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1年間、有難うございました。私のブログは、写真も無ければ、あまり楽しそうでもありません。それでもお付き合いして頂ける皆様方には心から感謝しています。振り返ると、色々のことがありました。きっと、皆様も多くの出来事に直面したことだと思います。それでもなお、生きて新しい年を迎えることができるそれだけで感謝で一杯です。きっと、私のブログを読んでくださる皆様も同じ気持ちだと思っています。それでは、皆様良いお年をお迎えください。美鳳☆
2011年12月31日
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異常な状態に遭遇すると何が一番大切なのかを、再認識させられるある日突然、足が動かなくなったりある日突然、呼吸困難に陥ったりとくるくる回る環境の変化に、何をどう対処していけば良いかと現実をみてパニックになってしまう今回、今年最後に私にとって大きな試練を頂いた生きている限りは、体が有っての私なのだという事実であるそれを再認識させられた、この一ヶ月であった教訓を生かしていくことが、私を見守っていてくださる家族や仕事仲間や、私と縁のある現実世界の人々と向こうの世界で、意識体として後押ししてくださる多くの魂へ報いることだと思う今、ようやく前の自分を取り戻しつつある健康であることへの感謝の気持ちをしっかりと持って助けられた家族や仕事仲間を大切にしてもう暫くこの生活を、安定させていきたいと思っている自分を愛するということは自分の心を愛し、この体を愛していくことである自分の良いも悪いも全てを、愛していくことにあるそして、自分と同じように、周りの人々を愛していきたい今の自分があるのは、周りの人々のお陰なのだから‥大切なものは、自分を取り巻く全てであるありがとう~ 感謝 _(._.)_
2011年12月30日
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樹木の病気のことをテレビでやっていた枯れていってしまう木‥、その周りには問題無い木も有るわけで何が原因なのだろうか?そんな時に、木に針をすることで枯れていた木が生き返って、青々となるという話しである針って? そう、人間にするようにお灸や針の類である木にも人間と同じように、ツボがあるようでそのツボに針を打つと、木も正常になるらしく健康体になっていくようである植物も人間もだが、体内に微量の電気が流れているその流れを見極めてツボを探しだし、そして針を打つのだ木に針を打っている人は、その特許を取っているようで樹齢何百年という、国宝級の大木に針を打ち病気は退治して、尚且つ若々しさを与えているのであるゲストの森永さんが言っていたがこれの応用で、杉の木にも針をすれば良いではないかと‥結局杉の木も、人間が伐採し過ぎたことが元で自分が望まないところに植えられてしまったという経緯があるそれは杉の木にとって、ストレスに違いないまた、いつ伐採されるか分からないというストレスも抱えているその為に、子孫を残せないかもしれないという不安も持っていてその思いが、花粉を必要以上に飛ばしているわけであるこのストレスを取り除くのが、針なのであるそう、人間が肩が凝ったといって、鍼灸師のところへ行くことと全く変わりが無い、治療法であるこの地球上に有る全てのモノは、波動を出している足元の石ころにだって、出している波動が有る備わっている機能が違うだけで、みんな同じ有機物なのであるそのことを理解して周りを見渡してみると全てが、いとおしく目に入ってくるみな同じ、愛すべきモノなのである
2011年12月29日
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さて、問題が解決できていないのが、自分のルーツであるこれは例え地球人を卒業できたとしても厄介なことに、根本的には解決できないだろうと思うこのことは私にとってまさしく、永遠の課題となる永遠と一言で言うが、気が遠くなるような言葉である今後時間が有る限り、ヘミシンクやヒプノで探っていきたい永遠を楽しく過ごすためにも、追っていくべき課題である他にも変えていかなければならない考え方がある病気というのは、歪んだ心と体の結果であるから心の見直しや、考え方の見直しをしつつ体のケアを怠らないように、気を配っていかなければならない考えてみれば、いつも私の一番は自分の 「やりたいこと」 であった周りからみても、やり過ぎ? 暴走している?そんなことを言われても、自分のいく道を変える事はなかった追い風の時はそれでも良かったのだが守りの運勢に入って、同じことをやっていてはまず体が持たない、な~んてことは分かっていたはずなのに‥真剣に考えよう、私が倒れて困るのは誰? みんなの迷惑を考えたら、生活態度を変えるのは当たり前の事今回のことで、仕事では上司の顔が浮かんできたし家のことでは、弟の顔が浮かんできた困る人の事を考えたら、正しい生活をしていかなければならない私たちは一人で生きているわけでなく、支えあって生きているそして、なんだかんだと関わり合って生きているそう、このブログを読んでくださっている人もいるわけだから自分の体を自分のものと、勘違いしない生き方をすべきであるもっと気楽に、もっとランダムに決め付けることなく、生き生きとして自由奔放に大いに学び、大いに愛し、人間に生まれた使命を胸に抱きつつ今日という日、今を大切に 「生」 を満喫して行こうと思う
2011年12月28日
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そんな状態の中、一本の電話があったホームページを見ての電話で、ヒプノセラピー希望のお客様である「えっ! この状態で‥」 一瞬躊躇したもののこんな時だからこその意味合いがあると考え、お受けすることにした背後の存在は、私の現状を知っているわけでそれでも尚、私の元へ送り込んで来たのだから今の状態の私でも大丈夫、と思ってのことなのだろうただ占いでもなくレイキでもなく、ヒプノセラピーであることが少しばかり私を心配にさせてしまう勿論、背後の人たちを信頼しているのだが何故ヒプノなのだろうかと、ついつい考え込んでしまうヒプノは、深い潜在意識とのやり取りになる本人も忘れている記憶と対峙して、現在を生き易くしていく作業である案の定依頼者は、生死にかかわるという出来事をモノの見事に記憶から消し去っていたそう、忘れなければ生きていけなかったのである、‥その時は。今はそれが逆に邪魔になっていて、前に進めないでいるでも記憶が浮上したことで、形勢は逆転したインナーチャイルドとも、しっかり向き合うことができたので彼女の今後は、変わっていくことができるだろうと思う会って、そしてヒプノセラピーをさせてもらって本当に良かったと思う、本当に感謝だった必要なことが、必要な時に起こるそのことを深く心に刻んだ日であった良いことも悪いことも、私に必要だから起こってくるのである私はこの一連の出来事から、多くを学ぶ必要がある今読んでいる本の中に、地球に転生してくる目的が書いてあるその本によると、地球転生の目的は3つ「学び」 と 「愛」 と 「使命」 少しでも目的を果たして、宇宙へ帰りたいと思っている
2011年12月27日
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しかし、生まれて初めて貧血状態というものを味わったのだがこれは非常に体力が必要なもので、本当に辛いものだと思った病気を持っていらっしゃる人たちには、頭が下がる想いである健康な人たちの代わりに病気になって頂いているわけで「ありがとう」 「ご苦労様」 という気持ちになるそして、日頃何気なくこなしている毎日の出来事が健康の裏付けがあるからこそだと、改めて心に響いてきた起きること、体を動かすこと、歩くこと、食べること仕事をすること、喋ること、睡眠を取ること‥感謝しなければならないことは、尽きることなく目の前にある何故感謝できないのだろうか、何故感謝を忘れてしまうのだろうか‥私は、傲慢な人間である今はバスの中で座れただけで、感謝の気持ちが湧き出てくる会社に着いた、家に帰れたと、そんなことが感謝の思いとなるまだまだ体力は元通りになっていないけれど徐々にではあるが、回復しつつあることが嬉しい時々立ち止まって、呼吸を整えはするが座りこまないで、会社や家に行くことができるようになった階段は下りの場合、普通に使うことが出来るようになった上りの場合は、休み休み使っているカバンは、下に下ろせるタイプのものにして肩から掛けるタイプのものは、体力が無いので止めてしまったカバンの中身も厳選して入れている面白いことに、この見直しをしてみたら、不必要なものが多かった今まで何故こんなに色々なものを、持って歩いていたのだろうかそう思うほどに、カバンの重量は半減したのだった
2011年12月26日
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赤血球を維持する為には、漏れているところを塞ぎ体を修復するイメージを持てば、良いということになる元々病気になった原因というのが目に見えないエネルギーが、私の体の中で暴れたことにあるならば修復するのも、目に見えないイメージの世界で行うのが本来の正常な戻し方だと思っている私はいままで、試験や旅行のような大切な日が生理と重なった場合、日にちをズラすことをしてきた花粉症も一回かかったのだが、その辛さを味わってこれは受け入れるものでないと、改めて感じ次の年からは、受け入れない決意で挑んだ結果二度と花粉症には、ならなかったという事実がある見えない世界が主体で、見える現実の世界は従う関係にある人間は、ついつい見える現実世界が全てであると思ってしまうが実際は全く逆だということを、知らなければならない現にイメージ療法を続けていく中で、随分楽になっていった失った血液があるので、全く元通りとまではいかないから今は、取り戻すが如くに、食生活を見直している考えてみれば、私の食生活はいい加減なものできちんとした食事を取るという考えには、中々なれないでいたそれは食事をするという行為に関心が無いところからきている「宇宙食が早くできないかなぁ‥」 と考えるような人間である全くもって、お話しにならない状態である「自分の食事を考えるなんて、時間の無駄遣い」そんな考えでいたものだから、ヒドイものである今は食事のバランスを考えて、自分のための食事を取っている漢方も良いだろうと考え貧血に良いだろう 「当帰芍薬散料」 を買って飲み始めている食事からも栄養をとっているので、漢方は摂取量の半分にしている一日の摂取量は決まっているので、取り過ぎても意味がない食事から取れるならば、それがベストに違いない
2011年12月22日
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「クリスタルボールや瞑想ライブを聴くといつも具合が悪くなるのは、血液がこんなふうになるんだなぁ‥」そんなことをぼんやりと考えて、その結果を見ていた「赤血球って、酸素を運んでいるんだなぁ」 酸素不足で立っておれない少し動くだけで、運動した後のように息切れがする会社と家の往復だけで、もう他には何も出来ないでいたそれでも仕事と家事は、時間をかけて何とかこなしていた土日に、家でやらなければならないことだけやっていたら医者から電話がかかってきたのだが、その内容が今すぐ救急車を呼ぶように‥ということだった医者がいうには、赤血球の数値が一回目よりも下がっているからどこかで漏れているかもしれない‥ という話しだった「体が辛いのではないか」 というのだが、そんなこと分かっているでも、ようやく分かってくれたのかと嬉しい気持ちにもなった救急車を呼ぶ気にならないので、中村日赤に行こうかと言ってみたが医者に、「きっと相手にして貰えないだろう」 と言われた結局私は二日間、寝ていることにしたそして、休み明けに電話をくれた病院に行って紹介状を書いてもらい、精密検査をすることになったのだ (結果的にこの後一度も医者に行かなかった)電話を切って、ふと医者の言った言葉を考えてみた医者はこう言ったのである「赤血球がこんなに下がるのは、体のどこかから漏れているからだその原因を探して、それを阻止しなければならない」この言葉は、私にとって大いにヒントになった成る程‥ 体のどこかから漏れてしまっているわけか‥そういうことか‥ それでは漏れている赤血球を漏れていかないようにすれば良いわけである
2011年12月21日
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その内、ヘミシンクからヒプノへと導かれていったそのヒプノで、私は自分のエネルギーのルーツを知ることになったのだそのルーツを知ったことで、私としては 「もう大丈夫」 と思ってしまったのだが、それが今回の騒動となっていく羽目になったまさか、そんな甘いものではなかったなんて‥もっと掘り下げて自分のルーツを知らなければ、同じ事の繰り返しになる私は生きている限り‥ いや、例え死んだとしても永遠という道のりが、険しいものとして未来に横たわっていることになるいままでもクリスタルボールを聴いたりすると、途端に具合が悪くなるだから、まともに全部を聴いたことが無い今回は諸事情で、どうしても会場から抜け出せなかったのだ家に帰るまでの間、吐き気と戦いつつ冷や汗、あぶら汗顔面蒼白になりながら、バスの中で立っていることもできず周りの目も考える余裕なく、バスの中で座り込みながらの帰宅である次の日の会社への出勤は、最悪の道のりだったその次の日が祝日だという希望だけを持って、なんとか辿り付いた顔色は真っ白で、多分お化けも逃げ出すだろう顔色だったとにかく立っていることが出来ない寝ているのが一番だが、座っていればなんとかなるどうしてもこなさなければならない仕事が有るのでそれをこなして、仕事が終わってから病院へ駆け込んだ病院で簡単な血液検査をして、点滴をうってもらい吐き気を抑える薬をもらい、頑張って家に辿り付いた次の日の祝日は、丸一日眠り込んだ後日、吐き気は収まっても体力が戻らないので病院に行くと血液検査の結果が出ていたのだそれによると、赤血球がひどく下回り過ぎている上に白血球が異常に高いという検査結果だった
2011年12月20日
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「病気」 が表れた時は「気づき」 を促がされていると考えなければならない単に体だけを治してしまっては、病の再発に繋がりかねない病気になったことを真摯に受け止めて心を正していくことが重要であるでも体が苦しいと、心が正常に働かなくなってしまう痛みに意識が集中してしまい、いつもの判断が出来なくなるのだでもなんとか苦しい体の元から良く考えて反省して、軌道修正をしていくことをしたそれでも最初は、どうして私なのか‥とか、何故今なのか‥とか‥有ってはいけない、恨み辛みが頭を過ぎる本当に人間は弱い生き物である いや、私が弱いだけかもしれない‥ 打たれ弱い人間なのかもしれないことの発端は、ある瞑想ライブであった本来こういった瞑想ライブは、心のエネルギーを充電する素晴らしい機会である 但し、私以外の人にとっては、と付け加えさせて貰うそう、何故か私には充電でなく、過剰エネルギーとなってしまうのだなのでいつもなら、適当に切り上げてその場を離れて行くのだが今回は油断をしてしまい、気が付いたときにはもう遅すぎた私は顔面蒼白で、その場から身動きが取れなくなってしまったのだ油断したのには、それなりに意味があるエネルギーをコントロールできない私は、ヘミシンクに救いを求めたヘミシンクはエネルギーのコントロールに一役かってくれたのだが新たにエネルギーを受け取るという、いたちごっこの状態になっていっただから結局は、本当の解決とはならなかったのだ
2011年12月19日
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勿論、だからといって自分の運勢を考えてはいるわけだから来年中に、ゆるやかに辞めていくことは伝えてある面接等関係してくるので、上司の仕事の妨げにならない時に辞めていきたいというのが、私の考えである本来は今辞めているはずで、無理をしているのは分かっているがここは外せない状況なので、他の見直しを計っていくことにした他というのは、心理学等の学びの時間を詰め込んでいることである今振り返ると、考え方が変だと思うことがあったそれは会社を辞めるまでに、多くの学びを済ませようとした事である新しい角出である第2の人生は、全てを身に付けていなければならない‥そんな漠然とした考えが、私の考えを支配していたのだだから私は、過密スケジュールで動いていたわけだがこれは今考えると、変に自分を追い込んでいたとしか思えない本来は、会社を辞めれば時間ができるわけだからそれからゆったりと学びを深めていけば良いわけである何故そういう考えに至らなかったのだろうか‥どうも私は急ぎ過ぎる生き方を、人生に課してしまうようであるそれで残りの学びは、来年の再受講枠へ移行することにした今は自分の事と家族の事と、そして会社と副業のお客様のことだけを考えることにして、他は手を抜くことにしたのだ学びの全ては、会社という長い拘束時間を離れた時に思いっきり勉強しても良いではないかと、考えられるようになったのだ人の考え方には、癖があるその上、人には現状を変えることに抵抗感があるのだ知らない内に軌道がズレてしまっていて間違った方向に進んでいってしまい、それに気づかないでいるその軌道修正してくれる一つの方法が、「病気」 であることを忘れてはいけない
2011年12月17日
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さて、占い師の不養生の話しである本来6歳運の私は、来年の2月節入りから10年の運勢が大きく変わることになっているしかも30年運も変わるような、大きな節目を迎える時であるそう‥ 30年間私を支えてくれた運勢が去っていくのである私はもうそろそろ、守りに入らなければならない運勢なのであるだから、本来は今年中に会社を辞めてゆったりとした第二の人生へと、移行していなければならないでは、何故しなかったのか‥何故、1年遅らせるような真似をしたのか‥そこには感情が複雑に働いていたのだった30年以上働いた会社を去ること会社員として生きてきた自分が、会社員で無くなるという事実社会から離脱するという未来を、受け入れられないでいる自分そして一番私を引き止めていた感情というのは仕事仲間との別れである関わってきた年数が、余りにも長かった一日の大半は、仕事で費やされてきたわけだから家族以上に長い時間を共用してきたのが、仕事仲間であるその仲間と別れるというのが、私には辛いことなのだこの12月で27年ご一緒した仲間が、定年退職する今は彼の後釜になる人が、先月から入社してきているのでその人に私の立場から教えられることを教えている上司にとっても退職する彼とは、私と同じ年月仕事をしてきているだから私以上に仲間を失うことが、どんなにか大変なことなのか‥それを考えると、私が簡単に会社を辞めるとは言えなかった
2011年12月16日
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何から書いたら良いのか‥まずはブログを休んでいたこと、申し訳なく思っています体調を壊していました、すみません (ーー;)心配していただき、電話やメールをくださった方々有難うございました、感謝しています3年前、母を亡くした時家事と仕事以外は、全く手がつけられなかったが今回もそんなところである一杯考え、色々反省もし、持ちうる知識を屈してどうやって切り抜けていくかを考えた 心が壊れていても、体が壊れていても弱いものでどうにも身動きが取れないものであるまずは反省点‥医者の不養生の如く、占い師の不養生である自分の運勢を知っている身でありながら無視ではないが、軽んじていたことは認めるところであるそれなりに客観視して、対処してきた私ではあるが詰めが甘いというか、私は大丈夫という根拠の無い自信というか感情に弱いところとかが、重なり合って今回の結果を生んでしまったと思っている考えてみれば少しずつ兆候は有ったのだ急に足の調子が悪くなり、歩くだけが精一杯で走れなくなったことも有ったでもそれも一時的なもので、また普通に戻っていったりしたその時々は真剣に考えるのだが、体の調子が戻ってしまうと浅はかなことに、生活全体を見直そうとはしなかった
2011年12月15日
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