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今回は「レビ記、民数記、申命記」と駒を進めた。レビ族は、唯一神殿に務める役目のある部族である。どこで生まれたかによって、職業が決まってしまうことがある。何代目‥、とかいって、何百年と続く老舗で生まれたなら、どうしても継がなければならない場合も出てくるだろう。それが自分に合っているのなら問題はないが、合わないもの‥、苦手なもの‥、だったとしたら最悪である。そうでなくても好きな職業が選べないのだから、いつの世も大変である。普通のサラリーマンの家に生まれてきた私は、とてもラッキーだと思う。職業の選択が自由であったことを、非常に感謝している。レビ記は、今でいう医学の知識が満載である。今の日本でこそ当たり前のように、うがいをするとか手を洗うとかして、菌の侵入を阻む手段としているが、何千年という昔に、それを奨励しているのだから素晴らしい。他にもどういった物を食べたらいいのかが書かれているのだが、それも医学的な根拠があるわけだ。でも聖書だけ読んでいても、そこまでの深い意味はわからない。ケイシーを通じて分かることは、とても多い。光田会長の説明は、一つ一つ納得出来るものである。聖書(ケイシー)が言うような食生活は、食糧が飽和なこの時代の私たちには難しいところがあるが、それでも知っていれば、自分の健康に役立つと思う。肉や魚の類は、今後の買い物に影響を与えるだろうと思う。でも健康であっての人生だから、少しでも良いものを体に取り入れていきたい。最後に今回光田会長が言われた言葉で、心に響いた言葉を書き記そう。「人間と神との関係は相互関係である。 我々が神に積極的になるならば、神も積極的になられる。」
2014年04月29日
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超ー楽しい~、やっぱり私って音楽が好きなんだなぁ‥。合唱をしながら再確認した感じである。暫くの間、音楽関係から遠ざかっていた。学びたいことが、次から次へと目の前に表れてきたからである。全てが学びであるから、音楽も学びには違いないのだが、チョッとニュアンスが違うというか、微妙なものなのだが‥。趣味の域で留めようとすると、この楽しいという感情が現れるのか?よくオリンピック選手が、「楽しみたい」とか「楽しくできた」とか言うことがあるが、ついつい本当だろうか?と思ってしまう。でもきっと競技を究めていった人たちというのは、そういう境地に立てるのだろう‥中々理解できないが。多分得意としてしまえば、楽しむ余裕ができるのだろうと思う。私の場合、楽譜が読めて音感が分かって、無難に歌っていけるものだから、余裕ができてくる。別にプロになるわけではないから、そのプレッシャーも無い。しかも合唱だから、ソロで歌うようなリスクも無いから、ただ単に「楽しむだけ」という理想的な状態である。だから、超~楽しいのである。合唱の醍醐味は、それぞれのパートとの掛け合いである。時にはアルトが旋律を担当したりする。そんな時のソプラノは、高い領域のハミングをしたりする。私はそんなハーモニーも好きである。年齢を重ねていくと、高い声が出せなくなったり、高い音を拾えなくなったりする。聴覚の鍛え方は知らないが、高い声を出すことに関しては、ある程度練習でカバー出来るように思う。年齢を感じさせない‥という褒め言葉が貰えたら、私はきっと嬉しいだろうと思う。無理をするのではなく、楽しむことを全面にして、この合唱を続けていこうと思っている。
2014年04月27日
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「一人で大変‥」バスの運転手さんを見ていて思った。昔は運転手さん以外に乗務員さんが居て、お客様の乗車や降車に関わる仕事を請け負っていた。だから、運転手さんは運転をするだけでよかったわけである。でも今は全てを一人で熟さなければならない。運転以外に車内のマナーを正したり、料金を説明したり、混雑時にはもっと場所を詰めてもらうよう促したり、カードの販促やチャージの勧め等々‥、運転以外にしなければならないことは、山のようにある。そこに車イスの人が乗り込んでくるとなると、途端に一人での作業負担が増幅されていく。しかも朝のラッシュ時である。沢山の視線が集まる中で、手際よくやらなければならない。車イスの乗車は、毎日の行動の中でイレギュラーなことに違いない。だからチョッとキレの無い動きになってしまう。乗車の際は少しもたついて、時間がかかって大変だった。まず何より停車場所が樹木にかかってしまっていたから、そこから正さなければならなかった。でも降車となると、かなり手際が良くなっていた。乗車の半分の時間で終了したのだ。途中、自動ドアが閉まらなくなるというハプニングに見舞われたが、そこを色々試して上手く乗り切ることができた。多分私なら泣きそうになったことだろう。誰に相談することもなく、一人で問題解決していく姿は素晴らしい。特に周りに沢山の目が有る状態を乗り切るのだから、それはそれは‥試練だと思う。人と多く関わる仕事は、どんなものでも影響力が大きい。苦難と喜びは、紙一重かもしれない。
2014年04月25日
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このポジティブな社会‥、日本のような先進国ではのんびりとした生き方が難しい。そういう生き方が出来ない人が、ストレスを溜めて社会不適合者になっていく。学校での教育は、学校を卒業して社会に出た時に、即座に役立つものばかりではない。むしろすぐに役立たないものが多いように思う。商業科を出た私は、役立つ科目は多かったように思う。授業の一環で疑似社会を作って、仕事の動きを理解するという趣旨の授業が有った。今でもそんな授業が有ったなら、とても役に立つと思う。出来ることならそこに人間関係を織り込んだ授業であるなら、さらに良かったように思う。それでも人間関係においては、部活を通じて学んでいったものが多かったように思う。だから中学や高校の部活は大切だと思っている。今の子供は知らないが、塾でも仲間意識が有って楽しかった。塾で一緒に学んだ友達を、ライバルと思ったことはない。とにかく楽しかったという印象だけが残っている。多分理由の一つに、私が成績上位争いに縁が無かったからではないだろうか?そしてまた、今と違い競争することが、それ程大切では無かった時代だったと思う。学校でもこの社会を生きていく方法を取り上げてもらえたなら、社会に出ても挑戦し続ける力を保持できたことだろう。また、社会に出ることにも、それほど不安に感じることもないに違いない。私はどうだっただろうか?一つには、良き占い師さんに出会えたことである。出会いは大切だと思うよ、出会い一つで人生は変わっていくから‥。良い出会いを望みたい。良い出会いを節に望んで、希望に満ちた毎日を送っていきたい。
2014年04月23日
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「ありがとう~」と言う私の声に、弟が何を言ったのか分からなかったので、聞き返してきた。私は弟に向かって言ったわけでなかったので、弟に聞こえるようには話していなかった。「何も話していないよ」と返すと、「でも何か言わなかった?」と聞いてくる。(あ~ぁ、ありがとうの言葉のことなのね)と思ったので、「言ったけど、貴方に対してじゃないよ」と答えた。弟は怪訝な顔をして「じゃぁ、誰に言ったの?」と聞き返す。そりゃそうだ、ここには私と弟しか居ない。私は相手無しで話していることになる。「機械がお風呂が沸きましたって言ったから、ありがとうと答えたんだよ」と言うと、「機械に?」と聞き直す。人間は生きている。そして動物も植物も生きている。では鉱物は? 鉱物にも意識は有るのだ。勿論、機械に意識は(今のところ)無いと思うが、私が感謝の気持ちを言うことに問題は無いと思っている。私の年代以上でなければ知らないことだとは思うが、昔の家には土間が有って、土間で外履きを履いて台所や風呂に行っていた。薪でご飯を炊いていたし、風呂を焚くのも薪だった。その労力といったら‥、力も時間もかかる作業である。それが今ではスイッチ一つで、ご飯が出来て風呂が沸く。こんなに感謝なことは有るだろうか?不自由な時代を知っているからこそ、今の便利さに感謝ができる。その時の不便さを忘れがちだが、ずーっと忘れないでいたい。それに日頃感謝の気持ちを伝えていたなら、何か有った時、咄嗟に感謝の言葉が出てくるのではないだろうか?いつでも、そしてすぐにでも「ありがとう」と言える私でありたい。
2014年04月19日
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たかが1分、されど1分‥、今この1分にキョロキョロしている。それは4月から改正された、市バスの時刻表である。市バスの車庫が大治町に有る。その為私が乗るバス停は、車庫から3つ目の停留場という近さだ。だから通勤時間帯の混み具合が緩和される。それに引き換え名鉄バスは、かなり遠くからやってくる。本数は市バスと比べたら3倍近く有るけれど、道中が長いので結構な混み具合である。だから私は比較的混んでない市バスに乗ってしまう。但し、この市バスは会社の途中までしか行っていない。だから一旦降りて、会社の近くまで行く市バスに乗り換えるのだ。今回4月から時刻表が改正された。大治のほうは変更無いのだが、途中から乗る市バスのほうが、1分早く着くことになったのだ。これが問題になってしまった。4月の最初のほうは、まだ学生が乗っていなかったので問題無かったのだが、今は学生も多く乗ってくる。そうすると乗り降りに時間がかかり、停車時間が長くなってしまう。その為運行時間にも関係してきてしまうのだ。そして信号にひっかかってしまうと、次に乗る会社近くまで行くバスのほうが、目の前をさっそうと先に通っていってしまうのだ。このバスに先に行かれてしまうと、その後10分待たなければならない。朝の10分は、非常に問題となる時間である。なので今は時計とにらめっこをしている。たった1分なのだが、大きな壁となってしまっている。まぁ、だからといって遅刻するわけではないのだが、余裕ある朝を会社で迎えるためには、スムーズに乗り換えたいところだ。「どうせ1分変わるなら、遅くなってくれたら良かったのに‥」というのは、私の勝手な願望である。暫く様子を見て、間に合わない場合が多そうなら、朝出る時間を変更しなければならない。この後におよんで、もう少し様子を見たいと思っている。
2014年04月17日
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チョッと早いけれど、コーラスを始めちゃいましたぁ~。いやぁ~、後半年後か1年後と思っていたにも関わらず、このタイミングで始めてしまった。どうするんだ~?というのも、結構私的には軽い気持ちだったんだよねぇ。でも入ってみると練習時間の最後のほうには、発表会の曲名の話しになっていってしまい、もう今決めないと遅いということになり‥。いや確かに、月に2回の練習時間しか無いことを考えると、年内の発表に向けてもう動きださなければならないわけで、決して早すぎることはない。そういえばゴスペルを歌っていた時も、年内に一度は発表の場があって、それに向けて練習していたなぁ。それを思い出せば当たり前の進行だというのに、私は勝手に3ヶ月行って3ヶ月休んで、という周期にするつもりでいた。だって夏暑いし冬寒いんだもん、そこは外そうよ‥てな感じの感覚。全く不真面目極まりない参加の仕方を考えていたよ。でもすぐに「メールアドレスを教えていただけますか?」と言われて、(いや正規のメンバーに考えないで!)と心の中で思ってしまった。みんな目標を持って参加しているんだよね。私のように気分転換だとか、健康の足しにしようとかいうレベルじゃないわけだ。う~む、しまった! 苦手なコーチングのモチベーションを上げようと、コーラスも平行してやろうと思ったのだけど‥。両方が続くとなると、体力的に失敗のパターンになってしまう。若くないのに、何をやっているんだろうねぇ私は‥。まぁ、どちらも適当に少しずつおサボりしていくしかないかな。非常に不本意だけれど、必要悪ということで‥。まぁでも、私はやっぱり音楽が好き!歌いながら、私は幸せだって心底感じたのよね。ワクワクうきうきする気持ちって、とても大切だよね。
2014年04月15日
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「中庸が良い」というのは、私がよく占いで言う言葉である。星が偏って一点に集中してしまうと、無い星が出てきて困ったことにもなってしまう。どんな星もバランス良く配置されていることがベストである。偏っていないということは、一見平凡のようにも思うが、それがこの世の中を生き抜いていける方法でもある。人はすぐ周りの人を見て、自分と比べてしまいがちである。その結果無い物ねだりで相手が良く見えてしまい、妬みや嫉妬といった感情に支配されてしまう。でも、よく考えて欲しいのだ。私たちは私たちの意志でこの世に誕生している。自分が望んだ形でこの世界に生まれてきたのだ。この性格、異性運、家庭運、財運、仕事運、健康運、運勢と、自分で決めて、この時代のこの国のこの地方へと生まれてきた。自分が嫌いだという人がいるが、その性格で生まれようと決めてきているのだ。ただ、忘れているだけである。だから自分の人生に責任を持って、良いも悪いも受け入れていこう。その上で運命を切り開いていけば良い。バランスが良くなければ、バランス良くなるよう努力しよう。そうやって自分を成長させることが、今を生きている意味でもある。「成長する」ことは生きている人間でなければ出来ないことである。だから現実世界を生きている今が、とても大切なのである。自分に悪いところがあれば、それをチャンスと捉えて、成長して変わっていく自分を楽しもう。まだ見ぬ未来の自分にワクワクしたい。
2014年04月13日
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自分の間合いと違い過ぎる人が居て、噛み合わない場面が出来てしまった。話すスピードや会話の運び方が、私と全く違うのだ。勿論、今までもそういう噛み合わない人には出会ってきているのだが、今回ほど違う人は、そうそうに居ないように思う。私が特別早いわけではない。その証拠に、私の話し方でイライラされてしまう人も居る。だからそんなに極端に早い方だとは思っていなかった。でも今回出会った人と自分を比較すると、「私って話すスピードが早いの?」と思うほど、相手が遅かった。いや、多分こういう人も世の中には沢山居るのだろう。今まで私の周りに居なかっただけなのだと思う。そう思うと、もっと自分が平静さを持たなければならないと感じた。そうでないと、ついつい自分のほうが一方的に喋ってしまうからだ。それでは会話が成り立たない。というか、相手はびっくりして黙ってしまったのである。黙ってしまった相手を見て、私もびっくりしてしまった。そうだよ、片方が喋りっぱなしになったら、相手は黙ってしまうしかないよねぇ‥。何を言っていいのか分からなくなってしまうのだと思う。それは、私もその相手の立場になった経験があるから理解できる。余りに相手が一方的に話していくと、自分の考えがまとまらなくて、パニックになってしまうのだ。目の前のこの人も、今そういう状態なのだと思った。久々にそういう人に出会ったと感じる。しかも、いままでには有り得ないほど、間合いが違う人である。こういう勉強も、私には必要なのだろう。何故なら、出会いは偶然でなく必然だからである。今すぐには、この出会いを無条件で感謝できないが、この出会いも心から感謝できるように、頑張っていきたいと思う。
2014年04月11日
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なるほど、成程‥、とテレビに頷いたことがあったのだが、それが認知症の成り始めに関してであった。どうやら、少しずつ物忘れが始まって徐々に悪くなるというのが、認知症の初期段階ではないらしい。一番初めは、物忘れでなく嗅覚の衰えだというのだ。そうそぅ、そうだったよ~、私は父親のことを思い出していた。例えば腐った食べ物でも、腐った臭いに気づかない。私はどれだけ食べ物に気を付けていたことだろうか?というのも、真夏の暑い日でも、冷蔵庫から食べる物を出して、そのままぶらぶらと出かけてしまう始末。食品が傷まないわけがない。私たちが昼間会社に行ってしまえば、真夏の昼食は心配である。夜でも私が帰ってくる前に食べる物を先に並べて、ふらふら出かけていた。何度注意しても、直してはくれなかった。そして腐っているから捨てようとすると怒り出す。腐っていないのに、勿体無いというのが本人の言い分だ。自分で作った料理を、自分で捨てなければならないという、なんとも言いようがない気持ちである。それでも腐った料理を食べさせるわけにはいかないわけで、泣く泣く捨てようとするのに、勿体無いから食べると言う。あれは臭いが分からなかったわけで、認知症の初期状態だったのだ。そうなんだ~、認知症は最初に嗅覚が駄目になってしまうんだ~。どうして腐っているのが分からないんだろう~と不思議だったのだが、そういうことだったんだ。捨てるのも本人の居ないところで内緒に捨てていた。そうでなければ、何でもかんでも食べてしまうからだ。悲しいなぁ‥、病気なんか世の中に無ければいいのに‥。でも、病気も自分の生き方の表れの場合が多い。心を穏やかにして、病気にならない生き方をしていきたい。
2014年04月08日
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プルーフ・オブ・ヘヴン エベン・アレグザンダー著 早川書房 サブタイトル「脳神経外科医が見た死後の世界」この本を買ったのは去年である。一度に何冊か買うクセのある私は、どうしても読み易い本から読んでいく。まだまだ読まないで置いてある本は多い。実のところ私は、買った順番に読むわけでない。この本より前に買っていても、まだ読んでない本は沢山有る。なるべくは順番に行きたいところなのだが‥。なにせ、ご紹介する時に絶版となってしまっていては全く意味がないわけで、そうは思っているのだが‥。この本は、脳神経外科医が書いたものである。だから最初はチョッととっつきにくい。最初のほうは自分の仕事に関して記述しているのだが、仕事が仕事なので、難しい言葉や専門用語が出てくるのだ。だからパラパラと見て、後回しになってしまったのである。でも、難しいところは斜め読みをしていくと、途中から飛ばすことなくのめりこんで読んでいった。こちらの世界で脳が停止している時と、向こうの世界で体験していることを、交互に書いていっている。どんな状況下で向こうの世界を垣間見ているかが分かって随分リアルである。P96~ 唯一のもっとも大切なことを教えられたからである。 「あなたは愛され、大切にされています」 「恐れるようなことは何も有りません」 「あなたのすることには、ひとつも間違いはありません」 ‥‥‥「あらゆることの基本は、愛なのだ」‥‥‥向こうの世界は、無条件の愛である。この脳神経外科医は、死の淵を彷徨った7日間でこの言葉を理解した。彼によると、向こうの世界は見ることは知ることに直結していて、体験することと理解することの間には、区別がなかったと言っている。医療の最先端をいく人が、向こうの世界を見て書いているので、この本は必見だと思う。
2014年04月05日
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起きた時に寝ぼけている頭で、勝手に今日は「土曜」だと思う。完全な現実逃避である。でも、私自身は仕事が好きなので現実逃避になる人間でない。この現実逃避は、私の無意識が望んでいることだった。勿論、無意識とはいえど私であることには変わりがない。だから寝ぼけた状態で考えたとはいえ、会社に行くのを拒否した一瞬が有ったことは事実である。無意識のこの反応は、体の信号を受け取ったからだ。今週半ばは風邪気味で、体がだるくて重い日が有った。それが会社に行くのを嫌がる態度にさせたわけである。でも意識がはっきりすれば、何をバカなことを考えているのか!と、自分に向かって叱咤激励するわけで、少し熱を出したとか、頭が痛いとか、腹痛とか‥、病気でその日に会社へ電話して休むということは、いままで一度もしたことが無かった。だって、どれだけ大変かは行ってみなければ分からない。行ってどうにもならなければ、早引きさせてもらって医者へ直行すれば良いのでは?と考えてしまう。多分これを読んでいる人の中には、「病気をこじらせてしまってからでは遅いのでは?」と思われる人も居ることだろう。私は幼少期に、我慢することに慣れてしまった人間である。だからどのタイミングで、痛いとか辛いとか言えば良いのかが、いまいち分かっていないのだと思う。そういう幼少期が大人の私を作っていったものだから、今の若い人たちが、多少熱が出たからといって、いきなりその日の勤務を休むということが、よく分からないのである。まぁ、私のように極端な反応の仕方が良いとは思えないが、それでももう少し我慢するということが出来ないのかと、ついつい思ってしまうのである。時代背景の違いなのでしょうかねぇ‥。簡単に休むという電話を聞いていて、溜め息が出てしまう私だった。
2014年04月03日
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朝早く起きてしまったのは、手足の末端に早いエネルギーの流れを感じたからだ。私の場合は良く有ることだが、朝早くて頭がはっきりしていないので、どうしてそうなっているのかが、考えつかなかった。今起きると寝不足になり、日中辛いと思ったから、起き出すことなく目を閉じて、体を休めていた。でも体は休めても頭は動いているわけで、何も考える気がないというのに、何かしら頭が考え続けている。答えを望むわけでなく、勝手に頭が私に質問を投げかけている。「人間って、バカみたいに次から次へと考える生き物だなぁ~」望みもしないのに、頭の中では言葉が渦巻いている。で、ふと気がついた。‥喉が痛い。「あれっ?これって風邪の引き始め?」なんて私は鈍いんだ~、というかいつものことなのに‥。エネルギーの流れが早い意味が、どうして分からないんだろうか。本当に私って学習能力が乏しいんだよねぇ~。私の頭の反応や体の反応を遥かに超えて、レイキエネルギーが、すぐさま働いてくれる。凄いよね!頭も体も認識していない内から、体に有るレイキエネルギーは、自然治癒力を稼働させている。まぁ、というか私が鈍いのか?でもすぐに動いてくれるエネルギーは有難い。大事に至る前に動いてくれるのだから、非常に助かる。ただ私は特殊だから、こういう反応になる。99.9%の確率‥多分私だけじゃないかなぁ、こういう風に反応が早くて驚くのは‥。私の場合のエネルギー問題は、気が遠くなるほど前に原因がある。そぅ、悠久の‥果てしなく、果てしなく遠い昔の‥。私の意識が、宇宙に存在していた頃の話しだ。だからこの地球上では、私のエネルギーを制御する答えが出ない。全ての人にプラスであるレイキエネルギーも、私にとっては一長一短である。でも、取りあえず助かった。一日だけ熱っぽかったけれど、二日目には随分落ち着いたて、更に三日目はもう普通の生活に戻ることができた。これもレイキのお蔭である。
2014年04月01日
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