ま、こういう続編ものの例によって、最新のものになればなるほど犯罪の規模は大きくなります。『ダイ・ハード』が単に日系企業「ナカトミ産業」ビルの占拠に過ぎなかったのに対し、今回の『4.0』では、それこそ全米規模の「サイバー乗っ取り」ですもんね。 でも、だからそれだけ面白くなったかというと、さにあらず。むしろ純粋にストーリーの面白さから言えば、規模の大きさに反比例してつまらなくなります。そういうもんでしょ。 大体、今回のストーリーにしても、ある意味、すごい陳腐ですよ。アメリカの国防システムの欠陥を指摘したのに無視されたコンピュータ・オタクが、その欠陥をついて全米のライフラインを司るコンピュータ・システムを破壊。その行為を「警告」と称して正当化しつつ、金融情報を操作して巨額の金を手に入れようと企てる、ってんですが、そんなような話、もう何回か映画化されてませんでしたっけ? で、その悪巧みの一端をかつぐことになってしまった在野のハッカーの若者、マシュー・ファレル君をしょッ引く仕事を引き受けたために、一連のサイバー・テロにかかわることになってしまったマクレーン警部が、例によって悪い奴らをやっつけるというわけですけど、なにせ相手はコンピュータ・オタク集団ですから、そういう部分でのカウンター・アタックは同じくコンピュータ・オタクのマシュー君の出番になってしまって、マクレーンが担当するのはアクションのみ。つまり、頭脳担当とアクション担当が別になってしまったわけですよ。 そこへ行くと初代『ダイ・ハード』は、マクレーン自身が単身、ない知恵を絞って、犯罪集団の綿密な計画を出し抜くというところがあった。それこそが面白かったんですけどね。 というわけで、今回の『ダイ・ハード4.0』の点をつけるとすると・・・ ・・・72点でーす。面白かったですけど、点数化すると、こんなもんでしょ。ま、一応は見て、楽しんで、最終的に「でもやっぱり、最初の『ダイ・ハード』が面白かったな」と確認するための映画ですかね。 さて、そんなわけで家内を連れてこの映画を楽しんだ後、「一社」というところにある「シャンパン・ブランチ」というカフェで遅めの夕食をとりました。ここ、中華風の炒めものを黒パンにはさんで供する中華風ホットサンドが有名な店ですが、結構おいしかったです。 かくして、釈迦楽教授の夏休みの初日は、こんな風に過ごされたのでございます。ま、初日としては、よかったんじゃないでしょうか。ということで、今日も、いい日だ!
July 26, 2007
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はあ~。今日で前期日程終了~。明日から夏休み~。 それにしても、今日の午後は会議が5つもありましたからね。まあ、最後の最後まで色々やらせてくれますわ、大学側も。 でも、まあいいや。明日から栄光の夏休みですもん! これでようやく息がつける。本が読める。ものも書ける。 ということで、今日の夜は家内と近くの焼き鳥屋さんで打ち上げです。授業の日程が終わった日の焼き鳥パーティーも、このところ恒例化しておりまして、こいつをやらないとどうも「終わった~!」という気にならないんです。 で、煙もうもうの庶民的な焼鳥屋さんの暖簾をくぐり、カウンター席に陣取って「グレープフルーツ生絞りサワー」みたいなものを注文したりしながら、焼き鳥、血肝、ハツ、つくね、せせり、なんこつ、などなどを次々食べていくわけですが、うーん、前期が終わった解放感もあって、実にうまいねえ! ついでに「ししゃも」みたいな渋いものだとか、「豆腐どてかつ串」みたいな名古屋っぽいものも注文してみたりして。そして仕上げは五目釜飯を二人で分けて食べました。二人でお腹一杯食べて飲んで、お代は3500円也。安いねえ。名古屋ってところは、ほんとに食べ物がおいしくて安い! そしていつものように帰りがけに本屋さんに寄って、ちょいと立ち読みしたりして。これがまたリラックスできるんですわ。結局、買うものはなかったですけどね。 というわけで、今日は前期終了を祝してのささやかな焼き鳥パーティーを楽しんだ釈迦楽家だったのでした。今日も、いい日だ!
July 25, 2007
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今日の午後、指導している大学院生のI君が、修士論文の進行具合を報告するために研究室に来たのですが、つい先日教員採用試験を受験したばかりで、今日はあまり報告することがなかったんです。 となると、研究室でいつまでも話をしていても仕方がないですし、今日は夏休み直前という気楽さもあって、ちょいと大学を抜け出し、しばしのドライブ末、名鉄・知立駅近くのジャズ喫茶、「グッド・ベイト」で息抜きをすることに。ま、要するに僕の趣味を押しつけているんですが。 とはいえ、I君は今週末、フジ・ロックフェスティヴァルに行こうというほどのロック青年ですからね。音楽には目がない奴ですし、それにロック一辺倒ではなく、このあたりでジャズの洗礼を浴びせておくのもいいのではないかと。 で、その「グッド・ベイト」ですが、私もここを訪れるのは初めて。ジャズの本で愛知県のジャズ喫茶の在り処をチェックしていた時にその存在を知ったんです。ま、実は私、一時期知立という町に住んだことがあるので、この辺りについてはある程度の土地鑑はあるのですが、そんなところにジャズ喫茶なんかあったっけなあ? という感じ。知立ってのは、そんな洒落たところじゃないですからね。 で、地図を便りに実際に行ってみますと、確かに、「この辺に喫茶店があるはず」と前もって知っていなければ、通り過ぎてしまうようなお店でした。なんだか、喫茶店というよりは、「スナック」みたいな感じ。窓もあまりないので、やっているのかどうかも定かでないという・・・。 そしたら、ドアのところに「やっています」という看板が出ていました。よかった、やっているんだ! で、中に入りますと、まあ、何ということでしょう、そこに「昭和」がありました。それも「40年代」の昭和が。 そして、暗さに目が慣れてくると同時に、壁を占領する煙草の煙に燻されたLPレコードの群れも見えてきました。なんか、いかにも「昔のジャズ喫茶は、きっとこういうものだったんだろうな」というような佇まいでございますなあ。 で、客は常連さんらしきおっちゃんが一人いるだけだったので、I君と私はスピーカーの真ん前の特等席をゲット。コーヒーを注文します。400円也。つまみにケーキでも、と思いましたが、ケーキなんか置いてもいません。純粋に飲み物だけの喫茶店なんですな。 ちなみに、私の行きつけのジャズ喫茶「青猫」は、ゴールドムンドのアンプ&プレーヤーにJBLの巨大スピーカーの組み合わせですが、「グッド・ベイト」はというと・・・分かりませんでした。何せ店内の至るところに歴代のアンプ、プレーヤー、ターンテーブル、スピーカーなどがごちゃごちゃ置いてあるので、結局今は何を使っているのか、よく分からないわけ。でもとりあえず鳴っていたスピーカーは、金庫くらいの大きさのオンキヨーのスピーカーでした。 で、鳴っていたのはギタリスト、ジョー・パスの『アフター・アワーズ』でした。私はこの人の作品を聴くのは初めてでしたけど、ギター、ピアノ、ドラムスの調和のとれた、なかなかいい作品だったと思います。一緒に聴いていたおっちゃんも気に入ったらしく、マスターに「これ、いいねえ」なんて話しかけていましたっけ。 ただオンキヨーのスピーカーの特性か、中音域から高音にかけての響きはとてもいいのですが、低音域がイマイチ迫力不足だったような。 それでも、やっぱりある程度までスピーカーは大きさがものを言いますから、家で聴くのとはまた別な次元の音でしたけどね。ジャズ喫茶なるところに初めて来たというロック青年のI君も、「こういうのを聴くと、オーディオに凝りたくなるのも分かりますね」とのたもうておりました。 ま、そんな調子で小一時間ほどグッド・ベイトでジャズを堪能し、その後、知立駅から帰るというI君を駅に下ろして、私は再び大学に戻ったという次第。 ま、もうすぐ夏休みですし、院生相手の授業ですから、たまにはこういう外回りもいいでしょう。私としても、また一つジャズ喫茶を開拓することが出来ましたしね。次は、マスターにリクエストしてみようかな! ということで、知立にある昭和40年代風ジャズ喫茶「グッド・ベイト」、「興味のある方には」という限定つきながら、教授のおすすめ!です。
July 24, 2007
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このところやたらに忙しいんですけど、こういう時って、なんかポカをやらかすワタクシ。 で、今日も大学院やゼミを含む3コマの授業をやって帰宅して、ヤレヤレと思いながら夕食を食べていたら、なにやら電話が・・・。 こんな時分時に誰かと思ったら、自治会の委員の方からでした。おお、今日は自治会の会合だった! 忘れてた~! というわけで、食事の時に飲んでいたサングリアのせいと、会合をすっぽかしかけた恥ずかしさのせいで、若干赤い顔をしてこそこそと自治会会議室へ・・・。すみませーん・・・。 で、端っこの方で小さくなって参加していたんですけど、今日の会議の議題は、10日後に迫った地元の盆踊りの打ち合わせでした。 で、その盆踊りですが、我々役員は強制参加。ちゃんと仕事も割り振られていて、夜店でアイスクリームを売るんですと。 で、それは仕方ないかなと覚悟していたんですが、どうもそれだけじゃないらしい。なんと、アイスクリームを売る傍ら、踊りの輪に参加することが求められているらしい・・・。 なんでも、毎年踊りに参加する人が少なくなって、放っておくと誰も踊らず、間が持たないんですって。で、誰も踊らないとなると、ますます寂しいことになるので、せめて我々役員が「サクラ」となって踊り、他の人の参加を促すと。 ええ~っ、マジかよ~~。 この歳で、ほんとに踊らなきゃいかんの、盆踊り・・・。嫌だね~! っていうか、そんなに踊る人が少ないんだったら、そもそも盆踊りを企画すること自体に無理がないか? 保存会じゃあるまいし、やりたい人がいない盆踊りやってどうするんだって。 あー、やだやだ。何が悲しくて、踊りたくもない盆踊りを踊らなきゃならんの。近所の奥さんたちと。 というわけで、今日は帰宅してから踏んだり蹴ったりだったのでありました。トホホ!
July 23, 2007
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このところ、我ながら偉いと思うほど根をつめて仕事をしていたので、今日は少し息抜きをしようと、家内とランチを食べに近くのカフェに行きました。 行ったのは、名古屋・東山公園の端っこ、荒池ひろばの近くにある「ピンチ・オブ・ソルト」という名前のカフェ。ここはお菓子にしろ食事にしろ「マクロビオティック」を意識したものを提供してくれるオーガニック・カフェです。 駐車場がない(ところからしてオーガニック派ですが・・・)ので、近くの道路に路駐(駐車禁止区域ではありません)し、いざ中へ。と、なかなかいい雰囲気のお店じゃないですか。初めて来たのに落ち着きます。 で、とりあえず1000円の「POSランチ」を注文。 出てきたのはまず「豆乳のビシソワーズ」。おお、いきなりマクロビオティックっぽーい。しかも、お味もなかなか。 そして次に出てきたランチの本体ですが、玄米ごはんにおかずが4品。ゴボウと人参とすり胡麻のきんぴら、レタスなど数種の野菜のサラダ、ジャガイモなど数種の温野菜にジェノベーゼ・ソースのかかったもの、そしてタマネギと豚肉のソテーといった陣容。で、この豚肉も、本物の豚肉ではなく、多分大豆から作った植物性のものだと思います。でも、味も食感もほとんど肉ですね。よく出来てるわ~。 で、全部食べた感想ですけど、合格! うまかったです。味付けも穏やかな、優しい味でありながら、物足りないということはありません。また玄米ごはんも妙にモチモチしていておいしかった。一杯食べれば腹持ちも良さそうでしたしね。とにかく、なんだか知らないけど「身体に良さそう感」満点って感じ。あー、これぞマクロビオティック! で、「POSランチ」はこれに飲み物(もちろんハーブティー的なものが主ですが、我々は有機栽培コーヒーを注文)がつくのですが、ついでに味見というわけで、デザートとしてスコーンと「黒ごまのロールケーキ」を注文してみました。 ま、スコーンの方は全粒粉を使ったもので、スコテッド・クリームの代わりに豆乳のクリームがついていたりしてそれらしかったですけど、これは「まあまあ」程度かな。でも、「黒ごまのロールケーキ」、こいつはステキな味でしたね。いかにも身体に良さそうだし、実際、うまいんですわ。しっとり、もっちり系で、甘さもしつこくない。これ、バッチリおすすめ。 というわけで、静かな住宅街にひっそりと佇む自然派カフェ「ピンチ・オブ・ソルト」、教授のおすすめ!です。これこれ ↓ピンチ・オブ・ソルト ところで、ピンチ・オブ・ソルトに感銘を受けたワタクシ、急に「マクロビオティック」志向になってしまいました。もう、肉なんかガツガツ食ってる場合じゃないよ! 自然に還ろう、野菜中心で、玄米を食べよう。 大体、「マクロビオティック」の発想自体、日本人の発明になるそうじゃないですか。桜沢如一(ジョージ・オーサワ)なる人物が唱導したんですってよ。ご存じでした? 玄米食中心で、陰陽のバランスのとれた食事をしっかりとってれば、健康で持久力のある身体も維持出来るというというのですが、話に聞くだに身体に良さそうです。 おーし、明日から、いや、今日の夕食からマクロビオティックじゃ! 女房殿、玄米を用意せい! というわけで、にわかマクロビオティック信者となったワタクシですが、ま、どうせ2日も続きはしないので、ご心配なく。でも、そっち方面に急に切り替えずとも、少しずつそういう方向で食を考えていった方がいいんでしょうな。ま、我が家の場合、家内がいつも野菜の多いメニューを作ってくれていますが、肉料理がせめて一品ないと寂しいと思ってしまうワタクシ。その辺を改善して、週に何日かは肉抜きの日を作ってもいいのかも知れません。 ところで・・・。今日、ピンチ・オブ・ソルトに来ていたお客さんたちを見て感じたことですが、自然派志向の人って、見かけで分かるね。 今日、このカフェに来ていた人の大半は、常連客とおぼしく、オーナーと親しげに挨拶していましたけど、彼らがまたいかにもそれ(自然派)っぽいわけ。まず服の色が地味。いかにも草木染め系。もちろん素材は木綿。そして流行とは無縁の、身体の線が出ないような服を着ている。その他もろもろ、いかにもな感じ。 ま、それもいいんですが、なーんかね。どうなのかなって。 主義主張が見かけで分かるってのは、ちょっとカッコ悪くない? (ボカッ! 大きなお世話だ!) ワタクシ、小学校の時からキリスト教系の学校に育ちましたが、そこで叩き込まれたのは、「クリスチャン臭くないクリスチャンになれ」ということでした。私はこれは優れた見識と思います。 だから、どうせなるなら、マクロビオティックス派臭くないマクロビオティックス派にならないとね。いいじゃん、たまには肉食べても! 昨日の「パタゴニア」の社長も言っていましたけど、人間なんて所詮自然を傷つけて生きているんだし。 ま、そんな感じで、見かけからしてさほど自然派っぽくなく、出来る範囲でゆるーくマクロビオティックするつもりのワタクシなのでした。
July 22, 2007
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今日、お昼頃、何の気なしにテレビを見ていたら、スポーツ用品・アパレル関連のメーカーである「パタゴニア」という会社についてのドキュメンタリーをやっていました。 で、これが案外面白かった。 何せ、この会社、湘南にあって、朝から社員が総出でサーフィンに興じるんですよ。会社に社員のサーフボードを仕舞っておく倉庫があり、またシャワールームも完備。 しかも、朝だけではなく、波が良ければ、勤務時間中だろうが、サーフィンに行っていいんですって。 つまり、勤務時間の管理は社員任せで、ノルマさえきちんとこなせば、遊びたい時に遊んでよろしい、という方針なんですな。で、実際、それでいて仕事には支障がないどころか、むしろ能率が上る、というのだから素晴らしい。スポーツ用品を扱うメーカーだけに、社員がそのスポーツのことを熟知していることも重要なのでしょう。 とにかくこの会社のポリシーは、「社員の満足度が高ければ、それだけいい仕事ができる」というもの。だから、この他にも色々な自由がある。 例えば、社員は誰でも年に3週間、外国で様々な体験をする機会があるんだそうです。で、ある女性社員は、この休暇を利用し、社名にもなっている南米の秘境パタゴニアに赴いて大自然と対峙し、リフレッシュして帰って来たといいます。また子供が1歳であれば、男性社員も年に8週間の育児休暇を取ることが決められているのだとか。 ほう・・・。 しかし、パタゴニアのすごいところは、社員の福利厚生だけではありません。肝心なビジネス面でも相当面白いことをやっているんです。 中でも一番すごいのは、「売らないビジネスをする」ということ。 スポーツ用品、スポーツウェアのメーカーなんだから、商品を売らないとまずいわけですが、パタゴニアでは「修理出来る用品、ウェアはとことん修理することを客に勧める」というのです。で、モノを作って売れば、それだけ環境に対して負荷をかけることになる。その負荷を最小限にするためには、なるべく新しいものを売らないことが重要だ、というのがパタゴニアのポリシーなんですって。もちろん、それはまた修理に耐えられる商品を作っているという自負でもある。そして、もう修理もきかないところまできたら、商品を回収して完全なリサイクルを目指すというのだから、徹底しています。 そしてまた、環境に負荷をかけないよう、自社の製品には、たとえコストが掛かろうと、農薬を使わないオーガニック・コットンなどを使っているのだとか。そのため、製品は他社のものより高くなるのですが、そこは社の方針を周知徹底して、客の理解を求めることで乗り越えるのだとか。 いやー、何から何まで素晴らしいじゃん! こんな会社が日本にあったとは・・・と思ったら、やっぱり外資系でした。社長の話もちょっと出ていましたが、相当カリスマ性のある人らしい。 いいねえ、こういう筋の通った会社って。働いていても気持ちがいいでしょう。 それに引き換え、ワタクシが働いているところのボスである「文部科学省」とかいう奴、馬鹿すぎて話にならん。パタゴニアと正反対に、社員の働く環境を悪い方へ、悪い方へと押し進め、働くモチベーションを下げるようなことばっかりやってやがる・・・。 ま、それはともかく、パタゴニア、気に入りましたねえ。今度サーフボード買う時は、絶対パタゴニアの製品にしようっと! (サーフィンするのかよっ!) 皆さんも、ぜひ! パタゴニア製品、教授のおすすめ! です。
July 21, 2007
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メールで流れてくる大学からの連絡に目を通していたら、「図書館除籍本販売のお知らせ」のいうのがあったので、「お、こ、これは!」と思ってクリックしたところ、案の上、我が大学附属図書館所蔵の本を処分する、ということでした。 要するにですね、うちの大学図書館の本で、もうほとんど貸し出しの記録がない本1万8千冊を「除籍」にし、古書として販売する、ということなんですな。で、まずは何軒かの古書店が欲しい本を抜いていき、残った本を大学教員に1冊100円で販売、さらに残ったものを一般の人に販売する、ということらしい。 いやあ。うちの大学にしてはなかなか素晴らしい企画じゃないですか。 というわけで、古本命のワタクシとしては、嬉々としてその1万8千冊の放出本のリストを見ていたわけですよ。しかし、何せ1万8千冊ですからね。そう簡単に見終わるわけではありません。まだ半分くらいしか見ていないんですけど、結構買いたい本があったなあ。 ところで、このリストの中で、既にプロの業者が買い取ってしまったものには、そのような印しがついているんです。で、一体業者はどういう本を買って行ったのかちょっと興味があって、印しのついているものばかり、ざっと目を通してみたわけ。 そして、非常に興味深いことにワタクシは気付いたのであります。 もちろん、彼らは色々なジャンルの本を買っていくわけではありますが、その中に「このジャンルの本は必ず買っていく」という特殊なジャンルがある。 何だと思います? ずばり、「地方史」関連の本です。これはもう、残らず売れている。 それも「大日本地誌」といった大まかな本ではなく、「豊橋市○○史」とか「三河地方○○史」のような、非常に限定された地域の歴史に関する本が全部持って行かれているんですな。 は、はーん。そういうことか・・・。 いやあ、実はワタクシ、こういう地方史関連の本にまるで興味がないので、古書店などでこの種の本が置いてあってもまるで関心がなく、密かに「こんな本置いちゃって、誰が買うんだよ・・・」と思っていたんです。 でも、今回の件でようやく認識を新たにしました。「地方史」関連の古書というのは、間違いなく売れるんですな。そういう市場が確固としてあるのでしょう。いやー、やっぱり生活が掛かっているプロの業者は、ワタクシのような単なる素人の本好きとは目の付けどころが違いますなあ! 勉強になりましたーーー! その一方、絶対プロが持っていかない種類の本というのもある。百科事典、有名な作家や学者のありふれた全集、流行本。共著の本もまったくダメ。「○○入門」なんてのも全然ダメ。あと、あまりにもジャーナリズムに乗ってしまったような人の書いたものもダメ。ひと頃は学会・世間に名前が売れていた学者さんの著作なんかが店晒しになっているのを見ると、時代の流れの残酷さを感じます。 こういうのを見ると、本ってのは出せばいいってもんではないことがよく分かりますな。 ま、そんな色々なことを考えさせられながら、この成績の悪い「除籍本」の中から救い出してあげる本を選ぶ作業に、しばらくは没頭できそうなワタクシだったのでした。
July 20, 2007
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連日、地震関連のニュースを見ますけど、見る度に不安になってきますなあ。あんなんで、日本の非常事態への取り組み、大丈夫なんですかね? 大体、食料とか水とか、そんなものすら届いてないっていうじゃないですか・・・。避難している人に配られる食料は、何も入っていない「塩ムスビ」、しかも一人一個だそうで、2日目ともなると、「せめておかずとして香の物が欲しい」との要望が出されているとか。GNP世界何位という国が、「香の物」すら出せないとは・・・。 これ、言っちゃ悪いけど、新潟の田舎町の話でしょう? この程度の規模の町すらさっさと救えないようじゃ、めちゃくちゃお先真っ暗じゃありません? これが東京だったらどうなるわけ? 塩ムスビすら食えないんじゃないの?! 一個の塩ムスビを巡って何百人が争うことになったりして。修羅場だよ~。 せめて、小売り最大手であるコンビニ業界とか、日頃の恩返しとばかり、大量のオムスビを差し入れるくらいのことがあってもいいんじゃございませんこと? あるいは、日本を代表する企業であるトヨタにしたって、年間2兆円も稼いでいるんだったら、こういう時に私財を投げ打って救済に立ち上がったってよろしいのでは? 「あの時はトヨタマンに世話になった」ということになれば、復興の際には、町中の人がトヨタ車しか買わない、なんてことになるんじゃないの? さすれば、「損をして、得をする」ということになりませんかい? あと、もう一つどうかと思うのは、全国のお寺ですわ。こういう災害があった時など、宗派を挙げて被災者救済のために立ち上がるとか、そういう動きはないのかね。僧侶のボランティアなんて見たことないですけど、彼らが出てくるのは葬式の時だけ? 例えば赤十字なんてのは、キリスト教系の団体でしょうが、こういう時ちゃんと動きますよ。私、名古屋近郊にある赤十字系の「豊田看護大学」というところのエラいさんと若干のおつきあいがあるんですが、ここは大学の校舎の地下に毛布やら、食料やら、水やら、そういうのを貯蔵していて、日本の各地で災害が生じると、そこから支援物資を送るんです。多分、今回も送っているはず。 それだけではありません。ここ、地元で災害があった時など、大学を挙げて看護活動をする準備があるんです。そのための自家発電装置まで持ってますよ。 それに比べて、どうなんですかね日本の葬式仏教徒ども。災害があった場合、避難民を受け入れる用意があるお寺さんなんてあるのでしょうか? 自家発電装置もっている総本山なんかないでしょ? あるとしたら、お宝を泥棒から守るための最新の監視装置くらいなもんじゃない? 情けなくなるね。 情けないと言えば、原発の放射能漏れを隠した東京電力。なんで隠すかね・・・。原子力発電がどうしても信用できないのは、こういう連中が運営しているからですよ。 名古屋も東南海地震が近々、なんて脅されっぱなしですけど、新潟の様子を見ているとすっごく、ふ・あ・ん。 ま、ちなみに我が家の場合、名古屋が地震に襲われると同時に、東京に住む友人の谷山君が水と食料と毛布を満載して助けに来てくれることになっているので、自治体経由で配られる塩ムスビの列なんかに並ぶ必要はないんですけどね。(「谷山君」って、誰?) それはともかく、地震大国のこの国にしてこの体たらくに、いささかがっかりしているワタクシなのでした。もう、わけ分からん!
July 17, 2007
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いやー、今朝の地震にはびっくりさせられましたね。名古屋でも相当揺れました。震源地に近い中越方面では随分多くの死傷者が出たとニュースに出ていましたが、これ以上の被害が出ないことを祈ります。 ところで、このところちょっと嬉しいのは、卒業生からポツポツと近況報告のメールが届くこと。なぜこの時期に卒業生からの便りがあるかと言いますと、実は数日前にうちの科の卒業生に向けて「同窓会報」を発送したからなんです。 この同窓会報、大学当局とはまったく無関係に、ごく私的に私が出しているものでありまして、原稿依頼・編集・印刷に始まって、完成した会報の折り・封筒詰め・宛先&差出人シール貼り・郵便局への持ち込みまですべて私一人でやっています。 ま、それだけに苦労しちゃうんですけど、発送してしばらくすると、卒業生たちから「会報、届きました!」とか、「同期の仲間たちが社会の中で頑張っているのを知って、励みになりました!」といった便りが届いたりしますし、あるいはまた「結婚して名前と住所が変わりました!」なんて報告も届いたりする。ま、これが楽しみで、一人苦労を背負っているようなもんなんですな。 「同窓会報」といっても、内容はわずか4ページの小さなものなんですが、こんなものでも卒業生と大学をつなぐ唯一の絆ですからね。私がこの大学にいるうちは、続けたいなと思っています。 さて、明日は誰から便りが届くかな? しばらくはメールを開けたり、大学のメールボックスを開けるのが楽しみなワタクシなのでした。今日も、いい日だ!
July 16, 2007
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昨夜の予想では、台風4号は今日の昼頃東海地方に最接近とのことでしたが、実際には今日の名古屋地方、昼頃には晴れてましたね・・・。 もっとも、ニュースによると、我が家の近くを流れる小川で、40代くらいの男性が流されて亡くなったとのこと。お気の毒に。まさか今回の台風がらみで自分が死ぬとは思っていなかったでしょうに。 しかし、よくありますよね、台風の最中、様子を見に川べりに行った人が流されて亡くなるというケース。あれ、「何でそうなるの?」と思う反面、実はよく分かるんですよね、その気持ちが・・・。 私も台風が来る度に、近くの川とか、見に行きたくなるんですもん! 海辺に住んでいたら、絶対海を見に行くと思う。実際、昨日も夜遅く、「ちょっと見に行こうかな・・・」なんて言って、家内に怒られたくらいですから。で、私が見に行こうと思ったまさにその川で、同世代の男性が流されて亡くなったんですから、いわば私の身代わりみたいなもんだ。 やっぱね、濁流の川、荒れる海ってのは、人を惹き付ける魔性を持っているんですよ。「流される」という言葉がありますけど、こちらがしっかりした心を持っていないと、水の魔力にふらふらっと流されちゃうんですな。 ハーマン・メルヴィルの傑作、『白鯨』の冒頭にもそう書いてある。あの長大な小説の語り手、イシュミールも、陸での生活に倦んだ挙げ句、水に誘われるように流れ、流れて、ふらふらっと港に来てしまい、それでつい出来心で捕鯨船に乗っちゃうんですから。さすが船員生活の長かったメルヴィルだけあって、水の持つ魔性をよくご存じですわ。 ま、それはともかく、幸いなことに水の魔力に捉えられることのなかったワタクシ、今日は一日家に居て英語教則本の執筆、また執筆。でも昨日・今日と頑張ったおかげで、いよいよ最終段階までこぎつけました。あとはもう一度、最初に戻ってトータルなバランスを見ながらあちこち書き直す作業ですな。あと、巻末の練習問題も考えなくてはなりません。 それから、本の装丁も考えなきゃ。 何しろうちの大学出版会、資本がないですからねー。出版コストを抑えなければならないので、装丁もなるべく安くあげたいわけ。だったら、自分でやったるわ! というわけで、今回は装丁も自分でやることにしたんです。 お金をかけずに、インパクトにある装丁にするにはどうすればいいか。ま、その辺が知恵の絞りどころでして。 というわけで、今日はなかなか充実した仕事日となったのでした。今日も、いい日だ!
July 15, 2007
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今日のお昼、今シーズン初となる「冷し中華」が食卓に上りましたーー! うまかったー! やっぱ、こいつを食べると、夏が来たって実感があるねぇ。 ちなみに我が家が自宅で冷し中華を作って食べる場合、名古屋の麺メーカーである「寿がきや」の麺を使うのが定番です。家内曰く、焼きそばの麺は「マルちゃん」、冷し中華は「寿がきや」が一番なのだそうで・・・。 さらにちなみに、名古屋地方では、冷し中華を食べる時はマヨネーズを添える、というのが常識なんだそうです。が、我が家ではそれは御法度。冷し中華にマヨネーズはないですよ。冷し中華には芥子でしょ、芥子。 さて、冷し中華で幸せになった後、午後はひたすら執筆です。いや、論文ではなくて、英語の教則本の方なんですが、もう少しでゴールが見えてきました。何しろ今月中には仕上げて、来月は印刷所に入稿、9月上旬には製本まで仕上げようというのですから、そろそろ○○に火がついてきましたからね。 で、本日の執筆の調子はまさに絶好調。なにせ傍らでは昨日買ったデノンのコンポが迫力のサウンドでジャズを響かせてますからね。執筆も4ビートに乗ってノリノリです。 外は雨。段々雨足が強まり、風も少し強くなってきたようです。台風4号が東海地方に近づいてきているんですな。被害がないことを祈りますが、もともと台風が大好きなワタクシとしては、ちょっとワクワクしているところ。台風のエネルギーに後押ししてもらって、今日はもう一丁、仕事に打ち込むとしますか。 それでは、皆様、台風に気をつけてよい週末を!
July 14, 2007
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今日、ついにオーディオ・コンポ買っちゃいましたー! なーにぃーーーー、やっちまったなー! 男は黙って、デノン。男は黙って、デノン。(by クール・ポコ) このところずっと機種選定には時間をかけてきたんですけど、結局選んだのはデノン製のコンポ。帰宅して早速セッティングし、音を鳴らしてみると・・・ おーーーー、素晴らしい! コスト・パフォーマンス最高! このサイズ、この値段で、このリアルな音なら、ぜーんぜん文句なし! やっぱ今まで使っていたソニーのコンポとは大分違いますなあ。 大体、音の迫力が違う。床にまでずーんと振動が伝わってくるもんね。 というわけで、先程からこれまでに買った様々なCDでジャズを聴いているのですけど、お気に入りのものはさらによく、今まであまりいいと思っていなかったCDも、新たな魅力を見せつけながら鳴っています。やっぱ、ジャズはいい音で聴かないといかんね。 かくして、我が家のオーディオ新時代の幕開けです。台風がらみの大雨が予想されている明日からの3連休、こいつを楽しみながら、大いに仕事をしましょう! それでは、皆さんもよい週末を!
July 13, 2007
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タイピン、「する派」ですか? それとも「しない派?」 私は「する派」なんですなー。 いやー、先日、学会で東京の実家に戻っていた時、うっかりタイピンを名古屋の家に忘れてきてしまったんです。で、父に「タイピン、貸して」と頼むと、もちろん二つ返事で貸してはくれましたが、「お前、まだそんなものしとるのか?」と逆に尋ねられてしまいました。 父曰く、「今どきの若いモンは、タイピンなんかしておらんだろう」とのこと。 ま、それは確かにそうなんで、しばらく前から、若い人はあまりタイピンをしていないみたいですよね。いや、若い人だけでなくて、老いも若きも全般にそうかな? しかし、一体、なんでなんだろう? タイピンって、そんなに格好悪い? だって、あれ、必需品じゃないかしらん。例えば、スーツ姿のまま手を洗う時とか、前かがみになった時など、タイピンがなければネクタイがボヨーンと垂れ下がるじゃないですか。いいの、それで? 中には、マフラーみたいにネクタイを肩ごしに後ろに垂らして手を洗っている人もいるけど、それはそれで格好悪くない? 私はネクタイして、しかもタイピンはしない、なんてこと考えられない。それに、第一、タイピンって色々な形、色、デザインがあって、面白いじゃん? 同じネクタイだって、違うタイピンすれば、また気分も違ってくるし。 というわけで、私は断固「タイピン派」。服装に関しては極端に保守派で、人と違うものを着たくないワタクシですが、この点に関しては譲りません。人が「古い」と思おうが何だろうが、必需品だと思うからタイピンはする。 ・・・と言いつつ、父に言われたことがちょっと気になって、うちの同僚たちはタイピンする派としない派、どっちが多いんだろうと、この数日、気にして見ているんですが・・・。 ・・・タイピンがどうのこうのと言うより、そもそもネクタイしてない奴の方が多いじゃん! クール・ビズ進行中! っていうか、単に気合いが抜け過ぎ!! うちの大学の同僚たちを基準にファッションを考えようとしたワタクシが馬鹿でした。 しかし、いずれにせよファッションなんて、常に回帰するものですから、そのうちにまたタイピンがお洒落なものとして復活する時が来るでしょう。 その時が来るまで、ワタクシはタイピンをする少数派として、頑張るぞい!
July 12, 2007
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先ほど共同研究室で同僚達とコーヒー飲みながらリラックスしていたら、何かの会議に出ていた某女性教員が嵐のように部屋に入ってきて、我々には何の挨拶もなく、部屋に備え付けのコピー機を使ってさっさと出ていきました。 で、その後、また別な同僚(男性)の先生が共同研にやってきて、しばし談笑の後、「いやー、参りましたよ」と言いだしたんです。 何のことかと思いきや、某会議の席で先ほどの女性教員と言い争いになり、えらい騒ぎになったのだそうで。 問題の発端は、期末試験の日程です。先の女性教員は教職取得に必須の英語の授業(4年生向け)を担当しているのですが、その授業の期末試験を7月20日にやると言うんですな。ところがその授業を受講している学生の大半が、その翌日に行われる「教員採用試験」を受験することになっている。となれば、こちらは一生モノの試験ですから、その受験勉強をしたいのは当然で、女性教員が実施する予定の期末試験を一週間遅らせてくれないかと教務担当の先生のところに談判に来た。 で、その教務担当の先生が、たまたまある会議で一緒になった当該の女性教員にその旨伝えた所、彼女は顔を真っ赤にして怒りだしたというのです。曰く、私は学生からそんな話は聞いていない、また万が一聞いたとしても、自分の授業のスケジュールを変えるつもりはない。ましてや、他の教員が口出しすべき問題ではない、と。 一方、冷静な男性教員は、「本来の試験期間から言えば、その授業の試験日は7月27日のはず、それをあなたの都合で勝手に一週間早め、その結果学生の便益を損なうことがあっていいものだろうか。大体、あなたの授業は、教職をとる学生のための授業であるはず、それなのに教員採用試験の受験勉強を阻害するようなことをするのは、本末転倒ではないのか」と指摘し、説得にかかったのだそうですが、その女性教員は靴音高く部屋を飛び出ると、壊れよとばかり「バーンッ!」とドアを閉めて出ていったのだそうな。道理で、先ほど共同研に現れた時の態度が荒々しかったわけだ・・・。 しかし・・・。40代も半ばを過ぎて、この大人げないヒステリックな態度はどういうものか・・・。 いや、実はこの女性教員とは以前私も衝突したことがありまして。その時も、まあどうしてこう自分勝手なことが言えるのかと驚愕したことがあります。実はそのことがあった直前、たまたま私はその方のミスをバックアップするという役回りになったのですが、昨日の恩を忘れたか、と思いたくなるようなその先生の言いがかりに温厚なるこの私もぶち切れました。で、その時、私は「仕事上、どうしても避けられない場合は仕方ないとして、この先生とはなるべくつき合いを避けよう」と決意、以来、当たらず触らずでやってきたわけ。 で、今度はまた別な同僚と、些細なことでこの衝突。 はあ~。世話が焼けるなあ。ま、今回の衝突がまた私でなくて良かったですけど。 ちなみにこの「困ったちゃん」な女性教員、菜食主義者でフェミニストです。ま、別にそれは個人の勝手だからいいんですけど、まさにこれらの言葉から連想される悪しきイメージ通りの人で、不寛容・我が儘・自己主張だけの人。つき合えない人なんですわ。フェミニストに向かって、「ヒステリック」なんて言葉を使ったら殺されちゃいそうですけど、ほんとにそうなんだもん。びっくりしますよ。 ま、大学ってのは、「困ったちゃん」の集まりみたいなところで、良識とか常識とかが通用しない世界だ、というのは、私も常々感じておるところで、それを学外の方にも知ってもらいたい! というのが、このブログの一つの趣旨みたいなもんなんですけどね。 というわけで、今日も今日とてワタクシ釈迦楽教授は、魑魅魍魎跋扈する世界を(なるべく波風たてないように)泳いでおるのでございます。
July 11, 2007
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今朝新聞を開いたら、1面下の新刊本宣伝欄(いわゆる「三八欄」)の文字が目に飛び込んできました。 曰く、『手相を書くだけで運命が変わる!』。 おお? と思ってもう少し詳しく読むと、「手のひらにペンで手相を書き込むだけで運がよくなった人が続出!」「臨時収入が続々!」「給料・ボーナス急増!」「宝くじ・懸賞に次々当選!」「恋愛が成就した人続出!」「幸せに結婚! 子宝も!」ですって。でもって「開運パワー入り金銀の手相ペン全員プレゼント」なんだそうな・・・。極め付きは「幸せ・お金・恋を呼ぶいちばん簡単な方法!」ですと。 そうか・・・。手相ってのは、ペンで書けば良かったのか・・・。生命線や恋愛運や金運線が短ければ、自分で書き足せば良かったのか・・・。そんな簡単なことだったのか・・・。 いやー、すごいトンデモ本だなあ、と思ったら、「たちまち12万部」ですって。著者は歯科医だそうですが、いいセンスしてるなあ。ワタクシの書く本がイマイチ売れないのは、このセンスがないからだなっ。 ええっと、で、ワタクシの金運線は・・・(カキコ、カキコ・・・)。 ま、それはともかく、今日の私はまさに他人の運命を左右する役割を担ったのでした。というのも、来年のゼミ学生の決定をするのに、朝から面接試験を行っていたからです。 で、私のゼミに入りたい学生と面接し、彼らと色々話をしたのですが、そりゃみんな私のところに来たいわけですから、話を聞いていれば情も湧くわけですよ。それを敢えて「こいつは入れる、こいつは入れない」というふうに分けなければならないんですから、辛い、辛い。他人の運命を決める役割なんて、どんな小さいことでもやりたくねー! ま、最終的な決定は明日の学科会議を経なければなりませんが、そこで何人かの入ゼミ希望学生に可哀相な決定を下さなければならないのかと思うと、気が重いです。 でも逆に、私のゼミに入らなかった故に、いい卒業論文が書けるようになったというケースだって当然あるでしょうからね。そう考えて、肩の荷を下ろしますか。 ま、運命ってのは、そういうもんだと思うことにいたしましょう。
July 10, 2007
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今日は名古屋に戻る日。というわけで、いつものようにお昼を外食で、と思ったのですが、実家の近くの店は少し飽きてきたところがある。何かいいアイディアはないものか・・・ と思っていたら、父が「昔、駅前にあったピザ屋のピザが食べたいなあ・・・」と。しかし、釈迦楽家のお気に入りの店は常に潰れる、という伝説通り、この店も1年程前に潰れてしまったんです。 ん? だったらこの店の本店に行けばいいじゃん! 確か本店は、25年ほど前に釈迦楽家が住んでいた「東林間」という町にあるはず。 ということで、衆議一決、ピザを食べに行きがてら、25年前にタイムスリップして、懐かしい東林間の町を散策しに行くことに。現在の家から東林間までは車で小一時間というところでしょうか。 で、行きましたよ、東林間へ。懐かし~! まずは腹拵え。念願のピザ屋、オールド・ヒッコリーの本店で馴染みのピザを注文。そうそう、この味! ま、特別死ぬほどおいしいというところまで評価はしませんが、父も母も久々にここのピザを食べて満足したようですので、よかった、よかった。 で、食後は車を駅前の駐車場に入れ、しばし町を散策することに。 いやー、東林間の町を歩くなんて、ほんと何十年ぶりですわ。私はほんの子供の頃から大学1年生の終わりまで住んだのですが、その頃と比べても随分街並みが変わりましたなあ。昔はもっと閑散として、のんびりしたところだったのですが、今ではなんだかもうやけにごちゃごちゃして、狭っ苦しい感じになってしまって・・・。 しかし、寂しいのは、昔あったお店がなくなってしまったこと。駅前にあった山下書店、なくなっちゃったのか・・・。客が立ち読みしていると本当にハタキをかけにくる、あの古典的な本屋のおじさん、もう死んじゃったのかしら。それから中村屋も、吾妻寿司もなくなったなあ。 その一方、まだ頑張って残っているお店もあります。駅前の中華料理屋の三福、まだ頑張っているなあ! サンマーメン、まだおいてあるかしら。あと文房具の秋本商店も、店構えが小さくなったけどまだある。学生の頃はよくここで文房具を買ったもんですわ。あと、我が家がよく食べに行った蕎麦屋の名店「巴屋」もまだ健在でしたね。ここでよくたぬき蕎麦食べたなあ。 あ、スーパー三和もまだ営業してるじゃん! 昔、何もなかった東林間にこのスーパー三和が出来た時は、まさに文明開化って感じがしたものです。それまでは肉は肉屋、米は米屋、野菜は八百屋、魚は魚屋・・・というふうに店を一件一件回って買い物をしたものですが、このスーパーが出来てからは、ここに行けばなんでも揃うというようになってしまった。あれはまさに東林間の文明開化でしたよ。もっとも、昔ながらの個人商店にとってこのスーパーの登場は、降って湧いたような災難だったでしょうけどね。 でも実際、昔の三和は素晴らしかった。店内はまるでテレビで見るアメリカそのもののような光景で、豪華な感じがしたもんです。それまで山積みのグレープフルーツなんて、売っているの見たことなかったですもんね。でまたそういうアメリカンなイメージに合うように、店内にはハワイアン・ミュージックがかかり、レジでは、レジ打ちの係の他に商品を紙袋に詰める係の人もいて、本当にアメリカのスーパーのようだった。 しかし、当時あれほどアメリカを感じさせてくれた豪華なスーパー「三和」も、今では何だかちょっと寂れた、どこにでもある小スーパーという感じになってしまっていました。はあ、何だか切ないなあ・・・。 さて、スーパー三和を通り越した我ら親子はさらに散策を続け、昔我が家のあったマンションや、それ以前に住んでいた一戸建ての家も見に行きました。マンションの方はさすがに昔とあまり変わっていませんでしたけど、一戸建ての家の方は随分変わってしまい、まったく面影がなかったですね。ま、今から30年以上前の話ですから、当然と言えば当然なんですが。しかし記念は記念ですから、今では他人の家が立ち並ぶその辺りをバックに、写真なんか撮ってみたりして。 というわけで、一通り懐かしい町を散策し、すっかり懐旧に浸った我ら親子は、帰りに今も昔と変わらず営業を続けている和菓子の店「松月」で水ようかんなどを買って帰ったのでありました、とさ。 ま、昼食を兼ねた小一時間のドライブでしたけど、色々懐かしい思い出が蘇って、面白かったです。散策している間、道行く同年代くらいの人たちに声をかけてみたい衝動に駆られましたもん。「あなた、私のこと覚えていない? ひょっとしてあなた、私と同じ幼稚園に通っていたんじゃない?」なんてね。 とまあ、そんな懐旧の念を土産に、名古屋に戻ってきた次第。 さ、明日からはまた仕事です。週末楽しんだ分、頑張るぞー!
July 9, 2007
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今日は両親を連れて近場をドライブしてきました。 まず行ったのは、府中市美術館。というのも、今この美術館で「田園の輝き 児島善三郎」展をやっていたからです。 で、これがねー、素晴らしかったんですわ! 展示の点数もすごく多かったですしね。いやー、児島善三郎の作品をこれだけまとめて見られるなんて、なかなかないんじゃないでしょうか。圧巻でしたよ。 児島善三郎というのはもともと九州・福岡の人で、上京した後、一時フランスへ渡って修行をし、その後は東京の西部、すなわち武蔵野に移り住んでその地の田園風景を描き続けたんですが、それぞれの時代で絵の描き方が少しずつ変わっていくのが面白い。 九州時代の絵は、まだ油絵を描き始めたばかりの頃の絵なんですが、やはり栴檀は双葉より芳しで、すごくいい。で、フランス時代の絵となると、やはり勉強のためか、色々なスタイルに挑戦していたらしく、ピカソっぽいものあり、モジリアニっぽいものあり、といった調子。そして日本に帰ってきてからも、描き方の点では色々と変遷があって、割と写実的なものがあるかと思えば、デフォルメしたものもあり。梅原龍三郎っぽいものがあるかと思えば、中川一政っぽいものもありといった調子。 ま、そういう試行錯誤を経て、次第に児島善三郎のスタイルが確立していくわけですよ。 で、そのスタイルを確立していく上で、たたき台になったのが、武蔵野の田園風景だった、と。 いいじゃないですか。武蔵野に育ち、武蔵野の風景を愛する私としては、我が意を得たりってなところです。 ちなみに、児島善三郎が国分寺に移り住んだ時、43歳だったのだとか。今の私と大体同じ年齢です。で、その時の彼のセリフがいい。曰く「今までの仕事は、私の生涯の仕事の序幕です。これから本格の仕事に入りたいと念じています」。 おお、言ってくれるじゃないの! またまた我が意を得たり! ワタクシだって、これから本格の仕事しちゃうよ! ま、それはともかく、彼は武蔵野の地を描くことで「本格」の画家となったわけで、その意味でも基本的には風景画家だと思いますが、晩年には花瓶にさした花なんかも描いているんです。で、その花の絵がまた結構いいんだ。 図録にも書いてありましたが、最初、彼は花の絵を描いていてもつまらなかったんだそうです。実物の方がキレイだから。でも執念で何度も何度も花を描いているうちに段々興が乗ってきて、ますます一生懸命描いていたら、ついに実物よりもさらに美しく、匂い立つような花が描けるようになってしまったのだとか。うーむ、確かにそうなんですが、そう言い切れるだけの自信が羨ましい・・・。 ま、それはともかく、今回の展覧会、児島善三郎の画業を通して見るにはうってつけのものだと思います。残念ながら7月16日までなので、残り一週間しかないですけど、東京近郊にお住まいの方、まだご覧になっていない方がいらっしゃいましたら、ぜひ府中市美術館へ行ってみて下さい。教授のおすすめ!です。 さて、府中市美術館で児島善三郎展を堪能した我ら親子が向かったのは、府中市のお隣、立川にある昭和記念公園。父が蓮の花が見たいというので、ね。 ここ、初めて行ったのですが、まあ、広い、広い。昭和が50年続いた時の記念で、立川基地を公園に変えたのだそうですが、もとが飛行場なんですから広いはずです。東京ドーム40個分だそうですからね。 しかし、この公園、実際行ってみると、どうってことないところですな。馬鹿馬鹿しく広いので、例えば犬の散歩をさせたり、園内を自転車で廻る、なんていうことをするのにはうってつけかもしれませんが、年寄り連れて花を見に行く、なんていうのだと、広すぎて花のあるところまで歩くだけで疲れてしまう。それに、そこまで行く道だって、何の面白みもないんですもん。 大体、ここはいわば児島善三郎が描いた武蔵野そのものじゃないですか。なのに、そういう武蔵野の雰囲気はまるでなく、芝生の広場と立ち木とボート池といった、人工的なというのか、近代的なというのか、とにかくそういう種類の公園でしかないんだもんなあ。昭和記念公園と名乗るのなら、雑木林の武蔵野を再現するとか、そういうことをして欲しいもんですわ。 それでも、とにかく蓮の花の咲いているところまでは行けたので、父は最近凝っているデジカメで撮影して喜んでましたけどね。ちなみに、私も軽くケータイで蓮を写しましたので、ここでお披露目しちゃいましょう。 これこれ! ↓ かくしてこの蓮池まで辿り着いた我らは、そこで力尽きたと言いましょうか、来た道を引き返すだけの気力もなかったので、結局、園内を循環しているトロリーバスみたいのに乗って入り口まで戻ってきたのでした。トロリーバスは快適でしたけどね。 というわけで、今日は絵の展覧会を楽しみ、広大な公園を散策もして、学会出張のあとのお楽しみを楽しんだのでした。今日も、いい日だ!
July 8, 2007
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今日は学会関連の集まりがあり、それに参加してきました。 で、その会議の内容はここではどうでもいいことなのですが、それよりも会議の休憩時間中、色々な先生方に先日来このブログでも取り上げている『先生とわたし』についてのご意見を伺うことができたのが、私にはとても面白かった。それによって、あの本の問題点がようやく少し判ってきました。先日も言いましたように、ワタクシ自身は、なんであの本が業界内部の人間に評判が悪いのか不思議に思っていたんですが、聞いてみるとなるほど、そういうわけか、と思うことがいくつかあったんです。 その一つは「事実誤認」です。今日は、あの本の中に登場する先生も何人かいらしたのですが、その方たちに言わせると、「自分について書かれていることは、事実として正しくない」というのですな。ま、中には瑣末な事実誤認もありますが。 それからもう一つ、皆さんが指摘していらしたのは、「書かれている事柄の取り扱い方の軽重がおかしい」ということでした。由良さんについて伝記的なことを書くのなら、この人のことをもっと重く書かなくてはいけないではないか、ということが色々ある、というのですな。なるほど、そういうこともありましょう。 さらに、由良さんにゆかりの深いある方のことを明らかに意図的にカットしてあるのはおかしい、と指摘される方もおられました。ま、その点については、私もおかしいなと思ってはいたのですが。 とまあそんな感じで、要するに由良さんについての一種の伝記を書く上で、著者である四方田さんが解釈する由良像に合わせて事実を都合よく編集してしまい、著者にとって気持ちのいいストーリーを勝手に構築しているではないか、というのが、皆さんのご意見のようなんです。ですから、あの本の中に言及されている方々や、その方々に近しい方々からすると、「とんでもない!」ということになるらしいんですな。 なるほどねー。 だから、私のように、その辺の事情を全然知らない一般読者が読めば面白いわけですが、事情を知っている人にすれば、「勝手に話を書き換えるな!」ということになるんでしょう。 ま、しかし、歴史というのはどんなものであれ、それを語る人にとっての(都合のいい)ストーリーなわけで、それを否定しちゃったら、そもそも歴史なんて書けない、ってところもあるからなあ・・・。もちろん、程度の問題ということなんでしょうが・・・。 だから、今日集まっていた人の中で、あの本に対して一番好意的な方は、「あれを由良さんの伝記と思うからいかんのであって、四方田さんの自伝だと思えばいいんだ」という方もいらっしゃいましたね。ま、それはそうかも知れません。 休憩時間中のわずかな時間の中だったので、もっと言いたいことがある、という先生もいらしたのですが、その方のご意見を伺うことができませんでした。どうも、あの本の問題点はもっとあるようで・・・。むむむ・・・。 しかし、ここまで業界内の人たちに評判が悪いとなると、あの本、書評する人がいないんじゃないかなー。あの本の登場人物たちに近い人からすれば、とても好意的な書評は書けないでしょう、怖くって。実際、今日の雑談の中でも、「あの人が書評を頼まれたけど、断ったらしい」というような話があれこれ出てましたからね。 ま、それにしても難しいもんですね、人の伝記を書くというのは。とりわけ関係者がまだばりばり現役という場合はなおのこと。そういうことも含め、今日は会議はそっちのけで、色々勉強させられた私だったのでした。
July 7, 2007
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今更ながらの話題なんですけど、羽賀研二はすごいね。 何がすごいって、金を引き出す説得力(?)がすごい。だって、初対面の相手にいきなり「5000万貸して」って言うんでしょ? ま、そこまでなら馬鹿でも出来るでしょうけど、ほんとに貸させるってんだからすごい。ちょっとやそっとの話術じゃないですな。 またジュエリー・ショップみたいのをやっていた時だって、別に「買って、買って」なんて一言も言わずに、ただ雑談しているうちに、いつの間にか、客に買う気にさせちゃうらしいじゃないですか。 この才能は惜しいねっ! ま、ごく普通にホストでもやっていればすごく実入りのいい生活が出来たんだろうし、あるいは「コーンズ」あたりに入社して、フェラーリなんか売らせたらすごかったのかもしれない。トヨタのモーレツ社員としてレクサスでも売りまくり、相当な地位までのし上がることすら出来たかも。 あるいはいっそ政治の場に引き込んで、票とりさせるとか。涙ながらに街頭演説かなんかさせたら、常勝議員になっちゃったりして。 真面目な方向で仕事すれば相当うまく行きそうな類まれな才能があるのに、なんか変な方向に行っちゃう人って、いるんだよなあ・・・。羽賀氏の場合は、才能の在り処も、その才能の適切な使い場所も判っているのに、性格上それが出来ない、というケースですね。惜しい。ほんと、惜しい。 一方、真面目な方向で仕事しているんだけど、自分の才能と、今やっている仕事が果たしてあっているのか分からない、というケースもあるでしょう。ま、ワタクシなんかもそんなふうに感じる時があります。この場合は、真面目に生きるつもりはあるのに、自分の才能の本当の働かせ場所が分からない、というところでしょうか。 要するに、本当に自分にあった職業を見つけるってのは、大変なんだ、ってことですな。「こころよく 我に働く仕事あれ それをし遂げて 死なむと思う」って言ったのは、石川啄木でしたっけ? ま、人生、難しいもんですわ。 さて、そんなことをいいながら、実は私、名古屋を離れ、東京の実家におります。明日、某学会の会合があるもんでね。先週に引き続き、2週連続の東京出張は疲れますが、今回は少し時間的な余裕があるので、実家でのんびりします。それでは、また明日からの東京レポートに乞うご期待! じゃ、お休みなさーい!
July 6, 2007
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さて、昨日、偏狭な東大の学閥ヒエラルキーの中で由良君美が苛立ちを募らせ、アルコール依存の方向に向かっていたことを書きましたが、その影響なのかどうか、この頃から次第に彼の学内外での言動に奇矯なところが現れ始めるんです。 そしてそうした言動は、四方田さんのような「元ゼミ生」にも向けられるようになるんですな。例えば韓国の大学での仕事から帰ったばかりの四方田さんが久しぶりに由良の元を訪れ、彼の地での経験などを興奮気味に語っても、由良の方ではどうも身を入れて聞いてくれない、というようなことが起こり出す。この時には、話を聞かないどころか、終いには四方田さんの韓国での経験を全否定するような茶々を入れたというのだから、四方田さんが由良さんに対して、「アレ?」と思うようになるのも無理はない。 また後にフランスの新しい批評理論を取り入れた斬新な映画論を始めた四方田さんに対し、わざわざ一言、「全部でたらめ」と書いたハガキを送ってよこすというようなことも由良さんはしたらしい。そんなことがぽつぽつと起こるようになって、一体何が師匠の気に入らないのか、四方田さんの煩悶の日々が続きます。 しかし、そうした予備的な、そして一方的な反目があった後、ついに由良さんと四方田さんが決定的な訣別を迎えることになります。 その日、学会がらみの会合で、あるバーに行った四方田さんは、同じバーに若い女性連れで来ていた由良さんの姿を見かけるんです。で、色々妙なことはあったにせよ、一応は師匠ですから、挨拶に行かないとまずいと思った四方田さんは、由良さんのもとに行き、挨拶をした、と。 しかし、それに対する由良の反応が酷かった。 その時由良さんは、長年の弟子である四方田さんに対して、「きみは誰か?」と言ったというのです。「君は最近、ぼくの悪口ばかり言い回っているそうだな」と。そしてあっけにとられている四方田さんの腹を拳骨で殴ると、そのまま店を出ていった・・・。 これが師匠と弟子の、そして二人の傑出した学徒の別れだったんですな。 ちなみにこのある意味で『先生とわたし』のハイライトともなるシーンが、ワタクシにとって非常に印象的だったのは、この時由良さんと一緒に居た若い女性というのが、ワタクシの先輩だったからです。あらまー・・・。 ま、それはともかく、こうして不幸な訣別の仕方をした由良さんと四方田さんは、この後、由良さんが61歳の若さで亡くなるまで、つき合いの断絶したままになるんですが、その間、「師と弟子」という不思議な人間関係について、古今東西の例を見ながら思いめぐらすようになった四方田さんは、自分の師匠である由良さんとの訣別の理由、つまり、何が由良さんをああいう行動に駆り立てたのかということについて、考え続けたんですな。 そして、その結果、四方田さんは「裏切られる師」というテーマに行き着くわけ。古今東西、大昔から師匠というのは、弟子に裏切られ続けているのだ、という命題に。 で、そのことは四方田さん自身の経験にもよるんですな。というのも、その後、四方田さん自身もやがて大学で教えるようになって、自身「師」となり、「弟子」を持つ身になるわけなんですが、その過程で、自分の弟子たちがやがて一人前になり、自分の知らない世界、自分の知らない領域へとコマを進め、そこで華々しい活躍をするようになるケースも出てくるわけ。で、そういう弟子の活躍を漏れ聞くようになるにつれ、自分の中に彼らに対する羨望とか焦りとか、そういうものが生じるのを抑えられないこともあるわけですよ。彼らが、つまり弟子達が、師匠である自分を乗り越えてしまったのではないか、という焦りですな。 で、その焦りを自分自身で感じた時に初めて、四方田さんはかつての師・由良さんの奇矯な行動の意味に思い当たるわけです。例えば、東大内部の学閥システムの中で苛立ちながら、仕事に忙殺され、思うような仕事ができずにいる由良さんの目に、新進気鋭の映画評論家として世に出始めた四方田さんの姿がどう映ったか。とりわけフランス語が苦手な由良さんにとって、フランス系批評理論をひっさげて映画論をぶつ四方田さんがどう見えたか。それを考えた時、お前の言っていることは「全部でたらめ」と言わざるを得なかった由良さんの気持ちも分からなくはないのではないか。 四方田さんが学生だった時代には、由良さんが海外の新しい思想、新しい本を四方田さんに向かってどんどん紹介する立場にあったのに、今や逆に四方田さんの方が新しい知見を師の前に得意気にずらずらと並べるようになってしまった。その逆転劇を由良さんの立場に立って反芻すれば、由良さんの心に「弟子に追い越された」という忸怩たる思いが生じ、それ以後、四方田さんに以前のように素直に接することが出来なくなってしまったことも理解出来るのではないか。むしろ、「いつまでも自分が師であらなければならない」という真剣な思いが由良さんにあったからこそ、その思いがあのような理不尽な行動となって現れたのではないか。 由良さんが亡くなってから今日までの間に四方田さんが師のことを思い、考えた結論がこのことだったんです。のっぴきならぬ師と弟子の関係、そして弟子は常に師を裏切り、乗り越えなければならないという必然。その避けられぬ必然のただ中で苦悩した師・由良君美への追悼。そしてそれはまた、「自分は今、かつて由良さんが自分のことをライバル視して焦燥に駆られた時以上に、真剣に自分の弟子と向き合っているか?」という反省でもある。 結局、この本が伝えようとしているのは、そういう四方田さんの思いであるわけです。少なくとも私が受け取った限りは、ね。 うーん、十分感動的じゃないですか! ま、上のようにまとめてしまうとアレですけど、なかなか書けないことだと思いますよ。由良さんを脅かすだけのことをした、という自負がないと、そもそもこの本は書けませんしね。それに、こういう形で由良さんのことを描くとなれば、由良さんのプライべーとな部分を描かざるを得ない所がありますから、そこも書きようによっては、変な誤解を招くことになるかも知れない。難しい綱渡りです。そう考えると、私はこの本、なかなか上手に、かつ感動的に書けていると思います。 実際、はじめにも言った通り、この本の中にはあの伝説的な由良君美という人物の、少なくともある一面が生き生きと描かれていますから、「へー、そういう人だったのー・・・」という感慨もありますしね。 ただ、これを言ってしまうと「ないものねだり」になってしまうんですが、この本で描かれている由良さんの姿というのは、やっぱりあくまでも「外から見た由良君美」なんですよね・・・。彼に教えを請い、長い時間身近に接した四方田さんであるとは言え、やはりそれ以上ではない、というところがある。だから、最終的な結論の部分にしても、どこか理知的な結論になっているわけですよ。 では、この本を越えるような人物伝ってあるのか、と言われるかも知れませんが、私はあると思います。例えばボズウェルの描く『サミュエル・ヂョンスン伝』(岩波文庫)がそうですが、もっと身近なところで言えば、岡野弘彦の『折口信夫の晩年』(中公文庫)がそう。これらの本の著者は、自分の師匠に教わったというだけでなく、長年にわたって生活を共にしてきたというところに共通点があるわけですが、やっぱり、「一緒に暮らす」というところまで行かないと、本当のところは分からない、というところはあるんじゃないですかね。 ま、「ないものねだり」を言ってしまうとそういうことなんですが、そこまで言ったら酷なのであって、一般論としては、四方田さんの由良君美伝は相当によく書けていると思います。例えば、比べては悪いですけど、四方田さんと同世代で、しかも同窓の中沢新一が、自分の叔父にあたる網野義彦のことを描いた『僕の叔父さん 網野義彦』(集英社新書)なんかと比べると、「天と地」と言っていいくらい『先生とわたし』の方が面白いし、出来がいい。中沢さんの網野義彦伝は、「ええっ?」と思うほど出来が悪く、特に記憶を元に再構成された中沢さんと叔父さんとの会話部分なんて、ほとんど失笑ものですからね。 というわけで、四方田犬彦著『先生とわたし』、相当面白いです。教授のおすすめ!です。興味のある方はぜひ!これこれ! ↓先生とわたし ところで、これはまた雑談なんですが、この四方田さんの文章が最初に『新潮』に掲載された時、読んだ人の感想を漏れ聞いた印象としては、むしろ批判の方が多いという感じでした。私はその時はまだ現物を読んでいなかったので、何とも言えなかったのですが、今、この本を読んだ後で思うに、一体この本のどこが批判の対象になるのか、逆に分からないというところがあります。そんな、批判するほど、変な本じゃないじゃん! ・・とワタクシは思うのですが。というわけで、いずれ改めてこの本に対する書評などが出た段階で、人は一体この本のどこが気に入らないのか、ワタクシとしても検討してみたいと思っているところです。
July 5, 2007
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昨日に引き続き、四方田犬彦著『先生とわたし』について。 後でまた言及するかも知れませんが、四方田さんの「先生」たる由良君美氏について、私はその著作の上でしか知りません。ましてや彼の出自・経歴などもこの『先生とわたし』を読むまで知らなかったのですが、この本によると、由良さんのお父さん、すなわち由良哲次という人は、三木清や林達夫といった人たちと同世代の、かなり有名な哲学者だったのだそうですね。 この本の後半で、由良君美さんが父親の影響をかなり色々な面で受けていることが指摘されていますが、とにかく由良さんはこの厳父の影響もあって学習院大学で哲学を専攻することになります。が、そこで一応父親への義理を果たした彼は、その後文学部に学士入学し直し、そこから慶應義塾の大学院に進んで、本来彼がやりたかった学問、つまり英文学研究へ邁進し始めるわけ。 で慶應の大学院に入った由良さんは、かの西脇順三郎の薫陶を受けるのですが、西脇さんには随分可愛がられたのだそうですね。逆に西脇は由良さんと同じ頃に慶應の大学院に在籍していた江藤淳(漱石論などで知られる後の著名な評論家)を極端に嫌い、「今日は江頭(えがしら・江藤淳の本名)君が出席しているから、教室には行かない」と言って授業を放棄してしまうこともあったのだとか。 凄い話ですよね・・・。嫌いな学生がいるから、教室に行かないなんて・・・私にはとてもそんなこと出来ない・・・。 しかし、西脇と由良君美との最初の出会いというのも相当面白いんです。由良さんとしては、血気盛んな学徒として、色々な質問を胸に大西脇の研究室に勇んで乗り込んでいくんですが、その研究室で西脇はなんと、イーゼルに立てかけた50号のキャンバスを前に、悠々と油絵を描いていたってんですから、さすがの若き由良氏もさぞ拍子抜けしたことでしょう。で、あっけにとられている由良さんに対し、西脇は「きみ、イギリスの風景画についてどう思う?」なんて質問を向けたというのだから、西脇順三郎も相当なもんです。 ま、それはともかく、そんな調子で西脇の指導の下、慶應で研鑽を積んだ由良さんは、そのまま慶應で教えるようになるのですが、そんな中、彼はある学会のシンポジウムで東京大学の新々気鋭の研究者・高橋康也と同席することになる。で、この時、由良の非凡な才能を見抜いた高橋の引きで、由良さんは東大・駒場(教養部)の専任に引っ張られるんですな。 ちなみに、ここで登場する高橋康也さんというのは、これまた由良さんに勝るとも劣らない凄い学者さんなんですけど、同じ英文学の道を辿ることになった彼の息子さんと私は、大学院が同期なんです。ですから、普通であればあまりにも遠い存在である「あの」高橋康也さんも、私にすれば「友人のお父さん」という感じがする。昨日、私は、四方田さんの『先生とわたし』に出てくる登場人物の大半を直接・間接に知っている、と書きましたが、こういうところも含めての話なんですな。 ま、それはともかく、こうして東大で教鞭を執ることになった若き由良君美は、従来の狭苦しい学問領域の壁なんぞ皆ぶち壊すような研究・学問を展開し始めます。で、その恐らくは由良さんにとって一番幸福な時代に彼の教え子となり、薫陶を受けたのが、本書の著者である四方田犬彦その人であった、と。 でまた、まさに「先生とわたし」という関係の中で、由良の薫陶を受けていたこの時代こそ、四方田さんと由良さんの関係が最高点を迎える時代であり、この時代のことを書く四方田さんの筆はとてもいい。知性の匂い立つような、そして自信に満ちあふれた、颯爽とした由良さんの姿が目に見えるようです。 ところが、こういう幸福な時代というのは、長くは続かないもののようでして、由良さんの場合もしかり。もちろん、売れっ子の学者として幾つもの雑誌に連載を抱えるようになった由良さんは、相変わらず「英文学」の範疇を遙かに飛び越えるような、学際的で啓蒙的な文をじゃんじゃん量産し続けるのですが、その一方、勤務先の東大では学生運動が激しくなり、その対処で余計な奮闘をさせられることになったり、また父親の死に伴い、その残務整理に追われたりと、公私にわたって疲弊させられるようになってしまうんです。 しかし、中でも最も由良さんを疲弊させたのが、東大の内部事情なんですな。 ご存じのように東大は、専門課程のある「本郷」と、教養課程のある「駒場」にキャンパスが分かれているわけですが、この二つのキャンパスの間には深い溝がある。要するに本郷の教官達が駒場の教官達を馬鹿にしているところがあるわけですよ。でまた、さらに当時の東大では、その教官のほとんどが東大卒。つまり、由良さんのように私学出の東大の先生というのは極端に例外的な存在で、それ故に意図したものであるとないとにかかわらず、事ある毎に差別的な待遇を受けることになる。そうした東大内部のヒエラルキーが、由良さんにとっては非常に大きなストレスとなっていくんです。 ま、先取りして言うならば、結局この種のストレスが溜まり溜まって由良さんをアルコール依存の度を高まらせ、人格崩壊(というと言い過ぎですが・・・)の方向へと駆り立てて、それが最終的な四方田さんとの訣別を演出することになるわけですよ。 それでも由良さんは、この居心地の悪い東大・駒場での生活を定年まで勤め上げ、その退官時には、錚々たる顔ぶれの学者たちが記念論文集を編んだそうなんですが、教養部時代には由良さんの薫陶を受けながら、その後本郷の英文科に進んで研究者となった「本道」の人たちは、都立大の高山宏氏ただ一人の例外を除いて、由良さんの退官記念論集に寄稿した人はいなかったのだとか。 ひゃー、イヤラシー! ちなみに、由良さんが定年退官した後、そのポストに座ったのが、アメリカ文学の翻訳などでも名高い柴田元幸さんなんですってね。知らなかったー! そういえばワタクシ、たまたま今週末にその柴田さんにお目に掛かる機会があるんですけど、その辺りのこと、聞いちゃおうかしら。 ま、それはともかく、『先生とわたし』では、このようなストレスに満ちた東大での生活の中でアルコール依存症になってしまった由良さんが、いかにして四方田氏と訣別するに至ったか、という話に移っていくわけですけど、もうここまで書くのに随分長くなってしまったので、その辺のことはまた明日にでも書きましょう。それでは、今日はこの辺で!
July 4, 2007
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いやー。昨日大学の生協で買ってきた四方田犬彦の『先生とわたし』(新潮社)、非常に面白いですねえ。あまり面白かったので、昨日・今日で一気に読んでしまいました。 そのため、明日の授業の予習がピンチ。 しかし、そんなものはどうにでもなるので(失敬!)、今はその余韻に浸っているところ。 この本のもとになっているのは、『新潮』の今年の3月号だったかに掲載された同名の文で、それが出た時には世間で相当話題になりました。世間というと大げさかも知れませんが、少なくとも私の業界ではすごく話題になった。 で、私もぜひ読みたいと思って『新潮』の当該号を探したのですが、タイミングが悪かったのか、どこも売り切れ。ま、これだけの本だからすぐに単行本になるだろうと思っていたんですけど、つい最近それが出たので、間髪入れずに購入に及んだという次第。 ちなみに、四方田さんが「先生」と言っているのは、由良君美という人で、いわば異色の英文学者。いや、単に英文学者というくくりでは語れないほど幅広い学識でもって知の最前線を突っ走った鬼才というべきか。とにかく彼の指導の下から高山宏や四方田犬彦といった錚々たる面々が巣立っていったんです。ただあまりに時代を先取るような活躍の仕方をしたため、いわゆる正統的なアカデミズムから必ずしもまっとうな評価を得ていないようなところもある。そういう意味も含めて、「伝説の人」という感じですかね。 で、その伝説の人のことを、業績や学問的傾向の点で「一番弟子」と目される四方田犬彦氏が思い入れを込めて書いた、というのですから、これはもう興味津々の書でしかあり得ないです。 で、実際、面白いわけですよ。なるほど、生身の由良君美というのはこういう人でありましたか・・・というのがよく分かる。でまた、その偉大な「師」と、ある意味、不幸な決別の仕方をしてしまった四方田さんとの関係というのも、なかなか面白い。面白いといっては当の本人に失礼ですが。 ちなみに私と四方田さんの世代とは、およそ10年違います。この微妙な年齢の差がまた、私にはとても興味深いわけ。というのは、この本に登場する人たちの多くを、私は直接・間接に知っており、しかも、10年の年齢差ゆえに、「当時、何があったのか」を知らない、というところがある。その知らない部分を、この本が埋めてくれるわけですから、そういう下世話な興味から言っても面白いわけですよ。 というわけで、とても面白くこの本を読んだのですが、このネタはもうちょい引っ張ります。明日はこの本の内容について、もう少し詳しくご紹介しますね。それでは、今日はお休みなさーい。
July 3, 2007
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「ジーパン」と言っても、通用しない時代になりました。 いや、「今はジーンズだよ」「それも古い! 今はデニム!」とかいう話ではなくて。 今日、ゼミ生たちと話をしていて、ちょっとびっくりしたのは、彼らが松田優作をほとんど知らないということでした。そうか・・・、もうそういう時代か・・・。 ということは、当然、『太陽にほえろ』の「ジーパン刑事」も知らないわけで・・・。 ということは、「何じゃ、こりゃ~!」と言っても通じないということで・・・。 実際、ワタクシがあの名場面を再現し、「何じゃ、こりゃ~!」とやってみましたが、彼ら、きょとんとしてましたねえ。あー、ジェネレーション・ギャップ。 でも、そんなもんかなあ。ワタクシなんかでも、世代的にはクレイジー・キャッツの全盛期をリアルタイムで見ていない世代ではありますが、それなりに勉強して、「がちょ~ん!」とか、「およびでない」とか、そういう古いギャグを再活用したもんですけどねえ。 いやー、クレイジー・キャッツどころか、花菱アチャコあたりまでは勉強して、「もー、むちゃくちゃでござりますがなー」くらいのことはギャグとして使ってたけどなー。あと、トニー谷ばりにそろばんを演奏したり、ね。 今の人にだって、そのくらいは勉強してほしいなあ。ましてや、松田優作くらいはビデオやDVDがいくらでもあるんだから、見とかにゃ、イカンのじゃないの? ちなみに、松田優作ものでワタクシが好きなのは、『太陽にほえろ』でもなく、ましてや『探偵物語』でもありません。『俺たちの勲章』の方です。松田優作&中村雅俊という文学座の若手を主役に据えて作っていた刑事ドラマ、あれはねえ、よかったんだよねえ・・・。覚えてます? どの回もよかったけど、水谷豊が殺し屋役で出た回、確か「孤独な殺し屋」というタイトルだったと思いますが、あの回はよかったなあ。若き日の水谷豊が、千枚通しを使って人を殺す殺し屋役をやったんですが、ほんと寂しい殺し屋を体現していて、切なかった。音楽もよかったしね。 ま、それはともかく、「若い人」とは自分のことだ、と思っていた私も、いよいよ認識を新たにしないといけないようになってきたんだなあと感じることの多い今日この頃なのでありました。やれ、やれ・・・。
July 2, 2007
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今日は午後、東京で学会関連の会議があったので、日帰りで東京まで行ってきました。 「車で行けるところは車で行く」がモットーのワタクシ。しかし、さすがに東京まで行って、その日のうちに名古屋までトンボ帰りするということになると、新幹線を使わざるを得ませんでしたね。 でも、いいんです。実はワタクシ・・・新幹線も好きなんですーーー。 だって、速いんだもん。 というわけで片道1時間半の道のりを存分に楽しんでしまいました。車窓から見た浜名湖、きれいだったなー。 ところで、今日私が出席してきた学会の会議というのは、この秋に行われる大会のプログラムの決定が主な議題だったのですが、今年は西脇順三郎さんの没後25年ということで、今回の大会は「西脇特集」で行くんだそうです。 と書きながら、若干不安になってきたのですが、皆さん、「西脇順三郎」ってご存じ? 西脇さんの一般の方の認知度って、今、どのくらいなんでしょうか。 ま、簡単に説明しますと、この前地震でひどい目にあった新潟・小千谷の出身、たしか生家は小千谷縮か何かの問屋さんで、お金持ちなんですな。で、そこから東京へ出て慶應義塾の理財科、今で言う経済学部に入学。ちなみに卒論はラテン語で書いたそうですが、ことほど左様に語学に秀で、結局経済学に飽き足らず、英文学の道に進まれることになった、と。 で、イギリス留学もされるのですが、イギリスに行ってみると、それまで西脇さんが学んできたロマン派の詩なんか古い、古い、今はモダニズムだとかシュルレアリスムの時代だよ、ってなもんで、新しい詩の形の洗礼を受けるわけ。向こうでは、それこそ後のノーベル賞詩人、T・S・エリオットなんかとも交際があったようですが。 で、日本に帰って来た西脇は、教授となり、慶應義塾英文科で中世英語を講ずることになるのですが、その一方で詩人としても活躍。『Ambarvalia』とか『旅人かへらず』などの詩集で、日本のみならずイギリスでも知られるようになり、一時はノーベル賞候補とも目された時期もあったとか、なかったとか。 また西脇さんは絵も描く人で、飯田義國とか、池田満寿夫などとの交際でも知られています。 とまあ、そんな感じの人です。学者であり、詩人であり、画家でもある、というところからして色々な方面から語ることが出来る人なので、シンポジウムのテーマとしてはうってつけな人ということができるかも知れません。 で、今日の会議では、シンポジウムの構想を練る中で西脇さんをめぐる話が色々出たのですが、会議のメンバーの中には実際に西脇さんの謦咳に接したこともある方もいらっしゃったので、そういう方たちから伺う西脇さんの種々のエピソードは結構面白かったですね。 例えば、西脇さんという方は、家にいる時でも常にスーツに蝶ネクタイ姿で過ごしていたんですって。日曜日であろうと、朝起きたらビシッとスーツに蝶ネクタイ、というのですから、すごいもんです。ユニクロの部屋着なんか着ているワタクシとは大違いですわ。 またそのスーツは常にダブルのスーツだったそうで、その影響からか、慶應の英文科の先生方全員が、ずらーっとダブルのスーツを着ていた時代があったのだとか。 その他、身繕い方面の話では、西洋志向の強い人だったせいか、学生時代から鼻眼鏡をかけていた、なんてことも聞きました。ま、生家がお金持ちだったこともあるのでしょうが、相当な洒落者だったんでしょうな。 で、そんな日本人離れした方ですから、慶應の英文科の学生を前に、常々「君たち、ラーメンなんか食べてたら英文学は出来んよ」なんて言っていたのだそうで・・・。イギリスの文学を勉強するなら、食い物からイギリス化せよ、ということなんでしょうが、しかし、その割にご自身では麺類が大好きで、「蕎麦はちょっと伸びたくらいの方がうまいね」なんていいながらよく蕎麦をすすっておられた、なんて話も聞きました。 ちなみに、時代が違うということもあって、私は西脇という人のことはあまり、というかほとんど知りません。ただ、彼が晩年、池田満寿夫と随分交流があり、池田満寿夫が西脇さんのことをあちこちに書いているので、池田ファンの私としては、池田さんの本を通じて、西脇さんのいわば「文人画家」としての側面だけ、ちょっと知っているんですけどね。 ま、もちろん池田さんの語る西脇像と、今日慶應の先生方から伺った西脇像は、重なるところもあり、重ならないところもある、という感じですが、さて、シンポジウムではどんな西脇像が描き出されることになるのか、ちょっと楽しみなところではあります。 それにしても、さすがに今日は東京往復で疲れました。明日からの一週間が辛そうですが、ま、頑張りまーす。それでは、皆様、ご機嫌よう!
July 1, 2007
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