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家内が『SEX AND THE CITY』ファンなもので、その映画版をミッドランドスクエア・シネマまで観に行ってしまいましたよ。 女性ばかりが登場する映画が苦手なワタクシ、SATCに関しても、その評判は知りながら、敬して遠ざけるようなところがありまして。ですが、何せ曲がりなりにもアメリカ文化を研究する身、「この際、勉強しておくかっ!」という気概の下、覚悟を決めて観に行ったという次第。 もちろん「勉強」ですから、本当に勉強するんですよ。事前にSATCの公式ガイドブックを熟読し、誰がキャリーで、誰がサマンサで、誰がシャーロットで、誰がミランダなのか、という基本的なところはもちろんのこと、彼らの交遊関係から過去の恋愛体験まで、一応、大まかなところだけはチェックです。で、そうやって予備知識を頭に叩き込んでから映画館に乗り込んだ、と。 で、実際に映画版を観たわけですが・・・(以下、ネタバレ注意・・・かな?)。 ま、話自体はシンプルな話で、キャリーが長年、くっついたり離れたりしてきたミスター・ビッグなるボーイフレンドといよいよ結婚することになったものの、結婚式当日になって花婿が式場に来ず、みたいな。で、傷心のキャリーを親友たちが慰めつつ、彼女たちにも色々あって、みたいな。で、最後の最後になって再びキャリーとミスター・ビッグが偶然出会って、みたいな。で、どうなる? みたいな。 というわけで、話の展開はもうコテコテの古典なんですね。だからメイン・ストーリーに一喜一憂するというより、そういうストーリーを通して4人(5人の、かな?)の個性的な女性が、それぞれにふさわしい色々なことを言ったりやったりする、それが面白い、ということなんでしょうな。で、そういうやりとりを通じて、アメリカの大都会を生きる女たちの悩み、悲しみ、あるいは喜びを描く。で、そういったものに、これを観る女性たちは共感する、と。もちろん、それと同時に彼女たちのファッションとか、ライフスタイルとか、NYの流行とか、そういうものも観て楽しむのでしょう。 さて、じゃ、それを男であるワタクシが観てどうかというと・・・ ま、面白いですね。 何が面白いというと、劇中、色々な男が出てきて、彼らが4人の女性たちを喜ばせたり悲しませたりするわけですが、これが勉強になるわけ。なるほど、男としてこういう行動は○で、こういう行動は×なわけか、というのがよく分かる。 だからね、この映画は30代後半から40代、あるいは50代前半くらいのカポー、ないし夫婦が観るといいんじゃないかしら。た・め・に・な・る・よ~。 そういう意味で、この映画、教授のおすすめ!です。 しかし、映画館の中を見渡してみると、観客で圧倒的に多いのは20代前半と思しき女性たちですね。ごくたまにモノの分かったオールド・カポー風の男女がいたりするけれど、あとの大半はピーチク・パーチクの若い女性ばっかり。しかもOLというより、学生が多かったんじゃないかしら。上映前のざわめきなんて、授業前の女子大の教室に居るのかと錯覚しましたよ。 でもね~、彼女たちにはこの映画、ちょっと早いんじゃないのかしら~? せめて社会人になって、30も目前、このまま仕事を続けるか、結婚を取るか。そんな悩みの一つも抱えた経験のある人じゃないと、この映画の面白味なんて分からないんじゃないかと思うのですけど、その辺、どうなんざんしょ。 ま、観たい人が観ればいいか・・・。 ところで、一つだけ。「ミッドランドスクエア・シネマ」という映画館には今回初めて行きましたが、ちょっと座席に難アリですなあ。完成時には「革張りの豪華な座席」ということをさかんに自慢していたようですが、この革張りの座席とやらがよくないのか、座っているとオシリが痛くなって仕方がない。で、時々座る位置を変えたりするのですけど、周囲の人たちもそれぞれモゾモゾしてましたから、きっとオシリが痛かったのは私だけではなかったようで。 映画館たるもの、見た目の豪華さを取るより、2時間の映画を観ていてもオシリが痛くならない座席をしつらえないといかんよ~。この点は、猛省を促しておきましょうか。
September 30, 2008
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今日、ラジオのニュースを聞いていたら、名古屋の小学生で、生まれつき胃腸が機能しない病気のため、アメリカに渡って多臓器移植手術を受けていた各務宗太郎君が亡くなられたことが報道されていました。享年9歳。私も何度かテレビで見ましたが、実際可愛らしい子で、募金をしてくれた人たちに自分でお礼を言いつつ、手術がうまく行ったら自分でハンバーガーが食べたいなんて言っていたのに、残念なことです。この世には自ら命を絶つ人もいれば、生きたいと思っても生きられない人もいて、うまく行かないものでございます。宗太郎君のご冥福をお祈りいたします。 ところで、今日、すごく面白い本を見つけました。俳優の殿山泰司さんが書かれた『三文役者 あなあきい伝』(Part1)(ちくま文庫)という本です。 この本、実は私が愛読している安部譲二さんのブログ「続あかげら日記」の中で安部さんが言及していた本なのですが、インターネットで注文して届いたのを今日、ぱらぱらと読み始めたら、これが実に面白い。何しろまだほんの10頁くらいしか読んでいないのですが、その時点でこれが傑作だということが分かるほど、すごい本ですよ。 この本は一応、殿山さんの半生記ですから、殿山さんが子供の時の思い出から語り出すんですけど、その口語体の書きぶりは、アメリカ文学で言えば『ハックルベリー・フィンの冒険』か『ライ麦畑でつかまえて』を彷彿とさせるような感じ。 殿山さんのお父さんは食堂経営者で忙しく、そして殿山さんとは生さぬ仲の母親は、殿山さんのことをまるでかまってくれないという状況の中、小学校低学年の時から朝御飯を一人で作って食べたそうなんですが、子供が一人でプロはだしの玉子焼きを焼く、という描写から切なくてねえ・・・。それでも、親父さんの方は息子の殿山さんのことを不憫に思っていたところがあったらしく、またそのことを殿山さんもよく承知はしていたらしい。その辺りの機微の描き方も素晴らしいんです。ちょっと引用してみましょうか。・・・時どきおれが朝めしの支度をしているときに、親父が魚河岸から帰ってきて、手伝ってくれることもあった。幼いお前に対して申訳ない、というような表情をするもんだから、おれのほうが気の毒になった。おれを生母から離別さしたという、罪の意識があったのかね。気にするなよ親父、いいんだいいんだ。そんな時には、豆腐かしじみの味噌汁を作ってくれたので、おれとしてはとてもうれしかったな。そうなんだよ、朝めしだってえのに、味噌汁もろくにすすれなかったんだ。 (中略) おれには何も言わなかったけど、もっともガキに何を言っても始まらねえか、親父も相当に苦労したらしい。親父にとっておでん屋は、人生の途中からの開業だからな。「坊主、早く学校へ行け」「うん」親父のおでん屋以前の職業については、おれは全く知らない。徹頭徹尾おれには何も言わないで、おれが数えで十八のときに、親父は天国へ行ってしまった。とうとう会話の季節を持たなかったわけだ。この何も言わないとこに、人間てのは妙味があると、おれはいつも思ってんだけど、ほんのちいッとばかり涙が出る。 (12~13頁) どうです、この口語体の見事な語り口。個性的な脇役だった在りし日の殿山さんの風貌を知っている者からすると、当然、この文章も彼特有のだみ声で聞こえてくるわけですが、そうするとまた一層、心にしみ入るような気がします。 ということで、まだ冒頭のところしか読んでいないのですけど、殿山さんの半生記、教授のおすすめ! です。まだお読みでない方は是非!これこれ! ↓三文役者あなあきい伝(part 1)
September 29, 2008
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今日、国内の某所にある浄慶寺なるお寺を参拝したところ、変わったお地蔵さんが奉られているのを発見。最近はお地蔵さんもケータイ愛用なんでしょうか? これこれ! ↓ いやはや。それにしても彼はどなたとお話しをしているのやら・・・。
September 28, 2008
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少し前、映画界からの引退を宣言した米・映画俳優のポール・ニューマンさんが亡くなりました。享年83歳。年に不足はないとはいえ、やはり名優の死には寂しいものがあります。 ポール・ニューマンというと、一番最初に見たのは『スティング』だったか、それとも『明日に向かって撃て』だったか。どちらもロバート・レッド・フォードとの共演でしたけど、私はどちらの映画でもポール・ニューマンの方が好きで、そんなこんなで子供の頃から好きな俳優の一人でした。笑顔がいいんですよね。独特の愛嬌があって。 それから、やはり私が子供の頃、パニック映画というのが流行った時代があって、『タワーリング・インフェルノ』ではスティーブ・マックイーンとの共演が見ものでした。それからもちろん『ハスラー』ですか。あと『パピヨン』なんて映画もありましたっけ。ちなみに、かつてZ会に入っていた頃、私のペンネームは「パピヨン」でしたけど、これはもちろんあの映画から取ったのでした。(←注:これは勘違い! 『パピヨン』ではなく、『暴力脱獄』でした!) ってなわけで、私としては、子供の頃から知っているカッコいい俳優という意味で、ポール・ニューマンは割と無条件に好き、という感じなんですが、その後よほど長じてから、とあるアメリカ人と話をすることがありまして。で、私がポール・ニューマンが好きだ、と言ったら、その人曰く、「いやー、あいつはアクターズ・スタジオ出身だろ。だから芝居が臭くって。僕は嫌いだ」ですって・・・。 それを聞いて、ははーん、そういう見方もあるわけね、と思いましたわ。確かに、スタニスラフスキー・メソッドで勉強した俳優というのは、芝居がうまいのか、臭いのか、瀬戸際みたいなところがありますからね。見る人によっては、ポール・ニューマンの芝居も「みっちり勉強しました」的な嫌味が見えるのかも知れません。 でも、やっぱりワタクシは好きだな、ポール・ニューマン。 で、彼の映画の中で、どれが一番好きかしらと思うのですが・・・ ずばり、『わが緑の大地』(原題: Sometimes a Great Notion)ですね。日本では全然有名じゃないですけど、ワタクシはこの映画こそ、ポール・ニューマンの代表作だと思っています。ご覧になったことがないという方は多いと思いますが、騙されたと思ってご覧ください。タフな男ってのは、こういう奴のことか、と思いますよ。素晴らしい作品です。 とまあ、色々書きましたけれど、子供の頃から好きだった俳優が亡くなったというのは、本当に寂しいことでございます。一代の名俳優のご冥福をお祈りいたします。合掌。
September 27, 2008
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小泉元首相、さすがのサプライズ不出馬宣言でしたね! でも「老害」を言って中曽根さん、宮沢さんに詰め腹切らせた調本人なんだから、自分でも適当なところで引退するというのは、一応、筋の通った話なのではないでしょうか。首尾一貫というのは、あの人のトレードマークですからね。 しかし、結局、後は次男の方が継ぐんですねぇ・・・。ひゃー! これが本当の「小泉チルドレン」ですな! ってか、単数形の「小泉チャイルド」というべきか。 こういう調子だから国会ってのは、二世、三世議員で溢れていくんでしょうな。もう、そのうちアレじゃない? 国会議員はすべからく世襲制になっちゃうんじゃないの? すでに閣僚レベルでは大半が世襲議員なんでしょ? ま、気持はわからないでもないですけどね~。私だって、もし自分が国会議員で、引退する年になって、息子とか娘がいて、それが後を継ぎたいと言い出して、親の目から見てさほど非常識でもなく、さほど馬鹿でもなく、後援会の人達もそれを願っているということであれば、やっぱり後を継がせちゃいそうだもんな~。 でも、そうやって苦労なくすんなりと選挙に勝ってしまった議員ばかりが国会を占めているという状態も、あまり好ましいとは思えんですけどね。 ワタクシの通っていた某私立の学校なんぞ、政治家の息子がぞろぞろ居ましたが、どれもこれもロクなのじゃなかったですよ。悪い奴、とろい奴ばっかりで。だけど、今ではそれが国会でも中堅どころですもんね。素性を知っているだけに、「まじ?」って感じですけど。 小泉さんの息子さんとやらもまだ20代ということですが、次の総選挙では勝つのでしょうなあ・・・。もうちょっと苦労してからでも遅くないと思いますけど・・・。 いっそのこと、ちょっと苦労させるため、最初の選挙では地元からじゃなく、ダメ元で「刺客」として立候補すればいいのに。たとえば、国替えをするという噂の民主党党首、小沢氏と同じ選挙区に送り込むとか。 すごいサプライズだよね! 案外、小泉純ちゃん人気で、小沢党首に勝っちゃったりして。 ま、それは冗談として、昨今の世襲議員のあまりの多さに、日本の将来をちょっと危惧しているワタクシなのでありました、とさ。
September 26, 2008
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前に某学会から頼まれていた書評、今日が締切だったんですよね~。ということで、この2、3日というもの、この仕事にかかり切っておりました。 でも今回の書評は何だか妙に書き難くて、たかが15枚くらいの分量を書くのにも四苦八苦しちゃいました。というのも、その書評対象となった研究書、章ごとに別な文学作品の分析をやっておるのですよ。で、そういう本を書評するとなると、各章にどんなことが書いてあるか、一応は説明しないとまずいわけですが、それをいちいちやっていると、今度は書評自体が箇条書きみたいになっちゃうわけ。一冊丸ごと、ある一つの対象について論じていてくれると、書評もし易いのですけどね。 というわけで、出来映えの方はイマイチなんですけど、何せ今日が締切ですから、もう思い切って提出しちゃった。は~、もう知ーらないっと。 ところで「締切」って英語で「デッドライン(deadline)」と言いますが、これ、どういう意味かご存じ? これね、囚人を入れとく牢屋に縁のある言葉でして。「その線からこっち側に出ようとしたら、逃亡を図ったとみなし、看守は遠慮なくお前たちのことを射殺するぞ」という線のことを「デッドライン」というわけ。囚人としたら、生きるか死ぬかの瀬戸際の線ですわ。 でもね、囚人のみならず、原稿書きにとっても、この「デッドライン」というのは非常に重要でして。 確かに、デッドライン(=締切)の手前で原稿を提出するから、この世界で生きていられるので、それを越しちまったら、原稿書き失格となる。けれど、逆にこのデッドラインがあるからこそ辛い仕事も何とか終わらせようと努力するわけですから、仮にこれがなければ永久に原稿は完成しないことになり、やっぱり原稿書き失格となる。 だから、デッドラインは、あった方がいいんですよね~。ワタクシなんて、これがなけりゃ何にもやらないもの。 というわけで、あまり会心の出来とは言えないけれど、一応は無事デッドラインを生きたままやり過ごし、ホッとしている今日のワタクシなのでありました、とさ。教授は、つらいよ!
September 25, 2008
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このブログにもたまに登場する航空宇宙物理学の権威・F教授とまたまたお話しさせていただくチャンスがあったのですが、その際、「レイノルズ・ナンバー」という話題が出て、それがすごく面白かったので、ここで少々紹介させていただきましょう。 この「レイノルズ・ナンバー」というのは、ま、簡単に言えば「空気抵抗」の値を計る計算式のようなものらしいのですが、空気抵抗がどの位の大きさか、というのは、空気の中を通過するモノの大きさや質量に非常に左右される、ということなんですね。 例えば我々人間が普通に街を歩いている時、空気抵抗のことなんてあまり意識しませんよね。で、これが象のようにもっとでかくて、もっと重い動物にとっては、空気抵抗はさらに軽くなるわけ。 ところが逆に、もっと小さくて軽い生物、例えば蚊とか蝶々とか、そういうものにとって空気というのは、非常に重く、粘性の強いものに感じられているはずなんですって。 すると、ですね、例えば「虫」というものの驚異の世界が見えてくるわけですよ。 例えば、ノミ。ノミのように小さな生物にとって空気というのは、人間にとっての水に近いほどの抵抗と粘性を持ったものに感じられているはずなんですって。 仮に人間が完全に水中に没している状態でジャンプしたとしましょう。果たしてどの位ジャンプできるか。水の中から空中に飛び出すのではなく、完全に水の中だけでジャンプした場合ですよ。そうなると、おそらくオリンピック選手でも数十センチ位しか飛び上がれないのではないでしょうか。つまり、自分の身長の3分の1位の高さまで飛ぶのが精一杯ということになる。 ところがノミとなると、(彼らにとっては重く、粘っこいはずの空気中で)自分の身長の60倍くらいの高さまで平気で飛び上がる。これは実はすごいことなわけですよ。 面白いでしょ? 人間にとっての空気と、ノミにとっての空気はまるで違うものなんですね。そういや、ちょっと前に『ゾウの時間 ネズミの時間』(中公新書)という本が話題になったことがありますが、あれもひょっとしてこの種の相対性の話なのでしょうか。今更ながら読んで見ましょうかね。いや~、それにしても、理系の人と話をしていると勉強になりますなあ。 というわけで、F教授と「レイノルズ・ナンバー」のおかげで、今日はまた一つ賢くなった(ような気がしている)ワタクシなのでした、とさ。
September 24, 2008
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幼い子供が犠牲になる事件が相次いでおりますなあ・・・。 そのことにも若干関連するのですが、昨日、教育実習関連の用事があり、豊橋市内の小学校2校にお邪魔して、そこの校長先生とお話しをしてきました。 ま、それはいいのですが、問題は小学校の構内に入る時のこと。 もちろん、私は事前に何時に伺うということを校長先生とお約束し、承認を得ているのですから、堂々と構内に入ればいいわけですが、それにしても正門を通って校長室なり職員室なり行くまで、格好としては「部外者が学校の構内に侵入する」形になりますので、不審人物と誤解されて咎められたらどうしよう、という不安はあります。 が、実際には、これまで色々な小学校を訪問している中で、一度も咎められたり、誰何されたりしたことがありません。小学校だけではなく、中学校も、高校も同じことですが、誰にも止められずに、容易に構内に、それどころか校舎内まで入って行けます。 つまりね、日本の公立学校って、部外者の侵入に対し、まったく無防備だということですね。誰でも勝手に正門の門扉をガラガラ開けて、ずんずん校舎の中まで入って行くことが出来るんですから。 で、こういう無防備な状態を見ると、逆に不安になってくるわけ。これじゃ、大阪教育大附属小学校の時のように、危険人物が構内に入ってくるのを止められないじゃないですか。 あの事件以来、部外者の侵入を防ぐべく、学校職員に身分証明書を首からぶら下げさせるようになったところがほとんどですし、学校によっては先生方に警笛を常に所持させたりするところもあるようですが、先程述べた私の経験からすると、実際問題として不審人物の侵入をまるで防げてません。これはやっぱり、問題あり、というべきではないですかねえ。アメリカなんかでは、公立学校に一人、銃を持った警官(→アメリカの警察組織はやたらに複雑なので、どのレベルの警官が分かりませんが・・・)が常に構内を巡回して、不審者の発見と生徒間トラブルの防止をしているところもあるようですが、その位の備えは必要なのではないかしら。 ま、学校に警官を入れるなんて!と思われる方もいると思いますが、例えば停年を迎えた警察官を丸腰で各校に「守衛さん」として配備する、というようなことをすれば、そういう人たちの第二の人生の生き甲斐にもなるだろうし、一石二鳥と思うのですが、読者諸賢のご意見や如何に。 とにかく、日本の学校はまったく無防備だ、ということは確かですね。こういうことは、一件でも事件が起こってから後悔しても仕方がないのですから、事件が起こらないうちに備えなければ意味がありません。私が校長先生に会うために小学校の構内に入ろうとする度、守衛さんがすっ飛んで来るような状況こそ、本来、望ましいわけですよ。 こら、文科省! その位の予算は付けなさい!
September 23, 2008
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先日テレビを見ていたら、新作『アキレスと亀』がらみで北野武監督が何事かをしゃべっていました。途中から見たので前後の脈絡が分からないのですが、その時彼は次のような趣旨のことを言っていたんです。曰く、「最近の若い奴らは、人生で宝くじを2度も3度も当てようとする。だけど、もし絵描きになりたくて絵描きになれたのならそれで十分だし、漫才師になりたくて漫才師になれたのならそれで十分なので、その上さらに成功しよう、有名になろうなどと考えるのはおかしい。その道で食えれば、それで満足すりゃいいのに・・・」。言葉通りではないけれど、こういうような内容のことを言っていた。 うーん、さすが北野監督。良いこと言うねえ・・・。 私は北野さんの書くエッセイが好きで、その大半は読んでいるつもりですが、すごく上品で知的な文章を書く人ですね。発想も面白いし、説得力がある。そしてまた世間のことをよく知っているし、普通の人のしないような経験も沢山している。おまけに勉強もするし、監督業を含め、色々なものにトライしているので、そういう蓄積もある。そして常に本音で勝負している。 で、今回の発言も、説得力がありますなあ。ほんと、自分自身を顧みてもそう思いますけど、「足るを知る」ということに思い致さないですもん。常に何か不満を抱えている。ああいうことをしたいけど、お金がない。こういうことをしたいけど、時間がない。そんなことばっかり。 だけど、自分のことをよく考えれば、一応は健康で、差し当たり食うに困っているわけでもないのだから、これで十分なんですよね。現状で満足すべき理由はいくらでもある。 そう、そうなんだよな~。 現状に満足しないから、進歩発展がある、という考え方もあるけれど、本当に進歩発展に貢献した人って、決して不満居士ではなかったのではないかと思います。研究者になれてよかった~、好きなことやって給料までもらえて最高だ~って思いながら無欲に研究してる人こそが、いい研究をしているんじゃないかしら。根拠はないけど、そんな気がします。 というわけで、北野さんがテレビのインタビューで語ったほんの一言が、ここ数日、私の性根に据えられたお灸のように、えらく効いているのでありました、とさ。もっとも、自分の性格がそう簡単には変えられないことは、自分でもよーく知っているんですけどね!
September 22, 2008
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夏の終わりに、家内を連れてちょいと小旅行をしてきました。行き先って、そりゃあワタクシの未来の故郷、八ヶ岳南麓でございます。今回は小淵沢にある「中村キース・ヘリング美術館」などにも立ち寄って、キースの生誕50年を祝って来たりしましたが、それにしても才能のある人というのは若死にしますなあ・・・。 ま、それはともかく、今回は長野県側にある富士見ペンション・ヴィレッジの一角にあるとあるペンションにお世話になったのですが、台風が本州を通過しようかというような時に泊まりに来る酔狂な奴なんて私達くらいなものですから、ペンションまるごと貸し切り状態。で、ペンションのご主人も気さくで話し好きの方だったので、夕食後はついつい話し込んでしまいました。 で、将来、この地への移住計画を心に秘めているワタクシとしては、富士見高原の住み心地などを色々尋ねたのですが、そこでびっくりするような話を伺いまして・・・。 ちなみにそこのご主人は、42歳の時に外資系企業を脱サラしてペンションを始められたというのですが、何せ今から25~6年前といえばバブルの真っ最中。銀行はガンガンお金を貸してくれるは、お客さんはじゃんじゃん来るはで、案外スムーズに転身できたのだとか。看護の必要なお年寄り3人と、息子さん、娘さん合わせて都合7人家族が不足なく暮らせたわけですから、大したものです。夏の繁忙期には、それこそ寝る間もないほど忙しかったのだとか。 が、その後、バブルがはじけて、ペンションの同業者の中には廃業に追い込まれるところも多いのだそうです。 で、そういうところは差し押さえで競売に付されたりするわけですが、さて、ペンション一棟分の敷地と建物合わせてどの位で売られると思います? 1200万円だそうです。1200万円で数百坪という土地と、明日からでも開業できる設備の整った建物が買えると。 で、今、銀行からそれだけ借りても、利子なんてせいぜい2.5%くらいでしょう? だから返済も簡単だ、というわけ。その一方、ペンションを引き継いで客が入りさえすれば、ご主人の言葉を借りれば、その都度「日銭が入る」というわけ。しかも、ペンションで食事を出す分が余るので、家族が食べるものには事欠かない。 となると、簡単にペイしちゃうんですって。しかも、ペンションが忙しいのはせいぜい年に4カ月か5カ月。後の7カ月は、言ってみれば長い休日ですよ。 で、ご家族のことも色々尋ねたのですが、このあたりで子供を育てるのって、結構、楽しいらしいんです。たとえばこの辺の小学校では、秋になると全校挙げてキノコ狩りやるんですって。生徒たちが横一列に並んで山頂に向かって歩きながら、目についたキノコを全部採っていくわけ。で、山頂にキノコのプロがいて、子供たちが採ってきたキノコを判別し、食べられるキノコと毒キノコを分けてくれる。そうやって、子供は楽しみながらキノコのことを学んでいくわけですよ。もちろん、採ったキノコはみんなで食べると。 ひゃー、楽しそうな子供時代が過ごせそうじゃありませんか。つまり、別荘地に永住しても、何ら問題がないというわけです。この他、山栗採りなんてのも、相当楽しいらしい。 決めた。ワタクシやる。ペンションやる。夏休みとスキー・シーズンだけオープンするペンション開業する。後の時間は研究する。 というわけで、今回の小旅行はワタクシの将来計画に大きな意味を持つ(本当かよ?)旅行となったのでした。ちなみに、台風の影響か、この日の夜は1時間ほど停電があり、何年かぶりにロウソクを灯して過ごすという得難い経験も持てたのでした。旅先でのこういうハプニングって、かなり面白いですよ。 さて、翌日。宿を後にした我ら夫婦は小淵沢にある「月の手工房」さんにお邪魔して、すっかり仲良くなった有吉亙さん(陶芸)とあいざわゆみさん(ガラス工芸)に久し振りにお目に掛かりました。このブログでも何度も紹介していますが、私とほぼ同年代の有吉さんの作る陶器のセンスのいいこと。どれもこれも欲しくなる器ばかり。奇をてらうことなく、オーソドックスですっきりした造形であるところもいいですが、彩色や絵・紋様の入れ方のセンスが抜群。そして奥様のあいざわゆみさんのガラス工芸。これがまた、まさに「掌におさまる宇宙」という感じの、一人でに不思議な物語が紡ぎ出されていくような幻想的な絵が素晴らしい。今回は、有吉さんの作られた飯茶碗を二つ買いましたが、本当はそこにあるもの全部欲しいという感じです。 そして、ご主人の有吉さんもまたジャズを聴かれるということで、今回はジャズ談義にも花が咲き、短い時間でしたが、非常に愉快なひと時を過ごすことが出来ました。小淵沢に行ったら、「月の手工房」に行かない手はありません。教授の熱烈おすすめ!です。 さて、その後、蕎麦の名店「いち」でおいしいお蕎麦を食べ、ジャムの店「とりはた」で「いちじく」「もも」「ラムイチゴ」などのジャムを買うという、恒例となったイベントを済ませた後、何だか今日は大きな自然の景色が見たくなったので、予定外のことではありましたが、小淵沢を出て霧ヶ峰を目指してドライブすることに。 で、最初は中央道で諏訪まで出ようかとも思ったのですが、ガソリンスタンドのおばちゃんに聞いて、最近完成したという「蓼科エコーライン」という一般道を使うことに。すると、これがまたとても快適な道路で、信号はないし、クルマ通りは少ないし、しかも適度なワインディングもあったりして、ドライブにはうってつけ。蓼科まで40分くらいで到着した後、大門街道を通って白樺湖まで、そこからさらに霧ヶ峰に向かいます。結局、1時間ちょいくらいで霧ヶ峰に着いちゃった。 で、霧ヶ峰に着いた途端、我々を迎えてくれたのは、ものすごくはっきりと弧を描いた虹でした。谷の底まで虹の足元が見えるのですから、半円・180度どころか、270度くらい見える。いや~、この虹を見ただけでも、思い切って足を延ばした甲斐があったというもの。 これこれ! ↓ そしてこの虹にひとしきり感動した後、霧ヶ峰のまっただ中にある「ころぼっくるヒュッテ」でコーヒーを飲むことに。 ちなみにこの「ころぼっくるヒュッテ」、たとえば皇太子ご夫妻なんかも登山の途中に立ち寄るような有名な山小屋ですが、道路からちょっとだけ引っ込んだところにあるので、知らなければたどり着けないかも知れません。しかし、いかにも山小屋という趣のそこで飲む「ミルクコーヒー」のうまさたるや! 高原牛乳を使って作るそれは、上にクリームが乗っていて、さらにシナモンパウダーがかかっているのですけど、山頂のひんやりとした空気の中でこいつを飲むと身体がポカポカ温まって来る。で、さらにおすすめはチーズケーキで、こんな山小屋でこんなに洗練されたチーズケーキが食べられるのか?! と驚くようなシロモノですから、一度お試しあれ。 というわけで、今回の小旅行、夏の終わりのイベントとしてなかなか収穫の多いものとなりました。これで大いに英気を養いましたので、今日あたりから後期の準備、頑張りまーす。
September 21, 2008
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深夜番組として割と好きな『アメトーーク』、今日はそのスペシャル番組をやっていたので、ついつい見てしまいました。もっとも、深夜番組をゴールデンに持って来ることについては、ワタクシは大反対なんですけどね。深夜番組は深夜番組の良さがあって、それはゴールデンには合わないことがよくありますから。 ま、それはともかく、雨上がり決死隊の司会の下、様々な芸人さんたちが入れ代わり立ち代わりしゃべっていったのですが、見ているとお笑い芸人の間の実力差が目に見えて分かりますなあ。面白いことが言えるお笑い芸人と、面白いことが言えないお笑い芸人(矛盾?)の差の大きさたるや・・・。 たとえば、今日番組に登場した中では、劇団一人さんとか、ケンコバさんとか、土田さんとか、品川さんとか、そのあたりはどうころんでも大丈夫だろうなと思いますが、それ以外となると、なかなか厳しいんじゃないかしら。 しかし、たとえそれほど面白いことが言えない芸人さんであっても、ちゃんと自分なりの勉強している人は強いね。 たとえば漫画にものすごく詳しく、そのジャンルのスペシャリストであったりすると、ちゃんと他の面白い人たちと渡り合えますからね。また、この番組の名物でもある「家電芸人」と呼ばれる人たちの家電製品に対する蘊蓄とか、そういう強みがあれば、競争の激しい(であろう)この業界でも残っていけそうな気がします。 お笑いコンビのペナルティーにしても、ヒデさんの方は漫画芸人でも行ける、家電芸人としても行ける。それにあの人は「バーベキュー芸人」でもあるので、それはそれで行けるのに対し、ワッキーさんの方は芸がなさ過ぎて、ちょっと頼りないですなあ。今どき、変な顔をして見せる「顔芸」だけしか笑いがとれないようじゃ、この先、続かないでしょう。 やっぱり、自分の才能を見切って、自分には面白いことや気の利いたことは言えないなと思ったら、別な方向に自分なりの得意分野を作って、そちらの勉強を一生懸命する、ということをやらないといかんですね。 いやー。人の振り見て何とやら。ワタクシも学者さんとしてはダメダメなので、せめて得意分野でも作って勉強しようっと! ま、『アメトーーク』見て発奮しているようじゃ、その段階で「ダメじゃ、こりゃ!」なんですけどね~!
September 18, 2008
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前にもチラっと書きましたが、訳あって現在、「論文の書き方」的な本を執筆中でございます。既に類書は沢山ありますし、何も私が屋上屋を架すようなことをしなくてもいいかとも思うのですが、ま、そこは色々とありまして。 でも、書くとなったら、面白いものを書く。それが私の生きる道。 ということで、ちゃかちゃかっと書き進めたところ、そこそこ順調に進展中。あまり部厚い本にするつもりはなく、100頁くらいのものになればいいと思っているのですが、そうすると、もう半分くらいは書いたことになるかしら。 で、ペースが掴めたところで、市場調査をしてみた、と。類書はどんなことを書いているのかしら? で、書店でライバルの動向を見ていたんですけど、私の見るところ、類書で一番優れているのは『論文の教室 レポートから卒論まで』(NHKブックス)かなあ・・・。これを書いている方は戸田山和久さんとおっしゃる名古屋大学の先生で、私は直接存じあげないのですが、この方の奥様は私と同業(アメリカ文学の研究者)で、よく存じあげています。夫婦で研究者なんて、カッコいいですよね。 で、この他にも色々ありましたけど、イマイチ、ピンと来ませんでした。 結局、戸田山さんの本以外の「論文の書き方」本って、指導が細か過ぎるような気がするんですよね~。例えば、一つの悪文を示して、「こういう曖昧な文章は論文には適さない」的な指導までしてあったりする。ま、戸田山さんの本にもそういう部分がありますが。 でも、ワタクシの本ではそこまでやる気はないなあ・・・。だって、文章のうまい下手は、絵のうまい下手と同じで、先天的な部分が多いですからね。ちょこっと指導したくらいでいい文章が書けるようになるとも思えませんし。谷崎の『文章読本』読んで、谷崎のように書けるようになった、という人はいないわけで。 むしろ、面白い論文を沢山紹介して、「論文を書くってのは、案外面白そうだなぁ・・・」と思うように仕向けた方が、いい「論文の書き方」本になるような気がするのですが、いかがでしょうか。それに、アメリカ文化に関する面白い論文を紹介すれば、それはハウツー本であるだけでなく、それ自体が一つのアメリカ文化論になりますからね。その方が書いている方としても面白くなりそうです。 ふーむ。敵情視察しているうちに、何となく方向性が見えてきたぞ! ま、所詮、この本にそんなに時間を掛けるつもりはないので、短期決戦で行くつもりですけど、それにしても釈迦楽流のハウツー本ってものを、見せてやろうじゃあーりませんか。 ということで、もう一頑張り、楽しみながら書き進めるとしましょうか。
September 17, 2008
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今日は野暮用があって町中に出たので、ついでに靴の修理をしてきました。 この靴、数年前のクリスマスに家内からプレゼントしてもらったものなのですが、気に入ってよく履いたので、踵のところが大分減ってしまったんです。私の歩き方の癖なのか、特に外側がよく減るんですよね・・・。 ということは・・・、がに股ってこと? ま、それはさておき、踵以外の部分はどこも何ともないですし、プレゼントとしてもらったものなので、安易に捨てたくもない。ということで、修理に出してみることにしたんです。 で、靴の修理や合鍵作りなどで有名な「ミスター・ミニット」に持っていったのですけど、踵と靴底全面の張り替えで、4200円なり。これでうまいこと修理が出来れば安いもの。 で、1時間ほどして受け取りに行ったのですが・・・ あら~、見事に修理完了! はあ~、それにしても、うまいこと修理するもんですなあ。パッと見、新品ですよ。踵のどこを直したのかなんて、わかりゃーしない。やっぱり、専門家ってのは素晴らしいね。 ということで、お気に入りの靴をまた新品のように履けるようになって、なんだかすっかり得をしたような気になっているワタクシなのでした。
September 16, 2008
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レース用自動車部品の開発などで知られる伊藤レーシングが発表したところによると、ガソリンに水を混ぜた燃料を使うと、自動車用エンジンの性能が劇的にアップするということが、同社によって偶然発見されたのだとか。 それによると、ガソリンに水を10%ほど混ぜて使うと、パワーが15%位アップし、かつ燃費も10%位アップするのだそうです。ただ、水をそのままガソリンタンクに入れると、比重が重いため、タンクの下に沈んでしまうので、ガソリンと水を攪拌するミキサーが必要なのだとか。でも、この装置もさほど高いものではないので、実用化に向けて大きな障害にはならないとのこと。ちなみに、ディーゼル・エンジンでも同じように軽油に水を混ぜることで性能アップが可能で、この場合はさらに黒煙の減少・無臭化も可能だそうです。また水を混ぜる量も、10%どころではなく、どうも50%位まで行けそうだそうです。 そうか・・・、自動車用燃料ってのは、半分水でよかったのか! しかし、普通に考えると、化石燃料に水を混ぜたら、まずいことになるだろうと思いますよね・・・。ところが、実際にはそうではなかった、と。それどころか、逆に性能がアップするってんですから、大したものです。 もっとも水というのは、H2O、すなわち「水素」と「酸素」の化合物ですから、燃えるっちゃ、燃えるわけだ・・・。そのせいなのかしら。 それにしても、自動車百年の歴史の中で、燃料に水を混ぜてみようかな~っという発想を持った人が今まで一人もいなかったのですから、これは世紀の大発見と言っていいかも知れません。 そういえばO・ヘンリーの短編にそんなのがありましたね。あるバーテンがものすごくおいしいカクテルの作り方を研究して幾星霜、あらゆる酒の組み合わせをトライしたけど、どうしても思うようにいかない。で、色々あった挙げ句、彼はついにその理想のカクテルの作り方を見つけるのですが、その決め手は、水を少々加えることだった、というユーモラスな話。 今回のガソリンに水を加えるという話も、どこかこれに似ていますね。 それにしても、もし仮にこの発見が実用化されたら、自動車用化石燃料の寿命は倍に伸びますぞ。ある意味、大トヨタのハイブリッド技術よりすごいじゃん。そんなオドロキの事実を、愛知県の小さな自動車部品会社が発見した、ということが愉快、愉快。 ということで、頑張れ伊藤レーシング! 水で自動車の未来に光を!
September 15, 2008
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今日は久々にマイルス・デイヴィスのアルバム『クールの誕生』(Birth of the Cool)を聴いていたのですが、やっぱりいんだな、これが。 とにかく一曲目の「Move」という曲がいい。ま、マイルスのアルバムは、どれも最初の曲で聴き手を参らせちゃうんですけどね。 で、この曲の出だしで、多分バリトン・サックスのジェリー・マリガンとアルト・サックスのリー・コニッツが吹いているのだと思いますが、めちゃくちゃカッコいいホーンの前奏がある。前奏といってもかなり長いのですが。 で、これがひとしきり終わった後で、おもむろにマイルスがトランペットを吹き出す。この入り方がいいんだな~。 つまりね、才能ある若手を前座に使っていい加減遊ばせた後、真打ち登場といわんばかりにマイルスが出ていくという形なわけ。マイルスのアルバムは、大抵そうなっています。 で、この入り方一つで、マイルスはどんなバンドであれ、その上に君臨しちゃうわけよ。まさに「王様ってのは、こうやって登場するんだ」ということを示すわけですな。だから、マイルスより上手なトランペッターはいくらでもいるけど、やっぱり王様はマイルスということになってしまう。 しかし、これは、どんなジャンルにも当てはまるような気がしますね。帝王学を学んだものが帝王になる、ということは。 ジャズってのは、勉強になります。色々な面で、ね。
September 14, 2008
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大相撲を巡る良からぬ話題の多い昨今、大関・琴三喜関ご結婚の報が届きました。おめでとうございます! これを祝しまして、彼がまだ大銀杏を結えなかった頃に描いた似顔絵をご披露いたしまーす。おめでとう、琴三喜関!
September 13, 2008
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このところすっかりジェフリー・ディーヴァーのサスペンスの虜となっているワタクシ。ということで、前に録画したまま放っておいた映画『ボーン・コレクター』を見てしまいました。これ、原作がディーヴァーなもので。 この映画、実は前に一度見ているのですが、その時はそれがディーヴァーの作品の映画化とは知らず、それゆえ主人公のリンカーン・ライムのこともよく知らなかったんです。だから今回はライムの性格も立場もよく飲み込んだ上で、改めて見直そうと思ったわけ。ですが・・・ ・・・やっぱりイカンですな。ま、映画は映画としてそれなりに楽しみましたが、やはり限られた時間でストーリーを展開しなければならない映画というメディアで、ディーヴァー作品の複雑な筋を完全に表現するのは難しいですね。やはり、ディーヴァーの作品は小説で読まないと。ま、小説があまりにも面白いので、プロデューサーとしてはつい映画化したくなるんでしょうけどね。その気持ちは十分、分かりますが。 ところで、この小説の主人公である肢体不自由の探偵リンカーン・ライムは、原作では白人という設定なんですけど、映画版では黒人俳優のデンゼル・ワシントンが演じるんですよね。一方、ライムの手足となって動く赤毛の美人女刑事アメリア・サックス役はアンジェリーナ・ジョリーが演じています。何故か映画版では名前が「アメリア・ドナヒー」に変わっていましたが・・・。 それにしても、白人であるはずの主人公リンカーン・ライム役を敢えて黒人俳優にやらせるという、このキャスティング上の変化は、一体どうして生じたのか・・・。 ま、これは私のいい加減な推測ですが、ディーヴァーの小説には、(『The Twelfth Card』を除いて・・・)全般に黒人の登場人物が少ないので、それをそのままキャスティングしてしまうと、人種的ミックスを常に考慮するハリウッド的にはまずい、ということになったのかも知れませんね。で、どうせどこかで黒人俳優を(いい役で)使わないとまずいのなら、いっそ主役にしてしまおうということになった、とか・・・。推測ですよ、推測・・・。 で、アメリア役はそのまま白人女優を使ったわけですけど、これは仕方がないでしょう。こちらまで黒人女優を使ったら、完全に黒人映画になってしまいますし。デンゼル・ワシントンとアンジェリーナ・ジョリーなら、人気俳優同士で、これだけでもお客が呼べそうです。 ただ、これだとヒーローが黒人、ヒロインが白人になってしまって、普通ならあまりない組み合わせなんですけど、ヒーローの側が肢体不自由という設定だから、ま、いいか、ということになったのではないかしら。 ハリウッド映画では一般に、ヒーローが白人でヒロインが黒人というケースはそれなりにあります(例えば『ボディーガード』におけるケビン・コスナーとホイットニー・ヒューストンとか・・・)が、黒人ヒーローに白人ヒロインの組み合わせは、あまりないです。多分、アメリカには黒人男性と白人女性の間の愛の行為を容認しない風潮があるからでしょう。例えば最近見た『ハンコック』は、ウィル・スミスとシャーリーズ・セロンの組み合わせですが、劇中ではこの二人は一緒にいると超能力が失われて死んでしまうという設定になっています。黒人ヒーローと白人ヒロインは、プラトニックな関係でないと、ハリウッド的にはまずいんでしょうな・・・。 ま、それはとにかく、もし仮にリンカーン・ライム役を原作通り、白人俳優にやらせるとしたら誰がいいか。 そんなことを頼まれもしないのに考えてみたんですが、とにかくライムは頭脳だけで犯人を特定してしまう人ですから、パッと見、頭が良さそうでなくてはならない。しかも押しが強く、口が悪く、時に自暴自棄になったりする一方、最終的には憎めないキャラなので、これらの側面をすべて備えた俳優となると、大分限られてきます。 最初に私の頭に浮かんだのはケビン・スペイシーですが、家内曰く、少し粘液質過ぎるだろうと。なるほど・・・。 じゃ、若い時のハリソン・フォードは? いやいや、ライムはもう少しスッキリ系の顔をしてそうだしなあ。じゃ、『バットマン』のマイケル・キートンとか、『24』のキーファー・サザーランドは? うーん、二人ともあんまり寝たきりっぽくないか・・・。あるいはサム・シェパードとか? いや、ちょっと生活荒み過ぎ・・・。リンカーン・ライムはもう少しきちんとした生活をしてそうです。 うーん、結構難しいですな。そう考えると、デンゼル・ワシントンというのは、案外、いい選択だったのかもね。 じゃ、アンジェリーナ・ジョリーよりもっとアメリアっぽい女優は? これは私も家内も一致してジュリアン・ムーアで決まり。アメリアは赤毛の設定ですが、ジュリアン・ムーアの方がアンジェリーナ・ジョリーより赤毛が似合いそうです。 ということで、映画版『ボーン・コレクター』を見つつ、つまらないことをあれこれと考えてしまった私(と家内)だったのでした、とさ。
September 13, 2008
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いつも言うことですが、文部科学省というのはどうしてこう馬鹿なんでしょうか。ご覧になりました? 司法試験の合格率のニュース? 司法試験合格者3000人を目指すとか言って、法科大学院なんてジャンジャン作らせちゃって・・・。ところが出口のところにある司法試験は相変わらずの難関のままなので、合格率は33%というレベル。合格者ゼロという法科大学院が3校もあるという・・・。 馬鹿だね・・・。馬鹿な上に無責任だよね。新司法試験システムになって合格率が上るのかと勘違いし、新たな意気込みで法科大学院に進学した多くの受験生たち。彼らのことを文科省は完全に見殺しですよ。いたずらに浪人を増やしただけ。その人たちの狂った人生設計、どうするんですか。 「司法関連の勉強だけをしてきた人ではなく、もっと幅広く色々な経験・知識のある人を法曹界に引き入れる」という方針を立てたのであれば、法科大学院を設置して間口を広げるだけではなくて、出口に当たる司法試験の方ももう少し易しくさせるなどして、最後までケアしなくちゃダメじゃん。 その辺のコンセンサスを、あらかじめ法曹界とすり合わせしてしっかり作っておかないから、法曹界としては「司法試験のハードルを下げるわけにはいかん」というわけで、相変わらず難しい出題をする。大量の不合格者が出るのも当たり前です。でも、そんなのちょっと考えれば最初から分かることだろうと思うけどなあ・・・。 で、こういう状況を作っておきながら、文科省は知らん顔だからね。 いやいや、知らん顔どころじゃなくて、あいつら責任転嫁するよ。今度は合格率の低い法科大学院のお取り潰しにかかるはず。もう、そういう話も出ているらしいじゃないですか。 今は総裁選がらみで政治のことばかり話題になりますが、各省庁と官僚システムの機能不全であちこち不都合が起きていることの方が多いような気がしますね。こちらは政治と違って、そうそう首をすげ替えることができないから、もっと始末が悪いわけですが。 とにかく法科大学院の件は氷山の一角。先日このブログにも書いたドイツ・フライブルクの合理的な改革とは逆に、我が国は合理的な方向性も打ち出せず、それどころかいい加減に決めた方向性すらまともにトレースできないまま、迷走を続けていくしかないのでしょうか。 こういうニュースを見る度に、自分の国のことが情けなくなりますなあ・・・。
September 12, 2008
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今日、家内は友人とおしゃべりを楽しんできたのですが、よほど楽しかったとみえ、その場で話題に出たことをあれこれ聞かせてくれました。 で、その中で一つワタクシのハートを掴んだことはと言いますと・・・ 「縁結び」の話でーす。ガーン! 話によると、家内の友人の、そのまた友人の方(会社員)が、あまり何度も周囲の知人・友人から「いい人、いない?」という結婚関連の相談を受けるので、多くの人がこれほど出会いに飢えているのであれば、これはビジネスになるのではないか、と考えた、というのですな。で、結婚相談所的な仕事を始めたらどうかと、画策中なのだとか。 なるほどねえ~・・・。確かにその方の言う通り、結婚相談所というのは、質の高い結婚希望男女のリストさえあれば、後はさしたる設備投資が要りませんからね。 いや、実は我が家の近くにも、ごく普通の住宅街の中のごく普通の住宅なのに、「ウェディング相談所」的な小さな看板を掲げている家があって、前から気になっていたんですよね。あれは自宅の一室か何かを事務所にして、結婚相談的なビジネスをしているのではないかと。 いや~。うちもやるかな。結婚ビジネス。とりあえず家内に始めてもらって、もしうまく軌道に乗ったら、ワタクシも大学辞めて食わせてもらう。「髪結いの亭主」ならぬ、「縁結いの亭主」ですな。それに、縁結びなんて人の役に立つし、そもそも喜ばしいことのお手伝いですから、やりがいもあるでしょう。 で、とりあえず情報集めだと思って手近にあったタウン情報誌の結婚相談所のコーナーを見たら、「最低年収700万円の男性が揃ってます」的な広告が踊っている。 だったら、釈迦楽ウェディング(有限)としては、「年収700万円以下の男性、揃ってます」と広告を打って余所との違いを出しますか。「金は無くとも、人柄で勝負!」とか「この人と、苦労を共にしてみませんか?」とか。あるいは「この人の取り柄を見いだせるのは、あなただけです!!」とかね。 あるいは、「おデ○専」で行くとか。「あなたの手料理、ニッコリ食べきる人、います!」みたいな。おお! アイディアが次々出る~! あるいは、単なる「出会いのきっかけ作り」だけでなく、なんで今まで結婚できなかったのか、その辺りのカウンセリングなんかもやってみたりして。いわばアメリカ映画『ヒッチ』の日本版ですな。 ちなみに、私の周辺を見渡して、手持ちの潜在的男性会員約4名、女性会員約3名。まずはこいつらから片づけるか。 ということで、結婚ビジネスに決して興味がなくはないワタクシなのでありました、とさ!
September 11, 2008
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近頃巷で噂の「マルタイ 棒ラーメン」、食べてしまいましたよ。これこれ! ↓マルタイ 屋台九州味棒ラーメン 濃厚とんこつ味 2食分 九州方面では元祖インスタント・ラーメンとして有名らしく、かのタモリ氏もご推奨とのことですが、鍋一つで簡単に作れるし、昼を簡単に済ませようというような時にうってつけ。スリムなパッケージに2食分というところもいいですしね。我が家では「九州味(とんこつ味?)」をベースにして、これにキャベツとシメジを炒めたものを乗っけ、さらにそこへハムを一枚乗せましたけど、なんだか立派なタンメン風になりました。ワタクシ好みの細麺で、結構おいしかったです。ということで、「マルタイ 棒ラーメン」、教授のおすすめ!です。 さて、自民党の総裁選挙も候補者5人が揃い踏みで、なかなか面白くなってきました。候補者乱立の結果、一度の投票でケリがつかず、上位2名による決選投票になる可能性があり、そうなったら、派閥の力の弱い麻生氏は危ないのではないか、などという読みも当初はあったようですが、ここ数日の趨勢を見ていると、各派閥とも所属議員には自由意志による投票をさせざるを得ない状況のようですね。そうなると結局、麻生氏圧倒的優勢のまま最後まで行ってしまいそうな感じですなあ。 ま、5人の中では麻生氏が一番いいかなあ。石破さんはすごい論客だと思いますが、まだもう少し先でしょう。 とはいえ、政治の世界のことですから、一寸先は闇。麻生氏が最後まで逃げきれるかどうか、興味津々です。 ところで、この一連の総裁選騒ぎに対し、他の政党がコメントを出すのを聞いていると、相変わらずだなあ・・・という感じがします。 ま、共産党とか社民党のコメントはいいんです。あそこはそういうところなんですから。しかし、問題は民主党です。 「候補者乱立で、いよいよ自民党も分裂状態、終わりの始まりだ」とか、「総裁選で騒いでいるが、小泉劇場政治で一度懲りているので、ああいうお祭騒ぎでは国民は騙せない」などというコメントに終始しているわけですけど、仮にも次期総選挙に勝って政権奪取を狙おうというような政党として、こういうレベルの低いコメント出してどうするつもりなんでしょうか。これじゃ、共産党・社民党など、永遠の野党のコメントと同じじゃないですか。 あと、小沢代表がふた言目には口にする「国民の皆さん」という言い方も気になるんだよな~。政治家が「国民の皆さん」と言う時ほど、胡散臭い時はありません。「国民の皆さん」をダシに使って選挙に勝とうとするなって。旧社会党の「おたかさん」じゃあるまいし。 大体、民主党に福田首相の突然辞任を批判できるのでしょうか? 小沢さんだってついこの間、突然辞意表明する、というようなことをやったじゃないですか。しかも、小沢さんの場合、翌日あたりに翻意して続投したのだから、ある意味、もっとカッコ悪かったと記憶しておりますが? ま、過去の揚げ足取りはしないとして、現在、新聞・テレビなどマスコミの報道を見ても、善かれ悪しかれ、自民党総裁選に国民が興味津々なのは明白でしょ。とりあえず民主党への関心が薄れているのは、各種アンケート調査の結果からも明らか。 そこへ持ってきて、「あんなことやってたって、もう国民は騙されない」というコメントを出す。これはもう小学生レベルのコメントと言っても過言ではありますまい。 私が小学生の頃、クラス対抗の球技大会などでライバル・クラスに負けた時、よく負け惜しみに「わざと負けたんだよ! 作戦、作戦!」などと言ったものですが、実際の危機的状況を、言葉の力で何となくごまかそうとするという意味で、民主党のコメントはこれに近いですよ。 いっそ、「非常に危機感がある。このままでは総選挙で負ける」とでもコメントした方が、「ああ、ちゃんと現実認識をしていて、それを正直に言う政党だな」という意味で、好感度が上ると思うのですが、読者諸賢のご意見や如何に。 というわけで、自民党も「いまいち」だけど、民主党は「いまいち」を通り越して「いまに」だなと思っているワタクシなのでありました、とさ。もう、わけ分からん!追伸: 先程、自民党総裁候補5人による公開討論の様子を見ていたのですが、その中で与謝野氏が「民主党も前原・岡田代表の時代は政策にも聞くべきものがあった。しかし、今は根拠のない予算ばらまきを吹聴するばかりでどうしようもない」といった趣旨の発言をしていましたねえ。 政策通と言われる与謝野氏にして、前原・岡田時代の民主党は評価するんですな。ほ、ほう・・・。 前原さん、岡田さんなど、民主党の若く理性的な(?)リーダーたちも、小沢・鳩山・管の三○○トリオの下では芽が出ないことははっきりしたのですから、そろそろ自民党入りしてはいかが?
September 10, 2008
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ひと月程前、名古屋ミッドランドスクエアのヴァルカナイズというお店で見て気に入ったグローブトロッターの鞄、結局、今日買ってしまいました~。これこれ! ↓ショップ・オブ・ザ・イヤー受賞記念SALE!送料無料!グローブトロッター 16インチ スリムアタ... なにせ鞄本体はヴァルカン・ペーパーという特殊な紙で出来ていますから、がっしりした鞄の割に軽い、軽い。しかも、「グローブトロッター(=世界旅行者)」の名に相応しく、紙で出来ているとは信じられないほど頑丈。英国王室御用達、かのダイアナ妃も愛用したという鞄ですが、これからしばらくの間、コイツがワタクシの通勤のお供になるのでありまーす。わーい、嬉しいなあ! とまあ、ちょっとおハイソな店でおハイソなものを買ってしまったその興奮からか、つい財布の紐も緩みまして、帰りがけに同じミッドランドスクエア内にあるチョコラティエ、「ピエール・マルコリーニ」でお茶までしちまったという・・・。 さて、このチョコレートの名店の喫茶部におきまして、家内は季節限定のマロンパフェを、私はここの売り物の一つであるらしいエクレアを注文しました。で、メインに関して言えばどちらもとてもおいしかったです。さすがピエマル。が・・・、 その一方、私が飲んだコーヒーはと言いますと、とても褒められたものではありませんでしたなあ・・・。味も香りも、なんにもなし。今日日、ファミレスのお代わり自由のコーヒーでも、もう少しマシなもの出しますよ。このお店、どのメニューも相当お高いのですけど、それがこんなものを提供するのは感心しませんねえ。「ピエール・マルコリーニ」の名前に寄り掛かったような商売をしてはいけません。お店の将来のためを思って、あえて苦言を呈し、猛省を促しておきましょう。 というわけで、最後はちょっとアレでしたけど、それでも今日はステキなステキな鞄を買って、ご機嫌ちゃんのワタクシなのでありました、とさ。今日も、いい日だ!
September 9, 2008
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今日は卒業したゼミ生のSさんが遊びに来てくれました。しかも、か・れ・しを連れて! まったく、ひゅー、ひゅー、だぜ! っていうか、実はもうあと2カ月もしないうちにこのお二人は結婚をするんですね。で、私と家内も披露宴に招待されておりまして、今日は二人揃って挨拶がてら、招待状を渡しに来てくれたんです。 二人は部署こそ違うえ、同じ職場で知り合って2年半の交際の後、ゴールインということでしたが、どこかのんびり、はんなりした、しかし、芯はしっかり者のSさんの選んだ男性らしく、穏やかで優しそうな人でした。ま、ワタクシの手塩にかけたゼミ生を託す相手としては、合格ということにしておきましょうか。 で、今は結婚式や披露宴の準備と共に、新生活の準備として家具選びに余念がないそうですが、珍しいことに彼氏君もインテリア大好きということで、仲良くお店回りなどをしているとのこと。いやあ、よろしいですなあ。仲よきことは善きかな、善きかな。 ま、幸せになっちゃって下さいな。披露宴では私も乾杯役を仰せつかったので、頑張ってお二人を祝福することにいたしましょうか。 さて、Sさんたちが仲良く帰って行った後、ちょっと必要がありまして、今日は研究室の物置を整理しつつ、私が勤務先大学に赴任してから受け持ったゼミ生たちの卒論をすべて発掘し、そのタイトルをチェックするという作業に追われました。何せこの十数年の間に私のゼミ生も80人くらいにはなっていますから、そのすべてをチェックするとなると、結構時間が掛かります。 でも、実際にやり始めると、これがかなり面白い。何しろ卒論というのは1年がかりの大仕事ですから、それを作り上げていく中で一人一人のゼミ生とじっくり話し合ったこと、叱咤激励したこと、締め切りギリギリまで粘って磨きをかけたこと、そしてやたらに苦労させられたことなど、一つ一つの卒論を手にする度に、それらのことが思い浮かびますから。まさに製本された卒論の一つ一つが思い出の固まりです。 その一方、正直、妙に印象の薄い卒論もごくたまにはあったりして。あれ? これ、本当にオレが指導したんだっけなあ・・・なんてね。 でも、そういう印象の薄い卒論を首を傾げながら読んで行くと、明らかに自分の添削指導の痕跡が伺われるような部分があったりして、ああ、やっぱりこれもオレが指導したんだ、そうだった、そうだった、間違いない、という確信が浮かんで来る。自分では忘れていたけど、この時期、結構いい仕事してたじゃん、みたいな。これもまた楽しいんです。 ちなみに、酔狂にも昔の卒論をひっくり返しているのは何ゆえかと申しますと、実は今、「釈迦楽ゼミ、かく闘えり」的な企画の本を出来心的に執筆しておりまして、その本のためにちょいと使おうと思ってるんです。 この本、出版されたら、歴代ゼミ生分・80部は確実に売れるな・・・。 というわけで、Sさんの来学といい、卒論総チェックといい、ちょっとリメンバー・イェスタデイ的な感傷にふけっていた今日のワタクシだったのでした。今日も、いい日だ!
September 8, 2008
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ミスター・ドーナツの夏の新作、「ポン・デ・抹茶 ミルククランチ」は旨いね! まだ食べたことのない人はぜひ! さて、それはともかく 今朝方、まさに眠りから覚めようという時、夢現の中で何故かジャンケンのことを考えていたワタクシ。 最近、ジャンケンをするというと、「最初はグー、ジャンケンポンッ!」って言うじゃないですか。あの「最初はグー」というのは一体何だろうと。 私が東京で子供時代を過ごしていた頃、ジャンケンをする時に「最初はグー」なんて言いませんでしたよ。 じゃあ、何と言ったか。「ジャンケン、ジャンケン、ジャンケンポイッ」ですね。あるいは「グー・パー・ジャス!」とも言ったなあ。「グー・パー」までは分かるけど、「ジャス」ってのはなんだったのかしら。その後、「ジャンケン、ほかほか北海道!」というのが流行った時期がありましたが、それは主流ではなかったような。 で、起きてから家内に聞いたら、家内の世代ですと、もうかなり小さい頃から「最初はグー」だったとのこと。 あの、「最初はグー」というのが、どの地域の発祥で、それがどのようにして日本のジャンケン作法の主流になったのか。興味がありますね。 あと、もう一つ、ジャンケンに勝つために、ジャンケンをする前、変な占いをするじゃないですか。腕をねじって交差させ、指を組み合わせ、その組み合わせた指の隙間から「御告げ」を見るという奴。あれは一体、いつの時代からあることなのか。 ジャンケン(あるいは、一般に「三つ巴の勝負」をするゲーム)ってのは、世界中に普遍的にあるというものではなく、かなり地域が限定されています。西欧には基本的にジャンケンはないんじゃないかしら。スポーツだって、西欧では先攻後攻を決める時、コイン・トスが普通でしょ? ジャンケンはしない。 あ、西欧は「表・裏」しかない世界だから、「0」と「1」だけから成るデジタルな発想が出て来るのか・・・。 その辺のことも含め、日本で特異な発展をしているジャンケンの歴史って、調べてみたい気がしますね。そういう民俗学の本って、すでにあるのかしら。今度調べてみようっと。 ま、しょーもない話ですけど、今朝方、そんなことを考えていたワタクシだったのでした。もし、「自分は子供の頃、こういうジャンケンをした」という方、いらっしゃいましたら、ぜひコメントをお願いしまーす。
September 7, 2008
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さて、昨日は授業参観した中でも非常に優れた例について書きましたが、今日は悪い方のことを少し。 一つは3年生の社会の授業だったのですが、当該の先生、まずは大きく引き伸ばした名古屋周辺の住宅地の写真を2枚、黒板に貼り付けまして。一方はマンションなどが林立する振興住宅地、もう一方は瓦屋根が連なる昔からの住宅地の写真です。で、今日の授業の狙いとしては、この2枚の写真の違いを小学3年生の生徒たちに観察させようということらしい。 ま、そのこと自体は百歩譲って、いいとしましょう。しかし問題は観察にかける時間です。その先生、何と30分近い時間をかけて観察させたんです。45分授業のうちの30分ですよ・・・。ちょっと時間かけ過ぎじゃないですか。 で、ようやく観察の時間が終わり、「じゃあ、2枚の写真のどこが違うか、言ってみよう」ということになって、生徒たちが発言し始めたわけ。「こっちの写真はビルとかマンションみたいなのが沢山あるけど、こっちは平屋が多い」とか、「こっちの写真は遠くに山が見えるけど、こっちの写真にはない」とか、そういうようなことです。 ところが、生徒たちがそれなりにいい意見を言っているのに、その先生の受け方がよくない。例えば、もし生徒が鋭い観察の元に意見を述べたら、「おお! よく気づいたね! 確かにそうだよね!」とか言って褒めてあげればいいものの、その先生ときたら、生徒がどんなにいい意見を言っても、怪訝そうな声で「そう?」って言うんです。 先生に眉を顰めて「そう?」って言われたら、意見を述べた生徒の方としては不安になりますよね・・・。 というわけで、生徒たちは自分が言った意見が良かったのか、悪かったのか、まるで分からず、しかも最後に先生がうまくまとめるでもなく、何となく「名古屋にも色々な住宅地がある(らしい・・・)」という程度のことが薄々感じられただけで、その時間は終わってしまったのでした。 これは一体、どういう授業なんでしょうか? いやあ。この先生が一体何をしたかったのか、まるで分かりませんでしたなあ。 大体ですね、「住宅地と住宅地」を比べるということ自体、あまり意味がないような気もしますしね。比べるなら、「商業地と住宅地」とか、「工場街とオフィス街」とか、「農業地域と漁業地域」とか、そういう比較をするべきじゃないかしら。愛知県の中で商業地が沢山見られる所、工場街が見られるところ、住宅地が見られる所、港が見られる所がそれぞれどこにあるのか、などを紹介していくというのであれば、地元・愛知県の様子が分かると思いますけど、漠然と新しい住宅地と古い住宅地を見せただけでは、何の勉強にもならんのじゃないの? また子供たちの意見の中に、勉強のネタは沢山あったのに、それを先生が全部無視したというのも納得できません。 例えばある生徒が「こっちの住宅地は平らできれいな屋根の家が多いけど、こっちの住宅地の家は、黒くて汚い斜めの屋根が多い」と言い出し、それに対して別な生徒が、「これは汚いんじゃないよ、瓦屋根っていうんだよ。ね、先生?」などと言ったのに、肝心の先生が「瓦屋根って、説明するのがちょっと難しいよね」と言っただけで流してしまったんです。 何が難しいものですか! 瓦屋根を「汚い屋根」と認識している子が一人でもいるのであれば、あれこそ日本伝統の屋根の形であることをしっかり教えてやればいいじゃないですか! 一事が万事、こういう調子ですから、ほんと、傍で聞いていてもじれったくなってきます。この人、教師としてのセンスがまるでないですな。 もう一つ、よろしくない授業だったのは「図工」の授業です。 私たちが参観したのは、発泡スチロールの板を適当に工作して、「自分だけの島」を作ろうという授業だったのですが、こちらもまた完全な放置主義で、要するに「各自、好きなようにやれ」というわけ。時に生徒が「先生、島を茶色に塗りたいんですけど、茶色ってどうやって作ればいいんですか?」などと質問することがありましたが、先生答えて曰く、「○○さん、××君に茶色の作り方教えてあげて」の一言。自分では何もしない。 ま、この場合、生徒たちは「好きなようにやれ」と言われて、各自楽しげに好きなようにやっていましたから、このままでいいと言えばいいのかも知れません。美術系の授業というのはそれでいいのだ、というご意見もあるでしょう。 しかし、私はこの手の放置教育があまり好きではありません。だって、もしこれが英語だったらどうです? 「じゃ、英語の授業始めます。これから45分間、英語で好きなようにしゃべって下さい」で授業になります? 数学だってそうでしょ? 「ここに数字がゼロから10まであります。後は好きなように計算して下さい」じゃ、数学を教えたことにならないんじゃないの? やっぱり、どんな教科であれ、最初はやり方を教えないとイカンのじゃありませんかい? もちろん、こういう美術系の授業の放置主義は今に始まったことではなく、私自身が小学校に通っていた時もそうでした。「今日は写生をします。各自、好きな場所に行って、好きなものを描いてきなさい」。授業中の指示は、たったこれだけ。だから結局、大人になった今でも、ワタクシ、絵を描く基本がまるでなってないです。そりゃ、習ったことがないんですから、そうでしょう。 ということで、先生が何も教えないものですから、授業参観をしている私たちもまったく暇でした。「先生が教える」という時間がまるでないんですから、生徒たちの活動をただ見ているしかない。こんなんだったら、誰だって明日からでも美術の先生になれますよ。「やりたいようにやれ」と言えばいいんですから。 とまあ、そんなわけで、昨日このブログに書いたように、非常に優れた授業をされる先生がいらっしゃる一方、「これはどうなんだ?」と苦言を呈したくなるような授業をされる先生もいるということがはっきり分かったのでありました、とさ。 結局、教育ってのは、一人一人の先生の資質に拠るんですよね。ま、どんなジャンルでもそうなのかも知れませんが、特に教育はね。 となると、果たして自分自身はどうなのか。ワタクシも一応人を教える立場ですが、その資質があるかしら。あるような、ないような。でも、自己採点から言うと、上に述べた先生方よりはマシかな~。 いずれにせよ、人の振り見て何とやら。悪い例もまた勉強のネタですから、彼らを反面教師として、自分のことを見直すしかないですね。一緒に参観した学生たちにもそう言っておきましたよ。
September 6, 2008
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昨夜、レイトショーでウィル・スミス主演の『ハンコック』という映画を見たのですが、はっきり言いまして、あれはお金を払って見る映画ではないですね。私の評価は100点満点で57点。不合格です! さて、その話はちょいと脇に置きまして、昨日は公務で勤務先大学の附属小学校に赴き、教職希望の学生たちと共に現場の先生方の授業を幾つか参観させていただきました。で、この中で特に二つ、1年生の英語の授業を担当されたY先生と、6年生の国語の授業を担当されたS先生の授業があまりにも素晴らしかったので、その報告を少々。 まず1年生の英語の授業ですが、授業は夏休み前に習ったという英語の歌を歌うことからスタート。もうこの時点から子供たちのテンションは上がりっぱなしで、楽しくてたまらないというように歌って踊って欣喜雀躍です。そして1曲終わった後、Y先生が新しい英語の歌をユーモラスな振り付けと共に教えると、これまたあっと言う間に覚えてしまいます。 そしてそれが一通り終わると、Y先生、間髪置くことなく「実は昨日、マイケル先生からビデオレターをもらったよ!」と言って、まだ興奮冷めやらぬ生徒たちの注目をビデオに向けさせます。で、ビデオにマイケル先生が登場したのですが、これが何と金髪の鬘をかぶったY先生その人。どうやらY先生は時々マイケル先生に変身するらしいのです。これでまた生徒たちは大爆笑。で、そのマイケル先生、「I’m Michael! Nice to see you again!」などと挨拶した後、「How do you go to school? By car? By bus? By train? By truck? By bicycle? Please tell me!」などと問いかけるわけ。 で、3度程ビデオを見せると、耳のいい子供たちは何となくマイケル先生の言っていることが分かるらしく、ビデオを止めたY先生が子供たちに「今、マイケル、なんて言ってた?」と尋ねると、子供たちは「『ぼくマイケル』って言ってたよ!」とか「バスとかトレインとか言ってた!」、あるいは「アイスクリームって聞こえた(←「バイシクル」の聴き間違い)」などと答えます。 で、Y先生は子供たちの答えをうまく繋ぎながら、マイケル先生が「どうやって学校に行くか」を尋ねていたことを理解させ、その勢いに乗って立ちどころに「car」「bus」「truck」「train」「bicycle」という単語、それにそれらをひっくるめた乗り物全般を表す「vehicle」なんて単語を覚えさせてしまう。Y先生の発音も、それをまねる子供たちの発音も、なかなかのものです。 そして一通り乗り物を表す言葉を覚えさせた後、イスを動かして子供たちを車座にさせ、今度はこれらの単語を使ってゲームをさせるわけ。各生徒に乗り物一つを割り当てて、その乗り物の名前が発せられたら自分の座っていたイスを離れて別なイスに座らなければならないというゲームです。「フルーツバスケット」ならぬ「乗り物バスケット」ですな。これも最初のうちは「bus」とか「car」とか、一つずつやっていくのですが、慣れて来ると「car & bicycle」というように、「and」の使い方も併せて教えてしまう。 そしてしばらくこのゲームで楽しんだ後、今度はジャンケン・ゲームでもうひと騒ぎ。先に挙げた5つの乗り物の名前を書いた5種類のカードを各生徒に3枚ずつ配り、その上で互いにジャンケンさせ、勝った方が負けた方からカードを1枚もらうことで、5種類のカード全部集める、というゲームです。ジャンケンも英語で「Rock, scissors, paper! One, two, three!」と言わせ、またカード集めの交渉も負けた方が「What vehicle do you want?」と言い、勝った方は、例えば「I want a train!」と答えるというようにさせる。これで「want」の使い方を齧らせるわけですな。もし要求されたカードを持ってなかった場合は、「Sorry! Bye-bye!」です。もちろん、これらのゲームをさせている間、Y先生は細かく子供たちの様子を観察しながら、うまく遊べない子の相手になってやったり、カードを全部集めて報告にやって来る子供をほめてやったり、それはそれは上手に指導している。 というわけで、45分間の授業中、生徒たちは歌って踊って笑って遊んで、夢中になって過ごしながら、それでいてこの間、新しい単語や言い回しをすべて覚えてしまいました。 いやあ、Y先生、素晴らしいお手並み!! こんないい先生に習っている子供たちは本当に幸せです。しかもこれだけ上手に英語を教えていらっしゃるY先生のご専門は「英語」ではなく「社会」だというのですから、一層驚いてしまう。 さて、もう一つ感銘を受けたS先生の国語の授業ですが、こちらは6年生を対象にした詩の学習でした。題材は山村暮鳥の「りんご」という詩です。「りんご」 山村暮鳥両手をどんなに大きく大きくひろげてもかかえきれないこの気持林檎が一つ日あたりにころがっている ・・・結構、難しい詩ですよね・・・。 で、S先生はこの詩を教えるに当たって、まず「この詩を二つに区切るとしたらどこで区切る?」と問いかけます。これに対し、子供たちはしばし考えた後、ほぼ全員が「林檎が一つ」の手前で切れるだろうと結論を出します。まあ、妥当なところでしょう。 するとS先生、今度は「この詩、幸せな人が書いた詩かなあ、それとも不幸せな人が書いた詩かなあ?」と問いかけるわけ。 今度の問いは、前のと比べて少し難しく、子供たちの意見も二分されます。 たとえばある子は「『大きく大きく手を広げる』という動作とか、『日当たり』という言葉から、幸せな感じがします。りんごも赤いから、幸せそうです」などと堂々と意見を述べたりする。一方、「『かかえきれないこの気持ち』というのは、ストレスとか、そういう気持ちではないかと思うので、この人は幸せではないんじゃないかと思います」などと反論する子もいる。 と、そこでS先生は「りんごは『日当たり』にあるみたいだけど、そのりんごを見ている人はどこにいると思う? 日の当たるところ? それとも日の当たらないところ?」とヒントを出したんですな。すると子供たちの多くが、「日の当たってないところから、日なたにあるりんごを見ているのではないか」と推論した。なるほど、私もそんな気がします。 で、S先生はそこで山村暮鳥の生い立ちを語り始めたんです。貧しい生家。年齢を偽って16歳から働き始めたこと、妻との死別、そして晩年の病気、40歳での死・・・。そんな話から、生徒たちの大半は、この「りんご」という詩が、決して幸せとは言い難い生涯を送った人が作ったものであって、その悲しみの幾分かが詩の中にも表れているなあ、というような感じをつかみ出したんですな。が、もちろん単に悲しい詩というのではなく、何らかの悲しみを抱え、鬱々と悩んでいた人が、日なたに置かれたりんごを、物言わずとも充実した存在感を発散するモノとしてのりんごをじっと見つめることで、何か少しだけ悩みから解放されたような、そんな感じも含めた詩として、この詩を理解し始めた。 でもS先生はそこで「これはそういう(悲しい)詩だ」とは限定せず、「悲しい詩と思えば悲しく読めばいいし、明るい詩だと思えば明るい詩として読めばいい」と言って、最終的な解釈を生徒に委ねると同時に、「今日はせっかく大学生のお兄さんやお姉さんが来ているから、ちょっと朗読してもらおうか」などと振ってきたんです。そこで男子学生が「では、悲しい詩と思って朗読します」と言って、そのような朗読の仕方をした。 そこでS先生は子供たちに「いやあ、悲しい詩だったねえ! あのお兄さんにどんな悲しいことがあったのか、想像したくなっちゃうね!」などと冷やかすと、おませな小学校6年生の子供たちまでが「失恋! 失恋!」などとはやし立てる。 そしてそんな和やかな雰囲気の中で、S先生は「詩を読むだけで、その背景にある悲しみや喜びが伝わるのだとしたら、言葉の持つ力ってすごいねえ!」とまとめながら、今度は子供たち自身に、自分の読みたいようにこの詩を朗読させ、授業を締めくくったんです。 ね? なかなか上手な授業でしょう? それにしても、S先生の要とタイミングを得た指示に反応し、私も参観しながらこの詩の意味を考えていたんですが、私の解釈と同じようなことをいう小学6年生もいたりして、ははあ、その前に見た小学校1年生のあどけなさと比べ、6年生というのは大分しっかりしてくるもんだなあと感心してしまいましたよ。 というわけで、Y先生、S先生の、それぞれ素晴らしい授業運営を参観させてもらって、私は非常に感銘を受けたのですが、その一方、残りの2つの授業に関しては、これがまた非常によろしくない授業ぶりでありまして、同じ学校の中でも先生によってこんなに差があるのだなあと痛感しましたね。もう、これは運ですな。いい先生に担当してもらえば学校というのは楽しいところになりますが、逆にひどい先生にあたったら悲惨ですよ~。 ま、その辺についてはまた明日、論じることといたしましょうか。ということで、この項、また明日も続きまーす!
September 5, 2008
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先日来読んでいたジェフリー・ディーヴァーの『The Devil's Teardrop』(邦題『悪魔の涙』)を読了しました。 『The Cold Moon』(『ウォッチメイカー』)にはまって以来、立て続けに読んでいるディーヴァー作品ですが、今回は車椅子探偵のリンカーン・ライムではなく、筆跡鑑定のプロ、パーカー・キンケイドを主人公とするサスペンス。以下、ネタバレ注意です。 米国の首都、ワシントンDCにハヴェルという名の悪い奴がおりまして、こいつがもう一人の殺しのプロ、「ザ・ディッガー」を利用して州政府を脅迫し、お金を巻き上げる完全犯罪をもくろむ、というのが本作品の大まかな筋。で、この「ザ・ディッガー」は、とある事故から脳に障害が生じ、ハヴェルの命令ならどんな殺しでもやってのけるロボットのような状態になっているんですな。 そこでハヴェルは、ザ・ディッガーに対し、中止命令がない限り、大晦日の夕方4時から4時間毎にマシンガンで人を殺しまくれという指令を出す。ザ・ディッガーには思考能力がありませんから、この命令を忠実に守ります。で、その一方、州知事に脅迫状を出し、州民の虐殺を止めたかったら4千万ドル払え、さもなくばザ・ディッガーはまだまだ殺しまくるよ、と伝えるわけ。ザ・ディッガーの居場所を知っているのも、また彼を止められるのも自分だけなのだから、無駄な抵抗は止めてさっさと金を払え、という脅迫です。 ところが、運の悪いことに、というか、読者がびっくりすることに、脅迫の主体である肝心のハヴェル自身が、脅迫をしているさなかに偶発的な自動車事故で死んでしまう、と。 ハヴェルが死んでしまったということは、もはやザ・ディッガーに殺害計画の中止命令を出す人間がいなくなったということですから、こいつは一大事です。「もう殺さなくていい」というハヴェルの命令がない以上、4時間毎にどこかに出没しては人々を殺しまくる神出鬼没の殺人マシンと化したザ・ディッガーをどうやって探し出し、逮捕するのか。FBIと、その依頼を受けて捜査に協力することになった筆跡鑑定のプロ、パーカー・キンケイドは、果たしてザ・ディッガーの暴走を止めることができるのか・・・ ・・・ってな話です。面白そうでしょ? とはいえ、ここまでに書いたのは小説のほんの冒頭のことでありまして、そこはディーヴァー作品の常、事態は二転三転します。ま、そのオドロキの結末については、実際に読んでみて下さいな!これこれ! ↓悪魔の涙 ところで、ここまでおすすめしておきながらこういうことを言うのもなんですが、私の個人的な嗜好から言いますと、『悪魔の涙』も相当面白いとは言え、やはり「パーカー・キンケイドもの」より、「リンカーン・ライムもの」の方が面白いかな・・・。 リンカーン・ライムが物的証拠分析のプロとして、指紋・足跡、髪の毛や服の切れ端をはじめ、およそ犯人が現場に残したありとあらゆる痕跡を科学的に分析し、その結果をもとに犯人を突き止めるのに対し、パーカー・キンケイドは筆跡鑑定のみを通じて犯人像に迫るんですが、やはり後者は分析対象となるものが犯人の筆跡に限られているので、そこにちょっと無理があるんですよね~。いくら何でも、筆跡鑑定には限界があるだろう、というところがどうしてもある。つまり、キンケイドには引き出しが少な過ぎるわけですよ。それゆえ彼の犯人追跡の手腕に関しても、ちょっと眉唾に感じられてしまう。これは探偵小説としては、かなり致命的なことであります。 ということで、面白くはありますが、もしこれからジェフリー・ディーヴァーの作品を読もうというのであれば、本作よりは『The Cold Moon』(邦題『ウォッチメイカー』)の方をおすすめします。これは文句なしに面白いよ~! さて、今日のワタクシですが、今日、私は勤務先大学の附属小学校に赴き、様々な授業を参観して参りました。で、これがまた結構面白かったのですが、それをご紹介するには時間が足りなくなっちゃった。ということで、この話題はまた明日! 明日はなかなか熱の籠もった教育論が展開される予定。乞うご期待!です。
September 4, 2008
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福田首相の突然の辞任、あちこちで批判の嵐にさらされておりますが、驚愕の会見から一日、二日と経ってみると、世は「誰が次の自民党総裁・首相になるか」の話題で持ちきり。過去四度の総裁選に出馬して破れ去りながら何故か不死身の麻生氏が、四度目の総裁選にしていよいよ念願を果たすのか、あるいは日本初の女性首相登場か。一方ライバルの民主党が総裁選なしで小沢代表に決まってしまったことに比べ、話題の盛り上がりが全然違います。 でまた、このどさくさで太田農相の事務所費疑惑問題なんかふっとんでしまったし。野党が次の臨時国会で意地悪く突っつこうと思っていたネタもこれでパー。 で、仮に国民に人気があり、景気対策重視の姿勢を打ち出している麻生氏が自民党総裁に決まり、時間を置かずに臨時国会・解散・総選挙となった日には、新総裁への期待も込めた御祝儀相場で自民党圧勝、なんてこともなりそうです。 ということは、福田首相の政治的狙いはドンピシャリ当たったということになるんじゃないっすか? どんな手を使ってでも、政治的目標の達成をもくろむという点から言えば、福田首相の突然の辞任劇、なかなかの奇策だったのかも知れませんね。 一方、同じドタバタ劇でも、さらにみっともないのは日本相撲協会。若ノ鵬の解雇に続いて、露鵬・白露山兄弟の大麻疑惑発覚。朝青龍問題や力士のリンチ死疑惑など、問題噴出の大相撲界にまたもや降って湧いたスキャンダルに、もはや手を打つ術もなし。今回の大麻疑惑では北の湖理事長自身の部屋に捜査の手が入ったのですから、さすがに北の湖氏も進退がかかるでしょうなあ。 で、この問題に関し、日本相撲協会はどういう公式見解を出しているのかと思ってHPを見てみたら、9月2日づけの理事会決議事項として若ノ鵬の解雇のお触れが出ているのが最新項目で、その後の大麻疑惑については一切コメントなし。ま、今後、どういう風になっていくのか、大相撲ファンとしては注目していかなければなりますまい。 ところで、その日本相撲協会のHPを見ていたら、別な項目として武雄山、時津海、栃乃花、栃栄の引退相撲のお知らせが載っているのを見つけました。 え! 栃乃花、引退してたの? ウソ!? あーん、そうだったのか・・・。朝青龍・白鵬が東西両横綱の地位を占める大相撲を見たくなさに、このところあまり熱心にテレビ観戦していなかったため、彼の引退すら今の今まで知らなかった~。 栃乃花。大きな怪我をしたこともあって、結局小結止まりでしたが、なかなか面白みのある相撲取りで、私は好きだったんだけどなあ。ワザの切れもあって、確か技能賞も何度かとっているはず。ハンサムだったしね。 相撲には格闘技としての要素がありますから、致し方ないところもありますが、私の好みのタイプの相撲取りが三役あたりを天井にずるずると番付が下がり、やがてひっそりと引退していく一方、体格・体力に勝った外国人力士が上位を独占しつつ、目を覆うばかりのふるまいをして悪びれないというあたり、今の大相撲界、上層部も力士の側も、ワタクシにしてみれば「終わった」感が強いです。もうすぐ九月場所が始まりますが、あまり興味が湧かないな・・・。 政治不信に大相撲不信。私にとってはむしろ後者の方が深刻に見えますが、読者諸賢のお考えや如何に。
September 3, 2008
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楽天のポイントが貯まったのでまたまたジャズのCDを買ってしまいました。チック・コリアの『マッド・ハッター』です。タイトルからも分かるように『不思議の国のアリス』の世界をジャズで表現した、という触れ込みですが、このアルバムの最後でチック・コリアとハービー・ハンコックという2大ピアニストが競演するというので、その辺も興味があって購入に及んだ次第。 で、とりあえず一聴してみたわけですが・・・。 何じゃ、こりゃ? これって、ジャズなのか? 冒頭の曲からしてヘンテコリンですが、3曲目もヘーン! ひゃー、また失敗しちまったよ。これだからチック・コリアのアルバムは要注意なんだよな・・・。 ・・・と思ったら、4曲目にしてようやくジャズっぽいものが出てきてちょっと安心。まあ、これくらいの作品が入っているのなら我慢してやるか・・・。 ・・・と思ったら、5曲目からまたまたヘンな調子に。何だこりゃ、こんなのジャズじゃないよ、フュージョンじゃんか。『リターン・トゥー・フォーエヴァー』路線のアルバムと知っていたら買うのではなかった・・・。 あのね。もちろんこの世にはフュージョンが好きという人もいることでしょう。それはいいんです。嗜好ですから。だけど、ジャズファンからすると、フュージョン聴くのは辛いものがありますね。なんかね、ホント、乗れないのよ。ジャズってのは、演奏者が発する一音一音に乗って楽しむもんなんですが、フュージョンはそれが出来ない音楽なんですな。「ああ、なんか向こうで勝手にやってらあ」って感じがする。この圧倒的な疎外感。これはジャズファンの側からフュージョンを聴く時に誰もが感じるであろうものだと思いますが。 だから、ジャズファンが「フュージョン」と聴いただけで後退りする理由は、確かにあると思う。実感として。 とうわけで、ついうっかり買ってしまった『マッド・ハッター』にいささかガッカリしたワタクシなのですが、そこは気を取り直してインナーノーツ(by 藤本史昭)を読んでみた、と。すると・・・ 「(前略)・・・とりわけ冒頭の3曲。チックが複数のキーボードを操ってオーヴァー・ダビングした<ザ・ウッズ>は、“いわゆるジャズ”を期待するファンには「なんじゃ、こりゃ?」という感じを与えるだろう(中略)・・・いっそのこと、アタマ3曲を飛ばして4曲目から聴きはじめるというのも一つの手ではあるのだが・・・(中略)。・・・4曲目の<ハンプティ・ダンプティ>は、知名度では劣るかもしれないが<スペイン>や<ラ・フィエスタ>に比肩する傑作。(中略)いや、今でも頑なな評論家やファンは、「所詮はフュージョン・アルバム」と蔑んでいるのかもしれない。(後略)」 ありゃま。ワタクシのこのアルバムに対する第一印象は、すべて藤本氏によって予言されておるじゃないですか・・・。と言うことは・・・ えー、えー、どうせわたしゃー「頑な」「“いわゆるジャズ”」ファンですよ! 悪かったねぇ! ま、もっとも、後から聴き直したら、第一印象よりは見直しました(特に2曲目)けど、やっぱり、“いわゆるジャズ”じゃないフュージョン系のジャズは、私の好みではないのでありました。 それにしても人間の好みってのは、案外、狭いもんですな。だから面白い、とも言えるんですけどね。どんなジャンルであれ、「あれも好き、これも好き」って人は、信用できないからな。
September 2, 2008
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突然ですが、さてここで問題です。「エマニエル夫人は、年をとってから太るでしょうか、それとも痩せるでしょうか?」 答え:太ります。何故か? 「今にL(サイズ)」だから。 ・・・ってな下らないクイズ、昔、流行りましたなあ。他にこんなのもあるよ。 「ウルトラマンは何歳でしょうか?」。 答え:「18歳(ジューハッチ!)」。 「ブルース・リーが金物屋に入って行きました。何を買うのでしょう?」。 答え:「包丁(ホチョーーーッ!)」。 あるいはこういうのもありました。「電線に雀が一羽とまっていたので、猟師が鉄砲でこれを撃ちました。弾は当たりましたが、雀は落ちて来ませんでした。なぜでしょう?」。 答え:「その雀は根性があったから」。 下らね~! さて、なんでまたワタクシがこんな下らないことを書いているかと言いますと、今読んでいるジェフリー・ディーヴァーのサスペンス『The Devil’s Teardrop(悪魔の涙)』に同じようなクイズが出て来るからです。それはどういうのかと申しますと・・・ 「鷹が3羽、ニワトリ小屋の前の木にとまってニワトリを狙っています。鷹を追い払いたいのですが、ライフルには1発しか弾がありません。ライフルを撃つのは百発百中の名手で、彼はその1発で鷹を撃とうとしています。さて、彼が弾を撃った後、木には何羽の鷹がとまっているでしょうか?」 この小説の主人公、パーカー・キンケイドはクイズ・マニアという設定で、小説を通して上のクイズがリフレインのように繰り返し出て来るんです。一応、難問という設定らしく、この「鷹クイズ」を出されたFBI捜査官たちの中に、即答できる人はいない・・・。 でも、子供の頃、友達同士で先に紹介したような下らないクイズをさんざん出し合ってきた私の世代の日本人なら、このクイズの答えはすぐ分かります。皆さんはどうですか? 答えが分かりますか? 一応書いておきますが、答えは「0羽」です。 何故なら、ライフルで撃ち落とせるのは3羽のうち1羽だけですが、後の2羽も鉄砲の音に驚いて飛び立つからです。ね、簡単でしょ? なんでこんな簡単なクイズ、FBIの皆さんは解けないのでしょう・・・。 ま、そういうこともありまして、ディーヴァーの『悪魔の涙』というサスペンス、面白くはあるのですが、私を含め、クイズ慣れした日本人にはあまりにも簡単な「鷹クイズ」を、さも難問のように描いているところが、どうも納得できないのでありました。 ディーヴァーさん、この種のクイズに慣れている日本人読者をなめちゃいけませんぜ!
September 1, 2008
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