アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog
プロフィール

はぴせ
元会社員の後期高齡者。自称平均的な日本人。札幌市出身、東京都在住。「心と体の健康維持・増進」を願い、求める極意は「自然体」で「頑張りすぎない程度に頑張って」日々を暮らすこと。
https://fanblogs.jp/hapise/index1_0.rdf
リンク集

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog
2015年06月28日
A452・自分の被介護を考える〜子・孫に過大な負担をかけないために(4)
(目次)
(前回まで)
1、自分の被介護を考える
2、「寝たきり老人」〜欧米ではあまり見られない?
3、終末期医療〜本人の意思 

(今回)
4、「延命医療無用」の意思表示

年を取り、衰えていくのは自然の摂理です。
「子に面倒を見てもらう」という考えもありましょうが、
私は、体が動く間は孫・子への応援を心がけ、気持ちに張りをもって行きたいと思っています。「面倒を見てもらう」的な受け身の生き方は望みません。

本題は、自分が介護される様になった時のことをテーマにしているので、「終末期」とか「その時のための本人の意志」とかに言及しますが、どうも自分のその時の姿に実感が伴いません。(もともとこの手の話題には違和感があって、活字を目にしても、黙殺する傾向がありました)

親の介護体験、同じような体験をした人の話は実感を覚えるのですが、自分のことになると、理屈通りには行きません。人間と言うのは案外こんなものかもしれない!などと思いながら話を進めます。

(4-1)「終末医療はせぬように」と意思表示する

「”安らかに命を終えるために”
”どのように生きて、どのように死んで行くか、真剣に考える時に来ている”
このブログには、反響が多くてびっくりしました。
一般の人だけではなく、医師や看護師等も書いてくれ、若い人も関心を寄せて書いてくれて大変参考になりました。
体験に基づいたコメントなので、とても説得力がありました。


この問題には高齢者だけでなく、様々な年代、立場の人が関心を寄せていること知り、意外な気がしています。
それに反して、傘寿を迎えようとしている自分が、自分のこととしては実感を伴って考えていないことに反省させられます。
「終末医療はせぬように」と言うことぐらいは最低限しておかなければいけないと、己に語りかけます。

(4-2) 「事前指示書」「エンディングノート」

「意思表示できなくなった時に医療処置の希望を書く”事前指示書”や、
残された人に伝えたいことをまとめる「エンディングノート」を書いている人は一部です。
制度化、法制化しようという動きは、反対意見もあって、日本では実現していないです。
・・・”事前指示書”といっても、いきなりは書けないと思います。最近ようやく話し合っている家族が多くなってきたと感じますが、書き残している人は、確かに少ないです。
・・・
エンディングノートや事前指示書を書いたとしても医療現場ではなかなか相手にされないというのも事実です。
・・・
書きたくないということもあるようです。刻々と医療技術も、薬も進歩するのに、書き残した意思で医療を決められてしまう恐ろしさがあるのではないでしょうか。・・・


(4-3)尊厳死に関する法制化

最近、脳腫瘍を病み、苦痛を長引かせたくないと、自ら死を選んだ米国のブリタニーさんの報道がありましたけれど、欧米の尊厳死法案は、積極的に死を早める安楽死法です。医師による自殺ほう助です。
日本で検討中の法案は、死を免れない患者に本人が望むなら延命処置をしない、または延命処置を中止しても医師が責任を問われないという内容です。

要するに、欧米では当たり前のことを、日本で法制化しようとしています。そこに大きな違いがあります。
私が危惧するのは、もし、日本で法律が出来たら、事前に尊厳死を望むことを書面で残していない患者は、逆に延命処置をしなければならなくなる可能性です。尊厳死ができなくなります。
だから、尊厳死に関する法律を作るより、終末期の高齢者の延命処置は倫理的でないという社会通念を作る方がいいと思います。自分の親が悲惨な状況で死ぬのを見たら、将来、自分は延命処置なんていやだという人ばかりになる。あと20年もすれば自然とそうなる。ただそこまで待てないから、こうやって本などで訴えるわけです」


欧米では、積極的に死を早める安楽死法があり、医師による自殺ほう助との由。日本で検討中の法案は、死を免れない患者に本人が望むなら延命処置をしない、または延命処置を中止しても医師が責任を問われないという内容だそうです。
裏を返せば、事前に尊厳死を望むことを書面で残していない患者は、延命処置をしなければならなくなる可能性があると解説されています。
何のための、誰のための法制化なのか?疑わしくなってきます。

法制化ではなく、”延命措置はいやだ”という考えが普遍化することが好ましいのでしょうが、実際にはなかなか進まないように思われます。
どの様に進めたらよいか?

「啓発は大事ですね。特に新聞やテレビの力は大きい。それがあったから、ここまで変わってきたと思うのです。

医師教育も必要ですね。日本の大学では終末期医療を教えることはほとんどないです。アメリカでは、内科学の世界的なスタンダードであるハリソンの内科学の教科書の第1章に、終末期医療について詳細に記載されています。終末期は緩和医療を行うべきとはっきり書いてあります。教科書からして違います。医学教育も変えていかないと、医師の意識改革は難しいかもしれないですね。

アメリカは、終末期医療を重視しています。
日本は軽視し過ぎています。日本の医療では、穏やかに死を迎えることの大切さが認識されていません。


(4-4) 終末医療・延命措置全般

「枯れるように死んでいくのは、本来の自然な姿。それを良しとする風潮を、みんなが持って欲しい。もちろん医療制度の問題もありますけれども。
政府は在宅の看取りばかり言っていますけれども、無理な延命処置をしなければ、今の病床数でも十分間に合うんです」

「自宅や施設だけで看取るのは無理です。看護師がいない施設も多いので、介護の人に看取りなさいというのは酷です。(注;終末医療では医師・看護師・介護ヘルパーがチームを組みます)
自宅で死んでいけることは幸せですが、みんなは無理だと思います。自宅で死ぬ人、施設で死ぬ人、病院で死ぬ人があっていいと思いますが、どこで死んでも安らかに死ねることが大切と思います」

「病院というと、病気を治すところと思われるけれども、いい死に方を提供するのも病院の役割です」

「私が現在勤務している認知症治療病棟の看護師が、”今まで、内科病棟で通常量の点滴をして亡くなった患者さんは皆苦しそうだったけれど、ここの病棟で食べるだけ飲めるだけで点滴を行わなかった患者さんは、どの人も・・穏やかになくなっていった。こんな穏やかな死は見たことがない”と言っていました。
別の看護師は、”若い頃は、病院は医療処置をするところだと思っていた。しかし今は、何もしないで穏やかに看取って上げるのも私たちの仕事だと思えるようになった”と言っています」


(4-5) 緩和医療

この様な話を聞いたとき、私たち一般市民が注意すべきは、「終末期には、すべての医療処置が悪いと短絡的に思わない」ことだろうと思います。必要な医療までをも拒否する愚に陥らないことが肝要なはずです。

「医療側も、無駄な延命治療をやめるという考え方を利用して、必要な医療を怠ることがあってはいけないですね。(これでは医師と患者の信頼関係が壊れてしまいます)
何もしないということではないです。必要な緩和医療はどんどんやるということを強調したいです」

とドクターは強調しています。

「早々とあきらめる”みなし終末期”があってはならない」
とドクターは強調します。

本当に終末期か正しく判断する責任が医師にはあります。そして、本当に終末期であるならば、無駄な医療はしない代わりに、緩和医療を積極的にやりましょうということです」

 「胃ろうは悪いが、鼻チューブは悪くないと誤解している人がいます。その誤解から、胃ろうが減り、鼻チューブや中心静脈栄養が増えるということが起きています。しかし、鼻チューブはもっと苦しいものです。問題は、経管栄養や点滴で無理に生かされている、という点なのです」

「なんでも極論に走ってはいけないと思います。がんでも、一切の治療を拒否するというのは極端な話。治る患者もたくさんいるのですから。
胃ろうは栄養を送る良い手段です。それをどのように使うかが問題なのです。胃ろうを作る対象が広がりすぎているのが問題なのです」


(4-6) まとめ

「こうして日頃から死ぬ時のことを考えていると、1日1日が大切に思えてきます。どのように生きて、どのように死んで行くか、一人一人が真剣に考える時に来ていると思います」

ドクター夫妻の長いブログはこの一文で締めくくられています。

前述の如く、自分が介護される状態になった時、子や孫に過大の負担をかけないように、この先どの様に心がけ、どの様なことをしておく必要があるのか?

あれこれ考えはしますが、おいそれと収斂することでもなく、思い迷っているときにこのドクター夫妻のブログに出合いました。

自分の体験したこと、同じ問題を抱える人との交流で得た知見で、自分なりの「介護かくあるべし」論を持っていた積りでしたが、その外堀を埋めるように、視野が拡大された思いでいます。

ドクター夫妻のブログから多くの箇所で文章を紹介させていただきました。
全て「斜字体」で表示して、私の記事との混同がない様にしたつもりです。

今後も指導書として読ませていただきながら、自分の問題を考えていこうと思っています。

「人気ブログランキング」に参加しています。宜しければ右欄トップ「BLOG RANKING」マークのクリックをお願い致します)
⇒⇒


(お礼と報告)
クリック頂き有難う御座います。お陰様で(本日現在)下記のランキングを得ています。今後とも宜しくお願い致します。

・参加カテゴリーランキング”医療と健康”    644/5010人中
             ”医療と健康(全般)”    19位/211人中
・総合ランキング             14,096位/1,146,587人中


バックナンバータイトルを下記分類で一覧致します。
該当するジャンルの(1)〜(8)をクリックいただくと、そこに分類されているタイトルが一覧され、
タイトルをクリックいただくと本文が開きます。


1、「日記・諸事寸話」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(1)

2-1、「身体の健康」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(2)

2-2、「運動」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(3)

2-3、「食習慣・食生活」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(4)

3、「心・頭脳の健康」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(5)

4-1、「病気・傷害・医療」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(6)

4-2、「糖尿病」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(7)

5、「福祉・介護・看護」
「ジャンルなし」

・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(8)


2015年06月22日
A451・自分の被介護を考える〜子・孫に過大な負担をかけないために(3)
(前回まで)
1、自分の被介護を考える
2、「寝たきり老人」〜欧米ではあまり見られない?

(今回)

3、終末期医療〜本人の意思

「意思表示が出来る時は、本人の意思を尊重することが基本」です。
しかし実際には無視される(ことが少なくないのが)のが問題です。」

と、ドクターは強調します。話が続きます。

(3-1)医師に問題はあるが、医師だけでは改善できない

「終末期医療の問題に、大半の医師は積極的にかかわろうとせず、むしろ解決を妨げています。
例えば、私が勤めた病院では、高齢者の終末期医療について”これでいいのか”と問題提起をした医師はいませんでした。・・・
(問いかけがあっても)現状を変えようとして行動を起こす医師はなかなかいません。」


これが「終末医療を改善しようと!」と行動を起こした動機だったそうです。
勤務先の北海道で、活動の場として「高齢者の終末期医療を考える会」を作り、活動の草分け的な活動をされています。
この問題の難しさの一面を次のようにも言っております。

「医師は”自分一人の力では変えられない”と思っているのではないでしょうか。延命に対する国民の意識の問題、医療制度・診療報酬の問題、看取ってくれる自宅や施設の受け皿の問題など、問題がたくさんあり過ぎて、・・・

家族との対応でも、・・・自分(医師)の考えで自然な看取りを実践しようとしても、患者の家族に一人でも反対者がいれば、後で訴訟に巻き込まれる可能性があります。・・・それを防ぐためには大変な手間と時間がかかります。多忙な医療現場でそんな余裕はありません・・・

病院経営の問題もあります。療養病床の多分7、8割は、経管栄養や中心静脈栄養で延命されている人たちです。点滴や経管栄養を行わないと病院経営が苦しくなります。・・・
療養病床は、中心静脈栄養や・・・人工呼吸器をつけたりすると診療報酬が高くなります。点滴も何もしないで看取る患者は診療報酬が低いので、経営的には不利になるため、・・・(希望しても)入院できないことが多いのです。
(こういう環境では)声を上げても無駄だとあきらめてしまう医師が多いのもわかります。」


(3-2) 欧米と日本の医学界の違い

「意思表示できる時は、本人の意思を尊重することが基本」
と、私も思いますが、実際には家族が延命するかどうかを決める(決めざるを得ない)ケースが多いようです。

「欧米ですと、そもそも医学的適応のないことは、患者の意思にかかわらず、最初から医師の判断でやらないと書かれています。
しかし日本の場合は、その病院に人工呼吸器などの装置があればやらざるを得ず、本人や家族からどうしてもやってほしいと言われれば、できる施設を探して紹介するようにしないと医師の責任が問われます」


本人の意思表示がなく、家族が決めなければならない場合は、延命措置を「する・しない」のどちらにしても後々まで悩まされ続けます。
日本の医学会が欧米と違って、終末期の高齢者医療で”医学的適応のないことは、患者の意思にかかわらず、最初から医師の判断でやらない”と、態度を明確にしないようですが、その理由が何処にあるのだろうかと思わされます。

(3-3)インフォームド・コンセント

「インフォームド・コンセント(説明の上の同意)と言うと、若い医師は、同じ価値づけをして選択肢を示します。でも、それでは家族は困ります。
"私はこれを勧めます"とか"自分の親だったら、こうします"とか"自分が患者ならこれを選びます"と優先順位を付けてあげるのが、専門職の仕事だと思います。」

(この先、点滴をするか、しないかを決めるとき、)
「医学的に意味は有りません」ということを示すだけではなく、
「むくんで、たんが増えます。たんを定期的に吸引することになると本人はかえって苦しいです」とか、わかりやすい言葉で伝えてあげる必要があります。

「点滴を500ミリリットルしたら、こうなります。しなかったらこうなります」と、過去の経験をありのままに伝えます。
そうすると、(家族の方は)「先生にお任せします」と言われることが多いです。

「食べるだけ、飲めるだけにする」と決めると、家族の表情も良くなります。
延命処置をして、先の見えない時間を憂鬱に過ごすよりも、最後の時間を患者さんと共に大切に過ごすようになります。」


「インフォームド・コンセント」が主治医の先生次第で患者と家族とを地獄へも天国へも送られることを改めて実感します。
患者、家族が主治医の先生を選べる可能性は実質的に少なく、大部分はそうは行きません。「病院とか医師の評判を調べる」というのも何かピンとこない話です。
(続く)

「人気ブログランキング」に参加しています。宜しければ右欄トップ「BLOG RANKING」マークのクリックをお願い致します)
⇒⇒


(お礼と報告)
クリック頂き有難う御座います。お陰様で(本日現在)下記のランキングを得ています。今後とも宜しくお願い致します。

・参加カテゴリーランキング”医療と健康”    701/5023人中
             ”医療と健康(全般)”    21位/228人中
・総合ランキング             15312位/1,145,277人中


バックナンバータイトルを下記分類で一覧致します。
該当するジャンルの(1)〜(8)をクリックいただくと、そこに分類されているタイトルが一覧され、
タイトルをクリックいただくと本文が開きます。


1、「日記・諸事寸話」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(1)

2-1、「身体の健康」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(2)

2-2、「運動」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(3)

2-3、「食習慣・食生活」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(4)

3、「心・頭脳の健康」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(5)

4-1、「病気・傷害・医療」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(6)

4-2、「糖尿病」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(7)

5、「福祉・介護・看護」
「ジャンルなし」

・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(8)

2015年06月16日
A450・自分の被介護を考える〜子・孫に過大な負担をかけないために(2)
自分が介護される状態になった時、子や孫に過大な負担をかけないようにする為、この先どの様に心がけ、どの様なことをしておく必要があるのか?

所謂介護期間はゼロに近く、周囲に迷惑をかけないことが理想ではありますが、自分でコントロール出来ないケースが多々想定されて、あれこれ考えはしますがなかなか収斂しそうにありません。

この度、高齢者の終末期医療問題に取組み、活動されているドクター夫妻(*)のブログに出合いました。
要点を引用させていただきながら、頭を整理していきたいと思います。

(*)宮本顕二(北海道中央労災病院長・「高齢者の終末期医療を考える会」事務局)・礼子(桜台明日佳病院認知症総合支援センター長・「高齢者の終末期医療を考える会」代表)
著書『欧米に寝たきり老人はいない—自分で決める人生最後の医療』(中央公論新社、税抜き1400円)平成27年6月新刊

2、「寝たきり老人」〜欧米ではあまり見られない? 引用文;斜字体

ドクター夫妻「日本では高齢者が終末期に食べられなくなると、点滴や経管栄養(鼻チューブ、胃ろう)で水分と栄養が補給されます。本人は何もわからないだけでなく、とても苦しいたんの吸引をされ、床ずれもできます。栄養の管を抜かないように手が縛られることもあります。
人生の終わりがこれでよいのだろうかとブログで発信すると、多くの読者から体験に基づいた切実な意見が寄せられました。これを本にして多くの人に紹介し、高齢者の延命問題を一緒に考えたいと思いました」


人が老齢化し、病気など他の要因も加わって衰弱して自分で食事を摂れなくなったなら、本能的に己の運命を悟るのだろうと思っています。

しかし、患者を慕う人々は「何時までも長生きを!」と願い、医療関係者は倫理観とか作られた社会通念などで、何かをしなければ!と思い、点滴やら人工的な栄養補給など延命措置を行ないます。

医療者は「処置した」という実績を残し、身内の者は「処置をした」ということである程度、とりあえず安堵します。

点滴や経管栄養(鼻チューブ、胃ろう)などの是非の評価は、老衰なのか、ガンなのか、その他の病気なのかなど時と場合の問題はあるでしょうが、
誰のための処置なのか!?の観点に立つと、
処置される当人が望むことなのか?
苦しみが増すばかりではないのか?
親、配偶者或は祖父母を介護し、付き添っている人の多くはこの思いで葛藤し続けます。

「延命措置は望まない!」
私も私の家族も同じ思いでいます。
私の場合は「延命措置は行わないこと」を書き置こうと思っています。
同じ考えの人が最近は随分増えている様に感じます。

「終末期の高齢者に延命治療が普通に行われる背景に、どんな状態でも延命すべきと思い込んでいる医師が多数いる」

という実態があるとのことですが、「終末期の高齢者医療」について、現在のような「延命治療」ではなく、当人の命運のままに、苦しまずに、「自然のままに生きる」手助けをする医療(緩和医療という言葉があるそうですが)に変わっていってほしいと思うのです。

病院が延命治療に拘るのは、遺族の一部からの賠償請求に備えてのこともある様で、医師だけでは解決できない要因が多分にあるとも言われます。

それにしても、日本とスエーデン、オーストラリアの医師の感覚があまりにも違うことに強い驚きを覚えます。(以下の記事をご参照)

「(日本では)医学生時代は終末期医療の教育を受けませんでした。医療現場では終末期医療について、先輩や同僚と話すことはありません。そのため、・・・点滴や経管栄養を減らすとか、行わないとかは考えもしませんでした。
むしろ、脱水状態や低栄養にしてはいけないと思い、終末期の高齢者だからといって、医療の内容を変えることはしませんでした」
・・・
「スウェーデンでは(2007年海外視察)・・・食べなくなった高齢者に点滴も経管栄養もしないで、食べるだけ、飲めるだけで看取みとります。(これは衝撃的でした)
・・・患者は苦しまない。かえって楽に死ねるとわかり、夫と私の常識はひっくり返ったのです。
・・・
日本では、高齢患者が・・・”誤嚥ごえん性肺炎”で亡くなることが多く、・・誤嚥性肺炎対策が高齢者医療の重要なテーマです。
しかし、この誤嚥性肺炎について、スウェーデンで尋ねたら、”何それ?”ときょとんとされたのが衝撃でした。スウェーデンでは、誤嚥性肺炎を繰り返すような悪い状態になる前に亡くなっているので、あまり問題にならないのです。延命処置で病気を作って、かえって患者を苦しめている日本の現状を強く認識しました。」


私は昨年97才の母を看取りました。寝たきりになって8か月を自宅介護しましたが、内科医、看護士さん、介護ヘルパーさんと、何時も、”誤嚥性肺炎を起こさないように”と話し合っていました。如何にスエーデンであっても、医師が知らないとは?! 多分に信じがたい思いです。

「・・・
スウェーデンがあまりにも日本と違うことをしているので、他の国の実態を確かめようとオーストラリに行ったのですが、ここも同じで、・・日本のほうが特殊な国だったのです。

ただ、よく考えてみると、日本も昔はスウェーデンと同じで、食べられなくなった高齢者はリンゴの搾り汁を口に含む程度で、家で穏やかに亡くなっていました。昔の日本の終末期医療は、今のスウェーデンやオーストラリアと同じであったことに気がつきました。
・・・
(他にも)オーストリア、オランダ、スペイン、アメリカと6か国の終末期医療を視察し、・・無意味な延命治療をしないというプラス面・・・、必要な治療が受けられないなどのマイナス面も(冒頭紹介の著書に)書いています。」

「延命処置をしないというと勘違いされるのですが、何もしないわけじゃない。延命処置はしなくても、緩和医療には手を尽くす。延命処置をする時間があったら、緩和医療に時間や人を割こうというのが、海外視察を通じて学んだことです」


紹介文にある様に、日本でも、私が子供の頃の70〜80年前は、リンゴの搾り汁を口に含む程度の、家で穏やかな終末期医療が行われていたように思いだされます。

近年、日本は豊かになり、医療技術の進歩、医療資源が強化されたことが、こと高齢者医療に於いては、病院の経営とか、関連企業・団体の利害とか、処置をしなかったことへの賠償訴訟など様々な人間関係が絡んで、本来患者のためにあるべき医療から大きくかい離してしまっている部分が目立つようになってしまっているのだと理解されます。

「先祖帰り」といいますか、日本にあった昔の姿が、今の世界の多くの国の姿であり、日本は特異な存在になっていることを関係者それぞれが知るよう努力する。という流れが大きくなることを願うのです。

一筋縄にはいかないのでしょうが「日本では緩和医療がおろそかにされている」という事実を我々一般人もよく知ることが大切だと思うのです。何れは自分の問題となることですね。
「転ばぬ先の杖」「備えあれば患いなし」。先人の知恵に学びます。

「人気ブログランキング」に参加しています。宜しければ右欄トップ「BLOG RANKING」マークのクリックをお願い致します)
⇒⇒


(お礼と報告)
クリック頂き有難う御座います。お陰様で(本日現在)下記のランキングを得ています。今後とも宜しくお願い致します。

・参加カテゴリーランキング”医療と健康”    822/4972人中
             ”医療と健康(全般)”    25位/222人中
・総合ランキング             17,330位/1,143,745人中


バックナンバータイトルを下記分類で一覧致します。
該当するジャンルの(1)〜(8)をクリックいただくと、そこに分類されているタイトルが一覧され、
タイトルをクリックいただくと本文が開きます。


1、「日記・諸事寸話」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(1)

2-1、「身体の健康」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(2)

2-2、「運動」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(3)

2-3、「食習慣・食生活」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(4)

3、「心・頭脳の健康」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(5)

4-1、「病気・傷害・医療」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(6)

4-2、「糖尿病」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(7)

5、「福祉・介護・看護」
「ジャンルなし」

・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(8)

2015年06月10日
A449・自分の被介護を考える〜子・孫に過大な負担をかけないために
1、自分の被介護を考える

「世界一の長寿を誇る日本!」などという言葉を目にすることがありますが、介護されている期間が男女とも10年以上あるという実態を直視するならば、ある制限された場合にのみ肯定されるものであって、代わって実態にそぐわない老齢者医療の姿が浮かび上がってきます。

「90歳以上の親を70歳〜80歳の子世代が介護し、更には50歳〜60歳代の孫世代が関与する」・・こんな構図が日本のごく普通のパターンになってきているのではないでしょうか。

親、祖父母の介護を行っているとき、身内の心情として「何時までも!」と願う気持ちに支配される一方で、「本人は今、どう感じているのだろうか?」との思いに襲われます。

高齢者の医療・介護の現状について、
・介護で体験したこと、見聞きしたこと、感じたことをもとにして
・自分が被介護者になるこにどう備えるか、を考えます。

「家の人は大変だろうが、在宅介護が望ましい」と第三者は言います。
「その通りだけれど、そんなものではない!」と、実際に介護に当たる人は(言うか言わないかは別として)思います。
そうしたくても出来ない多くの家族は「病院」「施設」を選びます。

被介護者の多くは「在宅」を強く望むことでしょう。
心ならずも「病院」「施設」に被介護者を託した人は「家に帰りたい!という声が何時までも耳から消えない」と言います。在宅介護を体験した者の一人として、その心情をいたく察することが出来ます。

「望ましい」と言われる「在宅介護!」
改めて言うまでもなく「かくありたい!」けれども、実際に在宅介護に当たる人は己と家族の人生を事実上否定する現実を体験し続けます。

「何時までもいて欲しい」と心底願いながら、一方では、何時まで続くか先の見えないのが在宅介護です。
しかも症状が次第に進んで、被介護人によって状況は様々ですが、徘徊したり、狂暴化したり、意思が通じなくなったり、苦痛を訴え続けたり、訳のわからない言動を繰り返したり、老衰が進んだり、・・・何時しか被介護者の面相はすっかり変わってしまい、人格も全くの別人になってしまいます。

「かっての面影は消えて、やせ細り、厳しい形相になった姿を小さな孫やひ孫に見せては、よい思い出を壊してしまうのではないかと思った」という回想も聞かれます。

介護に当たる人は悩み、苦しみながら一刻一刻、一日一日を夢中で過ごします。
後期高齢者で介護に当たっている人が体を痛め、体調をくづして、看護士さんが被介護者よりも介護者の状態を憂慮するケースも少なくないと聞きます。

「寝たきりの在宅介護」になると、ドクターと看護士さんと介護ヘルパーさんのチームが組まれ、家族の労苦は相当程度に救われますが、この体制も地域によっては人材確保が困難と言われます。

この様な状態が今後も続く!と言うより、より悪い状態になっていくであろうと予想されます。
子や孫世代にこの様な状態を受け継がせないように、少なくとも自分はどうするか?!

あれこれ考えはしますが、なかなか考えが収斂しそうにありません。
こんな折、高齢者医療の変革活動を進めるドクター夫妻(*)のブログに出合いました。
要点を引用させていただきながら、頭を整理していきたいと思います。
(続く)

「人気ブログランキング」に参加しています。宜しければ右欄トップ「BLOG RANKING」マークのクリックをお願い致します)
⇒⇒


(お礼と報告)
クリック頂き有難う御座います。お陰様で(本日現在)下記のランキングを得ています。今後とも宜しくお願い致します。

・参加カテゴリーランキング”医療と健康”    482/4990人中
             ”医療と健康(全般)”    16位/209人中
・総合ランキング             11,416位/1,140,895人中


バックナンバータイトルを下記分類で一覧致します。
該当するジャンルの(1)〜(8)をクリックいただくと、そこに分類されているタイトルが一覧され、
タイトルをクリックいただくと本文が開きます。


1、「日記・諸事寸話」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(1)

2-1、「身体の健康」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(2)

2-2、「運動」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(3)

2-3、「食習慣・食生活」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(4)

3、「心・頭脳の健康」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(5)

4-1、「病気・傷害・医療」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(6)

4-2、「糖尿病」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(7)

5、「福祉・介護・看護」
「ジャンルなし」

・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(8)


2015年02月22日
A431・医療法人の介護虐待を責めるだけでは片手落ち!?
「東京北区のシニアマンションで、入居者を日常的にベッドに縛り付けるなど高齢者虐待防止法で禁じられた虐待を行っているとして、北区は介護サービスを提供している事業所を運営する医療法人に改善計画書を提出するよう求めた」と、新聞、テレビが一斉に報じました(2月18日〜)。御覧になった方も多いと思います。

医療法人に理不尽な行為がある時は、それはそれとして厳しく責められるべきは当然ですが、単に拘束を止めさせるだけなのだろうか?が気になります。
「医療法人が拘束を止めるだけで認知症介護の問題は解決に前進するのだろうか?」
「行政も、報道も、問題の本質と向き合っているのだろうか?」
第一感、こんなことが気になります。

契約がどうなっているのか?どの様な実状なのか?を自分で確かめもせずに、批判がましいことを言うのは不適切とも思いますが、理解不足、誤解があるかもしれないことをご容赦願って、思うままを書き出してみます。

問題点1
入居者と医療法人との介護契約はどうなっているのか?が報道には見られません。
24時間介護を医療法人が行うという契約ならば医療法人の非を責めるのも理があるでしょうが、1日の回数と時間を限ってのサービス契約ならば話は異なるはずです。
(介護サービス金額が安い低い場合は、実質的には後者に類すると解されることが多いのではないかと勝手に推測します)

実際に認知症介護を体験した人ならば誰でもが骨身にしみていることでしょうが、被介護者はベッドに縛り付けられるなどの拘束には激しく抵抗します。ベッドに柵を設けることにも抗議します。
要介護度5か4の患者でもベッドから落ちたり、徘徊したりします。汚物を掴み、身辺を汚しまわったりもします。

「家に帰りたい!帰してくれ!」と患者は繰り返し、
「あの言葉が耳から離れない!」「あの様子が忘れられない!」
「希望をかなえてやれなかったことの自責に何時までも悩まされる」と、見送って何年も経った家族が話します。

自宅介護出来る家族なら出来るだけ希望に沿う様に努めますが、先の見えない介護の毎日で家族は心身ともに疲弊し、体調を崩したりします。
訪問介護は主治医、看護士、看護ヘルパーのチームで行われますが、この看護士さんから「家族のケアも私たちの仕事ですから、体調異変は何でもすぐに話してください」と言われもします。自宅介護での家族の体調異変が多く見られることが伺えます。

多くの家庭では自宅介護出来ない状況にあり、無理を重ねると介護者・家族の生活、人生の破滅につながります。
一人住まいの患者を含めて、こんな追い詰められた人々が何百万人もいるのが、認知症介護の現状のはずです。

法律に基づいて改善指示(拘束解除)するのは、目先の不合理をとりあえず正す策として有効でしょうが、
「拘束を外したら当然起こるであろう不都合、事故を誰がどう防ぐのか?!」
が行政からも、報道陣からも伝わってきません。
「医療法人がこの種サービスから撤退したらどうするつもりなのか?」
の解説があって欲しいと願うのです。これが問1です。

問題点2
介護の認定施設がひどく不足していて、民間の豪華な施設新設が相次いでいるようですが、高価で、並みの家族では経済的に負担が大きすぎるのは誰の目にも明らかです。
病院などでは期限を切って退去させられ、次の行き先を探すのが家族の共通の悩みであり、いき詰まっているのが現状のはずです。

「経済的負担が軽く、預かっててもらえるところ」という願いに応じて「高齢者(シニア)向けマンション」なるものが急増していると理解しています。(正しい理解とは言えないかもしれません。)

一般的には「入居者がマンション業者と賃貸契約を結び、同時に医療法人と介護契約を結んでいる」と聞きますが、(当然マンション業者と医療法人とは介護サービスの供給について契約あるのでしょうが)
この度問題のケースではどうなのか?
どの様な内容の介護契約が結ばれているのか?
が気になります。

報道の内容から察すると、江戸川区は「医療法人が契約遂行のコストを抑えるために不法に患者を拘束したと認定した」と思われます。

「24時間介護サービスを徹底する」という契約なら医療法人、契約内容次第ではマンション業者を調査すべきでしょうが、
「1日のサービス回数と時間限定」の介護サービス契約なら医療法人と家族の問題であって、在宅介護と同じ扱いになる訳で、単に医療法人だけの問題ではなくなるのでは?

繰り返しになりますが、「悪」は「悪」として行政の権限で厳しく監視し、罰していただくのは当然ですが、行政のなすべき仕事はこれにとどまらず、認知症介護という社会問題の本質に対処する為の全体計画をかかげ、その一環としてのこの度のような権限行使であって欲しいのです。

介護問題の本質、ポイントとして
(1)被介護者への配慮を優先するか
(2)家族の健康な人生を維持することを優先するか
について軸足をどこに置くか、行政としての考えを明示して欲しいのです。

単純に二者択一出来るような問題でないことは言うまでもありませんが、この度の行政措置とその報道からは、根本的な対応への考えを伺うことが出来ません。(たまたま報道されなかったのかもしれません)

「法律」を言い逃れの材料にするのではなく、市区町村行政の担当者として「自分はこの様な考えで行なう」との意思表示をして頂きたいのです。

東京23区のなかで江戸川区は高齢化率が最も高く、医療・介護難民と呼ばれる高齢者が急増していると聞きます。
「当該行政機関としての上記根本的な対応への考えや如何に?」が問2です。

かなり先進的であるとも伺っています。区の介護の考え、施策の実状などを開示いただけると、同じ悩みを持つ他の市区町村や、心身ともに疲れ切っている家族も注目し、「認知症介護のあり方」についての社会的な同意を形作っていくために、大きな推進力になると思うのです。
如何でしょうか?

「人気ブログランキング」に参加しています。宜しければ右欄トップ「BLOG RANKING」マークのクリックをお願い致します)
⇒⇒


(お礼と報告)
クリック頂き有難う御座います。お陰様で(本日現在)下記のランキングを得ています。今後とも宜しくお願い致します。

・参加カテゴリーランキング”医療と健康”    526/4921人中
             ”医療と健康(全般)”    15位/220人中
・総合ランキング                   12,383位/1,122,483人中


バックナンバータイトルを下記分類で一覧致します。
該当するジャンルの(1)〜(8)をクリックいただくと、そこに分類されているタイトルが一覧され、
タイトルをクリックいただくと本文が開きます。


1、「日記・諸事寸話」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(1)

2-1、「身体の健康」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(2)

2-2、「運動」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(3)

2-3、「食習慣・食生活」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(4)

3、「心・頭脳の健康」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(5)

4-1、「病気・傷害・医療」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(6)

4-2、「糖尿病」
・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(7)

5、「福祉・介護・看護」
「ジャンルなし」

・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(8)


2014年06月20日
A398・五体不満足〜されど・・・
・準備運動中に右肩に電気が走って、以後激しい痛みに悩まされるようになったのが昨年4月末でしたから、それから1年と2カ月程経過しました。しかし、未だに完治せず!の状態です。

整形外科での治療とリハビリの結果、ゆっくりとなら右腕をかなり広角度に動かせるようになり、何よりもズキンズキンする痛みがなくなって大助かりです。

俗にいう50肩の後遺症か?再発か?と思っていましたが、お医者さんの診断は「腱板損傷」。
治療と、周りの筋肉を強化する狙いのリハビリ、ストレッチを続け、半年ほどで通院を卒業して自宅療養になりましたが、これがついついさぼりがちで、その結果「未だに完治せず!」が続いています。

・半年ほど前から老親が寝たきりになって自宅介護が続いています。私自身もあと1年と少しで80歳ですから所謂「老々介護」なのでしょうが、介護のヘルパーさん、看護師さん、ホームドクターが頻繁に来宅され、準備、対応に追われて自分が後期高齢者であることなど思っている暇がない日々を過ごしています。

これって、健康によいかも知れない!?

・数年前にブログを開設して、平均的に見てほぼ3日目ごとに書き込んで来ました。
これが私の生活のリズムになっていたのですが、最近はこの間隔が結果として倍になっています。
「忙しいから、のばそう!」と意識してのことではなく、成り行きでこうなっているのです。

生活のリズムが変わって、自分のための時間が減って、今後もブログを書く間隔が更に長くなるかもしれませんが、だらだらと伸びて、いつか中断!という事は何としても避けようと思っています。

・パソコンの操作に右を使えなくなった1年2カ月前、それまでのブラインドタッチが(と言うのは気がひけますが)出来なくなり、左手だけの一本指打法になりましたが、それでも従前どおりにブログを書いてきました。何とかなりました。もともと左利きなのが幸いしたのかもしれません。

・右手で字を書けない状態が長く続きました。ペンで字を書くとき、腕や肩に想像以上に負担がかかることを図らずも体験しました。左手で書くことも出来ますが実用にはなりません。
手紙も年賀状も、パソコンからのプリントでご容赦願ってきました。

余談;左手でサラサラと字を書くと、ハンコの字のように反対の字(書いた紙を裏返しして透かしてみると普通の字)になります、右手より上手な?字を書くことが出来ます。小学校の習字の時間に、左手で反対の字を書き、裏返しすると、こちらの方が上手に見える!などと言っていたずらしたものでした。話を戻します。

その後、キーボードの打ち込みは少し右手を使えるようになりましたが、マウスは依然左手での操作で、今はほとんど不自由を感じないようになりました。習慣とはこんなものらしいと思っています。

・糖尿病と付き合って20数年、インスリン注射をするようになって10年近くなります。この間、随分辛く思った時期もありましたが、「一病息災」「災い転じて福となす」を会得して、トータルはプラスを実感しています。

あれこれ悩んだり、いろいろと調べたり、考えたり、試したり、様々な試行錯誤を繰り返して、無病であったよりも、より健康な意義ある人生を過ごしてこられたと思っています。

・糖尿病にしても、右肩痛にしても、その他、胃潰瘍、虫歯、歯周病など歯の問題、白内障など目の問題などなど五体不満足が多々あって、既にコントロール済みのもの、これからの処置するものそれぞれですが、有難いことに「一病息災」「災い転じて福となす」を実感できています。

我が家の老老介護においても、今は自分の生活のリズムを狂わされていますが、いずれはマイペースを掴めるだろうと思います。

目の前の現実は現実の問題として対処しながら、これからの自分の人生にプラスをもたらす何かを得ることでしょう。

前を向いて、頑張りすぎない程度に少しだけ頑張っていこうと思っています。

「人気ブログランキング」に参加しています。宜しければ右欄トップ「BLOG RANKING」マークのクリックをお願い致します)
⇒⇒


(お礼と報告)
クリック頂き有難う御座います。お陰様で(本日現在)下記のランキングを得ています。今後とも宜しくお願い致します。

・参加カテゴリーランキング”医療と健康”    680/4557人中
             ”医療と健康(全般)”    17位/265人中
・総合ランキング                   15063位/1,061,747人中


バックナンバータイトルを下記分類で一覧致します。
該当するジャンルの(1)〜(8)をクリックいただくと、そこに分類されているタイトルが一覧され、
タイトルをクリックいただくと本文が開きます。


1、「日記・諸事寸話」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(1)
2-1、「身体の健康」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(2)
2-2、「運動」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(3)
2-3、「食習慣・食生活」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(4)
3、「心・頭脳の健康」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(5)
4-1、「病気・傷害・医療」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(6)
4-2、「糖尿病」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(7)
5、「福祉・介護・看護」
「ジャンルなし」

-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(8)


2014年05月27日
A394・「転倒転落〜骨折〜寝たきり」の方程式
「転倒転落事故死が交通事故死と逆転」というニュースを目にして、世相の移り変わりを思わせられました。

交通事故死亡者数は、戦後の高度経済成長期に自動車保有率の上昇と呼応して増加し、「交通戦争」と比喩されもして、1970年は、年間で1万6765人(1年以内死者数では約2万2千人)と、史上最悪の記録を残しました。

しかし警察はじめ関係機関の息の長い取り組みで減少し続け2008年には7千5百人を下回ってきました。痛ましいことには変わりありませんが、事故を減らそうとする努力に成果が伴って来ていることは嬉しいことです。

これに対して転倒転落事故は微増程度での推移ですが、内訳を見ると60〜65歳から更に高齢の年齢層に集中しています。しかも加齢とともに急上昇の傾向にあります。

高齢化が急速に進む中で、今のままでは、高齢者の転倒転落事故は今後ますます増えていくことでしょう。

交通事故の減少に見られたように、関係機関の蜜度の高い関与が重要なのはもとよりですが、何よりも当事者の自覚が必要と、改めて自戒しています。

高齢化するほどに転びやすくなるのは自然の摂理です。
これを自覚したうえで、転ばない、転びにくい体をつくっていくのが肝要ですので、ストレッチで体幹を鍛え、バランスを保てる様に運動メニューを組み合わせて行う様にしています。
努めて歩くように心がけ、基礎体力の維持に努めています。

といっても、無理して頑張るのではありません。頑張らない程度に頑張って、分相応に体を動かして行こうと思っているのです。

高齢者が転倒転落すると、ちょっとした程度でも、思った以上に簡単に骨折するようです。
事実、身辺でもいくつかの事例を聞きして来ました。
「転倒転落〜骨折〜寝たきり」の方程式がかなりの確率で成り立っているようです。

寝たきりになると、誤嚥性肺炎を起こしやすくなり、様態悪化につながります。
実際に、寝たきりの介護をしていて最も心配なのは誤嚥性肺炎です。
わが身を考えるとき、転倒転落の防止を強く意識する所以です。

また、一般論として、転倒による骨折が原因で寝たきりになる場合、
⇒一度転倒を経験すると不安になり、病気でもないのに転倒を心配するばかりに閉じこもりがちになる
⇒認知症を悪化させる
⇒筋肉や骨を弱らせる
⇒さらに寝たきりに拍車をかける…
といった悪循環があると言われます。

転倒の原因を大別すると、
「内的要因」として
・加齢による機能の変化や低下(筋力、バランス機能、瞬発力、視力など)、
・転倒しやすくなる病気(変形性関節症、脳卒中後遺症、パーキンソン病、末梢神経障害など)、
・薬の副作用
などがあげられ、

「外的要因」として
・屋外の道路・建物構造、屋内の障害物、段差、
・住まいの環境や足に合わない履物など不適切な用具
などがあげられ、これらが互いに関係し重なり合うことでより危険度を増すといえそうです。

転倒の発生場所では、
一般的には「居間」、「寝室」、「廊下」などといった屋内での割合が多い傾向にあり、

また、転倒発生時の動作状況は、
歩行中や起立時といった動作変換時に多く発生しているようです。

転倒を防ぐ方法として、
まず運動療法があり、筋力強化やバランスの改善によって転倒を回避させることが出来ると考えます。

此の為のメニューは様々提唱されていますが、何時でも手軽に出来ることとして、私は
片足起立によるバランス訓練を行っています。テーブルとか、壁など、バランスを崩したとき直ぐつかまれる場所で行うようにしています。

また、足腰の筋力低下により、歩幅が狭くなったり、歩く速度が遅くなったり、つまずきやすくなったりという状況に陥りがちになります。

普段、「歩く」ことを出来るだけ頻繁に行う様にしていますが、その際、
歩幅を少しだけ広くするように心がけ、背筋を伸ばし、足を引きずらないようにしています。気が付くと元に戻っていますが、根気よく繰り返します。
転びにくい体をつくっていく為の私流の運動処方です。

高齢者は行政や病院に頼るだけでなく、自発的に運動を生活の中に取り入れながら自分の体力や体調に合わせて無理のない範囲で継続することが大切と心得ています。

先ずは、自らの自覚と努力で、転倒しにくい体をつくることが大切であると心得ています。


「人気ブログランキング」に参加しています。宜しければ右欄トップ「BLOG RANKING」マークのクリックをお願い致します)
⇒⇒


(お礼と報告)
クリック頂き有難う御座います。お陰様で(本日現在)下記のランキングを得ています。今後とも宜しくお願い致します。

・参加カテゴリーランキング”医療と健康”    596/4693人中
             ”医療と健康(全般)”    18位/261人中
・総合ランキング                   13800位/1056792人中


バックナンバータイトルを下記分類で一覧致します。
該当するジャンルの(1)〜(8)をクリックいただくと、そこに分類されているタイトルが一覧され、
タイトルをクリックいただくと本文が開きます。


1、「日記・諸事寸話」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(1)
2-1、「身体の健康」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(2)
2-2、「運動」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(3)
2-3、「食習慣・食生活」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(4)
3、「心・頭脳の健康」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(5)
4-1、「病気・傷害・医療」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(6)
4-2、「糖尿病」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(7)
5、「福祉・介護・看護」
「ジャンルなし」

-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(8)


2014年05月15日
A390・「認知症女性 7年ぶり身元判明」で思うこと
NHKテレビで認知症徘徊による行方不明者をテーマとして全国の自治体などを取材したドキュメンタリーが放送され、多くの辛い現実にご家族の労苦を思いながら拝見しました。

翌日、思わぬ展開があり、番組で放映された67歳の女性の身元が判明して7年ぶりに再会を果たした由。残念ながら認知症が進行してしまい、本人は家族を識別出来ないようです。ご家族の安堵と複雑な心境を思わせられます。

ニュースを見るほどに、対応した警察とか自治体などの処置が一般市民の期待感とあまりにも離れていることに半ば唖然とさせられた感じです

ニュースのポイントを列記してみます。

(1)7年前に館林市で徘徊中の女性が交番に保護された。認知症のため名前や住所が言えなかったため、警察は館林市に対応を委ねた。

(2)靴下にはかたかなで「ヤナギダ」、下着には「ミエコ」と書かれていたが、保護されたとき「クミコ」と名乗ったため、(理解しにくいことですが)館林市は「柳田久美子」という仮の名前をつけた。
別の記事では
群馬県警が「ミエコ」を間違って「クミコ」と書いて警視庁に報告した。とあります。

(3)家族から地元の浅草警察署に家出人の届け出があり、これが警視庁に報告され、全国の行方不明者の情報を共有するオンラインシステムに「柳田三重子」という名前と読みがな、それに身長などの体の特徴を登録された。との由。
前項(2)の群馬県警報告との違いが如何照合されたかは不明。

(4)たまたまNHKテレビの放映で身元が判明した。

新聞記事によると、警視庁の「行方不明者情報オンラインシステム」は家族からの提供写真は登録しない仕組みの由。
身元を判明するためには最も有力な資料である写真を登録しない理由は何処にあるのか疑問です。このシステムの存在目的は何なのか?と思わせられます。

また、「館林署員が保護施設で聞いた”ヤナギダエミコ”で検索したがヒットしなかった」
とあります。システムの問題か?検索方法の問題か?いかにも頼りない話です。

今回の例では警視庁、浅草警察署、館林警察署、館林市、同保護施設の誰かが本気で調べる気持ちがあったなら「名前で検索したが、該当者がいなかった」などという水準ではなく、例えば「性別」「保護年月日」「姓」などのキーワードを選んでand検索を含めて繰り返し検索を試みることでしょう。

こうした本気の捜査についての報道が見当たらないのは、実態がない為なのか?取材されなかった為なのか?

警視庁の「全国行方不明者情報オンラインシステム」には写真が登録されないなど、写真情報が関係部署に共有、活用されていないという制度上の問題点、と、

関係者の意識が手続きの形式にとどまって、本来の「身元判明」に注がれていない!という仕事への取り組み姿勢、意欲の問題とに、

市民の善意の期待とは大きく離れたものを感じます。
このままでは、今後も身元判明は期待できないままになりそうです。

警視庁は、「発見するまでに7年かかったことは残念で、今後一層行方不明者の早期発見に努めたい」と話した。と報じられています。
これでは改善は全く期待できません。「直ぐにでも、ここをこのように改める!」といった姿勢、決意を示してもらいたいのです

業務の成果を具体的にどう評価(賞罰)するか?!
仏を作ること
魂をいれること

本件に限ったことではありませんが、
市民の期待に応えるように、
市民に少しでも多くの喜びをもたらせてくれるように、

今回の件をきっかけとして、関係する皆さんが仕事の在り方、心の在り方を見直して下さることを強く期待いたします。

マスコミはその成果を追跡報道してしてほしいものです。
そうあることを視聴者、読者は期待しています。

「人気ブログランキング」に参加しています。宜しければ右欄トップ「BLOG RANKING」マークのクリックをお願い致します)
⇒⇒


(お礼と報告)
クリック頂き有難う御座います。お陰様で(本日現在)下記のランキングを得ています。今後とも宜しくお願い致します。

・参加カテゴリーランキング”医療と健康”    449/4664人中
             ”医療と健康(全般)”    14位/266人中
・総合ランキング                   10578位/1054703人中


バックナンバータイトルを下記分類で一覧致します。
該当するジャンルの(1)〜(8)をクリックいただくと、そこに分類されているタイトルが一覧され、
タイトルをクリックいただくと本文が開きます。


1、「日記・諸事寸話」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(1)
2-1、「身体の健康」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(2)
2-2、「運動」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(3)
2-3、「食習慣・食生活」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(4)
3、「心・頭脳の健康」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(5)
4-1、「病気・傷害・医療」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(6)
4-2、「糖尿病」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(7)
5、「福祉・介護・看護」
「ジャンルなし」

-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(8)


2014年04月30日
A386・「徘徊中の鉄道事故」〜この判決の支持率は?
認知症の男性が徘徊中に列車にはねられて死亡し、鉄道会社が家族に損害賠償を求める訴訟を起こした。判決は一審、控訴審ともに有罪で多額の賠償を家族に命じた。

裁判では「理由の如何を問わず、徘徊させた者に責任がある」という考えで判決されるのだろうか?
自宅介護では、46時中一瞬たりとも目を離してなならぬ(市民感覚では鎖でつなぐか監禁までしなければ不可能なことだが)、さもなくば施設にでも預けよ。と言うことなのだろうか?


私は平均的な日本人と自認していましたが、最近、世間一般の人とのものの見かた考え方がかなり違ってしまっているらしい!と思わせられる事例があって、自分をチェックしなければいけないと思っている後期高齢者です。

本件も、私の感覚では理解できないことですが、世間一般での容認派と批判派の割合を知りたいと思いますし、また、判決の正当性を納得できる見解があるのかどうかを知りたいとも思っています。まず私見を綴ってみます。

認知症の男性(愛知県大府市、当時91歳)が徘徊中に列車にはねられて死亡。
JR東海が損害賠償を求め、名古屋地裁の一審では妻と長男に720万円の支払いを命じ、
名古屋高裁での控訴審判決は妻の監督責任を認めて359万円の支払いを命じ、長男(横浜市、介護方針を決めた。)については見守る義務はなかったとしてJR東海の請求を棄却した。


という新聞記事を見ました。(朝日新聞2014年4月25日 朝刊)

事故当時、男性は91歳、要介護4と認定され、奥さんは85歳で自らも要介護1と認定されていた。横浜から介護のために近くに移り住んだ長男の妻とで介護にあたっていた。事故当日、男性は部屋で二人きりだった妻がまどろむ間に外出した。
と解説されています。

認知症で徘徊する人が線路に入るであろうことは誰もが予想出来ることです。
踏切内での事故を防ぐためには誰が、どの様な注意をすべきか?

(1)保護者が徘徊させない様に努めるべきは当然ですが、強く繋いでおくか監禁でもしない限り、事実上の限界があると考えるのが普通だと思います。

ところが、どの様な法的解釈によるのかは知りませんが、一審も、控訴審も有罪として多額の賠償命令を出しました。

85歳で自らも要介護1の妻と長男の妻が近くに移り住み介護にあたるなど、家族で介護に努めていた善良な市民に対して、「男性の妻がまどろむ間に外出して事故になったのであり、監視義務を果たしていない。
”一睡もしてはならぬ!一瞬の空白があってはならぬ!”」 と、解されます。

善良な市民に事実上の不可能(と思われること)を強要する判決が2度も繰り返されている!
法文に問題があるのか?
法を運用する人に問題があるのか?

と考えているのですが、同時に、冒頭に述べたように、
自分の考えは日本人の多数意見なのか、少数派なのか?を知りたいとも思っています。

この度の第一審、控訴審の有罪判決を
支持するか
異議ありか
判断にあたっての付帯条件
について、意見がどのように分かれるのかを知りたく思います。

(2)鉄道業者は一方的に被害者か?

徘徊者の鉄道事故を防ぐ観点から見て、鉄道会社にも侵入を防止するための注意義務があると考えます。

鉄道会社は損害請求訴訟を起こしましたが、自らの注意義務をどう考えてのことかを公開して欲しいと思います。
また判決文ではこの点に触れているのか、どうかを知りたいと思います。
同業各社の考えは足並み揃っているのでしょうか。

道路は本来人が歩くためのもの。そこに鉄道がやって来て、これを横断しました。
そのお蔭で、私たちの生活は格段に向上して、その恩恵に浸っています。

対立軸に足をかけて物言うのではなく、
鉄道会社は、徘徊者の保護者が「ちょっとまどろんだことを監視不行き届き!」として有罪判決されているのと比較して、「それを上回る処置を行なっていた」と言い切れるのでしょうか?
1本の遮断棒かロープを降ろし、警報機を鳴らしていれば責任は全うしているという了解がどこかにあるのでしょうか?

(3)判決への疑問

どんな判決でも、例外なく不服者はいるでしょうし、それだからこそ裁判制度があり、3権分立の権威が与えられているのでしょうが、人が作った法律で、人が運用する限り、完璧はないはずです。

民法では妻には配偶者として男性を見守る監督義務があるとのことで、この義務違反が有罪判決の理由とされているようです。

配偶者が如何に努めても力及ばないとき、それでも監督不行き届きと断じた根拠は何か?
結果として事故が起こったから!なのでしょうか?
判決理由に「出来るはずの努力を行わなかった」とする具体的な指摘があったのでしょか?

鉄道会社の事故防止注意義務を規定した条文を完全に果たしていると認められているのでしょうか?
また鉄道会社に対しても、保護者に求めていると同様の厳しい規定があるのでしょうか?

徘徊者が遮断機が下がっている線路内に侵入しようとした時、そばに居た通行人には止める義務がないのですか? 当然起こりうることを傍観するのみ!に対して不作為の罪が問われないのですか?(この問題は善意の第3者を事故に巻き込むことと直面するので難しいことですが)

人は「法の下では平等」であるはずなのに、また「法は善意の市民を守るためのもの」であるはずなのに、
懸命に尽くしながら大切な人を失った85歳という高齢の、しかも自らも要介護認定者の妻に、多額の罰金刑という追い討ちをかけた裁判!
という理解でいます。

インターネットホームページで多くの人の意見を拝見しようと思っています。
法律運用の慣例がどうなのかは知りませんが、何時の世でも大岡裁きが裁判の原点だろうと思っています。

「人気ブログランキング」に参加しています。宜しければ右欄トップ「BLOG RANKING」マークのクリックをお願い致します)
⇒⇒


(お礼と報告)
クリック頂き有難う御座います。お陰様で(本日現在)下記のランキングを得ています。今後とも宜しくお願い致します。

・参加カテゴリーランキング”医療と健康”    591/4599人中
             ”医療と健康(全般)”    15位/259人中
・総合ランキング                   13820位/1046359人中


バックナンバータイトルを下記分類で一覧致します。
該当するジャンルの(1)〜(8)をクリックいただくと、そこに分類されているタイトルが一覧され、
タイトルをクリックいただくと本文が開きます。


1、「日記・諸事寸話」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(1)
2-1、「身体の健康」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(2)
2-2、「運動」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(3)
2-3、「食習慣・食生活」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(4)
3、「心・頭脳の健康」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(5)
4-1、「病気・傷害・医療」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(6)
4-2、「糖尿病」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(7)
5、「福祉・介護・看護」
「ジャンルなし」

-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(8)

2014年04月09日
A379・「ピンコロ細胞」概論(2)
(前回)
1、ピンコロとは?
2、ピンコロ死について
3、「ピンコロ細胞」

(今回)
4、ピンコロ細胞はもともと体内にあるのでは?

ピンコロ細胞とは「人間が、自身の体がこの先自力で生きていけない状態になった時、体全体の組織、細胞と協議し、合意を得たうえで心臓のスイッチを切る細胞」とイメージするものです。
A373「ピンコロ細胞概論(1)2項ご参照
http://fanblogs,jp/hapise/archive/503/0

万能細胞からピンコロ細胞が出来ないものか?
後期高齢者の妄想であり願望ではありますが、こんなことを書いていますと、本気で考えている研究者がいるかもしれない!?
そんな気もしてきます。

その後も、親の介護を続けながら、わが身の処し方をあれこれと考えています。
長年高齢者医療に携わってきたお医者さんや、介護を続けてきた人の心のうちを拝聴していると、
ピンコロ細胞はもともと各人の中にあるのではないか?
それを、周りの人の感情や終末医療という名のもとに、その働きを制限しているのではないか?
と思ったりします。といっても確信ではなく、この先、微妙に変わるのかもしれません。

5、「終末期」〜当人の心と周囲の人の思い

保健科学、機能回復学者であり、高齢者の終末期医療に携わっておられる学者であり、お医者さんである先生と、内科医であり高齢者医療、認知症医療の現場で、身体と精神の両面から高齢者が望む終末医療の在り方を研究している奥さんのお二人で書かれたブログ「今こそ考えよう高齢者の終末期医療」を拝見しました。

今は介護の立場にあるけれど、近い将来介護されるようになってもおかしくない後期高齢者にとって、示唆に富むものでした。要点をいくつか列記します。

・私たち医師は、高齢者を怖がらせないように!との配慮で、死について話さないようにしていたが、実際は逆で、自分の意見をはっきり言ってくれます。

・外来通院の認知症患者さんに「人間は誰でも死が近くなると食べたり飲んだりすることが出来なくなる。しかし、今の医療は鼻から管を入れたり、胃に穴を開けたりして栄養を入れ、数年長く生きられる。意思表示できる今のうちに自分の意見を言っておいた方が良いですよ」と説明すると、ごく少数の人は「分からない」と言い、ほとんどの人は「そんなことをしてまで生きたくない」と言います。

・こんな話をして落ち込む患者さんはいません。「自分の希望を言えてよかった、心配がなくなった」と言います。

・欧米には何故寝たきり老人がいないのか?
福祉大国のデンマーク、スエーデンには、いわゆる寝たきり老人はいないと本に書かれ、
イギリス、アメリカ、オーストラリアの医師に学会で聞くと「ほとんどいない」と答えます。日本との違いは何か?

答は、胃瘻(いろう)や点滴などの人工栄養での延命を行わない事でした。
これらは非倫理的だと国民みんなが認識しているからでした。これらは老人虐待という考え方さえあるそうです。

欧米が良いのか?日本が良いのか?
しかし、胃瘻を外さないように両手を拘束されている患者を目の前にすると、人間の尊厳を考えざるを得ません。

・高齢者が終末期に受ける医療は、
家族が本人に何を望むかではなく、
本人の立場で選んでほしい。

・普段からどのように人生を終えるかを考えて、意思表示をしておく必要があります。
大切な自分の人生を、家族や、医療者に任せてはいけないと思います。

・認知症患者は病気が進行すると
食事を認識できなくなります。
介助して食べさせると、むせるようになります。
脳細胞が減って、口や喉の筋肉をコントロールできなくなるのです。

口を開けなくなったり、咀嚼せず口の中に食べ物をためるようになるのは、体が食べ物を必要としなくなっているのです。

寝たきりで、しゃべることも出来ず、家族の顔も分かりません。認知症の終末期です。

・患者の尊厳と生活の質を考えると、終末期の高齢者に胃ろう、点滴で延命を図るのは非倫理的との考えで、緩和医療に重きを置く諸外国に対して、

日本では「何もしないのはかわいそう」「ガ死させられない」「1日でも長く生きてほしい」など残される家族の思いばかりが優先され、(患者の心身を良い状態にするための)緩和の考えが後回しにされていたのではないでしょうか


以上、連載されたブログから要点の一部を抜き出させて頂きました。

6、口から食事を摂れなくなったら

体が食事を必要としなくなると、脳細胞の働きで、食欲がなくなったり、口から食事を摂れなくなったり、即ち口を開けたり、噛んだりしなくなると説明されます。
このお医者さんご夫妻のブログでは認知症患者の例で説明されましたが、ガンでも他の病気でも同じことと解されます。

「口から食事を摂れなくなった」ということは、
「体が食べ物を必要としなくなった!」 ということです。

人の体本来の摂理にしたがって生命をコントロールする特殊な細胞組織か脳細胞が体の活動を止めるように指令をだしているのだろうと解されます。

自然の摂理にしたがって静かに去っていくか、
それとも、何もわからない寝たきりの状態でも延命治療で生かされていくか?

前記の如く、ごく一部の認知症患者が「分からない」と答え、それ以外の人たちは皆、延命治療はしてほしくないと答えました。

私もまた「望まない」と答える1人だと、今は思います。
リビング・ウイルとかいう書式があるようですが、いずれにしてもはっきり意思表示して、子世代、孫世代にあらぬ負担をかけさせることのない様にする責任があると心得ます。

「人気ブログランキング」に参加しています。宜しければ右欄トップ「BLOG RANKING」マークのクリックをお願い致します)
⇒⇒


(お礼と報告)
クリック頂き有難う御座います。お陰様で(本日現在)下記のランキングを得ています。今後とも宜しくお願い致します。

・参加カテゴリーランキング”医療と健康”    538/4635人中
             ”医療と健康(全般)”    13位/280人中
・総合ランキング                   12545位/1042911人中


バックナンバータイトルを下記分類で一覧致します。
該当するジャンルの(1)〜(8)をクリックいただくと、そこに分類されているタイトルが一覧され、
タイトルをクリックいただくと本文が開きます。


1、「日記・諸事寸話」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(1)
2-1、「身体の健康」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(2)
2-2、「運動」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(3)
2-3、「食習慣・食生活」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(4)
3、「心・頭脳の健康」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(5)
4-1、「病気・傷害・医療」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(6)
4-2、「糖尿病」
-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(7)
5、「福祉・介護・看護」
「ジャンルなし」

-・「ハッピー健康習慣」バックナンバー(8)





人気ブログランキングへ
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。

Build a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: