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先日、隣の町、日立で、”ひたち秋祭り郷土芸能大祭”という催しがあったので、りんと夫と行ってきました。毎年行われているのですが、今回が初めてです。もともと日本の古舞踊に誰も興味がなかったというのが、行ったことのない本当の理由です・・・しかし、今回パンフレットを見て、一転しました。参加者の中に、岩手県の大船渡市と釜石市からの方が来るとのこと。大津波で練習場も道具もすべて流されてしまって、参加できる状態ではなかったところ、でもこんなときだからこそ、元気を出して出場しよう、ということで参加を決めたそうです。それもこんなに遠くまで・・・今まで、少しの募金をしただけで、東北の被災者の方になに一つできなかったので、せめて今回、参加者の演技をしっかり見て応援したい!!!という私の心からの希望で行って来ました。夫とりんはあまり乗り気ではなかったようなのですが・・・・・・・なんとか、道具を津波の中から見つけ出し、修繕しながら、演技が可能になったとのことです。釜石の方々の演技は虎舞といって、力強い舞が圧倒的でした。大船渡の皆さんは、念仏剣舞という、息がぴったり合った迫力ある舞でした。どちらのグループの方もとても元気で、復興に向かって負けずにがんばろうという気持ちがあふれていて、それが伝わってきて、大感動でした。初めて津波の被災者の方に触れて、大きな悲しみを乗り越え、一歩一歩進んでいっているんだということをわが身で感じることができました。私自身も、生きていること自体に感謝し、今を大切にしていこうと実感しました。今回、手が痛くなるほど拍手して、大きな声援をおくり、心から応援することができて本当によかったと思いました。
October 28, 2011
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先日、りんの運動会がありました。6年生ですから、小学校最後です。りんは、進行係で、司会のようなことをやっていました。「はずかしい~!!」という気持ちがありありの声でしたが、一生懸命がんばっていました。思わず笑っちゃう感じでしたが、上手だったよ~!とほめてあげました楽しいのは、6年生の借り物競争で、「1年生」とか、「校長先生」などのカードを拾って、それにしたがって競争するというものです。中には「かっこいい人」、「美しいお母さん」とかいう笑えるものもあり、お父さん、お母さんが夢中です。中には何度も走っているお父さんもいました。りんも「かっこいい人」のカードを取り、丸っこいお父さんと走っていました。(笑)競技は、最後の二種目まで白がずっと優勢でした。ちなみにりんは赤組です。最後の二種目で、なんと赤が勝ち、最終的に結果は引き分けでした!!子供たちの「イェ~イ!!」という声はなかったけれど、ほのぼのとした結果でした。りんに後で聞いたら、「最後の運動会、引き分けでよかったよ。最後の運動会、みんなで仲良くって感じだから。」って言ってました。私は良かったなあと、暖かい気持ちになりました。長男のときは、りんがいるからそんなことはなかったんですが、末っ子の小学校最後の運動会というのは、本当に寂しい気がします。まあ、中学校がまだ残ってはいますが・・・・1年生の頃の小さい姿とか思い出して、しみじみしてしまいました。これからもいろいろな行事が全部最後なんだなあと思うと、やはり寂しいです。りんにとって、小学校のいい思い出が残るよう、せいいっぱい後押し、がんばります。
September 19, 2011
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13日~15日に、那須のメープルキャンプグランドに行ってきました。夫とりんと私の3人で。3人とは寂しいキャンプですが、それも慣れっこになってしまい、楽しかったです!よしは、相変わらずバイトと、新しくできた彼女(!)のため、帰省は9月になってからとのこと。よしも高2までは一緒に行ってたんですが・・・よしもとても楽しんでくれてたので、いい思い出です。今回は、私が那須岳に登りたかったのですが、駐車場、山登りの準備等、下調べ不足もいいところで、断念しました。(泣)3年前も富士山に登ったのですが、やはり、認識不足というか、富士山を甘くみていたため、7合目で断念し、うちの家族だけ下山したんです・・・でも、そんな失敗もいい思い出となっています。そんなこんなで、今回の3日間、行ったところといえば、那須どうぶつ王国、りんどう湖ファミリー牧場、南が丘牧場、と、なんとまあ動物系オンリーでした。動物にえさやミルクをあげたり、大型犬と触れ合ったりと、動物三昧でした。動物好きなりんが大喜びしていたので、よかったかなあと思っています。りんどう湖では、アイスクリームを作ったり、らくだに乗ったりと貴重な体験もできました。そんな中、空中散歩KAKUUNという乗り物がありました。滑車がワイヤーについていて、それにぶら下がり、りんどう湖を横断するというもので、日本一長い空中散歩らしいのです。乗り物も大好きなりんは、もちろん乗りたいと言い出しました。周りを見ると、みんな2人組みで楽しそうに並んでいます。となると、私か夫が一緒ではないとりんがかわいそうということで、そういうのが大の苦手らしい夫はもちろん尻込み。結果、私がこの未知の乗り物に挑戦することに!!!!りんの心配をする余裕なんて全くなく、心臓がもうバクバクでした!でも!!いざ乗ってみたら、怖くはなく、超!!快適でした!風を切って湖を横断なんて、まったくの初体験でした。思えば、去年のキャンプのときは、キャニオニングという、ライフジャケットを着て川の急流を滑るというこわい体験もしました。りんのおかげで、こわくて面白い、未知のことに挑戦させてもらっています。そんな感じで大騒ぎでしたが、キャンプ場では打って変わって、緑に囲まれ、小さいながらも温泉がついている、という、ゆったりとした快適なキャンプ生活をおくれました。野外で火を起こし、飯盒でごはんを炊き、少しの明かりを囲みながら、食事するということで、ゆっくり家族で向き合えたかな、と充実した気持ちになれました。りんも大満足でしたので、いい夏休みの思い出ができたのではと思いました。私自身のあの心臓バクバクの感じは今もよみがえってきますが・・・・・
August 21, 2011
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夏休みが始まりました。台風が過ぎたあと、また、猛暑が戻りつつあります。前回書いたとおり、この暑いのに海にもプールにも連れて行ってあげていません。でも、見つけました。車で30分ほど南にいったところに、伊師浜海水浴場という、日本の白砂青松百選に選ばれた海岸があったんです!!隣にはいつも予約が殺到している、「国民宿舎鵜の岬」があり、そこで温泉に入って帰って来られるらしいのです。こんないいところがあったとは、知りませんでした。でも、わかったとしてもいつもの夏だったら、勿来海岸一本やりだったと思います。私は、挑戦心がないというか、新しいことに対して、何事も消極的なタイプで、いつも無難な線を選びます。駐車場は大丈夫かとか、海の家とかあるのかとか、いろいろ心配して、結局慣れたところに行ってしまう。そんな私自身から脱却するのにもいいチャンスかなとも思います。人間、生涯青春で、何歳になっても挑戦する気持ちは大事ですよね。このように、私は挑戦の夏にします!!と、まあ海水浴一つでなんとおおげさな、と自分でもおかしくなってしまいます。一方、りんの方も今年は大きな挑戦の夏です。実はりんは、中学受験を目指しています。私立と公立の中高一貫校を受けるつもりです。受験のことは自分から言い出したことです。息子のよしは、友達と離れるなんて全く考えてなく、地元の中学校以外は絶対に行きたくないというタイプでした。今も、その幼なじみの友達とは、休みのたびに会っています。ですから、りんもそういうもんだと思っていたら、友達と離れても挑戦したいんだというのです。本人がそう言うのなら、挑戦させてあげようと、塾にも通わせ、勉強中です。実は、りんはよしと違って、いい友達に恵まれていなくて、いじわるな子がなぜか3年生のときから、くっついてきてたんです。でも一人、いい子がいて、その子とこっそり遊んで楽しかったのですが、最近いじわるな子がそのいい子とべったりくっつき出して、りんがのけもの状態になってしまいました。学校でもそうらしく、話の感じでわかります。夏休みも子ども会行事や、自由研究など、全部この3人は一緒で、夏休みまでのけもの状態です。そのいじわるな子と離れたらいい子とも離れてしまうので、それはいやで、りんは後をついていっています。そういう姿をみて、りんがかわいそうで、私としては心が痛みます。でも!!考えようによっては、友達関係に未練なく、受験に専念できるのでは、とも思うんです。自由研究、子供会は、割り切って乗り切って、それ以外は、受験という大きな目標に向かって思う存分勉強する夏休みになってもらえれば、と強く念願します。目標を大きく持てば、周りの小さいことはあまり気にならなくなるものですものね。もちろん勉強の合間に、私の小さな挑戦(笑)、伊師浜海岸、行ってきます!!勉強のことももちろん、人間関係においても、りんの挑戦の夏休みが始まりました。
July 25, 2011
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いつもごぶさたしております。あと少しで、りんの小学校最後の夏休みが来ようとしています。毎年、夏休みは、海水浴、プール、と、とにかく水関係が多く、一週間のうち四日くらいは、泳ぎに行っているのが、定番でした。私は、小さい頃から海水浴が大好きで、まだこの歳になっても(そうです。60年代前半生まれです・・・)、りんと海に入り、海水浴三昧なんです。妹とかは、いい歳して・・・と引き気味なのですが・・・とにかく、車で20分も行けば着く、風光明媚、遠浅で、波もほどほどにあって、スリルもあり・・・という、勿来海岸が親子で大好きなんです。息子が3歳の時からですから、16年間もお世話になった海岸で、楽しい思い出が山ほどです。しかし!!ニュースにも出ました。今年は、勿来海岸は、開かないとのこと・・・原発からは100キロ近く離れてるんですが、近隣の子供を持つ親から海開き反対の声が上がったからだそうです。あ~・・・予想はしてたんですが・・・・大きな夏の楽しみがなくなり、ショックです・・・・おまけに、近くのプールも今年は閉鎖ということです。さらに、さらに!!学校のプールの開きません。頼みの綱の屋内プール、スパリゾートハワイアンズも、地震で復旧するのが10月とのこと。りんは、泳ぎが好きで、いつも最高の笑顔で楽しそうにしています。「私の海水浴」はどうでも、りんの楽しみにしている夏休み。いったいどう過ごせばいいのか途方にくれています。屋内、もしくは山に行くか、とか思ってるんですが、海、プールのような最高の解放感が味わえるかどうか・・・まさか、家にこもってゲームでもしてなさい、とかいうことは言いたくありません。春休みもそうでしたが、夏休みも今までにない特別な夏休みになりそうです。
June 26, 2011
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またまたまた、ごぶさたしています・・・(大汗)さて、6月7日は、りんの12回目の誕生日でした。そうです。年女なのです。おちびだと思っていたのに、生まれて12年もたったのかと思うと感慨無量です。(夫はいまだにりんのことを、おちびだなんて言ってますけど)誕生日プレゼントは、3DS,PSP,ポータブルDVDと、無理やり電化製品の候補をあげていたのですが、ゲーム好きの息子と大違いで、りんはあまりゲームはやらないので、違うものがいいということで、ショッピングモールで、決めることにしました。あれこれ考えた挙句、大好きな文房具の大人買いになりました。小学校高学年の子って文房具好きなんですよね。私もそうでしたが・・・文房具に合わせて、ハードカバーの本も買いました。「マイ バッグ ページ」というもので、松本ケンイチと妻夫木くんが出る映画の原作本らしいのですが、ちらっと見たら60年代の青春どうのこうのと書いてありました。「60年代って、私が生まれた頃では・・・???それに、漢字も多くて大丈夫なのかな」と思いましたが、あまり口出しすると、また怒られるから、「面白そうだね~」と、一言。子供には子供なりの考えがあるのだからと、学習した母親は、余計なことは言わないと、思いとどまりました。そんなこんなで、家族だけのパーティーをしました。メニューは、本当にお決まりで、よくみんな飽きたって言わないなと、感心するんですが・・ちらし寿司にから揚げにサラダ。そしてケーキ。ケーキを食べながら飲むジュースを注ぐのに、りんが他のみんなとは違うグラスを持ってきました。花模様のワイングラスよりちょっと大きめのものです。「あんまり、いっぱい注がないで」と、ワインでも飲むつもりのように、ちょっと気取ってました。「りん、それ使ってくれるんだ。ありがとうね」と思わず言ってしまいました。そのグラスは、夫の母親=義母が、近所の方から、と、結婚祝いとしてくれたものでした。お客さんの接待には薄く割れやすいので、つい食器棚の奥の方にしまいっぱなしになっていました。義母はもう亡くなっています。生活がたいへんな中、5人の子供を育てた、暖かい心の方でした。りんが生まれた時は、それはそれは喜んでくれました。晩年は転んでから寝たきりに近い状態になっていました。その義母が渡してくれた贈り物のグラスを偶然にもりんが引っ張り出してきたなんて、不思議な気持ちになりました。きっと、りんの12歳の誕生日を義母がお祝いしてくれたのかな、と私は感じました。義母が生きているうちに、もっともっと、りんの顔をみせてあげればよかったなと、親不孝な嫁は今さらながら後悔しました。縁、とか絆とか、そういったものを感じさせてもらって、暖かい気持ちになった一日でした。
June 9, 2011
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またまた、おひさしぶりです。先日のブログは、りんとの口論、けんかなどなど、お恥ずかしい内容でしたのに、みなさんからたくさんアドバイスをいただき、本当にうれしかったですありがとうございました。みなさんの言われたことを教訓として、落ち着いて娘と接することができるようになりました。引き分ける、怒る前に一呼吸、大きく見守る、でも怒るときは怒る、仲直りすれば友達みたいに仲良しに・・・・など、女の子の子育ての先輩からの貴重な言葉、ずっと心にとどめて、大切にします。本当に感謝!です。考えてみれば、長男をほぼ育て終わって、子育てはこういうもんだ、子供はこう考えてるに違いない、と、自分で思いこんでいたことが、事の発端だっただと思うんです。そのせいで、息子とは違う言動に、完全にとまどってしまっていました。息子のよしは、今思えば性格も温和で、私の言うことも何でもすなおにきいていましたので、高3の反抗期まえまでは、私は怒った記憶がありません。ましてや、口論なんて一回もありませんでした。それがここにきて、りんとのことで、おおわらわ同じお腹の中から出てきても、違うところはたくさんあるんですね。今回、そのことを親として学びました。みなさんからコメントいただき、自分なりに気持ちの整理をつけることができました。そして、女の子を育てていると、男の子とは違ういいところ、楽しいところもあるんだと、思い起こしました。いっしょに、お菓子作りをしたり、写真整理をしたり、ショッピングを楽しんだり・・・・そんなときは、いつも友達のように、楽しくおしゃべりをしてくれて。そんれなのに、わたしときたら、思い通りにならないだけで、怒りまくって。りんに申し訳ない気持ちでいっぱいです。これから、大きくなるにつれて、大変なこときと、想像もつかないことが起きてくるでしょう。そんな時今のこの気持ちを思いだして、乗りきりたいと思います。そして、思いっきり、女の子の子育てを楽しみたいです!!
May 18, 2011
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まったく、ひさしぶりの更新です。大変ご無沙汰しております。余震もおさまり(おっと、この油断が一番危ない)、いつでも余震が来ても大丈夫なように、準備をしつつ、日々生活しています。りんも、ハリーポッター最新作のDVDを観る余裕も出てきました。(ハリーもすっかり、ヒゲも濃くなり・・・(汗)、立派な青年になりました。)早く、part2を観たいです!!ところで、りんなのですが、最近、反抗期なのか、口答えが多く、私のことについて、一つ一つ文句を言って、ひどいんです。夫が単身赴任で、週末帰ってくればいいほう。同居している両親も二人ともプライドが高すぎ、りんは、両親の前では、いい子の顔しか見せません。頼みの兄弟もいなく・・・となると、私しかいないのです。素の自分を出せるのは。それにしても、りんの口調はきつすぎ、さすがに私も切れてしまい、毎日のように口論をしてしまっているのです。そしてこれだけは言ってはいけない言葉を言ってしまいました。それは、兄弟を比べることと、親に向かって、ということです。「よし君のときはこんなことなかったのに!」「親に向かって言う言葉じゃないでしょ!」・・・これは、私が子供の頃、親から何度も言われて、ものすごくいやな思いをした言葉なんです。それを言ってしまうなんて、母親失格ですね。と言っても、口論しているときは、ついつい冷静さを失ってしまうんです。なんてことでしょう・・・・そんなこんなで、家庭訪問の日を迎えました。担任の先生に、最近の家でのわたしとりんの様子を話したんです。すると、先生は、不思議な顔をして、「おかしいな・・・最近も運営委員会で大きな行事をこなしましたよ。立派でしたよ。」と言うのです。そして、「お宅の娘さんは、申し分のない、模範の生徒です。活発だけれども、節度があって。クラス全員を娘さんのようにしていくのが、目標です。」と。私は、はあ?はあ?はああ?????と、思いながら聞いていました。家でのりんとまるっきり違う人物のようなんですから。「本当ですか?ぜんぜん信じられないほど、家ではきついんですけど。」と言ったら、先生は言ってくれました。「唯一の発散できる場所はお家ですからね。うちでいい子にしてて、外で発散して、すごい子もいるんですよ(これは私でした)。」と。それを聞いてやっとわかりました。りんは、私に対していちいち文句言うことで、外での自分との均衡を保っていたんだと。私は、いい時期に家庭訪問があったと思いました。これ以上りんとの口論が続いたら、もっとりんを傷つけていたかもしれません。先生に感謝です。今はG.W.で、夫もいるし、いとこも来ていて、私の存在を忘れるほど楽しくしています。G.W.明け、また、りんの文句が始まったら、親として堂々とかまえて、大きい気持ちで、受け止めていこうと思いました。そして、それを忘れてしまいそうになったら、このブログを読み返そうと思います。二度と、私がいやな思いをした言葉を言わない自分でいたいと願う、猛反省の母親でした。
April 30, 2011
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桜の花も満開になりました。今日になってようやくそれに気がつきました。その理由はというと・・・・以前私が茨城に住んでいると書きましたが、茨城のどこかといいますと、市まで公表してしまいますと、北茨城なんです。北茨城といえば、今や余震活発地域として、テレビの地震速報で出てこない日はないくらいなので、みなさんもご存知でしょう。海側プレートからの圧力から開放された陸側プレートが東西に引っ張られての、余震だそうです。ここの地域が一番活発だとのこと・・・開放されたのなら、おとなしくのびのびしていればいいのにと思ってしまいます。11日に震度5強、12日に6弱、13日に5弱です!!これってありですか!!って感じでもう参ってしまいました・・・(泣)だんだん家も危なくなってきました。いつか崩れるのではという恐怖とたたかっています。ですから、ようやく強い余震のなくなったような気がしてきたので、周りを見渡してみれば、桜が満開だったんだ~!!というわけです。ところで、りんは先月の本震直後、自分専用の防災リュックを作り、今もすぐに運べる状態になっています。先日、ちょっと中身を拝見したら・・・下着、くつした、洋服、毛布、タオル。これはさすがきちんとしています。それから、なぜか、一番のお気に入りのぬいぐるみ、雑誌、カップラーメンが2個。そして、なぜか、私の靴下が1足。またまた、なぜか、おはじきが入っていました。勉強道具は入っていませんでした・・・・きっと、避難所生活を想定しての用意だったんでしょう。お友達と避難所でいっしょになったらやろうと思って、おはじきを入れたんですね。考えることが、きちんとしている部分と、まだまだ子供らしい部分があって、かわいいというか、おもしろいというか、また、りんの新たな面を発見した気がしました。子供なりに、短い時間で、真剣に頭を廻らせたんでしょう。りんも貴重な体験をすることができたんだなあと、思いました。が、この余震には、さすがのりんもこわがっちゃって、ちょっとした低い音などで、びくびくしています。一日も早くおさまって、心からのびのびした日々を親子で暮らしたいです・・・
April 15, 2011
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今日、4月6日はりんの始業式でした。いよいよ6年生。小学校最高学年となりました。いつまでも小さい小さいと思っていたのに、いつの間に大きくなって、と感慨無量です。さて、昨日までは、春休みでしたが、今回は今までとまったく違う春休みでした。毎年、春休みは、一泊する遠出をしたり、図書館通いをしたり、映画を観たり、と盛りだくさんです。しかし、今年は震災の影響でりんの好きな図書館、科学館、映画館、国営公園・・・と、すべて閉鎖状態でした。常磐線も不通のままです。それに、私としてもどこかに出かけるのが怖いような、不安なような感じで、すすんでどこかに行こうとは言えませんでした。ですから、楽しいところへはどこへも行けず、もっぱら家で私を相手にごろごろと遊ぶか、近所の友達と夕方まで遊ぶ(お友達もなぜかあまり出かけていません)、春休みでした。今回は、出かけられずつまらない休みになって、かわいそうなことをしたなと思っていました。一昨日の夕食時のことです。私が、「春休み、終わっちゃったね。どうだった?」と聞くと、りんが「春休み、ひとつだけ残念だったことがあった。」と言うんです。私は、え~!!何だろう。映画かな、電車に乗れなかったからかな、やっぱり、図書館だろうななど、いろいろ考えをめぐらせていました。りんが言ったのは、「断水が終わっちゃって本当に残念だった。」とのこと。みんなが、「水出なかったの、辛くなかったの?」と聞くと、「みんなで水汲み楽しかったな~」としみじみ言うのです。確か、水が出たのは春休み前のはず。地震があってから一週間休校になり、3日行っただけで、すぐ春休みでしたから、りんの中では、地震以来ずっと休みが続いていたのかもしれません。思えば、りんは一生懸命やってくれてました。小学校に水をもらいに行くときは必ずついてきて、重いジャグを運んだり、スーパーでの買出しにも一人で朝から並んで、順番を取っていたり、近くの消防詰め所で給水があると聞いたら、自転車にペットボトルを積んでもらいに行ったり・・・とにかく一生懸命だったんです。大人にとってストレス以外のなにものでもないライフラインの切断が、りんにとっては、貴重な体験だったんです。貴重だなんていうと、被災地で辛い思いをしている方に本当に申し訳ないのですが。今思えば、停電のときも、ろうそくを囲んで、りんの顔がなぜか楽しそうにみえました。楽しいところには行けなくとも、りんはこの震災を通して、何かを得て大きく成長したのかな、と思います。ずっと前のブログにも書いたけれど、やはり、子供の心は計れません。大人が不便だいやだと思っている中でも、子供はほがらかにたくましく乗り越えていく力があるんだなあと、感激しました。また、親がお膳立てをして、楽しいところにお出かけしなくても、子供は子供なりに楽しみを見つけて満足してるんですね。今回、親としてもいろいろ勉強することができました。
April 6, 2011
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あの大地震から2週間が過ぎました。電気、水道、物資と、次々と復旧し、残すはガソリン不足のみとなりました。ようやく、家族も落ち着いてきました。水道が出て大喜びで、久しぶりにゆっくり入浴でき、湯船で本など読む余裕も出てきたちょうどその頃です。余震とはいえないほどの大きな地震が来ました。震度は5弱で、またもや棚からものが落ちてきて、茶だんすが斜めに移動し、みんなで外に避難しました。それ以来、余震が恐ろしくて、またあのときの大地震がくるのではないかと、不安が私を支配するようになってしまいました。とにかく、茨城は余震が多いのです。余震のたびに、夜中でも飛び起きて、本棚を押さえたり、電気のコードを全部抜いたり・・・心臓の鼓動が異様に大きく速く、このままではノイローゼになってしまうのではないかと、真剣に悩みました。そんなある朝。新聞に、石巻のある小学校で100人ほどの生徒のうち、生存している子が30人しかいず、その小学校跡地で、わが子が遺した作文を読みながら号泣しているお母さんの写真が掲載されていました。読んでいて、引き裂かれるような思いとはこういうことを言うんだと思うほど、悲しく、辛すぎる記事でした。涙が出て止まりませんでした。そして、ちょうどその夜、石巻にうちと同じ震度5弱の余震が来たと、地震速報で知りました。辛く悲しみに包まれた石巻の方たちまた大きい余震が襲ったのです。あの、泣いていたお母さんも怖かったんだろうな、でも、怖いなんて気持ちなど吹き飛んでしまってるかもしれないな、とか考えているうち、自分の弱さに気が付きました。こんなに生活が安定してきたのに、余震だけに右往左往している場合じゃない、と目が覚めるような思いがしました。心身ともにもっともっと過酷で辛い人たちが何十万といる。自分にとって、やらなければいけないことがあるんじゃないか。と、ようやくようやく思えるようになったのです。今回、いろいろな方から励ましの電話をもらい、元気付けられました。その恩返しに、被害のひどかった方への訪問、電話等、私のできるところからやっていこうと思いました。小さなことしかできないけれど、被災地の一日も早い復興、そして、皆さんが早く元気になれるよう祈りつつ、がんばろうと決めました。我が家に全国キャンプ場ガイドという本があります。それを見てキャンプ場を決めるものです。その本が目に止まり、東北にもたくさんあるんだろうなと思いながらめくってみたら、岩手の陸前高田市の海沿いに、きちんと整備された緑のすばらしいキャンプ場が見つかりました。ほんとにきれいなんです・・・・お客さんに快適なキャンプ生活をおくってもらおうという気持ちが、写真を見ているだけでわかりました。それを見てまたまた涙が出てきました。三陸の大自然が早く元通りになって、また、優しい人たちが元気になって、すてきなキャンプ場や、漁港などが営めるようになることを強く強く念願する思いです。
March 27, 2011
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私は茨城県に住んでいます。今回、震災に遭いました。といっても、こうやってパソコンに向かっていられるのですから、宮城や岩手の方々に対して、震災に遭うという言葉を使うのが申し訳なく思います。しかし、今回、震度6強という、まったく経験したことのない、地震に遭遇して、本当にこわくてたまりませんでした。帰省していたよしは友達の家、りんは学校、両親は散歩、ということで、家にいたのは、私一人でした。細かい縦揺れから始まり、それがだんだん強くなり、家の中での危険性を感じ、外に出ました。家中のそちこちから、ものが倒れる音、割れる音が響いていました。その中を、二階のこたつで丸くなっていたねこのくうを助けるのがやっとだったのです。帰ってきた両親と、くうを抱きながら道路で近所の人たちと非難していました。何度も何度も余震が続く中、家が揺れる音を聞きながら、家が崩れるんじゃないかとパニックになっていました。そんな中、よしと連絡を取ろうとしたら、お友達のお母さんが車に乗せて連れてきてくれました。また、近所のお母さんが来てくれて、小学校にお迎え行っていいみたいですよ、と言ってくれました。小学校に迎えに行くと、りんが泣き泣き駆け寄ってきました。みんながそろって家に入ると、倒れていたものは下駄箱、本箱、ピアノが斜めに移動、二階はひどく、押入れの中のものがごっそりちらばり、ガラスの額縁が落ち、ガラスが粉々になり、りんの机の周りには、教科書、本、ぬいぐるみなど全部散乱していました。すぐに停電になり、暗くならないうちにと、片付けに入りました。よしが力仕事など、懸命に手伝ってくれました。りんは、片付けをしたくないらしく、飲み物をくばりま~す。なんてやってました。あらためて、みんな無事で本当によかったと、実感しました。停電は続き、断水にもなりました。ろうそくと懐中電灯、配給の水での生活が始まりました。プロパンガスは使えたので、食事は何とか作れました。暖房は石油ストーブたった一つ。そんな生活が3日間が続き、昨日、やっと電気が復旧しました。断水は続いています。そして、あらためて清掃し、落ち着いて見てみると、内壁にひびが何箇所も入り、外のコンクリートブロックもずれていました。地震の凄さを物語るものでした。停電、断水、ガソリン不足、食料不足、と、11日のあの時間以前には、まったく想像していなかった、非日常の生活を送っています。あらためて思うのは、ごく普通の平凡な生活がおくれることがどれだけ幸せかということです。そして、自分は地震当初、パニックになるだけで、子供たちのことでは、他のお母さんたちのおかげで対処できました。これで津波の地域とかだったらきちんと子供たちを守れたのかと、疑問に思います。今回、水はあるのかとか、充電は大丈夫とか、いろいろな人から声を掛けてもらいました。こんな時だからこそ暖かさが身に染みました。”助け合い”って、すばらしいなと実感しました。宮城、岩手などの地域では、たくさんの方が亡くなり、避難生活の方も苦しい生活をされています。亡くなった方へのご冥福をお祈りいたします。また、行方不明の方が一日も早く救出されることを、ただただ祈るばかりです。
March 15, 2011
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先日、りんの授業参観、懇談会がありました。授業参観は 、習字の授業でした。3~4人のグループで考えた四字熟語を、一筆ごと交代に書いていくという、にぎやかで楽しい授業でした。りんたちのグループも一生懸命で、一番最初に提出できて、とても満足気でした。書いた文字は「意気投合」です。仲良し仲間にぴったりの言葉です。ほかにも、女の子は優しく「一期一会」、男の子は力強く「森羅万象」、「風林火山」など、グループごとに考えた末、選んだ言葉だそうです。一生懸命考えて、力を合わせて仕上げていく姿が、微笑ましく、本当に感動しました。そんな楽しい授業なのに・・・です。いつものことですが、おしゃべりに夢中なお母さんが何人もいました。どうして、子供をきちんと見てあげないのでしょうか・・・子供たちに背を向けて、大声でしゃべっているお母さんさえいました。あまりにうるさすぎて、子供たちから注目されていました。それもわからずに、延々としゃべり続けていました。私は、「静かにしようよ」と、叫びたかったのですが・・・・できませんでした。勇気がないというか・・・逆切れされるのが怖いというか・・・要するに、小心者なんです。一生懸命な子供たちも先生もかわいそうで、それでも何もできない私自身も情けなくて、楽しいはずの授業参観が、後味悪く終わってしまいました。参観が終わり、懇談会が始まりました。残ったのは、なんとたったの6人でした。先生も「まだこれから来て下さるのを期待して」と言いながら、始められたのですが、結局6人で終わってしまいました。出席したお母さんは、中学受験を考えている、また、体が弱く先生にお願いしている、いざこざがあって先生に相談したい、といったお母さんたちでした。ですから、私が前に言おうと思っていた「月9」のドラマのことなんか、言える雰囲気ではありませんでした・・(汗)懇談会では、先生から重要なことをたくさん聞けて本当に有意義でした。出席できないお母さんは、もったいないなと思いました。でも、仕事等、いろいろ事情があって出られないのだから仕方ないんだろうな、と思いながら、帰ろうと昇降口に向かいました。そこには、なんとりんと同じクラスのお母さんが、別のお母さんとおしゃべりをしてたのです。懇談会も出ずに・・・おしゃべりする時間があるのなら、十分懇談会に出られたはず・・・そのお母さんはドン的存在で、上にお兄ちゃんがいるから、もう何でも知っていて、懇談会なんか関係ないと思っているんでしょうか。でも、仕事とはいえ、せっかく開いてくれた先生に対し、私のほうが申し訳ない気持ちになってしまいました。授業参観でおしゃべりするのも、懇談会に出ずにおしゃべりするのも人の自由と言われればそれまでなんですが、何ともむなしい気持ちで帰ってきました。私は、これからも、りんが来なくていいと言うまで、授業参観、懇談会は、ずっと、出ようと、ひそかに心に決めました。
March 7, 2011
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先週、りんにせがまれ、というか私も観たかったんですが、「毎日かあさん」観ました。子供ができてから今まで観た映画というとドラえもんから始まり、ワンピース、ジブリシリーズ、ハリーポッターシリーズ、ナルニア国物語、CGもの、というように、アニメか、ファンタジー一色、と、まさしく子供向け専門でした。ですから、普通の邦画を映画館で観るのは、本当に久しぶりで、私としてはとても新鮮でした。キョンキョンと永瀬正敏という元夫婦が演じているという興味も少しありましたが・・・・観ていて一番感じたのは、主人公のサイバラ(漫画家で二人の子のお母さん)の、お母さん振りが見事だということです。子供がすごいいたずらをした時も、どんなに締め切りがせまっている時も、夫カモシダ(元戦カメラマン、アルコール依存症)がよっぱらって家でひっくり返っているときも・・・いつもいつも、どうどうとしていて、二人の子をしっかり守っている。しかし、カモシダが、依存症から錯乱状態になり、家で大暴れして、子供たちがこわい思いをして、震えて泣いていたとき、サイバラは離婚を決意しました。自分の感情ではなく、やっぱり、このときも子供を考えての離婚だったのだと思います。ますます子供への愛情の深さに感動しました。カモシダは、家族を失って、心を入れ替える決心をしました。依存症施設で更正をしたのです。そこで器の大きなサイバラは夫を迎え、はじめて本当の家族になれました。子供たちは大喜び。カモシダは家族の写真をたくさんたくさん撮りました。でも、そんな家族に、がんがやって来たのです。カモシダががんになりました。最後の日々でさえも、サイバラはいつもと変わりなく、おおらかに、大きく家族を包み込んでいきました。たくさんの写真を撮りながら、立派に生きた姿を子供たちに見せて、カモシダは亡くなりました。泣き続けるサイバラを、子供たちはおどけて笑わせます。自分たちは一粒の涙を見せずに・・・・こんな子供たちに育ったのも深い愛情で包まれて育ったからなのでしょう・・・そして二人を抱きながら、サイバラは号泣・・・・そして私も・・・・本当にあった家族の物語でした・・・・・りんは、原作もしっかり読んで、映画を観たので、考えることも多かったと思います。「ぶんちゃんたち(二人の子供たち)、お父さんが死んじゃった時、まだ小さくてよかったよ。5年生ぐらい(自分の年)だったら、辛いよ~」と言ってました。やはり、お父さんが死ぬということの辛さを、ひしひしと感じたのだと思います。自分の父親だったら、と置き換えて考えたのだと思います。あまり多くは話さないんですけどね。私の、「元夫婦のキョンキョンと永瀬君」とかいう、ゴシップ的な興味など吹き飛んでしまいました。それほど二人の演技が見事だったんです。役者魂さすが!というところです。私も、この映画を観て、どんな家族でもいつ離れ離れになってしまうかわからないのだから、一日一日、力を合わせて絆を太くしていくのが、どれだけ大切かを気付かせてもらいました。また、どんな時でも・・・・と言っても難しいんですよね・・・本当に、何があっても、太陽のようなおおきな愛情でいつも子供を守っていく、「毎日かあさん」でありたいと、心に決めさせてくれた映画でした。これからも、冒険ものもいいのですが、こういうほのぼのとしながらも、深く考えさせてくれる映画を親子で見ていこうと思いました。
February 23, 2011
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毎日、寒い毎日です。寒いのにもかかわらず、3連休は、毎日出掛けてしまい、りんは、とうとう熱を出してしまいました。りんにせがまれて、映画(毎日かあさん)に行ったり、親子料理教室に行ったり。それもかなり遠出でした。せがまれてということもありましたが、熱が出たのはだいたいは親の責任です・・・・しっかり、治してあげなくては!ところで、今、月曜日9時フジテレビでやっているドラマが面白いんです。三浦春馬くん、戸田恵梨香ちゃん、2人の演技が好きだったのでそれだけの理由で見ることにしました。婚約者(恵梨香ちゃん扮する夏実先生)がいるにもかかわらず、さわやかで人気の修二先生(春馬くん)が、生徒と一夜をともにしてしまうことに。それが、学校の全員にばれて、生徒が泣き、叫び、大騒ぎになり、夏実先生との婚約まで危うくなってしまう。実は、生徒とは何もなくて、一件落着・・・・のはずが、なんと修二先生は可愛そうな境遇のその生徒を守るのは自分しかいないとか言い出して、夏実先生は、結婚式キャンセルまで追い込まれてしまって・・・その上、夏実先生のおなかには修二先生の赤ちゃが!!!というところで、今回は終わったんですが、私はこのドラマにはまりにはまり、面白くて次が見たくて待ちどおしいんです!!ただし、大人が見るとしての話です。学園ものの形はしているけれども、内容は、しっかりした恋愛ものです。子どもが見るものではないなと思って、りんが、宿題やら何やらやっているのをいいことに、こそこそ見たり、ビデオにとってあとで見たりしてるんですが、いつだったか、りんがしっかり私の隣に来て、「あ、これ見たい。クラスの子たくさん見てるから!」といって、見る気まんまんにしてたから、「これ、子ども向けの学校の話じゃないからだめだよ」と言って、追い返したんですが、どうしてだめかと聞かれて、しどろもどろになってしまいました。これを親子で平気で見ている家庭があるのかと思っただけで、こっちのほうがひやひやしてしまいます。「寝た」とか「関係を持った」とかいうせりふがばんばん出てくるんです。一話見終わった後、親子でどんな会話をしているのかと、心配になってくるほどです。りんが言うには10時、11時までドラマを見ている話をしている子が何人もいるそうです。大人になったら、思う存分恋愛ものでもなんでも自由に見られるのだから、小学生のうちはまだ早い!!と、私は思うのです。何見ようが、自由だろうと言われればそれまでなんですが・・・・今度、授業参観があり、そのあと懇談会があるので、私は言ってみようと思います。「9時ぐらいから、おませな学園もののようなそうじゃないようなドラマやってるんですけど、娘が見たがって困っています。みなさん、どうしてるんでしょうかね。」と、せりふまで考えちゃいました。でも・・・・・懇談会って残るお母さん少ないんですよね~・・・・特に遅くまでテレビ見せてるお母さんとか出席しないんじゃないかな・・・・と、私の勝手な推測ですが・・・・
February 16, 2011
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だいぶ、ごぶさたしてしまいました。このたびの私のけが、および、くうの食事騒動に対して、優しいコメントありがとうございました。本当にうれしかったんです!おかげさまで、私の肋骨の痛みが、ようやく・・・ようやく消え、普段通りの生活が苦もなく送れるようになりました。そして、くうも何事もなかったかのように、ご飯を毎日しっかりととっています。しかしながら、肋骨が痛くて痛くて辛かった間、膝、腰などいつも痛いと言っている年配の方々の気持ちが少しはわかったような気がしました。やはり、痛さとかは経験しなければわからないのですね。こうして痛さを味わったのも一つのいい経験ととらえていきたいと思いました。今までは膝が痛いんだ、とか腰が痛くて歩けないんだ、とか言う方の言葉を聞いても、そうですか~。早くよくなるといいですね。とは言っていたのですが、やはり、表面的な言葉だったと反省します。とか言いながらも、喉元過ぎれば熱さ忘れるとはよく言ったもので、痛さがおさまった私もそうなりつつあります。人の痛みを感じられる自分でいられるには、あの辛かった日を教訓として忘れずにいたいと思います。まだまだ寒い日が続き、道が凍結する日もあるでしょう。雪国では、そんなものではすみませんよね。くれぐれも、歩く時でさえも、お気をつけください。そう言う自分が一番危なっかしい気がしますが・・・これからもっと、ブログの更新がんばります!!
February 5, 2011
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数日前に、肋骨を痛めていまい、更新できませんでした。ひびとか骨折ではなく打撲でしたが、やはり、痛みはかなりありました。雪が降った翌日の朝、道が凍っていて、その脇には雪が残っていて、雪か氷か選び、雪を選んだところ、コンクリートの塊に気が付かず、派手に転んでしまいました・・・・・そんなこんなで、今はようやく痛みも1箇所だけが少し痛むくらいになってきました。やはり、健康が一番としみじみ感じました・・さて、4日ほど前でしょうか。うちの猫のくうが突然何も食べなくなってしまったのです。いつも山盛りのキャットフードを、ぺロっと平らげていたのに、そばに持っていってもプイっとそっぽむいてしまい、水も飲まなくなりました。人に抱っこもされません。全然元気がないのです。それがまる2日間。家族中心配で心配で、特にりんなんか大泣きです。みんなが暗い気持ちで3日めの朝を迎えました。私は、ネットでいろいろ調べ、「腎臓か肝臓が悪いんだ」とか素人判断で宣言してみたり、りんは「学校遅刻してでも、すぐ病院連れて行く」など、大騒ぎしていると、なんと、くうが用意してあったえさの所に行って、ものすごい勢いで食べているではありませんか!!みんな、びっくりするやらうれしいやらで大騒ぎになりました。「やった~!!」と、大拍手!!私もすごくうれしくてこんなにうれしかったことっていつだっけ??と思うほどでした。なんと、くうはいつも2回ほどの食事を、その日は5回も食べたのです。忘れていたかのように(笑)それ以来くうは変わらず元気に過ごしています。私は、くうがご飯を勢いよく食べた時に感じたうれしさについて、ああ、こういう気持ちどこかで味わったな、とふりかえりました。そうです。子どもの熱が下がった時、子どもの食欲が戻り普通のご飯をたくさん食べられた時、よしの退院が決まった時・・・etc・・・と、そいうときに感じた、心からの安堵感、喜びと同じでした。そう考えると、くうもすっかり我が家の一員で、かけがえのない存在になってるんだな、とあらためて実感しました。いつまでも長生きしてほしいと思うばかりです。思えば、子どもを持つようになって、心配は多いけれど、をの反面、喜びは、子どもなしには味わえないことはたくさんあります。自分のことだけでうれしかったこと、喜んだことはそれなりにあるけれど、子どもの健康が回復することほど喜ばしいことはなかったな、と、今回のことで痛感しました。もちろん、子どもたちががんばって試験に合格したり、いろいろなものにチャレンジして、子どもが成長していくことも大きな喜びです。それも、やはり健康な体があってからこそだと思いました。これからも毎日、無事故、健康で、すくすくと育っていってほしいと心から念願しています・・・・
January 22, 2011
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今年も年賀状のやり取りが行われ、旧友から、普段顔を合わせている人など、楽しく読んでいました。その中で、やはりありました。ゆうこからの年賀状・・・内容は、なんと、「私と会うとホっとする、近いうちにまた会おうね(ハートマーク)!」と、書いてあったんです。そうだったんです。ゆうこは私と会って、思いっきり言いたいことを言って、優越感に浸って、いい気持ちになることが、落ち着くことだったんです。私は、ちょっと違うのでは、と思いました。落ち着くというのは!落ち着くと言うのは、話のキャッチボールができて、お互いの波長があって、心から許せる相手で・・・・と、きりがないのですが・・・・知ってか知らずか相手を傷つけ、一方的に話して満足して帰るって、落ち着くって言うのかな~???と、頭の中は?マークでいっぱいです。でも、もしかしたら、ゆうこには、他に友達と付き合う時間もなく、私と会う短い時間だけがホっとするひと時なのかもしれないとも思うんです。教師ですから、もちろん平日は仕事。土曜日は、残った仕事。日曜日は、頼りのご主人は決まってゴルフ。落ち着いて誰かと会話したり、日頃のうっぷんを晴らしたりってできていないのではないかとも、少し心配になります。そう思うと私しかいないのかな。と、ちらっと思い、また話きいてあげようかな、と思ったりします。が、やはり、この前のことがあり、私はかなりカチンときましたので、自分としては当分は無理な感じだから、しばらくは距離を置くって決めたのですから・・・と、私の中で葛藤があります。友人関係でいえば私には、何かあったら呼び出せるママ友や、何でも聞いてくれる人生の先輩や、そして、わたしのブログを読んでくださる優しい方々がいる!ゆうこと比べるわけではないけど、私は人間関係という心の宝がある、それはすごく幸せなことなんだ、と、実感しています。年賀状をもらって、ゆうこのことは、時間をかけて考えていこうと思いました。
January 12, 2011
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今回のお正月、りんは、よしのいない分いつもよりちょっと多めにお年玉をもらえて、ほくほく顔です。お年玉を親が管理し、ちょっとブランドものの子供服を買おうかな・・・ということも、とうの昔に終わってしまい、いつしか、しっかり子どもの手元ににぎられています。りんの場合、いつも文房具などを買い込み、ちょこちょこ使い、6月ぐらいにはなくなっていました。そんなりんですが、先日ビデオ屋で、お年玉でEXILEのDVDを買うんだということで、つき合わされました。いつも、長く待たされるので、私はいつも週刊誌の立ち読み三昧です。その日も海老蔵が・・・とかいう記事を、さあ読むぞ!と、気合入ったところで、りんが、「もう買ってきたよ。さあ、帰ろう!」と、いやに元気に戻ってきました。車に乗って、見せてくれたのが、EXILEのバラード集という、渋いCDで、「中古だけど、これが聞きたくて。」と。そして、「あと、これはお母さんにあげる」と、東方神起のCD「Share the world」を、くれたのです。やはり中古で、「20%引き、少々キズ有り」なんて、シールがはってありましたが、かえってそれが子どもらしい感じがして、うれしくなりなした。「え~!!お母さんにくれるの~?ありがとう。すごくうれしいよ。」と思わず大声で言いました。「よかった~喜んでくれて。持ってるからいらないって言われるかと思った~」と、ほっとしてました。「そんなこと言わないよ。お年玉、なくなっちゃうよ。」と、言ったら、「買ってあげたかったから、大丈夫なんだ」と、言ってました。毎日、聴くねと言いながら、暖かい気持ちで帰ってきました。買ってくれたのは、私にだけではなく、おばあちゃんには鉢植えの花、おじいちゃんやいとこやおばちゃんたちには、ペットボトルのお茶と、みんなに買ってあげてるんです。「あと、お父さんだけだな。何買ってあげようかな」と、すごく楽しみな様子。上のよしは、使わずにずっと貯めに貯めて、大物をよく買っていて、それもえらいなと、思っていました。三者三様、うちは二者二様ですか。同じ子どもでも使い方は全然違うんですね。でも、今回はりんのサービス精神にビックリして、こんな面もあったんだ、と、新たな発見をしました。とともに、こういう気持ちはずっと持っていてほしいなと、思わせられる出来事でした。勢い付いた(?)私は、東方神起のジェジュンの髪型にしてくる(笑)と言って、美容院で切ってもらいました。当然ながらジェジュンには似ても似つかぬ私に、りんは、「あごの形が違う。顔も全部違うから、全然ジェジュンではないね」と、冷めた口調でシビアなご意見。こんな面も持っているんですから、面白い子ではあります。毎日のように、寝る前に一人でりんが、EXILEの「Ti amo」とか、おませな歌を裏声で歌っているのが聞こえてきて、おかしいやら、かわいいやらで、笑ってしまう今日この頃です。
January 8, 2011
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早いもので、新年明けて、三日が終わってしまいました。年末からさっきまで怒涛のようににぎやかで忙しい毎日でした。年末は大掃除に家族総出で追いまくられ、紅白も居眠りしながら見て、いつの間にか新年が来ていました。一日は、新年会で、毎年緊張の挨拶があり、それで一日が終わりました。宇都宮に住む妹夫婦が幼子を連れて来ました。妹家族を大のお気に入りの両親は、大、大、大喜びです。あまり喜ばれても、同居している私の立場は・・・・といつも、ちょっと辛いです・・・まあ、そんなこんなで、毎年妹家族中心のお正月が始まります。でも、りんが妹の子(りんのいとこですね)ゆうくんが大好きだから、まあよしとしようと、私は、おもてなし役に徹します。二日は毎年恒例の白鳥を見に、福島の川に行きました。人懐こい白鳥で、食パンの耳を手渡しで食べさせることができて、大人も子どもも大喜びです。私も童心に帰り、白鳥に噛まれた~!!、なんてはしゃいでみたり。白鳥が可愛くて、美しくて、とても心洗われるひと時です。今日は、近くに住むもう一人の妹家族が合流して、りんの学校に行って、みんなでボール遊びをしたり、遊具で遊んだり。この家にもりんの大好きないとこ、かあくんがいます。昼は子どもたちだけで昼食を準備するというのでお任せしたら、なんと2時間半もかかってしまい、その間、明日から仕事で単身赴任の夫は遅くなると言い、待ちきれずに東京へ行ってしまいました。遅い昼食となってしまいましたが、りんといとこたちは、達成感で、大満足だったようで、その顔を見ただけで、私まで楽しくなりました。次は宇都宮の妹夫婦が帰る番です。大騒ぎをしながら、嵐のように帰って行きました。夕食は、もう一人の妹家族と両親とバイキング形式のレストランへ行き、その足で、りんはかあくんと遊ぶために妹の家に泊まることになり(一ヶ月に一回は泊まってます)、両親と私だけが、ひっそりとした我が家へ帰ってきました。あんなににぎやかで忙しい日々はいずこに???と、いきなり家の中がシーンとしてしまいました。昨日まで夫とりんとでわいわいしていたこの部屋もシーン・・・こうやって、ブログを書いてます~・・・・・それになんといってもよしがいないお正月が、私にとっては寂しくて寂しくて・・・そんなにがんばらなくても、金銭的には大丈夫なはずなのですが、バイト先が人手不足だそうで、帰るに帰れなくなったそうです。私としては、当然帰って来るもんだと思っていたのですが・・・この寂しさにはなかなか慣れないものです。というか、私がわりきれない性質なんでしょうね。昨日の夜もみんなでトランプをしていた時、私が「よしが、まだ二階にいて、一人で勉強してるような気がするな」と言ったら、みんなも、「そうだね・・・・」と、しんみりしてしまいました。今までは、怒涛のにぎやかさに気が紛れていたんでしょうか。一人ぽつんとなって、あらためて寂しさがこみ上げてきてしまいました・・・・せめてりんだけでもいてくれたらよかったんですが。取り残された寂しがりやのママのお正月が終わりました・・・・ちょっと、今までの疲れと、満腹感から来る眠たさとで、まとまりのない、感傷的な内容となりました・・・・・・・申し訳ありません・・・・・・さあ、明日からは、心機一転、気合入れてがんばります!!!
January 3, 2011
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新年、明けましておめでとうございます。みなさん、おだやかな新年をお迎えのことと思います。うちでは、よしはバイトが忙しいということで、帰省できず・・・・私としては寂しい新年なのですが、妹夫婦が子連れで帰省して、その分にぎやかな新年を迎えています。年女のりんは、5歳のいとこのめんどうを、お姉さん風を吹かせながら、張り切っています!さて、昨年は、ある人からすすめられ、ブログデビューをして、初めてブログの世界を知りました。日記というよりは、悩み事相談のようになってしまいましたが、みなさんからの真摯な、誠実な、そして暖かいアドバイス、コメントをいたたきました。うれしくてこんなに勇気付けられたことはありませんでした。感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。そして、みなさんのブログを読ませていただいて、優しい気持ちになったり、わからなかったことがわかるようになったり、と、世界がすごく広がりました。ブログによって一つの宝物が増えた昨年でした。 今年も、引き続き稚拙な文章で、内容もちょっと自信はないのですが、ブログを書いていこうと思います。そして、ことしもみなさんのブログにお邪魔させていただきます!どうぞ、よろしくお願いします!!!本年一年がみなさまにとって、素晴らしい一年でありますように!
January 1, 2011
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前回のブログでゆうこのことで、落ち込んだ、愚痴っぽい内容を書いてしまったのに、皆さんから、真剣なコメントをいただき、本当にうれしかったです。ありがとうございました。これほど、勇気付けられたことはありませんでした。ブログをやっていて本当によかったな、と、しみじみ感じました・・・・おかげで、立ち直ることができ、ゆうこのことを冷静に考えることができるようになりました。ゆうこが、あのようになったのは、根強い訳があるのかな、と思えるようになりました。あまり、断言はできないんですが・・・・人の内情を暴露するような気がしますが・・・ゆうこのお母さんのことです。ゆうこのお母さんはもう亡くなってしまっていて、亡くなった人のことをどうのこうの言うのは、大変申し訳なく思うので、断片的に。一人っ子のゆうこは、かなりお母さんに管理されていました。とにかく勉強しないと怒られるのです。私も、いっしょにテスト勉強をゆうこの家に行って、少しおしゃべりをしてただけで、お母さんにものすごく怒られました。私まで!私は怖くて、そそくさと帰って来てしまったんですが、ゆうこは申し訳ないような、寂しいような複雑な顔をしていました。また、大学も、私立ではなく、国立。職業も、普通の会社員とかではなく、公務員などの安定したもの。結婚相手も、より学歴が高い人で、職業も、研究者か、学校の先生。お母さんが全部決めるのです。ゆうこもわかっていて、よく言っていました。「お母さんは、見栄とか体裁で、私のことを決める」と。ゆうこは、それでもがんばって、国立大学に入り、学校の先生になり、お母さんとしては大満足です。きっと、友人に自慢してたんでしょうね。ところがです。好きになって、結婚したい相手が、研究者でも先生でもなく、普通の会社員、それもまだ平社員だったものだから、お母さんは大反対。その怒りようはものすごかったのです。ちょっと、尋常じゃないのです。ゆうこが初めてお母さんのレールからはずれたのですから。それでも、ゆうこは彼と結婚することを決めました。ますますお母さんの怒りは最高潮です。あまりにひどいので、私は、結婚が決まるまで、一人暮らしをすすめたのです。その後、お母さんとゆうこのご主人はお母さんが亡くなるまで、打ち解けることはなかったようです。結婚を許さないまま、亡くなっていったんですね・・・私は以前、自分の親のことで(うちの親も、ゆうこのお母さんとは別の意味で、強烈です・・・)、Sさんというかたに相談にのってもらったことがあります。Sさんが言うには、そういうお母さんから生まれたのは、自分の運命のようなもので、お母さんが持っている生命の傾向性は、少なからず受け継いでいく。いやな傾向性だったら、今生きている間に、断ち切れる方法は絶対あるから、大丈夫だから、安心してがんばっていきなさい、というようなアドバイスをもらいました。また、お母さんよりも大きい人間になって、お母さんを守ってあげられるようになりなさいとも言われました。その時は本当にSさんに感謝の気持ちでいっぱいでした。悩みの本質まで掘り下げて、真剣に考えてくれた上で助言してくれるんです。今思うのは、私にはSさんのようなすばらしい人生の先輩や、親身になってくれる友人がいて、幸せだなということです。私は、Sさんの言葉を思い出して、ゆうこは、多少違っても、幹となる部分ではお母さんの生命をしっかり受け継いでいるなと感じます。見栄、体裁、優越感・・・そういうお母さんのもとで育ち、成長してきたのだから、この前の自慢話も当たり前のことだったのでしょう。氷山の一角かもしれません。Sさんが言ったように、私がいつの日か、大きい人間になって(いつのことやら)、ゆうこを包み込めるようになったら、また、ゆっくり会える気がします。が、今はまだまだ未熟ですのでだめですね・・・巻き込まれてしまうでしょう。しかしながら、考えてみれば、ゆうこも親にレールを敷かれて、かわいそうだったと思います。それも、ゆうこの本当の幸せを思ってではなく、見栄や外聞第一で子どもを思うようにしていったのですから。私も子を持つ親として、絶対にそのようなことはしないようにしよう。とは思いますが、現状、見栄とかは別にして、子どもにかわいそうな思いをさせたくないと思う気持ちから、先回り先回りしたいと思うところが、私にはあります。子どもには一つの大事な人生があるのだから、尊重して、任せるところは任せて、悠然とした母親になりたいです。本当に、ゆうこのことでは、ひとつ勉強になりました。と、やっと思えるようになりました。みなさんのおかげです・・・ありがとうございました。
December 29, 2010
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先日、久しぶりに凹みました。そのせいか、ブログにこの話題書けば、ものすごい愚痴になるなあ、とか思いながら、今日まで来てしまいました・・・・・やっと、落ち着いてきましたので・・・・・それは、先週のこと。高校時代からの友達ゆうこと、その息子さんけい君と、私とりんの4人で食事をしました。食事はおいしくてそれはよかったのでけれど、おしゃべりのゆうこがず~っとしゃべりっぱなし。まあ、それは前からのことだから私はいいのですが、子どもがいるのだから、もう少し子ども中心でよかったんじゃないかなと思いました。。りんなんか、内弁慶だから、ほとんど、しゃべらずに帰ってきました。ゆうこは、学校の先生、ご主人は小規模ながらも会社の社長さん、数年前に家を新築し、子どもも全員優秀・・・・と、まあ、ステイタス的には非の打ち所がありません。生まれた時から裕福で、何不自由ない生活を送っていました。ずーっと、今まで、エリート人生を歩み続け、今も、最高の生活を送っています。家族中で、アントラーズのファンで、話題はいつもサッカーのこと。それも、みんなで専門的なことを論議し合うそうなんです。とまあ、そんなこんなで、私も前は、ゆうこがうらやましいなと思ったことが何度もありました。でも、大人になるに連れて、ゆうこが今最高なのは、相当努力してつかんだものなんだと思えるようになり、こんなわたしのようなお気楽主婦とは、比べ物にはならないんだと、悟りました。しかしながら、私も、この年になるまで、いろんな人とかかわる様になってきて、まあそれなりに人生経験も積んできてますから、ゆうこの考えてることがわかってくるようになってきたんです。ゆうこは、悪気はないとは思うんですが、言いたいと思ったことは、すぐに口にするタイプで、会うたびに聞かせられるのは、ほとんどが自慢です。それも、私のうちではかないそうもないことを自慢して、「どう?あんたんとこではできないでしょ」と、優越感に浸っているのがわかっちゃうんですね・・・悲しいことに・・・昔はそんなに自慢する人ではなかったんですが・・・先週も、矢継ぎ早に自慢してました。子どもたちの前で、堂々と。今度、シャルケの内田君を応援しに30万かけて家族でドイツに旅行に行くそうです。この前はいろんなものが一気に壊れて、エアコン2台、新車1台購入したそうです。私は、せめてもの抵抗で「すごいね」とは、言いませんでした。自慢するのはいいけど、ゆうこは、人のことはあまり聞きません。聞いたとしてもそれを否定するんです。うちでは、子どもたちの行きたいところはできるだけ連れて行ったり、やりたいものを体験させたり、と、サッカー一本のゆうこのところは、正反対なのです。私がデイズニーランドやスパリゾートハワイアンズが、楽しかったことを言ったら、「ごめん。うち、興味ないから。」で、終わりです。息子のけいくんに、私は思わず、「サッカー好きになって、よかったね~。嫌いだったらたいへんだったよね~」と言ってしまったんです。すると、けいくんは、下を向いて、「本当は、サッカーやりたくなかったんだ。でも、無理やりやらせられたんだ。」と言ったのです。その顔が、ちょっと、寂しそうでした。私は、ちょっと、けいくん無理してるんじゃ・・・と思いました。その日のゆうこの自慢の極めつけは、長女のりいこちゃんのことです。「りいこ、推薦で、・・・大学に受かりました!医学部も行けるって先生に言われたけど、長いから、看護学部にするんだって。」と、さりげなさを装いながら・・・・また、一つ、ステイタスが上がったんですね。・・・大学は、超難関大学で、うちのよしなんか手も届かなかったところです。「よしくんは、どうがんばってる?」の一言も・・・・もちろんありませんでした。しかも、よしの大学名聞いたら、ちょっと、軽蔑した顔で、「ふーん」と言っただけでした。それには、さすがの私も凹みました。もう、付き合いはやめたいとさえ、思ったほどでした。人の気持ちのわからない人なんだなあ・・・・と、友達をひとり失ったような寂しい気持ちでした。あ~あ、と思いながら、別れて、帰りの車の中で、りんが言うのです。「りんが、東大受かったらお母さんも自慢する?」と。りんにも、ゆうこが自慢していたのを感じたんですね。私は、「はあ?と、とうだい~????」と思いましたが、「そうだね。聞かれたら言うかな。」と言いました。「りいこちゃん、すごいね。よし君よりもずっと上の偏差値の大学だよ」と言ったら、りんにまた怒られてしまいました。「よし君の大学もすごくいい大学だよ!お母さんは、なんでそんなこと言うの!?大学行きたくても行けない人がいっぱいいるのに!!」と。その日集まった4人の中で一番大人で冷静だったのは、りんだった気がしました。私は、知らず知らずのうちにゆうこに飲み込まれてしまい、りいこちゃんのことも含めて、ゆうこのところがうらやましいと思う私があったのかもしれません。それに気付かせてくれたりんに本当に感謝です。お金やステイタスがなくとも、いい子どもに恵まれ、ささやかだけど、笑いの絶えない楽しい家がある私は幸せだと、心の底から、思えたのです。ゆうこはずっとあの路線で行くだろうけど、それはそれでいいのかな、と思うけど、私はちょっと距離を置きたくなりました・・・・・・・・・・と、まあ長々と、途中、やはり、愚痴っぽくなってしまいました・・・・・・・申し訳ありません・・・・・・
December 22, 2010
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息子のよしは、今大学1年ですが、親の私が言うのもなんですが、素直で、優しく、ユーモアがあって、妹の面倒もよくみて、私もあまり怒ったことがなく、とてもいい子・・・・・・・・でした。ところが、やってきました。反抗期と思春期と、おまけにセンター試験恐怖症が!一気に!高3の12月ごろでしょうか。ぱったりと、口をきかなくなったのです。態度も傲慢で横柄で。よしの豹変振りに家族全員、どうしていいかわかりませんでした。しばらくそっとしていましたが、あまりにひどいので、私は始めてかみなりを落としました・・・・子どもたちを、目の中に入れても痛くないはずの夫も。2人に怒られて、大人は怖いと思ったのか、少しずつ話すようになりました。それでも、以前のような、優しくて面白いよしではなくなってしまいました。反抗期から脱却、とともに、人間性もかわってしまったのです。寂しい気持ちはしましたが、大人になってきた証拠なんだとあきらめるようにしました。私をはじめ大人には必要事項や友達のことは、ぽつぽつ話はしてくれました。ところが、妹のりんとは全く話さなくなったままなのです。あんなに優しかったおにいちゃんが、どうしてと、りんはとまどうばかりです。「どうして、りんだけには話してくれないのかな・・・」と、寂しげに何度も私に聞いていました。私は、どうしていいかわからず、「そのうち、話してくれるよ。」と言うだけでした・・・・私はよしに、「りんにちょっとでもいいから声かけてあげなよ。りんがかわいそうだよ。」と言ったのですが、何も言ってはくれませんでした。なんとかセンター試験を切り抜け、公立大学に合格し、ほっとしたのですが、相変わらずりんだけとは、話さないままです。一旦話さなくしてしまったから照れてしまっているのか、ふざけ合ってた2人だから、今さらふざけ合うのもばかばかしいのか。私はいくら考えてもわかりません。当のりんが一番かわいそうです。小さい時から、よしのあとを追いかけて、まねして、たくさん笑わせてもらって(よしにあやされて、笑っているりんの写真がたくさんあります)、やさしくしてもらって・・・そんな大好きなお兄ちゃんに拒否されて、心に傷がつかないはずありません・・・ただ、りんがマイコプラズマ感染症にかかってひどかった時、よしがすごく心配そうな顔で覗き込んでいたことがありました。私は、ああ、よしは、前のようにはしゃげなくなってしまったけれど、りんのことは、心配で気にかけているんだなあ、と、よしの本当の気持ちがわかった気がしました。私は後でりんに、よしがしんぱいそうだったことを話したら、とても喜んでいました。それだけでもりんが喜ぶなら、そうだ、私が2人の橋渡し役をやろうと、心に決めました。これからも、不器用でもよしはよしなりに、りんのことを気使っていくのだろうと思います。私としては、前のように仲良し兄妹に戻ってほしいとねがうばかりなのですが・・・でも、反抗期、思春期を通り越して大人に近付いてきたよしには、無理な相談なのでしょうか・・・・・・
December 13, 2010
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だいぶ前のことになりますが、国立ひたちなか海浜公園というところに、夫とりんと私とで行ってきました。5月でしたか、ネモフィラという花が満開で、それはそれは美しく、溜息がでるほどでした。見晴らしの丘と名付けられた丘一面、ネモフィラの水色で埋め尽くされていました。かなり有名らしく、ネモフィラ目当ての人たちでいっぱいでした。丘というくらいですから、頂上までけっこうあって、日頃、運動不足の私は、すぐにばててしまいました・・・疲れたから、昼食にしようとしましたが、人気の丘ですから、席が空いていません。執念でやっととれたベンチに座ることができたころには、目の下にくまができたのではないかと思うほど、わたしだけ、ぐったり。体力のなさに、虚しさを感じつつ・・・私とりんが並んですわり、向かいの席は夫と荷物。夫は、名物のなんとかベーコン焼きというものを買いに、果てしない長蛇の列に加わりだしました。夫のぶんの席に他の荷物を置き、いつ戻るかわからない夫を2人で待っていました。すると、夫が座っていないから、空いてるのかと思った人たちが、何人もやってきて、「ここ空いてますか」と。私は、「いえ、今来ます」この会話が何度も何度も繰り返され、私の声のトーンもだんだん低くなった頃のことです。一人のおじいさん(70歳くらい)が、だまって、向かいの席に座ってしまったのです。私はいい加減疲れきってしまったときですから、「そこ、来るんですけど!」とちょっと強い口調で、言ってしまったんです。すると、奥さんらしき人が、「あ、すいませんね。お父さん行こう」と、おじいさんをうながして、去っていきました。やっと、夫がベーコン焼きを持って戻ってきて、やっと、昼食です。ベーコンと、おべんとうのおいしさに、「疲れも吹っ飛ぶわ~!」なんて、上機嫌の私たちとは、対照的に、りんの元気がありません。おべんとうもそこそこに、「さっきのおじいさんたち、ちゃんと座れたかみて来る。」と言って、探しにいってしまいました。「芝生のところにお尻ついて、座ってたよ」と言いながら、帰ってきました。「若い人なら大丈夫かもしれないけど、りんは、年取ってるおじいさんとか、心配なんだ」そして、「どうして、おじいさんたちのこと、座らせてあげなかったの!」と、怒られてしまいました。「だって、お昼は、自分たち、家族だけで食べようよ。」と答えました。これは、私の本音でした。りんは「別におじいさんたちといっしょだってよかったよ。おじいさんたちが、かわいそうでしょうがない」と、泣きそうになってしまいました。たしかに、詰めれば座れた広さではありました。でも、私には、相席でごはんを食べることなんか、全然考えていませんでした。たとえ、おとしよりでも。やっととれた席なんだから、家族だけでゆっくり食べたい、それしか考えていませんでした。でも、りんは、違っていました。自分のことよりも、おじいさんたちをゆっくりさせたい、というそれだけの、まっすぐな気持ちでいたのです。わたしは、自分がすごく恥ずかしくなりました。いくら、疲れていたとはいえ、自分たちさえよけりゃ、それでOKという気持ちでいたんですから。他人を思う余裕など、これっぽっちもなかったのが、正直なところです。りんの、まっすぐな優しさに、人を思う気持ちをおしえられました。ああ、私は、何年生きてきたんだろう。いつから、こんなに自己中心的になってしまったんだろう。と、情けなさと、寂しさでいっぱいになりました。ふつう、親の背中を見て子は育つと言われますが、全くの逆です。りんに教わることが多くて、私のほうが育てられているんです。この前も、「あのおじいさんのこと思い出すとかわいそうになってくる」と言って泣いていました。こんな親だけど、りんにはずっと心優しい人として育って欲しいと念願してやみません・・・そして、私自身も、まだまだ成長していきたいと思っています。
December 8, 2010
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12月!いよいよ、クリスマスが近くなりました。我が家でもツリーをかざり、リースをかざり・・・と、いよいよクリスマス気分に。サンタさんは、長男が3年生までは来て、枕元にプレゼントが!!でしたが、それ以降はお決まりです。ばれて、「どうりであやしいと思ってた。」と言われ、あっけなく、終わり・・・・私の場合、いろいろ失敗があります。イブの日に寝過ごして、あわてて朝ベランダにプレゼントを置いて、「サンタさん、大きいからって、ベランダに置いてくれたよ!」と(大汗)。宅配便で頼んだものが、夫が一日早く着くように手配してしまい、到着するところを子どもに見られたり・・・・というわけで、怪しまれるのも当然です。りんの場合も、押入れにシルバニアのおうちを隠していたら、見つかってしまいました!また、べつの時は。夫がりんにプレゼントと考えたコートの画像を携帯で送ってくれたのですが、それを後になって、りんに見られてしまいました・・・・「ああ、ばれた、これでりんのサンタさんも終わりか・・・・・」と、ちょっと寂しい気がしました。何はともあれ、サンタさん作戦においてはミス続きの親に、よく2人とも付き合ってくれたな、と、しみじみしていました・・・・・・・こうも失敗が重なってはりんもさすがに「サンタさんって、お父さんとお母さんだったんだね・・・」と、言って、夢は終わりました。やはり、小3のときです。と、思いきや、去年から、「でも、やっぱり、サンタさんはいる!」と、言うのです。私は「へ????だって、サンタさんはいないんじゃ・・・・・・・・???」と、りんに言いましたが、「サンタさんは絶対いる!」と、断言するのです。私は、頭の中が?マークでいっぱいになりました。今年もやはり、サンタさんにもらうプレゼントを考え中です。私は不思議でならないのです。一旦はいない、とわかってしょんぼりしていたのに、どうして?私は、理由を考えてみました。 その1 サンタさんからも、私たちからもプレゼントをもらって、プレゼント倍増計画? その2 親があたふたしているのを見てみたい? と、後ろ向きな理由を考えてみましたが、りんの心から楽しむ姿から、どうやら、これらの理由ではないようです。そうなると、大のサンタさん好き、または、まくらもとに大好きなプレゼントが!!というわくわく感をずっと味わっていたい。これしかないな、と、勝手に解釈しました。そうなると、りんにとってクリスマス、サンタさんは、本当に大好きで大切なものなんだなあ、と思うと私まで楽しくなってきました。それなら、りんがいくつになっても、大人の私たちがサンタさんになってあげて、りんの枕元にプレゼントを気付かれないように置いて、いっしょに、どきどき、わくわくさせてもらおうかな、と、思うことにしました。私は、今年のクリスマスは、いつもより楽しみで、うきうきしています。
December 2, 2010
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先日、りんと寝るときのことです。りんの方から何やらにおいが・・・・・まぎれもなく、にんにくのにおい。夕ご飯の中にも、にんにく料理はないし、おかしいなあ、と思っていました。歯磨きも済ませてもまだにおっています。あまり、くさいくさいと言うと気にするだろうから、「今日給食なんだった?」とさりげなく聞いてみました。すると、りんがいかにも嬉しそうに、「今日給食でキムチが出て、となりのひかる君と、うまいね、うまいねって言いながら、何ばいもおかわりしたんだ。」と言うのです。それでにおいの理由がわかりました。キムチだったか~、と納得しました。となりの男の子とニコニコしながら、おかわりをしに行く、というその様子を思い浮かべるだけで、微笑ましくなりました。女の子ではなく男の子だというから、ああ、仲良しなんだなあ、と楽しい気持ちになりました。りんのクラスは仲良しです・・・・とは言っても、昨年は女の子同士、いじめとかいろいろありましたが・・・・りんも仲間はずれにされたり、無視されたりして、転校したいとまで言い出したりしたこともありました。その時はなんとか、親同士や先生を交えて解決しました。そんなこんなで4年生でいろいろあったおかげで5年生は平穏無事に、女の子たちは仲良くなったようです。女の子が仲良しになるのは当然という気がしますが、りんのクラスは、男の子とも仲がいいのです。昼休みもみんなでドッジボールやおにごっこをやったという話をよく聞きます。りんがピアノのコンクールが終わった次の日も、別の男の子から、「緊張したの?だいじょうぶだったの?」と聞かれたそうです。そんな優しい子もいます。りんは、毎日学校で面白いことがあって、すごく楽しいんだと言っています。私はりんからそういう話を聞いて、安心でもあり、とても嬉しい気持ちになります。と同時にうらやましくもなります。というのも、わたしの小学生時代(特に高学年)は、男女の仲がとても悪く、悪口は言い合っても、いっしょに遊んだことなんか一度もありませんでした。男子は女子の容姿のことを、直接本人に言っていじめてました。私も、ほっぺた真っ赤の田舎のねえちゃん、とか、ブスと言われたり・・・ひどいものでしたね・・・・おかげで私は化粧する年代まで、自分の容姿に対して、ひどいコンプレックスを持っていました。女子も負けずに、ひどいことを男子に言ってましたが。先生はどんなに仲が悪かろうが、何の対処もしていませんでした。そんなこと気にもとめていなかった感じです。ですから、小学校時代のイメージはいまだに、悪く、暗く私の中に残っています。それを考えると、教育関係のことは詳しくはわかりませんが、だんだん、教育委員会も整い、また、学校の道徳教育も充実してきているのではないかと、未熟ながら感じています。それでも、陰湿ないじめ問題など、問題も多いのは事実です。が、りんのクラスのようにみんなが仲良しで、学校に行くのが楽しみだということは、子どもにとってすごく大切ななことだと思います。そのように指導してくださっている先生に感謝です!暗いイメージの残る小学生時代は、辛いですのものね・・・・・明日からもりんに楽しい学校生活をおくってもらいたいです。
November 28, 2010
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先日、りんの学校で漢字力テストがありました。うちのりんは、94点でした。惜しいところで間違えて、私は「惜しいね~。でもがんばったね~」と、ねぎらいました。まあ、りんとすれば、ピアノのコンクールの時と同様、自分としては、完璧だと、思い込んでたらしく、100点が取れなくてかなり残念だったようでした。でも、次の日再テストが行われるらしく、りんは「明日、絶対100点取る!」と、鼻の穴をふくらまして、気合入ってましたから、私は、「よーし!がんばれ~!」と、励ましました。まあ、我が家としては、それで終わったのですが・・・・・・・次のりんの言葉にびっくりしてしまいました。「となりの席のともちゃんが、りんと同じ94点なんだけど、わあわあ泣いてるんだ。」というのです。りんは、持ち前の世話好きのお姉さん風を吹かして、「どうしたの~?うれしいの?悔しいの?」と聞いたら、悔しいらしいとか。周りのお友達も、みんなで「そしたら、また次がんばろうね。」と、口々に慰めたましたが、それでも、ともちゃんはずっと、泣き続けていたそうです。あとで、りんがともちゃんに聞いたところ、100点取ったら、ごほうびにゲームソフトを買ってもらえるはずだったそうです。実は、100点取れなかった悔しさで泣いていたのではなく、ごほうびを買ってもらえなくなって泣いていたのです。私は、びっくりしてしまいました。りんの話によれば、クラスの半分以上の子が、100点取ったらごほうびを買ってもらえると、言っていたというから、ますますびっくりです。そのごほうびというのも、3~4000円するゲームソフトだそうです・・・・・・・上の子の時からも、そういう話は聞いてましたが、こんなに、たくさんの子どもたちが、そうだなんて・・・・・私は、疑問に思いました。我が家は、長男のよしの時から何点取ろうが、一回もごほうびをあげたことがありません。通知表に関してもそうです。今回も、もちろんごほうびのことなんて考えてもいませんでした。幸い、りんも、「りんは、ごほうびはいらないよ」と言ってくれたので、よかったのですが。私としては、それまで一生懸命練習して出した結果なのだから、特に100点じゃなくても、親として、しっかり褒めてあげて、次はがんばろうとか励ましてあげるのがいいのではないかと思い、ずっと、そうしてきました。100点取ったらごほうびだったら、ごほうびの為にだけ、勉強する子になってしまうのではないでしょうか。お母さんは、どんな気持ちで100点にこだわって、ごほうびをあげるのでしょうか。本当に子どものがんばりをほめているのでしょうか。自分の自己満足ではないのでしょうか。社会に出れば、いやでも報酬制が待っているのだから、子どものうちから、勉強と報酬を結び付けなくてもいいのではないのでしょうか・・・・・・というのが、私の今までの気持ちです。でも、今回、クラスの半数も報酬制をとっているということは、何か別のいい面があるのではないか、と、ちらっと、思ってしまったのです。現に、ごほうびを買ってあげているお母さんに、インタビューしたいくらいです。子育てに正解、不正解は無いと思いますが、何が良くて何が悪いのかわからなくなってしまった今回の事ですが、やはり、私は、いくら考えても、「100点取ったらごほうび、通知表上がったらごほうび」の良さが、全くわかりません。やはり、ごほうびを買わない最後の一軒になっても、買わないなあ~とは、思います・・・・
November 22, 2010
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今年の夏休みの話に戻ってしまいますが、小5のりんは、好きな宿題はさっさと済ませたのですが、いやな漢字と計算ドリルだけが残ってしまい、8月26日頃からおおあわてで、一人で図書館通いをして無我夢中でやっていました。その図書館は、公民館と小さな公園が、隣接されています。疲れたら、公園でブランコに乗ったり、滑り台で遊んだりしていたそうです。そこに、27日頃から1匹の猫が公園に居ついたそうです。すごく人懐っこく、抱っこしても逃げなくて、いつの間にか、りんの大のお気に入りになりました。私も迎えに行ったときに見たら、誰にでも寄って行って、いやに痩せているという印象がありました。よく話を聞いてみると、その猫はペットフードらしきものを食べている様子はなく、公園に来ている子どもたちが投げる、チョコレートやスナック菓子をもらっているだけで、食いつないでいるらしいとか。りんは、可愛そうになったらしく、紙皿と一食分のキャットフードを持っていってあげたら、すごい速さで食べたそうです。妙に人懐っこいのは、食べ物がほしくてほしくてたまらないからなんだと思いました。そして、この猫は置き去りにされた猫なのでは、と感じました。とにかくその公園から離れた形跡はなく、住み着いているという感じでした。そうこうしているうちに8月29日のことです。なんとりんが、その猫をうちで飼いたいと言い出したのです。かなり、せっぱつまった表情で、鉛筆買って~、とか、メモ帳買って~とか言っておねだりする時の顔と全く違うんです。ペットショップで欲しい欲しいと言ってるような、可愛い猫とまるっきり正反対の、まさに、ボロ雑巾のように痩せて、汚れた猫なのに・・・私は最初、冗談かと思いましたが、りんの顔をみたら、こりゃ本気なんだ!と、わかりました。「猫がかわいそうでかわいそうで、助けたいんだ。おなかいっぱい食べさせたいんだ」と、私に訴えるんです。「それじゃ、夜図書館行ってみて、まだいるようだったら飼い猫じゃないと思うから、とにかく、見てこよう。もしいなかったら、飼い猫だからね。」と、言い聞かせて、2日間真夜中に行ってみました。するとやっぱり、いました。2日間とも公民館の像の下で目を真ん丸くして、りんを見ていました。捨て猫だね、と2人で判断しました。こうなると、りんは家に連れてきたくてたまりません。私も、りんのことも猫もかわいそうになってしまって、飼ってもいいかなと思うようになったのですが。問題は同居している私の両親です。お客様第一の2人は、猫嫌いのお客に嫌味言われるとか、毛が落ちて家が汚れるとかで、絶対だめ、そんなことばかり言ってました。これは無理だな、と思い、りんにそれを言ったら、自分の部屋でうつぶせになり、しくしく泣き始めました。いつもの私に対する甘え泣き~ではなく、心の底から悲しい、という泣きかたで、見ているわたしのほうも切なくなってしまいました。両親にりんがずっと泣いてることを言うと、さすが、孫の涙には弱いらしく、母親のほうが、家の外で飼うならいいと言ってくれたではありませんか。外ならいいと、父も。それを聞いたときのりんの喜びようったら、すごいもので、今鳴いたカラスがって感じでした。そして、8月31日、晴れてそのぼろぼろ猫ちゃんは、我が家に連れて来られました。名前は「くう」で、名付け親はもちろんりんです。いつもおなかを空かせて、くうくういってたからだそうです。1週間ほど、外で飼っていましたが、近所の愛猫家の人たちに、「猫を外で飼うなんて」と、母が怒られてきて、ある台風の夜、家に上がることができました。今ではすっかり、みんなに可愛がられ、すっかり家族の一員です。あんなに痩せていたのに、まん丸になってきました。もともと猫が大好きだった私は、可愛くてしかたがありません。りんに感謝です。私はりんに、手紙を書きました。「りん、お母さんはくうちゃんが来てくれてとてもうれしいよ。くうちゃんを助けてくれてありがとうね。きっと、くうちゃんもそう思ってるよ。」と。りんは、照れてるのか、それを読んで「ふ~ん」とか言っただけでした。今回のことは、大人の思惑とか見栄とかそんなことより、りんの、ただかわいそうな猫を助けたい、というまっすぐな心と強い熱意がはるかに大きかったことを物語っている出来事でした。子どもの純粋な心を、大人はいつ失くしたんだろう、と、寂しくもなりました。お菓子を投げるだけで、誰も助けようともしなかった猫を、りんだけが、助けたんだと思うと、親バカながら、心優しい子どもに育ってるんだなあと、感激しました。今でも図書館に行くと、家にいるはずのくうちゃんが、どこかにいるような錯覚に陥り、なぜか切ない気持ちになります。りんもそう言ってました。今日は寒いので、こたつの中で、ピーピーいびきかきながら、気持ちよさそうに眠っています。
November 14, 2010
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一昨日、ピアノのコンクールがありました。賞は、金賞、銀賞、銅賞、奨励賞(その他全員)があり、娘のりんは、小2から挑戦して、ずっと、奨励賞の常連です。ただ、出て楽しみたい、というだけならいいのですが、本人は銅賞以上は取りたいという気持ちがあるらしく、親としても、それならどうにか取らせてあげたいと思って、今年も臨みました。さすが、コンクールだけあって、普通の発表会と違い、毎年ほとんど全員がノーミス。途中でとまっちゃうような子はもちろんいません。うちのりんはというと、毎年ちょこちょこ間違ってしまい、指がすべってしまい、音を飛ばしてしまいます。すごく緊張してしまうのです。そして、いつも奨励賞・・・今年も、例年同様、みんな完璧に近い状態まで持ってきていました。りんは、というと・・・・・・・また、やってしまいました。テンポがどんどん速くなり、緊張のため、指も滑りっぱなし。観ている私のほうが可愛そうになり、もうやめてもいいよ、と言いたくなってしまったほどです。まあ、りんは、曲の仕上げが遅く、よく固まらないうちに当日になってしまった、という理由はあります。他の子たちは、本当に完璧です。が、ここまで来るのに、泣きながら、死に物狂いで、練習に練習を重ねてきたことが、すごく伝わってきました。それを考えると、りんの練習に対する姿勢、コンクールに向けての決意などが、甘かったように思います。でも、本人としては、昨年までよりは、今回はよくできたと思ったらしく、銅賞以上は取れると期待していたみたいです。聴いていた私は、今回も無理かなと思いましたが、本人には口が裂けても言えません。そして、いよいよ、結果発表です。りんは・・・・・やはり、奨励賞でした。りんは、もちろん、がっかりです。 3人の審査員の先生からの講評を書いた紙をもらい、帰ってきました。その中の2人の先生は、いつも通り、具体的に、ここはこのようにしましょう。とか、テンポともう少し、ゆっくりにしましょう。という感じでした。ところが、A先生の講評を読んで、びっくりしました。子どもに対してここまで?というくらい、屈辱的な酷評でした。りんは、それを読んで何も言いませんでした。私ひとりで「こんなに書かなくてもいいのにね~」とか、「ひどすぎるよ~」とか帰り道でぼやいていました。もし、私だったら、もう絶対に出ないだろうな~と思いながら。さて、一日たった昨日のことです。りんは、来年のコンクールも同じ級に出る。早くピアノの先生と、今回の曲の復習がしたいと言うのです。「え~!あんなことかかれても~?」と、思わず言ってしまいました。すると、りんは、「A先生のおかげでそう思うようになったんだよ」といったのです。私は、失敗したと思いました。りんにはりんの思いが、しっかりあって、私が思うよりずっと打たれ強いんだと思いました。打たれ弱いのは私の方だったのです。かわいそうで、もうコンクールやめよう、とどれだけ言いかかったことか・・・・・A先生のことあんなに言ってしまって、失敗した~と後悔しました。子どもにもひとつの人格があるのだから、私の気持ちや考えを押し付けるのは良くないことなんだ、と痛感させられました。甘えっ子だと思っていたりんが、たくましく感じました。来年のコンクールも、せいいっぱい応援しようと、心に決めた、未熟な母親でした。
November 9, 2010
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いよいよ、今月ハリーポッターの映画、完結編が始まります。我が家は、第一作の賢者の石の時からずっと、本を購入、家族全員で映画鑑賞、次にビデオ(後にDVD)購入を続けていました。年中行事の一つにさえなっていました。そのたびごとに、ああでもないこうでもないとハリーポッター論議をしてきました。ですから、いよいよ、それもこれで最後となると、ものすごく寂しいものがあります。主役のダニエルくんと、息子のよしは同じ位の年齢です。賢者の石でマシュマロカットの丸顔のハリーが登場した時は、よしは、後頭部ジョリジョリのぼっちゃんカットでした。もちろん顔もまんまる。そんなよしも、最初から、ハリーが魔法学校に入学して、友達ができたり、辛いことに出逢ったり、最大の敵と戦ったりしてきたを、うきうき、はらはらしながら応援してきました。このシリーズは魔法の世界の面白さ、ふしぎな生物、ユニークな先生たち、と、楽しい世界を見せてくれました。こんな映画は初めてで、面白くて面白くて、親子ではまっていました。そんなハリーも最終章にいくにしたがって、体も心も、大きく強く成長していきました。映画と現実と、次元は全く違うけれど、うちのよしも大きく大きく(大きくなりすぎ?)成長しました。映画のように波乱万丈ではないけれど、よしもいろいろなことを体験し、つらいことも乗り越えて、ここまできました。そして、今、ハリーは、最大の敵との対決、という局面を向かえ、リアルタイムでは、私たちの前から姿を消します。私たちのもとから旅立っていってしまう・・・・一人の息子を送り出す感じで、寂しくて仕方ありません。よしも、今は親元を離れて一人暮らし・・・・一足先に旅立って行きました。本当にハリーとよしは、一緒に成長してきたんだなあと、しみじみ思います。ですから、今回の最終章は我が家にとっても、特別の意味がある映画です。もう一緒に映画館に行くことはないと思うけれど、今まで、よしと本の話をしたり、ストーリーについてずーっと話したり、ハリーシリーズについては、他の映画にはないたくさんの思い出ができました。ハリーの旅立ちをお祝いするとともに、作者、映画作成者、そして、ハリーに「今までありがとう!」とお礼が言いたいです!
November 4, 2010
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昨日は、りん昨の小学校で、お祭りがありました。りんは実行委員で、開会宣言をやるというので、早々と行って、保護席の一番前に座りました。息子の時からずっと、席は真ん中より後ろ。役員をやっていた年は座れもしませんでした。さすがに、子どもが実行委員になっているというだけで、気合が入るものですね。きちんと、りんが開会宣言するのを見届けほっと安心し、次は全校合唱です。今までは、前の人の頭が気になったり、近くの席のお母さんとおしゃべりをしてたりで、きちんと、全部歌を聴いたことがありませんでした。けれど、今回は一番前の席。周りにおしゃべりするようなおかあさんも見当たりません。おかげで、娘以外の学年の子どもたちの歌まで、しっかり最初から最後まで、聴くことができました。学年によって曲が合っていてとても素晴らしく、低学年は「ドレミの歌」をお遊戯を付けて、可愛かったし、高学年にいくにしたがって、ハーモニーが綺麗でした。りんも一生懸命心を込めて歌っているのがわかりました。私は一瞬、子どもたちと私しかいないんじゃないかと思うほど、歌の世界に一気に引き込まれていきました。曲を作った人の心と、生徒たちをここまで持ってくる先生方のお力と、そして何よりも、心を込めて一生懸命歌う子どもたちのきもちがひとつになって、素晴らしい世界をつくりあげたんだと思ったら、自然と涙が出てきました。終わったときは、子どもたちひとりひとりの肩を抱いて「じょうずだったよ。」と言いたいほどでした。日々の大人特有のしがらみとか、その他もろもろのことに追いまくられているわたしにとって、昨日はひとつの参観日を越えた、人生でも忘れない一日になりました。本当にみんなに、「ありがとう」とお礼を言いたいです。子育てと言うよりも、子どもに育てられるって言うこともあるんですね。
October 31, 2010
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小5のりんには、将来の夢があります。ピアニスト、獣医、医者、介護福祉士、モデル、タレント、ミュージカル女優・・・・・などなど。なんと、的が定まっていないと言うか、幅広いのでしょう。でも、それぞれ、思い付きではなく、ひとつひとつ、なりたい理由があるのです。説得力があるのか、その理由を聞いていると、こっちも変に納得してしまって、なんだか実現しそうな気がしてきてしまうから不思議です。上の子は中学の頃から、夢は公務員、それも市役所勤務、ひとすじでした。これまた、夢が少ないというか、かなり現実的です。今、大学で土木系の勉強もしているから、もしかしたら、案外夢がかなうかも。上は地道に行くタイプ。下はとにかく挑戦、挑戦!兄妹、極端に違います。こっちは、ちょっと面食らうところですが、それはそれで、いいのではないかとも思います。それぞれ、後悔しない道、自分が一番輝いていける道に歩めるよう、親としてはせいいっぱいの応援をしていこうと思います。しかしながら、りんも、5年生も半年をきってしまい、そろそろ、塾に行くとか、芸能関係を調べるとか、将来の夢にむかっての準備をしなくてはならない時期なのでは・・・・と、考え始めている今日この頃ですが・・・・りんは相変わらず、全部なりたくて、的が絞れずにいます。全部できるものならならせてあげたいけれど、何しろ、多方面にわたり過ぎていて、兼業のできないものばかり。まあ、焦らず、夢を持つことの楽しさをまだまだ味わっててもらおうかな、と、のんびりママは思うのです・・・・・・
October 28, 2010
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これは、たあちゃん一家の子育て奮闘記です。一昨日、サークルの集まりがありました。私は娘のりんと出席しました。大人中心の話だったので、子どもたちはロビーで、思い思いのことをして、待っていました。様子を見に行くと、りんはお友達のあやちゃんと、楽しそうにおしゃべりをしていました。あやちゃんとは、幼稚園の頃からの友達で、とても気が合い、ずっと仲良しです。あやちゃんには、生まれつき体の不自由な弟のたあちゃんがいます。歩くことと、しゃべることが不自由なのです。一昨日は、久しぶりにあやちゃん姉弟とりんは遊んでいました。会が終わり、りんたちの所に行ってみました。久しぶりのせいか、たあちゃんがとても大きく見え、小5のあやちゃんと変わらない体格になっていました。りんが、私に「たあちゃん、歩けるよ。」と言うのです。わたしはびっくりして、「え~ほんと~?」と、大声を出してしまいました。すると、あやちゃんが、「見ててね」と私に言って、おいでおいでをすると、なんと、たあちゃんが、お姉ちゃんに向かって、歩き出したのです。2歩でしたが、確実に歩けました。そのうえ、たあちゃんが、大声で笑っているのです。私は「ほんとだ~歩けるようになったんだ!!!」と、また大声で叫んでいました。小柄なあやちゃんが、同じぐらいの体格の弟をしっかり受け止めて、その必死な表情がけな気で、ものすごく胸を打たれました。おかあさんは、遠くで見守っていました。あやちゃんに、全幅の信頼を寄せているという感じでした。あやちゃんとたあちゃんを見るお母さんの顔には、満面の笑みが浮かんでいました。私が今まで出会った中でも、最高の笑顔だと思います。きっと、たあちゃんが生まれてから、私には想像もつかないほどの苦労があったに違いありません。でも、おとうさんとあやちゃんとおかあさんとで、必死の思いで本当に力を合わせた結果、たあちゃんが、こうやって、笑ったり、歩いたりできるようになったのでしょう。たあちゃん一家の一歩一歩の勝利を、おかあさんのこぼれるような笑みが、すべてを物語っている気がしました。そのうちに、サークルの人たちが帰るのに巻き込まれてしまい、たあちゃんのおかあさんと話すことができなかったのが、とても残念でした。こんなことを言うのは、とても、無責任かもしれませんが・・・・・これから先、たあちゃん一家に、困難が立ち向かってくるかもしれません。でも、お父さんとおかあさんとあやちゃんなら、絶対大丈夫と確信しました。それほどまでに、優しく、力強い、お母さんの笑顔でした。私にそこまでの笑顔ができるかどうか自信がありません。私は、本当に無力です。ですから、かげながら、たあちゃん一家に最高の応援していこうと心に決めました。
October 25, 2010
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めっきり涼しくなり、食欲の秋になりました。食卓にも、秋の味覚、さんま、栗、さつまいも・・・etcが並びます。娘のりんも喜んで食べますが、繰り返し、繰り返し食卓に出されると、さすがに、「また、これ~」とか、言って残してしまいます。私の料理のレパートリーの少なさ、工夫のなさの結果です。そのうえ、我が家は大皿ではなく、銘々皿に分けて出すものですから、どうしても、りんのお皿には、いつも何かしら残っています。まだ小5で、女の子とくれば、食が細いのは当たり前なのでしょうが、食べてもらいたいという一心で、大人と同じ量を出してしまいます。少々残っていても、バランスよく食べればよしとしよう、と自分自身に言い聞かせ、残っていてもあえて全部食べるようには言いません。そうなるとです!お皿に残ったおかずは、いずこに?ということになります。冷蔵庫に保存して明日の朝のおかずに。というのが、一番いいのでしょうが、目の前においしそうな煮物や、ドレッシングのたっぷりかかった野菜サラダなどが残っているんです。ついつい、「もう食べないの。しょうがないね~」とか言いながら残り物をしっかり平らげている私がいます・・・・これは、秋に限ったわけではないのですが、最近特に、食欲があって・・・・・・・・ウオーキングは明け方少々やることはあるのですが、運動量が少なすぎ、カロリーはしっかりとっている。これってかなりまずい・・・・と、心で思っていても、ついつい・・・・なんと意思が弱いのでしょう!スラっと上に伸びていくりんとともに、むくむく横に広がって行く私。これは、なんとか改善しなくてはいけません。まず、りんがおいしかったと全部食べてくれるような調理の工夫が第一だと思うのですが、なかなか思いつかなくて・・・・・バランス良い食事で、大人も子どもも喜んで食べられるもの。これから研究していこうと思います。せっかく自然の恵みがくれた、味覚の秋ですから!旬のものを子どもにたくさん食べさせたいですよね。ただし、私は別の面で改善が必要です!かなり、意思を強くしなければ!このままでは、たいへんなことに・・・・・・
October 20, 2010
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それは、今大学1年のよしが、小5の時ですから、かれこれ8年前になります。子育て奮闘してました日記になってしまいます。よしが、体調不良で、総合病院に行ったのは、夏休み真っ盛りの8月始めのことでした。お医者さんの診断は、溶連菌から来る急性腎炎とのこと。数週間前、近くの町医者にかかりましたが、溶連菌とわからず、ただの風邪として放っておかれていたため、菌が生きていて、腎臓に来てしまったのです。お医者さんは、「3週間ほど入院しましょう。」と、さらり。私とよしは大ショックです。これから夏休み本番で、キャンプや海水浴や、いろいろ計画を立てて、楽しみにしていたのに・・・・・・・・私はどうして町医者にかかってしったんだろう、最初からこの病院で診てもらえばよかった、と自分を責めました。失意の私たちを看護婦さんが病室に案内してくれました。そこは小児専門ではなく、普通の男の人と一緒の部屋でした。3人の無愛想な(その時はそう思いました)おじいさんがいて、テーブルには思い思いのジュースやお茶や、おいしそうなお菓子が置いてあり、それぞれ時代劇を見たり、昼ねをしたりと、入院生活がしっかり定着している様子でした。親以外のおじいさんとは、あまり接する機会がない私は、この相部屋のかたがたにどう対応すればいいのかわかりませんでした。ましてや、子どものよしなんてなおさらです。ここに3週間もいなくちゃいけないのか・・・・・私たちは途方に暮れました。看護婦さんから、いろいろ注意がありました。「ジュースもお茶もお菓子もだめ。おかずは当分、味はありません。」と。私は「せめて、スポーツドリンクはだめですか。」と聞いたら、「はい、だめです。飲めるのは水だけで、毎日決まられた量だけ飲んでください。」と、きっぱり。ますますよしがかわいそうになりました。下の子がまだ3歳なので、私は泊まらずに、母に付き添ってもらいました。次の朝、よしの病室に飛んでいった私は、びっくりしました。なんと、おじいさんたちのテーブルの飲み物が、ジュースやお茶ではなく、ミネラルウオーターに変わっていたではありませんか。お菓子も全然見当たりません。私たちと看護婦さんとの会話を聞いてくれてたのです。おじいさんたちの細かな配慮がうれしくて、私は泣きそうになり、ちょっとでも、途方に暮れたことがすごく申し訳なく思いました。数日後、よしは、高血圧から意識障害を起こしてしまいました。パニックになる私の目の片隅に、おじいさんたちの心配そうな顔が映りました。重症ということで、個室に1週間ほど移っていました。そして小康状態になり、また元の部屋へ。最初無愛想だと思っていたおじいさんたちが、しゃべるしゃべる。「お~帰ってきたか~」「もう大丈夫か~?」「また一緒に水戸黄門見られるな~」と、よしを、暖かく迎えてくれたのです。そして飲み物は変わらずミネラルウオーター。よしのこと、本当に心配してくれていたんだ、と、心の底から感じ、私はうれしくてなりませんでした。よしの退院の日が来ました。もうすでに2人のおじいさんは退院していて、木村さんというおじいさんだけになってしまいました。その頃にはもうよしは、木村さんと大の仲良しになっていました。私は、木村さんに万感の思いを込めて、「ありがとうございました。本当にお世話になりました。」とお礼を言いました。夏休みを奪われ、おいしいものも口にできないかわいそうな少年を、木村さんたちは、精一杯励まし、元気付けてくれたのです。楽しいはずの夏休みが病院生活で終わってしまったよしでしたが、3人のおじいさんという人生の大先輩から、心からの優しさというかけがえのないものをもらうことができました。大きな心の財産ができた小5の夏休みでした。 私は8年たっても、このことは忘れられません。一生忘れたくありません。そして、今度はわたしたちが、人に優しさをあげられる人間になりたいと思っています。それが、木村さんたちへの恩返しになれば・・・・・
October 13, 2010
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息子のよしは今年4月から大学1年、一人暮らしが始まりました。この10月まで振り返ってみると・・・・3月。あたふたと、アパートを決め、生活用品、家具、スーツetc・・・を買い揃え、荷造り、公共料金の申し込み、引越しなどなど、駆け足で時が過ぎました。私は始めて子どもを手放す心配と寂しさとやることの多さで、本当に目が回り、ぶっ倒れました。4月。入学式後、よしは一人になり、今度は自分で何から何までやらねきゃならない、ということで、質問メールの嵐でした。私は、空っぽになったよしの部屋に入り、机なんかさわりながら、どうして行っちゃったの、なんて、独り言を言ったりしてました。でも、すぐにGWがくるということで、4月も乗り越えました。5月、6月は、奨学金の申し込み、バイト探し、はたまた教習所に通いたいと言い出し、これまたあっちとこっちで大忙し。そして、あっという間に夏休みです。昼夜逆転の生活で、3週間ほどこっちですごし、バイトだって言って、バタバタと帰っていきました。送られてきた成績表は思いのほか良くて、バイト、教習所と忙しい中がんばってたんですね・・・・・・・そんなこんなで、よしの生活も軌道に乗り、私のメールに対しての返事は、「うん。」「わかった。」「うん。」「わかった。」それだけの繰り返しです。たま~に絵文字をお情けにいれてくれますが・・・・・・それだけ、心配事がないって証拠なんだと、思おうとしてます。私の方も、よしのいない生活に慣れてきて、さらに、家で猫を飼い始めて、みんなそっちに夢中で・・・・そんな中、つい3日ほどまえ、一人で車を運転していたときのことです。カラオケ好き(特に70~80年代の青春歌謡的な歌)な私は、「今度、何歌おうかな。百恵ちゃんの秋桜なんか季節的にいいかな」なんて、一人で歌いだしました。しばらく歌ったとき、歌詞の中で、突然涙をこぼし、元気でと何度も何度も繰り返す母、というところで、急に涙が出て、歌えなくなってしまったんです。よしのことを送り出したときのこと、空っぽになったよしの部屋に入って、きれいになった机を見たときのこと・・・・たくさんのことが思い出されて、涙が止まりませんでした。作ったさださんといい、歌った百恵ちゃんといい、歌の力って、すごいなって、しみじみ思いました。よしを送り出して、うるっときたときは何度もありました(本人の前では、平気な顔を作ってました)が、こんなに涙が出たのははじめてですから。歌に感情移入するってこういうことなんでしょう。娘さんを嫁がせるってこういう気持ちなんだろうと、少しわかった気がします。もっともっとせつないんだろうなと思います。いつも、よしのこと、遠くから見守ってるよ、と言葉ではなかなか言えないけれど、これからも毎日よしが元気でいられるように、願っていきます。
October 7, 2010
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私は、2人の子どもたちの作ったもの、書いたもの、その他・・・etc・・・・が、捨てられないのです。通知表、テストの順位表は写真とともにアルバムにおさめ、答案用紙、教科書、ノート、なわとび記録表まで、全部、学年ごとにダンボール箱にいれて、押入れに入れてあるのです。長男のよしは、いま大学1年ですから、幼稚園で作ったこいのぼりから始まり、高3の模擬試験の結果の果てまで、箱の数、なんと総勢17個!娘のりんは小5ですので、7個。2人合わせて・・・・・・・24個!!!!それがなんとせまい我が家の押入れに詰め込まれているんですから。押入れの悲鳴が聞こえるような・・・・・その箱がなければ、どれだけの物が収納できるかと思ったら、少しは処分してしまおうか、と、チラっとは思うんですが。それができないんです・・・・・よしやりんが、幼稚園や学校で一生懸命つくったんだろうなとか、頭悩ませ問題解いたんだろうな、とか、思っただけで・・・・・ああ、捨てられません・・・・・よしなんか、「あとで、あんたのだよ、はい。なんて、全部渡されても困るよ」って言ってましたっけ。私は、「お母さんの宝物だから、お母さんが死ぬまでそれはないよ」と、言ってあげたら、安心したような、しないような、微妙な顔をしてました。妹に言ったら、「私はすぐテストでもなんでも捨てちゃうよ。とっておくって信じられない」なんて言われてしまいました。同じ姉妹でも極端に違います。私自身のものはさっさと処分してしまい、さっぱりしたもんですが、子どもたちのものは、誰に何を言われても、やっぱり、捨てられない・・・・・です。下の娘のりんが高校卒業するまで、あと8年ってことは、あと8個箱が増えるということです!この調子でいくと、この8個は押入れをこじあけてでも、収納するつもりです。
October 4, 2010
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こんにちは。はじめてブログを書かせていたできます。先輩のみなさんのブログよまさせていただいていると、胸にしみるものや、楽しいもの、たくさんあって、みなさんすごいなあと、感動しています。わたしも、これからがんばっていきます。2人の子持ちで、毎日忙しいですが、少しずつ自分の時間もできてきました。上の子は大学生のよしくん。今一人暮らしをしています。下の子はりんちゃん。小5です。ふたりとも、今まですくすくとそだってくれました。でも、いろいろあって、パニックになったときも何回もありました。これからもいろいろあるでしょうが、一生懸命子育てしたいです!
September 30, 2010
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