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失敗は成功しなかっただけである。その失敗から学んで次に繋げれば、それはもう成功だ。以前、コーチングで私と違うテンポの人が居ると話した。私が一方的に喋って相手が黙ってしまうという人のことだ。今回、同じような人が入ってきた。というか、実は私より学んでいる人のようだが、最近忙しくて来てなかった人である。私にとっては「初めまして」という相手である。その人が、以前コミュニケーションに失敗した人と、同じような雰囲気を持っていた。私が以前と同じことをしたら、失敗することは明白だった。そこで前回の失敗を踏まえて、今度は相手のテンポを大切にした。まぁ、私的には「イラッ」とくるテンポである。本当にこれで相手は満足いくのか?と疑問符が頭を霞めたが、だからといって同じことをしたら、確実失敗をする。それで気持ちをグッと押さえて、相手の言葉をじっと待ってみた。随分と長い時間に感じた。そして質問を投げかけないだけ、私の中に焦りが生まれてくる。それでも同じ失敗はしまいと、相手の「間」を大切にした。実際終わってみて、私は不完全燃焼である。でも、主役は話す人で、聞く私が主役ではない。私が次々に質問していったら、それはもう私の好奇心を満たすだけの行為である。相手がその時間に話すことによって満たされることが重要であって、間違っても聞く側の私が満足する時間ではない。結局時間が足らなくて、とても上手くいったとは思えないような終わり方だった。ところがである。フィードバックを相手から頂いたのだが、これが予想外の褒め言葉だった。私の待ってくれる「間」が心地良かったと言い、その「間」で自分と向き合うことができたと言うのである。へぇ~、そんなもんか~? 全く理解できない言葉であった。でも、失敗はしなかった。こちらが失敗だと思っても、相手は満足しているのだから、それは成功だと言って良いものだろう。どう考えても私の頭脳では理解できないが、自分と違う感じ方の人は、世の中に数えきれないほど居るわけだから、コミュニケーションの取り方は、独りよがりにならないよう気を付けなければならない。本当に良い勉強をさせてもらっている。
2014年06月29日
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この間、レイキセミナーを行なったのだが、とても面白い‥と言うか、興味深いことが判明した。レベル1のセミナーだったのだが、私の場合、基礎とレベル1は分けて教えないで一日で行なう。少しハードかもしれないが、私も会社員で時間に拘束されるし、相手も忙しい人が生徒さんになる場合が多いから、お互い時間が無いということで、ハードでも一日で行なっている。いつものパターンでは、ヒーリングを体験すると、セミナーを受講したいという人は、すぐにセミナーを受ける人が多い。ところが今回の人は、休みをシフトで取る人だったので、ヒーリングを体験してから3週間後位の受講となった。なので、他の生徒さんに再受講を促す時間がたっぷりと有った。その為レベル1にも関わらず、再受講生が集まってくれた。それから私は、再受講に来る生徒さんには、時間を自由に選べるようにしている。勿論一日受講しても良いが、半日だけでも構わないという参加の方法だ。午前と午後は違う人が参加したが、人が替わっても人数は一緒である。午前はマスター達で、午後はレベル2までの人達だった。午前で帰ってしまう人達が居るものだから、折角なのでレイキ回しを最後にしていく。午後も違うメンバーなので、最後にはレイキ回しを行なった。午前中は基礎なので、伝授(アチューメント)は無い。その中でのレイキ回し‥。受講生にとっては、マスター達のエネルギーを戴いている状態である。そして午後、伝授(アチューメント)が終わった状態でのレイキ回し。びっくりしたのは、午前と午後のエネルギーの違いである。その違いが、受講生と私にははっきりと分かったのだ。加わった一人のレイキエネルギーが、如何に大きいものかを、実感として知った事になる。そこで思ったのが、レベル3やマスターを育てることも大事だが、それ以上にレイキ実践者を一人でも多く育てていくことが、一番大切なのだということだった。レベル1であっても、レイキ実践者が誕生することのパワーは凄い!一人でも多くの人が、レイキを知って活用できることは、地球に住む全てのものにとって、宝だということだ。勿論、出会った生徒さんがレベルアップしていくことも、とても重要なことだと理解している。とはいえ、今回なによりも嬉しかったのは、回路が開かれたことを、生徒さん自身が実感できたことである。
2014年06月27日
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人間の体の半分以上が水分でできている。水は人間にとって、貴重で重要な役割のあるものである。だから良い水を飲みたいし、水を沢山取って体に循環させたい。水は滞ると濁ってしまう。循環が出来ていない場所は、腐敗してしまうのだ。良いはずの水が、敵にまわる瞬間である。人間の体からは、一日2、5リットルもの水分が失われていく。汗とか排泄とかで失われていく。それを補うのが食事と飲料水からである。でも食事からは1リットルしか採取できないというから、飲むことで残りの1.5リットルを補わなければならない計算になる。1.5リットルか~、結構な量だ。これがコーヒーやお酒類なら楽勝なんだけれど‥。コーヒーもお酒類も、利尿作用があって適切ではない。というか、利尿作用を促してしまうので逆に不適切である。どうして私の好きなものは、補うほうに回ってくれないのだろうか?魅力的なものほど、問題が有ることになる。飲み方にも注意が必要なようだ。それは一度に大量に飲まないということである。一気に飲むと、体が不要な水分と判断してしまい、排泄するほうに動いてしまうようである。どうやら少しずつ何度かに分けて摂取する必要があるみたいだが、これが忙しいと忘れてしまいがちである。特に口の渇きが無い状態であれば、尚更である。必要かどうかの判断をするのではなく、規則的に摂取したほうが、賢い選択になる。体の欲求が無くても、水分は補給していこう。特に年齢を重ねている人たちは、体の欲求を待っていては遅すぎる。習慣付けをしていったほうが、利口である。
2014年06月24日
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4月に始めたコーチング仲間で、私とテンポの違う人が居る。私はせっかち(?)なのか、その人と会話のキャッチボールが出来ない。二人で話すとどうなるかというと、私が一方的に喋って相手が黙ってしまうという状態である。これはまずい‥。でも私が人よりアップテンポということではない。多分相手がかなり遅いのではないかと‥。これも比較対象して感じることなので、私はそんなにせっかちなほうではないはずである。だが、コーチングはコミュニケーションである。先生は熟練した相手に、色々アドバイスをしていた。「まずはこの場合、ずーっと勉強しているあなたのほうが、リードしていかなければいけないでしょう。」といった具合に‥。でもそれを言うなら、実際は色々な勉強をしている私のほうが、ここは上手く乗り越えていかなければならないわけで‥、歳も上だし‥。どうも焦っちゃうんだよねぇ~。占いやレイキは私がリードしていく立場で、その立場のままに進めていけるのだけど‥。コーチングは慣れない分野である上に、苦手な分野であるから、私の心の中で、やるべきことがグルグルと回ってしまう。しかも時間制限があるものだから、パニックを起こしてしまうのだ。会を重ねていくと、新しいやり方を次々に学ぶことになる。やり方が増えれば増えるほど、馴染むどころが依怙地になる始末である。う~む、前進どころか後退しているのではないだろうか?一抹の不安を覚えてしまう。まぁ、仲間の皆さんが、暖かい目で見守ってくれているのが、救いといったところだろうか。気長に学んでいきますか。
2014年06月21日
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現代レイキの研鑽会に参加して、基礎とレベル4を研鑽してきた。といっても時間は限られているので、極々一部しか出来ない。それでも色々な人と意見を交換しあうと、思いもよらない言葉が聞けて、随分と参考になる。今回は長く続けているマスターさんと、まだマスターに成りたてで、右も左も分からずに困っているマスターさんまで、幅広いマスター達が全国から集まった。地域も札幌から四国まで、遠いところからいらっしゃっている。新しい顔は三分の一というところだろうか‥。でもその新しい人たちの考えが新鮮で、しかも勉強になった。私たちのように長くやっている者とでは、疑問に思う点が違っていたりする。私が行なっていたやり方と微妙に違うので、自分のやり方が間違っているのかと質問してきた人が居たのだが、私はそんな疑問すら感じたことがなかった。結果はどちらも正しかったのだが、質問されて初めて「そういう疑問も有るのね」と感心してしまった。新しい人でないと、こういうところに気づきが無い。また私と違うタイプのマスターさんからは、驚くような話しが聞ける。生徒さんのタイプも違うものだから、そういう人たちの体験談は、ためにもなるし感心もする。世の中色々な人がいて、色々な疑問を持っているものだ。こういう話しは、何か有った時に役立つことができる。事前に色々知っていると、経験が無いからどうしようと、あたふたしないで済む。引き出しは沢山有ったほうが役に立つから、こういう機会を頂けて、とても有難い。こういう研鑽会をするところは、現代レイキしかないと思っている。私を守っていてくれる存在が、私をこの現代レイキに導いてくれたことを、心から感謝している。
2014年06月19日
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すぐ断る私‥、どうしよう‥と悩むことなく、すぐにも断わってしまう。やらなくてすむなら‥ダメもとで言ってみよう~というノリである。勿論、なんでもかんでも断わってしまうわけでなく、どちらでもよい、という前提があって断わっている。周りを気にして断わりずらいなぁ~という気持ちにはならない。こちらに選択権があるのなら、自分の気持ちに忠実であるだけなのだ。私とは違って、結構自分の気持ちを前面に出せないで、気持ちを押し殺してしまう人たちが居る。そういう人たちはストレスを溜めてしまうわけで、時としてそれが病気を引き起こしてしまう原因にもなりかねない。でも断わらずに言われるままに行なう利点もある。それは、そこから新しい自分に出会えるかもしれないからだ。行動したことが無い領域に踏み込むと、頭では「出来ないだろう」と思っていたことが、意外に簡単に出来てしまい、自分の行動範囲が広がるかもしれない。そうすれば今後出会っていく人も違ってくるわけで、それが自分の環境をも変えていくのである。だから簡単に断わってしまう私は中々進歩が無い。私の行動範囲って狭いのよねぇ‥。でも唯一学ぶことが好きなものだから、その為には新しいことにもチャレンジすることができる。これが自分を変容させる、唯一の突破口である。「惜しいよねぇ‥」とはコーチングの先生の言葉である。変容させる方法が有るにも関わらず、そこをスルーしてしまう。それが勿体無いと先生は言う。「時間をかけて変えていきましょう」優しい先生のお言葉を頂いた。実践編は、自分の「我」との戦いかもしれない。
2014年06月17日
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先月現代レイキの総会と交流会が有って、東京へ行ったばかりだが、今回夏季の研鑽会があるので、再び東京へ行くことになった。6月の研鑽会は涼しいと思っていたのだが、なんだこの暑さは‥。まぁ、名古屋より少しでも涼しい東京へ行くのだから、良しとするべきか‥と納得させるが、きっとこちらと変わらず東京は暑いに違いない。研鑽会は新たな発見があるから、参加することにとても意義が有る。セミナーを一人でやっていると、知らない内に微妙なズレが出てきてしまう。その軌道修正のためにも、研鑽会は必要だと思う。微妙なズレをそのままにしておくと、積もり積もって大きなズレになりかねない。人間の脳は錯覚に陥ったり、勘違いをしてしまうものだ。例えば「否定語は脳には理解できない」とか、「脳は現実と想像の区別がつかない」ということは、心理学の世界では、みんなが知っていることである。それだけ脳は、素晴らしいけれども不確かなものである。そこに人間の一人よがりな考え方が付随してくる。そうなると最初に学んだ状態からズレてしまっていることになるのだ。だから軌道修正はしておくべきだ。家族だってそうである。人はそれぞれ毎日色々な情報を得て生活している。良い悪いの関係がなく、情報は自然に耳に入ってくるのだ。情報を得ると、自分の考え方が変わっていく場合が出てくる。別にそれで良いのだが、それが周りに伝わっていない。例えば家族の一人がいままで通りのことをする。当然良い反応が返ってくると思い、本人が喜ぶためにする。ところが本人は考え方がいつの間にか変わっていて、いままでと違う不愉快な反応をする。家族にとっては???の世界である。軌道修正をするというのは、人と人を繋ぐために、とても重要な作業である。円滑な毎日を送るためにも、コミュニケーションをしっかりと取っておきたい。
2014年06月14日
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なるほどねぇ‥、こういう手を使ってくるのか‥。人間的にみると、一見可笑しいというか変というか、どうして~?と思うような出来事なのである。そうすることに何の意味がある?そこに意図することなど何もないではないか?そう感じたことを、もっと違う視点で考えると合点がいくのである。それは人の目からしては突拍子もないことかもしれないが、ひとたび結果から逆に辿っていくと、違う見方が出来るのだ。人の視点で考えると、中々出てこない答えである。自分の視点、相手の視点、他の人に意見を聞いた視点。それらのどこからも出てこない、偶然を装った必然だった。いつも思うのだが、目に見えない世界の連中は、緻密に計算された方法‥、人間には決して考えが及ばない方法で、巧みに人や時間や場所といった、この世の色々なものを使って私たちを誘導していく。勿論、私たちを一番良い方法で導こうとしているのだ。でも悲しいかな人間の視野は、とても狭い。目の前に起こってくることに、一喜一憂してしまって、それが将来の自分に、どれだけプラスになるかなんて、全く分からない状態なのである。私も考えたよ~。この出会いは波長が違い過ぎるだろうよ~。どうして、それなのに出会っていくのかと‥。それが2年半たって、ようやく理解できたのだ。そう、次の展開で理解できたわけである。なんだかミステリー小説の、謎解きのようだ。こちらの世界は時間で縛られている。だから時間の概念を組み込んで、目の前に起こってくることに意味付けをしてしまうのだ。時間の概念の無い向こうの世界は、どのようにでも物語を、組み立てていけるのだろう。まぁでも私たち人間が見守られている事だけは、確かな事実である。導いてくれる存在に感謝☆
2014年06月12日
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今回は旧約聖書のヨシュア記だった。光田会長は、ヨシュア記を終わらせるつもりだったようだが、結局11章までしか進まなかった。ヨシュアとイエスがリンクするところが多いものだから、どうしてもここはしっかりと伝えたいという会長の想いから、丁寧に進めた結果が、一回の講義で終わらなかったという結末である。私もレイキの講義をしていて、どうしても生徒さんに分かってもらいたいところは有るわけで、そうなると、最初の時間配分と違ってきてしまうことがある。理解して欲しいところは、どうしても熱が入るよねぇ‥。お陰様で会長が云わんとすることは、しっかりと私に伝わった。ヌンの子ヨシュア‥ヌンの一族は霊能力に優れていた。ヨシュアもその家系であった。エドガー・ケイシーのお爺さんは、井戸掘りが優れていたようだ。俗に言うところの「ダウジング」である。これも霊能力の一種だろう。だからケイシーも霊能力に長けていたのだろう。これも能力だというなら、私たちも開発して能力を高めれば良い。どうやって? 見えない世界との交信は、瞑想が一番である。また直観力を鍛えていけば、それはそのまま向こうの世界との交信だ。魂、心、内面‥、自分と対峙する‥、自分の内面の声を聴く。こうやって能力を高めていくことは、自分の在るべき姿に戻っていくことになる。例え今世でその能力が身につかなかったとしても、それは来世に持ち越して、きっと来世で開花してくれるだろう。だから、少しでも能力を身につけておきたいと思う。本音を言えば、一発で宇宙に戻りたいんだけどねぇ‥。まぁ、どんなことでも無駄は無いのだから、沢山学びたい。知識だけでなく、心の成長も含めてだ。「実践が全てである」知識で終わることのないように、学んだ知識を行動に移して、仲間と共に頑張っていきたいと思っている。
2014年06月10日
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久しぶりに朝方まで飲んだ。勿論、次の日が休みなのだが、それでも最近無かったことである。2,3時間しか寝なかったので、やはりチョッと体調が優れなかった。若い頃には考えられない状態である。まぁ確実に歳をとっているわけで、若い頃と一緒であるわけはない。そんなことは分かっているはずなのだが、実際実感してみると、確かに年齢を重ねていると再認識する。人間の頭と体とは、どうもズレがあるようだ。体力が無くなっていて体がついてこないというのに、脳は昔の記憶を引きずっていて、まだ動くはずだと錯覚する。そして現実を知らされて、痛い目に合うわけである。昔はさほど睡眠を取らなくても大丈夫だったのに‥何故なのかと。昨日の自分、1週間前の自分、1ヶ月前の自分、1年前の自分。確実に変化しているというのに、その変化に気付かない。脳は昔の栄光に焦点を当てているから、今の自分に出来ないはずがないと思ってしまう。そして体を無理させシンドイ思いをして、ようやく自分の考えが間違っていたことに気付くのである。いやぁ~バカだねぇ~。あっ、でも飲んでいるとお酒の勢いを借りてしまうから、脳と体だけの問題ではないなぁ‥。脳の働きも鈍い状態だから、もはや体を思いやる気持ちは、どこにも無いか~。まだまだこの世でお役にたたなければならないのだから、そのためにも健康であるべきである。健康でいるからこそ、周りの人のことも考えられる。それを忘れずに行動しなければならないと、再度確認した。
2014年06月07日
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ヒーリングをして嬉しい時というのは、相手が寝息をたてた時である。レイキエネルギーの暖かさに、「つい寝てしまった‥」というところだろうか?初めて宇宙からのエネルギーに触れた時は驚くかもしれないが、その内心地良い暖かさに全身の力が抜けていき、レイキに身を任せていく。そしてそっと眠りに落ちていく。そんな時、ヒーリングをして良かったと思う。頭にヒーリングしても、足のつま先までエネルギーは回るので、それを体感してびっくりする人もいるが、エネルギーとは、そうしたものである。若くて疲れをしらないと思っている人でも、自分で認識出来ないところで、疲れが溜まってしまっていたりする。そういう認識できていない疲れが、レイキエネルギーで溶かされていく。そしてそこで初めて、自分の疲れに気づくのである。私たちは日々の忙しさに紛れてしまい、自分の体にどれだけ負担を強いているかを認識できないでいる。なんでもそうだが、人の体にもメンテナンスが必要である。時間に追われてこき使ってしまった体を、労わってあげるべきである。レイキは、セミナーを受ければ自分でヒーリングができるようになる。そこは私が気にいっているところである。他人任せが余り好きでない私としては、自分でヒーリングができるというところが、魅力的である。そして他人にもヒーリングをしてあげれるわけで、ヒーリングをした人から、感謝の言葉も頂くことができる。一挙両得とは、このことである。「おはようございます」ヒーリングが終わった時に言いたくなる言葉だ。ヒーリングを受けた後のお相手のスッキリとして顔が、私を一層幸せにしてくれる。
2014年06月05日
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疲れには、心の疲れと体の疲れが有る。そして心の疲れはマイナスの気持ちの時だけに起こるものでなく、心がプラスの状態であっても、疲れとして出てくるものである。好きなことをしていて、楽しいと思う心でも、集中し過ぎると疲れに変身してしまい、結局パワーダウンしてしまうのだ。ゲームに集中している人たち、好きな運動に集中している人たち、音楽が好きで、夢中になって歌ったり楽器を奏でたりしている人たち。楽しんでいるのだけど、疲れとなって表れてきてしまう。そぅ実は、集中し過ぎることが問題なのである。夢中になり、体の何処かを酷使してしまう。夢中だからこそ、体を酷使しているという自覚が無い。どんな事も、ほどほどにすれば良いのだが、好きだからこそ、途中で止めることができなくなってしまうのだ。心理学テストでも、結婚や就職はストレスであると言っている。まぁ、考えてみればこれらにおいては環境の変化になり、初めての人間関係も加わるわけだから、確かにストレスだろう。でもクリスマスとか正月とかの行事も、ストレスと数えられる。何故ならそれらの行事は、日頃と違う行動を取るからである。慣れない行動はストレスであり、疲れてしまうのである。そう考えると、私たちが疲れないためには、毎日同じことをして、平凡に過ぎ去っていくのが良いことになる。確かに、色々なことにチャレンジして生きた大部分の人たちが、「太く短い人生」で終わっていくことが、多いように思う。好奇心は大切だ。 人生を楽しむことも重要だ。チャレンジ精神も持つべきだと思う。でも、決して度が過ぎて疲れ果ててしまわないようにしよう。大切な心と体‥、大事に扱っていきたい。
2014年06月03日
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