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渡辺つぎさんの入選歌 平成29年 立ち座る度に両膝もの申すそうね百五年も使ってごめん(雑誌「短歌」平成二十九年二月号公募短歌館 佳作 沖 ななも 選) ショートステイ百歳以上われ一人握手求めるつるつる老爺(雑誌「短歌」平成二十九年二月号公募短歌館 佳作 一ノ関忠人 選) 百六歳とはこんなものかと苦笑せり手に持ちしもの探していたり(雑誌「短歌」平成二十九年三月号公募短歌館 佳作 沖 ななも 選) 百六歳とはこんなものかと苦笑せり手に持ちしもの探していたり(雑誌「短歌」平成二十九年三月号公募短歌館 佳作 一ノ関忠人 選) 百五年生きていること不思議なり預りものの体のごとし(全国短歌大賞 奨励賞 馬場あき子 選 佳作 ) 平成二十八年県民文芸 入選 百五歳 初夏の陽光まぶし百五歳生命という不思議な中で 百歳まではぐんぐん坂を登ったが下りの道はちょっときびしい 百歳から降りはじめて五段目なりまだ底みえずうろたえている 五感四肢衰えゆくもわれにまだ歌作りする微力が残る 知恵袋満たんにして逝きたしと今日も歌詠む百五歳われ(第五十六回静岡県芸術祭 入選 桜井 仁・村松秀代子 選) 百五歳乗り越える脚かと撫でやればふくらはぎがわらってくれる(雑誌「短歌」平成二十九年四月号公募短歌館 特選 古谷智子 選)(選後評)「百五歳乗り越える」という表現が見事な相乗効果をあげており、豊かな読後感がある。易しい言葉で淡々と述べ、心に響く。読者も励まされる一首だ。
2017.09.30
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後藤人徳の入選歌 妻の亡き時の流れてわれのみが影のごとに留まりている (NHK生涯学習フェスティバル横浜市短歌大会 九月二十六日 佳作 岡井 隆 選)
2017.09.29
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渡辺つぎさんの入選歌 平成28年 NO.4 10月号(同人誌「賀茂短歌」より) しばしばにカメラ向けらる百五歳白髪深皺見苦しけれど(雑誌「短歌」平成二十八年十月号 題詠 「写真」 入選 中地俊夫 選) 11月号(同人誌「賀茂短歌」より) 大病をせず大災害にもあわずして百五歳まで生きししあわせ(雑誌「短歌」平成二十八年十一月号公募短歌館 佳作 久々湊盈子 選) 百五年生きているのが不思議なり預りものの体のごとし(雑誌「短歌」平成二十八年十一月号公募短歌館 佳作 三井 修 選) 12月号(同人誌「賀茂短歌」より) 西瓜割り老人五人目ようやくにひびの入れたり歓声の湧く(雑誌「短歌」平成二十八年十二月号公募短歌館 佳作 三井 修 選) 百五年生かされしこと立ち歩く記録作ればとふと思いたり(雑誌「短歌」平成二十八年十二月号公募短歌館 佳作 三井 修 選)
2017.09.29
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渡辺つぎさんの入選歌 平成28年 NO.3 八月号(同人誌「賀茂短歌」より) 百歳にも満たぬ歌人の老の歌百五歳のわれは何と詠わん(雑誌「短歌」平成二十八年八月号 題詠 入選 喜多弘樹 選) 百六歳へ歩き出す足たよりなけれどまだ杖つかず歩行器もなし(雑誌「短歌」平成二十八年八月号公募短歌館 佳作 伊藤一彦 選) 九月号(同人誌「賀茂短歌」より) 訓練のように高足に歩を運ぶ百六歳へ行く日日なれば(雑誌「短歌」平成二十八年九月号公募短歌館 佳作 伊藤一彦 選)
2017.09.28
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後藤人徳の入選歌(読売新聞「静岡版」)缶潰しビーズ通しが施設での自閉症なる息子の仕事 下田市 後藤瑞義 (読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月二十七日 入選 秋山佐和子 選)
2017.09.27
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九月号歌評(同人誌「賀茂短歌」)下書き 後藤瑞義(人徳) 子に迷ふ雉(きぎす)なるらん荒畑に沈む夕日を幾く声も呼ぶ 原 明男 (評) 「子に迷う雉(きぎす)なるらん」、「子に」の助詞「に」にはいろいろな使い方がありますが、この場合は原因、機縁を示す意味にとりました。つまり、「子のために迷う」といった感じです。「迷う」は、あっちこっち探し回る、つまり子がいなくなってあっちこっち探し回る親雉を想像しました。「荒畑に沈む夕日を幾く声も呼ぶ」、荒れた畑は、休耕地でしょうか、現代の一つの社会現象を感じます。夕日、一日が終わろうとしています、何か心がせかされる感じ、せっぱつまった感じがします。何回も雉が鳴いている声がする。それをふと作者は子を探しているんだろうと思ったのです。そこに作者のその時の心の在りようが垣間見えるように思ったのです。雉の鳴く声を、子を探しているんだろうと思った作者の心持を思ったのです。 あら草も虫の声生みそよ風の涼しかりけりころびて気づく 鈴木菊江 (評)「ころびて気づく」、この発見がこの一首を作ったのでしょう。やはり、短歌は発見が大切です。マイナスをプラスに変える作者の心がすばらしいと思いました。もしころばなかったら、あら草と虫の声はばらばらの関係のないものであったでしょう。またあら草の葉先をかすかにゆするそよ風の涼しさも発見できなかったでしょう。それにしましても、ころばないようくれぐれもお気を付けください。 四世代揃う盆なり晝餉にはそうめんおむすび高だかと盛る 黒田幸子 (評)普段はお一人で暮らしている作者。お盆ということで、息子さん、それに作者にとってのお孫さんが子供を連れて帰省したのでしょう。「四世代揃う盆なり」がそれです。お盆であれば、目に見えない亡きご主人やその他のご先祖様も来ていらっしゃっているかもしれません。シーンとした一人の家が沸き上がるようなにぎわいとなりました。折しも昼の食事の時間、「そうめんおむすび高だかと盛る」に作者の気持ちも盛り上がっている感じがします。 盆用意息らの帰省までなすことのすべてを終える甲子園も雨 藤井美智子 (評)「盆用意息らの帰省までなすことのすべてを終える」とこともなげに作者は書いておりますが、その準備にお墓の掃除はもちろん、仏壇の盆飾りとかその他いろいろ考えられます。それをお一人で成し遂げてた。折しも雨となって外出もできない。ゆっくり高校野球でも見ようかとテレビをつけると、甲子園も雨が降っていて、野球は中止、やれやれといった思いでしょうか。 探し物減らすと身辺整理して記憶整理が追いつかず居る 小池美恵子 (評)誰しも共通だと思われることに、年とともに探し物が多くなることです。つまり、置いた場所を忘れてしまうのがその原因と思われます。「探し物減らすと身辺整理」ということは、必ずしも物を減らすということではないでしょう。身辺整理は物の置き場を、メガネはここ、なにはここときちんと決めたのでしょう。そうすれば必要な時にすぐ見つけることが出来ます。しかし、何がどこにあるか置き場所を決めたその置き場所を覚えることがなかなか追いつかないで結局探し回っているといった、本人は真剣そのものですが、何となくユーモラスな感じがします。しかし、そう言っている自分も他人事ではないのです。 聞こえくる「ピーチャンピー」と海千鳥気遣う親鳥心知らるる 鈴木きみ (評)明治以降、短歌革新が叫ばれ、写生の重要性、瞬間を歌うこと、緊迫性であったり衝迫性であったりそうしたものを重要視しました。「聞こえくる」は、倒置的です、『「ピーチャンピー」と聞こえくる』ということでしょう。「ピーちゃんピー(ちゃん)」とも読めます。ともかく子のおぼつかないのを親鳥が気遣っているように見えたのでしょう。作者も母親として経験があるので「この親鳥の心がよく分かる」と思ったのでしょう。参考は写生を重視しました。両者をくらべますと作者の歌の特色がよく分かると思います。 参考:「ピーチャンピー」子を気遣うか海千鳥鋭き声の風に聞こゆる 全身の汗線開き流れ落つ真夏日の畑木陰欲しかり 土屋文恵 (評)「全身の汗線開き流れ落つ」と細かい描写をしています。作者が今働いている真夏日の畑がいかに過酷な環境かを表現しています。そして、結句の「木陰欲しかり」を強調する役割をしています。「木陰欲しかり」はまさに心底からの作者の思いでしょう。夏の日射しのなかを歩いているときなど、木陰があるとほっとしてしばしその下で休みます。ただそれはたまたま木陰があったので休んだわけで、木陰を求めてそこに行ったわけでわありません。しかし、作者は木陰の有難さをはっきりと心に思い浮かべたことでしょう。そして、あるいは初めて木陰をこころの底から求めたことでしょう。
2017.09.27
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渡辺つぎさんの入選歌 平成28年 NO.2 4月号(同人誌「賀茂短歌」より) 百五年の命いただき我をかこむ自然も人もみなあたたかき(雑誌「短歌」平成二十八年四月号公募短歌館 佳作 外塚 喬 選) 5月号(同人誌「賀茂短歌」より) 大海原(おおうみ)に小さき龍の形して浮ぶ列島私の祖国(雑誌「短歌」平成二十八年五月号公募短歌館 特選 秋山佐和子 選)(選後評)海原に浮ぶ日本列島。「小さき龍」に譬えた「私の祖国」への大切な思い。作者は百五歳。 6月号(同人誌「賀茂短歌」より) おのずから余命というをみつめつつ今日の日記の頁を閉じぬ(雑誌「短歌」平成二十八年六月号公募短歌館 佳作 外塚 喬 選)(雑誌「短歌」平成二十八年六月号公募短歌館 佳作 田宮朋子 選) 体重が減るごと足が重くなる老衰というはあなふしぎなり(雑誌「短歌」平成二十八年六月号公募短歌館 佳作 秋山佐和子 選) おのずから余命というをみつめつつ今日の日記の頁を閉じぬ(雑誌「短歌」平成二十八年六月号公募短歌館 佳作 外塚 喬 選)(雑誌「短歌」平成二十八年六月号公募短歌館 佳作 田宮朋子 選) (つづく)
2017.09.27
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九月号歌評(同人誌「賀茂短歌」) 下書き 後藤人徳(瑞義) 子に迷ふ雉(きぎす)なるらん荒畑に沈む夕日を幾く声も呼ぶ 原 明男 (評) 「子に迷う雉(きぎす)なるらん」、「子に」の助詞「に」にはいろいろな使い方がありますが、この場合は原因、機縁を示す意味にとりました。つまり、「子のために迷う」といった感じです。「迷う」は、あっちこっち探し回る、つまり子がいなくなってあっちこっち探し回る親雉を想像しました。「荒畑に沈む夕日を幾く声も呼ぶ」、荒れた畑は、休耕地でしょうか、現代の一つの社会現象を感じます。夕日、一日が終わろうとしています、何か心がせかされる感じ、せっぱつまった感じがします。何回も雉が鳴いている声がする。それをふと作者は子を探しているんだろうと思ったのです。そこに作者のその時の心の在りようが垣間見えるように思ったのです。雉の鳴く声を、子を探しているんだろうと思った作者の心持を思ったのです。 あら草も虫の声生みそよ風の涼しかりけりころびて気づく 鈴木菊江 (評)「ころびて気づく」、この発見がこの一首を作ったのでしょう。やはり、短歌は発見が大切です。マイナスをプラスに変える作者の心がすばらしいと思いました。もしころばなかったら、あら草と虫の声はばらばらの関係のないものであったでしょう。またあら草の葉先をかすかにゆするそよ風の涼しさも発見できなかったでしょう。それにしましても、ころばないようくれぐれもお気を付けください。 四世代揃う盆なり晝餉にはそうめんおむすび高だかと盛る 黒田幸子 (評)普段はお一人で暮らしている作者。お盆ということで、息子さん、それに作者にとってのお孫さんが子供を連れて帰省したのでしょう。「四世代揃う盆なり」がそれです。お盆であれば、目に見えない亡きご主人やその他のご先祖様も来ていらっしゃっているかもしれません。シーンとした一人の家が沸き上がるようなにぎわいとなりました。折しも昼の食事の時間、「そうめんおむすび高だかと盛る」に作者の気持ちも盛り上がっている感じがします。 盆用意息らの帰省までなすことのすべてを終える甲子園も雨 藤井美智子 (評)「盆用意息らの帰省までなすことのすべてを終える」とこともなげに作者は書いておりますが、その準備にお墓の掃除はもちろん、仏壇の盆飾りとかその他いろいろ考えられます。それをお一人で成し遂げてた。折しも雨となって外出もできない。ゆっくり高校野球でも見ようかとテレビをつけると、甲子園も雨が降っていて、野球は中止、やれやれといった思いでしょうか。 探し物減らすと身辺整理して記憶整理が追いつかず居る 小池美恵子 (評)誰しも共通だと思われることに、年とともに探し物が多くなることです。つまり、置いた場所を忘れてしまうのがその原因と思われます。「探し物減らすと身辺整理」ということは、必ずしも物を減らすということではないでしょう。身辺整理は物の置き場を、メガネはここ、なにはここときちんと決めたのでしょう。そうすれば必要な時にすぐ見つけることが出来ます。しかし、何がどこにあるか置き場所を決めたその置き場所を覚えることがなかなか追いつかないで結局探し回っているといった、本人は真剣そのものですが、何となくユーモラスな感じがします。しかし、そう言っている自分も他人事ではないのです。 聞こえくる「ピーチャンピー」と海千鳥気遣う親鳥心知らるる 鈴木きみ (評)明治以降、短歌革新が叫ばれ、写生の重要性、瞬間を歌うこと、緊迫性であったり衝迫性であったりそうしたものを重要視しました。「聞こえくる」は、倒置的です、『「ピーチャンピー」と聞こえくる』ということでしょう。「ピーちゃんピー(ちゃん)」とも読めます。ともかく子のおぼつかないのを親鳥が気遣っているように見えたのでしょう。作者も母親として経験があるので「この親鳥の心がよく分かる」と思ったのでしょう。参考は写生を重視しました。両者をくらべますと作者の歌の特色がよく分かると思います。 参考:「ピーチャンピー」子を気遣うか海千鳥鋭き声の風に聞こゆる 全身の汗線開き流れ落つ真夏日の畑木陰欲しかり 土屋文恵 (評)「全身の汗線開き流れ落つ」と細かい描写をしています。作者が今働いている真夏日の畑がいかに過酷な環境かを表現しています。そして、結句の「木陰欲しかり」を強調する役割をしています。「木陰欲しかり」はまさに心底からの作者の思いでしょう。夏の日射しのなかを歩いているときなど、木陰があるとほっとしてしばしその下で休みます。ただそれはたまたま木陰があったので休んだわけで、木陰を求めてそこに行ったわけでわありません。しかし、作者は木陰の有難さをはっきりと心に思い浮かべたことでしょう。そして、あるいは初めて木陰をこころの底から求めたことでしょう。
2017.09.26
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白浜短歌会九月歌稿(九月二十七日)下書き 後藤瑞義(人徳) A子 暑さ過ぎ海行く避暑客人影まばら波の音さえ淋しくきこえる 施設にて寒暖感じず部屋の中脳トレ勉強で一日過ごす 1.素直な詠みぶりです。暑さが過ぎ、海辺の人影がまばらになって、なんだか波の音まで淋しく聞こえる、といったことでしょう。ただ、「避暑客」という言葉に目が向きました。作者は前月の歌でも、「避暑の客」という言葉を使っていました。私などは、避暑というとやはり軽井沢とか、涼しいところをイメージするわけです。白浜も海水の中は涼しいでしょうが。それより、なにか作者のなかに暑さを逃れる、暑さを避ける地への願望があるのかもしれません。それが、「避暑」という言葉を何度も使うのではなかろうか、そんな気がしたのです。 2.デイサービスに通っている作者でしょう。「施設」はデイサービスの建物で、冷暖房の設備が完備していて、職員が常に快適な温度に調節しているのでしょう。「寒暖感じず」というのがそれです。そうした、環境のなかで認知症にならないように、パズルなどで脳のトレーニングをしている。作者にとってはそれは、勉強のようなものなのでしょうが、快適な環境で時間の経つのも忘れ、一日がすぐ経ってしまう。そんな感じを詠んでいるように思いました。 B子 肌寒い朝に一輪アサガオの咲いてくれしはエールのようで 本二冊クロスワードで日が暮れたせめて寝る前ラジオ体操 物置きに見つけし赤いフラフープかんの戻りし得意にまわす 1.結句の「ようで」は、「言いさし」(文章を途中で止める)の方法です。結句は、名詞止とかいくつか止め方があり、その一つの方法に「言いさし」で結句を止める方法があるわけです。結句が「エールのようだ」では物足りないのでしょう。「咲いてくれし」の「し」がいつもながら気になります。「し」は、正しくは過去の回想の助動詞「き」の連体形です。単純な過去なら「咲きくれたるは」が正しいでしょう。ただ、単純な過去に「し」を使っている例もしばしば見かけます。歌自体は、素直な詠みぶりです。アサガオが咲いたのを「エール」のようだと感じたところに個性が感じられます。 2.今日は、一日中、家に籠って読書とクロスワードをしていて、気がついたら日が暮れていたといったことでしょう。こんなことでは、体に良くないないと思い立ち、ラジオ体操を寝る前にしたのでしょう。ラジオ体操というのは、楽しいとかいうものではなく、なにか規則正しさを象徴するように感じます。ラジオ体操は、体を動かしてもちろん体にいいのでしょうが、個人的には心にもなにかよい影響を与えるのではないかと思ったりします。 3.物置のなかにフラフープを見つけて、何年ぶりかで回してみたのでしょう。体がしっかりコツを覚えていて、得意になって回したのでしょう。フラフープを回しながら、若いころに戻ったような、何とも言えないなつかしいひとときを過ごしたことでしょう。「赤いフラフープ」の「赤」は若さ、情熱といったものを感じさせます。それだからこそ、余韻としてちょっと寂しさを感じたのです。(参考)「見つけし」は、「見つける」あるいは、「見つけた」とし、「かんの戻りし」は、「かん(勘)の戻りて」くらいにしたい。 C子 新車にて松本目差しまっしぐら車窓に光る金色の田 通り雨雷鳴らし行き過ぎる見上ぐる空は陽の眩しかり 突然の強き雨にもまけぬよう足踏ん張りて傘強く持つ 1.事実であるにしても、「新車」がいいですね。オーバーに言えば、新しい世界の幕開けを感じさせます。いっさい感情表現はしていないで、「目差しまっしぐら」「光る」「金色の田」などの言葉で、気分の高揚感を感じさせます。 2.時間の経過があります。つまり、歌に時間が入っているのです。明治以降、アララギ派を中心に短歌は瞬間を歌うこと、写生を重んじることが唱えられました。逆に、和歌では、時間を歌に織り込んだり、枕詞、縁語とか技巧を駆使していました。そろそろ、和歌のよさも見直されていいのかもしれません。「過ぎる」を、「過ぎて」とすると瞬間的な思いになるでしょう。 3.「足踏ん張りて傘強く持つ」は、これはこれでよいと思います。ただ、これは、「(雨に負けないように)傘を強く持つ」ということが強調されています。「雨にもまけぬよう足を踏ん張り傘強く持つ」とすると「雨に負けぬよう」が強調されるようです。「突然の強き雨にも」の「にも」が微妙です。なにかこの歌は、作者の人生の問題がひそんでいるように読めなくもありません。 D子 弁当を買って来たよと息子(こ)の声に独り昼餉をおいしくいたゞく 足あげて山の影背に散歩する手押し車の夕暮の道 晩年を短歌に生きたつぎさんも百六才の長寿逝きたり 1. ちょっと不思議な感じの歌です。作者は昼食を今一人おいしく食べています。問題は「弁当を買ってきたよと息子の声に」、というところです。「息子の声に」というところが、声を聞きながら食事をしているようにも思われるのです。実際は、多分息子さんの買って来た弁当を食べているのでしょう。息子さんの買ってくれた弁当なのでおいしくいただいたといった思いがこめられているのでしょう。「独り昼餉を」を「独り昼餉もおいしくいたゞく」とすると、多少息子さんへの思いが出るような気がしました。 2.散歩をしている作者です。「足上げて」とわざわざ言っています。それは、足が重くて歩行が大変な感じを受けます。手押し車を押しながら散歩している姿が浮かびます。結句の「夕暮の道」が、単なる風景でなく、作者の人生を感じさせます。 3.最近亡くなられた、渡辺つぎさんの挽歌でしょう。満百六歳でした。七十二歳で短歌を始めたと聞いています。「晩年を短歌に生きた」がそれを表わしているのでしょう。「つぎさんも」の「も」はあるいは、「わたしも(晩年を短歌に生きている)」という思いがあるのかもしれません。「百六才の長寿」で一拍休んで「逝きたり」に続くのでしょう。 E子 天城越え友に連れられショッピング広き店内すこしとまどう我の髪カットしながらSさんは彼が出来たの笑顔で告げる 1.天城を越えてのショッピング。アピタあたりでしょうか。たしかに、下田あたりのスーパーと比べると、「広き店内すこしとまどう」が実感されます。「天城越え」は、わざわざ「天城越え」という感じがします。「友に連れられ」が、必要かどうか。自分の意志では行かないが、友に誘われたのでやって来たという感じでしょう。来てみたら、広い店内で圧倒され戸惑ったのでしょう。「連れられ」というより、「誘われ」といった感じではないでしょうか。 2.美容院に行って髪をカットしてもらったのでしょう。多分なじみの美容師さんでしょう、つい隠し切れないで「彼ができたの」と告げたのでしょう。「言う」のではなく、「告げる」という言葉もなにか告白のイメージがあってぴったりです。プライベートなことなのでSさんとしています。作者とあるいは同年配の人なのかもしれません、驚きとともに、なにかうらやましいような気持ちもあるのかもしれません。 F子 来年も出来るかなあときゅうりを手に老いの手仕事ピクルス作る 老いゆくは難儀と亡き母いいしこと夏をようやく越して思いぬ 1.私はピクルスを作ったことがありませんが、作者は老いの手仕事と言っています。それほど力はいらないのでしょう。それであればなおさら、「来年もできるかなあ」という初句、二句が重く響きます。今年の夏の異常な暑さなどを考えますと、作者も体力に自信を失っているのかもしれません。 2.前作に引き続いた連作の一首です。「老いゆくは難儀」と言った亡き母親の言葉が身に沁みる作者なのでしょう。「夏をようやく越して」あたりに実感を感じます。亡くなられた母親の年齢に近づいたか、あるいは過ぎたのか、母親の年齢に思いをはせているようにも思ったのです。 かんばせ 原 明男 しあわせをかんばせにして師の遺影満ち足りしがに夕日の沈む 過疎深む里の老舗(しにせ)の灯の消えてこぼれ落ちそな青い柿の実 1.9月6日に亡くなられました渡辺つぎさんへの挽歌です。すばらしい遺影の写真でした。まさに、「しあわせをかんばせにして」という表現がぴったりしました。その逝去のようすを自然現象の沈む夕日に例えているところが、技巧的でありますが、無理なく受け入れられます。 2.「過疎深む里」、今まさにどこでも問題になっていることです。しかし、この里は、作者の住んでおられる白浜のことでしょう。そこに昔から商売を営んでいた、昔は繁盛していたであろう商店が店を閉じたのでしょう。若いころから作者の馴染みの店だったのかもしれません。問題は下の句です。柿の実が木から落ちるように店が閉じたという単純なことではなさそうです。柿の実は青いのです。青い柿の実、それは作者の青春時代を象徴しているのかもしれません。青春時代のいろいろな思い出、記憶も消えてしまう寂しさを表現しているように思ったのです。
2017.09.26
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渡辺つぎさんの入選歌 平成28年 NO.1 1月号(同人誌「賀茂短歌」より) 施設にて日暮れはいつも淋しくてすこし早目にカーテンを引く(雑誌「短歌」平成二十八年一月号公募短歌館 佳作 三井ゆき 選) 2月号(同人誌「賀茂短歌」より) 一瞬のドラマと過ぎし心地して百五歳まで残る半年(雑誌「短歌」平成二十八年二月号公募短歌館 特選 中川佐和子 選)(評)高齢化社会となった今の日本、戦争の体験もあった一世紀を超える自らの歳月を、作者が振り返って、一瞬のドラマのようだと捉えていて味わいがある。自在な歌いぶりも魅力。 3月号(同人誌「賀茂短歌」より) 手を引きて歩ませし息子(こ)に手を引かれクリニック入りせり百五歳まぢか(雑誌「短歌」平成二十八年三月号公募短歌館 佳作 三井ゆき 選)数え子は九十六歳百四歳と肩を並べて施設入りせり(雑誌「短歌」平成二十八年三月号公募短歌館 佳作 中川佐和子 選) 平成二十七年県民文芸 入選 あいうえお人生 あお空に見送られて一年生棒縞に黄の帯紅緒の藁草履 いさぎよく母と別れて天城越え女学生となり夢ふくらます うろうろと職さがしする暇もなく姉の後追い教職につく 絵も文章も得意技なりし夫なれど五十八歳にてあっけなく逝く おおらかな老後を万物に感謝して短歌にすくわれ百五歳となる(第五十五回静岡県芸術祭 入選 植松法子・入野早代子 選)(つづく)
2017.09.26
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渡辺つぎさんの入選歌 平成27年 NO.4 10月号(同人誌「賀茂短歌」より) 走ること最も辛かった運動会尻を走って今百五歳(雑誌「短歌」平成二十七年十月号 題詠「走る」 御供平佶 選) 春風と共に百四歳の誕生日祖先(みおや)に告げぬ彼岸中日(雑誌「短歌」平成二十七年十月号公募短歌館 秀逸 志垣澄幸 選) 歌友たちうからやからに背を押され百五歳への一歩二歩三歩(雑誌「短歌」平成二十七年十月号公募短歌館 佳作 香川ヒサ 選) 谷底も川底さえもくぐり抜けぽっかり浮ぶ百と四歳(雑誌「短歌」平成二十七年十月号公募短歌館 佳作 加藤治郎 選) 11月号(同人誌「賀茂短歌」より) 笛太鼓きくこともなく百五歳一日一日がいのちへの礼(雑誌「短歌」平成二十七年十一月号 題詠「祭」 安森敏隆 選) 精検はすべて正常百五歳まで楽楽という主治医の笑顔(雑誌「短歌」平成二十七年十一月号公募短歌館 佳作 志垣澄幸 選) 老体に僅かに残る歌心出しつくさんとペンを走らす(二○一五しずおか・短歌大会 十一月八日 佳作 青木陽子 選) 12月号(同人誌「賀茂短歌」より) 幼児期を語る人々すでに無く百五歳われ他国人のごと(雑誌「短歌」平成二十七年十二月号公募短歌館 佳作 志垣澄幸 選) 百五歳へ百五十歩も歩いたか昨日も今日も同じこの道(雑誌「短歌」平成二十七年十二月号公募短歌館 佳作 香川ヒサ 選)百五歳へ百五十歩も歩いたか昨日も今日も同じこの道(雑誌「短歌」平成二十七年十二月号公募短歌館 特選 松平盟子 選)(評)百五歳へと一日一日向かう命。一歩とは一日のこと。百五十歩の次の一歩が命の継続である実感をこれほど重く詠まれたことに感動します。
2017.09.25
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渡辺つぎさんの入選歌 平成27年 NO.3 7月号(同人誌「賀茂短歌」より) 一夜明けしのみにて去年今年なりずっしり重し百と四歳(雑誌「短歌」平成二十七年七月号公募短歌館 佳作 沢口芙美 選)(雑誌「短歌」平成二十七年七月号公募短歌館 佳作 伊藤一彦 選) 8月号(同人誌「賀茂短歌」より) 「孫の手」を百歳記念に頂戴し五年目となる重宝重宝(雑誌「短歌」平成二十七年八月号 題詠「背」 御供平佶 選) 9月号(同人誌「賀茂短歌」より) わが町の最高齢者になりしこと祖先 ( みおや )に告げぬ彼岸中日(雑誌「短歌」平成二十七年九月号公募短歌館 佳作 秋葉四郎 選) いちはつを子規に供えて何十年今年ばかりかわれ百四歳(雑誌「短歌」平成二十七年九月号公募短歌館 佳作 秋葉四郎 選)
2017.09.24
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後藤人徳の入選歌いつまでも起こさないでねあおむけにおだやかな顔妻の死顔 (全国短歌フォーラムイン塩尻 九月二十三日 題詠「顔」 奨励賞 )
2017.09.23
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渡辺つぎさんの入選歌 平成27年 NO.2 4月号(同人誌「賀茂短歌」より) 足早に百四歳がやつて来てようこそとわれにほほえみかける(雑誌「短歌」平成二十七年四月号公募短歌館 佳作 古谷智子 選) 足早に百四歳がやつて来てようこそとわれにほほえみかける(雑誌「短歌」平成二十七年四月号公募短歌館 秀逸 安田純生 選)(評)作者は百三歳であるらしい。年齢を擬人化した表現により、年を重ねることを喜びとする思いが伝わって来る。 6月号(同人誌「賀茂短歌」より) 腰曲げて杖なく歩く百四歳軽い荷物など両手にさげて(雑誌「短歌」平成二十七年六月号公募短歌館 佳作 森山晴美 選)(雑誌「短歌」平成二十七年六月号公募短歌館 佳作 安田純生 選)
2017.09.23
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渡辺つぎさんの入選歌 平成27年 NO.1 1月号(同人誌「賀茂短歌」より) 百歳を越えてはじめて知りしこと長生きの宝ひろうことあり(雑誌「短歌」平成二十七年一月号公募短歌館 佳作 前川佐重郎 選) クラスメート一人も居らず教え子ら卒寿を越ゆとわれは何者(雑誌「短歌」平成二十七年一月号公募短歌館 佳作 沖ななも 選) 3月号(同人誌「賀茂短歌」より) 幼な日を語る友達みな逝きて一人ぼっちの明治生まれは(雑誌「短歌」平成二十七年三月号題詠「友」 入選 大塚布見子 選)
2017.09.22
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短歌鑑賞(馬場あき子の一首)下書き しら飯を二つの茶碗によそひつつ相対きて食ぶしら飯は愛 『記憶の森の時 間』 昭和十八年生まれのわたしです。戦後の食糧難も断片的には思い出します が、田舎育ちのためか強烈な印象と言うものはありません。そうしたわた しですのでまず、結句に驚かされました。「しら飯(いい)は愛」とはど ういうことなのでしょうか。 馬場さんは悲惨な戦争体験をよく語っています。こういう歌を読みます と、僭越ですが、そうした体験は無駄ではなかったのではないでしょう か。食事といえば、野菜や肉や魚であったり、料理に目が向くわたしです が、ご飯にのみ目を向けたことはありませんでした。極度の食糧難を経験 した馬場さんには、白いご飯の有難さが、骨身に沁みているのでしょう。 そして、その気持ちを同年配のご主人と共有されているようです。それだ からこそ「しら飯は愛」という表現になったのではないでしょうか。 夫婦生活においては、どこでも多かれ少なかれいろいろな問題、行き違い があると思うのですが、馬場さんの場合、白いご飯を自分とご主人の茶碗 によそり、向かい合って食べるとき、白いご飯を食べられる有難さによっ て、夫婦間のトラブルはたいしたことのないもののように消えてゆく。白 いご飯は、二人の絆を深めてくれる、まさに「しら飯は愛」ということな のでしょう。
2017.09.21
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渡辺つぎさんの入選歌 平成26年 NO.4 10月号(同人誌「賀茂短歌」より) クラスメート一人も居らず教え子ら卒寿を越ゆとわれは何者(雑誌「短歌」平成二十六年十月号公募短歌館 特選 花山多佳子 選)(評)百四歳の作者。教え子が卒寿というから驚く。「われは何者」という結句が卓抜だ。ただ者でないセンスがあっておかしみを誘う。 11月号(同人誌「賀茂短歌」より) 苦を越えて楽が訪れ苦に追われ楽な日日来て百と四歳(雑誌「短歌」平成二十六年十一月号公募短歌館 秀逸 花山多佳子 選) 介護不要百四歳への一日なりとりこぼさぬよう生きねばならぬ(雑誌「短歌」平成二十六年十一月号公募短歌館 佳作 花山多佳子 選)
2017.09.21
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渡辺つぎさんの入選歌 平成26年 NO.3 7月号(同人誌「賀茂短歌」より) 春よ来い百三歳だ杖持たず一歩一歩と地面をふんで(雑誌「短歌」平成二十六年七月号公募短歌館 秀逸 三井 修 選)(評)百三歳という年齢に無条件に敬意を表したい。初句の柔軟さ、下句の力強さが、全く年齢を感じさせない。 春よ来い百三歳だ杖持たず一歩一歩と地面をふんで(雑誌「短歌」平成二十六年七月号公募短歌館 秀逸 一ノ関忠人 選) 春よ来い百三歳だ杖持たず一歩一歩と地面をふんで(雑誌「短歌」平成二十六年七月号公募短歌館 佳作 春日真木子子 選) 8月号(同人誌「賀茂短歌」より) 百三歳を祝い下さる方方のかんばせすべて観音菩薩(雑誌「短歌」平成二十六年八月号公募短歌館 佳作 春日真木子 選) 百三歳を祝い下さる方方のかんばせすべて観音菩薩(雑誌「短歌」平成二十六年八月号公募短歌館 佳作 三井 修 選) 山の端を出づる朝日にみまもられ百四歳の一歩ふみ出す(雑誌「短歌」平成二十六年八月号公募短歌館 佳作 田宮朋子 選) 百三歳を祝い下さる方方のかんばせすべて観音菩薩(雑誌「短歌」平成二十六年八月号公募短歌館 佳作 一ノ関忠人 選) 9月号(同人誌「賀茂短歌」より) スッと立つ百歳さんと詠みくれし友よ百三歳はテコでも動かぬ(雑誌「短歌」平成二十六年九月号公募短歌館 佳作 春日真木子 選) スッと立つ百歳さんと詠みくれし友よ百三歳はテコでも動かぬ(雑誌「短歌」平成二十六年九月号公募短歌館 佳作 一ノ関忠人 選) 百三の誕生日なり大空も山川草木色濃くぬくし今日よりは父母たまわりしこの足で百四歳のいのちをはこぶ(日本歌人クラブ主催 第三十五回全日本短歌大会 秀作 ) 介護不要百四歳へ歩みいる抱きいるもの落とさぬように古りてなおなしたきことのあまたあり長命のあかし乏しきゆえに(日本歌人クラブ主催 第三十五回全日本短歌大会 優良賞 )
2017.09.20
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渡辺つぎさんの入選歌 平成26年 NO.2 4月号(同人誌「賀茂短歌」より) 居眠りしながら次の世に行けたらいいなあ百二歳われ(雑誌「短歌」平成二十六年四月号 題詠「陽だまり」 小林幸子 選) おそろしきまでの長命百三歳幼児退行日日すすみつつ(雑誌「短歌」平成二十六年四月号公募短歌館 特選 楠田立身 選)(評)百三歳の長命を「おそろしきまで」と表現したのは恐怖ではなく感謝と驚愕だろう。幼児退行を歎いておられるが、応募ハガキの小さな桝目に歌を清書して応募する意慾は退行ではない。 5月号(同人誌「賀茂短歌」より) 百三歳の春ともなればはなやぎにあらずひそかに四方を拝す(雑誌「短歌」平成二十六年五月号 題詠「春」 入選 小林幸子 選) おびえいし百三歳はどんときてわれの鼓動の高まり止まず(雑誌「短歌」平成二十六年五月号公募短歌館 佳作 松坂 弘 選) 6月号(同人誌「賀茂短歌」より) おびえいし百三歳にとらえられめでたくもありおそれでもあり(雑誌「短歌」平成二十六年六月号公募短歌館 佳作 松坂 弘 選) 気の遠くなりそうな長い年月も波に消されし足跡のごと(雑誌「短歌」平成二十六年六月号公募短歌館 佳作 秋山佐和子 選) (つづく)
2017.09.19
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渡辺つぎさんの入選歌 平成26年 NO.1 1月号(同人誌「賀茂短歌」より) おむかえがなかなか来なくてと言えばこちらでお迎えしますと主治医(第五回角川全国短歌大賞 奨励賞 ・馬場あき子 選 佳作 ) 電線に並ぶ雀もゴミ箱をあさる烏も少なくなりぬ(雑誌「短歌」平成二十六年一月号題詠「鳥」入選 中地俊夫 選) 百人のクラスメートのかくれんぼ一人も出て来ず鬼もつかれた(雑誌「短歌」平成二十六年一月号公募短歌館 秀逸 久々湊盁子 選) 大日本帝国と敗戦国わが百二年の明暗きびし(雑誌「短歌」平成二十六年一月号公募短歌館 佳作 三井ゆき 選) このいのちさし上げたしとけんめいに祈りし百歳 八月十二日(第二回河野裕子短歌賞 入賞 永田和宏選賞 産経新聞社主催) 3月号(同人誌「賀茂短歌」より) 日だまりで居眠りしながら次の世に行けたらいいなあ百二歳われ(雑誌「短歌」平成二十六年三月号 題詠「陽だまり」 小林幸子 選) 百二歳喜怒哀楽をくぐり抜けぼんやりゆっくり終焉を待つ(雑誌「短歌」平成二十六年三月月号公募短歌館 秀逸 久々湊盁子 選)(評)これまでに人生の喜怒哀楽はおおよそ経験したという百二歳の作者。心静かに「ゆっくり」その時を待つという。かくありたいものと感歎する。 長命をほめられながら自らは生きて恥多き百と三歳(雑誌「短歌」平成二十六年三月月号公募短歌館 佳作 三井ゆき 選) 一日一日はたからもの【電子書籍】[ 渡辺 つぎ ]
2017.09.18
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【中古】 花筏 現代随筆選書137/渡辺つぎ【著】 【中古】afb 10月号(同人誌「賀茂短歌」より) あのチビが一年生かと言われたりいま百二歳大粒中粒一人も居らず(雑誌「短歌」平成二十五年十月号公募短歌館 佳作 内藤 明 選) 杖を持つ時期を失い百二歳二本の足でヨチヨチ歩く背曲りも百と二歳の貫禄か歌友らの檄笑うなよ空( 第三十四回 全日本短歌大会(全日本歌人クラブ大会) 奨励賞 ) 百余名かくれんぼうはどこへ行った百二歳のわたしは鬼か( 第六十回 沼津牧水短歌大会 一席 ) 11月号(同人誌「賀茂短歌」より) 百二歳一日一日はたからものこわさぬようにそっといだきぬ(雑誌「短歌」平成二十五年十一月号公募短歌館 佳作 内藤 明 選) 12月号(同人誌「賀茂短歌」より) 人の世の喜怒哀楽をのり越えて痛覚だけはいや勝るとし(雑誌「短歌」平成二十五年十二月号公募短歌館 佳作 香川ヒサ 選)百人のクラスメートのかくれんぼだれも出て来ぬ鬼もつかれた(雑誌「短歌」平成二十五年十二月号公募短歌館 佳作 内藤 明 選) このいのちさし上げたしとけんめいに祈りし百歳 八月十二日(第二回河野裕子短歌賞 入賞 永田和宏選賞 産経新聞社主催) (つづく)
2017.09.17
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渡辺つぎさんの入選歌 平成25年 NO.3 7月号(同人誌「賀茂短歌」より) めまぐるし地球の変動次世代の安否気づかう百二歳われ(雑誌「短歌」平成二十五年七月号 題詠「国」 木村雅子 選)(評)百二歳の作者が、案じておられる。しっかり受けとめたい。 せめて人間の顔でいたいよ百二歳そっと鏡におたのみ申す(雑誌「短歌」平成二十五年七月号公募短歌館 特選 古谷智子 選)(評)百二歳の作者の実感が、深い吐息のように表出されている一首だ。初句の字余りが反映され、上句の「いたいよ」という口語や、結句の「おたのみ申す」という祈りに強い説得力がある。 目標は一日五百歩足りない日は竹ふみをする老いの生きざま(雑誌「短歌」平成二十五年七月号公募短歌館 佳作 前川佐重郎 選) (雑誌「短歌」平成二十五年五月号公募短歌館 佳作 伊藤一彦 選) 8月号(同人誌「賀茂短歌」より) 短歌(うた)という一条縄にすがりつつ百三歳を歩みいるわれ( NHK名古屋短歌大会 平成二十五年八月五日 佳作 ) 杖を持つ時期を失い百二歳二本の足でヨチヨチ歩く背曲りも百と二歳の貫禄か歌友らの檄 笑うなよ空( 第二十四回 全日本短歌大会 奨励賞 ) 9月号(同人誌「賀茂短歌」より) 音量をしぼりラジオ体操中誰ものぞくなよ百二歳なれば(雑誌「短歌」平成二十五年八月号 題詠「ラジオ」 志垣澄幸 選)(評)ラジオ体操をする百二歳の元気な作者。老いて鈍くなった動きを見っれたくないというのか。「誰ものぞくなよ」には生きる余裕までもみえてほほえましい。(つづく)一日一日はたからもの【電子書籍】[ 渡辺 つぎ ]
2017.09.16
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鑑賞:歌集「悲しき玩具」(五十三)下書き 後藤人徳 (注)歌の順序は歌集の順序によります。 いつしかに正月も過ぎて、 わが生活(くらし)が またもとの道にはまり来れり。 「いつしかに」、知らぬ間に、気がついたら、といった気持でしょうか。「正月も」、この「も」が気になります。久しぶりにのんびり出来た「正月も」といった感じでしょうか。啄木にとっては、正月の期間はやはり心やすらぐような、心あたたまるような期間だったのではなかったでしょうか。 「わが生活が」、「わが」としています、他人はどうか知らないけれども、「わが生活が」といった感じでしょう。「生活」を「くらし」とルビをふっているところに、なんとなく暗さ、苦しさのようなものを感じます。 「またもとの道にはまり来たれり。」は、またもとの(苦しい)暮らしにもどったといった意味だと思います。もとの暮らしというところを、「もとの道」といい、にっちもさっちもいかない感じを「はまり来たれり」と表現している点に、縁語的な技巧を感じます。 啄木の暮らし向きの苦しさは、周知のことです。正月期間は、さすがに借金や借金取り(もっとも啄木の借金は知人友人が多かったようですので、借金取りに苦しんだかどうか、定かではありませんが)の心配はなかったのでしょう。しかし、正月が終わるとやはり、お金の心配、借金でもしないと生活がなりたたなくなった。そんな苦しい日常に舞い戻ってしまった、そんな悲哀を詠んでいるように思うのです。会社の資金繰りに悩んだ私自身の体験も織り交ぜた鑑賞になりました。 わが家の天使 歌集 [ 後藤瑞義 ]
2017.09.15
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渡辺つぎさんの入選歌 平成25年 NO.2 4月号(同人誌「賀茂短歌」より) 来る年は百と二歳かこれの世の喜怒哀楽よやわやわとあれ(雑誌「短歌」平成二十五年四月号公募短歌館 佳作 伊藤一彦 選)(雑誌「短歌」平成二十五年四月号公募短歌館 秀逸 沖 ななも選) (選後評)百二歳、元気とはいえ高齢となれば、あまり刺激的な出来事が起ってほしくない。たとえ楽しいことでもやわやわであってほしい。 5月号(同人誌「賀茂短歌」より) 根性との日日のたたかい根は尽き寒(かん)にも負けて百二歳となる(雑誌「短歌」平成二十五年五月号公募短歌館 佳作 沢口芙美 選) 6月号(同人誌「賀茂短歌」より) トンネルも橋もあやうし百二歳のわれとともども老いきたるらし(静岡県歌人協会 中央短歌大会 一位 ) 一度雲にさわってみたいと幼な日に空を見上げしことをわすれず(雑誌「短歌」平成二十五年六月号 題詠「雲」 林田恒浩 選)(評)当年百二歳の渡辺さん。逆に、強く励まされるような思い。 百二歳われのこととも思われず一日一日(ひとひひとひ)が光の泉(雑誌「短歌」平成二十五年六月号公募短歌館 特選 伊藤一彦 選)(評)百二歳の感慨を豊かに歌っている。「われのこととも思われず」という不思議な実感(実は不思議でないことは百歳以上の人の歌を最近編集した私にはよく分るが)下の句を導いている。 百二歳われのこととも思われず一日一日(ひとひひとひ)が光の泉(雑誌「短歌」平成二十五年六月号公募短歌館 佳作 杜澤光一郎 選)背曲りも百と二歳の貫禄か歌友らの檄笑うなよ空(雑誌「短歌」平成二十五年六月号公募短歌館 佳作 沢口芙美 選)一日一日はたからもの【電子書籍】[ 渡辺 つぎ ]
2017.09.15
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渡辺つぎさんの入選歌 平成25年 NO.1 1月号(同人誌「賀茂短歌」より) おさなしとおのれの歌をなげきつつまた詠みつづく百一歳を (雑誌「短歌」平成二十五年一月号公募短歌館 佳作 蒔田さくら子選) (雑誌「短歌」平成二十五年一月号公募短歌館 佳作 大島史洋 選) (雑誌「短歌」平成二十五年一月号公募短歌館 佳作 三枝浩樹 選) 2月号(同人誌「賀茂短歌」より) 唯一の家事の手伝い洗濯物をたたむことのみ百一歳というは(雑誌「短歌」平成二十五年二月号公募短歌館 秀逸 大島史洋 選) 心身は衰へゆくもわれにまだ歌作りする微力が残る(雑誌「短歌」平成二十五年二月号公募短歌館 佳作 三枝浩樹 選) 平成二十四年度 県民文芸 入選 百と一歳 貯えし泪の池へ百一号の小舟浮かべて今日船出せり 百一歳の記憶袋の底が抜けためこみしものどっと失う 学びたきことつぎつぎに迫りきてルーペと辞書と百一歳は からっぽの記憶の箱よ泣くなかれこれから貯めるたのしみがある いつの日か歌が詠めなくなるだろうその日が怖い死ぬより怖い 3月号(同人誌「賀茂短歌」より) 腰のばしのぼしながらの百二歳尺取虫の仲間となりぬ(平成二十四年度 静岡県東部短歌大会 三月十日 互選三位 ) さがしものしていてさがすもの忘れ茫然と佇つ百一歳は(雑誌「短歌」平成二十五年三月号公募短歌館 秀逸 大島史洋 選)(評)こういう場面は多くの人がうたっていますが、結句「百一歳」に迫力があります。そこに打たれました。 欲しくないものをいただきオメデトウという新年は百二歳なり(沼津牧水会 雛の歌会 優秀作品入賞 馬場あき子選)(評)おもしろい歌、「欲しくないものとは何をもらったのか。最後にいって「百二歳」とはまいった。前にもどって、もう一度読みなおしてしまう。言いたいことを最初言わず、最後にもっていって読者を引っぱるということは大事。 (つづく)一日一日はたからもの【電子書籍】[ 渡辺 つぎ ]
2017.09.14
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後藤人徳の入選歌(読売新聞静岡版) 揚羽蝶ふわりふわりと舞いて来て妻の好みしダリアに止まる 下田市 後藤瑞義(読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月十三日 入選 秋山佐和子 選)わが家の天使 歌集 [ 後藤瑞義 ]
2017.09.13
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渡辺つぎさんの入選歌 平成24年 NO.4 10月号(同人誌「賀茂短歌」より) 世の中に用のなき身の百一歳短歌にすがりて一日が終るさりげなく言葉交して別れしも残る空白百一歳は( 第三十三回 全日本短歌大会 秀作賞 ) 大空が高くなったよ百歳を一つ越えたら背が曲ったから( 第十七回 日本歌人クラブ東海ブロック 愛知短歌大会 秀作賞 ) 一世紀貯えしものみな失せて赤児のごとし百一歳は( 第三十一回 静岡県短歌大会 秀作賞 ) 「反省と感謝」を座右の銘として百一歳を数えいるわれ( 第五十九回 沼津牧水短歌大会 互選賞 ) お迎えがいつ来てもいいと言いながら薬湯を呑む百一歳は(雑誌「短歌」平成二十四年十月号公募短歌館 佳作 奥村晃作選)(雑誌「短歌」平成二十四年十月号公募短歌館 佳作 三井 修選) 11月号(同人誌「賀茂短歌」より) あれもダメこれもダメなり百一歳わずかに残る歌を詠む欲(雑誌「短歌」平成二十四年十一月号公募短歌館 佳作 奥村晃作選)(雑誌「短歌」平成二十四年十一月号公募短歌館 佳作 三井 修選) 12月号(同人誌「賀茂短歌」より) 夢に顕つ夫は壮年息子(こ)のようであれから四十年(よとせ)われ百一歳(雑誌「短歌」平成二十四年十二月号公募短歌館 特選 三井 修選)(評)作者は百一歳である。思い出の夫は「息子のよう」というのは確かにその通りであろう。下句の呟きのような表現が重さを持つ。一日一日はたからもの【電子書籍】[ 渡辺 つぎ ]
2017.09.13
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弔 辞 渡辺つぎ様、謹んで御逝去を悼み、生前の温かい御指導に対しまして、あらためてましてお礼を申し上げます。有難うございました。 つぎさん、つぎさんと呼ばせてください。つぎさんが賀茂短歌会に入会されましたのは、昭和五十八年、七十二歳の時でした。以後今日まで私たちは、つぎさんの好奇心の強い、いつまでも若々しい心に勇気と励ましをいただいてきました。感謝しても感謝しきれません。 賀茂短歌会の主宰者でありました原昇先生が亡くなられたのは、今から十八年前の平成十一年十二月三日でした。確か、告別式の帰りだったと思いますが、つぎさんが、「これで賀茂短歌会は終わるのでしょうか、さびしいですね」とおっしゃり、「後藤さんなんとかなりませんか」と問いかけられました。わたしはとっさに、「わたしがやります」と答えました。何をどうするというあてもなく、わたしがやりますと言ったのでした。今振り返って考えますと何か不思議な力によって、言わされたのではなかったかと思っています。あなたなら出来ると言葉に出さないつぎさんの無言の言葉を聞いたような気がしたのでした。 つぎさんは、短歌を作るようになる前に随筆を書いておられました。その随筆では日本随筆家協会賞も受賞されております。勿論短歌におきましては、NHK、角川その他の全国短歌大会で常に入選しており、会員のみんなに良い刺激を与え続けておりました。そんなつぎさんが、同人誌の私の拙い短歌鑑賞文などもよくほめてくださり、励ましてくださいました。お陰様で同人誌を毎月滞ることなく今日まで発行をすることが出来ております。 ありがとうございました。長いこと本当にお疲れ様でした。どうかゆっくりお休み下さい、色々とお導きいただきほんとうにありがとうございました。最後に拙いわたしの短歌をお聞きください。 享年は百六歳の渡辺さんわれに三十二年まだあり 百六歳を一世となしし渡辺さん七十にして短歌始める 一歳に父失いし渡辺さん百六歳の長寿授かる 一歳でお父様を亡くされた悲しみ、その悲しみの深さが百六歳の長寿へ導かれたように思ったのです。勿論つぎさんの長寿につきましては、ご家族の皆様方の多大なるご努力があったことは申すまでもないことでしょう。家庭環境のすばらしさこそ特出すべきことと存じます。 つぎさま、どうか今後も賀茂短歌会を見守りください。賀茂短歌会の灯を消さないように私たちも頑張りたいと思います。ありがとうござました。どうぞ安らかにお眠りください。 平成二十九年九月十一日 賀茂短歌会 代表 後藤瑞義【中古】 花筏 現代随筆選書137/渡辺つぎ【著】 【中古】afb
2017.09.12
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渡辺つぎさんの入選歌 平成24年 NO.37月号(同人誌「賀茂短歌」より) 細き苗植ゑし山茶花大木となりて満開吾を老いしむ(雑誌「短歌」平成二十四年七月号公募短歌館 佳作 花山多佳子選) 8月号(同人誌「賀茂短歌」より) もう一度電車にのってみたいなあ百一歳は夢でつぶやく(雑誌「短歌」平成二十四年八月号題詠『電車』を詠う 槇 弥生子選)(評)上句が強く心に響く。是非ますますの長寿と夢の果されんことを。 9月号(同人誌「賀茂短歌」より) 意気揚揚と百歳までは登ったが下りの坂はちょっと険しい(雑誌「短歌」平成二十四年九月号公募短歌館 佳作 花山多佳子選) (つづく)一日一日はたからもの【電子書籍】[ 渡辺 つぎ ]
2017.09.12
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渡辺つぎさんの入選歌 平成24年 4月号(同人誌「賀茂短歌」より) 物忘れはげしくなりぬ百歳よ虹が消えたと思えば楽し(雑誌「短歌」平成二十四年四月号公募短歌館 秀逸 三井ゆき選) (評)百歳の思いを一首にこめている。下の句もよく練れている発送だ。 物忘れはげしくなりぬ百歳よ虹が消えたと思えば楽し(雑誌「短歌」平成二十四年四月号公募短歌館 佳作 小塩卓哉選) 5月号(同人誌「賀茂短歌」より) たまゆらのいのちいたはり百一歳の誕生日なり薄化粧なす(平成二十四年度県歌人協会中央歌会 高得点歌(二位) ) 渡辺つぎ百歳を越えて一歩を踏み出だすころばぬようにと亡き夫の声(雑誌「短歌」平成二十四年五月号公募短歌館 佳作 田宮朋子選) 6月号(同人誌「賀茂短歌」より) 百歳を一つ乗り越え地に立ちぬ国難よ去れと一歩ふみ出す(雑誌「短歌」平成二十四年六月号公募短歌館 佳作 岡井 隆選) (つづく)一日一日はたからもの【電子書籍】[ 渡辺 つぎ ]
2017.09.11
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渡辺つぎさんの入選歌 平成24年 1月号(同人誌「賀茂短歌」より) 一歳で父と死別し二十七で母を亡くせしわれ百歳を越ゆ(雑誌「短歌」平成二十四年一月号公募短歌館 佳作 三井ゆき選) 追い風よこころして吹け百歳をとうに越えたる小さきこの背に(平成二十三年度 NHK全国短歌大会 佳作 大島史洋選) 2月号より 面輪さえ知らぬ父上の形見なる椅子に座りて百歳をすぐ(雑誌「短歌」平成二十四年二月号 題詠「椅子」を詠う 中地俊夫選) 県内の百歳以上一二九二人われその中の一粒となる(雑誌「短歌」平成二十四年二月号公募短歌館 佳作 三井ゆき選)(雑誌「短歌」平成二十四年二月号公募短歌館 佳作 内藤 明選) 耐えて耐えて耐えてこそ今日日本晴のぞく大空天女が笑う(雑誌「短歌」平成二十四年二月号公募短歌館 佳作 栗木京子選) 3月号より 「天命を待つもどかしさ寒椿」と師は詠みませりわれは百歳(雑誌「短歌」平成二十四年三月号公募短歌館 佳作 三井ゆき選) 百歳はポックリ逝くと思ひしに予備軍の来てわれをさいなむ(雑誌「短歌」平成二十四年三月号公募短歌館 秀逸 内藤 明選)(評)百歳の感慨が、しっかりした口調で語られている。「さいなむ」ということで、生きている実感が、リアルに刻まれている。 来る年は百一歳か威勢よき産聲あげてまたがんばろう(静岡県中部短歌大会 高得点歌 静岡新聞 伊豆・東部版より) 一世紀貯めし泪はいくばくぞいま百歳の温涙ぬぐう(静岡県東部短歌大会 互選一位 ) 一日一日はたからもの [ 渡辺つぎ ]
2017.09.10
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歌人渡辺つぎさん死去 享年 106歳 ★享年は百六歳の渡辺さんわれに三十二年まだあり ★百六歳を一世となしし渡辺さん七十にして短歌始める ★一歳に父失いし渡辺さん百六歳の長寿授かる ご冥福をお祈りします。渡辺つぎさんの一首 知恵袋満タンにして逝きたしと今日も歌詠む百六歳われ一日一日はたからもの [ 渡辺つぎ ]
2017.09.09
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後藤早苗の入選歌(同人誌「賀茂短歌」より)29年度 2月号より 冬眠を忘れているのか蛇一匹師走の庭を横切りてゆく(読売新聞静岡版 よみうり文芸 二月一日 入選 秋山佐和子 選) 3月号より 自動車の前にとび出てうりぼうが心細気に顔を上げたり(読売新聞静岡版 よみうり文芸 三月十五日 入選 秋山佐和子 選) 妻、後藤早苗は、平成29年1月28日 永眠いたしました。 有難うございました。
2017.09.08
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後藤早苗の入選歌(同人誌「賀茂短歌」より)28年度 10月号より調律をせぬまま何年過ぎたるか思い出だけのピアノになりたり(読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月二十八日 入選 花山多佳子 選) 二晩も泊ればすぐに帰りゆく子等の布団を日に干しておく(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十月五日 佳作 花山多佳子 選) (評)この親心はみな共通だろう。たった二晩のための布団だけど。重いのを干さずにはいられない。気持ちよく寝かせたい。家の中で這いまわる蟻にクッキーをくだき与えて孫は喜ぶ(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十月十二日 入選 花山多佳子 選)こんな虫見たことないとよく見れば蟻が五匹でパン屑運ぶ(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十月十九日 入選 花山多佳子 選) 11月号より 早生みかん色づくまでは取るなよと夫は何度も念を押しける(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十一月二十三日 入選 花山多佳子 選) 12月号より 喜んで芋堀りをした幼等が育ちて一人も来なくなりたり(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十二月七日 入選 花山多佳子 選) どこからか獣の争う声がする無人の駅に夜降り立てば(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十二月十四日 入選 花山多佳子 選)
2017.09.07
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後藤早苗の入選歌(同人誌「賀茂短歌」より)28年度 8月号より 雨風の吹きすさぶなかカッパ着て畑の無事を確かめ歩く(雑誌「短歌」平成二十八年八月号公募短歌館 佳作 秋葉四郎 選) カボチャ畑夜明けとともに見にゆけばもう蜜蜂が黄の花の中(読売新聞静岡版 よみうり文芸 八月十七日 佳作 花山多佳子 選) (評)夜明けに行ったら、もう蜜蜂が働いていた、というのが楽しい。かぼちゃの花と蜜蜂の色彩もよく、メルヘンのような明るさがある。 9月号より 実家にもたまには帰るかと息子言う思えば四年かえっていない(読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月七日 佳作 花山多佳子 選) (つづく)
2017.09.06
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後藤早苗の入選歌(同人誌「賀茂短歌」より)28年度 4月号より 春一番すぎて畑を片付けるこれより先は吹くなと祈る(読売新聞静岡版 よみうり文芸 四月十三日 入選 花山多佳子 選) 5月号より 今年また三十キロは取れるだろたった一本の梅の木なれど(読売新聞静岡版 よみうり文芸 五月二十五日 入選 花山多佳子 選)6月号より あと十年生きると心に決めてより新聞読むのが楽しみとなる(読売新聞静岡版 よみうり文芸 六月八日 佳作 花山多佳子 選)(評)心の持ちよう、ということがよくわかる。生きるぞ、と決めたとたん、社会や 未来が出てくる。「新聞」が生きる。 これ以上仏の花を植えるなと我が庭回り友が言いたり(読売新聞静岡版 よみうり文芸 六月二十二日 入選 花山多佳子 選)
2017.09.05
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後藤早苗の入選歌(同人誌「賀茂短歌」より)28年度 28年1月号より 皮膚科医のパソコンみつめる診察の最後にちょっと見てみますと言う(読売新聞静岡版 よみうり文芸 一月十九日 入選 花山多佳子 選)2月号より 買い物でばったり出逢って長話友もたいくつしてると思う(読売新聞静岡版 よみうり文芸 二月 九日 入選 花山多佳子 選)何をして過ごしているかと友が聞くこちらが聞きたい台詞そのまま(読売新聞静岡版 よみうり文芸 二月十六日 入選 花山多佳子 選) 3月号より 風に舞う落葉はなにか楽しげに吹きだまりへと集りてゆく(雑誌「短歌」平成二十八年三月号公募短歌館 佳作 松坂 弘 選)(雑誌「短歌」平成二十八年三月号公募短歌館 佳作 三井ゆき 選) 「ひみつきち」など書きありて粘土や絵、孫は帰れど捨てられずいる(読売新聞静岡版 よみうり文芸 三月十五日 入選 花山多佳子 選)
2017.09.04
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後藤早苗の入選歌(同人誌「賀茂短歌」より)27年度 10月号より 体中花粉をつけた蜜蜂が雌花の中に潜り込みたり (雑誌「短歌」平成二十七年十月号公募短歌館 佳作 志垣澄幸 選) 自閉症と言わるるままに育ちきて体は大人になりゆく息子 (読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月二十九日 入選 篠 弘 選) 少しだけ日光長く照る場所のキャベツの苗のきみどりの色 (読売新聞静岡版 よみうり文芸 十月六日 入選 篠 弘 選) 11月号より 三日前蒔(ま)いたばかりの大根の芽が出揃いてしずくをもてり (読売新聞静岡版 よみうり文芸 十月二十七日 入選 篠 弘 選) 遺伝子は紛れもなしにわれのもの縄飛びできず泣く孫の顔 (読売新聞静岡版 よみうり文芸 十一月十七日 佳作 篠 弘 選) (評)まざまざと孫がわが血を引くことを知った物悲しさと愛たしさ。いちずに作者は、縄飛びを教えたにちがいない。 12月号より 開帳の日に拝むべき仏居らず盗まれしまま何年過ぐる (読売新聞静岡版 よみうり文芸 十二月八日 入選 篠 弘 選) ネックレス付くれば首に冷たくて今日の葬儀の人浮かびくる (読売新聞静岡版 よみうり文芸 十二月十五日 秀逸 篠 弘 選) (評)上句の冷覚の表現が適切で、葬儀の暗い歌ではない。おそらく相手は、ネックレスなどの似合う同世代者であったことを思わせる。
2017.09.03
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後藤早苗の入選歌(同人誌「賀茂短歌」より)27年度 7月号より 夕食は鯖の味噌煮と言い残しいつものように透析に行く (読売新聞静岡版 よみうり文芸 六月三十日 秀逸 篠 弘 選) (評)しばしば通院しなければならない腎臓を病む作者。上の句の食事の準備にふれた表現が適切。いちずに日常を大事にする一首。 高校より帰る子供の自転車が夜の七時に列を作れり (読売新聞静岡版 よみうり文芸 七月二十二日 入選 篠 弘 選) 里芋を植えねばならぬと思いつつ春の長雨じっと見ている (雑誌「短歌」平成二十七年七月号公募短歌館 佳作 秋葉四郎 選) 8月号より われの手の届かぬ所に居るような社内報に載る娘(こ)の文面は (読売新聞静岡版 よみうり文芸 八月十一日 秀逸 篠 弘 選) (評)おそらく勤務先の社内報に書いた娘の実務にふれた感想であろう。娘の急速な成長ぶりに対する驚きか 9月号 今日一日人間誰も来なくとも小鳥の数は数えきれない (雑誌「短歌」平成二十七年九月号公募短歌館 佳作 伊藤一彦 選) 取り残りの甘夏は木に残りいて青きちいさき実が育ちゆく (読売新聞静岡版 よみうり文芸 八月二十五日 入選 篠 弘 選) ガラス張りにしたる床板踏めというスカイツリーの展望台は (読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月十五日 入選 篠 弘 選)
2017.09.02
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後藤早苗の入選歌(同人誌「賀茂短歌」より)27年度 4月号より 猿の群近くに居るや甘夏が食べちらされて地面を覆う(読売新聞静岡版 よみうり文芸 四月二十一日 入選 篠 弘 選) 5月号より 休耕田次々増えて家の回り獣が出ても何もおもわぬ(雑誌「短歌」平成二十七年五月号公募短歌館 特選 安田純生 選) (評)休耕田が増えて、いわば一帯が山野化し、たとえば猪、鹿、狸などといった獣が家の周囲に出没するようになったのであろう。「何も思わぬ」といっているが、不思議には思わないという意味の「何も思わぬ」であって、この語に、むしろ思いがこもっているのである。 携帯を手から離さず帰省児がろくに話もせずに帰りぬ(雑誌「短歌」平成二十七年五月号公募短歌館 佳作 森山晴美 選) 会社では優秀賞など受けている娘の早き結婚のぞむ(読売新聞静岡版 よみうり文芸 五月三日 入選 篠 弘 選) 一日ごとに大きくなりゆく玉葱を見廻る事が今日の始まり(読売新聞静岡版 よみうり文芸 五月十九日 佳作 篠 弘 選)(評)逞しい植物の生命力を見守ることから、自分の現在を思う。欠かさずに早朝から見回るよろこびがにじむ。 6月号より 水槽の金魚が立つる石の音咥(くわ)えては出すさまくり返す(読売新聞静岡版 よみうり文芸 六月九日 秀逸 篠 弘 選)(評)見落としがちな小さな発見がみずみずしい。瑣末な事実だが、生きる小動物のリズミカルな姿に、躍如なる生命力をつかむ。 施設へと帰らん朝に新しき靴出しやればすっぽりと穿く(読売新聞静岡版 よみうり文芸 六月十六日 佳作 篠 弘 選)(評)ホームステイを終えて帰る母親か。その心くばりもさることながら、心温まる場面が描出されている。それに惹かれる作者。
2017.09.01
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