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5月には沖縄(那覇)と岩手(盛岡)から、再就職支援セミナーの講師として呼んでいただくことになりました。 7月には昨年に引き続き千葉県雇用労働課主催の連続講座が幕張テクノピラミッドで始まります。成田の2回講座もあります。8月にも幕張、そして9月からは千葉・松戸で恒例の10回連続講座が始まります。 お声をかけていただければ、日本全国、どこへでも参りますのでよろしく! 求人の少ない地域でお話しするときのために、今年はコミュニティビジネスについて調べてみようと思います。エンパワーメントについても、ますますパワーアップしますね。
2007年03月30日
先週末、離島看護の取材で三宅島へ行ってきました。離島の大変さを肌身で経験した船中1泊、民宿で2泊の4日間でした。 金曜夜に竹芝桟橋を出航し、土曜早朝5時に到着し、午前中に取材。午後2時の便で帰ることもできましたが、それでは体力的にハードすぎるため、午後からは同日たまたま開催中だった三宅島観光復興モニターツアーに合流。この選択は、大正解でした。 決して忘れることのできない、心洗われる体験をしました。すばらしい出会いの数々がありました。 三宅島観光協会のブログの写真に、私も写っているけど、わかるかな? 復興を祈念してのアジサイ植樹シーンで3カット、灯台を眺めて佇む後ろ姿、桟橋での別れのシーンでは大また開きでカメラを構えています。だって、船が揺れるからしっかり構えないと、望遠のピントが合わなかったんだもん。 おかげで民宿のお母さんのお顔と、ジャンプして両手を振ってくれた観光協会の事務局長さんの笑顔をバッチリ、アップで写せましたが、これは部外者非公開ね。 ツアーは土曜終日と日曜昼までで、午後2時過ぎの便で皆揃って竹芝桟橋へ向けて出航するはずが、本土同様に低気圧の影響で海が荒れて欠航に。早朝着くはずだった船が接岸できずに竹芝へ引き返したため、本土へ帰るすべを断たれたのでした。 仕事を抱える人には頭の痛いアクシデントでしたが、これも三宅島の現実です。空港は、火山ガスの高濃度地域にあるため、閉鎖されています。荒天ではヘリも飛べず、臨時チャーター便も希望者殺到で席の確保が難しいとのこと。早朝着く船で八丈島まで行き、そこから飛行機という方法もありますが、これも前日に欠航となった穴埋めで満席……。 まさに運命共同体のようなツアー。トラブルとトラベルが同じ語源であることを思い出させました。 ところが、観光協会のうれしいお計らいで、雨の日曜用のプログラムと、翌日月曜昼の出航までの晴天用プログラムが急きょ用意され、延泊の手続きもしていただき、夜は仲良くなったツアー仲間と飲み会と、それはそれは楽しい+1日になりました。 そうはいっても、月曜の午後、待ちに待った港に船が入ってきたときは、「これでようやく帰れる!」と、うれしくて興奮してしまいました。 船旅の醍醐味は、なんといっても最後のお別れのシーンでしょう。観光協会の皆さんはもちろん、民宿のお母さんまで桟橋に見送りに来てくださり、皆で色とりどりの紙テープを投げあい、心と心がひとつに結ばれました。 ちぎれるほど手を振り、涙がにじみました。 三宅島はまだ火山から有毒ガスが吹き出ていて、高濃度地区に人は住むことができません。濃いガスのせいで、民家の屋根はボロボロになり、壁がくずれ、ゴーストタウンの様相を呈しています。かろうじて住める地域でも風向きや火山のご機嫌しだいでガスが濃くなり、毎日のように村内放送の注意報が聞こえてきます。 故郷を泣く泣く棄てた人もいます。去るも地獄、残るも地獄と言われました。けれども、希望を胸に抱いて島に残る人たちの、なんと前向きで明るいこと! 心を打たれました。 中でも心に残ったのは、大昔にできた火口湖へ向かう山道を案内してくれたネイチャーガイドの女性のひとことでした。 三宅島の緑は、噴火のせいでかつての30%まで減ってしまったそうです。あちこちに骸骨のように白く立ち枯れになった木々の姿が見られます。残った木々も、多くは幹がボロボロに朽ち、葉を繁らせる力がすっかり衰えています。「それでも、三宅島の自然は必ず蘇ると私は信じています。噴火があっても、火山を含めた全部の自然が三宅島です。蘇るまで百年かかるか二百年かかるかわかりませんが、そのときにはぜひまた三宅島に来てください!」だって。 あの憎いはずの火山のことをうらんでいないんですね。思わず泣き笑いです。そこまで長生きできませんが、このひとことで私は三宅島が大好きになり、再訪を心に誓いました。 また、雨の日にくさや工場を見学させていただき、そこでもウルトラ・ポジティブな思考に出会い、驚嘆し、感動のあまりひれ伏して尊敬したいほどでした。 三宅島にはいま、3軒しか、くさや工場が残っていないそうです。去るも地獄、残るも地獄の思いだったことでしょう。 清漁水産の青山さんは、全島避難となったときに妻子を実家へ送り、自らは生活の糧と避難場所を得るために新島へ向かいました。くさやは新島が発祥の地。青山さんは新島のくさや工場で働き、自分が三宅島で先代から引き継いだ方法とは異なる、最先端のくさや製法に接して驚き、真剣に学びとろうとしました。 単身、見知らぬ土地での生活は、辛かったでしょう。不安だったでしょう。三宅島に帰れる日が来るかどうかは全くわからなかったのですから。 魚をさばくスピードでは、誰にも負けなかったそうです。「ムロアジなら3時間にひとりで350~400尾はイケル!」と、華麗な包丁さばきを見学者の私たちの目の前で披露してくださいました。「他のことはすべてダメだったけれど、コレだけは負けなかった。誇りだった」と、目を輝かせ、手にした出刃包丁を振りつつ、力いっぱい語ってくれました。 新島での生活は苦しかった。苦労ばかりだった。それでも、三宅島にはない新しい技術を学べた。噴火と全島避難がなければ学べなかった。だから、こんな苦労ならしてもいいと思った。 なんというポジティブ・シンキング! その新しい技術とは、くさやの漬けダレを劣化させずに保存し、上手に育てるための実に合理的で省力的な方法です。 くさやの漬けダレは、何百年もの歴史を経ていると聞きますが、どうやって品質を劣化させず、減らさずに保ち続けているのか、想像がつきますか? その秘密を目撃してきました。 漬けダレは、工場の地下の巨大タンクに保存されます。開口部はマンホールの穴のようになっていて、中から鈍い土色の液体があぶくを立てていました。「このタンクに落ちたら、はい上がれないほど深い。中には酸素がないから、確実に死にます」と、怖いことを言う。 あぶくはクサヤ菌が自然に発生させるもので、嫌気性つまり酸素を嫌うために膜で覆って空気を遮断するのです。なるほど、だから劣化=酸化が防げるわけですね。 くさやを作るときは、地下のタンクからポンプで漬けダレを汲み上げ、四角くて深い浴槽のような槽に流し込みます。ここに開きの魚を入れて、十数時間漬け込む。終わったら底の穴からタレを地下のタンクに落として戻します。こうしてタレは新たな旨みを魚から吸収して、豊かに育まれていくのです。 こうして大切に育てて増やしたタレを、いつの日かまた、くさや工場を再開するために戻ってくる仲間に分けてあげたいと青山さんは言いました。なんてすばらしい!「タレを舐めてごらん」と言われ、恐る恐る指につけてみると、意外にニオイが強くなく、口の中でアミノ酸の旨みがいっぱいに広がります。あまい、旨い! 有名なアオムロ、飛び魚のほか、ウツボや小さい雑魚もくさやになるとか。三宅島名物のアカイカが旨いそうです。ただ、、干し加減が難しい。生っぽくてもいけないし、乾燥し過ぎるとスルメになって硬くてダメ。絶妙の柔らかさにできたときは、抜群にうまいそうです。 青山さんの感動の物語に触れて興奮さめやらず、お土産にくさやを5千円ぐらい買ってしまいました! お花見の宴会で同好の皆さんに振る舞って食べようかなっと。三宅の焼酎「しまあじ」もあります。三宅島には焼酎を造る施設がないので、三宅産のサツマイモを鹿児島に送って造ってもらっているそうです。 三宅島の皆さんの超ポジティブ思考に魂を揺さぶられた貴重な体験でした。 他のエピソードはまた来週、ヒマになってから書きますね! 今日はまだまだ夜なべ仕事です。
2007年03月28日
ごぶさたしてスミマセン。 現在、過疎地における看護その他のテーマで取材・執筆を進めているため、東へ西へ駆け回っています。 明日は草津方面へ行く予定で、明後日は姫路と神戸。来週は新潟方面と三宅島! 移動中は、愛用のノートPC「レッツノート」で原稿書きます。明日の往路は、普通車の指定が満席だったので、グリーンにしちゃった。 これから新年度に入ると、また地方からセミナーのお仕事をいただけるかもしれないので、またあちこちへ行けそうです。楽しみ。 そうそう、高知講演の思い出も書かねば。 高知料理にハマりました。かつおのたたきはもちろん、うつぼのたたき、鯨のさえずり、チャンバラ貝の煮付け、のれそれ、かつおの酒盗! おいしいものがたくさんありますね。残念ながら、不漁だったので「どろめ」にはありつけませんでした。 思いが残っているので、次回はプライベートな旅行で行こうかと思います。
2007年03月15日
初めて作った料理は何? インスタントラーメンとかボンカレーは、なしですよ。 私が自分でレシピ本を買って初めて料理を作ったのは高校生のときで、レアチーズケーキでした。 まあ、なんてフツーの女の子なんでしょう! 2作目が、ピザ。生イーストを買ってきて、ちゃんと生地から作りました。 それはさておき、 ひさびさにお菓子を作ってみました。土佐文旦の皮が、あまりにもすばらしい芳香を放つので、これを煮てみようかと。 ネットで調べたら、苦味が強いので何回か茹でこぼしなさいとあった。そこで、皮を短冊に切り、わたの部分を少し削いで、3回ほど茹でこぼしました。 仕事の休憩時間を利用したので、茹でこぼしては水にしばらくつけおき……を繰り返すこと3回。 最後によく洗い流し、鍋に入れてひたひたの水を注ぎ、沸騰したら火を弱め、砂糖とハチミツをたっぷりいれ、シナモンスティックも1本入れてコトコト煮込み、 いったん火を止めてしばらく漬けおき、最後に強火で水分をすっかり飛ばして、仕上げにラム酒を注いで香り付け。 バットに広げてココアパウダーを振りかけて冷まし、冷えてからさらにココアパウダーをまんべんなく振りかけてまぶし、できあがり。 んまい! 柑橘系の果実の皮特有の苦味、オイリーで長く後を引く芳香、野趣あふれるえぐみ……。もしかして、アルカロイド? かなり柔らかく煮たので、見た目はあまりよくありませんが、味は絶品。これはもう、ブランデーとか茶色いお酒のお供ですねん。 さて、なぜ土佐文旦かというと、これにはちょっとステキなストーリーがあるのですが、それはまた後ほど書きますね。
2007年03月07日
女性をダメにする3Dワードというものがあるそうです。それは、「でも」「だって」「どうせ」。確かに女性の日常会話の中で頻繁に出てくるワードですが、もちろん、使い方によってニュアンスが異なります。問題は、この3Dの後に「私にはできない」「私には無理」といった自己否定的な言葉が続く場合。そういうときに3Dワードは、非常にネガティブで、毒を含んだ影響力を及ぼします。 言った本人はむしろ、気が休まるのかもしれません。「私はこれ以上、努力したくない」という本音が透けて見えます。「ダメな私のいまの状況は、私が招いたのではない。不可抗力だ」という自己弁護にも聞こえます。ということは、「私はダメなままでいのだから、私を放っておいて」というメッセージなのでしょうか。 そんなことはないでしょう。人は誰でも自分を大切にしたい、もっと自分を成長させたいという気持ちをどこかに持っているはずです。そして、「人に大切にされたい」と思い、自分ひとりの力でどうにもならないときには、「助けて」と叫びたくなります。ところが、3Dワードの毒を放つ人は、意識的にか無意識的にか、周囲の人を自分から遠ざけてしまうのです。「でも」「だって」「どうせ」と言いたくなったときは、あなたのパワーのレベルがダウンして、一歩も進めない状態にあります。まずは心身の活力を取り戻しましょう。 次にすべきことは、目の前のどうしようもない(ように感じられる)現実からいったん離れ、ずっと遠くを見てみること。希望を持ってください。まだまだ、捨てたもんじゃありません。あなたも、この世の中も。 行き止まりのように見えても、必ずほかに抜け道があります。見える人には見えるけれども、いまのあなたにはそれが見えない状態なのかもしれません。もしも本当にそこから先に道がないのであれば、自分の力で切り開けばいい。行く手を山が阻んでいるなら、手がかりや足がかりを求めればいい。きっとあなたにはそれができます。 具体的な話をしましょう。たとえばあなたが再就職したいと思ったとき、希望どおりの仕事が全然見つからなかったとします。そのとき、あなたはどうするでしょうか。 もっと別の方法で探せば見つかるかもしれない。高望みしないで妥協すればいいのかもしれない。いまの自分の実力では、希望どおりの職に就けないのだと受け止めて、もっと努力してスキルや資格を身につけたほうがいいのかもしれない。思いきって独立開業するという方法だってある。すぐには無理でも、起業の勉強と資金作りと割り切って、いつまでと期限を決めれば、待遇や条件の悪い仕事でも辛抱できるのではないでしょうか。 そうすればいいとうすうすわかっていても、気持ちが向かないし、体が動かない。そういうときに、3Dワードがつい、出てきてしまうのではないでしょうか。焦らないでください。自分を見限らないでください。いまはまだ土の中に眠っている種のような状態なのかもしれません。十分な栄養と水分を与えられ、太陽の恵みを受けて初めて芽が出てくるのです。自分の殻に閉じこもって待っているだけでは、栄養も水分も太陽の恵みも受けられません。 できることから行動を起こすこと。あきらめないこと。そして、あらゆる可能性を検討し、試してみること。そうすればきっと道が開けます。希望を捨てずに自分を信じて前向きに進んでいけば、きっとだれかが助けてくれます。決して希望を捨てないで。
2007年03月02日
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