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今日の産経新聞の「【from Editor】幅広く、より多く、正確に」にこうあった。 小紙も言論機関の端くれであり、日々議論しながら「社論」というものをつくりあげている。論説委員はそれに従って、社説にあたる「主張」を執筆している。一部マスコミの「偏向(へんこう)」は今も健在だが、小紙の論調はそれらと一線を画し、少なからぬ読者の支持をいただいてきている。心から感謝したい。 ほう、「すくなからぬ読者の支持」を得ているらしい。 ということは、「偏向」している「一部マスコミ」よりも、販売部数は多いのだろう。 是非ともその数字を公表してもらいたい。 おそらく、「朝日新聞」か「毎日新聞」をさして「偏向」と言っているのだろうが、「朝日新聞」や「毎日新聞」よりも「産経新聞」の方が売れているという、検証可能な数字を出せば、「産経新聞」の方が支持されているということが、明らかになるはずだ。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.31
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「うつ病」が取り上げられるドラマということで見てみた。 一回目は、どのようにしてうつ病になっていったか、という過程を描く。 公式サイトを見たら、なんと、全三回。 この後の展開が忙しそうだ。 うつ病だって人様々なのだろうし、どうしても類型的な描き方になってしまうのだろうが、妻がだめ主婦であることなど、いろいろな要素が入り交じりすぎている。 うつ病になったのは夫であって、タイトルからすると妻の目から描かれるべきドラマだと思うのだが、視点が定まっていない。 発症した時から始まって、その発症に至る過程を描く、という定石を踏まえていて、それはそれでいいのだが、病院に行ってからがあまりにもあっさりしすぎている。 どうせなら、診察室に入るところから始めて、医師とのやりとりを通して、どのような過程を経て発症に至ったかを明らかにしていく、という構成の方がいい。 医者だって、あんなに簡単に「うつ病だね」なんて言わないだろう。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.30
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先日テレビで放送されたのを見た。 当然のように、旧作の千葉真一主演版「戦国自衛隊」も見ている。薬師丸ひろ子が桃太郎のような姿で出ていたり、真田広之がヘリコプターから飛び降りたりしていたっけ。 さて今回は、原作の原作が半村良半村良で、その設定を生かして、福井晴敏という人が作った話を素にしているということだ。 部隊が、戦国時代にタイムスリップしてしまったことを知った現代側が、部隊を連れ戻そうとする。 前作よりもむしろこちらの方が、古いタイプのSFになっているのが意外だった。 カーク・ダグラスの出ていた「ファイナル・カウントダウン」のようだった。 江口洋介の、ふだんは民間人として暮らしているという設定や、戦国武人との友情はあまりにも陳腐だったが、戦国時代に飛ばされた方が順応し、科学の力で歴史を変えようとしているところは新鮮だった。 「歴史の修復力」を否定しているのだ。 どうせなら、作戦は失敗して、現代に戻ってきたら、全く違う世界になっていた、という落ちでも良かったのだが、こんなことは後から考えつくことで、企画段階では、タイムリミットがある、という設定を持ち込んだだけでも大きな改変と感じていたのだろう。 可もなく不可もない映画だった。goo 映画 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.29
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第七に「俗姓は鋤田連《すきたのむらじ》、後に姓を上村主《かみのすぐり》と改む」という文がある。 「村主《すぐり》」といえば、スケート選手を思い浮かべる。珍しい姓だなあ、と思っていたが由緒のある姓らしい。 語釈によると、「上村主」は「朝鮮系の帰化人で、上が氏《うじ》、村主《すぐり》が姓《かばね》」なのだそうだ。なぜ「村主」を「すぐり」と読むのかは説明がない。 当時の朝鮮音のなごりなのだろか。それとも「すぐり」と言う語があって、それに意味の上で「村主」という字をあてたのか。 同じく第七に「神通《じんつう》を以て」と言う句があり、現代語訳では「神通力《じんずうりき》」となっていた。「じんづうりき」ではないのかと思って辞書を引いたら、現代仮名遣いでは、なんと「じんづう」ではなく「じんずう」となっているのだった。知らなかった。 これはわかりにくい。 第十。「常に鳥の卵《かひこ》を煮《に》て食らひ」と題にある。 「卵」を「かひこ」と言ったのだ。「蚕」は外来のものであるし、卵を指す「かひこ」が先にあって、形状が似ている蚕の繭も「かひこ」と言うようになったのか。あるいは語源は全く異なるのか。 第十三。 吉祥天女の像に欲情した男の願いを、天女の像がかなえてくれるという話。 「深く信仰すると、神仏に通じないことはない」という話になっていて、これでは、煩悩もかなうと言うことになってしまうのだが、かつてはこういう素朴な信仰だったのだろうと思わせる。 第三十四。 貧しい女が、求婚して通ってきた男をもてなす料理がなく、観音菩薩に願ったら、観音が隣人に姿を変えて料理を持ってきてくれた、という話で、子供の時に、何かの本で読んだことがある。 その時は、たんに客が来ているということしかわからなかったが、これを読むと、かなり強引に求婚して男が一方的に女のところにやってきているのである。 それでいながら、何か食わせてくれとはどういう了見だ。 女が貧しいのはわかっているのだから、自分で何か用意して来いよ、と言いたくなる。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.28
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「漢字表案への声 「鬱」外せという不見識」というコラムを読んだ時から引っかかるものがあって、やっとそれがなんだかわかった。 ここだ。 「百聞は一見に如(し)かず」ということわざがある。これになぞらえていえば、視覚的情報を持つ漢字は、仮名よりも百倍やさしいのである。 ちなみに、石井勲博士は、実践研究の中から、知能が低くて仮名を覚えられない子供が、漢字だとどんどん覚えてゆく事実についても報告している。 いったいどのようにして「やさしさ」を数値化して比較しているのか根拠が示されていないだけでなく、仮名を覚えられなくても漢字を覚えられるのだから漢字を教えればいいのだ、という論調が不思議なのだ。 漢字の読み書きができなくても、代わりに仮名をつかうことで生活をすることはできる。 誰だって、ルビを頼りに漢字を読んだり、書けない漢字は仮名で書いたりして済ませている。 しかし、漢字の読み書きはできるが仮名が使えなかったらその方が生活には不便だ。 漢字しか書けないのでは、漢字が苦手な相手には自分の書いた文章を理解してもらえないではないか。 常用漢字による制限にはわたしも納得していない。しかし、役所の文書が難解なものにならないようにするための歯止めは必要だと思う。 対照となるのは訳書だけのはずなのだが、なぜか、現行常用漢字表は、漢字制限の当用漢字表から一転して目安となったにもかかわらず、教科書や公用文、法令などのほか、新聞、放送にもその網をかぶせたため、依然制限色が残った。と書いているが、訳書の公文書ならいざ知らず、利潤追求のための新聞にまで網を掛けることはできないはずだ。背いたところは罰則はない。現実に、毎日新聞は、身近な動物名は漢字表記に改めている。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.27
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昨日の続き。 高いところにあり、川沿いだからか涼しい。 まだ桜が咲いていた。北茨城市による紹介サイト 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.26
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「花園神社」とはいっても、北茨城市にあるもの。 山道をかなり登っていくと、渓流沿いにある。 訪れたのは5月の連休。 こんな紅葉があった。北茨城市による紹介サイト 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.25
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国元屋の洗面台。 おそらくアドバイザーか何かの提言を取り入れているのだろうが、建物が古いと言うだけでいやがる客もいるようなので、こうして新しさを演出しているのだろう。 努力が感じられる。国元屋 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.24
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福島県いわき市の温泉旅館と民宿の中間のような宿。 もともとは地元の人のための湯治場だったのだろうという雰囲気があるのだが、建物は手を入れてあって、壁が薄いという難点はあるものの、古さを感じさせない。 風呂場は小さめだが、集客数が多くないのか、混み合うことはない。ぬるぬるの不思議な感触。 写真は夕食。「かにしゃぶコース」を頼んだら、カニしゃぶのほかにもカニが出てきた。 右下にうつっているウニは、写真ではわからないが、まだ生きていて、とげが動いていたのに驚いた。生きているウニを食べることなど後にも先にもないだろう。国元屋 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.23
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遠い昔に読んだことがあったのだが、「今昔物語」を読んで思い出したので再読。 「今昔物語」の原形がいくつもある。 仏教を尊いものとして説こうという説話集ではあるのだが、仏教とは関係のないものもある。それだけ古い話なのだろう。 驚いたのが、「第三十一」の話。 仏道を修行していながら、富と美女を手に入れたいとばかり願っていて、仏教の力でその願いが叶ってしまう、というもの。 財産や女をすてて修行するものでなかったのか。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.22
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新型インフルエンザが流行の兆しを見せ、関西ではマスクが売り切れになっているというニュースを見て、「マスクに予防効果があるのか?」と疑問を抱いていたら、ちょうど、そのテーマの記事があった。 「マスクは予防に役に立つのか 日本と海外では使用法全く違う」というもの。 主な内容は、 厚労省の結核感染症課では、「していれば大丈夫ということではありませんが、人込みで使用すれば、それなりの予防効果があると考えています。飛まつが付いた手などが口にいかないメリットもあります」と言う。 一方、インフルに詳しい元北海道小樽市保健所長の外岡立人さんは、こう指摘する。「医学的に、マスクをすれば感染しないと裏付ける海外の文献はほとんど聞いたことがありません。WHOのガイドラインにもマスク着用は書いておらず、本当に役立つか何とも言えないということです。欧米では、感染者がほかの人にうつすのを防ぐためにマスクをするので、健康な人はマスクをしないわけです」 厚労省の新型インフルエンザ専門家会議が2008年9月22日に書いたマスク使用のまとめでは、マスクをしても顔とのすき間から空気が入るため感染を完全には防げないとしている。ということだ。 自分がインフルエンザにかかっている時に、ウィルスをまき散らさないためには効果があるが、予防にはさほど効果がないようだ。 花粉と違って、非常に微少なので、マスクの隙間から入ってきてしまうのを防ぐことはできないわけだ。 しかし、全く効果がない、とも思えない。 インフルエンザ・ウィルスは、湿度の高いところでは活動が鈍る。 マスクをしていれば、少なくともマスクの内側は湿度が高くなっているはずで、その分だけは、ウィルスの活動を抑えることができるはず。 ただし、感染予防ができるほどの効果があるというほどではなく、しないよしまし、という程度だろう。 わたし自身は、マスクはしない。 すでにウィルスは日本中に広まっているはずで、いずれは接触する。 今回のインフルエンザは「新型」とは言っても、今までの治療法が有効なのだから、大袈裟なことをして、不安感をあおるようなことはしたくない。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.21
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北茨城にある。ここも運が良ければ海が見えるらしいが、残念ながら見えなかった。 ダムの山の方は、花貫渓谷という景勝地らしい。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.20
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再読。 例によってほとんど忘れている。 なんだか特に落ちもないような話も多いのだが、そこはそれ、「伝奇」はフィクションではなく、実際にあったことの記録ということになっているので、物語性を要求する方が間違っているわけだ。 「崑崙奴」「聶隠娘」「我来也」などは起伏があって面白い。特に「我来也」は良くできている。 伝奇ミステリの傑作である。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.19
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北茨城の山の中にひっそりとある。 ダムのほかには何もない。ダムに至る道も狭い。旧道だったらしい道沿いにある。 チキンと管理はされていて、 この写真のように、名前の植え込みがある。 毎日誰かが勤務して管理しているのだろうが、こういうところで働くのはどんな気持ちだろう。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.18
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金曜日。わけのわからないクレーマーが来て、1時間ほど相手。 こういう大人の子供は大変だろうな、と、子供の方に同情的になる。 そんなわけで、帰宅がいつもより1時間遅くなったが、就寝は、1時過ぎで、さほど遅いわけではない。ただ、疲れていたので風呂にも入らなかった。 ところが、土曜日に目覚めて時計を見たら12時! なんと10時間近く寝ていたのだ。 若い時にはそれぐらい寝られたものだが、最近は、どんなに遅く寝ても9時前には目が覚めていたのに。 この一週間、なぜか眠くて、同僚もさかんに「眠い」と言っていたが、睡眠を誘う陽気だったのだろうか。 土曜日は一日ぐったりしていて出かける気力もあまりなかったのだが、翌日は雨になりそうなので、どうにかこうにか、ホームセンターへ行って薩摩芋の苗を買い、植え付け。 あとは風呂にも入らずぐったり。 今日は10時頃に目が覚めた。体はだるい。朝から雨だったので、ほとんど外出しなかったが、スーパー銭湯にだけ行って、体をきれいに洗ってきた。 もちろん、家で入浴しても同じことなのだが、サウナで汗を流して水風呂に入る快感は家では味わえない。 さっぱりした、というか、予定をこなしたという気分。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.17
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新型インフルエンザが問題になっている。 対応策も、「こうすればいい」という方法は確立されていないらしい。 そういう状況の中で、今日の産経新聞の主張の一つは、「「停留」期間短縮 改むるに憚ることなかれ」で、表題だけでなく、本文にも、 確認しうる情報に基づき、目の前の事態に柔軟に対応することは危機管理の基本であり、それを怠るとかえって危機への対処を誤ることにもなる。「改むるに憚(はばか)ることなかれ」である。と書いてある。 もちろん出典は「論語」の「過則勿憚改」という句だろう。「論語」には二カ所にこの句がある。 この句を引用することによって、今までの対応策が「過ち」であった、と断じているのである。 これはいいのだが、この主張にトラックバックしている記者のブログが気になった。 宮田一雄という、編集委員の肩書きを持つ人のもの。 こう書いてある。 念のために、念のために・・・ということで、少しずつ対策が過剰になっていくと、それが集積されて、社会が変な雰囲気になってしまうこともあります。《過ぎたるは なお及ばざるが如し》ということわざもありましたね。 これも出典は「論語」。「過猶不及」だ。 気になるのは、この記者の書き方では、過剰なのは不足より劣る、という意味にとられるのではないか、ということだ。 手元にあった、岩波文庫の金谷治「論語」では、この部分の訳は、ゆきすぎるのはゆきたりないのと同じようなものだとなっている。 同じく岩波文庫の宮崎市定「現代語訳論語」では、行き過ぎと不足とに上下はないとなっている。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.16
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「ソラマメのアブラムシ」に書いたように、ソラマメにアブラムシが大量発生し、だいぶ病気にやられてしまった。 サヤが黒くなり、成長が止まって枯れてしまうのだ。 ある程度大きくなったものは、病気に負けずにいるのだが、小さいものは次々に黒くなっていく。 蚕豆の先端の方に付くので、目に付いたら切り取って処分。しかし、追いつかない。 今日も、アブラムシ退治に出かけたら、助っ人がいた。 テントウムシの幼虫だ。アブラムシを食べる種類。 しかし、いくら食べても、アブラムシの増殖には追いつかないらしい。 残念だが、かなりの株をあきらめることになりそうだ。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.15
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「入間温泉 叶屋」シリーズ。 二階の廊下にこんな引き戸がある。 外に渡り廊下か何かがあるわけではない。昔は裏の土手に通じる何かがあったのだろうか。 ただ手すりがあるだけ。 小さな子が隙間から落ちたりしないのか心配になるが、おそらく、戸があること自体に気づかないだろう。 建物自体の歴史を感じさせる。 こういうのも懐かしい。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.14
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様々な随筆集から選んだものと単行本未収録のものをまとめたもの。 他の随筆でも触れていることもあるが、初めて知ったことも多い。 岡本綺堂の文章が読めることがうれしい。 内容もさることながら言葉が目を引く。 「お蚕様《こさま》」(p10)。磯部でのことを書いた文章。数年前に「三日月村」を訪れたときにまだ桑畑があった。 次のページに「護謨《ごむ》ほうずき」とあるが、「ほおずき」のはず。 「コウモリ」の話が何度か出てくる。「思い出草」では「かわほり」(p77)とルビを振っている。 ただし、「雁と蝙蝠」では、子供たちが蝙蝠に向かって叫ぶ言葉として、「こうもり、こうもり、山椒《さんしょう》食わしょ」(p187)と書いてある。 「湯屋」(p81)では、文字通り「湯屋の二階」に上った思いで話を書いている。実際に見ているのである。「石榴口」には「じゃくろぐち」とルビがついている。江戸の言葉なのだろうか。 「かれを乗せた愛鷹丸はヨナを乗せた船のように、ゆれて傾いた」(p108) 聖書に出てくる話らしい。岡本綺堂の文章を読むぐらいの人なら知っていることなのだろうか。 「この墓と会津の白虎隊の墓とはわたしに取って思い出が多い。」(p109) 「この墓」とは修善寺の頼家の墓のこと。岡本綺堂が白虎隊のことを書いたものは読んだ記憶がない。読んでみたい。 「栗の花」(p114)はロンドンでの話。「ベイカーストリートの停車場から運ばれてゆくと」(p115)というところがある。「ベーカー街」といえば、シャーロック・ホームズだ。半七を書くにあたってホームズを意識したことは本人が書いているのだが、ここではホームズのことは全く出てこない。「ベーカー街」とは違うところなのだろうか。 震災後の「郊外生活の一年」に「水を憂いずにはいられなくなった」(p171)とある。「憂えずには」ではない。江戸言葉か。 「雪の一日」には、芝居と違って、「普遍的の読み物のたぐいは、場所をかぎらず、時を限らず、人を限らず、全国到るところで何人にも自由に読み得られる」(pp216)とのべ、「先月初旬に某さっじから探偵小説の寄稿をたのまれたが」「それを急に書く気になって、わたしは机の上に原稿紙をならべた」と書いている。 半七誕生の背景には、こういうこともあったようだ。 「巴里《パリ》にはバジン・テアトル(芝居風呂)などと洒落《しゃ》れた名前を附けた湯屋もある。」(p292)ということだが、パリにも銭湯があったとは知らなかった。 岡本綺堂の芝居観。「芝居というものはイリュージョンを破りさえしなければいいので、何も有職故実《ゆうそくこじつ》をおぼえに来るところじゃない。」(p352) 小説と芝居ははっきり区別していたようだ。 「代官山の駅を下りて此方へ来る途中の古道具屋で、私も湯へ行ったり、髪結床へ行ったりして始終その前を通のですが」(p361) いくら何でも髪を結っていたとは思えないが、「床屋」ではなく「髪結床」と言っていたようだ。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.13
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「入間沢温泉 叶屋旅館」シリーズ。 共同の洗面所。 こういうところはトイレが汚かったり暗かったりしがちなのだが、写真のように、改装されていて、明るくて清潔感があって快適。 努力が感じられる。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.12
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「入間沢温泉 叶屋旅館」シリーズ。 写真のように、「入間沢温泉」と印刷されたスリッパがたくさん用意してある。 一軒しかないのにわざわざ作ったのだろうか。それとも、昔は数軒あって、共同で作ったのだろうか。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.11
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去年の「キンラン」と同じ場所に咲いていた。 可憐である。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.10
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「入間沢温泉 叶屋旅館」の続き。 庭に井戸らしきものがある。柄杓もある。 井戸水かと思って飲んでみたが、変な味がする。 宿の人に聞いたら、飲めるのだそうだ。 みんなで飲んでみたが、少し硫黄臭くておいしくはない。 しかし、ただの水ではない、何かが入った鉱泉だ、という感じはする。 叶屋・公式サイト 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.09
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「中国人元実習生が受け入れ団体を提訴 賃金の中間搾取訴え」という記事で、元実習生の中国籍男性、倪文利(に・ぶんり)さんという表記が目を引いた。「中国人元実習生」なのだからわざわざ「中国籍」と断らなくても良さそうなものだが、そんなことよりも、「倪文利(に・ぶんり)さん」だ。 「文利」に「ぶんり」と読みを当てていることからすると、日本語の音読みで読むことにしているらしい。ところが姓の「倪」は「に」だ。この字の音読みは「げい」だ。 したがって、「げい・ぶんり」さんとする方が筋が通っている。 なぜそうしなかったのだろう。 考えられるのは、本人が姓は中国語で読んで欲しいと思ったのか、周囲に「倪」の日本語読みが「げい」であることを知っている人がいなかった、ということだ。 知らなくても、辞書を引けば簡単にわかることなのだが、そういうことをする人もいなかったのかなあ。 ほかの記事ではどうなっているのかと思って少し検索してみたら、毎日新聞の「[賃金搾取]中国の元技能実習生が小渕元首相のおい賠償提訴」という記事では、中国人男性で元技能実習生の倪文利さんとなっていて読みは書いてなかった。 読売新聞では、「中国人元実習生が提訴、受け入れ団体などに賃金支払い求め」という記事で、馬県桐生市の金属加工会社で研修・実習し、帰国した倪文利(にぶんり)さんとなっていた。 「倪」を「ニ」と読むべきだと思うのなら、「文利」の方も「ウェンリ」と読むことにした方がいい。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.08
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昨日書いた「叶屋」から山の方へ車で登っていくと三森渓谷というのがあるというので見に行ってみた。 山の登山道らしきところで通行止めになっていて、神社らしいのがある様子なのでそちらへ行ってみたら「筒木原不動尊」というものだった。 渓流の音が聞こえ、すぐ下に川がある。 不動尊の建物自体は小さなものだが、由緒はありそうだ。 その裏には、この写真のような小さな滝もある。 水流も豊かで夏でも涼しそう。 子連れできて水遊びをさせるのもいいかもしれない。木陰なので紫外線の心配もない。 ただし、流れがあるので、フローティングベストと、メッシュの磯遊びようの靴は必需品。 水田の灌漑用水として造られたらしい水路も見える。 地図はここ。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.07
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福島県いわき市の温泉と言えば、いわき湯本と思っていたのだが、鉱泉まで範囲を広げると、あることあること。 「いわき鉱泉温泉組合」というものまであるのだ。 今回は、その中の一つ、「入間沢温泉 叶屋旅館」に宿泊。 「定額給付金プラン」で二名以上なら一泊二食で6000円という破格の見本のような値段。 中学生の息子と義父母の四人で行くことになったので、四人一部屋で頼もうとしたら、そういう設定はないのだ。二人一部屋で二部屋使うことになった。かえって気楽でいい。 しかも。 なんと、食事ように別に一部屋用意してくれていて、四人で3部屋使うという、今までにないような大名旅行気分。寝室用の部屋にはすでに布団が敷いてあったので、わたしは入浴後、ビールを飲んでうたた寝。 もちろん、「旅館」とはいっても、民宿と同じで、家族経営。 建物は、大きな農家というところ。大きな家が近くにあるので、案内板がなければ、間違えて関係のない家に行ってしまいそう。 外見通り、中身も部屋も新しくはないのだが、わたしが泊まった二階の洗面所兼トイレは改装したばかりなのか、非常に明るくて快適。 お風呂は別棟にあって、一度渡り廊下を通らなくてはならないので、台風の日や冬は難あり。しかし、浴室はこれまた改装したてなのか、大きくはないものの、きれいだった。 無色透明だが、やや硫黄臭がする。 ゴールデン・ウィークなのにほかに客がいないのかと思ったが、あとから二組来た。 しかし、夕方も朝も、風呂は一人で貸し切り状態で楽しめた。 さて、料理。 いくら何でも、二食付いて6000円では料理が寂しいのでは、と、4000円の刺身の盛り合わせを追加で頼んでおいた。 それがこの写真。テーブルの真ん中にどんと置いてあった。一人前の御膳の大きさと同じくらい。種類も量も豊富。 わたしにとっては刺身はごちそうだし、義父母も魚好き。中学生の息子も刺身や寿司は好物。とにかく食った。刺身を食った。多すぎた。 固形燃料で肉を焼く土鍋料理なんか息子にやって刺身を食いまくったが、敗退を余儀なくされた。 魚の煮物は、懐かしい味付け。福島県出身のわたしには、子供の頃を思い出す味つけなのだが、健康志向で薄味が好みの人にはしょっぱいかもしれない。 朝食は、味付けのり、たらこ、ハムエッグ、蕗の煮物など。味噌汁にはアサリが入っていた。 息子は、寝起きで食欲がなく、あまり食べなかったが、わたしはご飯を三膳も食べて、おかずを全部平らげ、息子が食べなかった蕗まで食べた。 義父母は山菜も好きなので、この朝食もまた好評だった。 ただ、不思議なのは、家族経営なのだろうが、どう見てもインターネットなどに縁のなさそうな人ばかりなのだ。 公式サイトは外部に発注して作っているものなのだが、じゃらんで予約したらすぐに電話で確認が来たし、飲み物を頼むとお盆にのせて持ってきてくれたおじさんがチェックしてるのかなあ。 最大の謎である。 叶屋・公式サイト 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.06
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なぜ今「木枯らし紋次郎」なのか、と疑問は抱くのだが、おそらく、局の中に「木枯らし紋次郎」と作りたくて作りたくて仕方がない人がいるのだろう。スタッフの企画の中に「能村庸一」の名があるあたりに、そんな事情を感じさせる。 主演は江口洋介。細面なのはいいかもしれない。 中村敦夫もゲスト出演するとか。 単発では、岩城滉一主演のものがあって、流浪しているというよりも、宿場町の事件を解決する話のようになっていて、「血の収穫」のような「用心棒」のような話になっていたような気がする。主題歌も、歌っていたのは河島英五だったような記憶がある。 さて今回は。 屋外での撮影が多く、それも、建物も何にもないような山の中がたくさん出てきたのが良かった。今でもそういう場所は各地にあって、そんなところでも、さらに奥に行くと人が住んでいたりして驚くのだ。 江口は悪くない。善人でも悪人でもない存在であろうとしている。 物語は、「六地蔵の影を切る」を脚色したもの。 中村敦夫の時とはだいぶ違う話になっている。 原作者の笹沢佐保がもともと推理作家だったこともあり、「木枯らし紋次郎」は、股旅ものというよりも、ミステリの要素が強い。何か謎があり、誰が悪者なのかわからず、したがって誰も信用できないのだが、それでも信用できる人間もいたりして、と、虚無的でありながら虚無的になりきれない世界なのである。 原作もずいぶん読んだ。当時の風俗などについての蘊蓄も小説では語られている。 ドラマでは、冒頭で、ナレーションによる「無宿渡世」の説明から入ったが、もはやそこから説明しなくてはならない時代になってしまったのだ。ただ、説明は不充分で、「人別帳」から外された「無宿人」がそのまま「渡世人」となっているわけではなかろう。 また、渡世人のなりわいが博打であるということになっているが、紋次郎は博打に強いというだけで、渡世人が皆それで生計を立てているわけではない。博打で生計が立つなら旅を続ける必要はない。 映像についていうと、全体的にはいいのだが、殺陣は物足りなかった。もっとみっともなくて、とにかく相手にダメージを与えられれば何をしてもいいというのが紋次郎流であって、ちょっとでも見得を切ったりするのはふさわしくない。 追っ手も、親分を殺されたにしては人数が少なすぎる。 ゲストの中村敦夫はかっこよすぎた。 どうせなら、昔は名の知られた渡世人だったらしいが、今では物乞いをしているとか、峠の茶屋の親爺の役とか、もっとさりげないほうがよかった。 出演者はそれぞれ持ち味を出していて悪くないのだが、テレビ欄を見た時点で「この女が一番悪いんだな」と察しが付いてしまうのが残念。 小澤征悦は、いろいろな番組で見ていて、けっして悪い印象を抱かせない人なのだが、渡世人には合わない。恰幅が良すぎる。飢えて育ったという雰囲気はない。 ともさかりえの夫を演じた人は、どこかで見た人だ、と思ったら、「黒部の太陽」にも出ていた趙という人だった。むしろ、この人の方が渡世人に見える。 さて、今回の「木枯らし紋次郎」で最も良かったことを最後に書いておこう。 それは、上條恒彦の「誰かが風の中で」をそのまま使ったことだ。 冒頭で、イントロだけ流した時にぞくぞくしたし、途中で、アコースティックギターの伴奏だけのバージョンが流れたのも良かった。 ドラマの「木枯らし紋次郎」はこの歌と不可分の関係にあるのだ。 このレベルのものを毎週作るのは難しかろう。三ヶ月に一回ぐらいは見せてくれないものか。 そうそう、最後に「このドラマはフィクションです」と断り書きが出たのには驚いた。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.05
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忌野清志郎さんが亡くなった。 まだ58歳だったのか。 訃報では「ロック歌手」となっていることが多いが、わたしは、初めて聴いた曲が「僕の好きな先生」だったこともあり、フォーク歌手というイメージが強い。最も、本人はフォークでもロックでもなく、単に「忌野清志郎」だったのだろう。 彼の曲で最も強い印象を残したのは、井上陽水との合作「帰れない二人」だ。陽水のアルバム「氷の世界」に入っている。 素人には歌えない難しい歌で、詩の叙情性も高い。 内容は、吉田拓郎が歌えば「マーク・ツー」になり、SMAPが歌えば「夜空ノムコウ」になるようなもの。 しかし、詩も曲も独特の雰囲気があって、昔から好きな曲だった。 一時期、MIDIに凝っていた時に、打ち込んで聞いていたりもした。 そんなことも思い出した。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.04
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福島県いわき市の波立《はったち》海岸。 奇岩が連なった先に鳥居が立っている。潮が引いている時間だったので、鳥居まで行くことができた。 ちょっとした冒険の気分。 国道6号線沿いですぐ目につく。駐車場は、波立寺《はりゅうじ》が利用できる。 海水浴場でもあり、磯遊びにも向いているので、家族連れがたくさんいた。ほかにも駐車場があるのだろう。 この写真のように、禁忌もある。 それだけ強い力を持った薬師なのかもしれない。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.03
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「しときダム」と読むらしい。 福島県いわき市にある。 常磐道のいわき勿来ICから西側(山側)へ登っていくと、案内板があり、トンネルを抜けるとダムがある。 穏やかな日だったのだが、谷になっているためか、ダムのところだけ強い風が吹いていた。 奥行きがあり、高さもあり、なかなか見応えのあるダムなのだが、ダムと管理事務所以外何もないのがかえって潔い。トイレはある。 運が良ければ海が見えるというのだが、見える気配はない。ずっと奥の方までいくと、峡谷の彼方に海が見える時の案内図があった。 この谷の向こうに見えるらしい。 9月からは、下流に観光やなも設けられるらしい。 紅葉の季節にはきれいだろうか。でも、寒いだろうな。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.02
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あまりにも今更ながらなのだが、ずっと前に録画しておいたものを思い立って見てみた。 思えば、第1作が公開されてからもう30年以上たっているのだ。 アナキンの成長と変化、パドメとの恋が中心。 何か事件があってそれが決着する、というのではなく、何かが起こりつつあるのだが、それが何であるかは誰もわからず、各地で混乱が起こっているという状態。 連続ドラマの一部分だけを見せられた気になる。 もちろん、アナキンやオビ=ワンがその後どうなるか、こちらは30年前から知っているわけで、なるほどこういう過去があってルークたちが生まれたのか、と納得はする。 特撮は恐ろしいほどの進化を遂げている。 しかし、懲りすぎていて、大都市になると、小さなものが昆虫の群れのように飛び回っていて気になる。 こうなったら、最後まで見るしかないか。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.01
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