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「旧約聖書」聖王以降の王達44 (列王記下)ユダ存続の戦い・主の怒りの預言 マナセ(Manasseh)は十二歳で王となり、五十五年間エルサレムで王位にあった。その母は名をヘフツィ・バと言った。彼は主がイスラエルの人々の前から追い払われた諸国の民の忌むべき慣習に倣い、主の目に悪とされることを行った。彼は父ヒゼキヤが廃した聖なる高台を再建し、イスラエルの王アハブが行ったようにバアルの祭壇を築き、アシェラ像を造った。更に彼は天の万象の前にひれ伏し、これに仕えた。主はかつて、「エルサレムにわたしの名を置く」と言われたが、その主の神殿の中に彼は異教の祭壇を築いた。彼はまた、主の神殿の二つの庭に天の万象のための祭壇を築いた。彼は自分の子に火の中を通らせ、占いやまじないを行い、口寄せや霊媒を用いるなど、主の目に悪とされることを数々行って主の怒りを招いた。彼はまたアシェラの彫像を造り、神殿に置いた。主はその神殿について、かつてダビデとその子ソロモンにこう仰せになった。「わたしはこの神殿に、イスラエルの全部族の中から選んだエルサレムに、とこしえにわたしの名を置く。もし彼らがわたしの命じるすべてのこと、すなわちわが僕モーセが彼らに授けたすべての律法を行うよう努めるなら、わたしはイスラエルをその先祖に与えた土地から二度と迷い出させない。」しかし彼らはこれに聞き従わず、マナセに惑わされて、主がイスラエルの人々の前で滅ぼされた諸国の民よりも更に悪い事を行った。主はその僕である預言者たちを通してこう告げられた。「ユダの王マナセはこれらの忌むべき事を行い、かつてアモリ人の行ったすべての事より、更に悪い事を行い、その偶像によってユダにまで罪を犯させた。それゆえ、イスラエルの神、主はこう言われる。見よ、わたしはエルサレムとユダに災いをもたらす。これを聞く者は皆、両方の耳が鳴る(災いの知らせを聞いた者を形容する表現)。わたしはサマリアに使った測り縄(「主はその上に混乱を測り縄として張ること)とアハブの家に使った下げ振り(柱などが垂直かどうかを調べるための道具で、糸の端に真鍮(しんちゅう)の逆円錐形のおもりをつるしたもの。)で計り悪を糺すものを錘として空虚をエルサレムにもたらす(この「混乱」(トーフー)と「空虚」(ボーフー)は創世記1章2節に。)。鉢をぬぐい、それをぬぐって伏せるように、わたしはエルサレムをぬぐい去る。わたしはわが嗣業(神から受け継いだ賜物、具体的には土地、富など相続財産、占有物を意味しているものと思われます。)の残りの者を見捨て、敵の手に渡す。彼らはそのすべての敵の餌食となり、略奪の的となる。彼らは先祖がエジプトを出た日から今日に至るまでわたしの意に背くことを行い、わたしを怒らせてきたからである。」マナセは主の目に悪とされることをユダに行わせて、罪を犯させた。彼はその罪を犯したばかりでなく、罪のない者の血を非常に多く流し、その血でエルサレムを端から端まで満たした。マナセの他の事績、彼の行ったすべての事、彼の犯した罪は、ユダの王の歴代誌に記されている。マナセは先祖と共に眠りにつき、自分の宮殿の庭園、すなわちウザの庭園に葬られた。その子アモンがマナセに代わって王となった。 「列王記」は彼を、バアル崇拝、アシタロテ崇拝を再興し、国民を苦しめる不敬虔で邪悪な王として描き、ユダ王国の滅亡の直接的な原因はマナセの罪であったとしています。また、預言者イザヤはマナセによって、鋸で切り裂かれて殺害されています。考古学的に見ても、マナセの政策はアッシリアとの朝貢関係が原則となっており、父ヒゼキヤが反アッシリア政策を採り独立を保とうとしたのとは対照的でした。アッシリア側の碑文にも、マナセがエサルハドンに貢ぎ物を納めたと記録されています。宗主国の神を崇めることは、当時のオリエントでの外交関係では事大の証しとしてよく見られたことであり、マナセのバアルやアシタロテ信仰への傾倒と、ヒゼキアのユダヤ信仰への傾倒は、世俗的な外交姿勢と自主独立との対立でしょう。なお、「列王記」とは対照的に、「歴代誌」はマナセがバビロンに連行された際に改心し、その後、偶像や悪事を捨てて良い政治を行ったと記しています。後者の見方から旧約聖書外典の「マナセの祈り」が著されました。死後、息子アモンが王位を継いだが、暗殺され、その後を継いだ王が、申命記改革を断行したヨシヤでした。
2012年10月31日
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「旧約聖書」聖王以降の王達43 (列王記下)ユダ存続の戦い・バビロンの罠 アッシリアの王センナケリブに代わってその子エサル・ハドンが王となった、そのころ、ヒゼキヤは死の病にかかった。預言者、アモツの子イザヤが訪ねて来て、「主はこう言われる。あなたは死ぬことになっていて、命はないのだから、家族に遺言をしなさい」と言った。ヒゼキヤは顔を壁に向けて、主にこう祈った。「ああ、主よ、わたしがまことを尽くし、ひたむきな心をもって御前を歩み、御目にかなう善いことを行ってきたことを思い起こしてください。」こう言って、ヒゼキヤは涙を流して大いに泣いた。イザヤが中庭を出ないうちに、主の言葉が彼に臨んだ。「わが民の君主ヒゼキヤのもとに戻って言いなさい。あなたの父祖ダビデの神、主はこう言われる。わたしはあなたの祈りを聞き、涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやし、三日目にあなたは主の神殿に上れるだろう。わたしはあなたの寿命を十五年延ばし、アッシリアの王の手からあなたとこの都を救い出す。わたしはわたし自身のために、わが僕ダビデのために、この都を守り抜く。」イザヤが、「干しいちじくを取って来るように」と言うので、人々がそれを取って来て患部に当てると、ヒゼキヤは回復した。ヒゼキヤはイザヤに言った。「主がわたしをいやされ、わたしが三日目に主の神殿に上れることを示すしるしは何でしょうか。」イザヤは答えた。「ここに主によって与えられるしるしがあります。それによって主は約束なさったことを実現されることが分かります。影が十度進むか、十度戻るかです。」ヒゼキヤは答えた。「影が十度伸びるのは容易なことです。むしろ影を十度後戻りさせてください。」そこで預言者イザヤが主に祈ると、主は日時計の影、アハズの日時計に落ちた影を十度後戻りさせられた。そのころ、バビロンの王、バルアダンの子メロダク・バルアダンは、ヒゼキヤが病気であるということを聞いて、ヒゼキヤに手紙と贈り物を送って来た。ヒゼキヤは使者たちを歓迎し、銀、金、香料、上等の油など宝物庫のすべて、武器庫、また、倉庫にある一切のものを彼らに見せた。ヒゼキヤが彼らに見せなかったものは、宮中はもとより国中に一つもなかった。預言者イザヤはヒゼキヤ王のところに来て、「あの人々は何を言ったのですか。どこから訪ねて来たのですか」と問うた。ヒゼキヤは、「彼らは遠い国、バビロンから来ました」と答えた。更に、「彼らは王宮で何を見たのですか」と問うと、ヒゼキヤは、「王宮にあるものは何もかも見ました。倉庫の中のものも見せなかったものは何一つありません」と答えた。そこでイザヤはヒゼキヤに言った。「主の言葉を聞きなさい。王宮にあるもの、あなたの先祖が今日まで蓄えてきたものが、ことごとくバビロンに運び去られ、何も残らなくなる日が来る、と主は言われる。あなたから生まれた息子の中には、バビロン王の宮殿に連れて行かれ、宦官にされる者もある。』」ヒゼキヤはイザヤに、「あなたの告げる主の言葉はありがたいものです」と答えた。彼は、自分の在世中は平和と安定が続くのではないかと思っていた。ヒゼキヤの他の事績、彼の功績のすべて、貯水池と水道を造って都に水を引いたことは、ユダの王の歴代誌に記されている。ヒゼキヤは先祖と共に眠りにつき、その子マナセがヒゼキヤに代わって王となった。 紀元前8世紀頃は強国アッシリアがオリエントの覇権を握っていた時代である。バビロンはまだこの頃、それほど力を持っている国ではなかったが、アッシリアに対抗するために同盟関係を結ぼうと近隣諸国に接近していた。一方、預言者イザヤは「同盟」ということに対して否定的であり、常に「神にのみ依り頼め」と主張します。バビロン王は、近隣諸国と同盟関係を結びたいという願いを持ち、ヒゼキヤ王に使者を遣わしたと思われます。この計らいをヒゼキヤ王は非常に喜び、使者たちを歓迎し、銀、金、香料、上等の油など宝物庫のすべて、武器庫、また、倉庫にある一切のものを彼らに見せる程に気を許してしまいました。アッシリアから脅しの手紙を受け取り窮地に立たされた時、ヒゼキヤ王は神殿で祈りを捧げる彼が、バビロン王からの喜ばしい手紙を受け取った時は、まず神に感謝の祈りをささげるのではなく、有頂天になり、見せびらかすようなことをしてしまった。持ち上げられると喜んで気を緩めてしまうのは、人間誰しも同じである。このことが預言者イザヤの耳にも入るところとなり、問われるままにヒゼキヤ王はありのままをイザヤに伝えます。イザヤは「王宮にあるもの、あなたの先祖が今日まで蓄えてきたものが、ことごとくバビロンに運び去られ、何も残らなくなる日が来る」という神の言葉を告げます。約200年後に起こる「バビロン捕囚」の預言でした。ヒゼキヤ王のしてしまったことが後々禍根を残すという叱責に対し、ヒゼキヤ王は「あなたの告げる主の言葉はありがたいものです」と答えます。この不可解な言葉を肯定的に解釈すると、ヒゼキヤ王は「警告」としてイザヤの言葉を信仰により前向きに受け止めたという解釈、否定的に解釈すれば、自分の在世中は平和と安定が続くのではないかと思って皮肉で持って答えたとも取れます。此れを「身勝手、無責任」と受け止めるのか、「せめて自分の時代はしっかり責任を果たしていかなければならないという決意」と受け止めるのか。現代に生きる我々が旧約聖書から何を受け取っていくのかというテーマでしょう。またヒゼキヤが民の生活と国防のために怠ることなく働いた王であるということが以下の事からも解ります。補給基地の町を造って、穀物、ぶどう酒、油など農産物を蓄え、畜舎を造ってあらゆる種類の家畜を飼い、柵を造って羊の群れを飼い、町を幾つも造り、上の方にあるギホンの湧き水をせき止め、ダビデの町の西側に向かって流れ下るように困難な仕事を成し遂げたのも、防衛のために城壁を高く築こうとする時、その中に水を確保するのは大変重要なテーマであったからです。
2012年10月31日
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「旧約聖書」の背景・ユダ存続の戦いとアッシリアの敗北の事情 紀元前701年にアッシリア帝国の王セナケリブ(前705年-前681年)はユダ王国を攻撃します。この戦いに関しては、アッシリア帝国の楔形文字の記録や碑文により、旧約聖書の記載事項の詳細にわたる信憑性が完全に裏付けられました。当時のアッシリア帝国では国王セナケリブが帝国内の各地の反乱に見舞われていた。ユダヤの王ヒゼキヤもパレスチナの諸国やエジプトと手を組み、アッシリアに対抗していました。アッシリアのサルゴン二世の死後、セナケリブは王に即位して帝国を安定させると、前701年年に反抗するパレスチナへ軍隊を南下させ、フェニキアを攻めたのち、アフェク、ベト、ダゴン、ヨッファ、ベネ、ベラク、アゾル、シドキアの町々を奪い、最終目標はユダのエルサレムでした。服従しなかったユダヤの王ヒゼキヤに関して言えば、土地に傾斜地を設け、攻囲兵器と坑道を掘り突破し、攻城する歩兵の攻撃とによって彼の26の城壁のある町々とそれを囲む無数の小さな村落を包囲し征服しました。(セナケリブ碑文) このようなアッシリア王セナケリブの包囲攻撃に備えてユダの王ヒゼキヤはエルサレム防備のために準備、城壁を直し、櫓を建てて強固な要塞にします。中でも特筆すべきなのは「ヒゼキヤ王のトンネル工事」でしょう。それは、「ギボンの泉」から涌き出る水をセナケリブに利用されないように隠して、城内までトンネルを掘って引き入れることでした。旧約聖書の歴代誌には次のように書かれています。「ヒゼキヤは、セナケリブが攻め入って、エルサレムに向かって戦おうとしているのを見たので、彼のつかさ達、勇士達たちと相談をし、この町の外にある(ギホンの)泉の水をふさごうとした。彼らは王を支持した。そこで多くの民が集まり、すべての泉とこの地を流れている川をふさいでいった。「アッシリアの王たちに、攻め入らせ豊富な水を見つけさせてなるものか」と。ユダヤの王ヒゼキヤはこのように応戦体制を整える一方で、ヒゼキヤはラキシュにいたセナケリブに貢物を納めて戦いを逃れようともしています。だが、ユダヤのヒゼキヤ王から貢物を受け取っただけではアッシリアのセナケブリは満足せず、彼は逆に司令官ラブシャケとともに大軍をエルサレムに派遣してエルサレムを包囲してヒゼキヤの完全降伏をせまりました。このようなアッシリアの高圧的な包囲に対して、ユダの預言者イザヤは「主は言われる。今、私は彼(セナケリブ)のうちにひとつの霊を入れる。彼は、ある噂を聞いて自分の国に引き揚げる。私はその国で彼を剣で倒す」という預言しています。ここでアッシリア軍は「ある噂」を聞いて撤退、その噂とはおそらくエジプト軍が援軍を送ったという噂でしょう。アッシリア軍の戦略、周りの都市を壊滅させて孤立化させて滅ぼす戦略上、背後に敵を抱くのは危険極まりないものでした。事実、勇猛な織田信長でさえ背後を浅井長政に襲われ、優位から一転、挟撃される危険に陥った信長は命からがら撤退をしています。聖書には、王セナケブリは、クシュの王ティルハカにについて「今、彼はあなたと戦うために出てきている」ということを聞いた」と書いてあるからです。このティルハカとは、エジプト第25王朝のタハルカ(前609-前664)のことです。この時、エジプト軍は同盟国であるパレスチナ諸国を助けるために軍隊を送りました。アッシリアのセナケリブがラキシュで軍勢を二分し、一方はセナケリブに導かれてりブナを攻撃し、もう一方はラブシャケに導かれてエルサレムを攻撃したとき、ティルハカはアッシリアを攻撃するチャンスと考えました。これこそ預言者イザヤが預言した「うわさ」です。このうわさを聞いて、ラブシャケはエルサレムの包囲をといてリブナの方へ向かったのである。但し、アッシリア軍の合流があまりに速やかだったために、ティルハカは攻撃のチャンスを失いエジプトに引き上げています。しかしそれはエルサレムの危機が去ったことを意味しなかった。エジプト軍が去った今こそアッシリア軍が総力を挙げてエルサレムを攻撃してくることは明白です。しかし預言者イザヤはアッシリア軍について「アッシリアの王について、主はこうおおせられる。彼はこの町に侵入しない。また、ここに矢を放たず、これに盾を持ってせまらず、砦を築いてこれを攻めることもない。彼はもと来た道から引き返し、この町に入らない」と預言しています。 事実、セナケリブは侵入してこなかった。それは聖書の記述とセナケリブ自身の記述によって裏付けされています。「その夜、主の使いが出ていって、アッシリアの陣営で、18万5000人を打ち殺した。人々が翌朝、早く起きてみると、なんと彼らは皆死体となっていた。アッシリアの王セナケリブは立ち去り、帰って首都ニネベに住んだ。「主の使いのみわざ」と書いてあるだけで、具体的に何があったのか分からないが、まったく予期しない何かがおきてアッシリア軍は撤退したのでしょう。、セナケリブの陣営に何かが突然発生し、彼は退却を余儀なくされたのである。それは疫病若しくは神の御わざといわれる別のパワーが働いたのかもしれなませんが。神の全能の象徴であるエジプトの過ぎ越しで有名な「死の天使」がアッシリアの陣営を襲います。しかし、この戦争について書いたヘロドトスの報告から推測、鼠によって伝染させられたペストに原因があった可能性が高いでしょう。セナケブリは聖書の述べるように、彼の息子の1人によって殺害された。しかしこの出来事は、ニネベに帰還して20年後のことでした。
2012年10月30日
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「旧約聖書」聖王以降の王達42 (列王記下)ユダ存続の戦い・アッシリアへの主の報復 手紙を使者の手から受け取って読み、主の神殿に上って行ったヒゼキヤは、それを主の前に広げ、主の前で祈った。「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ。あなただけが地上のすべての王国の神であり、あなたこそ天と地をお造りになった方です。主よ、耳を傾けて聞いてください。主よ、目を開いて御覧ください。生ける神をののしるために人を遣わしてきたセンナケリブの言葉を聞いてください。主よ、確かにアッシリアの王たちは諸国とその国土を荒らし、その神々を火に投げ込みましたが、それらは神ではなく、木や石であって、人間が手で造ったものにすぎません。彼らはこれを滅ぼしてしまいました。わたしたちの神、主よ、どうか今わたしたちを彼の手から救い、地上のすべての王国が、あなただけが主なる神であることを知るに至らせてください。」アモツの子イザヤは、ヒゼキヤに人を遣わして言った。「イスラエルの神、主はこう言われる。『アッシリアの王センナケリブのことであなたがわたしにささげた祈りをわたしは聞いた。』主がアッシリアの王に向かって告げられた言葉はこうである。おとめである、娘シオンは/お前を辱め、お前を嘲る。娘エルサレムは/お前に背を向け、頭を振る。 お前は誰をののしり、侮ったのか。誰に向かって大声をあげ/高慢な目つきをしたのか。イスラエルの聖なる方に向かってではなかったか。お前は使者を送って/主をののしって言った。『わたしは多くの戦車を率いて/山々の高みに駆け登り/レバノンの奥深く進み/最も高く伸びたレバノン杉も/最も見事な糸杉も切り倒した。その果てに達した宿営地は/木の生い茂る森林であった。わたしは井戸を掘って異国の水を飲んだが/エジプトのナイルの水流はことごとく/足の裏で踏みつけて干上がらせた。』お前は聞いたことがないのか/はるか昔にわたしが計画を立てていたことを。いにしえの日に心に描いたことを/わたしは今実現させた。お前はこうして砦の町々を/瓦礫の山にすることとなった。力を失ったその住民は/打ちのめされて恥に覆われ/野の草、青草のように/穂をつける前にしなびる/屋根に生える草のようになった。お前が座っているのも/出て行くのも、入って来るのも/わたしは知っている。またわたしに向かって怒りに震えていることも。お前がわたしに向かって怒りに震え/その驕りがわたしの耳にまで昇ってきたために/わたしはお前の鼻に鉤をかけ/口にくつわをはめ/お前が来た道を通って帰って行くようにする。あなたにそのことを示すしるしはこうである。今年は落ち穂から生じた穀物を食べ、二年目は自然に生じたものを食べ、三年目には種を蒔いて刈り入れ、ぶどう畑を作り、その実りを食べる。ユダの家の中で難を免れ、残った者たちは再び根を下ろし、上には実を結ぶ。エルサレムから残った者が、シオンの山から難を免れた者が現れ出る。万軍の主の熱情がこれを成就される。それゆえ、主はアッシリアの王についてこう言われる。彼がこの都に入城することはない。またそこに矢を射ることも、盾を持って向かって来ることも、都に対して土塁を築くこともない。 彼は来た道を引き返し、この都に入城することはない、と主は言われる。わたしはこの都を守り抜いて救う。わたし自らのために、わが僕ダビデのために。」その夜、主の御使いが現れ、アッシリアの陣営で十八万五千人を撃った。朝早く起きてみると、彼らは皆死体となっていた。アッシリアの王センナケリブは、そこをたって帰って行き、ニネベに落ち着いた。彼が自分の神ニスロクの神殿で礼拝しているときに、アドラメレクとサルエツェルが彼を剣にかけて殺した。彼らはアララトの地に逃亡し、センナケリブに代わってその子エサル・ハドンが王となった。 アッシリアの行なった残虐行為は、決して主の許されるようなものではありませんでした。忠実な王だったヒゼキヤに助けを求められた神はそれに応じ、一人の御使いによって一夜のうちにアッシリアの精鋭18万5千人を殺害し、セナケリブはニネベに逃げ帰る事になり、後日、その息子達によって暗殺されました。アッシリアのセナケリブの壁画には、捕虜や分捕り物を検閲しているセナケリブが描かれていますが、18万5千人の精鋭を失い、エルサレムを陥落する事ができなかったという、アッシリアにとって歴史的な敗北を喫したため、それを恥じたアッシリアの後の王たちによって削られたのではないかと考えられています。
2012年10月29日
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「旧約聖書」聖王以降の王達41 (列王記下)ユダ存続の戦い・アッシリアへの恐怖 ラブ・シャケは、王がラキシュをたったということを聞いて引き返し、リブナを攻撃しているアッシリアの王と落ち合った。王はそこでエチオピヤ(クシュ)の王ティルハカについて、「あなたと戦いを交えようと軍を進めている」との知らせを受けた。彼は再びヒゼキヤに使者を遣わして言わせた。「ユダの王ヒゼキヤにこう言え。お前が依り頼んでいる神にだまされ、エルサレムはアッシリアの王の手に渡されることはないと思ってはならない。お前はアッシリアの王たちが、すべての国々を滅ぼし去るために行ったことを聞いているであろう。それでも、お前だけが救い出されると言うのか。わたしの先祖たちはゴザン、ハラン、レツェフおよびテラサルにいたエデンの人々を打ち滅ぼしたが、これらの諸国の神々は彼らを救いえたであろうか。ハマトの王、アルパドの王、セファルワイムの町の王、ヘナやイワの王はどこに行ったのか。」ヒゼキヤはこの手紙を使者の手から受け取って読むと、主の神殿に上って行った。 ところで、ラキシュはエルサレムの南西24キロに位置し、エジプトとエルサレムを結ぶ戦略上の要所で古くから有名な都市国家でした。ヨシュア記では、ラキシュの王は他の4人の王と共に、裁き人ヨシュアと和を結んだギベオンに対して軍事行動をとりますが、、主の助けを得たヨシュアはギベオンのために戦い、連合軍を打ち破り、ラキシュも含め、全ての都市を滅ぼします。そのラキシュはユダの王レハベアムの治世中に軍事的に強化され、強力に防備の施された都市となります。西暦前732年には、アッシリアの王セナケリブによって、エルサレムの攻撃に先だって包囲されました。この事はユダの王ヒゼキヤが、「ラキシュのアッシリアの王のところに人をやった」という記述と一致します。セナケリブはエジプトの軍を警戒していたために、エルサレムより先にラキシュを攻撃したと考えられます。聖書の中では実際にセナケリブがリブナの近くにいる際に、「エチオピアの王ティルハカ」(エジプトのファラオ・タハルカと同一人物と考えられています)が戦うために出てきたという事が書かれています。ラキシュに対するアッシリア軍の攻撃は恐ろしく強力で残忍なものでした。ニネベのセナケリブの宮殿から発掘された壁画には、戦闘の様子から、捕虜や分捕り物の検閲の様子までが描かれています。アッシリアの軍は破城槌、弓矢、そして石投げ器を使って攻撃を仕掛けています。見せしめのためには人間を串刺しにして公開することも躊躇しません。アッシリア人はほとんどの場合捕虜を残忍に扱いました。目をくりぬき、耳や鼻をそいで、手足を切り落としたりしました。アッシリアの兵士達は捕虜の皮をはぎ、そのまま何時間か生かしておく事さえしたようです。アッシリアのこのような残忍な行動は、彼らが残虐な性質であったというだけでなく、他の国や都市に対するみせしめでもあったのです。多くの国や都市は恐れの余り戦う事無く屈し、アッシリアのくびきを進んで負ったようです。そのくびきに服さなかったエルサレムに関しては、セナケリブが遣わした使者によって、ラキシュでのこのような行為がエルサレムの全住民の知るところとなったのです。アッシリアの軍に囲まれたときのヒゼキヤ王を含め全ての民がどのように感じたかはが察せられます。
2012年10月28日
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「旧約聖書」聖王以降の王達40 (列王記下)ユダ存続の戦い・預言者イザヤ ヒルキヤの子である宮廷長エルヤキム、書記官シェブナ、アサフの子である補佐官ヨアは衣を裂き、ヒゼキヤのもとに来てラブ・シャケの言葉を伝えた。ヒゼキヤ王はこれを聞くと衣を裂き、粗布を身にまとって主の神殿に行った。ところで、旧約聖書によく出てくるこの[衣を裂く]という表現ですが、ユダヤ文化の表現方法は、言いたい事を強調するために大げさに表現する傾向があります。衣を裂くという表現が聖書の中に幾度も出てきます。これは神への冒涜を恐れて、嘆く感情を表現し、怒りや悲しみを表現する言葉です。ユダヤ人は怒りや悲しみを表現するために自分の服を引き裂くんです。実際には衣服を引き裂かなかったとしても、衣を裂くという表現を読めばユダヤ人には怒ってるんだということが解ります。また、身近な人が死ぬというような悲しみに暮れる時には、[灰をかぶる]という表現もありますが、これも本当に灰をかぶるということもあるのでしょうが、これは悲しみに絶望している時のユダヤ的表現方法です。 ヒゼキヤは、大きな脅威の前で初めてうろたえました。これまで主に祈り、主に頼り、それで勝利していきましたが、アッシリヤの巧妙で、強靭な攻撃を目の前にして、彼は狼狽えています。アッシリヤは、相手に恐怖を植え付ける方法に長けていました。北イスラエルを倒すときは、直接、首都のサマリヤを倒すことはしません。周囲の北イスラエルの町々を滅ぼしていき、そして捕囚の民として連行して、その悲惨な姿を残されたサマリヤの住民に見せつけて、それからサマリヤを包囲して、彼らが降参するのを待ちます。この戦法をアッシリヤはユダに対しても行ないました。直接エルサレムに行かず、南下して、エルサレムの北にあるユダの町々を滅ぼし、さらに南下して地中海に面した町々を倒して、それからエルサレムに来ます。ラキシュという町から、アッシリヤの王はエルサレムに大軍を送りましたが、ラキシュはエルサレムの南東50キロほどのところにあります。遺跡の発掘で約15万体の住民の遺骨が出てきたということですが、そこに住む住民をそれだけ虐殺したのです。このようにしてエルサレムを包囲してきたので、日ごろは主に頼り、主に祈っていたヒゼキヤもうろたえてしまったのです。そして銀や金をアッシリヤの王に与えて、彼を宥めようとしました。けれども、この試みは失敗します。相手を打ち、滅ぼし、征服することを考えていたアッシリヤには、何を行なってもその思いを変えることはできなかったのです。 彼は宮廷長エルヤキム、書記官シェブナ、および祭司の長老たちに粗布をまとわせ、アモツの子の預言者イザヤのもとに遣わした。彼らはイザヤに言った。ヒゼキヤはこう言われる。「今日は苦しみと、懲らしめと、辱めの日、胎児は産道に達したが、これを産み出す力がない。生ける神をののしるために、その主君、アッシリアの王によって遣わされて来たラブ・シャケのすべての言葉を、あなたの神、主は恐らく聞かれたことであろう。あなたの神、主はお聞きになったその言葉をとがめられるであろうが、ここに残っている者のために祈ってほしい。」と。ヒゼキヤ王の家臣たちにイザヤは言った。「あなたたちの主君にこう言いなさい。主なる神はこう言われる。あなたは、アッシリアの王の従者たちがわたしを冒涜する言葉を聞いても、恐れてはならない。見よ、わたしは彼の中に霊を送り、彼がうわさを聞いて自分の地に引き返すようにする。彼はその地で剣にかけられて倒される。」と預言します。 預言者イザヤが繰り返し「アモツの子」と呼ばれているため、アウグスティヌスはその著書[神の国]の中で、預言者アモスの子であるとし、アモスの活動後約10年程してイザヤは召命しと推測されています。ただし、アモス、ホセアが北のイスラエル王国で活動したのに対し、前8世紀の預言者イザヤは、南のユダ王国の首都エルサレムで活動した宮廷預言者でした。そのため、アモスやホセアが主に出エジプトの伝承に拠っていたのに対し、イザヤにおいては、ダヴィデ王家とシオン(エルサレム)の伝承が重視されます。南王国ではほぼ同時代にミカ書によって知られる預言者ミカが活動をしていますが、預言者イザヤがバビロニヤ捕囚を預言したのに対し、ミカはエルサレムの徹底的な破壊をも預言した点が異なっています。
2012年10月27日
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「旧約聖書」聖王以降の王達39 (列王記下)ユダ存続の戦い・ヒゼキヤ王 イスラエルの王、エラの子ホシェアの治世第三年に、ユダの王アハズの子ヒゼキヤが王となった。彼は二十五歳で王となり、二十九年間エルサレムで王位にあった。その母は名をアビといい、ゼカルヤの娘であった。彼は、父祖ダビデが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行い、聖なる高台を取り除き、石柱を打ち壊し、アシェラ像を切り倒し、モーセの造った青銅の蛇を打ち砕いた。イスラエルの人々は、このころまでこれをネフシュタンと呼んで、これに香をたいていたからである。彼はイスラエルの神、主に依り頼んだ。その後ユダのすべての王の中で彼のような王はなく、また彼の前にもなかった。彼は主を固く信頼し、主に背いて離れ去ることなく、主がモーセに授けられた戒めを守った。主は彼と共におられ、彼が何を企てても成功した。彼はアッシリアの王に刃向かい、彼に服従しなかった。彼はペリシテ人を、ガザとその領域まで、見張りの塔から砦の町まで攻撃した。 ヒゼキヤ王の治世第四年、イスラエルの王、エラの子ホシェアの治世第七年に、アッシリアの王シャルマナサルがサマリアに攻め上って来て、これを包囲し、三年後に占領した。サマリアが占領されたのは、ヒゼキヤの治世第六年、イスラエルの王ホシェアの第九年であった。アッシリアの王はイスラエル人を捕らえてアッシリアに連れて行き、ヘラ、ハボル、ゴザン川、メディアの町々にとどまらせた。こうなったのは、彼らが自分たちの神、主の御声に聞き従わず、その契約と、主の僕モーセが命じたすべてのことを破ったからである。彼らは聞き従わず、実行しなかった。 ヒゼキヤ王の治世第十四年に、アッシリアの王センナケリブが攻め上り、ユダの砦の町をことごとく占領した。ユダの王ヒゼキヤは、ラキシュにいるアッシリアの王に人を遣わし、「わたしは過ちを犯しました。どうかわたしのところから引き揚げてください。わたしは何を課せられても、御意向に沿う覚悟をしています」と言わせた。アッシリアの王はユダの王ヒゼキヤに銀三百キカルと金三十キカルを課した。ヒゼキヤは主の神殿と王宮の宝物庫にあったすべての銀を贈った。またこのときユダの王であるヒゼキヤは、自分が金で覆った主の神殿の扉と柱を切り取り、アッシリアの王に贈った。アッシリアの王は、ラキシュからタルタン、ラブ・サリスおよびラブ・シャケを大軍と共にヒゼキヤ王のいるエルサレムに遣わした。彼らはエルサレムに上って来た。彼らは上って来て、布さらしの野に至る大通りに沿って上の貯水池から来る水路の傍らに立ち止まった。彼らは王に呼びかけると、ヒルキヤの子である宮廷長エルヤキム、書記官シェブナ、アサフの子である補佐官ヨアが彼らの前に出て行った。そこでラブ・シャケは彼らに言った。「ヒゼキヤに伝えよ。大王、アッシリアの王はこう言われる。なぜこんな頼りないものに頼っているのか。ただ舌先だけの言葉が戦略であり戦力であると言うのか。今お前は誰を頼みにしてわたしに刃向かうのか。今お前はエジプトというあの折れかけの葦の杖を頼みにしているが、それはだれでも寄りかかる者の手を刺し貫くだけだ。エジプトの王ファラオは自分を頼みとするすべての者にとってそのようになる。お前たちは、「我々は我々の神、主に依り頼む」と言っているが、ヒゼキヤはユダとエルサレムに向かい、「エルサレムにあるこの祭壇の前で礼拝せよ」と言って、その主の聖なる高台と祭壇を取り除いたのではなかったか。今わが主君、アッシリアの王とかけをせよ。もしお前の方でそれだけの乗り手を準備できるなら、こちらから二千頭の馬を与えよう。 戦車について、騎兵についてエジプトなどを頼みにしているお前に、どうしてわが主君の家臣のうちの最も小さい総督の一人すら追い返すことができようか。わたしは今、主とかかわりなくこの所を滅ぼしに来たのだろうか。主がわたしに、「この地に向かって攻め上り、これを滅ぼせ、とお命じになったのだ。」ヒルキヤの子エルヤキムとシェブナとヨアは、ラブ・シャケに願った。「僕どもはアラム語が分かります。どうぞアラム語でお話しください。城壁の上にいる民が聞いているところで、わたしどもにユダの言葉で話さないでください。」だがラブ・シャケは彼らに言った。「わが主君がこれらのことを告げるためにわたしを遣わしたのは、お前の主君やお前のためだけだとでもいうのか。城壁の上に座っている者たちのためにも遣わしたのではないか。彼らもお前たちと共に自分の糞尿を飲み食いするようになるのだから。」ラブ・シャケは立ってユダの言葉で大声で呼ばわり、こう言い放った。「大王、アッシリアの王の言葉を聞け。王はこう言われる。ヒゼキヤにだまされるな。彼はお前たちをわたしの手から救い出すことはできない。ヒゼキヤはお前たちに、主が必ず我々を救い出してくださる、決してこの都がアッシリアの王の手に渡されることはない、と言って、主に依り頼ませようとするが、そうさせてはならないと。ヒゼキヤの言うことを聞くな。アッシリアの王が、わたしと和を結び、降伏せよ。そうすればお前たちは皆、自分のぶどうといちじくの実を食べ、自分の井戸の水を飲むことができる。やがてわたしは来て、お前たちをお前たちの地と同じような地、穀物と新しいぶどう酒の地、パンとぶどう畑の地、オリーブと新鮮な油と蜜の地に連れて行く。こうしてお前たちは命を得、死なずに済むと。ヒゼキヤの言うことを聞くな。彼は、主は我々を救い出してくださる、と言って、お前たちを惑わしているのだ。諸国の神々は、それぞれ自分の地をアッシリア王の手から救い出すことができたであろうか。ハマトやアルパドの神々はどこに行ったのか。セファルワイムやヘナやイワの神々はどこに行ったのか。サマリアをわたしの手から救い出した神があっただろうか。国々のすべての神々のうち、どの神が自分の国をわたしの手から救い出したか。それでも主はエルサレムをわたしの手から救い出すと言うのか。」しかし民は、答えてはならないと王ヒゼキヤに戒められていたので、押し黙ってひと言も答えなかった。 アッシリアに対抗するためには、メソポタミヤの新興国バビロニアに頼ろうとする人もいたし、エジプトに頼って難局を逃れようとした人たちもいた。史実的にはヒゼキヤは前703年にはバビロニアと、前702年にはエジプトと秘密協定を結んでいます。ヒゼキヤも信仰に徹することは出来なかったのです。軍事力では比較にならない、驕るアッシリア人は言葉を民衆にもわかるヘブル語で述べ続けます。ユダヤの民はアッシリア軍の包囲の中で、主に頼り続けるかどうかの選択肢を迫られ、ヒゼキヤは主により頼むといいながら、バビロニアやエジプトに頼ってしまいます。そこには、イスラエルの悲惨な運命が待ち構えていることも知らずに。
2012年10月26日
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「旧約聖書」聖王以降の王達38 (列王記下)一神教と多神教 アッシリアの王はバビロン、クト、アワ、ハマト、セファルワイムの人々を連れて来て、イスラエルの人々に代えてサマリアの住民とした。この人々がサマリアを占拠し、その町々に住むことになった。彼らはそこに住み始めたころ、主を畏れ敬う者ではなかったので、主は彼らの中に獅子を送り込まれ、獅子は彼らの何人かを殺した。彼らはアッシリアの王にこう告げた。「あなたがサマリアの町々に移り住ませた諸国の民は、この地の神の掟を知りません。彼らがこの地の神の掟を知らないので、神は彼らの中に獅子を送り込み、獅子は彼らを殺しています。」アッシリアの王は命じた。「お前たちが連れ去った祭司の一人をそこに行かせよ。その祭司がそこに行って住み、その地の神の掟を教えさせよ。」こうして、サマリアから連れ去られた祭司が一人戻って来てベテルに住み、どのように主を畏れ敬わなければならないかを教えた。しかし、諸国の民はそれぞれ自分の神を造り、サマリア人の築いた聖なる高台の家に安置した。諸国の民はそれぞれ自分たちの住む町でそのように行った。バビロンの人々はスコト・ベノトの神を造り、クトの人々はネレガルの神を造り、ハマトの人々はアシマの神を造り、アワ人はニブハズとタルタクの神を造り、セファルワイム人は子供を火に投じて、セファルワイムの神々アドラメレクとアナメレクにささげた。彼らは主を畏れ敬ったが、自分たちの中から聖なる高台の祭司たちを立て、その祭司たちが聖なる高台の家で彼らのために勤めを果たした。 このように彼らは主を畏れ敬うとともに、移される前にいた国々の風習に従って自分たちの神々にも仕えた。彼らは今日に至るまで以前からの風習に従って行い、唯只管に主のみを畏れ敬うこともなく、主がイスラエルという名をお付けになったヤコブの子孫に授けられた掟、法、律法、戒めに従って行うこともない。主は彼らと契約を結び、こう戒められた。「他の神々を畏れ敬ってはならない。これにひれ伏すことも、仕えることも、生贄をささげることもあってはならない。大いなる力と伸ばした腕をもってあなたたちをエジプトの地から導き上った主にのみ畏れを抱き、その前にひれ伏し、生贄をささげよ。主があなたたちのために記された掟と法と律法と戒めを、常に実行するように努めよ。他の神々を畏れ敬ってはならない。わたしがあなたたちと結んだ契約を忘れてはならない。他の神々を畏れ敬ってはならない。あなたたちの神、主にのみ畏れを抱け。そうすれば、主はすべての敵の手からあなたたちを救い出してくださる。」しかし、彼らは聞き従わず、ただ以前からの風習に従って行うばかりであった。このように、これらの民は主を畏れ敬うとともに、自分たちの偶像にも仕えていました。 アッシリアは支配地の住民を連れ去って、別の地から住民を連れてきてそこに住まわせる政策で、帝国を維持するための方策を講じます。アッシリアに連れ去られた住民は同化し民族性をなくし、残った住民は移住の異民族と混血し、新しい民族サマリア人が生まれてきます。このサマリア人は生き残ったユダヤ人と後々までも犬猿の仲になる。イエスの時代、ユダヤ人はサマリア人とは交際しなかった。ヨハネ伝「サマリアの女の話」、ルカ伝の「良きサマリア人のたとえ」もこの歴史を理解しないと真意は伝わらない。ヨハネ伝では「サマリアの女は「ユダヤ人のあなたがサマリアの女の私に、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである」。
2012年10月25日
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「旧約聖書」聖王以降の王達37 (列王記下)鼎立時代の終焉 アハズは二十歳で王となり、十六年間エルサレムで王位にあった。彼は父祖ダビデと異なり、自分の神、主の目にかなう正しいことを行わなかった。彼はイスラエルの王たちの道を歩み、主がイスラエルの人々の前から追い払われた諸国の民の忌むべき慣習に倣って、自分の子に火の中を通らせることさえした。彼は聖なる高台、丘の上、すべての茂った木の下でいけにえをささげ、香をたいた。その頃、アラムの王レツィンとイスラエルの王、レマルヤの子ペカがエルサレムを攻めようとして上って来た。彼らはアハズを包囲したが、戦いを仕掛けることができなかった。このとき、アラムの王レツィンはエイラトを取り戻してアラムのものとし、ユダの人々をエイラトから追い出した。その後エドム人がエイラトに来て住み着きます。アハズはアッシリアの王ティグラト・ピレセルに使者を遣わして言わせた。「私は貴方の僕、貴方の子です。どうか上って来て、私に立ち向かうアラムの王とイスラエルの王の手から、私を救い出してください。」アハズはまた主の神殿と王宮の宝物庫にある銀と金を取り出し、アッシリアの王に贈り物として送った。アッシリアの王はその願いを聞き入れ、ダマスコに攻め上ってこれを占領し、その住民を捕虜としてキルに移し、レツィンを殺します。アハズ王は、アッシリアの王ティグラト・ピレセルに会おうとしてダマスコに行き、ダマスコにある祭壇を見、祭司ウリヤにその祭壇の見取り図とその詳しい作り方の説明書を送ったので、祭司ウリヤはアハズ王がダマスコから送って来たものそっくりに祭壇を築いた。しかもダマスコにある祭壇そっくりに、祭司ウリヤは王がダマスコから帰って来るまでにそれを仕上げた。王はダマスコから帰って来て、その祭壇を見た。王はその祭壇に近づいて、その上で献げ物をささげ、その上で焼き尽くす献げ物と穀物の献げ物を燃やして煙にし、ぶどう酒の献げ物を注ぎ、自分のための和解の献げ物の血を祭壇に振りかけた。主の御前にあった青銅の祭壇は、神殿の前から、すなわち新しい祭壇と主の神殿の間から移して、新しい祭壇の北側に据えた。アハズ王は祭司ウリヤにこう命じた。「この大きな祭壇の上で、朝の焼き尽くす献げ物と夕べの穀物の献げ物、王の焼き尽くす献げ物と穀物の献げ物、すべての国の民の焼き尽くす献げ物と穀物の献げ物を燃やして煙にし、ぶどう酒の献げ物を注げ。また焼き尽くす献げ物の血とほかの献げ物の血をすべてこの祭壇に振りかけよ。あの青銅の祭壇は私が伺いを立てるのに用いる。」祭司ウリヤはすべてアハズ王が命じたとおりに行った。アハズ王は台車の鏡板を切り離し、台車の上から洗盤を取り外し、また「海」をその支えになっていた青銅の牛の上から降ろし、敷石の上に置いた。彼はまたアッシリアの王のために、神殿の中に建てられている安息日用の廊と外側にある王の入り口を主の神殿から取り除いた。アハズの行った他の事績は、ユダの王の歴代誌に記されている。アハズは先祖と共に眠りにつき、ダビデの町に先祖と共に葬られた。その子ヒゼキヤがアハズに代わって王となった。 ユダの王アハズの治世第十二年に、エラの子ホシェアがサマリアでイスラエルの王となり、九年間王位にあった。彼は主の目に悪とされることを行ったが、彼以前のイスラエルの王たちほどではなかった。アッシリアの王シャルマナサルが攻め上って来たとき、ホシェアは彼に服従して、貢ぎ物を納めた。しかし、アッシリアの王は、ホシェアが謀反を企てて、エジプトの王ソに使節を派遣し、アッシリアの王に年ごとの貢ぎ物を納めなくなったのを知るに至り、彼を捕らえて牢につないだ。アッシリアの王はこの国のすべての地に攻め上って来た。彼はサマリアに攻め上って来て、三年間これを包囲し、ホシェアの治世第九年にサマリアを占領した。彼はイスラエル人を捕らえてアッシリアに連れて行き、ヘラ、ハボル、ゴザン川、メディアの町々に住ませた。こうなったのは、イスラエルの人々が、彼らをエジプトの地から導き上り、エジプトの王ファラオの支配から解放した彼らの神、主に対して罪を犯し、他の神々を畏れ敬い、主がイスラエルの人々の前から追い払われた諸国の民の風習と、イスラエルの王たちが作った風習に従って歩んだからである。イスラエルの人々は、自分たちの神、主に対して正しくないことをひそかに行い、見張りの塔から砦の町に至るまで、すべての町に聖なる高台を建て、どの小高い丘にも、どの茂った木の下にも、石柱やアシェラ像を立て、主が彼らの前から移された諸国の民と同じように、すべての聖なる高台で香をたき、悪を行って主の怒りを招いた。主が、「このようなことをしてはならない」と言っておられたのに、彼らは偶像に仕えたのである。主はそのすべての預言者、すべての先見者を通して、イスラエルにもユダにもこう警告されていた。「貴方たちは悪の道を離れて立ち帰らなければならない。私が貴方たちの先祖に授け、また私の僕である預言者たちを通して貴方たちに伝えたすべての律法に従って、私の戒めと掟を守らなければならない。」しかし彼らは聞き従うことなく、自分たちの神、主を信じようとしなかった先祖たちと同じように、かたくなであった。彼らは主の掟と、主が先祖たちと結ばれた契約と、彼らに与えられた定めを拒み、空しいものの後を追って自らも空しくなり、主が同じようにふるまってはならないと命じられたのに、その周囲の諸国の民に倣って歩んだ。彼らは自分たちの神、主の戒めをことごとく捨て、鋳像、二頭の子牛像を造り、アシェラ像を造り、天の万象にひれ伏し、バアルに仕えた。息子や娘に火の中を通らせ、占いやまじないを行い、自らを売り渡して主の目に悪とされることを行い、主の怒りを招いた。主はイスラエルに対して激しく憤り、彼らを御前から退け、ただユダの部族しか残されなかった。(北イスラエル王国の滅亡)、比較的、政権の安定して存続していたいるユダもまた自分たちの神、主の戒めを守らず、イスラエルの行っていた風習に従って歩き続け、主はそこでイスラエルのすべての子孫を拒んで苦しめ、将来的には、侵略者の手に渡し、ついに御前から捨てられることになります。(ユダ王国はなお存続) かって、主がダビデの家から全イスラエルをユダ王国のみ残して裂き取られたとき、このイスラエルの人々はネバトの子ヤロブアムを王としたが、ヤロブアムはイスラエルを主に従わないようにしむけ、彼らに大きな罪を犯させた。それを、イスラエルの人々はヤロブアムの犯したすべての罪に従って歩み、それを離れなかったのです。 イスラエルを滅ぼしたのはアッシリアではなく、主である神であった。彼らは罪により、自壊していった。主は預言者を起こして彼らの悔い改めを求められたが、彼らは聞こうとしなかった。アモスの預言「見よ、主は手に下げ振りを持って、下げ振りで点検された城壁の上に立っておられる。主は私に言われた「アモスよ、何が見えるか。私は答えた「下げ振りです。主は言われた「見よ、私はわが民イスラエルの真ん中に下げ振りを下ろす。もはや、見過ごしにすることはできない。イサクの塚は荒らされイスラエルの聖なる高台は廃虚になる。私は剣をもってヤロブアムの家に立ち向かう」。ホセアの預言では「サマリアは罰せられる。その神に背いたからだ。住民は剣に倒れ、幼子は打ち殺され、妊婦は引き裂かれる」と。慈しみと怒りの神の鉄槌がくだされました。
2012年10月24日
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「旧約聖書」聖王以降の王達36 (列王記下)忍び寄るアッシリアの影 ユダの王アザルヤの治世第三十八年に、ヤロブアムの子ゼカルヤがサマリアでイスラエルの王となり、六か月間王位にあった。彼は先祖たちが行ったように主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を離れなかった。ヤベシュの子シャルムが謀反を起こし、民の前でゼカルヤを打ち殺し、代わって王となった。ゼカルヤの他の事績は、イスラエルの王の歴代誌に記されている。主はかつてイエフに、「貴方の子孫は四代にわたってイスラエルの王座につく」と告げられたが、そのとおりになった。ユダの王ウジヤの治世第三十九年に、ヤベシュの子シャルムが王となり、一か月間サマリアで王位にあった。ガディの子メナヘムは、ティルツァからサマリアに上って来て、そのサマリアでヤベシュの子シャルムを打ち殺し、代わって王となった。シャルムの他の事績、彼が起こした謀反のことは、イスラエルの王の歴代誌に記されている。そのとき、メナヘムはティフサとそのすべての住民、領地をティルツァから攻撃した。彼らが城門を開かなかったのでこれを討ち、そのすべての妊婦を切り裂いた。ユダの王アザルヤの治世第三十九年に、ガディの子メナヘムがイスラエルの王となり、サマリアで十年間王位にあった。彼は主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を一生離れなかった。アッシリアの王プルがその地に攻めて来たとき、メナヘムは銀一千キカルをプルに貢いだ。それは彼の助けを得て自分の国を強化するためであった。メナヘムはアッシリアの王に銀を貢ぐため、イスラエルのすべての有力者に各人銀五十シェケルずつ出させた。アッシリアの王はこの地にとどまらずに引き揚げた。メナヘムの他の事績、彼の行ったすべての事は、イスラエルの王の歴代誌に記されている。 メナヘムは先祖と共に眠りにつき、その子ペカフヤがメナヘムに代わって王となった。ユダの王アザルヤの治世第五十年に、メナヘムの子ペカフヤがサマリアでイスラエルの王となり、二年間王位にあった。彼は主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を離れなかった。彼の侍従、レマルヤの子ペカが謀反を起こし、サマリアの宮殿の城郭で、五十人のギレアド人と組んで、アルゴブおよびアルイエと共にペカフヤを打ち殺した。こうしてペカが代わって王となった。ペカフヤの他の事績、彼の行ったすべての事は、イスラエルの王の歴代誌に記されている。ユダの王アザルヤの治世第五十二年に、レマルヤの子ペカがサマリアでイスラエルの王となり、二十年間王位にあった。彼は主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を離れなかった。イスラエルの王ペカの時代に、アッシリアの王ティグラト・ピレセルが攻めて来て、イヨン、アベル・ベト・マアカ、ヤノア、ケデシュ、ハツォル、ギレアド、ガリラヤ、およびナフタリの全地方を占領し、その住民を捕囚としてアッシリアに連れ去った。エラの子ホシェアはレマルヤの子ペカに対して謀反を起こし、彼を打ち殺し、代わって王位についた。それはウジヤの子ヨタムの治世第二十年のことであった。ペカの他の事績、彼の行ったすべての事は、イスラエルの王の歴代誌に記されている。イスラエルの王、レマルヤの子ペカの治世第二年に、ユダの王ウジヤの子ヨタムが王となった。彼は二十五歳で王となり、十六年間エルサレムで王位にあった。その母は名をエルシャといい、ツァドクの娘であった。彼は、父ウジヤが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行った。ただ聖なる高台は取り除かず、民は依然としてその聖なる高台でいけにえをささげ、香をたいていた。彼はまた主の神殿の上の門を建てた。ヨタムの他の事績、彼の行った事は、ユダの王の歴代誌に記されている。そのころから、主はアラムの王レツィンとレマルヤの子ペカをユダに差し向け、これを攻めさせられた。ヨタムは先祖と共に眠りにつき、父祖ダビデの町に先祖と共に葬られた。その子アハズがヨタムに代わって王となった。レマルヤの子ペカの治世第十七年に、ユダの王ヨタムの子アハズが王位に就きます。 旧約聖書はアッシリアについて著述された文献のうち、後代まで継続して受け継がれた数少ない文献の一つです。旧約聖書の中ではアッシリアは主なる神が送られた外敵として描かれます。取り分け列王記の中の記述では、アッシリアがイスラエルに攻め込んだ模様、そしてイスラエル王国やユダ王国がそれにどのように対応したかが、主の預言を通して宗教的修飾を伴うものの詳しく叙述されています。始めてアッシリアの王プル王(ティグラト・ピレセル三世)がイスラエルに侵攻して以来、イスラエルとユダの王が時に貢物を贈って災禍を免れたことや、アッシリア統治下でイスラエル人達が各地に強制移住させられたこと、そして元の土地には入れ替わりにバビロニアなど各地の人間が入植させられたことが記述されている。アッシリアは帝国を維持するために各種の方策を講じますが、最も有名なものの一つが大量捕囚政策としてしられる被征服民の強制移住である。強制移住自体はオリエント世界に広く見られた手段ですが、アッシリアのそれはその組織性と規模において史上例を見ないものでした。特にティグラト・ピレセル三世の治世以降は、急激に拡大した領土での反乱防止と職人の確保を目的としてたびたび行われました。旧約聖書のアッシリア観は近現代の研究者達にも多大な影響を与えましたが、現在、アッシリア学の進歩に伴って旧約聖書的理解はもはや一般的ではなくなりました。それでも旧約聖書が極めて重要な史料であることに関しては疑いを入れる余地はない。またアッシリア王の名前は旧約聖書のヘブライ語表記に基づいたものが広く普及しています。
2012年10月23日
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「旧約聖書」聖王以降の王達35 (列王記下)ヤロブアム二世の時代 アマツヤが先祖と共に眠りについた後、ユダの王アザルヤはエイラトの町を再建して、ユダに復帰させた。ユダの王、ヨアシュの子アマツヤの治世第十五年に、イスラエルの王、ヨアシュの子ヤロブアムがサマリアで王となり、四十一年間王位にあった。彼は主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を全く離れなかった。しかし、イスラエルの神、主が、ガト・ヘフェル出身のその僕、預言者、アミタイの子ヨナを通して告げられた言葉のとおり、彼はレボ・ハマトからアラバの海までイスラエルの領域を回復した。主は、イスラエルの苦しみが非常に激しいことを御覧になったからである。つながれている者も解き放たれている者もいなくなり、イスラエルを助ける者もいなかった。しかし、主はイスラエルの名を天の下から消し去ろうとは言われず、ヨアシュの子ヤロブアムによって彼らを救われたのである。ヤロブアムの他の事績、彼の行ったすべての事、戦いの功績、またユダのものとなっていたダマスコとハマトをイスラエルに復帰させたことは、イスラエルの王の歴代誌に記されている。ヤロブアムは先祖と共に、イスラエルの王たちと共に眠りにつき、その子ゼカルヤがヤロブアムに代わって王となったと、(列王記下)では北イスラエルの王ヤロブアム二世時代を全く評価していません。しかし、歴史的にはイスラエルはヤロブアム二世の四十一年間に、前代未聞の繁栄を享受しました。それを、彼は主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を全く離れなかったと非難しています。史実では、彼はハマトの入り口(レバノン国境)から、アラバの海(死海)までの領域に渡る支配を確立、それはソロモン王の時代にも匹敵する領土を確保しています。ヤロブアム王時代にアモスとホセアが預言活動を始めます。国は栄えたが、道徳的には腐敗した時代だったというわけです。ユダの王、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代、イスラエルの王ヨアシュの子ヤロブアム二世の時代に、ベエリの子ホセアに臨んだ主の言葉。主はホセアに言われた「行け、淫行の女をめとり、淫行による子らを受け入れよ。この国は主から離れ、淫行にふけっているからだ」。預言者ホセヤに語る主の声は、預言者の中でも、ホセアに大変特異な役目を担わされます。それは淫行にふける女性と結婚させられるからです。その事によって、主は、民の神からの離反を身を持ってホセアに教えます。実存形態で、ホセアは神の言葉を語っています。恐らく、ホセアほど、自らの問題と民の問題を深刻に捉えた預言者もいないでしょう。兎角自分の問題と、社会の問題がすり替わってしまったり、混線したりしますが、彼の場合は、自分の家庭と、社会とが密接に結びついています。この背信の国、北イスラエルと運命を共にして来たが、今やこの国は、主に見捨てられ、、前代未聞の繁栄も破滅の状況であることを意味し、これがホセアに祖国を見放し、南のユダに亡命でもするか、という絶望的な状態を起こさせます。 一方、イスラエルの王ヤロブアムの治世第二十七年に、ユダの王、アマツヤの子アザルヤが王位に就きます。彼は十六歳で王となり、五十二年間エルサレムで王位にあった。その母は名をエコルヤといい、エルサレムの出身でした。彼は、父アマツヤが行ったように、主の目にかなう正しいことを悉く行った。但し聖なる高台は取り除かず、民は依然として聖なる高台で生贄を屠り、香をたいていました。主が王を打たれたので、王アザルヤは死ぬ日まで重い皮膚病に悩まされ、隔離された家に住んだ。王子ヨタムが王宮を取りしきり、国の民を治めた。アザルヤの他の事績、彼の行ったすべての事は、ユダの王の歴代誌に記されています。アザルヤは先祖と共に眠りにつき、ダビデの町に先祖と共に葬られ、その子ヨタムがアザルヤに代わって王位に就きます。
2012年10月22日
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「旧約聖書」聖王以降の王達34 (列王記下)聖なる高台 イスラエルの王、ヨアハズの子ヨアシュの治世第二年に、ユダの王ヨアシュの子アマツヤが王となった。彼は二十五歳で王となり、二十九年間エルサレムで王位にあった。その母は名をヨアダンといい、エルサレムの出身であった。彼は父祖ダビデほどではなかったが、父ヨアシュが行ったように、主の目にかなう正しいことを悉く行った。ただ聖なる高台は取り除かず、民は依然として聖なる高台でいけにえを屠り、香をたいていた。なお、聖なる高台とは新共同訳聖書での訳語で、口語訳聖書では高き所 、文語訳聖書では崇邱 (たかをか/たかきところ)と和訳す。原語のバマは本来{高い所}というほどの意味で、現代ヘブライ語では舞台の意味でも用いられます。形式は、神(特にアシェラ)の依代となる聖木や石柱があり、これに付随して建物と祭壇が設けられています。 原語の意味の通り丘陵地に設けられるのが普通だが、後には人工の高台や大木の下にも設けられた.ヘブライ人たちは、自分たちの神ヤハウェを祀る為にもこれを用いた。サムエル記上では、サムエルとサウルが出会い、会食する舞台ともなっています。 また、列王記上によれば、ソロモン王はギブオンにある聖なる高台で千頭もの生贄を捧げ、それによってヤハウェから、名高い智恵を授かったという。また、ヘブライ人たちは後に、ヤハウェとともに異民族の神であるバアルやアシェラ、天体の神々をも崇めるようになり、それらも聖なる高台で祀った。これらの神々への崇拝や異民族の習慣である聖なる高台の使用は、純正なヤハウェ信仰を守ろうとする聖職者層から敵視されるが、ソロモン王をはじめとする多くのイスラエル王国為政者たちはこれを容認しました。列王記下第23章によれば、南ユダ王国のヨシヤ王は、異民族の習慣であるこの聖なる高台の使用を禁じ、ヤハウェへの祭祀はエルサレム神殿でのみ行うよう命じた。だがそれでも一掃はできず、聖なる高台での神々への祭祀はエレミヤの時代まで続いていたという。ユダの王ヨアシュの子アマツヤは国を掌握すると、父ヨアシュ王を殺害した家臣たちを打ち殺した。しかし、モーセの律法の書に記されているところに従い、殺害者の子供たちは殺さなかった。主がこう命じておられるからである。「父は子のゆえに死に定められず、子は父のゆえに死に定められない。人は、それぞれ自分の罪のゆえに死に定められる。」アマツヤは塩の谷で一万人のエドム人を打ち、セラを攻め落とし、その名をヨクテエルと名付けた。こうしてそれは今日に至っている。次いでアマツヤは、イスラエルの王、イエフの孫でヨアハズの子であるヨアシュに使者を遣わし、「来るがよい、戦いを交えよう」と言わせた。だが、イスラエルの王ヨアシュは、ユダの王アマツヤに次のような返事を送った。「レバノンのあざみがレバノンの杉に、貴方の娘を私の息子の嫁にくれと申し込んだが、レバノンの野の獣が通りかかって、あざみを踏み倒してしまった。貴方はエドムを打ち破って思い上がっている。その栄誉に満足して家にとどまっているがよい。なぜ挑発して災いを招き、貴方だけでなく、ユダも一緒に倒れるようなことをするのか。」しかし、アマツヤはこれを聞き入れなかった。イスラエルの王ヨアシュは上って来て、ユダのベト・シェメシュでユダの王アマツヤと戦いを交えた。 14その結果、ユダはイスラエルに惨敗し、兵はおのおのその天幕に逃げ帰ってしまった。イスラエルの王ヨアシュはベト・シェメシュで、アハズヤの孫でヨアシュの子であるユダの王アマツヤを捕らえ、エルサレムに来て、その城壁をエフライムの門から角の門まで四百アンマにわたって破壊した。また彼は、主の神殿と王宮の宝物庫にあるすべての金と銀、祭具および人質を取って、サマリアに凱旋した。ヨアシュが成し遂げた他の事績、ユダの王アマツヤと戦った功績については、イスラエルの王の歴代誌に記されている。ヨアシュは先祖と共に眠りにつき、イスラエルの王たちと共にサマリアに葬られた。その息子ヤロブアムがヨアシュに代わって王となった。ユダの王、ヨアシュの子アマツヤは、イスラエルの王、ヨアハズの子ヨアシュの死後、なお十五年生き永らえた。アマツヤの他の事績は、[ユダの王の歴代誌]に記されている。彼に対する謀反がエルサレムで企てられたため、彼はラキシュに逃れたが、ラキシュに送られた追っ手によって殺された。その遺体は馬に乗せてエルサレムに運ばれ、ダビデの町に先祖と共に葬られた。ユダのすべての民は当時十六歳であったアザルヤを選び、父アマツヤの代わりに王とした。
2012年10月20日
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「旧約聖書」聖王以降の王達33 (列王記下)神の人エリシャの死 ユダの王、アハズヤの子ヨアシュの治世第二十三年に、イエフの子ヨアハズがサマリアでイスラエルの王となり、十七年間王位にあった。彼は主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪に従って歩み、それを離れなかった。主はイスラエルに対して怒りを燃やし、(シリヤ)の軍隊が蹂躙するに任せられた。即ち、彼らを絶えずアラムの王ハザエルの手とハザエルの子ベン・ハダテの手にお渡しになった。しかし、ヨアハズが主をなだめたので、主はこれを聞き入れられた。主はイスラエルが圧迫されていること、アラムの王が彼らに圧迫を加えていることを御覧になったからである。主はイスラエルに一人の救い手を与えられた。一人の救い手とは、主がイスラエルのためにアラムを撃つ者を与えられ、具体的にはアッシリヤの台頭によりアラムの勢力が減殺され、一時的にイスラエルがその領土を回復したことを指すのであろう。それ故、イスラエルの人々はアラムの支配から解放されて、以前のように自分たちの天幕に住めるようになった。しかし彼らは、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの家の罪を離れず、それに従って歩み続けた。サマリアにはアシェラ像が立ったままであった。 主はヨアハズの軍隊として、騎兵五十騎、戦車十台、歩兵一万しか残されなかった。アラムの王が彼らを滅ぼし、踏みつけられる地の塵のようにしたからである。そのヨアハズも先祖と共に眠りにつき、サマリアに葬られた。替わって、ユダの王ヨアシュの治世第三十七年に、ヨアハズの子ヨアシュがサマリアでイスラエルの王となり、十六年間王位にあった。彼は主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を全く離れず、それに従って歩み続けた。ヨアシュは先祖と共に眠りにつき、ヤロブアムがその王座についた。ヨアシュはイスラエルの王たちと共にサマリアに葬られた。 そのヨアシュに主はエリシャを通して、機会を与えられる。死の床にあったエリシャは訪ねてきたヨアシュにアラムを撃つ機会を与えます。イスラエルの王ヨアシュが下って来て訪れ、彼の面前で、「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」と泣いた。エリシャが王に、「弓と矢を取りなさい」と言うので、王は弓と矢を取った。 エリシャがイスラエルの王に、「弓を手にしなさい」と言うので、彼が弓を手にすると、エリシャは自分の手を王の手の上にのせて、「東側の窓を開けなさい」と言った。王が開けると、エリシャは言った。「矢を射なさい。」王が矢を射ると、エリシャは言った。「主の勝利の矢。アラムに対する勝利の矢。貴方はアフェクでアラムを撃ち、滅ぼし尽くす。」またエリシャは、「矢を持って来なさい」と言った。王が持って来ると、エリシャはイスラエルの王に、「地面を射なさい」と言った。王は三度地を射てやめた。神の人は怒って王に言った。「五度、六度と射るべきであった。そうすれば貴方はアラムを撃って、滅ぼし尽くしたであろう。だが今となっては、三度しかアラムを撃ち破ることができない。」エリシャは死んで葬られた。その後、モアブの部隊が毎年この地に侵入して来た。人々がある人を葬ろうとしていたとき、その部隊を見たので、彼をエリシャの墓に投げ込んで立ち去った。その人はエリシャの骨に触れると生き返り、自分の足で立ち上がった。アラムの王ハザエルはヨアハズの生きている間、絶えずイスラエルに圧迫を加えた。しかし、主はアブラハム、イサク、ヤコブと結んだ契約のゆえに、彼らを恵み、憐れみ、御顔を向け、彼らを滅ぼそうとはされず、今に至るまで、御前から捨てることはなさらなかった。アラムの王ハザエルは死んで、その子ベン・ハダテが代わって王となった。ヨアハズの子ヨアシュは、父ヨアハズの手から奪い取られた町々を、ハザエルの子ベン・ハダテの手から取り返した。ヨアシュは三度彼を撃ち破り、イスラエルの町々を取り返した。 死者に命を与えるのは聖なる神の霊の働きです。エリシャは死んでその霊は天に召されたが、エリシャがエリヤから受け継いだ神の霊は、死んだ人間を蘇らせました。このようにしてエリシャが最後まで主に用いられたその働きは、エリシャ自身の内にあるのではなく、ただ聖なる神の霊の働きそのものであったと云うことができます。エリシャの体も魂も、その聖霊の宿る器に過ぎなかった。聖霊に満たされる聖なる器、準備された器に相応しい人間であったと云う事のようです。死と再生が、自然と宇宙に働く必然の法則によって生じるという考え方は、ひろく人類に共通するもので、自然や宇宙の原理に基づくこの再生思想は、宗教的な形態を採ると、輪廻や魂の永遠性へと発展することになります。
2012年10月19日
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「旧約聖書」聖王以降の王達32 (列王記下)生涯を通じて主の目に適うヨアシュ ユダの女王アタルヤが王宮で剣にかけられて殺された後、ヨアシュ(Jehaashが幼年七歳にして王位に就きます。イエフの治世第七年にヨアシュは王となり、四十年間エルサレムで王に在位します。その母は名をツィブヤといい、ベエル・シェバの出身であった。ヨアシュは、祭司ヨヤダの教えを受けて、その生涯を通じて主の目にかなう正しいことを行ったが、ただ聖なる高台は取り除かれず、民は依然として聖なる高台でいけにえを屠り、香をたいています。ヨアシュは祭司たちに言った。「主の神殿にもたらされるすべての聖なる献金、すなわち、各人がその割り当てに従って課された献金、主の神殿に自発的にもたらされるすべての献金は、祭司たちがおのおの自分の担当の者から受け取り、神殿のどこかに破損が生じたときには、それを用いてその破損を修理しなければならない。」ところが、ヨアシュ王の治世第二十三年になっても、なお祭司たちは神殿の破損を修理しなかったので、ヨアシュ王は祭司ヨヤダおよびほかの祭司たちを呼んで言った。「なぜ神殿の破損を修理しないのか。今後貴方たちは、担当の者から献金を受け取ってはならない。それは神殿の破損を修理するために使われるべきものだからだ。」祭司たちは民から献金を受け取らず、従って神殿の破損を修理する責任を負わないことに同意しました。祭司ヨヤダは一つの箱を持って来て、その蓋に穴をあけ、主の神殿の入り口の右側、祭壇の傍らにそれを置いた。入り口を守る祭司たちは、主の神殿にもたらされるすべての献金をそこに入れ、箱の中に献金がたまったのが認められると、王の書記官と大祭司が上って来て、主の神殿にあるその献金を袋に入れて数えた。こうして確かめられた献金は、主の神殿の役人である工事担当者に渡され、主の神殿で働く大工、建築労働者、石工、採石労働者たちに支払われ、また神殿の破損を修理するための木材や切り石の買い入れに用いられた。即ち、それは神殿を修理するためのあらゆる出費に当てられた。しかし、神殿用の銀の皿、芯切り鋏、鉢、ラッパなど、金の器と銀の器はいずれも、この神殿への献金では製作されませんでした。その献金は工事担当者に渡され、主の神殿の修理のために用いられました。工事担当者に与えるように献金を渡された人々は[忠実に仕事をする者]であったので、会計監査を受けることはなかったのです。但し、賠償の献げ物のための献金、贖罪の献げ物のための献金は、主の神殿に納入されず、祭司たちのものでした。そのころ、アラムの王ハザエルが上って来てガトを攻略し、更にエルサレムに向かって攻め上って来た。ユダの王ヨアシュは、先祖であるユダの王ヨシャファト、ヨラム、アハズヤが聖別したすべての聖なる物、自分自身が聖別した物、および主の神殿の宝物庫と王宮にあるすべての金を取り出し、アラムの王ハザエルに送ったので、ハザエルはエルサレムを離れて行きました。其れ等にかかわらず、主の目にかなう正しいことを行ったヨアシュをその家臣たちは立ち上がって謀反を起こし、シラに下って行くヨアシュをベト・ミロで打ち殺しました。彼を殺したのは、家臣のシムアトの子ヨザバドとショメルの子ヨザバドであった。此の一文は、、主の目にかなう正しいことを行ったにもかかわらず、謀反で殺害されたヨアシュの著者の戸惑いが看取れます。旧約聖書全般を通じて、主は罪あるが故に贖われたとする報償論が貫かれているなかで、特異な記述だからです。其の主の目にかなう正しいことを行ったヨアシュも死んで、ダビデの町に先祖と共に葬られ、その子アマツヤがヨアシュに代わって王位を継ぎます。 ところで、ユダの王ヨアシュが、祭司ヨヤダに命じて神殿の破損を修理させたという記述で、ヨヤダは修理に必要となる資金を集めるために献金箱を設置し、集まった金で工事代金をまかない、その献金は工事担当者に渡され、主の神殿の修理のために用いられたとあります。工事担当者に与えるように献金を渡された人々は[忠実に仕事をするもの]であったので、会計監査を受けることはなかったのが、当時は異例の事だったのでしょう。この時代、レビ人を含めて横領が多かったことが推測され、金銭を精査し、横領などの不正がないように「会計監査」が実施されていたことが分かります。ここで記述されているのは神殿修理のための献金を調べるということですが、主の神殿の役人である工事担当者には「会計監査は必要なかった」といって、特筆されるべき者として強調していることから、献金横領が当たり前のように行われ、金銭の精査はやむをえない「必要悪」と看做されていたことが解かります。
2012年10月18日
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「旧約聖書」聖王以降の王達31 (列王記下)野心家の軍司令官のイエフの軌跡 アハブの子供が七十人サマリアにいた。イエフは手紙を書いてサマリアに送り、町の指導者、長老たちとアハブの子供の養育者たちにこう伝えた。「今この手紙が届いたら、貴方たちのもとには貴方たちの主君の子供、それに戦車、軍馬、および砦の町と武器があるのだから、その主君の子供の中から最も優れた正しい人物を選んで、父の王座につけ、貴方たちの主君の家のために戦え。」彼らは大いに恐れ、「二人の王でさえ彼に立ち向かえなかったのに、どうして我々が立ち向かうことができよう」と言った。そこで宮廷長、町の長、長老、養育者たちはイエフに人を送ってこう言わせた。「私たちは貴方の僕です。貴方がお命じになることは何でもいたします。私たちにはだれをも王として立てるつもりがありません。貴方の目に良いと映ることをなさってください。」イエフは彼らにもう一通手紙を書いて、こう言った。「もし貴方たちが私の味方をし、私の命令に従うなら、貴方たちの主君の子供たちの首を取り、明日の今ごろ、イズレエルにいる私のもとに持って来なさい。」七十人の王子たちは、それぞれその養育に当たっていた町の有力者たちのところにいたが、この手紙が届くと、彼らは王子たちを捕らえ、七十人を残らず殺し、その首を籠に入れ、イズレエルにいるイエフのもとに送った。使者が、「王子の首が届けられました」と知らせに来ると、イエフは、「その首は二つの山に積んで、明朝まで町の入り口にさらしておけ」と命じた。翌朝、彼はそこに出て行って立ち、すべての民に言った。「貴方たちに罪はない。私は主君に対して謀反を起こし、彼を殺した。だが、この者たちすべてを打ち殺したのは誰か。ただ、このことだけは知っておくがいい。主がアハブの家に対してお告げになった主の言葉は一つも地に落ちることがない。主はその僕エリヤによってお告げになったことを実現された。」こうしてイエフは、イズレエルに残っていたアハブの家の者およびアハブについていた有力者、親友、祭司を皆打ち殺し、一人も残さなかった。イエフは立ってサマリアに向かったが、途中ベト・エケド・ロイムで、ユダの王アハズヤの身内の者たちに出会った。「貴方たちは誰か」と尋ねると、彼らは、「私たちはアハズヤの身内の者です。王子たち、王妃の子供たちの安否を問いに行くところです」と答えた。彼は、「この者たちを皆、生け捕りにせよ」と命じた。部下は彼らを生け捕りにして、ベト・エケドの水溜めのところで、彼ら四十二人を殺し、一人も残さなかった。 イエフがそこを出て進んで行くと、彼を迎えに出たレカブの子ヨナダブに会った。イエフは彼に挨拶して言った。「私の心が貴方の心に対して誠実であるように、貴方の心も誠実ですか。」ヨナダブは答えた。「そのとおりです。」イエフが、「そのとおりなら、手を出してください」と言ったので、ヨナダブが手を差し出すと、イエフは彼を引き上げて自分の戦車に乗せ、「一緒に来て、主に対する私の情熱を見てください」と言った。二人は彼の戦車に一緒に乗り、サマリアに行った。彼は主がエリヤにお告げになった言葉のとおり、サマリアでアハブの家の者をことごとく打ち殺し、一族を全滅させた。イエフはすべての民を集めて言った。「アハブは少ししかバアルに仕えなかったが、このイエフは大いにバアルに仕えるつもりだ。今バアルのすべての預言者、バアルに仕えるすべての者、すべての祭司を私のもとに呼べ。一人も欠席させてはならない。私がバアルに大いなるいけにえをささげるからだ。欠席する者はだれも生かしてはおかない。」イエフはバアルに仕える者を絶やすために、策略を用いたのである。イエフが、「バアルのために聖なる集まりを催せ」と命じたので、彼らはそれを布告した。イエフがイスラエル中に使者を遣わすと、バアルに仕える者が皆集まって来た。来ない者は一人もなかった。彼らはバアルの神殿に入り、神殿は隅々まで満ちた。イエフは衣装係に、「バアルに仕えるすべての者に祭服を出してやれ」と言った。彼らは祭服を出した。そこでイエフはレカブ人ヨナダブと共にバアルの神殿に入り、バアルに仕える者たちに言った。「主に仕える者が貴方たちと一緒にいることがないよう、ただバアルに仕える者だけがいるように、よく調べて見よ。」二人はいけにえと焼き尽くす献げ物をささげるために入ったが、イエフは外に八十人の人を置き、次のように言った。「私がお前たちの手に渡す者を逃がした者は、自分の命をその逃がした者の命に代えなければならない。」焼き尽くす献げ物をささげ終わったとき、イエフは近衛兵と侍従たちに言った。「入って、彼らを討て。一人も外に出すな。」近衛兵と侍従たちは彼らを剣にかけて殺し、そこに投げ捨て、更にバアルの神殿の奥まで踏み込み、バアルの神殿にある石柱を運び出して焼き捨てた。バアルの石柱を破壊してから、バアルの神殿を破壊し、これを便所にした。それは今日に至るまでそうなっている。このようにして、イエフはイスラエルからバアルを滅ぼし去った。ただ、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪からは離れず、ベテルとダンにある金の子牛を退けなかった。主はイエフに言われた。「貴方は私の目にかなう正しいことをよく成し遂げ、私の心にあった事をことごとくアハブの家に対して行った。それゆえ貴方の子孫は四代にわたってイスラエルの王座につく。」但し、預言者ホセアを通して主は、この野心家であったイエフが必要以上の暴力を用いて自分の野心を遂げた行為を容認はしていません。「主は預言者ホセアに言われた。その子をイズレエルと名付けよ。間もなく、私はイエフの王家に、イズレエルにおける流血の罰を下し、イスラエルの家におけるその支配を絶つ。その日が来ると、イズレエルの平野で、私はイスラエルの弓を折る」と。 またイエフは、心を尽くしてイスラエルの神、主の律法に従って歩もうと努めず、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪を離れなかった。このころから、主はイスラエルを衰退に向かわせられた。ハザエルがイスラエルをその領土の至るところで侵略したのである。侵略はヨルダン川の東側にあるギレアドの全域、ガド、ルベン、マナセの地で行われ、アルノン川の近くにあるアロエルから、ギレアドとバシャンにまで及んだ。やがてイエフも先祖たちと共に眠りにつき、サマリアに葬られた。その子ヨアハズがイエフに代わって王位に就きます。イエフがサマリアでイスラエルの王位にあった期間は二十八年であった。 イエフ(jehu)は、紀元前842年頃クーデターによって、オムリ王朝に連なる最後の王ヨラム及びその母イゼベルを殺害、イスラエルにイエフ王朝を築きます。オムリ王朝で進められていたバアル崇拝を根絶したことにより、「列王記」では英雄もしくは北王国唯一の名君として描かれていますが、一方で、金の子牛への崇拝を根絶しなかったとして、その限界をも指摘しています。またアラム王ハザエルによってヨルダン川の東岸が侵略されたと伝えられ、イスラエルを衰退に向かいます。古代オリエント史に基づくイスラエルのパワーゲームにおける地位からすれば、カナン人やアラム人との交流・同盟により国力を高め、カルカルの戦いではダマスコに次ぐ一万人の兵士と二千両という最大の規模の戦車隊を提供して、北パレスチナの地域大国のひとつとしてアッシリアを阻んだアハブと比較すれば、イエフは逆に近視眼的なヤハウェ信仰重視のイスラエル優越主義に基づき、カナン人やアラム人を敵視して国力を衰退させ、遠方の大国アッシリアのこの地域への侵入を助けたという点では後退を見せており、またイスラエルの最終的な破滅を早めたとされます。、歴史上のイエフは頑迷なヤハウェ信仰に基づく政策を執ってイスラエルの地位及び国力を低下させた野心家であり、また暗君でした。史実に於いては評価の高いアハブと同様、聖書の視点に基づく人物像とはかなり異なっています。
2012年10月17日
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旧約聖書の列王記に登場する悪妃イゼベルと悪后アタルヤ イゼベル(Jezebel)は、旧約聖書の列王記に登場する紀元前9世紀のイスラエル王国の王アハブの王妃で、イザベルとも発音されます。列王記によれば、イゼベルはフェニキア人で、イスラエル王アハブの后。父はシドン王エトバアル。列王記にはアハブの子らについての記述がありますが、イゼベルが母であるとは明言されていませんが、息子にアハズヤとヨラム、娘にユダの王アハズヤの母で、悪后とされるアタルヤ(Athaliah)がいます。息子二人には子がありませんでした。アタルヤはユダ王国の王ヨラムの妻となり、アハズヤの母となり、その息子の死後、ユダ王族の殆どを粛清し、7年間女王としてダビデの血統を途絶えさせて君臨しましたが、自身の孫に当たるヨアシュ(イゼベルから見て曾孫)を擁立したエホヤダに殺害されます。ヨアシュの子であるアマツヤは玄孫、ウジヤは来孫、ヨタムは昆孫、アハズは仍孫、主なる神の道を歩いたヒゼキヤは雲孫に当たり、以降のユダ王国の王はイゼベルの血を受け継いでいます。 北イスラエルの王位に就いたオムリは、その名前から、イスラエルびとではなく、イスラーエール建国以前の原住民であるカナン人(フェニキア人)であったと考えられます。実際、彼は、ショーメロォン遷都にあたって、その土地を地主から買っていますが、これはカナン人の制度に従ったものです。イスラエル人であれば、土地は神から与えられた絶対的なものであり、売買したり委譲したりできるものではありませんでした。しかし、このような王朝あっては、民間においてもカナン的な土地の私有売買制が普及し、地主と小作との階層分化が進展したことと思われます。其のオムリ王が協調政策を採ったシドン王エトバアルは、先王を虐殺して王位を奪取した専制的バアル祭司であり、その王女イィゼベルが専制王権とバアル教を信奉しているのは当然のことでした。雷雨神「バアル」は、カナン=フェニキア人の農業の守護神です。これは、それぞれの土地の古来からのバアルであるエール(神)とは異なりますが、しかし、イスラエルにおいても、定住や開墾によって新たに農業が中心となった地域においては、土着エールが、火である戦神ヤーウェーよりも雷雨の農業神「バアル」の方へ融合していく傾向があったようです。 アタルヤは、ユダ王国の第7代のユダ王国歴代の王では唯一の女王であり、ダビデ王朝の流れを汲まない、北イスラエル王国のオムリ王朝の流れを汲み、ダビデ王朝を滅ぼそうとした最悪の暴君とされています。北イスラエル王国のオムリ王朝の流れを汲む王族の出身で、父は旧約聖書にて「北王国の歴代の王の中でも類を見ないほどの暴君」と称されたアハブであり、オムリの孫娘でもある。北イスラエル王国は、サマリアを都としていたことからもわかるように外国文化の影響が強く、その王家から出たアタルヤ自身もユダヤ教より他宗教、特に多神教を崇拝する傾向にあったと云われます。このような出自、宗教背景を持つアタルヤの即位は、ユダ王族はじめ祭司や貴族たちからも強い反感を買う事と成りますが、他方、文明・文化の国際化を狙った人物とも読み取れます。息子である王アハズヤの戦死を受けて、半ば強引に即位を宣言し、反抗を抑えるため、アタルヤはユダ王族の子弟を皆殺しにしますが、これがイスラエルの民の存亡を脅かす暴挙として、大きな動揺を引き起こしました。メシアはダヴィデの血筋から出るという預言がなされていたためであり、その正統な血筋であるユダ王族の男子を皆殺しにすることは神に対する挑戦であり、ユダヤ氏族への侮蔑でもあったのです。 イゼベルとアタルヤは共に祭司の血統を受け継ぐものであり、農業国家から遊牧国家へ嫁いだために旧約の律法には馴染めないことが、これ等の悲劇を齎したとも云えそうです。
2012年10月16日
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「旧約聖書」聖王以降の王達30(列王記下)イスラエル王国の堕落と悪妃イゼベル その頃、預言者エリシャが預言者の仲間の一人を呼んで言った。「腰に帯を締め、手にこの油の壺を持って、ラモト・ギレアドに行きなさい。そこに着いたら、ニムシの孫でヨシャファトの子であるイエフに会いなさい。貴方は入って彼をその仲間の間から立たせ、奥の部屋に連れて行き、油の壺を取って彼の頭に注いで言いなさい。主はこう言われる。私は貴方に油を注ぎ、貴方をイスラエルの王とすると。そして戸を開けて逃げて来なさい。ぐずぐずしていてはならない。」その若者、預言者の従者はラモト・ギレアドに行った。彼がそこに着くと、軍の長たちが席に着いていた。彼が、「将軍、貴方に申し上げたいことがあります」と言うと、イエフは、「我々のうちの誰に対してか」と聞き返した。彼は、「将軍、貴方に対してです」と答えた。イエフは立って家に入って来た。若者は彼の頭に油を注いで言った。「イスラエルの神、主はこう言われる。『私は貴方に油を注ぎ、貴方を主の民イスラエルの王とする。貴方は貴方の主君アハブの家を撃たねばならない。こうして私はイゼベルの手にかかった私の僕たち、預言者たちの血、すべての主の僕たちの血の復讐をする。アハブの家は全滅する。私は、イスラエルにおいて縛られている者も解き放たれている者も、アハブに属する男子をすべて絶ち滅ぼし、アハブの家をネバトの子ヤロブアムの家のようにし、アヒヤの子バシャの家のようにする。犬がイズレエルの所有地でイゼベルを食い、彼女を葬る者はいない。』」彼は戸を開けて逃げ去った。イエフが主君の家臣たちのところに出て行くと、彼らは、「どうだった。なぜあの狂った男が貴方を訪ねて来たのか」と聞いた。イエフは、「あの男が誰で、何を言ったのか、貴方たちには分かっているはずだ」と答えたが、彼らは言った。「それは違う。我々によく説明してくれ。」そこで彼は言った。「あの男は私にこのように告げた。「主はこう言われる。私は貴方に油を注ぎ、貴方をイスラエルの王とする。」彼らはおのおの急いで上着を脱ぎ、階段の上にいた彼の足もとに敷き、角笛を吹いて、「イエフが王になった」と宣言した。ニムシの孫でヨシャファトの子であるイエフは、ヨラムに対して謀反を起こした。ヨラムは全イスラエルを率い、アラムの王ハザエルに対して、ラモト・ギレアドの防衛に当たっていたが、アラムの王ハザエルとの戦いでアラム兵に傷を負わされ、それをいやすためイズレエルに戻っていた。イエフは言った。「もし貴方たちが本気でいるなら、だれもこの町を抜け出してイズレエルに知らせに行ってはならない。」それから、イエフは戦車に乗ってイズレエルに向かった。ヨラムがそこで床に伏していたからである。またユダの王アハズヤがヨラムを見舞いに下って来ていた。イズレエルの塔の上には見張りが立っていたが、イエフの軍勢が近づいて来るのを見て、「軍勢が見えます」と言った。ヨラムは、「騎兵を一人選んで迎えに行かせ、道中無事だったか、尋ねさせよ」と命じた。騎兵は迎えに行って、「王が、道中御無事でしたかと尋ねておられます」と伝えた。しかしイエフは、「道中無事であったかどうか、お前と何のかかわりがあるのか。私の後ろにまわれ」と言った。一方、見張りは、「使いの者は彼らのところに行ったまま帰って来ません」と知らせた。ヨラムは騎兵をもう一人遣わした。彼も彼らのところに行って、「王が、道中御無事でしたかと尋ねておられます」と伝えた。しかし、イエフは、「道中無事であったかどうか、お前と何のかかわりがあるのか。私の後ろにまわれ」と言った。見張りはまた、「彼らのところに行ったまま帰って来ません。あの戦車の走らせ方はニムシの子イエフの走らせ方と似ています。狂ったように走らせているからです」と報告した。ヨラムは、「馬をつなげ」と命じた。戦車に馬がつながれると、イスラエルの王ヨラムとユダの王アハズヤは、それぞれ自分の戦車に乗って出て行った。彼らはイエフを迎えようとして出て行き、イズレエル人ナボトの所有地で彼に出会った。ヨラムはイエフを見ると、「イエフ、道中無事だったか」と尋ねたが、イエフは答えた。「貴方の母イゼベルの姦淫とまじないが盛んに行われているのに、何が無事か。」ヨラムは手綱を返して逃げ出し、アハズヤに、「アハズヤよ、裏切りだ」と叫んだ。イエフは手に弓を取り、ヨラムの腕と腕の間を射た。矢は心臓を射貫き、彼は戦車の中に崩れ落ちた。イエフは侍従ビドカルに言った。「彼をイズレエル人ナボトの所有地の畑に運んで投げ捨てよ。私がお前と共に馬に乗って彼の父アハブに従って行ったとき、主がこの託宣を授けられたことを思い起こせ。「私は昨日ナボトの血とその子らの血を確かに見た」と主は言われた。また、「私はこの所有地で貴方に報復する」と主は言われた。今、主の言葉どおり、彼をその所有地に運んで投げ捨てよ。」ユダの王アハズヤはこれを見て、ベト・ガンの道を通って逃げた。イエフはその後を追い、「彼も撃ってしまえ」と命じた。アハズヤは、イブレアムの近くのグルの坂を行く戦車の中で傷を負い、メギドまで逃げて、そこで死んだ。彼の家臣たちはその遺体を車に乗せてエルサレムに運び、ダビデの町の彼の墓に先祖と共に葬った。アハブの子ヨラムの治世第十一年に、アハズヤはユダの王となった。イエフがイズレエルに来たとき、イゼベル(Jezebel)はそれを聞いて、目に化粧をし、髪を結い、窓から見下ろしていた。イエフが城門を入って来ると、「主人殺しのジムリ、御無事でいらっしゃいますか」と言った。彼は窓を見上げ、「私の味方になる者は誰だ、誰だ」と言うと、二、三人の宦官が見下ろしたので、「その女を突き落とせ」と言った。彼らがイゼベルを突き落としたので、その血は壁や馬に飛び散り、馬が彼女を踏みつけた。彼は家に入って食事をしてから言った。「あの呪われた女の面倒を見てやれ。彼女も王女だったのだから、葬ってやれ。」だが、人々が葬ろうとして行くと、頭蓋骨と両足、両手首しかなかった。彼らが帰って、そのことを知らせると、イエフは言った。「これは主の言葉のとおりだ。主はその僕ティシュベ人エリヤによってこう言われた」と。「イゼベルの肉は、イズレエルの所有地で犬に食われ、イゼベルの遺体はイズレエルの所有地で畑の面にまかれた肥やしのようになり、これがイゼベルだとはだれも言えなくなる。」これはナボトという男のぶどう畑を望んだイゼベルが、不当にそれを奪ってナボトを死に追いやったことの報いであり、エリヤの予言したとおりの結末であったと聖書は書いています。 イゼベルは紀元前9世紀のイスラエル王国の王アハブの妻。夫を軽んじて自分の意志を押し通す悪妻または恐妻タイプの女性だと云われます。とくにイスラエルの宗教に関して王国に悪影響を与えた人物として、旧約聖書では魔女扱いして最悪の評価が与えられています。彼女はフェニキア王エトバアルの娘で、結婚後も出身地の神バアルを崇拝していたが、個人的に崇拝するだけでは我慢がならず、夫を唆して、彼女の母国の信仰を国中に浸透さすためにアハブ王を急き立てて、バアル神の神殿を造成させます。恐らくは、偉大な預言者エリヤさえ脅かしたフェニキア宗教の魔術的行為が、アハブ王を恐れさせ、彼は彼女のいうなりに首都サマリアにまでバアル神の神殿を造ります。王宮にもバアルの祭司や預言者が住み、その数は450人にも上りました。ヤーウェ神に仕える偉大な預言者エリヤがイゼベルを激しく非難し、彼女の預言者たちと対決して打ち負かすと、彼女はエリヤを殺そうとさえし、エリヤを逃亡させます。後に、野心家の軍司令官のイエフがアハブの息子のヨラム王を倒して王位を奪ったとき、彼女は死を覚悟していましたが、相変わらず強気で少しも取り乱す事はなかった。彼女は宮殿の窓からイエフを見下ろし「主人殺し」と呼びかけ嘲ります。その直後、イエフに味方する者に彼女は窓から突き落とされて死んだのです。
2012年10月15日
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「旧約聖書」聖王以降の王達29(列王記下)ユダ王国の堕落と悪妃アタルヤ イスラエルの王アハブの子ヨラムの治世第五年に、ユダの王ヨシャファトの子ヨラムが王位に就きます。彼には、ヨシャファトの子のアザルヤ、エヒエル、ゼカルヤ、アザルヤ、ミカエル、シェファトヤなど兄弟が多くあり、父は彼らにユダの砦の町と共に銀や金など高価な品々を豊富に与えますが、ヨラムが長子であったので、ユダの王位は彼に譲った。ところが、ヨラムは父の国を支配下に置いて勢力を増すと、自分の兄弟のすべてと、高官のうち何人かを剣にかけて殺した。ヨラムはアハブの娘を妻としていたので、アハブの家が行ったように、イスラエルの王たちの道を歩み、主の目に悪とされることを行った。しかし、主はその僕ダビデのゆえに、ユダを滅ぼそうとはされなかった。主は、ダビデとその子孫に絶えずともし火を与えると約束されたからである。そのヨラムの治世に、エドムがユダに反旗を翻してその支配から脱し、自分たちの王を立てた。ヨラムは全戦車隊を率いてツァイルに進み、夜襲を試みて、自分を包囲するエドム兵とその戦車隊の長たちを打ち破った。しかし、その民は自分の天幕に逃げ帰った。こうしてエドムはユダに反旗を翻してその支配から脱し、今日に至っている。そのころ、同時にリブナが反旗を翻した。ユダ王国もまた、イスラエル王国と同じように神不在の無法時代に入り、暗雲が垂れ込みつつあった。 ヨラム王が死に、アハズヤが二十二歳で王となり、一年間エルサレムで王位にあった。その母は名をアタルヤといい、イスラエルの王オムリの孫娘でした。アハズヤはこのようにアハブの家と姻戚関係にあったため、アハブの家の道を歩み、アハブの家と同じように主の目に悪とされることを行った。彼はイスラエル王アハブの子ヨラム王と共にアラムの王ハザエルと戦うため、ラモト・ギレアドに行った。しかし、アラム兵がヨラムに傷を負わせた。ヨラム王は、アラムの王ハザエルとのラマにおける戦いでアラム兵に負わされた傷をいやすため、イズレエルに戻ります。ユダの王ヨラムの子アハズヤは、病床にあるアハブの子ヨラムを見舞うため、イズレエルに下って行った。ニムシの孫でヨシャファトの子であるイてまたエフは、ヨラムに対して謀反を起こし、イスラエル王ヨラムを殺害し。ユダの王アハズヤがヨラムを見舞いに下って来ていて、これを見て逃げたのを、イエフはその後を追い、「彼も撃ってしまえ」と命じます。アハズヤは、イブレアムの近くのグルの坂を行く戦車の中で傷を負い、メギドまで逃げて、そこで倒れ亡くなります。 ユダの王アハズヤの母アタルヤ(Athaliah)は息子が死んだのを知って、直ちに王族をすべて滅ぼそうと行動します。しかし、ヨラム王の娘で、アハズヤの姉妹であるヨシェバが、アハズヤの子ヨアシュを抱き、殺されようとしている王子たちの中からひそかに連れ出し、乳母と共に寝具の部屋に入れておいた。人々はヨアシュをアタルヤからかくまい、彼は殺されずに済んだ。こうして、アタルヤが国を支配していた六年の間、ヨアシュは乳母と共に主の神殿に隠れていた。七年目に、ヨヤダは人を遣わして、カリ人と近衛兵からなる百人隊の長たちを神殿にいる自分のところに連れて来させ、彼らと契約を結んだ。彼は主の神殿の中で彼らに誓いを立てさせ、王子を見せて、こう命じた。「貴方たちがなすべきことはこれである。貴方たちのうち、安息日が出番に当たる者の三分の一は王宮の警備に就き、ほかの三分の一はスルの門に詰め、残る三分の一は近衛兵の背後の門に詰め、こうして貴方たちは交代で王宮の警備に当たれ。安息日が非番に当たるほかの二組は主の神殿で王のそばにいて警備に当たれ。おのおの武器を手にして、王の周囲を固めなければならない。隊列を侵す者は殺されなければならない。王が出るときも、入るときも、王と行動を共にせよ。」百人隊の長たちは、すべて祭司ヨヤダが命じたとおり行い、おのおの安息日が出番に当たる部下と非番に当たる部下を引き連れ、祭司ヨヤダのもとに来た。祭司は主の神殿に納められているダビデ王の槍と小盾を百人隊の長たちに渡した。近衛兵たちはおのおの武器を手にして、祭壇と神殿を中心に神殿の南の端から北の端まで王の周囲を固めた。そこでヨヤダが王子を連れて現れ、彼に冠をかぶらせ、掟の書を渡した。人々はこの王子を王とし、油を注ぎ、拍手して、「王万歳」と叫んだ。アタルヤは近衛兵と民の声を聞き、主の神殿の民のところに行った。彼女が見ると、慣例どおり柱の傍らに王が立ち、その傍らには将軍たちと吹奏隊が立ち並び、また国の民は皆喜び祝い、ラッパを吹き鳴らしていた。アタルヤは衣を裂いて、「反逆です、謀反です」と叫んだ。祭司ヨヤダは、軍を指揮する百人隊の長たちに、「彼女を隊列の間から外に出せ。彼女について行こうとする者は剣にかけて殺せ」と命じた。祭司が、「彼女を主の神殿で殺してはならない」と言ったからである。彼らはアタルヤを捕らえ、馬の出入り口を通って王宮に連れて行った。彼女はそこで殺されます。ヨヤダは、主と王と民の間に、主の民となる契約を結び、王と民の間でも契約を結んだ。国の民は皆、バアルの神殿に行き、それを祭壇と共に破壊し、像を徹底的に打ち砕き、バアルの祭司マタンを祭壇の前で殺した。祭司ヨヤダは主の神殿の監督を定め、更に百人隊の長、カリ人、近衛兵および国の民全員を率いて、王を主の神殿から連れ下り、近衛兵の門を通って王宮に導き、王座につけた。こうして、国の民は皆喜び祝った。アタルヤが王宮で剣にかけられて殺された後、町は平穏であった。
2012年10月14日
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「旧約聖書」聖王以降の王達28(列王記下)預言者エリシャの奇跡・予言をする神の人 エリシャは、かつてその子供を蘇生させた婦人に言います。貴方は家族と共に立ち去り、住める所に移り住みなさい。主が飢饉を呼び起こし、それはこの地にも及んで七年も続くからだと。婦人は直ちに神の人の言葉どおりに行動し、家族と共に立ち去り、ペリシテ人の地に七年間居住、七年を経てから、婦人はペリシテ人の地から帰り、王のもとに自分の家と畑の返還を求めて訴え出ました。そのとき、イスラエルの王アハブの子ヨラは神の人の従者ゲハジに話しかけ、「エリシャの行った大いなる業をすべて語り聞かせてくれ」と言っていました。神の人エリシャが死人を生き返らせたことをゲハジが王に語り聞かせていると、ちょうどそのとき、かつて子供を生き返らせてもらった婦人が、自分の家と畑のことで訴えに来たので、ゲハジは、「私の主君、王よ、これがその婦人です。またこれがその子で、エリシャはこの子を生き返らせたのです」と言った。婦人は王の求めに応じてその事実を語った。そこで王は彼女のために、一人の宦官に、この婦人の資産をすべて返しなさい。またこの地を後にした日から今に至るまでの畑のすべての収穫も返しなさいと命じます。 そうして、エリシャがダマスコに来たとき、アラムの王ベン・ハダテは病気であった。「神の人がここに来た」と知らせる者があって、王はハザエルに言います。贈り物を持って神の人を迎えに行き、私のこの病気が治るかどうか、彼を通して主の御旨を尋ねよと。ハザエルは贈り物としてダマスコのすべての価値あるものをらくだ四十頭に載せて携え、エリシャを迎えに行った。彼はエリシャの前に立って言った。「貴方の子、アラムの王ベン・ハダテが私を貴方に遣わしました。この病気が治るかどうかと言っています。」エリシャは言った。「行って王に言うがいい。貴方は必ず治ると。しかし、主は彼が必ず死ぬことを私に示された。」、そこで神の人が、ハザエルが恥じ入るほど、じっと彼を見つめ、そして泣き出したので、ハザエルは、「どうして貴方は泣かれるのですか」と尋ねた。エリシャは答えます「私は貴方がイスラエルの人々に災いをもたらすことを知っているからです。貴方はその砦に火を放ち、若者を剣にかけて殺し、幼子を打ちつけ、妊婦を切り裂きます。」ハザエルは、「この僕、この犬にどうしてそんな大それた事ができましょうか」と言ったが、エリシャは、「主は貴方がアラムの王になることを私に示された」と答えた。彼はエリシャのもとを離れ、自分の主君のところに帰ると、王は、「エリシャはお前に何と言ったか」と尋ねたので、「必ず治ると彼は言いました」と答えます。しかし翌日、彼は布を取って水に浸し、王の顔を覆ったので、王は死んで、ハザエルが彼に代わって王となります。 エリシャは預言者であると同時に、予言或いは先見者・政治家としても大きな影響力を持っていましたが、新約聖書・旧約聖書共に預言と予言或いは先見を明瞭には区別して表現しておりません。其れゆえに、或る章では先見者を預言者の旧い表現だとし、預言と予言の取り違えが起き易く、聖書を読むうえで躓きの石となっています。世界的ベストセラーとなったノストラダムスの著書が、余りにもマスコミに取り上げられ、世間を騒がせたこともありますが、そのノストラダムスが偶々聖職者であった事からもあり、予言と預言の相違が曖昧となり聖書の「預言者」を「予言者」と誤解される方々が多く見受けられます。此れを混同しては聖書を誤解することに陥りがちです。「予言者」の予の字源は「豫」で、予め決まっている或いは将来的に起こることを予告するものを言います。一方、聖書に出てくる「預言者」の意は一般の人間には解からない神の言葉を預かり、翻訳する者を言います。旧約・新約・イスラームの時代には神が自身の意志を述べるときには、まず預言者にその意志を伝え、民に説くことを求めます。其れ故、預言者は民衆にとっての信頼と期待を一身に担う存在でした。預言者にはアブラハム・ヨナ・エレミア・エゼキエル等があり、なかでも大預言者イエスと最高預言者ムハンマドは現代に於いての最も尊重される人物です。
2012年10月13日
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「旧約聖書」聖王以降の王達28(列王記下)預言者エリシャ・万軍の主 エリシャにイスラエルの王アハブの子ヨラムが、「私の父よ、私が打ち殺しましょうか」と言ったが、「打ち殺してはならない。貴方は捕虜とした者を剣と弓で打ち殺すのか。彼らにパンと水を与えて食事をさせ、彼らの主君のもとに行かせなさい。」と言われ、王は彼らのために大宴会を催し、彼らは食べて飲んだ後、自分たちの主君のもとに帰って行った。アラムの部隊は二度とイスラエルの地に来なかった筈であったが、そのアラムの王ベン・ハダテが全軍を召集し、攻め上って来て、サマリアを包囲します。サマリアは其の時大飢饉に見舞われていたが、それに包囲が加わって、驢馬の頭一つが銀八十シェケル、鳩の糞四分の一カブが五シェケルで売られるようになります。イスラエルの王が城壁の上を通って行くと、一人の女が彼に向かって叫んだ。「わが主君、王よ、救ってください。」、ヨラム王は言います「主が救ってくださらなければ、どのようにして私が貴女を救えよう。麦打ち場にあるものによってか、それとも酒ぶねにあるものによってか。」更に、「何があったのか」と尋ねると、彼女は「この女が私に、貴方の子供をください。今日その子を食べ、明日は私の子供を食べましょうと言うので、私たちは私の子供を煮て食べました。しかしその翌日、私がこの女に、貴方の子供をください。その子を食べましょうと言いますと、この女は自分の子供を隠してしまったのです。」王はこの女の話を聞いて、衣を裂いた。王は城壁の上を通っていたので、それが民に見えた。ヨラム王の肌着は粗布であった。王は言います「シャファトの子エリシャの首が今日も彼についているなら、神が幾重にも私を罰してくださるように。」。そのエリシャは自分の家に座り、長老たちも一緒に座っていた。王は彼に向けて人を遣わしたが、この使者が着く前に、彼は長老たちに言った。「分かりますか。あの人殺しは私の首をはねるために人を遣わしました。見よ、使者が来たら、戸を閉じ、戸のところでその人を押し返してください。その後に、彼の主君の足音が聞こえるではありませんか。」エリシャがまだ彼らと話しているうちに、使者が彼のところに下って来て言った。「この不幸は主によって引き起こされた。もはや主に何を期待できるのか。」エリシャは言った。「主の言葉を聞きなさい。主はこう言われる。「明日の今ごろ、サマリアの城門で上等の小麦粉一セアが一シェケル、大麦二セアが一シェケルで売られる。」」王の介添えをしていた侍従は神の人に答えた。「主が天に窓を造られたとしても、そんなことはなかろう。」エリシャは言った。「貴方は自分の目でそれを見る。だが、それを食べることはない。」。その頃、城門の入り口に重い皮膚病を患う者が四人いて、互いに言い合った。「どうして私たちは死ぬまでここに座っていられようか。町に入ろうと言ってみたところで、町は飢饉に見舞われていて、私たちはそこで死ぬだけだし、ここに座っていても死ぬだけだ。そうならアラムの陣営に投降しよう。もし彼らが生かしてくれるなら、私たちは生き延びることが出来る。もし私たちを殺すなら、死ぬまでのことだ。」夕暮れに、彼らはアラムの陣営に行こうと立ち上がったが、アラムの陣営の外れまで来たところ、そこにはだれもいなかった。主が戦車の音や軍馬の音や大軍の音をアラムの陣営に響き渡らせられたため、彼らは、「見よ、イスラエルの王が我々を攻めるためにヘト人の諸王やエジプトの諸王を買収したのだ」と言い合い、 夕暮れに立って逃げ去ったのです。彼らは天幕も馬もろばも捨て、陣営をそのままにして、命を惜しんで逃げ去ったのです。 重い皮膚病を患っている者たちは陣営の外れまで来て、一つの天幕に入り、飲み食いした後、銀、金、衣服を運び出して隠した。彼らはまた戻って来て他の天幕に入り、そこからも運び出して隠した。彼らは互いに言い合った。「私たちはこのようなことをしていてはならない。この日は良い知らせの日だ。私たちが黙って朝日が昇るまで待っているなら、罰を受けるだろう。さあ行って、王家の人々に知らせよう。」彼らは行って町の門衛を呼び、こう伝えた。「私たちはアラムの陣営に行って来ましたが、そこにはだれもいませんでした。そこには人の声もなく、ただ馬やろばがつながれたままで、天幕もそのままでした。」門衛たちは叫んで、この知らせを中の王家の人々に知らせた。夜中に王は起きて家臣たちに言った。「アラム軍が我々に対して計っていることを教えよう。我々が飢えているのを知って、彼らは陣営を出て野に隠れ、「イスラエル人が町から出て来たら、彼らを生け捕りにし、町に攻め入ろうと思っているのだ。」家臣の一人がそれにこう答えた。「ここに残っている馬の中から五頭を選び、それに人を乗せて偵察に送りましょう。彼らも、ここに残っているイスラエルのすべての民衆、また既に最期を遂げたイスラエルのすべての民衆と同じ運命にあるのです。」こうして、彼らが馬と二台の戦車を選ぶと、王は、「行って見てくるように」と命じて、アラムの軍勢の後を追わせた。彼らはアラム軍の後を追って、ヨルダンまで来たが、その道はどこもアラム軍が慌てて投げ捨てた衣類や武具で満ちていた。使いの者たちは帰って来てこのことを王に報告した。そこで民は出て行ってアラムの陣営で略奪をほしいままにし、主の言葉どおり上等の小麦粉一セアが一シェケル、大麦二セアが一シェケルで売られるようになります。王は自分の介添えをしていた例の侍従を城門の管理に当たらせたが、彼は城門で民に踏み倒されて死んだ。王が神の人のところに下って行ったときに、神の人が告げたとおりであった。神の人が王に、「明日の今ごろ、サマリアの城門で大麦二セアが一シェケル、上等の小麦粉一セアが一シェケルで売られるようになる」と言うと、その侍従は神の人に、「主が天に窓を造られたとしても、そんなことはなかろう」と答えたので、エリシャは、「貴方は自分の目でそれを見る。だが、それを食べることはない」と言った。それがそのとおりに実現し、彼は門で民に踏み倒されて死んでしまいます。 前回の戦いでは、アラムの大軍はエリシャにその命を助けられました。イスラエルの王ヨラムもエリシャのことを「わが父」と呼んで尊敬しました。しかし、双方ともそこから学ぶことが無かった。人は基本的に、その場がよければそれでいい、今がよければそれでいいというオポチュニストなのです。今の利益のためならアラムのように、主の恵みを忘れて悪を行なうのです。都合が悪くなればヨラムのように、主の恵みを忘れて怒るのです。私たちは、絶望は人の信仰を明らかに示します。此度の戦いでヨラムは「主があなたを救われないのなら」と言っていますが、彼は絶望の中で主が救わないことの皮肉として言っており、その怒りは子どもを食べる民の姿を見ることで頂点に達します。「これほどの状態になっているのに、主は何もしない。いや、主がこの禍を起こしているのだ」という感情を抱かせます。仮に、エリシャが悔い改めないイスラエルに対する裁きを宣告していたとするなら、尚更そのように思ったことでしょう。従って主への絶望は、主の預言者であるエリシャへと激しく向けられました。このようなときにこそ、その人の信仰がどのようなものであるのかが分かります。使者の「これ以上、何を私は主に期待しなければならないのか」と吐く言葉も、この絶望の状況中では致し方ないのかもしれません。
2012年10月12日
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「旧約聖書」聖王以降の王達27(列王記下)預言者エリシャ・先見者としての神の人 アラムはノアの子セムの流れを汲む古い民族です。一般にはシリアとして知られる地域に住んでいましたが、特に歴史に残る強大な国を作ったわけではなく、群雄割拠のような状態が長く続いたようです。首都は主にダマスコでした。ダビデ、ソロモンの後に分裂した北朝イスラエルはこのシリアと度重なる戦争をしていました。そこに活躍したのがエリシャでした。ここに書かれているように、エリシャはどんなスパイ組織もかなわない情報通でした。 其のアラムの王ベン・ハダテがイスラエルと戦っていたときのことである。王は家臣を集めて協議し、「これこれのところに陣を張ろう」と言った。しかし、神の人エリシャはイスラエルの王アハブの子ヨラムのもとに人を遣わし、「その場所を通らないように注意せよ。アラム軍がそこに下って来ている」と伝えます。イスラエルの王は神の人(三位合体の意か)が知らせたところに人を送った。エリシャが警告したので、王はそこを警戒するようになります。これが一度や二度のことではなかったので、アラムの王の心はこの事によって荒れ狂い、家臣たちを呼んで、「我々の中のだれがイスラエルの王と通じているのか、私に告げなさい」と言った。家臣の一人が答えた。「だれも通じていません。わが主君、王よ、イスラエルには預言者エリシャがいて、貴方が寝室で話す言葉までイスラエルの王に知らせているのです。」アラムの王は言った。「行って、彼がどこにいるのか、見て来るのだ。私は彼を捕らえに人を送る。」こうして王に、「彼はドタンにいる」という知らせがもたらされます。王は、軍馬、戦車、それに大軍をそこに差し向け、夜中に到着し、その町を包囲しました。神の人の召し使いケハジが朝早く起きて外に出てみると、軍馬や戦車を持った軍隊が町を包囲していた。従者は言った。「ああ、御主人よ、どうすればいいのですか。」するとエリシャは、「恐れてはならない。私たちと共にいる者の方が、彼らと共にいる者より多い」と言って主に祈り、「主よ、彼の目を開いて見えるようにしてください」と願った。主が従者の目を開かれたので、彼は火の馬と戦車がエリシャを囲んで山に満ちているのを見た。アラム軍が攻め下って来たので、エリシャが主に祈って、「この異邦の民を打って目をくらましてください」と言うと、主はエリシャの言葉どおり彼らを打って目をくらまされます。エリシャは彼らに、「これは貴方たちの行く道ではない。これは貴方たちの求める町ではない。私について来なさい。貴方たちの捜している人のところへ私が連れて行ってあげよう」と言って、彼らをサマリアに連れて行きます。彼らがサマリアに着くと、エリシャは、「主よ、彼らの目を開いて見えるようにしてください」と言った。主が彼らの目を開かれ、彼らは見えるようになったが、見たのは自分たちがサマリアの真ん中にいるということであった。イスラエルの王は彼らを見て、エリシャに、「私の父よ、私が打ち殺しましょうか、打ち殺しましょうか」と言ったが、エリシャは答えた。「打ち殺してはならない。貴方は捕虜とした者を剣と弓で打ち殺すのか。彼らにパンと水を与えて食事をさせ、彼らの主君のもとに行かせなさい。」そこで王は彼らのために大宴会を催した。彼らは食べて飲んだ後、自分たちの主君のもとに帰って行った。アラムの部隊は二度とイスラエルの地に来なかった。 人は現実の延長線・世界上にしか将来を、将又、非現象界を見ることは出来ない。しかし、聖霊が降臨し、霊の目が開かれた時、私たちは神が共にあるのを見る。エリシャはイスラエルとアラムの戦いのときに、イスラエルの王アハブの子ヨラムを助けました。ヨラム王は、アハブほどではありませんでしたが、主に前に悪を行い利益主義者でもあったので、エリシャはヨラム王を嫌っていました。それにも関わらず、エリシャはイスラエルの王を何度も助けます。これは、イスラエルに主が示されるために必要であったのでしょう。嫌いな相手への証は、その人の救いにつながらなくても、他の人々全体への証とはなるでしょう。また、だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさいと説いています。 また、エリシャがイスラエルの王アハブの子ヨラムを助けたことにより、彼はアラムの王に恨まれ、町を取り囲まれて危険にされされますが、エリシャは敵の数よりも多く、圧倒的に強い「火の馬と戦車」を「聖視」していたので少しも動じませんでした。私たちも嫌いな人に証し或いは助けたことによって、自分の身に危険を招いたり、損をしたりすることがあるかも知れません。他の人も自分も「あんな人を助けなければ良かった」と言うかも知れません。また、如何したら良いかで、慌ててしまうかも知れません。そのようなとき、信仰の目を開かなくてはならないと説いています。話しの結末は、アラムの敵は虜にされ、御都合主義のヨラム王もこのときはだけは、エリシャを尊敬しました。アラムは命が救われたために、以降、とうぶんはイスラエルの地に侵入して来なくなります。此の行為は新約聖書のローマ書12章を連想させます。「もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。」これが私たちの敵や嫌いな人への最善の行動であり証だといっています。
2012年10月11日
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「旧約聖書」聖王以降の王達27(列王記下)預言者エリシャの奇跡六・斧の奇跡 預言者の仲間たちがエリシャに言った。「御覧のように、私たちが貴方と共に住んでいるこの場所は、私たちには狭すぎます。ヨルダンに行き、梁にする材木を各自一本ずつ取って来て、私たちの住む場所を造りましょう。」エリシャは、「行きなさい」と言った。一人が、「どうぞ貴方も私たちと一緒に来てください」と頼んだので、「私も行こう」と言って、エリシャも彼らと共に行った。彼らはヨルダンに来て、木を切り出した。そのうちの一人が梁にする木を切り倒しているとき、鉄の斧が水の中に落ちてしまった。彼は、「ああ、御主人よ、あれは借り物なのです」と叫んだ。神の人は、「どこに落ちたのか」と尋ね、その場所が示されると、枝を切り取ってそこに投げた。すると鉄の斧が浮き上がった。「拾い上げよ」と言われて、その人は手を伸ばし、それを取った。 斧は木を切ったり、割ったりする道具として、イスラエルでも歴史のある道具である。その技術は、当時、鉄工加工を独占していた、ペリシテ人の鉄鋼技術から伝わったとされています。とくに、刃入れはペリシテびとに持って行かなければ出来ませんし、その工賃も高額なものでしたから「ああ、御主人よ、あれは借り物なのです」と叫ぶのも道理です。聖書で斧は象徴的な教訓としてしばしば用い語られています。この斧の事件は、何を語っているのでしょうか。一本の枝をヨルダン川に投げ込むと、何と、金属製で浮き上がることのない斧が浮き上がってくるという奇跡は人間の眼には問題、マイナスといえるものを、主の栄光を現す徴として取り上げられています。エリシャのともがらも、濁った水であるヨルダン川の中に落ちた斧を自分の力では、到底さがすことができないことを知り、すぐに神の人エリシャを呼んだのである。人の限界は、神の御力の始まりだと云うことです。 エリヤはエリシャの目前で、死を見ずして天に引き上げられた後、、エリヤの二倍の霊を下さいと願ったエリシャ。其の二つの霊とは、ひとつは長子が受け継ぐ分を表し、もうひとつは、霊的な家督を全て自分に全部自分にくださいとエリシャは願ったのです。エリアは、それに対し、条件を示します。それはエリアのこの世の最後の場面に立ち会えということ。私があなたのもとから取り去られるのをあなたが見ろと言うことです。この世の最後を看取るのは子の務め。エリアが天に向う場面は霊的なもので、普通の人には見ることが出来ない事です。それを見せることが出来るのは、主なる神しかいない。エリアは神様に判断を委ねます。実の子ではないため自分では決められなかったために。主がエリシャに自分が天に向う霊的場面を見せたなら実の子と同様に主が認めたことになる。結果としてエリシャはエリアが天に昇っていく様を見ることが出来ました。それは一つの霊、エリヤの長子としての相続、もう一つはエリアを通して主の祝福を受け主の霊を受けると言うことでした。主はエリシャをエリアの実の子と同様と認め、祝福を与えたのです。その告白どおり、祝福を受けて、エリヤの昇天を見送った後、エリシャはエリコの飲めない水を飲めるようにした後、以下のような奇跡を起こします。(1)やもめの家の油が尽きない奇跡、(2)不妊の女が身ごもる祝福、(3)死んだ子供を蘇らせる奇跡、(4)煮物の毒を消す奇跡、(5)百人の人々をパン20個で食べさせる奇跡、(6)ナアマン将軍の重い皮膚病の癒し(7)浮き上がる斧の奇跡と続きますが、新約聖書のイエスの奇跡と共通するものが多い事にも驚かされます。
2012年10月10日
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「旧約聖書」聖王以降の王達26(列王記下)預言者エリシャの奇跡五・癒しの奇跡 アラムの王の軍司令官ナアマンは、主君に重んじられ、気に入られていた。主がかつて彼を用いてアラムに勝利を与えられたからである。この人は勇士であったが、重い皮膚病を患っていた。アラム人がかつて部隊を編成して出動したとき、彼らはイスラエルの地から一人の少女を捕虜として連れて来て、ナアマンの妻の召し使いにしていた。少女は女主人に言います。「御主人様がサマリアの預言者のところにおいでになれば、その重い皮膚病をいやしてもらえるでしょうに。」ナアマンが主君のもとに行き、「イスラエルの地から来た娘がこのようなことを言っています」と伝えると、アラムの王は言った。「行くがよい。私もイスラエルの王に手紙を送ろう。」こうしてナアマンは銀十キカル、金六千シェケル、着替えの服十着を携えて出かけた。彼はイスラエルの王に手紙を持って行った。そこには、こうしたためられていた。「今、この手紙をお届けするとともに、家臣ナアマンを送り、貴方に託します。彼の重い皮膚病をいやしてくださいますように。」イスラエルの王はこの手紙を読むと、衣を裂いて言った。「私が人を殺したり生かしたりする神だとでも言うのか。この人は皮膚病の男を送りつけていやせと言う。よく考えてみよ。彼は私に言いがかりをつけようとしているのだ。」神の人エリシャはイスラエルの王が衣を裂いたことを聞き、王のもとに人を遣わして言った。「なぜ貴方は衣を裂いたりしたのですか。その男を私のところによこしてください。彼はイスラエルに預言者がいることを知るでしょう。」ナアマンは数頭の馬と共に戦車に乗ってエリシャの家に来て、その入り口に立った。 エリシャは使いの者をやってこう言わせた。「ヨルダン川に行って七度身を洗いなさい。そうすれば、貴方の体は元に戻り、清くなります。」ナアマンは怒ってそこを去り、こう言った。「彼が自ら出て来て、私の前に立ち、彼の神、主の名を呼び、患部の上で手を動かし、皮膚病をいやしてくれるものと思っていた。イスラエルのどの流れの水よりもダマスコの川アバナやパルパルの方が良いではないか。これらの川で洗って清くなれないというのか。」彼は身を翻して、憤慨しながら去って行った。しかし、彼の家来たちが近づいて来ていさめた。「わが父よ、あの預言者が大変なことを貴方に命じたとしても、貴方はそのとおりなさったにちがいありません。あの預言者は、『身を洗え、そうすれば清くなる』と言っただけではありませんか。」ナアマンは神の人の言葉どおりに下って行って、ヨルダンに七度身を浸した。彼の体は元に戻り、小さい子供の体のようになり、清くなった。彼は随員全員を連れて神の人のところに引き返し、その前に来て立った。「イスラエルのほか、この世界のどこにも神はおられないことが分かりました。今この僕からの贈り物をお受け取りください。」神の人は、「私の仕えている主は生きておられる。私は受け取らない」と辞退した。ナアマンは彼に強いて受け取らせようとしたが、彼は断った。ナアマンは言った。「それなら、らば二頭に負わせることができるほどの土をこの僕にください。僕は今後、主以外の他の神々に焼き尽くす献げ物やその他のいけにえをささげることはしません。ただし、この事については主が僕を赦してくださいますように。私の主君がリモンの神殿に行ってひれ伏すとき、私は介添えをさせられます。そのとき、私もリモンの神殿でひれ伏さねばなりません。私がリモンの神殿でひれ伏すとき、主がその事についてこの僕を赦してくださいますように。」エリシャは彼に、「安心して行きなさい」と言った。ナアマンがエリシャと別れて、少し行ったとき、神の人エリシャの従者ゲハジは、「私の主人は、あのアラム人ナアマンが持って来たものを何も受け取らずに帰してしまった。主は生きておられる。彼を追いかけて何かもらってこよう」と言って、ナアマンの後を追った。ナアマンは彼が後を追って来るのを見て、戦車から飛び降り、彼を迎え、「どうかなさいましたか」と尋ねた。彼は答えた。「何でもありません。私の主人が私を遣わしてこう言いました。『今し方預言者の仲間の若い者が二人エフライムの山地から着いた。彼らに銀一キカルと着替えの服二着を与えてほしい。』」ナアマンは、「どうぞ、二キカル取ってください」と言ってしきりに勧め、二つの袋に銀二キカルを詰め、着替えの服二着を添えて、自分の従者二人に渡した。彼らはそれを持ち、ゲハジの先に立って進んだ。オフェルに着いたとき、ゲハジは彼らからそれらを受け取って家にしまい込み、彼らを帰した。彼らは去って行った。彼が主人のところに来て立つと、エリシャは、「ゲハジ、お前はどこに行っていたのか」と言った。ゲハジは、「僕はどこにも行っていません」と答えたが、エリシャは言った。「あの人が戦車から降りて引き返し、お前を迎えたとき、私の心がそこに行っていなかったとでも言うのか。今は銀を受け、衣服、オリーブの木やぶどう畑、羊や牛、男女の奴隷を受け取る時であろうか。ナアマンの重い皮膚病がお前とお前の子孫にいつまでもまといつくことになるのに。」ゲハジは重い皮膚病で雪のようになり、エリシャの前から立ち去った。 癒しは病気自体が体の不都合から生じる自然な病気か、気鬱が働いた結果から生じたものかによって癒しの方法も変わってきます。気鬱が病の根源として体内に住みついている為に継続的な病人である場合、この種の病の根源(霊)を追い出せば癒しが起きます。しかし自然的な病気の場合は祈りでは決して癒されず、むしろ病気の患部に聖人が触れることにより身体自体を回復することで癒しが起きます。総合検診断食中、隠れた病が特に痛み、早期発見できるケースもあります。すべての病気が気鬱によるものではなく、すべての病気が体の不都合によるものでもありません。見分けることは非常に難しいですが、経験から分かることは実行時の患者の反応で分ることもあります。凡そ宗教と名のつくものには、心と身体の病の癒しがないものは無いと断言出来そうです。
2012年10月09日
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「旧約聖書」聖王以降の王達25(列王記下)預言者エリシャの奇跡四・食の奇跡 エリヤを継承したエリシャは、預言者集団の長となりますが、ギルガルの地が飢饉に見舞われています。飢饉にみまわれた預言者たちが彼の前に座っていたときのこと、彼は従者に、「大きな鍋を火にかけ、預言者の仲間たちのために煮物を作りなさい」と命じます。彼らの一人が野に草を摘みに出て行き、野生のつる草を見つけ、そこから野生のうりを上着いっぱいに集めて帰って来ます。彼らはそれが何であるかを知らなかったので、刻んで煮物の鍋に入れ、人々に食べさせようとよそった。だが、その煮物を口にしたとき、人々は叫んで、「神の人よ、鍋には死の毒が入っています」と言った。彼らはそれを苦くて食べることが出来なかった。そこでエリシャは、「麦粉を持って来るように」と命じ、それを鍋に投げ入れてから、「よそって人々に食べさせなさい」と言うと、鍋には有害なものはなく食べることが出来るようになっていた。 また、一人の男がバアル・シャリシャから初物のパン、大麦パン二十個と新しい穀物を袋に入れて神の人のもとに持って来たといのこと。神の人は、「人々に与えて食べさせなさい」と命じたが、召し使いゲハジは、「どうしてこれを百人の人々に分け与えることができましょう」と答えます。エリシャは再びゲハジ命じた。人々に与えて食べさせなさい。主は言われる。「彼らは食べきれずに残す。」召し使いがそれを配ったところ、主の言葉のとおり彼らは食べきれずに残した。 この後半の奇跡は、イエスが大麦のパン五個で、五千人を養われた新約聖書と酷似している。イエスが、パンを手にして神に祈られた時、この物語を思い起こされます。ヨハネ伝では「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう」。対してイエスは人々を座らせなさいと言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった」。 しかし、旧約聖書には「復活の奇跡」は記されていません。僅かにサウルが預言者を女占い師によって呼び出している場面がありますが、それは新約聖書で云う処の復活ではないでしょう。私たちに食物を与え、必要な時には病をいやされることでは、神が命を支配している徴とみる事は共通しています。
2012年10月08日
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「旧約聖書」聖王以降の王達24(列王記下)預言者エリシャの奇跡三 ある日、エリシャはシュネムに行った。そこに一人の裕福な婦人がいて、彼を引き止め、食事を勧めます。以来彼はそこを通るたびに、立ち寄って食事をするようになります。彼女は夫に言った。「いつも私たちのところにおいでになるあの方は、聖なる神の人であることが分かりました。あの方のために階上に壁で囲った小さな部屋を造り、寝台と机と椅子と燭台を備えましょう。おいでのときはそこに入っていただけます。」ある日、エリシャはそこに来て、その階上の部屋に入って横になり、従者ゲハジに、「あのシュネムの婦人を呼びなさい」と命じた。ゲハジが呼ぶと、彼女は彼の前に来て立った。エリシャはゲハジに言った。「貴方は私たちのためにこのように何事にも心を砕いてくれた。貴方のために何をしてあげればよいのだろうか。王か、軍の司令官に話してほしいことが何かあるのか。」と彼女に伝えなさい。彼女は、「私は同族の者に囲まれて何不足なく暮らしています」と答えた。エリシャは、「彼女のために何をすればよいのだろうか」と言うので、ゲハジは、「彼女には子供がなく、夫は年を取っています」と答えた。そこでエリシャは彼女を呼ぶように命じた。ゲハジが呼びに行ったので、彼女は来て入り口に立った。エリシャは、「来年の今ごろ、貴方は男の子を抱いている」と告げた。彼女は答えた。「いいえ、私の主人、神の人よ、はしためを欺かないでください」と答えた。しかし、この婦人は身ごもり、エリシャが告げたとおり翌年の同じころ、男の子を産んだ。その子は大きくなったが、ある日刈り入れをする人々と共にいた父のところに行ったとき、「頭が、頭が」と言った。父が従者に、「この子を母親のところに抱いて行ってくれ」と言ったので、従者はその子を母親のところに抱いて行った。その子は母の膝の上でじっとしていたが、昼ごろ死んでしまいます。。彼女は上って行って神の人の寝台にその子を横たえ、戸を閉めて出て来た。それから夫を呼び、「従者一人と雌ろば一頭を私のために出してください。神の人のもとに急いで行って、すぐに戻って来ます」と言った。夫は、「どうして、今日その人のもとに行くのか。新月でも安息日でもないのに」と言ったが、「行って参ります」と彼女は言い、雌ろばに鞍を置き、従者に、「手綱を引いて進んで行きなさい。私が命じないかぎり進むのをやめてはいけません」と命じた。こうして彼女は出かけ、カルメル山にいる神の人のもとに来た。神の人は遠くから彼女を見て、従者ゲハジに言った。「見よ、あのシュネムの婦人だ。すぐに走って行って彼女を迎え、『お変わりありませんか、御主人はお変わりありませんか。お子さんはお変わりありませんか』と挨拶しなさい。」彼女は、「変わりはございません」と答えたが、山の上にいる神の人のもとに来て、その足にすがりついた。ゲハジは近寄って引き離そうとしたが、神の人は言った。「そのままにしておきなさい。彼女はひどく苦しんでいる。主はそれを私に隠して知らされなかったのだ。」すると彼女は言った。「私が貴方に子供を求めたことがありましょうか。私を欺かないでくださいと申し上げたではありませんか。」そこでエリシャはゲハジに命じた。「腰に帯を締め、私の杖を手に持って行きなさい。だれかに会っても挨拶しはてはならない。まただれかが挨拶しても答えてはならない。お前は私の杖をその子供の顔の上に置きなさい。」その子供の母親が、「主は生きておられ、貴方御自身も生きておられます。私は決して貴方を離れません」と言ったので、エリシャは立ち上がり、彼女の後について行った。 ゲハジは二人より先に行って、杖をその子供の顔の上に置いたが、声も出さず、何の反応も示さなかったので、引き返してエリシャに会い、「子供は目を覚ましませんでした」と告げた。エリシャが家に着いてみると、彼の寝台に子供は死んで横たわっていた。彼は中に入って戸を閉じ、二人だけになって主に祈った。そしてエリシャは寝台に上がって、子供の上に伏し、自分の口を子供の口に、目を子供の目に、手を子供の手に重ねてかがみ込むと、子供の体は暖かくなった。彼は起き上がり、家の中をあちこち歩き回ってから、再び寝台に上がって子供の上にかがみ込むと、子供は七回くしゃみをして目を開いた。エリシャはゲハジを呼び、「あのシュネムの婦人を呼びなさい」と言った。ゲハジに呼ばれて彼女がエリシャのもとに来ると、エリシャは、「貴方の子を受け取りなさい」と言った。彼女は近づいてエリシャの足もとに身をかがめ、地にひれ伏し、自分の子供を受け取って出て行った。エリシャはギルガルに帰って行きます。 この話はエリヤが行った奇跡とも共通します。エリヤもまた子をよみがえらせています。神が全ての命を支配しており、そのことを示すための証しであった。エリヤは子供の上に三度身を重ねてから、主に向かって祈った「主よ、わが神よ、この子の命を元に返してください」。主は、エリヤの声に耳を傾け、その子の命を元にお返しになった。子供は生き返った。此れは新約・旧約を通じて主なる神の御力の徴として現れます。西洋宗教に多く見られる特徴でしょう。 東洋に於ける仏教では、生死(非常)は今生、世界の原点であり、常套・常住するものは存在しません。仏が生死を司っている訳ではありません。貴女若しくは貴方は、今を、自己を認識して生きて居られますか。「自己を認識して生きている」と答えた御方に御伺いします。誕生以前はどの様で在ったのでしょう。無から突然あなたが宇宙に産まれ出たとは考え難いでしょう。何億の精子と一個の卵子との御縁で生まれ出たと言われた方にお聞きします。その瞬間にあなたに自己意識が芽生えたのでしょうか、将又、胎内で成長する過程で獲得したものなのでしょうか。容易な説明としては、遺伝子が与えてくれた情報に因って意識が目覚めたとするのが一般的な考えです。では其の情報を他人と共有する部分は有ると思われますか。有るとされた方は既に救われています。「我」に固執するなら恐らく「死」は恐怖をもたらします。我執を離れた処に涅槃・HEAVENが待っていると説いています。
2012年10月07日
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「旧約聖書」聖王以降の王達23(列王記下)預言者エリシャの奇跡二 預言者の仲間の妻の一人がエリシャに助けを求めて叫んだ。「貴方の僕である私の夫が死んでしまいました。ご存じのように貴方の僕は主を畏れ敬う人でした。ところが債権者が来て私の子供二人を連れ去り、奴隷にしようとしています。」やもめは「ところが」と言っています。彼女にとても理解できない辛いことがあったのです。預言者の夫が死んだのです。しかも貧乏な家庭であるのは油のツボ一つと、たくさんの借金です。貸主が来ても返すことができませんでした。そして子どもが借金のためにとられてしまいそうなのです。夫は神様を恐れ愛してきたのに、神様にお仕えしてきたのに、なんということでしょうか。エリシャが、「何をしてあげられるだろうか。貴方の家に何があるのか言いなさい」と促すと、彼女は、「油の壺一つのほか、はしための家には何もありません」と答えた。彼は言った。「外に行って近所の人々皆から器を借りて来なさい。空の器をできるだけたくさん借りて来なさい。家に帰ったら、戸を閉めて子供たちと一緒に閉じこもり、その器のすべてに油を注ぎなさい。いっぱいになったものは脇に置くのです。」彼女はエリシャのもとから出て行くと、戸を閉めて子供たちと一緒に閉じこもり、子供たちが器を持って来ると、それに油を注いだ。器がどれもいっぱいになると、彼女は、「もっと器を持っておいで」と子供に言ったが、「器はもうない」と子供が答え、そこで油は止まった。彼女が神の人のもとに行ってそのことを知らせると、彼は言った。「その油を売りに行き、負債を払いなさい。貴方と子供たちはその残りで生活していくことができる。」主が与えてくださった油は、借金の返済だけでなく、この家族が今後も十分に生活できるものでした。主は主に仕える者だけでなく、その家族をも顧みる存在だと云うことです。 この話はエリヤが行った奇跡とも共通する。主は必要な時には、必要なものを与えてくださる。「やもめは行って、エリヤの言葉どおりにした。こうして彼女もエリヤも、彼女の家の者も、幾日も食べ物に事欠かなかった。主がエリヤによって告げられた御言葉のとおり、壺の粉は尽きることなく、瓶の油もなくならなかった」。似通った話は世界中にあります。日本では、四天王で有名な大江山の鬼退治にも出て来ます。帝はついに酒呑童子討伐の勅命を発し、それを受けた藤原頼光、平井(藤原)保昌、そして頼光四天王、渡辺綱、坂田金時(金太郎のモデル)、碓井定光、卜部季武の六人は、山伏の姿となって、大江山「禅定が嶽」へ向かいます。一行が大江山に入ると、頼光らは三人の翁に出会います。三人の翁は八幡、住吉、熊野の神々の化身で、翁達は頼光達に三つの物を授けます。一つは不思議の酒。この酒を鬼が飲むと、飛行自在の力を失い、切っても突いてもわからなくなり、頼光達が飲むと、薬になるというお酒です。二つ目は「打銚子(うちでうし)」この銚子は昔神世の時、鬼神と争いがあった時、この銚子で酒を飲ませ、鬼をたいらげたもの。口の二つあるのは毒と薬のへだてで、柄のながいのは、命の縁起をかたどったもので、このちょうしで酌むなら、不思議の酒もいくら飲んでも尽きないものです。最後は「ほしかぶと」(帽子兜)という兜。このかぶとは昔神軍が悪魔を鎮める時、「正八幡大菩薩が召したる」もので、これを頭に戴いていれば、万人力でくろがねの矢をはなち、矛をふりあげられるようになり、体になんのさわりがないという不思議な兜でした。他にもなかみが尽きない甕の話などは、世界の物語には満載です。また、この様な奇跡が旧約・新約を問わず見かけられるのも興味深いものがあります。
2012年10月06日
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「旧約聖書」聖王以降の王達22(列王記下)預言者エリシャの奇跡一 ユダの王ヨシャファトの治世第十八年に、アハブの子ヨラムがサマリアでイスラエルの王となり、十二年間王位にあった。彼は主の目に悪とされることを行ったが、ただ彼の父や母ほどではなかった。父が作ったバアルの石柱を彼は取り除いた。しかし彼は、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を自分も犯し続け、それを離れなかった。モアブの王メシャは羊を飼育しており、十万匹の小羊と雄羊十万匹分の羊毛とを貢ぎ物としてイスラエルの王に納めていた。しかし、アハブが死ぬと、モアブの王はイスラエルの王に反旗を翻した。 ヨラム王は直ちにサマリアを出て、イスラエルのすべての人々を動員し、出発した。また使者をユダの王ヨシャファトに遣わし、「モアブの王が私に反旗を翻しました。私と共にモアブに行って戦っていただけませんか」と言った。ヨシャファトは、「私も攻め上ります。私は貴方と一体、私の民は貴方の民と一体、私の馬は貴方の馬と一体です」と答え、「我々はどの道を上ればよいのですか」と尋ねた。ヨラムは、「エドムの荒れ野の道を」と答えた。イスラエルの王は、ユダの王およびエドムの王と共に出発したが、迂回するのに七日を費やし、部隊と連れて来た家畜のための水が底をついてしまった。イスラエルの王は、「ああ、主はこの三人の王をモアブの手に渡すために呼び集められたのか」と言った。ヨシャファトが、「ここには我々が主の御旨を尋ねることのできる主の預言者はいないのですか」と尋ねると、イスラエルの王の家臣の一人が、「ここには、エリヤの手に水を注いでいた、シャファトの子エリシャがいます」と答えた。ヨシャファトは、「彼には主の言葉があります」と言った。イスラエルの王は、ヨシャファトおよびエドムの王と共に彼のもとに下って行った。エリシャはイスラエルの王に言った。「私は貴方とどんなかかわりがあるのですか。貴方の父の預言者たちや母の預言者たちのもとに行きなさい。」イスラエルの王は答えた。「いいえ、モアブの手に渡そうとしてこの三人の王を呼び集められたのは主だからです。」エリシャは言った。「私の仕えている万軍の主は生きておられる。私は、ユダの王ヨシャファトに敬意を抱いていなければ、貴方には目もくれず、まして会いもしなかった。今、楽を奏する者を連れて来なさい。」楽を奏する者が演奏をすると、主の御手がエリシャに臨み、彼は言った。「主はこう言われる。この涸れ谷に次々と堀を造りなさい。主がこう言われるからである。風もなく、雨もないのに、この涸れ谷に水が溢れ、貴方たちは家畜や荷役の動物と共にそれを飲む。これは主の目には小さいことである。主はモアブを貴方たちの手にお渡しになる。貴方たちはすべての砦の町、すべてのえり抜きの町を打ち破り、すべての有用な木を倒し、すべての泉をふさぎ、すべての優れた耕地を石だらけの荒れ地とする。」翌朝、献げ物をささげるころ、見よ、水がエドムの方から流れ込んで、その地は水でいっぱいになった。モアブの人々は皆、王たちが攻め上って来たことを聞いた。剣を帯びる年齢に達した者がすべて召集され、国境の守備に就いた。彼らが翌朝早く起きると、太陽が水面を照らしていた。モアブの人々は目の前に血のように赤い水を見た。彼らは、「これは血だ。王たちは自分たちどうしで争い、討ち合ったにちがいない。モアブよ、今こそ奪うときだ」と言い、イスラエルの陣営に突入したが、イスラエルは立ち上がってモアブを迎え撃ち、モアブは敗走した。イスラエルは彼らに襲いかかり、モアブを討った。彼らは町を破壊し、すべての肥沃な耕地を皆がそれぞれ投げ込んだ石で満たし、すべての泉をふさぎ、すべての有用な木を切り倒した。残ったのは、キル・ハレセトの石だけであった。それも投石器を持つ者に囲まれ、攻撃された。モアブの王は戦いが自分の力の及ばないものになってきたのを見て、剣を携えた兵七百人を引き連れ、エドムの王に向かって突進しようとしたが、果たせなかった。モアブの首都キル・ハレセトまで包囲された。モアブ王は自分たちの神ケモシュモに祈り、そこで彼は、自分に代わって王となるはずの長男を連れて来て、城壁の上で焼き尽くす生贄としてささげます。 ところがここに唐突に、イスラエルに対して激しい怒りが起こり、それ故に、イスラエルはそこを引き揚げて自分の国に帰ったと記されています。主の「イスラエルに対して激しい怒りが起こった」とは何故(なにゆえ)か、何事(なにごと)なのか。イスラエル軍に疫病が発生して軍が引き揚げたのか、あるいは北方で対峙するアラム軍(シリヤ軍)が動き始めたのかもしれません。いずれにせよ、イスラエル軍は撤退し、戦いはモアブの勝利となったのです。1868年にた発見され、現在はフランスのルーブル博物館に復元されたメシャ碑文と拓本とが展示されている碑文には言う、モアブのメシャはこのことを、モアブ王メシャがいかにイスラエルの王から独立を勝ち取ったかを誇っています。「私は彼と彼の家を見下ろし、そしてイスラエルは敗北した。それは永久に敗北した」と。預言にもかかわらず、イスラエルは負けた。このことを列王記の読者であるバビロンの捕囚民はどのような思いで聴いているのか。「自分たちも解放されないのか」、罪の重さの中に、出来事を聴いて悲嘆にくれたかもしれません。「主の手が短くて救えないのではない。主の耳が鈍くて聞こえないのでもない。むしろお前たちの悪が、神とお前たちとの間を隔て、お前たちの罪が神の御顔を隠させ、お前たちに耳を傾けられるのを妨げているのだ。それゆえ、正義は私たちを遠く離れ、恵みの業は私たちに追いつかない。私たちは光を望んだが、見よ、闇に閉ざされ、輝きを望んだが、暗黒の中を歩いている」と。イスラエルに対して激しい怒りが起こり、主が勝利を敗北に換えられた故に、イスラエルはそこを引き揚げて自分の国に帰らざるをえなっかったのです。穿った見方をすればモアブ側から見れば、イスラエルの「主なる神」がモアブの神ケモシュモへの祈りで、手を引かざるをえなかったと捉えられることも致し方ないでしょう。
2012年10月05日
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「旧約聖書」聖王以降の王達21(列王記下)大預言者エリヤ(五)・後継者エリシャ 主が嵐を起こしてエリヤを天に上げられたときのことである。エリヤはエリシャを連れてギルガルを出た。エリヤはエリシャに、「主は私をベテルにまでお遣わしになるが、貴方はここに留まっていなさい」と言った。しかしエリシャは、「主は生きておられ、貴方御自身も生きておられます。私は貴方を離れません」と答えたので、二人はベテルに下って行きます。ベテルでは、その地の預言者の仲間たちがエリシャのもとに出て来て、「主が今日、貴方の主人を貴方から取り去ろうとなさっているのを知っていますか」と問うと、エリシャは、「私も知っています。黙っていて下さい」と答えます。エリヤは、「エリシャよ、主は私をエリコへお遣わしになるが、貴方はここにとどまっていなさい」と言った。しかしエリシャは、「主は生きておられ、貴方御自身も生きておられます。私は貴方を離れません」と答えたので、二人はエリコに来た。エリコの預言者の仲間たちがエリシャに近づいて、「主が今日、貴方の主人を貴方から取り去ろうとなさっているのを知っていますか」と問うと、エリシャは、「私も知っています。黙っていてください」と答えた。エリヤはエリシャに、「主は私をヨルダンへお遣わしになるが、貴方はここにとどまっていなさい」と言った。しかしエリシャは、「主は生きておられ、貴方御自身も生きておられます。私は貴方を離れません」と答えたので、彼らは二人して出かけて行き、預言者の仲間五十人もついて行った。彼らは、ヨルダンの畔に立ち止まったエリヤとエリシャを前にして、遠く離れて立ち止まっています。エリヤが外套を脱いで丸めて水を打つと、水が左右に分かれたので、彼ら二人は乾いた土の上を渡って行った。渡り終わると、エリヤはエリシャに言った。「私が貴方のもとから取り去られる前に、貴方のために何をしようか。何なりと願いなさい。」エリシャは、「貴方の霊の二つの分を私に受け継がせてください」と言います。エリヤは「貴方はむずかしい願いをする。私が貴方のもとから取り去られるのを貴方が見れば、願いはかなえられる。もし見なければ、願いはかなえられない。」と言った。二人が話しながら歩き続けていると、見よ、火の戦車が炎の馬に引かれて現れ、二人の間を分けた。エリヤは嵐の中を天に上って行きます。エリシャはこれを見て、「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」と叫んだが、もうエリヤは見えなかった。エリシャは自分の衣をつかんで二つに引き裂いた。エリヤの着ていた外套が落ちて来たので、彼はそれを拾い、ヨルダンの岸辺に引き返して立ち、落ちて来たエリヤの外套を取って、それで水を打ち、「エリヤの神、主はどこにおられますか」と言った。エリシャが水を打つと、水は左右に分かれ、彼は渡ることができた。エリコの預言者の仲間たちは目前で彼を見て、「エリヤの霊がエリシャの上にとどまっている」と言い、彼を迎えに行って、その前で地にひれ伏した。彼らはエリシャに「御覧ください。僕たちのところに五十人の戦士がいます。彼らに貴方の主人を捜しに行かせてください。主の霊は彼を運び去り、どこかの山か谷に投げ落としたかもしれません。」と言った。しかしエリシャは、「行かせてはならない」と答えたが、彼らがあまりにもしつこく願ったので、「行かせなさい」と言うと、彼らは五十人を送り出して三日間エリヤを捜させたが、見つけることが出来ずに、エリコにいるエリシャのもとに帰って来た。エリシャは、「行くなと言ったではないか」と言った。ところでまた、この町の人々はエリシャのところに来て、「御覧のように、この町は住むには良いのですが、水が悪く、土地は不毛です」と訴えます。彼は、「新しい器を持って来て、それに塩を入れなさい」と命じ、人々が持って来ると、彼は水源に出かけて行って塩を投げ込み、「主はこう言われる。私はこの水を清めた。もはやここから死も不毛も起こらない」と言った。エリシャの告げた言葉のとおり、水は清くなって今日に至っている。エリシャはそこからベテルに道を上って行くと、町から小さい子供たちが出て来て彼を嘲り、「はげ頭、上って行け。はげ頭、上って行け」と囃します。エリシャが振り向いて彼らを睨みつけ、主の名によって彼らを呪うと、森の中から二頭の熊が現れ、子供たちのうちの四十二人を引き裂いた。エリシャはそこからカルメル山に行き、そこからサマリアに帰った。 エリシャが言った「貴方の霊の二つの分を私に受け継がせてください」とは、エリアの持っている権能を受け継ぐと言う意味です。当時のイスラエルの律法では、長子と認められると、父親は長子に自分の全財産の中から他の二倍の分け前を与えねばならないとされています。原則、次男以下には譲りません。家督とは財産全てです。ただ分家する時次男以下にはわずかの財が与えられます。エリシャはエリアの子供ではありません、エリアがどれほどの財産が有ったかは解りませんが、この場合、それ以外のことをエリシャは望んでいます。二つの霊のうちひとつは長子が受け継ぐ分を表す。もうひとつは、霊的な家督を全て自分に全部自分にくださいとエリシャは願ったのだ。エリアは、それに対し、条件を示します。それはエリアのこの世の最後の場面に立ち会えということ。わたしがあなたのもとから取り去られるのをあなたが見ろと言うことです。この世の最後を看取るのは子の務め。エリアが天に向う場面は霊的なもので、普通の人には見ることができない。それを見せることが出来るのは、主なる神しかいない。エリアは神様に判断を委ねます。実の子ではないため自分では決められなかったために。主がエリシャに自分が天に向う霊的場面を見せたなら実の子と同様に主が認めたことになる。結果としてエリシャはエリアが天に昇っていく様を見ることが出来た。それは一つの霊、長子としての相続、もう一つは主の祝福を受け神の霊を受けると言うことでした。主はエリシャをエリアの実の子同様と認め、祝福を与えたのです。
2012年10月04日
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「旧約聖書」聖王以降の王達20(列王記下)大預言者エリヤ(四) 旧約聖書では暴君や暗君のように描写されている北イスラエル王アハブですが、オムリの代から続いていた首都サマリヤの建設など、アハブは幾つかの町を完成させます。史的観点からは、アハブはシリアの王女イゼベルを妻に迎え同盟を強化、イゼベルはシリアのバアル崇拝をイスラエルに導入はしますが、これは近隣諸国の文化の移入であり、またイスラエルの宗教状況の国際化ともいえます。そして、シリア人やカナン人、フェニキア人との交流や同盟を通じて経済力と軍事力を増大させ、婚姻によりユダに影響力を行使し、ダマスコに並ぶ北パレスチナの地域大国としてイスラエルの地位を飛躍的に高めました。そのため、彼の治世下に於いて、北イスラエル王国をシリアと同盟関係にある国々の中で重要な地位に立たしめます。治世の後半にはダマスコなどの北パレスチナの諸王国が同盟を結び、アッシリアのシャルマネセル三世と戦い、当時の超大国アッシリア帝国の侵攻を防ぐために戦って攻撃を凌ぎます。このカルカルの戦いでは戦いでアハブは同盟の主催者ダマスコに次ぐ規模の一万人の兵士と、同盟軍中最大となる二千の戦車隊を参加させ、連合軍の勝利に貢献しました。ところが、カルカルの戦いが終わって間もない紀元前852年はダマスコとイスラエルの間で争いが生じます。アハブはその戦いで命を落とすこととなりました。このように史実では、アハブは父オムリの政策を引き継ぎ、イゼベルの助けも借りながら周辺諸国との交流や同盟を通じて国力を増大させ、ユダに影響力を及ぼし、ダマスコに匹敵するほどの大国にまでイスラエルの地位を向上させた有能な王である。このことから、史実からアハブならびにイスラエル王国を論じる際には、ヤハウェ信仰に基づき記述されている旧約聖書の視点から離れる必要があるかも知れません。 アハブはアラムとの戦陣で死に、モアブはイスラエルに反旗を翻す。アハブの子アハズヤが王位についたが、彼は王宮の屋上から落ち、病気になります。アハズヤは八方塞の中で救いを求めて、バアルの神に使者を送って「エクロンの神バアル・ゼブブのところに行き、この病気が治るかどうか尋ねよ」と命じます。 一方、主の御使いはティシュベ人エリヤに告げます。立って、上って行き、サマリヤの王の使者に会って言いなさい。あなたがたがエクロンの神バアル・ゼブブに尋ねようとして行くのは、イスラエルに神がないためかと。それゆえ主はこう仰せられる、「あなたは、登った寝台から降りることなく、必ず死ぬであろう」と王の使者に預言してエリヤは上って行った。使者たちが帰って来たので、アハズヤは、「お前たちはなぜ帰って来たのか」と尋ねた。彼らは、一人の人が私たちに会いに上って来て、「あなたたちを遣わした王のもとに帰って告げよ。主はこう言われる。あなたはエクロンの神バアル・ゼブブに尋ねようとして人を遣わすが、イスラエルには神がいないとでも言うのか。それゆえ、あなたは上った寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ」と言ったと報告します。アハズヤは、「お前たちに会いに上って来て、そのようなことを告げたのはどんな男か」と彼らに尋ねると、毛衣を着て、腰には革帯を締めていましたと、彼らが答えると、アハズヤは、「それはティシュベ人エリヤだ」と言い、先ず、アハズヤは五十人隊の長を、その部下五十人と共にエリヤのもとに遣わします。隊長がエリヤのもとに上って行くと、エリヤは山の頂に座っていました。隊長が、「神の人よ、王が、降りて来なさいと命じておられます」と言うと、 エリヤは五十人隊の長に「私が神の人であれば、天から火が降って来て、あなたと五十人の部下を焼き尽くすだろう」と言い放ちます。すると、天から火が降って来て、隊長と五十人の部下を焼き尽くしたので、王は再びもう一人の五十人隊の長を、その部下五十人と共にエリヤのもとに遣わして、隊長が、「神の人よ、王が、急いで降りて来なさいと命じておられます」と言いかけると、エリヤは彼らに答えて、再度「私が神の人であれば、天から火が降って来て、あなたと五十人の部下を焼き尽くすだろう」と言うと、、天から神の火が降って来て、隊長と五十人の部下を焼き尽くします。王は更に三人目の五十人隊の長とその部下五十人を遣わしますが、三人目の五十人隊の長は上って来て、エリヤの前にひざまずき、懇願し、「神の人よ、どうか私の命と、あなたの僕であるこの五十人の命を助けてください。御覧のように、天から火が降って来て、先の二人の五十人隊の長と彼らの部下五十人を焼き尽くしました。どうか、私の命を助けてください。」と言い、主の御使いがエリヤに、「彼と共に降りて行け。彼を恐れるには及ばない」と告げたので、エリヤは立ち上がって彼と共に王のところに降りて行って、王に主はこう言われるとこう告げた。「あなたはエクロンの神バアル・ゼブブに尋ねようとして使者を遣わしたが、それはイスラエルにその言葉を求めることのできる神はいないということか。それゆえあなたは上った寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ。」王はエリヤが告げた主の言葉どおりに死んで、ヨラムが彼に代わって王位に就きます。それはユダの王、ヨシャファトの子ヨラムの治世第二年のことである。アハズヤには息子がなかったからである。 物語は、バビロンに捕囚となっている民に対しても語られている。捕囚の民は、自分たちの神がバビロニヤの神に破れたと思い、愚かにも主を離れてバビロニヤの偶像神の言葉を聴こうとしています。それはアハズヤの愚かさだと云っています。エクロンの神バアル・ゼブブ=蝿の王の意ですが、当時は蝿によって疫病が運ばれるので、人々は災いをもたらす神として恐れていました。
2012年10月03日
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「旧約聖書」聖王以降の王達19(列王記上)北イスラエルとユダの鼎立時代の王達八・アハブとヨシャファトの死 イスラエルの王アハブは、ユダの王ヨシャファトと共にラモト・ギレアドに攻め上り、そこでイスラエルの王アハブはユダの王ヨシャファトに、「わたしは変装して戦いに行きますが、あなたは御自分の服を着ていてください」と言い、イスラエルの王は変装して戦いに行きます。アラムの王は配下の戦車隊の長三十二人に、「兵士や将軍には目もくれず、ただイスラエルの王をねらって戦え」と命じていたので、戦車隊の長たちはヨシャファトを見たとき、「これこそイスラエルの王にちがいない」と言い、転じて彼に攻めかかろうとします。ヨシャファトは助けを求めて叫んだところ、戦車隊の長たちは、彼がイスラエルの王でないと知り、追うのをやめて引き返しました。ところが一人の兵が、主の御力の介在なのか、何気なく弓を引き、イスラエル王アハブの鎧の胸当てと草摺りの間を射貫きます。アハブ王は御者に言った。「手綱を返して敵陣から脱出させてくれ。傷を負ってしまった。」その日、戦いがますます激しくなったため、アハブ王はアラム軍を前にして戦車の中で支えられていたが、夕方になって息絶えてしまいます。傷口からは血が戦車の床に流れ出ていました。日の沈むころ、「おのおの自分の町、自分の国へ帰れ」という叫びが陣営の中を行き巡った。王は死んでサマリアに運ばれ葬られた。サマリアの池で戦車を洗うと、主が告げられた言葉のとおり、犬の群れが彼の血をなめ、遊女たちがそこで身を洗っていた。アハブは彼の建てた象牙の家を残し、先祖と共に眠りにつき、その息子アハズヤがアハブに代わって王位に就きます。 一方のユダの王ヨシャファトは、紀元前908年頃、アサを父、ヒルヒの娘アズバを母として生まれ、イスラエルの王アハブの治世第四年に三十五歳で、ユダの王となりエルサレムで二十五年間王位にあり、父アサに従って主の目にかなう政治を行います。治世の第3年に、つかさたちを遣わして主の律法を民に教えますが、聖なる高台は取り除きませんでしたから、民は依然として聖なる高台でいけにえをささげ、香をたいていました。また、ソロモンの死後対立していた北イスラエル王国と和解をはかり、アハブ王の娘アタルヤを自分の息子ヨラムの妻にすることで和解を成し遂げました。ヨシャファトがアハブを訪ねたとき、アラムの手からラモテ・ギルアデを奪還する戦いに参加するように説得され、アハブ王はその戦いで戦死して、ヨシャファトは敗走し帰国します。預言者エフーには彼が主の道を歩まないアハブと手を組んだことを責められもします。そこでもう一度、宗教改革を行い、礼拝を促進して、エルサレムにレビ人と祭司からなる最高裁判所を置きました。彼は父アサの時代に残っていた神殿男娼の残りをこの国から除き去った。更に、ヨシャファトはタルシシュの船を数艘造り、黄金を求めてオフィルに行こうとしたが、船団はエツヨン・ゲベルで難破し、行くことができなかった。そのとき、主の目に悪とされることを行うアハブの子アハズヤがヨシャファトに、「わたしの家臣たちをあなたの家臣たちと共に船に乗り込ませればよい」と誘いますが、ヨシャファトはそれを望みませんでした。ヨシャファトは紀元前848年頃、60歳で死去して、先祖と共に眠りにつき、先祖と共に父ダビデの町に葬られた。その子ヨラムがヨシャファトに代わって王位に就きます。アハブの子アハズヤは、ユダの王ヨシャファトの治世第十七年にサマリアでイスラエルの王となった。彼は二年間イスラエルの王位にあった。彼は主の目に悪とされることを行い、父の道と母の道、およびイスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの道を歩んだ。彼はバアルに仕え、その前にひれ伏し、父と全く同じように行って、イスラエルの神、主の怒りを招くことになります。
2012年10月02日
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「旧約聖書」聖王以降の王達18(列王記上)北イスラエルとユダの鼎立時代の王達七・サマリアの預言者ミカヤ イスラエルの王アハブはユダの王ヨシャファトと共に、サマリアの城門の入り口にある麦打ち場で、それぞれ正装して王座に着いています。預言者たちは皆、その前に出て預言、ケナアナの子ツィドキヤが数本の鉄の角を作って、「主はこう言われる。これをもってアラムを突き、殲滅せよ」と言うと、他の預言者たちも皆同様に預言して、「ラモト・ギレアドに攻め上って勝利を得てください。主は敵を王の手にお渡しになります」と言った。ミカヤを呼びに行った使いの者は、ミカヤにこう言い含めます。いいですか、預言者たちは口をそろえて、王に幸運を告げています。どうかあなたも、彼らと同じように語り、幸運を告げてください。其れに対し、ミカヤは、「主は生きておられる。主がわたしに言われる事をわたしは告げる」と言って王のもとに来た。王アハブが、「ミカヤよ、我々はラモト・ギレアドに行って戦いを挑むべきか、それとも控えるべきか、どちらだ」と問うと、彼は、「攻め上って勝利を得てください。主は敵を王の手にお渡しになります」と答えます。その預言に偽りを見た王が彼に、「何度誓わせたら、お前は主の名によって真実だけをわたしに告げるようになるのか」と言うと、彼は、イスラエル人が皆、羊飼いのいない羊のように山々に散っているのをわたしは見ました。主は、彼らには主人がいない。彼らをそれぞれ自分の家に無事に帰らせよと言われましたと、真実の預言をつたえます。イスラエルの王はヨシャファトに言った。「あなたに言ったとおりではありませんか。彼はわたしに幸運ではなく、災いばかり預言するのです。」だが、ミカヤは続けます「主の言葉をよく聞きなさい。わたしは主が御座に座し、天の万軍がその左右に立っているのを見ました。主が、アハブを唆し、ラモト・ギレアドに攻め上らせて倒れさせるのは誰かと言われると、あれこれと答える者がいましたが、ある霊が進み出て主の御前に立ち、わたしが彼を唆しますと申し出ました。主が、どのようにそうするのかとただされると、その霊は、わたしは行って、彼のすべての預言者たちの口を通して偽りを言う霊となりますと答えました。主は、あなたは彼を唆して、必ず目的を達することができるにちがいない。行って、そのとおりにせよと言われました。今御覧のとおり、主がこのあなたのすべての預言者の口に偽りを言う霊を置かれました。主はあなたに災いを告げておられるのです。」これを聞いたケナアナの子ツィドキヤがミカヤに近づいて頬をなぐり、「主の霊はどのようにわたしを離れ去って、お前に語ったというのか」とミカヤに言った。「あなたが身を隠そうと部屋から部屋へと移る日にそれが分かる」とミカヤは答えます。イスラエルの王は命じた。「ミカヤを捕らえ、町の長アモンと王子ヨアシュのもとに引いて行って言え、この男を獄につなぎ、わたしが無事に帰って来るまで、わずかな食べ物とわずかな飲み物しか与えるなと申されていますと。ミカヤは王に、「もしあなたが無事に帰って来ることができるなら、主はわたしを通して語られなかったはずです」と言い、「すべての民よ、あなたたちも聞いておくがよい」と言った。 この章では、二人の王よりも預言者ミカヤの存在が際立っています。彼の預言の特徴は、たとえ自分にとって都合が悪くても、ただひたすらに神の御旨を伝えることにありました。そのようなミカヤの態度は、おのずと批判的精神を帯びています。権力にすがり、すっかり骨抜きにされた預言者たちでは到底なしえない働きでした。
2012年10月01日
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