この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
広告
posted by fanblog
2020年01月24日
映画「ネバダ ・スミス」 マックィーンの魅力満載 復讐物西部劇の傑作
「ネバダ・スミス」
(Nevada Smith)
1966年 アメリカ
監督ヘンリー・ハサウェイ
原作ハロルド・ロビンズ
脚本ジョン・マイケル・ヘイズ
音楽アルフレッド・ニューマン
撮影ルシアン・バラード
〈キャスト〉
スティーブ・マックィーン カール・マルデン
ブライアン・キース アーサー・ケネディ
スザンヌ・プレシェット マーティン・ランドー
ラフ・ヴァローネ
三人の無法者に両親を惨殺された青年の復讐劇。
個人的には、人間の持つドロドロした内面が強調される復讐物はあまり好きではないのですが、この「ネバダ・スミス」は監督が「ナイアガラ」や「死の接吻」、「勇気ある追跡」の名匠ヘンリー・ハサウェイによるところが大きいのでしょう、ドロドロした怨念のドラマというよりは、男性的でカラッとした骨太いタッチの物語で、スティーブ・マックィーンの魅力、そして、主人公マックスの人間的成長のドラマでもあるところから、より大きなスケールを持つ西部劇の傑作といえます。
アメリカ南西部ネバダ州。
ある日、マックス・サンド(スティーブ・マックィーン)は三人の男たちに尋ねられます。
「サンドって男を探しているんだが」
「親父だ」
「おれは古い友人でジェシーっていうんだが、家はどっちだい?」
マックスは男たちに家への道を教えます。
「ありがとう」男は言います。「お前の名前は?」
「マックス」
「ありがとう、マックス」
男たちはマックスの教えた方向へ馬を向け、走り去ってゆきますが、なんとなく不安に駆られたマックスは家へと取って返します。
マックスの悪い予感は的中して、両親は無残な殺され方をしていました。
両親の死体と共に家を燃やしたマックスは、ひとり、復讐の旅に出ます。
荒野をゆくマックスは三人組の男たちに出会い、両親の仇として襲いかかりますが、まったくの人違いであることが判り、三人の男たちは乱暴を働いたマックスを責めることなく、あたたかくもてなし、食事を提供してくれます。
翌朝、目が覚めるとマックスはひとり。
三人組はマックスの銃や馬を盗んで立ち去っていました。
途方に暮れたマックスは、川で馬を休ませている銃商人のジョナス・コード(ブライアン・キース)を見つけ、壊れかけた銃でジョナスをおどして馬を得ようとしますが、使えない銃であることを簡単に見破ったジョナスは、マックスの身の上を聞き、復讐をするつもりなら銃を扱えるようになることなどを教え始めます。
ジョナス・コードとの出会いがマックスにガンマンとしての成長をもたらすのですが、このジョナス・コードを演じたのが「ザ・ヤクザ」(1974年)、「風とライオン」(1975年)で風格ある演技を見せたブライアン・キース。
復讐の旅への途中で様々な人々との出会いがマックスに人間形成を与えていくことになり、その中で最初の一人となるのがジョナス・コードで、「ネバダ・スミス」の中で重要な一人となります。
やがてマックスは、三人組の一人であるジェシー(マーティン・ランドー)を酒場で見つけ、ナイフで倒すことになります。
柵を飛び越えながらジェシーを追い詰めてゆくマックィーンは実に見事で、「ネバダ・スミス」のひとつの見どころです。
さらに、ジェシーの妻から仲間の一人ビル・ボードリー(アーサー・ケネディ)がルイジアナの刑務所で服役していることを知ったマックスは、自らも服役するべく銀行強盗を働いてワザと捕まり、ビルのいるルイジアナの刑務所へ送られることになります。
復讐のためには手段を選ばないマックスの行動は突飛とも見えますが、これを淡々と遂行していくところがスティーブ・マックィーンの魅力。
広大な沼地に作られた刑務所はワニや毒蛇がウジャウジャと潜んでいる危険地帯。
脱走不可能な刑務所から、土地の娘ピラー(スザンヌ・プレシェット)の助けを借りて、一度脱走に失敗しているビルをそそのかして、ビルとピラーを加えた三人で脱走を図る場面は最大の見どころといってもよく、脱走の途中でビルを殺したマックスでしたが、新しい人生を夢見て脱走に加わったピラーは毒蛇に噛まれてしまいます。
徐々に体に毒が回り始めたピラーは死ぬ間際に、自分がマックスに利用されただけであることを知り、湿った密林の土に横たわりながらマックスを激しく罵り、やがて死を迎えます。
脱走に成功したマックスは、三人組のボスであるトム・フィッチ(カール・マルデン)を探し求めますが、ならず者に捕まり、危うく殺されそうになるところを、偶然居合わせたザッカルディ神父(ラフ・ヴァローネ)に救われます。
ザッカルディ神父のもとで体の回復を待つ間、ザッカルディから復讐の無益さを諭(さと)されたマックスは、はじめは反発していましたが、やがて聖書に親しむようになり、内面的な成長を遂げるようになります。
ザッカルディのもとを去ったマックスは、強盗団のボスとして駅馬車強盗を計画しているトム・フィッチを突き止め、正体を隠してその一味に加わり、駅馬車襲撃の後、トムを川岸へと追い詰めていきます。
トムの足を銃撃し、とどめを刺そうとしたマックスでしたが、ジェシーやビルを殺したころのマックスはすでに過去の人間となり、「殺せ!」と叫ぶトム・フィッチの声を聞き、何かがマックスの内面で動き出していました。
川へ銃を投げ捨てたマックスは、トムの叫びを聞きながら静かに去ってゆくのです。
映画「ネバダ・スミス」はスティーブ・マックィーンの魅力満載の映画なのですが、最初にマックスに銃の扱い方などを教えるジョナス・コードのブライアン・キースを始めとして、名優、名脇役がそれぞれの役どころでしっかりと脇を固めています。
三人組の一人で最初に殺されるジェシーのマーティン・ランドーは「北北西に進路を取れ」(1959年)の悪役から、大作「クレオパトラ」(1963年)ではマーク・アントニーの片腕ルフィオを演じ、大きな存在感を見せました。
また、新天地での夢を追い求めながらも、マックスに利用され、毒蛇に噛まれて命を落とすピラーに「恋愛専科」(1962年)、「鳥」(1963年)の美人女優スザンヌ・プレシェット。
脱走不可能なルイジアナ刑務所の脱走に一度失敗して、気絶するまで鞭打ちされながら、マックスにそそのかされて再び脱走に加わり、結局マックスに殺される、悪党になりきれないビル・ボードリーに「アラビアのロレンス」(1962年)、「シャイアン」(1964年)、「ミクロの決死圏」(1966年)の名脇役アーサー・ケネディ。
三人組の首領トム・フィッチに「影なき殺人」(1947年)、「波止場」(1954年)、1951年の「欲望という名の電車」ではアカデミー助演男優賞を受賞している名優カール・マルデン。
さらに、復讐は愚行であることを説き、マックスの人間形成に大きな役割を果たすザッカルディ神父に、フランス映画の名作「嘆きのテレーズ」(1953年)のラフ・ヴァローネ。
イタリア人のヴァローネは「ふたりの女」(1960年)などを経てハリウッドに進出し、「ゴッドファーザーPART?V」(1990年)にも出演。
監督のヘンリー・ハサウェイは「アラスカ魂」(1960年)、「西部開拓史」(1962年)、「エルダー兄弟」(1965年)と立て続けに西部劇の大作でヒットを飛ばして波に乗っていて、まさに円熟期。
そして忘れてならないのは、「怒りの葡萄」(1940年)、「わが谷は緑なりき」(1941年)の名作を始めとして、「ショウほど素敵な商売はない」(1954年)、「七年目の浮気」(1955年)、「王様と私」(1956年)など数々の映画音楽を手がけた作曲家アルフレッド・ニューマン。
特に1955年の「慕情」の主題歌は映画音楽の素晴らしい名曲。
テレビシリーズ「拳銃無宿」や「荒野の七人」(1960年)で軽快なフットワークとガンさばきを見せ、30代半ばに達していたマックィーンが、銃の扱いも満足にできない若造役というのもちょっと無理があったようにも思いますが、映画中盤から後半にかけては、まさに面目躍如、絶叫するカール・マルデンを残して立ち去るラストも胸に残る傑作です。
1966年 アメリカ
監督ヘンリー・ハサウェイ
原作ハロルド・ロビンズ
脚本ジョン・マイケル・ヘイズ
音楽アルフレッド・ニューマン
撮影ルシアン・バラード
〈キャスト〉
スティーブ・マックィーン カール・マルデン
ブライアン・キース アーサー・ケネディ
スザンヌ・プレシェット マーティン・ランドー
ラフ・ヴァローネ
三人の無法者に両親を惨殺された青年の復讐劇。
個人的には、人間の持つドロドロした内面が強調される復讐物はあまり好きではないのですが、この「ネバダ・スミス」は監督が「ナイアガラ」や「死の接吻」、「勇気ある追跡」の名匠ヘンリー・ハサウェイによるところが大きいのでしょう、ドロドロした怨念のドラマというよりは、男性的でカラッとした骨太いタッチの物語で、スティーブ・マックィーンの魅力、そして、主人公マックスの人間的成長のドラマでもあるところから、より大きなスケールを持つ西部劇の傑作といえます。
アメリカ南西部ネバダ州。
ある日、マックス・サンド(スティーブ・マックィーン)は三人の男たちに尋ねられます。
「サンドって男を探しているんだが」
「親父だ」
「おれは古い友人でジェシーっていうんだが、家はどっちだい?」
マックスは男たちに家への道を教えます。
「ありがとう」男は言います。「お前の名前は?」
「マックス」
「ありがとう、マックス」
男たちはマックスの教えた方向へ馬を向け、走り去ってゆきますが、なんとなく不安に駆られたマックスは家へと取って返します。
マックスの悪い予感は的中して、両親は無残な殺され方をしていました。
両親の死体と共に家を燃やしたマックスは、ひとり、復讐の旅に出ます。
荒野をゆくマックスは三人組の男たちに出会い、両親の仇として襲いかかりますが、まったくの人違いであることが判り、三人の男たちは乱暴を働いたマックスを責めることなく、あたたかくもてなし、食事を提供してくれます。
翌朝、目が覚めるとマックスはひとり。
三人組はマックスの銃や馬を盗んで立ち去っていました。
途方に暮れたマックスは、川で馬を休ませている銃商人のジョナス・コード(ブライアン・キース)を見つけ、壊れかけた銃でジョナスをおどして馬を得ようとしますが、使えない銃であることを簡単に見破ったジョナスは、マックスの身の上を聞き、復讐をするつもりなら銃を扱えるようになることなどを教え始めます。
ジョナス・コードとの出会いがマックスにガンマンとしての成長をもたらすのですが、このジョナス・コードを演じたのが「ザ・ヤクザ」(1974年)、「風とライオン」(1975年)で風格ある演技を見せたブライアン・キース。
復讐の旅への途中で様々な人々との出会いがマックスに人間形成を与えていくことになり、その中で最初の一人となるのがジョナス・コードで、「ネバダ・スミス」の中で重要な一人となります。
やがてマックスは、三人組の一人であるジェシー(マーティン・ランドー)を酒場で見つけ、ナイフで倒すことになります。
柵を飛び越えながらジェシーを追い詰めてゆくマックィーンは実に見事で、「ネバダ・スミス」のひとつの見どころです。
さらに、ジェシーの妻から仲間の一人ビル・ボードリー(アーサー・ケネディ)がルイジアナの刑務所で服役していることを知ったマックスは、自らも服役するべく銀行強盗を働いてワザと捕まり、ビルのいるルイジアナの刑務所へ送られることになります。
復讐のためには手段を選ばないマックスの行動は突飛とも見えますが、これを淡々と遂行していくところがスティーブ・マックィーンの魅力。
広大な沼地に作られた刑務所はワニや毒蛇がウジャウジャと潜んでいる危険地帯。
脱走不可能な刑務所から、土地の娘ピラー(スザンヌ・プレシェット)の助けを借りて、一度脱走に失敗しているビルをそそのかして、ビルとピラーを加えた三人で脱走を図る場面は最大の見どころといってもよく、脱走の途中でビルを殺したマックスでしたが、新しい人生を夢見て脱走に加わったピラーは毒蛇に噛まれてしまいます。
徐々に体に毒が回り始めたピラーは死ぬ間際に、自分がマックスに利用されただけであることを知り、湿った密林の土に横たわりながらマックスを激しく罵り、やがて死を迎えます。
脱走に成功したマックスは、三人組のボスであるトム・フィッチ(カール・マルデン)を探し求めますが、ならず者に捕まり、危うく殺されそうになるところを、偶然居合わせたザッカルディ神父(ラフ・ヴァローネ)に救われます。
ザッカルディ神父のもとで体の回復を待つ間、ザッカルディから復讐の無益さを諭(さと)されたマックスは、はじめは反発していましたが、やがて聖書に親しむようになり、内面的な成長を遂げるようになります。
ザッカルディのもとを去ったマックスは、強盗団のボスとして駅馬車強盗を計画しているトム・フィッチを突き止め、正体を隠してその一味に加わり、駅馬車襲撃の後、トムを川岸へと追い詰めていきます。
トムの足を銃撃し、とどめを刺そうとしたマックスでしたが、ジェシーやビルを殺したころのマックスはすでに過去の人間となり、「殺せ!」と叫ぶトム・フィッチの声を聞き、何かがマックスの内面で動き出していました。
川へ銃を投げ捨てたマックスは、トムの叫びを聞きながら静かに去ってゆくのです。
映画「ネバダ・スミス」はスティーブ・マックィーンの魅力満載の映画なのですが、最初にマックスに銃の扱い方などを教えるジョナス・コードのブライアン・キースを始めとして、名優、名脇役がそれぞれの役どころでしっかりと脇を固めています。
三人組の一人で最初に殺されるジェシーのマーティン・ランドーは「北北西に進路を取れ」(1959年)の悪役から、大作「クレオパトラ」(1963年)ではマーク・アントニーの片腕ルフィオを演じ、大きな存在感を見せました。
また、新天地での夢を追い求めながらも、マックスに利用され、毒蛇に噛まれて命を落とすピラーに「恋愛専科」(1962年)、「鳥」(1963年)の美人女優スザンヌ・プレシェット。
脱走不可能なルイジアナ刑務所の脱走に一度失敗して、気絶するまで鞭打ちされながら、マックスにそそのかされて再び脱走に加わり、結局マックスに殺される、悪党になりきれないビル・ボードリーに「アラビアのロレンス」(1962年)、「シャイアン」(1964年)、「ミクロの決死圏」(1966年)の名脇役アーサー・ケネディ。
三人組の首領トム・フィッチに「影なき殺人」(1947年)、「波止場」(1954年)、1951年の「欲望という名の電車」ではアカデミー助演男優賞を受賞している名優カール・マルデン。
さらに、復讐は愚行であることを説き、マックスの人間形成に大きな役割を果たすザッカルディ神父に、フランス映画の名作「嘆きのテレーズ」(1953年)のラフ・ヴァローネ。
イタリア人のヴァローネは「ふたりの女」(1960年)などを経てハリウッドに進出し、「ゴッドファーザーPART?V」(1990年)にも出演。
監督のヘンリー・ハサウェイは「アラスカ魂」(1960年)、「西部開拓史」(1962年)、「エルダー兄弟」(1965年)と立て続けに西部劇の大作でヒットを飛ばして波に乗っていて、まさに円熟期。
そして忘れてならないのは、「怒りの葡萄」(1940年)、「わが谷は緑なりき」(1941年)の名作を始めとして、「ショウほど素敵な商売はない」(1954年)、「七年目の浮気」(1955年)、「王様と私」(1956年)など数々の映画音楽を手がけた作曲家アルフレッド・ニューマン。
特に1955年の「慕情」の主題歌は映画音楽の素晴らしい名曲。
テレビシリーズ「拳銃無宿」や「荒野の七人」(1960年)で軽快なフットワークとガンさばきを見せ、30代半ばに達していたマックィーンが、銃の扱いも満足にできない若造役というのもちょっと無理があったようにも思いますが、映画中盤から後半にかけては、まさに面目躍如、絶叫するカール・マルデンを残して立ち去るラストも胸に残る傑作です。
【このカテゴリーの最新記事】
2020年01月12日
映画「狼よさらば」−犯罪者への怒りと憎しみ バイオレンス映画の傑作
「狼よさらば」
(Death Wish)
1974年 アメリカ
監督マイケル・ウィナー
原作ブライアン・ガーフィールド
脚本ウェンデル・メイズ
撮影アーサー・J・オニッツ
音楽ハービー・ハンコック
〈キャスト〉
チャールズ・ブロンソン ホープ・ラング
ヴィンセント・ガーディニア
暴力はいつ、どんなかたちで私たちに襲いかかるものであるか分かりません。
もし、その暴力が愛する家族に向けられたものであったとしたら…。
「狼よさらば」はアクション映画というかたちを取りながら、一般市民であるひとりの男を通して、暴力や犯罪に対する法治国家の限界、銃社会アメリカの背景などを力強く、軽快なタッチで描き出していきます。
ニューヨークで暮らすポール・カージー(チャールズ・ブロンソン)は土地開発を業務とする会社で設計士として働いています。
愛する妻のジョアンナ(ホープ・ラング)と二人暮らしのポールですが、その日は、嫁いでいた娘のキャロル(キャスリーン・トーラン)が自宅に帰っていて、近くのスーパーまで買い物に出かけたキャロルとジョアンナは、三人組のチンピラに目をつけられます。
自宅に戻った二人でしたが、スーパーの配達業者を装った三人組に押し入られ、ジョアンナは凌辱され、キャロルは暴行を受けます。
娘婿ジャック(スティーブン・キーツ)からの知らせを受けたポールは病院へ駆けつけますが、妻のジョアンナは死亡、娘のキャロルは暴行によるショックで精神を病んでしまいます。
精神的な衝撃の大きかったポールですが、仕事に対する意欲は萎えることなく、土地開発業者ジェインチル(スチュアート・マーゴリン)の依頼でアリゾナのツーソンへ出張したポールは、西部劇ショーでの西部開拓時代の自警団の認識を深め、さらにジェインチルがガンマニアでもあったことから、人を殺傷することのできる銃の存在に惹きつけられることになります。
妻を殺され、娘を廃人同様にした犯罪者への激しい怒りを胸に秘め、ニューヨークへ戻ったポール・カージーは犯罪者を誘うべく夜の街をうろつき、ひとり、またひとりと犯罪者を処刑してゆくことになります。
もちろん警察はそんな処刑人を見過ごすはずがなく、捜査を担当したフランク・オチョア警部(ヴィンセント・ガーディニア)はポールを次第に追い詰めてゆきますが、凶悪な強盗が次々と殺されていくことでニューヨークの犯罪件数が劇的に減り、世論がポール支持に傾いていることを憂慮した警察は、ポールを街から追放することで事件の解決を図ろうとします。
ニューヨークを離れ、シカゴで人生の再出発を迎えようとしたポールでしたが、駅の構内で高齢の女性がチンピラにからまれている現場に遭遇。
処刑人ポール・カージーの闇の人間性が目覚めてゆくことになります。
監督は「チャトズ・ランド」(1972年)、「メカニック」(1972年)などでチャールズ・ブロンソンと組むことの多いマイケル・ウィナー。
アラン・ドロンを主演に迎えた「スコルピオ」(1973年)などでも軽快なアクション映画の持ち味を存分に発揮。
「狼よさらば」の続編「ロサンゼルス」(1982年)、「スーパー・マグナム」(1985年)などにも監督として手腕を発揮しましたが、アクション映画だけではなく、「妖精たちの森」(1971年)のような文学的な作品もモノにしている70年代を代表する監督といえます。
主役のポール・カージーにチャールズ・ブロンソン。
ブロンソンの出演作は数多くありますが、代表作は何と言ってもアラン・ドロンと共演した「さらば友よ」(1968年)でしょう。
それまでは「荒野の七人」(1960年)、「大脱走」(1963年)、「バルジ大作戦」(1965年)などで中堅の渋い脇役として存在感はありましたが、「さらば友よ」ではトレードマークの口ひげをたくわえ、軽快で優雅な身ごなしと、鍛え上げた肉体、数々の戦場を渡り歩いた傭兵という役どころの男性的魅力は主役のアラン・ドロンを圧倒。
男性だけでなく、女性ファンの心もつかみ、世界的大スターへと駆け上がることになります。
余談としては、
現在の「株式会社マンダム」の前身である「丹頂化粧品」が経営の危機に瀕し、起死回生の策として、新製品「マンダム」の売り込みに当時人気絶頂のチャールズ・ブロンソンをテレビCMに起用。
ブロンソンのイメージと化粧品という組み合わせは水と油を思わせましたが、ブロンソンの男くさい魅力を前面に押し出したCMは見事に功を奏し、「ウ〜ン、マンダム」のセリフは日本中を席捲。
さらに、中堅のカントリー歌手ジェリー・ウォレスが歌ったマンダムのCMソング「マンダム〜男の世界」は160万枚を売り上げる大ヒット。
経営の危機を脱した丹頂は社名を「マンダム」に変えたのはよく知られた話。
「狼よさらば」にはチャールズ・ブロンソンの他にはあまり知られた俳優は出てきませんが、のちに「ザ・フライ」(1986年)での主役をキッカケとして「ジュラシック・パーク」(1993年)で大きな存在感を見せたジェフ・ゴールドブラムが三人組のチンピラの一人として登場しているのも面白いところ。
また、独特の容貌と話し方の個性的なフランク・オチョア警部を演じたヴィンセント・ガーディニアは「月の輝く夜に」(1987年)では名演技を披露。
その年のアカデミー助演男優賞にノミネートされています。
それまでタフな男の役どころの多かったブロンソンが一転。
偶然出会った強盗にコインの詰まった靴下で応酬し、部屋へ逃げかえって、震える手でウイスキーをあおる場面など、暴力弱者の一市民が徐々に処刑人に変貌してゆく姿を好演。
ブロンソンには珍しいシリーズ物となりました。
家族を襲ったチンピラに対する復讐というより、犯罪者そのものを憎み、アメリカ社会に強く根付く“自警”を描いたと映画といえます。
1974年 アメリカ
監督マイケル・ウィナー
原作ブライアン・ガーフィールド
脚本ウェンデル・メイズ
撮影アーサー・J・オニッツ
音楽ハービー・ハンコック
〈キャスト〉
チャールズ・ブロンソン ホープ・ラング
ヴィンセント・ガーディニア
暴力はいつ、どんなかたちで私たちに襲いかかるものであるか分かりません。
もし、その暴力が愛する家族に向けられたものであったとしたら…。
「狼よさらば」はアクション映画というかたちを取りながら、一般市民であるひとりの男を通して、暴力や犯罪に対する法治国家の限界、銃社会アメリカの背景などを力強く、軽快なタッチで描き出していきます。
ニューヨークで暮らすポール・カージー(チャールズ・ブロンソン)は土地開発を業務とする会社で設計士として働いています。
愛する妻のジョアンナ(ホープ・ラング)と二人暮らしのポールですが、その日は、嫁いでいた娘のキャロル(キャスリーン・トーラン)が自宅に帰っていて、近くのスーパーまで買い物に出かけたキャロルとジョアンナは、三人組のチンピラに目をつけられます。
自宅に戻った二人でしたが、スーパーの配達業者を装った三人組に押し入られ、ジョアンナは凌辱され、キャロルは暴行を受けます。
娘婿ジャック(スティーブン・キーツ)からの知らせを受けたポールは病院へ駆けつけますが、妻のジョアンナは死亡、娘のキャロルは暴行によるショックで精神を病んでしまいます。
精神的な衝撃の大きかったポールですが、仕事に対する意欲は萎えることなく、土地開発業者ジェインチル(スチュアート・マーゴリン)の依頼でアリゾナのツーソンへ出張したポールは、西部劇ショーでの西部開拓時代の自警団の認識を深め、さらにジェインチルがガンマニアでもあったことから、人を殺傷することのできる銃の存在に惹きつけられることになります。
妻を殺され、娘を廃人同様にした犯罪者への激しい怒りを胸に秘め、ニューヨークへ戻ったポール・カージーは犯罪者を誘うべく夜の街をうろつき、ひとり、またひとりと犯罪者を処刑してゆくことになります。
もちろん警察はそんな処刑人を見過ごすはずがなく、捜査を担当したフランク・オチョア警部(ヴィンセント・ガーディニア)はポールを次第に追い詰めてゆきますが、凶悪な強盗が次々と殺されていくことでニューヨークの犯罪件数が劇的に減り、世論がポール支持に傾いていることを憂慮した警察は、ポールを街から追放することで事件の解決を図ろうとします。
ニューヨークを離れ、シカゴで人生の再出発を迎えようとしたポールでしたが、駅の構内で高齢の女性がチンピラにからまれている現場に遭遇。
処刑人ポール・カージーの闇の人間性が目覚めてゆくことになります。
監督は「チャトズ・ランド」(1972年)、「メカニック」(1972年)などでチャールズ・ブロンソンと組むことの多いマイケル・ウィナー。
アラン・ドロンを主演に迎えた「スコルピオ」(1973年)などでも軽快なアクション映画の持ち味を存分に発揮。
「狼よさらば」の続編「ロサンゼルス」(1982年)、「スーパー・マグナム」(1985年)などにも監督として手腕を発揮しましたが、アクション映画だけではなく、「妖精たちの森」(1971年)のような文学的な作品もモノにしている70年代を代表する監督といえます。
主役のポール・カージーにチャールズ・ブロンソン。
ブロンソンの出演作は数多くありますが、代表作は何と言ってもアラン・ドロンと共演した「さらば友よ」(1968年)でしょう。
それまでは「荒野の七人」(1960年)、「大脱走」(1963年)、「バルジ大作戦」(1965年)などで中堅の渋い脇役として存在感はありましたが、「さらば友よ」ではトレードマークの口ひげをたくわえ、軽快で優雅な身ごなしと、鍛え上げた肉体、数々の戦場を渡り歩いた傭兵という役どころの男性的魅力は主役のアラン・ドロンを圧倒。
男性だけでなく、女性ファンの心もつかみ、世界的大スターへと駆け上がることになります。
余談としては、
現在の「株式会社マンダム」の前身である「丹頂化粧品」が経営の危機に瀕し、起死回生の策として、新製品「マンダム」の売り込みに当時人気絶頂のチャールズ・ブロンソンをテレビCMに起用。
ブロンソンのイメージと化粧品という組み合わせは水と油を思わせましたが、ブロンソンの男くさい魅力を前面に押し出したCMは見事に功を奏し、「ウ〜ン、マンダム」のセリフは日本中を席捲。
さらに、中堅のカントリー歌手ジェリー・ウォレスが歌ったマンダムのCMソング「マンダム〜男の世界」は160万枚を売り上げる大ヒット。
経営の危機を脱した丹頂は社名を「マンダム」に変えたのはよく知られた話。
「狼よさらば」にはチャールズ・ブロンソンの他にはあまり知られた俳優は出てきませんが、のちに「ザ・フライ」(1986年)での主役をキッカケとして「ジュラシック・パーク」(1993年)で大きな存在感を見せたジェフ・ゴールドブラムが三人組のチンピラの一人として登場しているのも面白いところ。
また、独特の容貌と話し方の個性的なフランク・オチョア警部を演じたヴィンセント・ガーディニアは「月の輝く夜に」(1987年)では名演技を披露。
その年のアカデミー助演男優賞にノミネートされています。
それまでタフな男の役どころの多かったブロンソンが一転。
偶然出会った強盗にコインの詰まった靴下で応酬し、部屋へ逃げかえって、震える手でウイスキーをあおる場面など、暴力弱者の一市民が徐々に処刑人に変貌してゆく姿を好演。
ブロンソンには珍しいシリーズ物となりました。
家族を襲ったチンピラに対する復讐というより、犯罪者そのものを憎み、アメリカ社会に強く根付く“自警”を描いたと映画といえます。
2019年12月28日
映画「ひまわり」− 戦争によって引き裂かれる一組の夫婦, 原野に咲くひまわりの意味とは…
「ひまわり」
(I Girasoli) 1970年
イタリア/フランス/ソ連(当時)合作
監督ヴィットリオ・デ・シーカ
脚本チェーザレ・サヴァッティーニ
アントニオ・グエラ
ゲオルギ・ムディバニ
撮影ジュゼッペ・ロトゥンノ
音楽ヘンリー・マンシーニ
〈キャスト〉
ソフィア・ローレン マルチェロ・マストロヤンニ
リュドミラ・サヴェーリエワ
戦地へ出征して、なんらかの理由でそのままその地にとどまった兵士は少なからず存在したのだろうと思います。
数年前にNHKのラジオニュースで、インドネシア(だったかな?)で、元日本兵が存在しているというニュースが流れたことがあります。
でもその人は、横井庄一さんや小野田寛郎さんのように終戦を知らずに戦後数十年をその地で過ごしていたわけではなく、戦争が終わっても帰国をせずに、現地で家庭を持って静かに暮らしていたということです。
竹山道雄の名作「ビルマの竪琴」の主人公・水島上等兵のように、戦死して無縁仏のようになった兵士を弔うため、僧になってビルマをさまよった人もいたかもしれません。
戦争という歴史の大きな歯車によって、思わぬ方向へ人生がねじ曲げられてしまう悲劇を描いた「ひまわり」は、巨匠ヴィットリオ・デ・シーカによる永遠の名作です。
電気技師のアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)と勝気で陽気なナポリ女ジョバンナ(ソフィア・ローレン)は、出会ってすぐに恋に落ちます。
戦時中であり、アフリカ戦線への出征が決まっていたアントニオは、結婚をすれば12日間の休暇がもらえるし、その間に戦争は終わるだろうと、気楽な二人は結婚式を挙げ、12日間の新婚生活を楽しみますが(卵24個を使ったオムレツを食べるシーンは秀逸)、それも夢のように過ぎてしまい、兵役を回避するため二人は一芝居打ちます。
妻のジョバンナをナイフで突然追いまわし、精神異常を装ったアントニオでしたが、偽芝居はあえなく露見。
懲罰のためアントニオはロシア戦線へ送られることになります。
ミラノ駅で夫を見送るジョバンナに「すぐに帰ってくる」と言い残して、アントニオは大勢の兵士と共にミラノ駅を後にして出征してゆきます。
年月は過ぎ、夫の帰りを待ちわびていたジョバンナは終戦の知らせを受け、帰国するであろう夫を迎えるためミラノ駅へ向かいます。
アントニオの写真を手に、列車から到着する復員兵たちの中にアントニオの姿を探しますが、夫の姿はありません。
落胆するジョバンナでしたが、列車から降りた復員兵の中に、ドン河付近でアントニオを見かけたという男がジョバンナに語りかけます。
…迫りくるロシア兵と、見渡すかぎりの雪原に舞う吹雪。
退却を余儀なくされた部隊は極寒と飢えの中で、ひとり、またひとりと倒れ、その中でアントニオも雪原に倒れてしまったのです。
しかし、アントニオの死を確認した者はなく、彼は生きているはずだと思い詰めたジョバンナはアントニオの消息を確かめるべく、スターリン亡き後のモスクワ行きを決意します。
広大なロシアの地でイタリア軍が戦ったとされる戦域を訪ね歩いたジョバンナは、外務省の担当官から見渡す限りの野に咲くひまわりの群生地に案内されます。
そこはイタリア兵とロシア軍の捕虜が埋葬されている地で、兵士だけではなく、女性や子どももドイツ軍によって埋められている、いわば原野の墓場であり、そこに咲いている何万本とも知れぬひまわりの数だけ死者が眠っていることを意味しています。
「生きて帰ったイタリア兵はいない」と言われ、夫の探索をあきらめるよううながされたジョバンナでしたが、どこかで生きているであろうアントニオを信じるジョバンナはあきらめず、アントニオの写真を手に村々を訪ね歩いたジョバンナは、ついに夫の消息をつかみますが…。
監督は、「自転車泥棒」(1948年)、「終着駅」(1953年)、「昨日・今日・明日」(1963年)の巨匠ヴィットリオ・デ・シーカ。
ジョバンナに「島の女」(1957年)、「ふたりの女」(1960年)、「ラ・マンチャの男」(1972年)のソフィア・ローレン。
アントニオに「甘い生活」(1960年)、「イタリア式離婚狂想曲」(1962年)、「8 1/2」(1963年)の名優マルチェロ・マストロヤンニ。
そして、
瀕死のアントニオを助け、彼の妻になるロシア人女性に「戦争と平和」(1965年—1968年)のナターシャ役で世界を魅了したリュドミラ・サヴェーリエワ。
哀愁に満ちた情感漂う「ひまわり」のテーマ曲は、「ティファニーで朝食を」(1961年)、「酒とバラの日々」(1962年)、「ピンクパンサー」シリーズなど、映画音楽界の巨匠ヘンリー・マンシーニ。
独特の映像美とカメラワークは「山猫」(1963年)、「愛の狩人」(1971年)、「フェリーニのローマ」(1972年)などの名手ジュゼッペ・ロトゥンノ。
第二次世界大戦はナチス・ドイツによるポーランド侵攻によって勃発するのですが、それ以前から世界戦争の火だねのようなものは燃えていて、やがて日本・ドイツ・イタリアの枢軸国とアメリカ・イギリス・オランダ・フランスなどの連合国との戦争に発展してゆき、ヨーロッパを主戦場としたドイツに対し、その多くの戦場を太平洋とした日本。
日独伊三国同盟といわれる中で、よく分からないのがイタリアの動きで、ムッソリーニの独裁国家であったイタリアですが、半島では内戦が勃発。
1940年に地中海の制海権とエジプトでの支配を目指したイタリアは北アフリカへ侵攻。
ほどなくしてドイツとソビエトの間に交わされていた独ソ不可侵条約が破棄され、ドイツはロシアへの侵攻を開始。
ナチス・ドイツに対する追随政策をとるムッソリーニはロシア戦線へ軍を派遣することになります。
「靴みがき」(1946年)や「自転車泥棒」(1948年)によって、ロベルト・ロッセリーニなどと並んでイタリアン・ネオレアリズモの代表的な監督として知られるようになったデ・シーカですが、「終着駅」にみられるようなメロドラマの醍醐味は「ひまわり」でも存分に生かされていて、特に、ロシアの小さな村で夫の消息を知らされ、しかし、その家には若いロシア女性がいて洗濯物を取りこんでいる。
もうすでに何らかの悪い予感がジョバンナの顔に表れ始める。
この情景は何度見ても素晴らしく、ぬかるんだ田舎道、ジョバンナの周りを取り囲んだ無邪気な子供たち、ジョバンナの視線に気づいた若い女(リュドミラ・サヴェーリエワ)の顔にも、とうとう来るものが来た、といった複雑な表情が浮かびます。
家の中へ招き入れられたジョバンナは、ベッドに並んだ二つの枕を見てすべてを察し、その家の幼い娘カチューシャは二人の間に出来た子どもであることを理解したジョバンナは悲嘆に打ちのめされます。
そして、工場から帰ってくるアントニオとの駅での再会。
しかし、言葉を交わすこともなく列車に飛び乗ったジョバンナの号泣。
数年後、イタリアでの再会を果たしたアントニオとジョバンナでしたが、お互いに別々の人生を送っていることを知った二人には、ふたたび同じ人生を歩むことはできず、モスクワへ帰る列車に乗ったアントニオを見送るジョバンナ。
「すぐに帰ってくる」と言って出征した同じミラノ駅での別れのシーンは、嗚咽をこらえながら大粒の涙に頬を濡らすジョバンナと、すべてをあきらめきった表情で列車に立ち尽くすアントニオ、そしてそこに流れる「ひまわり」の主題曲、二人の永遠の別れを物語る名ラストシーンです。
「ひまわり」が女性映画であるということをいわれるのはメロドラマ的なストーリー展開にあると思われますが、その背景にある戦争、そこで死んでいった兵士、そして女性や子どもたちが眠る原野に咲くひまわりの数だけ悲しみのドラマがあることを訴える力強い映画であると思います。
「私の好きな映画ベスト10」に入る一本。
イタリア/フランス/ソ連(当時)合作
監督ヴィットリオ・デ・シーカ
脚本チェーザレ・サヴァッティーニ
アントニオ・グエラ
ゲオルギ・ムディバニ
撮影ジュゼッペ・ロトゥンノ
音楽ヘンリー・マンシーニ
〈キャスト〉
ソフィア・ローレン マルチェロ・マストロヤンニ
リュドミラ・サヴェーリエワ
戦地へ出征して、なんらかの理由でそのままその地にとどまった兵士は少なからず存在したのだろうと思います。
数年前にNHKのラジオニュースで、インドネシア(だったかな?)で、元日本兵が存在しているというニュースが流れたことがあります。
でもその人は、横井庄一さんや小野田寛郎さんのように終戦を知らずに戦後数十年をその地で過ごしていたわけではなく、戦争が終わっても帰国をせずに、現地で家庭を持って静かに暮らしていたということです。
竹山道雄の名作「ビルマの竪琴」の主人公・水島上等兵のように、戦死して無縁仏のようになった兵士を弔うため、僧になってビルマをさまよった人もいたかもしれません。
戦争という歴史の大きな歯車によって、思わぬ方向へ人生がねじ曲げられてしまう悲劇を描いた「ひまわり」は、巨匠ヴィットリオ・デ・シーカによる永遠の名作です。
電気技師のアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)と勝気で陽気なナポリ女ジョバンナ(ソフィア・ローレン)は、出会ってすぐに恋に落ちます。
戦時中であり、アフリカ戦線への出征が決まっていたアントニオは、結婚をすれば12日間の休暇がもらえるし、その間に戦争は終わるだろうと、気楽な二人は結婚式を挙げ、12日間の新婚生活を楽しみますが(卵24個を使ったオムレツを食べるシーンは秀逸)、それも夢のように過ぎてしまい、兵役を回避するため二人は一芝居打ちます。
妻のジョバンナをナイフで突然追いまわし、精神異常を装ったアントニオでしたが、偽芝居はあえなく露見。
懲罰のためアントニオはロシア戦線へ送られることになります。
ミラノ駅で夫を見送るジョバンナに「すぐに帰ってくる」と言い残して、アントニオは大勢の兵士と共にミラノ駅を後にして出征してゆきます。
年月は過ぎ、夫の帰りを待ちわびていたジョバンナは終戦の知らせを受け、帰国するであろう夫を迎えるためミラノ駅へ向かいます。
アントニオの写真を手に、列車から到着する復員兵たちの中にアントニオの姿を探しますが、夫の姿はありません。
落胆するジョバンナでしたが、列車から降りた復員兵の中に、ドン河付近でアントニオを見かけたという男がジョバンナに語りかけます。
…迫りくるロシア兵と、見渡すかぎりの雪原に舞う吹雪。
退却を余儀なくされた部隊は極寒と飢えの中で、ひとり、またひとりと倒れ、その中でアントニオも雪原に倒れてしまったのです。
しかし、アントニオの死を確認した者はなく、彼は生きているはずだと思い詰めたジョバンナはアントニオの消息を確かめるべく、スターリン亡き後のモスクワ行きを決意します。
広大なロシアの地でイタリア軍が戦ったとされる戦域を訪ね歩いたジョバンナは、外務省の担当官から見渡す限りの野に咲くひまわりの群生地に案内されます。
そこはイタリア兵とロシア軍の捕虜が埋葬されている地で、兵士だけではなく、女性や子どももドイツ軍によって埋められている、いわば原野の墓場であり、そこに咲いている何万本とも知れぬひまわりの数だけ死者が眠っていることを意味しています。
「生きて帰ったイタリア兵はいない」と言われ、夫の探索をあきらめるよううながされたジョバンナでしたが、どこかで生きているであろうアントニオを信じるジョバンナはあきらめず、アントニオの写真を手に村々を訪ね歩いたジョバンナは、ついに夫の消息をつかみますが…。
監督は、「自転車泥棒」(1948年)、「終着駅」(1953年)、「昨日・今日・明日」(1963年)の巨匠ヴィットリオ・デ・シーカ。
ジョバンナに「島の女」(1957年)、「ふたりの女」(1960年)、「ラ・マンチャの男」(1972年)のソフィア・ローレン。
アントニオに「甘い生活」(1960年)、「イタリア式離婚狂想曲」(1962年)、「8 1/2」(1963年)の名優マルチェロ・マストロヤンニ。
そして、
瀕死のアントニオを助け、彼の妻になるロシア人女性に「戦争と平和」(1965年—1968年)のナターシャ役で世界を魅了したリュドミラ・サヴェーリエワ。
哀愁に満ちた情感漂う「ひまわり」のテーマ曲は、「ティファニーで朝食を」(1961年)、「酒とバラの日々」(1962年)、「ピンクパンサー」シリーズなど、映画音楽界の巨匠ヘンリー・マンシーニ。
独特の映像美とカメラワークは「山猫」(1963年)、「愛の狩人」(1971年)、「フェリーニのローマ」(1972年)などの名手ジュゼッペ・ロトゥンノ。
第二次世界大戦はナチス・ドイツによるポーランド侵攻によって勃発するのですが、それ以前から世界戦争の火だねのようなものは燃えていて、やがて日本・ドイツ・イタリアの枢軸国とアメリカ・イギリス・オランダ・フランスなどの連合国との戦争に発展してゆき、ヨーロッパを主戦場としたドイツに対し、その多くの戦場を太平洋とした日本。
日独伊三国同盟といわれる中で、よく分からないのがイタリアの動きで、ムッソリーニの独裁国家であったイタリアですが、半島では内戦が勃発。
1940年に地中海の制海権とエジプトでの支配を目指したイタリアは北アフリカへ侵攻。
ほどなくしてドイツとソビエトの間に交わされていた独ソ不可侵条約が破棄され、ドイツはロシアへの侵攻を開始。
ナチス・ドイツに対する追随政策をとるムッソリーニはロシア戦線へ軍を派遣することになります。
「靴みがき」(1946年)や「自転車泥棒」(1948年)によって、ロベルト・ロッセリーニなどと並んでイタリアン・ネオレアリズモの代表的な監督として知られるようになったデ・シーカですが、「終着駅」にみられるようなメロドラマの醍醐味は「ひまわり」でも存分に生かされていて、特に、ロシアの小さな村で夫の消息を知らされ、しかし、その家には若いロシア女性がいて洗濯物を取りこんでいる。
もうすでに何らかの悪い予感がジョバンナの顔に表れ始める。
この情景は何度見ても素晴らしく、ぬかるんだ田舎道、ジョバンナの周りを取り囲んだ無邪気な子供たち、ジョバンナの視線に気づいた若い女(リュドミラ・サヴェーリエワ)の顔にも、とうとう来るものが来た、といった複雑な表情が浮かびます。
家の中へ招き入れられたジョバンナは、ベッドに並んだ二つの枕を見てすべてを察し、その家の幼い娘カチューシャは二人の間に出来た子どもであることを理解したジョバンナは悲嘆に打ちのめされます。
そして、工場から帰ってくるアントニオとの駅での再会。
しかし、言葉を交わすこともなく列車に飛び乗ったジョバンナの号泣。
数年後、イタリアでの再会を果たしたアントニオとジョバンナでしたが、お互いに別々の人生を送っていることを知った二人には、ふたたび同じ人生を歩むことはできず、モスクワへ帰る列車に乗ったアントニオを見送るジョバンナ。
「すぐに帰ってくる」と言って出征した同じミラノ駅での別れのシーンは、嗚咽をこらえながら大粒の涙に頬を濡らすジョバンナと、すべてをあきらめきった表情で列車に立ち尽くすアントニオ、そしてそこに流れる「ひまわり」の主題曲、二人の永遠の別れを物語る名ラストシーンです。
「ひまわり」が女性映画であるということをいわれるのはメロドラマ的なストーリー展開にあると思われますが、その背景にある戦争、そこで死んでいった兵士、そして女性や子どもたちが眠る原野に咲くひまわりの数だけ悲しみのドラマがあることを訴える力強い映画であると思います。
「私の好きな映画ベスト10」に入る一本。
2019年12月14日
映画「死刑台のエレベーター」- 二組の男女が織り成す愛の結末
「死刑台のエレベーター」
(Ascenseur pour l'échafaud) 1957年 フランス
監督ルイ・マル
脚本ロジェ・ニミエ
ルイ・マル
原作ノエル・カレフ
撮影アンリ・ドカエ
音楽マイルス・デイヴィス
〈キャスト〉
モーリス・ロネ ジャンヌ・モロー
ジョルジュ・プージュリー ヨリ・ベルタン
1957年ルイ・デリュック賞受賞(ルイ・マル)
濡れたようにしっとりと潤んだ瞳、挑発的で退廃的な唇、フランスを代表する名女優ジャンヌ・モローのクローズアップで始まるこの映画は、甘く湿った緊張感と共に一気に映画の世界に引き込まれます。
世界映画界に衝撃を与えた若干25歳のルイ・マル監督のデビュー作として名高い本作ですが、同時に、本作以降ヌーベルバーグの立役者として存在感を発揮することになる名手アンリ・ドカエの冴えわたる撮影が素晴らしい効果を発揮しています。
「もう耐えられない、…愛してるわジュリアン」
社長夫人フロランス・カララ(ジャンヌ・モロー)は、電話の相手ジュリアン・タベルニエ(モーリス・ロネ)にささやきかけます。
愛人関係にあるフロランスとジュリアンは、フロランスの夫でジュリアンが勤める会社の社長であるサイモン・カララ(ジャン・ウォール)を殺そうと計画しています。
計画は実行に移され、自分のオフィスから社長室に忍び込んだジュリアンはサイモンを射殺。
拳銃を握らせて自殺に見せかけます。
計画は成功し、ジュリアンは会社を出ようとしますが、社長室に忍び込むために使ったロープがそのままになっていることに気づきます。
あわてて会社に引き返し、エレベーターに乗ったジュリアンでしたが、終業時間をとっくに過ぎていることもあり、保安係によってエレベーターの電源が落とされます。
真っ暗になったエレベーターの中に閉じ込められることになったジュリアン。
一方、会社の外では花屋の店員ベロニク(ヨリ・ベルタン)と恋人のルイ(ジョルジュ・プージュリー)が路上に放置されているジュリアンの車を見つけ、反抗心むき出しの不良のルイが車に乗り込み、二人はジュリアンの車を盗んでドライブに出かけてしまいます。
約束の時間を過ぎても現れないジュリアンに不審を抱き、彼を探そうと夜のパリをさまよい歩くフロランス。
そして事件は意外な方向へと発展してゆきます。
ベロニクとルイはモーテルでドイツ人夫婦と知り合いになり、シャンパンと葉巻で一夜を過ごすのですが、ドイツ人のスポーツカーを盗もうとしたルイが見つかり、ジュリアンの拳銃でドイツ人を射殺してしまいます。
一夜が明け、ようやくエレベーターから解放されたジュリアンでしたが、彼を待っていたのはドイツ人殺しの容疑でした。
社長の自殺死体も発見され、シェリエ警部(リノ・ヴァンチュラ)が捜査に乗り出します。
ジュリアンの車が盗まれ、助手席に乗る花屋のベロニクを目撃していたフロランスは、ドイツ人殺しは二人の仕業だと警察に通報。
ルイは逮捕されますが、フロランスとジュリアンの関係を怪しいとみたシェリエは、社長殺しは計画されたものではないかと疑念を持ちます。
ジュリアンとの関係を否定したフロランスでしたが…。
完全犯罪として計画された殺人は、なんなく成功するように思われたのですが…。
こんな場面があります。
社長を射殺したジュリアンがふと顔を上げると、窓の外を黒猫がゆっくりと歩いている。完全犯罪が失敗に終わるであろうことを暗示させる場面だと思われます。
世の中、そううまくいかないもの。どこかに落とし穴が潜んでいるものですが、ジュリアンの場合は社長室へ忍び込むために使ったロープが命取りになりました。
しかしこのロープ、先端に引っ掛けるためのかぎが付いているシロモノで、事を成したあと、ジュリアンはふたたびこのロープで下へ降りているのですから、殺人を計画したときにロープの回収をどうするかということは考えなかったのかな、という疑問が生じます。
下へ降りてしまえばロープは回収できませんし、ロープを外して下へ落とせば自分が戻れない。
しかも、ジュリアンがエレベーターに閉じ込められているあいだにロープはいつの間にか会社の外に落ちてしまっている。
一見、脚本のミスなのか、編集上の手違いなのかと思われるこのロープ、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を裏返しにしたような、ひとりの人間の運命を左右する魔性の小道具のようにも思われます。
フロランス・カララに「雨のしのび逢い」(1960年)、「突然炎のごとく」(1962年)のジャンヌ・モロー。
ジュリアン・タベルニエに「太陽がいっぱい」(1960年)、「鬼火」(1963年)のモーリス・ロネ。
不良青年ルイに「禁じられた遊び」(1952年)の名子役ジョルジュ・プージュリー。
その恋人ベロニクに「修道女」(1996年)のヨリ・ベルタン。
事件を追うシェリエ警部に「モンパルナスの灯」(1958年)、「冒険者たち」(1967年)のリノ・ヴァンチュラ。
全編をおおう緊張感の中に退廃的でけだるいムードを醸し出すジャズの帝王マイルス・デイヴィスのトランペット。
とりわけ、夜のパリをさまようフロランスの心情を見事に表現したように流れる曲は映画音楽史上に残る名曲といえます。
完全犯罪がもろくも崩れ去るラストの暗室に浮かび上がるフロランスとジュリアンの幸福感あふれる現像写真。
見事な幕切れで、犯罪を証明したような証拠写真でありながら、それを見つめるフロランスの表情には愛しい時代を懐かしむような幸せそうな笑みがこぼれているのが、むしろ見ているほうが切なくなるようなラストでした。
原作はノエル・カレフの推理小説で、こちらは金目当ての殺人なのですが、ルイ・マルは男女の愛に置き換え、道ならぬ不倫関係のフロランスとジュリアン、無軌道な青春像のベロニクとルイという二組の恋人たちが織り成す破滅的な恋の結末を描いています。
1950年代、フランス映画が輝いていたころの傑作です。
(Ascenseur pour l'échafaud) 1957年 フランス
監督ルイ・マル
脚本ロジェ・ニミエ
ルイ・マル
原作ノエル・カレフ
撮影アンリ・ドカエ
音楽マイルス・デイヴィス
〈キャスト〉
モーリス・ロネ ジャンヌ・モロー
ジョルジュ・プージュリー ヨリ・ベルタン
1957年ルイ・デリュック賞受賞(ルイ・マル)
濡れたようにしっとりと潤んだ瞳、挑発的で退廃的な唇、フランスを代表する名女優ジャンヌ・モローのクローズアップで始まるこの映画は、甘く湿った緊張感と共に一気に映画の世界に引き込まれます。
世界映画界に衝撃を与えた若干25歳のルイ・マル監督のデビュー作として名高い本作ですが、同時に、本作以降ヌーベルバーグの立役者として存在感を発揮することになる名手アンリ・ドカエの冴えわたる撮影が素晴らしい効果を発揮しています。
「もう耐えられない、…愛してるわジュリアン」
社長夫人フロランス・カララ(ジャンヌ・モロー)は、電話の相手ジュリアン・タベルニエ(モーリス・ロネ)にささやきかけます。
愛人関係にあるフロランスとジュリアンは、フロランスの夫でジュリアンが勤める会社の社長であるサイモン・カララ(ジャン・ウォール)を殺そうと計画しています。
計画は実行に移され、自分のオフィスから社長室に忍び込んだジュリアンはサイモンを射殺。
拳銃を握らせて自殺に見せかけます。
計画は成功し、ジュリアンは会社を出ようとしますが、社長室に忍び込むために使ったロープがそのままになっていることに気づきます。
あわてて会社に引き返し、エレベーターに乗ったジュリアンでしたが、終業時間をとっくに過ぎていることもあり、保安係によってエレベーターの電源が落とされます。
真っ暗になったエレベーターの中に閉じ込められることになったジュリアン。
一方、会社の外では花屋の店員ベロニク(ヨリ・ベルタン)と恋人のルイ(ジョルジュ・プージュリー)が路上に放置されているジュリアンの車を見つけ、反抗心むき出しの不良のルイが車に乗り込み、二人はジュリアンの車を盗んでドライブに出かけてしまいます。
約束の時間を過ぎても現れないジュリアンに不審を抱き、彼を探そうと夜のパリをさまよい歩くフロランス。
そして事件は意外な方向へと発展してゆきます。
ベロニクとルイはモーテルでドイツ人夫婦と知り合いになり、シャンパンと葉巻で一夜を過ごすのですが、ドイツ人のスポーツカーを盗もうとしたルイが見つかり、ジュリアンの拳銃でドイツ人を射殺してしまいます。
一夜が明け、ようやくエレベーターから解放されたジュリアンでしたが、彼を待っていたのはドイツ人殺しの容疑でした。
社長の自殺死体も発見され、シェリエ警部(リノ・ヴァンチュラ)が捜査に乗り出します。
ジュリアンの車が盗まれ、助手席に乗る花屋のベロニクを目撃していたフロランスは、ドイツ人殺しは二人の仕業だと警察に通報。
ルイは逮捕されますが、フロランスとジュリアンの関係を怪しいとみたシェリエは、社長殺しは計画されたものではないかと疑念を持ちます。
ジュリアンとの関係を否定したフロランスでしたが…。
完全犯罪として計画された殺人は、なんなく成功するように思われたのですが…。
こんな場面があります。
社長を射殺したジュリアンがふと顔を上げると、窓の外を黒猫がゆっくりと歩いている。完全犯罪が失敗に終わるであろうことを暗示させる場面だと思われます。
世の中、そううまくいかないもの。どこかに落とし穴が潜んでいるものですが、ジュリアンの場合は社長室へ忍び込むために使ったロープが命取りになりました。
しかしこのロープ、先端に引っ掛けるためのかぎが付いているシロモノで、事を成したあと、ジュリアンはふたたびこのロープで下へ降りているのですから、殺人を計画したときにロープの回収をどうするかということは考えなかったのかな、という疑問が生じます。
下へ降りてしまえばロープは回収できませんし、ロープを外して下へ落とせば自分が戻れない。
しかも、ジュリアンがエレベーターに閉じ込められているあいだにロープはいつの間にか会社の外に落ちてしまっている。
一見、脚本のミスなのか、編集上の手違いなのかと思われるこのロープ、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を裏返しにしたような、ひとりの人間の運命を左右する魔性の小道具のようにも思われます。
フロランス・カララに「雨のしのび逢い」(1960年)、「突然炎のごとく」(1962年)のジャンヌ・モロー。
ジュリアン・タベルニエに「太陽がいっぱい」(1960年)、「鬼火」(1963年)のモーリス・ロネ。
不良青年ルイに「禁じられた遊び」(1952年)の名子役ジョルジュ・プージュリー。
その恋人ベロニクに「修道女」(1996年)のヨリ・ベルタン。
事件を追うシェリエ警部に「モンパルナスの灯」(1958年)、「冒険者たち」(1967年)のリノ・ヴァンチュラ。
全編をおおう緊張感の中に退廃的でけだるいムードを醸し出すジャズの帝王マイルス・デイヴィスのトランペット。
とりわけ、夜のパリをさまようフロランスの心情を見事に表現したように流れる曲は映画音楽史上に残る名曲といえます。
完全犯罪がもろくも崩れ去るラストの暗室に浮かび上がるフロランスとジュリアンの幸福感あふれる現像写真。
見事な幕切れで、犯罪を証明したような証拠写真でありながら、それを見つめるフロランスの表情には愛しい時代を懐かしむような幸せそうな笑みがこぼれているのが、むしろ見ているほうが切なくなるようなラストでした。
原作はノエル・カレフの推理小説で、こちらは金目当ての殺人なのですが、ルイ・マルは男女の愛に置き換え、道ならぬ不倫関係のフロランスとジュリアン、無軌道な青春像のベロニクとルイという二組の恋人たちが織り成す破滅的な恋の結末を描いています。
1950年代、フランス映画が輝いていたころの傑作です。
2019年11月28日
映画「グラン・トリノ」− 「人を殺す気持ちを知りたいのか? 最悪だ」
「グラン・トリノ」
(Gran Torino) 2008年 アメリカ
監督クリント・イーストウッド
脚本ニック・シェンク
撮影トム・スターン
原案デヴィッド・ジョハンソン
ニック・シェンク
音楽カイル・イーストウッド
マイケル・スティーヴンス
〈キャスト〉
クリント・イーストウッド ビー・ヴァン
アーニー・ハー クリストファー・カーリー
人付き合いが悪く、頑固で片意地、自分が生きた時代に誇りを持ち、どんなに時代が移り変わろうと自分の信念のよりどころを見失わない男。
親戚にそんな人がいたとしたら、煙ったい存在として敬遠されるような男をクリント・イーストウッドが好演。
ラストの意表を突いた展開と、少数民族であるモン族との交流を通してたどる男の生きざまを描いた秀作です。
ウォルト・コワルスキー(クリント・イーストウッド)は50年間勤めたフォードの工場を退職し、愛犬とともに自宅のポーチにゆったりと座り、缶ビールを飲むのを楽しみにしています。
妻に先立たれたウォルトはますます頑固になっているせいか、息子たちとも折り合いが悪く、隣に住むモン族の一家に対しても“コメ食い虫”と嘲(あざけ)り、オレの芝生を汚すな、と不平の毎日を送っています。
そんなウォルトが大切にしているのが72年型の愛車、フォード製“グラン・トリノ”です。
デカくて優雅ですが燃費があまりよくないため、翌年の1973年から始まったオイルショックのあおりを受けてアメリカの自動車産業が燃費のすぐれた日本車にとってかわられる分岐点ともなった1972年。
そんな最後の輝きを放つグラン・トリノをウォルトは愛し、ピカピカに磨いて自宅の車庫に保管しています。
いわば歴史の貴重品ともなったウォルトの愛車グラン・トリノを、隣に住むモン族の少年タオ(ビー・ヴァン)が盗みに入ります。
タオ自身は車に興味はなく、盗みはイヤなのですが、いとこでストリートギャングのリーダーであるフォン(ドゥア・モーア)に脅(おど)され、盗みに入ったのです。
ガレージの不審者に気づいたウォルトはタオに銃口を向け、追い払います。
内気なタオは人生に迷っています。
自分の人生に自信が持てなくて悩んでいるのです。そんな気弱な性格からフォンたちに目をつけられ、ギャングの仲間に引き入れられようとしているのですが、姉のスー(アーニー・ハー)は、ウォルトの車を盗もうとしたタオに腹を立て、タオを引き連れてウォルトに謝罪に出かけ、罪滅ぼしのため、身の回りの用事をタオにさせるようウォルトに頼みます。
最初は断ったウォルトでしたが、スーの意見を聞き入れ、タオにいくつか用事をさせながら、それが機縁となって、タオやモン族一家との交流が生まれてゆきます。
ウォルトは心に重荷を負っています。
1950年に始まった朝鮮戦争に出兵したウォルトは、戦争とはいえ、年の若いアジア人を殺した罪悪感に苛(さいな)まれ、帰国後はそのために意固地になっていったともいえます。
贖罪を願うウォルトですが、亡き妻と親しかったヤノビッチ神父(クリストファー・カーリー)とは打ち解けず、現在にいたるまで罪の意識に苦しめられています。
しかしまたウォルトには、それほど遠くない将来に自分の人生に終止符が打たれるであろうことも自覚し始めています。体調が思わしくないこともあって、それまで行く気のなかった病院での検査の結果が判明。
死期が迫っていることを悟ります。
そんな中、執拗にスーたちにからむフォンをリーダーとするギャングたちがタオを傷つける事件が発生。
激怒したウォルトは、二度とタオに手出しをすることのないようフォンたちを痛めつけますが、このことがかえってギャングたちの反感を生み、タオの家に銃弾を浴びせるとともに、スーをさらい、暴行を加えた上でレイプに及び、スーは悲惨な体で自宅に送り返されます。
姉の姿を見たタオはフォンたちに復讐するべく自宅を飛び出しますが、一連の出来事が自分の行いから始まったことを悔いたウォルトはタオを自宅の地下に監禁し、ただひとり、ギャングたちのもとへ乗り込んでゆきます。
心に染みこむ余韻を残す素晴らしい映画で、中でも極めてユニークなのがモン族の存在。
元々はタイやラオス、中国の山岳地帯に住む民族集団ですが、現在のシリアにおけるクルド人と同じく、彼らはアメリカの政策に翻弄された歴史を持ちます。
第一次、第二次のインドシナ戦争を経て、ベトナム戦争へと突入すると、アメリカ・CIAは共産軍との戦いのために多くのモン族を雇い、兵士としての訓練を始めます。その任務の主なものは敵の補給ルートを絶つためのものだったようですが、やがて泥沼化した戦争からアメリカは撤退。モン族は置き去りにされ、見捨てられます。
その後、モン族の多くは、ベトナムやラオスの共産軍によって虐殺の憂き目にあい、難民化した彼らはやがてアメリカやオーストラリアなどに移住することになります。
「グラン・トリノ」は贖罪の映画としての一面を持ちます。
ウォルト・コワルスキーは朝鮮戦争でアジア人を多数殺した罪の意識を抱え、贖罪を願っていますが、それを大きく投影させたのが、アメリカが負うべきモン族への贖罪です。
変わり果てた姉・スーの姿を見たタオは復讐のために家を飛び出しますが、ウォルトはそれをおしとどめ、こう言います。
「人を殺す気持ちを知りたいのか? 最悪だ。もっとひどいのは、降参する哀れな子どもを殺して勲章をもらうことだ。それがすべてだ。
…お前くらいの年のおびえたガキさ。
ずっと昔、お前がさっき持ったライフルでガキの顔を撃った。
そのことを考えない日はない。
お前にそんな風になってほしくない」
ウォルトはタオを自宅の地下に監禁して、単身、ギャングたちのもとへ向かうのですが、このウォルトの人物像は、引退したハリー・キャラハンを思わせる雰囲気を持っているため、ギャングたちに対峙したウォルトは派手な銃撃戦でもやらかすのかと思わせますが、死期を悟っていたウォルトは自分の命を犠牲にして、タオを殺人者にすることなく、ギャングたちに重罪を負わせます。
これはアメリカが負うべきモン族への贖罪をウォルトに投影させたと考えることもできます。
さらにウォルトの遺書によって、愛車“グラン・トリノ”はタオに譲られることになるのですが、ひとつの時代を象徴し、古びてもなおその輝きを失わないガッシリしたフォードのグラン・トリノはウォルトそのものでもあり、一人の少年への魂の贈り物ともいえます。
監督・主演のクリント・イーストウッドの他には目立って有名な俳優のいない中にあって、よく知られている俳優としては、ウォルトの友人で少しだけ登場するジョン・キャロル・リンチ。
大柄でいかつい風貌なので、多くの映画で強い印象を残していますが、個人的には「ファーゴ」(1996年)の物静かな画家ノーム役がとても印象に残っています。
人生に迷っている少年と、数々の修羅場をくぐり抜けてきた百戦錬磨の老人。
老人との出会いが少年に夢と希望を与えるという、表面的にはよくある話ながら、そのスケールと奥行きの深さは群を抜いています。
海岸線を流れるように走るグラン・トリノと、それにかぶさるように流れる音楽。
味わい深い余韻を残す素晴らしいラストシーンでした。
監督クリント・イーストウッド
脚本ニック・シェンク
撮影トム・スターン
原案デヴィッド・ジョハンソン
ニック・シェンク
音楽カイル・イーストウッド
マイケル・スティーヴンス
〈キャスト〉
クリント・イーストウッド ビー・ヴァン
アーニー・ハー クリストファー・カーリー
人付き合いが悪く、頑固で片意地、自分が生きた時代に誇りを持ち、どんなに時代が移り変わろうと自分の信念のよりどころを見失わない男。
親戚にそんな人がいたとしたら、煙ったい存在として敬遠されるような男をクリント・イーストウッドが好演。
ラストの意表を突いた展開と、少数民族であるモン族との交流を通してたどる男の生きざまを描いた秀作です。
ウォルト・コワルスキー(クリント・イーストウッド)は50年間勤めたフォードの工場を退職し、愛犬とともに自宅のポーチにゆったりと座り、缶ビールを飲むのを楽しみにしています。
妻に先立たれたウォルトはますます頑固になっているせいか、息子たちとも折り合いが悪く、隣に住むモン族の一家に対しても“コメ食い虫”と嘲(あざけ)り、オレの芝生を汚すな、と不平の毎日を送っています。
そんなウォルトが大切にしているのが72年型の愛車、フォード製“グラン・トリノ”です。
デカくて優雅ですが燃費があまりよくないため、翌年の1973年から始まったオイルショックのあおりを受けてアメリカの自動車産業が燃費のすぐれた日本車にとってかわられる分岐点ともなった1972年。
そんな最後の輝きを放つグラン・トリノをウォルトは愛し、ピカピカに磨いて自宅の車庫に保管しています。
いわば歴史の貴重品ともなったウォルトの愛車グラン・トリノを、隣に住むモン族の少年タオ(ビー・ヴァン)が盗みに入ります。
タオ自身は車に興味はなく、盗みはイヤなのですが、いとこでストリートギャングのリーダーであるフォン(ドゥア・モーア)に脅(おど)され、盗みに入ったのです。
ガレージの不審者に気づいたウォルトはタオに銃口を向け、追い払います。
内気なタオは人生に迷っています。
自分の人生に自信が持てなくて悩んでいるのです。そんな気弱な性格からフォンたちに目をつけられ、ギャングの仲間に引き入れられようとしているのですが、姉のスー(アーニー・ハー)は、ウォルトの車を盗もうとしたタオに腹を立て、タオを引き連れてウォルトに謝罪に出かけ、罪滅ぼしのため、身の回りの用事をタオにさせるようウォルトに頼みます。
最初は断ったウォルトでしたが、スーの意見を聞き入れ、タオにいくつか用事をさせながら、それが機縁となって、タオやモン族一家との交流が生まれてゆきます。
ウォルトは心に重荷を負っています。
1950年に始まった朝鮮戦争に出兵したウォルトは、戦争とはいえ、年の若いアジア人を殺した罪悪感に苛(さいな)まれ、帰国後はそのために意固地になっていったともいえます。
贖罪を願うウォルトですが、亡き妻と親しかったヤノビッチ神父(クリストファー・カーリー)とは打ち解けず、現在にいたるまで罪の意識に苦しめられています。
しかしまたウォルトには、それほど遠くない将来に自分の人生に終止符が打たれるであろうことも自覚し始めています。体調が思わしくないこともあって、それまで行く気のなかった病院での検査の結果が判明。
死期が迫っていることを悟ります。
そんな中、執拗にスーたちにからむフォンをリーダーとするギャングたちがタオを傷つける事件が発生。
激怒したウォルトは、二度とタオに手出しをすることのないようフォンたちを痛めつけますが、このことがかえってギャングたちの反感を生み、タオの家に銃弾を浴びせるとともに、スーをさらい、暴行を加えた上でレイプに及び、スーは悲惨な体で自宅に送り返されます。
姉の姿を見たタオはフォンたちに復讐するべく自宅を飛び出しますが、一連の出来事が自分の行いから始まったことを悔いたウォルトはタオを自宅の地下に監禁し、ただひとり、ギャングたちのもとへ乗り込んでゆきます。
心に染みこむ余韻を残す素晴らしい映画で、中でも極めてユニークなのがモン族の存在。
元々はタイやラオス、中国の山岳地帯に住む民族集団ですが、現在のシリアにおけるクルド人と同じく、彼らはアメリカの政策に翻弄された歴史を持ちます。
第一次、第二次のインドシナ戦争を経て、ベトナム戦争へと突入すると、アメリカ・CIAは共産軍との戦いのために多くのモン族を雇い、兵士としての訓練を始めます。その任務の主なものは敵の補給ルートを絶つためのものだったようですが、やがて泥沼化した戦争からアメリカは撤退。モン族は置き去りにされ、見捨てられます。
その後、モン族の多くは、ベトナムやラオスの共産軍によって虐殺の憂き目にあい、難民化した彼らはやがてアメリカやオーストラリアなどに移住することになります。
「グラン・トリノ」は贖罪の映画としての一面を持ちます。
ウォルト・コワルスキーは朝鮮戦争でアジア人を多数殺した罪の意識を抱え、贖罪を願っていますが、それを大きく投影させたのが、アメリカが負うべきモン族への贖罪です。
変わり果てた姉・スーの姿を見たタオは復讐のために家を飛び出しますが、ウォルトはそれをおしとどめ、こう言います。
「人を殺す気持ちを知りたいのか? 最悪だ。もっとひどいのは、降参する哀れな子どもを殺して勲章をもらうことだ。それがすべてだ。
…お前くらいの年のおびえたガキさ。
ずっと昔、お前がさっき持ったライフルでガキの顔を撃った。
そのことを考えない日はない。
お前にそんな風になってほしくない」
ウォルトはタオを自宅の地下に監禁して、単身、ギャングたちのもとへ向かうのですが、このウォルトの人物像は、引退したハリー・キャラハンを思わせる雰囲気を持っているため、ギャングたちに対峙したウォルトは派手な銃撃戦でもやらかすのかと思わせますが、死期を悟っていたウォルトは自分の命を犠牲にして、タオを殺人者にすることなく、ギャングたちに重罪を負わせます。
これはアメリカが負うべきモン族への贖罪をウォルトに投影させたと考えることもできます。
さらにウォルトの遺書によって、愛車“グラン・トリノ”はタオに譲られることになるのですが、ひとつの時代を象徴し、古びてもなおその輝きを失わないガッシリしたフォードのグラン・トリノはウォルトそのものでもあり、一人の少年への魂の贈り物ともいえます。
監督・主演のクリント・イーストウッドの他には目立って有名な俳優のいない中にあって、よく知られている俳優としては、ウォルトの友人で少しだけ登場するジョン・キャロル・リンチ。
大柄でいかつい風貌なので、多くの映画で強い印象を残していますが、個人的には「ファーゴ」(1996年)の物静かな画家ノーム役がとても印象に残っています。
人生に迷っている少年と、数々の修羅場をくぐり抜けてきた百戦錬磨の老人。
老人との出会いが少年に夢と希望を与えるという、表面的にはよくある話ながら、そのスケールと奥行きの深さは群を抜いています。
海岸線を流れるように走るグラン・トリノと、それにかぶさるように流れる音楽。
味わい深い余韻を残す素晴らしいラストシーンでした。
2019年11月06日
映画「触手」− 未知の領域は底知れぬ快楽か破滅か
「触手」
(La region salvaje) 2016年
メキシコ/デンマーク/フランス/ドイツ/ノルウェー/スイス合作
監督アマト・エスカランテ
脚本ジブラン・ポルテーラ
アマト・エスカランテ
撮影マヌエル・アルベルト・クラロ
〈キャスト〉
ルース・ラモス シモーネ・プチオ ヘヘス・メサ
第73回ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞(最優秀監督賞)受賞
「触手」という邦題と、全裸の若い女性にからみつく何やら怪しげな生き物のDVDのパッケージから、かなりイヤラシイ系のホラー映画だと思って見るとアテが外れるかもしれませんが、人間の根源的な性の領域に踏み込んだ、とても見ごたえのある映画です。
人間にとっての究極の快楽はセックスがもたらす官能の歓びであろうと思います(麻薬関係は経験が無いので分かりません)。
ですがそれも個人差があって、セックスに淡白な人もいれば、尽きることのない肉欲に身を持ち崩す人もいます。
しかし、満たされない性欲は誰もが経験することであるし、それをどうやって満たされたものにするかは個々人の問題として悩ましいところです。
アレハンドラ(ルース・ラモス)は、夫アンヘル(ヘヘス・メサ)の一方的な性欲に黙って従っていますが、動物的で単調なアンヘルとの交わりに体は冷めていて、その後の自慰によって紛らわすことで満たされない肉体を持て余しています。
一方、アレハンドラの弟で看護師のファビアン(エデン・ヴィラヴィセンシオ)は、腰に傷を負った若い女性ヴェロニカ(シモーネ・ブチオ)と知り合い、二人の間には親密な友情が生まれていくのですが、ゲイであるファビアンは、姉の夫のアンヘルとも肉体関係を持っています。
バイセクシャルのアンヘルは、妻とその弟とも関係を持つという異様な状態を保っていたのですが、その関係はファビアンの拒絶によって終止符が打たれ、ファビアンに対するアンヘルの怒りが爆発することになります。
ヴェロニカとの友情を育(はぐく)み始めたファビアンは、ヴェロニカの知人で外界と隔絶されたような山小屋風の家に住み、ある奇妙な生物の研究をしている科学者ヴェガ(オスカー・エスカラント)と、その妻マルタ(ベルナルド・トルエーダ)を紹介されます。
別れ話を持ち出すファビアンの態度に腹を立てたアンヘルは、ファビアンが勤める病院の駐車場で激しく口論。
後にファビアンは全身に打撲を負い、性的暴行を受けて全裸で意識不明の状態で沼地から発見されます。
一命はとりとめますが、瀕死の弟を見たアレハンドラはショックを受け、やがて、ゲイの弟と夫との関係を知ったアレハンドラは、夫のアンヘルが弟に対して激しく罵(ののし)っているメールを発見。
ファビアン暴行事件の容疑はアンヘルに向かい、口論の目撃者もいたことからアンヘルは逮捕されてしまいます。
失意のアレハンドラは弟を介してヴェロニカと親しくなってゆき、快楽を与えてくれる謎の生物を知るようになります。
科学者ヴェガの小屋を訪れたアレハンドラは、謎の生物との交わりに今まで味わったことのなかった快楽を得て、その虜(とりこ)となっていくのですが、それは快楽を与える一方で、非常に危険な生き物であることを知ります。
弟のファビアンも小屋を訪れていたことを知ったアレハンドラは、ファビアンを暴行したのは夫のアンヘルではなく、その生き物だと確信し、助かる見込みのないファビアンの人工呼吸器を外し、夫の容疑を晴らした上で子どもたちを連れて町を去る決心をします。
しかしアンヘルは自分を陥(おとしい)れたアレハンドラを激しく憎悪。アレハンドラを暴行して拳銃で射殺しようとしますが、逆に自分の腿を撃ってしまいます。
重症のアンヘルを車に乗せ、謎の生物が住む小屋へとアンヘルを連れていくのですが、快楽を与えるはずのその生き物は、マルタに重症を負わせ、ヴェロニカを殺し、今や陰険でグロテスクな生き物へと変わっていました。
その部屋へ、アレハンドラは生き物への生贄(いけにえ)としてアンヘルを引きずりこみます。
◆◆◆◆
原題は「野生の領域」。
邦題の「触手」は謎の生物が持つグニャグニャとした触手のことですが、質の悪いホラー映画みたいな題名で、いかがなものか、という気もしますが、エロティックホラーとしての受けを狙ったのでしょうから、まあ、そんなものなのでしょう。
しかしこの映画は単にエロティックホラーだけのカテゴリーには収まりません。
ホラーとしての要素より、セックスの光と闇の部分、快楽と裏腹にある満たされない肉欲、同性(男と男)による性交、それがもたらす破滅を宇宙から飛来した謎の生き物によって暗喩しているようにみえます。
そして、この謎の生き物ですが、これは葛飾北斎の描いた「海女と蛸」を借り受けたものか、あるいはそれを題材とした新藤兼人監督の映画「北斎漫画」(1981年, 緒形拳 樋口可南子)にヒントを得て造形したものだと思われます。
メキシコの街並みもいいですね。
科学者ヴェガの住む山小屋風の家屋、美しい風景の描写など、撮影が秀逸でした。
R-18はもったいないような気もするけど、仕方ないかなあ。
メキシコ/デンマーク/フランス/ドイツ/ノルウェー/スイス合作
監督アマト・エスカランテ
脚本ジブラン・ポルテーラ
アマト・エスカランテ
撮影マヌエル・アルベルト・クラロ
〈キャスト〉
ルース・ラモス シモーネ・プチオ ヘヘス・メサ
第73回ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞(最優秀監督賞)受賞
「触手」という邦題と、全裸の若い女性にからみつく何やら怪しげな生き物のDVDのパッケージから、かなりイヤラシイ系のホラー映画だと思って見るとアテが外れるかもしれませんが、人間の根源的な性の領域に踏み込んだ、とても見ごたえのある映画です。
人間にとっての究極の快楽はセックスがもたらす官能の歓びであろうと思います(麻薬関係は経験が無いので分かりません)。
ですがそれも個人差があって、セックスに淡白な人もいれば、尽きることのない肉欲に身を持ち崩す人もいます。
しかし、満たされない性欲は誰もが経験することであるし、それをどうやって満たされたものにするかは個々人の問題として悩ましいところです。
アレハンドラ(ルース・ラモス)は、夫アンヘル(ヘヘス・メサ)の一方的な性欲に黙って従っていますが、動物的で単調なアンヘルとの交わりに体は冷めていて、その後の自慰によって紛らわすことで満たされない肉体を持て余しています。
一方、アレハンドラの弟で看護師のファビアン(エデン・ヴィラヴィセンシオ)は、腰に傷を負った若い女性ヴェロニカ(シモーネ・ブチオ)と知り合い、二人の間には親密な友情が生まれていくのですが、ゲイであるファビアンは、姉の夫のアンヘルとも肉体関係を持っています。
バイセクシャルのアンヘルは、妻とその弟とも関係を持つという異様な状態を保っていたのですが、その関係はファビアンの拒絶によって終止符が打たれ、ファビアンに対するアンヘルの怒りが爆発することになります。
ヴェロニカとの友情を育(はぐく)み始めたファビアンは、ヴェロニカの知人で外界と隔絶されたような山小屋風の家に住み、ある奇妙な生物の研究をしている科学者ヴェガ(オスカー・エスカラント)と、その妻マルタ(ベルナルド・トルエーダ)を紹介されます。
別れ話を持ち出すファビアンの態度に腹を立てたアンヘルは、ファビアンが勤める病院の駐車場で激しく口論。
後にファビアンは全身に打撲を負い、性的暴行を受けて全裸で意識不明の状態で沼地から発見されます。
一命はとりとめますが、瀕死の弟を見たアレハンドラはショックを受け、やがて、ゲイの弟と夫との関係を知ったアレハンドラは、夫のアンヘルが弟に対して激しく罵(ののし)っているメールを発見。
ファビアン暴行事件の容疑はアンヘルに向かい、口論の目撃者もいたことからアンヘルは逮捕されてしまいます。
失意のアレハンドラは弟を介してヴェロニカと親しくなってゆき、快楽を与えてくれる謎の生物を知るようになります。
科学者ヴェガの小屋を訪れたアレハンドラは、謎の生物との交わりに今まで味わったことのなかった快楽を得て、その虜(とりこ)となっていくのですが、それは快楽を与える一方で、非常に危険な生き物であることを知ります。
弟のファビアンも小屋を訪れていたことを知ったアレハンドラは、ファビアンを暴行したのは夫のアンヘルではなく、その生き物だと確信し、助かる見込みのないファビアンの人工呼吸器を外し、夫の容疑を晴らした上で子どもたちを連れて町を去る決心をします。
しかしアンヘルは自分を陥(おとしい)れたアレハンドラを激しく憎悪。アレハンドラを暴行して拳銃で射殺しようとしますが、逆に自分の腿を撃ってしまいます。
重症のアンヘルを車に乗せ、謎の生物が住む小屋へとアンヘルを連れていくのですが、快楽を与えるはずのその生き物は、マルタに重症を負わせ、ヴェロニカを殺し、今や陰険でグロテスクな生き物へと変わっていました。
その部屋へ、アレハンドラは生き物への生贄(いけにえ)としてアンヘルを引きずりこみます。
◆◆◆◆
原題は「野生の領域」。
邦題の「触手」は謎の生物が持つグニャグニャとした触手のことですが、質の悪いホラー映画みたいな題名で、いかがなものか、という気もしますが、エロティックホラーとしての受けを狙ったのでしょうから、まあ、そんなものなのでしょう。
しかしこの映画は単にエロティックホラーだけのカテゴリーには収まりません。
ホラーとしての要素より、セックスの光と闇の部分、快楽と裏腹にある満たされない肉欲、同性(男と男)による性交、それがもたらす破滅を宇宙から飛来した謎の生き物によって暗喩しているようにみえます。
そして、この謎の生き物ですが、これは葛飾北斎の描いた「海女と蛸」を借り受けたものか、あるいはそれを題材とした新藤兼人監督の映画「北斎漫画」(1981年, 緒形拳 樋口可南子)にヒントを得て造形したものだと思われます。
メキシコの街並みもいいですね。
科学者ヴェガの住む山小屋風の家屋、美しい風景の描写など、撮影が秀逸でした。
R-18はもったいないような気もするけど、仕方ないかなあ。
2019年10月25日
映画「硫黄島からの手紙」- 激戦36日間の攻防 戦いの中で兵士たちは…
「硫黄島からの手紙」
(Letters from Iwo Jima)
2006年 アメリカ
監督クリント・イーストウッド
脚本アイリス・ヤマシタ
撮影トム・スターン
〈キャスト〉
渡辺謙 二宮和也 伊原剛志 加瀬亮 中村獅童
第79回アカデミー賞音響編集賞/第64回ゴールデングローブ賞最優秀外国語映画賞/全米映画批評家賞/サンディエゴ映画批評家協会賞/他受賞多数
東京都から南に約1100?q。小笠原諸島の南の端に位置する硫黄島は、東西8?q、南北4?qの小さな島です。
活火山の火山島であるため硫黄の臭いが強く、それがそのまま島名の由来になっています。
昭和19年(1944年)、本土防衛のため、大本営は小笠原諸島の防備の強化を開始。
陸・海部隊合わせて6245名が硫黄島に進出。
さらに参謀本部は小笠原諸島防備の増強を決め、第109師団を創設。
栗林忠道中将を師団長に任命し、栗林は昭和19年6月8日に硫黄島へ着任します。
栗林着任のほぼ一週間後の6月15日、米軍はサイパン上陸と合わせて硫黄島を空襲。
激戦の火ぶたが切って落とされます。
「硫黄島からの手紙」は、前作「父親たちの星条旗」に続く、二部作ともいえる硫黄島の激戦に取り組んだクリント・イーストウッドの監督作品で、アメリカ映画でありながら登場人物のほとんどが日本人で占められた異色作。
「父親たちの星条旗」がアメリカ側の視点でとらえた硫黄島のその後であったのに対し、「硫黄島からの手紙」では硫黄島の激戦そのものに焦点を当て、本土防衛のために捨て駒とされた絶海の孤島で、圧倒的な物量を誇る米軍に対し、日本軍2万129名が戦死。さらに米軍の戦傷者は2万8686名という壮絶な戦いを強いられた日本軍兵士たちの心の葛藤を丁寧に、そしてリアルに描き切った傑作です。
2006年。
硫黄島の戦跡調査隊は、日本軍がアメリカ軍を迎え撃つために潜(ひそ)んでいた地下陣地を調査中、おびただしい数の封書を発見します。
それは、硫黄島で戦い、死んでいった兵士たちが家族に宛てた手紙で、栗林忠道中将を始めとする帝国陸軍小笠原兵団の肉声ともいえるものでしたが、その手紙が家族の元に届くことなく、多くは遺骨となった彼らは、この島で何を思い、激しい戦いの中でどう生きたのか。
昭和19(1944)年6月8日、太平洋戦争の戦況が悪化する中、硫黄島を本土防衛のための砦とするため、日本軍守備隊として小笠原方面最高指揮官・栗林忠道中将(渡辺謙)が島へ降り立ちます。
駐在武官としてアメリカやカナダでの生活経験を持つ栗林の着任は、それまで、精神論に固執し、兵士たちに厳しさを押し付ける上官たちと違い、命の大切さを説く新鮮で暖かみのある指揮官として、応召兵で陸軍一等兵の西郷(二宮和也)たちに明るい光を投げかけます。
また、1932年のロサンゼルスオリンピック馬術競技金メダリストの西竹一中佐(伊原剛志)も愛馬と共に硫黄島へ着任。
チャーリー・チャップリンや“ハリウッドのキング”と呼ばれたダグラス・フェアバンクスとも親交のあった、ハンサムでダンディーな西の存在もまた、西郷たちの過酷な灼熱の日常に新鮮な風と空気を送り込むことになります。
しかし、アメリカ軍を迎え撃つために徹底抗戦を叫ぶ副官の藤田中尉(渡辺広)や伊藤大尉(中村獅童)たちに対して、米軍との兵力の差があり過ぎることを憂慮した栗林は、地下壕を掘り、島全体を要塞化してゲリラ戦に持ち込む作戦を提言。藤田中尉たちとの間に摩擦が生じます。
栗林の指揮のもと、地下陣地の構築が始まり、昭和20(1945)年2月19日、圧倒的な兵力をもってアメリカ軍が硫黄島への上陸を開始。
地下陣地に立てこもった日本軍は、トーチカのすき間から一斉に射撃を開始します。
日本軍とアメリカ軍では、兵力や物量の上であまりにも違いがあることから5日ほどで終了すると思われていた硫黄島の戦いは、36日間に及ぶ激戦の末にアメリカ軍の戦傷者の数が日本軍の戦死者の数を上回る結果となり、上陸部隊指揮官のホーランド・スミス海兵隊中将に「この戦いを指揮している日本の将軍は頭の切れるヤツだ」と言わしめた硫黄島の戦い。
しかし、映画「硫黄島からの手紙」は指揮官である栗林忠道中将を英雄視することなく、酒を酌み交わす間柄の西少佐とも確執の芽があることを淡々と描いていきます。
招集された一等兵・西郷の目を通して語られる「硫黄島からの手紙」は、戦場には不釣り合いなほど静かに流れるピアノの音色が、悲愴な血の臭いを浄化させるような不思議な雰囲気を醸し出し、死と静寂の世界を創り出していきます。
それは、戦場の兵士たちも家庭にあれば良き夫であり、戦争がなければごく普通の家庭人として平凡で静かな人生を送りえたであろう哀切さを、兵士たちが家族に宛てた手紙とともに、普通の生活が送れることへの裏返しの哀しさが込められているように思います。
そしてアメリカ軍上陸に始まる激戦は、ドリームワークスを率いるスティーヴン・スピルバーグが製作に参加していることもあって「プライベート・ライアン」のノルマンディー上陸に劣らない壮絶さ。
敗色が濃くなり、玉砕を叫び自決を強いる地下壕での凄惨さ。
栗林の命令を無視して夜間攻撃を仕掛ける伊藤大尉の無謀さと、だらしのない滑稽さ。
投降する日本兵に対し、こんな奴らのお守りはゴメンだとばかりに射殺してしまうアメリカ兵の非人道性。
けっして一方に肩入れすることなく、戦場で起こることのすべてをありのままに描こうとするイーストウッドの姿勢は、見る者の心に深い感動となって染みこみます。
栗林忠道中将に「ラストサムライ」(2003年)、「インセプション」(2010年)など、ハリウッドでも知名度の高い渡辺謙。
西郷一等兵に、アイドルグループ「嵐」のメンバーで、「母と暮らせば」(2015年)などの二宮和也。
伊藤大尉に、歌舞伎役者で、「利休」(1989年)、「レッドクリフ」(2008年)の中村獅童。
馬術競技金メダリストの西竹一中佐に、「病院へ行こう」(1990年)、「十三人の刺客」(2010年)の伊原剛志。
余談として、現在では硫黄島の読みは“いおうとう”に統一されていますが、歴史的には“いおうじま”“いおうとう”の両方があり、映画にも登場する「硫黄島防備の歌」の中でも“いおうじま”と歌われています。
明治時代に作成された海図にも“いおうじま”と表記されていて、アメリカ軍はこの海図をもとに“イオージマ”と呼んでいたようです。
2006年 アメリカ
監督クリント・イーストウッド
脚本アイリス・ヤマシタ
撮影トム・スターン
〈キャスト〉
渡辺謙 二宮和也 伊原剛志 加瀬亮 中村獅童
第79回アカデミー賞音響編集賞/第64回ゴールデングローブ賞最優秀外国語映画賞/全米映画批評家賞/サンディエゴ映画批評家協会賞/他受賞多数
東京都から南に約1100?q。小笠原諸島の南の端に位置する硫黄島は、東西8?q、南北4?qの小さな島です。
活火山の火山島であるため硫黄の臭いが強く、それがそのまま島名の由来になっています。
昭和19年(1944年)、本土防衛のため、大本営は小笠原諸島の防備の強化を開始。
陸・海部隊合わせて6245名が硫黄島に進出。
さらに参謀本部は小笠原諸島防備の増強を決め、第109師団を創設。
栗林忠道中将を師団長に任命し、栗林は昭和19年6月8日に硫黄島へ着任します。
栗林着任のほぼ一週間後の6月15日、米軍はサイパン上陸と合わせて硫黄島を空襲。
激戦の火ぶたが切って落とされます。
「硫黄島からの手紙」は、前作「父親たちの星条旗」に続く、二部作ともいえる硫黄島の激戦に取り組んだクリント・イーストウッドの監督作品で、アメリカ映画でありながら登場人物のほとんどが日本人で占められた異色作。
「父親たちの星条旗」がアメリカ側の視点でとらえた硫黄島のその後であったのに対し、「硫黄島からの手紙」では硫黄島の激戦そのものに焦点を当て、本土防衛のために捨て駒とされた絶海の孤島で、圧倒的な物量を誇る米軍に対し、日本軍2万129名が戦死。さらに米軍の戦傷者は2万8686名という壮絶な戦いを強いられた日本軍兵士たちの心の葛藤を丁寧に、そしてリアルに描き切った傑作です。
2006年。
硫黄島の戦跡調査隊は、日本軍がアメリカ軍を迎え撃つために潜(ひそ)んでいた地下陣地を調査中、おびただしい数の封書を発見します。
それは、硫黄島で戦い、死んでいった兵士たちが家族に宛てた手紙で、栗林忠道中将を始めとする帝国陸軍小笠原兵団の肉声ともいえるものでしたが、その手紙が家族の元に届くことなく、多くは遺骨となった彼らは、この島で何を思い、激しい戦いの中でどう生きたのか。
昭和19(1944)年6月8日、太平洋戦争の戦況が悪化する中、硫黄島を本土防衛のための砦とするため、日本軍守備隊として小笠原方面最高指揮官・栗林忠道中将(渡辺謙)が島へ降り立ちます。
駐在武官としてアメリカやカナダでの生活経験を持つ栗林の着任は、それまで、精神論に固執し、兵士たちに厳しさを押し付ける上官たちと違い、命の大切さを説く新鮮で暖かみのある指揮官として、応召兵で陸軍一等兵の西郷(二宮和也)たちに明るい光を投げかけます。
また、1932年のロサンゼルスオリンピック馬術競技金メダリストの西竹一中佐(伊原剛志)も愛馬と共に硫黄島へ着任。
チャーリー・チャップリンや“ハリウッドのキング”と呼ばれたダグラス・フェアバンクスとも親交のあった、ハンサムでダンディーな西の存在もまた、西郷たちの過酷な灼熱の日常に新鮮な風と空気を送り込むことになります。
しかし、アメリカ軍を迎え撃つために徹底抗戦を叫ぶ副官の藤田中尉(渡辺広)や伊藤大尉(中村獅童)たちに対して、米軍との兵力の差があり過ぎることを憂慮した栗林は、地下壕を掘り、島全体を要塞化してゲリラ戦に持ち込む作戦を提言。藤田中尉たちとの間に摩擦が生じます。
栗林の指揮のもと、地下陣地の構築が始まり、昭和20(1945)年2月19日、圧倒的な兵力をもってアメリカ軍が硫黄島への上陸を開始。
地下陣地に立てこもった日本軍は、トーチカのすき間から一斉に射撃を開始します。
日本軍とアメリカ軍では、兵力や物量の上であまりにも違いがあることから5日ほどで終了すると思われていた硫黄島の戦いは、36日間に及ぶ激戦の末にアメリカ軍の戦傷者の数が日本軍の戦死者の数を上回る結果となり、上陸部隊指揮官のホーランド・スミス海兵隊中将に「この戦いを指揮している日本の将軍は頭の切れるヤツだ」と言わしめた硫黄島の戦い。
しかし、映画「硫黄島からの手紙」は指揮官である栗林忠道中将を英雄視することなく、酒を酌み交わす間柄の西少佐とも確執の芽があることを淡々と描いていきます。
招集された一等兵・西郷の目を通して語られる「硫黄島からの手紙」は、戦場には不釣り合いなほど静かに流れるピアノの音色が、悲愴な血の臭いを浄化させるような不思議な雰囲気を醸し出し、死と静寂の世界を創り出していきます。
それは、戦場の兵士たちも家庭にあれば良き夫であり、戦争がなければごく普通の家庭人として平凡で静かな人生を送りえたであろう哀切さを、兵士たちが家族に宛てた手紙とともに、普通の生活が送れることへの裏返しの哀しさが込められているように思います。
そしてアメリカ軍上陸に始まる激戦は、ドリームワークスを率いるスティーヴン・スピルバーグが製作に参加していることもあって「プライベート・ライアン」のノルマンディー上陸に劣らない壮絶さ。
敗色が濃くなり、玉砕を叫び自決を強いる地下壕での凄惨さ。
栗林の命令を無視して夜間攻撃を仕掛ける伊藤大尉の無謀さと、だらしのない滑稽さ。
投降する日本兵に対し、こんな奴らのお守りはゴメンだとばかりに射殺してしまうアメリカ兵の非人道性。
けっして一方に肩入れすることなく、戦場で起こることのすべてをありのままに描こうとするイーストウッドの姿勢は、見る者の心に深い感動となって染みこみます。
栗林忠道中将に「ラストサムライ」(2003年)、「インセプション」(2010年)など、ハリウッドでも知名度の高い渡辺謙。
西郷一等兵に、アイドルグループ「嵐」のメンバーで、「母と暮らせば」(2015年)などの二宮和也。
伊藤大尉に、歌舞伎役者で、「利休」(1989年)、「レッドクリフ」(2008年)の中村獅童。
馬術競技金メダリストの西竹一中佐に、「病院へ行こう」(1990年)、「十三人の刺客」(2010年)の伊原剛志。
余談として、現在では硫黄島の読みは“いおうとう”に統一されていますが、歴史的には“いおうじま”“いおうとう”の両方があり、映画にも登場する「硫黄島防備の歌」の中でも“いおうじま”と歌われています。
明治時代に作成された海図にも“いおうじま”と表記されていて、アメリカ軍はこの海図をもとに“イオージマ”と呼んでいたようです。
2019年10月17日
映画「ダークレイン」- ホラーか、コメディか メキシコ発ノンストップスリラー
「ダークレイン」
(LOS PARECIDOS/THE SIMILARS)
2015年 メキシコ
脚本・監督イサーク・エスバン
音楽エディ・ラン
撮影イシ・サルファティ
〈キャスト〉
グスタフォ・サンチェス・パラ サンティアゴ・トレス カサンドラ・シアンゲロッティ
シッチェス・カタロニア国際映画祭作品賞/
バハ国際映画祭作品賞/モルビド映画祭作品賞/他6部門受賞
原題は類似性、類似的とでも訳すのでしょうか、それがこの映画の本質でもあると思うのですが、「ダークレイン」という邦題も地味ですが映画全体の雰囲気を表すのには適していると思います。
バスステーションに集まった男女が経験する不可思議な事象。
そこからのパニックを描いた本作は、最後の最後まで目を離すことのできない緊張感にあふれた映画で、文句なしに面白い、といっても言い過ぎではないと思います。
1968年10月2日。メキシコシティから遠く離れた深夜のバスステーション。
マルティン・アギラ(フェルナンド・ベセリル)はバスの券売係を30年間勤めた男。
その夜も、マルティンにとっては30年間の退屈な夜と同じものになるはずでしたが、異常なばかりに降り続く雨は、世界的な規模で災いを含む悪質な雨であることを電波状況の悪いラジオのニュースが伝えています。
ステーションの中にはウリセス(グスタフォ・サンチェス・パラ)が、妻の出産のために早くメキシコシティの病院へ駆けつけたいのに、なかなかやってこないバスを待ってイライラしています。
隅のほうには、白髪をお下げに垂らした老女のシャーマン(巫女)がベンチに腰掛けています。
そこへ、夫の暴力から逃れ、実家のあるメキシコシティまでバスで向かおうとする大きなお腹をした妊婦のイレーヌ(カサンドラ・シアンゲロッティ)が入ってきます。
しかし、異常に降り続く雨のためにバスがやって来ないと知ったイレーヌは、タクシーを呼ぼうとします。
4時間待ち続けてもやって来ないバスに業を煮やしたウリセスは、タクシーに相乗りして一緒にメキシコシティへ行かないかとイレーヌに持ち掛けます。
次にやって来たのは、医療器具をつけた8歳の息子イグナシオ(サンティアゴ・トレス)を連れた母親のゲルトルディス(カルメン・ベアト)。
一方では、バスステーションに住み込みで働いている若い女性ローザ(カトリーナ・サラス)の体に異変が生じ始めていました。
さらにマルティンにも異変が生じ、タクシーでバスステーションにやってきた医学生のアルバロ(ウンベルト・ブスト)はウイルスではないかと主張しますが、シャーマンの老女は悪魔の仕業であると言いだし、ウリセスが悪魔であると指差します。
自分はただの鉱山作業員だとウリセスは主張しますが、ローザの顔が変形し、長髪に髭をたくわえたウリセスの容貌そっくりに変わり、券売係のマルティンもウリセスの容貌になったことから、何かの化学実験の手先ではないかと医学生アルバロはウリセスを疑い出し、マルティンが銃を持ち出したことから、バスステーションの中はパニック状態に陥ります。
さらに、シャーマンの老女、妊婦のイレーヌまでもが濃い髭をたくわえたウリセスの顔へと変わってゆき、狂気と混乱が全員を支配していきます。
しかし、その様子を冷静に見つめていた人間がいました。
母親に連れられた少年、イグナシオです。
やがて、この異常な出来事の全貌がイグナシオの母親ゲルトルディスによって語られてゆくことになります。
舞台は1968年のメキシコ。
この年には世界各地で様々な紛争、事件が起こっています。
ベトナムでは「テト攻勢」により北ベトナム軍がアメリカ軍に攻撃を展開。アメリカの優位が崩れ、世界的な反戦世論が激化。
4月には公民権運動の活動家マーティン・ルーサー・キングの暗殺。
5月にはフランス・パリで学生による「5月革命」が勃発。それに触発された日本を始めとする世界数カ国でも反体制運動が拡大。
さらにJ・F・ケネディの実弟ロバート・F・ケネディ司法長官の暗殺。
ナイジェリアの内戦では数百万人が飢えのために死亡。
チェコスロバキアの民主化を抑えるためソ連軍がチェコへ侵入する「プラハの春」が勃発。
そして「ダークレイン」の時代設定である10月2日には、メキシコオリンピックを控えたメキシコシティで、民主化要求デモに警官隊が発砲。300人近くの学生が死亡する惨事が引き起こされています。
まさに「動乱の1968年」とも呼べる状況が世界を覆う時代を「ダークレイン」は背景にしています。
もっとも、そういった背景が映画で強調されることはありませんが、悪魔呼ばわりされるウリセスに対する疑惑として東西の冷戦構造が背景として持ち上がったりしていますし、異常に降り続く雨がもたらす世界各地の混乱が「動乱の1968年」を印象づける特徴として扱われています。
色彩を極度に排し、モノクロ映画と勘違いしそうなクラシックな怪奇性を帯びた映像。
たたみこむように展開する意外なストーリー。
密室ともいえる状況の中での俳優たちの狂気の熱演。
そして、異常な出来事の背後に隠された少年イグナシオの秘密。
監督は「メキシコ・オブ・デス」(2014年)、「パラドクス」(2014年)の異才イサーク・エスバン。
主演のウリセスに「アモーレス・ペロス」(2002年)、「うるう年の秘め事」(2011年)のグスタフォ・サンチェス・パラ。
妊婦のイレーヌに「ザ・ウォーター・ウォー」(2010年)のカサンドラ・シアンゲロッティ。
ホラーであり、パニック映画であり、一風変わったコメディであり、さらにオカルト的要素も加味した一級の娯楽作品です。
2015年 メキシコ
脚本・監督イサーク・エスバン
音楽エディ・ラン
撮影イシ・サルファティ
〈キャスト〉
グスタフォ・サンチェス・パラ サンティアゴ・トレス カサンドラ・シアンゲロッティ
シッチェス・カタロニア国際映画祭作品賞/
バハ国際映画祭作品賞/モルビド映画祭作品賞/他6部門受賞
原題は類似性、類似的とでも訳すのでしょうか、それがこの映画の本質でもあると思うのですが、「ダークレイン」という邦題も地味ですが映画全体の雰囲気を表すのには適していると思います。
バスステーションに集まった男女が経験する不可思議な事象。
そこからのパニックを描いた本作は、最後の最後まで目を離すことのできない緊張感にあふれた映画で、文句なしに面白い、といっても言い過ぎではないと思います。
1968年10月2日。メキシコシティから遠く離れた深夜のバスステーション。
マルティン・アギラ(フェルナンド・ベセリル)はバスの券売係を30年間勤めた男。
その夜も、マルティンにとっては30年間の退屈な夜と同じものになるはずでしたが、異常なばかりに降り続く雨は、世界的な規模で災いを含む悪質な雨であることを電波状況の悪いラジオのニュースが伝えています。
ステーションの中にはウリセス(グスタフォ・サンチェス・パラ)が、妻の出産のために早くメキシコシティの病院へ駆けつけたいのに、なかなかやってこないバスを待ってイライラしています。
隅のほうには、白髪をお下げに垂らした老女のシャーマン(巫女)がベンチに腰掛けています。
そこへ、夫の暴力から逃れ、実家のあるメキシコシティまでバスで向かおうとする大きなお腹をした妊婦のイレーヌ(カサンドラ・シアンゲロッティ)が入ってきます。
しかし、異常に降り続く雨のためにバスがやって来ないと知ったイレーヌは、タクシーを呼ぼうとします。
4時間待ち続けてもやって来ないバスに業を煮やしたウリセスは、タクシーに相乗りして一緒にメキシコシティへ行かないかとイレーヌに持ち掛けます。
次にやって来たのは、医療器具をつけた8歳の息子イグナシオ(サンティアゴ・トレス)を連れた母親のゲルトルディス(カルメン・ベアト)。
一方では、バスステーションに住み込みで働いている若い女性ローザ(カトリーナ・サラス)の体に異変が生じ始めていました。
さらにマルティンにも異変が生じ、タクシーでバスステーションにやってきた医学生のアルバロ(ウンベルト・ブスト)はウイルスではないかと主張しますが、シャーマンの老女は悪魔の仕業であると言いだし、ウリセスが悪魔であると指差します。
自分はただの鉱山作業員だとウリセスは主張しますが、ローザの顔が変形し、長髪に髭をたくわえたウリセスの容貌そっくりに変わり、券売係のマルティンもウリセスの容貌になったことから、何かの化学実験の手先ではないかと医学生アルバロはウリセスを疑い出し、マルティンが銃を持ち出したことから、バスステーションの中はパニック状態に陥ります。
さらに、シャーマンの老女、妊婦のイレーヌまでもが濃い髭をたくわえたウリセスの顔へと変わってゆき、狂気と混乱が全員を支配していきます。
しかし、その様子を冷静に見つめていた人間がいました。
母親に連れられた少年、イグナシオです。
やがて、この異常な出来事の全貌がイグナシオの母親ゲルトルディスによって語られてゆくことになります。
舞台は1968年のメキシコ。
この年には世界各地で様々な紛争、事件が起こっています。
ベトナムでは「テト攻勢」により北ベトナム軍がアメリカ軍に攻撃を展開。アメリカの優位が崩れ、世界的な反戦世論が激化。
4月には公民権運動の活動家マーティン・ルーサー・キングの暗殺。
5月にはフランス・パリで学生による「5月革命」が勃発。それに触発された日本を始めとする世界数カ国でも反体制運動が拡大。
さらにJ・F・ケネディの実弟ロバート・F・ケネディ司法長官の暗殺。
ナイジェリアの内戦では数百万人が飢えのために死亡。
チェコスロバキアの民主化を抑えるためソ連軍がチェコへ侵入する「プラハの春」が勃発。
そして「ダークレイン」の時代設定である10月2日には、メキシコオリンピックを控えたメキシコシティで、民主化要求デモに警官隊が発砲。300人近くの学生が死亡する惨事が引き起こされています。
まさに「動乱の1968年」とも呼べる状況が世界を覆う時代を「ダークレイン」は背景にしています。
もっとも、そういった背景が映画で強調されることはありませんが、悪魔呼ばわりされるウリセスに対する疑惑として東西の冷戦構造が背景として持ち上がったりしていますし、異常に降り続く雨がもたらす世界各地の混乱が「動乱の1968年」を印象づける特徴として扱われています。
色彩を極度に排し、モノクロ映画と勘違いしそうなクラシックな怪奇性を帯びた映像。
たたみこむように展開する意外なストーリー。
密室ともいえる状況の中での俳優たちの狂気の熱演。
そして、異常な出来事の背後に隠された少年イグナシオの秘密。
監督は「メキシコ・オブ・デス」(2014年)、「パラドクス」(2014年)の異才イサーク・エスバン。
主演のウリセスに「アモーレス・ペロス」(2002年)、「うるう年の秘め事」(2011年)のグスタフォ・サンチェス・パラ。
妊婦のイレーヌに「ザ・ウォーター・ウォー」(2010年)のカサンドラ・シアンゲロッティ。
ホラーであり、パニック映画であり、一風変わったコメディであり、さらにオカルト的要素も加味した一級の娯楽作品です。
2019年10月10日
映画「ジャッカルの日」- 標的はド・ゴール、周到な準備で計画を遂行する殺し屋ジャッカル
「ジャッカルの日」
(The Day of the Jackal)
1973年 イギリス/フランス
監督フレッド・ジンネマン
原作フレデリック・フォーサイス
脚本ケネス・ロス
撮影ジャン・トゥルニエ
音楽ジョルジュ・ドルリュー
〈キャスト〉
エドワード・フォックス マイケル・ロンズデール
デルフィーヌ・セイリグ
フランス第18代大統領シャルル・ド・ゴールを狙った暗殺事件を、「真昼の決闘」(1952年)、「地上より永遠に」(1953年)、「わが命つきるとも」(1966年)の名匠フレッド・ジンネマンが、周到に積み上げた細部と史実に基づいて、ド・ゴール暗殺を目論む武装組織の暗躍を背景に、暗殺を依頼された一匹狼の殺し屋ジャッカルと、暗殺を阻止しようとジャッカルを追い詰めるフランス官憲のクロード・ルベル警視の活躍を描いたサスペンス映画の傑作。
1962年、OAS(フランス極右民族主義)によるド・ゴール暗殺未遂事件が起こり、首謀者は逮捕、さらに銃殺。
当局の締め付けが厳しくなったOASは壊滅状態に陥ります。
OASによるド・ゴール暗殺の最後の切り札として登場したのが、国籍不明の殺し屋、暗号名ジャッカル(エドワード・フォックス)です。
50万ドルの契約で仕事を引き受けたジャッカルは着々と準備を進めます。
身分証明書を偽造し、精巧な狙撃銃を作らせたジャッカルはフランスへと進入。
ド・ゴール暗殺の機会をうかがいます。
一方、50万ドルという破格の契約のために資金を確保しなければならなくなったOASは銀行強盗を決行。
現金強奪にはいくつか成功しますが、テロを警戒したフランス当局は厳重な包囲網を敷き、強盗の一人を狙撃して逮捕。
尋問からOASの計画の断片を察知した大統領官邸は、ド・ゴール大統領を狙う正体不明の暗殺者捜索のためにフランス警察の腕利き、クロード・ルベル警視(マイケル・ロンズデール)を招集することになります。
パッとしない風采でボソボソとした話し方のルベルは、体こそ大きいものの、茫洋とした感じで切れ者のイメージからはほど遠い男なのですが、粘り強く、少ない情報を元に殺し屋ジャッカルの足取りをつかんでゆきます。
治安組織の動きを察知するため、フランス治安当局の官僚に近づいたOASのジャクリーヌは、機密情報を盗み出してOASに流し、その情報を元にジャッカルは当局やルベル警視の目を潜(くぐ)り抜けてパリへ潜入してゆきます。
一向に手がかりのつかめないジャッカルの足取りに疑問を感じたルベルは、内部から情報が洩れていることを突き止め、やがて、ド・ゴール暗殺のためのジャッカルの計画がパリ解放記念式典にあることに気づきます。
ジャクリーヌが逮捕され、足取りが察知されていることを感じたジャッカルは、計画を思いとどまることなく、むしろ敢然と挑むように渦中に飛び込んでゆきます。
8月25日のその日、大勢のパリ市民でにぎわいを見せる中、厳重な警戒網の目をくぐって、松葉づえをついた片足の男がアパートへの帰宅のために歩いています。
傷痍軍人に変装したジャッカルです。
シャルル・ド・ゴールが記念式典に参列。
アパートに侵入したジャッカルは狙撃の機会を待ちます。
躍起になってジャッカルの姿を探すルベルは、一人の男が警戒の目を抜けていたことを察知。男が向かったアパートに駆け込みます。
ド・ゴールが勲章授与のために進み出た瞬間、ジャッカルは狙撃銃の引き金を引きます。
私は高校時代、この映画を映画館で観ましたが、正直に言って何が何だかよく分かりませんでした。
当時「ジャッカルの日」は大きな話題になっていて、シャルル・ド・ゴールを狙う殺し屋の話として映画ファンの間で盛り上がっていたこともあったので、単純にアクション映画としてしか考えなかった私は(なにしろ「ダーティハリー」や「フレンチ・コネクション」の時代でしたから)、心に大きな空白を抱いて帰宅することになりました。
今でもよく覚えているシーンは、狙撃銃を手に入れたジャッカルが山の中で、木の枝に吊るしたスイカを標的に銃の精度を調節するシーンと、サウナで知り合った友人を殺害するシーン。
この二つだけで、その他はほとんど覚えていません。
なぜよく分からなかったのかというのは、その背景となっている国際情勢の流れと、どうしてド・ゴールを暗殺しなければいけないのか、ということだったのでしょう。
●シャルル・ド・ゴール暗殺の理由は?
植民地政策を執る欧米列強の中で、フランスはインドシナや北アフリカへ侵攻。
1847年にはアルジェリアを支配します。
しかしアルジェリアでは各地で独立運動が起き、FLN(民族解放戦線)の武装蜂起によって1954年にはフランスの支配に対するアルジェリアの独立戦争が勃発。
一方、1890年にフランス北部のリールで生まれたド・ゴールは、陸軍軍人や首相を経験しながら1959年に大統領に就任。
第二次世界大戦のナチス・ドイツによる占領や、第一次インドシナ戦争で疲弊したフランスの国力なども考慮して、ド・ゴールはアルジェリアの独立を承認。
アルジェリアの独立戦争は1962年に終結をします。
しかし極右勢力はこれに反発。
シャルル・ド・ゴール暗殺計画が企てられます。
1962年8月22日。
パリ郊外のプティ・クラマールで、OASによるド・ゴール暗殺事件が起こります。
ド・ゴールを乗せた専用車DS19シトロエンが12発の銃弾を受けますが、ド・ゴール本人は無傷のままシトロエンは襲撃場所を突っ切って事なきを得ます。
映画「ジャッカルの日」は、プティ・クラマール襲撃事件の史実を踏まえ、襲撃に失敗して弱体化したOASの最後の手段としてプロの殺し屋を雇うところからストーリーが動きだします。
「第四の核」「戦争の犬たち」のフレデリック・フォーサイスの同名小説を原作に、名匠フレッド・ジンネマンが監督として取り組んだ作品で、用意周到に獲物を狙うプロの殺し屋ジャッカルの冷静で緻密な行動、まさにジャッカル(狼に似たイヌ科イヌ属の哺乳動物)を思わせる風貌を持った非情な殺し屋と、それを追うのが、妻に頭の上がらない凡庸(ぼんよう)とした風采のクロード・ルベル警視という、正反対の男たちの対決を軸に、ド・ゴール暗殺をクライマックスとしたスリリングな展開で迫ります。
殺し屋ジャッカルに「恋」(1971年)、「遠すぎた橋」(1977年)、「ガンジー」(1982年)の名優エドワード・フォックス。
ジャッカルを追うクロード・ルベル警視に「日曜日には鼠を殺せ」(1964年)、「パリは燃えているか」(1966年)、「薔薇の名前」(1986年)の、こちらも名優マイケル・ロンズデール。
ド・ゴール本人は31回という暗殺未遂事件を受けながらも生き延び、大動脈瘤破裂によって1970年に79歳で世を去っていますから、ジャッカルの暗殺は失敗に終わるのが判っているのですが、それでも最後の最後まで見る者を惹きつけて離さない超一級のサスペンス映画です。
ただ、難点をひとつあげるとすれば、舞台はほとんどフランスだし、登場人物のほとんどもフランス人なのに、セリフがすべて英語というのは違和感がありますが、そこは少し大目に見て、難点を差し引いても十分過ぎるほど見ごたえのある傑作です。
1973年 イギリス/フランス
監督フレッド・ジンネマン
原作フレデリック・フォーサイス
脚本ケネス・ロス
撮影ジャン・トゥルニエ
音楽ジョルジュ・ドルリュー
〈キャスト〉
エドワード・フォックス マイケル・ロンズデール
デルフィーヌ・セイリグ
フランス第18代大統領シャルル・ド・ゴールを狙った暗殺事件を、「真昼の決闘」(1952年)、「地上より永遠に」(1953年)、「わが命つきるとも」(1966年)の名匠フレッド・ジンネマンが、周到に積み上げた細部と史実に基づいて、ド・ゴール暗殺を目論む武装組織の暗躍を背景に、暗殺を依頼された一匹狼の殺し屋ジャッカルと、暗殺を阻止しようとジャッカルを追い詰めるフランス官憲のクロード・ルベル警視の活躍を描いたサスペンス映画の傑作。
1962年、OAS(フランス極右民族主義)によるド・ゴール暗殺未遂事件が起こり、首謀者は逮捕、さらに銃殺。
当局の締め付けが厳しくなったOASは壊滅状態に陥ります。
OASによるド・ゴール暗殺の最後の切り札として登場したのが、国籍不明の殺し屋、暗号名ジャッカル(エドワード・フォックス)です。
50万ドルの契約で仕事を引き受けたジャッカルは着々と準備を進めます。
身分証明書を偽造し、精巧な狙撃銃を作らせたジャッカルはフランスへと進入。
ド・ゴール暗殺の機会をうかがいます。
一方、50万ドルという破格の契約のために資金を確保しなければならなくなったOASは銀行強盗を決行。
現金強奪にはいくつか成功しますが、テロを警戒したフランス当局は厳重な包囲網を敷き、強盗の一人を狙撃して逮捕。
尋問からOASの計画の断片を察知した大統領官邸は、ド・ゴール大統領を狙う正体不明の暗殺者捜索のためにフランス警察の腕利き、クロード・ルベル警視(マイケル・ロンズデール)を招集することになります。
パッとしない風采でボソボソとした話し方のルベルは、体こそ大きいものの、茫洋とした感じで切れ者のイメージからはほど遠い男なのですが、粘り強く、少ない情報を元に殺し屋ジャッカルの足取りをつかんでゆきます。
治安組織の動きを察知するため、フランス治安当局の官僚に近づいたOASのジャクリーヌは、機密情報を盗み出してOASに流し、その情報を元にジャッカルは当局やルベル警視の目を潜(くぐ)り抜けてパリへ潜入してゆきます。
一向に手がかりのつかめないジャッカルの足取りに疑問を感じたルベルは、内部から情報が洩れていることを突き止め、やがて、ド・ゴール暗殺のためのジャッカルの計画がパリ解放記念式典にあることに気づきます。
ジャクリーヌが逮捕され、足取りが察知されていることを感じたジャッカルは、計画を思いとどまることなく、むしろ敢然と挑むように渦中に飛び込んでゆきます。
8月25日のその日、大勢のパリ市民でにぎわいを見せる中、厳重な警戒網の目をくぐって、松葉づえをついた片足の男がアパートへの帰宅のために歩いています。
傷痍軍人に変装したジャッカルです。
シャルル・ド・ゴールが記念式典に参列。
アパートに侵入したジャッカルは狙撃の機会を待ちます。
躍起になってジャッカルの姿を探すルベルは、一人の男が警戒の目を抜けていたことを察知。男が向かったアパートに駆け込みます。
ド・ゴールが勲章授与のために進み出た瞬間、ジャッカルは狙撃銃の引き金を引きます。
私は高校時代、この映画を映画館で観ましたが、正直に言って何が何だかよく分かりませんでした。
当時「ジャッカルの日」は大きな話題になっていて、シャルル・ド・ゴールを狙う殺し屋の話として映画ファンの間で盛り上がっていたこともあったので、単純にアクション映画としてしか考えなかった私は(なにしろ「ダーティハリー」や「フレンチ・コネクション」の時代でしたから)、心に大きな空白を抱いて帰宅することになりました。
今でもよく覚えているシーンは、狙撃銃を手に入れたジャッカルが山の中で、木の枝に吊るしたスイカを標的に銃の精度を調節するシーンと、サウナで知り合った友人を殺害するシーン。
この二つだけで、その他はほとんど覚えていません。
なぜよく分からなかったのかというのは、その背景となっている国際情勢の流れと、どうしてド・ゴールを暗殺しなければいけないのか、ということだったのでしょう。
●シャルル・ド・ゴール暗殺の理由は?
植民地政策を執る欧米列強の中で、フランスはインドシナや北アフリカへ侵攻。
1847年にはアルジェリアを支配します。
しかしアルジェリアでは各地で独立運動が起き、FLN(民族解放戦線)の武装蜂起によって1954年にはフランスの支配に対するアルジェリアの独立戦争が勃発。
一方、1890年にフランス北部のリールで生まれたド・ゴールは、陸軍軍人や首相を経験しながら1959年に大統領に就任。
第二次世界大戦のナチス・ドイツによる占領や、第一次インドシナ戦争で疲弊したフランスの国力なども考慮して、ド・ゴールはアルジェリアの独立を承認。
アルジェリアの独立戦争は1962年に終結をします。
しかし極右勢力はこれに反発。
シャルル・ド・ゴール暗殺計画が企てられます。
1962年8月22日。
パリ郊外のプティ・クラマールで、OASによるド・ゴール暗殺事件が起こります。
ド・ゴールを乗せた専用車DS19シトロエンが12発の銃弾を受けますが、ド・ゴール本人は無傷のままシトロエンは襲撃場所を突っ切って事なきを得ます。
映画「ジャッカルの日」は、プティ・クラマール襲撃事件の史実を踏まえ、襲撃に失敗して弱体化したOASの最後の手段としてプロの殺し屋を雇うところからストーリーが動きだします。
「第四の核」「戦争の犬たち」のフレデリック・フォーサイスの同名小説を原作に、名匠フレッド・ジンネマンが監督として取り組んだ作品で、用意周到に獲物を狙うプロの殺し屋ジャッカルの冷静で緻密な行動、まさにジャッカル(狼に似たイヌ科イヌ属の哺乳動物)を思わせる風貌を持った非情な殺し屋と、それを追うのが、妻に頭の上がらない凡庸(ぼんよう)とした風采のクロード・ルベル警視という、正反対の男たちの対決を軸に、ド・ゴール暗殺をクライマックスとしたスリリングな展開で迫ります。
殺し屋ジャッカルに「恋」(1971年)、「遠すぎた橋」(1977年)、「ガンジー」(1982年)の名優エドワード・フォックス。
ジャッカルを追うクロード・ルベル警視に「日曜日には鼠を殺せ」(1964年)、「パリは燃えているか」(1966年)、「薔薇の名前」(1986年)の、こちらも名優マイケル・ロンズデール。
ド・ゴール本人は31回という暗殺未遂事件を受けながらも生き延び、大動脈瘤破裂によって1970年に79歳で世を去っていますから、ジャッカルの暗殺は失敗に終わるのが判っているのですが、それでも最後の最後まで見る者を惹きつけて離さない超一級のサスペンス映画です。
ただ、難点をひとつあげるとすれば、舞台はほとんどフランスだし、登場人物のほとんどもフランス人なのに、セリフがすべて英語というのは違和感がありますが、そこは少し大目に見て、難点を差し引いても十分過ぎるほど見ごたえのある傑作です。
2019年10月03日
映画「天国と地獄」- 格差社会が生み出す誘拐犯罪の闇
「天国と地獄」
1963年(昭和38年) 東宝
監督 黒澤明
脚本 菊島隆三
久坂栄二郎
小国英雄
黒澤明
原作 エド・マクベイン
撮影 斎藤孝雄
中井朝一
音楽 佐藤勝
〈キャスト〉
三船敏郎 仲代達矢 香川京子 山崎努
三橋達也 石山健二郎 木村功
毎日映画コンクール・日本映画大賞/脚本賞
NHK映画祭・最優秀作品賞/監督賞
等、多数受賞
誘拐というのは卑劣な犯罪です。
犯罪に卑劣も高潔もないわけですが、幼い子供をさらって親に身代金を払わせる行為は、親子の情愛を深くえぐって金銭を要求するのですから、子供をさらわれた親の絶望と苦悩は第三者には想像もできません。
「天国と地獄」はエド・マクベインの警察小説「キングの身代金」を原作として、経済成長を突き進み始めた昭和の日本社会に舞台を置き換え、誘拐という卑劣な犯罪の背後に隠された社会の断面に深く切り込んだ人間ドラマの傑作です。
権藤(三船敏郎)はナショナル・シューズの常務です。
しかし、独自の方針を貫いて会社を運営していこうとする権藤に対して重役連中(伊藤雄之助、田崎潤、中村伸郎)は反感を持ち、反旗を翻(ひるがえ)します。
ナショナル・シューズから権藤を追い出そうとする重役たちに対して、権藤は自社株を買い占め、会社の実権を握ろうと画策します。
頼みにしていた大阪からの一報が入り、株の買い占めに成功した権藤は、引き換えの5000万円の小切手を秘書の河西(三橋達也)に渡し、大阪行きを命じます。
誘拐犯人からの電話が入ったのは、その直後でした。
「子どもをさらった。3000万円用意しろ」
驚いた権藤と妻の怜子(香川京子)でしたが、息子の純(江木俊夫)は間もなく帰宅。タチの悪いイタズラ電話だと思って安堵した権藤でしたが、純と一緒に遊んでいたはずの運転手の息子、進一の姿が見えないことに気づきます。
再び犯人からの電話。
「子どもを間違えた。しかし、3000万はあんたが払うんだ、権藤さん」
バカな、どうしておれが!
理不尽な要求に憤然とする権藤ですが、誘拐されたのが権藤家のお抱え運転手、青木(佐田豊)の一人息子の進一(島津雅彦)だと判り、青木は苦悩に打ちひしがれます。
やがて事件は警察の手に委(ゆだ)ねられ、沈着冷静な戸倉警部(仲代達矢)を主任とする刑事たちが権藤邸に乗り込むことになります。
犯人の居所をつかむため、電話には録音テープが仕掛けられ、緊張した空気が権藤邸に流れます。
再び犯人からの電話。
「金は用意できたか?」
しかし権藤は犯人の要求を厳しく拒否。
当然ながら権藤には身代金を払えない理由があります。
株の買い占めに集めた5000万円のために家は抵当に入っており、ビタ一文でも欠ければ株は集まらず、権藤は会社を追われ、全財産を失うことになります。
一人息子の進一を誘拐されて悄然と立ち尽くす青木を見かねた妻の怜子は、権藤に身代金を払ってくれるよう哀願しますが、権藤は払いたいけど払えない胸の内を吐露。苦境に追い込まれます。
権藤の気持ちが変わったのは、犯人逮捕の手がかりをつかむため、嘘でいいから、身代金を払うと言ってもらえないか、と戸倉警部に頼まれてからでした。
一介の靴職人から出直すことを覚悟した権藤は、5000万円の小切手を現金に換えさせ、犯人の要求通り特急「こだま」に乗り、その支持に従うことになります。
権藤邸の応接間に集まったナショナル・シューズの重役たちと権藤とのやり取りで始まる「天国と地獄」は、権藤の置かれた立場と、その後に続く誘拐事件の中での権藤の複雑な心境を、より深く理解させるための見事な設定です。
重役たちとの対立。
権藤と、その秘書で野心家の河西との確執。
苦労を知らないお嬢様育ちながら、やさしい人情味のある妻の怜子。
犯人逮捕に全力を挙げる戸倉警部以下の刑事たち。
権藤邸の応接間は煮えたぎる釜のような熱気と緊張をはらんでおり、その緊張感は進一の誘拐事件の中で一気に頂点に達してゆきます。
犯人の要求に素直に従ったことで進一は無事に解放され、映画は犯人の捜索と逮捕に焦点が移ってゆくことになります。
傑作ぞろいの黒澤作品の中でも、群を抜く傑作だと思う「天国と地獄」。
権藤邸の緊迫した場面はもちろん、身代金引き渡しに利用された特急「こだま」のシーンは、撮り直しのできない状況での撮影のためか、極度に緊張した俳優たちの演技がそのまま伝わってきます。
緊張感だけではなく、黒澤作品独特のユーモアが要所に表れていて、息苦しさを緩和するのに効果を発揮しています。
事件はやがて、カバンに仕掛けられた牡丹色の発煙によって、医学生である竹内銀次郎(山崎勉)が主犯として浮上し、戸倉たちは竹内を追い詰めていくのですが、それまで表面に出てこなかった犯人の竹内が、捜査中の刑事たちと入れ替わるように登場する場面は見事で、そこから竹内の人間像が描かれてゆきます。
経済成長の波に乗って繁栄を謳歌する金持ちと、親を亡くし、苦しく貧しい医学生の青年。
だからといって、貧しい医学生が犯罪に手を染めていいという理屈にはなりませんが、サマセット・モームの「人間の絆」のように、社会全体が貧しさにある時代ならともかく、格差が広がり始めた社会構造の中で、金持ちに対する偏見と憎悪が不気味な蓄積を生み出していくのも仕方のないことなのかもしれません。
「天国と地獄」という題名は、日の当たる高台に傲然(ごうぜん)とそびえる権藤邸と、それを見上げる北向きの古く汚いアパートで暮らす竹内の生活環境の差異を表現していると思われますが、一方で、経済成長の外にはじき出され、麻薬中毒の巣窟に渦巻く人間たちもまた、地獄の底でもだえ苦しむ人々であると捉(とら)えることができます。
いわば、経済の成長によって格差が広がる中で、同じ地上で暮らす人間でありながら、その生活には天国と地獄ほどの違いが生じてしまったということだと思います。
映画のワンシーン、ワンシーンはとても独創的で、なんの変哲もない純と進一のピストルごっこにしても、そのクッキリとした映像感覚は他に類を見ないものです。
黒澤作品では脚本や映像感覚はもちろん素晴らしいのですが、さらに映画的センスの良さも光っていて、竹内が逮捕される別荘のシーンでラジオから深夜放送の音楽が聞こえているのですが、そこに流れているのが「オー・ソレ・ミオ」。
「晴れた日はなんて素晴らしい」で始まる明るい曲調の、このナポリ民謡は、映画ではオーケストラのみの演奏が使われていますが、竹内逮捕の深夜に流れたことによって人生の明暗、悲哀というものを特徴づける、とても印象的な場面になっています。
黒澤はこの場面で「オー・ソレ・ミオ」を下敷きにしたエルヴィス・プレスリーの「イッツ・ナウ・オア・ネヴァー」を使いたかったらしく、高額な著作権使用料などの問題もあって断念したようですが、甘いラブソングとして大ヒットした「イッツ・ナウ・オア・ネヴァー」を仮に黒澤明の思惑通りに使っていたとすれば、「太陽がいっぱい」のトム・リプリーの完全犯罪が崩れ去るラストシーンを彷彿とさせる、映画史に残る名シーンになっていたようにも思います。
社会性と娯楽性を見事に融合させた「天国と地獄」ですが、権藤が竹内と刑務所で面会するラストでは、ドストエフスキーの寒々とした狂気の世界を思わせる幕切れで、残酷で深い余韻を残しました。
監督 黒澤明
脚本 菊島隆三
久坂栄二郎
小国英雄
黒澤明
原作 エド・マクベイン
撮影 斎藤孝雄
中井朝一
音楽 佐藤勝
〈キャスト〉
三船敏郎 仲代達矢 香川京子 山崎努
三橋達也 石山健二郎 木村功
毎日映画コンクール・日本映画大賞/脚本賞
NHK映画祭・最優秀作品賞/監督賞
等、多数受賞
誘拐というのは卑劣な犯罪です。
犯罪に卑劣も高潔もないわけですが、幼い子供をさらって親に身代金を払わせる行為は、親子の情愛を深くえぐって金銭を要求するのですから、子供をさらわれた親の絶望と苦悩は第三者には想像もできません。
「天国と地獄」はエド・マクベインの警察小説「キングの身代金」を原作として、経済成長を突き進み始めた昭和の日本社会に舞台を置き換え、誘拐という卑劣な犯罪の背後に隠された社会の断面に深く切り込んだ人間ドラマの傑作です。
権藤(三船敏郎)はナショナル・シューズの常務です。
しかし、独自の方針を貫いて会社を運営していこうとする権藤に対して重役連中(伊藤雄之助、田崎潤、中村伸郎)は反感を持ち、反旗を翻(ひるがえ)します。
ナショナル・シューズから権藤を追い出そうとする重役たちに対して、権藤は自社株を買い占め、会社の実権を握ろうと画策します。
頼みにしていた大阪からの一報が入り、株の買い占めに成功した権藤は、引き換えの5000万円の小切手を秘書の河西(三橋達也)に渡し、大阪行きを命じます。
誘拐犯人からの電話が入ったのは、その直後でした。
「子どもをさらった。3000万円用意しろ」
驚いた権藤と妻の怜子(香川京子)でしたが、息子の純(江木俊夫)は間もなく帰宅。タチの悪いイタズラ電話だと思って安堵した権藤でしたが、純と一緒に遊んでいたはずの運転手の息子、進一の姿が見えないことに気づきます。
再び犯人からの電話。
「子どもを間違えた。しかし、3000万はあんたが払うんだ、権藤さん」
バカな、どうしておれが!
理不尽な要求に憤然とする権藤ですが、誘拐されたのが権藤家のお抱え運転手、青木(佐田豊)の一人息子の進一(島津雅彦)だと判り、青木は苦悩に打ちひしがれます。
やがて事件は警察の手に委(ゆだ)ねられ、沈着冷静な戸倉警部(仲代達矢)を主任とする刑事たちが権藤邸に乗り込むことになります。
犯人の居所をつかむため、電話には録音テープが仕掛けられ、緊張した空気が権藤邸に流れます。
再び犯人からの電話。
「金は用意できたか?」
しかし権藤は犯人の要求を厳しく拒否。
当然ながら権藤には身代金を払えない理由があります。
株の買い占めに集めた5000万円のために家は抵当に入っており、ビタ一文でも欠ければ株は集まらず、権藤は会社を追われ、全財産を失うことになります。
一人息子の進一を誘拐されて悄然と立ち尽くす青木を見かねた妻の怜子は、権藤に身代金を払ってくれるよう哀願しますが、権藤は払いたいけど払えない胸の内を吐露。苦境に追い込まれます。
権藤の気持ちが変わったのは、犯人逮捕の手がかりをつかむため、嘘でいいから、身代金を払うと言ってもらえないか、と戸倉警部に頼まれてからでした。
一介の靴職人から出直すことを覚悟した権藤は、5000万円の小切手を現金に換えさせ、犯人の要求通り特急「こだま」に乗り、その支持に従うことになります。
権藤邸の応接間に集まったナショナル・シューズの重役たちと権藤とのやり取りで始まる「天国と地獄」は、権藤の置かれた立場と、その後に続く誘拐事件の中での権藤の複雑な心境を、より深く理解させるための見事な設定です。
重役たちとの対立。
権藤と、その秘書で野心家の河西との確執。
苦労を知らないお嬢様育ちながら、やさしい人情味のある妻の怜子。
犯人逮捕に全力を挙げる戸倉警部以下の刑事たち。
権藤邸の応接間は煮えたぎる釜のような熱気と緊張をはらんでおり、その緊張感は進一の誘拐事件の中で一気に頂点に達してゆきます。
犯人の要求に素直に従ったことで進一は無事に解放され、映画は犯人の捜索と逮捕に焦点が移ってゆくことになります。
傑作ぞろいの黒澤作品の中でも、群を抜く傑作だと思う「天国と地獄」。
権藤邸の緊迫した場面はもちろん、身代金引き渡しに利用された特急「こだま」のシーンは、撮り直しのできない状況での撮影のためか、極度に緊張した俳優たちの演技がそのまま伝わってきます。
緊張感だけではなく、黒澤作品独特のユーモアが要所に表れていて、息苦しさを緩和するのに効果を発揮しています。
事件はやがて、カバンに仕掛けられた牡丹色の発煙によって、医学生である竹内銀次郎(山崎勉)が主犯として浮上し、戸倉たちは竹内を追い詰めていくのですが、それまで表面に出てこなかった犯人の竹内が、捜査中の刑事たちと入れ替わるように登場する場面は見事で、そこから竹内の人間像が描かれてゆきます。
経済成長の波に乗って繁栄を謳歌する金持ちと、親を亡くし、苦しく貧しい医学生の青年。
だからといって、貧しい医学生が犯罪に手を染めていいという理屈にはなりませんが、サマセット・モームの「人間の絆」のように、社会全体が貧しさにある時代ならともかく、格差が広がり始めた社会構造の中で、金持ちに対する偏見と憎悪が不気味な蓄積を生み出していくのも仕方のないことなのかもしれません。
「天国と地獄」という題名は、日の当たる高台に傲然(ごうぜん)とそびえる権藤邸と、それを見上げる北向きの古く汚いアパートで暮らす竹内の生活環境の差異を表現していると思われますが、一方で、経済成長の外にはじき出され、麻薬中毒の巣窟に渦巻く人間たちもまた、地獄の底でもだえ苦しむ人々であると捉(とら)えることができます。
いわば、経済の成長によって格差が広がる中で、同じ地上で暮らす人間でありながら、その生活には天国と地獄ほどの違いが生じてしまったということだと思います。
映画のワンシーン、ワンシーンはとても独創的で、なんの変哲もない純と進一のピストルごっこにしても、そのクッキリとした映像感覚は他に類を見ないものです。
黒澤作品では脚本や映像感覚はもちろん素晴らしいのですが、さらに映画的センスの良さも光っていて、竹内が逮捕される別荘のシーンでラジオから深夜放送の音楽が聞こえているのですが、そこに流れているのが「オー・ソレ・ミオ」。
「晴れた日はなんて素晴らしい」で始まる明るい曲調の、このナポリ民謡は、映画ではオーケストラのみの演奏が使われていますが、竹内逮捕の深夜に流れたことによって人生の明暗、悲哀というものを特徴づける、とても印象的な場面になっています。
黒澤はこの場面で「オー・ソレ・ミオ」を下敷きにしたエルヴィス・プレスリーの「イッツ・ナウ・オア・ネヴァー」を使いたかったらしく、高額な著作権使用料などの問題もあって断念したようですが、甘いラブソングとして大ヒットした「イッツ・ナウ・オア・ネヴァー」を仮に黒澤明の思惑通りに使っていたとすれば、「太陽がいっぱい」のトム・リプリーの完全犯罪が崩れ去るラストシーンを彷彿とさせる、映画史に残る名シーンになっていたようにも思います。
社会性と娯楽性を見事に融合させた「天国と地獄」ですが、権藤が竹内と刑務所で面会するラストでは、ドストエフスキーの寒々とした狂気の世界を思わせる幕切れで、残酷で深い余韻を残しました。