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これはツボサンゴです。北米原産、ユキノシタ科、常緑多年草、5~7月開花です。昨日に続いて金子満雄さんの本「ボケは防げる治せる」の中で、今のうちから私達が気をつけていかなければならないことについて書いておきます。「治療と予防の具体策」の章中に「若い時から何か趣味を持ち、それを続けている人はまずボケない」と書いてありました。ボケているお年寄りには趣味ゼロと言う人も少なくないとの事です。ボケやすいタイプは、音楽、絵画、詩歌、ゲーム、スポーツのどれも親しめない場合が殆どで、若い時にちょっとハーモニカを吹いたことがあるとか、ヘボ碁を打ったことがあるとか、俳句をひねったことがあるとかの経験が、老後の強力な財産になるとのことです。認知症の人に趣味をみつけてあげることは大変難しく、もし一つでも趣味がみつかったら治療の半ばを達成したことになる。と書いています。金子先生は認知症の予防と治療の第一人者で、認知症を治す薬はないと断言しています。私もよく世上で使われているアリセプトという薬を認知症の方に使ってみたことがありますが、効果はほとんど認められませんでした。ということは薬ではなく、自分で予防して自分で治すしかないと思います。それには若いうちから何か趣味を持つこと。何も趣味がない生活をしてきて少しボケ出してきたら、なんでもいいから何か趣味をみつけてそれに熱中していくことがボケの治療になるとのことですので、お互いがんばりましょう。
2007.05.31
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これは地中海沿岸が原産の背丈の低い常緑樹である、シソ科のラベンダーです。昨日撮影しました。鎮痛、精神安定、防虫、殺菌効果があるとされています。今は痴呆とかボケの言葉を使わないで認知症と言いましょうとなっていますが、金子満雄先生の著書「ボケは防げる治せる」ではボケの言葉を使っていますので、ここでも便宜上ボケの言葉を使うことがありますが、ご容赦下さい。人は年齢と共に記憶力が減退して、段々進行して朝、昼、夜食べた食事の内容が思い出せなくなり、終いには食べたかどうかが分からなくなって認知症になっていきます。認知症にも軽症から重症まであり、軽いうちから対策を立てていくと進行しないと言われています。上に挙げた浜松医療センターの金子満雄先生に山梨県農村医学会の特別講演講師として甲府に来て頂いた時、先生は簡単なボケの診断法を教えて下さいました。それは、一分間にいくつ花の名前を思い出せるかというものでした。おおまかに2つ以下は大ボケ、3つから5つは中ボケ、6つから8つは小ボケ、10以上は正常とのことでした。その時私は5~6個しか挙げることができず中~小ボケに入ると思いました。先生は今回成績が悪かった人は放っておくと認知症にまっしぐらなので、努力して改善していく必要があると言われました。認知症は努力によって、改善したり治すことができるとのことでした。今私の家の庭には外から種が飛んできたものや買ってきたものなど何十種類もの花が咲いています。家内に名前を教えて貰いますが、端から忘れてしまいます。今度ブログに花の写真を載せるようになってから必死で覚えようとしていますがやっぱりすぐ忘れて思い出せません。でも今まで無関心だったのに車で道を走っている時、家々の花に目がいって、これは自家にあるのと同じだ、名前は何々だなどと、関心がいくようになりました。金子先生によると、物忘れは放っておいてはいけないそうです。認知症の予防と治療のためには記憶力を訓練する必要があり、花の名前が10以上いえなかった人は10以上言えるようになるまで訓練する必要があり、それができたら、今度は4つ足動物の名前を10個以上言えるように訓練する必要があり、それができたら鳥の名前というふうに訓練の材料は一杯あるので努力して下さいとのことでした。世の記憶力が減退したとお感じの皆様、花の名前でも動物の名前でも、相撲取りの名前でも、忘れても忘れても何回も覚える努力をして、認知症を予防しましょう。
2007.05.30
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これは北米中南部からメキシコにかけて原産のアカバナ科ガウラ属の多年草(宿根草)白蝶草です。花が蝶の飛ぶ姿に似ている所から名づけられました。5~10月に可憐な花を咲かせます。花言葉は清楚です。松岡農林水産大臣が自殺した。政治資金の不明瞭使用や官製談合関連企業から政治献金を受け取っていた問題などで、国会内外から追求を受けていた最中での自殺で国中に大きな衝撃が走った。松岡大臣は農林水産族議員として、農水行政に関しては、その手腕は高く評価されており、WTO(世界貿易機関)の多角的貿易交渉や農業改革などに大いに期待されていたが、今回自分自身のスキャンダルで窮地に立ち、自殺を選んだのだと思う。人が自殺するのはよほどの時である。大臣辞任や議員辞職の道もあったと思うが、全ての議員にとっての夢であり、最高の願望である念願の大臣にしてくれた安倍首相に迷惑をかけているという気持、農水省や地元、家族、今後の自分の身の振り方など様々なことが同時に襲い掛かってきて、どうすることもできずに死ぬしかないと思ったのだと思う。自殺する人はそれで今までのことが無に帰して、お詫びも含めて全て解決できると思ってしまわれるのかもしれないが、実際はその後の内閣や農水省、地元、家族にはさまざまな問題がのしかかり、解決にならないばかりか、かえって大きな問題になることもある。生命は永遠であるとの考えからすると、問題を解決せず、責任もとらずにあの世にいってしまったことは生命への傷として残ることが考えられる。誰の人生にも悲しいこと、苦しいこと、耐えられないこと、いっそ死んでしまいたいと思われることがきっとあると思う。みんなそれぞれ耐えてきたし、今も耐えている人もいると思う。松岡大臣の今までのご活躍、ご業績に感謝し、心よりご冥福をお祈り申しあげる。それと同時に、来世があるとするなら、今回多くの人にご迷惑をおかけしたことを感じ、その償いとより幸せで明るい社会になるために力になることを決意して、その生命を燃やし続けて頂きたいと願う。
2007.05.29
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これはラン科の宿根草で、日本、台湾、中国等が原産で、5~6月に咲くシラン(紫蘭)です。生命力が強く一度植えるとすごく増えます。結婚式では、職場の上司などが、様々なお祝いの言葉を述べます。昨日出た結婚式では、「人間万時塞翁が馬で、いいことばかりでなく失敗や困ったことも起こるかもしれないが長い目でみれば却ってよかったこともある。その心つもりで家庭を築いてもらいたい」や「正しいことを言う時には却って相手を傷つけることがある。遠慮しながら言いなさい」等の祝辞がありました。結構皆さんいいことを言ってくれますが、その内容を後々まで覚えている人はあまりいないのではないかと思います。現実には言い争いが絶えない夫婦もあります。言い争いはないけれどどちらかがじっと我慢の家庭もあります。結婚式でスピーチを聞く程度の学習はありますが、本格的に結婚を学習してきて結婚に望んでいる人は少ないと思います。スピーチの多くは「二人で力を合わせて素晴らしい家庭を築いて下さい」ですが、この二人で協力してに問題があると思います。二人の価値観が全く同じなら問題ありませんが、価値観が違うことの方が圧倒的に多いからです。協力する場合、価値観が真反対なら、協力どころか言い争いになります。人間欲深いので、自分の価値観に相手を引きずり込もうとします。それに協力しない相手は悪い連れ合いだと思います。しかし相手は相手の価値観があり、同じように反感を持ちます。これを克服するには、ある時は譲り、ある時は譲ってもらえる環境ができればいいのではないかと思っています。ある人は譲るなどということは沽券に関わると意地を通そうとします。その場合は喧嘩が絶えないか、一方が虐げられた状態だと思います。「これだけは譲れない」の言葉がありますが、何を譲り、何を譲らないかが大きな問題になります。私はそれは正しいか正しくないかで判断するのではなく、相手を思う思いやり、愛情で判断すべきではないかと思っています。しかし相手が正しい、正しくないとか感情が許さないなど、感情論で攻めてきた場合にはどうすることもできません。個々のケースについては自分の人間性を高めて、力まず自然体で、対応して行こうと思っています。
2007.05.28
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今結婚式から帰ってきたところです。今月はこれで3つ目の結婚式でした。花嫁さんは輝いており、お婿さんもそれを引き立てており、人生最高の時だと思いました。飲むほどに私のテーブルで、ある人が「家はかあちゃんが社長で、自分は言われたことをただやるだけですから」と言ったら周りから「家もそうだ」、「家もそうだ」の声が上がりました。一人だけ「家はテーブルをひっくり返すくちですから」と言いましたら羨望やら、本当なのかの疑いの気持ちやらで大騒ぎになって大変盛り上がりました。甘いロマンチックな結婚式が済んで数年すると、殆ど例外なく奥さんの方がいばっているのだなと思いました。昔はテーブルをひっくり返す亭主関白もいたかもしれませんが、今は殆どなく、今日発言した人も期待を込めて言っただけで、実際はその反対のような感じでした。イラクは完全に男性支配の国です。大体戦争をするのは男性です。たまに乱暴な女性もいますが、一般に女性は平和主義者で、戦争は好みません。家庭で天下をとっている女性が、政治に目覚め、平和運動に目覚め、地域社会でもリーダーシップをとっていくようになると、その地域、その国は変っていくだろうなと思いました。
2007.05.27
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これは5月から8月に咲く北米原産の菊科の金鶏菊です(花の中心部に紫色の輪状模様がないので正式には大金鶏菊が適切かもしれません)。ある人から「その人の心が環境を作る」との言葉を教えてもらいました。その人の心が周りの環境を作るということで、家庭や学校、職場、地域、国、地球などの根本は人の心で、心の美しい人が多ければいい職場、いい地球になるということだと思います。そういう人が多くなければだめかと言えば、少なければ少ないなりにそれなりの環境になっていくのだと思います。「おれの会社は最低さ」とか、「おれの町は最低さ」とか言う人がありますが、それはそこに働く人々、そこに住む人たちの心が作り上げたものだと思います。毎日の世相を見ると殺人事件や、汚職、詐欺などの事件が後を絶ちません。どうしょうもない国になってしまったと言っている人がいました。それは自分達の心が作り上げたものだと思います。なかんずく自分だと思います。自分の心が周りの環境を作り、それが広がって地域社会を作っているのだと思います。今、人類の最大の願いは、平和で健康的な地球環境を作ることだと思います。戦争や大気汚染のない環境を作りのは私達一人一人の心にかかっていると思います。
2007.05.26
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これは家内が先日買ってきて庭に植えたイソトマです。オーストラリア原産で日当たりを好み5月から夏過ぎくらいまで咲き、星形の可憐な花が特徴です。サマセット・モームの自伝的小説「人間の絆」で主人公のフィリップがドイツの下宿先で先輩達の宗教に関する話を聞いて自分は今までイギリス国教会に属しており、それに外れると地獄に落ちると思っていたが、それ以外の教派でも立派な人がいるし、キリスト教を信じていない中国人の下宿人がそれだけで地獄に落ちるのは合点がいかないと考えるところがある。世界には様々な宗教、教派があり、その教義から外れると殆どの教派で嫉妬深い神によって罰せられると信じこまされている。フィリップも信仰を放棄した時その恐怖にとりつかれた。しかし教義は放棄したが、キリスト教で美徳とされている教えは受け入れ、報われるからとか罰せられるからではなく、美徳それ自体のために実践するのは素晴らしいことだと思った。世界中の人たちは何らかの宗教によって悪事を働くと罰があたるとして、生活規範がなされてきた。しかしその一方でその教義から外れたり、他宗、他派に鞍替えしたり、その宗教を捨てたりしたら最大の罰が当たると教えている。しかしそれらの教義にとらわれずに、フィリップが到達した結論、その宗教の中で何が美徳なのか、何が大切なことなのかを見極めて、教義の枠に捉われずに自由に正義を貫いて生きるのが本当の生き方だと思う。
2007.05.25
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これは庭に咲いているブラジル南部原産のチロリアンランプです。10年以上前に、三重県熊野市に住む友人から送ってもらったものです。彼は地植えにしていますが、当方では冬季に外にあると枯れてしまうので鉢植えにしてあります。春から秋まで大変長い間咲いています。今日82歳の男性からお話を聞く機会がありました。予科練(海軍飛行予科練習生)だったとのことで、仲間の7割は死んでしまって、自分は生き残り、最初は複雑な気持ちでしが、この歳になれば、できるだけ健康で余命をまっとうしたいと言っていました。予科練では犠牲的精神と敢闘精神を徹底的に叩き込まれたとのことです。戦争末期には次から次に友人が一人用の飛行機に乗って飛び立っていきました。飛行機は中からは鍵の開け閉めができず、外からしか鍵の開け閉めができませんでした。鍵を閉める時には中の人間も外の人間も泣いていたとのことです。何を感じ、何を思って泣いたのか想像するしかありませんが、いよいよ死ぬのだ、これでお別れだの気持ちだったのではないかと思います。お国のため、天皇陛下のためにお役に立ちたいと20歳以下の少年が自ら志願して、予科練に入ったり、特攻隊を志願しました。反対した家族もいたと思います。いや全ての家族や恋人達が反対したと思います。しかし彼らはそれを振り切って土浦や鹿児島等に旅たっていきました。今は「お国のために命を賭けるぞ」と思っている若者はいないと思います。しかし時代は変れど、同じ若者で、感受性は同じです。違うのは価値観だと思います。当時の若者は、この世に受けた生をお国のために使うのが最高の徳と考えていました。彼らは最後の搭乗時に鍵をかけられた時には泣いたとしてもそこに行くまでは迷いはなかったと思います。今の若者も同じだと思います。これぞ最高に価値あることだと思えることがあれば自分の命も顧みず突き進んでいくと思います。今最高に価値あることは世界平和だと思います。特攻隊とか予科練は具体的な目標になりましたが、平和の場合、目標が大きすぎて具体的に何処へ行って何をしたらいいか分からないために、行動として目に見えない面がありますが、若者の心は本当は純真で、昔の若者の方が純情で正義感に溢れていた訳ではないと思います。先の戦争で特攻隊員だけでなく、多くの軍人、一般住民が尊い犠牲になりました。心からご冥福をお祈り申し上げます。戦後占領地での日本軍による虐殺等の話を聞き、神国日本を信じていた若者は理想と現実の違いが理解できなかったのではないかと思います。戦争は何処の国の人でも人間を野獣にします。相手をやっつけるためには何でもします。占領すれば占領地の略奪や強姦はつきものです。神国でも悪の中枢国でも同じです。正しい戦争、悪い戦争はありません。戦争そのものが悪なのです。特攻隊の話を聞くといつも涙が出ますが、涙をただ流せばいいものではありません。この涙、平和のために粉骨砕身、命をかけて戦っていくものでなければならないといつも思います。
2007.05.24
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これは庭に咲いているツツジ科のカルミアという花です。北米原産で、アメリカシャクナゲと呼ばれることもあります。薄いピンク色の花はパラソルを思わせます。つぼみはデコレーションケーキに乗っている搾り出しのクリームのように見えます。今の季節が盛りで、小山のように盛り上がって咲きます。今日社会保険事務所から手紙がきました。保健料が納付期日までに納付されなかったため、任意継続被保険者資格が消失したので通知します。無効になった保険証は速やかに返納して下さいと書いてありました。早速社会保険事務所に行きましたら、「5月の保健料が5月10日までに納付されなかったので、5月11日から資格ありません」とのこと。催促とか督促、警告なしにいきなり剥奪でした。再発行はできません。もし保険証を希望する場合は市町村役場に行って国民健康保険を申請して下さいとのことでした。市役所に行って国民健康保険証を申請して無事もらえたので安堵しましたが、健康保険証がいきなり無効になっていますの通知をもらった時には歯科治療にも、腹痛治療にもいけないと思いびっくりしました。任意継続被保険者証というのは勤務を止めた時に、今まで勤めていた時の保健料で2年間継続できるという制度ですが、一回でも納入期日に遅れると資格が止められてしまうというのは上に述べた通りです。再発行や復活の道はありません。しかしそのような人でも国民健康保険で拾ってくれるので助かりました。保健料は任意継続被保険は1ヶ月2万6千円位でしたが、国民健康保険はもっと高額とのことでしたので、緊急に家中の金をかき集めて1カ月分の保健料として5万円位準備して行きましたら金額は来月通知するから今は払わなくてよいとのことでした。先日タケシのテレビタックルで、保険金が払えなくて保険証を取り上げられた人の話をしていました。払えるのに払わない人には厳しく対応すべきである。払いたくても払えない人には配慮すべきであるとの意見が出されていました。上記二つのグループ以外に、知らなくて、もしくはうっかりして滞納しているグループもあり、それぞれに対応する必要があると思います。勤めていると、毎月給料から保険料が差し引かれますので、その金額を詳しく知らない人が多いと思いますが、勤めを辞めて給料が貰えなくなると自分で保健料を払わなければなりません。その金額が半端な額ではないので、払えない人もかなりいるのではないかと思いました。日本の健康保険制度は素晴らしいと思いますが、保健料があまりに高額で、払えない人のことを考えて、なんとかしてやれないものかとの意見を出した人もいました。無事国民健康保険証が貰えたのでよかったのですが、滞納者には問答無用で健康保険証剥奪が行われることがあることを体験しましたので書かせて頂きました。
2007.05.23
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英会話とか英語の勉強に苦労している方が多いと思います。英会話の教材は多数出ていますし、無料のメルマガやブログも多数あります。無料ということで英会話のメルマガ等にとびつく方も多いと思いますが、無料といっても英会話のことだけでなく多くの広告を含んでおり、一度配信を申し込むと色々な広告がきたり、迷惑メールの原因になったりします。でもメリットとデメリットの兼ね合いでメリットの大きいものは採用していかれるのがよいと思います。石田健さんのメルマガ「1日1分英字新聞」http://blog.mag2.com/m/log/0000046293/は英文が大変短かいので、毎日送られてきても目が通せる長さですので、忙しい人には最適だと思います。宣伝も多数ありますが、チェックを外して申し込まなければいいので、英語の勉強だけできると思います。毎日読んでいれば英字新聞がかなり読めるようになると思います。1日1分の英字新聞を読むのは無料ですが、もし希望があれば月千円チョットのお金を払うと一週間分を音声付で配信してくれます。今日の英字新聞の記事は日本の15歳の少年が日本オープンプロゴルフで優勝した話です。時事問題にも強くなりますし、解説つきなので英語に強くなることがかなり期待できます。解説がありますので中学生から大学、社会人まで幅広い人が対象になると思います。英語は苦手だという人にもかなり分かるのではないかと思います。URLアドレスを記載しましたので気に入りましたら登録して1日1分英語の勉強を始めてみたら如何でしょうか?
2007.05.22
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今朝、朝食を食べていたら8時15分頃、電話がかかってきて、今日の裁判所の健診、当番の先生が急用ができたので、ピンチヒッターで出てもらえないかとのこと。8時半開始とのことで、時間がないですが、今自分はフリーなのでいいですよと正確な場所も分からないまま出かけました。警察署の隣と言っても入り口が分からずかなり遠くの半公共的な所に車を止めさせてもらて歩いて裁判所に行きました。裁判所に入るのは初めてで少し緊張しました。裁判官とその補佐官などの健診ですので、なにか自分が裁判されやしないかと不安の気持ちが少しありました。看護師も誰もいないいかめしい3階の一室での診察ですが、慣れれば医師と受診者の関係で普段と変わりない気持ちになりましたが、人は職業によって人を判断する面があるなと思いました。そしてまた教師は教師、裁判官は裁判官、医師は医師、工場労働者は工場労働者それぞれの雰囲気を持っていると思いました。人は生活の糧を得るために様々な職業につきます。1昨日山本勘助の展示があるとのことで、御坂の県立博物館に行ってきました。郷土誌などがおいてあるある部屋に椅子が目に入ったので座らせてもらいたくて入りましたら、入り口で女の人がにっこりして「いらっしゃい」と言ってくれました。その部屋には2~3人くらいしかいませんでした。物を売るわけでも何でもなくその部屋の管理だけで一日其処に座っているのは耐えられないと思いました。自分ならいいかげんにしてくれと思い、いい加減な顔をしていると思いましたが、その人の笑顔は大変美しく、いろんな仕事があるもので、その中で皆さんそれぞれがんばっているのだなと思いました。裁判官といえば職業として一目置かれますが、部屋の管理者のように隠れたところで、殆どの人から見てもらえない所で笑顔で一生懸命働いている人もいることを思い、私も急に呼び出されてなどと文句を言わずに午前中真面目に勤めてきました。様々な職業の中で自分もベストをつくしていこうと思いました。
2007.05.21
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トルストイ作品の翻訳者北御門二郎(きたみかどじろう)さんは熊本県生まれで、旧制高校時代にトルストイの「人は何で生きるか」を読んで感激して、以来トルストイの思想と生き方に共鳴して、トルストイの作品を次から次に翻訳して、彼の絶対平和思想を世に伝えようと努力して来た人です。北御門さんは東大英文科を退学して小作人の家に農業見習いとして住みつき、そこで農業のことを色々教えてくれたその家の娘さんと結婚して、農業を生涯の仕事として生きてきた人です。ロシア語は学校で習った訳ではなく、全くの独学です。多くの人が学校や英会話教室などで教えてもらいながら、英語だけでもものにできていないことを考えると、北御門さんは特別に語学の才能があったのかなと思いましたが、トルストイに心酔して、トルストイを原書で読みたいという一念が不可能を可能にしたのではないかと思いました。専業農家ですからその中でよく翻訳する時間がとれたなと思いました。奥さんの理解があったからだなと思いました。恐らく雨の日とか夜間に翻訳したのだと思いますが、農家というのはあれやかやで何かと忙しいので、農作業以外の勝手な事をしているとそれが雨の日であっても非難されたり、文句を言われたりするのが普通なので、奥さんが文句を言わなかったということは、北御門さんを尊敬し、理解していたからだと思いました。世には何かひとかどのことをしたいと思っても奥さんに反対されて泣く泣く諦めている亭主は多いと思いますが、北御門さんは反対されませんで、却って色々援助してもらっていたみたいです。それは普段の北御門さんの人間性や奥さんに対する思いやりや会話のなせる結果だと思いました。北御門さんは無農薬栽培に取り組みました。最初の内は稲も野菜も周囲の農家で消毒すれば病害虫は消毒してない北御門さんの田や畑に集中するので、めちゃくちゃにやられて、全く収穫はなかったそうです。普通はそれでへこたれてやっぱり消毒しなくてはだめだとなるのですが、色々工夫して、例えば間隔を空けて栽培すると作物に養分が行き渡り、生き生きと逞しく育つと虫を寄せつけないことを発見したと書いてありました。私は栄養良く育てると却って虫達は最高の食べ物だからと集まってくると思っていましたが、色々工夫すれば、丈夫で病害虫を寄せ付けない作物ができることを今回初めて知り、農林高校卒業生としてははずかしいと思いました。そうすると病害虫は弱りかけた元気のない野菜に集まるのかなと思いました。理屈ではその反対だと思いますが、現実には無農薬で、どこにも負けない作物が作れるようになったとのことです。北御門さんは91歳5ヶ月の長命でお亡くなりになりましたが、農業生活と無農薬作物が体によかったのかも知れないと思いました。一人の専業農業人が次から次に他の追従を許さない名訳でトルストイを世に紹介したことは、すごいことだと思いましたので紹介させていただきました。
2007.05.20
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庭の片隅の小さな畑に植えてあるジャガイモの花である。6月ごろには収穫できる。義兄が種芋を植えてくれて家内が肥料などをやって育てているジャガイモである。今朝の新聞に政府・与党は医師不足解決のために、研修医の受け入れ先を地域の拠点病院に限定し、拠点病院に僻地への若手医師派遣を義務つける方向で検討に入ったとでていた。医師不足というのは新臨床研修医制度が始まって、マッチング方式で、研修医自ら自分の研修先が選べることになったので、大都会の大病院で設備やスタッフがそろっている所に研修医が集中して、地方の僻地病院には研修医は勿論、若手医師もいなくなって医師不足状態をきたしている状況である。開業医は増えており、医師の総数も増えているが、地方の病院勤務の医者が急激に減ってしまった現象である。地域住民や自治体も大変困っており、参議院選挙対策で先には自民党が、定年後医師の再就職案や研修終了者の一定期間の僻地勤務義務化などの案を出していたが、今回も選挙目当てが見え見えだが、緊急重要課題なので、議論をつくしてきちんとした政策を打ち出してもらいたいと思う。新臨床研修制度は実力のある優秀な医師を育てることを名目に強引に導入されたが、その結果地方病院で医師が不足するのは明白なことだった。そのための手立てをしないで、この制度のみをスタートさせたので今日の混乱を招いている。その解決策をいま検討しているのは遅きに失しているが、検討しないよりは何倍もよい。早急に対策を立ててもらいたいと思う。今回の案で評価できるのは、研修医8,600人に対して、今までは研修医受け入れ枠の定員が11,300人あり、実力のある大きな病院は幾らでも研修医を受け入れることができたが、今度は定員を研修医数と同じ8,600人に減らせば、ある程度地方に分散できるようになることだ。優秀な医師を作ることを目的にスタートした新臨床研修医制度だが、地方の人たちを苦しめていて何が優秀な医師達か?と言いたい。研修医達には罪はない。周囲に大変な害をもたらしたこの方式を他のことを考えずに実行した政府、厚生労働省、及びその諮問機関の罪は大きい。その罪の償いのため早急に真剣に対策を考えていくべきだと思う。
2007.05.19
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トルストイの「イワン・イリイッチの死」の感想、前回に続いて、今回は病魔との闘いと死について書く。人生に成功を収めて今後も益々輝いていくだろうと思われた時に、イワン・イリイッチは脇腹が痛くなる病気に侵されて45歳で亡くなった。激しい痛みそのものの苦痛もさることながら、あまり心配してくれていない家族、自分が死んだ後の自分の地位を狙っている同僚や部下、病気なのはイワン・イリイッチで自分たちではなくてよかった、病気で見苦しい人間、イワン・イリイッチは厄介者とさえ思われていると思った時の孤独感、死に対する恐怖、3ヶ月間地獄の苦しみを味わった。病気は原因不明で、あらゆる名医に診てもらったが最終診断がつかず、あまり効かない痛み止めの薬を飲んでいただけで、苦しみながら無残に死んでいった。周りの人の関心は彼の死後の自分の昇進その他人事に関するもので、イワン・イリイッチが可哀相だとか彼及び家族のために何かしてやろうと考える者はいなかった。栄華を極めたイワン・イリイッチだが、死んでしまえばそれまでである。病名がつかなかったとのことだが、今から120年前に書かれた小説なので、現在に比べて医学水準が低かったように思う。尿管結石、腎臓がん、虫垂がん、膵臓がんなどが考えられるが、超音波もCTも内視鏡もなかった時代なので正確な診断がつかず手術も出来なかったものと思う。今ならきちんと診断がついて、手術などによる治療で助かったと思う。大変な苦しみの中で、唯一の慰めは、まかない係りのゲラーシムと言う男だった。周囲の人達は心配しているように見せかけているが、実際は自分のためだけに生活しており、欺瞞に満ちたものだった。ゲラーシムだけは、大小便の世話その他何でも心からイワン・イリイッチをいたわり、欺瞞なく尽くしてくれた。彼の姿には心打たれ、自分と引き比べてすごく反省した。死ぬ2時間前に穴に墜落した直後に光を感じ、自分の今までの誤りを認め、子供や妻が悲しそうな顔をして、泣いているのを見て、彼らが可愛そうになり、「ゆるしてくれ」と言いかけた。すると突然今まで彼を苦しめていたものが四方八方に消えていくのが分かった。苦しみから彼らを救い、自分も救われなければと思うと、痛みや、死の恐怖は消えていった。「臨終です」の言葉を聞くとそれを心の中で何度も繰り返し、息を引き取っていった。イワン・イリイッチは社会的には成功したが、家庭的には夫婦仲が悪くて恵まれていたとは言えず、仕事的にもこれからという時の死で、しかも肉体的に耐え難い痛みに3ヶ月も苦しめられたことを考えると総括的には不幸な一生のように思われた。死ぬ最後の瞬間に、周りの人達に憎しみを持っていたことをすまなく思い、感謝の気持ちを持った時に光が差し込み、幸福感を感じ、幸せのうちに死んでいった。「終わりよければ全てよし」で、彼の一生は素晴らしいものだったと言っていいと思う。幸せの鍵は、周りの人達に対する感謝の気持ちが湧いてきたことだと思う。私達も何時このような状況になるとも限らない。「へぼ医者が病気を治してくれないばかりか痛みも取り除いてくれない」「勤めの人たちはお見舞いに来てくれるが、本心は自分でなくてよかったと思い、おかげで今度昇進するのではないかと内心喜んでいるのではないかと思ったり、妻は「夫が自分勝手で言うことを聞かないから病気になったのだ。いい気味だ」と思っているのではないか等々、周りの元気な人達を憎らしく思ってしまったが、死ぬ直前、感謝の気持ちが湧いてきて彼イワン・イリイッチは救われた。最後まで憎しみの気持ちを持ったままあの世に行かれる人もいるのではないかと思う。死ぬ前の心構えにについては最近よく話題にされるようになった。医療者側も患者さん側も死の直前は最も大切な時なので、この小説を参考にして最後の時を大事にしてもらいたいと思う。
2007.05.17
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ロシアの文豪トルストイの名前を知らない人はいないと思うが、その作品を読んでいる人は意外と少ない。彼の代表的な作品は「戦争と平和」、「アンナ・カレーニナ」、「復活」、「イワンの馬鹿」、「人は何で生きるか」、「文読む月日」、など数多くあるが、今回は「イワン・イリイッチの死」を読んだので、その中で感じたことを2回に分けて紹介する。今回は結婚と夫婦生活について書いてみたい。イワン・イリイッチは才能と環境に恵まれ、検事になり、裁判官になり、上からも下からも信頼され、その仕事への評価も高く、社交界でも大もての存在だった。家柄がよく、チャーミングで、器量も悪くなかった女性と付き合い、もっといい女性がいるかも知れないが、この人でもまー悪くないかなと思って結婚した。所が妻が妊娠して1,2ヶ月した頃から理由のない嫉妬、いたわりの要求、恐ろしい剣幕での罵り、彼が屈服するまで罵り続けるなど最悪の夫婦生活になってしまった。裁判所での彼の仕事は順調で世間的には尊敬を集めていたが、家庭では虐げられるので、何かと言えば仕事に逃れ、家庭との間に壁を作るような生活になっていった。彼は後に重病になり、やがて死を迎えることになるが、その病者に対する妻の態度は「夫の生活法が悪いから」、「薬を決められたようにきちんと飲まないから」などと、病気になったのは彼のせいだと非難していたので、妻が心配したり思いやってくれてる印として額に接吻してくれた時も、その欺瞞性を感じて心から憎悪を感じる状況だった。この反対に素晴らしい男性と思って結婚したら、とんでもない男性だったりすることもあり、結婚する時はいい人だなと思って結婚しても、その後は夫婦喧嘩が絶えない夫婦があるのは、世界万国共通だと思う。イワン・イリイッチは職場である裁判所や世間の人たちは彼にうやうやしくかしずいてくれるのに、妻は自分を馬鹿にしたり、軽蔑したりするのに絶えられなかった面もあると思う。これは世間一般夫婦というものは殆どがそんなものだと言うことをエリートだった彼は知らなかった悲劇がある。妻から言わせると彼は世間の人には素晴らしく礼儀正しいが、家では机や家具が曲がったり汚れていたりしても文句をいう気難しいところがあり、結婚する前は彼に惚れ抜いていたくせに、こんな人と結婚して人生を台無しにしたと考えており、どっちもどっちのところがある。この二人は家柄もよくエリート同士の結婚だが、どちらかというと有名人とかエリートの結婚はプライドなどがあり、そのことを自覚してよほど心して自分と相手を大事にしながら生活しないと失敗することが多い。これに反して、自慢すべきものが何もない庶民同士の結婚はうまく行くことが多い。結婚には夫婦喧嘩はつきものだが、それによって相手を憎むのではなく、返って契りが深くなってくれればと思っている。喧嘩している時は一方的に相手が悪いと思えるが、一息入れて悪くはないと思っている自分に目を向けてもらいたい。自分にもきっと悪い所があるだろうし、それより、好きで結婚した相手なのに、こんな些細な問題でいがみ合っている自分に気がつくはずである。そうなれば面子などかなぐり捨てて自分が折れることである。一方が折れれば喧嘩はなくなる。事件の決着の仕方には不満でも相手を思いやって自分が喧嘩をやめたという気持ちはまんざらでもないはずだ。後にしこりを残さない決着をつければその喧嘩は後退ではなく一歩前進になるはずだ。
2007.05.17
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今朝の新聞に高校3年生が母親を殺した事件が載っていた。詳しい事情は分からないが心を暗くする事件である。同じページに他の殺人事件も載っており、殺人がない日はないくらいである。事故や過失で人を殺すこともあるが、その場合は一生後悔しながら暮らし、償いがなされることが多いが、自ら意識して他人を殺す場合は法的裁きを受ける場合とそれから逃れてどこかで暮らす場合があり、この場合は後悔しているのかしていないのか分からない。人を殺してはならないことは、本能ではないようだ。人食い人種や好戦的人種もあり、人殺しをなんとも思わない人達がいたことは事実である。平和で愉しい生活をするためには人を殺してはならないという教育や法的制裁によって、私達は人殺しを恐ろしいこと、絶対してはならないこととして、魂に刻み込んでいる。しかし、戦争では多くの人を殺すとかえって勲章がもらえる。ロシアの文豪トルストイは「文読む月日」のなかで、「戦争は人々が、いかなる暴力行為にも参加せず、その為に蒙るであろう迫害を耐え忍ぶ覚悟をした時初めて止む。それが戦争絶滅の唯一の方法である」と書き絶対非暴力の思想を貫いている。しかし自分は絶対人を殺さず、戦わなくて殺されてもいいが、同胞が殺されては困るので、戦う備えはしておかなければならないとの考えもあり、戦争及びその準備は全ての国で行われている。殺人はいけないとするなら戦争も絶対いけないことだが、そこまで憲法上到達している国はまだ日本、コスタリカ以外にはない。少年の殺人はゲーム感覚が現実と混同して行われることがあるとされる。ゲーム機では敵を殺したりすることが、日常茶飯に頻繁に行われている。そこには感情がなく、制裁もない。そのことが現実と区別されずに実際の殺人事件を起こしてしまうケースもあるという。教育的立場からゲーム内容を健全、適切なものにしていく必要があると思う。人を殺すと殺された本人及びその家族、殺した本人及びその家族や国家が大変な苦しみを受けることをしっかり認識し、教育する必要がある。また殺すことは肉体的に殺すだけでなく、人格の無視や、精神的に追い詰めることも、それに順ずることだと思う。単に殺さなければいいのではなく、虐待し、追い詰め、無視し、隷属させようとすることも絶対あってはならないことだとの教育が必要である。人間尊重、自分と他人を心より大切にする教育の徹底を心より念ずる次第である。
2007.05.16
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「誰にでもわかる永遠の生命」川田洋一著、第三文明社、(1050円) を読了した。小さな本で、軽い気持ちで読んでみたが、その内容の深さに感銘を受けた。先に日本兵の生まれ変わりと思われる少女のことが書いてあったと紹介したが、それは序の口で、人には潜在意識があり、それには過去の記憶等が集積されており、生命の根源ともいえるもので、死んだ時に宇宙に還元されるが、何らかの縁にふれて新しく生れる次世代の誰かの潜在意識のなかに受け継がれるとのことである。4歳くらいまでならその潜在意識の中の前世の記憶が外に現れて注目されることがあるが、その後は日常生活の中で新たなことを経験していかなければならないので、その記憶は消えてしまう。そして記憶が外に出る出ないに関わらず、誰にでも潜在意識の中には人類の歴史や、前世の記憶等が受け継がれているとのことである。生命は永遠であり、死とは潜在意識の中に心の働きと身体統合力が潜在エネルギーとして帰っていく現象で、睡眠と同様目覚めた時(新たに生れた時)にはそのエネルギーが活性化されるので、死はなくてはならないものだし、生を輝かせるものと考えられるとのことだった。潜在意識によって私達の人生の多くは支配されるが、私達の日々の日常生活や考え方が潜在意識に影響を与えることも事実で、潜在意識で形成される私達の宿命は、私達の楽観主義的生き方で、変えていくことができるとのことである。楽観主義とは悲観主義の反対で、1)困難は長続きしないと考える。2)困難はその問題だけで他はうまくいっていると考える。3)運命は自分の力で変革できる。と考えることだそうだ。だめ人間の生まれ変わりだったらだめ人間の潜在意識を受け継いでおり、一生浮かばれないが、運命は自分の力で変革できると楽観主義的生き方で絶えず潜在意識に働きかけていれば、運命を変革していけるとのことである。そしてその変革は他の人の潜在意識に働きかけて他をも変えていくことができるとのことで、家庭の平和や社会、国家間の平和も最終的にはその潜在意識に関わっているとのことである。多くの文献を参考にしながら、生命や死、平和等について根本的なことを論じており、すごい内容だなと感銘を受けたが、限られた字数でその内容を紹介するには、私の理解度がいまいちだなと思った。最後に結論が書いてあり、「人間には自分で宿業を変えていく力があり、楽観主義の人生を享受する権利がある。生きていく上で最も大切な基本は、生きていることの全てを楽しむことで、それを死ぬ時まで忘れてはならない」とのことだった。大変深い内容で十分意をつくせていないかも知れないが参考にして頂ければ幸甚である。
2007.05.14
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昨日古着を売ってきました。時々通る道に古着買いますの看板があり、家のタンスも一杯になっていたのでいつか売りにいこうと思っていました。義息がかって売ってきて安かったということを聞いていましたので、値段は気にしていませんでしたが、スーツ類5着で138円でした。ある程度予測はしていましたがこれにはショックを受けました。かって家内が買ってくれたものでみな高価なものでしたし、自分も何回か着て愛着があり、全てクリーニングしてあり、クリーニング代だけでも5~6千円はかかっていると思います。料金計算するので店内でお待ち下さいと30~40分待たされ、ガソリン代なども入れたら相当の対価を払っていますのでもう少しもらえるかなと内心ちょっと思っていましたので、138円もらった時にはがっくりして帰る道々相当落ち込んでいました。帰りに本屋さんで1575円の本を買いました。古着屋さんに持っていった量の10倍持って行っても1冊の本が買えないのだと思い、お金の価値を実感しました。本1冊大変な価値があるものなのだなと思いました。買う時何十万で買ったものでも、そこの店内で売れるものはキロ150円、それ以外のものはキロ1円とのことでした。計算が終了するまで店内で待たされたので、店内を何度もまわって商品をみて歩きましたが、自分には買いたいものがありませんでした。お客さんも古着を売りに来て計算待ちで店内を見て回っている人だけで、そんなに売れそうもないので、キロ150円でもお店にすれば高い買い物かなと思いました。キロ1円のものはリサイクルにまわしてくれるとのことですが、何らかの役にたってくれればと願いました。今回初めてだったのでショックを受けましたが、どんなに高価なものでも旧式になったり、タンスが一杯になたりして、家の整理上必要なら今後も古着屋さんを訪れるだろうと思いました。その時はショックを受けないと思います。
2007.05.13
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今、川田洋一著「だれにでもわかる永遠の生命」という本を読んでいる。その中で、ヴァージニア大学精神医学者イアン・スチーヴンソン教授の研究症例が紹介されていた。ミヤンマーの少女が自分は第二次世界大戦で死んだ日本兵だったと主張するので、調べて見たらその人は北日本の出身で、結婚して子供をもうけ、入隊するまでは小さな商店を営み、ビルマで戦死した人で、その子の記憶と一致したとのことである。今歳と共に私は自分の記憶があやしくなってきているが、認知症になって完全に記憶がなくなってから死んだのでは、それを受け継ぐどこかの子供は大変なのかなとふっと思った。全ての人にそれを受け継ぐ子供がどこかにいるのか、ミヤンマーの子供のように特定の人だけに前世の記憶が残るのかはまだ明らかにされていないが、少なくとも前世の記憶が後世の誰かに残ることがあるのは確からしい。私も苦労しながらもきちんと記憶しながら生きればその記憶は後世の誰かに残るのかなと思った。
2007.05.12
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9連敗していた阪神が昨夜のゲーム、3対2でやっと勝った。その前日は押さえのエース藤川が巨人先頭の高橋にヒットを打たれてがたがたと崩れ、まさかの逆転負けをきっしてしまった。負け続けている時は何をしても勝てないものである。打てない、投手陣が悪いなどの原因があるかもしれないが、調子が狂うと実力以外のものも作用して、中々そこから抜け出せなくなってしまうものである。ゴルフの練習で玉が飛んでいたのに、当たらなくなると、どんなに考え、努力しても当たってくれない。その一旦不調になったところから抜け出す力を持っている人が上手な人で、連敗という不調から抜け出す力をもったチームが強いチームということになるが、力のない人は玉が当たらなくなってしまうとそれが続いてしまい、連敗していると勝てる気がしないものである。昨日も途中まで3対2で勝っていたが、最終的に勝てると思っていた人はどれだけいたであろうか?最後、藤川が内心はらはらしながら、前日までの直球勝負のパターンを改め、カーブを交えた投球で、最後の打者、昨日やられた高橋も討ち取ってひやひやの勝利をつかんだ。心からおめでとうを言いたい。よく勝ったと思う。外からは「連敗してもいつか抜け出せるさ」と思えるが当事者にとっては、どこまで続くか全く分からず心は闇である。10連敗にならずによく9連敗で止めた。アッパレ、アッパレ!よくぞ勝ったものだ!それと阪神フアン、なんというすごさだ。負け続けているにも関わらず甲子園球場は満員だった。信じられなかった。他のチームでは負け続けていれば誰も行かなくなって、球場はがらがらである。私も自分がフアンにしているチームが負け続けていると、監督の采配や、知恵、情熱が足りないなどと不満をたぎらせ、球場は勿論、テレビも新聞も見る気がなくなってしまう。それにひきかえ阪神フアンは違う。時折映る岡田監督の落ち込んだ顔。他のチームのフアンなら「お前が悪いから負け続けているのだ」と憎しみの対象にされ、そっぽを向かれてしまうものだが、阪神フアンはそんな監督も許し、大観衆が詰め掛けて応援するのだから、信じられない気持ちだったし、まだまだプロ野球も捨てたものではないと思った。連敗脱出した阪神と、阪神フアンに心からのアッパレを送り、我々に勇気を与えてくれたことに感謝する。
2007.05.11
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全身に激しい痛みがあり、血液生化学検査等ではどこにも異常が認められない繊維筋痛症という病気があります。レントゲンその他あらゆる検査をしても異常が認められないので、気のせいなどと言われることもありましたが、1990年にアメリカのリュウマチ学会が診断基準を作って以来日本でもかなり関心がもたれるようになりました。しかし、医師でもこの病気を知らない人が半数以上おり、怠け病、神経質だからなどと言われて一人悩み苦しんでいる人もいます。診断基準は全身にある18箇所の圧痛点を4kgの力で押し(爪が白くなる位押す)そのうち11箇所以上痛いとこの病気と診断されます。ガラスの破片が体のあちこちに突き刺さるような痛み、呼吸すると胸が痛い、風に当たると痛いなど様々な痛みがあり、痛みのために失神することもあります。原因はストレスや事故、中枢神経の障害など様々に考えられていますが今の所原因不明です。現在日本で200万位の人がこの病気に苦しめられているとの疫学的統計があります。苦しいけれど死に至る病ではなく、1~2年で症状が軽快したり、知らぬ間に治ったりすることもあります。リュウマチ科の医師なら殆どこの病気を知っていると思いますので、それらの専門医と相談しながら気長に治療していかれるとよいと思います。本年2月2日に自殺した日本テレビの女性アナウンサー(43歳)はこの病気で自殺したとされていますが、病気そのもので死ぬことはないのですが、激しい痛みに攻め立てられて精神的にも追い詰められて自ら命を絶つこともあるとのことですので、どの地域でも、必ず何人かはその病気に詳しい医師がいると思いますので、諦めないで専門医師を探し、いつかよくなりますので(軽快する)、我慢、我慢でがんばっていただきたいと思います。
2007.05.10
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日経メディカル5月号に篠田達明さんが良寛さんのことを書いていた。鎌倉時代の律宗の僧で極楽寺の良観は発音は同じだが別人なので、混同しないようにしてもらいたい。良寛は江戸時代新潟県出雲崎に名主の長男として生れたが、人見知りが激しく社交性に乏しかったので、家督を継がないで出家した。69歳の時色白で美しい29歳の貞心尼(俗名 奥村マス)が自分の作った短歌を良寛に見てもらおうと良寛の庵を訪れた。以来4年間良寛の歌の弟子として長岡から5里の道を歩いて通った。やがて二人はお互いに愛情を抱くようになり、恋愛感情を交えた贈答歌を交わし合うようになった。良寛は74歳でこの世を去ったが、最期を貞心尼にずっと看てもらったとのことである。後世に名を残す気など全くなかった良寛だが、後年貞心尼が編んだ歌集「蓮の露」で良寛の歌が後世に伝わり、手まりをする良寛さんなど様々な形で有名になった。僧侶の晩年の恋愛については、一休禅師や親鸞などが有名だが、良寛は出家はしていたが僧侶というより歌人だったと思う。孤独で生きてきた男性が晩年素晴らしい女性にめぐり合えてよかったと思う。このようなケースはしばしば見受けるが孤独で生きてきた女性が晩年素晴らしい男性にめぐり合ったというケースはあまり聞かない。男尊女卑の時代背景があったかもしれないが、女性はもともと自立心があり、一人でも生きていける力を持っているが、男性は偉そうなことを言ったりしているが、根が弱いので、心の底で女性に助けを求めているからかもしれない。私は不勉強で長い間、良寛と良観の区別がつかないでいたが今日は明確にその違いが分かり、また良寛の人なりを読ませていただいたので紹介した。
2007.05.09
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49歳の時、国際的に活躍するには少なくとも英語くらいは自由に使えなくてはいけないと思って朝6時50分からのNHKのテレビ英会話の視聴を始めた。その時家内から、語学は年齢に関係するから、49歳ではもう遅い。止めといた方がいいのでは?!と言われた。 シドニィ・シェルダンのドリッピィのテープを聴いたり、アルク、DHCなどの英会話教材殆どといっていいくらい試みた。英語字幕映画のビデオやDVDもかなり観た。アメリカにも5ヶ月行ってきた。49歳から16年間欠かさずNHKのテレビ英会話も視聴してきた。5年前から週に1回1時間半の英会話教室にも通っている。その結果今どうか?洋画を見て殆ど分からない。学会などで英語の発表殆ど理解できない。英語での質問や討論も出来そうにない。要するに殆ど実力がついていないのである。16年前の家内の忠告が正しかったのであろうか?もともと語学の才能がなかったのであろうか?どちらも当たっているのかも知れないが、私はまだ諦めていない。だめだと思ったことでも努力を続けているといつか突然目の前が開けることがある。英会話に限らず、世の中には様々なことに挑戦しておられる方がいると思う。先が見える前に自分には才能がないと途中で止めた方も多いと思う。私など本来もっと前に諦めるべきだったかも知れないが、それでは悔しい気持がある。先が見えても見えなくてもいいから「いつか出来るようになる」を信じて努力を続けていこうと思っている。
2007.05.09
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今夕6時から7時半までのヨガ教室に参加してきました。最初は足の指を広げたり、後ろに反ったりするくらいで楽ですが、次第に片足立ちや、腕立て伏せによる板のポーズなど難しいのが加わってきて、先生がやるようにはとてもできなくてごまかしで何とか時間を稼いできました。参加者は9人で男は2人、大半が30歳代までの若い人達でした。座って両足を開いて前屈して頭が床に着く人が先生を含めて2~3人いましたが、私はとてもとてもでした。私はもともと体が硬くて前にこごんで手の指が床に着きません。殆どの人が指が床に着き、中には手のひらがべったり着く人もいました。ヨガは老若男女誰にもできると聞いた事があって参加してみたわけですが、とてもとてもの人(私)もいて、今後参加をどうしたものかと体を動かしながら考えていました。一時間半は長いです。前回までは時計ばかり見ていました。時計の針が少しも動いていないみたいでした。今夜はまな板に乗ったつもりで、時計を見ないことにしました。辛いことは辛かったですが、時計を見ながら時計が進まないのにショックを受けて二重の苦しみを味わうよりいいと思ってもし次回以後も参加するなら時計を見ないで最後までやろうと思いました。参加費1000円でした。家に帰って飲んだビールの美味しかったこと。そして今こうしてブログ日記を書いていますがビールの影響もあってか調子上々です。今朝書いた栃東引退のブログへのコメントに対する返信も快調で、調子に乗りすぎて書いた所もあるかなと思いますが、気分もいいし、体調はいいです。体が硬くてついていくのが大変ですが、終わった後の体調がいいこともあり、続けてみようかなと思いました。
2007.05.08
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大関 栃東が引退した。優勝3回、大関から陥落後2度復帰の根性の大関の引退は寂しい。一度大関から陥落すると再度大関になるのは並大抵のことでないことは過去の歴史が示しているが、それを2度もはたしているのだから並の根性ではないと思う。上位陣はモンゴル、ブルガリアなど外国人が占めており、日本人力士としてなんとかがんばって横綱になってもらいたいと思っていたが、それもはかない夢になってしまった。まだ30歳だ。気力がなくなったと言っていたが、若年性脳梗塞の診断が最大要因だと思う。若年性脳梗塞とは通常は高齢者に起こるのに若い人に起こる脳梗塞で、高血圧や糖尿病、高脂血症、先天性要因などが原因で起こるとされているが、栃東の場合は高血圧が原因とのことである。栃東のホームページをみると好きな食べ物は肉と書いてある。相撲取りは体が基本なので、ちゃんこ鍋やステーキ店などで、肉類をよく食べていると思うが、肉を食べると体に肉がついて体力がでて強くなれるとの迷信に支配されている力士が多いのではないかと思う。牛や馬は肉など食べないが、重いものを運んだり、田を耕したり、人を乗せてものすごいスピードで走ったりすることができる。猫は肉類を食べるが、力持ちではない。肉を食べれば筋肉がついて力持ちになれるというのは明らかに迷信で、反って糖尿病や動脈硬化、高血圧、高脂血症など体によくないことの原因である。栃東は引退後後進の指導にあたるとのことだが、稽古は勿論だが、食生活について勉強して、後進の健康管理にも気を配ってもらいたいと思う。今までは迷信に支配されていたので、横綱の大半は肉を多く食べていた人だと思うが、今のような情報化の時代、栄養学を学んだ人の指導で肉食しない横綱が続続登場してくると思う。
2007.05.08
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今朝の朝日新聞に産業能率大学の松村教授が、自分の授業を受けている学生について、教室で座る位置によって成績や授業に対する評価が違うかを調べて、その結果が載っていた。結果は、座る位置を前、中ほど、後ろと分けた場合、期末テストの平均点はそれぞれ、51.2、43.9、30.9点で、前と後ろでは20点もの開きがあった。プリントが良かったか、教師に熱意があったか、分かり易かったか等の授業に対する評価は、前、中、後、それぞれ、ほどほど、よい、あまり良くないの評価で、後ろに座る人は、先生の授業はあまりよくないと評価していたとのことである。その先生の授業が面白くないから後ろに座るということもあるかもしれないが、一般的にその授業だけでなく、どの授業でも、前に座る人と後ろに座る人は決まっているので、前に座る人は勉強熱心ということだと思う。私は前の方に座る学生だったので、同級生達からはできる学生と思われていたらしい。だから、たまに60点がとれなくて追試験で一緒になると、楽天星が追試験を受けるとは思わなかったと驚かれた。追試験に来るメンバーを見るとやはり後ろに座っている人が多かった。前の方に座っていて、追試験をよく受けていたのは私くらいだったかもしれない。少し言い訳させていただくと、もともと頭はあまりいい方ではなかったが、試験の時やまをかけて、集中的に勉強することをしないで、満遍なく全てを勉強しようとしたために成績が悪かった面もあると思う。松村教授のコメントに、「後ろに座る人は、教師と距離をとって、気楽に講義を聴きたいと思っているようだが、前も後ろも同じように目に入るのですがね」というのがあった。私も非常勤講師として時々講義してきたが、そう言われてみると、階段教室で、前に座る人も後ろに座る人も同じように目に映るので、学生はこちらからは同じように平等に見えていることを知らないことを教授の言葉によって初めて認識した。学生諸君、教師からどうせ同じように見られているのなら、前に座った方が成績がよくなるのだから、先を争って前の方に座ろうではないか!
2007.05.05
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漫才師、参議院議員、大阪府知事として有名を馳せた横山ノックさんが昨日咽頭がんでお亡くなりになられた。75歳とのことである。咽頭がんは上咽頭、中咽頭、下咽頭がんに区分され、全体としてそれほど多いがんではないが、頚部リンパ節や他部位などへの遠隔転移も高率で、放射線治療、抗がん剤、手術などが行われるが予後不良のがんの一つである。口腔内の不潔、タバコ、酒などの慢性刺激が誘因になると言われているが、精神的なものや体質的なものもあり、それが全てではない。昔ならともかく今の時代では75歳ではまだ若い。人は必ず死ぬわけで、必ずしも早く死んだから不幸で、長く生きたから幸せというわけでもない。何時死ぬかは誰にも分からない。死ぬ直前に満足な人生だったか、不十分な人生だったか漠然と感じられるものだが、少しでも長く生きた方がそれだけこの世でやるべきことができるので、一般的には長生きの方が不足が少ない人生といえる。しかし、晩年、認知症などになってしまったり、心にもやもやのある暗い人生だったらそうとも言えないだろう。ノックさんは漫才師や議員として成功し、2期目の知事選挙でも235万票を獲得し、庶民派政治家として一期目の仕事を評価され、順風万風で人もうらやむ人生だったが、選挙運動員に対する強制わいせつ罪で起訴され、当選後8ヶ月で辞職に追い込まれた。執行猶予期間終了後漫才活動などを再開したが、支持者を裏切った行為は簡単に許してもらえなくて人気は出ず、不十分な人生だったと思う。一つの行為によって、その人の今までの漫才などの芸術活動や政治活動を評価されるものである。ビートタケシさんが週刊誌社に殴りこみをかけ、実刑を受けたがその後の着実な芸術活動で、見事なカムバックを果たしているが、一般的には、失点を取り返すのは並大抵のことではない。ノックさんのその後の生活やお気持ちについて私はよく知らないが、もし話し相手になれたらよかったなと思う。人生失敗のない人などいない。問題はその後である。失敗は失敗としていつまでもくよくよしない。社会に対して自分にできることはないか考えて、少しでもその道に努力していく所に希望が見えてくると思う。横山ノックさんのご冥福を心よりお祈り申し上げる。
2007.05.04
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もともと怠け者で、しなくてはしなくてはと思いながら中々部屋の片付けが出来ないでいたが、思い切って今日整理を始めた。途中から家内も手伝ってくれて、戸棚の移動や机の向きを変えたりしてかなりイメージチェンジできた。本棚に入っているガラス戸の一枚が割れていて、義兄の家を潰した時もらってきたガラスをその本棚に会わせるためにガラス切りを買ってきて切ったが上手くいかなかった。ガラス切りを55~60度の角度にして一定の力で真っすぐ引くようにと書いてあったが、ガラスが厚かったこともあり、上手く切れなかった。ペンチで挟んでガリガリいわせながら何とか寸法に合わせるように切り取ったが一部ヒビが入ってしまった。それでも最後には無事本棚に入れることが出来て満足である。今大学生の甥が中学生の頃ボールをぶっつっけて割ってしまって、少年には「大丈夫、大丈夫」と言ってそのうちに直しておこうと思っていながら何年も経ってしまったが、今回念願がかなって満足である。まだ部屋にはがらくたが散らかっているが、机の位置や本棚、戸棚の配置が決まっており、あとはガラクタをその中に収めていけばいいので、明日以降徐々にしていこうと思う。「こんな自分でもやれば出来るのだ」「これから片付くぞ」と思うと気分がいい。思い切ってとりかかってよかったと思う。
2007.05.02
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これは庭の片隅にある家庭菜園のえんどうの花である。携帯電話で撮影したのであまりよく撮れていないかもしれないが、実物はきれいである。もう少しすると実をつけ、さやえんどうが食べられる。3月に退職してからえんどうだけでなく、庭の花木が目に付くようになった。今、赤、白のダリアが綺麗に咲いている。白いハナミズキはかろうじて咲いているが、今年はどうしたことか赤いハナミズキが咲かないことなど今まで気がつかないことに気がつくようになった。通りを歩いている人の姿や表情の中に新鮮なものを感じ、その内面にまで思いをはせることもある。今までは草木など目に入らず、通行人も単なる通行人以上のものではなく、仕事のことしか頭になかったが、心が豊かになったような気がする。幸せのひと時だと思う。退職後は好きなことをして、まわりの草木等の自然や人から慰めをもらって悠々自適に生きている人もいると思う。そう生きられたらいいと思うが、私にはそれでは満足できない。もうそろそろ本格的に活動しはじめなくてはと思っている。退職後はアフリカなど海外での医療活動をしたい希望を持っていたが、家族の反対があり、当面は次善の策を考える必要がある。内科、外科、精神科、眼科など、全てを診察する総合診療科が認可されたと今朝のラジオで言っていたが、総合診療科医院の開業とか、僻地病院への就職など、ぼつぼつ真剣に考えていかなければならないと考えている。それにはまず今の生活環境の整理だが、部屋の整理もまだ途中である。今日は本腰を入れて、この部屋を整理整頓しようと思う。整理が済んだら進路を考えていきたいと思う。
2007.05.02
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