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私:明日、所用のため、静岡方面に新幹線で行って夜1泊の予定だ。 1月29日のような新幹線トラブルにあわないといいがね。A氏:そういえば、昨日の新聞で「ボルト忘れた社員3名処分」とあったね。 1月29日の新幹線の事故の原因は、パンタグラフの部品交換の際、社員3名が4個のボルトをすべて付け忘れたことだね。 社員3名は出勤停止5日、本部長も減給処分だという。 ほかに直接の管理監督責任者として上司5人も戒告や訓告処分となったという。私:技術的な再発予防策として、ボルトなど部品の数量が一目でわかる容器を使用し、修繕の重要作業では「チェックシート」を使うように4月まで整備するそうだね。 4本締め忘れたら、ボルトが残っている容器にすれば、忘れに気がつくわけだ。 トヨタ生産方式でいうところの「ポカヨケ」の一種だね。 しかし、直接作業をしていた社員3名の出勤停止処分はおかしいね。 最初から、そのような方法をとっておればいいのであって、その責任は管理側(マネジメント側)にあるね。 3名はその不備なシステムのもとで作業した犠牲者だからね。A氏:君のブログ「JALの事故と個人責任」でも、JALが作業ミスをすると個人責任を追及していたが、事故がへらず、トヨタ生産方式を導入。 小さな事故に対して、あくまで原因を追及することに重点を置き、個人責任を追及した懲戒はしない方向に転換したということが書かれていたね。私:1999年9月30日に起きた茨城県東海村のJCO臨界事故は、ずさんな作業方法で作業をさせていたことが原因だが、作業者は死亡した。 マネジメント側が決めたシステムの犠牲者だね。 もし、この作業者が生きていたら、罪を問われただろうかね。 だから、JRも直接作業していた社員3名に処分するのはおかしいね。 別にルールを守らなかったわけでもないからね。A氏:事故を起こすとすぐに警察がとんでくるという発想は、ヒューマンエラーの対策にはよくないと君のブログの「ヒューマンエラーは裁けるか」でもとりあげていたね。私:JRには、まだ、始末書的発想が根底にあり、旧国鉄の「日勤教育」の発想をいまだにひきずっているね。 君のブログの「JR西日本の宝塚線事故と日勤教育」でもコメントしているね。 一度、しみついた悪い体質はなかなか消えないものだね。 トヨタのように、よい体質は崩壊しやすいのにね。
2010.02.28
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昨日の夜から降っていたようだが、朝、雨戸をあけたら、雨である。 梅雨のようにしっかりと降っている. 久しぶりの本格的な雨だ。 予報では夕方まで降るそうだ。 ちょっと、土曜日のウオーキングはあきらめざるを得ない。 今日は1日中、家にこもることにする。 これで123文字。 こういう書き方を「つぶやき・ツイッター」というのかな。
2010.02.27
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私:昨日のテレビでのアメリカの公聴会での豊田社長の弁明をチラチラ見ながら、「オヤッ、これはトヨタらしくないな」と思ったよ。A氏:何故?私:カンバンやカイゼンで有名なトヨタ生産方式の基本理念は、 「悪いニュースを優先する」 「問題が起きたら、『現場』にとび、『現物』を見て『現実的』に実態を把握せよ(3現主義)」 「徹底的に原因を追及し、原因でなく『真因』を把握せよ」 「そのために『なぜ(Why)を5回』繰り返せ(5W)』 というものだね。 ところがリコールなどの対応の遅れに対して、豊田社長の回答は、「トヨタの急速な成長においつけなかった」という歯切れの悪い抽象的な回答だ。 「なぜ、急速な拡大に、追いつけなかったのか」という「『なぜ』の更なる追及」がない。 「悪いニュースを優先する」というトヨタ理念が「なぜ」崩壊したのかの追及がない。 公聴会後の聴衆のテレビインタビューで、ある女性が 「リコールの遅れについては陳謝して、今後はしっかりやるというだけの回答だ。 遅れの理由の質問に対する回答になっていない」 という鋭いコメントがあったね。A氏:今朝の朝日新聞の社説で「豊田社長証言・開放的経営へカイゼンを」という見出しでコメントしているが、そこに君の言うトヨタイズムの「なぜ」の5回や、3現主義的な姿勢が、今回、見えなかったというような同じことをいっているね。私:今回のリコールは大きな問題だが、俺にとっては、経営トップのトヨタ理念のDNA崩壊のほうが致命的だと思ったね。 トヨタも若いトップ交代で普通の自動車会社になったようだね。
2010.02.26
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私:今朝の朝日新聞の「ニュースがわからん!」欄で「米国はなぜ台湾に武器を売るの?」という見出しで、解説があったね。A氏:この解説も対話形式だね。私:米国は79年に中国との国交を正常化するとともに、台湾と断交。 しかし、一方で、同時に米議会は「台湾関係法」を作り、「防御的性格の兵器」を供給するときめている。 このへんが、外交のあいまいさだね。 一方で台湾と断交しながら、一方で武器を売っている米国。 台湾の過去の国民党のロビー活動でもあったのかね。A氏:今、問題になっている、日米の核密約みたいなものかね。私:一応、米国は、最新兵器は台湾に売っていないことで、バランスを保っているという。 この解説では、中国の軍拡が進んでおり、米国は台湾に武器を与える必要があるとこの新聞では解説しているが、米国は中国が台湾をあくまで併合しないようにしているのかね。 それとも、軍事的な併合を阻止しようとしているのかね。 一応、「台湾関係法」ではそううたっているが、それは中国に対する内政干渉ともいえる。 台湾と断交しながら、一方で武器を20年以上も毎年、供与しているという本音が明確に「わからん!」ね。 経済活動では、台湾と中国は密接だがね。
2010.02.25
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学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史(上(1492ー1901年))私:この本は、上下2巻からなる。 図書館に同時に予約すると、貸し出しの待ち人数の関係で、借りられるのが上下の順にならない。 その一例だね。 下巻が先に俺の順番になり、これはすでに、ちょうど、1ヶ月前に読み、ブログにもまとめた。 小説などはそれでは困るが、歴史ものはさかのぼって読めるので、同時予約をしておく。 しかし、結果はこのように、上下、逆に読むことが多い。A氏:図書館では、上下をセットに管理できないのだね。私:この本のまとめを書こうと思っていたとき、たまたま、今朝の朝日新聞の「オピニオン・耕論」欄で、「『アバター』で語るアメリカ」という特集記事が目に付いた。 「アバター」とは歴代世界最高の興行収入を更新中のアメリカの3D(立体)映画だ。 高城幸司氏、鈴木透氏、生井英考氏の3氏がそれぞれ、寄稿している。 それを読むと、鈴木透教授の寄稿内容が、実は、この「学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史」のまとめの内容にピッタリだというのに気がついたんだよ。A氏:俺もこのコラムを読んだが、鈴木氏の記事の見出しは「米国の欺瞞と矛盾を映す戯画」とあるね。 そして、英国の専制と闘った自由の国でありながら、先住民を強制移住させた国、自由のためには進んで戦う果断な国でありながら罪なき民衆を虐殺した暴力の国、とあるね。私:この「学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史」の本は、まさに、それを詳細に描いた歴史本だね。 インディアンの強制移住の残虐性はすさまじいね。 最近、格差問題が話題になっているが、アメリカは建国以来格差社会国家だね。 建国の独立宣言も、一部のアメリカの富裕層の独立と自由だね。 モンロー主義も、アメリカはヨーロッパに干渉しないというより、北米、南米大陸には欧州は干渉させないという意味のほうが強いという。 そして、モンロー主義をかかげながら、数多くの海外出兵をしているという。A氏:鈴木氏は「アバター」の裏側には、アメリカの独善的な自由や富や権力の追求の末路、すなわち、格差社会と一国行動主義への批判的まなざしがあるという。 わがままの放棄は、日本人が考えているより、アメリカでは難しく、建国の理念そのものが、利潤追求への勤勉さや、専制を離れた自由の追求と結びついており、私利私欲を制限することは、すぐに「社会主義化だ」「反愛国的だ」と批判を受ける。私:それも一部の富裕層の立場を守るためだと「学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史」では厳しく批判しているね。A氏:鈴木氏は、08年の大統領選挙で有権者がオバマを選択したのは、ブッシュ時代に続けてきた私利私欲の追求、わがまま放題のやり方への批判と見ているね。私:この「学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史」を読むと、ブッシュ時代のアメリカは、建国以来のアメリカと本質的には変わらないということだね。A氏:鈴木氏は、このアメリカの行き詰まりをどう打開するか、オバマ大統領も米社会も見出していないという。私:個人としての自由をある程度制限しても、世界的に他者とつながり、パートナーシップを結ぶことが新しい幸福感を生むという理念が、「アバター」の監督であるキャメロンの意図なのかもしれないね。 その意味で、オバマ大統領の4年間は、単なる一時の仇花なのか、アメリカの歴史を大きく変えるのか、大きな問題だね。 一ヶ月前の下卷を読んだときの感想と同様に、そう思ったね。
2010.02.24
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私:今朝の朝日新聞の天声人語では「江戸の敵(かたき)を長崎で討つ」というのをとりあげて、長崎知事選の民主党候補の敗北について書いていたね。A氏:票差もかなり大きく、大敗だね。私:昨日の朝日新聞では、出口調査の結果をグラフで示していたが、無党派層が自民系に流れたようだね。 長崎県は、昨年の衆院選では、4区全部民主党が制覇したのに、大きな変化だね。A氏:しかし、今朝の朝日新聞では、長崎知事選の敗北を受けて、小沢幹事長が記者会見をし「国政選挙と地方選挙は基本的に有権者の意識も違う」と強気の発言があったとしているね。 しかし、この説明は去年、どこかで聞いたことがあるね。私:それは去年の自民党麻生政権のときの話だね。 去年、国政選挙の前に、都議選で自民党が大敗した。 そのときの麻生首相は「国政選挙と地方選挙は基本的に有権者の意識も違う」と強気の発言をしいていたと思うよ。A氏:麻生首相は責任をとって首相を辞めたくなかった。 小沢氏も幹事長を辞めたくない。 言い訳は同じだね。私:今朝の新聞では、仙石由人国家戦略相が、昨年3月違法献金問題が起きても、小沢代表が居直っていた。 しかし、千葉、秋田両県知事選で民主党が連敗して、ついに、5月に小沢代表が辞任したという状況と似てきたと記者団に語ったとあるね。 先が読めなくなったね。
2010.02.23
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殺人者たちの午後私:この本は何かの書評から興味を持ち、図書館に予約して借りた。 ところで、イギリスでは、死刑がない。 殺人をしても最高刑は終身刑だ。 これを英語でlifeという。 正確にはlife imprisonmentだね。 原書の題名は「LIFE AFTER LIFE」である。 LIFEが2つあるが、前者のLIFE は、通常の意味の「人生」とか「生活」の意味。 後者のLIFEは、「終身刑」の意味だね。A氏:そうすると、原題は「終身刑を受けた人のその後の人生」とでもなるのかね。私:そういうことだね。 英語の副題が「Interviews with Twelve Murderers」とある。 12人の殺人者に著者がインタビューしたものだね。 原書は1990年に発行されているが、訳者のノンフィクション作家沢木耕太郎氏の訳が遅れていて、昨年に発行された。 原著者のトニー・パーカーはインタビューのうまい人で、インタビューによる本を出しているが、1996年になくなっているという。A氏:「殺人者たちの午後」という日本訳の題名は意訳だね。私:原書は12人の殺人者のインタビューだが、日本訳は10人だね。 重複したような内容は削除したようだね。 インタビューの焦点は、殺人そのものよりも、殺人後、終身刑を受けた人の生活を中心に質問しているね。 イギリスでは、終身刑となっても、一生、刑務所にいるわけではない。 刑務所内の生活状態を見て、釈放され、一般人と同じ生活をすることができる。 ただし、一生、保護監察官の管理下にある。A氏:転居しても報告し、海外旅行はできないわけか。私:結婚するときは、相手にすべてをうちあける義務がある。 正規の就職には雇い主にすべてを報告する義務がある。 制限は死ぬまで続く。 インタビューを受けた人たちは、老若男女、バラエティがあり、終身刑を受けた後の人生も多様だね。 長い間に、結婚した人もいる。 逆に、自己にこもった人もいる。 それなりに、「生きている」ね。 殺人の動機もさまざまだが、かなり、突発的だね。 テロリストとは違うね。 死刑制度が問題になっている日本だが、死刑を受けなくなった殺人者たちの人生がどうなるのか、という事実をこの本は明確に示唆していると思うね。 インタビュー記事だし、テープレコーダーから原稿にしたのだろうから、すべて会話調で、訳も平易で読みやすかった。A氏:訳者の沢木耕太郎氏も、ノンフィクション作家だが、1960年、日本社会党委員長浅沼稲次郎を刺殺した17歳の少年山口二矢を描いた「テロルの決算」があるね。私:山口少年は、鑑別所で自殺する。 沢木氏は、殺人者にはそれなりの報いがあるべきと考えていたというが、この本を訳して、死刑を宣告された人が、生きていれば、この本に書いてあるような、複雑で濃密な終身刑後の人生があったかもしれないと、複雑な心境をあとがきで書いているね。 俺も、この本を読んでそう思ったね。 人は「何故、それでも生きるのだろうか」という疑問は残るね。
2010.02.22
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私:昨日(20日)、2年ぶりで胃カメラをとったよ。 前回は、このブログの06年の5月の「3回目の胃カメラをのむ」でも書いた。 約2年たったことになるが、これで4回目だね。A氏:何か症状でもあったんかね。私:いや、特に胃が痛いとかの理由ではない。 しかし、今回の胃カメラをやる前は、初めて嫌な気分になったね。 ガンの宣告を受けたらどうしようかと思った。 もう、いつ、ガンを宣告されるかもしれない年だからね。 同じ年代の知り合いにガンになった者が増えてきたしね。 それに、かかりつけの医者も、そろそろ、間が空いたので検診したほうがよいと言い出したしね。 だから、心電計と肺のレントゲンもついでにとった。 2年前のブログを読むと、医者とカメラの画像を見ながら会話したとあったが、今度は、医者がカメラを口に入れた頃から、麻酔が効いたのか意識がなくなり、気がついたら、もう検診は終わっていた。 麻酔が効きすぎたんかね。A氏:診断結果はどうだった?私:胃は異常なし。 細胞検査も必要なしだという。 心電計も肺のレントゲンも以前と変化なし。A氏:よかったね。 ところで、2月になって、芸能人でも俺たち世代の人がよく亡くなるね。私:そうだね。 俺の誕生日の2月11日には司会の玉置宏が脳幹出血のため76歳でなくなる。 6日後の2月17日には、藤田まことが大動脈瘤破裂でなくなった。 76歳だね。 いずれも俺たちと同じ「教科書に墨を塗った」世代だね。 特に、藤田まことは兄を沖縄戦でなくしていたせいか、一生、戦争をずっとひきずっていたね。 ご冥福を祈る。
2010.02.21
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サムライと英語私:この本は、第2の日本の敗戦時の英語ショックについては、ほとんどふれていないね。 敗戦後の日本は、アメリカの技術力に負けたということで、製造業中心にアメリカの技術を必死に学ぶ。 技術屋にとっては、英語との戦いは不可欠だ。 多少救われるのは、技術英語は限られていることと、絵や図面で議論ができることだね。 敗戦2年後にすでにトヨタからフォードに2名が派遣されている。 1ドル360円の中で、アメリカにわたった技術屋は小遣いをやりくりして帰りの土産にアメリカの英文の技術書を買い込んでくる。 そういう意味では幕末・明治初期の「サムライ」は、敗戦後は「技術屋」だね。A氏:ところで、明石氏は、グローバル化した今の英語を何故、日本の第3回目の英語ショックとしてとらえているんかね。私:それは、今の英語は英米の英語ではなく、「国際化した英語」になっているということらしい。 しかし、英語が国際語になると、いろいろな英語なまりが出てくるのは自然の流れだね。 30年くらい前に、アメリカ人と仕事上で3ヶ月くらいの期間、付き合ったことがあるが、彼は「イギリス人の英語は全くわからない」と言っていたね。A氏:俺も30年位前に、仕事でシンガポールに行ったことがあるが、あそこは、イギリスの植民地時代があったので、イギリス英語だね。 水曜日のWednesdayはウエンズディでなく、ウェッドネスディとdを発音する。 中国なまりがあるから、シンガポール英語のことを「シングリッシュ」と言っていたね。 当時、シンガポールの学校の英語のテキストは英国本土のものが多いから、クリスマスの雪の絵が出てきていたね。 もちろん、シンガポールには雪はない。私:ちょっと、話題がずれるが、日本語の方言もそうだね。 養老孟司氏が、どこかの本で書いていたが、幕末の戊辰戦争で、江戸無血開城を決めたのは、西郷隆盛と勝海舟の直接会談の結果だが、西郷は薩摩弁、一方の勝海舟はチャキチャキの江戸弁。 両者は話が通じたのかと養老孟司氏は疑問を持っていたね。A氏:両者とも英語は多少知っていただろうから、英語でやったのかね。 いや、これは冗談。 ところで、英語問題の第3次の日本人へのショックは、明石氏が言うグローバル化よりも、インターネットではないかね。私:しかし、この本でも書いてあるように、母国語は文化の象徴だね。 その母国語や文化をしっかり把握していないと、英語を学んでも、底の浅い英語力、表面的な表現能力しか得られないというのは、常識のようだね。 幕末、明治初期のサムライは、「武士道」の心を持って英語を話したので中身があったんだろうね。 その点、現在の日本人は、「武士道」精神がなくなっている。 それに、第2の英語危機の敗戦後の日本には、「技術吸収」というハングリー精神があった。 第3の危機のグローバル化時代の英語力は、幕末や敗戦後の危機感からくるハングリー精神がないのではないか。 目的意識が不明確なのが、大きな違いだろうね。 この本を読んでそう思ったよ。
2010.02.20
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サムライと英語私:明石氏は、敗戦後、自分がどのように英語に接したか、この本ではあまり詳しく述べていない。 オランダ語出身の福沢諭吉が、英語を学ぶときに共に英語を学ぶ友人を作ったことが効果的だということに触れて、明石氏も、同じ体験をしたと述べているね。A氏:明石氏は旧制中学で敗戦を迎えたろうから、英語の授業はあったのではと思うね。私:この本では、その辺のところは、1頁くらいしか書いてないね。 明石氏は旧制の秋田中学で、英語を学んでいるが、英語はあまり好きでなかったという。 「カムカムイングリッシュ」などは占領軍に迎合しているようで、反発すら感じたという。A氏:NHKの「カムカムイングリッシュ」は当時人気番組だったね。私:俺は、反発をまったく感じなかったね。 むしろ、「This is a pen」式の学校英語より、庶民的、現実的な「カムカムイングリッシュ」の熱心なファンだったね。 テキストを片手に、ラジオに聞き入っていたね。 英語もしゃれていた。 「クリスマスはもうすぐだ」というのを英語でChristmas is just around the cornerと言っていたね。 かっこいいね。 俺にとっては、英語は、幕末のサムライみたいにハングリーだったね。 ただ、国家的な危機感でなく、新しい言語やアメリカ文化への好奇心からだね。 最後の旧制中学生なのに、英字新聞をとって毎日辞書と格闘して読んだ。 俺のところは地方都市だが、アメリカの占領政策で、立派な英語の図書館ができたね。 どこから来たのか英語の本が山のようにあった。 アメリカの占領政策の強い意志を感じたね。 講和条約後はなくなったと思うがね。A氏:明石氏は年齢からすると、高校は新制でなく旧制高校だね。 旧制山形高校から東大に行く。私:東大の2年生の授業でアメリカ人が教壇に立つんだが、最初は、全く言っていることがわからなかったという。 しかし、英語の文章は読む力があったので、福沢諭吉のように友人と英語のディスカッションをするうちに、1年後にはアメリカ人講師の英語がほとんどわかるようになったという。 明日は、グローバル化時代の英語を考えてみよう。
2010.02.19
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サムライと英語 私:6年前に発行された本なんで図書館から待ちなしで借りられた。 新書版だから、2日間の酒田旅行の往復の飛行機の中で読み切った。 この本を読むきっかけは、楽天ブログの「しろくま図書館」でとりあげていたのに興味を持ったことだね。 幕末から明治初期にかけて、当時、政治にかかわっていた「サムライ」がどのように英語に直面していったかという点に興味を持ったね。A氏:君の英語への関心は「誤訳知的街道」があることでも分かるね。私:著者の明石氏は、俺たちとほぼ同世代で、ちょっと先輩だね。 旧制中学で敗戦を向かえたようだね。 英語は「敵性語」として扱われた軍国主義時代に育ったわけで、軍国少年だろうね。 だから、敗戦のときも幕末同様、英語ショックはあったね。 明石氏は、日本の英語ショックは、「幕末」と「太平洋戦争の敗戦時」と「グローバル化時代」の3つがあるという。A氏:幕末と太平洋戦争敗戦時とは似ているが、その後のグローバル化はそんなに英語ショックはなかったのではないの。私:俺もそう思うね。 日本は冷戦時代も、西側諸国には輸出をどんどんしていたので、英語だけでなく、ヨーロッパ、東南アジアなどいろいろな言語と対応していたからね。 冷戦時代でも言語的にはグローバル化に対応せざるを得なかったね。 しかし、この本で一番、興味がわいたのは、ペリーが黒船で来たときの話しだね。A氏:幕末には日本は平戸でオランダを通じて外国へつながっていたから、通訳というとオランダ語だね。私:1853年、黒船が浦賀に来たときの日本で英語ができる通訳は森山栄之助という人がいたという。 もともと、オランダ語の通訳だったのが、たまたま、北海道に漂着したアメリカ人に学んだという。 しかし、彼は当時は長崎にいて、浦賀に来たペリーの対応には間に合わなかった。 そこで、浦賀奉行のオランダ通詞(通訳)堀達之助が与力の中島三郎助と黒船に近づく。 当時、堀達之助は、30歳で、生まれは長崎のオランダ通詞の家だという。 ペリー側も、日本の事情を知っていて、オランダ語の通訳を雇っていた。 そして、英語をよく知らない堀達之助の第一声は、黒船の甲板にいる水兵に伝えた英語の「I can speak Dutch」だという。 これが、日米外交史上、公式資料に残されたサムライが話した最も古い英語だという。A氏:ということは、オランダ通詞も多少英語は知っていたんだね。私:1808年、イギリスの軍艦がオランダ船を装って長崎湾に乱入し、食料などを略奪するというフェートン号事件が起きる。 これを機に、幕府はオランダ通詞に英語も学ぶようにしていたというから、多少の英語はできたんだろうね。A氏:ペリー以後、サムライたちの英語ブームがはじまるのだね。私:堀達之助は、黒船が来た9年後の1862年、日本で最初の本格的な「英和辞書」を作る。 総語数3万語だというから、すごいものだね。 後に伊藤博文もこの辞書を携えて渡英したという。 当時のサムライたちの英語習得のスピードはすさまじく、現代のわれわれはとても及ばないという。 オランダ語の素地があったこと、戦争のない時代のサムライには勉強の時間が十分にあったこと、欧米に追いつかなければ、国が危ないということを肌で感じているハングリー精神があったことなどの背景があるね。 目的意識が明確な英語学習だね。 この本は、明治維新の廃藩置県、廃刀令、西南戦争という歴史の話が長々続き、ちょっと本題から離れている部分が多い。それから、新渡戸稲造の「武士道」にもかなり詳しく触れている。 これもあまり、本題と関係ないね。 明日は、太平洋戦争敗戦後と英語の問題を考えよう。 俺たちが経験した英語ショックだね。
2010.02.18
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私:昨日は、庄内空港から最終便で帰ってきたが、寝たのは12時半だよ。 厳密には、今日の日付で就寝したことになる。A氏:庄内便の最終は、そんなに遅いのがあるの?私:いや、最終便は17時45分だね。 羽田着が18時50分だ。 便は予定通りに羽田に着いた。 俺の家の近くの駅まで、羽田から高速経由の直行バスが出ていて、45分くらいで着く。 高速道路は空いていて、時間通りに走っていた。 問題は、小雨が降っていたことだ。A氏:君は用心深いから折りたたみ傘を持っていたんだろう。私:ところが今回は違った。 俺はちょっと出かけるときも小さな携帯の折りたたみ傘を持って出るほど、雨に対しては用心深いのに、日曜日に横浜を出るときにあまりの快晴につられたのか、今回は折りたたみ傘を忘れた。 仕方ないので、バスの中で、こっそり、携帯で家に電話して、駅まで車で迎えに来るように連絡した。 バスは快調で定刻より、2,3分早く8時7分頃に駅に着いた。 家人の迎えの車も待っていた。 ここまでは、順調だった。A氏:何かあったのかい?私:家に帰って、着替えをしていたとき、背広の胸のポケットにしまってあったはずの携帯電話がない。 あちこち、ポケットやかばんを探したがない。A氏:バスの中で携帯電話したんだから、その時点まではあったことになるね。私:ふだんは電話して、背広の胸のポケットに入れるのが、寒い山形に行くというのでライナーつきの厚いオーバー着ているので、背広との間につっこんでしまったようだ。 すぐにインターネットで、路線の時刻表のサイトを検索したら、バス会社の事務所の連絡窓口の電話番号が掲示されていた。 すぐ、電話した。 そしたら、そのバスの運転手から携帯電話の忘れ物があったという連絡がその事務所にあったところだという。A氏:それはよかったね。私:ところが、その運転手は、事務所に寄らず、そのまま、羽田向けの客を乗せて走っているんだという。 そして、また、ユーターンして、俺の近くの駅に帰ってくるという。 その間はその運転手が俺の携帯を持っているわけだ。 その運転手がユーターンしてまたもどってくるのが、時刻表では10時50分。 そこで2つの選択肢となった。 翌日、事務所まで携帯電話を取りに行くか、10時50分に駅のバス停でその運転手を待つかだね。 事務所はちょっと不便なところにあるので、10時50分頃、駅まで行くほうを選択してて、10時50分の定刻に着いたバスの運転手からもらったよ。A氏:一件落着だね。私:しかし、それまでは入浴もできずだよ。 結局、11時過ぎに入浴。 後、雑務整理をして床についたのが12時を過ぎていたというわけさ。 久しぶりの旅の結末は、とんだ結末となったね。A氏:まぁ、携帯電話がすぐにもどったということで「吉」とすべきだね。私:ともかく、寝不足だから、今日はゆっくり休むよ。
2010.02.17
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私:これは、国立国会図書館長の長尾真氏への長いインタビュー記事だね。 今、グーグルの「電子図書館」が世界中の話題を招いている。A氏:俺も読んだが、この記事の見出しにも「グーグルの英語支配・無視される各国語文化・日本に危機感あるか」とあるね。私:本の場合、著作権などの問題が絡むのだろうね。 しかし、グーグルは商業目的だから、国会図書館のような役割ができるのか疑問だね。 そこで世界各国は国が図書館のデジタル化をすすめているという。A氏:韓国ではデジタル化した書籍をネット配信し、国が作家や出版社など著作権者に一定の補償金を支払い、利用者も料金を負担しているという。 もちろん、これは韓国語だろうね。 米英仏独や中国でも、国が巨費を投じてデジタル化を進めており、世界的に電子図書館化の流れは急速だという。 米英は英語だろうが、仏独はそれぞれドイツ語、フランス語なのかね。 中国は中国語だろうけど。私:それに対して、日本の対応は遅れているという。 ところで、電子図書館になると、今のように読みたい本を借りるのに何ヶ月も待たされるということはなくなるのだろうかね。A氏:そうなると、出版社は痛手だろうね。私:俺は、この2年くらい、図書館利用が多くなるにつれ、本をほとんど買わなくなった。 それが電子図書館で便利になるとますます、本は買わなくなるだろうね。 しかし、その前に、俺は近くにある市営図書館にある膨大な本の数に圧倒されているよ。 膨大な情報の入手が簡単になるのも結構だが、「読み手側の知的消化体力とオリジナル発信力の育成がどうなっているか」のほうが問題なのではないかね。 バランスが悪いように思うね。 ところで、今日は午後、用事で羽田から山形の庄内空港にANAでとぶ。 今夜と明日夜は酒田に2泊する予定だ。 帰りは明後日の夜だ。A氏:真冬だから、気をつけて行ってきてよ。私:2泊するので、ちょっとブログでの対話はお休みになるかもしれない。 留守中はよろしく。
2010.02.14
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私:俺の誕生日は2月11日だ。A氏:おめでとう! 「建国記念の日」だね。私:子どもの頃は戦争中で、「紀元節」と言っていたね。 「紀元は2千六百年」という歌もあったね。 11日は皆忙しく、昨日の12日夜に誕生パーティをしたよ。 宅配ピザで乾杯だよ。 いろいろ誕生日プレゼントももらったよ。 孫からは、絵を描いたレターをもらった。 しかし、年をとると、誕生日が来るのが早い気がするね。 来年も無事に誕生日を迎えられるだろうか。 これこそ、人事を尽くして天命を待つだね。
2010.02.13
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A氏:君のブログの「5大巨星、墜つ」のうちのトヨタについて、何故「墜ちた」のかオピニオン欄で、シティグループ証券・マネジングディレクターの松島憲之氏と東大教授の藤本隆宏氏が長文の意見を載せているね。 しかし、どうも、俺には天下のトヨタが、何故「墜ちたのか」本当の原因がピンとこないんだね。私:藤本教授は、3つの原因を指摘しているね。 1つは、自動車の設計複雑化という魔物に力負けしたということだね。 2つ目は、拡大でオーバーペースになったという。 品質管理の手が回らなくなった。 「量を追い質で無理をした」となった。 俗に言う「大男、総身に知恵が回りかね」だね。A氏:今回問題になったアメリカでのアクセルペダルもトヨタの設計ではなく、海外部品会社が設計したもので、それをきちんとトヨタの管理側が評価しなかったらしいね。私:3つ目は、「品質世界一」という驕りによる過信だという。 このため、最初は「不具合の原因は運転にある」と逃げていて、傷口を広げた。A氏:松島氏のほうはトヨタの官僚化が進んでいることを指摘しているね。私:本来、トヨタの理念は「火はボヤのうちに徹底的に消せ」「悪いニュースが優先する」だったのが、組織全体に行き渡らなかったのかね。 会社が大きくなると、トヨタの本来の「カイゼン」のDNA伝達が次第に維持困難になっていくことは明らかだが、それはトヨタもよく承知していたはずだ。 DNA維持拡大システムのどこが問題だったのか? DNAの保持者の張会長が出てこないのはどうしたのかね。 それがこの両者のオピニオンではピンと来なかったね。
2010.02.12
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A氏:今朝の朝日新聞の33頁に短い記事だが「若年ホームレス急増・東京、施設入居者の4分の一」という見出しの記事があったね。私:俺はこのブログの「格差の戦後史」の読書記録で「アンダークラス」という言葉を扱っていた。 そのためか、知的アンテナが張られていたのか、すぐに目についたね。 記事では09年度から、若年ホームレスが急増しているということだね。A氏:今まで、ホームレスというと年配者のイメージがあった。 しかし、30代以下の割合は大阪では07年の頃より倍増して、09年には33.2パーセントになっているという。 大阪ではホームレスの3割が若年ホームレスだということだね。私:厚生労働省は、03年と07年の2度、大がかりなホームレスの全国調査をしている。 これによると、平均年齢が増加していることが分かったが、これは野宿生活の長期化傾向を示していた。 しかし、この新聞記事のデータは、09年の自立支援センターのデータで最新のものだね。 傾向が変わってきている。A氏:08年のリーマンショックは、ホームレスの構成にも大きな変化を起こしたんだね。 「アンダークラス」の構造がさらに悪化しているのかもしれない。私:厚生労働省のデータは07年までだから、08年以降の不況の変化を反映したホームレスの変化を捉えていない。 至急、国も調査すべきだね。 それをもとに対策を打つことが必要だね。 鳩山政権は「友愛」と「命」の重要性を強調しているのだからね。 資産16億円の人にはピンと来ないかもしれないがーー。
2010.02.11
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私:こないだ「4大巨星墜つ」というブログを書いた。 タイガーウッヅ、朝青龍、小沢一郎、トヨタだね。 だが、考えてみると、そのちょっと前に「JALの史上最大の倒産劇」があったね。A氏:「5大巨星墜つ」かね。私:わけが分からないのは、どうして、JALがあのように、莫大な負債を抱えて、ついに会社更生法申請になったかだね。 いろいろ、マスコミで報じているが、もう一つピンと来ない。 今月の「文藝春秋(3月号)」に「JAL再生のチャンスは2度あった」という記事があったので、買ってよんだが、やはり、ピンと来なかったね。 「5大巨星墜つ」で、その墜ち方がピンときたのは、タイガーウッズとトヨタかね。A氏:朝青龍は、示談で暴力団がからんでいるという週刊誌もあり、まだ、黒い霧がかかっているね。 小沢一郎氏も黒い霧がはれない。私:「文藝春秋」では「小沢に切り崩された『七奉行』」という記事があるね。 「七奉行」とは、渡部恒三、岡田克也、仙谷由人、野田佳彦、枝野幸男、玄葉光一郎、前原誠司の7人を言うらしい。 小沢氏に批判的な民主党幹部だね。A:しかし、今朝の新聞では、枝野氏が行政刷新相に起用されたと報じているね。 小沢氏批判をしている枝野氏を鳩山首相が登用したのは、小沢氏の黒い霧で嫌気がさし、民主党離れをする人を引き止めたい意図かね。私:夕刊では、枝野氏の人事を小沢氏は「まったく異論はない。しっかりやろう」と言ったと報じているね。 本心だろうかね。 この枝野氏の人事は鳩山首相としては、「小沢離れ」の決断だろうかね。 「文藝春秋」今月号は、小沢批判が特集されているが、今後、世論はどう動くだろうかね。
2010.02.10
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私:小沢一郎氏が不起訴となって、鳩山首相が「頑張ってください」と言ってくれたので幹事長続行となったと記者会見で言っていたね。A氏:ところが、夕刊では、鳩山首相は「『頑張ってください』」という言葉を使っていない」と記者団の質問に答えたと報じているね。 なんだか、変だね。私:このところ、小沢問題でマスコミが揺れているが、俺はちょっと、見方を変えて、昨年の文藝春秋11月号の立花隆氏の「小沢一郎『新闇将軍』の研究」の寄稿を読んだよ。 この記事は、昨年買ったときに興味がなくて読み飛ばしたんだがね。 立花氏が、この寄稿を書いていた当時は、小沢氏は表舞台に出ておらず、立花氏は雲隠れしていると書いている。 しかし、この寄稿が出てから後に、大集団での中国訪問、鳩山政権への政策注文、天皇の会見問題と表にどんどん出てくるね。 それとともに、地検特捜の小沢氏の秘書追及が開始される。A氏:これには、立花氏も驚いたろうね。私:しかし、この寄稿で立花氏が書いていることは、その後の小沢氏の動きを見ていると当たっているね。 鳩山、小沢の二重構造的支配。 角栄・金丸時代を連想するカネの問題だね。 ただ、角栄や金丸には人間的魅力があったが、小沢氏は2人と違って、逆にズケズケとものを言うタイプだという。A氏:天皇の会見問題で、30日ルールで宮内庁長官批判をしたときは、まさにズケズケだね。私:立花氏は、昨年夏の選挙での民主党の大勝は、3月に起きた西松建設事件をひきずらないようにということで、小沢氏が代表を辞任し、鳩山氏と交代したことが大きな原因だったという。 もし、この代表の交代がなかったら、当時のあらゆる世論調査が示すように、あの民主党の大勝はなかっただろうという。A氏:今度、また、同じような状態になったね。 最悪なのは、鳩山首相自らもカネの問題を抱えていることだね。私:世論調査は、次第に微妙な動きを見せているね。 まだ、一荒れあるかもしれないね。
2010.02.09
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私:マイケル・クライトンは2008年11月4日に66歳というか若さで、喉頭ガンで死去した。 ハーバート大学出のインテリ作家だ。 俺は、彼の二酸化ガスによる地球温暖化のインチキを暴いた「恐怖の存在」を読んでいる。 映画では「ジェラシックパーク」があるね。 死後、ほぼ完成状態の未発表の長編の原稿が発見された。 それが、この「パイレーツ」だね。 原題は「海賊の緯度Pirate Latitudes」だ。A氏:例のソマリヤ沖の海賊の話かね。私:いや、時代は、1665年頃で、舞台もカリブ海だね。A氏:そう言えば、最近、ヒットした映画でカリブ海の海賊ものの「パイレーツ・オブ・キャリビアン」というのがあったね。私:当時は、世界の海はスペインが制覇していた。 スペイン船は、船団をなして世界中の富を船でかき集め、本国に運んでいた。 それをイギリス船が、ひそかにすきを狙って襲い略奪する。 カリブ海は、小さな島が多いので、襲撃には適していたようだね。A氏:海賊行為だね。私:しかし、裏では公認された海賊行為だね。 略奪した富の多くはイギリス国王に献上されるからだ。A氏:裏金だね。私:表面上は、スペイン国王とイギリス国王は平和的な関係を保っているんだがね。 この小説は、主人公はイギリスの海賊だが、公的なバックを得て、カリブ海を波乱万丈の航海をしながら、スペイン船を拿捕し、お宝を頂戴するというストーリーだね。 マイケル・クライトンの話は例によってハラハラするストーリー展開だね。 なお、この小説は、アメリカで映画化がきまっているという。 クライトンは、膨大な資料を基に、小説を書くから、描写が詳細だね。 映画向きだね。 それに登場人物も個性がある。 「七人の侍」を連想したよ。 面白い海賊映画になるだろうね。
2010.02.08
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私:4巨星が次から次に落ちたね。A氏:4巨星?私:俺なりの定義だがね。 ウィキペディアにもない。 まず、トップはタイガー・ウッズだね。 女性スキャンダルで、プロゴルフ・トップの地位から墜落だね。 次は、最近だが、朝青龍だね。 日本相撲界のトップの地位である横綱から転落。 これも自分が起こしたスキャンダルによる転落だね。 3番目は、トヨタの転落だね。 GMの転落の後、事実上、自動車で事実上、世界トップの地位を占めていたのに、車の大量リコールから始まり、ハイブリッドの人気モデルのプリウスまで、品質問題を起こす。 品質のトヨタが、品質で一挙に転落だね。 「大男、総身に知恵がまわりかね」かね。 過信があって、危機管理対応も問題になっているね。A氏:4つ目は?私:これは「落つ」とはまではいかないが、秘書3名が起訴となった小沢一郎民主党幹事長だね。 本人は不起訴で、退陣を免れたが、検察に2度も聴取され信頼感はガタ落ちだね。 小沢氏はもと、著書の中で、秘書連座制を主張しているそうだが、矛盾だね。 世論調査では、7割近い人が、小沢氏の幹事長辞任を求めているという。 政治とカネと言えばこれは鳩山首相も同じだね。 これを含めると5つの巨星かもしれないね。A氏:幹事長は続投らしいが、このままだと夏の参議院選挙は、民主党の議席過半数獲得は難しいのではないかね。私:タイガー・ウッズとトヨタのトラブル内容はオープンだし、復活も期待できるが、朝青龍と小沢幹事長のトラブルの内容は黒い霧の中だね。 この霧の追及は朝青龍の場合は、引退で収まるだろうが、小沢氏の場合は、尾を引きそうだね。 タイガー・ウッズ以外は、前々からその兆候は感じていたがね。
2010.02.07
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「格差」の戦後史私:第5期の1980年代だ。 1986年7月、中曽根首相の自民党は選挙で大勝する。 当時の米国大統領はレーガン。 イギリス首相はサッチャー。 いすれも市場原理主義だ。A氏:市場原理主義による世界の3大リーダーだね。私:70年代終わりから、経済格差に関する数字は拡大傾向を示しだす。 しかし、格差という認識はまだ、一般的ではなかった。 次に、第6期の1990年代に入る。 1997年頃までは、バブル崩壊にかかわらず、平均所得は向上した。 しかし、98年にかけて雇用が急速に失われる。A氏:1998年というと、自殺者が2万人から3万人の大台に急増した年だね。 それ以来、3万人台を横ばいする。私:この頃から、「経済格差」が次第に話題になりだす。 「ジニ係数」という用語がマスコミにも登場しだす。 しかし、日本の「ジニ係数」の悪化は、少子高齢化によるものだという反論もあり、この頃は、格差意識は専門家に共有されなかった。 そのうちに、90年代後半から、賃金が安い25歳から44歳の男子の非正規雇用者が急増する。 それが、03年に派遣法が製造業に対しても解禁になるとさらに激増する。A氏:小泉首相は、政権時には「格差」をなかなか認めなかったが、安部政権時代には、認めざるを得なくなったね。私:2000年代になって形成されてきた非正規労働者は、その極端な低賃金、家族形成と次世代を再生産することの困難さという点から考えて、労働者階級の最下層というよりは、「伝統的な『労働者階級』以下の存在」と考えられるようになった。A氏:昔は、「貧乏人の子沢山」と言われたが、結婚もできないし、子どもも育てられないということか。私:この「新しい下層階級」の出現は多くの先進国で共通に指摘されているという。 各国でいろいろな呼び方をしているが、英米では英語で「アンダークラス」と呼ばれているという。 「クラス」は「階級」のことだ。 著者は、2007年のデータから、日本の「アンダークラス」は約800万人で、例外的な存在でなく、一つの固定した階級構造をなしてきているという。 「貧困率」も1995年に9.4だったのが、2007年に13.7と劇的に増加している。 そして、さらに問題なのは、階級が固定してきたことだね。 この本で著者が「階級」と言う用語をあえて使っている意味がここで明らかになったね。 これは神経を使う用語だが、まさに、日本の格差問題は階級構造変化の問題になってきているということだね。A氏:俺たちが若い頃は、民主主義のモデルだと言われたイギリス、フランスは貴族や労働者層が固定化している階級社会だという矛盾を早くから知っていたね。 日本はそういう固定的な階級的な社会構造ではないと思っていたが、徐々に大きく変わってきてしまっているんだね。私:特に、高度成長以後だね。 著者も言う通り、格差問題は再分配の問題だから政治がおおきくからむ。 著者は、この本はあえてその問題を避けて、客観性を重視している。 自民党の負の遺産のこの問題を、民主党は、今後どう取り組むかだね。 「格差」の戦後史を知ると、高度成長時代というのは、ある意味で、異常な時代だったと言えそうだね。 俺たちの経験は日本の歴史では異常だったのかね。 そして、もう日本は、同じような経済成長は期待できないだろうね。A氏:格差問題を解決するために高度成長時代をまた再びという考えは幻想に終わる恐れがあるね。私:政治・経済でも発想の転換期だね。
2010.02.06
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「格差」の戦後史 私:1950年代には、大企業の成長とともに、企業規模間の賃金格差が問題になってくる。 いわゆる「二重構造」で「一方に近代的大企業、他方に前近代的な労資関係に立つ小企業及び家族経営による零細企業と農業が両極に対立し、中間の比重が著しく少ない」という構造だね。 だから、これらの低所得層に対しその所得を引き上げ、購買力の補給をはかることは消費を高め経済成長にも必要だと言われていた。A氏:今のデフレ対策の考えと同じだね。私:この50年代は、格差拡大を示す「ジニ係数」が上がり出すが、「貧困率」も推定値では、現在より高く、20から25パーセントいうデータがあり、かなり「貧困率」が高い。A氏:まだ、全体的に貧しかった時代だね。私:そこに1950年に朝鮮戦争が始まる。 日本経済の救いの手になった。 55年には平均賃金が上昇し、50年代後半になると家電製品が普及して「消費革命」が始まる。 そして、管理部門や流通部門で「新中間階級」が増加し、1つの階級が構成される。 次の高度成長段階の準備時期かね。 俺たちが就職する頃だね。私:いよいよ、第3期では高度成長が始まるね。 就業構造が変化する。 第1次産業人口が減り、60年代前半は第2次産業人口、後半は第3次産業人口が急速に増加する。 企業規模間の賃金格差は、50年代に拡大を続けたが、1959年には横ばい。 そして、60年から63年にかけて顕著に縮小する。A氏:高度成長期に入る頃は、極端な人手不足だったね。私:50年代後半には1倍前後だった新規卒の求人倍率は、65年になると中卒で3.7倍、高卒で3.5倍となる。 中卒は「金の卵」と言われた。 特に中卒男子の初任給は60年から70年の10年間に約4倍になった。 「貧困率」も低下している。 1960年代の後半には「賃金の地域格差」が拡大する。 農民層の若手が大量に都会に移動する。 一方で兼業農家が増大する。 「一億総中流」へと向かう。A氏:次に、第4期の70年代だね。私:1960年代から縮小を始めていた、各種の経済格差も、70年代半ばまで縮小を続ける。 地域間格差も縮小する。 「貧困率」も1965年の12.1から、9.0と大きく減少する。 しかし、小零細企業労働者は、大企業労働者と比較すると依然として、深刻な格差が存在した。 それは賃金だけでなく、労働時間、労働災害の発生率でも大きな格差があった。A氏:この時期は、「学歴社会」という言葉が生まれたのではないかね。私:実は、数字では、70年代は、学歴による経済格差がもっとも少なくなった時期なんだね。 それにもかかわらず、学歴がこの時期に問題になったのは、1つには大学の増設で、大学進学の経済的な利益に関心を持つ人が増加したことだね。 それと大卒者が、「新中間階級」に進むという流れがこの時期に固定化したことだという。A氏:大学のレベルによって、就職できる企業規模も決まっていたね。私:「一億総中流」は、日本人を格差に対して鈍感にした。 それが、格差拡大が取り返しがつかないほど、深刻になるまで、放置されることになる。 次は第5期の1980年代だね。 人々が格差に鈍感な間に、ひそかに格差拡大が始まる。
2010.02.05
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「格差」の戦後史私:敗戦から1950年までの格差問題には特殊な格差があるね。 まず、「戦争被害の格差」だね。 いろいろな格差があるが、貧しい生活基盤しかもたない下層階級に、他の階級以上の大きな損害を与えた傾向があったという。A氏:余談だが自然災害でもそうだね。 アメリカという豊かだと思われていた国が、2005年8月のハリケーン・カトリーナでニューオーリンズの市民が嵐と洪水で被害にあったときも、貧しい人が大きな犠牲になっていたね。 最近のハイチの大地震もそうだろうね。私:東京23区の戦災死亡率も江東区、墨田区、台東区のいわゆる下町がダントツに多いね。 「徴兵にも格差」があったようだね。 戦時中には、都市と農村の格差は縮小する。 国家総動員法で賃金統制が行われ、戦時下の労働力不足で、賃金格差が大幅に縮小した。A氏:戦後は食料不足などで、農村が優位に立つね。私:戦災で工場や都市はやられるが、農村の被害は少ない。 そして、ヤミ経済となる。 都市と農村の格差は縮小する。 都会人の農村への買出しもはじまる。 都会人はお願いして食料を手に入れなくてはならない。 高級衣料、時計などを食料と物々交換で手放す。 農村の人の中には、今まで、贅沢をしていた都市の人々への憎悪をむき出しにした人も多かったようだね。 「大企業と小企業の格差」もほとんどなくなる。A氏:だから、最近、格差拡大に対して、戦争を歓迎すると過激な意見が出るんだね。私:戦後、GHQの占領による改革で格差と関係あるのは、「農地改革」だという。 「農地改革」により、小作農は激減し、自作農が増加し、収入は劇的に増加する。 都市と農村の格差はほとんどなくなった。 自作農の増加で、いわゆる近代資本主義の「資本家階級」「旧中間階級」「新中間階級」「労働者階級」の4階級のうちの「旧中間層」が構成される。 「新中間階級」は、まだ、構成されない。A氏:農村の向上によって、高度成長時代に質の高い労働力が農村から得られる基盤ができるんだね。私:戦後改革の中で格差に関係するものとして、さらに「華族制度」の廃止と「財産税」の課税がある。 この「財産税」は1回限りの臨時のものであるが、課税対象は書画、骨董、家財道具まで及んだという。 「財産税」によって、没落した富裕層の姿は太宰治の小説「斜陽」によって描かれ「斜陽族」は流行語になる。 この頃は、インフレがすごく、その記憶は俺にもあるね。 40年代も終わりに近づくと、インフレは収まり、ヤミ価格もなくなり、中小企業の活況も終わり、大企業の生産が軌道に乗り出す。 明日は、第2期だね。
2010.02.04
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「格差」の戦後史私:「機会の格差」で重要な統計数字は、「世代間移動の制限」と、「出身階級による教育機会の格差」だ。 「世代間移動」を数字で示すものには「世代間移動表」というのがある。 父親を4つの階層--「資本家階級」「旧中間階級」「新中間階級」「労働者階級」--に分けて、本人が今属している階級を調べると、親と同じ階級に属している傾向があるという数字が出ている。A氏:「機会の格差」が大きいということだね。私:子が親と同じ階級にいる人数を調査した全体の人数で割ると「非移動率」が得られ、1から「非移動率」を引いたものが「事実移動率」という。 しかし、これだけでは、個々の階級の動向が分からないので、「階級の閉鎖性」を示すために「オッズ比」という指数がある。 こういう調査では、分析対象を35歳から54歳までに限定しているという。A氏:ちょうど、移動が多い年齢層だね。私:戦前の「ジニ係数」は推計では、「0.547」だという。 かなり、格差が大きいね。 これが1952年には、「0.3台」になって、格差は縮小する。 その後、上昇するが、1960年代をピークに、低下に転じる。A氏:高度成長時代の始まりだね。私:1980年に底に達する。 以後は、また、増加して、1995年代から急速に上昇し、2004年には、戦前並みの0.526だという。 大きな変動に着目すると、50年代は格差拡大、70年代までの高度成長期には格差縮小、以後は格差拡大となるね。A氏:「機会の格差」の変化はどうかね。私:これも高度成長時代は、階級間の移動は比較的多いが、最近になって、父親と同じ階級に固定化する傾向が生まれている。 「オッズ比」のデータによれば、著者は、この50年間、たとえ部分的にでも、「機会の平等」が実現されたことは一度もないという。 特に資本家階級が、高度成長後の30年間できわめて閉鎖的な階級になっているという。A氏:戦後の「格差」の傾向は、いろいろな「格差」指標があっても大体似た傾向だね。私:著者は、戦後の流れを次の6つの期に分けているね。 第1期--戦争直後の5年間で戦争による破壊と戦後改革で格差構造は激変する。 第2期--50年代で、経済復興で格差が拡大し始める。 第3期--60年代で、高度成長が始まり、格差が縮小傾向となる。 第4期--70年代は、格差は底に達し、「一億総中流」時代となる。 第5期--80年代で、格差拡大の幕開けである。 第6期--90年代で、格差拡大が進み、戦後日本社会は「新たな階級」の再編成期を迎える。 明日は、第1期の話から始めよう。
2010.02.03
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「格差」の戦後史私:どこかの書評を見て図書館から借りた。 200頁ほどのB6版の厚くない本だが、格差についての全体像が分かり、中身が濃いね。 格差問題を体系的に理解するにはいい本だね。 社会学では、所得や資産、社会的な地位、名誉、仕事のやりがい、生きがいなどを総称して「社会的資源」というそうだ。 だから、いろいろな格差用語があるが、俺たちが問題にしている格差というのは「社会的資源の格差」だね。A氏:「希望格差」なんていうのもあるからね。私:それから「個人格差」と「カテゴリー格差」というのがあるね。 「ジニ係数」というのは、「個人格差」を示す。 これに対して「学歴間格差」「企業規模別格差」「産業間格差」というを「カテゴリー格差」という。A氏:そうすると「人種間格差」というのは「カテゴリー格差」だが、黒人でも今話題になっているタイガー・ウッズのような高額所得者もいるから「個人格差」は別だね。私:それからよく議論になる「結果の格差」と「機会の格差」だね。 「機会の格差」とは社会的資源を獲得するチャンスの格差だね。 この本では、この2つの格差は別のものでなく、現在の「結果の格差」が次の「機会の格差」につながっているという。 例えば、ある人種に生まれたという「結果の格差」は、自然に「機会の格差」とリンクする。A氏:派遣労働者だった人と大企業の経営者だった人の間には明らかな「機会の格差」が存在するというわけだね。私:格差が拡大すると、格差の底辺にいる人が問題になるね。 これには「貧困率」というデータがあるね。 民主党政権になって公表されたが、2008年のOECDの報告書によると、主要先進国のなかでは、米国の貧困率が0.17とずば抜けて高いが、日本は0.149と2位で、欧州諸国より1桁多いし、ポルトガル、イタリア、ギリシャよりも高い。 「ジニ係数」も高く、格差が大きい。 「所得格差」は「大きい部類」でまぁまぁだが「貧困率」は「最高レベル」というのが日本の特徴だという。次に「社会移動」の問題がある。A氏:「社会移動」?私:今の階級から別の階級に移動することだね。 著者は意図的に「階級」という用語を用いているね。 「階級間移動」には2つあって、一人の人がその生涯で階級間を移動して、所属階級が異なることで、これを「世代内移動」という。 もう一つは、出身階級から本人の所属階級への世代を隔てた移動で、これを「世代間移動」という。 親と同じ所属階級に子どもが成長しても所属していれば、「世代間移動」はないことになる。 この本では階級を「資本家階級」「旧中間階級」「新中間階級」「労働者階級」の4つに分けている。A氏:マルクスは、「資本家階級」と「労働者階級」の2つだね。私:現実に、まず、自営業が存在する。 これが「旧中間階級」だね。 資本主義の発展とともに、専門職や管理職が生まれてくるので、これらを「新中間階級」としてとらえる。 5年ごとの「国勢調査」をもとに、1950年からの日本の各階級の変化を見ると、1950年頃は、圧倒的に6割以上が「旧中間階級」が占めていた。 要するに農業国だね。 その後の経済成長で、「労働者階級」が増加して、1965年には「旧中間階級」を追い越す。 工業国家となるね。 1990年頃には、「新中間階級」が「旧中間階級」を追い越す。 「資本家階級」も1995年までは急速に増加して、有業者全体の1割近くを占めるようになる。 日本の階級構造は、発達した資本主義社会の特徴を示すようになる。 明日は、いろいろな格差の指標から戦後の格差の変化をみていこう。
2010.02.02
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骸骨ビルの庭(上)私:昨日の「仮想儀礼」に続いて、これも上下2巻の長編小説だね。 どこかの書評を見て、図書館に頼んでから、3ヶ月くらい待ったかな。 上下2巻になっている小説を図書館から借りるには、上巻と下卷の間を置くために、下巻の予約のタイミングを少し遅らすんだが、この本の場合は失敗したね。A氏:逆になったの?私:違うんだね。 上巻を頼んだ後、下巻を頼むタイミングを見ていたが、去年の12月にこの作品が「司馬遼太郎賞」をもらったんだね。 一挙に図書館に予約が殺到した。 それから、下巻を頼むということになりタイミングを逸した。 今は、すでに下巻は300人を超える待ちになっている。 ところで宮本輝氏の作品を読むのは久しぶりだ。 この本は数人の戦災孤児が中心になっているので、敗戦直後の日本と、彼らの成長が描かれているね。 ある意味で昭和の物語だろうね。 「骸骨ビル」というのは、戦前にイギリスの建築家が大阪の十三に立てた3階建ての鉄筋コンクリートビルだが、戦災にあわず、残った。 これを一時、GHQが使ったらしい。 その後、家主が戦災孤児や親に捨てられた孤児などの収容に使ったが、外観が骸骨のようなので、「骸骨ビル」というあだ名になったようだね。 「庭」というのは深い意味があって、孤児たちは、このビルに付属する広い庭の土壌を肥沃にして野菜を作る。 自然からいろいろな生き方を学ぶんだね。 だから、このビルで育った孤児はその後、多様な大人としての地についた人生を開拓していくことができた。 主人公は、この「骸骨ビル」の管理人だが、彼の役目は、残っている居住者の立ち退きだが、次第に、居住者と親密になっていく。 そして、荒れていた「庭」に手を入れだす。 その頃、ある脅迫状が来る。 上巻はその辺で終わっているね。 昨日の「仮想儀礼」と違った別の作風に接した感じだね。A氏:下巻はどうするの?私:一応、図書館に予約しておくが、半年以上、待つことになるだろうね。 まぁ、この時世だ。 のんびりいくのもいいのではないかね。
2010.02.01
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