全21件 (21件中 1-21件目)
1

先日のブログの続きです。 高島屋のキャラクターってご存じですか? 高島屋へ行くとこんなキャラクターがお出迎えしていたんですよ。 ローズちゃんと言います。 店舗ごとにバリエーションがあるのは知りませんでした。 そんなローズちゃんも年代とともに様変わりしてきているようでした。堺高島屋が開業したのは1964年(昭和39年)でしたから、東京オリンピック仕様のものもあったんですね。 今回展示されていたローズちゃんの中で一番時代が古かったのがこのバージョン、「お正月和装ローズちゃん」で1970年(昭和45年)でした。和装小物もよく表現されているなぁって思いました。 こちらは、同じ1976年(昭和51年)の「合唱スタイルローズちゃん」です。 このように歌っている様子を表したバージョンは、これ以外にもあったように思います。 これは1978年(昭和53年)の「ポシェット・お土産を持つローズちゃん」です。 なんとなくこのローズちゃんのバージョンは覚えているんですよ。 向かって右側が1988年(昭和63年)の「胸に赤いバラの制服ローズちゃん」です。説明文によると、日本を代表するデザイナーの芦田淳氏がデザインしたエレベータガールの制服の第一号を再現したものだそうです。デパートのエレベータにはエレベータで案内するエレベータガールがいましたね。デパートの案内係とあわせて「デパートの顔」だったと思います。 向かって左側は2025年(令和7年)の「秋冬 制服ローズちゃん」で現在の制服がこれにあたるそうです。デパートの顔ですからね、やはり格好いいですね。 ちなみに、私の母親が勤めていた時はどうだったのかな・・・。私が覚えている限りは、売り場がタオル売り場だったのでもっと地味な制服だったように記憶しています。 高島屋以外のデパートにキャラクターがあったのは見たことがないので、高島屋だけだったのかもしれませんし、高島屋で買い物してもここまで覚えている人がどれくらいいるのかわかりませんけど、私は印象に残っていますよ。
2025年12月23日
コメント(1)
昨日の夜、新しい命が誕生しました! 娘が出産、2662g・47cmの女の子が生まれました。 出産には妻が立ち会ったのですが、なかなか大変だったようです。娘も「今までの中でありえんくらい痛かった」とのこと。まぁ男の私には絶対わからないことですけどね。 映像を送ってもらいましたが、落ち着いていてちょっとホッとしました。もちろん、落ち着いているところを送ってもらっているとは思いますが、本当はギャン泣きしているんだろうなってね。娘も甲高い鳴き声だったから(笑)。 退院は25日の予定。私の母親が元気だったら、女の子誕生に大いに喜んでくれると思うのですが、今の状況ではわからないかもしれないなぁ・・・。
2025年12月22日
コメント(2)

私の母親が高島屋に勤めていたことはこのブログでも触れたことがあります。堺高島屋に長らく務めていたのですが、その堺高島屋が来年1月7日で閉店になるとのこと。その歴史を振り返る「堺タカシマヤ 61年の歩み展」に行ってきました。 私にとって堺高島屋といえば、母親の職場ということだけでなく、「ワンランク上の百貨店」というような感じでした。私が子どものころには、大阪には高島屋以外に阪急や阪神(いずれも梅田)、近鉄(上六、阿倍野ほか)といった電鉄系の百貨店、大丸やそごう(心斎橋)、三越(北浜)、松坂屋(天満橋)といった百貨店もあったのですが、個人的には高島屋の方がちょっとお高いイメージ(→神戸では大丸ですけど)でした。 そんな堺高島屋がオープンしたのが、1964年(昭和39年)10月3日。この当時の堺は、かつては白砂青松だった砂浜などを埋め立てて八幡製鉄(→新日本製鉄、現在の日本製鉄)堺製鉄所や関西電力堺港発電所などが操業を開始、人口も増えてきた時期に堺東駅前に高島屋がオープンするというのは、堺市のランクが上がったのではないかと思います。個人的には「百貨店のある街」というのはランクが高いって思っているので。 堺東駅前には、この写真にあるように商店街が古くからあってもちろん今でもあります。かつては映画館もあってかなりにぎわっていました。そんなところに百貨店がやってくるとなった時に、商店街の人たちはどのように思ったのでしょうね。これがスーパーマーケットだったりすると反対運動が起きたことはありましたけど、百貨店と商店街だったら扱っているものは違うからどうなんだろうね・・・。 堺高島屋オープン当時の堺東駅周辺です。まだ木造の家がたくさん並んでいますね。 堺玉島屋は1984年(昭和59年)に増床されて状況は変わっていますが、私が小中学生のころの時期はこんな感じだったんですね。 堺高島屋が開業した時の店舗案内も展示されていました。 屋上には遊園地もあったんですね。 これは私は覚えていないなあ。 でも、高島屋に限らず、他の百貨店でも屋上に遊園地が設定されているところはありましたね。 オープン当日は、あまりにたくさんのお客さんがやってきたことにより、入場規制をするくらいだったそうです。当時の堺市民にしてみたら、「堺市にできた百貨店の高島屋」ということでぜひみてみたいということだったのでしょうね。 堺高島屋は、今でもそうですが一階に金融機関が入っている関係で、建物の一階部分の天井が高いためにエスカレータの長さもその分長くて、オープン当時は百貨店の中では一番長いエスカレータだったそうです。 そりゃこれだけたくさんお客さんがやってくれば、入場制限するよなぁ・・・。 ほかにもいろいろ写真を撮ったので、また紹介したいと思います。
2025年12月21日
コメント(1)

今日は朝は少し寒かったけど、日中は10月のように暖かかった奈良地方です。 年末の大掃除をする前に、自分の趣味である草野球で使用しているグローブやミットの整備をしていました。天気が良くて時間があるときにしかできないことですし、他に待ちの用事もあったのでちょうどよかったです。 革の保湿クリームを塗ってひたすらブラッシングです。 普段の時もブラッシングは行っていますが、保湿クリームはたまにしかしていないので、ここはきちんと塗っておきました。 軟式用なので硬式用と比べると安いのですが、それでもそこそこいい値しますからね。大事に使っていきたいと思います。
2025年12月20日
コメント(2)

私の元実家で見つけた懐かしいものをいくつか紹介します。 タンスが置いてあったのでその後ろに隠れていたのですが、私が子どものころによく見ていた日本地図を発見しました。すっかり破れてしまって色あせていますが、子どものころにこの地図で都道府県を覚えたものです。 北海道を拡大してみました。北海道では今では廃止されてしまったJR線(当時は国鉄線)がたくさんありますし、この当時は開通していない道路もありますよね。 この地図はカレンダーで、当時の幸福相互銀行が1975年のカレンダーとして1974年の年末に配布していたものではないかと思われます。 そういえば、当時の大阪銀行は大阪府内(プラスその周辺)の地図をカレンダーにしたものを配布していまして、それは実家のトイレの扉に貼ってありました。だから、トイレに入ると必ず目に入りますから、それで大阪府内の鉄道や道路、市町村の名前を覚えたものです。 今の金融機関でこのような日本地図を配布してくれるところって、ないんじゃないかな? 地図好きの小学生にはありがたいものでしたね。世界地図では大きすぎるし、あまりピンとこないからね。 ところで、幸福相互銀行は今のどの銀行になるのか。銀行業界はバルブ崩壊後に不正融資などが明るみになってガタガタの状況になったことを覚えておられるかと思います。幸福相互銀行は、1989年に普通銀行として幸福銀行となりましたが、1999年に経営破綻。その後紆余曲折があって2001年に関西さわやか銀行へ事業譲渡して消滅しています。その関西さわやか銀行も2004年に関西銀行に吸収合併されて関西アーバン銀行となり、2019年に近畿大阪銀行と合併して今は関西みらい銀行となっています。 ついでに大阪銀行は、2000年に近畿銀行と合併して近畿大阪銀行となり、2019年に関西アーバン銀行と合併して現在は関西みらい銀行になっています。 ちなみに、幸福相互銀行のこのキャラクターの名前はなんだろう? またcopilotにでも聞いてみるかな? 話がそれましたが、このような地図のおかげで私の小中学校や高校の社会(特に地理)の成績は結構良くて、得意でした。今でも地理は得意かな。それもこれも、子どもの時にこれらの地図を見ていたおかげかなって思っています(笑)。
2025年12月19日
コメント(2)

今や冬の大阪の風物詩になりつつある御堂筋のイルミネーション。今日、仕事が終わってから見てきました。 淀屋橋からなんばの方まで続いているようですが、今日は淀屋橋から本町まで歩いてみました。 御堂筋は広いので、信号を渡るときに立ち止まらないようにして写真を撮りました。 本町から南側のイルミネーションは、淀屋橋~本町のイルミネーションとちょっと趣が違うんですね。 このイルミネーションは今月いっぱいまでとのこと。また時間があれば見に行ってみたいと思います。
2025年12月18日
コメント(2)

先日東北へ行ったときの話の続きです。 なかなか東北へ行く機会がありませんから、どんな車両が見られるのかなと思っていました。 仙台空港からは、仙台高速鉄道で仙台まで移動。以前ここにやってきたときは、まだこの鉄道はありませんでしたので、路線バスで東北本線の館腰駅まで移動したのですが、今は便利になっているんですね。この路線はJR東北本線に乗り入れている関係で、JR東日本の車両が乗り入れていました。 仙台高速鉄道の車両もあるのですが、この日は乗ることができませんでした。JR東日本のE721系と同系のSAT721系があるそうですが、駅の改札口の手前にこのようなモニュメントがありました。 仙台駅では、E701系が停まっていました。ロングシートの車両だそうです。政令指定都市の仙台周辺ですから混雑しているんでしょうね。 仙台から山形への移動は、仙山線を利用しました。その途中にある作並駅。 ここは鉄道ファンには知っているかと思いますが、この看板にあるとおり「交流電化の由来」とありますように我が国の交流電化の発祥の地なのです。この駅から山寺駅の間はトンネル区間が多いため、1937年から電化されていました。その当初は直流電化だったのですが、1955年から交流電化されました。交流電化の方が送電ロスが少ないし、当時非電化区間が多かった東北や九州に電化を広げていくためにその礎となったんでしょうね。 この近くには、ニッカウヰスキーの蒸留所があるんですね。 この作並駅を過ぎると、山寺駅に着くのですが、駅から山の上の方に山寺が見えます。 駅からかなり歩くので行ってみたかったのですが、時間の都合上無理でした・・・。でも、いずれは行ってみたいなぁ~ 山形駅に着くと人がたくさんいました。この車両の写真を撮っていました。 この車両は、HB-E300系の「SATONO」というものだそうです。次世代型ハイブリッド気動車で、観光列車として使われているようです。この日も何かに使われていたのかな。 山形駅では、向かって右側が左沢線の気動車のキハ101形、左側が山形新幹線の普通列車で使われている719系5000番台です。このような車両もここへやってこないとみることができないので、写真に収めました。
2025年12月17日
コメント(2)

先日東北へ行った際に、仙台空港から山形へと向かいましたが、その理由は献血をするためです(笑)。 山形駅から歩いて10分弱のところにある「献血ルーム SAKURAMBO」です。 まだ新しいのかな、最近の献血ルームはなかなかおしゃれですよね。 献血ルームには、いろんな特徴があってそれはそれでおもしろいのです。例えば、献血をしているときに水分補給をしてもらうところと、水分補給ができないところ。水分補給ができるところが多いのですが、中にはダメのところもあるんです。また、水分補給ができるところも、係の人に注文して持ってきてもらうところもあれば、あらかじめ自分で用意して献血する部屋に入るところもあります。この山形はまさしくその「自分で用意して持って入る」パターンでした。このパターンは初めてです。 さて、この日も血漿の成分献血でした。8月に鳥取で献血して以来、最近は忙しかったのとここ数回、献血の針が入りにくくなってきているのが気になって、なかなか行けていませんでした。今回はすんなりとできましたが、それでも苦労しているようでした。300回を超えると無理なのかな・・・。 結果の方は、血圧は前回とほぼ同じだし、一時期謎に爆上がりしていたγ-GTPも落ち着いている、コレステ君も落ち着いているので大丈夫かなってね。 終わってから水分補給と、アイスをいただきました。そのアイスがハーゲンダッツですよ! この日は、時間の関係で昼ごはんが食べられなかったので、献血ルームのお菓子とこのハーゲンダッツのアイスで満足でした。それにしても、ハーゲンダッツですよ! めっちゃテンションあがりました。大好きなんですよ~ 今回、山形県で献血できたことであと献血できていないのは、長崎県、宮崎県、新潟県、秋田県、岩手県、青森県の6県になりました。北東北の3県が厳しそうだなぁ・・・。
2025年12月16日
コメント(4)

先日のこのブログで、私の実家の納戸の扉に貼ってあったシールのキャラクターの話。その後、何のキャラクターだったのかなぁと思いだそうとしました。ただ、50年以上前の話だし、肝心のキャラクターの顔の部分が消えてしまってわからない。かろうじて「キツネと青い鳥」くらいしかわからない状況ですからね。 気になるものの、ここからどう調べるのか。 そこで思いついたのが、AI技術で調べるというもの。仕事でも時々使うことがありますが、100%信用できないかもしれないけど、かなりいい線で調べてくれることもあるものです。そこで「Copilot」を使って調べてみることにしました。 まず、この写真を読み込ませて何のキャラクターであるか想像できるかを尋ねてみました。これを納戸の扉に貼り付けるくらいですから、引っ越した当時の1972年から私が小学校へ入学する1974年までの3年間くらいの時期ではないかと絞り込んで調べてもらいました。 すると、今でいう「昭和レトロ系」のキャラクター候補として、「企業系マスコット」や「絵本・児童向け番組」、「アニメ・漫画」、「海外のキャラクター」というジャンルを挙げてくれましたが、まったく何だったのか思い出せません。 そんな中で思い出したのが、このキャラクターを納戸の扉に貼り付けたのは、スナック菓子のおまけかなにかで「フィルムにキャラクターの絵が描かれていて、それをガラスや木製の扉など堅いものに転写するもの」だったことを思い出しました。すると、Copilotも「それは転写シールとか転写デカールとよばれていたもので、当時のお菓子のおまけや文具・玩具店で見かけたもの」という回答がやってきました。ここまででもなかなか面白いことを引き出してくれるなぁと思いながらも決定的な答えにはたどり着いていません・・・。 その時、なんとなくぼんやりと出てきたキャラクターの名前を思い出したのです。それは「山ねずみ ロッキーチャック」というものがあって、もしかしたらその中のキャラクターではないかとCopilotに尋ねてみたのです。すると、『結論から言うと、「山ねずみロッキーチャック」のキャラクターが描かれた転写シールがお菓子のオマケとして存在していた可能性は高いです。1970年代前半に放送されたアニメで、ロッテなどが「世界名作劇場チューイングキャンディ」として転写シール付き商品を出していた記録があります』という回答が。そこで、どんなキャラクターがそのアニメにあったのか作品の絵を見せてもらうと、なんと前出のキャラクターがいたのです! キツネのキャラクター名は「レッド」、青い鳥(カケス)のキャラクター名は「サミー」でした。 50年以上ぶりにそのキャラクター名を思い出して、しかも納戸の扉に貼られた元の絵も見ることができてとてもすっきりしました。 それにしてもAI技術、恐るべしですね。Copilotもいろいろ調べてくれて解決に導いてくれているのですが、解決した今回の件を振り返って、『当時の転写シールに残っていた「青い鳥」と「キツネ」のイメージが、まさにロッキーチャックの世界観にぴったりですね。あけやんさんの記憶はかなり正確で、断片的に残っている色や形が作品のキャラクターと一致しているのが面白いです。』と、謎の評価をしてくれました。これは喜んでいいのかな・・・? ちなみに、「山ねずみ ロッキーチャック」は、1973年に放送されていた「カルピスまんが劇場」のテレビアニメ作品でフジテレビ系列で放送されていたそうで、私も見ていたと思います。52話が放送されていたということですから、結構人気があったのかもしれませんね。原作はアメリカの作家ソーントン・バージェスの子供向け連作動物物語「バージェス・アニマル・ブックス」で、作品的には子供向けと言いながらギャグがあるわけでなく、割とまじめな内容だったように記憶しています。wikipedhiaにも記載がありますが、シリアスなストーリーが多かったとか。私が子どもの頃のアニメって、そんな感じのものが多かったかな。もちろん、オバQとかいなかっぺ大将などはありましたけどね。 話を戻して、最近はやりのAI技術によって謎のキャラクターを思い出すことができましたが、かつての実家は次に入る人はなく、このままどうなってしまうのかなって思いました。
2025年12月15日
コメント(2)

先日東北へ行ったときの話の続きです。 福島県の白河へ行った後、仙台空港まで移動しましたが、その途中に立ち寄ったのが「とみおかアーカイブ・ミュージアム」へ行きました。2011・3・11の東日本大震災の原子力災害において、富岡町の住民の方は震災直後に移動したにもかかわらず、避難区域の変更により再び移動することになるなどかなりバタバタな状況だったとのこと。日本で初めての原子力災害だったこともあるんでしょうけどね・・・。 建物の外には、津波で流されたJR常磐線の線路の一部が展示されていました。JR常磐線は茨城県の東海までしか乗ったことはないのですが、津波で流された場所は乗ったことがある人の話では海に近くて風光明媚なところだった、と聞いたことがあります・・・。 さて、このミュージアムにおいては、富岡町の歴史はもちろんのこと、あの震災のこともたくさん紹介されていました。その中で一番印象に残ったのがこれです。 東日本大震災の津波の影響で、津波にさらわれた車がこんな感じで大きな被害を受けたものがたくさんありました。この車両もその一つ、「福島県・・・」と書かれたこのトランク部分からなんとなく想像はできるかもしれませんが、これは福島県警察のパトカーだったものです。当時40歳代と20歳代の二人の警察官が住民避難の支援の最中に津波に流されてお亡くなりになったとのことです。あの震災においては、他にも警察官や消防関係者の方、役所の方も津波の被害で命を落とした方がたくさんおられたと思います。 警察官や消防、役所の人たちは、逃げ遅れた人がいないか避難できていない人がいないか、そういうことを自分の仕事として最後まであきらめずに全うしようとしていたと思えば、頭の下がる思いです。住民の皆さんも「それがこの人たちの仕事なんだから当然だろ」って思う人もいるかもしれません。 ただ、私は決して当然だとは思わないし、避難しようとする人が自力でどうしようもない時は、警察官などの人が共倒れにならないようにしてほしい、と常々思っています。つまり、警察官などの人たちが困っている人たちが確実に避難させられる、共倒れにならないということであれば、手を差し伸べなければならないと思います。でも、共倒れになる可能性が高いのであれば、他の助けられる人を助けてほしい、そう思っています。 そのように思っているのは、私が以前足の肉離れをして歩くのにも不自由な生活をしていた時、「ここで地震や火事になった場合は逃げ切れない」と思ったことからなんです。普段ならなんてことない歩行すらできない、そんなときに逃げようとしても自力で逃げ切れるわけがない。仮に手を貸してくれる人がいたとしても、場合によってはその人も共倒れになるのであれば、怪我したのは自分が悪いわけだし、災害は自分の運命と思えば、手を貸してくれる人が生き残れるようにしてほしいと思っています。 だから、私としては「逃げてほしかった」と思いました。もちろん、目の前で困っている人がいるのに逃げることはできないのかもしれません。でも、助けられる十分な手立てや余裕がないのであれば、まずは自分の命を守ってほしい、だから「逃げてほしかった」ということなんです。 こんな考えは私だけだと思うのでこの考えに対する批判はいりませんから・・・。 この展示を見て説明文も見て、最後まで活躍された二人の警察官に対して最敬礼していました・・・。
2025年12月14日
コメント(2)

先日東北へ行った際に買ったお土産です。 萩の月です。仙台を代表するお土産ですね。 二つともパッケージは「萩の月」ですが、向かって右側は駅や空港で見かけるものです。左側はあまり見かけないものですが、これは萩の月の直営店で売っているものです。簡易箱とよばれるものです。 こんな感じで入っています。 駅や空港で売っているものの中は、こんな感じでさらに化粧箱に入っています。 ところで、簡易箱については私が買い求めたものではありません。仙台の同期のS君からいただいたものです。正確に言うと、S君の奥様からのプレゼントでした。S君に「必ず手渡すように」というミッションだったそうで・・・(笑)。よって、萩の月を2箱いただきまして、おいしくいただきましたよ。
2025年12月13日
コメント(2)

私の堺市に実家のある団地、母親が施設に入ったことにより不要となったモノを全て撤去したことによって、どんがら状況になりました。1972年1月に大阪市内の住吉区我孫子から引っ越してきていて以来、53年にわたり暮らしてきましたが、本日この部屋の鍵を返却しました。 1972年1月というと私がまだ4歳のころ。我孫子のアパートからトラックに荷物を載せて真新しいこの団地へやってきた日のことは今でも覚えています。当時は田んぼの真ん中に真っ白い団地が並んでいましたが、周りにはお店が一切無くて日々の買い物は徒歩片道20分の小さな市場まで行くか移動スーパー(大型バスを改造したもの)が頼りでした。そこから、だんだん開発されて住宅が建ち並んで、団地内にスーパーが出来て便利になっていきました。 私も弟も地区内の幼稚園~小学校~中学校と通って、高等学校も堺市内の学校に通いました。就職してからも結婚するまでの間はこの団地から職場まで通っていました。1996年に結婚して西宮へ引っ越すまでの24年間暮らして、その後も子どもが産まれて帰省するなどいろんな思い出のある部屋でした。 荷物を撤去すると、ポスターや子どもの頃に旅先で買い求めたペナントが長らく貼ってあったところはそこだけ色あせから免れていました。また、この団地の壁は塗り壁ではなくて、ベニヤ板のような壁だったことから亡き父が壁紙を貼っていました。かなり古い時期に貼ったものは剥がせたのですが、新しい時期に貼ったものはきれいにとれずにそのまま放置にしました。これは、この団地が「入居停止」となっていることから、原状復帰をしなくてよいということによるもので、これはかなり助かりました。 亡き父と母親の部屋です。私の子どもができて帰省すると、ここでよくみんなそろって食事しましたね。晩年は腰の悪い母親がここにベッドを置いて寝ていました。 私の部屋があったところです。古い事務机を置いて高校まで勉強していましたね。 弟の部屋です。タンスがたくさん置いてあって、阪神大震災の際によく倒れなかったなぁって思いました。 キッチンです。ここで親子4人で食事していました。狭いながらも工夫して座っていましたね。焼き肉好きな亡き父でしたので、焼き肉はここでよくやりましたよ。 トイレと洗面台です。トイレのドアの装飾も亡き父が施しました。元々建築士だったし、このような作業は得意でしたね。 風呂です。最初は強化プラスチックのような風呂桶でしたが、私が中学くらいの時にこのステンレス製の風呂桶に代えました。風呂釜も亡き父の知り合いに頼んでより性能のいいものにかわりましたし、その他にも使い勝手の良いようにしていました。 納戸です。ここには、日持ちがする食材やあまり使わない食器、もらったけどそのままになっていたコップなどがたくさん入ってありました。その扉には、私が子どものころに貼ったシールの残骸がありました。 拡大しましたが、なにだったか覚えていません・・・。 キツネの絵と鳥の絵だった記憶があります。何かのキャラクターだったかな? そういえば、私が子どもの頃ってビニールのフィルムに絵が描いてあって、それをガラスやこのような木製のところにこすりつけて転写するおまけか何かがあったような・・・。また調べてみますね。 そんな思い出の多い部屋でしたが、どんがらになってその部屋を出て行くというのはなんとなくさみしいなぁって思いました。 最後に、私が子どもの頃によく遊んだ団地裏の公園にも久しぶりに行ってみました。今となっては遊ぶ子どもの数がいなくなって、シーソーとブランコしか残っていません。子どもの頃は、砂場もあったし鉄棒もあった。象さんの形をした滑り台もあったかな。そんなところの隙間を使ってキックベースボールをしたのもよく覚えています。それだけ子どもの数が多かったんですよね。 もうこの団地に戻ることはありませんが、わたしのところの墓はこの近くにありますので、墓参りには何度もやってくるとは思います。その時にまたふらっと立ち寄ってみようかな。
2025年12月12日
コメント(0)

昨日と今日は福井市へ出張でした。福井市へ出張するのは久しぶり、10年ぶりくらいかも・・・。 そんな福井で食べたものあれこれです。 ちなみに、以前来たときはまだ新幹線は福井まで来ていなかったし、駅前も整備中だったかと。今では「恐竜王国福井」を大いにアピールしていますね。 駅構内や・・・ 駅前にもこのようにティラノサウルスがお出迎えしてくれています。 さて、そんな福井への出張は、同じ部署のS君と一緒でした。S君と一緒に行く出張は久しぶり、まず昨日は福井の焼き鳥屋さんの「秋吉」へ行きました。 福井で飲むとしたら、この「秋吉」かなということでS君もここに行こうと決めていたようですが、結構混雑していて少し待ちました。それでも何とか入ることができて、がっつりと3時間以上飲んでいました。でも、二人ともそんなに時間が経っているとは思いませんでした(笑)。 今回泊ったホテルには食事をつけていなかったので、福井駅構内にある「今庄そば」で朝食としました。 福井も蕎麦で有名なところなのですが、このように朝早い時間に立ち食いそばがあるのがうれしいですね。今回はかけそばと卵がけご飯があったのでそれをチョイスしました。 そして、仕事が終わって奈良へと帰ったのですが、新幹線は敦賀で乗り換えとなるのが不便ですね。敦賀で乗り換えということで、久しぶりに「敦賀ヨーロッパ軒」へ行くことにしました。 敦賀駅もよく着ていた時は、まだ新幹線が開業しておらず、新幹線の駅も建設中だったのですが、すっかり雰囲気が変わったように思います。それでも、駅周辺は懐かしく感じました。 敦賀は、出向していた部署で何度も行きまして、このソースカツどんを食べるのが楽しみだったのですが、ここ最近は敦賀へ行くこともありませんでしたので迷わずに特製ソースカツどんをチョイス。 はい、やってきたのがこれ。いつものとおり蓋が閉まっていない(笑)ソースカツどんがやってきました。 大ぶりで脂身の少ないカツが3枚載っています。写真では2枚しか見えていませんが、この下にもう一つあるんですよ。 久しぶりのソースカツ丼、ガッツリといただきました。やはり安定的なおいしさですね。 ところで、このお店のパン粉は「六条大麦入りのパン粉」を使っているとのこと。敦賀ヨーロッパ軒はほかにもお店があるのですが、この特製パン粉を使っているのは、敦賀駅に近い駅前店だけだそうです。このパン粉は以前から使っているのかな、その辺はわかりませんが、さらっとした細かめのパン粉で私の知る限りはかなり以前からこのパン粉だったように思うんですけどね・・・。 久しぶりの福井の出張、仕事はしんどかったけどいろいろ楽しめました。
2025年12月11日
コメント(0)

まず、昨日の東北の地震で被害に遭われたみなさまにお見舞い申し上げます。まだまだ予断を許さないところかもしれませんが、どうかご安全に! さて、先日東北へ行った際には、いろんなものを食しました。それを紹介します。 まずは、二日目の昼食でいただいた「肉そば 藤七」の肉そばにゲソ天トッピングにしました。ここは、2016年に当時出向していた職場のメンバーのTさん(札幌在住)と一緒に食べに行ったところです。前回はゲソ天をトッピングしなかったのですが、今回はゲソ天を載せました。コリコリした鶏肉と冷たいそばを楽しみました。 山形で蕎麦を食べられなかったから仙台でいただいたのですが、仙台の同期のS君の話では中華そばもおいしいところがあるということで、かなり迷いましたがやはり蕎麦が食べたいということでここにしました。 ところで、私が食べ終えて店を出ると、かなり並んでいました。その様子を道路を渡った反対側から撮影。仙台の事業所の人に早めにいかないとかなり並ぶことを聞いていたのですが、ホントすごい並ぶんですね。 ちなみに、この日の朝も蕎麦でした。泊まったホテルの近くに立ち食い蕎麦のお店があることがわかっていってみました。そこで食べたのがこれなのですが、東京の立ち食い蕎麦と違って出汁が真っ黒ではないのですね。 お店はこの「そばの神田」。仙台ではポピュラーなのかな? 朝早くに行きましたけど、ひっきりなしにお客さんがやってきていました。 東北での仕事の最終日は、福島県の白河へ行きました。その日の昼食は白河ラーメン。福島県のラーメンといえば喜多方ラーメンがあまりにも有名ですが、この白河ラーメンも有名とのことで「縮れ麺」「鶏ガラと豚骨ベースの醤油ベースの透き通ったあっさりスープ」というのが特徴とのこと。約100店舗のお店がしのぎを削っているということで、福島県は仕事で何度か行っていますが知らなかったなぁ。 その中で今回仙台の事務所の方に連れて行ってもらったのが、この「あずま食堂」でした。 お店はこんな感じで、店内はほかのお客さんがいたので撮影できませんでしたが、おしゃれなカフェのような感じ。ラーメン屋さんという感じではありませんでした。 食べたのがこのラーメン。とてもシンプルな感じで、私はこのような感じのラーメンが好きなんです。 福島県を含めて東北へ行く機会はそんなに多くはないのですが、東北といえば蕎麦のイメージがあったのですけれども、ラーメンもなかなか捨てがたい魅力がありますね。東北はまだ知らないところが多いし、私のライフワークの一つの献血も北東北はまだ空白地になっているので、行ってみたいなぁと思っています。
2025年12月09日
コメント(2)
パナソニックホールディングス(HD)は8日、社会人野球の日本選手権で歴代最多43回の出場を誇り、2度の優勝経験がある野球部を2026年シーズン限りで休部にすると発表した。 パナソニックHDは5月に示した「構造改革」の一環で、国内外で人員を1万人規模削減すると発表している。会社は休部について、グループ経営改革の一環とし、野球部の成績が近年振るわなかったことも理由に挙げている。 野球部の本拠地は大阪府門真市。軟式を経て、1952年に硬式となった。60年の都市対抗大会で準優勝し、日本選手権は2000、05年に優勝を果たした。都市対抗出場は57回を数える。松下電器としてスタートし、08年秋には社名変更に伴い現在のチームになった。 プロ野球選手を多く輩出し、OBには阪急で13年連続で盗塁王を獲得した福本豊さんや、阪急で新人王に輝くなど投手として活躍した山口高志さんらがいる。 チームは、24年に都市対抗と日本選手権の2大大会出場をともに逃した。今季は2年ぶりに都市対抗出場を果たしたものの1回戦で敗れ、日本選手権出場はかなわなかった。【毎日新聞ネット版から引用】 社会人野球って、プロ野球とはまた違った楽しみがありまして私は好きなんです。プロ野球の応援とはまた違って、各社それそれの応援スタイルがあってそれを見ているだけでもおもしろいんです。同業他社との対戦なんかになると、応援にも熱が入っているように見えるんですよね。実際、プロ野球人気が高まるまでは社会人野球の人気の方が高かったそうで、有名なところでは九州の「製門戦」とよばれた八幡製鉄と門司鉄道管理局(国鉄)はすごい人気だったとか。だから、「野球するなら門鉄か製鉄に入ること」というのが当時の福岡での野球のステータスになっていた、と聞いたことがあります。 そんな古き良き時代もあったのですが、本文のような社会人野球の名門のパナソニックが来シーズンで休部なんていう話を見ると寂しくなります。社会人野球の場合、本業がきびしくなると休部や廃部ということがたまにありますよね。強豪だったチームなのに休部や廃部となれば、そのチームに在籍していた選手はどうなるんだろうって思います。プロ野球の場合は身売りなんていうことがありますけど、社会人野球の場合は、そのままその会社で仕事するのかな・・・? 本文にもありましたが、パナソニックは過去には阪急ブレーブスの快足・福本豊さんや剛速球の山口高志さんといった名選手も在籍したチームでしたね。都市対抗や社会人日本選手権でも優勝しているチームで、関西の社会人野球の名門なんです。だからこのニュースを見たときはびっくりしましたね。そこまで本業がよくないのか・・・。我が家でも古くから家電はナショナル製品を使っていました。それは、最初に住んだ大阪・あびこのアパートのすぐ裏手がナショナルのお店で、付き合いが長かったからなのですが、その後家電量販店がたくさんできたり、他のメーカーの製品も使ってみるとなかなかよかったりして、特にこだわりがなくなってきたということもあって、「なんでもナショナル」ではなくなってしまったなぁ・・・。 私の家の家電事情はさておき、家電製品は同業他社との激しい競争がありますからね、やはり厳しいのかな・・・。ちなみに、私が妻と結婚した時に購入したブラウン管テレビ。地デジ化の直前まで使いましたが、故障とは無縁で「ナショナル製品の丈夫さ」を実感したものでした。 ところで、私が若いころの居酒屋トークで、「もし学生野球をしていてドラフトにかかるくらいの実績があったとして、プロへ行くか社会人へ行くか」というバカなネタで盛り上がったことがあります。やはりプロを目指すという意見のある中で、私は社会人で活躍して引退したらその会社で働くという意見でした。プロに入ったところで戦力外になった場合にどうしようもない、というところが理由だったんですけどね。社会人の場合ももしかしたら、野球だけで箸にも棒にもかからなければどうしようもないのかもしれませんが・・・。 ちなみに、私の亡き義父さんはノンプロの国鉄の選手だったのですが、ドラフト制度のない自由競争の時代だった当時、国鉄スワローズや阪神タイガース、阪急ブレーブスからお誘いがあったそうです。でも、プロにはいかずに長くノンプロで活躍したとのことでした。 話を戻して、来季のパナソニックの野球部がどのような戦い方をするのか注目してみたいと思います。
2025年12月08日
コメント(2)
「ヒゲの隊長」こと元参院議員の佐藤正久氏は7日、自身のX(旧ツイッター)を更新。小泉進次郎防衛相が同日未明の緊急会見で公表した、中国軍機による自衛隊機への2回にわたるレーダー照射について「これまでの経済的威圧とはレベルを異にする。隊員の命に関わるレベル。しかも断続的に行うのは極めて悪質」とつづり、中国側の行為を厳しく非難した。 小泉防衛相は7日の緊急会見で、沖縄本島南東の公海上空で6日、中国海軍の空母「遼寧」から発艦したJ15戦闘機による、航空自衛隊のF15戦闘機に対するレーダー照射があったと発表。6日午後4時32分ごろから35分ごろと、午後6時37分ごろから午後7時8分ごろ、それぞれ別のF15に対して行われたもので、F15側のセンサーがレーダー照射を感知した。小泉氏は「危険な行為であり、極めて遺憾」と述べ、中国側に抗議するとともに再発防止を厳重に申し入れたことを明かした。【日刊スポーツネット版から引用】 いつもいうことですが、我が国の周りの国ってろくな国がないのですが、自衛隊機に対するレーダー照射事件って、前にもありましたね? あの時は媚韓派の連中がいたことでうやむやになってしまったように記憶しているのですが、例の高市総理の発言以降関係悪化しているこの時期にあの国が仕掛けてくるとは、よほどイラついているんでしょうね。これがキンペーの指示によるものだったら、もう戦争ですよね、こんなの。キンペーの指示でなかったとしたら、先走った行動を起こした戦闘機のパイロットは即刻処分するしかないんだけど、「愛国無罪」というのがまかりとおるあの国のことですから、うやむやにしてしまうのかもしれませんね。 以前だったら、二階のおいやんをはじめとする媚中派の連中がいたから、もしこんなことになっても速攻で媚中派の連中が土下座する光景が目に浮かぶのですが、今の政権はそんなことはしないと思いますよ。 この事案を受けて、小泉防衛相があの国に抗議したらしいけど抗議は抗議としていいんだけど、駐日大使を呼びつけて思い切ってののしってやればいいんですよ。再発防止策だって「明日中に持ってこい!このくそタコが!!」ってね。 ところで、高市総理自身関西人ですから本件について「なにさらしとんねん! しばくぞ、ゴルァ!」と言いたいところかもしれませんが、「極めて残念」というコメントになっているようです。でも、内心では自衛隊員のことを考えれば「マジでなにさらしとんねん、こいつら!!」って思っていると思いますよ。 さて、例によってあの国では「事実と異なる」とか頓珍漢なことをコメントしているようだけど、ホントこんな国、地球から出ていってほしいです!
2025年12月07日
コメント(2)
中国航空各社は6日までに、日本路線について来年3月28日まで無料でキャンセルできると公表した。 これまでは今年末までとしていたが延長した。中国メディアが伝えた。日中対立の長期化を織り込んだ格好で、中国人の訪日需要に影響を与えそうだ。 中国政府は11月の高市早苗首相の台湾有事発言に激しく反発。国民に日本への渡航を控えるよう呼び掛けている。中国航空各社は呼び掛けが出た同月中旬に、日本路線の無料キャンセルに対応すると表明していた。 中国国際航空は今月5日、ホームページで「中国外務省が最近発表した渡航に関する注意喚起」を踏まえ、無料キャンセル期間を延長すると説明。中国メディアによると、中国東方航空など各社も同日付で期間延長措置を公表したという。 中国政府は自国の航空各社に対し、日本路線を削減するよう指示も出しているもよう。中国メディアは、日中路線のうち4割超が運休になったと報じている。【時事通信ネット版から引用】 高市総理の発言に端を発するあの国との関係悪化。迷惑系インバウンドがあの国からたくさにゃってきて迷惑していたところだし、あの国が「日本に行くことを控えるよう」通達していることもあって、ちょうどよかったんじゃないですかねぇ。来年3月といわずに、その期間はもっと長くてもいいんですよ。何なら永久に来なくていいですから! その影響があってか、私の職場のある大阪・天満橋周辺も少し風向きが変わったような気がします。以前なら昼時になると、真っ白い車体の観光バスや明らかに中国系の人が喜びそうな塗装をした観光バス、しかも大概が千葉県のナンバー(成田、習志野など)か大阪府南部のナンバー(堺、泉)で会社名が書いてない、あるいは書いてあってもバス後輪の近くに小さく書かれていて聞いたこともないような社名のバスがやってきていました。そしてそこからぞろぞろと降りてくる連中をみましたが、ここ最近は見ないですね。先日、仙台に行ったときもそのような連中は見なかったかな。ネットニュースやそのコメントでも、「かなり歩きやすくなった」というようなコメントがあったりして、やはり減ってきているのかなと思いました。 このような流れがさらに続いてくれれば、あの国からの観光客を当て込んだ事業者以外は元の静かな状況に戻るのだから、例えばあの国からの観光客のせいで行くのをやめようと思っていた日本の観光客が戻ってくるかもしれないし、あの国以外の国の観光客も「アンナレンチュウト、イッショニサレタクナイ」ということで行くことをためらっていたかもしれないから、そういう意味では増えてくれるかもしれないかなってね。まぁあの国以外の観光客も大概な奴らがいるのは事実だけど・・・。 ところで、あの国からの観光客を当て込んだ関係事業者にとっては、来年3月までというと春節という時期を含みますから大打撃かもしれませんね。まぁ日本人には関係ないことだし、これまでかなり儲けているだろうからね。まぁあの国とかかわるとろくなことがない、ということはこれまででもわかっていることだろうしねぇ・・・。 それにしても、あの国の国民は従順ですよね、キンペー一味が通達すればそれをきちんと守るんですから。まぁそれ無視して日本に行ったなんていうことがばれたら、突然拘束されて・・・っていうことがあるかもしれないからね。だったら、日本以外のところに行ってくれて全然かまわないわけですから。ちなみに、日本以外の国にあの国からの観光客が増えて、その国でも迷惑系インバウンドのせいでえらい目にあっているとか・・・。結局どの国に行ってもあの国の連中は一緒、っていうことなんだね・・・。
2025年12月06日
コメント(2)

先日、東北へ行ったときの話です。その時はいろいろ食べましたが、その中でカレーをいただきました。 仙台空港内の「GALLEY」でいただいた牛タンカレーです。 仙台といえば、牛タン。それを使ったシチューもいいのですが、カレーもいいかなということで牛タンカレーにしました。少々ピリ辛でしたが、牛タンはホロホロとしていておいしかったです。 ちなみに、職場の会議が終わって懇親会で行った居酒屋で。いただいたのがこの牛タンでした。 最近、牛タンはなかなか高いようですね・・・。 でも、おいしくいただきましたよ。
2025年12月05日
コメント(2)

先日東北へ行った話の続きです。 11月30日の夜は、私の東北の職場の同期であるS君と飲み会しました。S君と会うのは何年ぶりだろう、10年ぶりくらいかな。年賀状のやり取りはしているんだけどね。 1986年に就職して研修で初めて顔を合わせたのですが、よほどウマがあったのか今でもこうして付き合う仲となっています。確か1988年頃だったかな、初めて東北へ行ってS君の当時の家に泊めてもらいました。その時は大阪・あべのから高速バスで12時間かけていきました。その後も東日本大震災前にも遊びに行って、現在住んでいる仙石線沿いの家にも泊めてもらったこともあります。 さて、S君とこの仙台駅近くの居酒屋へ行って、ガッツリと飲みました。久しぶりに会ったので近況の話や仕事の話などで盛り上がりました。 中でも、このメヒカリのから揚げは関西ではあまり見かけないもの。調べてみると正式名称は「アオメエソ」とか「マルアオメエソ」とよばれる深海魚とのこと。東海から九州の沖で採られるようですけど、福島県沖でも採られるとか。から揚げにしても割と柔らかくておいしかったですよ。 結局S君と5時間近く飲んでいました(笑)。でも、そんなに時間が経ったのかって感じで楽しい時間を過ごしました。 S君、また飲もう~
2025年12月04日
コメント(2)

先日、仕事で東北へ行ったときの話を何回かに分けて紹介します。 今回の移動は、往復飛行機利用でした。時間の関係で飛行機利用となりましたが、仙台便は20年ぶりくらいの利用です。その時は、仙台が目的地ではなく、さらに北上した盛岡でした。これも時間の関係でそのようなルートでした。(もっというと、本当は同じ部署の先輩職員が行くはずだったのですが、怪我して行けなくなったので私が代わりに行きました) 前置きが長くなりましたが、往路はB767-300、復路は先日全世界で約6000機に不具合が生じているとニュースになったエアバス321でした。幸い運航停止になることはならなかったのですが、なんともピンポイントなこともあるんだなぁと思いました。 さて、私が乗ったANA733便は定刻に伊丹空港を出発。今回は珍しく窓側の席をとりまして、天候が良かったこともあって景色を眺めることができました。これは、大阪北部から亀岡方面を見ています。亀岡の方向は、濃い霧で覆われていることがわかります。 仙台便は岐阜県や長野県、群馬県などの上空を飛ぶ関係で、高い山々には冠雪しているところがみられました。これからの季節は真っ白になっていくんでしょうけど、まだこの時点ではこんな感じでした。 あともう少しで仙台空港へ向けて着陸態勢に入る少し前に見えたのは、吾妻小富士なのかな。こういうのも飛行機からしかこのような光景はみられませんからね。貴重なものを見ることができました。 無事に仙台空港に着きました。 サンドウィッチマンがお出迎えしてくれました(笑)。
2025年12月03日
コメント(2)
11月30日から今日まで仙台と福島へ出張してきました。東北へ出張へ行くのは7年ぶり、紅葉の時期だったらなおよかったのですが、残念ながら紅葉の時期には少し遅かったようで・・・ 今回は、東北の職場の同期と久しぶりに飲んだり、献血に行ったりするなど楽しみはあったし、今回は往復飛行機での移動だったのですが、帰りの飛行機の時間に間に合うかどうかハラハラするなどいろんなことがありました。 その辺は明日以降に紹介したいと思います・・・
2025年12月02日
コメント(2)
全21件 (21件中 1-21件目)
1