ただただひたすら雑念を捨て去り、目の前の文章に精神を集中する。
それ以外に何も視野に入らず、どんなに物音がうるさい場所にいても耳には何も聞こえず、文章の意味以外の思念が頭にまったく浮かんでこずという状況にまでいたると、突然驚くほどのスピードで、目が走っていくようになる。
文字の上を目を走らせていく生理的スピードの限界がもどかしいくらい意味を取るスピードがあがってくる。
すると今度は、いわば視線が文字の上を自然にスキップしていくような状態になる。
いま自分は目で文字を読んでいるのだという自意識が消える(完全に消えるわけではなく、切れ切れになる)。
それでも意味は一貫して継続して流れ込んでくる。
ここまでくれば最高である。
精神の集中だけがこういう状況を作ってくれる。
精神能力をそこまで引き揚げることができるかどうかでインプット能力には圧倒的な差がつく(当然その結果としてアウトプット能力にも差がつく)のだから、精神集中訓練を若いときにしっかりやったほうがよい。
最初に速読を求めてはならない。速読は結果である。
とする。
そうだね。 いつの間にか速読になっているというのが本当でかつて巷間にぎわっていた速読術というのは、知的生活では、相容れられないことなのかもしれない。
読書に関しては、
金を惜しまず本を買え。
一つのテーマについて、一冊の本で満足せず、必ず類書を何冊か求めよ。
類書を読んでみてはじめて、その本の長所が明らかになる。
そのテーマに関して健全なパースペクティブを得ることができる。
速読術を身につけよ。
できるだけ短時間のうちに、できるだけ大量の資料を渉猟するためには、速読以外にない。
本を読みながらノートを取るな。
というようなことは、多くの知的生活者が述べていることだから、いまさらながら、の感もあるけれども知的生活に関しては、基本中のキの字なのだと思う。(9/16記)
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