全31件 (31件中 1-31件目)
1

「神秘学概論」読解7 人間の構成要素 シュタイナーの言う人間の構成要素にあっては、肉体を鉱物界と共有し、エーテル体を植物と共有し、アストラル体を動物と共有しているとする。然し乍ら、そこには大きな違いがあること見い出されます。しかもそれを見落とすことはできない。たとえば、「人間存在一人ひとりに於いて、アストラル体は二層である」「私が、自我が、三つの身体構成体に作用して初めて、人は真の意味で自らの使命を果たすのです。」(「薔薇十字の秘教」第3講「人の性質と存在1909年7月5日 ブダペスト)で講じられているように、人間は自らの肉体、エーテル体、アストラル体に自我によって働きかけそれを変容させることができ得るわけです。人間生命と他の生命体とはそこに大きな違いがあえいます。 シュタイナーは、人間を、身体的な要素である肉体、エーテル体(生命体)、アストラル体。魂的な要素である感覚魂、悟性魂、意識魂。霊的な要素である霊我、生命霊、霊人。というふうに三分節及び九つに区分してとらえています。将亦、感覚魂とアストラル体、悟性魂と自我、意識魂と霊我をそれぞれアストラル体、自我、霊我としてとらえて、肉体、エーテル体(生命体)、アストラル体、自我、霊我、生命霊、霊人というふうに7つに区分してとらえることもでき得るかも知れません。参照:人間の身体構成要素に関しての対訳 体:Leib 肉体: Physischer Leib エーテル体:生命体(/Aetherleib/Lebensleib) アストラル体:Astralleib 魂 : Seele 感覚魂:Empfindungsseele 悟性魂(心情魂): Verstandesseele(Gemuetsseele) 意識魂:Bewusstseinsseele 自我:Ich 霊 :Geist 霊我:Geistselbst 生命霊:Lebensgeist 霊人:Geistmensch 哲学・思想ランキング
2022年12月31日
コメント(0)

「神秘学概論」読解6 魂(Seele) - 2 意識魂 人間はみずからの内に、神的なものを見出すことができる。なぜなら、人間のもっとも根源的な存在部分は、神的なものからとってこられたのだから。このように人間は、みずからの中の神的なものを通して、魂の第三分肢を獲得する。アストラル体を通して、外的な意識を獲得するように、自我というみずからの中の神的なものを通して、自分自身についての内的な意識を獲得する。それゆえ、神秘学は魂のこの第三分肢を「意識魂」と呼ぶ。そして神秘学の意味において、魂は感覚魂、悟性魂、意識魂の三分肢から成り立っている。同様に「身体」は 肉体、エーテル体、アストラル体の三分肢から成り立っている。 (P66,69-70,72) 心と体、または心さえ体から生み出される現象のようにとらえる仕方があたりまえのようになってしまっている現代では、「魂」という言葉は、どのようにとらえていいかわかりにくくなっているように見える。今や現代人にとって「魂」は新たに発見しなければらない類(たぐい)のものになっている。もちろんここで「魂」と使われているのは霊ー魂ー体という三分節からきている。現代においては、「魂」や「霊」という言葉は違和感を伴うらしく、抽象的にそれらを「こころ」「いのち」とかいう言葉に置き換えてなんとか辻褄を合わせ、それらを扱おうと試みることもあるようだけれど、そういう言葉の置き換えは、寧ろすべてを曖昧にさせてしまうことになる。 それでは、「魂」とは何かということになるのだけれど、それをアストラル体との違いとしてとらえるならば、シュタイナーは「眼の前の対象を意識化するのは、アストラル体の働きである。しかしその意識を永続的なものにするのは、「魂」であるとしているが、人間の場合は、アストラル体とそれに結びついている「感覚魂」があり、それによって対象を意識するとともにそれを持続的なものとすることができる。また、「悟性魂」においては、対象を意識するその意識に働きかけることができ、さらに「意識魂」においては、対象へ依存している意識ではなく、恐らくは、謂わば対象のない思考をも可能にするような、内的意識が可能になる。そのように「魂」ということをとらえる際には、その「感覚魂」「悟性魂」「意識魂」の三つの魂の働きについてとらえる必要がある。哲学・思想ランキング
2022年12月30日
コメント(0)

「神秘学概論」読解6 魂(Seele) - 1 感覚魂と悟性魂 アストラル体がみずからを自由な状態におけば、快と不快、飢えと渇きがそこに現われるであろう。しかしその場合は、これこそが持続的なものだという感情は現われない。その場合、持続そのものではなく、持続を体験するものが「自我」なのである。{参照:アンリ=ルイ・ベルクソン(Henri-Louis Bergson /1859年 - 1941年)著作『時間と自由』}眼の前の対象を意識化するのは、アストラル体の働きである。しかしその意識を永続的なものにするのは、魂なのである。しかし今述べたことからもすぐ分かるように、人間の中ではアストラル体と、意識を持続的なものにする魂の働きとが、深く結びついている。その魂の働きとアストラル体とは、人間のいわば同じ本性となっている。したがって、この両者をも「アストラル体」と呼ぶことができる。しかしさらに正確な言い方をしようとするなら、人間のアストラル体を「魂体」と呼び、アストラル体に結びついている魂を「感覚魂」と呼ぶこともできる。 自我が対象を意識するだけでなく、更にその意識に働きかけを行うとき、自我の本性は一段高次の段階に上る。この活動を通して、自我は、知覚の対象からますます離れて、自分の所有しているものの中で働くようになる。そうすることのできる魂の部分は、悟性魂もしくは心情魂と呼ばれる。感覚魂も悟性魂も、感覚的に知覚された対象の印象を受けとり、それを記憶に保持するが、その時の魂は、自分の外なるものに完全に帰依している。記憶を通してみずからの所有物にしたものも、魂は外から受けとったのである。しかし魂は、こうしたすべてを超えていくことができる。魂は感覚魂と悟性魂だけではない。超感覚的な直観は、ひとつの単純な事実に眼を向けることによて、このさらなる魂の行為についてのイメージを、容易につくることができる。哲学・思想ランキング
2022年12月29日
コメント(0)

「神秘学概論」読解5 霊的進化の経緯 - 2 思考は生命力を犠牲にすることで生まれてきたという。たとえばトカゲの尻尾が生え替わり、蛸の足が再生されるような能力が失われ、そうした能力が他の分野に変容することではじめて思考することができるようになった。蜜蜂の集合魂のような在り方をこれからの進化期において人は獲得していくということだけれど、人はそのとき蜜蜂そのもののような集合体になるわけではない。かつて人は集合魂的であり、それが個においても顕現しうるものになった。その個が否定されるのではなく、その個々を踏まえながら新たな進化段階を迎えるということである。 人間の進化経過において重要なのは、「私」ゆえに「私達」なのであって、「我々・私達」ゆえの「私」ではないということである。その進行段階が踏まえられないときに、人は容易に集合魂的な退行に陥ってしまうことになる。「国」あってゆえの「私」という発想がそうである。「国家」は個々の人間の生命の尊重ゆえの国家であり、個々の人間生命を疎かにする国家権力機関はその機能を果しているとは言い難い。「自由の哲学」が重要であるのも、その進化の経緯においてそれが踏まえられる必要があるからである。人は集合的になることで容易に「私」を超えてゆこうとするのだが、「私」を超えるのではなく、「私」が拡大変容するということでなくては、それは単に退行にすぎないだろう。霊的な事象に関わるときにも、唯物論的な考え方が不要だということではなく、その唯物論的な観点が不充分であるというふうに捉える必要がある。つまり、唯物論的な目的を持って得られたものを否定するのではなく、それを踏まえながら新たな認識へと上昇志向させていくということ。感覚的な観察をおざなりにするということでなく、それを踏まえて先に進むということである。人間精神における「物質は光になろうとしている」というのも、物質そのものを踏まえながら、それがいかに霊的なものであるかということを深く認識しなければならないということでもあろう。「物質は光になろうとしている」とは物質が質量・体積を持たないエネルギーそのものをば霊的なものに比肩しています。そういう意味でも、霊的なものを否定するのではなく、また霊的なものを礼讃するのでもなく、いかに世界の諸事象を囚われなく観察することのできる観点が得られるかということが重要なのである。哲学・思想ランキング
2022年12月28日
コメント(0)

「神秘学概論」読解5 霊的進化の経緯 - 1 超感覚的な事象の記述が、この「エーテル体」または「生命体」に及ぶと、現代の物質的観点からするとどうしても矛盾に陥らざるをえないところに突き当たる。現在の精神段階においては、人間本性のこの分肢に話が及ぶと、人はそれを非科学的なことだと思ってしまう。現代の唯物論的な立場は、生命のある身体の中にも、無生物としての鉱物の中に見出せる物質素材とその働き以外のものを見ようとはしない。超感覚的な認識の観点に立って、このような立場の科学者と議論しても、概して何の成果も得られないであろう。むしろ、唯物論的な考え方が、我々人類の時代における自然科学の偉大な進化にとって必要だったのだと考えることの方が、超感覚的な認識の立場にはより相応しいといえよう。自然科学の進歩は、感覚的な観察手段を無限に洗練させていく。人間は進化の過程で、其の都度、とある能力を他の能力の犠牲の上に、より完全なものにしていく。このことは、人間の本質に基づいている。厳密な感覚的な観察は、自然科学によって重要な発展を遂げたが、そのために「隠された世界」へ導く能力の育成を犠牲にしなければならなかった。しかし、この能力の育成を必要とする時代が、今再びやってきたのだ。(P60-61) 記:現代物理科学が描く宇宙創生のメカニズムは、近代科学の素粒子の世界であるビッグバン理論を遥かに遡り、次にはインフレーションをも更に遡り、物理法則そのものを超えた、そもそもの宇宙創生の素因を追求しつつあります。哲学・思想ランキング
2022年12月27日
コメント(0)

「神秘学概論」読解4 懐疑心 - 2 現代人は、疑心暗鬼の塊で、騙されやしないかといつも不安である。そのわりには、それが逆転して、一度信じ込んだら、その洗脳の影響を脱しがたいという状態にもなる。本当のところは何かを真に認識しようとしているのではなく、ただ騙されまいとだけしているために、その疑心暗鬼の閂が一度外れると、その姿勢が単に顕わになるというだけのことかもしれない。其のこと故に、世の皆んながしていると自分もそうしたくなり、一極集中のようなブームなども起こりやすい。つまり、安心して目を瞑って手を引いて貰いたいう依頼心が心を占める。懐疑は必要不可欠であるが、その懐疑の底には認識への欲求がなければならない。そうでないと、信じたいけれど信じられないというに過ぎないことになる。信じたくないし信じてもいないけれどもそうであると考えざる得えないというのが懐疑から導き出されるものでなければならないだろう。そのためにも、懐疑はより多面的なものである必要がある。水が幾重もの濾紙にかけられていき濾過されるように、懐疑は幾重もの異なった濾過装置が必要なのである。そういう意味での門前払いの虚無主義でない「真理や価値を否定する考え方」であるニヒリズムは積極的な生の肯定にもなりうる可能性を秘めています。逆にいえば、 というフィルターを経ない「生」は他律的なものになってしまいかねない。最初から生に対して目を瞑ったまま肯定していると、それに対して絶望せざるをえない状況に陥ったときに、生そのものを吟味しないままその絶対否定に陥ってしまってもおかしくはない。「明らかな事柄の中に隠された意味を認識」しようとするならば、先ずは、その「明らか」であるということに対して懐疑の視線を向けなければならない。そうでないと、最初から「隠された意味」が否定されてしまっていることになる。それは認識そのものの否定にもなりかねない。先ずは目を開けて、今の自分が「明らか」だと思っていることを信じないようにすることから始める必要があるのではないだろうか、それが真の懐疑への心構えとする神秘学への対面です。哲学・思想ランキング
2022年12月26日
コメント(0)

「神秘学概論」読解4 懐疑心 - 1 明らかな事柄の中に隠された意味を認識する人、もしくはそれを推測し予感する人ならば、どんな人でも神秘学への道を、その人に相応しい時点で見い出すことができる。そのような人は、人間の認識の力が進化しうることを知っており、いつかは隠された意味が自分にも開示されるであろうと感じている。そのような魂の体験を通して神秘学に導かれる人は、神秘学が自分の認識衝動の問いに答えを与えてくれると思えるだけでなく、生命を弱め、妨げるすべてを神秘学によって克服することも期待でき得るようになる。人間が超感覚的なものから離れたり、それを拒否したりせざるをえなくなるとすれば、それは高次の意味で、生命を弱め、魂を死に至らしめる。 人間は騙されやすい存在なのだ。隠された意味など存在せず、感覚と悟性の及ぶ範囲内に、そもそも存在しうるもののすべてが含まれていると信じさせられているとも言える。然し乍ら、この思い違いは、意識の表面では可能であっても、意識の深みにおいては存在しえない。人間の感情と願望とは、この思い違いに従おうとしないで、繰り返して隠された意味を求め続ける。そしてそれを見出せなかったときには、懐疑的になり、人生を不確かなものと感じ、絶望へ駆り立てられる。隠された意味を開示する認識は、希望のない不確かな絶望的な状態を、つまり生命を弱め、世界のために役立つ力を失わせるすべてを克服することができるのである。 霊学の認識は、知的な好奇心を満足させるだけではなく、生きる上での強さと確かさを与えてくれる。このことは、霊学の実らせる美しい果実なのだ。この認識が労働の力と人生への信頼とを汲み上げる泉は、尽きることがない。一度この泉を見出した人は、そこへ戻るたびに、必ず慰めと力づけとを受けとるであろう。(P48-51)記:現実を仮のものとは見ず、現実世界にこそ真理が宿ると考えて、現実を重視する姿勢である「密教」も懐疑を顕にする点では神秘学に通じるものがあります。哲学・思想ランキング
2022年12月25日
コメント(0)

「神秘学概論」読解3 真の科学的立場と科学主義 科学主義(scientism)という表現は、基本的には、いくつもある知のあり方の一つである「科学」が、「科学」にふさわしい領域を越えて適用されうるというやり方、しようとするやり方について、不当な拡大適用だ、として批判的に指示する表現である。科学万能主義や科学教と呼ばれたり、思い込みの強さ・教条主義的・狂信的であることをはっきり表すために科学原理主義、科学崇拝などと呼ばれることもある。最も極端な形の科学主義は、全ての人類の問題と、人類の試みの全ての側面への対処と解決が、科学だけでなしうるとする信仰にまで高められる。謂わば「物理教」と呼称するほうが相応しい。シュタイナーは科学主義崇拝を批判的に捉えているように思えます。このことが唯物論を政治論にまで拡張した社会的・史的唯物主義からみれば敵対視されることになります。シュタイナーに言わせれば、科学が真を離れて科学主義になってしまうのは、科学という研究方法に即することではなく、研究対象を限定しその限定されたなかで現われてくることだけを研究しようとするからではないだろうかという立場です。「主義」というのは、おそらくそうした傾向を持ち、自分の見たいもの、考えたいことだけのなかで、独善的とでもいえる一貫性やそれに都合のいい論理を求めることなのかもしれない。学問が、専門領域に閉じてしまうことが多いのもそれに似ている。医療が人間を各種専門分野に分断し、病名に応じたところでしか治療を受けられないような状態になっているのも、さまざまな部局割拠主義(セクショナリズム/sectionalism)の支配する役所的な在り方も、対象を限定することのほうに力点を置くがゆえに、そういう方向にならざるをえないのだろう。森羅万象を必然的に「物理科学」で証明しようという立場は現代物理学では「人間原理」から見るように「偶然」を認証する立場から、量子力学などにおいても、観察行為が対象に影響しているというか観察と対象が切り離されていないということは語られ続けている。つまりは「絶対的必然」は有り得ない。そうしたなかに、「霊」や「魂」、「エーテル体」、「アストラル体」といった「神秘学」はさまざまな事情で、偏見にさらされても、公正さを失わないでいられるかをシュタイナーは問うのです。哲学・思想ランキング
2022年12月24日
コメント(0)

「神秘学概論」読解2 神秘学読解への心構え シュタイナーが神秘学概論を読むにあたって、切に読者に求めているのは一つの言葉が、さまざまな事情で、偏見に晒されても、公正さを失わないでいられる読者である。運命の恩寵を受けた、特別の人びとにのみ許された「神秘の」知識が問題なのではな い。本書が扱うのは、ゲーテが宇宙現象の中に「開示されている秘密」がある、と述べたときの「秘密」である。感覚並びに感覚に結びついた悟性だけで認識するとき、宇宙現象の中に「神秘のもの」、開示されぬものが残る。この残されたものが、超感覚的認識の内容となるのである。感覚とその感覚に仕える悟性とが明示しうるものだけを「学」と見なす人にとって、本書の意味での「神秘学」は当然、科学たりえないだろうが、よく考えてみれば、その立場は根拠あるものではなく、個人的な感情に発する独断に従っているにすぎないことが分かる。科学がどのようにして生じ、それが人生にとってどのような意味をもつのか、考えてみよう。科学の成立は、本質的には、科学の研究対象に即してではなく、科学の研究方法に即して、認識されねばならない。科学を研究するときの魂がどのような在り方を示しているのか、に眼を向けなければならない。感覚的に把握されうるものだけを考察する態度に慣れてしまうと、この感覚の開示こそが本質的なのだと考えてしまう。そして、人間の魂が、その際、まさに感覚の開示だけに向けられているという事実を意識できなくなる。しかし、そういう魂の自己規制から脱け出して、研究対象を特定の領域に限定しなくなれば、この特別の場合以外のところにも、科学研究の可能性を見出すことができるようになる。本書が非感覚的な宇宙内容の認識のために、「学」という言葉を用いる理由は、まさにここにある。人間の思考は、この宇宙内容に対しても、自然科学が対象とする宇宙内容に対するときと同じ態度で、研究活動を行なうことができる。(P38-40) 記: 科学技術の超発展的展開を見せる物理科学は、もはや、人間の能力をもってしては見得る物理的世界を超えて、人間の外感覚的には見得ざるものとされる異次元・異相の世界をも物理的対象として取り扱うを得ない状況です。宇宙の暗黒物質(ダークマター)や暗黒エネルギー(ダークエネルギー)、ブラックホールや宇宙創生の特異点くsingular point)の解消が期待される量子重力理論、「神や絶対者」を持ち出さない物理科学理論が、宇宙法則未確立の世界への挑戦を試みています。今やアインシュタインの相対性理論も物理学において量子力学を陽に扱わない理論・手法。 特殊相対性理論、一般相対性理論もこれに含まれる古典物理学(classical physics)と扱われる世です。認証物理科学に見得ざるエネルギーや粒子存在があるなら、マルチバース宇宙宇宙に人間原理に基づいたユニバースである人間の生命原理に基づく霊魂観はさほど不可思議だとは問えなくなります。哲学・思想ランキング
2022年12月23日
コメント(0)

「神秘学概論」読解1 理解力-3 シュタイナーは版を重ねた、十六版から二十版までの序章では、自己の著「神秘学概論」を読み進めるにあたっての読者の基本的な心構えを求めています。 私はまったく意識的に、「誰にも分かる」表現ではなく、集中した思考を働かせて無いように向かわざるをえないような表現をするように努めた。だから、私の著書は、読むこと自体が、すでに霊的修行のはじまりとなるような性格を示している。実際、このような書物を読むのに必要な、慎重で平静な思考作業こそが、魂の力を強め、霊界への接近を可能にするのであると述べ、禅道や瞑想道の修養の指導書とも取れる神秘概念獲得の筋道を本書に込めていると言います。つまりは、初読の今はなかなかに読みにくいし、わからないことが多いかもしれないけれど、それはずっとわからないままだということではないということ。「慎重で平静な思考作業」を続けていくことが、「理解」のための前提条件になるということである。逆にいえば、そういう作業なしでは、なにも始まらないということでもある。スポーツ・ヨーガのような技術的な方法を知るということの違いがそこにはある。知識を与えて貰うというような単純なものではなく、読むということそのものが、自らが己をみずからを育てていくことでもあるということ。だから、教えてもらうのではなく、まさに「自己教育」なのだと問います。哲学・思想ランキング
2022年12月22日
コメント(0)

「神秘学概論」読解1 霊的認識を理解1 理解力-2 たとえ霊的能力がなくても、ちゃんと論理的思考さえできれば、正当に霊的認識に基づいて表現されたものは理解可能であるとシュタイナーは随所で言っている。これはもちろん、霊的認識を端(はな)から否定してかかる人が、如何に自らの理解を閉ざしているかということでもあると同時に、論理的思考さえできれば霊的な能力があると自認している人のいうことも正誤の判断が可能であるということをも示します。また、霊的世界や外感覚より内感覚的精神世界を興味を持つより好きな人が思考を欠如させて接触することがいかに危険かということでもある。要は、論理的思考の可能性を閉ざさないでいることがなによりも大切だということだといえる。 霊的なものの認識にかぎらず、どんなことに関しても、自分がいかに自分で「理解」を拒んでいることが多いかということに少しでも気づくことさえできれば、自分がまさに「無明」だったということがわかる。目を開ければ見る可能性があるのに、自分で目を瞑ったままで見ようとしても、見えるわけがないといっているようなものだということである。。「認識の限界」とかいう前に必要なのは、まず、自分がどこで目を瞑ってしまうかを自己観察してみることである。 人は多く、「できない」と「しない」を混同するというか、その違いを誤魔化したがる。たとえば、人は自分の肉体を持って鳥のように空を飛ぶことは「できない」けれど、早起きすることは「できない」のではなく「しない」のだ。シュタイナーを読むことも「読めない」のではなく「読まない」のだ。人はすぐに今この場で簡単にできないことを「できない」と表現することを好む。たしかに「今すぐ」「できない」ことはたくさんあるけれど、もし「したい」のであればそのうちにできるようになることはある。けれど「したくない」ことは恐らくは出来得るようにはなり難い。地球上で鳥のように自らの肉体をもって空を飛ぶことは、現代人には願っても飛びたいと思っても飛べない。地上での空中浮遊は物理科学的思考を離れたものである。哲学・思想ランキング
2022年12月21日
コメント(0)

ルドルフ・ジョセフ・ローレンツ・シュタイナー「神秘学概論」読解1 霊的認識を理解 「神秘学概論」は何度読んでも其の回ごとに、まるで初めて読むような感じのするのがシュタイナーなので、それが何から来るのか。読み直し始めてもなかなか其の理由が掴めません。恐らくはシュタイナーの「人智学・神智学」そして此の「神秘学概論」とその他の講演文献を調査しなければ理解できないのでしょうか。さて彼の主著「神秘学概論」は多くの改訂を経、改訂ごとに多くの序文には付されます。流石に、ドイツ国民文学叢書の一冊となる「ゲーテ自然科学論文集の校訂を任され、その序文の執筆を引き受けるにあたいするだけに序章だけでも充分読み応えがあります。1 理解力-1 理解は、われわれが自分でそれを妨げてしまえば、可能にならない。特に、誤った自然観に基づく「認識の限界」という時代の偏見にとらわれてしまえばである。霊的認識はすべて、内密な魂の体験の中で生じる。霊的直観そのものがそうであるのではなく、見霊的でない通常の意識が霊視者の体験に向き合う際の理解力もまたそうなのである。その理解力のことを、ただ自分でそう思いこんでいるだけだと安易に断定する人は、魂のこの内密さをまったく知らないでいる。事実、物質界については、概念的にその理解の真偽を論じることができるが、霊界の場合には、もっぱら体験するしかない。(記:物質界については、概念的にその理解の真偽を論じることができるがと述べるが、現代物質科学も理論化学理論を踏まえた上での様々な科学技術の発展的応用をもって見出し得ないとされた事どもを顕にし、それは未だに異相・異次元には及ばないにしろ何時かには究明しようとする機運があることは御存知の通り。此れが現代は信頼できる究学分野として一に物理論、二に哲学、三に宗教・神秘学とされる所以です。) 霊視は、まだ見霊能力のない通常の意識によっては理解できないと いう主張に影響されてしまえば、その気分が暗雲のように理解力を曇らせ、理解することが本当にできなくなる。しかし見霊能力がなくても、とらわれぬ意識を持つ者にとって、見霊者の思考形式を通して表現された霊視内容は、完全に理解可能なのである。画家でない人が、画家の完成した作品を理解するのと同じように理解できるのである。しかも霊界の理解は、芸術作品のように、芸術的にも感情的にも理解を必要とするのではなく、自然認識の場合と同じように、 もっぱら思考の働きによってなされる。(「十六版から二十版までの序章」P30)哲学・思想ランキング
2022年12月20日
コメント(0)

「神秘学概論」概説*Rudolf Steiner - 魂への旅路10<転生観> シュタイナーの人間観は「生まれ変わり」の人間観である。人生を、死後との連続の中で見ないと、その本質が見えてこないというのである。しかも其の経緯は、いわゆる単なる人生の誕生から成長、そして衰退へと描く周期である単なるライフサイクル指すのではなく、人間存在の在り方そのものが如何にこの世界における意味を成し、世界との関連を持って成長するのかを、どのように解き明かすのか。一個人のみならず人類そのものの転生を永いタイムスパンのライフサイクルとして解き明かします。先の四つの構成要素「物質体」「エーテル体」「アストラル体」「自我(私)」の組み合わせによってである。シュタイナーによれば、先ず、物質世界における「誕生」は母親の物質的な殻から脱皮することである。そして、只管(ひたすら)に物質体の成長に集中するのが「第一の七年期」。それから、七歳の頃、エーテル体が殻から脱皮する。そこから「第二の七年期」に入って、今度はエーテル体の成長が中心的な課題となる。思春期の、およそ12~16歳の頃、今度はアストラル体が殻から脱皮し、「第三の七年期」の時期、アストラル体の成長が中心になる。 そして、20歳過ぎにやっと「自我」が脱皮する。 シュタイナー教育のプログラムは、すべて、この「七年周期」を基礎にする。この発達の法則を見損なっては、いかなる教育的働きかけも成功しないと言う。 やがて、人生には死が訪れる。しかし、死という現象も、構成要素の組み合わせが変わるだけのこと。物質体がエーテル体と分離してしまうことに他ならない。死後も、人類という生命はある力の要素のもとで成長のプロセスを経て再び誕生してゆく。つまり、「私・自我・魂」としての人間が三重の「体」を身にまとって、地上に生まれ、順に脱皮しながら成長し、成長し終えたところが、「この世」の折り返し地点。今度は順に三つの「体」が衰えて、死を迎え、順に「体」が魂から離れ、魂だけが純粋に残るところが「あの世」の折り返し地点。そして再び、魂が「体」を求め、物質体に宿ることによって、生まれ変わってゆくことになる。このように、長いタイムスパンの生命活動にとしての大きなライフサイクルを一つの説明原理で貫いてみせる。 すると、なぜこの地上にやって来たのか、が見えてくると言う。すべての「自我(私)」は、それまでの転生の歴史、魂及び精神活動・行為のライフヒストリーの中で、支払うべき「業」を背負っている。それは、他人に対する「借り」でもあれば、自分に対して償うべき「借り」でもある。そうした「借り」を返済し、成長のために必要な課題を果たすために、この地上にやって来る。つまりは、人生には目的がある。各自が、それぞれ今世で果たすべき課題を背負っている。肉体を持っている間に果たすべき使命を背負ってやって来ている。極論すれば、地上の人生は「魂」の成長のための「修行の場」ということになる。哲学・思想ランキング
2022年12月19日
コメント(0)

「神秘学概論」概説*Rudolf Steiner - 魂への旅路9<睡眠や死を四つの組み合わせで解決> 「神秘学概論」のみならずシュタイナーの著作には「エ―テル体」「アストラル体」といった言葉が頻繁に登場する。これは、いわゆる外感覚的な外観「物質的な肉体」とは「別次元の体」を指し示します。シュタイナーの言う人間本性の超感覚的構成要素は「物質体」「エーテル体」「アストラル体」「自我(私)」の四つである。「エーテル体」とは有機体を生命として一纏まりに保つ力。すべての生あるものの命は、それぞれが独自のエーテル体を持つというが、エーテル体が意識を持つことがない。さすれば、意識を持つ力を持つとされる「アストラル体」はどうなのか。植物にはアストラル体がないが、動物にはあるという。しかし、動物はアストラル体を持っても、「自我」は持たない。その「自我 Ich」とは何か。それは、物質体・エーテル体・アストラル体に対して働きかける位置にある。それは、もはや「体」ではない。超感覚的な実体。霊的実体であるとシュターナーは説く。シュタイナーは、人間の体験する生理的現象を、この「物質体」「エーテル体」「アストラル体」「自我(私)」の四つ組み合わせから説明している。たとえば、睡眠。眠っている時、ベッドに横たわっている人間は、物質体とエーテル体を含んでいるが、アストラル体と自我(私)は離脱しており含んでいない。そう解釈する。また、「死」とは、「物質体」から、「エーテル体十アストラル体十自我(私)が離れ去ってしまう現象である。「臨死体験」といわれる現象は、いわぱ、一時的にこの状態を体験したものであると説明する。哲学・思想ランキング
2022年12月18日
コメント(0)

「神秘学概論」概説*Rudolf Steiner - 魂への旅路8<生まれ変わり>の人間観 シュタイナーとブラヴァツキー夫人の眼光にはなにが知らの共通点が見られるとするのは私だけであろうか。シュタイナーは、幼い頃から「霊的(英:spiritual 独:geistig)な次元」に対して、かなり敏感であり、自分の見ている世界が、他人の見ている世界と違うことに気づいていたらしいふしがあります。15歳の頃には、小遣い貯めてカントの「純粋理性批判」を手に入れ、節ごとに分けて教科書の中に隠し、授業中に読み続けていたと云われます。彼には、本気になって究学すれば、専門的な知的訓練を受けていなくても、必ず理解るようになるとの自信のようなものがあったのでしょう。シュタイナーは18歳で、ウィーン工科大学に入学した、将来は実業学校の教師になると決めており、生物学・化学・数学などを専攻するも、関心の中心は、哲学・文学であって、奨学金をもらうために専門の勉強もしたが、ウィーン大学内で聴講するほうが、よほどおもしろかったといいます。影響を受けたのは、ドイツ文学のカール・ユリウス・シュレーアー、ヘルバルト哲学を講じたロベルト・ツィンマーマン。そして、オーストリアの哲学者・心理学者。哲学の世界に志向性の概念を再導入し現象学の基盤を作った作用心理学の祖高名な哲学者フランツ・ブレンターノ(Franz Clemens Honoratus Hermann Brentano/1838年 - 1917年)の公開講義であった。シュタイナーはこの頃、「哲学を通して真理を探究すること」を自分の義務と考え、「霊的世界を直接体験する霊的直感の正当性」について考え続けていたという。一面、実生活では人付き合いもよく、多くの友人の相談相手になっていた。また、その頃から、さまざまな「サロン」にも顔を出しており。学生シュタイナーは、次々と多様な人々と出会いをしています。学生生活を終えた後、20代後半の青年期に、まず、ウィーンの財閥シュペヒト家で、四人の男の子の家庭教師を務めている。この仕事を六年間続け、夏には一緒に休暇に出かけるほど、家族のなかに溶け込んでいた。その収入で生計を立てていたらしい。シュペヒト家の末、10歳になるオットーは、脳水症の持病を抱え、読み書き計算もできない状態にあったらしい。両親はその子の教育を諦めかけていたらしいが、シュタイナーはその教育を任されると、究学の徒らしくそれこそ独学で、30分の授業のために二時間の準備をするほどの努力を続け、少年から全面的に信頼されるようになる。この経験を通して「教育と授業が、真の人間認識に基づくひとつの芸術になるべきことを悟った」という。これは、後年のシュタイナー教育の出発点になります。この時期もうひとつ重要な活動領域が「ゲーテ研究」であった。それはドイツ国民文学叢書の一冊となる「ゲーテ自然科学論文集の校訂を任され、その序文の執筆という、本格的なものであった。ゲーテの校訂をするということは、ドイツ語文化圏において、知識人としての資格を証明されたに等しい。その仕事を、弱冠20歳すぎの若者に任せるというのは異例の抜擢であった。シュタイナーは1987年までに、全五巻を刊行し、その間に、最初の著作「ゲーテ的世界観の認識論要綱を発表している。 こうした仕事と並行して、シュタイナーは「霊的集中」を続けていた。「霊的集中」とは、少年の頃から体験していた「目に見えない世界・超感覚的世界・精神の内的(霊的)世界」についての集中的な観察である。神秘家も「目に見えない世界」を体験するが、彼らはそれを理性によって捉えることはできないと言う。それに対して、シュタイナーは理性によって認識することが大切だと言う。つまり、超感覚的世界を自然科学の方法で認識すると言うのであ。哲学・思想ランキング
2022年12月17日
コメント(0)

「神秘学概論」概説 *Rudolf Steiner - 魂への旅路7<新たなる挑戦> 人智学協会を立ち上げた後、いよいよ、その持てる才能を自由に発揮できるようになったシュタイナーは、演劇や舞踏などの台本や演出を手掛けるだけにとどまらず、それらの活動の拠点となる館、「ゲーテアヌム」の建設を開始します。それは巨額の資金を集めてシュタイナーの思想を具現化した神殿ともいえるもので、木造建築による美しい曲線建造物でした。この間、ヨーロッパでは1914年6月28日、オーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者であったフランツ・フェルディナント大公がその妻のソフィー大公妃と共にボスニア・ヘルツェゴビナの州都サラエボでセルビアの汎スラブ主義者に暗殺されたことで対立が表面化し、これをきっかけとして、1914年7月28日に第一次世界大戦が始まり、当事国であるドイツ国内は戦禍に巻き込まれてしまいます。しかし、山の中に建てられつつあったこの建物はその間にも着々と建設が進み、無事完成にこぎ着けます。いよいよシュタイナーの夢が現実に近づこうとしていました。然し乍ら、20世紀に入り世界の情勢は急激に変貌をとげつつありました。特にドイツは第一次世界大戦での敗戦後、共産主義勢力と国内の異民族に対抗する形でナチスが急激に勢力を伸ばしつつありまし、その指導者ヒトラーのもつカリスマ性は人身を離れています。ところが、皮肉なことにシュタイナーのそれと共通するものがあり、そのためか、ヒトラーはシュタイナーの存在を、共産主義者やユダヤ人以上に危険視するようになります。こうして、彼の講演会はナチス親衛隊のヤジによってしばしば妨害されるようになり、彼はその活動場所をしだいに海外へと移さざるを得なくなります。そんな状況の中、1922年12月31日ゲーテアヌムが火事によって焼失してしまいました。放火ではなさそうですが、未だに原因は不明のままです。これだけ、状況的に追いつめられながらも、シュタイナーはその活動を止めることなくヨーロッパ中を駆けめぐり、講演、執筆、ゲーテアヌムの再建に取り組みます。しかし、残念なことに現世にもう彼にはもう殆ど時間が残されてはいませんでした。この頃、彼は回復する見込みのない胃病を患っていました。そして、1925年3月30日、彼は自己が主張した霊界への旅へと向かうため、静かにそのまぶたを閉じたのです。哲学・思想ランキング
2022年12月16日
コメント(0)

「神秘学概論」概説 *Rudolf Steiner - 魂への旅路6<シュタイナーの霊能力> シュタイナーの神秘学の捉え方は根本的に神智学協会のそれとは異なっており、ブラヴァツキー夫人が得意とする神秘的な降霊現象にも彼は否定的でした。彼にとって霊的な現象というのは、けっして幽霊たちを呼び寄せることではなく、自らの無意識に潜んでいる過去の膨大な記憶に自力で接触することであらゆる過去の出来事や記憶を知ろうとする行為のことでした。その具体的な方法は、入眠時に短時間だけ訪れる無意識の状態、夢見の状態を活かし、それをコントロールすることで、その奥深くに潜む巨大な記憶の迷宮を解明してゆくというものです。これは、現在実際に行われている催眠術を用いて、過去の記憶をさかのぼって行く方法と酷似しています。しかし、当時はまだ催眠術はほとんど未開の分野でした。眠り込む瞬間には霊界は着実に近づいてきます。ですが、われわれはすぐに寝入ってしまい、魂に起こった事柄を意識できなくなります。彼は従来の人間の生き方を変え、もうひとつの方向性を見出すことが可能だと考えていました。「私はこの本の中で、感覚界の背後に不可知なるものが存在しているのではなく、感覚界の中に霊界があることを示そうとした。したがって、感覚界の真の実在性は、人間が感覚的知覚のみを問題としているかぎりにおいてのみ、人間の意識からは隠され続ける」の言からも読み取れます。 1902年には、シュタイナーは、神智学協会のドイツ支部長となります。この頃すでに彼は神智学協会の主流派の人々とは一線を画すようにしていましたが、それでも人気は増す一方でした。いよいよカリスマ性を増した彼の講演を聴くために、その回りには弟子となる人々だけでなく、彼の後援者となる人々も集まるようになり、活動範囲もドイツだけではなくヨーロッパ全土に拡がりをみせていました。 1911年には神智学協会は子どもの頃に「世界の救世主になる器だ」と見い出した東洋はインドの思想家ジッドゥ・クリシュナムルティ(Jiddu Krishnamurt/1895年 - 1986年)を信仰の対象とする「東方の星」教団を設立。然し乍ら、もともとこうした東洋の神秘宗教への傾倒に否定的だったシュタイナーは、ついに協会と袂を分かちます。ドイツ支部の名前は、こうして人智学協会へと改められました。その後、彼は神智学協会から、協会の名前を利用して知名度を上げた裏切り者として批判されますが、尚、その人気に陰りはありませんでした。哲学・思想ランキング
2022年12月15日
コメント(0)

「神秘学概論」概説 *Rudolf Steiner - 魂への旅路5<機会の到来> 時宜は彼がベルリンに戻り、文芸雑誌のオーナー兼編集者を務めていた時、意外なところからやってきます。「労働者教育協会」という設立されたばかりの団体が、彼に歴史の講義をしてほしいと以来してきたのです。それは知名度の低い彼なら安い謝礼で受けてくれるだろうと思われたからでした。ところが、その団体はマルクス主義の理念のもとに設立されたものであり、彼にとっての当面の敵、唯物論者たちの集まりでもありました。しかし、彼はその申し出を喜んで受け入れます。そして、自分とはまったく異なる考えをもっている労働者たちを相手に歴史の講義を行い、大好評を得たのです。それまでには本人も気づいていなかった才能、彼のカリスマ性が多くの聴衆を引きつけ、その評判により別の団体からも講演依頼が来るようになります。そして、その講演依頼の中にベルリン神智学協会からのものがあり、これが後に彼の運命を大きく変えることになります。 1900年8月22日、シュタイナーはベルリン神智学協会の図書室でニーチェについての講演を行います。この神智学協会とは、ブラヴァツキー夫人という心霊能力をもつ女性が中心となって創始された団体で、彼らはキリスト教だけでなく東洋の宗教がもつ秘教的で複雑なシステムを導入し、まったく新しい総合的な宗教体系を築こうとしていました。後には、ブラヴァツキー夫人は、その心霊能力が如何様(イカサマ)であるとの批判をされることになりますが、当時この協会の人気はには凄まじいものがありました。世紀末のヨーロッパでは「唯物論」があらゆる分野で幅を利かせてはいましたが、片や一方ではそれに対し既存の宗教とは別の新しい宗教をもとめる運動もまた非常に高まっていたのです。神智学教会は、そんな人々の要望と必要性にぴったりの「神秘性」と「論理性」を兼ね備えた存在だったのです。勿論、シュタイナーも、この会の存在を知っており、多くの宗教の中では珍しい論理的な特質を高く評価してはいました。しかし、仏教やチベットの密教など、神秘的な東洋の宗教の影響を強く受けている点が彼には納得できず、それまでは関心をもつだけにとどまっていました。ところが、そんな思いとは逆に神智学協会のメンバーたちは、シュタイナーの講演に感動し、彼への講演依頼が殺到することになります。こうして、彼は神智学協会においてブラヴァツキー夫人と並ぶ存在になってゆきます。哲学・思想ランキング
2022年12月14日
コメント(0)

「神秘学概論」概説 *Rudolf Steiner - 魂への旅路4<ゲーテとの出会い> シュタイナーがとされる心霊能力に目覚めた頃に、大学在学の中で過去に自分と同じ様な考えをもっていた過去の偉人の存在を知ります。それが18世紀に活躍した哲学者であり、自然科学者、詩人でもあった小説家のゲーテです。この後、彼はゲーテを研究することで、少しずつ自らの思想体系を組み立てて行くことになります。こうして始まった彼のゲーテ研究はまったく無名だった彼の存在を世の中に知らしめる切っ掛け与えることになります。1883年には、彼はゲーテの自然科学論文の校訂の仕事を得ます。ダーウィンよりも早く進化論にたどり着いていたとも云われるゲーテの自然科学の知識は、実際には的外れの部分もあったものの十分に読み応えのあるものでした。彼はこの仕事を成し遂げたことで、ある程度世間の評価を得ることができ、学問の都のひとつワイマールでヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe/1749年 - 1832年)とヨーハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラー( Johann Christoph Friedrich von Schiller/1759年 - 1805年)を扱うゲーテ・シラー文庫の職員として働きながらも学位を得ます。其れ等の経緯から、次第に自分の考え方に自信をもつようになったシュタイナーは、1894年には自らの立ち位置についての宣言書とも言える「自由の哲学」を発表します。その作品の中で彼は自由意志と心の存在を明確化し唯物論を否定します。「唯物論は世界について満足のゆく説明をすることができない。というのも、どういう立場からの説明であれ、世界の現象についての思考内容を形づくるところから始めなければならないからである。」として、「思考」は「無」もしくは「自由意志」からでなければ生まれない、というのが彼の考え方を示します。この時、シュタイナーはすでに32歳になってはいましたが、未だに彼の知名度といえば低いままでした。記:シラーはドイツの詩人、歴史学者、劇作家、思想家。ヴュルテンベルク公国マールバッハ出身。ゲーテと並び称されるドイツ古典主義を代表する人物であり、独自の哲学と理想主義、英雄主義で知られ、彼が追い求めた「自由」という思想はドイツ国民に大きな影響を与えた。また劇作家として著名であるものの、ベートーヴェンの交響曲第9番(合唱付き)の原詞など詩人としても名高い。哲学・思想ランキング
2022年12月13日
コメント(0)

ルドルフ・ジョセフ・ローレンツ・シュタイナー「神秘学概論」概説 *Rudolf Steiner - 魂への旅路3<唯物論を否定する見解> シュタイナーは何故に唯物論に対して疑問を感じていたのか。実はその理由とは簡単明瞭です。彼は子供の頃から「心霊能力」もしくは「超能力」が備えていたからなのです。物に触れることで、その物に関する歴史を知ることができ得るというサイコメトリー(Psychometry)、超能力の一種で、能力の範囲の厳密な定義はないが、最も主な特徴は、物体に残る人の残留思念を読み取ることなどの能力を彼はもっていたと云われているのです。例えば、シュタイナー少年時代のある日、彼は駅の待合室にいました。するとそこに見覚えのある顔の女性がやってきて、彼に「今はできるだけの力を貸して下さい。そして、これからもよろしくお願いいたします」と言い残して、消えてしまいました。その翌日、彼の父親に親戚の女性がちょうど同じ時刻に自殺していたことを聞かされ、彼は驚くと同時に霊の存在を信じるようになったのです。 其の様な事があってのち、彼はその能力のもつ意味を追求することに全力を尽くしますが、其の様な事実を後に彼が思想家として活躍するようになっても公表せずにいました。それは「心霊能力」によって多くの支持者を得ることができても、それ以上に多くの人々に誤解されるかもしれないと考えた比較衡量のに基づく判断でした。彼は少年時代に自分のもつ特殊な能力について回りの人間に話したこともあったようですが、まったく相手にされず、そのために自分の能力について語ることを封印してしまったとも云われており、それが当を得ていると想われます。 しかし、彼は自分がもつ「心霊能力」はけっして特殊な能力ではなく、人間なら誰もが潜在的にもっているものと確信していました。只々、殆どの人はその能力の使い方を忘れてしまっただけなのだと認識していたのです。(*我々人間は物事を集中することを覚えるために、現在でも未開種族のあいだ存在するあの広大な宇宙感覚を自ら進んで捨てたのだ。心霊能力とは、生まれ合わせとか遺伝のために今なおこうした原初の能力をもっている人のことである。)コリン・ウイルソン/Colin Wilsonの言。 ところで、シュタイナーのもつ「心霊能力」は、「瞑想」もしくは「自己催眠」によって、意識的に発揮することが可能だったという点で他の能力者とは大きく異なっていました。だからこそ、彼は人間の潜在能力を開発することは可能だと考え、そのために自分ができることを模索し続けることになります。問題は彼のこうした考え方をどうすれば多くの人々に及ぼせることができるかということなのです。哲学・思想ランキング
2022年12月12日
コメント(0)

「神秘学概論」概説 *Rudolf Steiner - 魂への旅路2<科学を愛する天才少年> ルドルフ・シュタイナーは1861年2月27日、旧ユーゴスラビア連邦にある西欧と東欧の狭間に位置するクラリエヴェックという小さな町で生まれた。父親は鉄道会社の電信技師で、当時にあっては、科学技術の最先端だった父の仕事ぶりを見ながら育った彼は、20世紀に向けて次々に生み出される新しい発見に心躍らせる科学大好き少年でした。ただし職業柄合理的生活を送っていたかというと、同時に彼の家庭は熱心なカトリック教徒だったがため、彼もまた子供の頃に洗礼を受けています。静かな田舎町で物事をじっくりと考える時間を与えられた彼は、所謂、何でもありの秀才肌の勉強好きではなかったものの、自分が興味を持ったことには、とことんのめり込むタイプであり、教師をも驚かせる物事にこだわりを持つ天才肌の少年でした。そんな彼は、科学はもちろん政治、宗教、歴史、更には、ピアノやヴァイオリンなどの楽器演奏についても、その才能を発揮しています。世間的にはかれはマルチな才能に恵まれた天才少年と看做されていました。彼は学校の授業は、天才には共通してありがちなことですが、ほとんどは無視して聞かず、自分が興味を持った本を独学で学びながら次々と自分のものにして行き、その結果は見事ウイーン工科大学に合格。順風満帆の出足の筈でした。 ところが、希望を抱いていたはずの大学生活は、彼にとってあまり役に立つものではありませんでした。当時、大学では最新の思想「唯物主義理論」があらゆる分野で幅を利かせています。天体の動きや生物の仕組みはもちろんのこと、人間の脳の仕組みから感情まで、すべてのことは科学によって説明できるとする「唯物主義理論」の考え方に対し彼は大きな疑問を感じました。しかし、彼には唯物的科学理論を真っ向から否定するだけの理論的根拠はなく、もちろん「神」の名を使って否定するという安易な考えを持っていたわけでもありませんでした。 こうして、彼は「唯物主義理論」を否定するために、「科学」と「宗教」を融合させるまったく新しい試みに挑み始めたのです。哲学・思想ランキング
2022年12月11日
コメント(0)

「神秘学概論」概説 *Rudolf Steiner - 魂への旅路1 世界は21世紀に入り2001年9月11日火曜日の朝(September 11 attacks)以来、世界の相貌は一変しました。第二次大戦以降の二極冷戦構造から「イスラム原理主義対キリスト教保守派」もしくは「民主主義対テロリズム」のへの段階に、そして更なる世界の力の枠組みへの進行しようとしています。それはさておき、あなたが何かこの世のものとは思えないような奇特で素晴らしい体験をし、「人生をいかに生きるべきか」その正当な方法論を得たとしたら、それも、真実実相として捉えきれた本当の意味で素晴らしい体験だったとしたら、多分にあなたはそれを誰かに伝えたくなる筈です。そのような体験を「至高体験」と呼びます。哲学(絶対者)であれ信教(絶対神)、物理科学理論(物理法則を至高とする物理教)の創設者たちは、そうした「至高体験」の至極の体験を人々に伝えようとして、その活動をスタートさせたのです。 20世紀初頭、ドイツから現れたルドルフ・シュタイナーという人物もまた、「至高体験」から人間のもつ新たな可能性に気づき、それを広めようと活動を始めます。ただし、彼は多くの宗教指導者たちと違い、それを「神の言葉」としては語らず、それを「科学」によって裏付けが可能な「新しい科学思想のひとつ」として伝えようとしました。彼は宗教家としてではなく、「学者」として活動を続けることで「新しい宗教」「新しい人間観」をシステム化しようとしたのです。こうした、彼の神秘学観は、合理的であることを最優先する21世紀を生きる我々にとっても大いに役立つものがあります。彼はいったいどんな体験をし、どのようにシュタイナーは至極の体験を「至高体験」を思想として人々に伝えようとしたのでしょうか。此れが彼を神秘学を科学に対応させようとした原動力です。哲学・思想ランキング
2022年12月10日
コメント(0)

「神秘学概論」概説 人間本質 其の2 <瞑想>霊我を獲得するには チャクラの活性化と其の方法 仏陀が教えの中で説いた八正道とは1、正見(正しい見解) 正しい視点をもつということ。自分自身の体験を明確に観相するということです。2、正思惟(正しい決意) 正しい決意は、その人の心の深奥からやってくるものです。3、正語(正しい言葉) Ἐν ἀρχῇ ἦν ὁ Λόγος, καὶ ὁ Λόγος ἦν πρὸς τὸν Θεόν, καὶ Θεὸς ἦν ὁ Λόγος.はじめに言(ロゴス)があった。言は神と共在し、言は神であった。「ヨハネによる福音書」。話される言葉には力があります。言葉は非常に大きな力があり、言葉によって傷つけられることもあります。言葉は注意深く適切に選んで使わなければなりません。4、正命(正しい行為) 倫理的な行為です。人を殺さない、嘘をつかない、盗まない、性的な間違いを起こさない等々。また、自分自身の肉体も丁寧に大切に扱うということ。正しく睡眠を取る、正しく食事を取ることなどです。麻薬などの誘惑を避けることも含まれます。5、正業(正しい生活) 正しい業を生業(なりわい)にする。何をもって正業とするのかは極めて難しい定義です。6、正精進(正しい努力) 前向きな姿勢で努力すること。7、正念(思念) 正当な考えを持ちそのことにずっと意識を向けるということ。8、正定(正しい集中) 過去のことも未来のことも考えないで現在のことに集中するということ。正しく目覚めると意識が散漫になりません。 シュタイナーの人間の本質の授業は本当に驚くべきものです。シュタイナーが洞察した人間とはこんなにも深いものなのです。人間は頭蓋の中の脳のみで感じ・思考すると見がちです。ところが今日現代科学は、脳以外の様々な器官が自己判断することが知られています。脳は其れ等のただの物質の一器官に過ぎないのです。脳は自我(精神)が様々なことを統合しているわけです。 またシュタイナーの洞察した人間の本質を学ぶことによって、シュタイナー教育で言われている、0歳~7歳までの子どもは体を作る時期であること、7歳~14歳までの子どもは感情を豊かに養うこと、そして14歳~21歳のころに思考の力を養うということの意味が明らかになりました。そのことはやがて自我を獲得していくことにつながるのです。それがシュタイナー教育の目的なのです。シュタイナーは人間の魂は輪廻転生を繰り返してずっと進化し続けるのだと言っていますが。人間としてどのように成長していくべきなのかということが明確になりました。自我を通して自分のアストラル体を変容させていくこと、それが課題なのですね。それにはしっかりとした自我が必要です。哲学・思想ランキング
2022年12月09日
コメント(0)

「神秘学概論」概説 人間本質 其の2 <瞑想>霊我を獲得するには チャクラの活性化と其の方法 2、行為のコントロール 必然としてやる必要がないと思うことを毎日決まった時間にします。たとえば、踵をもってぎゅっと掴む、鼻の辺りを撫でる等々です。行為に直接必然な目的があったらだめなのです。無意味な行為を自分の義務として試みるのです。するとやがて自分の行為を制御できるようになります。3、平静さ 怒るということは、精神界の行動性の扉を自ら閉じることです。忍耐強くある、平静であるということは、精神界の扉を開けたままでいるということです。4、寛容さ 寛容でない人に対して、自分が寛容でいられることはとても難しい、だからこそ寛容であるべきです。5、公平さ 誰に対しても別け隔てのない同じ態度をとります。自分自身、自己を開放してどんなことでも自分にやってきたものを自分への贈り物なと思う在り方ができれば、自分の人生のすべての事柄に感謝することができます。(*ガンジー主義)6、忍耐 以上これらの練習を忍耐強く毎日毎日やり続けるということです。すると心が大きくなり、心が広く開放されます。自己内外に愛に満ちた人間と成ります。 更に、シュタイナーは喉のチャクラについても述べています。心臓のチャクラと同じように喉にもチャクラがあり、喉のチャクラもほとんどの人のチャクラは半分眠った状態にあります。このチャクラは仏陀が教えの中で説いた「八正道」を行うことによって活発に働くようになるといわれています。哲学・思想ランキング
2022年12月08日
コメント(0)

「神秘学概論」概説 人間本質 其の2 <瞑想>霊我を獲得するには シュタイナーはアストラル体を変容させる方法としての瞑想を語っています。人間の体の中にある精神的な中心点のことを「チャクラ」、簡単にいうと、人のエネルギーが集結し、出入りをしている場所チャクラといいますが、心臓の辺りにあるチャクラは蓮の花にたとえると12枚の花びらがあるのだそうです。ほとんどの人のチャクラは半分眠っている状態だとシュタイナーは述べています。そのチャクラをもっと開発することができるのです。筋肉トレーニングをすることによって筋肉を強くすることができるように、精神的な訓練をすると精神的に目覚め活発にすることができます。眠っているチャクラを活発にするのです。 記:チャクラ(chakra)は、サンスクリットで円、円盤、車輪、轆轤(ろくろ)を意味する語である。 ヒンドゥー教のタントラやハタ・ヨーガ、仏教の後期密教では、人体の頭部、胸部、腹部などにあるとされる中枢を指す言葉として用いられる。 チャクラの活性化と其の方法1、思考のコントロール ある一つのものを取り上げて毎日5分間その「モノ」について考えるのです。そのものはどんな「モノ」でもかまいません。鉛筆、クリップ、紙、洋服、靴下、その他、自分の仮想したものなんでもいいのです。その「モノ」がどのような過程で出来たのか考えます。他のことは一切考えません。思考のコントロールができるようになると、他者が自分をコントロールしようと働きかけてきても、自分の考えを貫くことができるようになり、また、自分の世界を広げてたくさんのものを取り入れることができるとします。逆に自分の思考をコントロールできないと、自分のことをすばらしい人間だと過大評価したり、自分はまったく何にも知らないだめな人間だと過小評価したりするようになります。自分のことを過大評価するとエゴイストになり、自分のことを過小評価すると「私はだめなんだ(厭世感)」「人間というのは物質に過ぎないんだ(依怙的合理主義)」と考え似非唯物主義者になる。しかも、極度に金銭や物がなくなることを恐れます。エゴイストは自分を試しにくるような場面に出会うと怒りで対応します。怒りの後には恐怖が迎え来ます。そして其れ等を自己の中に他の者が入らないように押しのけます。思考のバランス「中庸」ができるとこの二つの存在のバランスをとることが出来得ます。恐れに対しては勇気をもって立ち向かい、自分自身の存在をありのまま受け入れることが大切で、勇気を伴う思考は、私たちを失望から救い上げることが出来得るのです。哲学・思想ランキング
2022年12月07日
コメント(0)

「神秘学概論」概説6 人間の本質の変遷 人間の意識の変化① 古代インド期(第1期) この時代の人々はシャーマニズムあるいはシャマニズム(Shamanism)及び内的精神を追い求める、詰まりは外界に理屈に真相を求めるよりは多分に精神的でした。彼らは精神界の人々と関わりをもつことができました。未だ地上には人間の本質は根を下ろしていなくて漂っているようでした。この時代は、狩猟の時代です。② 古代ペルシャ期(第2期) アストラル的な力が働いていた時代。精神的であることが少なくなってきました。精神界があることは分かっていましたが、能動的に働きかけて接触を図るコンタクトを取ることが少なくなりました。この頃から家畜を飼い、農耕が始まりました。③ 古代エジプト期(第3期) 感覚魂の時代。より物質的になりピラミッドなど高い建造物が立てられました。④ 古代ギリシャ、ローマ時代(第4期) 悟性魂の時代。この時代になると精神界との相互的な関わりであるコンタクトは途絶え、物質的になりました。完全に地上に降りた状態。ソクラテス、プラトン、アリストテレスなどが活躍した時代です。ローマの町はきれいに整理されて作られました。⑤ 現在(第5期) 現在は1413年から始まっているといわれます。ルネッサンスの時代です。現在は意識魂の時代です。自分の自伝を書き始めた時代です。他者の伝記も書いていましたが、自分の伝記を書くというのは一歩退いて自分を見つめなければ書けません。 これらはヨーロッパ中心の世界史で,他の国々での人間の意識がここに記されているような時代のように変化してきたのではないとは思うのですが、今の私たちの意識は自分自身を意識できるようになっているとも想われます。この自己意識を私たちは未来に向けて変容させることができるとシュタイナーは言っています。それは、霊我、生命霊、霊人を目指すということです。哲学・思想ランキング
2022年12月06日
コメント(0)

「神秘学概論」概説6 人間の本質の変遷 年齢ごとに分類 シュタイナーは人間の本質について1:物質体(肉体)、2:エーテル体、3:アストラル体、4:自我、5:感覚魂、6:悟性魂、7:意識魂、8:霊我、9:生命霊、10:霊人の1~10のように語っています。そして、将来に向けて、常に自分自身を変容させることを生涯求めて生きていくことの大切さを我々の夫々の感性に語りかけます。1:0歳~7歳 肉体の活動が活発な時代 2:7歳~14歳 エーテル体が自由になり、さまざまなことを覚えたり学ぶということができるようになる。 3:14歳~21歳:思考を育てる。21歳ごろに自我が目覚め感覚魂が活発になる。 4:21歳~28歳 感覚魂はアストラル体と結びついているので性に魅せられる。結婚する人が多い時期 5:28歳~35歳 28歳ごろになるといろいろなことを整理することができるようになり、他者に対して秩序立てて説明することができる。悟性魂が活発に働く時期。 6:35歳~42歳:意識魂が活発に働く時期。自分自身の人生を振り返って観察することができるようになる。自分自身を意識することができる。自分は大河の一滴だと認識するようになる。7:42歳~49歳 霊我を目指す。自分の年齢よりも若々しく見せようと懸命になる。シュタイナーは自分の年齢を取り入れて自分が衰えてきたことを認め、精神的な書物を読んでより深く自分自身に根を下ろすことだといっています。8:49歳~56歳 生命霊を目指す。自分の気質のバランスを取る時期。悪い習慣を持っていたらそれを壊して新しいものに作り変える。新しい習慣を作るのは生命霊の働き。9:56歳~62歳 霊人を目指す。肉体を癒すということ。自分の肉体が衰えていくことを感じ死ぬ準備をします。死を見つめるということは自分の生きた人生を整理して残された人生を他人に尽くすということです。シュタイナーは時代の流れの中にも、人間の意識の発達を見ることができるといいましが、21世紀の日本のような長寿世界では10:霊人を目指すことに時間的余裕が生じます。此の与えられた時間がどれだけの幸運を賦与されたものか、其の意味と機会の活用を活かすことに努め励むのには絶好の機会なのです。人気ブログランキングへ
2022年12月05日
コメント(0)

「神秘学概論」概説6 人間の本質5~10 5:感覚魂 私たちは目を通して何かを見ます。見ることによってこれはどういったものかを掴みとります。そのつかみとったものを自分の中に取り入れて消化します。知覚したものが知識となります。自我がその事物を取り入れたときアストラル体よりもより深く取り入れます。そういった活動を感覚魂といいます。感覚魂はまだ自分自身の感情が巻き込まれています。アストラル体と感覚魂が共同で働くことを魂体と呼ぶことがあります。 6、悟性魂 感覚魂がもっと成熟してくると自分の中に取り入れるだけではなく、その感覚から一歩離れて見て分析できるようになります。それを悟性魂といいます。自分が見ているものを客観的な立場で見ることができます。物事を更にどんどん細かく分析していくことも悟性魂の働きです。この活動は科学者や機械工にも見られます。機械工は完成車を見て、エンジンやハンドルなど細かな部分に分けて分析していきます。現代物理学の宇宙論に始まる量子力学の量子論の繋がりを物理科学理論に適用して顕わすウロボロスの輪は其の最たるものでしょう。更に、悟性魂は分類する、整理整頓をするという魂の活動です。物事を分類するというのは悟性魂の働きです。これは、知ることから一歩進んでより深く自分のものにする物事の進行上の段階です。 7、意識魂 自我がある程度まで成長すると意識そのものを意識するようになります。自分の思考を考える、洞察するようになります。自我に意識的になることが意識魂の芽生えです。自分自身に目覚める、自分自身を客観的に見ることが意識魂です。 8、霊我 自我がアストラル体を取り込んでアストラル体を変容させたものを霊我といいます。アストラル体は感覚を担っているものです。さまざまな欲求、のどの渇き、性欲などはアストラル体の働きです。たとえば車が欲しい、素敵な服が欲しいなどは物質的な欲求です。これらの感情を私たちは制御できないと物質の奴隷になってしまうことがあります。しかし自我がアストラル体を支配し、アストラル体を変容させることができたら新しい力になります。欲求が私たちを支配するのではなく、私たちが様々な感情や欲求を制御するのです。これが霊我の力です。 9、生命霊 生命霊は自我の働きによってエーテル体が変容したものです。エーテル体は気質や習慣、記憶を担っています。生命霊の働きで自分の気質を変容させることを試みます。憂鬱質の人は物事に対していつも不平や不満を抱く傾向が強いのですが、感謝の気持ちに変容させることができます。胆汁質の人は強引に自分の意見を押し通すのではなく抑えます。多血質の人は、じっくり最後までやり抜くことを試みます。そのようにして自分の気質のバランスを取るのです。更に、また悪い習慣も新しい習慣に作り変えることを試みます。加えて記憶も変容させることができます。悲しみの記憶や不愉快な記憶のその場面に戻って自分を傷つけた人を許すのです。自分がある人を傷つけた場合、その人のところへ行って許しを請うのです。困難な記憶を変容させるのです。 10、霊人 自我の働きによって肉体をも変容させることができるようになります。これは、とても難しく理解不能のように思われるかもしれません。「霊人」とは、自我に支配され、変化させられた肉体のことをいいます。 明瞭に意識されるのは、超感覚的な認識を通してこの働きを意識化する時にのみだそうです。 肉体への自我の影響は、例えばある種の体験の結果、顔が紅潮したり、蒼白になったりするときにもみとめられます。哲学・思想ランキング
2022年12月04日
コメント(0)

「神秘学概論」概説6 人間の本質1~10 4:自我(Ego Functions) 物質体は鉱物界と共有しています。エーテル体は植物界と共有しています。アストラル体は動物界と共有しています。動物は見る、聞く、味わうことが出来ます。動物たちは非常に強く感覚の世界に生きています。 人間には此れ等以外にもう一つ特別なものを持っています。動物たちには気付くことができない意識です。これを自我といいます。動物たちもコミュニケーション(communication)をとることはできますが、人間のように言語に意味をもたせた言葉(*哺乳綱クジラ目に属する動物、シャチやイルカを代表とされる鯨類が、歌う若しくは語るとされる向きも無きにしも非ずですが、此れは決して言葉に意味をもたせた言語ではなく、動物全般の音韻の表現全般です。人間の悲鳴や歓喜等々に発声される、擬音若しくは叫びに相当するに過ぎないと思われます。決して己の音声を人間のように言語に意味をもたせた言葉としては認識しているとは思えませんが、異論があることも事実です。)を発達させることはできませんでした。人間は肉体的には手を持っています。人間は直立した姿勢を持つことが出来得、手が自由に使えるようになりました。自由に物が掴めるようになったために、多くのの道具を創ることができました。現在のような人間の在り方ができるのは、自我があるからなのです。 アストラル体だけだったら物事を忘れ続けます。自我が過去をもたらして人間に現在を与えます。一般的に人は自分の誕生日を覚えています。然し乍ら、動物は自分がいつ生まれたのか記憶してはいません。時間の感覚がないからでしょう。過去を思い起こすのは人間だけのものなのです。人間は願いを持ったり理想を持ったり未来のへのビジョンを持つことができます。動物は今を生きていますが、人間はある目標を目指して何年も努力することができ得ます。そのような願いは自我(空間・時間的に変化する経験を自分の意識内で統一し、それらを自分の経験として受けとりえる主体的な存在)から来ているのです。哲学・思想ランキング
2022年12月03日
コメント(0)

「神秘学概論」概説6 人間の本質1~10 3:アストラル体 アストラル体(astral body)はエーテル体同様、通常の五感の眼では見えません。エーテル体は物質体に入り込んで眠り込んでいる存在ですが、アストラル体は触る・聞く・見る・味わう・嗅ぐといった感覚の中では深奥では目覚めています。アストラル体は特に喜びや痛みなどの感情です。また、アストラル体は我々人間の情熱、願望、欲望に深く関わっています。エーテル体は歯の生え変わりが起こる頃(6歳~7歳頃に)肉体の変状を作り出すように、アストラル体も13~14歳頃から変化を生じさせます。① 性的に目覚める 他の人間存在に性的にひかれるということが起こるのです。これを思春期と呼び、人間の中に沸き起こってくる新しいエネルギーともいえます。これはすばらしいエネルギーです。暖かさ、火のようなものです。火は正しく扱わなければ火傷を生じさせますが、他方では同時に暖かさや光を齎します。誰かに恋をしたときには何故か暖かさに魅せられます。アストラル体は痛みと喜びを感じるのです。② 新しい思考が生まれる 7歳から14歳までは社会生活の中で感情を育てるときなのですが、14歳以降アストラル体の中心的な活動は新しい思考を学ぶことに変わります。14歳以前の思考は具体的でイメージ的なものですが、14歳以降は抽象的な概念や理念に変わるのです。哲学・思想ランキング
2022年12月02日
コメント(0)

「神秘学概論」概説6 人間の本質1~10 2:エーテル体-3 エーテル体の活動エンパシー エーテル体の活動の中に感情移入(エンパシー/Empathy)があります。それは、以下の1から4のプロセスによってなされます。1、他者に関心を持つ。好奇心や批判を超えた純(pure)な関心でなければなりません。2、自分自身という存在を他者にまで押し拡げます。他者に其の存在が届くのです。3、他者に届いた存在そのものが自分に自他として戻り返ってきます。4、そして他者の本質を直接体験します。他者と一になるのです。 大切なことは他者に対して関心を持つということ。他者に対する関心が好奇心ではなく、また、批判を乗りこえて純なものであれば感情移入が起こります。我々の深奥の精神の一部が他者に届き他者に入り込む。そして他者の中に入り込んだものが、他者の精神の一部を持って私の中に戻ってきます。このプロセスを踏むことによって他者と一つになる体験をします。 禅道は自らの深奥の感覚を世界のすべてに広げていくことが大切だといわれます。特に自然界の現象に対してこのことが当て嵌まります。草木森林に関心を向け、その植物がいったい「何」であるかをつかみ取ります。そして自分自身に返ってきたとき、そのものの本質を見ることが出来るのです。これは知的なものを超えたものなのです。 ナザレのイエス・キリスト(Jesus Christ)は、童のような意識がどれだけ大切であるかを語っています。子どものような精神をもたなければ天国に入ることは出来得ないと。幼子はすべて外に開かれた意識を持っています。批判や評価といったものではなく在るが儘に受け入れます。子供のような意識を持つことが大切なことと、私たち大人は同時に成熟した叡智なる知識をも持っていなければなりません。子供のような純な精神と成熟した叡智が一つになったとき、私たちはエーテル的な体験ができるのです。 母親とその子には強い感情移入の結び付きがあります。母親は子供が胎児として胎盤内にいるときからとても強い繋がりを感じます。胎児も自分が世話をされていると感じている筈です。特に出産後の最初の7年間はこのような結びつきが強くあります。仮に、我が子が傷ついたりすると母親も同じように痛みを感じます。子どもが笑ったり、楽しくしているとお母さんも同様に感じます。ところが、我が子が小学校へ行くようになっても、お母さんが子どもをつなぎとめていて、あまりにも子どもを離さない場合もあります。母親は我が子を守っていこうとしているのですが、そこにも問題はあります。母親の過保護は子供の成長という根を切ってしまいます。子どもは無意識のうちに寄りかかる関係を望むようになります。お互いに依存しあう、縛りあう関係になります。人として手に入れなければならない自由がここにはありません。父親もエーテル体の結びつきを持っていますが、母親ほどには強くはありません。中には、非常に強く子どもを自分の方に引っ張りつけようとする父親がいます。両親が子どもに期待をかけすぎると子どもは萎縮してしまう結果を齎します。 恋愛にしろ見合いにしろ結婚した二人の関係にもエーテル的なつながりがあります。お互いが依存しあう関係はもたれかかっている関係です。一番不幸な形は虐待です。夫が妻に怒鳴ったり暴力をふるったりします。妻は意識的にではないにせよ、わざとそれを引き起こそうと仕向ける場合があります。これはエーテル体の関係の否定的な面が浮かび上がった例です。哲学・思想ランキング
2022年12月01日
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1