全4555件 (4555件中 251-300件目)
< 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 ... 92 >
私:韓国では公立小学校の英語の学習課程は3年生から始まり、公立幼稚園や小学1、2年生の場合、希望者に対して放課後、校外の講師を学校に招いて勉強する課外授業を実施してきた。 だが、教育省は、過熱した英語教育が幼児や児童に負担になるうえ、各家庭の教育費を増やしていると判断し、新学期が始まる3月から小学1、2年生の課外授業を廃止する。 A氏:これに対し、韓国の市民団体「良い学校と正しい教育の学父母会」が昨年末、約4300人の会員を対象に行った調査では9割以上が課外授業廃止に反対。 金宣希代表は「公立の課外授業を受ける児童は約15%で、授業廃止は、高い教育費が払えない15%を切り捨てることになる」という。 1月31日、ソウルの新竜山小学校に、保守系第1野党、自由韓国党の洪準杓代表が訪れた教室には、英語課外授業廃止に反対する父母らが集まっていた。 洪代表も父母たちの訴えに同調し「学校の英語教育を禁止する権限が国にあるのか。学習の自由だ。法に合わない」と述べた。 私:ただ小学1、2年生の英語課外授業廃止を決めたのは、洪氏らが支えた朴前政権。 「(今年3月の)廃止まで3年6カ月の猶予期間を設ける」としていたが、教育費削減を訴えてこの政策を引き継いだ文現政権が批判を浴びたのをみて、洪代表の自由韓国党は政策を転換したとみられる。 教育省は1月16日、廃止を目指した公立幼稚園での英語課外授業の扱いを当面保留すると発表したが、小学1、2年生の課外授業廃止は撤回しなかった。 A氏:韓国は「ヘル(地獄の)朝鮮」という言葉がはやるほど激烈な競争社会。 韓国統計庁によれば、昨年、15~29歳の青年失業率は過去最悪の9・9%。 全体平均の3・7%を大きく上回り、「少しでも競争で有利に」と願う親は数多い。 2月1日、国会議員会館で開かれた英語課外授業を巡る討論会で、大学教授は「課外授業をなくしても、親は絶対に別の塾を見つけようとする。負担は逆に増える」と訴えた。 私:韓国では、2歳ごろから英語教育を始める家庭もあり、教育省によれば、「英語学院」は昨年時点で計453園、市場規模は2700億ウォン(約270億円)にも達する。 月謝10万円という。 A氏:企業の求人広告をみれば、ほとんどが、国際コミュニケーション英語能力テスト(TOEIC)で700点以上を求める。 「希望する企業に入るためには900点が必要」が不文律だったが、それでも、業務で英語を使っている人は数えるほどだという。 私:韓国政府によれば、昨年から2021年まで20代後半人口が39万人増加し、22年から減少に転じるという。 青年層の就職難はあと数年は続く見通し。 A氏:ところで、日本も小学校の英語教育の強化が言われている。 これに対し、「文藝春秋」3月号で「日本の教育を立て直せ」として「総力特集」をしているが、その中で、作家で数学者の藤原正彦氏は「小学校に英語教えて国滅ぶ」と題して寄稿しているね。 サブタイトルは「一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数」とある。 要するに、英語ができても、話す中身が問われるが、その中身は日本語で考えて話す以上のことを英語で話すことはできないというわけだね。 そして日本語の読書をすすめている。 私:受験で差をつけるための道具でなく、グローバル化の波の中で、日本人としてどういう教育をすべきかの問題がからんでいるね。
2018.02.27
コメント(0)
私:安倍首相は、今度の憲法改正方針で「9条の1項、2項を残し、自衛隊を明記」だけとしているが、このブログの「自衛隊を明記するとは」で元内閣法制局長官・阪田雅裕氏は、専守防衛の自衛隊を書くだけならば簡単なことで、むしろ小泉政権の時にやっておくべきだったが、安全保障法制が成立し、現在の自衛隊をそのまま憲法に書くことはとても難しくなったとしていた。 そこで、阪田雅裕氏私案では、「第三項の実力組織は、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされる明白な危険がある場合には、その事態の速やかな終結を図るために必要な最小限度の武力行使をすることができる」とある。 A氏:この「我が国の存立が脅かされる明白な危険がある場合」、すなわち、「存立危機事態」の説明が今、裁判にからんで問題になっている。 現職の陸上自衛官が2016年3月に、安保関連法の「存立危機事態」になっても、防衛出動の命令に従う義務はないことの確認を求め、安保関連法は憲法違反と訴えた。。 訴えられた国側は「現時点で『存立危機事態』は発生しておらず、国際情勢に鑑みても、将来的に発生することを具体的に想定しうる状況にはない」「(米朝衝突による「存立危機事態は)抽象的な仮定」と主張。 一審判決は自衛官の訴えを退けたが、今年1月末の二審判決は国の主張を「安保法の成立に照らし採用できない」と指摘し、一審判決を取り消し、審理のやり直しを命じた。 私:この裁判でこの「存立危機事態」をめぐり、国の主張が「二枚舌」と批判されている。 「二枚舌」と言われるのは、「いつ『存立危機事態』が発生するか確実なことは言えない」(法務省)という国側の訴訟の場における主張と、これまで安倍政権が安保関連法を正当化するために政府は15年の安保関連法の審議の際、「存立危機事態」にありうべき多くの具体的な想定を例示していたのと矛盾するからだ。 すなわち、朝鮮半島有事を念頭に、日本や日本人を守るために活動する米軍の艦艇が攻撃されたり、原油などの輸送ルートにあたる中東・ホルムズ海峡に機雷がまかれたりする事例。 安倍首相は「弾道ミサイルによる第一撃によって取り返しのつかない甚大な被害をこうむることになる明らかな危険がある。このような状況は『存立危機事態』に該当し得る」と答弁。 小野寺防衛相は17年8月の国会答弁で、北朝鮮による米領グアムへのミサイル攻撃に関し「日本の安全保障にとって米側の抑止力、打撃力が欠如することは、日本の存立の危機に当たる可能性がないとは言えない」と説明し、日本から約2500キロ離れたグアム攻撃で日本が防衛出動する可能性を示唆。 A氏:国会答弁ではグアム攻撃を挙げて「存立危機事態」の認定をちらつかせながら、なぜ司法の場では「想定できない」と主張するのか、というこの「二枚舌」について、ある政府関係者は「裁判における国の主張は、原告の訴えを『門前払い』させる目的だった」という。 裁判で、「存立危機事態」が起きた場合、出動命令に従う義務がないことの確認を求めた自衛官に対し、国側は仮定に基づく訴えが成り立たないと強調し、「『存立危機事態』が生じること、防衛出動が発令されることはいずれも想定困難」と正面から争うのを避けたもの。 私:安倍首相は、昨年10月の衆院選で、北朝鮮情勢を「国難」と断じて安保関連法を成立させた正当性を訴え、国会でも「重大かつ差し迫った脅威」と主張していた。 木村草太教授は、「(国の主張は)訴訟戦術的には理解ができるものの、あまりにも情けない。国は過去の事例と比べたりするわけではなく、抽象的に『存立危機事態は起きない』と主張しているだけなので、強い違和感を覚える」と指摘。 政府関係者も「国の主張が一般の人たちには理解しづらいのは分かる」と認めるなど、普段の安全保障上の脅威の強調ぶりとのギャップは埋めようがないのが実態。 A氏:木村教授はブログ「9条の持論、披露する前に」でとりあげたように、日本国憲法の下では、国内統治作用たる「行政」の範囲を超えて、外国の主権領域で実力行使する「軍事」の権限を行使することは許されないとの政府解釈を含め、元内閣法制局長官の阪田雅裕氏が指摘した通り、「存立危機事態」の定義はあまりに不明瞭で、それを条文にしても意味が定まらず、そんな条文は、権力乱用を招くだろうという。 私:「存立危機事態」を含め、憲法改正の具体的内容になると、もめそうで、こんなレベルでは国民の理解は困難で理想的な国民投票などムリだね。
2018.02.26
コメント(0)
私:たまたま、日本の格差問題にふれた2冊の本の書評があったのでとりあげた。 橋本健二氏〈著〉『新・日本の階級社会』は、「階層」ではなく、「階級」という一寸、日本社会にはショッキングな言葉を用いているね。 それは、(1)資本家(経営者、役員)、(2)新中間階級(被雇用者 管理職、専門職、上級事務職)、(3)労働者、(4)旧中間階級(自営業)という4つの社会学的な階級分類に基づいて、議論を進めるからだと評者は指摘する。 A氏:しかし本書は、こう階級4分類を紹介しておきながら、実はいま階級は5つあるという。 5つ目は、近年、労働者階級の中で正規労働者と非正規労働者の格差が大きくなっており、非正規労働者層を一つの階級(「アンダークラス」と呼ばれる)とみなす必要が出てきているからだという。 「アンダークラス」は就業人口の約15%を占め、平均個人年収は186万円と、他の階級に比べて極端に低く、貧困率は逆に極端に高く、経済的困窮だけでなく、心身の健康、人とのつながり、という点でも「アンダークラス」とそれ以外で明らかな格差があるという。 私:そして、「階層」ではなく、「階級」という言葉を使うように、データからは、「階級」間での人々の移動性が低下し、「階級」の固定性が強まっていることが読み取れるという。 戦後日本の活力の一つは、社会的な流動性が高い点にあったが、労働者から新中間階級へ、さらに資本家へといった上昇のチャンスは、閉じられようとしている。 A氏:評者は、気になるのは、「アンダークラス」で平等化への要求が、排外主義と強く結びつくようになっていることで、日本でも、イギリスのEU離脱やトランプ米大統領誕生の要因となったポピュリズムと同様の芽が現れ始めているのだろうかという。 私:評者は、日本の格差を論じる上での、基本書となるだろうという。 もう、一冊の、岩田正美氏〈著〉『貧困の戦後史』は、副題が「貧困の「かたち」はどう変わったのか」とあるように、戦後、案外、われわれの近くで、目に見えるかたちで存在していた貧困を多数の資料とともに本書は、そうした貧困の「かたち」をたどる。 敗戦直後、最底辺にいたのは焼け跡の「壕舎」で暮らす人々、復員兵を含む身寄りも住まいもない「引揚者」、地下道などで寝起きする戦災孤児などの「浮浪児・浮浪者」だった。 敗戦直後の時代を思い出す言葉だね。 A氏;1950年代の復興期には失業者が急増し、職安が斡旋する日雇い労働者(ニコヨン)が増え、また仮小屋(バラック)が集まった地区は廃品回収業を意味する「バタヤ部落」と呼ばれた。 60年代の高度成長期には臨時雇いの労働者が集まる「寄せ場」と「ドヤ街」が発展するが、「バタヤ部落」や「寄せ場」はやがてスラムと見なされ「改良」の対象にされていく。 これらもよく聞いた言葉で、世相を反映しているね。 私:行政の貧困対策を俯瞰すると、彼らを貧困に追いやった原因は、戦争だったり経済の変動だったり政策の転換だったりしたにもかかわらず「貧困はつねに自らの個人的な努力で対処すべきもの」とされ、「衛生や治安の観点からのみ問題にされ」たという。 自己責任論だね。 A氏:貧困の今日的な「かたち」は中高年の「ホームレス」や若年層の「ネットカフェ難民」。 現在の「ホームレス自立支援法」にも著者は異議を唱え、「『自立』支援という政策目標は、個人の怠惰が貧困を生むという、きわめて古典的な理解に基づいている。だが問題は、怠惰ではないのだ」という。 私:東京五輪を前に、またもや進む排除の論理、現実から目をそむける政治家やお役人に読ませたいと評者は指摘する。 ところで、東京都の「ホームレス」の現状の「かたち」はどうなっているんだろうか。
2018.02.25
コメント(0)
私:平昌オリンピックに北朝鮮が参加したことによる、政治利用への批判がある。 これに対し、3氏ともそれぞれ評価が異なるね。 平昌オリンピックを利用し、北朝鮮の日米韓の連携を崩そうとしたことに、文政権は稚拙にも乗せられているという否定的な見方に対し、専攻が朝鮮半島地域研究の木宮正史教授は、文大統領の行動に一定の合理性があると評価している。 韓国の目的は二つだとして、一つは北朝鮮を五輪に参加させることで、期間中のミサイルや核実験をやめさせ、大会を平和な環境で進めること。 もう一つは、圧力ばかりでなく、北朝鮮と対話もすることで非核化を追求しながら韓国が戦場になることを避ける狙い。 A氏:南北が「分断」という特殊な事情を抱えていることを考えれば、北朝鮮の参加は、平和のためという五輪の目的にかなうと木宮教授はいい、本来、日本と韓国は「地域を戦場にしない」という共通の利益のために、米国に対して「軍事力の行使は困る」と言わなければいけないといい、安倍首相が文大統領と会談した際、北朝鮮への圧力の維持を求めたことに批判的のようだね。 私:在日3世のスポーツライターの慎武宏氏は、「スポーツと政治は別」とよく言われるが、南北統一ムードに染まった平昌大会は、韓国の文政権がその建前さえ取り払い、露骨にスポーツを政治利用した大会だったと言えると思うという。 競技の現場を取材する人間として、慎氏は「スポーツ軽視」と思えるやり方に、特に違和感が残ったといい、韓国の北朝鮮への呼びかけで、大会1カ月前に急に決まった女子アイスホッケーの南北合同チームの経過が象徴的だという。 A氏:慎氏は14日、女子アイスホッケーの合同チーム「コリア」と日本の試合を観戦したが、試合が始まると、これは本当にスポーツの試合なのかと疑問を感じたという。 いわゆる「美女軍団」も韓国のサポーターも、チャンスやピンチといった試合の流れには関係なく、終始「ウリヌン ハナダ(我々は一つ)」「ヒムネラ(頑張れ)」とただ無邪気に叫び続けていて、ある種の一過性のフェスティバルかイベントのような雰囲気で、ただ統一という名の大義名分に盛り上がっている印象だったという。 ただ、在日コリアンのスポーツライターとして、慎氏はスポーツ交流を一回だけの「合同チーム」で終わらせないと誓ってほしいという。 私:スポーツ文化評論家の玉木正之氏は、専門家として、バランスのとれたコメントをしているね。 オリンピックはもともと政治と不可分で、近代五輪の父であるクーベルタン男爵は、フランスが普仏戦争で敗北した後、反戦・平和運動として五輪を始めたもので、政治運動として始まった五輪を、政治が利用しようとするのは当然ともいえるという。 歴史的にみると、ヒトラーが国威発揚に利用した1936年ベルリン大会、モスクワとロサンゼルスの東西ボイコット合戦など、あらゆる大会は政治利用されてきた。 ただ、冬季五輪は夏に比べ小規模で、あまり政治の対象にならなかったが、今回は、北朝鮮危機が高まる中で、平昌という場所で開催されただけに、大々的な政治利用が行われたという点で画期的。 A氏:玉木氏も女子アイスホッケーの南北合同チームについては、特筆すべきこととしてとりあげていて、これまでの政治利用は、開会式など周辺部分で行われることがほとんどだったが、競技そのものに政治が入ってきて、スポーツにとってはかなり危ういことで、IOCはなぜ合同チームを認めたのか、理由をきちんと説明すべきだと玉木氏は指摘する。 私:2016年のリオ五輪の閉会式で、安倍首相がゲームキャラクターのマリオに扮したのは、自分の人気取りに五輪を利用したもので、国の外交目的のために五輪を使う従来の政治利用であれば、まだ理解できるが、安倍首相による個人的な政治利用はこれまで例がないことで、恥ずべき行為だが、ただ、日本ではあまり批判されなかったと玉木氏は指摘する。 A氏:五輪と政治が切り離せない以上、20年の東京五輪では、ポジティブな政治利用を目指すしかないが、問題なのは、今回どんな五輪にするのか、ビジョンがないことだと、玉木氏はいう。 64年の時は、戦後の復興を世界にアピールするという目標が国民に共有されていたし、20年の開催が決まった頃は、東日本大震災からの復興の象徴といわれたが、それはいつのまにか消えてしまった。 私:国民が共有できるビジョンがないまま、リオでのパフォーマンスのような政治利用を繰り返せば、日本の未来に負の遺産を残すだけだと玉木氏は、警告する。 20年は、64年の東京五輪のときと違い、日本は少子高齢化で曲がり角にきている。 国民が共有できる元気なビジョンが示せるだろうか。
2018.02.24
コメント(0)
私:今月の「池上彰の新聞ななめ読み」は日銀の黒田東彦総裁再任をめぐるニュースで、朝日中心に、読売、毎日と一般紙の比較しているね。 各紙の比較の焦点は、このニュースは、経済問題が絡んでいるだけに、日経読者はいざ知らず、一般紙の読者には経済記事をいかにわかりやすく伝えているかだね。 A氏:まず、朝日の記事を全文、下記のようにとりあげているね。 〈黒田総裁続投で異次元緩和路線が続くことになるが、開始後5年で政策の副作用が目立ってきている。大量の国債買い入れで日銀の国債保有は発行額の4割超に達し、超低金利が常態化。財政規律は緩み、年金を運用する国債利回りの悪化は老後不安も呼んだ。上場投信(ETF)の買い入れは株価をゆがめると指摘される。これだけの緩和でも物価上昇率は2%に届かず、目標達成は6度も先送りされた。緩和を歓迎していた経済界の空気も変わってきた〉 池上氏は、この記事の中で、いきなり「異次元緩和路線」という用語が出てきたことを問題にしていて、この記事の中でわざわざ「異次元緩和」を解説する必要はないが、どこかで用語解説を入れると読者に親切だいう。 私:「異次元緩和」の用語は読売も説明がないまま使っているが、毎日は「従来の金利操作を中心とする金融政策とは異なる、異次元の量的緩和策を実施した」と書いてある。 毎日の記事で異次元の意味はわかるが、今度は「従来の金利操作」という難解な表現が登場し、読者の悩みは深くなると池上氏は指摘している。 この点について読売は下記のような記事になっていて、理解しやすい。 〈本来の金融政策は、景気が悪くなった際には利下げを行って経済を下支えし、景気が良くなった際には利上げを行って経済の過熱を防ぐというものだ。日銀が行っている現在の大規模な金融緩和は、「非伝統的な金融政策」とも呼ばれる〉 これは、実質的に、「異次元緩和」の説明にもなっている。 A氏:最初に引用した朝日の記事では「大量の国債買い入れ」という言葉が出てきて、これが「非伝統的な金融政策」の意味だが、日銀は、なぜ国債を大量に買い入れるのか、どこから買い入れるのか、こんな疑問を持つ読者もいるはずだと池上氏は指摘する。 私:そこで、池上氏は、自ら下記のように例文を示している。 「民間の金融機関はお金を貸し出す先がなかなか見つからないため、政府が発行する国債を買い、その利子で収益を上げようとしている。これでは景気回復につながらないので、日銀は民間が保有している国債を大量に買い上げ、代金を民間の銀行口座に振り込んでいる」 そして、この後には、読売の次の文章をつなげればいいのだという。 〈お金の量が増えれば金利が下がり、企業が設備投資に踏み出すほか、物価が上がると考える人が増えれば、人々が今のうちにお金を使うようになるとの狙いがあった〉 A氏:最後に池上氏は、各紙の記事で他に気になったのが「出口」という用語。 朝日は9面の記事の見出しに「緩和の出口 市場注視」と書き、他紙の記事にも「出口」が頻出する。 池上氏は、これは異次元の金融緩和を縮小し、伝統的な金融政策に戻すことを意味し、日銀担当記者は日常的に使っているので、そのまま書くのだろうが、具体的に何を意味するのか説明することが求められると指摘し、新聞記事は「誰のためのものか」を常に胸に刻んでほしいという。 私:ここで池上氏がとりあげた新聞記事は、17日付朝刊だが、朝日は、21日から「黒田日銀の課題」と題し、上、中、下と3日間「けいざい+」欄に連載で、黒田日銀の金融政策をまとめており、経済にくわしくない一般の読者でもわかりやすい記事だった。 「池上彰の新聞ななめ読み」効果かね。
2018.02.23
コメント(0)
私:マスコミに登場する憲法学者で、木村草太教授の説明は論理が明快で、理解しやすいね。 木村教授は、9条論議は活発化しているが、そこで持論を披瀝開陳する人の多くが、政府解釈や憲法体系を全く理解していないのは驚きで、現在の憲法を理解しない人々が、その改正を語れるはずはないという。 A氏:まず、9条の政府解釈では、憲法9条の文言は、「国際関係における武力行使を一切禁じている」ように見えるが、他方で、憲法13条がある。 憲法13条は、国民の生命や自由を国政の上で最大限尊重しなければならない旨を定めているので、外国の侵略からも国民の生命等を保護する義務を負うことも定めている。 この義務は、国家の第一の存在意義とでもいうべきもので、政府は、外国からの武力攻撃があった場合に、防衛のための必要最小限度の実力行使は「9条の下で認められる例外的な武力行使」だとしてきたわけだ。 私:この政府解釈を「欺瞞」と批判する見解もあるが、その見解は、「外国による侵略で国民の生命・自由が奪われるのを放置することも、憲法13条に反しない」との前提に立つことになり、こちらの方がよほど無理筋だと木村教授はいう。 さらに、仮に自衛隊が本当に違憲だとすれば、今すぐに自衛隊を解体しなければならないはずだが、自衛隊の即時解体までは主張しておらず、それこそが欺瞞でなくて、何であろうかと木村教授は厳しく指摘する。 A氏:次に、この改憲の機会に、軍法・軍法会議の規定を憲法に盛り込もうとの提案についてふれている。 木村教授は、すでに、自衛隊法には、自衛隊員を規律する罰則が既にあり、規律が不十分ならそれを改正すればよく、「軍法」に拘泥する理由はどこにもないという。 現行憲法でも、家裁や知的高裁のように、法解釈に関する最高裁への上訴権を認めた上で、専門裁判所を設置することは禁止されないから、他の行政組織と異なる専門判断が必要だというなら、防衛裁判所も設置できるという。 軍事裁判だね。 私:他方、集団的自衛権について、国際法上合法な武力行使はすべて可能であり、また、それを全面解禁すべきで、よって、改憲は必要ないとの主張に対して木村教授は反論している。 この改憲は必要ないとの主張は、9条2項の「前項の目的を達するため」の文言は、侵略戦争に使う軍・戦力の保有だけを禁止する趣旨で挿入されたとする説(芦田修正説)を根拠にしている場合が多い。 政府が、集団的自衛権行使の全面容認が禁じられるとする根拠は、9条の文言だけではなく、統治機構の条文構造にもあり、天皇に統帥権と軍編成権があった明治憲法と異なり、日本国憲法の下では、国内統治作用たる「行政」の範囲を超えて、外国の主権領域で実力行使する「軍事」の権限を行使することは許されないとの政府解釈を含め、木村教授は説明する。 「9条は集団的自衛権の行使なども禁じていない」と主張する人は、統治機構論の体系的な理解に欠け、視野が狭すぎると木村教授は指摘する。 正しい前提知識に基づかない議論は有害無益で、報道関係者も含めて、まずは、正しい知識を確認する必要があるという。 A氏:木村教授は、いま憲法をめぐって国民が議論すべきは、従来の政府が言う「専守防衛のための自衛隊」とすべきか、2015年の安保法制で拡大された「存立危機事態での限定的な集団的自衛権」を容認するかであろうという。 ただし、元内閣法制局長官の阪田雅裕氏が指摘した通り、「存立危機事態」の定義はあまりに不明瞭で、それを条文にしても意味が定まらず、そんな条文は、権力乱用を招くだろうと木村教授はいう。 私:元内閣法制局長官の阪田雅裕氏の指摘の詳細は、すでに、前のブログ「自衛隊を明記するとは」元内閣法制局長官・阪田雅裕氏に聞く・で阪田雅裕氏の詳細な主張をとりあげているし、そこにあるように文章上、難しい問題をかかえているね。 政府改憲案はどうなるか、そして、木村教授のいう正しい前提知識をもとに国民投票にかけられる簡単な説明ができるのかね。 安倍首相の言う9条改憲は具体論になると容易でないね。
2018.02.22
コメント(0)
私:20日、「三菱マテリアル」は子会社の「三菱電線工業」による「品質データ改ざん」問題について調査報告書を公表。 それによると不正の原因に、製品をつくっていた「三菱電線工業」全体に「品質管理に関して独りよがりな『おごり』」が根付いていたと分析し、経営陣の「ガバナンス(企業統治)が十分に機能していなかった」と指摘したという。 A氏:「おごり」とは、どうも企業活動にふさわしくない情緒的な言葉の登場だね。 私:報告書によると、不正の原因は、「三菱電線工業」に十分な職員数や設備が確保されていなかったことにあり、なかでも「品質保証部門」が弱く、「製造担当部門」から「不適合品」でも合格とするよう要求されていたという。 これもおかしな報告だね。 「ものづくり」は「製造担当部門」の仕事だから、「品質保証部門」は直接関係ないがね。 A氏:「品質データを改ざん」できる許容値を記した指南書「シルバーリスト」が共有され、幹部がこれに基づき改ざんを指示。 不正は組織的に行われたが、「顧客からのクレームはない」などの理由で正当化されたという。 私:「再発防止策」として、「品質データを改ざん」できないように検査システムの自動化や、「品質保証部門」の人材を補強したり、独立性を強化したりするという。 これもおかしな「再発防止策」だね。 この発想の基本には、「品質データを改ざん」の犯人は、ものづくりの「製造担当部門」で、犯人を監視するのが、「品質保証部門」だという考えがある。 そして、「品質データを改ざん」という犯罪を再発しないように「品質保証部門」という「警察を強化する」という対策の発想につながるね。 普通、犯罪増加を抑えるのは警察力の強化は暫定策で、根本対策は犯罪増加の原因となっている貧困の撲滅など、犯罪の発生場所の徹底的分析と改革で、これが常識だよ。「三菱マテリアル」の報告書にある対策にはその常識がない。 A氏:「三菱マテリアル」には「品質管理」について、何か基本的な理解不足があるようだね。 私:「品質管理」とは、「品質ヲ管理スル」のでなく、「品質デ『ものづくりのプロセス』ヲ管理スル」んだね。 何故なら、品質は「ものづくりのプロセス」で生み出されるのだから。 だから、品質の「不適合品」が出たら、その原因は「ものづくりのプロセス」にあるのだから、「不適合品」を発生させたプロセスの原因を分析し、その原因を潰し、「不適合品」の再発を防止して、品質を向上するのが「品質管理」で、「品質保証部門」の仕事でなく、「製造担当部門」の仕事だね。 そうやって、品質を向上していくのが「製造担当部門」のプライドだね。 A氏:それをしないのは「製造担当部門」の「おごり」でなく、「ものづくり精神の貧困・無知・怠慢・プライドの喪失」だね。 この前の「デミングやISO9001の忘却・」でふれていた、PDCAの欠如だね、 Plan(計画)し、Do(実施)し、Check(チェック)して、「不適合品」を発見したら、Action(行動・改善)の順序で、行動することを、敗戦で崩壊していた日本に教えたのがこのデミングサイクルだ」ね。 私:日本はこれを忠実に守り、1980年代には品質で世界を制するまでになる。 「三菱電線工業」は、PDCA構成の国際規格ISO9001の認証をとっていたが、「品質データ改ざん」問題で取り消された。 そして、その親会社「三菱マテリアル」の対策には、かって、世界を制覇したPDCAの考えの影も形もない。 「三菱電線工業」も調査報告書を書いた「三菱マテリアル」も、デミングのPDCA以前の敗戦直後の日本の品質管理の理解度のレベルにもどったね。 「デミングの忘却」の例がまた出た。
2018.02.21
コメント(0)
私:ビル・ゲイツ氏が、朝日新聞の単独インタビューに応じた。 途上国の感染症対策などに取り組む世界最大の民間財団「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」が13日、2018年の年次書簡を発表したのに合わせたものだという。 A氏:ゲイツ氏は年次書簡の中で、トランプ氏について「米国第一主義の世界観には不安を覚える」と懸念を表し、17年3月には、グローバルヘルス(世界保健)関連予算の大幅削減を表明したトランプ氏と面会し、撤回するよう働きかけている。 朝日新聞の取材に対してゲイツ氏は「米国中心の視点で、歴代大統領の誰よりも短期的な視点で、国際社会との関係を見直そうとしている」と、トランプ氏の姿勢を憂慮。 私:ゲイツ氏は、貿易分野でも安全保障でも、米国が国際システムに深く関わってきたことは、米国の大きな偉業の一つだといい、その上で対外援助の必要性について「途上国が社会的・経済的に安定すれば、世界的な感染症の広がりなどを防止でき、米国の国益だけを考えたとしても、長期的にみて好ましいものだ」と重要性を強調。 A氏:トランプ政権の下で、米国が「内向き」に傾斜する中、ゲイツ財団が積極的な支援を期待しているのは日本。 財団は近年、日本政府や日本企業との協力を深め、昨年には日本に初めて常駐代表を配置した。 ゲイツ氏は「日本が(世界の)リーダー的な存在である『国民皆保険制度』は、国連の持続可能な開発目標(SDGs)の一つでもある。途上国の国民皆保険制度への出発点は、予防接種などのプライマリケアだ。これは財団の目標とも一致している」と述べた。 財団は、日本政府や医薬品メーカーなどと連携して、保健分野の技術革新とグローバルヘルスを支援する「グローバルヘルス技術振興基金(GHIT)」を立ち上げた。 私:ゲイツ氏は「非常に大きな成果を上げることができた」と基金を評価し、日本の医薬品メーカーについて「新薬開発に多額の研究開発費を投じ、相当な実力を持っている」「世界を市場と位置づけ、成長市場に注目しているのは好ましい。インドや中国などの巨大な市場を視野に入れると、日本では発症率が低い病気も対象となる」などと高く評価。 日本政府の対外援助についても「一時は世界一の援助国だった」と指摘し、「いま以上に対外援助の優先順位を高くするよう願っている」とより一層の貢献を求めた。 A氏:さらにベイツ氏は、AIやロボットの活用、女性の地位向上、ベーシックインカムなど、ゲイツ氏は未来に向けた国際社会の課題についても語った。 私:AI全般について、「ロボットがあれば可能性はより広がる」と肯定的に語り、AIが途上国にもたらす影響も、「貧しい国にとっては良いことだらけだ」と述べ、「途上国にはやるべきことが無限にある。富を創出するには資産と生産性が必要だ。AIは生産性の向上につながる」とした。 A氏:ベーシックインカムについては、ゲイツ氏は「いまの我々の社会はそこまで裕福ではない」と否定的。 しかし、「ロボット工学やAI、遺伝子工学などの技術が発達し、生産性が上がれば、より多くの富を人々に分配することが可能になり、社会保障を充実させられる」ともいい、「増えた富を生産性の向上につなげるか、余暇の時間を増やすか、働きたくない人は寝坊できるようにするか。これは政策の問題だ」と述べた。 私:「世界一の富豪」として知られるゲイツ氏は、「世界の富の偏在」について「世界的に貧富の差は縮小してきた。インドや中国など貧しかった国々が裕福になり、その速度が先進国の成長率を上回っているからだ」との現状認識を示した。 ただ格差を示す指標である「ジニ係数」は、世界レベルでは低下しているのに対し、一つの国の中でみると上昇している場合が多いとも指摘し、より累進課税が強まる方向に向かうと考えていると話した。 先進国の中でも「ジニ係数」が高く、格差が大きいという米国での累進課税が甘いと言われているのにはゲイツ氏は、どう思っているか、知りたかったね。
2018.02.20
コメント(0)
私:中国・上海の書店「季風書園」は1997年の開店当時から「自由な思想の表現」を掲げ、民主主義や世界の政治体制に関する本が充実していて、中国社会の問題を議論するサロンも名物で、上海文化の「象徴」と呼ばれた。 しかし、当局の圧力でサロンの中止が増え、店の賃貸契約更新は拒否され、新たに受け入れてくれる場所は、上海にはもうなかった。 2012年に発足した習近平指導部の下、言論の引き締めが強まる中国。 インターネット上では政府に批判的な発言は次々と削除され、改革派知識人たちは発信の場を失っている。 そして、多様な考え方を認め合ってきた文化の発信地・上海の書店「季風書園」が、1月31日夜、街から姿を消した。 A氏:しかし、西村大輔氏は、一党独裁の中国では当局の意向に庶民が唯々諾々と従う印象を持たれがちだが、民衆はそれほどやわではないという。 検閲をすり抜け、史実を人々の脳裏に刻みつけようとする文化人がいて、その思いを敏感にくみ取る観衆がいて、「表現の自由」が限られる現実のただ中で、消されかねない史実をめぐる民衆と当局のせめぎ合いが続いていると現地から報じている。 私:例として、1979年に起きた「中越戦争」に翻弄された軍歌劇団のダンサーの青春を描いた映画「芳華」にふれている。 大体、「中越戦争」は、中国が後ろ盾だったカンボジアに進攻したベトナムへの「懲罰」として中国軍が攻め込んで勃発したが、数万人の死傷者を出し、外交的成果も乏しく、歴史的評価をめぐる論議は中国ではタブー視されてきた。 中国政府にとっては「中越戦争」は、ベトナムにやられた忘れたい「戦争」だ。 この映画「芳華」は、昨年9月末の封切りが延期された話題作で、最近ようやく上映が始まった。 「中越戦争」を経験した元軍人らが生活保障を求める抗議運動を起こすなか、映画が元軍人を刺激し、翌10月の共産党大会を前に不測の事態を招きかねないと案じた当局が介入したとの観測が広がった。 A氏:映画「芳華」は一見、歌劇団員の恋愛や挫折を描いた青春ドラマで、戦争をあからさまに批判する表現はないが、終盤は血しぶき飛び散る凄惨な戦闘場面が続き、歌劇団から前線部隊に配属されて右腕を失った男性ダンサーの苦境が淡々と描かれる。 戦争を美化せず、英雄もいない中国映画は珍しく、「忘れられた戦争」の実像が伝わってくるという。 私:映画「芳華」撮影終了から5年を経て先月封切られた「無問西東」(李芳芳監督)も注目されている。 60年代初頭、毛沢東に花束を捧げて一緒に写真に写ったとうそをついた女性薬剤師が、糾弾集会で群衆から容赦ない暴行を受け瀕死の状態に陥る。 有名俳優の章子怡が演じる薬剤師の顔が醜く腫れ上がる姿は衝撃的で、政治運動の暴力がリアルに描かれるのは異例だが、抗日戦争での愛国心を賛美する場面もあり、体制批判をうかがわせる表現は避けている。 それでも観衆は敏感で、映画「芳華」については「あの無意味な戦争を、記憶から消し去ってはならない」、映画「無問西東」については「度胸がある映画。わかる人にはわかる」とネット上で本音が飛び交う。 A氏:習近平指導部が「中華民族の偉大な復興」を掲げ、党への絶対的な忠誠を求めるなか、歴史をめぐる当局の引き締めはさらに強まりつつある。 最近、中学生の歴史教科書の改訂版がネットに流出し、「文化大革命」に対する批判を弱めようとする当局の思惑が浮かび上がった。 抗日戦争の革命歌をパロディー化した宴会芸の動画がネットで広がると、「歴史を愚弄した」として、当局は主要サイトに関連動画の削除を命じた。 私:しかし、民衆はそれほどやわではなく、北京の映画館で「芳華」を見た観客は「官製の歴史観にはうんざり。当局が不都合な史実を隠しても、私たちは忘れない」と言ったと西村氏は報じている。 閉店に追い込まれた上海の書店「季風書園」は、1月31日夜、歌声に包まれていた。 Do you hear the people sing?(人々の歌が聞こえるか?) Singing a song of angry men?(怒れる者の歌が聞こえるか?) これらは、ミュージカル「レ・ミゼラブル」で苦しい暮らしを強いられる民衆が歌う曲で、店を埋めた約500人の客たちが、スマートフォンの画面に浮かぶ歌詞を見ながら声を合わせたが、その数時間後、店は20年続いた営業を終えたという。 底辺で続いている、民衆と当局のせめぎ合いは、どうなるだろうか。
2018.02.19
コメント(0)
私:今週の朝日新聞の「日曜書評」で、この2冊に興味が湧いた。 まず、清水透〈著〉『ラテンアメリカ五〇〇年 歴史のトルソー』・評・柄谷行人(哲学者)だが、俺は、「ラテンアメリカ」という言葉がよくわかっていないことに気がついたね。 A氏:これは「アングロアメリカ」に対するもので、カナダ、米国の北アメリカを除く、メキシコなどの北アメリカと、それ以南の南アメリカ大陸の諸国をまとめていうんだね。 ウィキペディアによると、ここでの「ラテン」という接頭語は「イベリア(系)の」という意味であり、これらの地を支配していた旧宗主国が、ほぼスペインとポルトガルであったことに由来しており、多くの地域がスペイン語、ポルトガル語、フランス語などのラテン系言語を公用語として用いており、社会文化もそれに沿ったものであったことから名付けられたとある。 私:評者も、中南米の各地に行く機会があったし本も数多く読んだが、実はよくわからないままでいたが、本書は、長年私が感じてきた疑問に答えてくれるものであったという。 A氏:著者はまず、「ラテンアメリカ」を「三つの『場』」に分類する。 第一に、メキシコやアンデス地域の諸国、つまりスペイン・ポルトガルなどが到来する前に、先住民が農耕文明をもち、アステカやインカのような帝国を築いていた地域で、ここでは植民地勢力が先住民社会を支配し差別するとともに、逆に、後者に吸収されるにいたった。 第二に、アルゼンチン、ウルグアイ、チリなどの、先住民が多く存在しなかった地域でスペイン系以外のヨーロッパからの移民も多い。 第三に、カリブ海の諸国で、先住民が真っ先に一掃されたため、アフリカから大量の黒人奴隷が連れてこられた。 A氏:さらに、著者は、植民地化の下での「先住民の抵抗」を、一に「武力」、第二に「逃亡」、第三に「共生」での三つに分けて考察。 著者が重視するのは、「逃亡」と「共生」で、たとえば、スリナムには、黒人の逃亡奴隷社会が今も残っている。 また、アマゾンの遊動狩猟採集民の多くは、先住民が「逃亡」した姿である。 「共生」とは、キリスト教を一見受け入れたかたちで、もとの宗教を保持するようなタイプであり、通常は抵抗と見なされていない。 私:以上の「三つの『場』」と「先住民の三つの抵抗」は著者の長年の観察から凝縮された分類であって、「ラテンアメリカ」の錯綜した世界を見るのに役立つだろうと評者は言う。 他に、興味深い事実を挙げておくと、イエズス会が、ある意味で国家から独立しており、現地の情報をヨーロッパに広く伝えたこと、また、アメリカ大陸の独立運動を起こしたのは、植民地生まれの白人(クリオジョ)だということ、などであると評者は付け加えている。 A氏:旗手啓介〈著〉『告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実』評者・市田隆(本社編集委員)は、カンボジアのPKOに日本文民警察隊として派遣された岡山県警の高田晴行警部補(当時)が1993年に武装勢力の銃撃で死亡した事件を中心に、NHKの番組スタッフがこのPKOの真相を追及し、2016年放送のドキュメンタリー取材をもとに書き下ろしたもの。 私:番組スタッフは、この23年後に元隊長から記録の提供を受けたことをきっかけに検証取材を開始。 現地での体験について沈黙を守っていた元隊員たちが、「歴史に埋もれさせてはならない」と重い口を開いた。 元隊員たちの証言や手記、ビデオの映像記録を広く集めた結果、命の危険にさらされた当時の過酷な状況が明らかになり、個々の事実が言葉を失うほどの説得力をもって読者に迫ってくるという。 A氏:取材の積み重ねは、PKOの前提だった停戦合意が事実上破綻し、再び内戦状態に突入していたことも浮き彫りにしているが、当時、UNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)、日本政府ともそれを認めず、派遣要員の撤収はないとの立場に終始。 PKOの矛盾に満ちた舞台裏を明らかにした価値は大きいと評者は言う。 私:高田さん殺害はポル・ポト派の犯行の疑いが強いが「いまなお『犯人』は特定されていない」し、事件後の究明・検証もなく、本書の「これまでのメディアの無為を恥じた」との言葉は評者にも重く響いたという。 評者は「日本の悲願だった人的な国際貢献という旗印のもとに現場隊員が苦しみ、犠牲者まで出した。今後、安保法制が新たな旗印になる場合、この事実を無視して先に進むことはできないだろう。それを世に知らしめた、意義ある一冊だ」という。 高田さんの「死」は「戦死」だったのだろうか。
2018.02.18
コメント(0)
私:横須賀市が13日発表した1日現在の推計人口は39万9845人で、1月から376人、この1年では3147人減り、ついに40万を割った。 急速に進む少子高齢化も人口減の大きな要因となっていて、市の65歳以上の割合は昨年1月現在で30・5%、県平均の24・5%、人口規模が同程度の藤沢市の23・9%と比べても高い。 04年からは出生数が死亡数を下回り始め、「自然減」が顕著になり、16年は出生数が2648人に対し、死亡数は4485人と、「自然減」の比重が大きくなっている。 A氏:国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、横須賀市の人口は2040年には31万2千人まで減る。 市の分析では、40年までの30年間で減る人口約10万8500人のうち、「自然減」が約9万5700人と9割近くを占め、研究所の小池司朗・人口構造研究部第2室長は「横須賀市では『社会減』と『自然減』の同時進行で人口が減り続けており、地方都市に近い人口動態パターンとなっている」と指摘。 私:急速に進む人口減は、地域経済にも影響を与えていて、横須賀市の統計によると、市内の事業所は14年までの5年間で約1250事業所(約8%)少なくなり、卸売り・小売りの年間の商品販売額は14年までの7年間で約1400億円(約25%)も減っている。 A氏:ところで、話は変わるが、少子高齢化のうち、高齢化のほうだが、亡くなる人の数が年々増加し、火葬場の「待ち日数」が長くなっているという。 私:横浜市の推計では、増え続けてきた市の人口は2019年をピークに緩やかな減少に転じ、今後は急激な高齢化が進み、死亡者数も大幅に増え、市内の死亡者数は16年に3万1833人だったが、35年には約4割増の4万5千人に達する見通し。 A氏:火葬件数はすでに増加傾向で、市内にある市営4斎場と民営1斎場の火葬件数は、08年度に2万5583件だったが、16年度には約24%増の3万1681件。 火葬の待ち日数も伸びていて、14年度は平均3・71日だったが、16年度には4・01日。 お昼前後の火葬を希望する人が多く、昼に限れば待ち日数はもっと長く、死者数が多い冬季は待ち日数が長くなるという。 横浜市は、新たな斎場を建設する方針を決め、新年度予算案に計画費など2千万円を盛り込んだ。 新斎場の予定地は現在はスポーツ広場として使われており、周辺は倉庫や工場が立ち並ぶが、広い面積が確保できる敷地として選ばれ、16基の火葬炉を作り、最短で25年度の完成を見込む。 市環境施設課の担当者は「新しい斎場ができれば安定的に火葬ができるようになり、待ち日数も減っていく」と話す。 私:相模原市営斎場も、1~3月の正午前後は火葬が5~6日待ちの状態で、徐々に長くなっているという。 同斎場では、火葬できるのは年間7700件程度で、亡くなる人が増え、約10年後には火葬能力が足りなくなる見込み。 相模原市は緑区青山に新たな市営斎場を作る方針を打ち出したが、住民の反発もあり、見通しは立っていない。 A氏:川崎市には市営の2斎場があるが、06年度に計8361件だった火葬件数は16年度に1万353件と、10年で約24%増え、冬場は1週間ほど火葬を待つこともあるといい、川崎市は今後も予想される需要の増加に対応するため、かわさき北部斎苑(高津区)を改修中。 小田原市でも、現在の斎場の老朽化や今後の需要増を見込んで施設を更新中で、19年度中に一部供用を開始予定。 私:川崎市では、火葬待ちの数日の間に故人を家族らと一緒に車に乗せ、故人ゆかりの地などをめぐるサービスを始めた企業があるという。 たとえば、遠い故郷を離れて川崎で暮らしていた故人を乗せて、火葬前に故郷をめぐり、川崎に戻るといった使い方を想定。 そのサービスにまたカネがかかるわけだから、遺族としては、早期な火葬が望ましいが、急速な高齢化に対応できない火葬施設にはどうしようもないことになる。 急速な少子高齢化で、少子化より、高齢化の問題のほうが早く、身近に問題が出てきそうだね。
2018.02.17
コメント(0)
私:2003年に個人情報保護法ができ、プライバシー意識が日本社会に浸透した。 現在の日本では住所などが入った学級名簿はつくらないのが、一般的になったね。 よく電話で売り込み勧誘があり、「お年はいくつですか」と聞かれるときは、「個人情報なので」いうとそれで終わりで便利だね。 A氏:しかし、多くの人が考える個人情報の範囲は、ネット社会になり拡大していて、保護法の背景には、ネットの常時高速通信が急増した時期と重なり、個人情報が流通する構造そのものが変わった。 私:個人情報の収集で存在感を強めたのが米国のグーグル、アマゾン、フェイスブック、アップルのIT大手4社で、ネットのサービスを通じて膨大なデータを収集分析し、ビジネスに利用している。 頭文字をとって「GAFA(ガーファ)」と呼ばれるこの4社が日本の膨大な個人情報を寡占することへの警戒感は強まっている。 石井氏は、一般に個人データが特定企業に集中することは問題で、大量のデータを分析すれば、本人すら気づいていない「本人像」を浮き彫りにできるからで、人種や居住地域などの情報を分析し、特定の犯罪に関する傾向を導き出すのは差別につながりかねないという。 A氏:しかし、個人データの活用は企業だけでなく、個人や社会にとっても有益なこともある。 俺はアマゾンの通販をよく利用しているが、アマゾンのサイトに過去に買った記録が残っていて便利だね。 私:石井氏は、その際に大切なのは、個人が自らのデータの活用をコントロールできるようにすることで、EUでは個人が自分のデータを持ち運べる「データポータビリティー」という権利が確立しており、英国には自分のデータを活用して最適なサービス事業者を選べる「マイデータ」という仕組みもあるという。 一方、日本では、データの利用停止や削除などを事業者に求める権利ぐらいしか認められておらず、個人のデータをコントロールするのは無理でも、せめてデータの取り扱いにもっと関与できる仕組みをつくるべきだという。 日本でも将来、米国のようにテロ防止のために国家機関がネットで個人データを監視する時代が訪れる可能性はあり、個人情報の活用に不快感を抱かない国民が増えれば、プライバシーの保護よりも国の安全が大事だという声の方が多くなるかもしれないと石井氏はいう。 欧州が、世界に先がけてプライバシー保護の包括的な規制を定めたのは、ナチスの時代に踏みにじられた負の歴史の裏返しで、個人情報がどう操られるかによって、人権が踏みにじられる可能性があることを忘れてはならないと、石井氏は指摘する。 A氏:岡島氏は、個人データを収集・蓄積・分析するコストが下がり、企業や行政は膨大なデータを使って、生活の利便性の向上や治安の維持などに役立てられるようになり、すぐに役に立つかはわからない無数のデータを集めておいて手当たり次第に解析すれば、新たな仕組みや法則を発見できるようになったと指摘。 直接本人に会わなくても行動を予測する手法も身近になり、デジタル社会の「新しい石油」と呼ばれる個人データを収集したいという企業の欲求は拡大し続けているという。 私:そこで、日本政府は2015年、個人データの活用とプライバシーの保護が両輪の個人情報保護法を改正し、データの活用をより重視する方向に政策を転換。 匿名化したデータなら本人の同意を得ずに活用できるようにするなど、個人データの活用を「社会の公共財」として共有する方針を決めた。 A氏:岡島氏にも、個人データを収集してビジネスに活用して成功しているグーグル、アマゾン、フェイスブック、アップルのIT大手4社の「GAFA」が登場する。 日本のコンビニ各社なども個人データを集めて利用してきたが、様々な業種で横断的に集めたデータを結びつける発想に欠けたため、海外に遅れ、日本政府が個人データの活用に力を入れるのは「このままでは日本企業が国際競争で負けてしまう」との危機感から。 私:日本政府は、個人が自分の情報を預託し、本人の同意する範囲内で第三者に渡せるようにする「情報銀行」の導入を計画していて、「GAFA」が収集してきた個人情報を、自分のところにいったん取り戻したいという狙いがあるようだという。 ただ、「GAFA」にはすでに膨大な個人データが蓄積され、利用者は効率的な検索や広告表示、商品のおすすめといったサービスの恩恵を受けているので、「情報銀行」が有力な対抗軸になれるのかは疑問があると、岡島氏は指摘する。 A氏:将来的に個人情報は「仮想通貨」のように社会に流通するようになり、お金の運用と同じように個人情報を使って、うまく稼げる人とそうでない人が出てくるかもしれないと岡島氏は予測する。 私:いま、街頭に多くの監視カメラが設置されていて、多くの企業は社員の職場でのネット利用状況を監視しており、個人のネット検索履歴は簡単に追跡可能。 これからも、政府や企業は「保護」や「見守り」といった前向きな言葉で巧みに個人情報を集めていくが、個人にとっても何らかのメリットがあるため、監視を受け入れる人も多くなると岡島氏はいう。 岡島氏は、現実でも、ネットでも、個人のプライバシーがどんどんなくなる方向へ向かうのは間違いなく、その結果、我々の近未来は、ジョージ・オーウェルがSF小説「1984年」で描いたような恐怖だけの社会とは違い、「紳士的な監視社会」になるだろうという。 それは、中にいる人の意識によって「ゆりかご」とも、「オリ」とも思える社会なのだろうと思うという。 反社会的行動をとる人には「オリ」かもしれないね。 そうなると、皆、従順な紳士となっていくのだろうか。
2018.02.16
コメント(3)
私:昨年の日産、スバルで「完成検査」を無資格者が行っていることからはじまり、神戸製鋼の検査データ改ざんがあり、高い品質で信頼を勝ち得てきたはずの「メイド・イン・ジャパン」の相次ぐ不祥事が問題になったが、これについてのマスコミ報道は記者のISO9001の不勉強によるものばかりだった。 A氏:昨年10月25日のこのブログでもふれたが、当時、神鋼のホームページでは「お詫びの言葉」がトップにきていたが、その前は、次のような項目が掲載されていた。 「神戸製鋼グループでは、お客様にご満足いただける製品を提供するために、品質マネジメントシステムの国際規格『ISO9001』の認証を取得し、品質保証・品質管理への取り組みを行っております」。 私:それなのに、JISという単語はマスコミにやたらに出て来るが、「ISO9001」は登場しなかった。 「ISO9001」に不勉強な記者の知識や記事のレベルも日産、すばる、神戸製鋼の品質管理なみに低いのは皮肉だね。 私:ちょっと引用が古いが、先月、2月号の「文藝春秋」でこの日産、スバル、神戸製鋼の品質偽装について、「大企業の品質偽装はトップの責任」というタイトルで、日本科学技術連盟会長の坂根正弘氏の寄稿が載っていたが、これも「ISO9001」にふれていない。 当然、日本の品質管理の不勉強が目立つ。 A氏:すばるのHPにも「当社の品質方針ならびにISO9001規格に基づいた品質マネジメントシステム(QMS)を構築し、円滑かつ効果的に運用」とある。 日産もISO9001を認証していて、今回の偽装で認証を取り消されている。 私:「文藝春秋」2月号に「大企業の品質偽装はトップの責任」を寄稿した日本科学技術連盟会長の坂根正弘氏は、トップの意識改革が最重要として、昨年10月、「品質経営懇談会」を設立したという。 しかし、ISO9001には「経営者責任」という要求事項があり、トップの高い品質意識を要求している。 これを知らないのだろうか。 ISO9001は1990年代に、日本の製造業、建設業に広まり、大企業から中小企業に至るまで、多くの企業が、認証するというブーム化した現象があった。 A氏:だから、今更、「大企業の品質偽装はトップの責任」というのはおかしいね。 筆者の坂根正弘氏はコマツの出身らしいが、コマツも1990年代にISO9001を認証しているが、これにふれないのはおかしいね。 私:さらに、坂根氏は、この問題解決にはトップが実行するビジネスモデルとしてPDCAを提唱している。 PDCAとはPlan(計画)、Do(実施)、Check(チェック)、Action(行動)の順序を示す。 坂根氏は、Action(行動)の結果、標準化(Standization)があるから、PDCAsと最後にsをつけるべきだと主張しているが、標準化はAction(行動)に含まれているのが初歩的な常識。 このPDCAの基礎的な常識も欠如しているね。 A氏:ところでなんで、今頃、PDCAが出てくるんだね。 これは俺達が企業に入社した頃、品質管理教育で最初に徹底的に教えられた言葉だよ。 PDCAは戦後、日本に品質管理を教えた米国のデミング博士が言っていた言葉で、PDCAはデミング・サイクルといっていた。 日本が戦後、製造業での品質が次第に向上したのはデミング博士の指導の功績だとして1951年にデミング賞が創設され、トヨタ、日電、東芝、新日鉄、コマツなど多くの大小企業が受賞している。 私:当然、ISO9001の規格もPDCAの考えにそっている。 これを坂根氏は、知らないのだろうか。 また、坂根氏は、「見える化」を今頃、提唱しているが、これも1950年代に日本車の品質向上に貢献したトヨタ生産方式の技法の一つとして多くの製造業では古くから常識。 今回の日産、スバル、神戸製鋼の品質偽装問題で、明らかになったのは、敗戦後、米国のデミング博士にPDCAなどの品質管理を学び、製造業中心に品質向上に努力し、これにより1980年代に品質で世界を制覇し、さらに、1990年代には、ISO9001ブームがあったという日本の「品質管理の歴史」に無知な人が圧倒的に多いということだね。 「失われた20年」というが、今回の日産、スバル、神戸製鋼の品質偽装問題で、この20年で「日本経営の品質管理の歴史知識」に忘却による断絶があったことが、表面化したことこそが問題だね。
2018.02.15
コメント(0)
私:昨日のブログ『議院内閣制 変貌する英国モデル』で、英国の「二大政党制」などを参考に「政権交代のある政治」を目指した1990年代の日本の「政治改革」が、20年経って「二大政党制」どころか、「一強多弱」の状態になってしまった。 「小選挙区制」で良かったのか、論壇で議論が積みあげられつつあるとして、この欄で専門家の意見を紹介している。 A氏:政治学者の小林良彰・慶大教授は、「小選挙区制」をやめ、「比例代表制」に移行すべきだと主張する。 小林教授は、民主主義は「小選挙区制」を用いる多数決型の民主主義と、「比例代表制」を用いる合意形成型の民主主義の2種類に大別されるという。 後者は多様な民意をそのまま議会に反映させ、前者は選挙という最初の入り口で少数意見を切り捨ててしまう、とした。 私:小林教授は、米国のように有権者が所得階層や人種で住み分けることが多く、似た意見を持つ人が同じ「小選挙区」に住んでいる社会には「小選挙区制」が向くが、日本のように同じ地域に意見の異なる同士が混在しやすい国で「小選挙区制」を使うと、死票が多く出てしまうと批判。 また、日本には多くの政党があるため、「小選挙区」の当選者の得票率が50%を下回ることが多いと指摘し、その議員が議会で多数決をすると、50%×50%、つまり25%の民意で社会的決定が行われかねないとも小林教授は指摘。 そして「日本は民意が二分される国ではない。それがはっきりしたのが昨秋の総選挙では」といい、「比例代表制」は多党化を促し、「決められる政治」は後退しないかという懸念に対し、「多様な勢力が国会での議論を通じて一つの答えに到達することは可能である。政治学は『熟議民主主義』という考えを通じて、そう示してきたと思う」という。 A氏:政治学者の建林正彦・京大教授は、日本で「二大政党制」が実現しない理由は、選挙の面で「衆議院、参議院、地方政治に異なる制度を用いてきた」ことだという。 20年前の「政治改革」では「政党本位の政治」を促す仕組みを衆院に埋め込んだが、「地方議会」などには「候補者個人本位の選挙」など、少数の支持で当選できる仕組みが残っていて、それが「二大政党」化を阻んだ原因であるとした。 建林教授は、「衆院の制度を変えれば日本政治のすべてが変わるという観測が『政治改革』の中にあったのでは」と指摘し、「優先すべき改善は、政党本位の政治という目標に向けて地方政治や参院まで含めた整合的な制度設計を考え直すことだろう」という。 私:神戸大の砂原庸介教授も「個人」で選ぶ制度が「地方議会」に残る影響に着目する一人で、国政野党が育つ環境づくりのため、「地方議会」に「比例代表制」を導入するよう提言。 A氏:他方、政治学者の宇野重規・東大教授は、「小選挙区制」を本格的に見直す作業はまだ早いとし、「一つの選挙制度が一国の政治社会に根付き政治文化を形成するには、1世代にあたる30年くらいかかると思う。まだ途上だと考えている」という。 私:20年前に「政治改革」を推進した政治学者として知られる佐々木毅・元東大総長は昨秋、ネットの座談会「政治改革は失敗だったのか」で現行制度の見直し案として、「小選挙区制」にフランス型の「2回投票制」を導入する案に言及。 これは、初回投票で過半数を取った候補がいなかったら、2週間ほど後に上位2人で決選投票を行う制度で、「風」に流されて極端な選挙結果が出ることを防ぐ狙いがあるという。 「2週間考えたうえでの『風』であれば、一晩考えた『風』よりいいかもしれない」と佐々木教授はその座談会の中で語っているという。 しかし、現実問題として、現行の選挙制度による「一強多弱」で安住している自民党から選挙制度の大幅見直しの提案は期待できないだろう。
2018.02.14
コメント(0)
私:1932年、「タイ」が絶対王制から立憲君主制に変わった。 しかし、その後の民主制の経過は厳しいものがある。 92年5月に起きたイ「ブラック・メイ」と呼ばれる事件では、前年のクーデターで実権を握った国軍最高司令官が、前言を翻して首相に就任し、市民らは立憲君主制に変わった記念の「民主記念塔」の周辺で大規模な抗議集会を開き、軍が発砲して多くの死傷者を出した。 A氏:その後もクーデターは度々繰り返され、政治混乱の収拾を理由にした2014年5月の13回目といわれるクーデター以降、「タイ」は現在、再び軍事政権下にある。 そして最近、軍政トップのプラユット暫定首相が「『タイ』は民主主義を持たなければならない。だがそれは、『タイ』主義(『タイ』式)の民主主義だ」という言葉を口にした。 私:「タイ」では、政治が腐敗したり混乱したりすると、軍が力で刷新し、一定期間の軍政の後、総選挙を経て民政に戻るが、再びクーデターが起きるという歴史が繰り返されてきた。 国王がその最終調停役をなす体制は「『タイ』式民主主義」と呼ばれるわけだ。 今回のプラユット氏の発言の真意は、「政治や社会の安定を望むなら、総選挙後も軍が政治にかかわり続ける必要がある」とのメッセージとの見方が強いと貝瀬秋彦氏は指摘する。 昨年4月に施行された新憲法は、選挙を経ない人物が首相に就く道を開いており、プラユット氏がその座をうかがっているとささやかれる。 A氏:民主主義のありようが揺れているのは「タイ」だけではなく、7月に総選挙を迎える隣国「カンボジア」では、フン・セン政権による批判勢力への露骨な弾圧が続く。 最大野党は「政権転覆」の計画にかかわったとして解党され、政権に批判的な英字紙は巨額の税金を課せられて廃刊に追い込まれたが、政権側は「法に基づく措置」だとし、自分たちは民主主義のルールを守っていると主張。 貝瀬氏は、「もっとも、欧米流の民主主義が万能なわけではない。その国の事情に合わせた受容はありうるだろう。ただ、『タイ』や『カンボジア』の現状は、国民全体が主役の体制とは言い難い。『アジア式の民主主義』がいま、問われている」という。 私:そういえば、今、冬季オリンピックで賑やかな「韓国」も歴代大統領の末路がよくなかったり、日本との間で結んだ国家間の公式な締結を反故にしかねなかったりという「韓国式」民主主義もともいえそうな状態もある。 A氏:今日のブログ『議院内閣制 変貌する英国モデル』でとりあげた英国の「二大政党制」をモデルにした日本の政治改革が、20年経って「一強多弱」の状態が続いている。 しかも、総選挙の投票率50%台、「一強」の自民党の絶対得票は有権者の約3割。 私:これは「日本式」民主主義かね。 もっとも、ブログ「国民投票、経験国からの警鐘 首相退陣に追い込まれた英伊を視察、衆院議員団報告書」でとりあげた英伊両国の民主主義による国民投票は失敗だったという、反省がある。 民主主義の基本は国民投票にあると思われていたのにーー。 民主主義を問われているのはアジアだけではないね。 民主主義国家も政治上難しい問題をかかえているね。
2018.02.13
コメント(0)
私:日本の現在の議院内閣制は、英国の議院内閣制をモデルとした。 選挙制度に限らず、政治主導や官邸機能の強化なども英国に範が求められた。 官僚制や政権与党をコントロールできる権力を政府や首相(官邸)に集中してはじめて、実効的で責任ある統治が可能になるというものだ。 A氏:ところが、モデルとされた英国では、近年大きく変化していて、「二大政党(保守党と労働党)」の得票率は低下傾向にあり、民意を集約できなくなっている。 政府や首相への権力集中は、たしかに効率的な意思決定を可能にしたが、トップダウンの政策は良好な成果を上げてはいない。 私:現在、英国におけるこの間の国制改革は、こうした政治エリートへの信頼の低下を受けて、強くなりすぎた政府を制御する方向で進められている。 議会による政府監視機能の強化、分権化や権限移譲、慣行の明文化や司法の積極化など。 首相の議会解散権も制約されたね。 日本では、「小選挙区比例代表並立制」が1994年の「政治改革」によって導入されてから20年以上が経ったが、この制度は英国のように「二大政党制」と政権交代を導くはずとされたが、日本では「一強多弱」の状態が続いている。 しかも、総選挙の投票率50%台、「一強」の自民党の絶対得票率は有権者の約3割。 A氏:「二大政党制」による政権交代は政治を活性化するために本当に不可欠なのか、権力集中ははたして正解と言えるような問題解決を導くのか、与党や官僚の役割は政権を支え、政府の意に従うことに尽きるのか、選挙だけが政府を民意に向き合わせる機会なのか。 英国をモデルとした政治制度に見直すべき課題が出てきたね。 私:2009年に「民主党政権」が登場したとき、当時のブログで「英国『政権交代』失敗の教訓」中西輝政氏寄稿をとりあげたが、中西氏は、ここですでに民主党政権が短命で終わることを予言していたね。 A氏:中西氏は英国政治史の専門の立場から、英国の議会政治は、「精緻な芸術」で、誰もが真似をしたいと思うが、それだけに「模倣不可能」としていた。 当時、民主党は、菅直人氏が6月に英国に行っているし、小沢一郎幹事長も9月に行っている。 民主党の「マニフェスト選挙」、「副大臣・政務次官制」、「閣僚委員会」、「国家戦略局」などは、英国の議会政治をモデル。 さらに、中西氏は、「二政党制」とは、双方に政権担当能力があることを意味し、英国の政権交代の歴史からの教訓は「最初の政権は得てして失敗する」ということと「真の『二大政党制』が確立するまでには、膨大な時間がかかり、苦渋に満ちた学習期間が必要だ」と言っているね。 議会政治の本家であるイギリスさえ、最初の政権交代から真の「二大政党制」が根付くまでに、実に20年以上の時間と5年間の大連立という長い学習期間を必要としたと中西氏は指摘していた。 私:中西氏の予言通り、民主党政権は短命で終わり、「二大政党制」どころか、20年経って「一強多弱」状態になった。 そして、本書の指摘通り、本家の英国の「二大政党制」もおかしくなっている。 評者は、本書のメッセージは明快で、必要なのは、「モデル探し」ではなく、「自省の材料を求める」ことであり、英国を真似てきた「決められる」政治はどのような問題を抱えているか。本書を読んで振り返ってみたいという。 やはり、浅はかなマネは成功しないどころか弊害を生むね。 当時、民主党は、その反省をしていなかったね。
2018.02.13
コメント(0)
私:今国会に提出する予定の「働き方改革」関連法案は、「労働基準法」、「労働契約法」、「パートタイム労働法」など8本の改正法案を束ねたもの。 改革の目玉は二つだという。 一つは「長時間労働」是正で、残業時間に罰則付きの上限規制を導入するため、「労基法」の改正をし、労使が協定を結んでも上回ることができない年間の残業時間の上限を「720時間」、極めて忙しい1カ月の上限を「100時間未満」とすることなどを盛り込み、事実上青天井だった残業時間に初めて法的な強制力がある規制を設ける方針。 もう一つが「同一労働同一賃金」で、パートや契約社員、派遣社員など非正規で働く人たちの待遇改善を図る政策。 A氏:過労死・カロウシが国際語になっているが、その温床となる「長時間労働」や、正社員と非正社員の分断は日本の雇用構造が抱える負の側面。 安倍政権はこうした問題の解決をめざすが、「働き方改革」の狙いはそれだけではなく、働く人を増やし、その賃金も増やすことで経済成長につなげる狙いもあるという。 背景には、少子高齢化が止まらず、労働力人口が減り続けることへの危機感がある。 しかし、「長時間労働」は労働生産性が低いことの象徴。 「生産性革命」というスローガンがあるのに、それとのリンクが議論に出てこないし、三本目の矢はどこにいったのかね。 OECDのデータによれば2016年の日本の時間あたりの労働生産性は米国の3分の2で、順位もOECD加盟の35ヶ国中、20位という低水準。 これは、経営能力の反映でもある。 私:「同一労働同一賃金」は、同じ労働であれば同じ賃金を支払うという考え方で、首相は施政方針演説で、「長年議論だけが繰り返されてきた『同一労働同一賃金』。いよいよ実現の時が来ました」と力を込めたが、厚労省が示した法案要綱に「同一労働同一賃金」という文字はない。。 また、概念だけのスローガンかね。 「同一労働同一賃金」は、欧米のような企業に横断的な職種中心の雇用構造がベースに必要で、「新人一括採用」という日本のような企業中心の雇用構造には一挙に適用が難しいと思われるが、その議論がない。 組合だって、欧米は職種別、日本は企業別。 A氏:「『非正規』という言葉を一掃する」と、安倍首相はそう繰り返すが、現実に「非正規」をゼロにすることは無理で、育児や介護でフルタイム勤務が難しい人はいるし、定年後の再雇用は有期雇用。 労働者派遣を禁止するわけでもなく、「同一労働同一賃金」も、「『非正規』を一掃する」も、あくまで政権のスローガンと理解するのが妥当だと沢路毅彦氏は指摘する。 私:「労基法」改正案には、「高度プロフェッショナル制度(高プロ)」の導入と、「裁量労働制」の対象業務の拡大が盛り込まれている。 「高プロ」は専門職で年収が高い人を労働時間規制から外す制度。 「裁量労働制」はあらかじめ定められた労働時間に基づいて残業代込みの賃金を払う制度で、それ以上働いても追加の残業代は出なくなる。 どちらも労働時間規制を緩めるもの。 安倍首相はこうした仕組みを「時間によらず成果で評価する制度」と説明するが、法案要綱にこの文言はなく、どちらも成果や賃金を定めるルールでなく、あくまで労働時間規制を緩めるルールなのだから当然だと沢路毅彦氏は指摘する。 適用されても、成果に応じた賃金がもらえるとは限らないことに留意が必要で、企業からみれば、賃金を増やさずに長時間働かせられる制度といえる。 A氏:産業構造の変化やIT化の進展で働き方は多様化していて、柔軟な働き方を促すことに異論はないが、「長時間労働」を強いる雇用慣行がなくならない中、十分な検討もせずに規制を緩めれば、「長時間労働」の是正策の効果を打ち消しかねない。 私:政権は「労働時間規制の強化と緩和」を抱き合わせて国会を通すシナリオを描き、野党は「『長時間労働』の是正に逆行する」と反発を強めているが、野党も連合も反対していない残業時間の上限規制や「同一労働同一賃金」と一括審議になれば、目玉法案の論戦は深まらないと沢路毅彦氏は指摘する。 俺も職種別雇用体制の検討なしの「同一労働同一賃金」の論戦。 そして、時間規制だけで経営能力向上と生産性向上なしの「長時間労働」の論戦。 これらは「働き方改革」を不毛に終わらせると思うね。
2018.02.12
コメント(0)
私:フランスは、「兵役義務」は2001年に廃止したが、廃止を決めたのは、保守の大統領だったシラク氏で、軍をプロフェッショナル化する必要がある、という理由。 に専門化が進んだ現代の軍に素人の出る幕はないというわけだ。 それが、マクロン大統領は、昨年の大統領選挙ですでに公約として掲げていた「兵役義務」実施に向けて先月、作業グループを立ち上げたと発表し、4月に結論をまとめさせるという。 A氏:選挙公約の「兵役義務」では、男でも女でも18歳から21歳までの間に一度必ず防衛、治安を担う場所で任務に就かせるという構想で、パリなどでテロが続き、治安に不安を感じる人は少なくないので、こうした発想が出てくる背景はある。 ただ、大野氏は、ただ当時、不思議に感じたことがいくつかあったとして、ひとつは提案している兵役期間で、これがたった1カ月だということ。 初心者が入れ代わり立ち代わり頻繁に任務を交代してどれほど治安の強化につながるのかということ。 そして、選挙期間中、主要な争点になっていなかったことも意外だったと大野氏はいう。 2001年の「兵役義務」廃止のときは、大革命期以来の歴史的な転換といわれたのに、それをまたひっくり返そうというのに異論が目立たない。 私:実はマクロン氏の考えには国防や治安の枠に収まらない狙いも込められていて、生まれ育った環境が異なる若者に同じ仕事をさせ、国民という共通した帰属意識を育む機会に、という狙い。 仏社会は分断に苦しんでいて、テロが強めるイスラム系市民への偏見や、経済的不平等への不満、人々をエリートと非エリートに分断する教育への失望感などがある。 A氏:軍関係者や専門家からは、経費がバカにならないとの懸念も出ていたが、それを意識したようで、大統領は最近「(廃止した)『徴兵制』をあらためて持ち出すわけではない」と強調。 むしろ「すべての国民の義務」という抽象的な呼び方を使い、「社会や環境、文化の領域での守るべき原則と取り組むべき闘いをフランスの若者に与える」のが目的で、それこそが「揺るぎない国民的連帯の土台となる」という。 ばらばらになりそうな社会を再び統合する手段としての「徴兵制」。 私:大統領選後の世論調査で6割の人がマクロン氏の提案を支持したのは、治安への懸念だけでなく連帯感を失う社会への不安の表れでもあったのではないかと大野氏はいう。 「すべての国民の義務」がどんな形で実現するにしろ、託される課題は重いと大野氏はいう。 その点、まだ、日本は欧米のような移民に関連する分断の危機に直面していないのは幸運というべきか。
2018.02.11
コメント(0)
私:昨日のブログ「やはり新築・持ち家?」で、日本人の新築住宅好みの異常さにふれたが、今日の記事は、別の視点からの日本の住宅問題を論じている。 山極寿一氏は、ゴリラが専門の霊長類学者。 そこで、まず、ゴリラの住み方からふれている。 アフリカの熱帯雨林で暮らすゴリラは、毎晩それぞれ個別のベッドを樹上に作り、互いに寝息の聞こえる距離に枝を折り曲げ葉を敷いて、大きな鳥の巣のような寝床で眠る。 成熟したオスは地上に作ることもあるが、子どもたちは樹上が好きで、夜が明けると、みんな地上に下りてきて、遊んだり食事をしたりする。 A氏:このベッド作りは、本能的な行動と考えられていて、人間の祖先もおそらく同じようにベッドを作って樹上に寝ていたはず。 しかし、数百万年前に熱帯雨林を離れて草原へと生活圏を移してから、ベッドを作らなくなった。 草原はベッドを作る木が足りないし、地上はあまりにも危険だったからだろう。 やがて人間は家を作るようになり、ベッドではなく、仲間と共有する屋根と壁のある構造物となる。 私:山極氏は、野生のゴリラの調査で狩猟採集民の人たちと生活を共にしたことがあり、家々は、数十人規模の共同体が互いの動きを感知できるような範囲に、しかもプライバシーが守れるように視界を遮断した家族単位、個人単位で作られている。 家々は、数十人規模の共同体が互いの動きを感知できるような範囲に、しかもプライバシーが守れるように視界を遮断した家族単位、個人単位で作られている。 これが人間の家の基本だろうと山極氏はいう。 A氏:人間の700万年に及ぶ進化史の大半は狩猟採集生活。 200万年前から大きくなり始めた脳は、集団の規模が拡大するのに合わせ、40万~60万年前に当初の3倍に膨れ上がり、この大きさは150人規模の集団で暮らすのに適した社会脳であるという。 だが、現代人になっても脳の大きさは変わらないのに、農耕・牧畜社会、工業社会、情報社会と、生活様式の劇的変化に伴って集団規模は急拡大しても、人間の脳で作る共同体の規模、つまり信頼関係を構築して一緒に暮らす仲間の数は増えていないという。 私:近年まで、日本の家屋の基本的な造りはせいぜい木造の2階建てで、開けっぴろげで戸締まりの必要もなく、周囲の住民がよく出入りできるようになっていた。 西洋の石造りの家でもパティオという中庭を囲んで作られたり、道や廊下で繋がっていたり、住民が互いの暮らしを察知できるようになっていて、これは、日々の暮らしを支える食事や育児を分かち合い、支えあう必要があったから。 A氏:しかし、戦後の日本の家は劇的に変わり、都市にはオフィスビルが立ち並び、郊外に新興住宅街が次々にできた。 1964年の東京五輪を契機に古い木造住宅は次々に鉄筋のアパート群やプレハブ住宅に替わり、新しい建材が次々に登場して大工、左官屋、畳屋の出番は減り、設計から施工まですべてを取り仕切る建築会社が台頭した。 コンクリートは建築家が思い描く理想の設計を可能にし、日本は一躍建築大国になった。日本の家はしだいに、周囲と断絶した空間の中だけの機能を重視するようになった。 私:現在、日本の住宅はマンションに代表されるように、周囲とのコミュニケーションを一切考慮せずに設計され、なるべく密閉できるようになっていて、大気汚染ばかりでなく、花粉や虫の飛来、動物の侵入、騒音を防ぐ必要性が高まったためでもある。 A氏:家が住人だけの利便性を考慮して作られていれば、隣人と日常的に交流するのは難しくなり、こうして日本の家は、人々とも自然ともつながりをなくしてきた。 個人や家族はこうした家の仕組みによって孤立し、ネット上のつながりや公共サービスや保険制度に救いを求めていると山極氏はいう。 私:そこで、山極氏は、京大の建築科の学生が中心となって他大学の学生と一緒に古い木造家屋を改築し、2年がかりでシェアハウスに作り替えた例をあげていて、若者たちが孤独な暮らしを嫌って、これが、原初的なつながりを模索して行き着いた形なのかもしれないとし、若者たちがここで再び新しい人間の暮らしを創造することを期待したいという。 日本の住宅問題は、マンションばかりでなく、昨日のブログとリンクして、日本の中古住宅の活用の遅れにもふれてほしかったね。
2018.02.10
コメント(0)
私:驚いたね。 日本、米国、英国、フランスの4ヶ国の「新築住宅と中古住宅の割合」を比較すると、日本は既存住宅取引戸数は14.7%、ところが、米国は83.1%、英国は87.0%、フランスは68.4%と、日本人の住宅についての価値観は異常だね。 A氏:平山洋介氏によると、戦前の都市部では住宅の8割が借家だが、現在、日本の持ち家率は6割強。 住宅政策が「持ち家」一辺倒になったのは1970年代。 俺達が、マンション住まいから、大手デベロッパーが、開発した一戸建て団地に大移動した頃だね。 私:俺のいた横浜の戸塚区は、最初、山林が多かったのが、一挙に一戸建て住宅が増加し,住宅地に変貌したので。区を分け、栄区という新しい区を作ったほどだね。 民族の大移動だ。 平山氏は、同じ先進国のドイツやスイスなどでは持ち家率は低く、日本の「持ち家」一辺倒は政策的につくられたという。 A氏:政府が持ち家建設を重視した理由の一つは、経済刺激で、73年の第1次オイルショックで高度成長が終わると、住宅建設で景気を浮揚しようとした。 それ以来、第2次オイルショック、プラザ合意、バブル崩壊と、景気が傾くたびに持ち家建設を拡大するという政策パターンが定着。 私:70年代後半、国家ではなく家族と企業を福祉の柱とする「日本型福祉社会」をつくり、社会保障の水準を抑える構想が示されたが、公的年金は住居費を考慮していなかった。 国民は家を買い、高齢期までにローン返済を終えておかないと生きていけない、と考えざるをえないと平山氏はいう。 企業の福利厚生でも、持ち家への融資があり、社員に資金を貸し付けて家を買ってもらうことは、終身雇用制度度に適合し、労使協調の企業コミュニティーを強固にする意味をもっていた。 しかし、俺は会社に縛られるのが嫌で、あえて、銀行から借りたね。 A氏:70年代以降、景気対策のため、当時の住宅金融公庫の融資供給が増大し、銀行の住宅ローン販売も増え、家は貯蓄ではなく借金で買うものになり、持ち家は「金融化」した。 私:しかし、90年代から、合理性が揺らぎ、所得が減ったことから大型の住宅ローンを組む世帯が増え、返済の負担は重くなる。 ローン負担の増大は、消費低迷の一因で、退職金が減り、定年後も返済が必要になるケースが出ていて、しかも、かつては増えていた住宅の資産価値は、たいていの場合、どんどん減っている。 それでも家を買おうとするのは、高齢期の不安に対処するためだと平山氏はいう。 戦後、膨大な住宅投資をしたが、成果の大半は「私物」の持ち家で、中古住宅の市場は小さく、家を買った人は住みつぶすしかない。 長くなった高齢期に、体調や家族の都合で引っ越す必要があっても、持ち家の売却は難しい。 A氏:新築促進による経済刺激の効果は減り、欧米に比べ、日本はいまも人口あたりの新築戸数は多いが、住宅への投資の総量は小さい。 私:最近、俺の近所の空き地に新築の一戸建ての家が何軒かできているが、いずれも、せまいね。 1970年代の俺達の一戸建ての坪数が80坪くらいで、庭が広かったのが、最近の新築はその半分くらいの広さで庭も狭く、隣の家との間隔も狭いね。 新築の規模の質が低下しているように思う。 これは、平山氏は指摘していないね。 A氏:平山氏は、既存住宅の修繕や維持に力を入れ、中古市場を育ててきた欧米のシステムの方が、住宅投資を持続する効果をもっているという。 いま、日本で新築は年100万戸にとどかないが、既存住宅は5200万戸以上あり、中古住宅をもっと動かし、社会としても使えるようにするべきだという。 私:中間層が減り、低所得の高齢者や非正規労働者が増え、公的な低家賃住宅は欧州諸国では2~3割を占めるのに、日本では3・8%。 公的な家賃補助制度がないのは、先進国では日本くらい。 「私物」の住宅ばかり積み上がり、住宅困窮者が増え、社会や経済が停滞する状況から、抜け出さないといけないと平山氏はいう。 A氏:住宅ジャーナリスト・山本久美子氏は、日本人は欧米と比べて、新築好きで、リクルート住まいカンパニーが、住宅を購入または建築を検討している人におこなった調査(16年度)で、新築希望が76・7%、中古希望が7・3%。 山本氏は、望ましい住宅の選択は、ここに住みたい、こういう暮らしがしたい、というのがあって、結果的に新築だった、中古だった、という姿だという。 それが、新築がいいというイメージが先行し、早い段階から新築か、中古かを決めてしまう人が圧倒的に多いのがいまの状態だという。 誰もが中古住宅を買いやすく、売りやすい市場にすることが大切だという。 私:国交省は06年に新築の大量供給から、中古の質の向上にかじを切り、中古流通とリフォーム市場の活性化に乗り出した。 その一つが中古住宅の「インスペクション(住宅診断)」で、中古住宅を買いたがらない理由の一つである、質の不安、の解消を狙ってガイドラインを策定。 建築士ら専門家が第三者的立場で住宅の状態を調査するもので、米国では一般的な仕組みで、給排水管の漏れや詰まり、建物の傾きや亀裂などをチェックし、売り手は、手入れやリフォームしたことを価格に反映させやすくなる。 4月からは、「インスペクション」の実施の有無や、その診断結果を、仲介業者が、売買契約の前に買い手に説明することが義務づけられていて、これをきっかけに普及が期待される。 A氏:新築でも中古でも、むやみに信頼して任せるのではなく、自分で良しあしを判断し、わからない場合は専門家に相談するなどで家を選ぶ必要があり、制度や市場ができても何より買い手の意識改革が大切で、その方向に進めば、新築至上主義から解き放たれ、選択肢が広がると山本氏はいう。 私:1970年代以降、大量に供給された一戸建ての「持ち家」が少子高齢化で、「空き家」も増えている。 少子高齢化対策の見地からも、その効果的な再利用が必要だね。
2018.02.09
コメント(0)
私:4日のブログ「フィンランド、教師の働き方に驚き」で、日本の教師とフィンランドの教師の「働き方」の違いをとりあげ、日本は「何でも屋」であるのに対し、フィンランドは「分業」による「専門化」が進んでいることが、基本的に違うことが示されたね。 このコラムの山脇氏が扱っている問題は、まさに、日本のこの「働き方」」の問題をとりあげているね。 A氏:山脇氏は、自分の記者生活を振り返り、事件、高校野球、地方行政、金融、情報通信、調査報道、米国政治や経済と、それぞれの取材は興味深かったが、これが「専門」だと胸をはれる分野はなく、何の「専門家」でもない自分、時折、苦い思いがこみ上げるという。 記者の職業は、「ゼネラリスト」的(何でも屋)であることを生かすべき職業だろうけれど、それだけでは十分ではなく、質の高い情報が、無料でインターネット上でとれる時代に、「専門家」と渡り合えるような知見を身につけつつ、現場に足を運ばなければ、読み応えのある記事を書くのは難しいと山脇氏はいう。 私:「ゼネラリスト」志向は、メディアに限らず、日本の企業に幅広くあり、山脇氏のこのコラムのテーマは、記者の「ゼネラリスト」問題でなく、霞が関の中央官庁も、その典型であるとして、問題としてとりあげているね。 A氏:キャリア官僚たちは、事務次官という最高ポストをめざし、さまざまなポストを経験し、有力政治家にうまく根回しして政策を実現できれば、役所内で「ゼネラリスト」として、評価される。 この「ミニ政治家」的な官僚は、たくさんいるが、世界は複雑化し、技術革新も早いときに、政策判断が難しい中、政策立案の「専門性」を、どれだけ磨けているだろうかと山脇氏は指摘する。 私:1990年代、大蔵省が、財務省と金融庁に分離されたが、いま、関係者に聞くと、分離して良かったとの見方が強く、予算や税制や金融を少しずつといった「専門性」の少ないキャリアでは、複雑化する金融分野で、「他国の専門家」との厳しい交渉はできないという。 「ゼネラリスト」でなく「専門性」が高まったわけだ。 A氏:しかし、霞が関全体としては、「専門職」が尊重される風土になったとはいえず、お金を配分する部門に権力が集まり、予算執行後のチェックや、業界の検査といった部門は軽視されがちで、金融庁については、企画立案と検査監督が一つの役所の中にあることへの疑問の声は残っているという。 私:この霞が関の「ゼネラリスト」状態への対策の機会として、山脇氏は、政府の公務員の定年延長に着眼している。 60歳の定年を時間をかけて65歳までのばし、60歳で給料は下げ人件費を抑制する。そういった方向で検討が進むのだろう。 年金をもらえる年齢はやがて65歳になり、定年をのばす企業が増えているから、人件費の総額が増えていかないならば、公務員の定年延長がおかしいとは思わないが、延長と同時に真剣に考えなければならないのが、「専門性」の問題だと山脇氏は指摘する。 山脇氏は、次官をめざす「ゼネラリスト」ばかりを養成するのではなく、「専門性」で勝負する「スペシャリスト」を大幅に増やすべきであり、そうなれば、役所の権限や予算配分、資金の運用などを背景にした「天下り」ではなく、本人の「専門性」を生かした民間への転職もしやすくなるという。 A氏:山脇氏は、「政と官」の関係も再考してほしいという。 同じ議院内閣制を取るイギリスでは政治家が国土計画のビジョンを描き、官僚が中立的・専門的に効果を計算して、道路をどこにつくるかを決めるが、日本は官僚が全体のビジョンを描き、政治家が道路の引き方に介入し、全く逆だという。 霞が関に「専門家」が育たないわけだ。 財務省から明大教授に転じた田中秀明氏は、「ごく一部の政治的な調整を担う政治任用の職員と、『専門的』・中立的に政策や執行を担う大多数の職員を明確に分けるべきだ」という。 私:山脇氏は、最後に、「『政』が変わらない限り、『官』の改革だけを一気に進めるのは現実的ではない。だが、まずは第一歩として、『官』の定年延長をするのなら、「ミニ政治家」から「スペシャリスト」への道筋を明確にしてほしいと願う」という。 「働き方改革」は、まず、政府はスローガンだけでなく、先頭に立って霞が関の「スペシャリスト」育成という「働き方改革」から、行うべきだね。
2018.02.08
コメント(0)
私:全国の地方都市が悩んでいるのが中心市街地の空洞化。 かつては規制されていた大型ショッピングセンター(SC)が郊外につくられ、人々はクルマで出かけていく。 中心部は衰退してシャッター商店街と化し、鉄道やバスなどの公共交通機関に大きな打撃を与えた。 クルマは、ある水準まで拡大すると他の交通手段を駆逐し、多様性を失わせる傾向があると藤井氏はいう。 都市は駅や港、城などの点を中心として、施設や人が集積する効果で競争力を保っていて、中心にはにぎわいがあり、人々が交流する公共空間がある。 それは人間が人間であるために、必ず求められるものだが、郊外はべたっと広がる面では、中心にはなりえず、地方都市の郊外化は競争力を失わせ、東京など大都市への人口移動を促す。 A氏:クルマは日本の地方を疲弊させている重大な原因の一つで、地方ではクルマがなければ何もできないという常識になっていて、クルマへの過度の依存を止めなければ、「地方創生」はありえないと藤井氏はいう。 また、藤井氏の研究室の調査によれば、全国チェーンの大型SCで生鮮食料品を買うと、日本中、世界中から商品を集めているから、出費の8~9割が地域の外へ流れていく。 地産地消でなくなる。 一方、地元商店街はその地域から仕入れる比率が高く、5~6割は地域に還元される。 言い換えれば、全国チェーンの大型SCはお金を吸い上げ、地方経済を疲弊させていくシステムだと藤井氏はいう。 私:だから、クルマを締め出すことで人は戻ってくる。 京都市では3年前、中心部の四条通りの車線を減らし、歩道を広げて歩きやすくしたら歩行者数が1~2割増えたという。 富山市では中心部の道路をイベント広場に変え、路面電車の一種であるLRTを整備して真ん前に駅をつくった。 北陸新幹線の開業もあり、年間約35万人が新たにLRTを使って中心部などを訪れたという。 沿線の地価も上がった。 A氏:しかし、クルマ産業は日本経済にとって最後の頼みの綱。 また、高速道路はトラック輸送のために必要だが、それは物流を支えるものであり、「人流」までクルマが担うべきとは限らない。 クルマの利用をかしこく制御する「交通まちづくり」こそが、地方をよみがえらせることができると藤井氏はいう。 私:もっとも、過疎地では老齢化が進み、移動にクルマは不可欠だね。 これは、地方自治体などが中心になって、クルマの利用をかしこく制御する「交通ムラづくり」が必要だろう。
2018.02.07
コメント(0)
私:安倍首相は、今度の憲法改正で「9条の1項、2項を残し、自衛隊を明記」だけとしているが、これだけなら具体的な文章案が、簡単に書けそうだが、どうもそれが出てこないね。 元内閣法制局長官・阪田雅裕氏は、国会では抽象的な議論ばかりで、条文にしたらどうなるのか、という具体的な議論が足りないとして、次の9条改正案を私案として示している。 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 3 前項の規定は、自衛のための必要最小限度の実力組織の保持を妨げるものではない。 4 前項の実力組織は、国が武力による攻撃をうけたときに、これを排除するために必要な最小限度のものに限り、武力行使をすることができる。 5 前項の規定にかかわらず、第三項の実力組織は、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされる明白な危険がある場合には、その事態の速やかな終結を図るために必要な最小限度の武力行使をすることができる。 A氏:1項、2項はそのままだが、3項、4項で自衛隊の存在意義が明記されているが、5項が続くね。 私:阪田氏は、専守防衛の自衛隊を書くだけならば簡単なことで、むしろ小泉政権の時にやっておくべきだったが、安全保障法制が成立し、現在の自衛隊をそのまま憲法に書くことはとても難しくなったという。 これが上の5項の追加だね。 A氏:自衛隊を「自衛」のための必要最小限度の実力組織としても、「自衛」の概念が一義的でなく、国連憲章でも自衛権の行使は認められているが、集団的自衛権も「自衛」で、日中戦争、太平洋戦争、みな大義は「自衛」。 緊張関係が高まると、「自衛」だといって海外に攻撃に出て行ける余地は必ず残ると阪田氏はいう。 私:阪田氏の案は、今の自衛隊を表すならばこうだと、限定的な集団的自衛権を容認した安保法制の内容を、憲法に盛り込んだもので、今の自衛隊をそのまま書くのは大変なことだということをわかってもらいたい思いがあったという。 戦力の不保持を定めた2項を残したまま、自衛隊を明記するならばこうなる、と考えた結果で、阪田氏の案のような改正案を国民投票にかけることで、安保法制が合憲か、違憲かという問題も決着するという。 A氏:安倍首相は、今の自衛隊を憲法に書く、と言いながら、今の自衛隊について具体的に説明しておらず、災害救助や、他国から攻められた時に実力で追い返すという範囲ならば、多くの国民は賛成するが、安保法制によって海外での武力行使もできるようになった。 それを憲法に書くということがどういうことなのか、総理は本当に理解してるのかどうかと阪田氏は指摘する。 私:今まで、憲法が一度も変わらなかったことについては、阪田氏は、多少、マイナスだと思っていて、9条の無理な解釈変更を招いてしまったということを考えれば。変えた方がいいことでも、変えないことが癖になってしまったという。 ただ、9条以外は、改正の必要がなかったことも事実で、日本国憲法が規定することがとても少ないからだという。 これが個別の規定の多く改正の必要があったドイツ憲法と違うところだね。 A氏:また、阪田氏は、宮沢喜一氏、野中広務氏ら戦争を経験された政治家は、戦時中、どれほど人権が侵されたかの反省を持っておられ、平和に対する感覚が鋭い方が多かったが、今の自民党の改憲草案を見ると、国家よりも先に人がある、という意識が乏しいように感ずるという。 私:他に例のない、この日本国憲法のもとで、どんな人的貢献ができるかと、ぎりぎりの知恵を出してきたのがこれまでの歴史で、その「変な」状態をやめたいというのなら、9条2項を削除し、平和主義をやめるしかないという。 阪田氏は、「今の自衛隊への拒否反応は少ないと思いますが、その自衛隊をそのまま書くことはそれほど簡単ではありません。政治家はごまかしてはいけないし、国民もごまかされてはいけない。その上で改憲がいいかどうか、よく考えていただきたいと思います」と最後にいう。 これは、この前のブログ「稀有な『戦争放棄』続く意味は」でふれたが、単純に自衛隊の存在明記だけですまない、本当によく考えなければいけない問題だね。
2018.02.07
コメント(0)
私:この問題をとりあげたのは、昨日のブログ「子どもの視力低下、何が原因なの?」で小中学生の視力の低下でスマホが原因でないかというとき、「スマホ育児」という言葉にひっかかったからなんだね。 スマホは、「赤ちゃん」も熱心に見ているんだね。 だから、スマホ弊害も予想される。 A氏:俺が直接、体験しているのは、小中学生の孫のスマホ依存だが、「赤ちゃん」とはね。 私:俺も直接、体験していないが、スマホは、指先一つで画面が動いたり音が出たりので、「赤ちゃん」に与えるとすぐスマホに夢中になるという。 「赤ちゃん」が、ぐずったり、泣いたりしても、スマホを手渡すと、赤ちゃんはピタッと泣き止み、静かにしてくれる。 「子守り用アプリ」まであるという。 A氏:親の育児の手間が楽になるということか。 私:さらに、「知育アプリ」もあり、これにより、「赤ちゃん」は、おもちゃや絵本よりも、スマホで知育に取り組ませやすいという。 A氏:しかし、親が直接、会話したりする機会が減れば、肉感のある愛情が希薄になり、なんだかこわい「赤ちゃん」が育ちそうだね。 怒るのも褒めるのも親子の関わりだから、それをスマホ任せてしまうと、親子の情緒的な関係が不足するね。 私:「赤ちゃん」のしつけをスマホアプリに頼りすぎると、赤ちゃんの成長に悪影響を及ぼす可能性があるようだね。 それに、小中学生の視力低下同様、「赤ちゃん」の目は大人に比べて未発達なので、スマホのブルーライトで傷つくリスクも高くなるという。 A氏:スマホのネット接続での電波で電磁波の影響もあるかもしれない。 それにしても、スマホによる視力低下が小中学生だけではなさそうとはね。 私:小中学生同様、「赤ちゃん」の「スマホ育児」でもコントロールされたスマホ使用が重要だね。 俺はいまだにガラ携だが、電車に乗ると乗客のほとんどがスマホを見ているのが異様に感じるね。 時代遅れかね。 それとも、スマホ障害から助かっているのかもしれない。
2018.02.06
コメント(0)
私:日本自動販売システム機械工業会によると、全国の飲料自販機の設置台数は2005年の267万台をピークに減少基調が続き、16年は247万台で、ピークから20万台減少。 飲料各社が新規の設置を絞り込み、不採算の立地で撤去を進める動きが続いている。 A氏:逆に、コンビニエンスストアがいれたてコーヒーに参入し、ドラッグストアの飲料の品ぞろえも充実。 ネット通販で飲料をまとめ買いをする人も増えており、飲料自販機への逆風が強まっている。 私:そういえば、屋外の自販機で、買うことは最近なくなったね。 同工業会の調べでは、16年の自販機での飲料の売り上げは約2兆円で、00年に比べて3割減少。 飲料各社は比較的安定した売り上げが見込めるオフィス内などへの設置を重視し、屋内が主戦場になりつつある。 A氏:10年前までは各社が競って設置数を増やし、シェア争いを続けてきたが、今は1台あたりの利益率が重視。 キリングループの自販機設置会社の幹部は「量から質へとかじを切った」といい、コカ・コーラボトラーズジャパンの担当者も「不採算の機械は積極的に撤去している」という。 サントリー食品は数年前に台数目標を廃止。 私:飲料を安売りする量販店に比べ、定価販売が原則の自販機は利益率が高かったため、飲料各社は「優良な販売拠点」と位置づけてきたが、人通りの少ない駐車場の脇や住宅街などの立地では、売れ行きが鈍り、飲料を入れ替えるための人件費が収益を圧迫するケースが目立つ。 しかし、人口が増えている首都圏でも競争は激しく、新宿や渋谷の駅前などの一等地を除けば、新規に置ける余地は限られ、「都内のコイン駐車場では毎月、計画的に撤去交渉をしている」(大手飲料メーカー)という。 A氏:自販機専用の飲料を開発したり、スマホのアプリでポイントをためると無料で商品と交換できるようにしたりと、差別化を図る動きも広がる。 サントリーの担当者は「自販機にしかない魅力をいかにつくっていけるかが生き残りのカギを握る」という。 私:どういうユニークな自販機が登場するか楽しみだね。 それにしても、自販機にもスマホが登場とは、スマホ時代だね。
2018.02.06
コメント(0)
私:文科省は子どもの健康状況を毎年調べていて、2017年度は裸眼視力が1・0未満の小学生の割合が32%、中学生が56%で、どちらも過去最高。 高校生も、過去最高を記録した16年度の66%にせまる62%。 文科省は、スマホやゲーム機を長時間、近くで見ている影響が出たとみている。 日本眼科医会も「影響があるのはまちがいない」という立場。 ところが、学術的には証明されていないとのこと。 A氏:いや、俺はゲーム機だと思うね。 近所に住む俺の孫の兄弟2人は幼稚園、小学校の頃から、ゲームばかりしていて、俺の家に遊びに来ても、ゲーム機をにらんでいたね。 そして、次第に視力が低下してきて、親が心配で眼のトレーニングにもかかっていたが、ついに2人ともメガネをかけるようになったね。 私:しかし、ゲームの業界団体は、子どもがゲームで遊ぶ時間は平日が1時間強、休日が2時間程度という調査結果をもとに、「視力の低下をゲームだけのせいにするのはおかしい」としているという。 それでも、遊ぶ時間が長くなりがちなオンラインゲームなどについては注意を呼びかけている。 A氏:スマホも同様だね。 NTTドコモは、保護者向けに長時間使用の悪影響を伝え、スマホの機能を制限できるアプリを推奨しているという。 また、明るさの設定を調整すれば目がつかれにくくできるけど、「長時間集中して利用することは、子どもでなくてもおすすめしない」としているとのこと。 私:眼球の前後方向の長さがのびると、近視になることはわかっているが、長さがのびる仕組みは解明されていないという。 医師は、大切なのは家庭での対策で、「スマホ育児」を控え、食事中や布団の中でゲームをしないなどのルール作りをすすめているという。 A氏:俺の孫の親は、30分ルールでやっていたが、結局、効果はなかったね。 私:俺もパソコンやテレビ視聴疲れで、視力が落ちると感じると目薬だね。 後は、眼の運動を時々やっている。 それと、効果はわからないが、「目が良くなる商品」としてのブルーベリーやルチンのサプルメントを服用している。 スマホの利用拡大で、近視は増え、メガネや 「目が良くなる」とうたう商品市場は拡大するかもしれないね。
2018.02.05
コメント(0)
私:出版科学研究所の発表による昨年の紙の出版物の推定販売金額は1兆3701億円。 前年比6・9%減で、内訳では漫画単行本の13%減という数字が目立ち、大手版元にとっては収益の要である分野の大幅縮小がついにきたという。 A氏:出版のマスメディアとしての立ち位置は、流通の規模によって生まれていて、減りつつあるとは言え、全国1万2500の書店に商品が並ぶ。 その流通を支える小売り、取り次ぎ、輸送を支えてきたのが漫画単行本や漫画雑誌の大量流通だった。 私:昨年の売り上げでは、書籍の売り上げ減は少なく、文芸書、学習参考書、教養新書は前年を上回っている。 そもそも漫画が市場の大勢を占める出版市場は、日本特有のもの。 だが、それが出版流通を築き上げてきた部分も無視できない。 A氏:現状、出版社同士は刊行点数争いを繰り広げ、書店の書棚の面積を奪い合っている状況。 パイが減っていく中での苦しい椅子取りゲームだが、その先にあるネット(ほぼスマホである)のコンテンツ市場は、まったくルールは異なり、作家と消費者が直接つながる世界。 その環境では、出版業界が“マスメディア”であることをそのまま維持することはできないだろうという。 私:紙と電子の合計売り上げを見れば、出版全体の規模は維持されていると言われてきたが、昨年は合計数でも1兆5916億円で前年比4・2%減となった。 正念場はこれからだと、この記事では警告している。 スマホ利用の拡大や、漫画離れが影響しているのだろうか。
2018.02.05
コメント(0)
私:2009年春、東京都立石神井高校の地理教諭、森一広氏(40)は、海外の教育現場を見たくて、有給の休職制度を使い、教員が海外の学校現場を1年間体験できる国際団体のプログラムに参加。 配属先は高い教育水準で知られるフィンランドの首都から、北に電車とバスで8時間ほどの場所にあるソトゥカモという町の高校。 最も驚いたのは、「教員たちの働き方」だった。 教科担任や進路指導、クラブ活動の担当者はそれぞれ別で、教科担任は授業の準備が仕事の中心で、残業はせず、平日でも家族で夕食を囲むのは当たり前だという。 A氏:森氏は、どの学校の教員室でも、教員たちでよく会話をしていたのが印象に残っていて、午後には20分程度のコーヒータイムがあり、校長も交じって気軽に声をかけ合う。 高校の卒業試験の前日には、校長が自ら事務員と一緒に試験会場の机を並べていて、教員同士のコミュニケーションが活発で、「ゆとりがある働き方」をしているな、と感じたという。 森氏は帰国後、フィンランドで見た教員たちの姿を思い出し、「夜遅くまで学校に残って仕事をすることを是とするのではなく、働き方を選択できる雰囲気が生まれれば」と願っているという。 私:フィンランドの教育の場は進路指導、クラブ活動の担当者はそれぞれ別で「分業」になっているんだね。 これが、基本的な違いだね。 これで日本の「タテ社会」を連想する。 すなわち、日本では、記者やエンジニアといった「職種」」よりも「○○社に所属する者だ」という意識が強い。 自分の「職種」をいわず、「ソニーに勤めています」「東芝で働いています」だ。 欧米やインドでは「職種」とそれに伴う「資格」が重視されるが、日本では会社などの「場」が重視される。 この体質が、今、問題になっている「同一労働・同一賃金」というヨコの横断的な「職種」や「資格」の明確化を阻んでいて根深いね。 日本の教員の職場も「タテ社会」発想で運用されていて、教員は「何でも屋」だね。 給食のカネの未払いの督促までやる。 この「タテ社会」発想の脱却から教員の「働き方改革」が始まり、教師は生徒の教育に専念でき、教育の質も向上する。 A氏:そう言えば、30年位前に米国に「暴力教室」というのがあったね。 生徒が校則を守らず、教室が混乱し、「学級崩壊」となる。 1983年にレーガン大統領は、「学校崩壊」でどうしようもなくなり、日本に教育を学べと視察団を派遣している。 ところが、その後、その日本に同じ現象が生まれ出し、皮肉なことに、その米国に日本が学ぶということになった。 私:「学級崩壊」で、米国でとった対策は、このブログの加藤十八著「学校再生の決めて」(アメリカの事例から学ぶ)・ゼロトレランスに詳しい。 このときも、米国のやり方で日本と違って注意すべきは、授業をする人と生徒指導をする人との「分業」だ。 ところが、日本では、すべて担任教師に任せられているため、問題生徒のカウンセリング研修を全教師が受けないといけないので、一人の横暴な生徒のために、担任が長時間、医者並みのカウンセリングをするという不合理なことになる。 私:その点、マネジメントの国である米国は「分業」になっていて、担任が手におえない生徒は専門の管理側に任す。 これによって、他の多くの生徒の授業を受ける権利を尊重し、教える内容が充実する。 日本では、依然として「タテ社会」発想の教育現場のマネジメントから脱却できないのは、何故だろう。「働き方改革」が今年の政府の重要課題のようだが、「タテ社会」発想の脱却まで踏み込まないと、スローガン倒れに終わるだろう。
2018.02.04
コメント(0)
私:元アナリスト、産業創成アドバイザリーの佐藤文昭社長は、「平成の30年間は日本の総合電機メーカーが弱体化していく時期と重なる」と指摘。 昭和の時代、日本の電機メーカーは、テレビやビデオの開発などで世界をリードし、自動車とともに「技術立国ニッポン」を支えたが、平成に入ると急速に色あせていく。 例として、最初、シャープの液晶の例をとりあげている。 2000年頃のシャープは、世界の液晶市場で主役だった。 1990年代、経営資源を液晶パネルに集中させ、亀山では世界初となる液晶テレビの一貫生産を始めた。 部品の製造から組み立てまで自前でこなす「垂直統合モデル」で、独自の技術を囲いこもうとした。 シャープの07年度の売上高は3・4兆円、10年で約2倍に増え、大阪の小さな電機メーカーが、液晶をてこに世界ブランドに成長。 06年に亀山第2工場、09年には亀山の4倍広い堺工場(堺市)を稼働させた。 堺だけで4千億円超の投資だったが、当時の片山幹雄社長は「数年で回収できる」と胸を張った。 A氏:しかし、08年のリーマン・ショックで、液晶テレビの市場が縮小し、さらに、ウォン安が進み、韓国勢の価格競争力が増し、対抗するには、コストを半分にしなければならなかった。 米アップルのiPhoneが、部品を供給する多くの企業で成り立っているように「水平分業」が主流となり、かつて日本が得意とした「垂直統合モデル」と「総合電機」は行き詰まった。 シェアは落ち続け、中国勢にも抜かれていった。 シャープは、液晶への積極投資が逆にお荷物となり、14年度から2年連続で2千億円超の赤字に転落し、債務超過に陥いり、自力再建を模索したが、16年に台湾の鴻海精密工業の傘下に入った。 液晶は、有機ELを含め、このブログの「日の丸液晶連合、正念場 中韓攻勢、脱スマホ急ぐ JDI」でもシャープ以後の「日の丸液晶連合」の苦戦でもふれているね。 私:かつて日本勢が世界市場を席巻した半導体もそうだった。 富士通を含む日本メーカーは、80年代に存在感を増し、0年には、世界シェアも約50%に達し、トップ10にNECや東芝、富士通など6社が入った。 しかし、93年に米国に首位の座を明け渡し、その後、韓国勢にも抜かれる。 A氏:さらに90年代に入ってパソコンが普及し、米国の「水平分業モデル」が力を発揮。 パソコンに使われる中央演算処理装置(CPU)のほとんどを米インテルが供給する構図になり、日本勢はシェアを落としていった。 私:追い詰められた日本勢は事業売却や再編を余儀なくされ、エルピーダメモリーやルネサステクノロジが発足。 ただ、政府が公的資金を入れて支えようとしたエルピーダは、12年に経営破綻。 ルネサスも経営危機に陥り、産業革新機構などに買収。 今、富士通の福島・会津若松の半導体工場では、レタスをつくっている。 クリーンルームなので虫や菌もおらず、農薬も必要なく、台風や大雪にも左右されないという。 工場は1989年にでき、世界的な半導体需要の伸びにあわせて設備を増強したが、文字どおり「畑違い」の野菜づくりに取り組むきっかけは、半導体事業の苦境で、減産で使わなくなった工場設備の一部を活用するためだった。 A氏:しかし、日本の電機メーカーも変わりつつあり、日立や三菱電機は、インフラ・重電分野にかじを切った。 京セラや村田製作所、日本電産などの京都勢は部品に強く、業績好調。 早大の長内厚教授は「日本メーカーには技術力はある。何が強みなのかを突き詰める経営が必要だ」と指摘。 私:平成は30年で終わりだが、その次の時代には日本の技術力はどこに向かうのだろうか。
2018.02.04
コメント(0)
私:セブン-イレブン・ジャパンの国内の店舗数が1月31日時点で2万33店と2万店を超えたね。 A氏:郵便局が、全国に2万4千カ所余り(2017年末時点)の拠点を持つから、これに迫る規模になったね。 19年度には沖縄県に出店し、「空白県」がなくなる見通し。 古屋一樹社長は、「今後数年は、年間1千店ほどのペースで増えていくだろう」という。 私:一方、サークルKとサンクスを傘下に収めたファミリーマート(1万7517店)も来年2月末までに2万店達成を目指す。 ローソン(1万3803店)も地方コンビニとの提携を強化して21年度に1万8千店まで拡大させる方針。 大手コンビニの出店競争は激しさを増しそう。 A氏:これで、コンビニは全国に5万5千店を超え、コンビニの「飽和」を指摘する声も根強い。 総菜に力を入れるスーパーに加え、弁当を売り始めたドラッグストアなど業態間の競争も激しくなっており、コンビニ大手8社の既存店売上高は、昨年12月まで7カ月連続で前年割れ。 私:最大手のセブン―イレブンも昨年10月、5年3カ月ぶりに既存店売上高が前年割れしたというから、新しい経営戦略が要求されるね。
2018.02.03
コメント(0)
私:昨日のブログ「人はいかに最期を迎えるか 西部邁さんの死が問いかける」で西部氏の「自死」に関連して佐伯教授の「死」についての論議をとりあげたが、たまたま、今朝の新聞のこの記事では「終末医療」を扱っているね。 「終末医療」でよく知られているのが「胃ろう」だね。 口から食べられなくなると、胃まで穴をあけチューブで胃に直接、栄養を送るので、痛みや違和感が少ないので患者の負担は少ない。 1990年代から広まり、全日本病院協会の推計では2010年度に約26万人が利用。 だが、その頃から「安易な延命治療」といった批判が起き、イメージが悪化。 A氏:寝たきりの患者が「胃ろう」にすれば、入院費だけで年数百万円かかる。 国は批判を背景に14年、「胃ろう」造設の報酬を約10万円から約6万円(別途加算あり)まで引き下げた。 その結果、16年6月の造設数は3827件と、5年間で半減。 私:ところが、「胃ろう」に代わり、鼻からチューブで栄養を送る「経鼻栄養」や消化管が使えない場合に血管から栄養を送る「中心静脈栄養」を選ぶ患者が増えたとされる。 「経鼻栄養」は違和感が生じやすく、患者が管を抜きたがればミトン(手袋)などで拘束する場合も多いという。 しかし、これらは「延命治療」という点では「胃ろう」と同じ。 A氏:日本静脈経腸栄養学会が長期的な「人工栄養」の手法を全国の医師らに調査したところ、03年は「胃ろう」が71%で、「経鼻栄養」が24%。 ところが14年、選択肢に「中心静脈栄養」も加えて同様の質問をすると、「胃ろう」は34%で、「経鼻栄養」が38%と逆転し、「中心静脈栄養」も17%あった。 調査の代表者の井上善文・大阪大特任教授は「消化管が使えるのに、『中心静脈栄養』が行われている可能性がある。感染症のリスクが大きく、コストも高いので問題だ」という。 私:「人工栄養」に関する情報提供を行うNPO法人PDN(東京都)の鈴木裕理事長は「『延命治療』の是非を考えるなら、『胃ろう』だけ批判しても意味はない。『人工栄養』のあり方を議論すべきだ」と指摘。 一方、最期まで口から食べることをめざす取り組みもあるというが、入院患者の場合、再び口から食べられるケースは多くない。 病院は窒息や誤嚥を懸念し、「人工栄養」での延命を優先する傾向があるが、食べることでリスクもあるが、人はいつかは亡くなる。最期まで食べたいものを食べ、穏やかに亡くなるのを望む人がいれば、その気持ちに応え、最期まで口から食べることをめざして、取り組みたいという考えもある。 A氏:俺の知人で、一時、危篤状態になったが、「中心静脈栄養」でもう1ヶ月以上もっている人がいる。 意識はほとんどないという。 私:「延命治療」に対するとき「死に方」を選ばなくてはならないね。
2018.02.03
コメント(0)
私:冒頭、佐伯教授は、評論家の西部邁氏の逝去についてふれている。 俺は、西部氏は、はじめ、田原総一朗の「朝までテレビ」の論客として知っていた。 その後は、インターネットで、「西部邁ゼミナール」をよく見ていた。 2014年のゼミナールで健康食品の「まこも(真菰)」の話をしていたが、これ本来「まこも」の粉末を溶かして飲む健康飲料なのだが、西部氏は、入浴剤とし愛用していたという。 この粉末の色は黒色なので、黒い湯につかって、しかも殺菌作用があるのか湯は入れ替えなしでいいのだとして、30年来愛用していると言っていた。 西部氏が、評論家になった最初の書の題名は「まこも党結成宣言」だというから、「まこも」ファンであった。 俺は、試しにカタログだけ取り寄せたが、4年経った今でもカタログが宣伝で郵送されてくる。 A氏;それほど、健康に注意していた西部氏は、2年位前から、病気だといって、帽子をかぶり、手袋をはめて出演するようになったね。 ネット情報だが、西部氏は、「掌蹠膿疱症」の影響で手の皮が剥け、爪が侵されているため毎日薬を塗っており包帯をする代わりに手袋をしていたという。 「掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)」は、皮膚病の一つ。手掌・足底に無菌性の膿疱が反復して出現するという、基本的に慢性難治性の疾患だという。 私:「まこも」の効果がなかったんだろうか。 奥さんは20年ほど前から病にかかっていたようだ。 3年くらい前に「西部邁ゼミナールー」で、女性の漢方医が登場したとき、その医院が横浜にあったので治療に行ってみた。 そしたら、病院の玄関で、西部氏とばったりすれちがった。 西部氏と直接、顔を合わせたのは、そのときだけだった。 西部氏が治療に通っていると思ったら、奥さんがその漢方医の治療に通っていたのだった。 そのときから、2年後の2014年に奥さんがなくなっている。 A氏:2018年1月21日、午前6時40分頃、「父親が川に飛び込んだ」と西部氏の家族から110番通報があり、駆けつけた警察官が救出したが既に意識がなく、同日午前8時37分に搬送先の東京都内の病院で死去。 享年78歳。 私:佐伯教授は、「西部さんの最期は、ずっと考えてこられたあげくの自裁死である。彼をこの覚悟へと至らしめたものは、家族に介護上の面倒をかけたくない、という一点が決定的に大きい。西部さんは、常々、自身が病院で不本意な延命治療や施設で介護など受けたくない、といっておられた。もしそれを避けるなら自宅で家族の介護に頼るほかない。だがそれも避けたいとなれば、自死しかないという判断であったであろう」という。 A氏:超高齢社会とは、人の死に方という普遍的なテーマの方に、われわれの関心を改めて振り向ける社会。 近代社会が排除し、見ないことにしてきた「死」というテーマにわれわれは向きあわざるを得なくなっている。 私:佐伯教授は、「『死』は、あくまで個人的な問題なのである。『死の一般論』などというものはない。自分なりの『死の哲学』を模索するほかない。西部さんの自死は、あくまで西部さんなりの死の哲学であった。ただそれは、『では、お前は死をどう考えるのかね』と問いかけている。答えを出すのはたいへん難しい。だが、われわれの前にこの問いがおかれていることは間違いないだろう」という。 しかし、そう言われても、凡人である俺にとって、西部氏のような「自死」の決断はできそうもないね。 惜しむべき知性のご冥福を祈る。
2018.02.02
コメント(0)
私:上田岳弘氏は、15年に三島由紀夫賞を受けた作家で、この寄稿では、興味ある視点で改憲問題を、9条問題を論じている。 連載中の長編小説では、「キュー」という単純かつ多義的な音が引き寄せる物語を、九章構成で描こうとしている。 「憲法9条」で、日本において、「戦争放棄」「戦力不保持」「交戦権の否認」が明文化されるきっかけとなった《世界大戦》は、人類史におけるメルクマール(指標)。 上田氏の連載中の長編小説の作中でも、歴史に倣ってそのように扱っていて、《世界大戦》が、戦後七十年以上経過した時代を生きる我々の精神に、いかなる影響を及ぼしているのか、それを分析することが、「キュー」のテーマの一つ。 A氏:思想家の柄谷行人氏は、「憲法9条」の存続は、人々の「無意識の罪悪感」のあらわれであると言う。 全力で取り組んだ戦争に負けた我々日本人は、終戦当時、敵国に対してではなく、東アジアにおいて起こした戦闘が侵略行為であると断じられたことは、おそらく我々が罪悪感を抱く一つの理由となっていて、西洋における侵略の歴史を繰り返すつもりはなかったにせよ、我々の作ろうとした「満州国」は、理想に遠く及ばず潰えた。 私:「憲法9条」は、理想的かつ非現実的であることは、二度も世界大戦を引き起こした人類史の「無意識の罪悪感」を我々に植えつけているから、「戦争放棄」を謳おうとする。 「理想」とは、少なくとも誰かが訴え続けなければ実現しないものだ。 そして「戦争放棄」という遠大な「理想」については、大戦の終着地であるここ日本がそれを掲げる役回りとなったと上田氏はいう。 A氏:非現実的にすぎて、他の国には見られないような「憲法9条」を受け入れたのは、敗戦の疲弊のせいであれ、天皇制を戦勝国側に認めさせるためであれ、我々は七十年もの間、「戦争放棄」を掲げてきた。 そして今回、改憲で、我々は現実に即していない条文に対して、どのような判断を下すのか。 再び「無意識の罪悪感」があらわれ、「憲法9条」の改定を拒むのかと上田氏は問う 私:ここで、上田氏は改憲のための「国民投票」の問題に論点を移す。 これはすでに昨日のブログ「国民投票、経験国からの警鐘 首相退陣に追い込まれた英伊を視察、衆院議員団報告書」でふれているね。 上田氏は、今日、「投票」という手続きによって憲法改定を問う場合、我々が本当に望むことが「投票結果」として表れるとは限らないのではないかという。 「憲法改定」自体は「国民投票」に付されるのだとしても、それら手続きの変更については、通常の国会運営の中で決められていき、周辺の手続きについては、為政者の意思や都合によって決められるという。 A氏:この上田氏の懸念は、昨日のブログ「国民投票、経験国からの警鐘 首相退陣に追い込まれた英伊を視察、衆院議員団報告書」でふれたように、与党の敗退に終わることもあるので、杞憂にすぎないかもしれない。 私:無意識であろうがなかろうが、最高法規である「憲法」を改定するのであれば、国民の意図が正しく反映されるべきで、思い出されるのは、イギリスのEU離脱の「国民投票」だと上田氏も英国の例をあげているね。 真偽不明のニュースがあまた飛び交う中で行われた投票の末、「離脱」という結果がもたらされ、果たして国民は本当にそれを望んでいたのかどうかと上田氏はいう。 これは、昨日のブログ「国民投票、経験国からの警鐘 首相退陣に追い込まれた英伊を視察、衆院議員団報告書」でふれたように英国の「国民投票」は失敗例だね。 この寄稿の最後に上田氏は「小説『キュー』は、「憲法9条」のみを主題にしているわけではないが、筆を進めつつ、『稀有な文言』がこの国に存続する意味を日々考えている」という。 まさに、「稀有な文言」の「憲法9条」の改正には、単純な自衛隊の問題だけでなく、日本の戦前・戦後の歴史がからんだ非常に重い課題をかかえているね。
2018.02.01
コメント(0)
私:今、憲法改正論議が盛んだが、改正は最終的に「国民投票」できまる。 この「国民投票」が実は問題で、16年6月の英国と同年12月のイタリアでの「国民投票」で結果的に期待に反して首相が退陣に追い込まれるという失敗をしている。 衆院憲法審査会の議員団は昨年、この「国民投票」を経験した英国、イタリアを視察。 「国民投票」を主導した首相がいずれも意図せぬ結果で退陣に追い込まれた両国の経験から、どんな教訓をくみ取れるのか、審査会がまとめた報告書をもとにこの記事はまとめている。 A氏:まず、英国の「国民投票」は、EU離脱か、残留かだが、両派の激しい運動の末、わずかの差で離脱派が上回り、残留派だったキャメロン氏は、国論を二分する論争に敗れて退陣。 私:敗退したキャメロン氏が得た教訓について、キャメロン氏は日本の議員団に「最も注意を払うべきは、『国民投票』が政府に対する信任投票になってしまったり、他の政策的な問題に対する投票になってしまったりするのではなく、『投票用紙に書かれた質問文』に対する投票となるようにする点だ」と語った。 さらに、キャメロン氏は、日本で「憲法9条」が焦点になっていることを念頭に「英国のような島国では、EUから離脱するか残留するかは、感情的な問題になってしまいがちだ。日本にもよく似た問題があるように思う」と指摘し、「『憲法改正』では、『理論的な側面』と『感情的な側面』の両面に訴えることが大事だ」と助言。 A氏:英国労働党のヒラリー・ベン下院EU離脱委員長は、日本の自民党の自衛隊明記案を疑問視し、「いままで自衛隊が活動できたのであれば、自衛隊が憲法に明記されていないことは、それほど大きな問題ではないように私には見受けられる」と話し、一方で、政府にことさら反対するために「国民投票」が利用される危険性も指摘し、「何をテーマに『国民投票』を行うかについて、よく注意しなければならない。『国民投票』を行って負けた場合、もう議論の余地がなくなってしまうから」ともいう。 私:やはり労働党で英日議連会長のロジャー・ゴッシフ下院議員も「『国民投票』の危険な点は、国民はそれがどんなテーマの投票であれ、自らの望むことについて投票する点だ」と同様の見方を示した。 同議連副会長のポール・ファレリー下院議員は、「例えば賛成票が全有権者数の50%以上でなければならない、といった最低ラインを設けなければ、『国民投票』の結果に正統性がないのではないか。次に、最低投票率を66%とか70%とかに設定するべきではないか」と述べた。 A氏:英国の選挙委員会が投票後に実施した世論調査では、52%が「投票運動が公平に行われたとは思わない」と答えた。 ケンブリッジ大学のデービッド・コープ教授は、過熱した運動が展開された投票を 「いま英国の政治家、産業界、学会の有識者に聞けば、ほぼ100%の人たちが『もう国民投票などすべきではない』という強い意見を持っているだろう」と総括。 私:次にイタリアの「国民投票」問題に移ろう。 イタリアは、上下両院がまったく同じ権限を持つため、両院で多数派が異なる「ねじれ」がたびたび生まれ、政治の停滞を招いてきたので、「国民投票」で、上院の定数や権限を大幅に削る「憲法改正への賛否」を問うたが、大差で否決され、レンツィ首相は退陣を余儀なくされた。 実は「国民投票」に至るまで、レンツィ首相は14年に改憲案を国会に提出し、下院だけでなく、権限が縮小されることになる上院の賛同も得たが、自らの足場を固めようと、改憲の成否に進退をかけるとレンツィ氏が表明すると、その後の政治情勢の変化もあり、「国民投票」は「政権の信任投票」の様相を帯びてしまった。 A氏:ステファニア・ジャンニーニ前教育・大学・研究相は「残念であったのは、『国民投票』の段階でレンツィ政権に対する賛否を表すという政治的な内容と、国家の機能の簡略化、効率化及び透明性を図るという『憲法改正』の純粋な内容とを、明確に分離することに失敗したことだ」と総括。 私:一方、野党側の見方はこれとは少し異なり、改正の範囲が幅広く、「国民投票」が複雑になった点を問題視。 日本へのアドバイスとして「憲法は国民すべての財産であり、『憲法改正』は『だれかの改正』であってはならない。国会の勢力を含めて、国民すべてが共有する改革でなくてはいけない」といい、「『国民投票』によって賛成派も反対派も本当に疲れてしまっている。国会で採決されるまでに2年間の議論が続き、さらにその後の『国民投票』に向けての活動があり、本当に疲れた。その時々の政治的な多数だけに頼るような『憲法改正』は不可能だ」という。 イタリアでも英国と同様、社会に疲労感が広がっていた。 両国の経験からすると「国民投票」のハードルは高いね。 慎重な議論と準備が問われるね。
2018.01.31
コメント(0)
私:「JDI」というのは、政府のかけ声のもと、日立、東芝、ソニーの液晶パネル事業を統合してできた「ジャパンディスプレイ」のことだね。 その経営が正念場を迎えている。 「JDI」は中小型液晶パネル市場で世界一の2割のシェアを持ち、昨年度の売上高8844億円の8割はスマホ向け。 損益は今年度を含めて4年連続の赤字の見通しで、低価格の中韓メーカーの攻勢に対して、高コストの国内生産が中心で採算性が厳しくなっている。 A氏:頼みは、米アップル向けで、高品質が求められるが、高価格での納入も期待できた。 今や売上高の5割を占めるが、そのアップルが昨年に出した最高級機種「X(テン)」のパネルに有機ELを採用。 つくるのは韓国サムスン電子で、「JDI」はまだ量産できない。 この影響で「JDI」の今年度の売上高は前年度より2割減る見通し。 私:そこで昨夏、外資系液晶装置メーカーの経営も経験した東入来(ひがしいりき)信博氏を会長兼CEO(最高経営責任者)に迎えた。 東入来氏は脱・スマホ依存を加速し、売上高に占めるスマホ向け割合を2021年度までに約5割に下げる考えで、カーナビ向けや病院などの機器のモニター用を増やす方針。 有機ELの量産も来年から始め、ソニーとパンソニックの有機EL開発事業を統合して15年にできた「JOLED(ジェイオーレッド)」との関係も強化する。 「JDI」は、「JOLED」への出資比率を今の15%から引き上げ、子会社化することも検討中と、経営戦略の大転換。 A氏:しかし、問題は、資金の確保。 特に有機ELの量産には製造設備の入れ替えなどで数千億円が必要とされるが、めどはたっていない。 「JDI」は12年の発足以来、政府系ファンドの産業革新機構から出資などで計2750億円が投入され、昨夏には、機構が取引銀行の融資枠1070億円の債務保証もつけた。 私:ただ、機構は追加の資金支援には慎重。 「JOLED」の方は、母体のソニーやパンソニックのほか、住友化学やデンソーといった取引先になりそうな企業に支援を求めており、約1千億円を調達する計画。 より多額の資金を求めている「JDI」にとって、リスクを嫌う国内勢からの支援は期待できず、資金力の豊富な外資に頼らざるをえない。 中国の同業大手の京東方科技集団(BOE)や天馬微電子との交渉が取りざたされており、東入来会長は「今年度中にめどをつけたい」と話し、協業に発展する可能性もある。 A氏:シャープの場合と似てきたね。 私:機構幹部は、仏ルノー傘下で再生した日産自動車などを念頭に「外資傘下でも国内に最先端技術が残ればいい」ともいう。 「JDI」再建のカギは、提携先の外資が握りそうだという。 外資頼みとは、多額の内部留保を持つ日本大企業は、何故、リスクを嫌うのだろうか。
2018.01.30
コメント(0)
私:トランプ政権のこの1年間での異常なデータを沢村氏がワシントンから伝えている。 まず、幹部スタッフの離職率。 沢村氏が知人の記者の協力も得て、この1年間でホワイトハウスを去ったり役職を外れたりした幹部スタッフの数を数えたら、64人中、23人だという。 トランプ新政権発足1年で更迭も含めて36%も職務を離れるのは異常。 それまでの最多のレーガン政権では17%で、オバマ政権は9%だった。 従来は、新政権の着地作業が一段落した2年目か、大統領再選に向けた選対チームに移る3年目に辞める幹部が多かったが、1年目からの離職は異常。 A氏:沢村氏は、トランプ政権は「政府中枢で働いた経験がない人が多い」点で際立つといい、止まらぬリークで充満する疑心暗鬼、大統領の疑惑に巻き込まれる不安などで、「ストレスに耐えきれず辞めた人も少なくない」とみる。 私:次に、トランプ氏のフェイク。 ファクトチェックに力を入れるワシントン・ポスト氏の集計によると、この1年間でトランプ氏が1年間に発した虚偽の主張や誤解を導く主張は、2140回。 同紙は、「誤りが証明されたウソまで平然と繰り返す点で、政治家として異例」と指摘。 A氏:この1年、多くの人が、予測のつかない言動で世界を振り回してきたトランプ流にも、なにがしかの「行動原理」があるのではと見極めようとした。 例えば、移民や自由貿易に否定的な態度は、「再選」も視野に、岩盤支持層の白人労働者をつなぎとめる戦略にほかならないとか。 私:政治はウィンウィンを目指す営みではなく、勝つか負けるかのゼロサムゲームで、勝利のために忠誠心の高い身内で自陣を固め、ウソでもごり押しするのか。 それは、本拠地ニューヨークでの生き馬の目を抜く開発ビジネスと、受けて立った数々の訴訟で体得した術に違いないと沢村氏は指摘する。 A氏:外交になると、国同士よりトップとの個人的な関係を重視。 安倍首相との蜜月、また、中国やロシアを厳しく批判しつつ、習近平氏をたたえ、プーチン氏批判は封印。 私:トランプ氏の「行動原理」がこうして像を結び始めた今、関心は「米国は永久に変わるのか。復元するか」に移りつつあると沢村氏はいう。 このブログの「米国史とトランプ氏」でもふれたが、国際協調を先導する寛容な米国が「必ず復活する」(歴史家のロバート・ダレク氏)との楽観論もあるし、「民主国家の為政者として守るべき規範をトランプ氏は壊した」と危ぶむ声もある。 A氏:しかし、たいていの政界ウォッチャーの結論は「トランプ氏は欠点が見えやすいからいいが、スマートに民主主義の規範にあらがうリーダーが登場した時こそ、怖い」だといい、沢村氏もまったく、同感だという 私:しかし、トランプ氏は、この2,3日で「TPP」や「パリ協定」脱退の見直しを言い出している。 この変身も本拠地ニューヨークでの生き馬の目を抜く開発ビジネスと、受けて立った数々の訴訟で体得した「行動原理」の現れなのかね。
2018.01.29
コメント(0)
私:戦後、日本の消費者が求めたのは欧米並みの豊かな生活だった。 その欲望をかなえようと百貨店やスーパーは、演出として駅前の豪華な建物に広い売り場、あふれんばかりの商品を用意した。 「地価は必ず上がる」という土地神話に基づくビジネスモデルで、その頂点がバブル期だった。 A氏:バブル崩壊で地価が下がると、出店を続けて売上高を増やすビジネスモデルは逆回転を始め、土地を担保にした融資は、銀行の不良債権となった。 97年の金融危機とその後の銀行への公的資金注入で、不良債権処理が進む。 2000年7月、「そごうグループ」は約1兆8700億円の負債を抱え、民事再生法の適用を申請。 当時、事業会社として過去最大の倒産だった。 私:多店舗化を進めたのは、「そごう」だけではなく、大手スーパーの「マイカル」や「ダイエー」、「西武百貨店」なども競って拡大路線を走ったが、銀行の不良債権処理で、借り入れに頼る経営は次々と行き詰まった。 「そごう」が破綻した00年、百貨店の売り場面積は過去最大を記録したが、徐々に縮小され、今ではその8割ほど。 バブルがはじけ、市場は縮小、地方経済は衰退し、少子高齢化が影を落とす。 右肩上がりが望めない状況に、小売業は再編を迫られ、スーパーは「イオン」、「セブン&アイホールディングス」の2グループにほぼ集約され、百貨店も経営統合が進み、地方・郊外店の閉鎖が続いている。 A氏:同時に、消費者側も変わり、ものごころついた時には周りに欧米並みのモノがあふれていた「デジタル世代」が消費の主役になろうとしている。 クリックすれば、すぐに欲しいものが届く時代。 平成は消費の大きな転換点ともいえる。 「アマゾン」などのネット通販市場(物販)は急拡大。 16年には8兆円に達し、百貨店の5・9兆円を上回り、小売市場に占めるネット通販の割合は5%程度で、米国の8%、中国の15%と比べれば低いが、今後の伸びが予想される。 川崎市の多摩川沿いに、「アマゾンジャパン」の倉庫がそびえ立つ。 物流拠点の一つ、川崎フルフィルメントセンターで、その一角に、生鮮品を含む食料品の販売・配送サービス「アマゾンフレッシュ」の倉庫がある。 内部は巨大な冷蔵庫で、常温、冷蔵、冷凍の3温度帯に仕切られ、冷蔵はさらに4段階に分かれ、それぞれの温度帯には、細かく区切られた棚が並ぶ。 私:変化に対応しようと、大手スーパーはネット通販のインフラ整備を急ぐ。 「セブン」は昨年11月、「アスクル」と組んで、20年秋には首都圏に拡大する予定で、東京都心で生鮮品の宅配サービスを始めた。 「イオン」は昨年末に発表した中期経営計画に、今後3年間でITやデジタル、物流などに5千億円を投じることを盛り込み、「米ウォルマート子会社の西友」と「楽天」はネットスーパー事業を今夏から始めると今月26日に発表した。 小島ファッションマーケティングの小島健輔代表は「店舗のショールーム化が進む」と指摘。 店のサンプルやデジタルカタログで商品を選び、ネットで注文して宅配や専門受取所で手にするようになるという。 小島氏は「1~2年で消費の風景は大きく変わる。すでに消費者はネットで価格を確認して店を選んでいる。店舗がネットの脇役になる日も近い」と見る。 A氏:米国では、存在感を増すネット通販が従来型の小売業を脅かしつつある。 昨年には、「メイシーズ」など大手百貨店が大量の店舗閉鎖や人員削減を迫られ、玩具チェーンの「トイザラス」は経営破綻に追い込まれた。 ネット通販の参入話が広まった業界では、競合企業の株価が急落。 「米アマゾン」は昨年、高級スーパーチェーン「ホールフーズ」を買収し、業界では「食品の物流拠点はコストがかさむ。ネットで受けた注文を実店舗から配送するのではないか」とみられている。 私:俺も1900年代は駅近くのダイエーの店舗でいろいろ買っていたが、だんだん、ネット通販愛用になって、最近は1000円代の小物の日用品まで通販で買っているね。 身近に平成になってからの買い物の大きな時代の変化を感ずるね。
2018.01.28
コメント(0)
私:今日の朝刊の「コラムニストの眼」欄ではトーマス・フリードマン氏が、かつて農業から工業へと経済の重心が移ったときと同じくらいに、AIによって、米国の労働者は変革への適応を迫られているとしている。 AIと労働者の関係以外に、ここで取り上げるのは「哲学」とAIとの関係という変わった視点からのAI論だ。 哲学者・森岡氏は、これまで学者たちが行ってきた研究が、「人工知能」によって置きかえられていく可能性もあり、とくに、森岡氏が専門としている哲学の場合、考えることそれ自体が仕事内容のすべてだから、囲碁や将棋と同じ運命をたどるかもしれないという。 A氏:たとえば「人工知能」に哲学者カントの全集を読み込ませ、そこからカント風の思考パターンを発見させ、それを用いて「人工知能カント」というアプリを作らせることはいずれ可能になるであろうと森岡氏はいう。 人間の研究者が「人工知能カント」に向かっていろいろ質問をして、その答えを分析することがカント研究者の仕事になると森岡氏は予想する。 この領域では「人工知能」と哲学者の幸福な共同作業が成立する。 私:カントだけでなく、過去の哲学者たちのすべてのテキストを読み込ませて、そこから哲学的な思考パターンを可能な限り抽出させると、およそ人間が考えそうな哲学的思考パターンがずらっと揃うことになる。 その結果、「およそ人間が考えそうな哲学的思考パターンのほぼ完全なリスト」ができあがり、もう人間によるオリジナルな哲学的思考パターンは生み出されようがなく、将来の哲学者たちの仕事は、「哲学的人工知能」のふるまいを研究する一種の計算機科学に近づくだろうと森岡氏はいう。 A氏:しかし、外部から入力されたデータの中に未発見のパターンを発見したり、人間によって設定された問いに解を与えたりするだけならば、それは哲学とは呼べず、哲学は、自分自身にとって切実な哲学の問いを内発的に発するところからスタートする。 たとえば、「なぜ私は存在しているのか?」とか「生きる意味はどこにあるのか?」という問いが切実なものとして自分に迫ってきて、それについてどうしても考えざるを得ないところまで追い込まれてしまう状況こそが哲学の出発点。 「人工知能」は、このような切実な哲学の問いを内発的に発することがあるのだろうか。 そういうことは当分は起きないと森岡氏は予想する。 私:しかし、もし仮に、人間からの入力がないのに「人工知能」が自分自身にとって切実な哲学の問いを内発的に発し、それについてひたすら考え始めたとしたら、そのとき森岡氏は「『人工知能は哲学をしている」と判断するだろうし、「人工知能」は正しい意味で「人間」の次元に到達したのだと判断したくなるという。 A氏:また、哲学的には、自由意志に基づいた自律的活動と、普遍的な法則や真理を発見できる思考能力が、人間という類の証しであると長らく考えられてきたが、それらは将来の「人工知能」によっていずれ陥落されるであろうと森岡氏はいう。 私:「人工知能」が人間の次元に到達するためには、それに加えて、内発的哲学能力が必要だと森岡氏は考えたいという。 「人工知能」の進化によって、そのような「知性」観の見直しが迫られており、彼らが発する内発的な哲学の問いはあまりにも奇妙で、我々の心にまったく響かないかもしれない。 この点をめぐって人間と「人工知能」の対話が始まるとすれば、それこそが哲学に新次元を開くことになると思われると森岡氏はいう。 労働者だけでなく、知的作業の専門家の哲学者まで「人工知能」変革への適応を迫られているとはね。 哲学の領域まで、入ってきた「人工知能」とは、一体、どういうものになるのだろうか。
2018.01.27
コメント(0)
私:俺はギャンブル嫌いだが、7年前のこのブログ「なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか」で、韓国は2006年8月にパチンコ禁止に踏み切った経緯について、興味をもったね。 射幸心をあおり、ギャンブル依存症になり、人生の破滅の原因になるからだね。 自己責任だと言っているわけにはいかなくなったんだね ところで、日本では、厚労省によると、ギャンブル依存症の疑いがある人は全国で70万人と推計され、うち8割以上はパチンコ・パチスロに最もお金を使っていたという。 そこで、パチンコの出玉の上限をいまの約3分の2に抑える改正風俗営業法・施行規則などが2月1日から適用される。 新たな規制では、1回の大当たりの出玉の上限を2400個(9600円相当)から1500個(6千円相当)に減らす。 A氏:制限の根拠は、パチンコ依存症の相談者の約7割が1カ月当たり最低5万円を「負け」ている点に着目し、1回当たりの遊びの標準的な時間とされる4時間で5万円相当の玉が出ないよう設定したという。 1回で「負け」を取り戻せなくすることで、何度もチャレンジするのを断念させようという狙い。 依存症問題に詳しい鳥畑与一・静岡大教授は、「出玉規制は一定の効果はあるだろうが、回数や時間などの制限を厳しくすべきだ」という。 私:ところで、パチンコ人口は減っているんだね。 公益財団法人・日本生産性本部(東京都)の「レジャー白書」によると、1992年にパチンコへの参加人口は2860万人だったが、2016年には68%減の940万人に減少。 だが、客が支払った金額である市場規模は26兆3370億円から18%減の21兆6260億円にとどまり、客1人が使う金額は増えている。 A氏:パチンコ店内で従業員らが見ていると、どの客が長時間いるのか、金をつぎ込んでいるのか把握することができるという。 海外のカジノでは、多額の金をつぎ込む客に、店側が「今日はもうやめよう」などと声をかけることが定着しているという。 だが、日本では、各店舗の自主性が頼りで、なかなか広がらないという。 私:依存症問題に詳しい国立精神・神経医療研究センターの松本俊彦・精神科医は、「依存症の人は、負けた分を取り返そうと長時間パチンコ台にしがみつくだけ。出玉規制では問題解決にならない。依存症でない人でも『勝ち』は体験できるので、依存症の発症もゼロにはできない。回復支援対策こそ必要だ」という。 日本ではカジノ論争で、ギャンブル依存症が問題になっているが、パチンコの経験が生きるだろうかね。
2018.01.26
コメント(0)
私:小熊氏は、まず、福祉の専門家である大沢真理・宮本太郎・武川正吾が座談会内容をとりあげている。 ここでの武川正吾氏の福祉に関する5年ごとの意識調査の結果を紹介している。 それによると2000年には55%、2010年には7割近くが、税は高くても福祉が充実した「高福祉高負担」を支持していたが、問題は、「高福祉高負担」の支持者が、「比較的所得の高い人、負担を余(あま)り感じていない人」だったことだ。 支持が多いのは「高所得男性と高齢者」で、「低所得者、身体労働者、生産労働者、若年層」は支持が相対的に低かった。 A氏:普通なら「低所得層」が福祉の充実を支持し、「高所得層」が福祉の負担を嫌うものだが、調査結果は意外にも逆だね。 これがこの「論壇時評」の見出しの「福祉の逆説」だね。 私:「高福祉高負担」とは、負担は重くなるけれど、そのぶん見返りも大きくなること。 いまの日本の福祉が、所得の高い人から税や社会保険料を多めにとり、所得の低い人に重点的に給付する制度だったら、所得の低い人は「高福祉高負担」を支持するだろうが、日本の制度はそうなっていないと小熊氏は指摘する。 A氏:その座談会の大沢真理氏によれば、日本の税・社会保障制度はOECD諸国の中でも最も累進度が低く、とくに社会保険料は、低所得の人ほど相対的に負担が重い。 自営業や非正規雇用の人に多い国民健康保険や年金の一号被保険者の保険料は、「低所得者の当初所得の100%を超えてしまう状況」まであり、また所得が高い傾向がある正社員と専業主婦の世帯は、年金や税控除の面で有利。 私:さらに、大沢氏によると、今の制度は、豊かな層の方が得るものが多く、「低所得層は、負担は相対的に重く、受け取るものは相対的にもかなり貧弱」。 非正規雇用のひとり親家庭などは、「政府が所得再分配することによって却って貧困が深まってしまう層もいる」という。 A氏:「貧しい人が福祉の充実を支持していないという状況」は、選挙にも表れる。 政治学者の西澤由隆氏は、1993年から2010年の国政選挙のパネル調査データを解析し、階層別の政治意識を検証したが、それによると、所得が下位30%の層は「福祉よりも減税」を求め、むしろ高所得層の方が「増税しても福祉充実」を望んでおり、そもそも下位30%の層は、福祉を政党選択の基準としていなかったという。 西澤氏は、欧米型の「低所得層は福祉充実をうたう政党を支持するはず」という、日本の経済学者・政治学者が想定する「前提」と、日本の有権者の意識は「真逆だ」という。 私:そのうえ近年では、社会全体が余裕を失い、これまで「高福祉高負担」を支持していた高所得層まで、そこから離れ始め、武川氏の調査によると、2010年には7割近くあった「高福祉高負担」への支持は、15年には00年の水準である5割台まで下がり、かわって「低福祉低負担」への支持が上昇したという。 A氏:小熊氏は、もともと日本の福祉は、貧しい人の支持を得ておらず、そのうえ近年は、社会全体が余裕を失うなかで、ますます福祉への支持が失われ、格差が拡大しているのだとまとめている。 そして、人々は格差と貧困を肯定しているわけではなく、彼らが不信の目をむけているのは、福祉そのものではなく、本当に必要な人に恩恵がまわっていない現在の制度。 まず「制度の歪み」を正すことが先決だろうという。 私:「制度の歪み」を正すには、正確な現状認識をもたらす報道が必要。 例として、小熊氏は、小林美希氏の保育園の調査をとりあげている。 そこでは、保育士の待遇が悪いことを問題視し、東京23区内の私立認可保育所の財務諸表を調べ、「園長、事務長、用務員」の人件費率が異様に高い保育所、その保育所での活動以外に収入や補助金が転用されている保育所をリスト化した。 この調査報道は、23区だけで約85億円の公費が「本業」に使われていないこと、各種の歪みを是正すれば現在の補助金額でも保育士の待遇改善が可能なことを示している。 A氏:働いて税や社会保険料を納めれば、それだけいいことがあるというような「働いたら報われる」という実感が持てる制度への改革が急務だと大沢氏はいう。 小熊氏は、それは福祉だけでなく、日本の政治や社会への信頼そのものを取り戻す道だという。 私:それにしても、どうして、日本には欧米にないこういう「制度の歪み」が生まれたのかね。 その論評がほしかったね。
2018.01.25
コメント(0)
私:まず、米歴史家・ジャーナリスト・コリン・ウッダード氏は、前提として、米国は日本のような意味での一つの国ではなく、公共政策、宗教と国家の関係、政府の役割などをめぐって、根本的に考えが異なる複数の「ネーション(国)」の集まりだということで、論旨を展開している。 祖先は異なるグループとして米国に渡り、それぞれ特徴のある「ネーション」を形成し、ルーツの違いが今日の違いにつながっているという。 A氏:北東部のニューイングランドに「ヤンキーダム」を創設したのは、聖書を最高の権威と考え、厳格な信仰生活を強調し、完全な社会を作ることを使命と考え、地域の共同体を大事にしたカルバン主義者。 同時期にバージニア州に入植したのは、英国で内戦を戦って敗れた国王派で、彼らは英国と同じような貴族社会を「タイドウォーター」に築こうとした。 カルバン主義者と同じ英国から来たにもかかわらず、全く違う社会を作った。 私:一方、南東部の「深南部」には英領バルバドスで過酷な奴隷制度の上にプランテーションを築いた農園主の子孫が進出し、同様の奴隷社会を持ち込む。 厳しい生存競争を生き抜いた自分たち勝者が全てを支配できるとの考えを持っていた。 米国政治は常に、この「ヤンキーダム」と「深南部」の「二大ネーション」がほかの「ネーション」と同盟を結んで競い合う構図で、「州」ではなく、「ネーション」の違いに注目してみると米国社会をよく理解できるとウッダード氏はいう。 A氏:トランプ大統領の誕生もこの視点から読み解くことができ、「ネーション」ごとの投票動向は前回選挙と変わっていない。 「ヤンキーダム」を中心とする勢力は民主党のクリントン氏、「深南部」中心の勢力はトランプ氏。 ただ、「ヤンキーダム」と、さまざまな国から移民を受け入れ、最もアメリカ的な「ミッドランド」での民主党のリードが大きく減り、これらの地域の激戦州が軒並みトランプ氏に振れた。 私:その理由は、トランプ氏以外の共和党の立候補予定者は自由放任主義を唱え、減税し、政府の役割を減らせばより自由が得られると唱えたが、トランプ氏は反対に保護主義、政府の経済への介入を主張し、「ヤンキーダム」などの特に地方の共同体主義者の共感を得た。 すなわち、トランプ氏の勝利の要因は「ネーション」の視点からみると、これを超え、広げた支持にあった。 A氏:ところが、トランプ氏は大統領になってから、こうした主張をことごとくほごにしていて、富裕層に有利な減税を推進し、公共投資や医療保険改革は進んでおらず、守るのは壁を作るとかそんなことばかりなので、「ヤンキーダム」や「ミッドランド」が次の選挙でどう動くか見ものだとウッダード氏はいう。 私:次に、米大統領史研究家のロバート・ダレク氏は、第45代大統領のトランプ氏は、歴代でも異例で、適格性に疑問があるとしている。 大統領や政府というものがいかに機能しているか、外交はどのように執り行うべきか、外国首脳に対する話の仕方とは、米国の歴史はなど、これらことごとくにおいてトランプ氏は自分がいかに無知かをさらけ出しているという。 例えば、北朝鮮への対応も、本来は駆け引きを駆使し、様々な対話のチャンネルを使うものだが、相手を畏怖させる言葉を発してばかりいるのは、米国大統領にふさわしい振る舞いではないという。 A氏:同じ核ミサイル危機でもケネディ大統領(第35代、1961~63年)は外交でキューバ危機を乗り切り、ミサイル撤去に応じたソ連を侮辱しないよう側近に命じた。 ところが、トランプ氏は北朝鮮のリーダーを「小さなロケットマン」呼ばわり。意味なく怒らせるのは外交ではないとダレク氏は指摘する。 私:アイゼンハワー大統領(第34代、53~61年)は朝鮮戦争の膠着時に、中国に核兵器を用いるかもしれないとのメッセージをひそかに送り、交渉のテーブルにつかせた。 強気に出る時も水面下に徹すべきで、トランプ氏にはそれがないとダレク氏はいう。 A氏:予測不可能なトランプ氏を、マッドマン・セオリー(何をするかわからないと相手に思わせる手法)で知られるニクソン大統領(第37代、69~74年)になぞらえる見方もあるが、72年に訪中して世界を驚かせたニクソン大統領は、水面下で立ち回り、騒々しい好戦的な対応より「静かな外交」の方がはるかに有効だったという。 私:大統領たるものメディアに度量をもって対応し、関係を築く必要があり、歴代大統領はみなメディアとの問題を抱えていたが、トランプ氏がメディアを国民の敵のようにいうのは、米社会を支える報道の自由への脅迫。 適格性に疑問符がつけられた大統領はハーディング大統領(第29代、1921~23年)以来だが、ハーディングは好戦的ではなかったという。 A氏:トランプ氏が新たなメディアを通じて市民とつながろうとしている点は特筆できる。 フランクリン・ルーズベルト大統領(第32代、33~45年)がラジオ、ケネディ大統領がテレビを効果的に駆使したように、トランプ氏はツイッターを使いこなしている。 私:大統領には国をどう率いていくかの大構想が必要で、F・ルーズベルト大統領は「ニューディール」、レーガン大統領(第40代、81~89年)は「レーガン革命」。 トランプ氏は「米国を再び偉大に」だろうが、「ニューフロンティア」を掲げて「人を月に送る」と約束したケネディ大統領のように、具体的な目標がほしいとダレク氏はいう。 大恐慌で国民を幻滅させたフーバー大統領(第31代、29~33年)の後にはF・ルーズベルト大統領が、年をとったアイゼンハワー大統領の後には若いケネディ大統領が選ばれた。 米国政治は振り子で、次は若くダイナミックな大統領になるだろうと、ダレク氏は楽観的だという。 米国経済は今、好調なだけに、国民のトランプ氏への評価はどうなるだろうか、
2018.01.24
コメント(0)
私;トランプ米大統領はエルサレムを一方的にイスラエルの首都と宣言。 エルサレムは、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地で、三つの宗教を信じる人々が共存する都市だけに、米国の歴代政権はその地位について「イスラエルとパレスチナの和平交渉で決めるべきだ」とあいまいにしてきたのをトランプ氏は否定し、一般のイスラム教徒の怒りに乗じて過激主義がさらに勢いづき、国際社会の平和と安全を脅かすテロが拡散するとの懸念が広がっている。 A氏:さらに、中東を歴訪中のペンス米副大統領は22日、イスラエル国会での演説で、「我々は今後、米大使館をエルサレムに開く計画を進める。大使館は来年末までに開設される」と表明。 米大使館の移転問題で、具体的な期限が示されたのは初めてで、パレスチナ側は強く反発し、抗議行動が激しくなる恐れがある。 ペンス米副大統領は熱心なキリスト教徒だという。 A氏:トランプ氏による首都宣言の背景には、強力な支持基盤である米国内のキリスト教保守派を引きつける狙いがあるといわれているが、この問題を「イスラム教徒」対「ユダヤ教徒+キリスト教徒」という単純な構図でとらえてはならないと、カイロの現地から翁長氏は指摘する。 中東ではキリスト教徒も激しく反発しているからだ。 私:ところで、翁長氏は、1999年、インドネシア・マルク諸島の中心都市のアンボンで取材した経験がある。 アンボンは、イスラム教徒の断食明けの食事にキリスト教徒が招かれたり、クリスマスにイスラム教徒がお祝いに訪れたりしていた融和の街。 だが、個人的な金銭トラブルに乗じ、暴力を扇動する勢力が暗躍し、対立が先鋭化したといわれる。 ちょっとしたきっかけで、異教徒の共存を支えてきたバランスが崩れ、殺し合いに発展しかねない怖さを目の当たりにしたという。 A氏:「イスラム教徒」対「ユダヤ教徒+キリスト教徒」という単純な構図でないのは、パレスチナのギリシャ正教会の大主教は昨年のクリスマスを前に「トランプ氏の決定は世界のキリスト教徒とイスラム教徒に対する侮辱である」と述べたことだ。 また、エルサレムのギリシャ正教会、コプト教会、カトリック教会も「(トランプ氏の決定は)嫌悪と紛争、暴力を生む」とするトランプ氏宛ての公開書簡を発表。 エジプトのコプト教会の法王タワドロス2世は昨年12月に中東を歴訪する予定だったペンス米副大統領との面会を拒否。 私:イスラム教スンニ派の最高権威機関であるエジプトの「アズハル」は、クリスマスに寄せて「キリスト教徒の祝祭にあたって祝意を伝えるのは宗教上許される。アラー(神)はすべての人に対し、とりわけ我々の同胞であるキリスト教徒に対していかなる差別もなく接するように命じている」というファトワ(宗教見解)を出した。 A氏:翁長氏の知り合いのイスラム教徒のフェイスブックには「メリークリスマス」の投稿がいくつもあり、宗教の違いを超え、対立を抑えようという連帯も広がっているという。 私:以前、このブログの「イスラームから見た『世界史』」でもふれたが、本来、イスラム教は異教徒に寛容だね。 11世紀から、14世紀にかけて、十字軍とモンゴルの来襲を受けるが、モンゴルも最終的にはイスラム化する。 歴史を見ると、イスラムは他国を支配しても、敵対しなければ支配下の人には改宗を強要しない。 むしろ、キリスト教のほうが支配下の人には改宗を強要する傾向があるようだ。 翁長氏が現地で体験しているように、宗教の違いを超え、対立を抑えようという連帯の広がりに期待したいね。
2018.01.23
コメント(0)
私:人口約850万人のイスラエルは、1948年の建国後、周辺のアラブ諸国と4度の戦争を繰り返し、近年はイランやシリア、レバノンのシーア派武装組織ヒズボラなどと対立。 陸、海、空、宇宙に続く「第5の戦場」と呼ばれるサイバー空間の防衛は安全保障上の最重要課題の一つ。 A氏:イスラエルはこの「第5の戦場」と呼ばれるサイバー空間の防衛分野で米ロや中国などと並んで「最強国家の一つ」に数えられる。 軍が誇る世界最先端の技術や人材が民間にも進出し、イスラエル企業の世界進出を支えるという図式も定着している。 イスラエルには数百社のサイバーセキュリティー関連企業があり、2016年は同分野で世界の民間投資の2割を呼び込んだ。 私:サイバー攻撃への対応や情報収集などを担う「8200部隊」は、最高の頭脳が集まる軍のエリート組織。 商都テルアビブにあるセキュリティー会社KELA社は、「8200部隊」などで鍛えられた人材を受け入れ、同社の技術は、軍のインテリジェンスの手法が基盤。 高い技術を求める北米や欧州、アジアなど世界各地の政府機関の防衛も請け負う同社が今、熱い視線を送るのが日本。 「東京五輪」を控え、巨大な潜在市場があるからだ。 A氏:イスラエル政府と企業は今、一体となって日本への売り込みを強め、昨年11月、イスラエル発祥のサイバー攻撃対策の大規模見本市「サイバーテック」が東京で初めて開催され、イスラエル企業約30社が来日し、約2千人の来客に技術を売り込んだ。 日本のサイバー防衛に関わる日本政府関係者は、イスラエルほどサイバー攻撃を受けている国はないから、見習うべき点がたくさんあるという。 私:2014年には、安倍首相とイスラエルのネタニヤフ首相が共同声明で、サイバーセキュリティー対話を進めることを確認。 これを機に、インターネット空間の安全を守る日本のホワイト(善玉)ハッカーがイスラエル政府の招きで現地に行って交流したり、政府間の「日本・イスラエルサイバー協議」を開いたりするなど、協力が始まっている。 日本のサイバー攻撃を監視・分析する情報通信研究機構によると、国内ネットワークへのサイバー攻撃は、16年に約1281億件を記録し、前年比2.4倍で、過去最高。 これらの攻撃で、電力や交通などの重要インフラが機能不全になる恐れもある 、 A氏:日本政府は2年後の「東京五輪」に向けて攻撃は更に増えると見ており、危機感を募らせている。 経産省によると、情報セキュリティーに関わる人材は約28万人いるが、需要に対して約13万人が不足し、20年にはその数が約20万人に拡大すると予測され、人材育成が喫緊の課題となっている。 私:その点、この記事で紹介している軍の先端技術を生かしてサイバー防衛を担うイスラエルの人材育成は強力だね。 イスラエルでは高校卒業後、男性は3年、女性は2年の兵役義務があるため、軍のサイバー戦略を担う人材をいち早く見いだし、養成する狙いがあり、イスラエル軍は2016年に国内各地の高校でこの分野の出前授業を始め、今では80クラスを開講する。 A氏:イスラエル軍はサイバーセキュリティーの実習や部隊見学を含む「サイバー防衛」の授業も開講し、現在では10校近くの高校に現役の担当官が出向き、未来の「サイバー戦士」の育成を担っているという。 私:日本では、差し迫った「東京五輪」に対しての情報セキュリティーに関わる人材の不足約13万人を養成するという喫緊の課題をどのようにイスラエルの協力のもと解決するのだろうか。 日本には背景に「2018年、大学に試練 18歳人口、再び減少期に」でとりあげたように少子高齢化問題による人材不足がある。 ところが、イスラエル女性の特殊出生率は、現在3程度であるが、これはドイツ、ロシア、ポーランドなどの2倍であり、先進国としては異常とも見える高さであるという。 この点も学ぶべきことかも知れない。
2018.01.22
コメント(0)
私:「朝鮮通信使」は朝鮮王朝から江戸幕府への外交使節。 徳川政権は、秀吉の朝鮮出兵で破綻した国交を対馬藩を通じて修復させ、1607年に再開にこぎつける。 以後、1811年まで200年余りの間に12回の使節が日本を訪れ、海路、瀬戸内海を抜けたのち陸路で将軍のおひざ元、江戸をめざし、ときには日光まで足を延ばした。 A氏:その「朝鮮通信使」の関係資料が昨秋、ユネスコの「世界の記憶」に登録されたという。 正使や副使をはじめ画家や医者、芸能者まで含み、400人から500人にも及ぶ大使節団。 道中は見物客でごったがえし、ちまたには関連の絵図や刊行物が出回るなど、大いに人気を博したという。 「朝鮮通信使」に詳しい京都造形芸術大学客員教授・仲尾宏氏は「おまつりですね。『鎖国』のイメージとは、まるで違った」として、異国の空気をまとった通信使の到来は、民衆にとっても一大イベントだったという。 私:しかし、迎える側には苦労があり、相手は国を代表する外交使節だけに、藩のメンツをかけても、もてなしに手抜かりは許されないから、往来の沿線で迎える10万石以上の大名などは、その接待に莫大な支出を強いられたようだ。 A氏:そんな苦労に支えられながら、通信使一行の行くところ、あちこちで交流の花が開いた。 なにしろ、儒学や医学、文学など豊富な知識を携えたエリート集団。 いまで言う外国人タレントなみの人気だったらしく、行く先々で詩文や揮毫を求めて知識人や群衆が詰めかけ、日本人の旺盛な知的好奇心はとどまるところを知らなかったようで、通信使側は鶏が鳴くまで眠れなかった、との記録もある。 仲尾教授は「朝鮮側も『小中華』意識があり、儒教国家として文化を伝え、教化しなくてはとの自負や使命を感じていたはず。 一方、日本の識字率は高く、通信使側は、少女がよい字を書くことに、びっくりしている。そんな土壌があって交流が成り立ったのでしょう」という。 私:江戸時代の日本の識字率は世界的にも高かったといわれているからね。 異文化交流と相互理解の深化は、民衆のパワー抜きに語れず、両国が筆談でコミュニケーションできる漢字文化圏に属していたことも大きかったようだ。 当初、やや上から目線もあった彼らだが、日本社会の衛生状態のよさを書き残すなど、回を重ねるにつれて日本への理解が進む様子が記録から読み取れるそうだ。 逆に、秀吉の朝鮮出兵のとき、日本軍が朝鮮に上陸したら、朝鮮の衛生状態の悪さに驚いたというね。 A氏:対馬藩で対外交渉を取り仕切った近江出身の雨森芳洲は、その外交方針に「誠信」の交わりを掲げ、国際交流の足腰の強さは、民間レベルの地道な積み重ねがはぐくむもので、「善隣友好」とは一朝一夕に築き上げられるものではないことを、「朝鮮通信使」は教えてくれるという。 私:「朝鮮通信使」は約200年の積み重ね。 今の日韓関係も「善隣友好」といくまでは、かなり時間がかかりそうだね。
2018.01.21
コメント(0)
私:神戸製鋼のデータ改ざん問題は、下記のように知的街道ができている。 「神戸製鋼、強度改ざん トヨタなど200社に納入 アルミ・銅製品」、「製造業への不信、危機感 神鋼20工場調査、経産省が要請」、「神鋼、先見えぬ検証」、「失敗から学ばない経営」、「神鋼『品質より納期』数値改ざん、社内調査を公表・「生煮え」調査、遠い解明 具体性乏しく」 経産省は、神戸製鋼などの大手メーカーで品質データの改ざんが相次いだことを受け、JIS法に違反した法人への罰金の上限を現行の100倍となる1億円に引き上げるという。 A氏:改正案は22日に始まる通常国会に提出され、罰金はJISの認証を受けていない法人が製品にJISマークをつけたり、認証を取り消されたのにマークを表示し続けたりした場合に課されるが、現行法では上限が100万円だった。 私:経産省は神鋼幹部が「法令違反はなかった」と繰り返し説明したことを問題視し、罰則が甘いことが法令全体の認知度の低さにもつながったとみて、罰金の上限を一気に引き上げることにしたのだという。 発想が、「働き方改革」の長時間労働の100時間未満という規制と同じで、中身の分析がなく、表面的な数字の規制を押し付ければいいと同じで、根本的な解決にならないだろう。 A氏:神鋼グループは、JIS規格に満たない製品を出荷していたずさんな「生産管理」などを問われ、子会社を含む4工場の計7製品がJIS認証の取り消し・一時停止の処分を受けた。 ここで、記事は「生産管理」としているが、「品質管理」の間違いで、違いがわからないで記事を書いている。 子会社のコベルコマテリアル銅管秦野工場は、製造する銅管の4割で認証を受けていたが、すべて取り消しになり、現在はJISマークを付けない「準拠品」を出荷する。 対象となった銅管やアルミ製品は競合メーカーが少なく、代替品の入手は難しいため、現在のところ、出荷量の大きな減少はないという。 私:神鋼の不正は、神鋼がデータ改ざんを公表した後の認証機関の再審査でようやく判明。 3年ごとの定期審査では不正やずさんな管理は見つけられず、認証機関の審査能力も問われた。 認証が取り消された際の影響が見えにくいことや、不正を見つけ出すことが難しいことは、JISの制度に限界があることを示し、罰則を引き上げる今回の法改正でもこうした問題を払拭するのは難しいと記事はいう。 A氏:この記事は、JIS問題だけにふれているが、同じ、「品質管理」の認証で国際規格のISO9001の認証があり、神鋼の審査機関はロイドと日本検査キューエイで、これも認証を取り消しているが、記事ではあまり関心がないようだ。 私:実は、神鋼は以前から、HPで次のような「宣言」をしていた。 「神戸製鋼グループでは、お客様にご満足いただける製品を提供するために、品質マネジメントシステムの国際規格『ISO9001』の認証を取得し、品質保証・品質管理への取り組みを行っております」 だから、ISO9001の審査機関の対応もふれるべきだね。 A氏:ISO9001は、「品質管理」だけの規格で、製品の規格はないから、「製品そのものの審査」はしないが、JISは製品の規格も定められているので、「製品の審査(検査)」も行うが、これが、規格を満たしていないのも問題になっている。 私:だから、神鋼は、品質のデータ改ざんという「品質管理」の問題と、JISの製品規格を満たしていないという品質そのものの問題という2つの問題をかかえていることになる。 「品質は工程で作られ、検査では品質は変わらない」という基本からすれば、日産やスバルの問題は完成車は合格のものを作っていたから「ものづくりの工程」の問題でなく、検査員が有資格者であるべきなのに、そうでなかったという「品質管理」の問題で「ものづくりの工程」の「品質」とは直接無関係。 だから、神鋼の検査の不正問題は、「ものづくりの工程」がからんでいるので、日産やスバルの完成検査での不正とは全く異質だという意識が神鋼にもマスコミにもないね。 A氏:神鋼のほうは、基本的に「ものづくりの工程」の問題だから、JIS認定の取り消しに対応して、機械装置を改造するなど、JISの製品規格を満足できる「ものづくりの工程」に改善すべきだね。 私:神鋼のような企業の場合、1億円の罰金にカネを出させるよりも「ものづくりの工程」の改善にカネを強制的にかけさせることが、より望ましい解決だね。
2018.01.20
コメント(0)
私:仮想通貨・「ビットコイン」がマスコミを賑わしているが、独仏は、ビットコイン規制をG20財務相会合に共同提案し、中国政府が「ビットコイン」の取引所を閉鎖するなど、各国での規制の動きが出ているね。 どうも「デジタル通貨」や中央銀行、国家の関係の意味がピンとこないね。 その点、このインタビューは分かりやすい。 岩本氏は、2009年の「ビットコイン」登場以来、ひょっとしたら貨幣になるかもしれないと考えてきたが、人々が「貨幣になるかもしれない」と期待と興奮の中で値上がりを目的に買い始めたことが、逆に貨幣になる可能性を殺していて、この1年で考えが変わり、もはや、貨幣になる可能性は極めて小さくなってしまったという。 A氏:岩本氏は、ある「モノ」が貨幣として使われるのは、それ自体に「モノ」としての価値があるからではなく、誰もが「他人も貨幣として受け取ってくれる」と予想するから誰もが受け取る、という予想の自己循環論法によるものだという。 実際、もし「モノ」としての価値が貨幣としての価値を上回れば、それを「モノ」として使うために手放そうとしないから、貨幣としては流通しなくなるわけだ。 私:ところが「ビットコイン」は、数が限られて将来価値が上がるという期待感から、それ自体が「値上がりしそうな資産」という一種の価値ある「モノ」になってしまった。 事実、この1年で大変な投機の対象になり、値上がり益を期待して手にする限り、誰ももうからないから、それを他の商品との交換手段などにしない。 A氏:貨幣が貨幣になるまでのプロセスは複雑で、様々な可能性があり、ただ、多くの人が交換手段として受け取ってくれるという安心感がじわじわと広がらないと貨幣にならない以上、非常に長い時間を要する。 例えば、日本の「和同開珎」も、8世紀にいきなり朝廷が流通させようとしたが、定着しなかった。 ところが12世紀になり、日本海側で中国や朝鮮との貿易が広がると、「唐銭」や「宋銭」といった中国の貨幣が日本でも流通し始めた。 世界の基軸通貨も、米国が19世紀末に国力で英国を超えた後も、しばらくは「ポンド」のままで、半世紀かけて、世界中の人が他の人も「ドル」で決済をしていると安心するようになったからこそ、第2次世界大戦後には基軸通貨が「ドル」になった。 私:現代では、人々を一つの貨幣圏に囲い込むことで、国内市場を統一し、政府や中央銀行の統治力を高める効果もある。 日本でも、明治政府が「藩札」を廃して単一通貨としての「円」を導入したことが、国内市場の形成に大きな役割を果たした。 中国政府が「ビットコイン」の取引所を閉鎖したのは、「人民元」を通した自国の統治力を守る動きにほかならないという。 A氏:「ビットコイン」は、ネット上で取引記録を共同管理する仕組みなので、通貨の管理者だった「中央銀行」が不要になるとも言われていた。 たしかに、「デジタル通貨」にとって課題だった偽造や二重払いの防止を、「ブロックチェーン」と呼ばれる革新的な技術でクリアしており、機能的には貨幣に求められるものをすべて備えていて、しかも、紙幣や硬貨より送金コストが低く、預金の管理費用も低くなった。 しかし、それでも岩本氏は、貨幣価値の安定には「中央銀行」のような公的な存在が必要であり、「中央銀行」を不要とすることを目的とした「ビットコイン」は、万一貨幣になっても長期的には滅びると考えているという。 私:「貨幣になったとしても滅びる」という意味は、貨幣は、誰れもが「他人も貨幣として受け取ってくれる」と予想するから貨幣として受け取る、という自己循環論法で価値を持つ。 従って、その予想が危うくなると誰れも受け取ろうとしなくなり、その時、貨幣は貨幣でなくなり、滅びる。 このような不安定性は貨幣の原罪であり、貨幣経済に生きる限り、その可能性から絶対に逃れられないから、有事に経済を制御する「中央銀行」のような公共機関が絶対に必要。 A氏:だから、岩本氏は、「中央」を排除するために生まれた「ビットコイン」は、まさに「中央」を持たないがために、仮に貨幣として流通したとしても必ず滅びるという。 もちろん貨幣になる前に「モノ」になって滅びる可能性がはるかに高いという。 岩本氏は、「ビットコイン」の設計者としてのサトシ・ナカモト氏は尊敬しているが、残念ながら彼は、貨幣の本質を十分には理解していなかったという。 サトシ・ナカモト氏の正体は誰もわからないといい、日本人かどうかも不明。 私: 国境を超えた「世界通貨」が生まれる可能性について、岩本氏は、今は「ドル」が世界経済の主役だが、一国の通貨が世界の基軸通貨でもある仕組みは、基本的に不安定だと考えているという。 もし、米国中心主義のトランプ政権下で米国の中央銀行が内向きな金融政策をとり続けると、「ドル」が信頼をなくし、基軸通貨の地位を失う危機が来るかもしれないという。 その緊急事態の中で新たな基軸通貨が生まれるとしたら、紙幣を新たに刷る時間がないから、「世界銀行」的な「中央」によって管理される「デジタル通貨」である可能性が高いという。 だから、「ビットコイン」の技術を生かしつつ自由放任主義的な思想は補正して、より効率的に「中央」が管理する「デジタル通貨」の研究は、次の時代の予行演習になっていると思うという。 A氏:「中央」が「デジタル通貨」を持つと、売り買いを把握される「監視社会」になる懸念があり、「ビットコイン」的な技術は両刃の剣。 今は個人の匿名性を守る構造だが、少し設計を変えれば「中央」が全ての取引を把握できる超管理社会の道具としても使えるようになる。 ところが市場経済、そして民主主義的な社会がうまく機能するには、個人の自由が確保されなければならないから、そのためには例えば複数の機関が役割分担して分権的な形を取りつつ、かつ全体の供給量は調節する、そんな匿名性と安定性を両立できる仕組みが望ましいと岩本氏は指摘し、それがうまくいかないなら、現在の通貨のままの方がいいかもしれないといい、自由放任主義の「ビットコイン」がだめだからといって、次は「中央」による「デジタル通貨」だと、極端に振れる必要はないという。 私:人間は貨幣さえ持っていれば、共同体的な束縛から解放され、身分や性別や人種を超えてだれとでも取引できるという「自由」を与えられた。 だが、貨幣を使う経済は本質的に不安定で、安定性のために公共機関を絶対に必要。 自由と安定性、個人と公共性のバランスを、どこに置くのか、個人が完全に匿名となる自由放任主義的な貨幣経済を演じようとした「ビットコイン」劇場は、そのような根源的な問題を、私たちに考えさせてくれているのかもしれないと岩本氏は指摘する。 まぁ、「デジタル通貨」問題が身近になるのは、まだまだ、先のことのようだね。
2018.01.19
コメント(0)
私:題名の「安定した天才」とは、トランプ氏が自分自身についてツイートした言葉からきているもので、NY市立大教授のクルーグマン氏にとっては、皮肉の材料になっている。 教授は、この偉大な国・米国は凡庸な男に導かれたことも少なくなく、中には好ましくない人柄の者もいたが、「二つの理由」で、彼らは大きな害を及ぼさなかったという。 「第一の理由」として、二流の大統領の周りには、たいていは一流の公僕がいたこと。 例えば、ロナルド・レーガン元大統領は職を離れて5年後にアルツハイマー病と診断されたが、2期目にすでに認知衰退の兆候が見られたかについて議論が続いているが、ジェームズ・ベーカー氏が財務省を、ジョージ・シュルツ氏が国務省を指揮していたから、大きな決断を下しているのが適任者なのかどうかを心配する必要はなかった。 A氏:「第二の理由」として、権力の「チェックと均衡」の制度が、法の支配を無視したり地位を乱用したりしそうになる大統領を抑えてきたことがある。 大統領を批判する者を投獄したり、在職中に私腹を肥やしたりしたいと切望した大統領もおそらくいただろうが、あえて実行に移す者は一人もいなかった。 私:「第一の理由」について具体的にふれると、「とても安定した天才」と自称するトランプ大統領は、ホワイトハウスに普通でない部下を引き連れてきたと教授は指摘する。 すでに外国政府との結びつきに関してFBIに虚偽の供述をした罪を認めた大統領補佐官(国家安全保障担当)フリン氏は辞任。 高額なプライベートジェットの頻繁な使用が致命傷となったトム・プライス厚生長官も退場。 A氏:しかし、教授は、ほかの問題の面々はまだ在職していて、ムニューシン氏が財務省にいると指摘していて、より下級の官職でも、数多くの信じられないほどひどい指名が、市民が知らぬところで行われているという。 そして不適任者が入り込んでくると同時に、適任者が逃げ出していき、国務省では大勢の経験豊富な人材が逃げており、もっと深刻なのは、どうやら同様の大流出が国家安全保障局でも起きていること。 私:つまりトランプ氏のたった1年で、私たちは最悪で最も愚かな政府へと、はるばる連れてこられてしまったと教授はいう。 すなわち、先にあげた、大統領が二流でも大統領の周りには、たいていは一流の公僕がいたという「第一の理由」が崩れているというわけだ。 A氏:「第二の理由」の大統領に対する「チェックと均衡」については、1970年代のウォーターゲート事件の当時、共和党員は大統領の違法行為を気にしたかもしれないが、今日の共和党員は明らかに、「とても安定した天才」トランプ氏の特権を守り、彼に好きにさせることが、自分たちの仕事と考えていると教授はいう。 私:最近、マイケル・ウルフ氏のトランプ氏についての暴露本がでたが、教授は暴露されたことがそれほど衝撃的とは思わなかった一人だという。 数多くの報道がこの政権について伝えてくれることを、ただ確認しているにすぎなかったからだ。 教授が思うに、連邦議会の指導的な共和党議員たちが、司法妨害に加わる決心を固くしつつある兆しであると指摘している。 A氏:下院情報委員会のデビン・ヌネス氏は大統領選へのロシアの介入について司法省が調査しようとするのを何度も邪魔してきたが、これまではヌネス氏のような隠蔽派の議員の行動が、独自のものかどうかは明確ではなかった。 だが、ポール・ライアン下院議長は、今や完全にヌネス氏の側に立ち、実際、妨害に全面的に賛成の立場。 私:同時に、2人の共和党上院議員が、ロシアの介入に関する刑事告発について、知られている限り初めて議会の付託を行った。 敵対する外国政府に協力したかもしれない者に対してではなく、トランプ氏とロシアの共謀の可能性に関する調査書類を作成した元英国情報部員に対してだ。 A氏:つまり、世界の大半がトランプ氏の大統領職への適性を疑問視しているのに、彼を抑えられる一握りの人たちは、彼に法の支配を超越させることに全力を注いでいると教授はいう。 すなわち、「第二の理由」の大統領に対する「チェックと均衡」も崩れているということだ。 私:今のところ、米国政治規範の内部崩壊が日常生活に及ぼす影響は驚くほどに少ない。 大統領は朝の時間をテレビ鑑賞と怒りのツイートに費やし、政府の能力を大混乱させている。 そして共和党は、トランプ氏が外国のスパイかどうかを市民に知られたくないと思っているのに株価は上がり、経済は成長し、新たな戦争に陥ってもいない。 だが、まだトランプ大統領の初期段階で、この偉大な国・米国をつくりあげるのに200年以上かかったのだから、おそらく「とても安定した天才」(トランプ氏)をもってしても、完璧に破滅させるのには2、3年を要するだろうと教授はいう。 大統領が二流でも、彼らは大きな害を及ぼさなかったという「二つの理由」が、教授の指摘のようにトランプ大統領については消滅している実態なら、「トランプ現象」はまだ続くことになるね。
2018.01.18
コメント(0)
私:1980年 (昭和55年)は「スキーブーム」だったんだね。 A氏:総務省の調査によれば81年と91年を比較すると、スキー人口は20代を中心に、男性が2倍、女性は3倍に増加。 87年の映画「私をスキーに連れてって」に象徴されるように、服装や用具をファッションとして楽しみ、ゲレンデのロマンスを期待する心理がスキーブームをさらに後押しした。 私:しかし、スキー人口は1993年の1770万人をピークに減少に転じ、スノーボード人口を含めた総数でも、1998年を境に減り、今はピークの4割強まで落ちた。 スキーリゾートを研究する筑波大の呉羽正昭教授(観光地理学)は、「景気の低迷もありますが、ブームは極端だった」といい、「人が集まれば道もリフトも渋滞する。しかも寒い。流行の先端なら我慢できたことも、設備やサービスが従来のままなら飽きられる。つらい思いをしてまで行く魅力は薄れたのでしょう」という。 A氏:呉羽氏の調べでは、2012年までに開発された日本のスキー場は763カ所。 うち37%が閉鎖・休業しており、特に00年以後の幕引きが目立つという。 また、呉羽氏は、現存するリフトの多くは1980~90年代のもので、新たな設備投資をする余力のあるスキー場は限られ、30年と言われるリフトの寿命を考えると、老朽化は近い将来の大きな課題だという。 私:しかし、新たな活路を見いだす取り組みも始まっているという。 雪国など地方再生を手がけるコンサルタント・釼持勝氏は、お客様が押し寄せていた90年代半ばまでに、日本のスキー場は本来なら20年後の先細りを見据えるべきだったという。 欧米では当たり前にやっていたことだが、日本は後手に回り、他国と違い、スキー場がリフト中心の運輸業の扱いで、サービス業ととらえた業界団体や研究機関が無かったことも一因。 今に至るまで手を打てず、ギリギリで営業するスキー場がほとんどで、今やスキー場は衰退産業の先端モデルだという。 A氏:現状ではブームの再来は厳しいが、その中で、それぞれのスキー場や地域の潜在力を最大化するに鍵は「危機感」だと釼持氏はいう。 実際に釼持氏は、2002年から3年間、北海道・ニセコ地域で外国人客受け入れの基盤整備に関わり、今、外国人の延べ宿泊数は低迷時の50倍に。 成功の原動力は、切迫した「危機感」を持つ地元の若い人の存在。 剣持氏は、「強い危機感を持って外的な要因を冷静に分析し、どうすれば問題を解決できるのかを皆で一緒に考える努力ができる。そんな人材の育成が、地域の再生・創造の一歩になると思います」という。 私:「地方創生」もスローガン気味だが、こういう地道な活動の積み重ねが必要だね。 原点は「危機感」だね。 ところで、今日、東海地方のある労働集約型の中小企業に仕事で行ってきたが、人手不足は深刻で、非正規の人の応募はゼロが続き、募集の費用と見合わないので募集を現在あきらめたという。 一方、最低賃金は上昇するし、そのコストアップを顧客企業は認めないので、次第に利益は減っているという。 背景に「少子高齢化」の波が地方に厳しく押し寄せていることがあるが、「危機感」をもって対応しないと人手不足による企業倒産が地方で増加するだろう。 「地方創生」どころではなくなるね。
2018.01.17
コメント(0)
私:10年ほど横ばいだった18歳人口が2018年に再び減少期に入った。 多くの大学関係者が「日本の高等教育の転機になる1年」と受け止めているという。 18歳人口は1992年の205万人を境に減少に転じたが、この10年ほどは120万人程度で横ばいが続いてきたが、今年からは再び減少を始め、2028年には107万人、38年には91万人になると推計されている。 日本私立大学協会(私大協)の小出秀文事務局長は、今年から始まる18歳人口の減少を「大陸棚から日本海溝に落ちるようだ」という。 A氏:人口減とは逆に、大学数は私立大を中心に増加。 90年は507校だったが、17年は780校。現在でも学生数が足りず、私大の4割が定員割れを起こしている。 私大の間で「2018年問題」という言葉も生まれるほど、危機感が広がる。 日本私立学校振興・共済事業団によると、17年度に定員割れした私大の9割は、入学定員400人未満の小規模大学で、特に地方で多い。 私:「私大の統合」、「公立大への移行」などの検討の動きもあるようだ。 政府は、首相官邸に設置された有識者会議の報告書に基づき、東京23区にある大学の定員を抑制し、地方の大学へ学生を誘導する新法を、今年の通常国会に提出する方針。 抑制期間を「原則10年間」とすることを軸に検討していて、安倍政権が打ち出した高等教育の負担軽減をめぐっては、国が学生を支援することと引き換えに、大学に外部理事や実務家教員を増やすよう促す方針が示され、近く、文科省内で具体的な仕組み作りが始まるという。 A氏:東京大大学総合教育研究センター・小林雅之教授によると、「大学改革の議論が活発な理由は18歳人口の減少に加え、首相官邸が、文科省を飛び越えて短期間で意思決定するようになった影響も大きい」という。 また、「社会の変化や学生層の多様化に対応できず、信頼を失った大学に反省すべき点は多く、高等教育の負担軽減や地方大学振興といった改革の多くは、大学側の意見を十分に聞かずに作っており、国が補助金などを使って誘導しても、形だけ整える大学が多く、長期的にどんなインパクトがあるか、予想できない部分もある」という。 私:記事は「政府も大学も、少子化について、財政面の問題ばかり見て、悲観的に考えすぎだ。少人数教育を徹底して売りにするなど、発想の転換が必要な時期に来ているのではないか」という。 安倍首相が、こないだの選挙で日本の危機といった「少子高齢化」だが、その対策の大きな遅れの問題点はブログ「働き方、『正解』に縛られない 『日本のため』より自分の声に正直に」でふれたが、高等教育問題にも危機状態が具体的に出始めたね。
2018.01.16
コメント(4)
私:IT(情報技術)の進展によるデジタル革命は多くの人々を失業させ、激しい格差社会を招くのではないか?という悲観論が近年、世界的に高まっている。 一方でIT業界に多い楽観主義者は、技術の進歩は新たな仕事を生むので心配ないと言っているが、百家争鳴の中、本書はこの今日的な論争に多数の興味深い視点を提供してくれると評者はいう。 本書は産業革命と比べながら考え、産業革命とデジタル革命の類似点と相違点を指摘する。 産業革命の際、無数の手工業の職人が失職したが、今後の米国では自動運転で約500万人が仕事を失うといい、大学ではオンライン講座で数十万の教師が失業する可能性があるという。 A氏:しかし、著者は「大きなテクノロジー革命はふつう、破壊をもたらすとともに多大な恩恵も生み出すことはぜひ覚えておきたい」という。 新技術の利用に社会がなじむまで時間がかかるため大きな時差が生じたが、産業革命は結果的に大多数の人々の生活水準を劇的に向上させた。 デジタル革命も時差を伴いつつ「人類に多大な恩恵をもたらす」と著者は見ているが、今回は違う面もあるという。 私:社会の変化が速く、転職を迫られる人が急増すると再教育は容易ではなくなり、しかも、自動化、グローバル化、スキルの高い少人数の生産性向上が労働力の余剰を発生させるため、「失業した労働者のほとんど」は「低スキルの仕事の奪い合いに追いやられる」。よって「困難を極める経済の混迷期が非常に長く続く可能性がある」と懸念されている。 それは政治体制をも揺るがすリスクがあるという。 A氏:ただし、教育の効果については本書は悲観的過ぎるように思われ、高スキル人材を多数育成しても、それに見合う仕事の賃金が下落するだけだという。 私:評者は、「教育制度の改革によって新時代に適応できる若い人材が厚くなれば、相乗効果で新たなイノベーションが生まれることもある、信じたい」という。 しかし、日本は急速な少子高齢化をかかえているので、それとの関係でどうなるだろう。 少子化で若いIT技術者が不足するという専門家の予測もある。 日本の特殊性に絞って考えたいね。
2018.01.15
コメント(1)
全4555件 (4555件中 251-300件目)