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11月30日(木) 後藤人徳(瑞義)27年6月の歌(伊豆新聞より)賀茂短歌会(6月の歌)の中より産土の地にしっかりと根を張りて真直ぐ天を指して立つ杉 白浜短歌会(6月の歌)の中より一本の杉真直ぐに伸びいるは生きてやるぞの信念ならん
2017.11.30
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後藤早苗の短歌(34) (注)後藤早苗は私の妻です(平成29年1月28日死亡)。 結社誌「賀茂短歌」より転載。 雪 (20年.2月) 出産後輸血せし我幸いにC型肝炎免れている 寒いねと言いつつ店に入りたれば皆そう言って入ってくるとう 雪降るの天気予報にうきうきと心おどりてカーテン開け寝る 呼びかける曾孫の声にわずかにも笑いて母は肩で息する ゴロゴロと居座る人達を初詣に追い出し部屋の窓開け放つ おばあちゃん (20年.3月) 食べたればただそれだけのものなるに卵がひよこになりたる不思議 かえりたるひよこと母が重なりていつもと同じ朝がまた来る 今年又米作るらし八十の翁が寒肥ほどこしている おばあちゃんと大きく叫びし兄の声届かず母は神となりたり 咳こみし母の背中をなでやれば穏しき顔となりて眠りぬ
2017.11.30
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後藤人徳(瑞義)27年7月の歌(伊豆新聞より)賀茂短歌会(7月の歌)の中より喬木を登りつめたる藤蔓もみな下向きに花を咲かせる 白浜短歌会(7月の歌)の中より 「われ、われ」は「われわれ」ではない句読点ひとつで天と地との隔たり
2017.11.29
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後藤早苗の短歌(33) (注)後藤早苗は私の妻です(平成29年1月28日死亡)。 結社誌「賀茂短歌」より転載。 先生 (19年.12月) 先生と呼ばれる人を真中に歩む人等を追いこせず行く 健脚の吾子の後を七滝の景色も見ずに必死で歩く 退職をせし人だんご売りておりもみじ狩りする人を相手に 暖冬に冬眠忘れた赤へびが濡れ縁にきて長くねそべる 自動車の事故が必ず起こるかに保険の勧誘ひき込まれ聞く 紅葉 (20年.1月) 色付きし紅葉が川に写されて滝乃川学園静かな世界 乾いたる土に降る雨ぱさぱさと乾いた音して土をおどらす とりたてのりんごを買いてバスの旅早く食べたし心がおどる わだかまり解きたいなどと思わぬがけんかの友にレタスをひとつ 子を連れてもどりきし娘(こ)を見守りて六十路の友の決意たくまし(
2017.11.29
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11月28日(火) 後藤人徳(瑞義)29年11月の歌(伊豆新聞より) 賀茂短歌会(11月の歌)の中より 享年は百六歳の渡辺さんわれに三十二年まだあり 白浜短歌会(11月の歌)の中より 百六歳を一世となしし渡辺さん七十にして短歌始める
2017.11.28
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11月28日(火)後藤人徳(瑞義)27年8月の歌(伊豆新聞より)賀茂短歌会(8月の歌)の中よりブルーベリー今年は採ると早々に防鳥ネットを張りているなり 白浜短歌会(8月の歌)の中より夏草の覆い繁れる休耕地ひときは高く桑の木伸びる
2017.11.28
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後藤早苗の短歌(32) (注)後藤早苗は私の妻です(平成29年1月28日死亡)。 結社誌「賀茂短歌」より転載。 迎え火 (19年.9月) 物陰に隠れ違反者捕えんと警察官が猫に見えたり 食べきれぬキュウリを友にさしだせばあちらこちらでもらうと笑う 教員の免許を母は使わぬままもやしてくれと片付けをする 迎え火をたきいるわれのすぐそばを行楽客の車の列が ピヨピヨと今は可愛いく鳴くけれどやがて雄鶏になるこのひよこ 買い物 (19年.11月) 自閉児の吾子買い物を喜びぬ末のことなど思わずいよう とりとめのなきこと話し帰りくるただそれだけで母は喜ぶ 今頃は畑に猪あらわれてわれのつくりし里芋食うか スリッパをはかず素足の感触をたのしみ厨を行ったりきたり 二キロものコンニャク芋を掘り起こし自慢がしたい友よ早よ来い
2017.11.28
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編集より(歌誌「賀茂短歌」平成29年11月号)下書き 十一月十二日(日)、沼津市にある沼津サンフロントで第三十六回静岡県短歌大会が行われました。 会員の入選歌のところで紹介していますが、原 明男さんの歌が三人の選者に採られておりました。 こころ病む友と思へぬ笑顔して継ぎ接ぎだらけのをさな日にゐる なかなか心にしみる良い歌でした。「こころ病む友」とありますから、介護施設なのか病院なのかは不明ですが、幼友達を訪ねた折りの歌と思ったのです。「笑顔」に着目したところが良かったと思います。多分作者が訪ねたことで、幼いころの記憶がよみがえり、暗くなりがちな友に笑顔がよみがえったのでしょう。「継ぎ接ぎだらけのをさな日にゐる」は、なかなか工夫した表現と思いました。作者自身も友の笑顔に元気をもらったのではないでしょうか。お目出とうございました。 それでは次に、短歌大会の上位の作品をご参考までに紹介しておきます。 「自由題」 大賞 榑松文子(菊川市) 墨を吸ふ紙の呼吸に合はせつつ筆の命毛(いのちげ)しづかにおろす 静岡県歌人協会賞 榛葉貞代(藤枝市) 下向きにはや錆び初むる夏椿 約束などと言ふもの淡し 静岡新聞社賞 伊藤 純(長泉町) カンカン帽かぶる五月の空のした植木等の歩幅に行かん 「題詠(働く)」 静岡県歌人協会賞 石渡恭子(清水町) まず窓を全開にして二人きりの修理工場の一日始まる 静岡放送賞 竹内典子(浜松市) 春菊の種を埋めてしづかなり今夕焼けがからだを透(とほ)る
2017.11.27
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後藤人徳(瑞義)27年9月の歌(伊豆新聞より)賀茂短歌会(9月の歌)の中より森閑としたる林の中に聞くうぐいすの声諸鳥の声白浜短歌会(9月の歌)の中より一声が二声三声うぐいすの声はたちまち山にこだます
2017.11.27
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後藤早苗の短歌(31) (注)後藤早苗は私の妻です(平成29年1月28日死亡)。 結社誌「賀茂短歌」より転載。 流人の墓 (19年.7月) 寿とう芋の甘さを思いつつおのずとおおくその種を植える 不要にはなれども吾子の好みいし服切りさけば悲鳴とも聞く 新島の流人の墓に供えある菊の花にも寂しさ漂う 墓まいり行かんとすれば千の風曲の流れて行くをためらう 節くれの指手袋にはりついて溜まりし汗が腕を伝い来 梅干 (19年.8月) アスパラが好きな娘(こ)だからたつぷりとアスパラ入れて荷物を送る お前のが一番うまいと梅干の味にこだわる兄が言いたり 夕すげと言われもらいし花なれど黄色の花を真昼間咲かす 八十をとうにこえたる翁らし無人売店に菊並べおり ようやくに社員になれたと喜びの電話に体の力抜けたり 供えある菊の花にも寂しさの漂い流人の墓は静もる (朝日歌壇 「静岡版」 青野里子選 19.8.28付 入選 )
2017.11.27
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後藤人徳(瑞義)27年10月の歌(伊豆新聞より)賀茂短歌会(10月の歌)の中より木々の葉を通り吹き来る森の風草刈り作業の汗を乾かす 白浜短歌会(10月の歌)の中よりゆったりとその身を風にゆだねつつ炎天に盛る百日紅は
2017.11.26
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後藤早苗の短歌(30) (注)後藤早苗は私の妻です(平成29年1月28日死亡)。 結社誌「賀茂短歌」より転載。 武勇伝 (19年.5月) 武勇伝であるかのように自らの手術のあとを見せあう患者 古き巣をつくろうツバメ古里と決めしわが家は心地良いのか ゆつくりと新聞を読み昼寝して四時間余りの透析終わる 施設へと帰りゆく子に新しき服着せやれば素直に喜ぶ 今日なぜか腰に痛みがあるわけは草刈機かと荒地が浮ぶ 蝮 (19年.6月) 図鑑見て蝮じゃないかと夫と言う我にかえって必死に殺す 落ちこんで出口の見えぬいらだちに友の笑顔のありがたかりき 長生きをするとうことは皆(みんな)にも迷惑かけると母うなだれる 秋蒔のカタログを見る楽しさに雨の一日気分爽快 一面に野の花咲ける農道を心でわびつつ刈り進みゆく
2017.11.26
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11月25日(土) 後藤人徳(瑞義)27年11月の歌(伊豆新聞より) 賀茂短歌会(11月の歌)の中より 歌人より詩人の方が苦しまん定型のなき不自由により 白浜短歌会(11月の歌)の中より カリュウムが増えると言いて透析の妻干し柿をわが手に返す
2017.11.25
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後藤早苗の短歌(29) 注)後藤早苗は私の妻です(平成29年1月28日死亡)。 結社誌「賀茂短歌」より転載。 僧侶 (19年.3月) 福寿草咲き始めれば庭草も伸び始めたり農の初めと 水分量栄養面も満点と医師にほめられ足どり軽き 村中が総出で山を焼きたりし昔なつかし山菜もありき 荒行をするとう僧侶の腹たるみ色白くして筋肉もなし よく見れば毛の抜けている狸なり山になにかの異変がありや 野火 (19.4) パトカーがサイレンの音ひびかせて通りてゆけば顔こわばらす バリバリと音たて野火が山頂に昇りゆきたり人々拝ませ もう少し暖かくなるまで待ちてみる種をまかんとはやる気押さえ よろこんで食べし子供ら離れゆき野菜作りの楽しさ減りぬ 畑ゆけばいつも同じのヒヨドリに逢いたりここの主のごとくに
2017.11.25
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後藤人徳(瑞義)27年12月の歌(伊豆新聞より) 賀茂短歌会(12月の歌)の中より ふかぶかと腰折りお辞儀する小学生神事の席に見て驚けり 白浜短歌会(12月の歌)の中より 「人生は晴れの日ばかりでありません」雨の降るなか祭り始まる (つづく)
2017.11.24
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後藤早苗の短歌(28) 注)後藤早苗は私の妻です(平成29年1月28日死亡)。 結社誌「賀茂短歌」より転載。 作品展 (19年.1月) ひよどりやうぐいす目白雉も鳴き吾住む家のにぎやかな朝 千両に万両南天ひよどりの餌の豊富なわが家の庭よ 他の鳥をよせつけないぞひよどりか千両万両みな啄めり 気を使うことなど知らぬ自閉児がいただきものをその場で開ける わけもなくつかれてしまいぬ陶芸の作品展に感想言いて テレビ (19年.2月) 新年のお笑い番組飽きたればテレビを消して夜の音聞く 食べものを捨てる事など無かりしに夫と二人の食事は残る 罰金を払いてまでも産みし子を日本のわが子に嫁がす親は 甘栗の皮むきやれば気に入らず自分でむくと自閉の吾子は 言葉では言えない吾子が手ぶりにて長袖のシャツを買ってとねだる(つづく)
2017.11.24
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十一月号歌評(同人誌「賀茂短歌」11月号)下書き 後藤瑞義 頬被りして立つ案山子の二人連れ暑き夏逝く日も近かからん 原 明男 (評)この作品は多分九月の初めころ作られたかもしれません。最近稲刈りが早くなりました。「頬被りして」あたりの細かい描写に、日差しの強さを避ける感じを受けました。そして、その感じが下の句の「暑き夏逝く日も近かからん」と響いていると思われます。「案山子の二人連れ」もこれから実りの秋となり、稲刈りを迎えるご夫婦の姿、あるいは作者ご自身の姿を投影しているかもしれません。もちろん、案山子は作物を害する鳥獣を追い払うためのものです。案山子の二人連れというのも特色があるでしょう。 むくげ咲き百日紅のゆれているこの庭歩みし子の足の音 鈴木菊江 (評)「むくげ咲き百日紅のゆれている」まさに、夏真っ盛りの感じがします。生命の滾(たぎ)ちみたいなものを感じます。そうした活気のある庭を、活動的に歩いていた息子さんの足音が今年は聞こえない。「歩みし」の「し」、過去回想の助動詞「き」の連体形、「この庭を歩んでいたなあ」と言った感じでしょう、この「し」がよく効いていると思いました。今年御子息を亡くされた作者です。しみじみとした思いが伝わって来ます。 来月の歌会までお元気にと握る師の御手あたたかかりき 黒田幸子 (評)この歌は、何時作られたのでしょうか。あるいは、渡辺さんがお亡くなりになって葬儀のおり、御遺体にちょっと触れられたのでしょうか、そんな空想もしながら味わいました。師と仰ぐ渡辺さんが来月の歌会でまたお会いしましょう、それまでお元気でと言われて作者の手を握ってくれた、その時の渡辺さんの手が温かかったなあ、それなのに…。この歌も過去の回想の助動詞「き」がよく効いていると思います。「来月の歌会までお元気に」は作者の言葉かもしれませんが、百六歳の渡辺さんへの言葉としては、付きすぎるような気がして、渡辺さんから作者への言葉として鑑賞しました。 十月の箱根路色づく樹々もなく走りすぐのみ記憶をたどり 藤井美智子 (評)十月の箱根、さすがにまだ紅葉の時期ではないのでしょう。「十月の箱根路色づく樹々もなく」がそれです。作者は車を走らせているようです。紅葉の時期だったら、気を紛らわせることが出来るんだが、といった思いがあるように感じました。それというのも、作者は箱根が不案内のようです、記憶をたどりながら車を走らせているようなのです。殺風景な景色、それに不案内な道、いやがうえにも不安がつのってくる作者ではなかったでしょうか。 「死ぬまえに一目会いたい」果たせぬまゝに百六歳閉し在す 小池美恵子 (評)上の句、カッコ書きしてあるので、実際に話された言葉なのでしょう。そうしますと、誰の言葉でしょうか。普通は作者の言葉と考えます。しかし、独り言とか心の言葉なら分かりますが、百六歳の渡辺さんに直に話した言葉としたら、ちょっと違和感を感じたのです。そこで、これは渡辺さんが作者に言った言葉であろうと推察しました。電話をした時などに渡辺さんから言われたのではないでしょうか。渡辺さんも作者同様に、あるいは作者以上に「死ぬ前に」作者に会いたかったのかもしれません。そう考えますと下の句の作者の無念の気持ちが一層切実に感じられます。「在す」は「まします」と読むのでしょう。 「きみちゃん」と呼んで下さる師は遠く思い出の中さびし過ぎます 鈴木きみ (評)渡辺さんは作者が小学校三年生のときの恩師ということです。その当時も作者は「きみちゃん」と呼ばれていたのでしょう。作者は歌会の席上でも「きみちゃん」と渡辺さんから呼ばれていました。作者は、渡辺さんから「きみちゃん」と呼ばれるたびに、小学校三年生に返ったような、懐かしい感じがしたのではなかったでしょうか。その渡辺さんが亡くなられました。「師は遠く」がその辺の事情を書いているのでしょう。歌会の時に会うことが出来ていた渡辺先生と永遠の別れをすることになった作者です。「思い出の中さびし過ぎます」という作者の気持ちが胸に迫ります。 彼岸花髪さし飾り得意気な老いたる母のおしゃれ哀し 土屋文恵 (評)彼岸花は、確かによく見ると美しい花です。いや、怪しい美しさと言った方がよいでしょうか。彼岸花という名前もわざわいしているかもしれませんが、髪にさして飾ったりは一般的にはしないように思います。その彼岸花を髪にさして飾っている、それも得意気という言葉が出てきますと、ちょっと異様な感じを受けます。そこに「老いたる母」の現在の有様が偲ばれます。まさに作者の「老いたる母のおしゃれ哀し」ということでしょう。ことさら認知症などの強い言葉を使わないのが良いと思います。むしろ、お母さんが純粋な少女のような心になって、彼岸花の美しさを認めたようにも思います。そうしたことも、作者にとっては、「哀し」に入る心持ちかもしれません。
2017.11.23
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後藤人徳(瑞義)28年1月の歌(伊豆新聞より)賀茂短歌会(1月の歌)の中よりめらめらとたぎる炎よ怨念を焼き尽くしませ和平の世へと 白浜短歌会(1月の歌)の中より 天に向け両手を高くひろげおり八つ手も平和求めているか
2017.11.23
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後藤早苗の短歌(27) (注)後藤早苗は私の妻です(平成29年1月28日死亡)。 結社誌「賀茂短歌」より転載。 老夫婦 (18年.12月) カマキリの卵の有りて洋ランを部屋に入れるをためらいている 畑の隅芋掘り終えし老夫婦無言のままに緑茶飲みおり 通院の服を選びてうれしそう九十五才の母の外出 施設へと帰りゆく子の手の爪を切りつつ言えりきれいな手だと 吾子逝きて二十七年過ぎたれど初めてはきしくつ捨てられず 梅 (18年.3月) 掲載もれ 三年間ねかせた梅の蓋を開け無事な中身を見るはうれしき 雨音にヒキガエルの声まざりいて卵生む場所捜しているらし まだ寒き二月の夜を鳴き継いて子孫残すとカエルの雄雌 その歌に死ぬことなどは思わせずある日突然逝きしなかさん 子の仕事決まればやたら嬉しくて掃除しながら鼻唄うたう
2017.11.23
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よみうり文芸 入選歌 一歳に父失いし渡辺さん百六歳の命さずかる 下田市 後藤瑞義(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十一月二十二日 入選 秋山佐和子 選)
2017.11.22
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11月22日(水) 後藤人徳(瑞義)28年2月の歌(伊豆新聞より)賀茂短歌会(2月の歌)の中よりじいちゃんとはわがことなるかじいじいと呼ばるるたびにあたり見回す 白浜短歌会(2月の歌)の中より枯れるのもいいものだよと言うようにススキは風に輝き揺れる
2017.11.22
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後藤早苗の短歌(26)(注)後藤早苗は私の妻です(平成29年1月28日死亡)。結社誌「賀茂短歌」より転載。 きじ (18年・10月)吾が行けば慌てて逃げし雉の子がいつしか親と同じ大きさ発芽せし大根の根が地中にと伸びているだろ恵みの雨にくちなしの木の葉無くなると思いつつ巨大な青虫殺せずにいる西の空青空見えてきてこの雨もすぐに止むらし日照りが続く 遺伝子 (18年.11月)彼岸花の根の毒抜きて食べしとう昔の人はいかに食べしか柿の木の隣りに鶏小屋作ったらなぜだか柿がならなくなった今頃は機上の人となりていむ嫁の国なる中国めざして二週間の帰国を終えて帰りくる息子夫婦の声は明るくだんだんと夫の頭に似てきし子憎らしきかな遺伝子というもの
2017.11.22
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11月21日(火) 後藤人徳(瑞義)28年3月の歌(伊豆新聞より) 賀茂短歌会(3月の歌)の中より まじまじとわれを見つめて幼子がどうして頭に毛がないか問う 白浜短歌会(3月の歌)の中より 孫どもの眠りに付きしひと時よこの安らぎを知らず過ぎにし
2017.11.21
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後藤早苗の短歌(25) (注)後藤早苗は私の妻です(平成29年1月28日死亡)。 結社誌「賀茂短歌」より転載。 翁 (18年・8月) 一人居の翁の作りしうるち米子等に送りてわれにも届く 気が付けば西瓜畑に足が向く人が見たなら笑うだろうに 充分に食べて残せるビワの実にカラス群るもおおらかにいる 若きらに梅干漬けるも少なくて実は黄色くなりて地に落つ 気にかかる子を持つわれと子の居らぬ友と胸の内はきだす昼食 迎え火 (18年・9月) 迎え火の意味も知らずに自閉の子新聞ちぎりはしゃぎてくべる 一歳で逝きたる吾子の仏前に縁者の供物ありがたく受く かすれたる声にて経を読む和尚われと同じの悩み持つらし 地割れせし畑潤い息をつく台風でもいい雨さえ降れば 朝顔がようやく軒に届きたり九月に入り秋風吹く頃(つづく)
2017.11.21
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後藤人徳(瑞義)28年4月の歌(伊豆新聞より) 賀茂短歌会(4月の歌)の中より 俺のごとなってみろよと津波にも負けず残れる一本の松 白浜短歌会(4月の歌)の中より 年だから妻は言えどもそのうちに産むよと言いて鶏(とり)に餌やる
2017.11.20
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後藤早苗の短歌(24) (注)後藤早苗は私の妻です(平成29年1月28日死亡)。 結社誌「賀茂短歌」より転載。 鯖 (18年・6月) むきだしの鯖を一匹手に下げて友は釣ったとわれにさしだす ホトトギス アヤメ カンゾウ 植えぬのにいつしか庭を賑わしている 先へ先へとあせる気持を押えつつ丁寧にといい庭の草抜く チイチイチイすずめは庭で騒ぐけど吾は気持が沈んでいるよ ナス トマト キュウリにゴーヤさつまいも予定通りに植え終りたり 梅の実 (18年・7月) 争いの種つきぬらし一人辞め二人辞めてもまだ納まらぬ 巣の縁につかまり羽ばたきするつばめ明日の朝には居るのだろうか 梅の実の豊作なれば五十キロ取ったあたりでうんざりしてくる 体中の力の抜ける思いにて胸のつかえの憂が目が消える 昼も夜も地面の中では変わらぬかわが足元でもぐらうごめく
2017.11.20
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後藤人徳(瑞義)28年5月の歌(伊豆新聞より) 賀茂短歌会(5月の歌)の中より 言い過ぎを悔む言葉が何回も闇にうごめき寝返りをする 白浜短歌会(5月の歌)の中より 何歳か何という名か原爆に焼かれなりたり炭のごとくに
2017.11.19
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後藤早苗の短歌(23) (注)後藤早苗は私の妻です(平成29年1月28日死亡)。 結社誌「賀茂短歌」より転載。 娘 (18年.4月) 夜九時に電話をすれば仕事中と声をひそめて用事を聞く娘 厳しかる冬をこもりて過ごいる身はギコギコと錆たる機械 食べ終えて羽ずくろいなどする鶏(とり)を横目で見つつ庭の草取る 豊作がすぐ目の前に見えていて直径一センチの梅の実ながめる 寒いから部屋に入れと言いやれば母は子供のように従う 時計 (18年.5月) 久々に時計を持ちて出かけむと見れば確かな秒針きざむ こんなにも多くの人が集りて桜の花に癒されている 垢こすりでこすれば白き垢の浮く新陳代謝はまだまだ活発 春休み終えて施設に明日帰る吾子は黙して布団に入る パンのみに生くるにあらず花により生かされているわれかと思う
2017.11.19
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11月18日(土) 後藤人徳(瑞義)28年6月の歌(伊豆新聞より) 賀茂短歌会(6月の歌)の中より 「叫び」の絵の耳をふさぐはしばしばもわが子施設の子らの仕草ぞ 白浜短歌会(6月の歌)の中より 存在を際立たせしか輪郭をくっきり黒く描けるルオー
2017.11.18
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後藤早苗の短歌(22) (注)後藤早苗は私の妻です(平成29年1月28日死亡)。 結社誌「賀茂短歌」より転載。 鶏 (18年.1月) 一日に卵一個を生み落しあとはさわいでいるだけの鶏 烏さえ食べきれぬ程たわわなる寒村の柿絵として楽しむ 病院が景気良くても困るけどボーナスでないとナースが暗い 目に見えぬ風を形に落葉舞う谷は祭りのごときにぎわい 鳥さえも食べぬ柿なり葉の落ちし枝にしなびて風を受けおり 柿 (18年.2月) 不自然に柿がしっかり木に残り追われるように年は明けたり 鉄骨を減らして経費浮かせしも会社は資産ゼロというなり 逢いし事一度なれども面影は今もしっかと胸に残れり 退職をせし子の先が見えずとも前見ていよう子供信じて 職ありてつらいつらいと言いおりし職退き明るい今の子がいい
2017.11.18
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11月17日(金) 後藤人徳(瑞義)28年7月の歌(伊豆新聞より) 賀茂短歌会(7月の歌)の中より 登り坂中学校へ通う道いま栗の花匂いておらん 白浜短歌会(7月の歌)の中より 日々卵を産みくれし鶏(とり)ケダモノに食べられたれば小屋のみ残る
2017.11.17
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後藤早苗の短歌(21) (注)後藤早苗は私の妻です(平成29年1月28日死亡)。 結社誌「賀茂短歌」より転載。 翁 (17年.11月) 明日扱(こ)くと言いし翁の干し稲に無情の雨が冷たく当る 亡き叔父の葬式なるに久に逢う親族集いてにぎやかにいる 教え子のわがわかるかと思いつつ会釈をすれば笑顔の恩師 朝露にしっとりぬれて眠りいる野菜を朝日やさしく起こす 汗をかき働くわれを鳥小屋の鶏達が並んで見ている 満腹 (17年.12月) さつま芋一個で満腹するほどにわが胃小さくなりてしまえり さつま芋いろいろ種類はあるけれど人参芋とう黄の芋が 施設より帰り来る子よわが家がそんなに良いのかこの父母(ちちはは)が やっかいな患者が来たと言いそうに透析ですかと歯科医師の問う 満開の菊をながめてなぜか急に墓まいりなど行きたくなりたり
2017.11.17
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11月16日(木) 後藤人徳(瑞義)28年8月の歌(伊豆新聞より) 賀茂短歌会(8月の歌)の中より ケダモノの通りし跡の残るほど休耕田に雑草繁る 白浜短歌会(8月の歌)の中より 茹で蛸のように真赤に塗られいる伊豆半島はあしたも猛暑
2017.11.16
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後藤早苗の短歌(20) (注)後藤早苗は私の妻です(平成29年1月28日死亡)。 結社誌「賀茂短歌」より転載。 新妻 (17年.9月) 新妻と同じ部屋にてねむる息(こ)にもはや吾の居る場所は無かりし 帰省の息もてなし一緒に食べあさりもとの食事にもどる安らぎ 自閉児の弟を持つ姉兄の互に伴侶を見つけしよろこび 自閉児の弟居るをどのように知りしか彼女は三郎と呼ぶ 台風の過ぎ去りし朝何事も無きかに蝉が声をはりあぐ 遠き日のわれを見ている思いにて挨拶をする息子(こ)の嫁を見る (朝日歌壇「静岡版」 青野里子選 入選) 台風 (17年.10月) ジョウロを持ち畑に行けば野菜達の悲鳴聞える早く水をと 台風の目に入りたる静けさを思わせ今日は選挙投票日 なすトマトいまだに実る秋彼岸真夏おもわす暑さは続く 一定の距離おき後を来るチャボを抱こうとすればすばやく逃げる 吾を避けているかもしれぬとふと思う休日出勤の夫送りて (朝日歌壇「静岡版」 青野里子選 入選)
2017.11.16
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11月15日(水) 後藤人徳(瑞義)28年9月の歌(伊豆新聞より) 賀茂短歌会(9月の歌)の中より コンクリの上を歩けるわが影の陽炎となりゆらめいている 白浜短歌会(9月の歌)の中より 陽の光避けて日陰に入るとき影なるわれの姿消えたり
2017.11.15
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後藤早苗の短歌(19) (注)後藤早苗は私の妻です(平成29年1月28日死亡)。 結社誌「賀茂短歌」より転載。 ニート (17年.7月) 今風に言えばニートか若き日のわれ家事手伝いと働かざりき 名のあとにバカをつけられ呼ばれいるくやしくないのか怒れと思う 孵りたるウコッケイの雛五羽のうち四羽が雄と今朝わかりたり 倒産とう憂目にあいて手放されこわされていく哀れなるかな 八十路超え腰を病みたる媼(おうな)なり治るを信じ芋苗植えおり 横田さん (17年.8月) 穏やかな性格ならむに横田さん声を荒らげて拉致事件言う 帰宅日に合わせるように色づきしトマトを吾子が喜びて食む カタログに最高の味と書きありしトマトの初成り舌でころがす 午前中畑の草取り午後からは庭の草取り今日の予定は くちなしの花の名前に物言わぬ自閉の吾子を重ねてみたり
2017.11.15
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11月14日(火) 後藤人徳(瑞義)28年10月の歌(伊豆新聞より) 賀茂短歌会(10月の歌)の中より 頭上にはサルスベリ咲き地上にはサルビアの咲く赤あかとして 白浜短歌会(10月の歌)の中より 稲田にも電柵回し守りおり山と里との区別なくなる (つづく)
2017.11.14
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後藤早苗の短歌(18) (注)後藤早苗は私の妻です(平成29年1月28日死亡)。 結社誌「賀茂短歌」より転載。 春の日 (17年.5月) 春の日に庭草いっきに伸び始めパンジー ガーベラ隠れて見えず この辺にダリヤが植えてあるはずと雑草かきわけ芽生えをさがす 庭の木も光求めて伸びおるをわれの好みに枝打ちをする 目の見えぬ人の前にて不覚にも桜きれいとはしゃいでいたり 時間給で必死に働く若者に明るい明日があるとも言えず 梅の実 (17年.6月) 梅の実がふくらんできて早や五月もうあと少し落ちずにいてね 看護士の血圧計るしぐさにも個性がありて性格を知る 何日も餌も食べずに卵だく鶏が吾を威嚇してくる 古布団を買うとう男来たりけりだまされまいぞとわが身構える 腰痛を病みたる媼のキャベツ畑出荷の時期にはぜていきたり
2017.11.14
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白浜短歌会十一月歌評(十一月十五日)下書き A子 庭のヤシ風にさそわれゆれ動く上下左右にゆかいそうなり 肌寒く家の中にて日向ぼっこ我は幸福ゆっくり休養 1. 前月も「庭のヤシ」が出て来ました。高齢の作者、あまり外出が出来ない環境で、庭を眺めるのは貴重な息抜きになっておるのでしょう。上下左右にゆれるヤシの葉を見ている作者は、ヤシの葉がゆかいそうに動いているように感じたのでしょう。ここに特色を感じました。作者は高齢で思うように体が動かないということを聞いています。それにひきかえヤシの葉は自由自在に動いているのです。 参考:ヤシの葉は風にさそわれゆれうごく上下左右にゆかいそうなり 2.朝夕肌寒くなってまいりました。作者も「肌さむく家の中にて」がそれを示しています。たぶんガラス窓のある部屋で、ガラス越しの光で日向ぼっこをしている作者の姿が浮かびます。外は肌寒いのですが、窓を閉めた家の中はぽかぽか温かいのでしょう。体の自由がきかないので、外に出られないわたしだけれど幸福ですよ、ゆっくり休養が出来ますと言っているようです。その前向きの考え方に拍手を送りたいと思います。 B子 吹き荒れる風にふるえるこんな夜は少し濃い目の水割り飲まむ キューバでもバクハツしてたストーンズは生きながらしてレジェンドとなる 1.これから「水割りを飲まむ」がいいか、今「水割りを飲む」(飲んでいる、あるいは飲んだ)がいいか。前者のほうが、不安な感じは出るように思いました、これでいいと思います。「ふきあれる」、「かぜにふるえる」の「ふ」の繰り返しが自然でよかったと思います。特に「ふるえる」の言葉がよいと思いました。 2.「ストーンズ」:ローリング・ストーンズと作者の注記があります。ローリング・ストーンズはイギリスのロックバンドの名前です。 「レジェンド」:「伝説」を意味する英語です。転じて、事績が伝説として語り継がれる偉大な人物を指します。音楽やスポーツにおいてもレジェンドという言葉がしばしば用いられているのを耳にします。 「キューバでも」の「でも」が意味があるのでしょう。あのキューバ、社会主義国家のキューバにおいても爆発的に歓迎されたのでしょう。彼らの音楽自体も何か爆発的な感じがします。キューバの音楽とは異質な感じがしますが、それでも歓迎されたところがレジャンドなのでしょう。 C子 新しい携帯設定惑わされ一日係りデーター移行 何事もパスワードやらアカウント先に進まずシニアイライラ 未来には顔認証でパスできる楽な登録夢でなくなる 1.携帯電話には親族や友人の住所等のデーターが入力されています。それは膨大な情報量となるのでしょう。作者は携帯電話を新しくしたようです。そうしますと、古い携帯電話から新しい方へ入力されている情報を移行しなければならないわけです。設定自体もあやふやな感じの作者でしょうか、四苦八苦してデータを移行している作者の姿が浮かびます。でもお一人でやっている作者は、素晴らしいと思います。 2.この作品は、前作に続いた連作でしょう。個人情報の保護のためにパスワードやアカウントなどを設定するわけです。設定したパスワードを忘れたりしますと、内容を見ることが出来なくなるわけです。あれや、これやの分からないことだれけで先になかなか進めない。「シニアイライラ」は、携帯電話やスマホのシステムについていけないシニア(高齢者)のわたしは、いらいらしてしまうといったことでしょう。 3.機械化が進んだ現代、個人確認のために、暗証番号とかパスワードが必要となるのです。作者は「未来には顔認証」で、暗証番号とかパスワードが必要ない時代が来ると言っています。中国などはすでにかなり進んでいまして、顔認証がかなりの部分に採用されている様です。指紋認証なども現在行われているようです。自分の顔を機械に見せるだけで暗証番号とかパスワードが不要で、簡単に個人確認の出来る夢のような時代がすぐそこに来ている様です。作者はそれを待ち望んでいるのでしょう。 D子 掃いて又風に押されて枯葉舞うなんとかしてよと空をみあぐる デーの日は忘れぬよういとポケットの鍵たしかめてチャックをしめる 秋の虫バッタをおえば羽根広げいかくするごと我をおどせり 1. 庭でしょうか、落葉を掃いている作者です。しかし、今日は風が強いのでしょう、掃いてる先からつぎつぎと枯葉が降って来るのでしょう。「なんとかしてよと空をみあぐる」はよく気持ちが分かります。まして、九十歳を越している作者にとってはなおさらです。 2. 「デーの日は」のデーは、デイサービスのことでしょう。デイサービスに出掛ける日は、戸締りをしてゆくのでしょう。ですから、帰って来て鍵がなければ家に入れなくなります。「鍵をたしかめチャックをしめる」、それは過去に失敗したことがあるようにも感じました。ひとつ、ひとつ確かめながら用心深く生きて行くしかないということでしょう。 3. 今は、秋、道を歩いているとバッタがいたのでしょう。「バッタをおえば」というのは、バッタが珍しく、あるいは、子供の頃に返ってバッタを取ろうとでもしたのでしょうか。突然バッタが立ち止まって、羽根を広げて作者を威嚇したのでしょう。バッタも必死なのでしょうが、しょせん小さな虫です、いかに作者が年寄りだとしてもとても太刀打ちできるわけもありません、それなのに「我をおどせり」です。バッタに対して哀れさを覚えた作者ではなかったでしょうか。 E子 サンマ寿司一年待つ人いてくれる母に守られ姉妹で作る 一輪の小菊かびんにさしたれば華やぐ部屋に一人にんまり 1.歌の内容は、この通りだと思います。そして作者の思いもそこにあるのだと思います。サンマ寿司を待っている人がいる。そのサンマ寿司は、亡きお母さんからの直伝の味なのでしょう。コメントに30本とありました。それを、姉妹で作ったということです。これだけの材料をどう詩に、あるいは歌にするかが次の段階だと思います。そうしますと、このままだと内容(材料)が多すぎますので、削ることになるのです。原作でも作者の思いは作者自身には、表現出来たという満足はあるのでしょう。 参考:美味しいと待つ人あればサンマ寿司三十本を今年も作る :母親の直伝なりしサンマ寿司三十本は待つ人のため 2.この歌もこの通りだと思います。作者としてみれば、してやったりと一人悦に入っている姿が浮かびます。こういう歌い方、表現の仕方、自分自身の現在の状態(にんまりしている状態)を読者に伝える歌い方もあるとは思います。ただ、発表する歌は読者が気になります。ですから、自分が喜ぶのをおさえて、読者が喜こび、感動する歌を作りたいと思うのです。 参考:庭に咲く小菊一輪さしたればさみしき部屋も華やいで来る F子 健やかに生まれし喜び嬰児の五指に触るれば涙こぼれる 亡き母のおもかげ鏡に写しつゝ出かける前の身支度をする 新春のよそほい新たに挨拶をかわしうからの心と結ぶ 1.お孫さんですか、健やかにお生まれになりました。作者の喜びの姿が浮かびます。その乳飲み子の五本の指にふれると、作者は突然涙がこぼれたのでした。赤子のぷっくらとした、けがれを知らない手にふれた作者、自分の命がしっかりと引き継がれたような感動を得たのではないでしょうか。 2.作者はどこかへ出かける支度をしていました。鏡に写して身支度をしていたのでした。ふとよく見ますと鏡に映っているのは亡き母おもかげでした。それほど作者は亡きお母さんの顔に似ていたのでしょう。この歌は、なにかしみじみとした、悲しみが感じられました。「出かける」、どこに出かけるのでしょうか、この言葉が私の心に深く響いたのでした。まるで、お母さんのところへ出かけるような、そんな思いがよぎったのでした。 3.新年詠です。よろしいのではないでしょうか。今まだ11月、新年詠を作るとしたら、このようになるでしょう。「うからの心と結ぶ」という言葉に作者の気持ちが出ていてよいと思います。 百舌の声 原 明男 台風の事なく過ぎて今朝の秋こころも澄める百舌の高啼き 街路樹の落葉を攫ひカタカタとシャッター通りの気掛かりな風 ほつほつと紅点(さ)しそむるさ庭にも予兆なるべし老梅の春 1.今年は、10月後半に21号、22号と台風が立て続けに来ました。しかし、幸いに伊豆地方は無事に過ぎたのでした。「台風の事なく過ぎて」がこれです。台風一過の空は澄み切っていました、「今朝の秋こころも澄める」がこれでしょう。結句「百舌の高啼き」の飛躍が難しいですが、作者の感覚は秋も過ぎもう初冬の感じがしたのかもしれません。それが「百舌の高啼き」だったように感じたのです。 2.「シャッター通り」を歌っています。多分下田市内の風景だと思います。商売が立ち行かなくなって店を閉めた、廃業した店がシャッターを下ろしているわけです。一つの通りに何軒もシャッターを下ろしている、いわゆるシャッター通りなわけです。そこに折しも街路樹の落葉を攫うように風が吹き抜けるわけです。その風を作者は「気掛かりな風」としています。それは、自然詠から社会詠に移ったことを意味しているでしょう。こんなことが続いて、今後この街はどうなって行くのだろうか、という作者の憂いが余韻として残るのです。 3. 新年詠です。ほんのりと、紅をおび始めた梅の花を詠んでいるようです。それは、作者の庭にある梅の老木の花のようです。「老梅の春」に作者自身の春を迎える喜びがあふれているようです。
2017.11.13
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11月13日(月) 後藤人徳(瑞義)28年11月の歌(伊豆新聞より) 賀茂短歌会(11月の歌)の中より われのためどれだけ汗を流ししや日に焼け熱き父の墓石 白浜短歌会(11月の歌)の中より 障害者の自立促す法律よ子にもわれにもつよき圧力
2017.11.13
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後藤早苗の短歌(17) (注)後藤早苗は私の妻です(平成29年1月28日死亡)。 結社誌「賀茂短歌」より転載。 野菜 (17年.3月) 凍てつきし草原に朝日さし込めばピチピチ音して草が背伸びす 二月(きさらぎ)の冷たい雨にうたれつつみづみづとして野菜が育つ 学生の名札に京都の公家の名が書かれていたり縁(ゆかり)を思う 遅れてはならじと夜中に二度三度めざめたりけりラン展に行く日 大瀬崎 (17年.4月) 長きこと見たしと願し大瀬崎の真水の湖今拝みける 富士山の湧き水海を隔つ地に池を作りておごそかなりし どうしても竹は絶やそう地下茎を我亡きあとの庭を思えば 生き方を変える事などできなくて職業は主婦三十年過ぐ 子等の住む関東地方は大雪と今朝のテレビに何度も映る
2017.11.13
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後藤人徳(瑞義)平成28年12月の歌(伊豆新聞より) 賀茂短歌会(12月の歌)の中より わが混じるパン喰い競争取れざれば手を使えという声が聞こえる白浜短歌会(12月の歌)の中より障害のわが子と走るデカパンをしっかりつかみゆっくり走る
2017.11.12
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後藤早苗の短歌(16) (注)後藤早苗は私の妻です(平成29年1月28日死亡)。 結社誌「賀茂短歌」より転載。 木瓜 (17年.1月) 冬枯れの庭に真っ赤な木瓜の花見とれておれど一首も出来ず 別れたり仲良くなりたり若きらがわれの気持ちをやきもきさせる 柿 みかん リンゴにキウイこれみんなもらいものです師走はうれし 泣き顔も幼は可愛い地団太を踏みつつ母の後をおいゆく 吾子 (17年.2月) 子育ての頃はいとわぬ寒ささえ今は身にしむわずかな風が 春蒔きの畑の区画思うとき東京の子の顔浮びくる 帰宅する我を喜び騒ぎたつ鶏(とり)達にまず餌をやりたり 満面の笑みを浮かべて初孫の生まれるうれしさ兄嫁は言う 正月に帰宅せし娘はむぞうさに付き合いし人あると言いたり 押し入れの一部を占めてマットレス三十年間使わずにあり 朝二つ夜に一つの恋愛のドラマの筋が交ざったりする 草刈機の刃先に当たり冬眠の蛙が足をひきずりて行く おとずれる人も少なき家ならむものめずらしげに猫が吾を見る
2017.11.12
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鑑賞:歌集「悲しき玩具」(五十五)下書き 後藤瑞義 (注)歌の順序は歌集の順序によります。 家に帰る時間となるを、 ただ一つの待つことにして、 今日も働けり。 「家に帰る時間となるを、」、この一行目では、「家に帰る時間」がクローズアップされています。ただ、これだけですと、「帰る時間を忘れていた」のか、「帰る時間を気にしている」のか、「帰る時間を待っている」のか分かりません。二行目でやっとはっきりします。つまり、「ただ一つの待つことにして、」です。家に帰る時間となるのを、ただ一つの待つことにしているのです。「ただ一つ」という言葉が重く心に迫ります。 「待つ」にも色々あります。「春を待つ」「人を待つ」「便りを待つ」「時を待つ」といろいろ待つことがあります。そのなかで、「家に帰る時間となるのを」待つのです、それも「ただ一つ」そのことだけを待つというのです。そして、三行目に続くわけです。 「今日も働けり。」これで、作者の現在の置かれている状況が分かります。作者は、仕事をしているのです、それも自分の意に介していないような、たぶん苦痛を伴うような、肉体的なのか精神的なのか不明ですが、そうした仕事に従事しているのでしょう。 結句でわたしが注意したのは、「今日も」です。ただ「働けり」「働いており」ではないところです。 短歌は一行詩、瞬間の文芸、短歌に時間(期間)を入れてはいけない、そう教えられてきました。そういう観点から言えば、結句は「働いており」くらいになるのだと思います。「今日も」ということは、「昨日も」あるいは、「一昨日も」、一か月も、あるいは半年も、一年もかもしれませが、時間(期間)が入って来るのです。それだけ、重くなるように思われます。この歌では時間を入れたのは、成功しているように思います。ただ、安易に時間をいれると散文的になり、説明的になり、だらけてしまうと言われます。 啄木は作家志望でした、やはり、短歌にストーリーを導入したかったのでしょう。短歌を三行に分け、間(ま)を入れる、これ自体も時間を入れていることなのでしょう。そして、一つのストーリーを作りたかったのかもしれません。 家に帰る時間となるを、 ただ一つの待つことにして、 今日も働けり。
2017.11.11
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11月11日(土) 後藤人徳(瑞義)1月の歌(伊豆新聞より) 賀茂短歌会(1月の歌)の中より 施設にて正月迎えるわが息子せめてと床屋に連れて行きたり 白浜短歌会(1月の歌)の中より 施設にて今日も仲良く暮らせたか今宵も吾子を思い寝につく
2017.11.11
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後藤早苗の短歌(15) (注)後藤早苗は私の妻です(平成29年1月28日死亡)。 結社誌「賀茂短歌」より転載。 千筋 (16年.11月) 一人にて田植え稲刈りこなしおる翁の藁はズシリと重し 千筋をたくさん植えよう千筋をおいしいと言いて食む友あれば 友と行く明日の三島を思いつつ服を出したり数年前の 温泉に友とつかりてチラチラと体のくづれ互いにたしかむ 若き娘の前はだけさせ入りくるわれは隅にて小さく沈める 大根 (16年.12月) 大根が野菜売り場で得意げに二百九十円の値段つけおり つみあげし積み木のように崩れそうに母が寝ている小さくなりて 小さくて曲がりし母の背を洗うわれを守れる人なればこそ
2017.11.11
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11月10日(金) 後藤人徳(瑞義)2月の歌(伊豆新聞より)賀茂短歌会(2月の歌)の中より隣室の妻のテレビの音がするボリュームを上げ聴きているらし 白浜短歌会(2月の歌)の中より一子逝かしめ一子障害を持ちたるを受け入れし妻か安らかにあり
2017.11.10
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後藤早苗の短歌(14)(注)後藤早苗は私の妻です(平成29年1月28日死亡)。結社誌「賀茂短歌」より転載。 南瓜畑 (16年・8月) 除虫菊のこぎり草などのりこえて南瓜の蔓はひたすら伸びる 大変だカボチャの蔓が伸びてきたお花ばたけがねらわれている 無意識にスイカ畑に足が向く日ごとに大きくなりて楽しき 六畳のアパート住いに帰りゆく息子の部屋はそのままあるに 風も無く迎え火静かに燃えつきていつもながらの夕焼けを見る 鶏 (16年.10月) 芋畑たらふくたべたきじが二羽あたふたにげたりわれをおどかし 花博の花のやさしさ美しさまたも浮かべり一月(ひとつき)を経てもう何年卵を産まぬ鶏もペットと思ヘば可愛く見える 夫婦滝の婦滝の流れの枯れをるをわれとだぶらせあわてて打ち消す 放し飼いの鶏とんびに襲われてびっくり仰天足はすくめり (つづく)
2017.11.10
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後藤人徳(瑞義)3月の歌(伊豆新聞より) 賀茂短歌会(3月の歌)の中より妻われの空気のようになりており居ないと寂し息が苦しい 白浜短歌会(3月の歌)の中より 門灯の点りていたり透析より妻は今日早戻りいるらし (つづく)
2017.11.09
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後藤早苗の短歌(13) (注)後藤早苗は私の妻です(平成29年1月28日死亡)。 結社誌「賀茂短歌」より転載。 手親の会 (16年.6月) 障害児手親の会の総会は議論白熱結論は出ず ジーパンをすり切れさせて闊歩する若きら何を考えいるか 咲き盛る矢車草の陰に居てダリヤはしかと芽吹きていたり 早朝の電話に老いたる母浮び出れば安堵すここ数年は 買ってまで送ってくるなと吾娘の言う我は送ってやりたいものを 甘藷 (16年.7月) 甘藷にも種類は増えて年ごとに甘味の強いものが出回る 百本の芋さし終わるを待ちいしか雨降り始む梅雨の初めの トマトの芽欠いてる手もとちょろちょろと尻尾の切れたとかげが通る 今日も又朝食前の野菜採りついでに追肥もしたりし今朝は カボチャ畑受粉を助ける蜂見つけ思わず掛け声「ごくろうさま」と
2017.11.09
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