「伊豆の踊子」
1974年(昭和49年) 東宝
監督 西河克己
脚本 若杉光夫
原作 川端康成
撮影 萩原憲治
〈キャスト〉
山口百恵 三浦友和 中山仁
佐藤友美 一の宮あつ子
ノーベル賞作家川端康成の同名小説の映画化で、サイレント時代の五所平之助監督、田中絹代主演のものを含めると6度目の映画化。
監督の西河克己は、前作「伊豆の踊子」(1963年、昭和38年)でもメガホンをとっており、11年ぶりの自身の監督によるリメイク。
小説「伊豆の踊子」は一高時代の康成自身の体験による旅芸人たちとの出会いと別れを、深い憂愁と抒情性の中に描き出した名作で、映画では可憐な踊子と主人公である〈私〉との切ないラブストーリーに主眼が置かれていて、それは映画という興業性の持つ宿命で仕方のないところですが、三浦友和の好演と、一の宮あつ子、中山仁、浦辺粂子などの脇役陣がしっかりしているせいか、山口百恵というアイドルスターを見るだけの映画とはひと味違ったものになっています。
大正7年(1918年)。
20歳の〈私〉(三浦友和)は、伊豆から下田までの気ままな一人旅。
湯ヶ島温泉へ二泊した、その二日目の夜に旅芸人の一行が旅館へ流しにきて、玄関の板敷で踊る踊子(山口百恵)の可憐な姿に惹かれた〈私〉は、もう一度彼らと会えることを期待しながら旅を続けます。
その後の旅の途中、天城峠へ向かう山道で突然の雨に襲われた〈私〉は峠の茶屋に飛び込み、そこで休んでいた旅芸人たちと偶然に出会います。
芸人一行の唯一の男性である栄吉(中山仁)との何げない会話が縁となって、〈私〉と彼らは下田までの道中を一緒に旅をすることになります。
踊子の薫は、孤独とやさしさを秘めた〈私〉に異性としての関心を示すようになり、また〈私〉も薫にほのかな恋心を抱くようになります。
しかし、そんな二人の初恋にも似た淡い恋は、大島へ渡る旅芸人一行と、勉強のため東京へ帰らなければならない〈私〉とは、育った若木が二つに枝分かれするように、別々の人生へと分かれてゆくことになります。
下田の港から出港した船の甲板にたたずんだ〈私〉は、遠ざかってゆく港から、さかんに白いハンカチを振る薫の姿を見つけ、蔑視と嘲(あざけ)りの中で生きてゆかなければならない薫の境遇を思い、また、いつかは汚されることになるであろう薫の純潔を暗示させながら映画は幕を閉じます。
ストーリーは特に難しいものではなく、さまざまなエピソードを積み重ねながら、〈私〉と踊子(薫)の下田港の別れへとつながっていきます。
前述したように、監督の西河克己は昭和38年(1963年)にも「伊豆の踊子」(主演・吉永小百合)を映画化していますが、これは原作を少し離れ、現代の視点で描こうとしたもので、川端康成の世界からズレてしまったような感がありました。
といって、悪い映画でもなく、主演の吉永小百合さんの踊子・薫は、原作の踊子のイメージを損なうことのない、純情と清潔感と生活の苦労を一週間ほど漬け込んで発酵させたような魅力があり、暗さや憂愁とは無縁の高橋英樹の〈私〉(映画では川崎)ということもあって、日活らしい爽やかで切なく、それはそれで面白い映画でした。
しかし、周囲から何か言われたのか、それとも、やはりこれではいかん、と思い直したのか、改めて東宝で作った今作の「伊豆の踊子」は、ひとつひとつのセリフなども、原作に忠実に従っています。
ほぼ原作に従っている山口百恵版「伊豆の踊子」ですが、映画では原作にはないエピソードをひとつ挿入しています。
飲み屋で働く幼馴染のおきみちゃん(石川さゆり)を薫が訪ねてゆくエピソードで、酌婦としての仕事は売春婦として稼がされることを意味しており、薫が訪ねた店にはおきみちゃんはおらず、どこへ行ったのだろうと案じた先に、おきみちゃんはあばら家で、おそらく結核だろうと思われる病に倒れ、死の床についている。
なんとなく「二十四の瞳」を思わせる切ないエピソードで、原作にはない話を挿入したことで、「あゝ野麦峠」的女性哀史の一コマを織り交ぜ、当時の時代背景、苦労を背負わされた女性たちの、やり場のない怒りと哀しみを描いています。
特に、おきみちゃんの死体を棺桶に入れ、誰も通らない早朝の川沿いの道を墓地へと運ぶ人足たちと、何も知らずに旅芸人たちの宿へ向かう〈私〉とを交叉させたシーンは、貧しさと苦労の中で人知れず死んでいった少女と、青春の光へ向かって進もうとする青年の、生と死の対照の一瞬を描いた見事な場面だと思います。
桜田淳子・森昌子・山口百恵の三人は「花の中三トリオ」として人気が高く、そのまま成長して「花の高一トリオ」などとして育っていきます。
歌手として群を抜いていた森昌子とは違い、山口百恵さんはお世辞にも歌がうまいとはいえなかったのですが、アイドル真っ盛りの時代で、そういう点では百恵さんの人気は高いものがあり、映画「伊豆の踊子」も、純粋に川端康成の世界を映画化するというより、アイドル山口百恵を表看板にしたアイドル路線の映画であったように思います。
封切り当時、私も映画館で観ましたが、大変な観客で、ただ、その背景には、観客動員のための仕掛けが施(ほどこ)されてありました。
原作にもあるのですが、踊子・薫が露天の浴場から全裸で飛び出してくる場面です。これは映画でもそのまま百恵さんが全裸で飛び出してくる。まさか、そんなことが、ホントかそれは? (そんなことはありません)
これは当時の週刊誌などでも盛んに話題になっていて、観客動員の多かった背景にはそんなこともあったのではないか、この推測はそれほど間違っていないと思います。初めてヘアが解禁になったジャン=ジャック・アノー監督の「愛人/ラマン」(1992年)も大変な観客でしたから(それまではガラガラの映画館だったのに)。
あらためて、山口百恵主演の「伊豆の踊子」を見ると、自然描写、時代背景、山口百恵さんの相手役として引っ張ってこられた三浦友和の、ややお坊ちゃん的ではあるが初々しい魅力、一の宮あつ子、中山仁のしっかりした演技、いまは懐かしい四代目三遊亭小円遊のいやらしい存在感、そういった枠組みがガッシリとしているせいか、最初見たころより、とてもよく出来た映画であるという印象を受けました。
ただ、残念だったのは、栄吉の女房の千代子を演じた佐藤友美さんがまったくパッとしなかったことで、この人はテレビドラマなんかで見ていたころ、美貌とやさしさと都会的な魅力を持ち、NHKの大河ドラマ「樅の木は残った」(1970年)では、若い侍を誘惑する肉感的な女性の魅力を存分に発揮していて、個人的にはとても好きな女優さんなのですが、「伊豆の踊子」ではまるで存在感がなく、損な役だったかなあ、という気もしました。
三浦友和・山口百恵の二人は「伊豆の踊子」が縁となって結婚したのは周知の通り。
映画では、ホリプロが絡んでいるため主演の山口百恵さんのほうにばかり目がいってしまいますが、「伊豆の踊子」の裏側にある差別や偏見も原作を損なうことなくキッチリと描かれています。
旅芸人という存在自体が、ヨーロッパにおけるジプシーなどのように蔑視の対象とされ、原作ではところどころ触れられている旅芸人たちへの蔑視が、映画ではやや強く押し出されて「伊豆の踊子」のテーマ性を強調しています。
アイドル山口百恵を売り出す映画として作られたものでしょうけど、当時の社会の底辺で生きる人々を描こうとしたものともいえ、アイドル映画と社会性を持った映画としての両方のバランスを取るのに苦慮したのではないかと思います。
原作は映画とは違い、小説「伊豆の踊子」は〈私〉の精神的癒しが底流になっていて、最初、踊子を見た〈私〉は、彼女が17歳か18歳だろうと思って女性を感じたと思われますが、実際には14歳であり、それは露天の浴場から全裸で飛び出すという行為によって、踊子はまだ子どもなんだと、ほほえましくもあり、また彼女に対しては、それ以降、それ以上の感情は希薄であったように思います。
むしろ、孤児であり、ひねくれた心を持て余して旅に出た〈私〉が、旅芸人たちと出会い、触れ合ううちに、自分の中で温かい感情が少しずつ湧き出してくる、そんな〈私〉の心の動きが小説の大きな流れになっています。
また、この小説を何度か読み返してみると、踊子と別れた〈私〉が船室で、東京へ向かうという少年と学生マントにくるまって涙を流す最後の場面では、なんとなくホモセクシュアルの匂いを感じて、川端康成について書かれたものなどを読んでみると、康成自身も子どものころに相次いで両親を失い、祖母を亡くし、さらに姉を亡くし、孤児となった康成は、少年との同性愛の経験などもあったということで、そんなところにも小説「伊豆の踊子」の、一面だけからではとらえることのできない独特の世界があるようにも思います。
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2020年06月29日
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