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今回の消費税アップのことで、皆さん何か購入されたものは有ったのでしょうか?私は別に消費税が上がるからといって購入したい物は無いのだが、ただ故障すれすれの物を新しいものに替えようかどうかは迷った。それはIHクッキングヒーターである。元々騙し騙し使っていたものだから、いつ壊れるかも定かでない。スイッチが思い通りに付いたり消したりできないのだ。普通に暖めようとすると、180度と出て油の設定温度になる。最初は「私が押すスイッチを間違った?」と思っていたのだが、余りに頻繁に起こることでおかしいと思い、動作をゆっくりとして、一つ一つを目で確認してから行なうことにした。すると私はきちんと必要なところに指を置いているのだが、勝手に別のボタンを押したような表示になってしまうのだ。まぁでもやり直せばきちんとした表示になるし、間違ってそのままになっても、警告音が出て勝手に消えてくれる。火事を心配する必要はないわけだ。でも、その内そのスイッチで消すことができなくなってきた。それでも大元のスイッチを消せば良いわけだが‥。これって壊れるのは、時間の問題だよねぇ。というか、もう壊れているのか? (ーー;)それに火事の心配は無いといっても、火元には違いないだろうし‥。まぁそういうわけで、買い換えることにした。高額な買い物でもあるわけだから、この消費税が上がる前のほうが良いだろう。良く知っている電気屋さんに頼んだものだから、仕入れが3月中であれば、工事自体は4月に入っても5%で出来るということになった。こういう時に融通がきく業者を知っていると有り難い。注文はしたので、後は取り付けてもらうだけである。台所用品が新しくなるのは、やっぱりワクワクするものである。
2014年03月30日
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思ったよりも、事務処理が大変!というのも、いままで本社が行なっていた処理を、本社以外の全国の拠点で行なうことになったからだ。2月頃から肩慣らし的に始めていて、それはそれほど大変ではなかったのだが、ここにきて消費税混雑状態になってくると、大変さが身に沁みてきた。3月の時点での支払いは、2月~4月分が混在する。後で払うもの、今すぐ払うもの、先払いのものとあるわけだから、掛かる消費税は5%と8%が入り乱れているわけである。これは最低でも後1ヶ月は続くわけで、全てにおいて8%になり、変わらない状況となるまでには、まだまだ何ヶ月か続く状態である。3%から5%になった時はどうだったかと本社に聞くと、どうもそれが全く記憶にないようである。その頃は、消費税自体の導入からそれほど年月がたっていないので、社会全体がチョッと曖昧だったようにも思える。私の会社のファイルには、消費税導入が平成元年4月とある。そして平成9年4月に3%の消費税が5%に上がっている。3%の消費税が8年間続き、5%の消費税が17年間続いたことになる。17年も前に消費税額が上がったので、誰も覚えていなかった。しかもその頃まだパソコンも普及していない。せいぜいワープロ‥といったところだろうか。だから機械に頼っての事務処理ではなかったはずである。今回こうやってパソコンを使っての処理をしているのだが、システムの不具合も多く有り、結局頼れるのは人間というところだ。まぁ、だから私たち人間としての価値が有るわけだから、機械を補って事務処理をしていこうと思う。もうしばらくは、少し難しい顔をして仕事をしていきそうである。
2014年03月28日
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認知症の父の世話をしてくれる施設である愛の家が、この度8周年ということで、お祝いをされたので参加した。ほぼ2年間預かってもらっているが、その間に何周年記念ということを、されたことはなかった。これは多分ホーム長さんが変わったことに関係するのだろう。1年間のイベントは決まっているだろうけれど、イベントが増える分には、何の問題も無いだろうと思う。というか、むしろ入居者の人たちにとっては嬉しいことに違いない。そしてその家族としても、有り難いお話しである。でも、8周年なんだ‥。まだ最近出来た施設なのだと、改めて驚いている。そう思うと父や私たち家族にとっては、とてもラッキーなことである。そうでなければ、何処で認知症の患者を扱ってくれるというのか?認知症専門の病院も有るが、所詮病院である。患者としてしか扱わない。そこも見学に行ったことがあるが、ここには入れたくないなぁ‥というのが、率直な意見だった。でも施設というのは、たとえ本人がトンチンカンな話しをしても、一人の人間として扱ってくれる。しかもグループホームという施設は、地域に密着した施設である。大治町に在籍する認知症の人たちを、大治町の施設で預かってくれるのだから、私たち家族も行き易い。そして中学等で行なわれる体育祭や文化祭などにも、参加させてもらえるのだ。他にも地域の夏祭りとか、敬老の日の催し物とか‥。地域でなく季節に根差して、初詣や花見なども開催してくれている。本当に至れり尽くせりで、とても感謝している。施設の中だけでなく、施設から飛び出して散策できるのは、地域密着型のグループホームだからこそ、出来るのだと思う。
2014年03月24日
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コーチングの基礎講座、月2回で半年間の最終12回目は、いままで習ったことの集大成だった。場作りから始まって、聞く力、承認する力、効果的な質問をする力、対話をデザインする力(ゴールを明確にする・ギャップを明確にする)それらを全て使って、コーチングをする。とはいえ、短い時間で行なうものだから、何処かが欠けていて、上手く相手から「気づき」を引き出せない。上手く引き出せた時は、相手の顔が輝くから嬉しい。引き出せないと、淡々と話しているだけになり、終わってもお互い充実感が無い。相手の有ることだから、こちらから一方的なやり取りをするわけにはいかない。なにせ、先生がくどい位に再三言っているように、主役はクライアントなのである。間違ってもコーチング側が主役ではない。そして解決すべき答えも、クライアントの心の中に存在している。だから質問の仕方はとても大事である。勿論、ラポールやらペーシングやら、大事なことは他にも有る。色々なことを行ないつつ、相手を尊重しながら相手の懐に入っていくのである。時間を上手く使えなくて、相手の未来を引き出せなかった。大切なゴールを明確に出来なかったのである。チョッと残念だった。さて、来月からコーチングの実践講座へ行く。先生は変わるが、変わることで新しい発見が有るのかもしれない。だからいまから楽しみである。
2014年03月22日
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自分が思い描いているよりも、出会いがもたらす効果は大きい。私が単なるOLだけだったら‥、私がOLで占い師だけだったら‥、私がOLで占い師でレイキマスターだけだったら‥、他にヒプノと出合いNLPを勉強して、様々な人たちと出会ってきた。学びの仲間として出会い、そして先生という立場で、生徒さんやクライアントさんと出会ってきた。その出会いがもたらすものは、自分が考えていたよりも大きかった。出会った結果をみると、つくづく凄いなぁ~と思う。私という人間だけで考えたら、決して出会わないだろう人たち。自分に無い世界を持っている人が、どれだけ居ることか。そこから広がる世界がどんなに広大なのか‥無限に感じる広さである。年齢から職業から性別から、全く違う世界。私という人生で経験できる世界には、どうしても限界がある。それを様々な人たちと出会って間接的に聞くことで、疑似体験をさせてもらえるのだ。人間の数だけ体験がある。世界中の人たちの情報量は計り知れない‥無限大だ。魂がこの情報量を欲している意味が、私という単体でも理解できる。ほんと、良かったよ~。こういう人生を歩むなんて考えていなかった。昔は、生きているという実感だけで良かったんだ~。だから沢山の出会いは、私にとって宝である。純粋に生きているだけで嬉しかった!というのは若い頃の自分。まぁ今では歳を重ねてきて、生きることに貪欲になっている。そぅ、随分としぶとく生きていこうとしている。生きることに貪欲でも、良いよね?
2014年03月20日
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久しぶりの、久しぶりのスーパー銭湯だった。2ヶ月半ぶり(?)位だろうか、本当に久しぶりだった。月に2回は行っていたから、ご無沙汰である。事情が有って来れなかったからで、決して自分から遠のいたわけではない。久しぶりだからこそ感じたのが、私はここの水の流れる音が好きだということだ。循環させているお湯が、あちこちで流れている。その音を、そっと目を閉じて耳を澄ませて聴いていると、時の流れが違う別世界へ来たように感じる。そして同時に、体を流れるエネルギーが喜んでいるのを感じるのだ。体が流れに同調しているのを感じる。人間の体は、60%前後の水分で出来ている。残念なことに、歳を重ねていくと水分量は減っていく。老人が50%なのに対して、赤ちゃんは75%だというから羨ましい限りである。それでも人間の体の半分以上が、水で出来ているのだから、その体の中の水が外気の水に反応するのは、極自然なことだと思う。あの同じ感覚で流れる音が、とても心地良いのだ。すーっと、瞑想状態に入っていける。とはいえ、現実は周りの別の音や声がするから、瞑想も途中で途絶えてしまうのだが‥。しかも、長湯はのぼせてしまう。 ((+_+))長い時間は無理でも、短い時間で深いところまで行けるから、私は流れるお湯の音が好きである。その日は久しぶりだった分、幸福感も大きい日となった。
2014年03月18日
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びっくりするような勘違いに、驚いて、呆れて、そして笑ってしまった。人間の脳って、本当に自由だなぁ~。自分の都合の良いストーリーが、そこには有った。目の前の人物は、自分の存在が周りの人の心の育成に、随分貢献していると言うのだが‥。えーっと、(・・;) (*^_^*) ‥‥いやぁ~、自由だ!周りの人たちが違うと言っているにも関わらず、本人は頑として譲らない。「私が良い性格に変えてあげた」のだと‥。ある意味幸せな思考回路を持っている人である。世の中を自分の都合の良い見方ができれば、ストレスは溜まらないですむ。まぁ、もしかしたら周りがストレスになるかもしれないが、可愛いといえば、可愛い勝手さである。そうなんだよぉ~、脳の反応はすりかえられるんだよぉ~。この世の中には、ストレスが充満している。そのストレスによって、心や体が磨り減ってしまうのなら、健全な心身に戻さなければならない。それにはこの人が行なったように、脳を騙す方法が良い。脳にも騙されることが多いのだから、こちらもたまには騙していこうじゃないか。健全な心と体で生きることが、本来の人間には与えられているのだから、ネガティブな思いで心や体を曇らすのではなく、超~ポジティブな考え方で、楽しく生きていこう。そして周りを巻き込んで、楽しい連鎖を広げていけば、ストレスの無い社会になっていくことだろう。その一歩を踏み出すことが、私たちに必要なことだと思う。
2014年03月16日
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金曜の夜中、愛知県大治町は震度2だったけれど、2階で寝ている私は驚いて飛び起きた。すぐにテレビを付けてNHKのニュースを聞いた。震源地は愛媛県辺りだと言う。大治町が隣接する区域で、あま市、中川区、中村区と有るが、その辺りは震度3であった。震度3の揺れではないと思っていた私の考え通り、私の住む町は震度2だったのだが、震源地に遠い名古屋市中村区のほうが震度3だと聞くと、地面の下は別のルールが有るのだろうと思う。最近四柱推命で占った人が、島根県の人だったことも有って、いままで一度も考えたことがない島根に意識がいった。島根は震度4だった。慌ててメールをしたが、大丈夫だという折り返しのメールが届いた。そのメールの中には、こう書かれていた。「島根県民は出雲の神様に守られていると信じています」なるほど‥、じゃぁ、私も伊勢の神様に守られているかも?と思ったけれど、伊勢は隣りの三重県である。ちょっと、ずうずうしいかなぁ‥。日本は地震国家である。日本と地震は切っても切れない関係だ。日本に住む以上は、この地震を受け入れていかなければならない。しかも愛知は、東海地震が起きると騒ぎ立てられて数十年の場所だ。でも実際は、その騒ぎ立てられている場所とは別の所で、結構大きな地震があちこちで起きているという事実がある。そうすると、ついつい不安や恐怖が先だってしまうが、こういう不安や恐怖こそが、新しい現実を創っていくことを、忘れないよう肝に銘じておかなければならない。「あるがままに‥」事実を事実として受け入れていく姿勢を持ち続けて、起こってくる出来事を、淡々と受け止めていけるように‥。
2014年03月15日
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終わった~、確定申告をやり終えると、肩の荷が下りるというか、本当に肩が軽くなる。確定申告はイヤじゃないし、嫌いでもないけれど、それでも終わると楽に感じるから不思議である。これも1年の一区切りで、自分の心が新しく切り替わるのが分かる。そしてまた、1年間頑張ろうという気持ちにもなる。台帳を閉じると、やり終えた感が伝わってくる。毎年同じ気持ちのはずなのに、毎回新鮮さを感じる。建物から出て空気を吸うと、何故か入っていった時と違う空気のように感じる。きっと、気持ちが切り替わっているからだろう。この日は久々、コメダ珈琲店に入りコーヒーを頼んだ。なんとなく、時間を贅沢に使いたいと思ったからだ。見廻すと、結構な人が入っている。平日でも随分盛況で驚いてしまう。仕事で使うばかりが喫茶店ではないけれど、平日でしかも田舎だと思うと、あまり見慣れない光景に、思わずキョロキョロしてしまう。お年寄りが多いのを見ると「地域の憩いの場」という感じがした。私も間違いなく、その場に溶け込んでいるだろう。まぁ違いというと、私の場合は一人だということだけど‥。私は、会社周辺である名古屋駅近辺が、まだまだ自分の居場所だと感じる。どうなんだろう‥、後何年続くんだろうか‥。きっとその内、こちらのほうがしっくりくる日が来るだろう。今はまだ、オフィス街をうろうろさせてもらっている。
2014年03月13日
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今の世の中、意見の合わない者同士の歩みよりが、中々簡単にはできないでいる。普段でもそうなのに、それが感情的になっていれば尚更である。それでも歩み寄らなければならない場合がある。仕事仲間や家族だったりすれば、意見をある程度合わせていかないと、物事が前に進んでいかないからである。そんな時は「痛み分け」という方法で、前に進んでいく方法がある。双方が少しずつ痛みを伴うことで、意見をまとめていくのだ。感情的になっていると、責任を相手にだけ求めたくなる。特に自分のほうに非がない場合は、相手の責任を追及したくなる。でもそれでは前に進めない。なので非がない場合でも、相手の責任の一部を請け負うのだ。そうやって前に進んでいくことを、最優先していく。「でも、それじゃぁなんだか腑に落ちないなぁ‥」‥そう思うかもしれない。勝ち負け、損得、善悪‥、そういったものが目の前をよぎると、どうしても腑に落ちない状態になっていく。でも、自分のことは分かる人には分かるわけで、目の前の仕事仲間や家族が分からなくても、分かってくれる人はきっと存在する。万が一、自分のことを分かってくれる人が、全世界見渡しても居ないだろうと思えたとしても、自分だけは、事の成り行きを知っているではないか。自分だけは、自分の行なった背後を含めた行動を知っている。だから、それで良いではないだろうか?踏み止まって、物事が進まない選択をしないで、物事が進むために、自分が行動を起こしたことを評価したい。それは大きな前進である。
2014年03月11日
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「まるで見ていたかの如く‥」というお褒めのメールを頂くと、占い師として最高に嬉しい。今年初めて、遠方のお客様と携帯でのやり取りをしている。教えて頂いているのは、生年月日と性別だけである。それでまず、最初にご依頼頂いたお客様の性格をお伝えする。上の言葉は、その結果で戴いたお褒めの言葉である。私は遠方のお客様を占うことで、占いの見方が随分鍛えられたと思っている。それは視覚という情報が無いことが大きい。そして相手の反応を見ることなく、鑑定していくことも関係する。こういう中で自分が分かってきたことは、四柱推命の素晴らしさである。生年月日から導き出される統計学の素晴らしさに、改めて畏敬の念を覚えるのだ。私の人生に四柱推命との出合いが有ったことは、今世において、とても大きな意味がある。私の生年月日から考えると、四柱推命の導きがあるか否かによって、人生が随分と変わってくる。訳のわからない不安でなく、分かっていることによる準備であり、通り過ぎるチャンスでなく、掴んで大きくするチャンスだからだ。そして、今世に生まれた意味も理解できる。勿論私の場合は、ヒプノによって更にリアルに知ることができるが‥。知識は最大の防御だと思っている。むやみやたらと不安を煽るのではなく、まず第一に知って、次に対策を取って行動をしていきたい。折角自分で決めてきた人生である。その人生の悪いところを改めていき、良い人生を広げていきたい。四柱推命と共に有る私は、幸せ者である。
2014年03月08日
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私の知り合いで、インフルエンザにかかってしまった人がいる。奥様共々ダウンしてしまったのだが、不思議なことにお子さん達は、至って元気だとか‥。発祥したては、風邪かインフルエンザか見分けがつかないらしく、最低でも24時間たたないと、答えが出ないものらしい。しかも場合によっては、5日後に症状が出るものもあるという。潜伏期間も長くて一週間というから、これでは仕事になりませんねぇ。でもだからといって、仕事に出掛けて周りを巻き込むことはできない。かかってしまえば、会社に出ることは許されていない。しかも普通の風邪に比べると、だんぜん症状が重いというから、本当に厄介である。その人は幸いなことに、医者でタミフルを処方されたようで、タミフルを服用したら、重症化しないですんだようだ。実はインフルエンザを奥様からもらってしまったようなのだが、奥様はすぐにインフルエンザと診断されず、タミフルを処方されなかったようである。それでインフルエンザと分かった時には、時すでに遅し‥。タミフルが効かない期間に突入してしまったらしく、重症化して苦しい思いをしてしまったというのだ。これもタイミングだろうか?タミフルを手に出来た者と出来なかった者との分かれ道だ。私はタミフルのことをよく知らなかったのだが、遅い服用では意味を成さないようで、服用の時期が遅れたなら、後はひたすら治るのを待つだけしかないらしい。タミフルを調べてみると、インフルエンザウイルスの増殖を抑える薬とある。やっつける薬ではないわけだ。やっぱり、日頃の健康管理が大切なんだよね。規則正しい毎日が、病気を呼び込まない健康な体を作るのだから、特に寒暖さが大きい今は、毎日に気を付けて過ごしたいものである。
2014年03月06日
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身近な人‥特に家族の場合は、遠慮がなくなり感情に走りやすい。家族となると、妙な甘えがそこに出来てくる。余分な期待が働くことも原因の一つだろうと思う。でもだからこそ、甘えず丁寧に気持ちを伝えていきたい。そして伝えるのであって、間違ってもぶつけてしまわないように、感情をコントロールしていきたいものである。怒ることと叱ることが違うように、気持ちをぶつけるのではなく、伝えるという方法をとりたい。見守るという方法をとる人もいるが、見守る中にも伝えられることが有るように思う。もっと積極的に相手と関わって、相手の「気づき」になるような伝え方ができれば素敵だと思う。私たちは話しをする中で、色々と気づくことができる。沈黙からは何も拾えないのだから、少しでも意見交換をして、自分に必要なものを取り入れていきたいものである。そしてそんな場合は、「気持ちを伝える」という視点にたって話していきたい。そんな時には、子供も大人も関係無い。子供であっても、同じ目線で話しをしていくだけである。縁が有って家族になったのである。縁が有って、こうして出会ってきた仲間である。自分にできることを探して、積極的に関わっていこう。その為に出会ってきたのだろうから‥。
2014年03月04日
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人間は自分を基準に考えて判断するから、人との間に、時として問題が生じたりする。自分の中では常識的な事柄だとしても、他の人にしてみたら非常識だということは良く有ることだ。その場合、咄嗟にどんな言葉が出るのかが明暗を分けることになる。頭で理解していても、実際の場面になった時にどんな言葉になるかで、その相手との間に亀裂ができてしまったり、逆に自分の言葉が気持ち良く相手に届いて、友好関係が築けたりする。「私にはそう感じたけれど‥」「私が感じたことを、お伝えしても良かったですか?」こういう言い方をしたら、この人が自分の感じたことを言っているだけなので、相手にとっては「そういうふうに感じる人も居るのだなぁ‥」というように、一つの意見として聞くことが出来る。それを「その考え方は可笑しいと思う」とか、「こうやって考えたらどうか」とか言ってしまうと、単に考え方の押し付けになってしまうのだ。ただ、咄嗟に言えるかどうかというと、全く自信が無い。自分の考えるところを早く伝えたくて、押し付け的な言い回しをしてしまうだろうと思うのだ。それでは相手に自分が良いと思ったことを、伝えることにはならない。それどころか、もしかしたら相手はへそを曲げてしまうかもしれない。本当に相手の為になるからと思って、自分の考えを伝えたいのなら、いきなり自分の考えを伝えるのは止めておこう。まずはこの考えが私目線であることをしっかりと相手に伝えること。その後、自分のかんがえている話しを進めていけば良い。「急がば回れ」である。
2014年03月01日
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