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駐車場の脇にいつからともなく生育してきたテッポウユリ、寒いからかずっとつぼみのままだが、明日からの新年には花開くかも知れない。一年が終わろうとしている。駐車場のテッポウユリ同様、花開いた一年とはいえなかったが、昨年の自分よりは少し進歩できたように思う。開花を目指しながらずっとつぼみのままの人生で終わってしまうかもしれないが、明日を目指して来年もひたむきに生きていきたいと思う。反省することは沢山ある。努力が足りなかった、心がけが悪かった、思いやりがなかった、注意力が足りなかった、勇気がなかった等々沢山あるが、それをくよくよしていてもいい方にはつながらない。それを反省して、明日に向かって挑戦していくところに人生があるのだと思う。テッポユリはこのまま花咲かずに枯れてしまうかもしれない。でも根は残る。私もこのまま終わってしまうかもしれないが、根が残るような生き方をしたいと思っている。
2007.12.31
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こんなに寒いのに庭に美しく咲いているパンジーである。今庭に出て写真を撮ってきた。いよいよ歳の瀬が近づいてきた。一年が終わろうとしているのである。来年も生きていられるかどうか分からないが少なくともこの一年はほぼ生きた。トルストイの言葉「最高の幸福は1年の終わりに、年頭の自己より、よりよくなったと感ずることである」をある方から教えて頂いた。最高の幸せは人それぞれで違うと思う。彼女にOKをもらった時が最高の幸せを感ずる人もいるだろうし、宝くじが当たった時にそれを感ずる人もいるだろうし、仕事上願っていたことが叶えられた時が最高だと言う人もいると思う。トルストイにとっては彼女でもなく、お金でもなく、自己がよくなったと感ずることだと述べている。これを最高の幸福と感ずる人はあまり多くないと思う。私にとっての最高の幸福は、願いがかなうことである。願いというものは叶わないようにできているのか、どんなに努力し、願っても叶わないことが多い。それだけに願いが叶った時には最高の幸福を感ずるのではないだろうか。歳の暮れに来て、トルストイの言葉が身に沁みる。昨年の自分と年の暮れの自分を比べて少しよくなっているのは自覚できる。しかしそれにも程度があり、少しよくなったと感ずれば少し幸福を感じ、たくさんよくなったと感ずればたくさん幸せを感ずるのではないかと思う。トルストイの言葉を借りると、今の自分は幸福を感じなくてはいけないのだなと思っている。
2007.12.29
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シクラメン:サクラソウ科、シクラメン属、多年草、原産:地中海沿岸、明治末期に日本に渡来。花言葉:はにかみ、内気、切ない愛を受け取って昨夜職場の部署の忘年会をかねた送別会が石和の居酒屋で行われた。4千円位の会費で、時間を決めて飲み放題で、ジュース、生ビール、日本酒何でも時間内なら飲み放題、生ビールのお変わりが一番多かったが、ジュース類のお変わりも結構あった。かなり楽しかった。かって参加していた英会話の飲み会も甲府市内の居酒屋で行われ、飲み放題で4千円位の会費で結構楽しかったが、この居酒屋の雰囲気、特に飲み放題のスタイルは結構現代人にマッチしているのか、どこも満席のようだった。普通の料理屋なら「飲み代追加です」と言われて6千円、7千円はざらだと思う。薄利多売だと思うがこれだけ盛っていれば、やっていけるのではないかと思った。若者から老人まで幅広い層を引き付けているので、これから益々人気がでてくるのではないかと思う。話し変るが、年賀状と一緒に喪中のハガキを受け取った人に寒中見舞いとして、お悔やみのハガキを出したら今日、ある人からご返事を頂いた。奥様をなくされた方で寂しい思いをしているとのことだった。3人の娘さんが週末に交代で一泊して掃除洗濯をしにきてくれるとのことが書いてあった。心温まる話だ。私も家内を失ったらどうしているだろうかと思った。娘は一人いるがつくばに嫁にいっている。週末泊まりに来てくれるだろうか?家内には先に死なれたくないものだと思ったが、家内自身が、「何もできない主人なので、1日でも後で死にたい」と言ってくれているが、実際はどうなるか分からない。
2007.12.27
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これから年末年始にかけて何日か休日をとられる方も多いと思う。それぞれの楽しみ方があると思うが、私はたまの休みには本を読んだり、勉強したりしたいと思っている。でもいつも家内が覗きに来て、あれをしろ、これをしろ、どこそこへつれていけとさまたげる。本を読み始めたばかりなのにと思っても逆らえない。しぶしぶ言いなりになってこき使われる。休みの翌日の勤務のことを思って心を整え体調を整えておこうと思うが、休みの日が終わる頃には明日のことを思って不安になる。休日は日頃の勤務から全く離れてリラックスして明日への鋭気を養うという考え方や勤務も勉強、休日も勉強、休日は明日からの勤務への備えをするものだとの考え方等がある。私は後者の考え方に近く、休日に欲張ってうんと勉強しなくてはと思ってきた。だから無為に過した休日を反省して落ち込むことが多かった。勤務の日より、休日の方がストレスが強かったように思う。でも残り少ない人生、休日まで緊張していてどうするのか?と思い始めている。家内に色々言われるのをしぶしぶ応じるのではなく、「今日は休日なのだから何でもしてやるよ、どんな用事でもいってくれ」と受身ではなく、積極的に協力する気持ちに切り替えようと思う。今までは、廊下にスリッパの足音がすると、また何をやらされるのかと恐怖の気持ちにさらされていたが、気持ちを切り替えれば足音が反って喜びになるのではないか(実際はどう感ずるかまだ分からないが)と思っている。今を境に切り替えようと思っている。切り替えた今日はよくても次の休日は元に戻ってしまったということのないように、強い心を持っていきたいと思っている。
2007.12.26
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白血病は血液のガンで治らない病気として多くの子供や大人が亡くなってきました。しかし最近骨髄移植によって治る例が増えてきました。慢性骨髄性白血病はよく効く薬が出てきたために移植は激減していますが、急性白血病は移植でしか治らないという現状だと思います。移植は受ける方も提供するドナーも命がけです。受ける方は大量の抗がん剤と放射線照射で、自分の骨髄機能を空にします。この処置によって脱毛や感染症にかかりやすくなったりします。一方提供するドナーは入院して、全身麻酔下で骨盤の骨(腸骨)に何箇所も針をさして、骨髄液を採取されて、それを患者さんの所に運んで、普通の輸血と同じように点滴で患者さんの体の中に入れます。移植が行われてから2~4週間後、移植された骨髄が根付き、正常な血液を作り始めてくれれば成功ですが、それまでに感染症や、GVHD(移植した白血球が自分の体を攻撃すること)で、苦しめられたり、うまく生着しないこともあります。ドナーになるためには骨髄バンクに登録する必要があります。現在29万人が登録されており、8,715例の移植がなされています。ドナーになると採血して、白血球の型(HLA型)を調べます。そして移植を待っている患者さんのHLA型と合致したドナーさんの所に通知がきて、現在の体調その他様々な事情をお伺いして、OKしてもらえたら、骨髄移植の準備に入ります。ドナーになるにはよほどの覚悟が必要ですが体力面を考慮して、55歳までの年齢制限があります。自分の勇気で、死にそうな患者さんを助けることができるならと登録する若者が増えています。巨人軍の選手や、阪神の藤川球児投手なども登録しています。バレーの中垣内祐一監督や青山繁選手も登録しています。私が勤めていたセンターの放射線技師は3日休みをもらって骨髄を提供してきたと聞きました。大変な覚悟がいる骨髄提供ドナー、人のために大変な苦痛を省みず、わが身を提供する若者の姿に感動を禁じえません。このような気持ちを持った人が30万人もいるということは日本は素晴らしい国だなと思っています。(本稿は日本骨髄バンクニュース31号を参考にさせてもらいました)
2007.12.24
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年賀状450枚と寒中見舞い25枚プリントし終えた。文章は考えて書いたが後はプリンタが全部印刷してくれた。例年のことだが、途中でプリンタがハガキを送ってくれなくなることしばしばで、印刷し終えたといっても、かなり重作業であった。勤務を終えてから夜間に行ったので、かれこれ5日位かかったと思う。何時も気になっていたのは喪中のハガキである。喪中のハガキが来た人には年賀状は出してはいけないと聞いてきたので、印刷する前にチェックしてはずすようにしても全部印刷されてしまったり、最初から全部印刷してしまって後から抜き出すなど、喪中のハガキの慣習がなければもっとスムーズにいくのになと思うことがしばしばだった。喪中のハガキがきても、年賀状をだして、その中にお悔やみの気持ちを込めたらいけないのだろうかと思ったりした。喪中のハガキがきたらそのハガキの人は除いて年賀状を出す習慣がずっと続いてきたが、なんとかした方がいいと思ってきた。今年は宛名を印刷してしまった年賀葉書を普通のハガキに変えてもらって、喪中のハガキを頂いた人には、全て寒中見舞いを出すことにした。これから年賀状と一緒に郵便局に出してこようと思う。普段疎遠になっている人にも年賀状を出しているが、喪中のハガキをくれた人は最新の消息を教えてくれた人で最も親しく感ずる人である。その人に何もハガキを出さないのはおかしいと思っていたので、今回のことですっきりした。今後はこれで行こうと思う。
2007.12.23
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国家予算は、国民に選ばれた代表が色々討議して、決めてくれる訳だが、国民の期待からかけ離れた予算配分がなされても、国民はそんなものなのか、仕方ないなと思って黙っている。わが国の予算は諸外国に比べ福祉、医療、年金関係予算が極めて少なく公共事業予算が極めて多い。中でも医療に関する予算は年々削られ低医療費政策がとられてきた。診療報酬というのは、医療行為に対して医師に支払う対価だが、これは過去7年間ずっと減額されてきた。医療には金をかけるな、健康なんてどうでもいいんだ、経済が大事なんだ、安くていい物を提供してくれればいいのだ、の考えで、ずっと医療費を抑制してきた。その結果、地方の小さな病院は倒産し、医師は大都会の病院に集まり、地方の病院では医師不足が深刻になってきた。福田政権になってからは、その医療費抑制政策を少し見直してくれて、70歳以上の窓口負担2割を1年間凍結したり、今回、診療報酬を増加してくれた。増えると言っても0.38%と極めて僅かだが、倒産寸前の病院もこれで一息つけるかもしれない。医療、福祉、年金は国民の生活にとって極めて重要である。財務省に言われるまま、医療関係の予算を削ってきた厚生労働省の人達の気持ち、分からないでもないが、国民に何が最も必要なのか真剣に考え、信念を貫いてもらいたかったと思う。健康や福祉にせめて諸外国並の予算配分をしてもらいたいと心から願う。
2007.12.18
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厳寒の白いバラ:こんなに寒いのによく咲いていると思い、家内に聞いてみた。「バラって春から冬までずっと咲いているのだね」家内「バラにも種類があるので咲く期間は一定ではなく、家のバラは夏の間は休んで、春と秋咲くバラだと思う」とのことだった。夏の間は色々な花が咲いているのでバラの花が目立たなかったのかもしれないので、夏咲かないことには家内ももう一つ自信なさそうだった。家内は「うちは有機肥料をやるので長く咲いているのかも知れない」と付け加えた。昨夜は寒かった。足が冷たくて丸くなって寝ていたが、足が少しも温かくなってこない。途中で起き上がって押入れの中を探して布団をもう一枚かけたがだめだった。時計を見たらもう4時を回っていた。ずっとこの状態で朝を迎えねばならないのかと思っていたが、30分位して前に靴下を履いたら温かくなったことを思い出し、起き上がって靴下を履いてみた。今回はあまり効果がなかった。そしてついに朝を迎えてしまった。僅かに明かりがさしてくる頃やっと温かくなってきたのでこれから眠れるかなと思ったがもう起きる時間で、今のこの時を迎えている。足が冷たいと眠れないものだ。今度はそのような時にはもっと早い段階で靴下を履こうと思った。
2007.12.16
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冬のバラ:これは家の前に咲いている赤いバラである。並んで白いバラもまだこの寒い中で咲いており、春先からずっと咲いていたような気がする。バラってずいぶん長く咲いているものだなと思った(前にバラは掲載したので今回は原産地と花言葉は省略)昨日甲府市内の歯科医院(コマキ歯科)で歯のメインテナンスを受けてきた。歯周ポケットが深くなり歯周病になりかかっているものもあるとのことだった。歯周病(歯槽膿漏)は、昔は切開して歯の周囲を綺麗に掃除して、治療したとのことだが、最近は手術しないで、歯と歯肉の間まで差し込んでクリーニングする機械ができたとのことで、それで治療してくれた。帰ってきてからインターネットで調べたが、その治療法はまだあまり一般的な治療法ではないみたいで、その歯科医院は進んでいるのだなと思った。手術で歯肉を開いて歯の根元まで綺麗にすれば、完全かもしれないが、その副作用もあり、このメインテナンス法だと完全ではないが、何回か繰り返すことにより、かなり根の中まできれいになるとのことだった。昨日は下の歯を全部綺麗にしてくれたとのことで、次回は上の歯を綺麗にしてくれるとのことだった。歯磨きをきちんとしていれば歯周病にならないのだと思うが、それでも歯周病になりかかっている人はこのような新しい治療法も出現してきたので、そのようなメインテナンスを受けられるようお勧めする。
2007.12.12
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今朝の新聞に、臼田篤伸さんの本「ぬれマスク先生の免疫革命」の紹介と、風邪予防にはぬれマスクがよいとの記事が載っていた。風邪を引いたと感ずるのは殆ど朝起きた時で夜のうちに引くことが多い。ならば夜の寝ている時に対策を立てればいい。そのためには寝ている時に濡れマスクをするとよいとのことだった。それはマスクの上を3分の1外側に折ってその部分だけぬらして口だけにかけるというものである。適度の水分がウィルスの増殖を防ぎ、寝ている時には副交感神経優位だが、このマスクによって交感神経も刺激されてバランスがとれ、予防になるというものである。実際にはそんなことを言われる以前から、ぬらさないでマスクだけして予防している人もいるだろうし、ぬれマスクを普通に鼻と口にかけている人もいると思う。ぬれマスクだと毎日洗わなくてはならないとのことなので、ぬらさないでそのままマスクするだけでも吸気の湿度は保てるので効果があると思っている。マスクによって、吸気が湿気を帯び、空気中の埃の侵入も妨げられるので有効だと思う。マスク(ぬれマスクでなく普通のマスク)は風邪の予防だけでなく、いびきの予防にもなると思っているが、煩わしさから何れの目的でもまだ実行していない。今度家内からいびきがうるさいと言われたら実行してみようと思っている。
2007.12.09
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義兄の苦心の菊である。(小菊)菊の原産と花言葉についてはすでに一度掲載したので今回は省略する。国境なき医師団のパンフレットが送られてきた。その中に本年2月、東京で3日間の研修を受けた時に一緒だった、2人の医師がヨルダンで活躍している様子が掲載されていた。一人は東京大学形成外科の中川崇氏、もう一人は私と同じ定年退職組の整形外科医石田龍吉氏だ。彼らは紛争の地イラクの外傷患者を隣国ヨルダンに受け入れて治療を行うプログラムに参加して、中川氏は1ヶ月で26件の手術を行い、爆発で眼球をなくした17歳の少女、ふくらはぎを負傷して傷がふさがらない50代の男性など形成外科医の本領を発揮してきたとのことである。石田氏は機関銃や爆発物によって筋肉や骨までずたずたにされた人々16人を手術したとのことである。同じ定年退職組でも差をつけられてしまったなと思った。でも私は外科医ではないので、そこに行ってもあまり役立たなかったかもしれない。このように怪我をしている人たちを助け、治療してやることは勿論重要である。しかし、それよりも殺し合いの紛争を止めさせることが第一である。日本はアメリカに協力して自衛隊が駐留してそれなりの役割ははたしてきたが、紛争解決の為には無力だった。アメリカがフセイン政権を倒したが、その後、かえって紛争を悪化させており、大失政であったことは今やアメリカ国内でも言われている。それなら、その責任を取る必要がある。米軍を駐留させて鎮圧する方法では全く解決しないことは自明のことになった。イスラム教国を含む世界中の国々に呼びかけて、その解決策をさぐる必要がある。アメリカは世界の覇者としての面子を捨ててイラクの人々に対して、心からお詫びし、諸外国にもイラクを立て直す為に頭を下げてお願いして歩く必要がある。ライス国務長官が時々関係国を訪れるが心からのお詫びや協力依頼ではなく、高い立場からものをいってる感じだ。今回の混乱の張本人、アメリカに心があるなら、今回のことを心から反省し、全魂をこめてその財力とエネルギーをイラク建て直しのために注いでもらいたいと思う。
2007.12.08
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昨日携帯で撮影した庭のカエデ(イロハモミジ)である。ムクロジ目、カエデ科、カエデ族。原産:中国、朝鮮、日本。花言葉:遠慮、自制、大切な思い出。遠慮して自制しすぎるからなのか、若い女性に痩せすぎの人がいる。太るからいやだといって殆ど何も食べようとしないで動き回っている人達である。神経性食思不振症と名づけられている。30歳前までの若い女性が多いが、先日私の当直の時に入院した人は、44歳だった。意識不明で倒れていたところを家人に発見されて救急車で来院した。血糖値30で、正常者はほぼ100なのでその3分の1以下である。半分の50になっても低血糖発作で倒れることがあるのに30なら意識が無くなってそのまま死んでしまうところであった。点滴をして糖分を補ったら意識が戻って生き返った。生き返ってから色々話を聞いたら、太るからと殆ど食べていなかったとのことである。それでいながら、散歩や体操など体を積極的に動かしていたとのことである。五年前母親が交通事故で突然亡くなってしまって、それから殆ど食べなくなってしまったとのことである。それまでは60キロあったとのことだが、今は40キロ以下であった。「食べないとまた低血糖発作で倒れますよ」と言っても病院の食事は一切たべようとしなかった。家でも好き嫌いを言って殆ど食べない。薬を出そうとしても「いいです」と言って飲もうとしない。食べ過ぎるのも困ることがあるが、食べないのも困る。「食べなさい」と言っても本人に食べる気がなければ体の中に入っていかない。無理に押し込もうとすれば虐待になる。幸い一命を取り留めたので、今後1週間に一度外来に通ってもらって、少しずつ食事の意義を理解して貰おうと思う。一朝一夕で治る病気ではなく、年月をかけて気長に対応していく必要がある。精神科医師の協力も得ながら何とか治してやりたいと思っている。
2007.12.06
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NHK通りの花屋さんから買ってきて今植えたばかり(私でなく家内が植えた)のパンジーである。スミレ科スミレ属、原産:ヨーロッパ、花言葉:物思い、愛の使者今日は天気がよいが冷たい風が吹いており、寒々しい感じだが、パンジーが可憐に咲いていると、当に愛の使者がぴったりの感じである。愛の使者には相応しくないかも知れないが、今日は夢とおねしょについて書く。夢も何処からかの使者の仕業かと思ったからである。私は一晩に4~5回トイレに起きる。病的だと思うが父もそうだったから遺伝だろうと思い、日中も普通に生活できているので、あまり気にしないことにしている。トイレに2回起きるのを心配して外来に来た患者さんがいた。2回でも異常かも知れないので、それなりの検査をして、「心配ないと思いますよ、体質的なものもあるので気になさらなくてもいいと思いますよ」と言ってやったが、まだ心配そうな顔をしている。そこで「私は4~5回起きますよ」というと驚き、安心したような顔をして「そうですか?それなら眠れませんね」と同情してくれる。人にはそれぞれどこかどうか弱点があるもので、それで仕事も生活もできないなら困るが、何とか生活できているのならそれでよしとすることにしている。日中も尿が近いし、夜も近い、そして一回に出る量は普通量である。要するに尿が作られすぎているのだと思う。水をそれほど飲んでいる訳ではないので、水分の多い果物を食べ過ぎているのかも知れない。数日前夢をみた。場所や状況は定かではないが、夢の中で尿をしたくなった。歩いていったらトイレに案内された。そこは何十メートルもある断崖絶壁にトイレが取り付けられており、そこへ行く橋はない。夢の中でも高所恐怖症の私はそのトイレに飛びついて用を足す勇気がなく、別のトイレを探すことになるが、迷路みたいなものがいくつも重なっており、どうしてもトイレに到達できない。やっとある古ぼけた家の端に簡易トイレがあってそこで用が足せたと思ったら、どうも生暖かい。もしや!と思ったら案の定だった。でも少量だったので大事には至らなかった。それにしても不思議なことが夢では楽々と現出することに驚いた。断崖絶壁のトイレなど見たことも想像したこともない。それなのに夢ではあたかも現実のように堂々と聳え立って存在していたのである。誰が設計し、建設し、画像として現すのか知りたいと思った。人知では思いもよらない場面を夢では現出することが多いが、背後でそれを演出している存在は何者なのかと思った。科学的には脳の一部が目覚めていて、尿が一杯になったなどの排尿刺激が脳に伝達されてこのような夢をみるとされているが、それなら今まで経験したこと、記憶にあることなら話は分かるが、全く見たこともない風景が出てくることは納得できないと思った。夢は奥深い。夢学者は大勢いる。その本質もかなり分かっているのかも知れない。私は素人だが、今度のことで不思議なこともあるものだと感心したので、少しずつ夢についても勉強していこうと思っている。
2007.12.05
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昨日と今日の午後、市職員を対象にインフルエンザの予防注射を出張して行ってきた。注射器に詰めたのが余ったとのことで、私も注射してもらった。今年流行している株はAソ連型と言われているが、今年のワクチンには、Aソ連型、A香港型、B型が含まれているので、Aソ連型に対して予防効果があるはずである。しかし注射をしたら100%防げるのではなく、80%位の効果と言われている。注射したけど私はかかってしまったという人は残りの20%の人である。また注射しても抗体ができて効果が現れるのは2週間位かかると言われているので、注射してから10日位して流行した場合には、罹ってしまう可能性がある。どの位効いているのか質問されることも多い。個人差もあるが一般的には3~4ヶ月は効いているはずである。今打てば3月くらいまでは効いている。それ以後の感染が心配な人は2月か3月頃もう一度打つことをお勧めする。妊娠中の女性がワクチンを打ってくれと言ってきた。まだ安全性が確立されていないので、お勧めできないといったら、婦人科の先生が良いといったし、インターネットでも妊娠中にインフルエンザに罹るより注射した方がよいと書いてあったとのことで、本人も希望することだし注射してやった。日本では妊娠中は禁止となっているが、アメリカでは推奨されている。弱毒化されたインフルエンザウイルスには妊婦や胎児に悪影響を与える力はなく、むしろそれに罹った方がリスクが大きいとして推奨しているようだ。でもまだ安全性が確立されていないので、胎児の器官が完成するまでの4ヶ月は避けた方がよいと思う。妊娠5ヶ月以上なら問題ないと考える。インフルエンザは高熱と関節痛などが特徴的症状である。ワクチンも大事だが、空気を乾燥させないこと、マスクをすること、果物や野菜を沢山食べ(ビタミンC)ること、などが重要で、特に日頃からウイルスが攻めてきても、発病しない丈夫な体を作っておくことが大切と考える。
2007.12.04
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来年4月から脳血管障害や心臓病の予防のために40歳以上74歳以下の全国民に対して、特定健診、特定保健指導という健診が開始される。その中心は内臓脂肪量を最もよく反映していると言われる腹囲で、男性85cm以上、女性90cm以上ある場合は血圧、血糖値、血清脂質を調べ、2項目以上異常がある場合は、特定保健指導を行うことを義務づけた健診である。その根幹である、男性85cm、女性90cmを見直そうというものである。すでに全国の健診機関や市町村では来年度に向けて、上記の基準でコンピューターの設定や、印刷が殆ど終了しており、それを変更するとなると何億円もの変更費がかかると思われるが、私は金がかかっても必要な検討や変更はすべきだと考える。本年6月、世界の人種別基準を作成している国際糖尿病連合は、日本人の基準を他のアジア人同様、男性90cm以上、女性80cm以上と設定したのだ。これを受けて本年10月、日本内科学会(永井良三理事長)は関係8学会に対して、早急に国際学会の意見を取り入れて見解を出す必要があるとの文書を送ったとのことである。男の方が体の大きい人が多いのに何故男性の方が5センチも細く設定されているのか納得できないと思っていた人が多いと思う。それは女性は皮下脂肪が多いので、その分を足して設定したので男85、女90だと言い張っていた人たちがいたが、もう一度十分検討して、是非ともより実情に近い正確な数字を出してもらいたいと思う。
2007.12.03
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「人間の絆」を気が向いた時にほんの少しずつ読んでいるので今やっと下巻まで読んだ所である。ロンドンの医学校で学ぶフィリップは喫茶店の女給ミルドレッドを好きになったが、彼女は店の客ドイツ人ミラーと結婚してしまった。ミラーには妻子がおり、彼女が妊娠を告げた時に捨てられた。打ちひしがれて泣きながらフィリップを訪れてきた時、彼は同情して、元々好きだったので、その身重の彼女の面倒をみて、出産後も部屋を借りてやるなど援助していたが、同じ下宿の医学校の先輩、グリフィスを紹介したら一目会ったその時からグリフィスに恋をして、二人で旅行に行って、そのままフィリップの許から姿を消してしまった。プレイボーイのグリフィスは数日付き合った後、つまらない女だったとして、下宿や研修先の病院を訪ねてきても会わないようにして捨ててしまった。フィリップはあんなに尽くしてきたミルドレッドから受けた仕打ちに大変なショックを受け、打ちしおれたが、その後立ち直ってミルドレッドのことは思い出さなくなっていた時、街で売春婦をしている彼女に遭遇した。大変なショックを受け、彼女が客のために予約しておいた部屋で話しあった。「好きでやっているのではない。預けておいた子供を呼び寄せ、生活費を何とか稼ごうと足を棒にして仕事を探したがなかった。生活苦のためにこうするしかなかった」とのことだった。フィリップは恋の奴隷だった束縛から解き放たれ、今では彼女を好きではなくなったが何とか足を洗いたいという彼女の気持を聞いて、自分のアパートの空き室を親子のために提供して、食事の準備や掃除をしてくれたら給料を払うと提案して、明日から引っ越してくることになったところまで読了した。掃除をちゃんとしてくれるのか、本当に足を洗うのか、フィリップとの関係はこれからどうなるのか等、今後のことはまだ分からない。売春を業にしている女性は世界中に一杯いる。中には沢山儲けてビルを建てた人もいるかもしれないが、多くはミルドレッドのように生活苦のためにそうならざるを得なかった人達だと思う。客が取れなければ金は稼げない、客がとれてもいい客ばかりとは限らない。病気の心配もある。大変な商売だと思う。好きでしている人もいるかもしれないが、強制的にさせられていたり、生きていくためにやむにやまれずしていて、出来たらこの仕事から抜け出したいと思っている人が大半だと思う。生活苦を生む格差社会も問題だが、足を洗いたい人に対する社会の受け入れや援助態勢を皆で考え、手を差し伸べていくべきだと思っている。
2007.12.02
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熊本のM医師が送ってくれた熊本のある場所の紅葉の写真である。紅葉は落葉樹が葉を落とす直前に赤、黄色、橙など綺麗に葉を色づかせることで、秋の行楽にはその美しさを見に行くことが多い。しかし紅葉が美しいと感ずるのは殆ど老人である。先日子供3人いる女性と話したが、ソバを食べに行くその途中、昇仙峡の紅葉も見たいと言ったら、子供たち皆から「ナンセンス」と言われたとのことである。紅葉など子供には全く興味のないことらしい。私自身も子供時代から青春時代、壮年時代を通じて紅葉を美しいとも思わなかったし、興味もなかった。人生のたそがれを迎えて、初めて紅葉に関心が向き(家内がわいわい言うからかも知れない)、美しいと思うようになった。人間成長しているときには若葉には関心があったが、紅葉は「なに、それ?」といった感じだった。人が晩年を迎えると同病相哀れむで、木々の晩年にも関心が向くのかも知れない。紅葉の色づき具合は夏の間の天候に関係しているという。秋になってからの天候だけでなく、その前の気候に関係しているなんて人生と同じだなと思った。その人の若き日の生活が、晩年の輝き度を決めると言われているが、これは人間だけでなく自然界全てに言えることだなと思った。年末を向かえて喪中のハガキが連日のようにくる。本人のご両親の場合が多いが、本人の配偶者の場合もある。よく知っている人が亡くなったことをこのハガキで初めて知った場合もある。さっそくお悔やみのハガキを書かなくてはと思い思いしているうちに次の人からハガキがきたりして、忙しさにかまけてそのままになっている。この忙しいというのがくせもので何にたいして忙しいのか?よく考えると大して忙しくもないのに「忙しい、忙しい」と言っている人が多い。ろくでもないことに時間を使って忙しいと言っているのだと思う。何に時間を使ったらいいか冷静に判断する必要がある。人生のたそがれを迎え、同級生クラスがボツボツ死んでいく年代になった。自分も何時死ぬか分からない。今はさざめし、落葉直前の紅葉の時代に当たっているのだと思う。いい色がついているか否かは自分では分からず、見る人によって判断される。紅葉見物に来た人たちの様子で自分がよく色づいているか否か判断している木々と同じように、老人を見物にきた人たちの反応で自分の紅葉の程度が判断できると思う。よき色に染め上がるようによき行動をしていこうと思う。
2007.12.01
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