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また新聞に出ちゃいました。悪いことをしたわけじゃないけど。仕事は「選ぶもの」ではないよかったらご一読くださいませ。ちょっと前の掲載ですが、サイト上のどこに載っているんだか、本人が見つけられないでいて、今朝、たまたま検索できたので写真は、もう少し小さくしてほしかったなあいまは髪の毛、黒いです。自慢じゃないけど、白髪染めの必要が全然無くて、まっくろけ。今週は千葉・幕張と前橋、来週は坂戸、幕張、桑名、松戸、再来週は幕張、成田、浜松でセミナーがあります。がんばってます。ついでに、いままでの掲載記事一覧をつけておきます。試験も免状もない「資格」ブランクなんて、怖くない失敗おそれず、脱ニート揺れない自分をつくるには「しかない」的発想をやめよう夢へのヒント 現実見てこそ相手の立場に立ってみる
2007年06月26日
秋田で出会った、そこはかとない味の山菜「みず」の味が忘れられなくて、ネットで取り寄せました。1キロという量がどれだけのものかわからないまま、送料と値段に気をとられて注文してしまったら、まあ、タイヘン。日曜日の朝、一抱えもある束が届きました。 長い茎の、背の高い山菜です。フキと同様、おもに茎を食すらしく、葉については調理法の案内がまったくありません。 茎は上のほうをポキンと折って、そこを手がかりに、つつーっと薄皮を剥ぎます。この作業をしないと、食べるときに歯に触って気分が悪いからでしょう。 ちょっと気の遠くなるような作業でした。何十本もあり、50センチぐらいある茎を1本ずつ手に取り、つつーっ、つつーっ、つつーっっと……。 根元はうす赤く染まっています。ここも食べられるのかな? とりあえず、葉、上のほうの細い茎、下のほうの太い茎から根までの3つに分け、それぞれ熱湯で湯がき、冷水に放つ……ここまでが下ごしらえです。 茎の細い部分は、冷水に放つと鮮やかな緑色になります。いかにも美味しそう。根元のピンクの部分は、えぐみとニオイが強すぎるので、カット。葉っぱは味も香りもしないので、はてさて、どうしたものか。 送り主が添えてくれたレシピに従い、茎の量を3つに分け、1つは塩昆布と和えて、しばらく置くことにしました。即席の昆布漬け。 もうひとつは秋田で覚えた郷土料理、「みずのたたき」。にんにくのみじん切りを作る要領で、包丁で細かくたたいていきます。ざるにあげて水気を絞ったら、酢味噌、砂糖、みりんで味付けしました。 最後は、豚肉の細切れと賞味期限切れの笹かまと一緒にごま油で炒め、醤油、みりん、しょうが、砂糖で味付け。 いろいろ考えた末、葉っぱは細切りにして佃煮風の炒め煮に。冷蔵庫の奥に干からびた大葉が残っていたので、細かく刻んで混ぜ、仕上げにしらす干しとじゃこを足して、コクを加えました。醤油は自家製のにんにく醤油を使用。ウソみたいに美味しく仕上がりました。 茎は、しゃきしゃきの歯ざわりが心地よい。味というほどの味はなく、鮮やかな緑と、みずみずしい食感が、初夏の訪れを感じさせてくれます。 空気に触れると、とろみの出る「みずのたたき」は、酒のあてに最高。のん兵衛は、歯を使わない舐め舐め系のつまみが、たまらん! 勢いあまって、この時期だけしかできない、台所の手仕事をもうひとつ、ふたつ。 ひとつは、寿司屋で友だちと食べているときに教わった「新ショウガの酢漬け」。新ショウガをスライスして、熱した甘酢に漬けるだけ。ひと晩おけば、もう食べられる。 いや、そうじゃなくて、新ショウガをさっと湯がいて、甘酢に漬けたほうがいいと教えてくれたお料理の先生に従い、そちらのレシピで作ってみたら、漬けてすぐに食べられました。新ショウガは火のとおりがいいので、薄いスライスではなく、ざく切りにしたほうが、歯ごたえがあって面白いかも。次回はそうしよう。 もうひとつは、デパ地下で買い物をしていたときに、お料理の先生とばったり出会って、立ち話でレシピを伝授してもらったもの。このお料理の先生とは、サウナ仲間で裸の付き合いです。いつも汗をかきかき、美味しいもののおしゃべりをするのが楽しい。 この日に教わったレシピは、青梅の醤油漬けです。青梅は包丁で半分の切れ目を作り、ここをきっかけにして、グレープブルーツ用のギザギザスプーンをうまく使って種を取り出しつつ、半割りにします。 あとは保存容器でひたひたの醤油に漬け、1週間おく。もちをよくするには、1週間たった時点で醤油から梅を取り出し、醤油を火にかけて余分な水分を飛ばすと同時に煮沸。冷ましてから梅を戻すと。 醤油になじんだ梅は細かく刻み、料理のトッピングとして色々使えるそうです。冷奴のほか、白身魚の蒸したものとか、刺身にのっけてもいいかも。もちろん、あつあつのご飯にかけても旨そうです。 1週間後が楽しみです。 台所の手仕事は、いいですね。もっと台所が広ければ、いろいろな保存食や手製の調味料をつくって遊ぶのになあ。 今回は、みずの皮むきやら、梅に包丁目を入れる作業を母に手伝ってもらいました。手を動かしながらのおしゃべりが楽しい。 我が家は祖父母が生きていたころ、親戚づきあいが濃厚で、田舎からちょくちょく野菜や芋、米などが届いたものでした。 トウモロコシ、里芋、竹の子……どれも下ごしらえに手がかかります。お手伝いしながら、割烹着姿の祖母とおしゃべりしたころのことが懐かしく思い出されました。 台所は、生活文化の伝承の場ですね。祖母から母へ、母から私へ。私はだれに伝えればいいのかな。隣に住んでる姪っこがもう少し大きくなるのを楽しみにしていようっと。
2007年06月19日
「エンプロイアビリティー」(雇用され得る能力)という言葉が、少し前までは盛んに使われていました。 企業や組織の一員として迎えられて「戦力」として機能し、組織に貢献し、自分自身と組織の未来を築いていける能力とでも言いましょうか。 就職するとき、履歴書や面接の場面では、自分のエンプロイアビリティーを証明し、それが評価されて初めてその会社に採用されるわけです。「この仕事が好きだから」「御社の成長性にひかれて」「御社なら自分のやりたいことができると思ったので」という自分本位の理屈では、採用されるのは難しい。エンプロイアビリティーは、潜在能力を含めた能力ですから、「私はこの仕事ができます」「私は御社に貢献します」「成果を出せます」 といった表現で、エンプロイアビリティーが身に備わっていることを証明しなければ、説得力がない。「好き」「やる気がある」ということ以上に、能力、実務経験、適性、自信とその根拠をアピールしなければ、「この人は、わが社の期待に応えてくれる人物だ」という評価にはならないわけです。 だから、「いまの仕事は好きではない」「耐えられない」「他にもっとやりたいことがあるはずだ」「何が何でもいまの状態から抜け出したい」という理由で会社を辞めても、決して良い結果につながらないでしょう。 そういった後ろ向きの理由で辞めてしまって、前向きなビジョンを描けないまま、運よく次の会社に入り込めても、すぐに不満が蓄積して、耐えられなくなって辞めていく、そういう行動パターンが「習い性になる」でしょう。停滞や下降があっても、上昇や成長は望めない。 いまの仕事が好きではない、仕事を愛せないから耐えられないという場合、その原因はいくつも考えられます。個人の側の問題1)仕事あるいは自分自身に対する認知のあり方が歪んでいる (社会人として未熟であるため、あるいはうつ病などの病気があるため)2)組織に対するコミットメントが不足している3)その仕事に対する適性や能力がない組織の側の問題4)仕事を与えてくれて評価してくれる人=上司との関係がうまくいっていない5)組織全体の人材育成方法に問題がある 組織で働く場合は、個人の問題よりも組織の側の問題の要素が大きいでしょう。3)については、会社が客観的に見て「この人なら適性と能力がある」と評価して迎え入れたのだから、会社側の客観的評価とその人自身の自己理解のギャップが問題であるとも言えるでしょう。 個人か組織かどちらか一方を被害者、加害者と決め付けるのは難しい。お互いのインターフェースというか、相互理解のズレや関係性の障害に真の原因がありそうです。 対話や相互理解によって解決できる部分が多いのではないでしょうか。 個人がガマンしたり、がんばったり、その逆に逃げたり、放り出しても、決していい結果にはならないでしょう。自己犠牲、敵対、逃避という選択は、あまり賢くない。 話し合いの結果、別れたほうがいいという結論になるかもしれませんが、それはそれでいい。話し合うプロセスで、お互いに誤解を解いたり、自己理解の在り方を改めることができるので、それはそれで意味があり、将来へつながっていくのです。 ただ、立場の弱い部下が上司に異議申し立てをするには、たいへんな勇気が必要でしょう。その前に、同僚や先輩、他部署に配属された同期入社組などに相談して、味方になってもらえれば、心強いですね。 組織全体に問題の根があるとしたら、自分ひとりの問題ではないのだから、まわりに理解を求めて、まわりを巻き込んでいかないと、解決は難しいでしょう。 こんなふうに考えてみると、誰かに助けてもらえる、味方になってもらえる、自分のことをわかってもらって共感してもらえるという能力、ひとことで言うと「愛される能力」が、仕事をしていくうえではいちばん大切なのかもしれません。 独立開業やフリーランスであればなおさらです。顧客から愛されないと、仕事をいただけませんね。 私が最初に勤めた会社を辞めたのは、入社して3年5ヶ月。26歳の誕生日の少し前でした。 フリーランスとしてやっていく自信は全然なかったし、辞めた当初の月収は10万円にもなりませんでした。零細企業だったので、退職金は確か3万円ぐらい!失業手当は申請しませんでした。フリーとしてやっていくという気持ちは固まっていたから。 食べていくためには飲食店でのアルバイトでも何でもするから、決して夢をあきらめないぞと思ったものです。 振り返ってみると、そのとき、「出世払いでいいよ」と物心両面で支えてくれた先輩や友だちがいたからこそ、いまの私があるんだなあと気づきました。 ああ、なんて恩知らずな私。暑中見舞いをあの人とあの人とあの人に出して、あの人とあの人の消息を調べておかなくては……と思うのでした。 愛される能力って、どうすれば身につくのでしょう。 たぶんそれは、自分がだれかの役に立とうとか、だれかを助けてあげようとか、そういう気持ちをつねに持って、そのときできることをやっていく。その積み重ねで、見返りというと直接すぎますが、ギフトのようなかたちで身についていくようなものではないでしょうか。
2007年06月14日
ネット上のコミュニティで、若い人たちの仕事の悩みに関する書き込みを読んでいて、「人は何のために働くのか?」という問題について考えさせられました。大卒後、就職して2年目。就職活動をしていたときは、なかなか内定をもらえず、ようやく決まった1社目に入社したが、仕事の内容が苦痛で苦痛でたまらない。専門知識を必要とされる業務であるのに、勉強しようという気持ちになれない。残業や休日出勤もあり、好きな仕事なら耐えられるだろうが、自分には苦痛でしかない。このままでは、同じチームの先輩たちに迷惑をかけてしまうと思うと、いっそう気がかりだ。いつも転職を考えているが、本当にやりたいことが何だかわからないから、動き出せない。たかだか1年程度の実務経験では、転職するときには全く有利にならないし、逆にマイナスになるように思う。どうしたらいいのだろうか?以上、個人を特定できないように、業種や性別などを伏せ、抽象的な表現にリライトしてあります。こういう悩みで苦しんでいる若い人は、きっと大勢いるのだろうなあと思います。どうしたらいいのでしょうね。私の考えでは、選択肢は2つしかないと思います。1つは、今の仕事に対する見方を変えて、その中に面白さを発見すること。今の仕事に興味を持てないのは、自分の中に「ものを見る目」や「面白さを発見する能力」が育っていないからかもしれません。面白さは自分で発見するものであって、与えられるものでない。興味が持てないからと、運の悪い被害者のような気分で居続ける限り、何も変わらないでしょう。 そんな状態で、たとえ他社に転職しても、また、興味の持てない部分や、不満、不快に思う部分ばかりが目に付くようになってしまい、逃げるように転職を繰り返し、そうすると次につながっていくような実務経験や知識が蓄積されないので、いつまでたっても「持ち点」はゼロのまま。しかし、年齢は確実に上がっていくので、相対的に待遇や採用条件が厳しくなっていくでしょう。そして、下降のスパイラルをたどる運命が待っています。 もう1つの選択肢は、他にやりたいことを見つけてから転職する。そして、今度こそ、簡単には諦めない。石にしがみついてでも、「やりたい」と思ったことをしばらく続けてみることですね。何のために働くのか?私たちは仕事を買うわけではなく、仕事をしてお金を手にします。言ってみれば、私たちの時間と労働の成果の対価としてお金を得る。その繰り返しで、私たちは仕事の能力を高めていくことができ、より多くの報酬へとつながっていくわけですね。ところが、いまの若い人たちの多くは、最初から仕事に対する期待がある。「この仕事は、このぐらいのやりがいがあって、面白いんじゃないか」とか、「このぐらいの報酬を得られるなら、やるに値する労働だ」というように。消費行動と労働を混同しているようなところがあるんじゃないか。そうした自分の期待に応えてくれない仕事なら、やらなくていい、辞めちゃっていい、次が見つからなければフリーターやニートでもいい……っていう行動原理なんじゃないかなあ。でも、期待されているのは自分自身なんですね。このぐらいの働きができるんじゃないか、このぐらいの働きができるレベルまでいずれ育ってくれるんじゃないかという期待があって、その組織の中に迎えられている。自分が相手に期待するより、相手の期待に応えるほうが先なんですよね。期待に応えるのはタイヘンです。期待に応えられないんじゃないだろうかという不安をもつと、事態はますます悪くなります。期待に応えることができれば、達成感があり、自信につながり、成長もある。そうやって、一歩ず前へ進んでいける。つまり、就職するときは、自分の希望や期待よりも、相手の期待のサイズをよく知り、そのサイズが自分に適しているかどうかをきちんと見極めることが大切ですね。若い人や、実務経験のない人は、つねに相手の期待のほうが、自分の現在の実力よりも上回っています。そのギャップを埋めるのは、タイヘンなことです。それと、自分に期待してくれる相手を信じられないから、動けないのかもしれない。相手の懐に飛び込んでいけない、心を開けない、しかられたら萎縮してしまうだけ、迷惑をかけることを恐れて何もできない、コミュニケーションのとり方がわからない……。ギブ・アンド・テイクの世の中であるのに、いままで「テイク」の部分しか経験していないので、「ギブ」という行動様式がわからない、できない、やる気がおきないということなのかなあ。まずは、相手の期待をしっかり受け止めること。期待があるから、社会の一員として、組織の一員として認めてもらえて、生きていける。期待が先で、自分が後なんですね。人間というのは不思議なもので、自分の期待どおりに事が運ぶよりも、自分が相手の期待に応えられて相手に喜んでもらえたときのほうがもっとうれしい。そうじゃありませんか?そうやって健全な社会が成り立っていくのでは?逆に見れば、相手の期待と自分の実力のギャップを埋められないという不安が自分を苦しめます。でも、自分の中から湧き出してきた不安は、自分で乗り越えられます。できるかできないかは、やってみなければ、わかりません。今日できなくても、明日できるかもしれない。今日、「できないかもしれない」とか「興味が持てない」と思っていた自分を、明日は変えられるかもしれない。結局は、自分を変えることを恐れないことが、いちばん大切なのかなあ。自分探しなんてやめて、まずは「自分だめし」から始めたら?
2007年06月12日
就職のときに年齢のハンディを気にする人が大勢います。 求人広告には「35歳位迄」といった年齢制限を見かけることがありますが、法的には年齢制限を禁止する方向に動いています。いまは年齢制限をしないように努める努力義務が課せられているだけなので、年齢制限の表記が残っていますが、 年齢制限をするほうが悪い。年をとっていることが悪いわけではない。 この点をまず、しっかり確認しておきましょう。 だから、私たちには、年齢制限の壁を破る権利があるのです。「年齢が高いと、会社が期待するような仕事ができない」という偏見を打破しちゃえばいいのです。相手のあることですから、決して簡単ではありませんが、黙って引き下がるのも悔しいじゃないですか。 もしも「40歳位迄」といった年齢制限の表記があったとしても、年齢以外の条件を自分はすべて満たしているし、企業の期待に応えられる能力と経験があると思えるなら、まず、その会社に電話をしてみましょう。 求人広告のことで質問させていただきたいのですが。 年齢のところに40歳位迄とありますが、私の実年齢は47歳ですが、初対面の人は皆さん、40代には見えないとおっしゃいます。 体力にも自信がありますし、新しいことへのチャレンジ意欲も若い人には負けません。私にはさまざまな人生経験があり、とくに○○の仕事ではたいていのことを経験しているので、若い人にとって予想外のアクシデントが起きたときにも冷静に対応できる能力が身に備わっていますから、きっと御社のお役に立てると思います。 ぜひ、この私にチャンスをください。履歴書をお送りしますので、ぜひ、検討していただけないでしょうか。 ……なーんて言ってみてはいかがでしょうか? ジャーン!ここでカミングアウトしちゃいますと、私は現在47歳です。年女なので、もうじき48歳です。 でも、黙ってニコニコしていると、初対面の人は30代だと思ってくれます。ホントです。一人旅が多いのですが、旅先でよくタクシーの運転手さんに口説かれちゃいます。初めて買い物するお店では、「奥さん」と呼ばれることはまずなくて、たいてい「お姉さん」ですね。まあ、気を遣ってくれているのかもしれないけどね。 ただ、しゃべりだすと、それなりに年をとっていることがバレちゃいます。だって、若い人には、こんなに内容のあることをしゃべれませんからね。あははは。余裕です。 つまりね、年齢は実年齢よりも、見た目年齢と、会社の期待に応えられる能力のほうが大切なのよ。見た目年齢は、変えられます。顔は変えられなくても、表情は変えられるからです。 ポイントは、笑顔ですね。多くの会社は、「明るくて元気で協調性のある人がいい」と思っています。明るいかどうかは、第一印象で判断されます。応募の際の第一印象とは、履歴書の写真と、面接のときのあいさつと第一声です。これで大半が決まってしまう。 笑顔をつくるには、口角が最大のポイントですね。ペコちゃんみたいに、口角をきゅっと上げましょう。そうすると、「人好きのする笑顔」が出来上がります。年をとってくると重力の法則に負けて、どうしても口角が下がってきます。だから、意識的に口角をきゅっと上げる練習をしましょう。 もうひとつは、目元の表情。口を隠して鏡に向かって微笑んでみてください。目だけで微笑みを作れますか? 目を細めれば、優しい感じの顔になります。ただ、人によっては、疑り深そうな顔になったり、眠そうな顔になっちゃうかも。鏡の向こうに、自分のいちばん好きな、いとしい人がいると思って微笑んでみてください。 多くの企業は、「年齢の高い人は、○○ができない」という偏見を持っています。それを承知のうえで、「私は違います」と証明できればいいのです。 偏見その1、年齢の高い人は、過去の経験にこだわり、新しいことに興味を持てないので、最新の知識や技術に対応できない。 偏見その2、年齢の高い人は、どうしても偉そうな態度をとるので、若い人たちとうまく協調できない。 偏見その3、年齢の高い人は、若い人よりも体力に劣り、ここぞというときのがんばりがきかない。仕事が長続きしなくて、すぐに辞めてしまう。 偏見その4、年齢の高い人は、新しい環境への適応力に劣り、不平不満が多い。 偏見その5…… まだまだありそうですが、あんまり並べると腹が立ってくるので止めましょうか。 まあ、そういう相手の偏見を打ち砕くには、敵対的な態度ではなく、むしろへりくだった態度で(余裕があるからへりくだれる)、柔和な笑顔で、穏やかに、よくよく考え抜いて言葉を選びつつ、相手の気持ちも考えながらアピールするといいでしょうね。 それができれば「大人」です。年齢がハンディではなく、財産になる。「さすがに年輪を重ねた人は違う。ムダに年をとっていないな」と思われるかどうかですね。 まず、年齢がハンディであるという自分の中の劣等意識を変えて、ポジティブに転換し、相手の会社の事情を汲み取りつつ、「こんな私ですが、きっとお役に立てると思います」という気持ちと、その根拠をしっかりアピールしたいものです。
2007年06月07日
郷土の味は、すばらしい! 最近、地方出張が続いている私は、とても幸せです。地元の個性豊かな味に触れて感動し、無理してでも素材を取り寄せ、自分の家で再現したりしています。新しい引き出しがどんどん増えて、中身もどんどん詰まっていく!1)高知で、かつおのたたきにハマる! ネット通販の美味しいお店を見つけまして、もう3回ぐらい注文しちゃったかな。地元で教わったとおり、上にのせるにんにくは、すりおろさずに薄くスライスしたものを散らしています。2)三宅島で、アシタバにハマる! アシタバは近くのデパ地下でも売っているので、よく買います。さっと茹でて冷水に放って色止めし、よく水を切り、マヨネーズとカニカマで和えるサラダを考案し、勝手に「三宅島サラダ」と名づけてよく作ります。胡椒を効かせるのがポイント。3)沖縄で、色々ハマる! 以前から沖縄料理大好きで、よく作っていましたが、今回の旅では、沖縄料理の味の繊細さと奥深さを学びました。関西風の淡い味なんですね。 舌が覚えているうちに再現すべく、先週の土曜日に沖縄出身の友人も招いて、色々作ってみました。パパイヤイリチー、ナーベラーンブシー、クーブイリチー、ニガナの白和え、島らっきょうの塩漬け……。冒頭の写真がそのときの様子です。ちなみに、この木のお盆は中華料理のお店のように回ります(レイジー・スーザンというそうです)。 島にんじん(津堅島産)のソテーが甘くて美味しかった! パパイヤイリチーには、ツナとパンチェッタを使いました。 素材は銀座のわしたショップで入手しました。新じゃがも沖縄産(宜野座産)です。甘くてうまかった!中央のゴーヤは、海老のすり身を詰めて蒸し、甘辛いタレでさっと煮含めたものです。 牧志の公設市場で買った島とうがらしを泡盛「瑞泉」に漬け、自家製コーレーグースを作りました。辛さ強烈でおいしい!5)仙台で、笹かまにハマる! どこのブランドが美味しいかを地元の方からご指導いただきました。地元の百貨店「さくら野」地下の「阿部かまぼこ」で、オーソドックスな笹かまのほか、色々な珍味のある「揚げかまぼこ」と「蒸しかまぼこ」も購入。 真空パックにしていないことがポイントですね。つぶれないので、ふっくら、ほっこりしておいしい。 郡山の駅の土産物コーナーにも「阿部かまぼこ」があったので、ここでも大量に買い込んじゃってクール宅急便で自宅に送りました。 そうそう、仙台といえば、駅ビル地下の「寿司田」のカウンターで、新幹線の時間になるまで贅沢しちゃいました。アカイカの刺身が悶絶美味でした。6)盛岡で、マンボウやサメの料理に感動! 盛岡では古民家を移築した郷土料理の居酒屋へ行き、マンボウの刺身の酢味噌がけ、サメの心臓の刺身(牛レバ刺しに比べて微妙にあっさりしている)、ムツに似た「あぶらぼう」という魚の煮付けなどを堪能!そしてあの「ばくらい」にもチャレンジしました。珍味ですね。クセになりそう。地酒の小瓶300ml入りを3本も飲んじゃいました。 三陸直送の魚介ばかりを選んでしまいました。盛岡といえば、肉のほうが名物なんでしょうけれど。冷麺は、お昼にいただきました。 盛岡は川の町で、名水が汲める井戸もあるそうですね。お豆腐が美味しかった!その上にかかっていたあわせ味噌がまた絶品! 以上は自宅では再現が無理なので、また盛岡へ行くしかないなと思っております。 そして、来週は水戸と秋田へ! 秋田でも自腹で一泊しちゃいます。郷土料理の美味しそうな店を物色中ですが、たくさんあって目移りしちゃう。どなたか、お薦めのお店を教えてください!
2007年06月01日
専業主婦をしていた期間は、企業からは「ブランク」と見なされ、評価されない。短ければ短いほどいい……そう思っている人が多いようですが、実際にはそうではない企業も増えてきています。 とくに、女性向けの商品を作っているメーカーや流通業(デパート、スーパー、専門店)や、飲食店などのサービス業、また、サイフのヒモを握っているのは主婦ですから、金融関係や住宅会社も女性とくに主婦経験のある女性の能力や経験を必要としています。 主婦経験も立派なキャリアです。ブランクつまり「役に立たないカラッポ」ではなく、「びっしり詰まった中身」であり、そこに企業が着目し、評価してくれるのです。 キャリアには「狭義のキャリア」と「広義のキャリア」があります。大きなマルの中に小さなマルを描いてみてください。大きなマルが「広義のキャリア」で人生全体を表し、これを「ライフキャリア」と呼んだりします。 小さなマルが「狭義のキャリア」であり、職業人生を指します。大きなマルの中には、まだまだいくつもマルを描く余裕がありますね。そこには、主婦経験のマル、地域活動のマル、趣味の世界のマル、仕事に限定されない幅広い交友関係のマルなど、さまざまなマルを描けるはずでしょう。 人によって、それぞれのマルの大きさ――経験の中身や豊富さはさまざまでしょう。その中にはきっと、職業人生のマルと関連が深くて、相互に響き合う経験と、そこから獲得された能力、知識、人柄(パーソナリティー)などがあるはずです。そこに着目してください。 主婦経験を丸ごと経験し尽し、楽しんで、達成感や充実感、よろこびを得ている人なら、きっと次のどれかの言葉を、自信をもって言えるでしょう。「私は家事のプロです」「私は育児のプロです」「私は家計管理のプロです」(家計簿の達人です) 次に続く言葉として、「とくに……には自信があります」と言えるといいですね。 たとえば、「とくに私は、優先順位を考えたり、スケジュールを組み立てて効率的に処理することが得意です。家事というのは種々雑多な仕事が多いのですが、その中で優先順位を判断してスピーディに処理しています。また、家事というものは、毎日必要なことばかりでなく、3日おきでいいもの、週に1度でいいもの、月に1度でいいもの、季節の変わり目に必要なことなどに整理できるので、あらかじめスケジュールを決めて段取りよく処理しています」などというように。 で、3番目の結論がいちばん大事。「このように主婦経験を通じて身につけた私の強みを……というように仕事に生かして、御社に貢献したいと思います」と、締めくくる。 さあ、作文してみてください。 主婦経験のほかには、ボランティア、地域活動、趣味の活動でもいい。「何をしたか」よりも、その体験を通じて、「どのような」能力、知識、スキル、パーソナリティを獲得したのかを振り返って言葉に表し、最後にそれを「どのように」仕事につなげるのかを自己PRするのです。 履歴書や職務経歴書にはぜひ、この「ひな型」を応用して自己PRしましょう。もちろん、面接でも! 主婦経験はブランクなんかじゃない。自分を卑下しないで、値引きしないで、自信をもって再就職へのドアを開き、一歩踏み出してください。「でも」「どうせ」「できない」は、女をダメにする3Dワードです。 できることはたくさんあります。人間は誰しも、海に浮かぶ氷山のようなもの。水面下に隠れて見えない部分のほうが多いのです。 その見えない部分を「見える」化することが、就職を考えるときには非常に大切です。
2007年06月01日
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