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テレビ番組で「肩こり」をテーマにした放送を流していた。テレビに出演していた医者は、患者の肩を一切触らなかった。なんについても言えるが、痛みの場所に痛みの原因があるとは限らない。全く考えてもいなかった場所に原因が潜んでいることがあるのだ。私の母は肩こりを訴えていた時、実は心筋梗塞だったのだ。これは周りも本人も、どうにも分からない原因だった。テレビでは内臓に問題がある場合ではなく、内臓以外の原因を探っていた。そこには3つの原因があるらしい。まず一番多いのが、前屈みになる姿勢の積み重ねが原因で、肩甲骨が傾いてしまう場合だ。これは両手を合わせて肘同士を真ん中でくっつけて、そのまま上に持っていき、アゴまで上がれば問題ないというもの。アゴまで上がらないと、肩甲骨が傾いているようで、それが原因で肩が凝ってしまうらしい。次に腰のバランスが悪いことが原因の場合。1本足で10秒、左右とも揺れなければ問題ないが、片方でも揺れたら問題となる。腰のバランスが悪いと重心が安定せず、頭をささえきれない。これも肩こりの原因になるという。最後は四十肩や五十肩といわれるもので、肩の中に原因がある場合である。腕を上げる時に、肩の関節ではなく(肩関節が痛いので)肩甲骨でカバーしてしまうことから、肩こりを生じてしまうのである。両手を小さく前にならえをして、腕を身体につけたまま外側に開く。その時両腕が45度開くかどうかである。これも片方だけでも開く角度が少ないと問題である。ではどうすれば良いのか?というと、肩甲骨の場合は、肩甲骨自体を良く動かすストレッチをすれば良い。腕を後ろ側に伸ばして、肩甲骨を寄せるように動かす。現代レイキの「肩甲骨のバランストレーニング」なんかは最高である。さすがは現代レイキの創始者である土居先生だ。腰に問題がある場合は、腹筋の力が弱っているので、仰向けになって寝た状態で膝を曲げ、少し顔を上げてへそを覗き込む姿勢で10秒キープすると良いという。最後の四十肩の場合は、手のひらを上にして前に突き出し、大きく円を描くようにゆっくりと腕を広げていく。「どうぞ」とするように片方ずつ数回行なう。内臓に問題が無い場合は、肩甲骨をしっかりストレッチすると良いと思った。そして体幹を鍛えて、日頃動かさない体の部分を、よ~く解きほぐして、健康な体を手に入れていきたい。
2014年02月27日
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無くて七癖‥、でも、その癖が自分では分からない場合がある。周りのみんなは知っているというのに、当事者だけが知らない事実。そしてその癖が、自分自身を不自由にしている。自分で分からないのだから、周りから教えてもらうしかない。でも周りは余計な波風を立てたくないないから、あえて言う必要がないと思うわけである。結局、自分のことなのに自分だけが知らないという状態。そのまま自分の癖を保持し続けているのである。その癖は、とてもネガティブな癖だった。だから自然とネガティブなことが周りにやってくる。自分から引き寄せてしまっているのである。でも当たり前のように癖を使い続けているから、それを癖だと認識出来ない。だから改善の仕様がないのである。今回その癖のことを、何とか上手く伝えて上げることができた。驚いていたのだから、本当に自分の癖が分かっていなかったようだ。根底に愛があるなら、その気持ちは相手に通じると思う。それで相手の癖が変わっていったなら、きっとポジティブな考え方に変化していくことだろう。時間はかかるだろう‥。だって、そのネガティブな考え方が定着してしまうのに、どれだけの時間を費やしてきてしまったことだろうか?だから焦らないで変えていこう。これからの人生が、素敵な人生に飛躍するのだから‥。
2014年02月25日
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一週間前の日曜日に、NLPプラクティショナーコースの再受講の振り替えに行った。エドガー・ケイシーの勉強会と重なって、二日間行けなかったのだ。後1回、4月の日曜日に行くことになっている。二日目の学びなので、そんなに難しいところではない。もちろん、これは再受講だから言えることであって、最初に聞いた時は、新しい言葉が多かったので必死だった。それでも私はまだ、ヒプノの勉強の時に聞いた言葉も有ったので、全部が全部新しい言葉ではなかったのだが、なにせ歳が邪魔をして、カタカナ用語についていけなかったのだ。若い子についていくには、繰り返しの勉強が必要だろうねぇ。でも私にはパワーがあるので(もちろん、今年の運気に感謝です)大丈夫みたいだ。今回集まった仲間は、心理学の世界を色々なところで勉強している人と、それとは真逆で、全くの初心者とに分かれていた感じだった。心理学を初めて学ぶ人たちは、見ていても爽やかである。一生懸命さと、感動が伝わってくる。新しい世界への第一歩は、不安と喜びが入り混じる。休憩入れての8時間は、あっという間に過ぎ去っていくだろう。私も久しぶりの8時間だったが、やっぱり時間の流れが早く感じた。新しい仲間との出会いも嬉しいが、なかには知った顔も有って、懐かしさも感じることができた。再受講なので、ちょっぴりハードルが上がってドキドキものだったが、それも懐かしい顔を見ると、気にならなくなった。土日が二日も潰れると大変だが、こうやって一日だけ忘れた頃に行くのは、気楽で楽しいと思った。トレーナーの人も私の大好きな人だったので、超~ハッピーな一日になった。いまから4月の再受講の振り替えが楽しみである。
2014年02月23日
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クレームに正当なものとか不当なものとかがあるが、意味不明なクレームには参ってしまう。どうしてそんな話しが出てくるのか、どうしたらそこに繋がるのか‥全くもって分からない。私はどう応えて良いのか分からず、黙るしかなかった。相手からは、クレームを言うことで、少しでも安くできないか探っているように感じた。でもクレームの問題は全国的で、しかも自然現象である。私の力とか会社の力とかの問題ではない。なので、それをもってクレームをつけることは、問題外なのである。自分で自分の言っていることが不思議には感じられないのだろうか?まぁだから、意味不明なことを平気で口にできるのだが‥。「こちらが折れて安くしてもらうことが目的」という感じだが、とてもそれには応じられない話しである。対応した私より、周りのほうが呆れていた。クレームに対しての突っ込みどころは満載で、みんなが「相手は誰だ」と聞いてくる。そこで相手の名前を言うと、どうやら周りの人たちはその相手と、過去に会っているようだった。「あの息子なら言いかねない」という話しになり、昔その息子がした、もっと呆れるような話しが披露された。営業の人たちは、現地で顔を見ての対応だから、強烈に印象として残っているようである。私はこの件で「営業の人たちは大変だなぁ‥」ということと、人がそう簡単に変わらないんだということを感じた。
2014年02月21日
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最近仕事で、いままで以上にエクセルを使うことが多い。主に表を作るのだが、これがメッチャ楽しい~。創意工夫して出来上がっていく様子が、ワクワクするのである。イメージで「こういう表を作って欲しい」と言われ、まず適当に作ってみるのだが、大抵相手が思っているものとズレたものが出来上がる。そりゃそうだ、私と相手の考えることは違う。それを少しずつ擦り合わせていく作業が、とても楽しい。修正に修正を重ねていき、最後に相手が望む表ができると、凄くうきうきして嬉しい気持ちで一杯になる。だって、相手も喜んでくれるもん~。私はパソコンに向かっている時間が好きだ。その中でもワードやエクセルを扱っている時が、一番好きである。事務員で良かったなぁ~と思う。みんなは仕事を楽しんでやっているのだろうか?一番長い時間を費やす仕事である。少しでも楽しいものであるほうが良いに決まっている。そりゃぁ、仕事全部を好きな人は少ないだろうが、仕事の一部でも好きなところがあれば、会社に行くのも楽しい。だから、なんとしても好きなところを持ちたいものだ。好きなところをもっていなければ、探していくことだ。探しても無ければ、自分なりの楽しみを作ることである。私はいままでやってきた仕事(アルバイトを含めて)どんな時でも、与えられた作業を好きになっている。どの会社も、どの部署も、どんな職種も好きになってきた。それが長く続けられたコツだと思う。仕事をして30数年だ、四半世紀はとっくに過ぎている。やっぱり仕事を辞めると寂しいんだろうなぁ~。
2014年02月19日
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この日は出エジプト記15章からである。前回はモーセの例の有名な場面、海を二つに分けて陸地を出現させ、イスラエルの民をエジプト人の攻撃から逃れさせた、というところまでであった。さてモーセは40年間をかけて、自分たちが住む場所をみつける。そこで住むための規則を作るのだが、これがまた有名な十戒だ。十戒は大きな括りなのだが、記述にはもっと細かく書かれている。色々な例を挙げながら、どういう時にどういう風に裁かれるかという、非常に詳しく書かれたものである。人々が安心して暮らしていけるように、定めを作ったのだ。法を作ってそれを守らせることで、安全を手にした。21章24節には、ここにも有名な言葉が‥。「目には目、歯には歯、手には手、足には足、焼き傷には焼き傷、 傷には傷、打ち傷には打ち傷をもって償わなければならない」まぁ、この中で「目には目、歯には歯」が有名だろう。でもこの解釈を聞いて、今まで間違った解釈をしていたことが分かった。というのも「目には目」と聞いて、凄い報復だと思っていたからだ。実はこれ、それ以上の報復をしてはいけない!という戒めだったのだ。もし片手に傷を負わせてしまったとしたら、片手だけにしておきなさい、ということ。「両手を傷つけてはいけないよ」ということだ。堺雅人が演じた半沢直樹が言った言葉のように、「やられたらやり返す。倍返しだ!」ということをしたら駄目だ、という戒めだったのだ。人間の恨みは根深い。報復は炎のように膨れ上がり、その膨れ上がった恨みの気持ちを、抑えることができなくなってしまう。モーセは「そこまでしてはいけない」と戒めているのである。これは私にとって、目から鱗の解釈だった。人間より神様(宇宙)のほうが優しいんだ~‥って、当たり前じゃん、神は愛だからね。その証拠に、34章7節に‥「いつくしみを千代までも施し、悪と、とがと、罪とをゆるす者、 しかし、罰すべき者をが決してゆるさず、父の罪を子に報い、 子の子に報いて、三、四代におよぼす者」とある。祝福は千代で、罰すべきは三、四代だというのだ。祝福と罰とでは、天と地ほどの年数である。だから倍返しをしてしまいそうなこんな人間でも、真摯に生きる人間に対して、とても愛してくれるのである。私たちは、神が私たちを愛してくれるように、人と人との愛を育んでいくべきだろう。千代までも祝福を受けられるような、そんな人間になっていきたい。
2014年02月16日
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昨日は会社へ行くまでが大変だった。先週の雪は、降ったのが会社に行かない土曜だったので、なんの問題もなかった。ぼんやりと、暖かい家の中から外を眺めていただけだ。でも、今週は生憎金曜日に雪が降った。こうなると通勤が大変である。私が乗るバス停は、まだ乗せてくれるだけマシである。次のバス停から「満員のため通過します」とアナウンスされる。原因は、自転車族がバスに切りかえるためだろう。乗車人数は、1.5倍位に膨れ上がる。バスが増車されるわけでないから、当然処理しきれない。バスを待つ列はどんどん長くなっていく。しかも、普段よりバスを使う人数が多いから、乗り降りに時間がかかることになる。だからどんどん遅れていく始末である。ある程度分かっていたから早めに家を出たけれど、それでもいつも通りには会社に着かなかった。いつもなら、橋を越してすぐのバス停で降りて、もっと先まで行くバスに乗りかえるのだが、遅れているために、定刻に着けない。というより、途中の信号で信号待ちをしている時に、いつも乗るバスが、右から左へと走っていったのを横目で見た。ここで降りていては、次にくるバスの時間が怪しくなる。なので、もっと先まで乗っていくことにした。いつもと違うルートを使って会社へ辿り着く。歩く距離が長くなるので、遅れに拍車をかけることになる。まぁ、それでも始業時間の10分前には着いたから問題はなかったが、‥ハァ~疲れた~、まだ仕事もしていないのに疲れたよ~。 ((+_+))これで今年の冬最後の雪にしてもらいたいものだ。雪は、ぼんやり見る分には綺麗だが、外に出て行動するには、邪魔な代物である。
2014年02月15日
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たった3点の商品をレジに持ち込んだだけだというのに、もうそこで間違いが発覚する。200円のものが3点だから、私は600円を用意してレジを待った。けれどレジの人に800円と言われ、「えっ?」と声が出た。一瞬、私のほうが間違って4点持ち込んだかと思ったのだが、私はレジに持っていく前に再度確認をしているから、間違っているハズがない。「200円が3点ですよね?800円って4点有りますか?」レジの人に確認を促したところ、やはり3点だった。実は白い物を2点と青い物を1点持ち込んだのだが、レジの人は最初に白い物を手にしたので、そこで勝手に青も2点だと思い込んでしまったのだ。いつもならケアレスミスだから、余分な一言を言うこともないのだが、「すみません」の一言も無ければ、全く悪びれもしないので、さすがの私も一言付けたしたくなってしまった。怒りはしなかったが、注意はしておいたほうが良いだろうと思い、一言伝えたのだが、本当に悪いと思っているのか怪しい返事だった。短気な人やたまたま機嫌が悪い人がこの人の態度を見たら、ひと悶着起こるだろうという態度だった。非を認めて謝る一言があれば、事は治まるだろうに‥。この人は今後もこのままの態度で生きていくのなら、味わわなくてもよい気分を味わうことになるだろう。たった一言で人間関係は上手くいく。私もいざという時にその一言が言えているだろうかと、考えさせられた出来事であった。
2014年02月13日
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風邪か花粉症かダニアレルギーか‥、くしゃみだけでは分からない。なんとなく目の痒みが無いと風邪かなぁ~と思うのだが、人によっては目に痒みが出ない人も居るかもしれない。くしゃみだけを聞くと、ダニとかのアレルギーも考えられる。しかも目に痒みを覚える場合も有るようなので、花粉症と間違うことにもなるようだ。こうなると、どんな対策が必要なのかは、医者に行って血液検査をするのが、一番手っ取り早いかもしれない。こういうアレルギー反応は、どうして起こるのか?起こる理由は、原因となる物質が体内に入ってきた時に、体の防衛機能が必要以上に反応してしまうからである。人間が、過剰防衛をするんだね。そうだよ~、心だって防衛するから、本音と建前が存在する。そして傷つきたくない気持ちが、過剰防衛に走るのだ。例えば、分かり合いたいと思っているのに、その自分の気持ちをストレートに表さない。本音を言ったことで、相手の気持ちが引いてしまうことを心配するのだ。そして相手を失ってしまうことを恐れる。人間は簡単ではないし、面倒臭い生き物である。でも、だからこそ愛おしくもあると思う。私自身面倒臭い生き物だと思うのだが、だからこそ、私は私が大好きである。人間に生まれて良かったなぁ~と思う時がある。それは相互理解ができた時だ。こんな時は過剰防衛をしないで、相手に気持ちをストレートに伝えている。人間だからこそ、分かち合う喜びがあるわけだから、恐れないで素直な自分になろうと思う。
2014年02月11日
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これは心理学でいうことろの「Iメッセージ」なのか、「YOUメッセージ」なのかということに似ている。事実は、事実だけを相手に伝えることで(YOUメッセージ)主観は、私が感じたことを伝えることだ(Iメッセージ)。事実だけを言うというのは、なんの感情も感想も無く、例えば‥「今日は赤い服ですね」というように淡々と伝える。そうすると相手は、どうして今日赤い服を着たかの、感情なり感じたことなりを、勝手に話していくわけだ。これは事実を言われたことに対して、相手の人の頭の中で無意識に色々考えていく作業である。会話はこうやって広がっていく。主観は私の目線だから、相手と考えが一緒か否かは別問題になる。ただ、ストレートに伝えるのは避けるべきである。先に話したことに繋げると、赤い服に対する感情や感想を伝えていくことになる。それは「赤い服が似合っているね」という褒め言葉だったり「赤い服は余り似合わないね」という否定するような言葉になるのかもしれない。否定言葉は良い気分にならないだろうが、褒め言葉も時としては相手にとって不必要な場合も出てくる。「着たい服が見つからなかった」結果、赤い服にしただけかもしれない。褒められるのを望んでいない場合もあるだろう。じゃぁどうすれば良いかというと、「私には、その赤い服が似合っているように見えるよ」というように、自分が感じられる言葉で伝えると良いだろう。ただ、やはりこれをするには訓練がいる。どうしても咄嗟に出る言葉というのは、自分の感情や感想だ。ワンクッション置くという作業が必要になってくる。人と良い関係を築いていくためには、こういう訓練にもチャレンジしていかなければならない。
2014年02月09日
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なんということでしょう~‥さっさっ、寒い!立春なんだけど‥。もしかして立春って「春が立ち去る」だったりして‥(ーー;)凍ってしまうような寒さだ。季節が冬に逆戻りしたような‥。とはいえ東京のように雪が降ることはない。岐阜県の中津川の知人が、昨日トイレが凍ったと言った。水が流れないので、トイレに水を運ぶという、なんとも原始的なことを行なったらしい。ちなみに気温は、マイナス9度だったという。名古屋の寒さで文句を言っていてはいけないなぁ‥。水道が凍らないだけ、有難いことである。そういえば、いつだったか九州、四国と名古屋、そして北海道の釧路が雪マークで無かったことがある。よくわからないような、飛び地の晴れマークだった。名古屋はともかく釧路は腑に落ちない。その時釧路の温度を見たのだが、マイナス17度だったように記憶している。それでも雪でないってどういうこと?もしかして雪を通り越して、氷が降っているとか??な~んてことは無いだろうね。 (^^)雪の降る条件は、必ずしも温度と合致しないもののようである。雪はオリンピックの競技を見ている分には問題ないが、生活レベルでは勘弁してほしい代物だ。雪かきで命をおとす人の話しは、毎年ニュースで見かける。自然を相手に、人間は無力である。早く春が来てほしいものだ。来週こそは、暖かくなっていきますように‥。
2014年02月07日
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今年の節入りは、2月4日7時17分である。この日をもって平成26年の「甲午」年を迎えたことになる。私にとって忙しい年になるのだが、その忙しさが徒労に終わるものでなく、実を結ぶ忙しさだから、有難く頑張ろうと思っている。弱い運気の30年運にあって、更に運気に見放された2年間が、ようやく昨日で終わりを告げた。後1時間半‥今は解放感で一杯だ。弱くても弱い運気で辿っていける道があるが、ダメージが大きい年周りは、結構大変である。それでも何かしら成長するために生まれてきているのだから、これも必要なことだと思っている。必要の無い苦労はしなくて良いが、自分の成長に繋がる苦労は、受けておいたほうが良い。これは受けないと、不思議なことにまたやってくる。しかも問題が大きくなってやってくるから、早めの対処が得策である。最近、どうしてこういう問題になるのかとか、何故こんなことが起こってくるのだろうかと考えると、長い目で見て腑に落ちることが多い。あの時に有ったことは、数年後の今の問題を解決するために起こったのだと、納得することが多いのだ。どうしても目先のことを追ってしまいがちなのが人間である。でも良し悪しをそこで出さないで、保留にしておいたほうが良いだろう。将来の自分にとっては、過去の自分の苦しい経験が、活かされるかもしれないからだ。さて、新しい年の幕開けである。有意義な1年になるよう、頑張っていこうと思っている。
2014年02月04日
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フィードバックの意味を調べてみると、「出力(結果)を入力(原因)側に戻す操作のこと」と書いてあった。コーチングの先生から、「フィードバックをどう認識しているかを、みんなで話し合ってみてください」 と言われて話し合ったのだが、私と認識が違っていることを知って驚いた。私がこの言葉を知ったのは、心理学の勉強からだった。それまでは聞いたことも使ったことも無い。私的には「振り返りをする」という認識である。何故振り返りをするのか?それは、同じ事柄であっても人それぞれ感じ方や捉え方が違うから、色々な人の意見を聞いてみなければ分からないから‥だと思った。現に同じ事柄だというのに、違う感じ方をみんなはしていた。だからフィードバックって大切なんだなぁ~と思ったものだった。ところがそう答えたのは私だけだった。他の人は心理学を勉強しているわけではないので、実生活から「仕事で使う」ようだった。先生が助け舟を出してくれたのだが、私が言っていることは、フィードバックの目的と効果のようで、フィードバック自体を説明していることにはならないようである。他の人たちは仕事の中で使っているようで、主に上司と部下の関係から使うようである。私はというと、私と同じ仕事をしている人は社内には居ないので、フィードバックを受けたことが無い。だから知らなくて当たり前だったのだ。やはり仕事で使っていることが多いようで、フィードバックという言葉一つとっても、使う場所で違った意味合いがあるのだということを知った。ビジネス用語としてのフィードバックは、結果情報の伝達のようで、行動の反省や結果を導くために使われるという。部下としては、あんまり良い気分にはならないものらしい。なので私は「仕事で使われなくて良かった」と安堵した。こんな些細なことでも、聞いてみなければ分からないものである。やっぱり学ぶって楽しいなぁ~。
2014年02月02日
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