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2021年01月05日
映画「忠臣蔵」- オールスターキャストで挑む熱演の“忠臣蔵”
「忠臣蔵」
昭和33年(1958年) 大映
監督 渡辺邦男
脚本 渡辺邦男
民門敏雄
松村正温
八尋不二
撮影 渡辺孝
音楽 斎藤一郎
〈キャスト〉
長谷川一夫 滝沢修 市川雷蔵 山本富士子
鶴田浩二 京マチ子 淡島千景 若尾文子
日本人に最も親しまれ、現在でも語り継がれる「忠臣蔵」。
大映創立18年の記念として(18年は中途半端な気もしますが)、オールスターを配して挑んだ大作。
時は元禄、五代将軍徳川綱吉の時代。
江戸からの急使が早駕籠で播州(播磨国・現兵庫県南西部)赤穂へと向かって駆けつけます。
急使の報を受けた赤穂城筆頭家老の大石内蔵助(長谷川一夫)以下の赤穂城家臣たちは、城主浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)(市川雷蔵)の江戸城における刃傷(にんじょう)事件を知らされ、その後届く内匠頭切腹の顛末(てんまつ)などを知らされることになります。
正式な審議は行われず、喧嘩両成敗が本当であるはずなのに、相手の吉良上野介(滝沢修)には咎めはなく、一方の内匠頭だけが罪人のように腹を切らされたことへの幕府に対する怒りと抗議から、城に籠って討ち死にをしようと言う者、いや、短慮は謹んで裁きに従おうと言う者、二派に分かれて評議が続きますが、最後は家老大石内蔵助の判断を仰ぐことになります。
大石の策として、内匠頭の弟である浅野大学を立てて城主とし、まずはお家再興を幕府に願い出ようとするものでした。
城明け渡しも整い、お家再興の嘆願書も幕府に届きましたが、当時の権力を握っていたのは綱吉の信頼の厚い老中柳沢出羽守吉保(清水将夫)。
上野介の実子、綱憲(船越英二)は上杉家の養子でもあり、出羽守という職掌柄、上杉家とつながりのある柳沢吉保は吉良家の養護にまわり、赤穂事件の処理にあたっていた脇坂淡路守(菅原謙二)から受け取った大石による浅野家再興の嘆願をはねつけてしまいます。
城を明け渡すということは、その日から家臣たちは職を失い、家族共々露頭に迷うことを意味します。
浅野家再興がかなわないと知った大石は、幕府を相手に討ち死にをしようと言う者だけを集めて、かねてから腹案のあった吉良上野介仇討ちへと舵を切ってゆきます。
よく知られた赤穂浪士四十七士による吉良上野介仇討ち物語なのですが、少し分かりにくいのが、事件の発端となった浅野内匠頭と吉良上野介の関係から起こった江戸城松の廊下における一連の流れ。
事件は、元禄14年3月14日(現代の暦でいえば1701年4月21日)、巳の下刻(午前11時40分ごろ)、江戸城本丸大廊下において、吉良上野介義央(よしなか)と留守居番・梶川頼照が儀式の打ち合わせをしているところへ、浅野内匠頭が「この間の遺恨覚えたか!」と叫び、脇差で吉良に切りつけたというもの。
事件をさかのぼること約一カ月前の2月17日、京都の東山天皇から勅使が派遣され、江戸へ向かいます。
柳原資廉、高野保春をはじめとする勅使の一行は3月11日に江戸・品川の伝奏屋敷に到着。
その翌日、3月12日に勅使の江戸城登城。白書院において将軍・徳川綱吉に下賜の儀式が執り行われます。
その京都朝廷の勅使の饗応役、つまり接待役にあたったのが浅野内匠頭で、勅使に対する礼儀・作法を指南していたのが高家(幕府の儀式・典礼を司る役職)の名門吉良家。
ところが、吉良義央は浅野内匠頭に対して何かと嫌がらせをしたり、田舎侍とバカにした態度を示したりと、浅野の饗応役としての役職を貶(おとし)めるような振る舞いに及んだため、とうとう堪忍袋の緒が切れて…。
時間をかけた審議が行われなかったので、浅野内匠頭がどのような遺恨で刃傷に及んだのかは実際にはハッキリとしないのですが、映画にも出てきたように、吉良に対する賄賂の少なさなどが尾を引いて、浅野への嫌がらせ等につながり、それが吉良への悪感情になって暴発したのではないかと考えられますが、実際的な問題としては、なぜ一方的に浅野内匠頭だけが罪人のように屋敷の庭先で腹を切らされたのか。
“生類憐みの令”のような悪政と非難された法を作った五代将軍綱吉は、また一方で尊皇心の篤いことでも知られ、そのため、勅使一行への饗応には細大の気を使い、勅使から下された聖旨・院旨に対する勅答の儀は、幕府の行事の中でも最も格式の高いものとされていました。
その奏答の儀が行われたのが、元禄14年3月14日。
綱吉としては、こともあろうに最も重要な日に刃傷事件を引き起こした浅野内匠頭に対する怒りは生易しいものではなかったのでしょう。一方の吉良家は名門であり、浅野家は五万三千石の大名。
由比正雪の乱(慶安の変)や“伊達騒動”に見られるように、江戸幕府による大名取り潰し政策は幕府初期から行われていたことから、“刃傷事件”は浅野家取り潰しの格好の口実となったのかも分かりません。
それはともかくとして、綱吉の怒りは内匠頭に向けられ、即日切腹、というのはいかにも片手落ち。
まして“仇討ち”は江戸時代にあっては美徳以上の絶対的な義務。幕府の失政に対する反省を促す意味と、主人浅野内匠頭を死に至らしめた相手、吉良上野介を打ち取るため、旧浅野家家臣団は窮乏と貧苦の中で結束を固めてゆくことになります。
現在では考えられないような豪華絢爛たる配役の映画「忠臣蔵」。
大石内蔵助に今や伝説的なスター長谷川一夫。
浅野内匠頭には、歌舞伎から転じ、後に「眠狂四郎」シリーズが当たり役となった二枚目の市川雷蔵。
内匠頭の妻・瑤泉院(ようぜんいん)に第一回ミス日本にも選ばれた美人女優山本富士子。
憎まれ役、吉良上野介に名優滝沢修。
そして、「座頭市」シリーズで人気を博すことになる若き日の勝新太郎、鶴田浩二、京マチ子、若尾文子、淡島千景、木暮実千代、二代目中村鴈治郎、さらに、清水将夫、小沢栄太郎、内蔵助の息子大石主税(ちから)に川口浩など、そうそうたる顔ぶれの中で、個人的に注目したのが大高源吾を演じた品川隆二さん。
テレビシリーズ「素浪人 月影兵庫」や、その続編のような「素浪人 花山大吉」で近衛十四郎との名コンビの相手役、焼津の半次のコミカルでけたたましい三枚目の強い印象があって、品川隆二といえば焼津の半次のイメージがあったから、大高源吾のような二枚目は意外でしたが、考えてみれば、テレビ時代劇「忍びの者」ではかなりシリアスな主人公・石川五右衛門を演じていましたから、やはり正統派の俳優なんですね。
見応えのある映画「忠臣蔵」なんですが、このころの時代劇の特徴として、歌舞伎からの影響が抜けきっていなくて、市川雷蔵のメークアップなどは歌舞伎の隈取りを連想させますし、殺陣(たて)などもヒラリヒラリと体をかわして刀をよける、芝居小屋の引き写しでリアリティーに乏しい(さすがに後半の討ち入りのシーンは違っていますが)。
そんな欠点を物ともせずに魅せるのが、火花を散らすような俳優たちの演技。
内匠頭に寄り添い、切腹の場面では庭先で嗚咽をもらす片岡源五右衛門(香川良介)。
遊郭で遊び呆ける大石に迫り、「腰抜け!」と罵り、切りつける浪人・関根弥次郎(高松英郎)。
吉良上野介の身辺を守り、吉良邸で討ち死にをする腕利きの武士清水一角(田崎潤)。
大工・政五郎(見明凡太朗)、娘婿の勝田新左衛門の不甲斐なさを嘆く大竹重兵衛(志村喬)、大石の東下りに立ちふさがる垣見五郎兵衛(二代目中村鴈治郎)など、その配役とそれぞれの持ち場での熱のこもった演技は見もの。
特にラスト、仇討ちが成って引き上げる大石たち一行を拝むようにぬかずく白装束の遥泉院(山本富士子)の姿は、何度見ても感動を覚えます。
増上寺の畳替えや、山科の別れ、赤穂城明け渡しか討ち死にかで評議が続く場面など、様々なエピソードを織り交ぜて構成された「忠臣蔵」は、上映時間3時間にも満たない映画では中途半端になってしまうのは致し方のないところですが(1982年のNHKの大河ドラマ「峠の群像」では、そのあたりはけっこう詳しく描かれていたように思いました)、映画「忠臣蔵」は、艱難辛苦に耐えて本望を遂げる、浪花節的醍醐味をタップリと楽しめる映画です。
監督 渡辺邦男
脚本 渡辺邦男
民門敏雄
松村正温
八尋不二
撮影 渡辺孝
音楽 斎藤一郎
〈キャスト〉
長谷川一夫 滝沢修 市川雷蔵 山本富士子
鶴田浩二 京マチ子 淡島千景 若尾文子
日本人に最も親しまれ、現在でも語り継がれる「忠臣蔵」。
大映創立18年の記念として(18年は中途半端な気もしますが)、オールスターを配して挑んだ大作。
時は元禄、五代将軍徳川綱吉の時代。
江戸からの急使が早駕籠で播州(播磨国・現兵庫県南西部)赤穂へと向かって駆けつけます。
急使の報を受けた赤穂城筆頭家老の大石内蔵助(長谷川一夫)以下の赤穂城家臣たちは、城主浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)(市川雷蔵)の江戸城における刃傷(にんじょう)事件を知らされ、その後届く内匠頭切腹の顛末(てんまつ)などを知らされることになります。
正式な審議は行われず、喧嘩両成敗が本当であるはずなのに、相手の吉良上野介(滝沢修)には咎めはなく、一方の内匠頭だけが罪人のように腹を切らされたことへの幕府に対する怒りと抗議から、城に籠って討ち死にをしようと言う者、いや、短慮は謹んで裁きに従おうと言う者、二派に分かれて評議が続きますが、最後は家老大石内蔵助の判断を仰ぐことになります。
大石の策として、内匠頭の弟である浅野大学を立てて城主とし、まずはお家再興を幕府に願い出ようとするものでした。
城明け渡しも整い、お家再興の嘆願書も幕府に届きましたが、当時の権力を握っていたのは綱吉の信頼の厚い老中柳沢出羽守吉保(清水将夫)。
上野介の実子、綱憲(船越英二)は上杉家の養子でもあり、出羽守という職掌柄、上杉家とつながりのある柳沢吉保は吉良家の養護にまわり、赤穂事件の処理にあたっていた脇坂淡路守(菅原謙二)から受け取った大石による浅野家再興の嘆願をはねつけてしまいます。
城を明け渡すということは、その日から家臣たちは職を失い、家族共々露頭に迷うことを意味します。
浅野家再興がかなわないと知った大石は、幕府を相手に討ち死にをしようと言う者だけを集めて、かねてから腹案のあった吉良上野介仇討ちへと舵を切ってゆきます。
よく知られた赤穂浪士四十七士による吉良上野介仇討ち物語なのですが、少し分かりにくいのが、事件の発端となった浅野内匠頭と吉良上野介の関係から起こった江戸城松の廊下における一連の流れ。
事件は、元禄14年3月14日(現代の暦でいえば1701年4月21日)、巳の下刻(午前11時40分ごろ)、江戸城本丸大廊下において、吉良上野介義央(よしなか)と留守居番・梶川頼照が儀式の打ち合わせをしているところへ、浅野内匠頭が「この間の遺恨覚えたか!」と叫び、脇差で吉良に切りつけたというもの。
事件をさかのぼること約一カ月前の2月17日、京都の東山天皇から勅使が派遣され、江戸へ向かいます。
柳原資廉、高野保春をはじめとする勅使の一行は3月11日に江戸・品川の伝奏屋敷に到着。
その翌日、3月12日に勅使の江戸城登城。白書院において将軍・徳川綱吉に下賜の儀式が執り行われます。
その京都朝廷の勅使の饗応役、つまり接待役にあたったのが浅野内匠頭で、勅使に対する礼儀・作法を指南していたのが高家(幕府の儀式・典礼を司る役職)の名門吉良家。
ところが、吉良義央は浅野内匠頭に対して何かと嫌がらせをしたり、田舎侍とバカにした態度を示したりと、浅野の饗応役としての役職を貶(おとし)めるような振る舞いに及んだため、とうとう堪忍袋の緒が切れて…。
時間をかけた審議が行われなかったので、浅野内匠頭がどのような遺恨で刃傷に及んだのかは実際にはハッキリとしないのですが、映画にも出てきたように、吉良に対する賄賂の少なさなどが尾を引いて、浅野への嫌がらせ等につながり、それが吉良への悪感情になって暴発したのではないかと考えられますが、実際的な問題としては、なぜ一方的に浅野内匠頭だけが罪人のように屋敷の庭先で腹を切らされたのか。
“生類憐みの令”のような悪政と非難された法を作った五代将軍綱吉は、また一方で尊皇心の篤いことでも知られ、そのため、勅使一行への饗応には細大の気を使い、勅使から下された聖旨・院旨に対する勅答の儀は、幕府の行事の中でも最も格式の高いものとされていました。
その奏答の儀が行われたのが、元禄14年3月14日。
綱吉としては、こともあろうに最も重要な日に刃傷事件を引き起こした浅野内匠頭に対する怒りは生易しいものではなかったのでしょう。一方の吉良家は名門であり、浅野家は五万三千石の大名。
由比正雪の乱(慶安の変)や“伊達騒動”に見られるように、江戸幕府による大名取り潰し政策は幕府初期から行われていたことから、“刃傷事件”は浅野家取り潰しの格好の口実となったのかも分かりません。
それはともかくとして、綱吉の怒りは内匠頭に向けられ、即日切腹、というのはいかにも片手落ち。
まして“仇討ち”は江戸時代にあっては美徳以上の絶対的な義務。幕府の失政に対する反省を促す意味と、主人浅野内匠頭を死に至らしめた相手、吉良上野介を打ち取るため、旧浅野家家臣団は窮乏と貧苦の中で結束を固めてゆくことになります。
現在では考えられないような豪華絢爛たる配役の映画「忠臣蔵」。
大石内蔵助に今や伝説的なスター長谷川一夫。
浅野内匠頭には、歌舞伎から転じ、後に「眠狂四郎」シリーズが当たり役となった二枚目の市川雷蔵。
内匠頭の妻・瑤泉院(ようぜんいん)に第一回ミス日本にも選ばれた美人女優山本富士子。
憎まれ役、吉良上野介に名優滝沢修。
そして、「座頭市」シリーズで人気を博すことになる若き日の勝新太郎、鶴田浩二、京マチ子、若尾文子、淡島千景、木暮実千代、二代目中村鴈治郎、さらに、清水将夫、小沢栄太郎、内蔵助の息子大石主税(ちから)に川口浩など、そうそうたる顔ぶれの中で、個人的に注目したのが大高源吾を演じた品川隆二さん。
テレビシリーズ「素浪人 月影兵庫」や、その続編のような「素浪人 花山大吉」で近衛十四郎との名コンビの相手役、焼津の半次のコミカルでけたたましい三枚目の強い印象があって、品川隆二といえば焼津の半次のイメージがあったから、大高源吾のような二枚目は意外でしたが、考えてみれば、テレビ時代劇「忍びの者」ではかなりシリアスな主人公・石川五右衛門を演じていましたから、やはり正統派の俳優なんですね。
見応えのある映画「忠臣蔵」なんですが、このころの時代劇の特徴として、歌舞伎からの影響が抜けきっていなくて、市川雷蔵のメークアップなどは歌舞伎の隈取りを連想させますし、殺陣(たて)などもヒラリヒラリと体をかわして刀をよける、芝居小屋の引き写しでリアリティーに乏しい(さすがに後半の討ち入りのシーンは違っていますが)。
そんな欠点を物ともせずに魅せるのが、火花を散らすような俳優たちの演技。
内匠頭に寄り添い、切腹の場面では庭先で嗚咽をもらす片岡源五右衛門(香川良介)。
遊郭で遊び呆ける大石に迫り、「腰抜け!」と罵り、切りつける浪人・関根弥次郎(高松英郎)。
吉良上野介の身辺を守り、吉良邸で討ち死にをする腕利きの武士清水一角(田崎潤)。
大工・政五郎(見明凡太朗)、娘婿の勝田新左衛門の不甲斐なさを嘆く大竹重兵衛(志村喬)、大石の東下りに立ちふさがる垣見五郎兵衛(二代目中村鴈治郎)など、その配役とそれぞれの持ち場での熱のこもった演技は見もの。
特にラスト、仇討ちが成って引き上げる大石たち一行を拝むようにぬかずく白装束の遥泉院(山本富士子)の姿は、何度見ても感動を覚えます。
増上寺の畳替えや、山科の別れ、赤穂城明け渡しか討ち死にかで評議が続く場面など、様々なエピソードを織り交ぜて構成された「忠臣蔵」は、上映時間3時間にも満たない映画では中途半端になってしまうのは致し方のないところですが(1982年のNHKの大河ドラマ「峠の群像」では、そのあたりはけっこう詳しく描かれていたように思いました)、映画「忠臣蔵」は、艱難辛苦に耐えて本望を遂げる、浪花節的醍醐味をタップリと楽しめる映画です。
2020年11月29日
映画「運び屋」‐ 麻薬の“運び屋”は90歳の老人, イーストウッドが魅せる円熟の一作
「運び屋」
(The Mule ) 2018年 アメリカ
監督クリント・イーストウッド
脚本ニック・シェンク
音楽アルトゥロ・サンドバル
撮影イブ・ベランジェ
〈キャスト〉
クリント・イーストウッド ブラッドリー・クーパー
ダイアン・ウィースト アンディ・ガルシア
「運び屋」という題名から、宅配業者か、引っ越し屋さんの話かと思ったら、ヒョンなことから麻薬組織に関わった男の話で、それも、90歳という高齢でヘロインの“運び屋”をすることになった男の実話をもとに、仕事、家族、老い、人生の意義といった普遍的なテーマを追求したクリント・イーストウッド監督・主演による、心に染み込む佳作。
“デイリリー”の栽培を手掛け、園芸家として名を馳(は)せて仕事一筋に打ち込んできたアール・ストーン(クリント・イーストウッド)でしたが、インターネットの普及とともにネット販売による打撃を受け、家は差し押さえられて経済的困窮に陥ります。
家族を顧(かえり)みずに仕事一筋に生きてきた結果が仇(あだ)となって、娘の結婚パーティーからも締め出しをくったアールでしたが、そこで、一人の男に声をかけられます。
「いい仕事があるんだ、やってみないか?」
それは簡単な仕事で、自分のオンボロトラックでハイウェーを走り、ある品物を届けるだけ。
無事故無違反を誇るアールは気楽にその仕事を引き受け、指定の場所に品物を届けて車に戻ってみると、仕事の報酬として誰かが置いていった封筒の中に厚い札束が入っている。
大金を受け取ったアールは、家を買い戻し、資金不足で活動が危ぶまれていた退役軍人会を復活させます。
“運び屋”の仕事は続き、二度、三度と重ねるうちに運ぶ品物の量は増え、それにつれてアールの報酬も上がり、オンボロトラックを新車に替えたアールでしたが、品物を運ぶ途中、偶然にそれが大量のヘロインであることを知ります。
犯罪の泥沼に足を踏み込んでいたことを知ったアール。しかし、目の前にチラつく大金と、朝鮮戦争の経験もあって怖いもの知らずのアールは、組織の中で一目置かれる存在となって麻薬組織のボス、ラトン(アンディ・ガルシア)の屋敷に招待され、美女を集めた豪華なパーティーにも招かれるようになります。
一方、麻薬組織撲滅に執念を燃やすベイツ捜査官(ブラッドリー・クーパー)とトレビノ捜査官(マイケル・ペーニャ)のもと、緻密な捜査網が敷かれ、“運び屋”の行動が明らかになっていきます。
捜査の手が伸びていることを知ったアールでしたが、組織の内紛によって厳しい監視がつく中、運び屋としての仕事を続けますが、そんなアールのケータイに、妻メアリー(ダイアン・ウィースト)の病状の悪化と危篤の電話が入ります。
“デイリリー”は学名をヘメロカリス。アジア原産の多年草で、赤やピンク、白、オレンジなどの美しい花を咲かせます。
英語名のデイリリーは文字通り一日しか花が開かないことから、その名がつけられたと思われ、その花をアールがこよなく愛している、心優しい園芸家であると同時に、臆することなく麻薬組織のボスとも友人のように付き合う一風変わった個性の持ち主のアール・ストーン。
映画「運び屋」はユニークな個性を持ったひとりの男のドラマであるといえます。
たとえば、こんなシーンがあります。
ハイウェーで“仕事”の途中、パンクをして途方に暮れている黒人の男女がいます。二人はパンクの直し方が分からず、男性はスマートフォンを片手にさかんに誰かと交信をしようとしているらしいのですが、電波が届かない。
アールは二人に近寄り、修理をしてやろうとします。
そのときアールは独り言で「おれはニグロのパンクを…」
悪気でつぶやいたわけでもないのですが、その言葉を聞きとがめた男はサングラスをはずし、こう言います。
「いまはそんな言葉を使っちゃいけないんだ」
アールは応えます。「ふうん、そうなのか」
とかく老人というのは頑迷固陋(がんめいころう)で、自分の主張を、いいも悪いもなく押し通そうとしますが、時代にズレているアールの生活感覚と、間違いを指摘されて気色ばむこともなく、ああ、そうなのか、とそのまま聞き入れる精神の柔軟さ。
これが90歳近い老人であるところに不思議な心の高まりを感じます。
なんでもないシーンですが、アール・ストーンのユニークな人間性はいくつかのエピソードの中で描かれていって、アールの監視役として、いつもアールに反発していた若いギャングのフリオ(イグナシオ・セリッチオ)に対してアールはこんなことを言います。
「こんなことをいつまでも続けていたらダメだ。アシを洗ったらどうだ」
「勝手なことを言うな。おれはラトンに拾われてここまでになったんだ」
…そうか、悪かったな。そうやってアールは引き下がります。
エンターテインメントとシリアスな人間ドラマを織り交ぜた「運び屋」の主要なテーマを色濃く表しているのが、後半からラストにかけてでしょう。
ハイウェーで妻の危篤を知ったアールは、大量のヘロインを運んでいる最中であり、組織の監視に付きまとわれている身として、そのまま仕事を放り出して病院へ駆けつければ殺されてしまうことは分かり切っています。絶体絶命の中、アール・ストーンはハイウェーを去り、妻の死を看取ることを決意します。
監督・主演のクリント・イーストウッドは、これが自身39本目の監督作品。
「恐怖のメロディ」(1971年)、「アイガー・サンクション」(1975年)、「ガントレット」(1977年)、などいくつか面白い映画もありましたが、全体としてイーストウッド監督作品は、暗く、重い印象のほうが強くて、監督はしないほうがいいんじゃないかなあ、などと思ったりしましたが、おそらく、そういった過去の失敗作やB級としての評価しか受けなかった映画を作り続けた中で磨かれてきた感性が花開いたのが、第65回アカデミー賞の作品賞に輝いた「許されざる者」(1992年)の快挙だったのでしょう。
役柄のアール・ストーンとは、ほぼ同年齢のイーストウッドは老いを恥じることなく、年齢なんか関係ない、と言わんばかりですが、むしろここでは、見放すがごとくほったらかしにしてきた家族に対する反省と悔恨の心情が湧き出る泉のように溢れていて、それがベイツ捜査官や、死の床にある妻との会話の中でじっくりと語られ、イーストウッド自身の半生と重なって深みのある映画となっているのでしょう(売れない時代に陰で支えてくれた最初の妻マギーをないがしろにして、若い愛人と戯れるイーストウッドの写真や記事が、当時の映画雑誌をにぎわせていましたしね)。
妻のメアリーを演じたダイアン・ウィーストも良かったなあ。
ウディ・アレンが監督した傑作コメディ「ハンナとその姉妹」(1986年)でアカデミー賞助演女優賞を受賞した次女の印象も強いですが、ティム・バートンの「シザーハンズ」(1990年)の化粧品のセールスの場面が特によかった。ドアのチャイムを鳴らして、出て来た相手に、にこやかな顔で自分の頬をこする仕草をしながら「エイボン化粧品です」。
この場面が特に良かった。
「運び屋」では、家庭を顧みない夫に愛想を尽かしながらも、心の深いところでやっぱり夫とつながっている、妻として傷つきながら、穏やかな表情を絶やさない妻メアリーは絶品。
ベイツ捜査官らの上司、主任特別捜査官にローレンス・フィッシュバーン。
組織のボス、ラトンにアンディ・ガルシアなど、脇をガッチリと固めた布陣も素晴らしく、熟成されてますます深みと味わいを増したクリント・イーストウッド円熟の一作。
監督クリント・イーストウッド
脚本ニック・シェンク
音楽アルトゥロ・サンドバル
撮影イブ・ベランジェ
〈キャスト〉
クリント・イーストウッド ブラッドリー・クーパー
ダイアン・ウィースト アンディ・ガルシア
「運び屋」という題名から、宅配業者か、引っ越し屋さんの話かと思ったら、ヒョンなことから麻薬組織に関わった男の話で、それも、90歳という高齢でヘロインの“運び屋”をすることになった男の実話をもとに、仕事、家族、老い、人生の意義といった普遍的なテーマを追求したクリント・イーストウッド監督・主演による、心に染み込む佳作。
“デイリリー”の栽培を手掛け、園芸家として名を馳(は)せて仕事一筋に打ち込んできたアール・ストーン(クリント・イーストウッド)でしたが、インターネットの普及とともにネット販売による打撃を受け、家は差し押さえられて経済的困窮に陥ります。
家族を顧(かえり)みずに仕事一筋に生きてきた結果が仇(あだ)となって、娘の結婚パーティーからも締め出しをくったアールでしたが、そこで、一人の男に声をかけられます。
「いい仕事があるんだ、やってみないか?」
それは簡単な仕事で、自分のオンボロトラックでハイウェーを走り、ある品物を届けるだけ。
無事故無違反を誇るアールは気楽にその仕事を引き受け、指定の場所に品物を届けて車に戻ってみると、仕事の報酬として誰かが置いていった封筒の中に厚い札束が入っている。
大金を受け取ったアールは、家を買い戻し、資金不足で活動が危ぶまれていた退役軍人会を復活させます。
“運び屋”の仕事は続き、二度、三度と重ねるうちに運ぶ品物の量は増え、それにつれてアールの報酬も上がり、オンボロトラックを新車に替えたアールでしたが、品物を運ぶ途中、偶然にそれが大量のヘロインであることを知ります。
犯罪の泥沼に足を踏み込んでいたことを知ったアール。しかし、目の前にチラつく大金と、朝鮮戦争の経験もあって怖いもの知らずのアールは、組織の中で一目置かれる存在となって麻薬組織のボス、ラトン(アンディ・ガルシア)の屋敷に招待され、美女を集めた豪華なパーティーにも招かれるようになります。
一方、麻薬組織撲滅に執念を燃やすベイツ捜査官(ブラッドリー・クーパー)とトレビノ捜査官(マイケル・ペーニャ)のもと、緻密な捜査網が敷かれ、“運び屋”の行動が明らかになっていきます。
捜査の手が伸びていることを知ったアールでしたが、組織の内紛によって厳しい監視がつく中、運び屋としての仕事を続けますが、そんなアールのケータイに、妻メアリー(ダイアン・ウィースト)の病状の悪化と危篤の電話が入ります。
“デイリリー”は学名をヘメロカリス。アジア原産の多年草で、赤やピンク、白、オレンジなどの美しい花を咲かせます。
英語名のデイリリーは文字通り一日しか花が開かないことから、その名がつけられたと思われ、その花をアールがこよなく愛している、心優しい園芸家であると同時に、臆することなく麻薬組織のボスとも友人のように付き合う一風変わった個性の持ち主のアール・ストーン。
映画「運び屋」はユニークな個性を持ったひとりの男のドラマであるといえます。
たとえば、こんなシーンがあります。
ハイウェーで“仕事”の途中、パンクをして途方に暮れている黒人の男女がいます。二人はパンクの直し方が分からず、男性はスマートフォンを片手にさかんに誰かと交信をしようとしているらしいのですが、電波が届かない。
アールは二人に近寄り、修理をしてやろうとします。
そのときアールは独り言で「おれはニグロのパンクを…」
悪気でつぶやいたわけでもないのですが、その言葉を聞きとがめた男はサングラスをはずし、こう言います。
「いまはそんな言葉を使っちゃいけないんだ」
アールは応えます。「ふうん、そうなのか」
とかく老人というのは頑迷固陋(がんめいころう)で、自分の主張を、いいも悪いもなく押し通そうとしますが、時代にズレているアールの生活感覚と、間違いを指摘されて気色ばむこともなく、ああ、そうなのか、とそのまま聞き入れる精神の柔軟さ。
これが90歳近い老人であるところに不思議な心の高まりを感じます。
なんでもないシーンですが、アール・ストーンのユニークな人間性はいくつかのエピソードの中で描かれていって、アールの監視役として、いつもアールに反発していた若いギャングのフリオ(イグナシオ・セリッチオ)に対してアールはこんなことを言います。
「こんなことをいつまでも続けていたらダメだ。アシを洗ったらどうだ」
「勝手なことを言うな。おれはラトンに拾われてここまでになったんだ」
…そうか、悪かったな。そうやってアールは引き下がります。
エンターテインメントとシリアスな人間ドラマを織り交ぜた「運び屋」の主要なテーマを色濃く表しているのが、後半からラストにかけてでしょう。
ハイウェーで妻の危篤を知ったアールは、大量のヘロインを運んでいる最中であり、組織の監視に付きまとわれている身として、そのまま仕事を放り出して病院へ駆けつければ殺されてしまうことは分かり切っています。絶体絶命の中、アール・ストーンはハイウェーを去り、妻の死を看取ることを決意します。
監督・主演のクリント・イーストウッドは、これが自身39本目の監督作品。
「恐怖のメロディ」(1971年)、「アイガー・サンクション」(1975年)、「ガントレット」(1977年)、などいくつか面白い映画もありましたが、全体としてイーストウッド監督作品は、暗く、重い印象のほうが強くて、監督はしないほうがいいんじゃないかなあ、などと思ったりしましたが、おそらく、そういった過去の失敗作やB級としての評価しか受けなかった映画を作り続けた中で磨かれてきた感性が花開いたのが、第65回アカデミー賞の作品賞に輝いた「許されざる者」(1992年)の快挙だったのでしょう。
役柄のアール・ストーンとは、ほぼ同年齢のイーストウッドは老いを恥じることなく、年齢なんか関係ない、と言わんばかりですが、むしろここでは、見放すがごとくほったらかしにしてきた家族に対する反省と悔恨の心情が湧き出る泉のように溢れていて、それがベイツ捜査官や、死の床にある妻との会話の中でじっくりと語られ、イーストウッド自身の半生と重なって深みのある映画となっているのでしょう(売れない時代に陰で支えてくれた最初の妻マギーをないがしろにして、若い愛人と戯れるイーストウッドの写真や記事が、当時の映画雑誌をにぎわせていましたしね)。
妻のメアリーを演じたダイアン・ウィーストも良かったなあ。
ウディ・アレンが監督した傑作コメディ「ハンナとその姉妹」(1986年)でアカデミー賞助演女優賞を受賞した次女の印象も強いですが、ティム・バートンの「シザーハンズ」(1990年)の化粧品のセールスの場面が特によかった。ドアのチャイムを鳴らして、出て来た相手に、にこやかな顔で自分の頬をこする仕草をしながら「エイボン化粧品です」。
この場面が特に良かった。
「運び屋」では、家庭を顧みない夫に愛想を尽かしながらも、心の深いところでやっぱり夫とつながっている、妻として傷つきながら、穏やかな表情を絶やさない妻メアリーは絶品。
ベイツ捜査官らの上司、主任特別捜査官にローレンス・フィッシュバーン。
組織のボス、ラトンにアンディ・ガルシアなど、脇をガッチリと固めた布陣も素晴らしく、熟成されてますます深みと味わいを増したクリント・イーストウッド円熟の一作。
2020年11月21日
映画「恐怖の報酬」1977年版 吼えるトラック、命を懸けた男たちの報酬とは
「恐怖の報酬」
(Sorcerer ) 1977年アメリカ
監督ウィリアム・フリードキン
脚本ウォロン・グリーン
音楽タンジェリン・ドリーム
キース・ジャレット
原作ジョルジュ・アルノー
撮影ジョン・M・スティーブンス
〈キャスト〉
ロイ・シャイダー ブリュノ・クレメール
フランシスコ・ラバル アミドウ
私の映画好きの原点になったのが、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督のフランス映画「恐怖の報酬」(1953年)で、これは当時小学校五年生くらいのころにテレビで放映されていたのを見た覚えがあります(しかも朝の番組)。
ニトロをトラックで運ぶ男たちの話で、その背景となったいきさつはよく分かりませんでしたが、全体を貫く緊張感と、時折り見せるユーモア(二人並んで立ちションをする場面は妙に印象的)、その中でも、油が溜まって沼のようになった道を必死に通り抜けようとする二人の男。
滑るタイヤの下で一人の足が下敷きになり、悲鳴の中でそれを乗り越えてトラックを前進させる鬼気迫る迫力は圧倒的で、映画ファンとなるキッカケを作ってくれた傑作でした。
クルーゾー監督版「恐怖の報酬」からおよそ24年後に撮られたウィリアム・フリードキン監督による「恐怖の報酬」は、クルーゾー監督版のリメイクです。
簡単にあらすじを追ってゆくと。
殺し屋ニーロ(フランシスコ・ラバル)と、莫大な負債を抱えてフランスから逃亡した銀行員セラーノ(ブリュノ・クレメール)、強盗の末に組織から追われる羽目になったドミンゲス(ロイ・シャイダー)、テロの実行犯で逮捕を逃れたカッセム(アミドウ)たちは、事情が異なりながらも祖国から離れ、吹き溜まりのような南米の村に身を潜めて暮らしています。
故国に帰って元の生活に戻りたいと切望しますが、金は無く、社会の目を逃れている立場としては思うように身動きがとれません。
とにかく金さえ手に入ればなんとかなる、そんな彼らの前に、遠く離れた油井での爆発事故が発生します。
大爆発とともに発生した火災を消すためには爆風によるしかないと専門家は判断。
ニトログリセリンの威力を借りて火災を消すことになりますが、遠く離れた油井まで、少しの振動でも爆発するような危険なニトロをどうやって運ぶのか。
空からの輸送も考えられましたが、乱気流に巻き込まれる恐れがあると、その意見は却下され、トラックで運ぶことに決定します。
しかし問題は人選で、まかり間違えば一瞬で自分たちが吹き飛んでしまうような恐怖の輸送です。
それでも、高額な報酬とあって何人かが募集に応じて運転の腕前を試された結果、残ったのは、ドミンゲス、ニーロ、カッセム、セラーノの4人。
4トンほどのボロボロのトラック2台に二人一組となって乗り込み、悪路と悪天候の待ち受ける長い道のりを進むことになります。
息を飲むスリルと悪臭も漂ってきそうな南米の村の情景、命を懸けた男たちが挑む、狂気すら孕(はら)んだ死に物狂いの戦い。
「フレンチ・コネクション」(1971年)、「エクソシスト」(1973年)で鬼才と評されたウィリアム・フリードキンが、オレはこういう映画を作りたいんだ! と全霊を込めて作り上げたような作品でしたが、封切り当時は見事に惨敗。
惨敗の理由はなんとなく分かるような気がします。
クルーゾー版「恐怖の報酬」のリメイクということで、どうしてもそちらと比較されてしまいます。これはリメイクの宿命なので仕方がないのですが、サスペンスと同時に当時の社会状況、そこに生きる人間たちのドラマを重厚に扱った53年版と比較して、サスペンス一辺倒で押しまくったフリードキン版「恐怖の報酬」の評価が下がるのはもっともなことです。
それに前半の、それぞれの背景を持った4人が南米へ落ち延びる過程が長過ぎて、ひとつひとつのエピソードは面白いのですが、セリフを極力排しているためか説明不足になっていて、現金強盗の失敗で追われる身となるロイ・シャイダー以外の3人の背景が分かりにくい。
オリジナル完全版は2時間を超えていますが、封切り当時の上映時間が90分ほどとなったのは前半をかなりカットしたためだと思われます。
「大脱走」(1963年)のダイジェスト版(テレビ放映)が、殿様の膳に供された“目黒のサンマ”のように脂っ気を抜かれて味わいのないものであったように、2時間を超える大作をズタズタに切ってしまったのでは惨敗するのが当たり前。
フリードキンの作品として最も好きな「L.A.大走査線/ 狼たちの街」を何度も繰り返して見ているフリードキンファンの私として感じることは、リメイク版「恐怖の報酬」はウィリアム・フリードキンの力量が存分に発揮された映画であるということです。
クルーゾー版「恐怖の報酬」と比較するのは意味のないことです。
前半が説明不足でやけに長い。これも置いておきましょう。
後に公開されたフランシス・F・コッポラの「地獄の黙示録」(1979年)の、むせかえるようなジャングル、アラン・パーカーの「エンゼル・ハート」(1987年)における猥雑なニューヨークやニュー・オーリンズの湿度感。そういった、映画の背景に塗り込められた、巨匠たちが生み出したリアリズムがフリードキン版「恐怖の報酬」には満ちています。
それだけではなく、映画のハイライトと呼んでもいいような、暴風雨の吹き荒れる朽ちた吊り橋をトラックで渡り切ろうとする緊張感と迫力は圧巻。トラックがまるで巨大な猛獣のごとく咆哮しながら、のたうつようにジリジリと進む場面は、まさに最大の見せ場といってもよく、数ある映画の中でも最高にスリリングなシーンのひとつといえます。
主演は「フレンチ・コネクション」(1971年)、「ジョーズ」(1975年)、「2010年」(1984年)などのロイ・シャイダー。
元銀行家のセラーノにフランス俳優ブリュノ・クレメール。
殺し屋ニーロに「太陽はひとりぼっち」(1962年)、「昼顔」(1967年)、そして1984年の「無垢なる聖者」でカンヌ国際映画祭主演男優賞を受賞したフランシスコ・ラバル。
原題は「Sorcerer」(魔術師)。
映画の内容からすれば「魔術師」という題名はピンときませんが、数々の難関を切り抜けて成功する一連の行動が魔術師のようだということでしょうか。
それはさておき、映画の最後に「アンリ=ジョルジュ・クルーゾーに捧げる」と流れたように、クルーゾー版「恐怖の報酬」を念頭に置きながら、サスペンスを存分に盛り込んだフリードキン版「恐怖の報酬」は娯楽映画の醍醐味を十二分に味わえるものだといえます。
監督ウィリアム・フリードキン
脚本ウォロン・グリーン
音楽タンジェリン・ドリーム
キース・ジャレット
原作ジョルジュ・アルノー
撮影ジョン・M・スティーブンス
〈キャスト〉
ロイ・シャイダー ブリュノ・クレメール
フランシスコ・ラバル アミドウ
私の映画好きの原点になったのが、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督のフランス映画「恐怖の報酬」(1953年)で、これは当時小学校五年生くらいのころにテレビで放映されていたのを見た覚えがあります(しかも朝の番組)。
ニトロをトラックで運ぶ男たちの話で、その背景となったいきさつはよく分かりませんでしたが、全体を貫く緊張感と、時折り見せるユーモア(二人並んで立ちションをする場面は妙に印象的)、その中でも、油が溜まって沼のようになった道を必死に通り抜けようとする二人の男。
滑るタイヤの下で一人の足が下敷きになり、悲鳴の中でそれを乗り越えてトラックを前進させる鬼気迫る迫力は圧倒的で、映画ファンとなるキッカケを作ってくれた傑作でした。
クルーゾー監督版「恐怖の報酬」からおよそ24年後に撮られたウィリアム・フリードキン監督による「恐怖の報酬」は、クルーゾー監督版のリメイクです。
簡単にあらすじを追ってゆくと。
殺し屋ニーロ(フランシスコ・ラバル)と、莫大な負債を抱えてフランスから逃亡した銀行員セラーノ(ブリュノ・クレメール)、強盗の末に組織から追われる羽目になったドミンゲス(ロイ・シャイダー)、テロの実行犯で逮捕を逃れたカッセム(アミドウ)たちは、事情が異なりながらも祖国から離れ、吹き溜まりのような南米の村に身を潜めて暮らしています。
故国に帰って元の生活に戻りたいと切望しますが、金は無く、社会の目を逃れている立場としては思うように身動きがとれません。
とにかく金さえ手に入ればなんとかなる、そんな彼らの前に、遠く離れた油井での爆発事故が発生します。
大爆発とともに発生した火災を消すためには爆風によるしかないと専門家は判断。
ニトログリセリンの威力を借りて火災を消すことになりますが、遠く離れた油井まで、少しの振動でも爆発するような危険なニトロをどうやって運ぶのか。
空からの輸送も考えられましたが、乱気流に巻き込まれる恐れがあると、その意見は却下され、トラックで運ぶことに決定します。
しかし問題は人選で、まかり間違えば一瞬で自分たちが吹き飛んでしまうような恐怖の輸送です。
それでも、高額な報酬とあって何人かが募集に応じて運転の腕前を試された結果、残ったのは、ドミンゲス、ニーロ、カッセム、セラーノの4人。
4トンほどのボロボロのトラック2台に二人一組となって乗り込み、悪路と悪天候の待ち受ける長い道のりを進むことになります。
息を飲むスリルと悪臭も漂ってきそうな南米の村の情景、命を懸けた男たちが挑む、狂気すら孕(はら)んだ死に物狂いの戦い。
「フレンチ・コネクション」(1971年)、「エクソシスト」(1973年)で鬼才と評されたウィリアム・フリードキンが、オレはこういう映画を作りたいんだ! と全霊を込めて作り上げたような作品でしたが、封切り当時は見事に惨敗。
惨敗の理由はなんとなく分かるような気がします。
クルーゾー版「恐怖の報酬」のリメイクということで、どうしてもそちらと比較されてしまいます。これはリメイクの宿命なので仕方がないのですが、サスペンスと同時に当時の社会状況、そこに生きる人間たちのドラマを重厚に扱った53年版と比較して、サスペンス一辺倒で押しまくったフリードキン版「恐怖の報酬」の評価が下がるのはもっともなことです。
それに前半の、それぞれの背景を持った4人が南米へ落ち延びる過程が長過ぎて、ひとつひとつのエピソードは面白いのですが、セリフを極力排しているためか説明不足になっていて、現金強盗の失敗で追われる身となるロイ・シャイダー以外の3人の背景が分かりにくい。
オリジナル完全版は2時間を超えていますが、封切り当時の上映時間が90分ほどとなったのは前半をかなりカットしたためだと思われます。
「大脱走」(1963年)のダイジェスト版(テレビ放映)が、殿様の膳に供された“目黒のサンマ”のように脂っ気を抜かれて味わいのないものであったように、2時間を超える大作をズタズタに切ってしまったのでは惨敗するのが当たり前。
フリードキンの作品として最も好きな「L.A.大走査線/ 狼たちの街」を何度も繰り返して見ているフリードキンファンの私として感じることは、リメイク版「恐怖の報酬」はウィリアム・フリードキンの力量が存分に発揮された映画であるということです。
クルーゾー版「恐怖の報酬」と比較するのは意味のないことです。
前半が説明不足でやけに長い。これも置いておきましょう。
後に公開されたフランシス・F・コッポラの「地獄の黙示録」(1979年)の、むせかえるようなジャングル、アラン・パーカーの「エンゼル・ハート」(1987年)における猥雑なニューヨークやニュー・オーリンズの湿度感。そういった、映画の背景に塗り込められた、巨匠たちが生み出したリアリズムがフリードキン版「恐怖の報酬」には満ちています。
それだけではなく、映画のハイライトと呼んでもいいような、暴風雨の吹き荒れる朽ちた吊り橋をトラックで渡り切ろうとする緊張感と迫力は圧巻。トラックがまるで巨大な猛獣のごとく咆哮しながら、のたうつようにジリジリと進む場面は、まさに最大の見せ場といってもよく、数ある映画の中でも最高にスリリングなシーンのひとつといえます。
主演は「フレンチ・コネクション」(1971年)、「ジョーズ」(1975年)、「2010年」(1984年)などのロイ・シャイダー。
元銀行家のセラーノにフランス俳優ブリュノ・クレメール。
殺し屋ニーロに「太陽はひとりぼっち」(1962年)、「昼顔」(1967年)、そして1984年の「無垢なる聖者」でカンヌ国際映画祭主演男優賞を受賞したフランシスコ・ラバル。
原題は「Sorcerer」(魔術師)。
映画の内容からすれば「魔術師」という題名はピンときませんが、数々の難関を切り抜けて成功する一連の行動が魔術師のようだということでしょうか。
それはさておき、映画の最後に「アンリ=ジョルジュ・クルーゾーに捧げる」と流れたように、クルーゾー版「恐怖の報酬」を念頭に置きながら、サスペンスを存分に盛り込んだフリードキン版「恐怖の報酬」は娯楽映画の醍醐味を十二分に味わえるものだといえます。
2020年10月09日
映画「地獄の戦場」名匠ルイス・マイルストン隠れた戦争映画の傑作
「地獄の戦場」
(Halls of Montezuma)
1950年 アメリカ
監督ルイス・マイルストン
脚本マイケル・ブランクフォート
撮影ウィントンC・ホック
ハリー・ジャクソン
〈キャスト〉
リチャード・ウィドマーク カール・マルデン
ジャック・パランス ロバート・ワグナー
第二次世界大戦において太平洋を主戦場とした日本軍対アメリカ軍(アメリカ海兵隊)の攻防を描いた傑作。
太平洋の島々をめぐる攻防を描いた映画は数多く作られてきました。それだけ凄惨な戦いが繰り広げられ、様々なドラマや悲劇が存在してきたといえます。
映画「地獄の戦場」は舞台である島の名称をあきらかにしていません。
テレンス・マリック監督の「シン・レッド・ライン」などのように、歴史的事実の再現というよりは、戦場に投げ込まれた兵士たちの生と死の苦悩を描いたドラマということができるでしょう。
原題は「モンテズマの玄関(広間)」。
モンテズマはアメリカ合衆国のコロラド州にある郡のひとつで、歴史は古く、千数百年以前から人間が居住していたようですが、数多くの混乱のために荒廃を極め、19世紀になって再び開拓が進んで今に至っているようですので、そのあたりの経緯から付けられた題名ではなかろうかと思います(違っているかもしれません)。
アンダーソン少尉(リチャード・ウィドマーク)率いるB中隊は、ガダルカナル、オタワなどの激戦を戦い抜いてきましたが、数々の戦場の恐怖からアンダーソンは片頭痛に悩まされています。
そんな中アメリカ軍は、日本軍が陣地を築いている島への上陸と基地の攻撃を命じられます。
元高校教師のアンダーソンには、かつての教え子のコンロイ(リチャード・ハイルトン)も部下として配属されており、コンロイもまた戦場の恐怖に脅かされています。
やがてB中隊を含む海軍は島への上陸を決行。
日本軍が陣取るトーチカからの猛攻撃を受けたアンダーソンは戦車部隊を要請。揚陸艇からシャーマンが送り込まれます。
火力にすぐれたシャーマンの火炎放射によって日本軍の攻撃はいったん収まり、B中隊は島の内陸へ進撃を開始しますが、そこへ襲い掛かったのは日本軍にはあると思われていなかったロケット砲による攻撃の嵐でした。
ロケット砲にさらされたアメリカ軍は、ギルフィラン中佐(リチャード・ブーン)を中心に対策を講じますが、ロケット砲の発射基地を皆目つかめず、焦りとあきらめが漂う中、日本軍の捕虜を獲得することに成功します。
監督は「西部戦線異状なし」(1930年)で、第一次世界大戦におけるドイツの若者たちの参戦の悲劇を描いて、第3回アカデミー賞最優秀作品賞と監督賞を受賞したルイス・マイルストン。
主役のアンダーソン少尉に「死の接吻」(1947年)で冷酷非情な殺し屋を演じて注目された個性派リチャード・ウィドマーク。
リチャード・ウィドマークはその後も「ワーロック」(1959年)、「アラモ」(1960年)、「西部開拓史」(1962年)などの西部劇でも重要な役を演じ、ドン・シーゲル監督の「刑事マディガン」(1968年)ではタフでありながら、上司の警察委員長のヘンリー・フォンダに頭の上がらない人間的魅力を持った刑事を好演。
酒好きだが戦場では頼りになるスラッテリーに「探偵物語」(1951年)、「キリマンジャロの雪」(1952年)、「ネバダ・スミス」(1966年)のバート・フリード。
元ボクサーのピジョンに、後の「シェーン」(1953年)で存在感のある悪役を演じたジャック・パランス。
そのピジョンを慕い、大物になって世間を見返そうとする“坊や”に「拳銃王」(1950年)、「封印された貨物」(1951年)のスキップ・オーマイヤー。
陽気で気のいいコフマンに「動く標的」(1966年)、「タワーリング・インフェルノ」(1974年)、「ミッドウェイ」(1976年)などのロバート・ワグナー。
負傷して失明するゼレンコ軍曹に「第十七捕虜収容所」(1953年)、「ハックルベリー・フィンの冒険」(1960年)、「トラ・トラ・トラ!」(1970年)、「死の追跡」(1973年)のネヴィル・ブランド。
そして、アンダーソンの親友で信仰心の厚いドクに、「欲望という名の電車」(1951年)、「波止場」(1954年)、「パットン大戦車軍団」(1970年)などの名優カール・マルデン。
さらに、ギルフィラン中佐には「聖衣」(1953年)、「アラモ」(1960年)、「ラスト・シューティスト」(1976年)のリチャード・ブーンといった一癖も二癖もある俳優陣がズラリと顔をそろえ、また、実際に戦争体験者も多く含まれていることから、破れて引き裂かれた軍服で行軍し、戦う姿などにも演技を超えたリアリティーが生み出されています。
ただ、そういった傑作でありながらも、ところどころ挿入される実写フィルムには少し違和感があり、むしろ実写フィルムは使わなくてもよかったのでは、とも思いました。
日本でも、当時の東映の戦争映画などで実写を混在させたりしていましたが、実写と作り物の差が歴然とするためにシラケてしまうことがよくありました。
また、あきらかに香港あたりの日本語を話す中国人俳優を連れてきたと思われるヘンなアクセントで話す日本兵にはいささか辟易とさせられ、どうしてホンモノの日本人俳優を使わなかったのかと思いましたが、製作が終戦間もない1950年(昭和25年)であってみれば、敗戦国で敵国であった日本人を使えなかったのかもしれませんし、ニッポンとしても敵国であったアメリカの映画に出演することを潔(いさぎよ)しとしなかったのかもしれません。
「戦場にかける橋」(1957年)でも、斎藤大佐の早川雪州や三浦中尉の勝本圭一郎以外の日本兵のエキストラには、ヘンな日本語をしゃべる怪しい日本兵がたくさん混じっていましたしね。
命令一下、バタバタと倒れる味方の屍を超えて進もうとするも、頑強な敵の猛攻の前に屈しながら、なおも進路確保のために凄惨な戦いを余儀なくされる。
この状況設定は、後のテレビ「コンバット」の中の傑作“丘を血に染めて”でも兵士たちの苦悩が描かれたように、戦争の悲惨さがよく伝わってきます。
「地獄の戦場」という改題が示すように、戦場のリアルさを描いたものであると同時に、兵士一人ひとりの心の動きなども追いながら、人間はいかに生きるべきかを問いかけた傑作です。
1950年 アメリカ
監督ルイス・マイルストン
脚本マイケル・ブランクフォート
撮影ウィントンC・ホック
ハリー・ジャクソン
〈キャスト〉
リチャード・ウィドマーク カール・マルデン
ジャック・パランス ロバート・ワグナー
第二次世界大戦において太平洋を主戦場とした日本軍対アメリカ軍(アメリカ海兵隊)の攻防を描いた傑作。
太平洋の島々をめぐる攻防を描いた映画は数多く作られてきました。それだけ凄惨な戦いが繰り広げられ、様々なドラマや悲劇が存在してきたといえます。
映画「地獄の戦場」は舞台である島の名称をあきらかにしていません。
テレンス・マリック監督の「シン・レッド・ライン」などのように、歴史的事実の再現というよりは、戦場に投げ込まれた兵士たちの生と死の苦悩を描いたドラマということができるでしょう。
原題は「モンテズマの玄関(広間)」。
モンテズマはアメリカ合衆国のコロラド州にある郡のひとつで、歴史は古く、千数百年以前から人間が居住していたようですが、数多くの混乱のために荒廃を極め、19世紀になって再び開拓が進んで今に至っているようですので、そのあたりの経緯から付けられた題名ではなかろうかと思います(違っているかもしれません)。
アンダーソン少尉(リチャード・ウィドマーク)率いるB中隊は、ガダルカナル、オタワなどの激戦を戦い抜いてきましたが、数々の戦場の恐怖からアンダーソンは片頭痛に悩まされています。
そんな中アメリカ軍は、日本軍が陣地を築いている島への上陸と基地の攻撃を命じられます。
元高校教師のアンダーソンには、かつての教え子のコンロイ(リチャード・ハイルトン)も部下として配属されており、コンロイもまた戦場の恐怖に脅かされています。
やがてB中隊を含む海軍は島への上陸を決行。
日本軍が陣取るトーチカからの猛攻撃を受けたアンダーソンは戦車部隊を要請。揚陸艇からシャーマンが送り込まれます。
火力にすぐれたシャーマンの火炎放射によって日本軍の攻撃はいったん収まり、B中隊は島の内陸へ進撃を開始しますが、そこへ襲い掛かったのは日本軍にはあると思われていなかったロケット砲による攻撃の嵐でした。
ロケット砲にさらされたアメリカ軍は、ギルフィラン中佐(リチャード・ブーン)を中心に対策を講じますが、ロケット砲の発射基地を皆目つかめず、焦りとあきらめが漂う中、日本軍の捕虜を獲得することに成功します。
監督は「西部戦線異状なし」(1930年)で、第一次世界大戦におけるドイツの若者たちの参戦の悲劇を描いて、第3回アカデミー賞最優秀作品賞と監督賞を受賞したルイス・マイルストン。
主役のアンダーソン少尉に「死の接吻」(1947年)で冷酷非情な殺し屋を演じて注目された個性派リチャード・ウィドマーク。
リチャード・ウィドマークはその後も「ワーロック」(1959年)、「アラモ」(1960年)、「西部開拓史」(1962年)などの西部劇でも重要な役を演じ、ドン・シーゲル監督の「刑事マディガン」(1968年)ではタフでありながら、上司の警察委員長のヘンリー・フォンダに頭の上がらない人間的魅力を持った刑事を好演。
酒好きだが戦場では頼りになるスラッテリーに「探偵物語」(1951年)、「キリマンジャロの雪」(1952年)、「ネバダ・スミス」(1966年)のバート・フリード。
元ボクサーのピジョンに、後の「シェーン」(1953年)で存在感のある悪役を演じたジャック・パランス。
そのピジョンを慕い、大物になって世間を見返そうとする“坊や”に「拳銃王」(1950年)、「封印された貨物」(1951年)のスキップ・オーマイヤー。
陽気で気のいいコフマンに「動く標的」(1966年)、「タワーリング・インフェルノ」(1974年)、「ミッドウェイ」(1976年)などのロバート・ワグナー。
負傷して失明するゼレンコ軍曹に「第十七捕虜収容所」(1953年)、「ハックルベリー・フィンの冒険」(1960年)、「トラ・トラ・トラ!」(1970年)、「死の追跡」(1973年)のネヴィル・ブランド。
そして、アンダーソンの親友で信仰心の厚いドクに、「欲望という名の電車」(1951年)、「波止場」(1954年)、「パットン大戦車軍団」(1970年)などの名優カール・マルデン。
さらに、ギルフィラン中佐には「聖衣」(1953年)、「アラモ」(1960年)、「ラスト・シューティスト」(1976年)のリチャード・ブーンといった一癖も二癖もある俳優陣がズラリと顔をそろえ、また、実際に戦争体験者も多く含まれていることから、破れて引き裂かれた軍服で行軍し、戦う姿などにも演技を超えたリアリティーが生み出されています。
ただ、そういった傑作でありながらも、ところどころ挿入される実写フィルムには少し違和感があり、むしろ実写フィルムは使わなくてもよかったのでは、とも思いました。
日本でも、当時の東映の戦争映画などで実写を混在させたりしていましたが、実写と作り物の差が歴然とするためにシラケてしまうことがよくありました。
また、あきらかに香港あたりの日本語を話す中国人俳優を連れてきたと思われるヘンなアクセントで話す日本兵にはいささか辟易とさせられ、どうしてホンモノの日本人俳優を使わなかったのかと思いましたが、製作が終戦間もない1950年(昭和25年)であってみれば、敗戦国で敵国であった日本人を使えなかったのかもしれませんし、ニッポンとしても敵国であったアメリカの映画に出演することを潔(いさぎよ)しとしなかったのかもしれません。
「戦場にかける橋」(1957年)でも、斎藤大佐の早川雪州や三浦中尉の勝本圭一郎以外の日本兵のエキストラには、ヘンな日本語をしゃべる怪しい日本兵がたくさん混じっていましたしね。
命令一下、バタバタと倒れる味方の屍を超えて進もうとするも、頑強な敵の猛攻の前に屈しながら、なおも進路確保のために凄惨な戦いを余儀なくされる。
この状況設定は、後のテレビ「コンバット」の中の傑作“丘を血に染めて”でも兵士たちの苦悩が描かれたように、戦争の悲惨さがよく伝わってきます。
「地獄の戦場」という改題が示すように、戦場のリアルさを描いたものであると同時に、兵士一人ひとりの心の動きなども追いながら、人間はいかに生きるべきかを問いかけた傑作です。
2020年06月29日
映画「伊豆の踊子」山口百恵主演で6度目の映画化 あらためて見ると、かなりしっかりしています
「伊豆の踊子」
1974年(昭和49年) 東宝
監督 西河克己
脚本 若杉光夫
原作 川端康成
撮影 萩原憲治
〈キャスト〉
山口百恵 三浦友和 中山仁
佐藤友美 一の宮あつ子
ノーベル賞作家川端康成の同名小説の映画化で、サイレント時代の五所平之助監督、田中絹代主演のものを含めると6度目の映画化。
監督の西河克己は、前作「伊豆の踊子」(1963年、昭和38年)でもメガホンをとっており、11年ぶりの自身の監督によるリメイク。
小説「伊豆の踊子」は一高時代の康成自身の体験による旅芸人たちとの出会いと別れを、深い憂愁と抒情性の中に描き出した名作で、映画では可憐な踊子と主人公である〈私〉との切ないラブストーリーに主眼が置かれていて、それは映画という興業性の持つ宿命で仕方のないところですが、三浦友和の好演と、一の宮あつ子、中山仁、浦辺粂子などの脇役陣がしっかりしているせいか、山口百恵というアイドルスターを見るだけの映画とはひと味違ったものになっています。
大正7年(1918年)。
20歳の〈私〉(三浦友和)は、伊豆から下田までの気ままな一人旅。
湯ヶ島温泉へ二泊した、その二日目の夜に旅芸人の一行が旅館へ流しにきて、玄関の板敷で踊る踊子(山口百恵)の可憐な姿に惹かれた〈私〉は、もう一度彼らと会えることを期待しながら旅を続けます。
その後の旅の途中、天城峠へ向かう山道で突然の雨に襲われた〈私〉は峠の茶屋に飛び込み、そこで休んでいた旅芸人たちと偶然に出会います。
芸人一行の唯一の男性である栄吉(中山仁)との何げない会話が縁となって、〈私〉と彼らは下田までの道中を一緒に旅をすることになります。
踊子の薫は、孤独とやさしさを秘めた〈私〉に異性としての関心を示すようになり、また〈私〉も薫にほのかな恋心を抱くようになります。
しかし、そんな二人の初恋にも似た淡い恋は、大島へ渡る旅芸人一行と、勉強のため東京へ帰らなければならない〈私〉とは、育った若木が二つに枝分かれするように、別々の人生へと分かれてゆくことになります。
下田の港から出港した船の甲板にたたずんだ〈私〉は、遠ざかってゆく港から、さかんに白いハンカチを振る薫の姿を見つけ、蔑視と嘲(あざけ)りの中で生きてゆかなければならない薫の境遇を思い、また、いつかは汚されることになるであろう薫の純潔を暗示させながら映画は幕を閉じます。
ストーリーは特に難しいものではなく、さまざまなエピソードを積み重ねながら、〈私〉と踊子(薫)の下田港の別れへとつながっていきます。
前述したように、監督の西河克己は昭和38年(1963年)にも「伊豆の踊子」(主演・吉永小百合)を映画化していますが、これは原作を少し離れ、現代の視点で描こうとしたもので、川端康成の世界からズレてしまったような感がありました。
といって、悪い映画でもなく、主演の吉永小百合さんの踊子・薫は、原作の踊子のイメージを損なうことのない、純情と清潔感と生活の苦労を一週間ほど漬け込んで発酵させたような魅力があり、暗さや憂愁とは無縁の高橋英樹の〈私〉(映画では川崎)ということもあって、日活らしい爽やかで切なく、それはそれで面白い映画でした。
しかし、周囲から何か言われたのか、それとも、やはりこれではいかん、と思い直したのか、改めて東宝で作った今作の「伊豆の踊子」は、ひとつひとつのセリフなども、原作に忠実に従っています。
ほぼ原作に従っている山口百恵版「伊豆の踊子」ですが、映画では原作にはないエピソードをひとつ挿入しています。
飲み屋で働く幼馴染のおきみちゃん(石川さゆり)を薫が訪ねてゆくエピソードで、酌婦としての仕事は売春婦として稼がされることを意味しており、薫が訪ねた店にはおきみちゃんはおらず、どこへ行ったのだろうと案じた先に、おきみちゃんはあばら家で、おそらく結核だろうと思われる病に倒れ、死の床についている。
なんとなく「二十四の瞳」を思わせる切ないエピソードで、原作にはない話を挿入したことで、「あゝ野麦峠」的女性哀史の一コマを織り交ぜ、当時の時代背景、苦労を背負わされた女性たちの、やり場のない怒りと哀しみを描いています。
特に、おきみちゃんの死体を棺桶に入れ、誰も通らない早朝の川沿いの道を墓地へと運ぶ人足たちと、何も知らずに旅芸人たちの宿へ向かう〈私〉とを交叉させたシーンは、貧しさと苦労の中で人知れず死んでいった少女と、青春の光へ向かって進もうとする青年の、生と死の対照の一瞬を描いた見事な場面だと思います。
桜田淳子・森昌子・山口百恵の三人は「花の中三トリオ」として人気が高く、そのまま成長して「花の高一トリオ」などとして育っていきます。
歌手として群を抜いていた森昌子とは違い、山口百恵さんはお世辞にも歌がうまいとはいえなかったのですが、アイドル真っ盛りの時代で、そういう点では百恵さんの人気は高いものがあり、映画「伊豆の踊子」も、純粋に川端康成の世界を映画化するというより、アイドル山口百恵を表看板にしたアイドル路線の映画であったように思います。
封切り当時、私も映画館で観ましたが、大変な観客で、ただ、その背景には、観客動員のための仕掛けが施(ほどこ)されてありました。
原作にもあるのですが、踊子・薫が露天の浴場から全裸で飛び出してくる場面です。これは映画でもそのまま百恵さんが全裸で飛び出してくる。まさか、そんなことが、ホントかそれは? (そんなことはありません)
これは当時の週刊誌などでも盛んに話題になっていて、観客動員の多かった背景にはそんなこともあったのではないか、この推測はそれほど間違っていないと思います。初めてヘアが解禁になったジャン=ジャック・アノー監督の「愛人/ラマン」(1992年)も大変な観客でしたから(それまではガラガラの映画館だったのに)。
あらためて、山口百恵主演の「伊豆の踊子」を見ると、自然描写、時代背景、山口百恵さんの相手役として引っ張ってこられた三浦友和の、ややお坊ちゃん的ではあるが初々しい魅力、一の宮あつ子、中山仁のしっかりした演技、いまは懐かしい四代目三遊亭小円遊のいやらしい存在感、そういった枠組みがガッシリとしているせいか、最初見たころより、とてもよく出来た映画であるという印象を受けました。
ただ、残念だったのは、栄吉の女房の千代子を演じた佐藤友美さんがまったくパッとしなかったことで、この人はテレビドラマなんかで見ていたころ、美貌とやさしさと都会的な魅力を持ち、NHKの大河ドラマ「樅の木は残った」(1970年)では、若い侍を誘惑する肉感的な女性の魅力を存分に発揮していて、個人的にはとても好きな女優さんなのですが、「伊豆の踊子」ではまるで存在感がなく、損な役だったかなあ、という気もしました。
三浦友和・山口百恵の二人は「伊豆の踊子」が縁となって結婚したのは周知の通り。
映画では、ホリプロが絡んでいるため主演の山口百恵さんのほうにばかり目がいってしまいますが、「伊豆の踊子」の裏側にある差別や偏見も原作を損なうことなくキッチリと描かれています。
旅芸人という存在自体が、ヨーロッパにおけるジプシーなどのように蔑視の対象とされ、原作ではところどころ触れられている旅芸人たちへの蔑視が、映画ではやや強く押し出されて「伊豆の踊子」のテーマ性を強調しています。
アイドル山口百恵を売り出す映画として作られたものでしょうけど、当時の社会の底辺で生きる人々を描こうとしたものともいえ、アイドル映画と社会性を持った映画としての両方のバランスを取るのに苦慮したのではないかと思います。
原作は映画とは違い、小説「伊豆の踊子」は〈私〉の精神的癒しが底流になっていて、最初、踊子を見た〈私〉は、彼女が17歳か18歳だろうと思って女性を感じたと思われますが、実際には14歳であり、それは露天の浴場から全裸で飛び出すという行為によって、踊子はまだ子どもなんだと、ほほえましくもあり、また彼女に対しては、それ以降、それ以上の感情は希薄であったように思います。
むしろ、孤児であり、ひねくれた心を持て余して旅に出た〈私〉が、旅芸人たちと出会い、触れ合ううちに、自分の中で温かい感情が少しずつ湧き出してくる、そんな〈私〉の心の動きが小説の大きな流れになっています。
また、この小説を何度か読み返してみると、踊子と別れた〈私〉が船室で、東京へ向かうという少年と学生マントにくるまって涙を流す最後の場面では、なんとなくホモセクシュアルの匂いを感じて、川端康成について書かれたものなどを読んでみると、康成自身も子どものころに相次いで両親を失い、祖母を亡くし、さらに姉を亡くし、孤児となった康成は、少年との同性愛の経験などもあったということで、そんなところにも小説「伊豆の踊子」の、一面だけからではとらえることのできない独特の世界があるようにも思います。
監督 西河克己
脚本 若杉光夫
原作 川端康成
撮影 萩原憲治
〈キャスト〉
山口百恵 三浦友和 中山仁
佐藤友美 一の宮あつ子
ノーベル賞作家川端康成の同名小説の映画化で、サイレント時代の五所平之助監督、田中絹代主演のものを含めると6度目の映画化。
監督の西河克己は、前作「伊豆の踊子」(1963年、昭和38年)でもメガホンをとっており、11年ぶりの自身の監督によるリメイク。
小説「伊豆の踊子」は一高時代の康成自身の体験による旅芸人たちとの出会いと別れを、深い憂愁と抒情性の中に描き出した名作で、映画では可憐な踊子と主人公である〈私〉との切ないラブストーリーに主眼が置かれていて、それは映画という興業性の持つ宿命で仕方のないところですが、三浦友和の好演と、一の宮あつ子、中山仁、浦辺粂子などの脇役陣がしっかりしているせいか、山口百恵というアイドルスターを見るだけの映画とはひと味違ったものになっています。
大正7年(1918年)。
20歳の〈私〉(三浦友和)は、伊豆から下田までの気ままな一人旅。
湯ヶ島温泉へ二泊した、その二日目の夜に旅芸人の一行が旅館へ流しにきて、玄関の板敷で踊る踊子(山口百恵)の可憐な姿に惹かれた〈私〉は、もう一度彼らと会えることを期待しながら旅を続けます。
その後の旅の途中、天城峠へ向かう山道で突然の雨に襲われた〈私〉は峠の茶屋に飛び込み、そこで休んでいた旅芸人たちと偶然に出会います。
芸人一行の唯一の男性である栄吉(中山仁)との何げない会話が縁となって、〈私〉と彼らは下田までの道中を一緒に旅をすることになります。
踊子の薫は、孤独とやさしさを秘めた〈私〉に異性としての関心を示すようになり、また〈私〉も薫にほのかな恋心を抱くようになります。
しかし、そんな二人の初恋にも似た淡い恋は、大島へ渡る旅芸人一行と、勉強のため東京へ帰らなければならない〈私〉とは、育った若木が二つに枝分かれするように、別々の人生へと分かれてゆくことになります。
下田の港から出港した船の甲板にたたずんだ〈私〉は、遠ざかってゆく港から、さかんに白いハンカチを振る薫の姿を見つけ、蔑視と嘲(あざけ)りの中で生きてゆかなければならない薫の境遇を思い、また、いつかは汚されることになるであろう薫の純潔を暗示させながら映画は幕を閉じます。
ストーリーは特に難しいものではなく、さまざまなエピソードを積み重ねながら、〈私〉と踊子(薫)の下田港の別れへとつながっていきます。
前述したように、監督の西河克己は昭和38年(1963年)にも「伊豆の踊子」(主演・吉永小百合)を映画化していますが、これは原作を少し離れ、現代の視点で描こうとしたもので、川端康成の世界からズレてしまったような感がありました。
といって、悪い映画でもなく、主演の吉永小百合さんの踊子・薫は、原作の踊子のイメージを損なうことのない、純情と清潔感と生活の苦労を一週間ほど漬け込んで発酵させたような魅力があり、暗さや憂愁とは無縁の高橋英樹の〈私〉(映画では川崎)ということもあって、日活らしい爽やかで切なく、それはそれで面白い映画でした。
しかし、周囲から何か言われたのか、それとも、やはりこれではいかん、と思い直したのか、改めて東宝で作った今作の「伊豆の踊子」は、ひとつひとつのセリフなども、原作に忠実に従っています。
ほぼ原作に従っている山口百恵版「伊豆の踊子」ですが、映画では原作にはないエピソードをひとつ挿入しています。
飲み屋で働く幼馴染のおきみちゃん(石川さゆり)を薫が訪ねてゆくエピソードで、酌婦としての仕事は売春婦として稼がされることを意味しており、薫が訪ねた店にはおきみちゃんはおらず、どこへ行ったのだろうと案じた先に、おきみちゃんはあばら家で、おそらく結核だろうと思われる病に倒れ、死の床についている。
なんとなく「二十四の瞳」を思わせる切ないエピソードで、原作にはない話を挿入したことで、「あゝ野麦峠」的女性哀史の一コマを織り交ぜ、当時の時代背景、苦労を背負わされた女性たちの、やり場のない怒りと哀しみを描いています。
特に、おきみちゃんの死体を棺桶に入れ、誰も通らない早朝の川沿いの道を墓地へと運ぶ人足たちと、何も知らずに旅芸人たちの宿へ向かう〈私〉とを交叉させたシーンは、貧しさと苦労の中で人知れず死んでいった少女と、青春の光へ向かって進もうとする青年の、生と死の対照の一瞬を描いた見事な場面だと思います。
桜田淳子・森昌子・山口百恵の三人は「花の中三トリオ」として人気が高く、そのまま成長して「花の高一トリオ」などとして育っていきます。
歌手として群を抜いていた森昌子とは違い、山口百恵さんはお世辞にも歌がうまいとはいえなかったのですが、アイドル真っ盛りの時代で、そういう点では百恵さんの人気は高いものがあり、映画「伊豆の踊子」も、純粋に川端康成の世界を映画化するというより、アイドル山口百恵を表看板にしたアイドル路線の映画であったように思います。
封切り当時、私も映画館で観ましたが、大変な観客で、ただ、その背景には、観客動員のための仕掛けが施(ほどこ)されてありました。
原作にもあるのですが、踊子・薫が露天の浴場から全裸で飛び出してくる場面です。これは映画でもそのまま百恵さんが全裸で飛び出してくる。まさか、そんなことが、ホントかそれは? (そんなことはありません)
これは当時の週刊誌などでも盛んに話題になっていて、観客動員の多かった背景にはそんなこともあったのではないか、この推測はそれほど間違っていないと思います。初めてヘアが解禁になったジャン=ジャック・アノー監督の「愛人/ラマン」(1992年)も大変な観客でしたから(それまではガラガラの映画館だったのに)。
あらためて、山口百恵主演の「伊豆の踊子」を見ると、自然描写、時代背景、山口百恵さんの相手役として引っ張ってこられた三浦友和の、ややお坊ちゃん的ではあるが初々しい魅力、一の宮あつ子、中山仁のしっかりした演技、いまは懐かしい四代目三遊亭小円遊のいやらしい存在感、そういった枠組みがガッシリとしているせいか、最初見たころより、とてもよく出来た映画であるという印象を受けました。
ただ、残念だったのは、栄吉の女房の千代子を演じた佐藤友美さんがまったくパッとしなかったことで、この人はテレビドラマなんかで見ていたころ、美貌とやさしさと都会的な魅力を持ち、NHKの大河ドラマ「樅の木は残った」(1970年)では、若い侍を誘惑する肉感的な女性の魅力を存分に発揮していて、個人的にはとても好きな女優さんなのですが、「伊豆の踊子」ではまるで存在感がなく、損な役だったかなあ、という気もしました。
三浦友和・山口百恵の二人は「伊豆の踊子」が縁となって結婚したのは周知の通り。
映画では、ホリプロが絡んでいるため主演の山口百恵さんのほうにばかり目がいってしまいますが、「伊豆の踊子」の裏側にある差別や偏見も原作を損なうことなくキッチリと描かれています。
旅芸人という存在自体が、ヨーロッパにおけるジプシーなどのように蔑視の対象とされ、原作ではところどころ触れられている旅芸人たちへの蔑視が、映画ではやや強く押し出されて「伊豆の踊子」のテーマ性を強調しています。
アイドル山口百恵を売り出す映画として作られたものでしょうけど、当時の社会の底辺で生きる人々を描こうとしたものともいえ、アイドル映画と社会性を持った映画としての両方のバランスを取るのに苦慮したのではないかと思います。
原作は映画とは違い、小説「伊豆の踊子」は〈私〉の精神的癒しが底流になっていて、最初、踊子を見た〈私〉は、彼女が17歳か18歳だろうと思って女性を感じたと思われますが、実際には14歳であり、それは露天の浴場から全裸で飛び出すという行為によって、踊子はまだ子どもなんだと、ほほえましくもあり、また彼女に対しては、それ以降、それ以上の感情は希薄であったように思います。
むしろ、孤児であり、ひねくれた心を持て余して旅に出た〈私〉が、旅芸人たちと出会い、触れ合ううちに、自分の中で温かい感情が少しずつ湧き出してくる、そんな〈私〉の心の動きが小説の大きな流れになっています。
また、この小説を何度か読み返してみると、踊子と別れた〈私〉が船室で、東京へ向かうという少年と学生マントにくるまって涙を流す最後の場面では、なんとなくホモセクシュアルの匂いを感じて、川端康成について書かれたものなどを読んでみると、康成自身も子どものころに相次いで両親を失い、祖母を亡くし、さらに姉を亡くし、孤児となった康成は、少年との同性愛の経験などもあったということで、そんなところにも小説「伊豆の踊子」の、一面だけからではとらえることのできない独特の世界があるようにも思います。
2020年03月05日
映画「シン・レッド・ライン」−壮絶な戦闘と美しい自然, 戦争の背後にうごめく邪悪な闇
「シン・レッド・ライン」
(The Thin Red Line)
1998年 カナダ/アメリカ
監督・脚本テレンス・マリック
原作ジェームズ・ジョーンズ
撮影ジョン・トール
音楽ハンス・ジマー
〈キャスト〉
ショーン・ペン ジム・カヴィーゼル
ニック・ノルティ
イライアス・コティーズ ベン・チャップリン
第49回ベルリン国際映画祭金熊賞受賞,
第65回ニューヨーク映画批評家協会賞監督賞/撮影賞受賞,
第10回シカゴ映画批評家協会賞監督賞/撮影賞受賞,
他受賞多数
戦争映画としては圧倒的に他を抜き去る迫力とスケール。
戦争という極限の状況に置かれた兵士たちの生や死についての思想世界が、戦争映画としての枠を突き抜けて、人類の背後にある神の存在や、死と邪悪をもたらす霊的で巨大な闇の支配といった、人類を牛耳るどうしようもない力の存在を突き詰めようとする思想的深みを持った映画で、前作「天国の日々」(1978年)以来、実に20年の沈黙を破ってメガホンを取った巨匠テレンス・マリック、期待を裏切らない傑作です。
ズブリと沼に浸(つ)かって姿を消すワニの異様なシーンで始まる映画「シン・レッド・ライン」は、ストーリーらしいストーリーは存在しません。
西太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島での連合軍対日本軍の激戦を主軸に、戦場に送り込まれた兵士たちの心の動きを、目をみはるような素晴らしい映像がとらえた自然の風景の中で、生と死、善と悪、自然と人間を綾として織り成してゆきます。
ワニのシーンから一転して南海の島で原住民たちと楽しく過ごす青年の姿が描かれますが、楽園とも思える自然の中で母の死について考える彼の内面的世界は、そのまま「シン・レッド・ライン」を貫く一本の太い線として全体につながっていきます。
その青年、ロバート・ウィット二等兵(ジム・カヴィーゼル)は戦友と一緒に無断で隊を離れ、島の子供たちと楽しい日々を送っていましたが、島へ現れた哨戒船によって隊へ連れ戻されます。
本来であれば軍法会議で処罰の対象とされるウィットでしたが、二等兵から格下げになるものの、ウェルシュ曹長(ショーン・ペン)の計らいで負傷兵を運ぶ担架兵としての任務に就くことになります。
太平洋の制海権を狙う連合軍は、日本軍がガダルカナル島に飛行場を築いている情報を入手。
家族を犠牲にし、死を覚悟して戦場にのぞんだC中隊の指揮官ゴードン・トール中佐(ニック・ノルティ)はクインタード准将(ジョン・トラヴォルタ)からガダルカナル島奪還を命じられ、日本軍が布陣を張るガダルカナル島への上陸を開始。
激戦の火ぶたが切って落とされます。
静から始まった「シン・レッド・ライン」は、ここで一気に動への展開となり、高地での戦闘と日本軍が築いたトーチカの破壊までが続くのですが、その凄まじさは同時期に封切られた「プライベート・ライアン」のノルマンディー上陸作戦での激戦の凄まじさと比肩できるほど。
中でも、丘の奪還を命じられたスタロス大尉(イライアス・コティーズ)率いる部隊は、日本軍から丸見えの状態で狙撃を受けて死者が増え、これ以上の進撃は自殺行為で、みすみす部下を死なせることはできないと考えたスタロスと、何が何でも進撃しろ! と厳命をとばすトール中佐との激論は見どころのひとつと言ってよく、上官の命令であっても従うことはできないと一歩も引かないスタロスに業を煮やしたトールは、自ら現場に乗り込み、ベル二等兵(ベン・チャップリン)ら7名の決死隊を募って丘の偵察に向かわせます。
おびただしい血と泥と汗の戦場で、ベルは故郷に残してきた妻との甘い追憶を胸に高原を這い、日本軍のトーチカを発見。
トーチカ攻撃のためにジョン・ガフ大尉(ジョン・キューザック)らが志願し、激しい戦いの末にトーチカは壊滅。丘を奪取します。
勝利の勢いに乗ってそのまま日本軍の拠点まで攻め寄せようと決死の進撃を試みたトールの作戦は功を奏し、日本軍は壊滅。
C中隊には一週間の休暇が与えられます。
兵たちが休暇を楽しむ中、ベルには愛する妻からの手紙が届いていました。
しかしそれは、空軍大尉と出会って恋に落ちたから離婚をしてほしいという、夫のいない寂しさに耐えかねた妻の、裏切りともとれる内容でした。
上官の命令に服さなかったスタロスは解任、休暇を終えた中隊は再び前線への移動を開始します。
島の奥地での日本軍への奇襲に成功した中隊でしたが、その後、日本軍の増援部隊と遭遇。担架兵から隊へ復帰して、ヤバイときには自分が行く、と進んで危険な任務にあたったウィットは日本軍に取り巻かれて力尽き、死を迎えます。
「シン・レッド・ライン」は群像劇といってもよく、ジム・カヴィーゼル(ウィット二等兵)、ショーン・ペン(ウェルシュ曹長)を始めとして、ベン・チャップリン、ニック・ノルティ、ジョン・キューザックなどの主だった人物が登場するほか、ジョン・サヴェージ、ジョン・C・ライリー、ウディ・ハレルソン、エイドリアン・ブロディなど、誰が主役になってもおかしくないほどのそうそうたる顔ぶれが揃い、これだけの俳優陣の中に埋没することなく、それぞれが個性を発揮しています。
またジョン・トラヴォルタやジョージ・クルーニーなどのドル箱スターもチラリと顔をのぞかせ、とにかくテレンス・マリックの映画に出たいんだ、少しでいいから出してくれ! といった感じで出演しているのも面白いところ。
第71回アカデミー賞には作品賞や監督賞の他、脚色賞、撮影賞、音楽賞など7部門がノミネートされましたが、惜しくもこの年には「恋におちたシェイクスピア」がほぼ独占しました。
戦闘シーンの凄まじさもさることながら、戦争そのものというより、その背後に隠れた大きな邪悪なものの存在や、美しい自然を創り出した神の存在などを深く掘り下げた内容であるため、この戦争が一体どんな戦争なのかということについてはほとんど語られておらず、ガダルカナルという言葉も、トール中佐の言葉と手紙の中にチラリとあるだけで、テレンス・マリックにとっては、太平洋戦争であろうとベトナム戦争であろうと、戦争の歴史的事実の再現は特に問題ではなかったのだろうと思われます。
題名の「シン・レッド・ライン」ですが、レッドラインは文字通りの赤い線ではなくて、“超えてはいけない一線”というような意味合いがあるようで、その一線を超えることでまったく違う運命が待ち構えている、といった含みがあるようです。
例えば、トルストイの小説「戦争と平和」の中で、ナポレオン率いるフランス軍の猛攻に立ち向かうロシア軍の兵士たちの心情、「…彼我のあいだには両者を分けて、あたかも生者と死者とを隔てる一線のような、未知と恐怖のおそろしい一線が横たわっていた。だれもがその一線を意識し、自分たちはその一線を踏み超えられるのだろうか、踏み超えられないのだろうか、どんなふうに踏み超えるのだろうという疑問に彼らは胸を騒がせていた」(北垣信行訳)そんな描写があって、おそらく「シン・レッド・ライン」という題名も、そんなふうな一線を意味するのではないかと思います。
いずれにしても、3時間近い上映時間にもかかわらず、いっさい手を抜くことなく、首尾一貫したテーマの追求はお見事としか言いようがなく、静かな海辺に浮かぶヤシの実から芽を出しているラストシーンの美しさは素晴らしい余韻を残しました。
1998年 カナダ/アメリカ
監督・脚本テレンス・マリック
原作ジェームズ・ジョーンズ
撮影ジョン・トール
音楽ハンス・ジマー
〈キャスト〉
ショーン・ペン ジム・カヴィーゼル
ニック・ノルティ
イライアス・コティーズ ベン・チャップリン
第49回ベルリン国際映画祭金熊賞受賞,
第65回ニューヨーク映画批評家協会賞監督賞/撮影賞受賞,
第10回シカゴ映画批評家協会賞監督賞/撮影賞受賞,
他受賞多数
戦争映画としては圧倒的に他を抜き去る迫力とスケール。
戦争という極限の状況に置かれた兵士たちの生や死についての思想世界が、戦争映画としての枠を突き抜けて、人類の背後にある神の存在や、死と邪悪をもたらす霊的で巨大な闇の支配といった、人類を牛耳るどうしようもない力の存在を突き詰めようとする思想的深みを持った映画で、前作「天国の日々」(1978年)以来、実に20年の沈黙を破ってメガホンを取った巨匠テレンス・マリック、期待を裏切らない傑作です。
ズブリと沼に浸(つ)かって姿を消すワニの異様なシーンで始まる映画「シン・レッド・ライン」は、ストーリーらしいストーリーは存在しません。
西太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島での連合軍対日本軍の激戦を主軸に、戦場に送り込まれた兵士たちの心の動きを、目をみはるような素晴らしい映像がとらえた自然の風景の中で、生と死、善と悪、自然と人間を綾として織り成してゆきます。
ワニのシーンから一転して南海の島で原住民たちと楽しく過ごす青年の姿が描かれますが、楽園とも思える自然の中で母の死について考える彼の内面的世界は、そのまま「シン・レッド・ライン」を貫く一本の太い線として全体につながっていきます。
その青年、ロバート・ウィット二等兵(ジム・カヴィーゼル)は戦友と一緒に無断で隊を離れ、島の子供たちと楽しい日々を送っていましたが、島へ現れた哨戒船によって隊へ連れ戻されます。
本来であれば軍法会議で処罰の対象とされるウィットでしたが、二等兵から格下げになるものの、ウェルシュ曹長(ショーン・ペン)の計らいで負傷兵を運ぶ担架兵としての任務に就くことになります。
太平洋の制海権を狙う連合軍は、日本軍がガダルカナル島に飛行場を築いている情報を入手。
家族を犠牲にし、死を覚悟して戦場にのぞんだC中隊の指揮官ゴードン・トール中佐(ニック・ノルティ)はクインタード准将(ジョン・トラヴォルタ)からガダルカナル島奪還を命じられ、日本軍が布陣を張るガダルカナル島への上陸を開始。
激戦の火ぶたが切って落とされます。
静から始まった「シン・レッド・ライン」は、ここで一気に動への展開となり、高地での戦闘と日本軍が築いたトーチカの破壊までが続くのですが、その凄まじさは同時期に封切られた「プライベート・ライアン」のノルマンディー上陸作戦での激戦の凄まじさと比肩できるほど。
中でも、丘の奪還を命じられたスタロス大尉(イライアス・コティーズ)率いる部隊は、日本軍から丸見えの状態で狙撃を受けて死者が増え、これ以上の進撃は自殺行為で、みすみす部下を死なせることはできないと考えたスタロスと、何が何でも進撃しろ! と厳命をとばすトール中佐との激論は見どころのひとつと言ってよく、上官の命令であっても従うことはできないと一歩も引かないスタロスに業を煮やしたトールは、自ら現場に乗り込み、ベル二等兵(ベン・チャップリン)ら7名の決死隊を募って丘の偵察に向かわせます。
おびただしい血と泥と汗の戦場で、ベルは故郷に残してきた妻との甘い追憶を胸に高原を這い、日本軍のトーチカを発見。
トーチカ攻撃のためにジョン・ガフ大尉(ジョン・キューザック)らが志願し、激しい戦いの末にトーチカは壊滅。丘を奪取します。
勝利の勢いに乗ってそのまま日本軍の拠点まで攻め寄せようと決死の進撃を試みたトールの作戦は功を奏し、日本軍は壊滅。
C中隊には一週間の休暇が与えられます。
兵たちが休暇を楽しむ中、ベルには愛する妻からの手紙が届いていました。
しかしそれは、空軍大尉と出会って恋に落ちたから離婚をしてほしいという、夫のいない寂しさに耐えかねた妻の、裏切りともとれる内容でした。
上官の命令に服さなかったスタロスは解任、休暇を終えた中隊は再び前線への移動を開始します。
島の奥地での日本軍への奇襲に成功した中隊でしたが、その後、日本軍の増援部隊と遭遇。担架兵から隊へ復帰して、ヤバイときには自分が行く、と進んで危険な任務にあたったウィットは日本軍に取り巻かれて力尽き、死を迎えます。
「シン・レッド・ライン」は群像劇といってもよく、ジム・カヴィーゼル(ウィット二等兵)、ショーン・ペン(ウェルシュ曹長)を始めとして、ベン・チャップリン、ニック・ノルティ、ジョン・キューザックなどの主だった人物が登場するほか、ジョン・サヴェージ、ジョン・C・ライリー、ウディ・ハレルソン、エイドリアン・ブロディなど、誰が主役になってもおかしくないほどのそうそうたる顔ぶれが揃い、これだけの俳優陣の中に埋没することなく、それぞれが個性を発揮しています。
またジョン・トラヴォルタやジョージ・クルーニーなどのドル箱スターもチラリと顔をのぞかせ、とにかくテレンス・マリックの映画に出たいんだ、少しでいいから出してくれ! といった感じで出演しているのも面白いところ。
第71回アカデミー賞には作品賞や監督賞の他、脚色賞、撮影賞、音楽賞など7部門がノミネートされましたが、惜しくもこの年には「恋におちたシェイクスピア」がほぼ独占しました。
戦闘シーンの凄まじさもさることながら、戦争そのものというより、その背後に隠れた大きな邪悪なものの存在や、美しい自然を創り出した神の存在などを深く掘り下げた内容であるため、この戦争が一体どんな戦争なのかということについてはほとんど語られておらず、ガダルカナルという言葉も、トール中佐の言葉と手紙の中にチラリとあるだけで、テレンス・マリックにとっては、太平洋戦争であろうとベトナム戦争であろうと、戦争の歴史的事実の再現は特に問題ではなかったのだろうと思われます。
題名の「シン・レッド・ライン」ですが、レッドラインは文字通りの赤い線ではなくて、“超えてはいけない一線”というような意味合いがあるようで、その一線を超えることでまったく違う運命が待ち構えている、といった含みがあるようです。
例えば、トルストイの小説「戦争と平和」の中で、ナポレオン率いるフランス軍の猛攻に立ち向かうロシア軍の兵士たちの心情、「…彼我のあいだには両者を分けて、あたかも生者と死者とを隔てる一線のような、未知と恐怖のおそろしい一線が横たわっていた。だれもがその一線を意識し、自分たちはその一線を踏み超えられるのだろうか、踏み超えられないのだろうか、どんなふうに踏み超えるのだろうという疑問に彼らは胸を騒がせていた」(北垣信行訳)そんな描写があって、おそらく「シン・レッド・ライン」という題名も、そんなふうな一線を意味するのではないかと思います。
いずれにしても、3時間近い上映時間にもかかわらず、いっさい手を抜くことなく、首尾一貫したテーマの追求はお見事としか言いようがなく、静かな海辺に浮かぶヤシの実から芽を出しているラストシーンの美しさは素晴らしい余韻を残しました。
2020年02月27日
映画「ノー・マンズ・ランド」−予想を超えたラストの残酷な滑稽さ
「ノー・マンズ・ランド」
(No Man’s Land) 2001年
ボスニア・ヘルツェゴビナ スロベニア イタリア
フランス イギリス ベルギー
監督・脚本・音楽ダニス・タノヴィッチ
撮影ウォルター・ヴァンデン・エンデ
〈キャスト〉
ブランコ・ジュリッチ レネ・ビトラヤツ
フィリプ・ショヴァゴヴィッチ
第54回カンヌ国際映画祭脚本賞/ セザール賞最優秀新人監督賞
第74回アカデミー賞外国語映画賞/他受賞多数
ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争下、両軍の中間地帯(ノー・マンズ・ランド)に取り残されたボスニア兵とセルビア兵の二人の憎しみや、ふとした会話から芽生え始める融和。
しかし、ボスニア兵の死体(後に生きていることが判明)の下に仕掛けられた地雷の撤去をめぐって、国連の防護軍やジャーナリスト、サラエボ本部の二転三転する緊迫した状況が展開され、一瞬たりとも目が離せません。
戦争の残酷さを、ときにはユーモアを交えて突き付ける反戦映画で、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が扱われますが、戦争という普遍的なテーマを追求しているためなのか、その背景となっている紛争の説明はほとんどありません。
なので、簡単に経緯をたどってみましょう。
中世から20世紀初頭にかけてヨーロッパに君臨して絶大な権力を誇ったハプスブルク家の帝国のひとつオーストリア=ハンガリー帝国が第一次世界大戦を経て解体され、1918年にバルカン半島の西にユーゴスラビア王国が誕生。
第二次世界大戦ではナチス・ドイツや他の諸国によって侵攻を受け、ユーゴスラビア王国はそれらの国々の支配地域のために分断されてゆきます。
後にユーゴスラビアで大きな影響力を持つことになるチトーの登場と、ナチス・ドイツの降伏、ゲリラ戦を戦い抜いたパルチザンたちの手によってユーゴスラビアの統一と独立がなされ、ユーゴスラビア連邦が樹立。
しかし多様な民族を抱えたユーゴは民族紛争が激化、内戦に突入します。
1991年にはスロベニアが独立。続いてマケドニアが独立。
さらに分離独立とセルビア系住民との対立からクロアチア紛争が勃発し、激しい戦いの末にクロアチアが独立。
1992年にはボスニア・ヘルツェゴビナも独立しますが、ボスニアからの独立を目指したセルビアとの間で、「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争」が勃発することになります。
映画「ノー・マンズ・ランド」はボスニア・ヘルツェゴビナの紛争における戦場の一コマを扱い、人間同士の憎しみや、戦場においてひとつの命を救うことの困難さと地雷という小さな兵器ひとつに右往左往させられる悲劇的な滑稽さを描いた人間ドラマです。
ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争地帯。
闇に紛れて霧の中を進むボスニア軍の兵士たちは道に迷ってしまいます。
セルビア軍の陣地にまで入り込んだことが判ったときにはすでに遅く、夜明けと共に始まったセルビア軍の攻撃にさらされたボスニア軍の兵士たちは壊滅しますが、チキ(ブランコ・ジュリッチ)とツェラ(フィリップ・ショヴァゴヴィッチ)の二人は、両軍の中間地帯(ノー・マンズ・ランド)にある塹壕の附近まで走り込み、容赦のないセルビア軍の砲撃によってチキとツェラは吹き飛ばされてしまいます。
砲撃を停止したセルビア軍の陣地から、古参兵(ムスタファ・ナダレヴィッチ)と新兵のニノ(レネ・ビトラヤツ)の二人が偵察に向かいます。
一方、塹壕の中で意識を回復したチキは、銃を手に物陰に隠れ、セルビア兵の様子をうかがいます。
地面に倒れているツェラの死体の他に誰もいないことを確認した古参兵は、ツェラの死体の下に地雷を埋め込みます。
どうしてそんなことをするのか、と聞くニノに古参兵は答えます。
「こうしておけば、こいつを動かそうとした途端に、爆発だ」
二人は立ち去ろうとしますが、物陰に潜んでいたチキは隙をみて飛び出し二人を銃撃します。
古参兵は死亡しましたが、ニノは負傷しただけで助かり、チキとニノの間には緊張した空気が生まれます。
チキの隙を見て銃を奪ったニノと、武器を失ったチキの立場が逆転する中で、死んだと思っていたツェラは意識を失っていただけで、体の下に地雷が設置されていることを知ったツェラは、自分が身動きの取れない状況に置かれていることを知ります。
簡単に取り外せるものと高を括(くく)っていたチキとニノでしたが、それは特殊な地雷で、自分たちの手に負えないとみたチキとニノは、両軍に停戦を呼びかけ、地雷撤去のために国連の防護軍が現場に向かうことになりますが…。
「世界の火薬庫」と呼ばれたバルカン半島(地政学的にはバルカン地域)。
多くの民族、宗教、言語が混在し、紛争の絶え間のないバルカンでは幾度となく国境線が塗り替えられ、作り替えられてきました。
戦争の世紀と呼ばれた20世紀が過ぎ、21世紀になった現在でも数々の紛争は世界各地で起きており、おそらく、地球上に人類が存在する以上、地上から戦争がなくなることはないと思います。
「ノー・マンズ・ランド」では、一体どうしてこんなことが起こるんだ! お前たちが悪いんだ! いや、お前たちだ! といったやり取りがチキとニノの間で交わされますが、紛争に明け暮れたバルカン地域の中で、もう何がどうなっているのか、そんな絶望的な状況をヤケッパチとも思えるユーモアをぶつけて描き出しました。
そこには勝者もなく、敗者もなく、ただ、無意味で残酷な結末が観る者に戦争の愚かしさを突き付けます。
監督はボスニア・ヘルツェゴビナ出身のダニス・タノヴィッチ。
「ノー・マンズ・ランド」以降も「「鉄くず拾いの物語」(2013年)、「汚れたミルク/あるセールスマンの告発」(2014年)、「サラエヴォの銃声」(2016年)など、社会性のある話題作を発表。数々の賞を受賞しています。
ボスニア兵チキに、俳優でミュージシャンでもあるブランコ・ジュリッチ。
セルビア兵ニノにクロアチア出身のレネ・ビトラヤツ。
サラエボ本部のソフト大佐に「アマデウス」(1984年)、「眺めのいい部屋」(1985年)、「オペラ座の怪人」(2004年)などの名優サイモン・キャロウ。
セクシーで美人の秘書を常に従え、状況を把握しながらも大事の中の小事は切り捨ててしまう、イヤな軍人像でありながらも強い印象を残しました。
野心に燃えるマスコミのジェーン・リヴィングストン特派員にカトリン・カートリッジ。
この人は「ノー・マンズ・ランド」の翌年2002年「デブラ・ウィンガーを探して」の出演を最後に41歳の若さで病死しています。
二転三転するストーリー展開、ひとり取り残されるツェラの映像と哀切な歌が流れるラストは、愚かしくも滑稽で、かつ残酷な人間世界の断面をえぐり出したといえます。
ボスニア・ヘルツェゴビナ スロベニア イタリア
フランス イギリス ベルギー
監督・脚本・音楽ダニス・タノヴィッチ
撮影ウォルター・ヴァンデン・エンデ
〈キャスト〉
ブランコ・ジュリッチ レネ・ビトラヤツ
フィリプ・ショヴァゴヴィッチ
第54回カンヌ国際映画祭脚本賞/ セザール賞最優秀新人監督賞
第74回アカデミー賞外国語映画賞/他受賞多数
ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争下、両軍の中間地帯(ノー・マンズ・ランド)に取り残されたボスニア兵とセルビア兵の二人の憎しみや、ふとした会話から芽生え始める融和。
しかし、ボスニア兵の死体(後に生きていることが判明)の下に仕掛けられた地雷の撤去をめぐって、国連の防護軍やジャーナリスト、サラエボ本部の二転三転する緊迫した状況が展開され、一瞬たりとも目が離せません。
戦争の残酷さを、ときにはユーモアを交えて突き付ける反戦映画で、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が扱われますが、戦争という普遍的なテーマを追求しているためなのか、その背景となっている紛争の説明はほとんどありません。
なので、簡単に経緯をたどってみましょう。
中世から20世紀初頭にかけてヨーロッパに君臨して絶大な権力を誇ったハプスブルク家の帝国のひとつオーストリア=ハンガリー帝国が第一次世界大戦を経て解体され、1918年にバルカン半島の西にユーゴスラビア王国が誕生。
第二次世界大戦ではナチス・ドイツや他の諸国によって侵攻を受け、ユーゴスラビア王国はそれらの国々の支配地域のために分断されてゆきます。
後にユーゴスラビアで大きな影響力を持つことになるチトーの登場と、ナチス・ドイツの降伏、ゲリラ戦を戦い抜いたパルチザンたちの手によってユーゴスラビアの統一と独立がなされ、ユーゴスラビア連邦が樹立。
しかし多様な民族を抱えたユーゴは民族紛争が激化、内戦に突入します。
1991年にはスロベニアが独立。続いてマケドニアが独立。
さらに分離独立とセルビア系住民との対立からクロアチア紛争が勃発し、激しい戦いの末にクロアチアが独立。
1992年にはボスニア・ヘルツェゴビナも独立しますが、ボスニアからの独立を目指したセルビアとの間で、「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争」が勃発することになります。
映画「ノー・マンズ・ランド」はボスニア・ヘルツェゴビナの紛争における戦場の一コマを扱い、人間同士の憎しみや、戦場においてひとつの命を救うことの困難さと地雷という小さな兵器ひとつに右往左往させられる悲劇的な滑稽さを描いた人間ドラマです。
ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争地帯。
闇に紛れて霧の中を進むボスニア軍の兵士たちは道に迷ってしまいます。
セルビア軍の陣地にまで入り込んだことが判ったときにはすでに遅く、夜明けと共に始まったセルビア軍の攻撃にさらされたボスニア軍の兵士たちは壊滅しますが、チキ(ブランコ・ジュリッチ)とツェラ(フィリップ・ショヴァゴヴィッチ)の二人は、両軍の中間地帯(ノー・マンズ・ランド)にある塹壕の附近まで走り込み、容赦のないセルビア軍の砲撃によってチキとツェラは吹き飛ばされてしまいます。
砲撃を停止したセルビア軍の陣地から、古参兵(ムスタファ・ナダレヴィッチ)と新兵のニノ(レネ・ビトラヤツ)の二人が偵察に向かいます。
一方、塹壕の中で意識を回復したチキは、銃を手に物陰に隠れ、セルビア兵の様子をうかがいます。
地面に倒れているツェラの死体の他に誰もいないことを確認した古参兵は、ツェラの死体の下に地雷を埋め込みます。
どうしてそんなことをするのか、と聞くニノに古参兵は答えます。
「こうしておけば、こいつを動かそうとした途端に、爆発だ」
二人は立ち去ろうとしますが、物陰に潜んでいたチキは隙をみて飛び出し二人を銃撃します。
古参兵は死亡しましたが、ニノは負傷しただけで助かり、チキとニノの間には緊張した空気が生まれます。
チキの隙を見て銃を奪ったニノと、武器を失ったチキの立場が逆転する中で、死んだと思っていたツェラは意識を失っていただけで、体の下に地雷が設置されていることを知ったツェラは、自分が身動きの取れない状況に置かれていることを知ります。
簡単に取り外せるものと高を括(くく)っていたチキとニノでしたが、それは特殊な地雷で、自分たちの手に負えないとみたチキとニノは、両軍に停戦を呼びかけ、地雷撤去のために国連の防護軍が現場に向かうことになりますが…。
「世界の火薬庫」と呼ばれたバルカン半島(地政学的にはバルカン地域)。
多くの民族、宗教、言語が混在し、紛争の絶え間のないバルカンでは幾度となく国境線が塗り替えられ、作り替えられてきました。
戦争の世紀と呼ばれた20世紀が過ぎ、21世紀になった現在でも数々の紛争は世界各地で起きており、おそらく、地球上に人類が存在する以上、地上から戦争がなくなることはないと思います。
「ノー・マンズ・ランド」では、一体どうしてこんなことが起こるんだ! お前たちが悪いんだ! いや、お前たちだ! といったやり取りがチキとニノの間で交わされますが、紛争に明け暮れたバルカン地域の中で、もう何がどうなっているのか、そんな絶望的な状況をヤケッパチとも思えるユーモアをぶつけて描き出しました。
そこには勝者もなく、敗者もなく、ただ、無意味で残酷な結末が観る者に戦争の愚かしさを突き付けます。
監督はボスニア・ヘルツェゴビナ出身のダニス・タノヴィッチ。
「ノー・マンズ・ランド」以降も「「鉄くず拾いの物語」(2013年)、「汚れたミルク/あるセールスマンの告発」(2014年)、「サラエヴォの銃声」(2016年)など、社会性のある話題作を発表。数々の賞を受賞しています。
ボスニア兵チキに、俳優でミュージシャンでもあるブランコ・ジュリッチ。
セルビア兵ニノにクロアチア出身のレネ・ビトラヤツ。
サラエボ本部のソフト大佐に「アマデウス」(1984年)、「眺めのいい部屋」(1985年)、「オペラ座の怪人」(2004年)などの名優サイモン・キャロウ。
セクシーで美人の秘書を常に従え、状況を把握しながらも大事の中の小事は切り捨ててしまう、イヤな軍人像でありながらも強い印象を残しました。
野心に燃えるマスコミのジェーン・リヴィングストン特派員にカトリン・カートリッジ。
この人は「ノー・マンズ・ランド」の翌年2002年「デブラ・ウィンガーを探して」の出演を最後に41歳の若さで病死しています。
二転三転するストーリー展開、ひとり取り残されるツェラの映像と哀切な歌が流れるラストは、愚かしくも滑稽で、かつ残酷な人間世界の断面をえぐり出したといえます。
2020年02月16日
映画「鬼戦車T-34」- ナチスの包囲網を突っ切れ! 爆走するT-34
「鬼戦車T-34」
(Жаворонок) 1965年 ソビエト
監督ニキータ・クリーヒン
レオニード・メナケル
脚本ミハイル・ドウジン
セルゲイ・オルロフ
撮影ウラジミール・カラセフ
ニコライ・ジーリン
〈キャスト〉
ヴャチエスラフ・グレンコフ ゲンナジー・ユフチン
ワレリー・ポゴレリツェフ ヴァレンチン・スクルメ
第二次世界大戦のさなか、ドイツ軍の捕虜収容所で捕虜となっていたソ連の兵士たちはドイツ軍が開発中の新型砲弾の射撃訓練の標的にされていて、このままでは殺されてしまうから逃げようぜ、といって脱走を図るお話で、ソビエト兵3名とフランス兵1名の4人が一台の戦車に乗り込んだまま逃走を図った実話によります。
捕虜収容所からの実話をもとにした脱走劇といえば「大脱走」(1963年)が有名ですが、この「鬼戦車T-34」も娯楽性にあふれた、かなり見ごたえのある映画です。
1942年、ドイツ東部の捕虜収容所。
ソ連軍の捕虜イワン(ヴャチェスラフ・グレンコフ)は戦車操縦の経験を買われ、収容所で行われている戦車の整備を命じられます。
戦車の整備には他のソ連兵もあたっていましたが、イワンだけがドイツ軍に特別視されていることで、彼は捕虜仲間からは冷たい視線を向けられます。
ドイツ軍が取り組んでいたのはソ連戦に対しての新型砲弾の実験で、ソ連の最新戦車T-34に向けての射撃訓練でした。
演習場での訓練にあたって、その標的とされた戦車に乗り込んだのはイワンを始めとして、ピョートル(ゲンナジー・ユフチン)、アリョーシャ(ワレリー・ポゴレリツェフ)、そして、フランス兵ジャン(ヴァレンチン・スクレメ)の4名。
次々と砲弾の飛び交う中、イワンの操縦するT-34は砲弾をかわして走りますが、このままではやられてしまうと判断したイワンは、衣類を燃やして煙を出し、砲弾が命中したフリを装い、ドイツ軍が油断をしたスキを見て、そのまま演習場を突っ切って逃走を図ります。
慌てたドイツ軍は、30分以内に捕まえろ! とT-34捜索に軍用犬まで駆り出してやっきになりますが、相手は戦車とはいえ快速をもって聞こえたT-34。そう簡単には捕まりません。
森を抜け、街を突っ走り、街道を爆走してT-34はソ連領を目指しますが、じりじりと迫りくるドイツ軍の包囲網の前にジャンが倒れ、ピョートル、アリョーシャも死に、行動力の権化のようなイワンだけが残り、ドイツ軍が待ち構える中、道路を突っ切ろうとしたT-34の前に、道を横切ろうとした少年がつまずいて倒れ、戦車を止めて駆け寄ったイワンをめがけてドイツ軍の銃弾が火を吹きます。
原題は「ヒバリ」。
爆走に次ぐ爆走、記念碑や映画館をぶち壊し、死に物狂いで突っ走る戦車の映画で“ヒバリ”とはのどかすぎて感覚がズレているような気もしますが、チャイコフスキーのピアノ曲にもあるように、ロシアでヒバリは新しい生活をもたらす、といったような特別な意味があるらしく、T-34に乗って必死で逃走するイワンたちにとって、その先にあるものは新しい人生であるはずでした。
邦題の「鬼戦車…」というのは少年漫画にでも出てきそうな題名で、映画の内容からすればたしかに鬼のような戦車の話であるのには間違いないのですが、一方で、次第に芽生え始めるイワンたちの友情や、捕虜のロシア女性たちの牧草地での労働、花畑、森林、流れる小川、それらの詩情あふれる映像などは素晴らしく、娯楽性の中に抒情性を盛り込んだ、深みのある内容を持つ映画です。
それまで、ソ連の戦車は快速性はありましたが防御力に難点があり、その快速性を受け継ぎながら防御力を強化したのが機動戦を重視した中戦車T-34で、実戦投入されたのが1941年6月に始まった独ソ戦序盤のバルバロッサ作戦でした。
T-34を攻略すべくナチスは新型砲弾の開発を急いだのですから、「鬼戦車T-34」の主役はまさしく戦車T-34になろうかと思いますが、「ヒバリ」という原題が示すように、T-34をヒバリになぞらえ、それに乗って新たな人生に進もうとしたイワンたちの人間ドラマでもあるともいえます。
しかし、演習用の戦車ですから砲弾は無く、燃料も限られています。
「暁の七人」(1975年)のような悲劇的な末路が透けて見えるのですが、行動力あふれるイワンの存在が大きいためか、悲壮感はあっても一面では「俺たちに明日はない」(1967年)や、「明日に向かって撃て!」(1969年)のようなアメリカン・ニューシネマ的雰囲気を持っています。
ソ連映画といえば、国家予算をつぎ込んだ長大な映画が多い中で、エイゼンシュテインに代表される芸術的に優れた映画、レフ・トルストイの原作を忠実に映画化した超弩級の大作「戦争と平和」(1965年)、戦場での勲功によって、母親に会うために休暇をもらった通信兵の心の動きを追った「誓いの休暇」(1959年)などの名作があります。
そういったソ連映画の中で「鬼戦車T-34」は娯楽性、抒情性ともにすぐれた傑作で、分けても、捕虜となって農作業に従事しているロシア女性たちの間を縫って走るT-34と、味方だ! と叫んで戦車の後を追いかける女性たちの悲愴と歓喜の入り混じった映像は、白黒であるだけ余計に現実感をもって迫ります。
また、街に突入したT-34が、ドイツ将校たちのたむろする酒場を目がけ、実弾の入っていない砲身を向けて脅し、ビールをかっさらってくる場面の粋なこと。
アメリカン・ニューシネマならぬ、“ロシアン・ニューシネマ”と呼んでもいいような傑作です。
監督ニキータ・クリーヒン
レオニード・メナケル
脚本ミハイル・ドウジン
セルゲイ・オルロフ
撮影ウラジミール・カラセフ
ニコライ・ジーリン
〈キャスト〉
ヴャチエスラフ・グレンコフ ゲンナジー・ユフチン
ワレリー・ポゴレリツェフ ヴァレンチン・スクルメ
第二次世界大戦のさなか、ドイツ軍の捕虜収容所で捕虜となっていたソ連の兵士たちはドイツ軍が開発中の新型砲弾の射撃訓練の標的にされていて、このままでは殺されてしまうから逃げようぜ、といって脱走を図るお話で、ソビエト兵3名とフランス兵1名の4人が一台の戦車に乗り込んだまま逃走を図った実話によります。
捕虜収容所からの実話をもとにした脱走劇といえば「大脱走」(1963年)が有名ですが、この「鬼戦車T-34」も娯楽性にあふれた、かなり見ごたえのある映画です。
1942年、ドイツ東部の捕虜収容所。
ソ連軍の捕虜イワン(ヴャチェスラフ・グレンコフ)は戦車操縦の経験を買われ、収容所で行われている戦車の整備を命じられます。
戦車の整備には他のソ連兵もあたっていましたが、イワンだけがドイツ軍に特別視されていることで、彼は捕虜仲間からは冷たい視線を向けられます。
ドイツ軍が取り組んでいたのはソ連戦に対しての新型砲弾の実験で、ソ連の最新戦車T-34に向けての射撃訓練でした。
演習場での訓練にあたって、その標的とされた戦車に乗り込んだのはイワンを始めとして、ピョートル(ゲンナジー・ユフチン)、アリョーシャ(ワレリー・ポゴレリツェフ)、そして、フランス兵ジャン(ヴァレンチン・スクレメ)の4名。
次々と砲弾の飛び交う中、イワンの操縦するT-34は砲弾をかわして走りますが、このままではやられてしまうと判断したイワンは、衣類を燃やして煙を出し、砲弾が命中したフリを装い、ドイツ軍が油断をしたスキを見て、そのまま演習場を突っ切って逃走を図ります。
慌てたドイツ軍は、30分以内に捕まえろ! とT-34捜索に軍用犬まで駆り出してやっきになりますが、相手は戦車とはいえ快速をもって聞こえたT-34。そう簡単には捕まりません。
森を抜け、街を突っ走り、街道を爆走してT-34はソ連領を目指しますが、じりじりと迫りくるドイツ軍の包囲網の前にジャンが倒れ、ピョートル、アリョーシャも死に、行動力の権化のようなイワンだけが残り、ドイツ軍が待ち構える中、道路を突っ切ろうとしたT-34の前に、道を横切ろうとした少年がつまずいて倒れ、戦車を止めて駆け寄ったイワンをめがけてドイツ軍の銃弾が火を吹きます。
原題は「ヒバリ」。
爆走に次ぐ爆走、記念碑や映画館をぶち壊し、死に物狂いで突っ走る戦車の映画で“ヒバリ”とはのどかすぎて感覚がズレているような気もしますが、チャイコフスキーのピアノ曲にもあるように、ロシアでヒバリは新しい生活をもたらす、といったような特別な意味があるらしく、T-34に乗って必死で逃走するイワンたちにとって、その先にあるものは新しい人生であるはずでした。
邦題の「鬼戦車…」というのは少年漫画にでも出てきそうな題名で、映画の内容からすればたしかに鬼のような戦車の話であるのには間違いないのですが、一方で、次第に芽生え始めるイワンたちの友情や、捕虜のロシア女性たちの牧草地での労働、花畑、森林、流れる小川、それらの詩情あふれる映像などは素晴らしく、娯楽性の中に抒情性を盛り込んだ、深みのある内容を持つ映画です。
それまで、ソ連の戦車は快速性はありましたが防御力に難点があり、その快速性を受け継ぎながら防御力を強化したのが機動戦を重視した中戦車T-34で、実戦投入されたのが1941年6月に始まった独ソ戦序盤のバルバロッサ作戦でした。
T-34を攻略すべくナチスは新型砲弾の開発を急いだのですから、「鬼戦車T-34」の主役はまさしく戦車T-34になろうかと思いますが、「ヒバリ」という原題が示すように、T-34をヒバリになぞらえ、それに乗って新たな人生に進もうとしたイワンたちの人間ドラマでもあるともいえます。
しかし、演習用の戦車ですから砲弾は無く、燃料も限られています。
「暁の七人」(1975年)のような悲劇的な末路が透けて見えるのですが、行動力あふれるイワンの存在が大きいためか、悲壮感はあっても一面では「俺たちに明日はない」(1967年)や、「明日に向かって撃て!」(1969年)のようなアメリカン・ニューシネマ的雰囲気を持っています。
ソ連映画といえば、国家予算をつぎ込んだ長大な映画が多い中で、エイゼンシュテインに代表される芸術的に優れた映画、レフ・トルストイの原作を忠実に映画化した超弩級の大作「戦争と平和」(1965年)、戦場での勲功によって、母親に会うために休暇をもらった通信兵の心の動きを追った「誓いの休暇」(1959年)などの名作があります。
そういったソ連映画の中で「鬼戦車T-34」は娯楽性、抒情性ともにすぐれた傑作で、分けても、捕虜となって農作業に従事しているロシア女性たちの間を縫って走るT-34と、味方だ! と叫んで戦車の後を追いかける女性たちの悲愴と歓喜の入り混じった映像は、白黒であるだけ余計に現実感をもって迫ります。
また、街に突入したT-34が、ドイツ将校たちのたむろする酒場を目がけ、実弾の入っていない砲身を向けて脅し、ビールをかっさらってくる場面の粋なこと。
アメリカン・ニューシネマならぬ、“ロシアン・ニューシネマ”と呼んでもいいような傑作です。
2020年02月12日
映画「エクリプス」− 降霊術が呼び起こした超常現象, スペインでの事実を基に映画化
「エクリプス」
(Verónica) 2017年 スペイン
監督パコ・プラサ
脚本パコ・プラサ
フェルナンド・ナバーロ
撮影パブロ・ロッソ
音楽チュッキー・ナマネラ
〈キャスト〉
サンドラ・エスカセナ アナ・トレント
1991年にスペイン・マドリードで実際に起きた事件を基に作られたとされる作品。
父親を早くに亡くした15歳の少女が父親の声を聞きたいばかりに、日食の日に学校の地下で同級生3人と文字盤を使って降霊術を行います。
でもそれは悪霊を招き寄せる結果となってしまい、その日を境に少女の身辺には異変が起き始めます。
日本では“コックリさん”として知られる降霊術で、科学的にはいろいろな説があるようですが、それだけでは片付けられない事態も起きていますから、危険な遊びには違いなく、悪霊が入り込む場所を提供している側面もありそうです。
映画「エクリプス」が面白いと思ったのは、ありがちなホラー映画ではなく、超常現象を正面から受け止めて、安易に怖がらせようとするのではなく、エンターテイメントの要素を加えながら霊現象の異様さを丁寧に描いたところ。
原題は「ヴェロニカ」で、これは主人公の少女の名前。
邦題の「エクリプス」は事件の背景になる“日食”のことですが、映画の内容からすると原題そのままに“ヴェロニカ”のほうが適切だったんじゃないかな、と思います。
少女ヴェロニカは、働きづめでいつも家にいない母親の代わりに妹二人と小さな弟の世話をしているお姉さんで、亡くなった父親に対する強い気持ちから事件を引き起こすのですが、そんな異常現象のさなかでも妹たちを必死に守ろうとする母性の持ち主として強い印象を残し、オカルト的要素の中に少女ヴェロニカの人間性を描くことに成功していると思います。
1991年6月15日、必死に助けを求める少女の声で警察に電話が入ります。
刑事が現場に急ぎ、部屋のドアを開けて中へ入ると、懐中電灯に照らし出された光景に刑事の表情は凍り付きます。
その三日前。
ヴェロニカ(サンドラ・エスカセナ)は、いつものようにベッドで目覚め、気持ちのいい朝を迎えます。
妹たちに食事の催促をされながら、小さな弟のおねしょを着換えさせ、慌ただしく学校へと向かいます。
その日は日食があるというので、学校では観察のための準備が始まっています。
でもヴェロニカは観察には向かわず、親友のロサとその友達のディアナと共に学校の地下室へ忍び込み、文字盤を使って霊を呼び出そうとしていました。
(日食が霊を呼ぶのに都合がいいためのようです)
ヴェロニカが求めていたのは、亡くなった父の声を聞くことでした。
好奇心と遊び半分で始まった降霊術は、悪霊の侵入を招き寄せる結果となり、ヴェロニカは気を失って倒れ、学校で診察を受けて事なきを得ますが、その日を境にヴェロニカと妹たちの身辺では異常な出来事が次々と起こり始めます。
恐怖にかられたヴェロニカは、母のアナ(アナ・トレント)にも相談しますが、忙しいアナはヴェロニカの話をまともに取り合おうとはしません。
超常現象と向き合わざるを得なくなったヴェロニカたちは再び文字盤を使い、死者との交信によって悪霊との別れを告げようと試みるのですが…。
監督は「REC レック」(2008年)でパニックホラーの第一人者に躍り出たパコ・プラサ。
ヒロインのヴェロニカにスペインの新星サンドラ・エスカセナ。
15歳にして初潮がなく、歯列矯正器具をつけながらも同年齢の女子生徒より背が高く、大人びた雰囲気を持ちながら清潔感の漂う、少女と女性が同居しているようなヴェロニカの存在がこの映画の魅力を高めています。
「エクリプス」を見ていてアレッ? と思ったのは、ヴェロニカたちのお母さんのアナで、どうもどこかで見たことのある気がしていたのですが、なんと、あのスペイン映画の秀作「ミツバチのささやき」(1973年)でフランケンシュタインの存在を信じるいたいけな少女アナでした。
6歳の少女もいつの間にか50歳を過ぎてしまいましたが、子どものころの面影はどこかに残っているものです。
なにしろアナは可愛かった。
「画像は“ミツバチのささやき”より」
事実を基に作られた映画ということで、怖がらせ感見え見えのホラー映画というのではなく(それはそれで面白いですが)、次々と襲い掛かる霊現象には不気味な現実感があります。
“自己犠牲”が主題と思えるような「エクリプス」、ラストはなんだか切なかった。
監督パコ・プラサ
脚本パコ・プラサ
フェルナンド・ナバーロ
撮影パブロ・ロッソ
音楽チュッキー・ナマネラ
〈キャスト〉
サンドラ・エスカセナ アナ・トレント
1991年にスペイン・マドリードで実際に起きた事件を基に作られたとされる作品。
父親を早くに亡くした15歳の少女が父親の声を聞きたいばかりに、日食の日に学校の地下で同級生3人と文字盤を使って降霊術を行います。
でもそれは悪霊を招き寄せる結果となってしまい、その日を境に少女の身辺には異変が起き始めます。
日本では“コックリさん”として知られる降霊術で、科学的にはいろいろな説があるようですが、それだけでは片付けられない事態も起きていますから、危険な遊びには違いなく、悪霊が入り込む場所を提供している側面もありそうです。
映画「エクリプス」が面白いと思ったのは、ありがちなホラー映画ではなく、超常現象を正面から受け止めて、安易に怖がらせようとするのではなく、エンターテイメントの要素を加えながら霊現象の異様さを丁寧に描いたところ。
原題は「ヴェロニカ」で、これは主人公の少女の名前。
邦題の「エクリプス」は事件の背景になる“日食”のことですが、映画の内容からすると原題そのままに“ヴェロニカ”のほうが適切だったんじゃないかな、と思います。
少女ヴェロニカは、働きづめでいつも家にいない母親の代わりに妹二人と小さな弟の世話をしているお姉さんで、亡くなった父親に対する強い気持ちから事件を引き起こすのですが、そんな異常現象のさなかでも妹たちを必死に守ろうとする母性の持ち主として強い印象を残し、オカルト的要素の中に少女ヴェロニカの人間性を描くことに成功していると思います。
1991年6月15日、必死に助けを求める少女の声で警察に電話が入ります。
刑事が現場に急ぎ、部屋のドアを開けて中へ入ると、懐中電灯に照らし出された光景に刑事の表情は凍り付きます。
その三日前。
ヴェロニカ(サンドラ・エスカセナ)は、いつものようにベッドで目覚め、気持ちのいい朝を迎えます。
妹たちに食事の催促をされながら、小さな弟のおねしょを着換えさせ、慌ただしく学校へと向かいます。
その日は日食があるというので、学校では観察のための準備が始まっています。
でもヴェロニカは観察には向かわず、親友のロサとその友達のディアナと共に学校の地下室へ忍び込み、文字盤を使って霊を呼び出そうとしていました。
(日食が霊を呼ぶのに都合がいいためのようです)
ヴェロニカが求めていたのは、亡くなった父の声を聞くことでした。
好奇心と遊び半分で始まった降霊術は、悪霊の侵入を招き寄せる結果となり、ヴェロニカは気を失って倒れ、学校で診察を受けて事なきを得ますが、その日を境にヴェロニカと妹たちの身辺では異常な出来事が次々と起こり始めます。
恐怖にかられたヴェロニカは、母のアナ(アナ・トレント)にも相談しますが、忙しいアナはヴェロニカの話をまともに取り合おうとはしません。
超常現象と向き合わざるを得なくなったヴェロニカたちは再び文字盤を使い、死者との交信によって悪霊との別れを告げようと試みるのですが…。
監督は「REC レック」(2008年)でパニックホラーの第一人者に躍り出たパコ・プラサ。
ヒロインのヴェロニカにスペインの新星サンドラ・エスカセナ。
15歳にして初潮がなく、歯列矯正器具をつけながらも同年齢の女子生徒より背が高く、大人びた雰囲気を持ちながら清潔感の漂う、少女と女性が同居しているようなヴェロニカの存在がこの映画の魅力を高めています。
「エクリプス」を見ていてアレッ? と思ったのは、ヴェロニカたちのお母さんのアナで、どうもどこかで見たことのある気がしていたのですが、なんと、あのスペイン映画の秀作「ミツバチのささやき」(1973年)でフランケンシュタインの存在を信じるいたいけな少女アナでした。
6歳の少女もいつの間にか50歳を過ぎてしまいましたが、子どものころの面影はどこかに残っているものです。
なにしろアナは可愛かった。
「画像は“ミツバチのささやき”より」
事実を基に作られた映画ということで、怖がらせ感見え見えのホラー映画というのではなく(それはそれで面白いですが)、次々と襲い掛かる霊現象には不気味な現実感があります。
“自己犠牲”が主題と思えるような「エクリプス」、ラストはなんだか切なかった。
2020年02月05日
映画「大いなる西部」− 大西部を背景に描かれる骨太い人間ドラマ
「大いなる西部」
(The Big Country)
1958年 アメリカ
監督ウィリアム・ワイラー
原作ドナルド・ハミルトン
脚本ジェームズ・R・ウェッブ
サイ・バートレット
ロバート・ワイルダー
音楽ジェローム・モロス
撮影フランツ・F・プラナー
〈キャスト〉
グレゴリー・ペック チャールトン・ヘストン
ジーン・シモンズ キャロル・ベイカー
チャック・コナーズ バール・アイヴス
第31回アカデミー賞助演男優賞受賞(バール・アイヴス)
オープニングの馬車の車輪の映像にからまるように流れる主題曲は、もうそれだけでスケールの大きさを感じさせますし、大作の重量感が伝わってきます。
水の利権にからむ対立と、古い因縁を持つ男たちの確執、恋と変節のドラマは、人間的な、最も人間くさい物語であり、「The Big Country」という原題が表しているように、それを包み込むように広がる、有史から続く大地の歴史の上で流れ去り、消え去ってゆく人間たちの物語でもあります。
映画には「シェーン」のような感動的なラストや、「第三の男」のような、ニヤリとさせる意味深なラスト、「太陽がいっぱい」では完全犯罪が崩れ去る名シーン、「猿の惑星」ではアッと言わせる名ラストシーンなどがたくさんありますが、名オープニングシーンというのは「大いなる西部」以外にはあまり思いつきません。
馬車が疾走して、その車輪をとらえた映像とダイナミックな主題曲。
それだけのシーンなのですが、翌年の「ベン・ハー」にも活かされることになる迫力ある馬車の場面は巨匠ウィリアム・ワイラーの力量なのでしょう。
さて、その駅馬車に乗って一人の男が西部にやって来ます。
男の名前はジェームズ(ジム)・マッケイ(グレゴリー・ペック)。
東部出身で紳士然としたジムは、土地の有力者ヘンリー・テリル少佐(チャールズ・ビックフォード)の娘パット(キャロル・ベイカー)と結婚するため、テキサスにやって来たのです。
パットの友人で学校教師のジュリー(ジーン・シモンズ)の家で再会したジムとパットは熱い抱擁の後に、パットの父ヘンリー・テリル少佐の牧場まで馬車で出かけます。
しかし、その途中、ヒマを持て余して草原でたむろしていたバック・ヘネシー(チャック・コナーズ)らにつかまり、馬車から引きずりおろされたマッケイは投げ縄で自由を奪われ、散々な目にあいます。
気の強いパットはライフルで立ち向かおうとしますが、ジムはそれを押しとどめ、大したことじゃないと、立ち去ってゆくバック・ヘネシーたちを見ながら、事もなげな様子ですが、ヘネシーたちに立ち向かおうともせず、なすがままにされてしまったジムの態度にパットは少なからず失望を覚えます。
もともと船長の経験のあるジムは海の荒くれ男たちには慣れていることもあって、ヘネシーたちの乱暴も西部の男たちのあいさつ程度にしか思っていなかったのですが、この事件は次第に大きく発展してゆくことになります。
パットの父ヘンリー・テリル少佐とバック・ヘネシーたちの父親ルーファス・ヘネシー(バール・アイヴス)は水源の領有権をめぐって勢力を二分しており、その確執は根の深いものであったことから、娘婿になるジムが辱(はずかし)められたことを理由に少佐は、牧童頭のスティーヴ・リーチ(チャールトン・ヘストン)たちを使ってルーファスたちの谷の集落を襲撃します。
暴力は暴力を生み、事態は混迷を深めますが、そんな中、水源を持つ土地の所有者であるジュリーに接近したジムは、両家のいざこざを解消させるために土地の権利を自分が買い取ることを提案。
水は両家に平等に分けることを主張します。
最初はジムの態度に疑問を感じていたジュリーも、やがて彼の人柄を信じ、水源の土地の権利はジム・マッケイの手に移ることになります。
しかし、少佐とヘネシーの根の深い対立は収束することなく、暴力でしか物事の解決を図ろうとしない少佐に見切りをつけたジムは、自分を信用しようとしないパットとも別れ、ことごとく敵対心をむき出しにしていたスティーブ・リーチと果てしない殴り合いの末、牧場を去ってゆきます。
やがて、ヘネシーがジュリーを誘拐して監禁したことから両家の争いは決定的なものとなり、ジムとバック・ヘネシーとのヨーロッパ式の決闘とバックの死。
さらに、少佐とルーファス・ヘネシーとの決闘へと事態は動いてゆきます。
監督は「嵐ヶ丘」(1939年)、「我等の生涯の最良の年」(1946年)、「ローマの休日」(1953年)の巨匠ウィリアム・ワイラー。
主演のジム・マッケイに「子鹿物語」(1946年)、「紳士協定」(1947年)、「キリマンジャロの雪」(1952年)などの名優グレゴリー・ペック。
牧童頭のスティーヴ・リーチに「地上最大のショウ」(1952年)、「十戒」(1956年)、「北京の55日」(1963年)のチャールトン・ヘストン。
ジムの婚約者でテリル少佐の娘パットに「ジャイアンツ」(1956年)、「デボラの甘い肉体」(1968年)、「課外授業」(1975年)のセクシー女優キャロル・ベイカー。
水源の土地所有者で、後にジムの恋人となるジュリーに「大いなる遺産」(1946年)、「ハムレット」(1948年)、「聖衣」(1953年)の名女優ジーン・シモンズ。
そして、
体の割に気の小さいバック・ヘネシーに、テレビシリーズ「ライフルマン」や「アフリカ大牧場」などで人気を博し、日本映画「復活の日」(1980年)にも出演したチャック・コナーズ。
グレゴリー・ペックとチャールトン・ヘストンが延々と殴り合うシーンが話題となった「大いなる西部」。
すべてが壮大でスケールの大きな映画ですが、人間ドラマとしての物語性は起伏に富んだ厚みのあるものになっています。
ヘンリー・テリル少佐とルーファス・ヘネシーとの長きにわたる確執。
コソコソと立ち回って強がりながらも父親に頭が上がらず、ジムとの決闘に敗れ、結局は父親の手にかかって死んでしまうバック・ヘネシー。
そんな出来損ないの息子を罵倒しながらも、最後には愛情の片りんをのぞかせるルーファス・ヘネシー。
テリル少佐に対する牧童頭スティーヴ・リーチの感情の動きなど、人間の持つ心の複雑さを個人個人の造形に当てはめて描きだし、西部劇の枠にとらわれない人間ドラマになっています。
大陸の持つ広々とした世界に生きる人間たちのドラマは、あたかも神の視点で眺めてでもいるように、グレゴリー・ペックとチャールトン・ヘストンの殴り合いにしても、テリル少佐とルーファス・ヘネシーの決闘にしても、大自然の中の点景であるかのように大地の中に溶け込んでいて、人間のいざこざやいがみ合いが小さなものであることを示しています。
いろんな意味でBigな「大いなる西部」は、大自然もBigなら登場人物もBigで、グレゴリー・ペックやチャールトン・ヘストンは190?pクラス。
チャック・コナーズにいたっては2メートル近い大男で、ジーン・シモンズに言い寄る場面などは、まるでお姫様に襲いかかる怪獣です。
ダイナミックな迫力と細やかな人間描写。いつまでも心に刻まれる名作です。
1958年 アメリカ
監督ウィリアム・ワイラー
原作ドナルド・ハミルトン
脚本ジェームズ・R・ウェッブ
サイ・バートレット
ロバート・ワイルダー
音楽ジェローム・モロス
撮影フランツ・F・プラナー
〈キャスト〉
グレゴリー・ペック チャールトン・ヘストン
ジーン・シモンズ キャロル・ベイカー
チャック・コナーズ バール・アイヴス
第31回アカデミー賞助演男優賞受賞(バール・アイヴス)
オープニングの馬車の車輪の映像にからまるように流れる主題曲は、もうそれだけでスケールの大きさを感じさせますし、大作の重量感が伝わってきます。
水の利権にからむ対立と、古い因縁を持つ男たちの確執、恋と変節のドラマは、人間的な、最も人間くさい物語であり、「The Big Country」という原題が表しているように、それを包み込むように広がる、有史から続く大地の歴史の上で流れ去り、消え去ってゆく人間たちの物語でもあります。
映画には「シェーン」のような感動的なラストや、「第三の男」のような、ニヤリとさせる意味深なラスト、「太陽がいっぱい」では完全犯罪が崩れ去る名シーン、「猿の惑星」ではアッと言わせる名ラストシーンなどがたくさんありますが、名オープニングシーンというのは「大いなる西部」以外にはあまり思いつきません。
馬車が疾走して、その車輪をとらえた映像とダイナミックな主題曲。
それだけのシーンなのですが、翌年の「ベン・ハー」にも活かされることになる迫力ある馬車の場面は巨匠ウィリアム・ワイラーの力量なのでしょう。
さて、その駅馬車に乗って一人の男が西部にやって来ます。
男の名前はジェームズ(ジム)・マッケイ(グレゴリー・ペック)。
東部出身で紳士然としたジムは、土地の有力者ヘンリー・テリル少佐(チャールズ・ビックフォード)の娘パット(キャロル・ベイカー)と結婚するため、テキサスにやって来たのです。
パットの友人で学校教師のジュリー(ジーン・シモンズ)の家で再会したジムとパットは熱い抱擁の後に、パットの父ヘンリー・テリル少佐の牧場まで馬車で出かけます。
しかし、その途中、ヒマを持て余して草原でたむろしていたバック・ヘネシー(チャック・コナーズ)らにつかまり、馬車から引きずりおろされたマッケイは投げ縄で自由を奪われ、散々な目にあいます。
気の強いパットはライフルで立ち向かおうとしますが、ジムはそれを押しとどめ、大したことじゃないと、立ち去ってゆくバック・ヘネシーたちを見ながら、事もなげな様子ですが、ヘネシーたちに立ち向かおうともせず、なすがままにされてしまったジムの態度にパットは少なからず失望を覚えます。
もともと船長の経験のあるジムは海の荒くれ男たちには慣れていることもあって、ヘネシーたちの乱暴も西部の男たちのあいさつ程度にしか思っていなかったのですが、この事件は次第に大きく発展してゆくことになります。
パットの父ヘンリー・テリル少佐とバック・ヘネシーたちの父親ルーファス・ヘネシー(バール・アイヴス)は水源の領有権をめぐって勢力を二分しており、その確執は根の深いものであったことから、娘婿になるジムが辱(はずかし)められたことを理由に少佐は、牧童頭のスティーヴ・リーチ(チャールトン・ヘストン)たちを使ってルーファスたちの谷の集落を襲撃します。
暴力は暴力を生み、事態は混迷を深めますが、そんな中、水源を持つ土地の所有者であるジュリーに接近したジムは、両家のいざこざを解消させるために土地の権利を自分が買い取ることを提案。
水は両家に平等に分けることを主張します。
最初はジムの態度に疑問を感じていたジュリーも、やがて彼の人柄を信じ、水源の土地の権利はジム・マッケイの手に移ることになります。
しかし、少佐とヘネシーの根の深い対立は収束することなく、暴力でしか物事の解決を図ろうとしない少佐に見切りをつけたジムは、自分を信用しようとしないパットとも別れ、ことごとく敵対心をむき出しにしていたスティーブ・リーチと果てしない殴り合いの末、牧場を去ってゆきます。
やがて、ヘネシーがジュリーを誘拐して監禁したことから両家の争いは決定的なものとなり、ジムとバック・ヘネシーとのヨーロッパ式の決闘とバックの死。
さらに、少佐とルーファス・ヘネシーとの決闘へと事態は動いてゆきます。
監督は「嵐ヶ丘」(1939年)、「我等の生涯の最良の年」(1946年)、「ローマの休日」(1953年)の巨匠ウィリアム・ワイラー。
主演のジム・マッケイに「子鹿物語」(1946年)、「紳士協定」(1947年)、「キリマンジャロの雪」(1952年)などの名優グレゴリー・ペック。
牧童頭のスティーヴ・リーチに「地上最大のショウ」(1952年)、「十戒」(1956年)、「北京の55日」(1963年)のチャールトン・ヘストン。
ジムの婚約者でテリル少佐の娘パットに「ジャイアンツ」(1956年)、「デボラの甘い肉体」(1968年)、「課外授業」(1975年)のセクシー女優キャロル・ベイカー。
水源の土地所有者で、後にジムの恋人となるジュリーに「大いなる遺産」(1946年)、「ハムレット」(1948年)、「聖衣」(1953年)の名女優ジーン・シモンズ。
そして、
体の割に気の小さいバック・ヘネシーに、テレビシリーズ「ライフルマン」や「アフリカ大牧場」などで人気を博し、日本映画「復活の日」(1980年)にも出演したチャック・コナーズ。
グレゴリー・ペックとチャールトン・ヘストンが延々と殴り合うシーンが話題となった「大いなる西部」。
すべてが壮大でスケールの大きな映画ですが、人間ドラマとしての物語性は起伏に富んだ厚みのあるものになっています。
ヘンリー・テリル少佐とルーファス・ヘネシーとの長きにわたる確執。
コソコソと立ち回って強がりながらも父親に頭が上がらず、ジムとの決闘に敗れ、結局は父親の手にかかって死んでしまうバック・ヘネシー。
そんな出来損ないの息子を罵倒しながらも、最後には愛情の片りんをのぞかせるルーファス・ヘネシー。
テリル少佐に対する牧童頭スティーヴ・リーチの感情の動きなど、人間の持つ心の複雑さを個人個人の造形に当てはめて描きだし、西部劇の枠にとらわれない人間ドラマになっています。
大陸の持つ広々とした世界に生きる人間たちのドラマは、あたかも神の視点で眺めてでもいるように、グレゴリー・ペックとチャールトン・ヘストンの殴り合いにしても、テリル少佐とルーファス・ヘネシーの決闘にしても、大自然の中の点景であるかのように大地の中に溶け込んでいて、人間のいざこざやいがみ合いが小さなものであることを示しています。
いろんな意味でBigな「大いなる西部」は、大自然もBigなら登場人物もBigで、グレゴリー・ペックやチャールトン・ヘストンは190?pクラス。
チャック・コナーズにいたっては2メートル近い大男で、ジーン・シモンズに言い寄る場面などは、まるでお姫様に襲いかかる怪獣です。
ダイナミックな迫力と細やかな人間描写。いつまでも心に刻まれる名作です。