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ブームが去って何年だろうか?数年前にブームになったことは知っていたのだが、その時は忙しかったのと、読みたい本が山積みだったために、その手の本に手が伸びなかった。まぁマイブームということで書いているのだが、それは「数独(ナンプレ)」である。今、読みたい本が無くて、手に取ったのが数独だった。ナンプレって何?数独と一緒じゃないの?と本屋で悩んだ。パソコンで調べてようやく理解したのだが、数独(SUDOKU)は、パズル制作会社ニコリの登録商標のようで、ニコリが制作関与していないものについて、「ナンプレ」という表記を使っているようである。ついでに数独がニコリの社長の命名で、「数学は独身に限る」の略だと知ったが、中々面白い命名である。そしてナンプレはナンバープレースの略のようだ。中日新聞の「サンデー版+テレビ」という、付録(?)のようなもののテレビガイドの裏に、クロスワードと間違い探しの間に数独が出ている。それも知ってはいたが、やっぱりスルーしていた。数学が好きなので興味はあったが、興味の優先順位が低かったので、解くこともなく、載っているなぁ~と認識しただけだった。それが今や楽しくて、何冊か買って挑戦している。これって結構、右脳と左脳を使ってやるといいんだよね?左脳だけでやろうとすると、何処かで息詰まる感じである。あちこちに意識を張り巡らせないと出来ないので、頭の良い訓練になっている気がする。時々頭がショートして湯気が出てるような気もするが、本当に湯気が出ていたら怖いので、鏡は見ないことにしている。世間からは遅いブームだが、私にとっては今が一番のブームである。
2014年09月30日
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今年一度傘を忘れたことが有った。私はいままで傘を忘れたことなど、殆ど無いに等しい。だから忘れたことに、自分自身驚いていた。それが頭にあるものだから、飲みに行くのに傘を忘れるのではないかと心配で、結局雨も小降りだということで、折り畳みの傘にしたのだ。折り畳みの傘は、傘入れを持っているのでカバンの中に入れておける。その傘入れは裏がタオル生地でできているので、濡れたままであっても、何の問題もなく入れることができる。よ~し、これで傘を忘れることはないぞ~。準備万端で、飲み会の場所へと行ったのだった。そして傘を忘れることなく家路へと着いたのだが‥。次の日の朝である。乾しておいた傘を折り畳もうとして、「えっ?」傘がぁ~~!‥骨組の一ヶ所がバカになっているよぉ~。そうだ!思い出した!昨日の風の強さを‥。飲みに行った時間は、雨も小降りで風も吹いていなかったのだが、終わって帰る頃にはかなりの雨で、しかも風が強かった。なんてことはない。置き忘れを防ぐために、骨組の弱い折り畳み傘にした為に、強い風に負けてしまって、傘の骨が折れてしまった。トホホッ。結局傘を1本駄目にしてしまった。今年は傘に縁が無いのか~?まぁでも、忘れるより駄目になったほうが、私的には納得がいくから、しょうがないかなぁ。結局今年は「傘を新しくしなさい」ということなのかもしれない。まぁ傘を買う楽しみが増えたと考えたほうが、人生楽しいよね!
2014年09月28日
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いやいや‥、昨日は通勤が大変だったよ~。地下鉄の東山線が前日に降った雨の為に、運休になってしまったのだから‥。15センチ位名古屋駅に水が流れ込んでしまった為、路線が冠水してしまった。その為始発から運転を見合わせとなり、地下鉄の東山線が一部を除いて運休。東山線だけの運休だが、その余波といったら‥、まぁ大変である。私はその東山線の延長線上に住んでいる為、地下鉄が使えないということで、みんなバスに切り替えてくる。でも私が乗ったバス停(初乗りの次のバス停)までで、もう乗車できない状態だった。次のバス停からは運転手さんが謝りつつ、もう乗れないというアナウンスを、バス停に着くたびにしていた。運転手さんは、何十回謝っただろうか‥。バス停に乗車予定の人たちが、すごい列をなしている。こんなに並んでいる人だかりを、私は初めて見た。そして、その中の誰一人としてこのバスには乗れないことを、私は知っているのだ。可哀想だけど‥。東山線が駄目だから、当然色々な方法で職場に行く。名古屋駅にはタクシーを待つ人たちで溢れていたようである。私はいつもの何倍もの人たちが、名古屋駅から栄のほうに向かって歩いているのを見た。名古屋駅から栄まではオフィス街である。そしてそこには、地下鉄の東山線で行く人たちが多い。もうこうなると、歩きしかない。タクシーも乗ったとしても、きっと時間がかかったことだろう。何故なら私はいつもと一緒の時間に出てバスに乗ったのだが、着いたのはいつもの時間プラス30分だった。車の量も半端なく多かった。私はバスの中で、ほぼ1時間という長い間を、体が真っ直ぐに出来ない状態で、ずっと立っていた。でも乗れない人たちを考えたら、乗れただけ有難いと思った。30分遅く会社に着いたが、日頃30分以上早く着いているので、遅刻にはなっていない。いやはや、ちょっとした雨だというのに、こんなにも多くの人たちが振り回されてしまう。都会の弱点をさらけ出した出来事だった。
2014年09月26日
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そうそぅ、はっきり覚えていた。いや覚えていたはずだったのだが、今では全く思い出せない。久しぶりに亡くなった母が、私の夢の中に出てきてくれた。折角出てきてくれたのに、忘れてしまった。夢の中で、夢を見たことを確認している自分。凄く喜んだのを覚えている。すぐに夢を忘れてしまうから、今日は覚えていることが出来たと、夢の中で喜んでいた。夢が母のことだったから、喜びはひとしおだったのだ。でも、実はそれも夢で、起きた途端に忘れてしまった。暫くの間じっとして、なんとか思い出そうと努力した。でも‥、悲しいかな、全部忘れてしまったのだ。どんなシチュエーションだった?なにか私にメッセージを伝えたかったんじゃないの?泣いてはいなかったけれど、満面の笑みでもなかった気がする。えーっ!折角、折角夢で会えたのに‥。なんで忘れちゃうのよ~私は。 (T_T)脱力感で、しばらく動けなかった。私って夢を持ち帰るのが下手なんだよねぇ‥。でも一つ分かったことがある。それは、きっと母はいままでも、何度か私の夢に登場していただろうこと。私が夢を覚えていられないだけで、母と私は何度か夢の中で会っていたに違いない。そう考えると、なんとなく嬉しい。私は一人ではないし、とても愛されていると感じられる。落ち込んでいた私のはずが、急に幸せを感じて嬉しくなった。‥見事なまで、単純な私であった。
2014年09月23日
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もし出来るなら、日にちを変更して欲しいと依頼者から連絡があった。私にとって何も問題の無い変更なので、二つ返事で承諾した。するとその後変更したことで、私にとってラッキーになる出来事が起こってきた。当日依頼者に会った時、「日にちを変更して頂いて有難うございます」とお礼を言われた。いえ、実は‥と、私のほうには変更したことで、とてもラッキーな出来事が起こったのだと話しをした。なので「こちらこそ有難うございました」という挨拶をした。するとその依頼者が、変更することで助かった出来事を話し始めた。その人も幾つかのラッキーを掴むことができたようだ。こういうことが起こると、自分が良い軌道に乗っていると感じる。しかも自分だけでなく自分に関係する人も一緒に、良い軌道に乗っているというのが嬉しい。こういうことが起こると、自分の生きる姿勢が間違っていないと感じる。間違っていないからこそ、私に小さな幸せを運んでくれる。ラッキーだ、アンラッキーだと、簡単に片づけてしまわない事が大切である。世の中に「偶然」は無い。有るのは「必然」だけである。全てが自分の行なった言動や行動に基づいて動いているのが、この世界‥この現実の世界なのである。大きなことではない。それは小さなことである。だから私たちは見落としがちなのだが、ラッキーなことやアンラッキーなことは、自分の言動や行動に比例して起こってくるのである。愛のある言葉で愛のある行動をして、自分を含めた周りも一緒に、ラッキーなことで一杯にしていこうではないか。宇宙に限りは無い。幸せの数も不幸せの数も、決まってはいないのだ。決めているのは、誰でもない自分なのである。
2014年09月21日
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年に一度の健康診断、毎年行っているのに戸惑うのは何故?というのも、肺機能診断で看護師の人に「口で吸って、吐いて‥」と何度も言われたというのに、一生懸命鼻から息を吸っていた私。何度もやったのだから、きっと何度も言われたのだろうが、呼吸というと殆どが鼻からするので、意識しないといつも通りしてしまうのである。きっと看護師さんは心の中で、「この人、いつになったら口で息をしてくれるのかしら?」そう思ったに違いない。私はというと、何も考えていないものだから、言われるままに(実は違っていたのだが‥)一生懸命鼻で息を吸っていた。何回目かにようやく気がついて口で息を吸ったところ、「そうそう、口で息を吸いましょう」と念を押されてしまった。「違います」という言葉や否定的な言い方をしないで、根気よく私が気づくまで付き合ってくれたのだから、有り難いやら恐縮してしまうやら‥。そう思いつつも私は自分のことが可笑しくて、心の中で爆笑していた。だって、鼻を軽く器具でつまんでいたいたんだよ~。これって鼻で息をしない為なんだよねぇ。それに気がつかないどころか、(なんか、息苦しいなぁ~)なんて思っている始末である。気づけっつーの! 息苦しいと思っている自分に笑ってしまった。何にも考えていない時って、こんな感じだよね。私‥普通はボケとつっこみでいけば、つっこみのタイプだけれど、どこかで天然ボケも披露しているのかもしれないな。いやいやぁ‥、何十回目の健康診断!?呆れつつも、心の中で笑い倒した一日だった。看護師のお姉様!お付き合いくださいまして、有難うございました。
2014年09月19日
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それは「ためしてガッテン」でやっていたことなのだが、「仰天!食卓の魔法SP」という題で、幾つか取り上げた一つである。インスタントコーヒーを美味しく頂く方法で、同じ物で作ったインスタントのコーヒーを飲み比べていた。片方は酸味が有り、いつも通りの味である。もう片方は「えっ?これが同じインスタントコーヒー?」と驚くほど、酸味が消えて甘味の多いものだったようである。私もインスタントコーヒーはよく頂くので、興味津々で見ていたのだが、どうもそれは、一杯の水が味の違いを生んだらしい。暑い時期、私はインスタントコーヒーを少量の熱いお湯で溶かし、その後水で薄め、氷を入れて飲んでいる。溶けずに残ることがないよう、一生懸命お湯で溶かすのだが、これが間違いだというから驚いた。お湯でなく、スプーン一杯の水を入れることがポイントだという。えーっ?そうなの??お湯で溶かさないと、粉って溶けないんじゃないの?それは私にとって理解し難い話しだったのだが‥、でも次の説明で「あぁ~なるほど~」と納得。それは片栗粉と同じ原理だという説明だった。そうだ!片栗粉は水で溶かすじゃないか‥、お湯じゃないよ~」じゃぁ、私はわざわざ溶けない方法で作っていたんだ。しかも熱くなってしまったコーヒーを冷ますのに、氷を入れるという余分な作業をしている‥。やってみた。本当だ~粉もしっかり溶けて、作業も楽になった。しかも美味しい~。いやいやぁ「目から鱗が落ちる」とは、このことである。私にとっては、一石二鳥以上の情報だ。粉もの全般に言えることだそうだ。粉を溶くには、スプーン一杯の水なんだね。
2014年09月17日
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ある外科医の話しをテレビで見た。その外科医は大学病院で勤めていた6年の間に、1400数例の外科手術をして、癌患者を助けてきたそうである。ある時気になって、自分の手術で助かった癌患者の、その後を追ってみたようだ。癌は一応5年を目途として再発するか否かをみているのが通例である。なので、5年を過ぎて患者が生存しているかどうかを追ったのだ。その結果は52%の生存率だったという。勿論これはある外科医に関しての追跡調査なので、一般的に通る統計ではない。ただその時その外科医はこの結果に、大きなショックを受けた。彼としては7割位は生存していると思っていたからである。何故再発するのか? 何故同じことを繰り返すのか?私はこの話しを聞いている時に、レイキの創始者である、臼井先生のことが頭をよぎった。臼井先生も、レイキヒーリングで沢山の人を健康へと誘っていった。でもある時同じ人が何度も何度も訪れることに気がついた。よくよく観察していると、そんな人たちが多い。結局健康を取り戻しても、また病気を作ってきてしまう。同じことの繰り返し‥。それを嘆いて、このままではいけないと思い、ヒーリングだけでなく、レイキを伝えていく方向に行ったわけである。この外科医も同じ嘆きを覚えたに違いない。結局再発しないためにはどうしたら良いのか?この医者は、食事療法を取り入れたのである。そしてその食事療法のお蔭で余命1年の患者が、5年を過ぎて元気で生きている。大学病院の時は一人一人のケアに、そこまで携わることはできなかったが、今その外科医は一個人の院長をしているので、一人一人の患者と、とことん関わり合っていけるのである。折角助けた命‥、生き生きとしている患者を診ていたいことだろう。きっと今は大学病院で働いていた時より、遣り甲斐を感じていらっしゃることだろう。私もまたレイキを通じて、多くの人たちに希望を与えていきたいと思う。
2014年09月14日
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いつもなら朝の通勤時にバスの中で、一番後ろの席が空いても座らない。どうも一番後ろは座り心地が余り良くないし、5人座りの真ん中は、なんとなく敬遠したくなる場所である。まだ立っていたほうが良い‥という感じである。バスの一番後ろというと、揺れが大きいので落ち着かない。シートもチョッと硬めの為、リラックスできない。だから中々座ることが無い。ところがその日は書き留めなければならないことが有ったので、やむを得ず座ることにした。目線を下にして、大きく揺れるバスの中で鉛筆を走らせた。そして書き終わったものだから、書いたものをカバンの中に入れて、ふと前を見た。すると今まで見たこともない目線だった。バスの一番後ろは、合計で3段ほど上に上がる。段数は2段のバスもあれば4段のバスもあるし、高さもバスによって高低差があり、段数が多くても全体的に低い場合もある。私のその時乗ったバスは、ステップの一段一段が高いバスだった。その為、乗っている人みんなを見下ろしているような目線である。バスの中全体が見渡せる位置に居るので、立っている人の表情が見て取れる状態だった。朝の通勤時なので男性が多いと思っていたのだが、これが意外に女性が多いし、また年配の人が多いのには驚いた。私以上だろう年齢の人も、結構な人数居たのである。また服装も半袖の人ばかりでなく、七分袖の人の数も増えている。通勤時はもう秋を感じているので、七分袖も分からなくはない。ふと立っている人たちが、真ん中から前のほうに集中しているのに気づいた。もっと後ろのほうに来れば、空間を広く使えるし暑くないだろうに‥。出口近くに居たいというのが、人間の心理なのだろうか?私は降車時の移動よりも快適さを追求し、広さと涼しさを優先するのだが‥、まぁ人それぞれだよねぇ。思わぬ人間観察(?)をしながら、その日はバスの一番後ろで、揺られて過ごした。
2014年09月12日
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「もし、ある人が病気になり、何らかの治療を受けて治った時、 その人の健康を回復させたのは【その治療のお蔭ではないかもしれない】 ということをその人に納得させる方法は、医学界には存在しない」私にはこの言い回しが複雑で、何を言いたいのか理解し難い言葉だ。これはノーベル医学生理学賞を取った、ピーター・メダワーという人が語った名言のようである。この人は移植組織に対する免疫系の研究をしていた生物学者で、1915年に生まれて、1987年に亡くなっている。何かをして体の調子が良くなるとすると、多くの人は基本的に「そのお陰だ(何かをしたお陰)」だと思うが、実際そのお陰かどうかは、定かでないということを言いたいようだ。ここで大切なことというのは、人間という生き物は【自分で治す力を持っている】ということである。一番大切なことは、病気を治す力は最終的に自分であるということだ。そして、医学というものはそのサポートをしているだけだということ。もしかしたら病院や医者が全てを治したわけでなく、本人が治ろうとする力の極々一部に、力を貸しただけかもしれない。人間は偉大な力を秘めているということを、忘れないで欲しい。怪我をして血が流れても、その血を凝固する力があるではないか?熱を出すのは、体内に入ったウイルスと闘っているからではないか?人間が治ろうとする力は、非常に大きい。生き抜こうとする力を、体全体に持っているのである。医学も人間が開発していったものだから素晴らしいけれど、それを絶対視し過ぎない姿勢も大切である。人間に備わった能力と、人間が開発してきた医学との合体で、健康な毎日を過ごしていきたいと思うのである。
2014年09月10日
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好きでないけど、絶対にやるべきだと思うのは、私の場合は、仕事帰りのスポーツである。やりたくないから何かと理由をつけて、やらなくてもよい方向にもっていこうとする。理由は色々思い浮かんでくる。疲れているからとか、最近寝不足だとか、今日は雨が降っているからだとか‥。そう、私の場合は雨を理由に挫折してしまうことが多いのだ。雨なのにわざわざ途中下車をしてバスを降り、家とは違う方向に行かなければならない。いつもより重い荷物を持って、傘をさして歩いていかなければならない。スポーツが終わってからも、傘をさしての歩きである。それが重荷になって、行きたくなくなってしまうのだ。先々週は結構な雨が降っている日だった。しかも風も強かった。私が挫折しがちな天気である。「あれっ?今日遅くなるんじゃなかった!?」と弟が言う。「いやぁ~、この雨の量‥、挫折したぁ~」と私が答える。そして先週である。弟に言葉をかけた。「今日、スポーツセンターに行ってくるから遅くなる」すると「えっ?雨だよ。雨の日は行かないんじゃなかった?」という返事が返ってきた。(そんなこと、一言も言ったことがないけど‥)と私の心の声。そうなんだ‥、弟の頭の中では「雨=行かない」という図式に、勝手に変換されてしまっているんだ‥。昔の私は、心の声をそのまま言葉にして相手に言ってしまっていた。実際言った覚えがないから、事実関係をはっきりしないといけない、と思うからだ。これが言った言わないの喧嘩に発展してしまうことがある。でも言ったか言わないかが重要ではなくて、実際はどうなのかがはっきりすれば良いだけである。誤解されているままではいけないので、事実だけを改めて話した次第である。「これって、私もどこかでやってしまうパターンだよね?」脳は記憶するときに、省略したり歪曲したりして記憶することがある。こういうことがお互いの誤解を生んでしまうのだ。自分も振り返ってみれば、同じことをしているかもしれない。そんなことを考えつつ、雨にも負けずスポーツセンターへ行ったのだった。
2014年09月07日
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実は水漏れしていた場所というのが、1階のトイレだったのだが、その時そのトイレの水漏れを修理にきていただいた人というのが、工務店関係の人だった。その修理をしている最中に、何気なくトイレの窓の話しをした。というのも、そのトイレの窓の網戸が破れているので、夏の暑い時に窓を開けるわけにいかないのだ。特に裏の家は樹木が何本か有り、花が沢山咲いているので、蚊にとっては最高の生息地になる。そこから我が家に、蚊が出張してくるので、網戸無しで窓を開けていたら、蚊の入いり放題である。トイレは格子窓になっているので、その格子を外さなければ網戸を修理することは出来ない。私はその時「どうやって格子を外したらいいのか分からない」と弟が言っていたことを思い出したのである。するとその人はトイレを修理する手を止めて、窓を点検し始めた。そして私のほうを見て言ったのだ。「これは外から出来ませんよ。内側に窓を外して修理してください」これも考えてみれば当たり前である。外から出来てしまえば、侵入者も簡単に工具を使って、家の中に入ってきてしまうことだろう。でもその考えに行きつかなくて、外に回って格子窓を見ながら、「どうしてできないのだろう?」と考えていたのだ。弟に話すと、蚊の季節が終わったら修理すると言ってくれた。今窓を取って修理することは、蚊の思う壺になるのだから、それはなんとしても避けたいと思う。ちなみに弟にばかりお願いしているので、その工務店さんに頼もうかと思い値段を聞いたら、「修理できるなら、自分で修理されたほうが良いですよ」と値段を言わずに答えられた。そうなんだねぇ‥、修理内容に合わない値段なんだねぇ‥。まぁここは、弟に甘えさせてもらいますか!
2014年09月05日
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それは何かのCMだったのだが、救急救命士の役の人が、同時に患者の役もやっていた。一人二役でやっていたCMなのだが、「想像する力が創造する力を生む」というメッセージを添えていた。そのメッセージが私の心に残った。この現実世界は、全てが想像したことが元になって成り立っている。想像の出来ないものを、創造することなど出来ない。世の発明品などは、その典型的なものだと思う。発明をする人たちというのは、いったいどこにアクセスしているのだろうか?どこにアクセスすると、想像力が湧いてくるのだろうか?私のような凡人は、今有る物でしか想像できない。だから新しい世界を、創造することができないのである。もっと想像力を膨らませて、心を柔軟にしなければならない。想像力を豊かにすると、可能性がどんどん広がっていく。希望が生まれて心も豊かになる。でも不思議なことに人間は、その逆へ行こうとする力も持っている。豊かな想像力が、不安や恐怖を運んでくることがあるのだ。そしてそれも、現実化してくるから驚きである。結局は何が創造できたかという結果をみると、どんな想像力が使われたかが分かってくるのだ。だから今現在、自分が置かれている立場を見るとよい。どんな想像をしたことで、この立場になっているかが良く分かる。全ては自分の想像から出たものである。良い選択を想い描くことで、良い方向へと動いていく。自分の想像することの中に、ネガティブな想像が有るか無いか、それが自分の現実を決めるのである。
2014年09月03日
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