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今年の3月下旬に、ホームページから占いに来られたお客様が居た。その時お会いした最後にご紹介した心理学の勉強が有って、その体験会に出られることをお勧めした。その人はその体験会に出られて、とても感動され、すぐさまその講座に入会されたようなのである。私は別にその講座の主催者からリベートを貰っているわけでないので、行く行かないは本人の自由だから、強く推したわけではない。ただその人の目指しているものが、今後の人生に問題提起しそうなので、そうでない道を一度覗いてみては?というお勧めである。本人も自分の望む道が、必ずしも自分に良くないだろうと、薄々分かっていたようだが、それでもそれを断ち切るには、余りにも多くの時間とお金を掛け過ぎてしまったようである。だから、私から何らかのヒントが欲しかったのだと思う。占い師はその人の宿命や運勢から、人生の方向性を導き出す事が出来る。未来への可能性が、本人よりも多く見えるのと、ミスリードされてしまう場合は、それを阻止することができる。だから私のモットーは、「大難は小難に、チャンスは逃さないように」なのである。勿論、私はご本人が培ってきたものを否定はしない。色々考えてその道を進んできただろうから、その時間やお金や労力を、一刀両断に断ち切るなど出来はしない。でも、だからといってそのまま進むことが、ご本人に良くなければ、そのままにはしておけない。その中で良い方法を見つけていくことが、私の仕事だと思っている。占いから2ヶ月余り、ご本人は随分と考え方を変えられたようで、旧知の友達とは踏み込んだ話しができるようになったり、新しい出会いに積極的に取り組んだりと、随分生き方が変化したらしい。そのお礼をどうしても伝えたかったらしく、お電話を頂いた次第である。私も私を助けて頂いた占い師の人が居る。その人から頂いた感謝の気持ちを、循環させているのである。これこそが、四柱推命の元となっている五行説「木火土金水」だ。私たちは親の愛を、子供に返していくのである。
2014年05月31日
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私たちがいままで生きてきた中での記憶は無限大である。特に私のように歳を重ねてくると、無意識の中に記憶したその量は、多すぎて手におえない。悲しいかな、意識している中での記憶量は、反比例して随分と減ってきている。覚えることも減っているのだが、忘れていくことも多いので、メモリーする容量が少なくても、事足りてしまう状態である。でも、無意識は違う。無意識の領域は、生きた年数だけ記憶が増えていくのだ。全ての記憶が、無意識の中に埋没していく。そしてそれらの記憶が、今現在生きている自分を、苦しめてしまう場合が有るのだ。無意識の中の何かの記憶が、私たちを前に進ませない。行動を阻んで、新しい体験をさせないようにしているのだ。それは過去の何処かで記憶してしまったこと。過去の自分には必要だったが、今の自分には必要の無いもの。いやむしろ、不必要なものである。今生きている自分は、体験したい、感動したいと思っているのに、無意識がそれを阻んでくる。何故阻むのか? 体験した後、感動した後の自分が、どうなってしまうか不安だからだ。新しいことを体験してしまったために、間違った方向へ進んでしまい、その結果散々な気持ちを味わってしまう‥という過去での経験。その過去での経験が、次からの経験を拒むのである。そう、自分を守るために‥。でもそれは過去の自分に必要な守りで、今の成長した自分には当てはまらない、見当違いの守りである。もし、前に進めないことがあるのなら、一度自分の過去を点検してみると良いだろう。過去にどんなことが有ったのかを、紙に書き出してみるのだ。そうすることで見えてくるものが有るだろうと思う。そしてそれが見えてきたのなら、自分の中から手放していこう。手放したその時点から、前に進むことが出来るはずである。
2014年05月29日
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無事に母の七回忌をすますことができた。といっても、ごくごく身内だけで済ませたので、格別な用意があるわけでない。七回忌位までは親戚を呼んで‥と悩みはしたが、結局その手間を考えたら止めてしまった。三回忌の時は、自宅で執り行ったものだから、昔ながらに煮物やら焼き物サラダ等、仕出し以外にも一人で作ったが、大変だったけど、母の為に集まってくれる人たちに感謝して、用意するのも楽しかった。でも、あの時親戚の殆どが高齢者で、足の悪い人たちも何人も居たものだから、あれから4年かと思うと、それも相手に負担だと思い止めてしまった。母は義理の母親のために、何十回忌だったか‥、本当に長い間頑張ってやっていた。昔は特に家で執り行うのが当たり前の時代だったものだから、その手間といったら大変であることを知っている。そういう大変な思いを、私にやらせたくない母だということ。子供のことを本当に愛して育ててくれた母だったこと。私はその母が生きている時ならどう言うだろうと考えて、身内だけで済ませたのである。奇しくもその2,3日前に、我が家に来て頂いていた住職さんが亡くなられた。80歳だった。といっても2年程前に脳梗塞になられて、ほぼ意識無い状態で、2年間入院されていたわけだが、私や母にとっては、とても親近感のある人だった。今は息子さんが二人共継いでおられるので、お寺としては安泰だが、息子さんでなくて、亡くなられた住職さんに来て頂いた日は(義母の月命日)、母共々喜んだものである。母の亡くなった日に近い日付で亡くなられたことは、不謹慎かもしれないが、なんとなく私的には嬉しい気持ちになっている。
2014年05月27日
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自分のマンションなのに、いきなり足場が組まれていたのを見てびっくりした。いや‥いきなり足場が組まれているはずはないだろう。そう、私が知らなかっただけである。自分のマンションといっても、事務所として使っているだけなので、占いやレイキやヒプノに関するお客様がきた時だけ足を運んでいる。だから、そうなってしまった経緯が分かっていない。まぁ、総会にも出ないし、郵便物も取りに行かない私が悪いわけで、管理組合はきちんと段取りをとっている。今更ながらに、溜まっていた郵便物を見て、今、補修工事をする為の足場を組んでいる最中だという事を知った。組まれた足場から、補修工事をする人たちが行き来するのを見て、(いつの間にここまで進んだの?)と驚いている。私はここに住んでいないので、これも一時だけだから鷹揚に構えていられるが、住んでいる人たちは(大変だなぁ~)と思った。洗濯物も干せないだろうし、多分工事が進んでいったら音とかもうるさいに違いない。これから暑くなるというのに、風を通すこともできない。私のように会社員ならともかく、専業主婦も居るだろうから、それはそれは‥ストレスになるだろうと思う。真っ先に思ったのが、一番困るのがヒプノのお客様であること。催眠に入るのに、音がうるさかったら駄目じゃん。まぁ、補修工事中全部の日にちがうるさいわけではないだろうが‥。ちゃんとエントランスに貼ってある日程を見てこなければ‥。その前にベランダや、家の門からドアまでの間に置いてあるものを、全て片付けなければならない。網戸も外さなければならないようで、急に今日しなければならないことが、山のように出来てしまった。工事期間は2ヶ月のようだ。今のところ、早い時点でのお客様と、工事終了後にお客様が入っている状態なので助かっている。「工事の合間をぬって、上手い具合にお客様が来られますように‥」なんて‥、変な祈りをしている私である。
2014年05月24日
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新宿からの帰りの朝、まだ6時頃である。名古屋駅から大治までの始発のバスが、まだ出ていない時間である。20分程待たなければならない。ぼんやりと座って待っていると、一人の女性が声をかけてきた。「すみませんがトイレに行きたいので、荷物を見ていてもらえますか?」この時間に荷物が多い人ということは、同じ夜行バス仲間である。「いいですよ」と言って対応したが、多分私には出来ない声かけだと感じていた。私なら知らない人に荷物を預けることなどしない。お願いする度胸が無いというのもあるが、知らない人をそこまで信頼するという考えもない。また、頼む位なら自分でなんとかするだろうし、知らない人に頼んでまで身軽でありたいとも思わなかった。実際、誰かに頼む程の荷物の量ではなかったわけで、私の場合は、この位なら自分でなんとかするだろうと思う。まぁでも、頼まれるほうには抵抗がないから、夜行バスで帰ってきたのか、早朝割引で出かけるのかのどちらかだろう。トイレから戻ってきて、私にお礼を言いつつ聞いてきた。「この辺りでこの時間に、朝食が食べられるところはないでしょうか?」マクドナルドのようなところでいいということなので、それじゃぁ、と言って私もコーヒーを飲むことにしてご一緒した。よくよく聞いてみると、新潟から夜行バスで名古屋に着いたところで、今から早朝のバスで神戸方面へ行くという。家は淡路島だと言った。しかも、今日は15時から仕事だというからびっくりである。まだ40歳代のようだから、そんなことが出来てしまうのだろう。いやぁ、それにしても凄いバイタリティさだ。新潟は遊びのようで、遊びも仕事も一生懸命という感じだった。若さだろうが、お友達はそこまでついていけないみたいで、チョッと彼女が特別なのかもしれない。「袖すり合うも他生の縁」全くの見ず知らずの人で、もう二度と会うこともない出会いだったが、世の中色々な人が居るものだと、刺激を受けた時間だった。
2014年05月22日
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さぁ、いい加減交流会へ話しがいかなければ‥。関東の交流会は、総会を行なった同じセンター棟で、同じ階ではあるが、一番広い部屋で行なわれた。前回が狭かったので余計そう感じるのだろうが、今回は随分とゆったりした環境で始まった。50人弱集まったのだが、その中でもお子さん連れのご夫婦を何組かお見かけした。参加者の挨拶を聞いていても、子供さん連れのご夫婦は、旦那様が奥様に連れられてきた感じである。でも、ご家族でレイキを学べる環境があるのはとても素敵なことだし、羨ましいと思う人も沢山居るだろう。中には旦那様がお子さんを指して、挨拶したのだが、「この子は妻のお腹にいる時に、レベル1から3まで受けた子です」いやいや、いいですねぇ~、みんなの羨ましい溜め息が‥。他には、一番遠いところで京都からお見えになった人がいた。ちも会長の進行は完璧で、交流会は盛大に行われ時間通りに閉会した。その後は有志だけで、土居先生を囲んで懇親会を行なったが、今回参加された人の半数は、新しい人たちだった。なので懇親会の席は、新しい人たちが土居先生を囲み、私たち顔見知りの者たちは、ひと塊になってわいわいと騒いでいた。土居先生の奥様は私たちのほうに合流していただけた。というか、私の隣に座って一緒に楽しんで頂いた。奥様は私が占い師だけで生活していると思っていたらしく、会社員だと知って、びっくりしていた。‥ちっともサラリーマンの足を洗えません。 (ーー;)移動する中で、懇親会の場所が分からずに右往左往したのだが、その疲れも美味しいビールを飲んだ途端、吹き飛んでしまった。いつも思うのだが、NLPの仲間だったりレイキの仲間だったりと、精神世界で繋がっている人たちと飲むお酒は、一味違う美味しさである。これがまた生きる活力になるわけで、またこれからも頑張ろうと、名古屋に戻っていくことができた。有難う~現代レイキの仲間たち、今度は会うのは6月の研鑽会だね。この国立オリンピック記念青少年センターで会いましょう~。
2014年05月20日
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たかが新宿駅を一周するだけなので、20~30分と考えていた。これが大きな間違いだと分かった時には、もう遅かった。時間は限りなく無くなっていて、総会には一番乗りのはずが、遅刻寸前にまでなってしまったのだ。新宿駅の地下と1階と2階なのだが、どこまでが地上なのかが、さっぱり分からなくなってしまったのだ。一周するだけだというのに廻れない、なんだこれは‥。結局1時間以上かかって、ようやく一周した。一周後最初に駅の構内にある時計を見て、一瞬時計の針が指し示す時間が、頭で理解できなかった。あんなに有った時間は何処へ行ってしまったのか‥と。恐るべし、東京!というかこういう感想は私だけ‥?まぁ、確かに私はずば抜けて方向音痴だけどねぇ~。総会のほうは考えなければならないことが多くて、時間が無くなっていってしまった。その帳尻が土居先生のお話しのほうにいってしまい、先生の貴重なお話しが、途中で終わってしまい残念だった。普段聞けない話しをこういった席でしていただける。とても嬉しいのだが、その話しが途中で終わってしまったものだから、私たちは消化不良の状態だ。続きはいつ聞けるのだろうか?‥う~む。今回、総会と関東交流会に、先生の奥様もご一緒された。随分と久しぶりである。お元気そうでなによりだった。でも私のほうが今年に入っての行事に参加していなかったものだから、土居先生のほうから「久しぶりだねぇ~」と言われてしまった。はははっ‥、問題は私のほうか。新理事の田口さんにも久しぶりだと言われてしまったが、どうも関西方面には足が向かない。というか本音は、名古屋から動きたくない私である。さてと‥あれっ?ちっとも交流会まで話しがいかないではないか?ということで、もう一回続きます。
2014年05月18日
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先週の日曜日(5月11日)に、現代レイキの総会と関東交流会が行われたので参加してきた。例によって夜行バスで移動をしている私は、前日の土曜夜中にバスに乗り、翌日新宿着という予定で動いた。土曜のお昼にレイキの生徒さんと会い、ひとしきりお話しをして、夕方名古屋駅に向かう。夕方に名古屋駅というのは、その日学んでいるNLPの仲間の飲み会に合流するためである。私にとっては、再受講の振り替えで出会った人たちである。その日は珍しく授業がかなり長引いていた。随分待ったが、どうせ夜行バスで東京に行くものだから、待つことには何も問題が無い。授業が終わって仲間が降りてきた。この回は二日しか行ってないのだが、それぞれの顔が懐かしい。飲み会の席へ移動して、楽しくお喋りした。人数が多いので、全員とお話しすることは叶わなかったが、非常に楽しいひとときを過ごさせてもらった。一次会の席が終わると、私にとっては丁度良い時間になったので、夜行バス乗り場へ直行した。まだ名残惜しそうな人たちは、二次会のカラオケへ行ったようである。夜行バスは、目的地まで連れていってもらえるから何の心配もなく、飲んだ分良い気持ちで揺れながらの乗車である。本当に何も心配しなくてすむのは、とても有り難い。翌日は朝早くに着くので、24時間営業のマクドナルドでコーヒータイム。この時間は私にとって、ゆったりとした幸せな時間だ。さて、それでも時間はまだまだあるわけで、ではその時間を新宿で過ごすか、それとも総会及び交流会が行われる、国立オリンピック記念青少年センターで過ごすか‥。考えた挙句、新宿駅を一回りすることに決めた。だがこの選択が失敗で、あんなに沢山有った時間が、アッという間になくなってしまったのだ。 ‥続く。
2014年05月16日
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えーっ、松田聖子なの~?コーラスの練習で歌っている曲が、まさか松田聖子だとは思わなかった。松田聖子って、昔のアイドルじゃん。アイドルでも昔はこういう歌も歌っていたのか?とびっくりした。まぁ、私が余りにも知らないことが多すぎるのが問題だとは思うが、良い曲を歌っていたんだなぁ~と今回改めて感心したのだ。私の青春時代のアイドルは、可愛ければそれだけで良いという時代が有った。歌唱力が無くても、可愛いというだけで曲がヒットしたのだ。勿論、全部が全部そういう人たちばかりではないが‥。時にはひどい音痴であっても、歌手として通っていたのだ。音程を外した曲を聞くのは、非常に耳障りで嫌な感じがする。いえ、それが全くの素人ならば問題にしないのだが、曲がりなりにも歌手として、歌を歌うことを仕事としている人が、平気で音程を外していると、ゾッとして鳥肌がたってしまうのだ。だから学生時代の私は、歌番組が耐えられなかったので、家族が見ているその時間は、あえて睡眠をとっていたのである。でもそれでは勉強する時間が無くなってしまうので、夜中に起きてはゴソゴソと、宿題や勉強をやっていたのだ。だから当時よくテレビでやった歌番組は、一つも見ていなかった。その時間帯は、スヤスヤと眠りについていた次第だ。歌以外は家族で一緒にテレビを見ていたので、結構不規則な毎日を送っていたのだと、思い返して感じている。何十年も経てから私はこの曲を耳にして、そして声に出して歌っている。人それぞれタイミングがあるわけで、私はこのタイミングで知った曲である。でもだからこそ、歌うということができる。というのも、当時であったなら上手であっても下手であっても、歌番組は見ないという私だったからだ。「出合いは突然に‥」かな?? (*^_^*)
2014年05月13日
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いい加減自分の体力を見つめなおさなければと思いつつ、いつも経験を重視する頭が、それを忘れてしまう行動に出る。その結果、無残にもダウンしてしまうわけだ。全く私ってば、5月3日の午前中4時間の草取りをして、午後同じ位の時間ダウンしてしまった。でも、夕方には元通りになったものだから、次の日に懲りずに、また4時間草取りをしてしまった。二日目は動く範囲が少なかったのと、鎌を使用したものだから、ダウンすることなく一日が過ぎた。私はこの時点で、鎌の使用が大切だと悟ったわけだ。ところが意に反して、この二日間の行動が、三日目に悪い結果として表れてしまった。三日目には、多分熱を出してしまったのだと思う。多分というのは「熱を出した時はこんな感じ」という感覚が有るものだから、きっと熱を出していたに違いない。というのも、体温を測った記憶が遥か彼方で、測ろうという発想が、私には無い。後で友達に体温を測ったかどうか聞かれて、そうか!こういう時には測るんだぁ~と気づいた始末である。でもその友達曰く、「測った体温を見て、急に病人なんだと認識してしまい、 測る前よりぐったりしてしまうことが有る」という話し。なるほどねぇ、測るのも良し悪しなんだぁ~という感想を持った。三日目は行くべきところが有ったものだから、頑張って出掛けたが、途中続行が難しくなったものだから、早めに切り上げてきてしまった。全く頭の考えることは、過去の経験値のみ。現状の体のことを考えないから、体は悲鳴を上げることになる。この世を生き抜くために必要な、大切な体である。体が出しているサインを見逃さないように、無理のない生き方をしていかなければと、今回痛烈に感じた。
2014年05月09日
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自由という言葉で、どんなことをイメージするだろうか?私の考える自由は、結構範囲が狭いように思う。元々行動範囲がそれほど広いわけでない。だから、中々私の世界が広がっていかないという状態である。多分行動範囲を広げたならば、もっと違う世界を垣間見ることができるだろう。それは分かっているのだが、ついつい億劫に感じてしまう。自分で自由を奪っていることになるのかもしれない。それでも、そんなに大きな自由を求めたいとは思わない。人によっては私のほうが自由だと感じる人も居るかもしれない。自由を求める度合いにもよることだろう。何気なく見ていたテレビの向こうで、水上生活をしている民族(部族)を映像で見た。彼らは自由で有りたいから水上生活を望んだと言っていた。この発言は、私には理解できないものだった。私からみたら水上生活なんて、不自由極まりない生活だと感じる。だから(何をこの人たちは言っているのだろうか?)という、不可解な反応でしかない。人間は自由であることを望む一方、それだけでは生きていけないという思いにも支配される。ある程度不自由な状態であることが、生活していくということが確かなものになる気がする。この社会で生きていくということは、自由と不自由を、上手く操作していくことだと思っている。
2014年05月07日
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自分の頭の中は、自分でしか分からない。同じように相手の頭の中も、相手にしかわからない。目の前で起こる出来事の判断は、経験から判断している。人生経験の内容が、人それぞれ違うのだから、判断内容も皆違って当たり前なのである。分かって当たり前‥、という考えは捨てよう。むしろ分からなくて当たり前かも?という考えでいたほうが良い。「こんなに長い間一緒に生活とか仕事とかしているのに‥」という考えも、捨てたほうが良いだろう。人間は頭の中や心の中が見えないのだから、長い付き合いだからといって、全てを知っているわけではないのだ。夫婦だって同僚だって、いままで長く一緒に居たとしても、新しい事実を相手の中に発見する可能性はいくらでも有る。その時驚いて愕然としてしまうかもしれない。この人にこんな一面があるのかと、びっくりするかもしれない。でも、新しい発見に心をときめいて、目を輝かせて相手の言葉を聞いてみたらどうだろうか?世の中、色々な考え方があって面白い。自分と違うからこそ「面白い」と受け止めて聞いていきたい。「そういう考え方も有るのね」と、冷静に受け止めたい。親しいからこそ、冷静さはより必要になるだろうと思う。より深く相手を知るチャンスでもあるのだから、しっかりと受け止めて考え方を聞いていきたい。
2014年05月03日
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いつも思うのだが、正月にせよゴールデンウィークにせよ、大型の連休が有るのは嬉しいのだが、月末と月初めに関係するので、手放しで喜べない状態にある。特に経理関係に携わっていると、月末の処理は多いので結構忙しい。だから今回のように中途半端な出社でも、有給休暇を使うわけにいかないのだ。勿論使っても問題ないが、結局は後から自分が苦しむだけである。休みを取って会社に出てきた時の机の上の状態に、ついつい溜め息が出てしまう。私は別にどこかに出掛けたいという願望が無いものだから、あえてここで有給を使う気にはならない。でも良かったなぁ‥と思ったのは、この期間の天気である。会社に行く日のほうが天候が悪く、ゴールデンウィーク後半の殆どは、晴れてくれるようだ。これは嬉しい!だから雨が降っていても、「会社に行く時に降ってくれて有難う~」という気持ちになる。纏まった休みが有ると、日頃出来ないで放置していることに着手できる。そして晴れていれば、着手する範囲が拡大する。家が片付いていく‥綺麗になっていく‥、それが嬉しい。こんな時でしか出来ないことが、一杯あるのだ。5月は陽気が良いのも有難い。暑くもなく寒くもなく、一番良い季節である。さぁ、気を引き締めて、仕事を頑張りますか!
2014年05月01日
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