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月末、月初めは経理にとって忙しい時期の代名詞。中でも私の仕事としては、1年通して11月末が一番忙しい。というか、特に今年に限って11月の末日に、色々なものが重なって最近に無い忙しさになった。そんな時に起こってくるのは、忙しさを増徴させるような出来事。連絡しても相手が居なかったり、相手が居てもすぐに結論が出なかったりと、仕事が中々前に進まない状態が起こってきて、更に時間がかかっていく。それでも何とか時間内に済ませて、やれやれ‥と一息ついた時だった。一本の電話が‥この電話が仕事を延長させることになった。それはヒートアップして電話してきた女性で、何を興奮している?いや怒って電話してきたのかと言えば、結論から言うと自分のミス。えー!?自分のミスなのに怒って電話してくるの?私がミスしたら「すみません‥。私が間違ってしまったのですが‥」というふうに電話していくのですが‥。その人は違った。「私が間違ったんだけど、こういうふうにやってくれる!」と間違ったことはさておき、こちらに指示をしてきた。「そりゃぁ、私が悪いんだけどさ。やってしまったことは今さら仕方がないでしょ?それで後処理が面倒になるのが嫌だから、そちらはこういう処理をして頂戴!」という調子である。なんだこれ~??呆れて声も出ず‥。ちょっと黙っていると、たたみ掛けるように話しを続ける。「出来るでしょ?出来ないっていうの?やってよ!」私は相手の要求に困って、「そういう話しになりますと、私一人の一存では決められないので‥」すると、さぁ向こうはまた輪をかけて怒る。「なんで出来ないのよ!」「いえだから、私にはそこまでの権限が無いので上司と相談しまして‥」このやり取りを数分‥。取りあえず相手が通常のトーンで話しをするようになだめるのに四苦八苦。上司は目の前にいるけれど、今電話を渡したところで、興奮状態では良い結果が出ないことは目に見えている。「それでは後日、そちら様のご希望に添うようでしたら私から電話をします。万が一それが可能にならないようでしたら、上司より電話を差し上げます。」ようやく相手も納得して電話を切った。冷静に考えると自分のミスだから、こんな電話の仕方自体が滑稽な話し。でも相手はその考えに行きつかない。この怒りは、多分自分自身への怒り。ミスをしてしまった自分への、悔しさなのではないだろうか?そして自分の思い通りに事が運ばないことが、怒りを増徴させてしまったのでは?怒りは相手に不快感を与えるだけでなく、自分の思考から冷静な判断を無くしてしまう。挙句にお互いの健康を害する結果になるのだから、できれば怒りが込み上げてきたら、深呼吸をすることをお勧めしたい。こういうやり取りは、お互いの血流に変化を起こし、心にも体にも良くない結果を招く。私としては、出来ることなら一日でも多く、皆が幸せでありたいと思っている。
2014年11月30日
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ここ1ヶ月の間に、色々な物の値段が上がっていてびっくり!飲食店とかスーパー銭湯とか‥私が時々使っている店舗の幾つかが、今月になって値段が上がっていて驚いている。上がったのはもしかしたら今月でなく、もっと前だったのかもしれない。そんなに使用していないところや、回数券を使っているところなどが有るので、実際は結構前から値段を上げていたのかもしれない。でも11月に入って数ヶ所上がっているのに気がつくと、いきなりラッシュで上がったような気がして、「えーっ、ここもなの?」と衝撃を受けて、へこんでいる。知らない間に上がっているのですが‥。消費税が8%になったのって4月だよね?便乗値上げと言われるのが怖いので、4月の時点では、殆どのところが値段を上げない。そして消費税が騒がれなくなった頃に、そーっと上がっている。「しまった!回数券を買っておけばよかった」などと、せこい考えが頭をよぎる。こういう考えた浮かぶところが、私の往生際の悪いところ。結局上がるのだから、一回やそこら先に買ったところで、そんなにお金が浮くわけじゃあるまいし‥。と、浮かんだ考えを打ち消してみるが、すぐさま「買っておけば良かった」という言葉が浮かんでくる。全く困った頭である。う~む、給料は上がらないんですけど‥。毎月やり繰りする身としては、この往生際の悪さも仕方ないよね?誰に同意を求めているのやら‥。 (-_-;)
2014年11月28日
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先々週だったろうか、2回続けて「聖書講座」な~んて、堅い感じの題名をつけてブログを書いているけれど、別に宗教的な話しをしているわけではない。それは読んでくれた人には分かるはずなのだが、数千年前の話しといえども、人間の営んできたことは一緒なわけで、やっていることは現代の人間と何ら変わらない。ただ文明的には現代のほうが進んでいるだけで、人間が抱く喜怒哀楽は一緒なのである。たとえ現代であっても、地球のどこかでは数千年前と同じ文化を持ち、古代と一緒の生活しているところも有る。そこに至っては、全く同じ思いを共有していることだろう。時代背景は違えど、生きるための喜怒哀楽は一緒である。だから現代に通じるものが有るのだ。今回は特に身近な題材で、嫁姑の話しであった。私が2ヶ月に一度勉強しているのは、エドガーケイシーの講座である。キリスト教会で勉強しているわけではない。宗教とは関係の無い立場で勉強している。いつも20名前後集まって来るのだが、キリスト教信者である人は、極々一部でしかない。殆どが信者でないばかりか、聖書すら開いたことが無い人も居る。では何故集まってくるのか?というと、生き方を学びにきているのである。ケイシーは霊能者で、日本でいうところの「イタコ」のような存在だった。見えない世界からの交信をした人なのである。ケイシーが熱心なキリスト教信者だったために、聖書に書かれている内容を、魂の世界から紐解いていったわけだ。なかには、キリスト教の教えに反することも交信しているので、ケイシー自身も随分悩んだことだろうと推測される。でもケイシーが、それを乗り越えて後世に伝えてくれたお陰で、私たちは聖書を通じて人間の生き方を学ぶことができるのである。ちょっとしたことで悩み、すぐに不安や恐怖を感じてしまう人間。聖書の中にはそういう弱い人間たちを嘆いている箇所が沢山ある。人間はいつの時代も心が弱い存在なのである。そういう私たちのために、聖書を通じてどういう生き方をしていけば良いかを、ケイシーは教えてくれているのである。生活に密着した生きた勉強をさせて頂けるので、私はとても感謝している。
2014年11月26日
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以前「人は意識の無いものを、省いて見て聞いて体感している」ということを、ブログで書いたことがあった。自分の中で必要な情報だけを選別して、見て聞いて体感しているのである。前に犬の散歩で、リードが無い状態の散歩を初めて見たと言ったが、これも典型的なことで、実際はどこかで見ている可能性がある。以前は全く犬に関心が無かったものだから、もしもそういう場面に出合っても、認識しなかっただけかもしれない。数独(ナンプレ)もそうだ。全く関心が無かった時は、本屋でも見つけられなかった。なのに関心のある今、百均で見つけてびっくりしている。またブログ仲間が書いていたのだが、百均の一角がクリスマスバージョンになっているという。でも私は「えっ、そうなの??」状態である。まぁ百均の規模にもよるだろうが、元々クリスマスに関心が無い私なので、見逃している可能性のほうが高いと思っている。自分に関心が無いと、発見できないことは結構有る。仕事仲間の背広に関心が無いことが発覚して頭をかいたこともある。人に関心がないのか、ファッションに関心がないのか‥。両方の可能性が有るわけで、これは問題だ。人とコミュニケーションをとる場合に、さりげなくファッションのことを言うと、相手は自分に関心をもってくれているという満足感を得る。そういうことを考えると、人にも物にも関心を持つことは、世の中を上手く渡るコツになるだろうと思う。私は人より色々なことに関心を持つことが少ないほうなので、心して気に留めなければならないと思っている。
2014年11月23日
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ある人と医者に払う年間金額の話しになったのだが、私が医者に殆ど行かないという話しをすると、羨ましいと言われた。でも、何もしなくても健康というわけでなく、やはり食べること、運動をすることなど、気を使っていることは多い。若くはないのだから、なにかしらしなければ医者いらずにはならない。運動嫌いな私が、運動をしているのだから、実際はリアルに歳を感じていることが多いからだと分かるだろう。悲しいかな、筋力は免疫力とは別物である。多分、見える人が見ると、お尻に火がついているのが分かるのでは?(笑)結構切羽詰っている感じである。一つには、階段の高さが微妙に高くなっていると感じる。同じ高さの階段を、何十年も上っているというのに、ここ数ヶ月の間に「階段って伸びるの?」なんて、バカなことを言いつつ上っている。完全に筋力が落ちている証拠である。もう一つは、立ち上がる時の動作の鈍さだ。気持ちよりも体がワンテンポ遅く、遅れてついてくると感じるのだ。こういうことをこのままにしておくと、その内気持ちまでも鈍くなっていく。いつも今日の内にしていたことも、「まぁ明日でもいいか」と、自分を甘やかしてしまうのだ。気おくれ‥とは、もしかしたら体の遅れかもしれない。気持ちが体の鈍さに引っ張られてしまうのかも?「医者でお金を使うぐらいなら、自分の健康のために使ったほうが良いですね。」この言葉は「私が医者に余り行かない」という話しをした時に羨ましいと言った人が、話しの最後に私に向かって言った言葉である。そうさ‥出来る限りやれる限り、無理をしない範囲内で大切なお金を、「死に金」にしないで、「生きたお金」として使いたいと思う。勿論、無理をしたら本末転倒だから、自分の体に聞いて、やれることをストレス溜めずにやっていきたい。自分のため‥自分が「生き生き」と生きていくために♪
2014年11月21日
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今、会社に提出する書類で、「給与所得者の扶養控除等申告書」を書いている。保険も一般生命保険料だけだったのに、去年か一昨年からか、介護医療保険料という項目が増えている。控除額は介護のほうにも入れば、増えることになる。 でも保険というのは、入る年齢によって払う金額が随分変わるので、歳をとってから入ると損をした気分になる。当然私が入った頃には介護医療保険など無かったわけで、今入るのはどうだろうか?と考えてしまう。でも生命保険は町民税(市民税)等にも関わってくるので、年末のこの調整額だけの問題でないのも確かである。個人年金に入っていない人が、「生命保険と個人年金と別々に入ったほうが、控除額が大きくなるんだなぁ~」と申告書を見てしみじみと言った。個人年金は、結局老後の自分のためなのだから、控除額が増えることを考えたら、入っておいたほうが良いと思う。サラリーマンは、公的な保険料は全て天引きである。健康保険、厚生年金保険、介護保険、雇用保険、そして、所得税や住民税も天引きされていく。納め忘れなどという言葉は使えない。そぅ全くのガラス張りで、丸裸状態なのだ。だからこそ、余分に税金は納めたくないし、戻して貰えるものなら、1円でも戻して貰いたいと思っている。何もしなければ、控除されることもない。賢く生きて少しでも税金が戻ることを考えたい。この書類を見ると、今年も後僅かだと感じる私。ちょっと早すぎるか?
2014年11月19日
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人は意識の無いものを省いて、見て聞いて体感している。自分が関心のあるものをチョイスして、見ているし聞いているし体感していると言っても良いだろう。意識の無いものは、たとえそこに有ったとしても、目に映っていないし、音として捉えていないし、体で感じないで素通りしてしまっているのである。NLPの勉強をした時に「目を閉じてください」と言われて、言われるまま目を閉じたのだが、次の質問には不正解だった。質問は「教室内にある『青いもの』が幾つあるか答えてください」というものだった。目を閉じたまま答えるのだが、私は視覚優位タイプでないので、さっぱり答えられずに惨敗してしまった。目を開けると、有るわ有るわ‥青いものがてんこ盛りだった。笑っちゃうほど、見えていないのである。そう、私は教室内で目に映っているだろうはずのものには、全くこれっぽっちも興味がなかったのである。逆に聴覚優位タイプの私は、聞かなくてもよいものまで聞いていた。それは教室の外の廊下を歩く人の話し声だったり、窓の外から聞こえてくる鳥の鳴き声だったりした。これらは授業に必要の無いものだから、拾わなくてもよい「音」のはずである。というかそれらが邪魔になって、先生の話している内容の一部を、聞き逃してしまう結果を引き起こしていた。人間は、自分本位で見たり聞いたり体感しているのだ。まぁ、ある意味それも必要なことで、入ってくる情報が多すぎると、処理できないことが起こってくるのだろうと思う。でも気を付けなければならないのが、人とのコミュニケーションだ。自分に都合のよい聞き方をしないように注意したい。※注 私はこういう勉強をNLPで学んだのだが、 コミュニケーションに関係する学び全般で、 行なっていると思う。(例‥ヒプノ、コーチング他)
2014年11月16日
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一軒、会社に近いお店が潰れた。これをどう考えるか?である。デメリットもあるが、メリットもある。会社の時間は限られているので、色々関係する場所は近いほうが良い。しかも地下街から行けるお店だったので、雨が降っても濡れないし、暑さや寒さも助かっていた。でもそんな重宝していたお店が潰れてしまい、少し遠くへ足を延ばさなければならなくなってしまった。でもメリットも有る。それは今までと違う景色を見ることができるということ。歩く距離が延びるので、健康にプラスとなるだろうこと。といっても大した距離ではないが‥。どうしても人間は慣れてしまうと、それが当たり前だと感じてしまう。本当はその一つ一つがとても感謝することだというのに、そういう感謝の気持ちが薄れてしまう。慣れてしまうことって、凄く怖いことだと思う。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということが起こってきてしまう。風邪を少し引いただけで、やれ医者だ薬だと慌てる。そして自分が辛いので、ちょっと小言を言ってしまう。では健康だった時に、どれだけ感謝の言葉を言っていただろうか?日頃感謝の言葉を言わずして、病気になった途端、愚痴をこぼしてしまうことはないだろうか?デメリットの時こそ、メリットになる箇所を考えるチャンスである。病気だって、日常を見直すチャンスではないか?前向きな考え方で生きていくと、どういうわけだか良いことが起こってくる。だからそういう風に思考を変えていくことが、自分の幸せに繋がっていくのである。
2014年11月14日
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さて、絵画の世界で有名な「落穂拾い」を知っているだろうか?『落穂拾い』(おちぼひろい)は、1857年にフランスの画家であるジャン=フランソワ・ミレーによって描かれた油彩作品。「落穂拾い」は農村の貧しい人々の姿を描いただけでなく、『旧約聖書』の「ルツ記」に基づいた作品。‥と書かれている。ルツ記で落穂拾いの箇所が出てくるのだが、これは当時の法律で定められていたもので、刈り取る際に落とした「穂」を拾ってはいけないというものである。貧しい人たちが拾って持ち帰ってもいいように、落ちた「穂」を拾うことを、法律で禁じたのである。言わば、法律が貧しい人々の最低限の暮らしを守っていたのだ。それを嫁であるルツは、年老いたお姑さんのナオミの代わりに行なっていた。実際ルツはお姑さんについてこなければ、故郷で自分の両親と一緒に暮らせて、食べるものにも困らなかったはずである。にも関わらず、自分が嫁いだ先のお義母さんのために、夫が死別して血縁関係の無いお義母さんのために、その見知らぬ土地で「落穂を拾わせてください」と頼んで、穂を拾い集める生活をして食い繋いでいくのである。でも偶然最初に落穂拾いを頼んだ先が、お姑であるナオミの親族だったのだ。ルツは勿論そんなことなど知らずに落穂を拾った。自分に対して優しくしてくれた土地の所有者に、どうして外国人である自分に優しくしてくれるのかを、ルツは聞いている。その答えが(2章11節)「主人が亡くなった後もお姑に尽くしたこと。両親と生まれた故郷を捨てて、全く見も知らない国に来たことなど、何もかも聞いていました」であった。この後、このルツはこの土地の所有者と結婚することになる。お姑さんもそれを望み、ルツは二度目の結婚で幸せになっていくのだ。このルツが結婚して子供を産み、その何代か後の子孫にダビデが生まれることになる。私は人生の幸福や不幸は、今のこの時点での結論にならないと思う。その幸福は不幸の序章かもしれないし、その不幸は幸福への階段の、最初の一歩かもしれないからだ。結論は死ぬ直前まで取っておいても、良いのではないだろうか?
2014年11月11日
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良くできた嫁‥そぅ、旧約聖書のルツ記は、嫁いだ嫁であるルツのお話しである。今回は旧約聖書のルツ記と、サムエル記の11章まで。ルツ記はページにして6、7ページしかなく、聖書の中で一番短い。その健気なルツの話しは、涙をそそるお話しだ。私は若い頃にしか読んでいなかった章のため、そんなに記憶に残っていなかった。でも今回改めて読んでみて、結婚していない私ですら涙を誘う箇所だと感じた。この箇所はご主人に死なれても、嫁であるルツはお姑さんに仕えて、お姑さんの故郷についていくお話しである。ルツは、自分の親族が居る故郷を離れることになる。物語の始まりは、飢饉で一家が食べていけなかった為に、妻のナオミは夫に従って二人の息子と共に、故郷を離れたところから始まっている。余分なことだけど‥ナオミって、日本人っぽい名前だと思わない?なんとなく親近感を抱いて、ついつい読んでしまう。さて、行き着いた地で息子二人がそれぞれ結婚して妻を持った。その妻の一人がルツである。ところが途中、夫と二人の息子が亡くなってしまったのだ。ナオミにとってもうそこは、異国であり辛い土地でしかない。だからナオミは故郷に帰ることにした。その際二人の嫁に、「二人共、それぞれ自分の母の家に帰っていきなさい」と言って自分一人だけ故郷に帰ろうとしたのである。だが嫁の一人ルツが、自分は故郷に残らず、姑と一緒に姑の故郷へ行くと言うのだ。姑のナオミは、故郷を出て夫も息子も死に年老いている。嫁のルツは、そんな姑を一人で帰せなかったのではないだろうか。ナオミもルツも、戻ったところで歓迎はされない。何故ナオミも?と思われるだろうが、故郷を捨てて別の民族と血縁関係を持つことを許されない部族だからである。嫁のルツは、もっと肩身の狭いことだろうが、それでも姑を一人にできないと思い、あえて苦労の道をとったのである。 ‥続く。
2014年11月09日
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う~ん、冷蔵庫の扉のパッキンが‥。ここ数日で3回も、きちんと閉まらなかった。まぁ来年の夏は確実駄目だけど、冬は何とかもたせようと思ったのだが、気を付けているようで、いままでのクセがでるのか、閉まっていないことが3回もあり、流石に断念した。それでもまだボーナス商戦まで買わずにおこうと思ったのだが‥。家電コーナーの冷蔵庫をぼんやり見ていると、定員が寄ってきて話しを始めた。本当は服を買いにきていたのだが、時間が余ってしまったので、ブラブラ散策。そういえば冷蔵庫が‥というわけで、まぁ、下見をしておきますか!というノリで、家電製品の売り場に行ったわけである。話しを聞くと、今が年一回のモデルチェンジの時で、新商品を売り出す前に、旧型のものを売りつくしてしまえ!ということらしく、結構安く売り出していた。ならば‥というわけで、買うことにしたのだが、聞けば聞くほど買った当初からすると、とても使い勝手が良さそう。便利で光熱費節約で‥と、知らぬ間に進化を遂げていた。それもそうだ、冷蔵庫を買い換えるなんて、そんなに頻繁に起こることではない。だから日頃、目にも耳にもしないものだから、いきなり変化した家電を見たことになる。感心しきりで商品説明を聞いていたが、買うつもりで来ていないので、寸法がさっぱり分からない。だから即決とはならなかった。ここまでの話しが、日曜日の出来事。そして今日会社が終わってから買いに行く予定である。というのも売り出しが今日までだからだ。いまの時点で二つ候補が上がっていて、どちらにしようか迷っている。寸法が‥、よく分からない話しになるが、昔買った冷蔵庫の、前輪と後輪の位置が微妙に違っていて、(そんなこと有る??)それによっては一押しで考えているほうが、買えるか否か‥というところなのである。買っても置けなければ意味が無いので、二番手を買うことになるが、できるなら望んだものを買いたいところである。さぁ、どうなりますやら‥。
2014年11月07日
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10年振りに会った心理学関係のお友達と、日を改めてお茶をした。会っていなかった間の話しが沢山あったので、一度ゆっくりと会いたかったからだ。今も同じところに住んでる?とか、職場は変わってない?とか、お互いに気になっていることを、ひとしきり交換した。あっ、いや私のほうが一方的に聞いていた気がする。相手は「よく色々覚えていたねぇ」と言っていたから、私も何かが引っかかっていて、覚えていたのではないかと思う。あの時の仲間も20人位居たと思う。確かにその中で他の人より彼女の事を、よく覚えていたほうだと思う。彼女の何が私の頭に引っかかっていたのだろう?若い人も沢山いたし、もっと長く付き合った人も別に居る。なんとなく見守ってあげたくなるような、同性でもそんな人って居ないだろうか?そんな気にさせる人だった。でもそのわりに、連絡を取らなくなったのだけど‥(・・;)彼女はこの心理学も半期前から始めたと言っていた。だから先生とは顔見知りであり、多少進行を心得ているようだ。前回は5人だったというから、今回の私を含めた13人には驚いたようである。それは前回から引き継いで来ている別の人も言っていた。その別の人は一度教室のドアを開けて、人数の多さにびっくりして反射的にドアを閉めてしまい、受付に教室が間違っていないかを確認をしに行ったと、最初の自己紹介の時に言っていた。まぁ、2.5倍の人数ですもんね。先生も一緒に驚いていたのが、面白かった。この10年で止めてしまったことや新たに始めたことなど、色々有ったようだが、私もこの10年の変化は負けていなかった。そう考えると、この会社に勤めて来年4月で35年になるが、仕事以外に色々なことを経験してきた。これも会社という安定した土台があるからこそ、余暇に時間やお金を掛けることができたのだと思う。 彼女に会って会社の有難みを、再認識した時間になった。
2014年11月05日
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「コーチって、教える人ってことだよね?」コーチングが何か分からないので聞いてきた人がいた。私もコーチングを教える立場ではないので、一瞬答えに詰まる。一般的にコーチといえば、「スポーツ選手等を指導する立場の人」というように思い浮かべる。聞いてきた人も、同じように思い浮かべただろうと思う。実は「コーチング」は、コミュニケーション手法である。指導する立場というわけでない。えーっと‥本によると、コーチングの元々の意味は、「行きたい場所につれて行く手法」となっている。「コーチング」は馬車を表す「coach」から生まれた言葉なので、馬車のように人を「行きたい場所」につれて行くための手法というわけだ。 だから良く未来設定をする。どこに向かっているの?どうなりたいの?理想的な未来は?明確な未来に対するビジョンを必要とする。そうでないと、そこに至ることが出来ないからだ。未来のビジョンと言っても、壮大な夢を持たなければならないわけでない。小さな「成りたい自分」で良いのだ。身近なことでも、未来に想い描く自分は、今の自分とは違っているはずである。5キロ痩せている未来の自分。提出書類を与えられた時間内に提出する未来の自分。海外旅行をする為に、必要な資金が集まった未来の自分等々‥。そういう小さな、でも明確な未来の自分を想定して、「では今の自分は、そのために何をどうすれば良いのか?」を、自分で答えを出すように色々な手法で導くもの‥それがコーチングである。どうすれば良いのかという答えは、各々が知っているのだ。ただ、普段はぼんやりと考えているだけなので、知っているはずの自分の答えに、行き着かないだけである。「なんだ‥簡単じゃないの。計画を立てればいいだけでしょ?」そう思いましたか? これが結構難しいんですよ~。だってそれが出来ていれば、世の中の人の殆どの願いは、簡単に叶っているはずですもんね。願いがなかなか叶わないのは、その願いを叶えるためにするべき行動が、出来ていないから‥。そぅ、願いを行動に移せていないからである。自分の未来を、輝かしい未来にしたい。私はこのコーチングを使って、それを着実にしたいと思っている。何とかこのコーチングをモノにして、輝かし未来をゲットしたいと考えているのだが、果たして‥。
2014年11月02日
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