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「旧約聖書」聖王確立(イスラエルの理想像5) ナタンはダビデのところへ戻り、神様のお告げを伝えたのち、ダビデは、神の天幕へ入り主の前にの前に祈ります。主なる神よ、私の様な取るに足りない者に、どうして、これほどまでの祝福を下さったのでしょう。 そして今、これまでの祝福に加えて、私の王朝が永遠に続くと約束して下さいます。その寛大さは、人間の標準をはるかに越えています。この上、何を申し上げることが出来ましょう。 私がどの様な人間か、すべてご存じです。主は約束を果たし、なお、御心のままに、これらすべてを行なってくださいます。なんと偉大なお方でしょう。 主のような方は、ほかには存じません。他に神と呼べるものがないからです。地上のどこを捜しても、イスラエルほど祝福を受けた国は御座いません。 主は栄光を現わすために、特に選んだ国民を助け出してくださったのです。 エジプトとその人間の造物神を滅ぼすためには、大いなる奇蹟も行なってくださいました。主はイスラエルを、永遠にご自分の国民として選び出し(選民思想)、私たちの神となられたのです。 主よ、このしもべとその家へのお約束を、果たしてください。どうか、イスラエルを神様の国民として確立してくださる時、また、ダビデ王朝を御前に堅くお立てになる時、永遠にあなたのお名前が崇められますように。天地の支配者、イスラエルの主なる神よ。 永遠に続く王朝の初代の王として、しもべをはっきりとお立てくださいました。 そのおかげで、大胆にも、お受けしますとことができるのです。貴方様こそ神であられ、お言葉には嘘がありません。 私のような者に、此れほど素晴らしいことを約束してくださった主なる神よ。どうぞ、お言葉どおり事を運んでください。 このしもべとその家を、いつまでも祝福してください。 この王朝が、主の前にいつまでも永らえますように。 主なる神よ、それがお約束(ダビデと主との契約)なのですから。と以上のことを民の指導者や公衆のまえにその祈りを聞かせたのでしょう。 此のことは、イスラエル史上初めて、主に油を注がれた王と云うだけではなく、加えてダビデから出る血統こそが、神から王統として認められた唯一の家であることを国民に徹底するためでした(王権神授説)。それ故、イスラエル分裂後も暫くはダビデ出自のユダ王国は主を離れませんでしたが、この宣言こそがダビデ自身「我、聖王なり」を確立させ、現在なおダビデを聖王と成す基となります。
2012年07月31日
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2012年07月30日
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2012年07月29日
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「旧約聖書」聖王確立(イスラエルの理想像4) 主なる神がダビデと共にあり、遂にイスラエルの地に平和をもたらし、もはや外縁に脅威はなくなり戦いの無い平和な日々が訪れました。時に、ダビデは預言者ナタンを呼んで言いました。「見よ、今私は、香柏の家に住んでいるが、神の箱はなお幕屋のうちにある」と。ナタンは王に言います。「主が貴方と共におられますから、行って、すべて貴方の心にあるところを行いなさい」と。ところが、その夜 主の言葉がナタンに臨んでこう命じます。私の僕ダビデにその様なことをする必要はないと言え。私は神殿には住まない。イスラエル人をエジプトから連れ出した日以来、私の家はずっと天幕だった。そのことで、イスラエルの指導者に不平をもらしたことは一度もない。私がイスラエルのすべての人々と共に歩んだすべての所で、私が私の民イスラエルを牧することを命じたイスラエルの裁き司の一人に、一言でも、どうして貴方がたは私のために香柏の家を建てないのかと言ったことがあるであろうか。 さあ、私のことばをダビデに告げよ。 私は、牧場で羊を飼う、ただの牧童にすぎなかったお前を、私の国民イスラエルの指導者としたのだ。どこへでも、お前とともに行き、敵を滅ぼして来た。 また、その名声を一層いっそう高め、地上の大いなる者の名のような大いなる名をあなたに得させよう。てやった。 此の地こそが、イスラエル人の母国だ。 もう二度と、この地を離れることはない。 ここは、私の国民の地だ。 あの士師たち(王国設立までの軍事的・政治的指導者)が治めた時代のように、私を知らない外国人に圧迫されることもない。 もう、戦いをいどんでくる者もいない。お前の子孫は、代々この地を治めるだろう。お前が世を去っても、息子の一人を王座につかせ、王国を強固にして、その者が、私のために神殿を建てる。 王国は永遠に続き、私が父となり彼は息子となる。 もし彼が罪を犯せば、外国人を用いて罰する。ただし、先王サウルにしたように、愛と恵みを取り去ったりはしない。お前の家系は、永遠に私の王国を治める。 ナタンはダビデのところへ戻り、神様のお告げをそのまま伝えました。 此れが、その後に全イスラエルが北部のイスラエルとユダ王国に分裂後にもユダ王国が比較的安定した政権を齎して、神の恩寵故に崩壊を遅らせたと云えましょうが、そのユダ王国も、主を離れた故に、主の激しい心変わりと怒りを買い、バビロンの虜囚の苦悩を耐えねばなりませんでした。此の様に、好いも悪いも全て主なる神に因るものとするのが、旧約を読み辛くしている一因に成っているのかもかも知れません。
2012年07月28日
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「旧約聖書」聖王確立(イスラエルの理想像3) バアル・ペラツィムの戦いの後、ダビデは選り抜きの兵三万を率いて、ユダのバアラへ出かけました。ケルビム(天使を象徴翼を持つする像)の上に座しておられる、天地の主なる神の契約の箱を、持ち帰るためです。箱は真新しい牛車に載せられ、丘の中腹にあるアビナダブの家から運び出されました。 御者は、アビナダブの息子ウザとアフヨでした。アフヨが先導を務め、ダビデをはじめイスラエルの指導者が、あとに続きました。 一行は喜びのあまり、木の枝を振りかざし、主の契約の箱の前で、竪琴、琴など様々な打楽器やラッパを鳴らして、踊り行進します。 ところが、ナコンの打ち場まで来た時、牛が躓きます。 祭祀を嗣業とするレび人ではなかったウザが慌てて手を伸ばし、箱を押さえようとしました。その途端に主の怒りがウザに向かって燃え上がり、ウザは激しい主の怒りに打たれ、箱のそばで息絶えます。 この主の仕打ちはダビデを怒らせ、祭祀を嗣業とするレび人ではないウザに曳かせなかった自分にも憤慨し、反省した事でしょう。其処はペレツ・ウザ〔ウザに怒りが臨んだ地〕と呼ばれています。此の主の温情のない主には、さすがのダビデも恐怖を覚え、神の箱をダビデの町へ移すことは中止し、ガテ出身のオベデ・エドムの家に預けます。契約の箱は、三か月間オベデ・エドムの家に置くことにします。そのオベデ・エドムの家が神に祝福されたことを聞いたダビデは、盛大に祝って、神の箱をダビデの町へ運ぶことにします。 箱を担ぐ者たちは、六歩進む牛と子羊を燔祭に捧げるためにたち止まります。そしてダビデは力を極めて、主の箱の前で亜麻布のエポデをつけて踊ります。イスラエルは歓声をあげ、ラッパを吹き鳴らして、漸う神の箱をダビデの町に運び入れたのです。 さて、その行列が町に入って来るのを、サウルの娘ミカルは窓から眺めています。そして公衆の中にあって、主なる神の契約の箱の前で、飛んだり跳ねたり踊っているダビデを見、王家の誇りを持ったミカルは軽蔑も顕わに、屋敷でダビデを待ち構えます。漸くにして、神の箱は、ダビデが用意しておいた天幕に安置されました。 ダビデは其処で主にダビデは燔祭祭と酬恩祭を主の前に捧げます。ダビデが燔祭と酬恩祭をささげ終った時、ダビデは万軍の主の名によって民を祝福します。そして全ての民と、イスラエルの全民衆に、おのおのパンの菓子一個、肉一切れ、干し葡萄一かたまりを分け与えます。 それが終わると、民は皆各々のその家に帰りました。みな家に引き揚げ、ダビデも、家族を祝福するために戻って来ました。待ち構えて出迎えたミカルは、皮肉たっぷりに言います。 「今日の貴方の行状は、なんとまあご立派な王様ぶりでしたこと!。 道の真ん中、それも、女達の前で裸で御踊りになるなんて」と。 その言を聞いたダビデは、自分が、お前の父サウルやその一族にまさって、神様の選民イスラエルの指導者と選んでいただいた。その主の前で踊ったのだ。主に喜びを表わすためなら、たとい気違い呼ばわりされようとかまわん。いや、馬鹿と思われてもよいのだ。 おまえの言う女たちは、きっとわかって敬ってくれると答えます。その後、ダビデはミカルに入らず、ミカルは、生涯、子宝に恵まれませんでした。 此の美しく可愛げな、サウル王の前でダビデに惚れたミカルへの仕打ちは、王の権威づけのために政略上、彼女を利用したと思われたとしても致し方ない行為にもとれます。
2012年07月27日
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「旧約聖書」聖王確立(イスラエルの理想像2) ツロは、古代フェニキヤ人が建てた都市国家で小さな国家ですが、その実力と富の大きさは後の預言者エゼキエルが詳細に記録している程ですが、 そのフェニキアのツロの王が、ダビデのエルサレムでの王権確立を知り、ダビデの宮殿を建てるために協力して上等の木材、大工、石工が運び込まれます。今やダビデは、主が自分を王位に就かせ、豊かな王国として下さった事をを、はっきり知ったのです。 一方、元々が古祖の土地カナンを追い出され宿敵となったイスラエルから旧領奪回を狙う、現在のパレスチナとの関係は薄いらしいが、そのペリシテ人は、サウルとその長男ヨタナンとその兄弟を殺し、今やイスラエルの仇敵的存在でした。以来、現在まで関係が薄いとはいえ、其の戦いが存続し、相互に怨敵と成っている訳ですから、この永い戦いの歴史が、亜米利加及び国連の折衝ぐらいでは解決しようもないのが理解出来ましょう。そのペリシテ人が、ダビデが全イスラエルの王になったと聞くと、何とか彼を捕らえよう上ってきます。しかし、ペリシテ人来襲の報が伝わると、ダビデは直ちに要害に立て籠って、レファイムの谷間一帯に隊を配置したぺリシテ人を打って出て、戦うべきか。 勝てるかを主に問います。「よし、打って出ろ。 ペリシテ人をおまえの手に渡そう」という主の答えに ダビデは勇んで出陣し、バアル・ペラツィムで戦い、みごと敵を打ち破ります。 「主なる神の御力だ、主は押し寄せる洪水の様に、敵をひと飲みになさった。」、その地で、ダビデがこの様に叫んだので、そこは以後、バアル・ペラツィム〔決壊〕と呼ばれるようになります。更には、ダビデ軍は、ペリシテ人が置き去りにした多くの偶像を運んでは投げ捨てました。ところが、ペリシテ人は、軍団を整え再度の反撃に出、レファイムの谷間に陣を敷きます。ダビデは、今度も主に問いますが、主の答えは、正面からは攻めてはならない。敵の背後に回り、バルサム樹の林に陣を敷き、バルサム樹の林の上から敵の行進の足音が聞こえたら出陣しなさいだ。それは、わたしが道を備え、必ず敵を滅ぼさずにはおかないからと。ダビデは主の命令に従います。結果はゲバからゲゼルに至る道で、ペリシテ人を倒すことと成ります。 ダビデの此の章からは、特段に預言者から主なる神の言葉を求めたとも書かれていないので、ダビデ自身が預言者的な力を持っていたかも知れない事が伺われます。恐らくは、預言者サムエルから主なる油を注がれた時より、レビ人から預言と律法双方の教えを聞いていたのには間違いがないでしょうから。
2012年07月26日
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「旧約聖書」聖王確立(イスラエルの理想像1) 実質的にイスラエルの初代の王として、主に油を注がれたのはサウルですが、彼は途中で神の目から見れば失格の烙印を押され、預言者サムエルからも見放されて、主なる神によって酷い頭痛に陥ります。その頭痛軽減のために召されたのが、当時、ユダの氏族で牧羊を生業にしていた琴の使い手と知られたエッサイの末子ダビデでした。 ダビデは兄達がサウルの兵である如く戦闘の教育は受けていたでしょうが、音楽の才が彼を王へと導きます。恐らく信仰及び詩文はは主なるの油を注いだサムエルの引導があったのでしょうが、軍略・戦略・政略には天賦の才を発揮します。 そのダビデがいの一番に兵を率いてエルサレムへ向かったのは、エブスと呼ばれる小さな要塞都市国家でした。ダビデは天賦の政略眼から、イスラエル王国の中央に位置するだけでなく、従来のどの氏族にも属さない、どの氏族からも不平の出ないエルサレムを首都にすることを決意していました。此の古代都市国家は急坂が多く難攻不落を誇っていましたが、軍事的天才ダビデはその弱点を掴み、そこに入り込んでいたエブス人と戦います。エブス人の「攻め入られてたまるか」の豪語を聞いたダビデは、弱点を探り水汲みの地下道をくぐって町に攻め上りシオンの要害を陥落させます。その地を自らダビデの町と呼び、本拠地に定めます。次いで、町の旧ミロ地区から北側に、現在のエルサレムの中心部に向かって、エルサレムの弱点を城壁を築上げ補強します。此れによりダビデは真実イスラエル統一の王を宣言したものと云えましょう。
2012年07月25日
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旧約聖書」聖王登場3(イスラエル統一王国成立後半) ヨアブとその兄弟アビシャイがアブネルを殺した後、サウルの子イシボセテは、元来、人望と統率力に欠けていたのか、アブネルがヘブロンで殺されたと聞くと、恐れのあまり腰を抜かし、民の動揺も一方ではありませんでした。歴史に若しもは無いにしても、ダビデの兄弟以上に愛し血友とも云える、勇猛果敢なことダビデに優り、軍略にも長けたヨタナンが生存していたなら、ダビデに主の前に誓った己はダビデの副王になるとの契りを守るにしても、ダビデはイスラエル統一をユダ一国の王として諦めていたかも知れません。しかし、歴史はダビデに味方して、時に乗じてイスラエル軍の指揮権を握って、王の略奪隊を牛耳っていたバアナとレカブの兄弟に、今や守る衛兵さえなくし、家の門を守る女は麦を煽ぎ分けている始末、それも眠くなって寝てしまい、レカブとその兄弟バアナは、ひそかに中に入り、 まんまと王を殺し、首を刎ねその首を抱えて、一晩中、荒野をひた走りに走り、ヘブロンのダビデにその首を差し出します。ところが、ダビデは自己の主君を手にかけた二人をアンモン人同様に、王に手をかける事がどれ程に許されないものか、自らの地位の保全効果を狙ったかも知れませんが、ダビデは若者たちに、二人を殺すよう命じます。 その死体は、手足を切り離され、ヘブロンの池のほとりで木に晒されます。そしてイシボセテはの首は、ヘブロンにあるアブネルの墓に運ばれ、埋葬する様に指示します。 その後、イスラエルの全部族の代表者達が、ヘブロンにいるダビデのもとに来て、忠誠を誓います。 「我々は、貴方のの血を分けた兄弟で御座います。サウルが王であった時にも、真の指導者は、貴方様でした。 主なる神が、貴方こそイスラエルの指導者だと仰せです。」と。ダビデは満足して、ヘブロンに集まったイスラエルの指導者たちと、主の前で契約を結び、 彼らはダビデを、全イスラエルの王座にダビデを据えます。ダビデは其れまでの、三十歳の時からユダの王として君臨していた七年間と、その後のエルサレムで三十三年間をイスラエルとユダの全土を治めることに漸くの事成功する事に成りました。 そのダビデが王位にあったのは其々合わせて四十年になりますが波乱はまだまだ続きます。
2012年07月24日
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市販されているものより長めでお洒落な感じが好い感じ。しかも紫外線カットが84~90%なのは嬉しい限りです。難を言えば、その分透けにくく安価なものより風が通りにくい気はしますが、どちらをとるかですね。しかし、3年間の保証書が付いて来るのには本当にビックリです。
2012年07月23日
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「旧約聖書」聖王登場3(イスラエル統一王国成立前半) ヘルカテ・ハツリムの戦いが、サウル家とダビデ家との長い戦いの始まりでした。ダビデが増々権勢を増していくのに、反して、サウル王家は衰退していきます。 戦争状態の中、アブネルはサウル家で、押しも押されぬ政治的指導者にのし上がって、その地位を利用して、サウル王の側女の一人だったリツパという娘と、関係をもつようにもなりました。更には、そのことでサウルの子イシボセテから責められると、逆切れして「たかがこれくらいのことで、文句を言われなきゃならんユダの犬なんですかね。 誰のおかげで、ダビデに売り渡されずに済んだんですか。 貴方のため、お父上のため、どれ程、この私が尽くしてきたことか。それがどうです。 あの女のことで難くせをつけて、恩を仇で返すおつもりとは。覚えておいてください。神様のお告げどおり、ダンからベエル・シェバに至る全王国を、貴方から取り上げて、ダビデにやりますよ。 もし出来なかったら、この首を差し上げましょう。」傀儡と化したイシボセテは、アブネルを恐れて返す言葉もありません。 アブネルはダビデに使者を立て、イスラエル王国を引き渡すのと交換に、自分をイスラエルとユダの連合軍の最高司令官の地位を要求します。ダビデは答えます「契約しましょう。 但し、我が妻サウル王の娘ミカルを連れて来なさい。それが条件です。」それからダビデは、使者を立てて、イシボセテに申し入れます。「私の妻ミカルを返しなさい。ペリシテ人百人の命と引き替えに娶った妻です。」、もはや力を失ったイシボセテは、自己の保全を図るために、ミカルをその夫から取り上げてしまいます。夫はバフリムまで、泣き泣きあとを追って来ますが、アブネルに「もう帰れ」の言葉で、すごすごと引き返して行きます。 此れには、ダビデのサウル家の一員として、その勢力と王権の正当性を全イスラエル認めさせる狙いから、サウルの次女ミカルを必要としたのでしょう。 その間、アブネルはイスラエルの指導者たちと協議し、一同が長年ダビデの支配を望んでいたことを、確かめ、「今こそ、時がきた。主なる神が、わたしはダビデによって、我が民をペリシテ人から、また、すべての敵から救い出そうと約束されたではないか。」とアブネルはきっぱり宣言します。 また、ベニヤミン部族の指導者たちとも話し合い、イスラエルおよびベニヤミンの人々との会見の経過を、ダビデに報告しに20二十人の部下を率いヘブロンに来ます。そのアブネルを、ダビデは祝宴を張ってもてなします。 アブネルはダビデのもとを辞する時約束します。「帰りしだいに、全イスラエルを召集します。多年のお望みが叶います。 民はあなた様に油を注いで王に選ぶでしょうから。」それを聞くダビデはアブネルを無事に送り出します。 それと入れ違いに、ヨアブとダビデ軍の兵士たちが、略奪戦利品をどっさりかかえて、奇襲攻撃から戻って来ました。ヨアブはダビデ王のもとを訪れたアブネルとの話し合いが、極めて友好的だったと聞くと、ダビデのもとへ飛んで行き 「アブネルをむざむざお帰しになるなど、もってのほかです。我が方を攻めるために、動静を探りに来たアブネルの魂胆はご存じでしょうに。」と言い、ヨアブは直ちにアブネルを追わせ、連れ戻すようにと命じます。 此の事を忠誠心の高いヨアブがダビデに到底無断で行うことは信じられません。恐らく、無言の了解があったに違いないことは、後のダビデが横恋慕した婦人の夫の殺害をヨアブに秘かに行わしめ、主を怒らせた事件から見ても確かでしょう。その追手はシラの井戸あたりでアブネル一行に追いつき、いっしょに引き返しました。 ここでダビデに肝いりの著者は述べています。 但し、ダビデはこのことを知らなかったと。そのヘブロンに着いたアブネルを、ヨアブは個人的な話があるように見せかけて、町の門の脇に呼び出し、やにわに短剣を抜きアブネルを刺し殺し、弟アサエルの仇を報います。 この一件を知らされたダビデは、公言します。「私は主に誓って言う。 私はこのアブネル殺しの罪には全く関与していない。その責任は、ヨアブとその一家にある。 ヨアブの家は子々孫々、癌やらい病に蝕まれ、不妊の者、飢え死にする者、剣に倒れる者が絶えないだろう。」 と。 更には、ダビデはそれを徹底して民に認識させるために、ヨアブとその兄弟アビシャイがアブネルを殺したのは、私讐であって、ヨアブ及び彼とともにいた全員に布告します。「アブネルのために嘆き悲しみ、喪に服せ」と、そのダビデは墓地まで棺につき添いアブネルをヘブロンに葬ります。 王も民も皆、墓の側でおいおい泣き、た。 アブネルのために泣きました。その日、ダビデは夕食を食べるように勧められますが、頑として聞き入れず、日没までは食を断ちます。 このことばかりでなく、こうしたダビデの行為をつぶさに見た、ユダとイスラエルの全国民は、アブネルの死の責任がダビデにないことを認めたのです。 ダビデは国民に言います。「きょう、イスラエルで、一人の偉大な指導者、偉大な人物が倒れた。私は主に油を注がれた王だが、ツェルヤのこの二人の息子に、何程も出来ない。 どうか主が、彼等悪者どもに報いてくださるように。」と公言しています。此処まで繰り返しアブネル殺害に加担してないことを強調するのは政略の事が有るとは云え、事実の隠蔽をしていることを疑わしめます。何しろ、ダビデをサウル王がかって「ダビデは狡猾で狡賢い奴だ」と評価しているのですから。
2012年07月23日
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「旧約聖書」聖王登場2(アブネルとヨアブの確執) ダビデがユダの長老から油を注がれユダの王と成った後、イスラエル王サウルの子イシボセテのアブネル将軍は、軍の一部を率いて、マハナイムからギべオンに向かいます。一方、ツェルヤの息子ヨアブも其の挙に応じて、ダビデの軍の一隊を率いてギべオンに出向きます。 両者はギがオンの池の畔で出会い、池を挟み向かい合った時、アブネルがヨアブに提案します。 「若者同士で、剣の腕を競わせようではないか」 と。猛者であるヨアブにも異存の有る筈はありませんでした。 互いの十二人ずつの兵士が選ばれ、死闘を演じることになりますが、相互に敵の髪の毛をつかんでは、相手のわき腹に剣を突き刺して、結局、全員が討死に。以来、此の地はヘルカテ・ハヅリム(Helkath Hazzurim)と呼ばれました。此の事が口火となり、両軍は激しい戦闘状態に陥りますが、その日のうちに、アブネルとイスラエル軍は、ヨアブの率いるダビデ軍の前に惨敗します。ところで、此の戦闘には、ヨアブの末の弟アサエルも、戦いに参加していました。 羚羊の如く素早く駆けるアサエルが、逃げるアブネルを、一心不乱に追い続けます。逃げるアブネルは振り向きざま言います。「他の者を追え。 もしおまえを殺すことにでもなれば、おまえの兄ヨアブには顔向けが出来ないではないか」と、それでも、若者の特権である功名心に逸るアサエルは、いくらアブネルが言っても耳を貸さず、向きを変えようとしません。 とうとうアブネルは、槍の石突きをアサエルの下腹部に突き刺しました。 なんと、槍は背中まで刺し貫いたではありませんか。 アサエルはばったり倒れ、息絶えます。 其の後の彼が死んでいる有様を見た者は皆は、通り過ぎる時に固唾を呑んで見守りました。今は、ヨアブとアビシャイがアブネルを追う番です。 ギベオンの荒野の道沿いにあるギアハの近くのアマの丘まで来た時、ちょうど太陽が沈み始めました。ベニヤミン部族から召集されたアブネルの一隊は、丘の上で隊を整えて待っていました。アブネルは、ふもとのヨアブに向かって叫びます。「いつまでも殺し合いを続けてはいられない。いつになったら、同胞同士で争うのを辞めさせるつもりか。」と、ヨアブは答えます。 「神様に誓うが、もしおまえがそう言ってくれなければ、我々はみな、あすの朝まで引き返しはしなかっただろう。」 そしてアサエルの死を恨みながらも、ヨアブがラッパを吹くと、兵士たちはイスラエル軍の追跡をぴたっとやめました。その夜、アブネルと兵士たちは、ヨルダン渓谷づたいに退却し、ヨルダン川を渡り、翌朝まで歩き続けて、ようやくマハナイムに帰り着きます。ヨアブの一隊も、それぞれに帰りました。 死傷者を数えてみると、ヨアブの一隊は欠けたのは兵士十九人とアサエルだけでした。一方、全員がベニヤミン部族であったアブネル側では、戦死者は三百六十人にものぼりました。ヨアブの一隊はアブネルへの復讐心を抱きながら、アサエルの死体をベツレヘムへ運び、父親のかたわらに葬ります。此処にイシボセテの軍団長アブネルとダビデの軍団長ヨアブの私怨が始まります。此の後、そのダビデへの忠誠の模範とも云えるヨアブの行動が、ダビデのヨアブに対しての不可解とも取れる公開での発言に結びつきます。それが、サウルの言の如くダビデの「狡猾で悪賢い」政略なのか、若しくは旧約聖書の述べるが如く主なる神の声に従う行動なのかは判別し難いのですが、本意はどちらにあったのでしょう。
2012年07月22日
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今やIT王国の台湾ですが。フィットネス界をも世界の最先端を走っています。テレビショッピングでも白人モデルを登場させているために台湾製とは気が付かずにいますが、それが彼らの世界戦略なのでしょう。その中でも古くから知られたヒット商品が、此のエアウォーカーです。数々のコピー商品が生み出されましたが、本物の耐久性とシンプルさとを相持った使い易さ・効果には届きません。電動ルームランナーのようなモーター回転がないので静謐性に勝れます。慣れないうちはバランスがとり難く想えるでしょうが、馴染んでくると、身体バランスが自然に身に付き、私は途中で半分眠りの状態に入ったり、両手を離してのランニング(絶対にやってはだめですが)さえ出来る様になります。出来得れば十五分程度でエンドルフィンが出るくらい頑張りましょう。そうすれば、やらないことが辛くなるので、習慣性が身に着きます。ウォーキング・腕振りウォーキング・ジョギング・上半身運動ができます。ヒップアップ・股関節・腰関節に効果的です。雨の日にウォーキングができない場合でも、家庭用ですので、気軽に行えます。【送料無料】NEWエアウォーカーデラックス BX002価格:32,000円(税込、送料込)
2012年07月21日
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で「神」の定義(11)老子の弁術で神を定義 老子が第一章で「道の道とすべきは常の道にあらず」およそこれが道だといわれている道は永遠の道ではない。と言っていますから「常の道」のことを永遠の道・自然の原理、即ち自然の理法其のものを「道」として捉えていますが、自然そのものを大宇宙の理法或いは大宇宙其の物を造物した何ものかと捉え、絶対的存在・絶対的意志・絶対的精神と読み替えることも無理とは申せませんでしょう。其れを「神」と云っても老子流に云うなら差支えないとも考えます。云わば「天理」を神と読み替えるわけです。但し、此処で注意しなければいけないのは、神には神格性の存在は認められるけれども、神の絶対精神の様態の延長とも云える人間精神が捉える仏教哲学で云う摂理を「悟り」として捉えるのではなく、俗に神に「人格性」を神の絶対精神の様態の延長とも云える人間精神の側から容易に捉えられている「人格性さえ持たされている信仰に於ける神」とを区別されている事には御理解を願います。 その人間が自己の倫理判断で、他人に倫理の強要をしたり、思想や行動を押し付けたりすることは、神の道に外れた行為であり、さらには敵対者を作り、争乱を起すことになります。「自然の理法」には善も悪も、愛憎も全てがあり、受け手である我々の選択次第で神に近付け、神を愛する事のみに帰結としての幸せがあります。たしかに人間と人間の歴史が時たま演ずる不自然な思いあがりを指摘した点で、老子の「大道廃れて仁義(真の信仰を離れた、徒な信仰に置き換えても可能かも)あり」この言葉は真理であると云えますでしょう。
2012年07月21日
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介護シリーズ(電動車いす・電動カート)寸法(長さ×幅×高さ)mm 1,200×5,540×920 重量バッテリーは除きます。102,5(75)Kg。車輪は前輪220mmノーパンクタイヤ、後輪は260mmノーバンクタイヤです。バッテリー 12V-33AH×2個 モーター(30分定格出力)380W×1。駆動方式 は後2輪駆動で制動方式は電磁安全ブレーキで安全性に勝れています。操舵方式はハンドルによる前輪操舵で制御方式はアクセルレバーによる無段階制御方式 です。充電器は直流24V・4A・車載式です。前照灯は2灯式で最高速度は前進 2~6km/h、後進 0.6~4km/h実用安全登板角度12、最小回転半径1.460mm、段差乗り越え高さ50mm、溝乗越え幅120mm 連続走行距離約35kmです 。大型ヘッドライトは広範囲を強力な明るさで照らします。風や雨から足元を守る雨や風から足元をしっかりガードする大型レッグシールドは透明素材で視界を妨げません。 フロントポケット。乗り降りラクラク車載充電器は家庭用100Vコンセントに差し込むだけの簡単充電。4輪サスペンションは走行中の振動や衝撃を吸収する4輪サスペンションです。ノーパンクタイヤ。曲がり角をゆっくり、とっさの操作にも対応。誤発進を防止します。【送料無料】操作がとても簡単 乗り降り快適、回転シート,SGマーク認定商品です。卸販売も行っ...価格:190,000円(税込、送料込)
2012年07月20日
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「旧約聖書」聖王登場1 ダビデは戦いに死んだサウルとヨタナンのために哀悼を歌った後、「私は何処へ上るべきでしょうか」と主の託宣を求め、ヘブロンを示されて、ダビデは彼に従っていた兵をその家族と共に連れて上り、彼らはヘブロンの町々に住みます。ユダの人々はそこに来て、ダビデに油を注ぎ、ユダの家の王とします。その地に行きます。しかし、彼を受け入れたのはダビデの出自のユダ族のみであり、他の氏族は依然サウル王家の支配下にありました。サウルの将軍アブネルはサウルの次男イシュ・ボシェトを立ててイスラエルの王にします。此処に全イスラエルはダビデ家とサウル家に分裂し、覇権を争う小競り合いが続きます。その小競り合いがやがて戦闘となり、両軍に死者が出るまでになりますが、戦いは常にダビデ軍に優勢でした。 ダビデが王となるべく主に油を注がれたのは10代の時、だが実際の王になるのは30代であり、20年の時が流れています。主の約束は必ず実現するが、長い時間が必要でした。約束の実現まで忍耐は主なる神への信仰があったからでしょう。ダビデはユダの王になった後も、敵対するイスラエル王サウルの子イシボセテを殺そうとはしませんでした。サウルを殺す機会が与えられても殺さなかったのと同じです。此れはダビデに対してのサウルの言の如く「狡猾で悪賢い」性格から、ダビデは兵に言ったのでしょうか。自己をも含む主に油を注がれた者に決して手を下さないように保身のために宣告している様にもとれます。それとも、「あなたの判断はたたえられ、あなたもたたえられよ。私が流血の罪を犯し、自分の手で復讐することを止めて下さいます。イスラエルの神、主は生きておられる。主は、私を引き止め、災いから守られた」の言葉通りダビデは全てを主に委ね、主の言葉を聞きながら生きる、御言葉に聞き従っていく篤信から出たものでしょうか。
2012年07月20日
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タックル連動介助ブレーキ付で見た目に配慮した、パールホワイト塗装です。反射板が装備されているので、暗い道でも安全です。ウレタン製のやわらかいキャスターで衝撃を吸収し、乗り心地に配慮。簡単にハンドルを折り畳むことが可能。アルミフレーム採用で丈夫で軽量なのも嬉しい。【送料無料】アルミ製自走車椅子 EN-5 【マキライフテック】【smtb-kd】価格:22,800円(税込、送料込)
2012年07月19日
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「中国故事」有無相い通ず 「有無相い通ず」とは、史記の「有無を交易するの道通ず」が出典で、相互の有るものと無いものとを交換融通するということです。一方の側にありもう一方にはないものを交換したり売買し、有るものを無いところに移し、無いものを有るところからもらう。各々各自がその業に励んで、交換し売買してこそ人が暮らしていけ、理想の安定した生活が出来ると云う事です。「貨殖列伝」は、そうした理想を実現しようとした斉の創始者となる太公望(BC.1100頃)と斉の名宰相・管仲(BC.600頃)を取り上げて、周の軍師となり、文王の子武王を補佐し、殷の帝辛(受王)を牧野の戦いで打ち破り、後に斉に封ぜられる太公望は山東の栄丘に領地を与えられたが、ここは塩分の多い湿地で、人びとは貧しかった。そこで太公望は婦人に工芸を勧め、技巧をきわめたかぶり物や着物、はきものをつくらせるいっぽう、この地に豊富な魚や塩を他領に売らせた。こうして「有無を相通じたところ、人も集まり物も集まり」、国は豊かになったと伝えます。しかしその斉も太公望の死後は衰え、その4世紀後、斉を立て直したのが管子です。管仲は国の経済体制を整え、塩業と漁業を盛んにして、商業を活発にし、ふたたび国を豊かにするのを斉の国を治める桓公に、商業について説明した言葉に「有無相い通ず」「倉廩(そうりん〔倉庫と同じ〕)みちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る」と説いたともいわれます。つまりは、国を強くしたければ国を富ませる必要があり、国を富ませたければ国民の生活を富ませることが必要だと云う事でしょう。現在の中国は其の最中にあり、日本にあっては、再度、此の言葉を重んじる必要が極めて大で早急の対策が急がれています。
2012年07月19日
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安いけれども素材は上質、タイトに着たい人は自分が普段着る物よりもワンサイズ小さいのがいいと思います。デザインはシンプルで飽きはこないでしょう。エンポリオアルマーニ【EMPORIO ARMANI/エンポリオ・アルマーニ】Tシャツアンダーウェアエンポ...価格:2,500円(税込、送料別)
2012年07月18日
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軽くて持ち運びも楽です。その上多機能。ノーパンクタイヤは、使わず放置しているといつの間にか空気が抜けて直ぐに使えないことが有りますから嬉しい装備で、メンテナンス要らずです。この商品は、スーパーなどにある車椅子より座面が高く、介助する側も腰を曲げることなく押せるので楽です。この値段でこの内容は申し分なしです。★商品到着後、レビューを書いていただくとポイント2倍!!ポイント2倍【送料無料】【チャップ...価格:14,900円(税込、送料込)
2012年07月18日
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「中国故事」有無相い生ず 「中論」では有無、断常等の両極端の見を嫌い、「縁起」を仲介として中道を行くことを論じていますが、此れと対照的に「有無相い生ず」として、この世は全て関係において存在する存在は相対的であり、その価値の存在その物もまた相対的なものであると断言しています。この考え方は老子の認識論の基本をなすものであり、宇宙構成の原理でもあるとしています。「天下、みな美の美たるを知ればこれ悪なるのみ、みな善の善たるを知ればこれ不善のみ。ゆえに、有無相い生じ、難易は相い成し長短は相い較し」(これが美だと認知するのは、同時に、他面に悪のあることを認知することだ。善と不善の関係もまたしかり。このように、一つの存在はそれと対立する存在を認めることによって存在する。有は無があることによって、難は易により、長は短によって存在する)と説きます。この世はすべて関係において存在するのであり、常識の世界において無という存在はない。存在するものは有である。だがしかし老子流に言うならば無なしに有は存在しえない。無と有のこの関係を、部屋や窓は、空間つまり無のあることで屋や窓として存在するという比喩で説きます。しかしながら、空間を無とすることに少々無理強いの感があります。また「天地の間はそれなおフイゴのごときか、虚にしてつきず、動いていよいよ出ず。フイゴは無があることによって始めてフイゴとして存在する。この比喩にはもう一つ別の意味が感じとれます。フイゴは存在するが、活動することによって時々刻々に形を変える。形として存在するものは従って変化するものである。生成消滅の状態において続くのである。存在が活動するとはそのようなものであり、その活動を可能にするのが無なのである。無は無限の力をもて有を生ずる。鞴はあくまでも比喩であるから、無と有の関係を完全に説明する事はできないにしても、なかなか適切な比喩であるとは云えましょう。 更には「無名は天地の始めにして、有名は万物の母というのも、有無の関係をと説いた観点の基礎として、無が有なる天地を生み、さらに発展して万物を生む。無があって次に有があるというのは時間的に無が先に存在するというのではない。有とともに無が、無とともに有が存在していると見るべし。従って有名の母も無名なるものも実は一つといってよい。絶対の世界に立てば有も無も一つ。この一を体得することを老子は「一を抱く」とか「朴を抱く」とかいう言葉で表します。一を抱いた人間は調和のと玄のまた玄なる道であり、自然であり、実在であるとしています。しかしながら老子は、無を強調し過ぎるきらいがあり、無がはじき出した有とその活動とを価値のないものの如く取り扱って、人間の有の世界を軽視し、無をより本源的なものと考え、「有は無より生ず」と言っている様にも聞こえます。 さらには、宇宙の根本的な運動・時間にしても「反(カエル)は道の動にして、弱は道の用なり。天下の物は有より生じ、有は無より生ずと言っています。道(真理)から見るならば、動くという運動は帰るという運動で、どこかへ進んでいるということは帰りつつあるというのです。物がなにかの形をとりつつるということは崩壊への第一歩だと聞こえます。また強い状態、何ごとかをなさんとする状態は運動のとまった弱い状態、意志のなくなった静の状態へかえりつつあることで、それが道の作用と説きます。有は無から生まれて無にかえる。存在することは無くなることと結論づけています。「その根に復帰する」とか「無極に復帰する」とか老子が言うのはエントロピーを云わんとしているのかも知れません。
2012年07月18日
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「旧約聖書」サタン登場 ウツの地に住むヨブは、無垢な正しい人で、神を畏れ悪を避けて生きる義の人。妻と7人の息子と3人の娘を持ち、羊7000匹、らくだ3000頭、牛500頭、雌ろば500頭、使用人も多数仕える程の東の国一番の大富豪で、息子達の宴会では、「息子が罪を犯し、心の中で神を呪ったかもしれない」と心配するあまり、相応の生贄を捧げるほどの律法遵守者です。 天上の会議で、天使(エロヒムの子、つまり神の子)の中に驚くことなかれ、神の子の一人サタンがおります。つまりは、神の一部と云える存在にサタンも含まれているのです。神が「お前はどこから来た」と問うと、「地上を巡回しておりました」とサタンは答えます。要するにサタンは地上を巡回する役目を持ち、神に敵対する者ではなく御子の一人だと云う事です。神は「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている」と自慢しながら話すと、サタンは「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。あなたは彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか。ひとつこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません。」と提案、ヨブを賭けの題材に選び、神はヨブ自身に危害を加えない事を条件にサタンが何をしても良いと伝えます。罪もない人間に不幸な試練を与える不条理な神が、その後のヨブの悲壮な体験を呼びます。 ヨブの家にその後、立続けに禍が襲います。シェバ人(現在のイエーメン)が牧童を殺して牛を略奪し、天から神の火が降って羊も羊飼いも焼け死にます。更にカルデア人(メソポタミア)が牧童を殺戮してらくだの群れを強奪し、長男の家での宴会では荒野からの大風で家屋が倒壊し息子と娘全員が死亡します。これを聞いたヨブは立ち上がり、衣を裂き髪をそり落とし、地にひれ伏して「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」と叫び、この不幸に対しても神を非難しませんでした。 天上では神とサタンの更なる賭けが始まり、神が「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。お前は理由もなく、わたしを唆して彼を破滅させようとしたが、彼はどこまでも無垢だ」と非難すると、サタンは「皮には皮を」と申します。まして命のためには全財産を差し出すものです。手を伸ばして彼の骨と肉に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません」と再度そそのかすと、神は「お前のいいようにするがよい。ただし、命だけは奪うな」と答えて、再びヨブの体への過酷な試練を許してしまいます。 ヨブの体全体が重い皮膚病に罹ります。ヨブは灰の中に座り、素焼きのかけらで体中をかきむしって苦しみます。妻が「どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう」となじりますが、「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」と反論、此の不条理にさらされても神を呪わないヨブです。その激しい苦痛は話しかけることもできない程です。 此の「旧約聖書」の神の不条理性は、怒り・嫉み・嫉妬する神、時には悔やむ神としての特徴かも知れません。しかし、神に神格より人格性を多く与えているところから来る矛盾点であることには間違いないと言わざるを得ません。
2012年07月17日
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素足感覚の柔軟さ、アッパーは軽量足沿いのよいエクセーヌ アシックス 体操シューズ 体操SF ホワイト (TGY502)はEX-TGY501アイボリーのスタンダード版、カラーは此方はホワイトですが、その他の面で見劣りするところはありません。ル-ムランナーやルームウォーカーで、つま先歩行や踵歩行、内甲・外甲思うが儘に足筋を鍛えて引き締めます。また、学校生活での普段の体育館内の運動に導入を検討されるのもいいでしょう。新作 期間限定 セール 10500円以上お買い上げで送料無料アシックス 体操シューズ 体操SF ホワイ...価格:4,095円(税込、送料別)
2012年07月16日
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「中国故事」烏合の衆 烏合の衆とは、元来烏が集まったような規律も統制もない統制の取れていない集団、只のの寄せ集まりに過ぎず纏まらないものを指し、「後漢書」には王朗を指した言葉として各所に見えます。「晉紀総論」にも、晉を大混乱に陥れ東遷させるもとをなした漢王劉淵らを称して「新起の寇、烏合の衆」と言っており、その烏合の衆に天下がひっかきまわされたのは政治が乱れていたらだというのです。(注)には曾子の言葉をあげて、「烏合の衆ははじめは相歓ぶが、後には必ず相争う」とあります。烏合というのはカラスの集団を指し、カラスの集まりは、それぞれが勝手に集まって統一感のない集団とありますが、実は烏は非常に統制のとれた集団であり此の諺は烏に失礼かもしれません。 出典は後漢書の耿エン伝で、前漢の末、外戚の王莽は権をほしいままにし、平帝を弑して儒子嬰を立て、さらにみずら新皇帝と称したが、ついに国を奪って国号を新と改めたのは西暦九年のことであった。しかし政治に失敗したため、各地に叛賊が横行し、なかでも緑林の兵や赤眉の賊はその大なるもので、天下は大混乱におちいった。この時にあたって起こったのが、のちに後漢の光武帝となった劉秀らの軍で、方々に王莽の軍を破り、二十三年には景帝の子孫である劉玄を立てて皇帝とし、ここに王莽をほろぼして再び漢の世にもどしたのであった。 しかし、王莽がほろびたとはいえ、天下が静まったわけではない。各地に群雄割拠し、赤眉の賊も未だ盛んであり、劉秀は劉玄の下に大司馬として軍事に寧日がなかった。なかでも邯鄲に拠った王朗は、もと易者であったが、われこそは成帝の子・劉子興なりとでたらめを言い、兵を大いに集めて天子と称し、勢い当たるべかざるものがあったので、翌二十四年、劉秀は軍を率いて征伐に向かったのである。ところで、河北省の上谷の太守耿况は、前々から劉秀の人格を慕っていたので、子の耿エンを劉秀の麾下につかせようと思った。耿エンはこの時二十一歳、俊敏にして思慮深く、しかも兵法が好き、もとより喜んで劉秀の下へ急ぎ向かった。漢の皇帝の子孫と偽称して挙兵した王郎の軍隊を手下の孫倉と衛包の二人は急に心変わりして「劉子興は成帝の子で、漢の正しい血統の方だ。この方をさしおいて一体どこへ行こうとするのだ。」と言い出す始末です。耿エンは二人を引張り出し、剣を抜いて言います。「烏合の衆に過ぎない王郎の軍など枯れるを挫き腐れたるを折るように簡単に蹴散らすことができる」と。しかし、二人が王朗の方へ逃げ去るのを強いては止めようともせず、劉秀の下へと急ぎます。そうして劉秀を助けて数々の武勲を立て、のちには建義大将軍になります。
2012年07月16日
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経済発展途上期の「安かろう、悪かろう」の終焉時期 「安かろう悪かろう」という言いまわしがあります「値段が安ければそれだけ質が落ちる。安い物によい物はない」と云う事です。「貧乏人は麦を食え」(多分に本意を取り違え気味)で有名な池田勇人首相の所得倍増政策時代の日本製品が海外でそういわれていたことが思い浮かびます。昭和30年頃の日本の工業製品でまともな輸出品はない。日本の輸出品は扇子とか日本人形などであった。工業製品とはいえないマッチでさえ、日本のマッチは火がつかないといわれていました。だから当時はメイドインジャパンといえば品質が悪いことの代名詞であった。日本製品にメイドインジャパンと表記するとマイナスイメージだから、その代わりにプロダクトオブジャパンと表示しようという意見もありました。時代が下って1960年代後半になると、なんとか家電製品でも車でも、品質やスペックが欧米並みになり競争が出来るようになります。それはそんなに古い時代ではなく、たった40年前の事。今はもちろんメイドインジャパンは高性能、高品質を意味するようになり、中国製品がメイドインジャパンと偽っているものは多数あるし、日本が中国に進出して製造している製品には、加工比率や主たる工程を日本で行うことにしてメイドインチャイナの代わりに合法的にメイドインジャパンと表示して、日本や海外市場で販売しているものもあるのも事実です。 現在で今、安かろう悪かろうといわれているのは、韓国製か中国製でしょう。経済発展途上期で輸出産業を重点政策に置くとこの傾向が顕著に見られますが、両国ともに日本同様オリンピックを契機として自信をつけ始めており、製品品質の向上に努めているのが解かりますが、並大抵の事ではいかないでしょう。但し、布靴に関しては中国歴史が示す通り伝統を誇り、それにドイツのアシックスが大陸中国に進出・生産したアシックス体操シューズ体操EX-TGY501アイボリーには両者の技術が活かされて耐久性に勝れています。アッパーは軽量で、足沿いのよいエクセーヌ、まさに素足感覚でのル-ムランナーやルームウォーカーでの運動時のすべり落ち等からは安全、室内履きにも適しています。但し、サイズが大雑把なので一回り上のサイズで注文。足先に詰め物などの工夫がいることも考慮しましょう。新作 期間限定 セール 10500円以上お買い上げで送料無料アシックス 体操シューズ 体操EX アイボ...価格:4,586円(税込、送料別)
2012年07月15日
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「中国故事」殷鑑遠からず 湯王を始祖とする殷王朝の最後の紂王と言えば悪王の代名詞のようになっていますが、紂王は才智武勇に勝れ、「殷鑑遠からず、夏后の世に在り」と言う西伯はじめ忠義の臣に恵まれていたにも拘わらず、夏の桀王そのままに、否それ以上の奢侈逸楽に耽ります史記によれば紂王は鋭い頭脳、達者な弁舌、猛獣を素手で倒すほどの力を持っていました。彼は妲己(だっき)と言う美女に溺れ、酒池肉林の日々をおくり、人民には重税を課し、反対者には徹底的な弾圧と過酷な刑罰を与えたということです。この話は夏王朝最後の帝、桀王(けつおう)の話に実に良く似ています。重臣の一人、西伯昌(せいはくしょう)は紂王を諌めてこう言いました。「殷鑑遠からず夏后の世にあり。」西伯昌は桀王の故事を例に取り、主君を諌めたのですが逆に紂王の怒りを買い、追放されてしまいます。さてこのような圧政に対し反対勢力が出てくるのは当然のことですが、その中心になったのが、この西伯昌・周の文王です。周は殷の勢力範囲の西方、陝西省(せんせいしょう。)の岐山(きざん)の麓にいた民族です。文王は父の王季(おうき)を殷に殺されたため、打倒殷を悲願として着々と準備を進めますが途中で死去してしまいます。文王の死後周王となった武王は父の意志を継いで諸侯を糾合し、文王の位牌を掲げ殷を打倒すべく出陣しました。そして牧野の合戦で殷を破り、逃げ帰った紂王は宮殿に放火し、玉を身にまとい焼身自殺し、ここに殷は滅びました。 その後、前256年周赧王五十九年秦軍は邯鄲敗戦後、軍備を整えてから将軍摎に韓を攻めさせた。秦軍は陽城(河南登封東南)、黍(河南登封西南)等の地を占領し、韓軍四万人を殺し、続けて趙の二十余城を落とし、趙軍九万人を殲滅させます。周赧王は秦軍の攻撃を恐れ、諸侯と連合して伊闕(河南洛陽西南。龍門)を出て秦軍と戦い、秦軍が陽城に向かう道を切断しようとしますが、秦軍は方向を変えて西周を攻めたため、西周軍が敗れ赧王は自ら秦に謝罪し、西周の領土三十六城、人口三万を秦に献上しますが、周赧王が後継者がなくて死に名義上存在していた周天子が完全に姿を消します。
2012年07月15日
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「旧約聖書」全文の概要 エズラは「旧約聖書」によれば、アロンの家系の祭司で、エレアザルまたピネハスの子孫で写字生で祭司であり学者、捕囚からの解放後、エルサレムに派遣された律法の書記官でヘブライ語とアラム語も書けたとも思われますが、エズラ記はいずれもアラム語で書かれています。もともとが「エズラ記」と「ネヘミヤ記」は1つの書物であり、「歴代誌」の続編として書かれたと推測されます。これ等は「歴代誌史家」とよばれる同じ著者グループの作品であると考えられていますが、その文体などから、「エズラ記」だけは独立した著者によるものと考える研究者もいる。 バビロン流刑後、一部の民がエルサレムに帰還した頃、ペルシア王アルタシャスタの治世第7年目、エズラは王の許可を得てバビロンからエルサレムに赴き、そして、アハワ川のほとりで断食を布告。それは、大量の家財を運ぶ時、王の護衛隊を付ける事を望まなかったからです。そして、イスラエルの民や祭司やレビ人たちが異国の妻をめとっている事を知り、自分の衣を引き裂き、異国の妻たちを追い出すよう民に命じたが、すぐには解決せず3ヶ月の期間を要します。エズラはその後も演壇に立ち民の前で律法を朗読しているのですが、「ネヘミヤ記」第九章にあるエズラの民に言った言葉の中でも以下の文言は、「旧約聖書」を要約した素晴らしい文章なので、此処に示し記載しておきます。 「(抜粋)あなたは天と、天の天と、その万象、地とその上のすべてのもの、海とその中のすべてのものを造り、そのすべてを生かしておられます。そして、天の軍勢はあなたを伏し拝んでおります。あなたこそ神である主です。あなたはアブラムを選んでカルデヤ人のウルから連れ出し、彼にアブラハムという名を与えられました。あなたは、彼の心が御前に真実であるのを見て、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、エブス人、ギルガシ人の地を、彼と彼の子孫に与えるとの契約を彼と結び、あなたの約束を果たされました。あなたは正しい方だからです。あなたはエジプトで私たちの先祖が受けた悩みを見、また、葦の海のほとりでの彼らの叫びを聞かれました。あなたは、パロとすべての家臣、その国のすべての民に対して、しるしと不思議を行われました。これは、彼らが私たちの先祖に対して、かってなことをしていたのをあなたが知られたからです。こうして、今日あるとおり、あなたは名をあげられました。あなたが彼の前で海を分けたので、彼らは海の中のかわいた地を通って行きました。しかし、あなたは、奔流に石を投げ込むように、彼らの追っ手を海の深みに投げ込まれました。昼間は雲の柱によって彼らを導き、夜は火の柱によって彼らにその行くべき道を照らされました。あなたはシナイ山の上に下り、天から彼らと語り、正しい定めと、まことの律法、良きおきてと命令を彼らにお与えになりました。あなたの聖なる安息日を彼らに教え、あなたのしもべモーセを通して、命令とおきてと律法を彼らに命じられました。彼らが飢えたときには、天からパンを彼らに与え、彼らが渇いたときには、岩から水を出し、こうして、彼らに与えると誓われたその地を所有するために進んで行くよう彼らに命じられました。しかし、彼ら、すなわち私たちの先祖は、かってにふるまい、うなじをこわくし、あなたの命令に聞き従いませんでした。彼らは聞き従うことを拒み、あなたが彼らの間で行われた奇しいみわざを記憶もせず、かえってうなじをこわくし、ひとりのかしらを立ててエジプトでの奴隷の身に戻ろうとしました。それにもかかわらず、あなたは赦しの神であり、情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かであられるので、彼らをお捨てになりませんでした。彼らが自分たちのために、一つの鋳物の子牛を造り、『これがあなたをエジプトから導き上ったあなたの神だ』と言って、ひどい侮辱を加えたときでさえ、あなたは、大きなあわれみをかけ、彼らを荒野に見捨てられませんでした。昼間は雲の柱が彼らから離れないで、道中、彼らを導き、夜には火の柱が彼らの行くべき道を照らしました。あなたは、彼らに悟らせようとし、あなたのいつくしみ深い霊を賜り、彼らの口からあなたのマナを絶やさず、彼らが渇いたときには、彼らに水を与えられました。四十年の間、あなたは彼らを荒野で養われたので、彼らは何も不足することなく、彼らの着物もすり切れず、足もはれませんでした。あなたは彼らに王国や国々の民を与え、それらを領地として割り当てられました。こうして、彼らはシホンの地、すなわちヘシュボンの王の地と、バシャンの王オグの地を占領しました。あなたは彼らの子孫を空の星のようにふやし、彼らの先祖たちに、入って行って所有せよ、と言われた地に、彼らを導き入れられました。こうして、その子孫は、入って行って、その地を所有しました。あなたは彼らの前でこの地の住民、カナン人を屈服させ、これを彼らの手に渡し、その王たちや、この地の人々も渡して、これを思い通りに扱うようにされました。(以下抜粋)」 此れだけで、「旧約聖書」のほゞ全文の概要が掴めてきます。拙い記述もみせる「旧約聖書」の中では、此の著者の筆力には誰もが驚かされるでしょう。
2012年07月14日
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世界の理想の美女がミロのヴィーナスなら、男性の理想像はミケランジェロの最高傑作のダビデでしょう。インテリアとしては馴染みが無いかもしれませんがオブジェとして抜群の存在感を放ちます。忠実に再現されており重量もありチープな感じはまったくありません。この商品を製造するメーカーが中々無いですし、購入しようとしてもどこに売っているか解らなかった物なんですよね。家に置いてあったらお客様にはビックリされること受け合い。ショップの什器等にも是非お薦めしますPortrait [ Naturally ] / ポートレート [ ナチュラリー ] PUEBCO / プエブコ 肖像 首像 オブジ...価格:49,350円(税込、送料込)
2012年07月13日
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「中国故事」井の中の蛙 井戸の中の蛙は、自分が一番大きな生き物だと思っていたところ、それを海亀が覗き込みます。彼は蛙に「こんな狭いところで何をしているのか?」と訊ねます。蛙はそれが聞き捨てならず、海亀にここの住み心地のよさを教え、彼を誘い込もうとするも、その井戸は海亀には狭すぎてとても入れたものじゃない。海亀は自分がいる海の広大さを蛙に説きます。驚き入る蛙。これは儒者が、荘子の教えを聞いて「儒家」としての自分が世に通用しないのを憂い、才ある友人が窘めたたとえ話です。つまり、「道家」の立場から見て「まだまだ考え方が狭い。だから、もっと広い視野で学問を見よ」と暗示したのである。此れから、見識が狭い、またそのような人を井蛙或いは井蛙の見と呼ぶようになります。また「荘子」の「秋水篇」には、こういう話もあります。北海の海神が言います「井蛙(井の中の蛙)が海を語ることができないのは、自分の住んでいる所にこだわるからだ。夏の虫が、ともに氷のことを語るに足りないのは、夏のことしか考えないからだ。一方のことしか知らない人と、道について語れないのは、自分の習った教えに束縛されるからだ」と。およそ、無為自然「道」をしとする荘子にとっては、仁とか義とか礼とか拘り過ぎる儒教の徒は「井の中の蛙」に見えたのでしょう。 例えば、前漢を臣下であった王莽が覆し、新たに「新」という国を立てますが、経済政策の失敗から僅か二十年で滅びます。次いで王莽の新が亡び、後漢が興ると馬援・字は文淵が兄の員とともに都にのぼり、官吏になります。ところが隴西(甘粛)の大名隗囂は、援の人物に惚れ込み、連れ帰って将軍にして何事をも相談します。此の頃、公孫述は蜀(四川省)の地で帝と称していましたが、囂は公孫述の人となりを確認すべく援に見に行かせます。援は述とは同郷で仲も良かったよしみで、自分行ったら、飛んで来て手を握り、昔日の如きに俺お前の会話が出来るだろうと楽しみにして出かけます。ところが、公孫述は階段の下へ武装した兵士をならべ援を引見した上、こけおどしの威張り方で、威厳を作ることに精いっぱいです。援は、天下の雌雄は未だ決していないのに、公孫述は礼を厚くして天下の国士賢者を迎えようともせずに、威厳を作ることに精いっぱいだ。まったく井蛙(井の中の蛙)と見切って早々に辞して帰り囂に報告、囂も公孫述と親しくするのをやめます。その後、援は囂の命を受けて後漢の世祖光武帝に会います。援は、世祖が護衛もなく自分と会見したのに感激し、「卿は刺客じゃなくて説客だし、天下の国士だよ。そんなことをしては失礼に当たるからね。」と、流石に公孫述との度量の違いを見せました。また、日本では「井の中の蛙大海を知らず」として此の諺が定着化して今に至ります。
2012年07月13日
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「中国故事」寿(いのちなが)ければ則ち辱(はじ)多し 前5~3世紀に諸子百家という並び立った諸学派中に「道家」という学派があります。老子がその祖で、列子、荘子らが発展させていくわけですが、その一人、荘子は先秦(戦国時代)における最も特異な思想家と云えます。彼は孔子を祖とする「儒家」の人々が強調する仁義道徳を小賢しい作為として排斥し、「天性に従い自然を尊び無為にして外物に侵されぬことを主とすれば天下はおのずから治まる」と説いたいわゆる無為自然の思想を説きます。あるがままにあること「自然」を愛し、何ものにもとらわれない精神的自由の境地「道」の世界を理想として、「儒家」が理想とする代表的聖人、帝・堯を彼一流の風刺や皮肉や寓言に託して、孔子たちの教義と対極にある「道家」の思想を展開します。 中国古代の伝説上の五帝(五聖君)の一人、史記に「その仁徳は天の如く万物を覆い、その知は神の如く微妙な点までゆきわたる。」と記された理想的な帝王その堯があるとき華という地方へ巡幸されたときのことである。その地の関守役人が恭しく堯の前にまかりいでて、ご挨拶を申し上げた。「おお、聖人よ、どうか私に聖人であるあなたを祝福させてください。聖人の長寿を祈りましょう」すると堯は言います。「いやいや」堯は思慮深げに微笑みをたたえながら答えます。「わしは寿命を望もうなどとは思わぬものじゃ。」、「ならばあなた様の御富のますます豊かにあられますように。」に対しては「いいえけっこうです。儂は富を増やそうなどとは夢々考えてはおりません。」ならばと、「それでは聖人に男の子が多く恵まれるように祈りましょう」と申し上げると、すると堯は「いやいや、それもわしの望まぬことじゃ。」関守役人はいぶかしげに堯の顔をみやりながら、「はてさて、寿命と富と男子の多いことは、誰でもの望むことで御座いましょうに、貴方様だけがそれをお望みなさらぬとは、何としたことでしょう。」と問います。堯の返答は「男の子が多ければそれだけ心配の種も増え、富が増えればそれだけ面倒なことも多くなり、長寿を保てばそれだけ恥を残すことも多くなります。この3つのものは徳を養うにはなんの役にも立たないものです。だからお断りしたのですよ。」(子多ければ則ち懼れ多く、富めば則ち事多く、寿ければ則ち辱多し。是の三者は徳を養う所以に非ざるなり。故に辞す)その堯の言葉から「寿(いのちなが)ければすなわち辱(はじ)多し」はここから出た言葉でますが、ああ、さすが理想的君主帝堯、言うことが違う。と関心するのは、いわゆる「儒家」であり、「道家」の荘子は話を続けます。関守の役人の目にありありと失望・軽侮のいろが現れ、彼は堯に聞こえよがしにこう呟きます。「ちぇっ、やくたいもない。堯は聖人と聞き及んでいたのに、今の言い草じゃ、たかだか君子くらいの値打ちしかない男と知れた。子供が多くともそれぞれに分相応の仕事を授けてやれば、何の心配もあるまいし、富が殖えたら殖えたで人に分け与えてやるならば、何の面倒もあるまいに。本当の聖人というものは、鶉のように棲み処を選ばず、雛鳥のように無心で食らい、鳥の飛んで跡なきがごとく自由自在であるべきもの、世間がまともであれば、皆人と共にその昌えを楽しむがよし、まともでなければ、我が身の徳を修めて隠遁するもよし、千年もの長生きをして世間が厭になったその時は、仙人となってかの白雲にうちのり上帝の郷に遊ぶもよい。病・老・死の三患に煩わされることなく、身は常に殃なしとすれば、寿くともなんで辱の多いことがあろうものか。」こう言い捨てて関守は踵をかえした。見事に虚をつかれた形の堯は、気を取りなおして後を追いけますが「さっさとお帰りなさるがよい」といって去ってしまいます。「寿ければ則ち辱多し」に対し、「三患至る莫く、身常に殃無ければ、則ち何の辱か之有らん」と、「道家」の荘子はきっぱり否定しています。 荘子はこの寓言によって、「儒家」的聖人である堯と対比しつつ「道」の世界に生きる自由自在人「道家」的聖人の姿を示唆し、理想的な生き方を「道」(タオ)に求めています。
2012年07月12日
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エアマットで使い心地抜群の評判。ネットショップで一番安く販売されているそうです。商品は使い出したら床ずれも見事に回復との声だけでなく、ショップの対応はすべてに満足との感想もあり。嬉しいのは、利用者の身体状況を判定し、ポンプ操作パネルに入力することで、マットレスの「かたさ」「動作」「厚さ」「除湿レベル」が最適な条件で自動的に設定される『アセスメント&フィッティングモード』により、間違いのない設定を可能にし、常に安全・安心な環境を提供し、介護状況に応じて、一時的な設定『リハビリモード』『背上げモード』『強力除湿モード』『ボタンロック』も可能とのこと。加えて、身体状況や転落対策の必要性に応じて、マットレスの厚さが自動的に切り替わことです。利用者の身体状況を判断して、マットの高さが自動的に切り替わる。レビューを書いてポイント2倍...価格:126,000円(税込、送料込)
2012年07月11日
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「中国故事」管中窺豹 王羲之は、書の芸術性を確固たらしめた普遍的存在として、書聖と称されていますが、末子の王献之も書を能くし、「献之は骨力は父に及ばざるも、すこぶる媚趣あり」、つまり艶っぽい美しさを秘めている書で、併せて二王(羲之が大王、献之が小王)の称をもって伝統派の基礎を形成し、後世の書の手本として、その及ぼした影響は絶大で、その書は日本においては奈良時代から手本とされてきました。その王献之の子供の時の話。或る日のこと、書生・居候といった連中が庭先の木の下にゴザを敷いて賭け事の真っ最中。献之はそれを見ていて、「南風競わず」即ち、小父さん景気悪いね、まあ、しっかりね、と言ったものだから、負けている居候がやりかえした。「この坊ちゃんもやっぱり管中窺豹で、豹のまだらの一個しか見えないんですかねえ。」つまり、管の穴から豹を覗いたって、斑の一つが見えるだけで、豹の全体はわからない。ちょっと今の形勢を見たくらいで、坊ちゃんなんかに俺の勝ち負けがわかってたまるもんかね、とやられてものだから、坊ちゃんたるもの怒って一言置いて去ります。「遠くは荀奉倩にはじ、近くは劉真長にはじよ。」何をいうか、親父の友達の劉真長なんか、博奕でもって桓温の悪逆を見抜いたんだぜと。立ち上がって着物の裾を払います。 晉書巻八十の王羲之伝の「管中窺豹」から「一斑を見て全豹を知る(または卜す)」という視野が狭いことをいう諺が出来ます。同じような言葉としては「管を以て天を窺い、隙を以て文を見る」(『史記』扁鵲倉公列伝)「莞を以て天を窺い、蠡を以て海を測る」(『漢書』東方朔伝)等々、いずれも見識の小をいいますが、「管見」とか「管穴」とかも同じで、「葦のずいから天井覗く」ことですが、逆に「一箪を知って、全般を知る」と云った言葉もあり、「朝顔に、開花を聴いて、法を知る。(自作・愚策)」ことも在れば有るかも知れません。
2012年07月11日
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2012年07月10日
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「中国故事」一箪の食一瓢の飲 儒教の祖孔子の弟子は三千人とも云われますが、、そのうち高弟は七十七人と称され、俗に此れを七十子と言います。これ等の弟子の中でも、孔子が特に賢と称し、仁と称して完璧な人格をそなえるに到った人物として、もっとも信頼していたのが顔回(字は子淵)です。弟子中聡明をもって鼻高々で孔子に窘められること度々だった子貢でさえ、「賜や何ぞ敢て回を望まん。回や一を聞いて以て十を知る。」と顔回の叡智を認めています。 名利世欲にとらわれず、自分自身を天に任せ切って、天の教え「道」自体に帰一することを無上の悦楽として、その在り様に対し、何の懐疑も抵抗もない。その伸び伸びとした姿は、野合という暗い関係から生れた孔子には、正常な夫婦関係の下に生れた顔回は、生れたままの自分に安んじ、その自我を解放して、在るがままに育成すれば「道」にもとる顔回には憧憬さえ持っていたのでしょう。「賢なるかな回や。一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り。人はその憂いに堪えず。回やその楽しみを改めず。賢なるかな回や。」と孔子をして言わしめます。「一箪の食、一瓢の飲」という言葉は、ここから出て、清貧な生活を形容する場合に用いられるようになります。 昔日の苦学生で清貧に甘んじて、それでも明るく朗らかに生活を送り、今は成功を成し遂げた方々は顔回を指針にして人生を生き抜いて来られたのでしょう。凡人には中々真似の出来る事ではありません。
2012年07月10日
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昔から本をよく読みますが、スマホは小さくipadは重く、今回は楽天からkoboがでるというので期待大です。なにより軽いし、手軽な大きさで、フォントの大小も自で、立ち読みも裸眼で片手で読めそうなのが嬉しい。無料ダウンロードの出来る種類も多く、wihiでもダウンロードができるのも魅力です。ポイント還元もあり、加えてこの値段で買えるならと。色は悩みますが、縁はブラック、ケースは派手めにレッドをお奨めします。【送料無料】kobo Touch (ブラック)価格:7,980円(税込、送料別)
2012年07月09日
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「中国故事」一将功成りて万骨枯る 世界の中華、牡丹の花に喩えられ、まさしく世界の文化の中心であった、さしもの大唐にも朝廷のおごり、租税は厳しさから各地に反乱が起こります。その鎮圧費をまかなうため、税はまたまた重くなり、地方の政治は乱れ、暮らしの目途のない民衆は各地に流浪し、山林にかくれては盗賊となった。遂には唐の土台を覆す大波となり、各地に反乱が。中でも河北におこった王仙芝は、山東に侵入して政府軍をつぎつぎに撃破、黄巣がこれに応じて、山東を荒らします。此の流れに飢えに苦しむ民衆が加わって雪達磨式に膨れ上がり、瞬くままに数十万の規模になりついに揚子江を渡り、唐の都長安を落とす勢いを示すに至り、天下各地将軍や節度使(いわば鎮守府長官)は、この時こそ「英雄の功名を立て、富貴を取るべきの好機会」と考え民衆を軍に駆り出し、互いに功名と覇を争うため、恨み無き民どうしが殺戮し合い骨となり、あるいは故郷を遠く離れて、あてもなく流浪しています。此の混乱期、僖宗の乾符六年己亥の歳に、老詩人曹松は、「沢国の江山、戦図に入る。生民なんの計あってか、樵魚を楽しまん。君にたのむ、語るなかれ封侯のこと。一将功成りて、万骨枯る」とうたい、君が、諸侯に封ぜられるとかなんとか、そんな話は聞かせないでくれ。将軍が功をたてて、諸侯になるという陰には骨となって朽ち果てる、何万もの民衆の犠牲があると嘆じています。 武勲にかがやく将軍の陰だけにかかわらず、文化や政治家の陰にもこのようにして枯れ果てる万骨があります。其のことを踏まえた上で民衆に眼を向けた指導者の出現を望みたいものです。What millions died that Caesar might be great?
2012年07月09日
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正面から日光でまぶしさをかなり軽減でき、しかも前方視界良好で、サングラスが必要なくなります。何かと便利なチケットクリップ付きで、実用性を重視した便利グッズとなります。 【サンバイザー 眩しい陽射し/紫外線をカット】 15時までにご注文で当日出荷!サンバイザー視...価格:1,480円(税込、送料別)
2012年07月08日
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「中国故事」一葉落ちて天下の秋を知る 牛鍋の肉の味をみんとするとき、鍋の肉全てを食べ尽くさなければ、味が解からないことはなく、ただ一切れで牛鍋の肉の味は知ることが出来ます。また、油気を含んだ水鳥の羽毛と湿気をよく吸う炭を秤にかけて、しばらく置けば、その傾き始める時間によって、空気の乾燥具合もわかります。即ち、小さなものを以って大きなものを知るということです。また、前漢の劉安が著わした「淮南子」の中の「説山訓」の章「一葉落ちるを見て、歳の将に暮れんとするを知り、瓶中の氷をみて、天下の寒気を知る」は梧桐の葉が一枚落ちたのを見て、年の暮が近づいたことに気付くし、瓶中の水の表面に氷が張っていれば、世の中全体寒くなっているのが解かるということです。。つまり、手近なものから遠いものを推察出来るということを説いています。此れが李子卿の「秋虫賦」では「一葉落つ天地の秋」となってみえています。 「淮南子」本来の意味では、小さな現象から大きな根本を悟らねばならない。まるで禅宗の僧侶の覚りの様な意味合いですが、現在では、寧ろ、傾城の女淀殿が、大野治長父子の讒言に乗って片桐且元が去らせたために、多くの豊家ゆかりの武士の失意を買い豊臣家の衰亡を早めたのを坪内逍遥が「桐一葉」で喩えているように、多くは衰亡の意に比重が置かれるようになりました。
2012年07月08日
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「中国故事」一網打尽 宋朝皇帝第四代仁宋のもとで、清廉剛直の誉れ高い杜衍(とえん)が宰相に登用されます。彼は帝が大臣たちに相談せずに勝手に恩賞を下す内降を、天下の政道を乱すものとして嫌い、内降があっても、悉く自分の手元で握りつぶしてしまいます。恩詔の詔旨がたまると、そのまま帝の元へと還していました。ところが、杜衍のこの行為が聖旨を勝手に曲げるものとして非難され、とりわけ杜衍のために恩詔を握り潰された者たちの恨みを買い、失脚の機会を狙っていました。 偶々、杜衍の婿の蘇舜金なる者が、公金を流用して神を祀り、客をもてなした事が発覚、この機会を待っていたのが、平素から杜衍のやり方を苦々しく思っていた、官吏の罪を糾明する御吏の長官の王洪辰、もともとは、単に「網を打って一度に多くの魚をとらえる」という意味の言葉をもって、叫んだ言葉が、「吾、一網打尽せり」だった。此の事件の為、さすがの杜衍も僅か七十日で宰相を辞めることになります。 いつの世何処の国でも、やり過ぎると、想わぬところで墓穴を掘ることがあります。「休まず、働かず、怠けず」適当にやるというのが官吏の保身の秘訣なのでしょう。
2012年07月07日
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一回の量が4錠ということで少し多い感じがしますが、体調を維持・回復出来るならと考えます。肝臓指数も病院と同じ成分を使用してる関係で正常値に戻る方も多いと聞き及んでいます。親の介護、自分自身も老いを感じる方にはお薦めできる薬剤でしょう。L-システイン配合 ドックマン肝寿(かんじゅ) 200錠【第3類医薬品】価格:3,654円(税込、送料別)
2012年07月06日
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「中国故事」慶暦の党議 宋朝皇帝第四代仁宋の時代、北は契丹が勢力を誇り、南は永く中国の一部だった安南が独立、宋建国以来の外征も度々失敗し、対外政策は専らそれらの国を懐柔する軟弱外交に終始しますが、内治にあっては見るべきものが少なからずありました。仁宋は性は恭倹、よく民を愛し、賢才を登用し、学術を奨励したので、軍備こそ整わなかったものの、国はよく治まり、賢能の士が朝野に満ち、漢の文帝と並び称される仁君と云われました。 当時の名臣としては、欧陽脩・司馬光はじめ今に名を残す勝れた人々が帝を補佐し、治世に役立ちます。此れを「慶暦の治」と呼びます。しかし、それだけに、朝議に名論卓説が百出、纏まらないこと度々、果ては党派を組んで対抗し、両党両派互いに交代して政権を握ることしきり、二十年間に内閣が十七回も変わるというめまぐるしさです。世に此れを「慶暦の党議」と称しています。 間違わないで頂きたいのは、「賢能の士が朝野に満ち」の部分です。愚能の士多くして政権が定まらないのを、決して慶暦の党議とは呼ばないことには御用心。
2012年07月06日
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UltrabookはIntel Coreマイクロプロセッサシリーズを内蔵した携帯型パソコンのコンセプトで、これまでよりも薄くて軽く、高いセキュリティと操作性を備え、長時間のバッテリー駆動が可能で価格も手頃という特徴を備えています。光学ドライブ・ハードディスクは搭載せず記憶装置はSSDのみで、薄い、軽い、速い、安いを条件にするとAcerが浮かび上がります。本当に速く、起動・終了も20秒もかかりません。スリープからの復帰時にはフタを開けた時点で、ネットが使えます。1時間と表示が出ているインストールも25分程。今、PCの市場で最も熱い製品でしょうね。日本全国送料無料!更に代引き手数料無料!【ポイント2倍】エイサー ウルトラブック「Aspire S...価格:76,480円(税込、送料込)
2012年07月05日
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「中国故事」一字千金 時は春秋戦国も末の頃、天下の覇を狙う諸侯は、競って食客を客分として掻き集めていました。中でも斉の孟嘗君、楚の春申君、趙の平原君、魏の信陵君はその数を誇ったものです。この頃、ひときわ諸侯に負けじと躍起になって食客を集めたのが、一介の商人から身をおこし、今は強国秦の宰相と成り、自分の愛妾に産ませた若年の王政、後の始皇帝を操り威勢を振るっていた呂不韋です。特に各国、其の中でも斉・楚に仕えた儒者の濁世を嘆いての数万言の書物をあらわしたのを聞くと、負けずに食客を招き命じて作らせたのが、自分が編集したものとして二十四万語よりなる呂氏春秋です。 この大仕事が、我なくして誰に出来る。天地万物古今のことはすべて此れに入っている。此の呂氏春秋を都咸陽の城門の前、立札と共に千金をぶら下げて「能く一字を増損する者あらば、千金を与えん」と、一字さえ文章を添削出来た者に千金を与える世評を創出します。此れは彼一流の商魂から築き上げた、実は天下の食客誘致策でした。
2012年07月05日
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六芒星は、異なる方向を向いた図形が重なることから、 相対するエネルギーを調和させる働きがあると考えられ ています。錬金術では六芒星を『賢者の石』を象徴する シンボルとして位置付けています。またヨーロッパでは古く から『魔除けのシンボル』として知られています。日本の陰 陽道では『清明紋』とも呼ばれ、お祓いの儀式などで用 いられてきました。加えて、知恵と賢者の石ラピスラズリと精神のバランスを司る六芒星(ダビデの星)を組み合わせた持ち主を成功へと導くリングです。ます。リングは現地イスラエルの職人より一つ一つ手作りで作られています。【知恵と賢者の石ラピスラズリと精神のバランスを司る六芒星(ダビデの星)を組み合わせた最強...価格:6,800円(税込、送料別)
2012年07月04日
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「中国故事」一念巌をも通す 名将には将たる者と武勇に人並み秀でた者があり、家代々武門である漢の李広は、後者に属して武勇に勝れ、天下に勇名を轟かせた将軍でした。彼の生まれは胡地に近い隴西で、北は匈奴の前進基地オルビス砂漠と接し国境都市らしい荒々しさに包まれています。やがてこの地で幼少時代を送った李広は、武術の訓練を受けるようになると頭角を現し、ことに弓に至っては、ことに勝れたものがありました。漢の文帝(B.C.166年)十四年のこと、匈奴が大挙して粛関を犯した時には、僅かの人数ではあるが鍛え上げた手兵を率いて、匈奴に劣らず見事な騎馬戦術と弓の腕前を見せます。数十年来匈奴から苦杯をなめさせられた文帝は、此の報を受け、手前に置きたくなり、侍従武官に任命します。 その後。文帝の狩りの御伴を仰せつかったときのこと、虎と出くわし、それと組み打ちして見事に仕止めます。(閑話休題;まあ、このあたりは、旧約聖書であれば、士師記のサムソンやサムエル記のダビデであれば獅子と成る訳です。しかし、虎の方がひとまわり体が大きく、哺乳類全般に云える事ですが、顎の力を示すバロメーターである正面顔が円いことは、シャチと同等であり、一層恐ろしく感じます。)危うく難を免れた文帝は、今更ながら驚き、高祖の時代に生まれていたらどんなに出世していただろうとまで言わしめます。 その後、李広はかねてから望んでいた辺境の守備隊長を転々とし、この間にたてた手柄は数えきれませんが、世渡りのまずさが手伝って官位は進みませんでした。かえって将軍の真価を知り抜いていたのは敵の匈奴の方で「漢の飛将軍」の名をたてまつって、あえて李広の城塞だけには窺うことをしません。その匈奴ばかりでなく、我が物顔に山野を横行する虎も安全ではありません。草原のなかの石を虎と見誤って射た時などは、矢鏃が隠れるほど深く石に突き刺さり、近よってみて石であることがわかり、あらためて射た矢は今度は突き刺さらなかったと伝えられます。李広将軍は背が高く猿のように腕が長い「猿臂」であったので、彼が弓をよくしたのは天性のものだったのでしょう。
2012年07月04日
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喉に優しく、普通の煙草が吸えなくなり驚いています。知らず知らずのうちに節煙効果が上がります。入荷しました!早い者勝ちです!送料無料[北海道・沖縄・離島別途]ネオシーダー キング 20本入...価格:12,500円(税込、送料込)
2012年07月03日
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「中国故事」石に漱ぎ流れに枕す 中国・三国時代および西晋の頃、当時は老荘の学盛んなりし時、世俗の道徳名聞を軽視して老荘の哲理を談ずることが重んぜられ、隠遁を求める傾向が強く、清談と称して士大夫の中に流行し、特に竹林の七賢は有名でした。孫楚も若い頃、その風潮をしたって山林に隠れようとしますが、40歳を過ぎて魏に仕え、揚州の対呉の最前線を守る鎮東将軍の石苞の参軍事となる。あるとき、魏の実権を握る司馬昭は呉へ降伏の使者を遣わしたことがあったが、このときの石苞の命令で呉への降伏勧告状を作成したのが孫楚です。 その孫楚が若かりし頃、俗世を離れて山林中に隠れんと、親友の宰相の王済(おうさい)に向かって、「わたくしは石を枕(まくら)とし、川のせせらぎで口をすすぐような、自然なままの暮らしをしたいと思っております。」と言おうとして、うっかり間違えて「石で口をすすぎ、流れに枕するような生活をしたいと思っている。」と言ってしまった。すかさず王済が「せせらぎは枕とすることができず、石は口をすすぐことのできるものではない。」とひやかすと、孫楚は、「せせらぎに枕するのは、俗事で汚れた耳を洗いたいからで、石で口をすすぐのは、歯を磨こうと思うからです。」と負け惜しみを言い、とうとう誤りを認めようとしなかった。 王済(おうさい)だけが彼の真の知己であった。王済は、飛び抜けて豪奢(ごうしゃ)な生活と、それでいて人前で歯に衣(きぬ)着せぬ剛直な人柄で有名であったが、孫楚と気の合う点があったようである。王済が死んだとき、孫楚は彼の棺にすがって泣き、「生前あなたは私が驢馬の鳴きまねがうまいと褒めておられたから」と言い、驢馬の鳴きまねをしてみせた。人々が笑うと、孫楚はにらみつけて、「このような立派な人が先だって、おまえたちのような奴(やつ)らが生き残るとは。」と言ったという。 この話は「晋書」孫楚伝、「世説新語」の中にみられますが、負け惜しみの強いことをいう言葉として古来もてはやされ、「さすが」という言葉に「流石」の文字をあてるのも、この故事を踏まえての事です。夏目漱石の号が此れに由来するのは有名です。
2012年07月03日
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2012年07月02日
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「中国故事」過ちては則ち改むるに憚ること勿れ 「君子、重からざれば則ち威あらず、学べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如(し)からざる者を友とすることなかれ。過てば則ち改むるに憚る「こと勿(な)かれ 」と論語の学而編で述べられていますが、孔子が「道」と呼ぶのは、仏教説く処の理法、孔子の場合は、人間の自由意思を超えた客観的に存在する「天の道」、神教的哲学云う処の思惟と神の精神の延長を指しています。 即ち、孔子の過ち」を少なくする努力とは、自己の主観的な、自己に忠実であろうとする努力を意味するのではなく、あくまで道」という権威に対して、自己を虚しゅうすること、言いかえれば、我執を去ることに帰着することに努力する人間を「君子」と言い表します。仏教哲学にあっては変化して止まない不常のものである自己や万物を常住固定化し(我見)、それに執着すること(我執)を止めることを覚れば、平安な悟りの境地(涅槃)が到来し、其のまま「空」と「縁起」の世界に入った人間を仏と称し、神教的哲学では感情や本能を離れた神の精神の延長としての我にとらわれない理性を、旧約・新約聖書にあっては我執を捨て去り神への献身による聖霊の降臨を夢想します。 それ故、孔子は躊躇は我執に生じる。「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」というのは君子たりえるための、最も根本的な考えだと説きます。
2012年07月02日
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飲み易い青汁は他社にもありますが、栄養バランスが良いのはこの商品の特徴だと思います。他社の青汁は緑黄色野菜の補助食品としてビタミンCやビタミンB群のような水溶性のビタミンが少ないような気がします。青汁三味はその点、3種類の素材をミックスすることによって、バランスよく栄養素が摂取出来るようになっていて嬉しい限りです。【1包あたり45円】大麦若葉、ケール、ゴーヤー配合ご愛飲5億杯突破のおいしい青汁【定期購入】...価格:8,100円(税込、送料込)
2012年07月01日
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「中国故事」危うきこと累卵の如し 時はまさに実力、覇道の戦国時代。一芸一能に秀でた者は実力で世に立とうと多くの者が輩出しますが、なかでも舌先三寸で諸侯の間を遊説して歩く縦横家と呼ばれる者の活躍が、空前絶後と言っていい程高かった。魏の貧乏人の子に生まれた范雎(はんしょ)も縦横家を志す一人です。まず故郷の中大夫の須賈に仕官、その供をして斉へ使者として赴き、その地で数ヶ月間を過ごします。須賈より家来の范雎の方が受けが良かったので須賈の機嫌を損じてしまいます。この時に斉の襄王が范雎の弁舌が優れていることを聞いて金十斤と牛・酒を送ってきますが、范雎はこれを断りますが、これを須賈が帰国後、魏の秘密を斉に漏らした代金としてこれらの品物を送ってきたのだろうと悪しざまに宰相の魏斉へと報告しました。魏斉は怒って范雎を竹の板で何度も打ったため、范雎はあばらを折り、歯を挫きます。これでは殺されると思った范雎は死んだ振りをしますと、魏斉は范雎を簀巻きにして厠へと放り出し、客は厠へと来るたびに范雎に小便をかけていきました。范雎は番人に「後で礼をするから」と約束して助け出してもらい、番人は魏斉に対して死体を捨ててきたと嘘を言い難を逃れます。その後、友人の鄭安平の助けを借りて体を治し、魏斉が范雎が本当に死んだかを疑っていると聞いて、張禄と言う偽名を使って逃げます。その頃、秦の昭襄王が使わした謁者(宦官)の王稽と言う者が来ていた機会に、鄭安平は張禄こと范雎をこの者に売り込み、范雎を秦へと逃がします。 謁者(宦官)の王稽は張禄を苦心惨憺して鄭安平と共に本国へ帰り、秦の昭襄王に自分が連れ帰った理由を「魏の張禄先生は天下の外交官です。秦の政治を批評して、秦は危うきこと累卵の如し、だが、私を用いれば、貴国は安泰ですと言って居られます。」と上奏します。秦王は恐らく此の不遜な客には気分を害したであろうが、別に処分もせず捨て置いたのですが、遠交近攻策辺りから頭角を現し、秦の重鎮となります。
2012年07月01日
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