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今結婚式から帰ってきたところだが、そこでノロウイルスに罹り、1日1キロ減量して3日間で3キロ減量してもう1ヶ月近くその体重を維持しているとの話を聞いた。前に紹介した井上栄氏の「感染症」にはノロウイルスについても詳しく書いてある。新しい名前なので最近出現したウイルスと思っている人もいるが、前からあったが最近上記が正式名称になったとのことである。このウイルスは冬季に嘔吐、下痢症をおこし、水中で安定であるだけでなく、乾燥にも極めて強い。下水道から流れて海に行きカキに取り込まれ生ガキを食べた人は感染する。また嘔吐物が床を汚し、ふき取った手を通じて感染したり、乾くとウイルスを含む誇りが舞い上がり、吸い込んだ人の咽頭に付着して、御飯と共に胃腸に入って感染する。このウイルスは小腸粘膜の細胞の中だけで増殖し、これを局所感染と呼び、全身感染と違って感染後の免疫力の持続時間が短い。従って何度でも感染する。下痢、嘔吐の症状は強いが、生命に関ることは殆どない。結婚式で話していた、ノロウイルスで減量できた人は、内臓脂肪が多くて気にしていた方だが、彼は「ノロウイルスで死ぬことはない、しかも確実に痩せられる。世界中で痩せたがっている人にこのウイルスを有効利用したらどうかと思う」と話していた。何をしても痩せられない人に医師の厳重管理の下に、生ガキを食べてもらって何回か下痢すれば確実に痩せられる。カキでも熱を加えてフライにするとウイルスが死んでしまうので効果はない。何事でも目的を達成するにはかなりの苦痛と忍耐を必要とするものだと思った。
2007.02.25
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月間短歌誌「はなさい」2月号に習志野市の土岐恭子さんが万葉時代は旅立つ時夫と妻が下着を交換したことを書いている。「別れなばうらかなしけむ我が衣 下にを着ませ直に逢うまでに」現在訳は、「旅立つあなたと別れるなんてとてもかなしいことです。だから私の着物をしたに着ていって下さいね。また逢える日まで」となる。このような下着交換の句は万葉集に50首ほどあり、長旅の間お互いを思いやったと思われる。これを読んで、時代は違うが私も長旅の時には交換してもらえるか家内に聞いてみた。「いやいや、とんでもない」とにべもなく断られた。勤めの医局担当事務の女性に聞いてみたら、「私ならしてもいい」と言っていた。万葉時代はおっとりしていて今はがさがさしたスピードの時代である。万葉時代の風習が現代に通じるはずもないが、その心は受け継いでいきたいものだと思った。
2007.02.23
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中公新書の元国立感染症研究所情報センター長 井上栄氏が書いた「感染症」を読んだ。2,003年に流行した、罹ったら殆ど死ぬと言われた重症急性呼吸器症候群(SARS)の患者が世界で8,000人以上出たが日本人はゼロだった理由は、直接手で食べないで箸を使う習慣があったからだなど、感染症全般について分かり易く解説してくれており、一般の人にも分かり易い、大変面白くてためになる読み物だが、圧巻は最終章のエイズについての話だった。世界でエイズによる累積死亡者は2,500万人、感染者は4,000万人と推定されており、日本でも発症者、感染者共に毎年増加している。しかし日本の特徴は麻薬静脈注射による感染者がほとんどいなくて、性接触による感染者も他国に比べて少ないことである。その理由として避妊にコンドームが使われるのが世界一であることを挙げている。諸外国では経口避妊薬ピルが普及しており、製薬会社は所得水準が高く、人口も多い日本になんとしても売り込みたいと考える。そしてピルは進んでいてかっこよく、コンドームはダサイというイメージを植えつけようとする。企業とすれば当然のことかもしれない。私達は薬屋さんといえば人々の健康のみを考える大変ありがたいものと考えるが、企業となるとそれは2の次で、儲かって業績を上げることが第一である。ピルの長期服用による肝障害その他健康障害には一切触れずに十代の少女達に性交渉嗜好を高めるようにマスコミなどを使って働きかけ、彼女らにピルを売り込もうとする。ピルには恐ろしいエイズの予防効果はない。そのことが分かっていても、なおかつ勧めるのである。ピルよりも淫らな性交渉を控えるように教育することの方が重要だと思うが、製薬会社にお世話になっている多くの有力医師も製薬会社の片棒を担いでピルを勧めることになる。私も製薬会社の人には学会開催その他で色々お世話になることが多い。製薬会社の個々の職員は親切で立派な人が多いと思う。しかしひとたび企業となると、エイズという前代未聞の恐ろしい病気を前にしても、企業理念が先に出ることに恐ろしさを感じた。すべからく職業人はなんの職業でも人に尽くすことをまず第一に考え、儲けはその次に考えてもらいたい。
2007.02.22
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今夜8時からのNHK「ためしてガッテン」で肺炎の予防をしていた。肺炎で亡くなる人が増えているが、その予防は細菌を肺まで到達させなければよいとのことであった。食道と気道の境目にある蓋(喉頭蓋)が食べ物や水分が通る時にはきちんと気道側の蓋をして食道側に食べ物を回す働きをしているが、肺炎にかかり易い人は、その喉頭蓋が閉まるタイミングが遅れて細菌などが気管側に流れ込んでしまうとのことであった。その予防法が歯磨きで歯肉も一緒に磨くことが有効とのことだった。それは歯肉を磨いて刺激を与えることによって脳に刺激が伝えられ喉頭蓋をすばやく閉めることができるようになるとのことである。歯および歯肉の掃除は口内のばい菌も取り除くことになり、肺炎予防になるとのことだった。脳に刺激を与えるとのことなら、ボケ防止にも有効ではなかろうかと思った。歯磨きは虫歯や歯槽膿漏の予防のために行っていた人が殆どだと思うが、肺炎予防や認知症予防にも効果があることが推察され、1日1回と言わず1日に2~3回磨くようにしたらかなり健康にいいのではないかと思った。子供はほぼ100%細菌を持っているが肺炎には罹りずらい。それは喉頭蓋が閉まるのが素早いからである。老年になるにつれて蓋が閉まるのが遅くなる。中年、高年、老年の皆様、歯肉を磨いて病気に罹らない丈夫な頭と体を作ろうではないか!なお歯肉は柔らかい歯ブラシで磨くのがよく、時間は、歯と歯肉合せて4~5分磨くのがよいとのことだが、くれぐれもあまり荒く磨いてはならないとのことである。
2007.02.21
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1981年の英国映画で1924年のパリ・オリンピックでケンブリッジ大のハロルド・エイブラハムズが陸上の100メートルで、スコットランドのエリック・リデルが400メートルで金メダルを取った物語である。ハロルドはユダヤ人として回りの差別を強く意識してそれを見返してやろうとして走った。エリックは宣教師の子として、キリストを称え、神を証明するために走った。オリンピックの舞台に立つまでは二人にも激しい練習と様々な障害や苦しみがあったが最後にはそれを乗り越えて金メダルを取ったのだからすごいことだと思う。オリンピックに出るには元々そこそこの能力がなければだめだが、出場選手の中で金メダルを取るには強烈な精神力と運が無ければとれない。彼らは、一人は人種差別に対するなにくそという反発心、一人は神の力を証明するという宗教心が大きな力になったが人生の金メダルを取るのも同じだと思った。オリンピックはベースに一定レベルの才能が必要だが人生レースはその枠はない。全ての人が同じスタートラインである。金メダルとは、その人の充実感である。それが世界一かどうかが争われるのである。それを得るには日頃の激しい訓練が必要だが、それには何のためにその訓練をするかという明確なモチベーションが必要だ。今そのモチベーションがない若者が増えていると言われている。若者よ、世界を大きな心で征服する夢を持って日々訓練して、金メダルを取ってもらいたいと願う。
2007.02.20
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今夜8時から風林火山を観ました。武田の名軍師山本勘助をモデルにした戦国物語、大変面白いと思います。ただし、山本勘助が実在したかどうかは不明とのことで、実在もしない人物がよくもこのようにリアルに描けるものだと思いました。山本菅助は実在したようですが、山本勘助の実在を証明する資料はないとのことです。山本勘助は片目で片足不自由、そしてすごい醜貌だけれど、軍略家としての才能が人並み外れて優れていたとの設定ですが、そのあたりも物語を面白可笑しくするために作り出した人物なのかも知れないと思われました。今回は勘助が北条家への仕官を断られる(間者にはしてもらう)場面ですが、前回は今川に断られました。才能があってもその才能が見抜けなかったり相性が悪ければ士官には採用して貰えません。現在でも才能ある人必ずしも就職試験、入学試験に受からないのと同じだと思います。今回のもう一つの話題は武田信虎と武田晴信(後の信玄)の父子相克があります。父は晴信を嫌っており、次男に家督をゆずろうと考えています。父子共々お互いが相手が自分を疎ましいと思っているだろうと思っての対立ですが、誤解が誤解を生んで不信感が大きくなっていったものと思われます。後年、信玄は父信虎を牢屋に閉じ込めて自分が城主になりますが、父子の争い、母子の争いは何時の時代にもあったのだと思います。親子でありながら気が合わない、憎しみを持ち合うのはそもそも性格的に遺伝子が違う場合もあるし、途中で誤解が誤解を生んで親子の溝がどんどん大きくなった場合があるのだと思いますが、どちらが悪いとも言えません。ある場合は親が悪く、ある場合は子が悪いのだと思います。両方悪い場合もあるでしょう。どうしたらいいのでしょうか?戦国時代ならどちらかを閉じ込めてしまうこともできますが、今はそれも出来ません。両者が、それが不可能ならどちらか一方でもいいですのでラブラブ思考に気がつくことがこの生き地獄から抜け出せる唯一の方法ではないかと思っています。
2007.02.18
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昨日勤めの近くのおすし屋さんで、3人で生ビールと焼酎のお湯割りを飲んでしまったので、 タクシーで帰宅したため今朝は昨夜のうちに予約しておいたタクシーに乗って出勤した。予約時間8時より1分位前に指定の場所に来てくれて、「誰々です」といったら振り向いて「お待たせしました。どうぞ」と言ってくれた。言葉の内容はもしかしたら少し違うかもしれないが、その態度と笑顔に衝撃を受けた。爽やかでなんともいえない気持ちになった。自分も人に接する仕事をしているが、考え事をしたり、気分が勝れない時には、笑顔どころか、相手の方を向かないでしゃがれたような生半可な返答をしていることがある。朝の運転手さんをみて今日は心が弾み、気分が上々で、胃カメラを受ける人につとめて明るい声で、「誰々さんですね、今から始めますよ」と声をかけて胃カメラを行ったが相手はどのように受け止めたかは分らない。特に医者は相手に与える感じが大事だ。医者が今日の運転手さんのような人だったら患者さんはどんなに救われるだろうかと思った。人は元々いい人、悪い人はいない。先輩なり、同僚なり、親なりの姿を真似して良くもなったり、悪くもなったりするのだと思う。この運転手さんの両親なり、先輩に素晴らしい人がいたのだと思う。自分も今日の運転手さんみたいになりたいと強く思った。
2007.02.16
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今日9時からの衛星映画劇場で「禁じられた遊び」を観ました。1952年フランスのルネ・クレマン監督作品で、1940年6月ナチがパリを占領した時の爆撃で両親を失ったポーレットと言う少女が田舎の農家に拾われ、その家の少年ミシェルと動物のお墓を作り十字架を14個も盗んで大人からみれば禁じられた遊びをして、少年の父親からこっぴどく叱られることがモチーフになっています。最後はポーレットが孤児院に引き取られ、少女と引き裂かれた少年が悲しみ、すさんで十字架を引き抜いて川に投げ捨て、少女は孤児院の中で母の姿を追い、ミシェルの姿を追いながら走り去るところで終わっています。2人の少年少女の姿がいじらしく、それだけに戦争の悲惨さが際立ってみえる映画だと思いました。55年も昔の映画ですが、笑いや感動を与えてくれる素晴らしい映画でした。
2007.02.14
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今日、NHK教育テレビ午後2時からの「大往生のすすめ」を観た。講師は香川県立中央病院院長の朝日俊彦氏だった。泌尿器科の医師とのことだが人生に対する含蓄が深く、大変面白かった。死を怖いもの、避けたいものと思っている人が多いが、それは準備不足のためで、普段からきちんと準備していれば自分や周りに感謝しながら笑って大往生出来るとのことだった。私はかねてから自分を含めて人間が魚や動物の肉を食べることを苦しく思ってきたが、氏は「魚を食べながら、これはまずい、黒こげのところがあるなどと文句を言いながら食べるのではなく、魚にしてみれば、もっと自由に泳いでいたかったのに運悪く網に掛り、人間の食卓にのることになった訳なので、人間は食べさせて頂く事に感謝し、「貴方を食べて吸収し、無駄なく自分の血肉として価値ある人生を共に生きて行きましょう」と、粗末にしないで大事に感謝しながら食べることが必要だと話していた。動物の肉を食べながら、何時も自責の念に駆られていた人は氏の言葉で少し救われたのではないかと思う。また自分の体についても顔に皺がよってきたとか、痛い腰、痛い膝を眺めてコンチクショウと思っている人がいるかもしれないが、そうではなくて痛い足については、たとえ皺だらけで痛いところだらけでも、ずっと自分の体を支えてくれたことに感謝して、さすってやったり綺麗に洗ってやることが必要だと話していた。氏はまた死の準備だけでなく良く生きるためには常にいい習慣を身につけていかなければならないと話し、顔を見るのもいやで嫌いでたまらない患者さんがいたが、医師としてそれは間違った思いなので悩み、自転車通勤だったので、ペダルを踏むたびにその患者さんを「好き」と言いながら出勤したら2週間目には嫌いでなくなり、3週間では好きになたとのことである。氏は「あなたは笑って大往生できますか」という本を書いておられたので、今さっき早速注文した。その本を読んで、笑って死ねるように普段から訓練していこうと思っている。
2007.02.11
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昨年度のヴェネチア国際映画祭はじめ数々の賞に輝いたGood night,and Good luck を観た。1950年代共産党員およびそのシンパを排除する赤狩りの嵐が吹き荒れるアメリカでそれを煽り立てていたマッカーシー上院議員と真っ向から対立して報道の正義を貫いたCBSニュースキャスター エド・マローの物語である。当時絶対的権力者マッカーシーに睨まれたら会社もやっていけない時代背景の中で、CBS会長から対決はやめろと言われても、彼は「飼い主の手を噛むのかと言われるかもしれないが、報道の真実を貫くべきだ」と主張している。また「テレビの現状を見極めるべきだ。テレビは人を欺き、笑わせ、現実を隠している。本来テレビは人間を教育し、啓発し、情熱を与える可能性を秘めているものだが、それはあくまで使い手の自覚次第だ」とスピーチの中で述べている。マローは今、放送界の英雄として称えられ、キャスターやテレビ人の鑑とされているが、自分の首や会社の命運のことを思い神経をぎりぎりにすり減らしていたことと思う。結果としてマッカーシーをある程度追い詰めることが出来たが、それは幸運もあったと思う。人を称えるのは簡単だが、自分がそのように振舞えるかは別である。今、日本ではみのもんた、古舘一郎、関口宏さんらがキャスターとして活躍中で、それなりのスタイルをとっているが、自分の信念を貫くのは並大抵のことではない。マローの姿を参考にしてもらいたいと思う。関西テレビ、フジテレビの「あるある大辞典」では想像もしないような虚偽が存在した。どんな困難があろうとも報道の真実を貫こうとしたマローが「あるある大辞典」の事件を知ったらなんと言うであろうか?報道の良心がアメリカでも日本でも失われつつあるのが現実ではなかろうか。マローのスピーチを良く噛みしめて、世界の報道関係者は嘘のない、正しい、素晴らしい番組を作ってもらいたいと切に思った。
2007.02.11
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メタボリック・シンドロームがクローズアップされ、平成20年度からは健診では全員腹囲測定が必要になる。男性腹囲85センチ、女性90センチ以上の者について、血圧、血糖、脂質、の内二つ以上異常があるとメタボリックと診断することになっているので、先ずこの腹囲が基準になる。しかし体重や肥満度、BMIなどはかなり前から測定され、健康指標として用いられてきたが、腹囲はほんの一部の所でしか測られていなかった。それを少ない症例研究で内臓脂肪を最もよく表すのは腹囲だとして、男85、女90と決めて、腹囲測定を義務つけて今全国の市町村や事業所、健診センターはその対応に追われている。先日岡山で行われた第35回総合健診医学会総会で、静岡健康管理センターの加瀬澤信彦氏はCTで内臓脂肪と皮下脂肪を測定して、腹囲径がはたして内臓脂肪の多寡を表しているのか研究して発表した。それによると腹囲は内臓脂肪よりも皮下脂肪蓄積に依存しているとのことだった。もしそうだとすると今、全国で腹囲、腹囲と大騒ぎしているが、それは健康にあまり害がないとされている皮下脂肪を主に測っているに過ぎず、殆ど無意味といってもいいと思う。男85、女90の決め方もきちんとした証拠に基づいているわけではなく、内科学会や国が決めたのでそれに従っているような感じだが、これから全国で腹囲が測られるようになり、多くの施設で加瀬澤氏と同じようなデーターを出してきたら国はどうするつもりだろうか?腹囲をそんなに重要視した根拠と研究データーを内科学会と国は全国民に示すべきだと思う。
2007.02.09
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昨夜衛星映画劇場で「フォレスト・ガンプ」を観ました。知恵遅れだけれど走ることにかけてと純情心では誰にも負けないフォレストの姿が描かれていました。幼ななじみがどんな境遇になろうともひたすら思い続けるフォレストに対し、彼女は何度か現れ、そして去っていきました。フォレストがベトナム戦争に参戦した時の上官ダン中尉が両足を切断されてアメリカでフォレストの前に現れ、フォレストのエビ漁船の船員になってくれ、大嵐の後エビが沢山とれるようになり、結局は二人とも大金持ちになります。大金持ちのフォレストのところに初恋の人ジェニーが現れ一夜を共にしますが彼女はまた去っていきます。何故去っていったのか未だに理由が良くわかりませんが、数年後彼女から手紙がきて、彼女の家を訪ねたら子供がいて、それはフォレストの子供とのことでした。そしてジェニーは若くして死に、フォレストが息子が学校に行くのを見送るところで終わりました。ジェニーが何故フォレストの許を去ったのか説明不足のところがあり、最後の部分はしっくりしませんでしたが、総じて純愛物語として感動の作品だったと思います。知恵遅れでも一芸に秀でた人は、それをのばしてやることにより、アメリカンフットボールのスターとして、大統領にも会える身分になれることをよく示してくれていたと思います。
2007.02.07
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2月2-4日に東京高田馬場の国境なき医師団事務所で行われた研修会に参加して今帰って来たところである。参加者は17人で、医師7人、ナース4人、事務者5人、主婦1人、男性9人、女性8人の内訳であった。3日間、講義は勿論、日常会話も全て英語で、参加者は殆ど英語ペラペラだったが男性医師5人だけがペラペラではなかった。医師7人中5人が男性で2人が女性だったが2人の女性は他の参加者同様ペラペラだったが、どうしたことか5人の男性医師のみが若干英語力に問題があった。その中でこの私が少しはましな方だったのだから、男性医師というものは語学習得は困難なのかと思った。その5人の卒業大学は、東大、京大、北大、新潟大、京都府立医大で、入学の時は英語もかなり勉強したのだと思うが、今回は女性群と事務の男性はペラペラなのに5人はつかえつかえで目だってしまった。皆さんアフリカなどに行って医療や救援活動をしたい人ばかりで、生き生きとしており、私のようにシュバイツアーがそうしたから自分も義務で行きたいといった感じの古い重苦しい人はいなかった。そういうことが好きでしょうがないといった感じの人たちばかりで、世の中にはいればいるものだと思った。義務感で行きたいと思っていた私は恥ずかしいと思った。しかし少し見方を変えてみると、インターネットで募集し、東京、大阪その他で説明会を開いて参加者を募った割には、全国からたった17人しか集まらなかったのはそういう人はそれほど多くいなかったということだと思う。今回の研修で強く感じたのは、そういう所では医師、看護師などが重要な役割を果たすものと思っていたが、実際はロジスティシャンと呼ばれる事務職の方がさらに重要な役割をはたしていることが分かった。団員の健康管理から、現地の食料や診療所の建設(テント)、運搬、予防接種の手配、医師や看護師の配置など全てに関っており、現地の人を指導しての様々な活動は彼らの真骨頂を示せるもので誇り高い職業だと思った。研修会であるロジスティシャンの活動報告を聴いた。彼はコンピューター販売会社で営業成績も優秀だったが感ずる所あり、転職してロジスティシャンになったが、今は最高の仕事をしているとの実感があり、幸せだと語ってくれた。なによりも、現地人も含め仕事仲間が心から尊敬できることは以前の会社ではなかったことだと語っていた。英語力不足の5人の男性医師の内3人は目前に定年を控えている人たちだった。若手の医師は「定年後がこういう仕事にはぴったりだと思いますが私は定年までかなりあるので待ちきれなくてきました」と言っていた。定年になればなったでまた色々問題もあり、定年後ならベストと言うわけでもないと思うが、年取ってもその心があることをよしとして、思いを秘めて老人同士、高田の馬場の飲み屋で静かに飲んだ。この内何人が実際に行けるだろうかと思った。
2007.02.04
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