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はぴせ
元会社員の後期高齡者。自称平均的な日本人。札幌市出身、東京都在住。「心と体の健康維持・増進」を願い、求める極意は「自然体」で「頑張りすぎない程度に頑張って」日々を暮らすこと。
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2015年06月28日
A452・自分の被介護を考える〜子・孫に過大な負担をかけないために(4)
(目次)
(前回まで)
1、自分の被介護を考える
2、「寝たきり老人」〜欧米ではあまり見られない?
3、終末期医療〜本人の意思 

(今回)
4、「延命医療無用」の意思表示

年を取り、衰えていくのは自然の摂理です。
「子に面倒を見てもらう」という考えもありましょうが、
私は、体が動く間は孫・子への応援を心がけ、気持ちに張りをもって行きたいと思っています。「面倒を見てもらう」的な受け身の生き方は望みません。

本題は、自分が介護される様になった時のことをテーマにしているので、「終末期」とか「その時のための本人の意志」とかに言及しますが、どうも自分のその時の姿に実感が伴いません。(もともとこの手の話題には違和感があって、活字を目にしても、黙殺する傾向がありました)

親の介護体験、同じような体験をした人の話は実感を覚えるのですが、自分のことになると、理屈通りには行きません。人間と言うのは案外こんなものかもしれない!などと思いながら話を進めます。

(4-1)「終末医療はせぬように」と意思表示する

「”安らかに命を終えるために”
”どのように生きて、どのように死んで行くか、真剣に考える時に来ている”
このブログには、反響が多くてびっくりしました。
一般の人だけではなく、医師や看護師等も書いてくれ、若い人も関心を寄せて書いてくれて大変参考になりました。
体験に基づいたコメントなので、とても説得力がありました。


この問題には高齢者だけでなく、様々な年代、立場の人が関心を寄せていること知り、意外な気がしています。
それに反して、傘寿を迎えようとしている自分が、自分のこととしては実感を伴って考えていないことに反省させられます。
「終末医療はせぬように」と言うことぐらいは最低限しておかなければいけないと、己に語りかけます。

(4-2) 「事前指示書」「エンディングノート」

「意思表示できなくなった時に医療処置の希望を書く”事前指示書”や、
残された人に伝えたいことをまとめる「エンディングノート」を書いている人は一部です。
制度化、法制化しようという動きは、反対意見もあって、日本では実現していないです。
・・・”事前指示書”といっても、いきなりは書けないと思います。最近ようやく話し合っている家族が多くなってきたと感じますが、書き残している人は、確かに少ないです。
・・・
エンディングノートや事前指示書を書いたとしても医療現場ではなかなか相手にされないというのも事実です。
・・・
書きたくないということもあるようです。刻々と医療技術も、薬も進歩するのに、書き残した意思で医療を決められてしまう恐ろしさがあるのではないでしょうか。・・・


(4-3)尊厳死に関する法制化

最近、脳腫瘍を病み、苦痛を長引かせたくないと、自ら死を選んだ米国のブリタニーさんの報道がありましたけれど、欧米の尊厳死法案は、積極的に死を早める安楽死法です。医師による自殺ほう助です。
日本で検討中の法案は、死を免れない患者に本人が望むなら延命処置をしない、または延命処置を中止しても医師が責任を問われないという内容です。

要するに、欧米では当たり前のことを、日本で法制化しようとしています。そこに大きな違いがあります。
私が危惧するのは、もし、日本で法律が出来たら、事前に尊厳死を望むことを書面で残していない患者は、逆に延命処置をしなければならなくなる可能性です。尊厳死ができなくなります。
だから、尊厳死に関する法律を作るより、終末期の高齢者の延命処置は倫理的でないという社会通念を作る方がいいと思います。自分の親が悲惨な状況で死ぬのを見たら、将来、自分は延命処置なんていやだという人ばかりになる。あと20年もすれば自然とそうなる。ただそこまで待てないから、こうやって本などで訴えるわけです」


欧米では、積極的に死を早める安楽死法があり、医師による自殺ほう助との由。日本で検討中の法案は、死を免れない患者に本人が望むなら延命処置をしない、または延命処置を中止しても医師が責任を問われないという内容だそうです。
裏を返せば、事前に尊厳死を望むことを書面で残していない患者は、延命処置をしなければならなくなる可能性があると解説されています。
何のための、誰のための法制化なのか?疑わしくなってきます。

法制化ではなく、”延命措置はいやだ”という考えが普遍化することが好ましいのでしょうが、実際にはなかなか進まないように思われます。
どの様に進めたらよいか?

「啓発は大事ですね。特に新聞やテレビの力は大きい。それがあったから、ここまで変わってきたと思うのです。

医師教育も必要ですね。日本の大学では終末期医療を教えることはほとんどないです。アメリカでは、内科学の世界的なスタンダードであるハリソンの内科学の教科書の第1章に、終末期医療について詳細に記載されています。終末期は緩和医療を行うべきとはっきり書いてあります。教科書からして違います。医学教育も変えていかないと、医師の意識改革は難しいかもしれないですね。

アメリカは、終末期医療を重視しています。
日本は軽視し過ぎています。日本の医療では、穏やかに死を迎えることの大切さが認識されていません。


(4-4) 終末医療・延命措置全般

「枯れるように死んでいくのは、本来の自然な姿。それを良しとする風潮を、みんなが持って欲しい。もちろん医療制度の問題もありますけれども。
政府は在宅の看取りばかり言っていますけれども、無理な延命処置をしなければ、今の病床数でも十分間に合うんです」

「自宅や施設だけで看取るのは無理です。看護師がいない施設も多いので、介護の人に看取りなさいというのは酷です。(注;終末医療では医師・看護師・介護ヘルパーがチームを組みます)
自宅で死んでいけることは幸せですが、みんなは無理だと思います。自宅で死ぬ人、施設で死ぬ人、病院で死ぬ人があっていいと思いますが、どこで死んでも安らかに死ねることが大切と思います」

「病院というと、病気を治すところと思われるけれども、いい死に方を提供するのも病院の役割です」

「私が現在勤務している認知症治療病棟の看護師が、”今まで、内科病棟で通常量の点滴をして亡くなった患者さんは皆苦しそうだったけれど、ここの病棟で食べるだけ飲めるだけで点滴を行わなかった患者さんは、どの人も・・穏やかになくなっていった。こんな穏やかな死は見たことがない”と言っていました。
別の看護師は、”若い頃は、病院は医療処置をするところだと思っていた。しかし今は、何もしないで穏やかに看取って上げるのも私たちの仕事だと思えるようになった”と言っています」


(4-5) 緩和医療

この様な話を聞いたとき、私たち一般市民が注意すべきは、「終末期には、すべての医療処置が悪いと短絡的に思わない」ことだろうと思います。必要な医療までをも拒否する愚に陥らないことが肝要なはずです。

「医療側も、無駄な延命治療をやめるという考え方を利用して、必要な医療を怠ることがあってはいけないですね。(これでは医師と患者の信頼関係が壊れてしまいます)
何もしないということではないです。必要な緩和医療はどんどんやるということを強調したいです」

とドクターは強調しています。

「早々とあきらめる”みなし終末期”があってはならない」
とドクターは強調します。

本当に終末期か正しく判断する責任が医師にはあります。そして、本当に終末期であるならば、無駄な医療はしない代わりに、緩和医療を積極的にやりましょうということです」

 「胃ろうは悪いが、鼻チューブは悪くないと誤解している人がいます。その誤解から、胃ろうが減り、鼻チューブや中心静脈栄養が増えるということが起きています。しかし、鼻チューブはもっと苦しいものです。問題は、経管栄養や点滴で無理に生かされている、という点なのです」

「なんでも極論に走ってはいけないと思います。がんでも、一切の治療を拒否するというのは極端な話。治る患者もたくさんいるのですから。
胃ろうは栄養を送る良い手段です。それをどのように使うかが問題なのです。胃ろうを作る対象が広がりすぎているのが問題なのです」


(4-6) まとめ

「こうして日頃から死ぬ時のことを考えていると、1日1日が大切に思えてきます。どのように生きて、どのように死んで行くか、一人一人が真剣に考える時に来ていると思います」

ドクター夫妻の長いブログはこの一文で締めくくられています。

前述の如く、自分が介護される状態になった時、子や孫に過大の負担をかけないように、この先どの様に心がけ、どの様なことをしておく必要があるのか?

あれこれ考えはしますが、おいそれと収斂することでもなく、思い迷っているときにこのドクター夫妻のブログに出合いました。

自分の体験したこと、同じ問題を抱える人との交流で得た知見で、自分なりの「介護かくあるべし」論を持っていた積りでしたが、その外堀を埋めるように、視野が拡大された思いでいます。

ドクター夫妻のブログから多くの箇所で文章を紹介させていただきました。
全て「斜字体」で表示して、私の記事との混同がない様にしたつもりです。

今後も指導書として読ませていただきながら、自分の問題を考えていこうと思っています。

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2015年06月22日
A451・自分の被介護を考える〜子・孫に過大な負担をかけないために(3)
(前回まで)
1、自分の被介護を考える
2、「寝たきり老人」〜欧米ではあまり見られない?

(今回)

3、終末期医療〜本人の意思

「意思表示が出来る時は、本人の意思を尊重することが基本」です。
しかし実際には無視される(ことが少なくないのが)のが問題です。」

と、ドクターは強調します。話が続きます。

(3-1)医師に問題はあるが、医師だけでは改善できない

「終末期医療の問題に、大半の医師は積極的にかかわろうとせず、むしろ解決を妨げています。
例えば、私が勤めた病院では、高齢者の終末期医療について”これでいいのか”と問題提起をした医師はいませんでした。・・・
(問いかけがあっても)現状を変えようとして行動を起こす医師はなかなかいません。」


これが「終末医療を改善しようと!」と行動を起こした動機だったそうです。
勤務先の北海道で、活動の場として「高齢者の終末期医療を考える会」を作り、活動の草分け的な活動をされています。
この問題の難しさの一面を次のようにも言っております。

「医師は”自分一人の力では変えられない”と思っているのではないでしょうか。延命に対する国民の意識の問題、医療制度・診療報酬の問題、看取ってくれる自宅や施設の受け皿の問題など、問題がたくさんあり過ぎて、・・・

家族との対応でも、・・・自分(医師)の考えで自然な看取りを実践しようとしても、患者の家族に一人でも反対者がいれば、後で訴訟に巻き込まれる可能性があります。・・・それを防ぐためには大変な手間と時間がかかります。多忙な医療現場でそんな余裕はありません・・・

病院経営の問題もあります。療養病床の多分7、8割は、経管栄養や中心静脈栄養で延命されている人たちです。点滴や経管栄養を行わないと病院経営が苦しくなります。・・・
療養病床は、中心静脈栄養や・・・人工呼吸器をつけたりすると診療報酬が高くなります。点滴も何もしないで看取る患者は診療報酬が低いので、経営的には不利になるため、・・・(希望しても)入院できないことが多いのです。
(こういう環境では)声を上げても無駄だとあきらめてしまう医師が多いのもわかります。」


(3-2) 欧米と日本の医学界の違い

「意思表示できる時は、本人の意思を尊重することが基本」
と、私も思いますが、実際には家族が延命するかどうかを決める(決めざるを得ない)ケースが多いようです。

「欧米ですと、そもそも医学的適応のないことは、患者の意思にかかわらず、最初から医師の判断でやらないと書かれています。
しかし日本の場合は、その病院に人工呼吸器などの装置があればやらざるを得ず、本人や家族からどうしてもやってほしいと言われれば、できる施設を探して紹介するようにしないと医師の責任が問われます」


本人の意思表示がなく、家族が決めなければならない場合は、延命措置を「する・しない」のどちらにしても後々まで悩まされ続けます。
日本の医学会が欧米と違って、終末期の高齢者医療で”医学的適応のないことは、患者の意思にかかわらず、最初から医師の判断でやらない”と、態度を明確にしないようですが、その理由が何処にあるのだろうかと思わされます。

(3-3)インフォームド・コンセント

「インフォームド・コンセント(説明の上の同意)と言うと、若い医師は、同じ価値づけをして選択肢を示します。でも、それでは家族は困ります。
"私はこれを勧めます"とか"自分の親だったら、こうします"とか"自分が患者ならこれを選びます"と優先順位を付けてあげるのが、専門職の仕事だと思います。」

(この先、点滴をするか、しないかを決めるとき、)
「医学的に意味は有りません」ということを示すだけではなく、
「むくんで、たんが増えます。たんを定期的に吸引することになると本人はかえって苦しいです」とか、わかりやすい言葉で伝えてあげる必要があります。

「点滴を500ミリリットルしたら、こうなります。しなかったらこうなります」と、過去の経験をありのままに伝えます。
そうすると、(家族の方は)「先生にお任せします」と言われることが多いです。

「食べるだけ、飲めるだけにする」と決めると、家族の表情も良くなります。
延命処置をして、先の見えない時間を憂鬱に過ごすよりも、最後の時間を患者さんと共に大切に過ごすようになります。」


「インフォームド・コンセント」が主治医の先生次第で患者と家族とを地獄へも天国へも送られることを改めて実感します。
患者、家族が主治医の先生を選べる可能性は実質的に少なく、大部分はそうは行きません。「病院とか医師の評判を調べる」というのも何かピンとこない話です。
(続く)

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2015年06月16日
A450・自分の被介護を考える〜子・孫に過大な負担をかけないために(2)
自分が介護される状態になった時、子や孫に過大な負担をかけないようにする為、この先どの様に心がけ、どの様なことをしておく必要があるのか?

所謂介護期間はゼロに近く、周囲に迷惑をかけないことが理想ではありますが、自分でコントロール出来ないケースが多々想定されて、あれこれ考えはしますがなかなか収斂しそうにありません。

この度、高齢者の終末期医療問題に取組み、活動されているドクター夫妻(*)のブログに出合いました。
要点を引用させていただきながら、頭を整理していきたいと思います。

(*)宮本顕二(北海道中央労災病院長・「高齢者の終末期医療を考える会」事務局)・礼子(桜台明日佳病院認知症総合支援センター長・「高齢者の終末期医療を考える会」代表)
著書『欧米に寝たきり老人はいない—自分で決める人生最後の医療』(中央公論新社、税抜き1400円)平成27年6月新刊

2、「寝たきり老人」〜欧米ではあまり見られない? 引用文;斜字体

ドクター夫妻「日本では高齢者が終末期に食べられなくなると、点滴や経管栄養(鼻チューブ、胃ろう)で水分と栄養が補給されます。本人は何もわからないだけでなく、とても苦しいたんの吸引をされ、床ずれもできます。栄養の管を抜かないように手が縛られることもあります。
人生の終わりがこれでよいのだろうかとブログで発信すると、多くの読者から体験に基づいた切実な意見が寄せられました。これを本にして多くの人に紹介し、高齢者の延命問題を一緒に考えたいと思いました」


人が老齢化し、病気など他の要因も加わって衰弱して自分で食事を摂れなくなったなら、本能的に己の運命を悟るのだろうと思っています。

しかし、患者を慕う人々は「何時までも長生きを!」と願い、医療関係者は倫理観とか作られた社会通念などで、何かをしなければ!と思い、点滴やら人工的な栄養補給など延命措置を行ないます。

医療者は「処置した」という実績を残し、身内の者は「処置をした」ということである程度、とりあえず安堵します。

点滴や経管栄養(鼻チューブ、胃ろう)などの是非の評価は、老衰なのか、ガンなのか、その他の病気なのかなど時と場合の問題はあるでしょうが、
誰のための処置なのか!?の観点に立つと、
処置される当人が望むことなのか?
苦しみが増すばかりではないのか?
親、配偶者或は祖父母を介護し、付き添っている人の多くはこの思いで葛藤し続けます。

「延命措置は望まない!」
私も私の家族も同じ思いでいます。
私の場合は「延命措置は行わないこと」を書き置こうと思っています。
同じ考えの人が最近は随分増えている様に感じます。

「終末期の高齢者に延命治療が普通に行われる背景に、どんな状態でも延命すべきと思い込んでいる医師が多数いる」

という実態があるとのことですが、「終末期の高齢者医療」について、現在のような「延命治療」ではなく、当人の命運のままに、苦しまずに、「自然のままに生きる」手助けをする医療(緩和医療という言葉があるそうですが)に変わっていってほしいと思うのです。

病院が延命治療に拘るのは、遺族の一部からの賠償請求に備えてのこともある様で、医師だけでは解決できない要因が多分にあるとも言われます。

それにしても、日本とスエーデン、オーストラリアの医師の感覚があまりにも違うことに強い驚きを覚えます。(以下の記事をご参照)

「(日本では)医学生時代は終末期医療の教育を受けませんでした。医療現場では終末期医療について、先輩や同僚と話すことはありません。そのため、・・・点滴や経管栄養を減らすとか、行わないとかは考えもしませんでした。
むしろ、脱水状態や低栄養にしてはいけないと思い、終末期の高齢者だからといって、医療の内容を変えることはしませんでした」
・・・
「スウェーデンでは(2007年海外視察)・・・食べなくなった高齢者に点滴も経管栄養もしないで、食べるだけ、飲めるだけで看取みとります。(これは衝撃的でした)
・・・患者は苦しまない。かえって楽に死ねるとわかり、夫と私の常識はひっくり返ったのです。
・・・
日本では、高齢患者が・・・”誤嚥ごえん性肺炎”で亡くなることが多く、・・誤嚥性肺炎対策が高齢者医療の重要なテーマです。
しかし、この誤嚥性肺炎について、スウェーデンで尋ねたら、”何それ?”ときょとんとされたのが衝撃でした。スウェーデンでは、誤嚥性肺炎を繰り返すような悪い状態になる前に亡くなっているので、あまり問題にならないのです。延命処置で病気を作って、かえって患者を苦しめている日本の現状を強く認識しました。」


私は昨年97才の母を看取りました。寝たきりになって8か月を自宅介護しましたが、内科医、看護士さん、介護ヘルパーさんと、何時も、”誤嚥性肺炎を起こさないように”と話し合っていました。如何にスエーデンであっても、医師が知らないとは?! 多分に信じがたい思いです。

「・・・
スウェーデンがあまりにも日本と違うことをしているので、他の国の実態を確かめようとオーストラリに行ったのですが、ここも同じで、・・日本のほうが特殊な国だったのです。

ただ、よく考えてみると、日本も昔はスウェーデンと同じで、食べられなくなった高齢者はリンゴの搾り汁を口に含む程度で、家で穏やかに亡くなっていました。昔の日本の終末期医療は、今のスウェーデンやオーストラリアと同じであったことに気がつきました。
・・・
(他にも)オーストリア、オランダ、スペイン、アメリカと6か国の終末期医療を視察し、・・無意味な延命治療をしないというプラス面・・・、必要な治療が受けられないなどのマイナス面も(冒頭紹介の著書に)書いています。」

「延命処置をしないというと勘違いされるのですが、何もしないわけじゃない。延命処置はしなくても、緩和医療には手を尽くす。延命処置をする時間があったら、緩和医療に時間や人を割こうというのが、海外視察を通じて学んだことです」


紹介文にある様に、日本でも、私が子供の頃の70〜80年前は、リンゴの搾り汁を口に含む程度の、家で穏やかな終末期医療が行われていたように思いだされます。

近年、日本は豊かになり、医療技術の進歩、医療資源が強化されたことが、こと高齢者医療に於いては、病院の経営とか、関連企業・団体の利害とか、処置をしなかったことへの賠償訴訟など様々な人間関係が絡んで、本来患者のためにあるべき医療から大きくかい離してしまっている部分が目立つようになってしまっているのだと理解されます。

「先祖帰り」といいますか、日本にあった昔の姿が、今の世界の多くの国の姿であり、日本は特異な存在になっていることを関係者それぞれが知るよう努力する。という流れが大きくなることを願うのです。

一筋縄にはいかないのでしょうが「日本では緩和医療がおろそかにされている」という事実を我々一般人もよく知ることが大切だと思うのです。何れは自分の問題となることですね。
「転ばぬ先の杖」「備えあれば患いなし」。先人の知恵に学びます。

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2015年06月10日
A449・自分の被介護を考える〜子・孫に過大な負担をかけないために
1、自分の被介護を考える

「世界一の長寿を誇る日本!」などという言葉を目にすることがありますが、介護されている期間が男女とも10年以上あるという実態を直視するならば、ある制限された場合にのみ肯定されるものであって、代わって実態にそぐわない老齢者医療の姿が浮かび上がってきます。

「90歳以上の親を70歳〜80歳の子世代が介護し、更には50歳〜60歳代の孫世代が関与する」・・こんな構図が日本のごく普通のパターンになってきているのではないでしょうか。

親、祖父母の介護を行っているとき、身内の心情として「何時までも!」と願う気持ちに支配される一方で、「本人は今、どう感じているのだろうか?」との思いに襲われます。

高齢者の医療・介護の現状について、
・介護で体験したこと、見聞きしたこと、感じたことをもとにして
・自分が被介護者になるこにどう備えるか、を考えます。

「家の人は大変だろうが、在宅介護が望ましい」と第三者は言います。
「その通りだけれど、そんなものではない!」と、実際に介護に当たる人は(言うか言わないかは別として)思います。
そうしたくても出来ない多くの家族は「病院」「施設」を選びます。

被介護者の多くは「在宅」を強く望むことでしょう。
心ならずも「病院」「施設」に被介護者を託した人は「家に帰りたい!という声が何時までも耳から消えない」と言います。在宅介護を体験した者の一人として、その心情をいたく察することが出来ます。

「望ましい」と言われる「在宅介護!」
改めて言うまでもなく「かくありたい!」けれども、実際に在宅介護に当たる人は己と家族の人生を事実上否定する現実を体験し続けます。

「何時までもいて欲しい」と心底願いながら、一方では、何時まで続くか先の見えないのが在宅介護です。
しかも症状が次第に進んで、被介護人によって状況は様々ですが、徘徊したり、狂暴化したり、意思が通じなくなったり、苦痛を訴え続けたり、訳のわからない言動を繰り返したり、老衰が進んだり、・・・何時しか被介護者の面相はすっかり変わってしまい、人格も全くの別人になってしまいます。

「かっての面影は消えて、やせ細り、厳しい形相になった姿を小さな孫やひ孫に見せては、よい思い出を壊してしまうのではないかと思った」という回想も聞かれます。

介護に当たる人は悩み、苦しみながら一刻一刻、一日一日を夢中で過ごします。
後期高齢者で介護に当たっている人が体を痛め、体調をくづして、看護士さんが被介護者よりも介護者の状態を憂慮するケースも少なくないと聞きます。

「寝たきりの在宅介護」になると、ドクターと看護士さんと介護ヘルパーさんのチームが組まれ、家族の労苦は相当程度に救われますが、この体制も地域によっては人材確保が困難と言われます。

この様な状態が今後も続く!と言うより、より悪い状態になっていくであろうと予想されます。
子や孫世代にこの様な状態を受け継がせないように、少なくとも自分はどうするか?!

あれこれ考えはしますが、なかなか考えが収斂しそうにありません。
こんな折、高齢者医療の変革活動を進めるドクター夫妻(*)のブログに出合いました。
要点を引用させていただきながら、頭を整理していきたいと思います。
(続く)

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2015年06月04日
A448・自転車の交通違反罰則強化〜自転車も「車」ですよね!
1、自転車の交通違反罰則強化

6月1日から「自転車の交通違反罰則強化」が実施され、各地での取り締まり
の状況が新聞、テレビでたと報じられています。一時的なキャンペーンではなくではなく、無違反が定着するまで継続して頂きたいと願っています。

これは2013年6月に公布された改正道路交通法(一部は同年12月に施行)での「2年以内に自転車の危険な運転を防止するための講習に関する規定の整備をする」を受けてのことだそうです。不遜ながら当時はあまり意識しなかったのか忘れていました。

私も車を運転していた頃は無謀な自転車に怖い思いをしたことが何度もありましたし、高齢化のため車の運転を止めた後も、歩道を歩いていて、他人迷惑に全く無関心な、ルール無知、無自覚な(子供よりも、大人の)自転車を日常普通に見かけます。

自転車に限らず、何事においても、「自由」であることの有難さを「勝手気まま」と錯覚している人が日本人の多数派になってしまっている様に思ったりもします。

「社会の一員」であることを自覚せずに、ひたすら「気分のおもむくまま!」「辺りかまわず!」の無自覚な行動に慣れきってしまっているように見受けられます。多くの人がこんな方向に傾斜している様に思われます。

この度の「自転車の交通違反罰則強化」はこんな風潮への「目覚ましの警鐘」
「ショック療法」になってほしいと期待しています。

「信号無視はいけません」
「一時停止表示を無視してはいけません」
「酔っ払い運転はいけません」
などなど、それぞれの「知識」「感覚」は誰でも持ち合わせているのに、違反した「行動」を繰り返す人が多いのは、

「権利とか自由とかは義務・責任と表裏一体であることを不覚にも忘れたが為の行動であろうと思われます。

この度の「自転車の交通違反罰則強化」は、日本人社会の掟によって、本来の己を見失っている人に自覚を呼び起こしてもらうための措置であって欲しいと願っています。

「住みにくい世の中になる」とマイナスにとらえるのではなく、
「お互いが住みやすい世の中にする」為に、各々が「人様に迷惑をかけないように」「己の行動に自覚をもつように」戒めあうキッカケになってほしいと願っています。

2、自転車は「軽車両」

「自転車は軽車両」であり「道路交通法の適用を受ける」という認識がなく、歩行者気取りの人が驚くほどに多いのではないでしょうか。

多発する自転車事故は、自動車事故を含めた全交通事故の約2割を占めるそうで、死亡事故も少なくなく、自転車の加害者が数千万円の賠償判決を受けても、保険にも加入していなくて悲惨な状態になっているケースが稀ではないと聞きます。

子供が死亡事故を起こし、親が9千万円以上の賠償を課せられたという報道もあります。

大人にも、高校生〜小学生にも、より徹底した自転車安全教育が必須であり、
一人一人が必要な知識を持ち、常に自覚ある行動を要する時代と思われます。
まさかに備えて「自転車保険」が必須であり、すぐにも手続きすべきと思います。
「そのうちに!」は「事故を起こすまで何もしない」に繋がります。

自転車事故の発生原因には、
・安全の不確認や一時停止違反、信号無視など、運転者が交通ルールを守らないことによるものが多く、約6割に走行上の法令違反が認められるそうです。
・また、「自転車は軽車両」という認識がなかったり、
以下の様な自転車運転上の基本ルールを知らない人も少なくないようです。
(1)車道走行が原則で、歩道を走行できるのは認められた所だけの例外、
(2)車道や路側帯は左側を通行すべきこと、
(3)歩道では歩行者優先で車道寄りを徐行、
(4)飲酒運転や(対策車以外は)二人乗りは禁止 など

この度の取り締まり強化で「危険行為」とされたのは、
信号無視や遮断踏切立入り、一時停止違反に加えて、酒酔い運転やブレーキのない自転車での走行、安全運転義務違反など14項目です。

中でも「安全運転の義務の規定に違反する行為」と定められた項目では、
・スマートフォンや携帯電話を操作しながらの運転や
・音楽を聴きながら走行することなども対象になります。
“ながらスマホ”による事故は、自転車だけでなく、自動車運転者や歩行者でも発生しており、安全運転教育をする意義は大きい。と解説されています。
同感です。
・歩道をベルを鳴らしながら走ることも摘発の対象になります。

改正道交法で義務化される安全講習は、14項目に該当する危険運転を繰り返して、3年以内に2回以上検挙された運転者が対象となり、
講習は3時間で、教本や視聴覚教材が用いられるうえ、自転車の運転の適性調査に基づいて個別指導が行われるようです。受講命令に背いた場合は5万円以下の罰金が科せられる。とされています。

これまで自転車の安全運転教育は、警察庁や学校が中心となって小中学校や高校を対象に実施しているものが多かった様ですが、世の中の実態から見て、大学生や成人、高齢者に対する教育が急務と思われます。

こと自転車に限らず、「人様に迷惑をかけないように」「社会の一員である自覚をもち行動するに」戒めあうキッカケになってほしいと願っています。

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