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渡辺幸一氏の短歌(3) (注)渡辺幸一氏はイギリス在住、第41回角川短歌賞を受賞しています。 掲載につきましては、許可を受けました。 渡辺幸一氏は、海外に住んでおられる人々の短歌を広く紹介されてお ります。自費で短歌誌「世界樹」を発行されておられることも、たい へん頭の下がることです。有難うございます。(ブログ作者) 冬霧(3) (2004年12月25日発行;世界樹 創刊号より) 西安で遣唐使井真成の墓誌が発掘された(五首) 刻まれし一生(ひとよ)を抱き千年の真闇を石の墓誌は眠りき 刻まれし百七十字が真成の一生を伝ふ千年を経て 夜はひとりあまたなる歌作りけむ母語の響きを愛ほしみつつ 千年を隔てて我も母国語で歌書きつげり異邦の夜に 人と国を常に分かちてわたつみは魔のごと蒼し深く透りて (つづく)
2019.03.31
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平成30年後藤瑞義入選歌(4)(賀茂短歌10月号から12月号) 自らの病のことは触れずして楽しと農事歌いたる妻 (読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月二十六日 入選 梅内美華子 選) 俗にして俗を越えたる見事さよ美空ひばりやドストエフスキー (読売新聞 読売歌壇 十月一日 入選 小池 光 選) 親として子へのパワハラあったかも若き日思うテレビを見つつ (読売新聞静岡版 よみうり文芸 十月十日 入選 梅内美華子 選) もう少し上だとばかり思いおり同年齢の希林さん逝く (読売新聞静岡版 よみうり文芸 十月二十四日 入選 梅内美華子 選) 横向きに浮んでいたる竹竿が渦にもまれて立ち上りたり (読売新聞静岡版 よみうり文芸 十月三十一日 佳作 梅内美華子 選) (評)竹竿が立ちあがるほどの強風が吹いた。横向きから縦になる、それは日常が非日常に変ったような瞬間。「渦にもまれて」も上手い。大型の台風が来た日のことだろうか。 台風を予感するがに沢蟹が用水路より這い上がりくる (読売新聞 読売歌壇 十一月五日 入選 小池 光 選) ふるさとの秋なつかしき穂すすきがあわだち草にまぎれずそよぐ (読売新聞 読売歌壇 十一月十三日 入選 岡野弘彦 選) コスモスはコスモスたちと群れている彼岸の花と少し離れて (読売新聞静岡版 よみうり文芸 十一月十四日 入選 梅内美華子 選) 縄文の人の通らぬ舗装路に椎の実あまた踏みしだかれる (読売新聞静岡版 よみうり文芸 十一月二十八日 佳作 梅内美華子 選) 隣地区は消滅したる老人会われらは名付く「みのりの会」と (読売新聞静岡版 よみうり文芸 十二月十二日 入選 梅内美華子 選) 叱ること多い親なるわれなるに施設に戻る日居たいと拝む (読売新聞静岡版 よみうり文芸 十二月十九日 入選 梅内美華子 選) もの言わぬ自閉症児わが子にも「いらっしゃいませ」と自販機が言う (読売新聞 読売歌壇 十二月二十四日 入選 俵 万智 選)
2019.03.31
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詩集「バタフライ効果」(32) 著者:金指安行(下田市在住、著者の第三詩集) 発行:二○一八年十一月三十日 発行所:ルネッサンス・アイ 発売元:白順社 散策 素直に尋ねられる時はうれしい その人が素直に答えてくれると知っているから 私の心の有象無象をさらって 風は林を通り過ぎていく あの人のように 話せるといい 雲のようにわだかまりのない人の言葉 ささやかな草木や獣の 想いさえ聞こえる耳と…… ああなるには人の心に どれだけ苦労が必要なのか ブナやヒメシャラの林を 何回通り過ぎればようのだろう 新緑の中をほつほつと 今日も幸せな人たちが行く 薄紅の米のような ほら、可愛らしいマメザクラの花が 林の奥深くで眠っている
2019.03.31
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3月31日(日) 北原白秋歌集(5) 中公文庫:日本の詩歌9(北原白秋)より 昭和49年十一月十日初版 「桐の花」(5) 銀笛哀慕調(5) 狂ほしく髪かきむしり昼ひねもすロンドンの紅(べに)をひとり凝視(みつ)むる 縫針(ぬひはり)の娘たれかれおとなしくロンドンの花を踏みて帰るも 馬鈴薯(ばれいしょ)の花咲き穂麦あからみぬあひびきのごと岡をのぼれば 黒鶫(くろつぐみ)野辺にさへづり唐辛子(たうがらし)いまし花さく君はいづこに 病める児(こ)はハモニカを吹き夜に入りぬもろこし畑(ばた)の黄なる月の出 (つづく)
2019.03.31
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3月31日(日) 「内村鑑三書簡集」(岩波文庫)より (注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。 明治35年より 世論の勢力 わたしは、いままで世間や世論を非常に恐れました。とても自分一人で世論や世間に立ち向かうことは不可能と思いました。この世論や世間に常に打ち負かされて、わたしは伸び伸びとわたしの心を表現出来ませんでした。しかし、キリストの教えを知り、人類を造りたまいし神様を知り、わたしは堂々と世間や世論に立ち向かう勇気を得たのです。それは、神様が世間や世論などより比較にならないほど偉大な存在であると知ったからです。そうです、わたしは神様に頼り世間や世論に打ち勝つことが出来たのです。さあ、どんな世間、どんな世論でもわたしの前に来るがいい、あなたたちの古い習慣や浅い道徳感など神様のひと言にも抵抗できないでしょう。わたしは神様に頼ることによって、世論や世間の力の及ばない場所に安住することが出来るのです。
2019.03.31
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後藤瑞義の短歌(351) 3月31日(日) 旧作備忘記録 18年1月28日(日) 霜解けのしずくをまとい枯すすきいま日差し受け輝いている 寒い日が続きようやく紅梅の花がほころぶわが家の庭に 冬山を覆える霧は日差し受けひかりの粒子のように輝く 清浄の霜の枯野に光さしいま復活の歌声がする
2019.03.31
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渡辺幸一氏の短歌(2) (注)渡辺幸一氏はイギリス在住、第41回角川短歌賞を受賞しています。 掲載につきましては、許可を受けました。 冬霧(2) (2004年12月25日発行;世界樹 創刊号より) 霧昏(くら)き街のはづれの書肆に入りキーツの古き詩集を買ひぬ たちこむる霧の闇より紅(くれなゐ)のバスあらはれて辻をよぎれり 霧降れば古き歩道の敷石がはつかに匂ふ冬は来にけり 戦力を神と崇めるアメリカに黒き狂気の深みゆく冬 人質の死を伝へ聞くイギリスの野の夕闇に揺るる秋桜(コスモス) 華麗なる孤独もあらむ老木はくまなく月の光を浴びて 報はれぬ少女の思慕のごと残る冬の朝(あした)の白き弦月 (つづく)
2019.03.30
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平成30年後藤瑞義入選歌(3)(賀茂短歌7月号から9月号) わが体作れるあまたの水たちよ水田のごと天を映せよ (読売新聞静岡版 よみうり文芸 六月二十七日 入選 梅内美華子 選) 自販機にのどのあたりをふるわせてぴったりカエルが貼りついている (読売新聞静岡版 よみうり文芸 七月十一日 入選 梅内美華子 選) 極楽はかくのごとしかゆりの花山一面に色とりどりに (読売新聞静岡版 よみうり文芸 七月二十五日 入選 梅内美華子 選) 透析の妻のノートに遺りおり心細さを訴える歌 (読売新聞静岡版 よみうり文芸 八月一日 入選 梅内美華子 選) マチス作「夢」の女性は妻に似てアンモナイトのように眠れり (読売新聞静岡版 よみうり文芸 八月八日 入選 梅内美華子 選) 機関銃の重さのごとき草刈機持ちて夏草薙ぎ倒しゆく (読売新聞静岡版 よみうり文芸 八月二十二日 入選 梅内美華子 選) 舗装路の上に止れる揚羽蝶足踏みすれど動くともなし (読売新聞静岡版 よみうり文芸 八月二十九日 入選 梅内美華子 選) 五百円硬貨握りて自販機へ釣銭の音好むこの子は (読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月五日 秀逸 梅内美華子 選) (評)大人が忘れた楽しみ方を子供は持っている。五百円硬貨を入れて買った後の釣り銭が落ちる音。それを面白がる無邪気さに、あらためて気づく作者。 壊れたる農作業小屋カタカタと屋根のトタンがめくれ鳴りいる (読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月十二日 入選 梅内美華子 選) 速ければいいのだろうか怪物と化したる新幹線の風圧 (読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月十九日 秀逸 梅内美華子 選) (評)技術が進歩し利便性を追っている。その裏には危険や不安があることを気づかせる歌である。作者の率直な疑問は「風圧」を「怪物」と感受し怖れている。
2019.03.30
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3月30日(土) 北原白秋歌集(4) 中公文庫:日本の詩歌9(北原白秋)より 昭和49年十一月十日初版 「桐の花」(4) 銀笛哀慕調(4) にほやかに女の独唱(ソロ)の沈みゆくここちにかなし春も暮るれば すずろかにクラリネットの鳴りやまぬ日の夕ぐれとなりにけるかな にほやかにトロムボーンの音は鳴りぬ君と歩みしあとの思い出 廃(すた)れたる園に踏み入りたんぽぽの白きを踏めば春たけにける やはらかに髪かきわけてふりそそぐ香料のごと滲(し)みるゆめかも
2019.03.30
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3月30日(土) 詩集「バタフライ効果」(31) 著者:金指安行(下田市在住、著者の第三詩集) 発行:二○一八年十一月三十日 発行所:ルネッサンス・アイ 発売元:白順社 遠い日 母は治るとばかり思っていたので、癌だとは言え なかった。仕事のない日、とおい病院に母を見舞 うと、隣の患者と話をしながら笑顔で鶴などを折 っている。これからは余生を楽しく……。そう思 っている矢先であった。しかしついに、地元の病 院へと移されて来た。そばに居てもほとんど助け にはならなかったが、私は毎晩のように母を見舞 った。……苦労を掛けたよ。有難う。そう心では 言ってみても、それを口に出せない私がいた。私 はただ見守っていた。もうモルヒネも効かないの であった。 死がま近かに迫った頃、頼みごとなどしなかった 母が私に一杯の水を求めた。私には有難かった。 母から求められることがとても嬉しく、いそいそ と立ち上った。母はそれを優しい眼差しで追っ てきた。迂闊にも私は後で気付いたのである。あ の時私に水を頼んだのは、最後の最後の親孝行の 真似事をさせることで、死後悔いるだろう私の気 持ちを楽にさせようとしたのではないか、と。 いつしか私も母親の歳を越えた。時を消す淡い淡 い雪のように、庭に梅の花が散っている。
2019.03.30
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3月30日(土) 「内村鑑三書簡集」(岩波文庫)より (注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。 明治35年より 聖霊降臨の準備 わたしは、たとえわたしが聖霊を求めても手に入れることが出来ないでしょう。しかし、この身に聖霊がおりてくるときの受け入れ態勢を準備することは出来ます。つまり、聖書を深く研究して、神様の語った言葉を自分の心で感じる努力をしたり、自分の行動に気をつけたり、自分の感情をつねに清く保ったりします。つまりは、神殿ともたとえられる自分の肉体を常に清めておくことです。そうして、いつ神様が降りてこられても良いように、わたしは常に準備をすることです。
2019.03.30
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後藤瑞義の短歌(350) 3月30日(土) 旧作備忘記録 18年1月26日(金) 雲の間のわずかな空に日は移りいまいっときの光差し来る 如月の開花の前の河津さくらいま西日受け枝輝けり 五時告げるチャイム響びかう街空は茜の色にいま染まりおり 何歳か何という名か炭のごとく焼かれていたり原爆により
2019.03.30
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渡辺幸一氏の短歌(1) (注)渡辺幸一氏はイギリス在住、第41回角川短歌賞を受賞しています。 掲載につきましては、許可を受けました。 冬霧(1) (2004年12月25日発行;世界樹 創刊号より) 故島田修二氏を思ふ(八首) まさびしき冬の花火を仰ぐなり逝きたる人を遠くしのびて 足を病む汝が三輪車の影曳きてかく美しき落日に遇ふ 島田修二 父と子は長く黙(もだ)してゐたりけり落ちゆく美(は)しき夕日見つめて 家族とふ苦き絆を哀しみて「花火の星」を読みつげる夜 あかときに暗く静もる楡の樹を未知の言葉のごとく畏れつ 我を呼ぶ死者のかそけき声と聞く梢に冬の風が騒(さや)げば 冬霧の奥処(おくど)に顕てる一人(いちにん)のやさしき死者と礼(ゐ や)交はすなり 端正に生きて逝きたる歌人(うたびと)の一生(ひとよ)を思ふ異邦の冬に 鋭かる言葉と精神(こころ)求めつつしばし真冬の星を見てをり (つづく)
2019.03.29
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平成30年後藤瑞義入選歌(2)(賀茂短歌4月号から6月号) 躓くは先を見るため足元を見つめて歩く一歩また一歩 (読売新聞静岡版 よみうり文芸 三 月二十八日 入選 梅内美華子 選) 北陸の友より受けし福寿草伊豆のわが家にその数を増す (読売新聞静岡版 よみうり文芸 四 月 四日 入選 梅内美華子 選) 芸終えるつど餌をやる調教師イルカの口もさりげなく開く (読売新聞静岡版 よみうり文芸 四 月十八日 佳作 梅内美華子 選) (評)イルカショーでは芸の合間にイルカの口に何かを与えている。ごほうびをもらうことが芸のモチベーションになるだろう。「さりげなく開く」口にイルカの賢さを見ている作者。 話し掛けてくれたる妻の亡くなれば水仙なども寂しかるらん (読売新聞静岡版 よみうり文芸 五月二日 秀逸 梅内美華子 選) (評)妻が先に旅立った悲しみと喪失感は日常のいろいろな場面でわいてくることだろう。早春の水仙の花を見ても思い出すのだ。花に「話し掛けて」いた妻。水仙に呼びかけるのは自身の寂しさである。 妻愛でし木蓮の花咲き始む空に向いて見てというがに (読売新聞静岡版 よみうり文芸 五月十六日 入選 梅内美華子 選) 倒れ伏す子象を鼻でなでながら叫び声上ぐ死を知るごとく (読売新聞静岡版 よみうり文芸 五月二十三日 佳作 梅内美華子 選) 一子の死一子の知的障害を嘆くことなく亡くなりし妻 (明治神宮春の大祭短歌大会 五月六日 佳作 岡野弘彦 選) 石のせてベンチに帽子置かれおり忘れたる人見つけたる人 (読売新聞静岡版 よみうり文芸 五月三十日 佳作 梅内美華子 選) (評)忘れ物の帽子、それが風にとばされないように石がのせてある。気づかう人の存在が見えて、作者は感心したのだ。ベンチに生まれた小さな物語。着目した歓声から歌が生まれた。 やわらかき葉におおわれる山々よわれも今日から始めんとする (読売新聞静岡版 よみうり文芸 六月十三日 入選 梅内美華子 選) 喜びを上手く伝えること出来ず自閉児わが子が強くつねれる (NHK伊香保短歌大会 六月十一日 特選 黒木三千代選 佳作 林田恒浩 選) (評)言語に問題があるお子さんが、「つねる」ことでお母さんに気持ちを伝えようとしています。「強く」つねるのは「喜び」が大きいのでしょう。子の母への信頼、母の子への深い理解が読者にも伝わってきます。
2019.03.29
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3月29日(金) 北原白秋歌集(3) 中公文庫:日本の詩歌9(北原白秋)より 昭和49年十一月十日初版 「桐の花」(3) 銀笛哀慕調(3) わかきひのもののといきのそこここにあかきはなさくしづこころなし ゆく春の喇叭(ラッパ)の囃子(はやし)身にぞ染む造花(つくりばな)ちる雨の日の暮 薄暮(たそがれ)の水路に似たる心ありやはらかき夢のひとりながるる そぞろあるき煙草(たばこ)くゆらすつかのまも哀しからずやわかきラムボオ けふもまた泣かまほしさに街にいで泣かまほしさに街よりかへる
2019.03.29
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3月29日(金) 「内村鑑三書簡集」(岩波文庫)より (注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。 明治35年より 勇気と責任 神様はこの国を必ず救ってくださるでしょう。そして、それをするために神様は海軍を必要としません、陸軍も必要としません、それは政府でもありませんし、議会でもありません。では何かといえば、それはわたしたちのような取るに足らない、言ってみれば塵芥(ちりあくた)のような者をもってするのです。サムエル前書十七章四十七節に「主は救いを賜るのに剣や槍を必要とはされないことを、ここに集まったすべての者は知るでしょう。この戦いは主のものですから。」と言われています。また、サムエル前書十四章六節に「主が勝利を得るためには、兵の数などは問題ではありません。」と言われている通りです。
2019.03.29
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詩集「バタフライ効果」(30) 著者:金指安行(下田市在住、著者の第三詩集) 発行:二○一八年十一月三十日 発行所:ルネッサンス・アイ 発売元:白順社 死語 その主婦は アンケートを読み上げる私を 横に立って眺めていたが 「あなた 東京の方?」と言った 「いえ、でも近くですが」 「懐かしいわ いつもこちらの言葉に囲まれていて 久しぶりに向こうの言葉を耳にしたから…」 ここに来て何年かが経ったのだろう 異郷の空で偶然 同郷の言葉に出会った明るい主婦の心が 肌の温もりのように伝わってきた …しばらくは話していたい 私もまた田舎から出て来たばかりの ホヤホヤの学生だった 卒業してから故郷に帰ると にわか仕込みの京都弁は瞬く間に消えて行った 塩のきいた言葉の前では メッキを施された余所行の言葉など 宙に浮いた空言となった 習慣や人情、生業 それらが飲み水のように胃腸を慣らした そして 疲れて 深夜にひっそりと寝入る前など 父や祖母の使っていた言葉が 肉声となって不意に蘇ってくるのである シャボン ギヤマン おぬし あるいは人がなくなった後の追憶話に よく祖母が使っていた あの「モウチない」は 毛血無い、あるいは毛知、毛値 だったのか 時を失った祖母の遺影は ただ黙って 私を見降ろしているばかりである
2019.03.29
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後藤瑞義の短歌(349) 3月29日(金) 旧作備忘記録 18年1月25日(木) 花遅き梅の枝枝霜どけのしずくをつけて輝いている 単純に光を返し輝ける凪ぎたる海の静かなる音 海沿いに咲きたる椿よく見れば花もその葉もひび割れている どう見られるかでなくしてどうするかそのまんま東氏今後問われる 自販機でジュースを買うを覚え子は紙幣ではなく硬貨欲しがる
2019.03.29
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平成30年後藤瑞義入選歌(賀茂短歌1月号から3月号) 紅葉をしたる山々うるおいて湯気のごとくに霧立ちのぼる (読売新聞静岡版 よみうり文芸 一月十七日 入選 梅内美華子 選) 生きること罪と思うや死を望む若き女性のいくたりもいる (読売新聞静岡版 よみうり文芸 一月三十一日 入選 梅内美華子 選) 穂を飛ばし役目果ししススキらは枯れたるその身風に躍らす (読売新聞静岡版 よみうり文芸 二月 七日 入選 梅内美華子 選) 富士を背にくらげがあまた浮けるごとパラシュート隊訓練続く (読売新聞静岡版 よみうり文芸 二月二十一日 秀逸 梅内美華子 選) (評)自衛隊の演習を見ている。パラシュートの傘の広がりを「くらげ」にたとえて、異様感を表現している。富士山とたくさんの「くらげ」の出会いはシュールだ。 「ただよふ」を「ただ酔ふ」などと解したり酒好きわれを許せ牧水 (NHK全国短歌大会 一月二十三日 佳作 三枝昂之 選) 結構に話し相手をしてくれる今年小学二年の女孫(めまご) (読売新聞静岡版 よみうり文芸 二月二十八日 入選 梅内美華子 選) 少しずつ葉を重ねゆく白菜よわれが初めて植えし白菜 (読売新聞静岡版 よみうり文芸 三月十四日 入選 梅内美華子 選)
2019.03.28
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3月28日(木) 北原白秋歌集 中公文庫:日本の詩歌9(北原白秋)より 昭和49年十一月十日初版 「桐の花」(2) 銀笛哀慕調(2) ゆく水に赤き日のさし水ぐるま春の川瀬にやまずめぐるも 白き犬水に飛び入るうつくしさ鳥鳴く鳥鳴く春の川瀬に 黒耀(こくえう)の石の釦(ぼたん)をつまさぐりかたらふひまも物をこそおもへ あまりりす息もふかげに燃ゆるときふと唇(くちびる)はさしあてしかな はるすぎてうらわかぐさのなやみよりもえいづるはなのあかきときめき(つづく)
2019.03.28
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3月28日(木) 「内村鑑三書簡集」(岩波文庫)より (注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。 明治35年より 智識の霊 聖霊、これはまたの名前を知恵と識別の霊とも言い、また思慮と勇気の霊とも言います。(イザヤ書十一章二節)。わたしは、この聖霊によって、自分の罪悪を認め、心を浄め、救いを全うするだけではなく、これによりすべての物の仕組みを探究し、神様の奥深い真意を探究します。そして、聖霊は宗教の精神であるとともに科学や哲学の精神でもあることを知ります。主を畏れることは知恵の初めと言われます(箴言一章七節)。真理の探究はそのすべての方面において聖霊の手厚い援助を必要とするのです。
2019.03.28
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3月28日(木) 詩集「バタフライ効果」(29) 著者:金指安行(下田市在住、著者の第三詩集) 発行:二○一八年十一月三十日 発行所:ルネッサンス・アイ 発売元:白順社 蓄える 昨夜の雨で川は溢れ 普段はのんびりとした川の流れが 逃げ惑う蛇のように川下へと下っていく これほどの水の量を 空は事も無げに抱えていたのだ 太陽が森を包み 葉は七色の光のうちから緑の光線だけを反射し あとは事も無げに蓄えている 光は幹に落ち 花や実に思わぬ色彩となって溢れ出す 自分の中の他人 他人の中にも自分 その声に私は耳を傾けていただろうか 私は心に 何人の想いを宿していただろう それは溢れ出る程には 無い だが、蓄えることで 私は自分と他人との想いを宿す 昆虫の目を手に入れるだろう 行きたくても行けない日がある 呼ばれても行かれない所が 何時かはきっと適えたいと思うのだが 今はじっと耐えるしかない 深く根に蓄えるとき
2019.03.28
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3月28日(木) 「内村鑑三書簡集」(岩波文庫)より (注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。 明治35年より 智識の霊 聖霊、これはまたの名前を知恵と識別の霊とも言い、また思慮と勇気の霊とも言います。(イザヤ書十一章二節)。わたしは、この聖霊によって、自分の罪悪を認め、心を浄め、救いを全うするだけではなく、これによりすべての物の仕組みを探究し、神様の奥深い真意を探究します。そして、聖霊は宗教の精神であるとともに科学や哲学の精神でもあることを知ります。主を畏れることは知恵の初めと言われます(箴言一章七節)。真理の探究はそのすべての方面において聖霊の手厚い援助を必要とするのです。
2019.03.28
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後藤瑞義の短歌3月28日(木) 旧作備忘記録 18年1月21日(日) 一面に雲の覆える空にして厚いところあり薄いところあり 乾きたる河原の石にかすかなる鳴き声たてる鶺鴒一羽 雲覆う空にはあれど夜のあける東の山の端(は)明るみている 黒雲の低く覆える空の端(はし)うすき雲あり日はいまだなく
2019.03.28
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後藤瑞義 入選歌 紅梅の花ほの白き霜置けり少女のごとくかすかにゆれて 下田市 後藤瑞義 (読売新聞静岡版 よみうり文芸 三月二十七日 入選 渡 英子 選)
2019.03.27
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3月27日(水) 北原白秋歌集 中公文庫:日本の詩歌9(北原白秋)より 昭和49年十一月十日初版 「桐の花」(1) 銀笛哀慕調(1) 春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外(と)の面(も)の草に日の入る夕(ゆふべ) いやはてに鬱金(うこん)ざくらのかなしみのちりそめぬれば五月(さつき)はきたる 葉がくれに青き果(か)を見るかなしみか花ちりし日のわが思ひ出か ヒヤシンス薄紫に咲きにけりはじめて心顫(ふる)ひそめし日 凋(しを)れゆく高き花の香身に染(し)みつ貧しき街の春の夜の月
2019.03.27
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3月27日(水) 詩集「バタフライ効果」(28) 著者:金指安行(下田市在住、著者の第三詩集) 発行:二○一八年十一月三十日 発行所:ルネッサンス・アイ 発売元:白順社 夜明けの音 煮え立つお湯のように 淡い光がしんしんと闇を遠ざける 間もなく夜が明ける 私たちは遠くから近づいてくるバスの音を 未来の足音のように 聴いていた 戦後間もない 片田舎の 待ちに待った修学旅行 子供らは 埒もなく夢に乗せられ 親の思いとは別の 楽しい 世の中へと憧れたのだ 港には稚魚が群れて やがては外海に出かける前を 一列になり 回れ右をし あるいは蜘蛛の子のように惑いながら 春の日を楽しんでいた 人生も半ばを過ぎて しきりに思われる少年の日 あの遠くから近づいてくる淡い光が 沸き立つお湯のように しんしんと 心に広がり 母と子を大きな喜びで満たした朝を
2019.03.27
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3月27日(水) 「内村鑑三書簡集」(岩波文庫)より (注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。 明治36年より 完全なる解 わたしたちは、わたしたちを憎む人のために善をなすことが出来てはじめて完全な人間になるのです。わたしたちが喜んでこのことをなすことが出来て初めて神様を知りえるのです。この世の中にわたしたちを憎んだり、罵ったり、妬んだりする人がいるのは、わたしたちが完全なる人間になるために必要な人たちなのです。ですから、これらの人たちを嫌って、せっかく完全な人間になるチャンスを失わないようにしてください。
2019.03.27
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後藤瑞義の短歌(347) 3月27日(水) 旧作備忘記録 平成十八年のわたしの作品より 給料の遅配二ヶ月事務室に妻の作れる弁当を食(は)む こんなことこのまましていていいんかと谺(こだま)する声心に響く いちまいの和紙ゆつくりと舞い落ちるごとくに見えて鷺の降りたつ 夕日背に長く伸びたるわが影が腕まくりして小走りに行く 石白く乾ける河原石投げて時を過ごせるわが子は二十歳(はたち) 鉄骨を肋(あばら)のごとく曝しいるビニールハウスは廃業の果て ごんごんと頭のなかに血がのぼり午前一時を眠られずいる 何歳か何という名か炭のごとく焼かれていたり原爆により
2019.03.27
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詩集「バタフライ効果」(27) 著者:金指安行(下田市在住、著者の第三詩集) 発行:二○一八年十一月三十日 発行所:ルネッサンス・アイ 発売元:白順社 うそ 以前よりはマシになったが 嘘というヤツは 穏やかな日常にも小ハエのように生まれてきて 追っても払っても また舞い戻ってくる 生業は終えたのだから もう無理などする必要はないと思うが 自分以上に見せたい何かが 嘘を見栄えのよい言葉に包んで 良い恰好を繕おうとする 生きている以上 湧いてくる自愛への執念 この国に住んでいると 幾度か災害には見舞われるという 天災には逆らえない しかし人は自分なりの「減災」には努力出来ると それならば私も 幾つか嘘は減らせるだろう 罠を仕掛けたり 嫌がることをしつこく尋ねたり 相手に嘘を言わせる そんな状況だけは作りたくない それだって人への「施し」と言えるだろうから 小さな嘘 悪意のない嘘 そのようなものは 流れてゆく水のように聞く耳だといい そんな余裕が 私にも生まれているのだといい
2019.03.26
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3月26日(火) 「内村鑑三書簡集」(岩波文庫)より (注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。 明治35年より 警世の任務 神の恩恵をあますなく身に受けている人が、国家や政治にあれこれ口をはさむものはないでしょう。しかし、もしわたしがそのようなことをする時があるとしましたら、それは神様がわたしにさせるのです、神様が今の世の中の人のありさまを見かねることがあった場合、わたしを通してそれを正そうとしているのです。わたしの望むことは、神様のいらっしゃる高い所で、神様とともにいつまでもいられることです。ですから、わたしが警世をするようなことがありましたら、わたしの意志ではなくすべて神様の御心のままになしたのです。
2019.03.26
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後藤瑞義の短歌(346) 3月26日(火) 旧作備忘記録 18年1月19日(金) 傷付きしカモメが一羽汚れいて潮の満ち来る浜辺に立てり 障害者自立支援と云う言葉その実体と乖離している 障害者自立支援の法律が障害の子の負担増やせり 施設にて無事に暮してゆけることわれの望みは自立ではなく 障害者施設にわが子を預けおりわれも妻にもなすことあれば 自立にはほど遠くとも施設にて暮らすわが子に喜びよあれ
2019.03.26
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3月25日(月) 「内村鑑三書簡集」(岩波文庫)より (注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。 明治35年より 秋の到来 秋が来ます、秋の夜長を利用して学問の探究に力を注がしてください。夏は情熱の季節で、秋は思考の季節です。夏においてわたしは、感じ、歌い、信じ、愛しました。秋においてわたしは学び、究め、信仰の理由を探り、愛の源泉にいたるのです。夏は成長の時期で、秋はそれが熟する時期です。大自然はそのように要求するでしょうし、わたしの神様もそのように要求するでしょう。
2019.03.25
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3月25日(月) 詩集「バタフライ効果」(26) 著者:金指安行(下田市在住、著者の第三詩集) 発行:二○一八年十一月三十日 発行所:ルネッサンス・アイ 発売元:白順社 贈り物 私には生活を共に送る 家族というものが無くなっていた それは寝たきりの妻の苦痛から解放されて 私自身に戻っていける 安堵した時期でもあったが 二人連れが 話をしながら通りすぎていく 道端の花を見ている 私には あのように四つの眼で 同じものを眺める余裕があったろうか もう一度 その楽しみを 遠慮なく振舞い遠慮なくものが言えて でもそれは親とか兄弟 とは 違うようだ いつかは朝の陽に闇は消えて 笊のような心にも歓びは満ちるだろうか それを願い 無為とか惰性からは遠く 贈られた一人であることの自由を 私は果実のように 楽しもうとする
2019.03.25
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後藤瑞義の短歌(345) 3月25日(月) 旧作備忘記録 18年1月18日(木) 久々の雨にぬれたる山々は煙を立てるごとく霧湧く 乾きたる河原の石に雨が降り皆いちように輝いている 群れをなす雀 番(つがい)のヒヨドリとそれぞれ生きるスタイルを持つ 霧雨が銀杏の枝を濡らしゆきしずくは光る小枝こえだに 久々の雨が晴れたるもみじ山湯気のごとくに霧立ち上る 透析を終えたる妻は炬燵にてアンモナイトのごとく眠むる
2019.03.25
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3月24日(日) 詩集「バタフライ効果」(25) 著者:金指安行(下田市在住、著者の第三詩集) 発行:二○一八年十一月三十日 発行所:ルネッサンス・アイ 発売元:白順社 夢うつつ 紅茶を淹れながら 思い出そうとしている 朝方 五感に 切ないセンセイションを巻き起こしていった夢 あれは確かにあの人だったが 親しく話しながら 打ち明けることもなかった ましてや触れることは… それでも蘇ったあの人の肌の感触よ 私を翳めていった頬の涼しさ 薹(とう)の立つ心に 薄れていく女への想いは 今頃になって かつての失楽を取り戻そうとあがいていたのだ 心臓に血をたぎらせ うつつ以上に私を歓びで満たして もしあの世に 魂があるとすれば この世の出来事なども 夢となって したことも、しなかったことも 生々しいものは火に炙られ かすかな情念だけが オーロラのように漂っていく… 死者には ただ それだけのことかも知れない この世の出来事など でも夢であっても 私が変えられていくこともあるのだ 鏡以上に私の姿を 見せつけられた朝など
2019.03.24
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3月24日(日) 「内村鑑三書簡集」(岩波文庫)より (注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。 明治35年より 世の要求(応ずるべし) 世の中が必要としていることに、応じようとしなさい。ただし、世の中が必要としているといっても、自分が納得する要求のことです。単に世の中の人が自分勝手に、大声で要求するからといって何も考えず応じてはいけません。それは真に世の中に必要なものとは限らないからです。わたしたちは、賢い医者のようになるのです、患者の要求するもの以外にもっとその患者に対して大切なことがあり得ます、それを見つけて適切に処理することが必要なのです。
2019.03.24
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後藤瑞義の短歌3月24日(日) 旧作備忘記録 18年1月17日(水) 結局はあれもこれもと欲ばりて書籍書類のなかに埋まる わずかなる土地を耕し東京の子らに白菜大根送る 夕暮れの光をあびて遊覧船ゆっくり下田の港をめぐる 夕光を受けて黄金(こがね)となる波が今日一日を惜しみ寄せくる
2019.03.24
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三月号歌評(賀茂短歌3月号)下書き 後藤瑞義 鈴木菊江 今日の陽の何とぬくきよ上着ぬぎ春陽に浮かれ初蝶のまう (評)三月に入って、急に温かくなりました。まさに、「今日の陽の何とぬくきよ」です。「上着ぬぎ春陽に浮かれ」という気持に同感します。さて、「春陽に浮かれ」ているのは、作者でしょうか、それとも初蝶でしょうか。わたしには両者がだぶってみえるのです。それは初蝶であるし、作者自身も春陽に浮かれてあたかも蝶になったように舞っているのかもしれません。そんな想像をしたのでした。 黒田幸子 早桜咲くきさらぎに逝きませる人あり神の西行思う (評)桜と言うと一般的にはソメイヨシノを指すと思うのですが、それは新暦では三月にならないと咲きません。ただ伊豆には早咲きの河津桜があり、二月(きさらぎ)に咲きます。その二月に亡くなられた人があったようです。そして、あの有名な西行の歌を思い出したのではないでしょうか。「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」がそれです。そして、作者は西行を神のごとくに崇拝しているようです。 小池美恵子 父親の仕事柄とて娘ら二人は三つの文化持つ母となりぬ (評)作者には娘さんが二人おるようです、そして娘さんたちはお父さんの仕事の理由で、三つの文化を持つ母親となったというのです。私は、作者の話を以前に聞いておりますので、「三つの文化」がよく分かります。ご主人が商社にお勤めだったように記憶しています。海外の勤務も長かったように記憶しております。日本、アメリカ、もう一つは南米だったように記憶しております。詳しい国名などは今思い出せません。一口に三つの文化といいますが、重い言葉として響きました。そして、「母となりぬ」、この「母」がやはり重い言葉でしょう。その三つの文化圏で育った娘さん、非常なカルチャーショック(広辞苑:異文化に接したときに、慣習や考え方などの違いから受ける精神的な衝撃)を受けたことが想像されます。そうしたなかで、日本文化と他の二つの文化の違い、あるいは共通のことなどを自然に学んだかもしれません。母親となった娘さんたちがお子さんの教育に戸惑いながらも、三つの文化が生かされたらと祈る作者のお気持もあるのではないでしょうか。 鈴木きみ 稲むらで夕暮れまでを遊びいて母の声聞きいそぎ帰りし (評)田圃には稲を刈った稲稾が積んでありました。それが稲むらで、子供の時それに乗ったり、そこから飛び移ったりして遊んだのでしょう。時の経つのもすっかり忘れ、いつしか夕暮になっていて、お母さんが夕飯だよと探しにきたのでしょう。なにもかも忘れて遊んでいたあの頃、いまそのように打ち込めるものがあるだろうか。そんな余韻も感じられたのでした。「帰りし」の「し」は、過去の回想の助動詞「き」の連体形です。連体形ですから「いそぎ帰りし(昔)」「昔」などの名詞が省略しているのでしょう。 土屋文恵 励ましの娘のメール待ちわびる朝の臥所の日課となりぬ (評)「なにもかも疎くなりたり呆然と気怠さの中うとうと眠る」というような状態のなか、娘さんから毎日「加減はどうですか」とか「大丈夫ですか」とか、メールが来ているようです。そのような娘さんの励ましのメールが来るのを待ちわびる作者のようです。「朝の臥所」、今日も起き上がることが出来そうもないといった感じがうかがえます。問題は「日課となりぬ」です。この表現はある状態が何日も持続していることを示しています。つまり、歌に期間が入っています。短歌の基本のひとつに「瞬間を切り取る」ことがよくいわれます。それに対して、期間、時間を入れますと、どうしても瞬発力に欠け、歌の迫力が弱まるといわれるのです。ただ、この歌の場合は、「日課」という言葉の重さが効果的になっているようにも思っています。啄木は、三行に分けることによって時間や期間の経過を入れる工夫をしているようです。時間、期間を入れることは、短歌の大きなテーマ、課題の一つだと思います。
2019.03.24
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3月23日(土) 「内村鑑三書簡集」(岩波文庫)より (注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。 明治35年より 勝利の生涯 患難を避けてはいけません。患難を 避けるのではなく、克服しなさい。しかし自分一人で克服しようと思ってはいけません。神様に依り頼んで克服するのです。神様が患難をわたしたちに与えるのは、神様を依り頼んで克服する力を与え、患難を恩恵に変える力を与えるためです。
2019.03.23
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3月23日(土) 詩集「バタフライ効果」(24) 著者:金指安行(下田市在住、著者の第三詩集) 発行:二○一八年十一月三十日 発行所:ルネッサンス・アイ 発売元:白順社 引き裂かれる神 あの時の過ちを 舞い事にしたいと思っても 無理な話です 他人に気づかれなくても 自分を裏切ったという心の負い目は 意識下で目をさましている 神がなければ 人は呵責から自由でしょうか 胡麻化さなければ 正直なだけでは 何時 割を食わされるとも判らない世の中 だからと言って 出鱈目にはなれないのですが 悪徳に出会うたびに 人は 増悪の思いに駆られる それでもなぜあの人は 自分さえも犠牲にして 赤の他人を救えたのでしょう そんな話を 被災地の人から聞いていると 人にはまだ未来を託すだけの良い資質が 残されているのだと思う それは のっぴきならない瀬戸際にしか現れない ひとりのひとりに隠されていて いざという時 竜巻のように立ちのぼってくる 何を置いても 守ろうとする種への本能 あれこそ 苦渋に引き裂かれている神の顔ではないでしょうか 己を犠牲にしてまで残そうとする すさまじい生き物の正体では
2019.03.23
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後藤瑞義の短歌(343) 3月23日(土) 旧作備忘記録 18年1月16日(火) 施設より毎週戻る子のために土日を妻もわれも費やす 海沿いの小道に植えし芝桜春待ちかねて咲き始めたり 牧水がその燈台を訪いしという神子元島に灯りが点る 西空に龍の形の黒雲が首上げるなり赤みを帯びて
2019.03.23
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3月22日(金) 「内村鑑三書簡集」(岩波文庫)より (注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。 明治35年より キリスト信徒の徽章 何が苦しいかと言って、善をしようと努めているのに人から悪く思われることほど苦しいものはないでしょう。これはキリストが受けた苦痛には比べものになりませんが、同じ苦痛であることは確かです。このキリストの受けた苦痛こそ天国に入るのに必要とされるのです。これが十字架の苦痛といわれるもので、この苦痛はキリスト信者の徽章です。そして、この徽章が天国の市民である証明になります。
2019.03.22
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詩集「バタフライ効果」(23) 著者:金指安行(下田市在住、著者の第三詩集) 発行:二○一八年十一月三十日 発行所:ルネッサンス・アイ 発売元:白順社 雁 よく見ると白っぽい崖の肌の 点々とした黒い模様は休んでいる雁の群だ 呼び交すひと声とて無い 垢のように積もった痛み 一身に追い払おうと 一羽一羽おとなしく自分に戻っているのだった ひときわ白波の音が近づき 崖の向こうの冷たい空が 海辺の侘しさを押し広げている 春 また彼らは腕を組んで 玉のような汗にまみれ 一散に北を目指してこの夕空を戻るのだろう V字形の態勢を組み 次々先頭を引き継ぎながら 住み着いているカラス一羽 馬鹿にのんびりと過ぎていく夕べ 六十年前の 新生児取り違え事件が今報道されている よその親とも知らずに 病院で入れ替えられた二人 初老を迎える今になって 自分のルーツを知らされている 幸か不幸か 二人とも両親は亡くなったという 囲炉裏端で 父が話したことがあった (私は三歳で父を亡くした 写真一枚あるわけでは無く どんな顔をしていたのかもしらない)という 面影のない記憶の底に どんな寂しさを抱えていたのか 郭公(かつこう)は鶯の巣に托卵(たくらん)し 鶯は郭公の卵とも知らずに 温め孵(かえ)し 育てるという 自分の子供ではないと知っても 餌を欲しがって 口を開けば つい与えてしまうのだと 鳥たちも血のつながりを願って傷つき それでもなお 剥き出しのか弱い命に つき動かされて生きていたのだ 訳の判らない取り違えを 一身に飲み込みながら 今日も飛び立っていく鳥の強さ 渋柿には甘柿の枝 そうとも知らずに一心に実を成してきた その幻のような歳月
2019.03.22
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後藤瑞義の短歌(342) 3月22日(金) 旧作備忘記録 18年1月15日(月) ようやくに今日の光が差し来たり一月十四日午前九時半 河原には枯れたるものの多くしてただ瀬の音を聞くばかりなり どんど焼きの炎を囲む子供らの赤き顔から歓声上がる 燃え上がる炎のなかにめいめいがダルマを投げる御札を投げる 竹爆ぜる音山里にこだましてどんどの炎燃えさかりゆく 燃え盛るどんどの炎を遠巻きにしばし声なく見つめていたり
2019.03.22
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3月21日(木) 「内村鑑三書簡集」(岩波文庫)より (注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。 明治35年より 赦免の神 わたしは、実は神様がどのような方であるかは知りません。しかし、神様はわたしの悪いところを憎まれるよりは、わたしのあるかないかの良いところを愛してくれる方であると確信しております。最後の審判に際して、わたしが悲しいのは悪の多いことではなく、善の少ないことです。しかし、実際の審判において、愛の神様はわたしの悪いところはすべて忘れて、あるかないかのわたしの良いところを記憶されていることに驚くのです。「神様の恩恵の広さは海のように広いのです」。神様を怒りの神様と恐れるにはあたりません、神様は恩恵の神様であり、赦免の神様なのです。
2019.03.21
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詩集「バタフライ効果」(22) 著者:金指安行(下田市在住、著者の第三詩集) 発行:二○一八年十一月三十日 発行所:ルネッサンス・アイ 発売元:白順社 耐えている馬 刻々と嵩んでくる重力 馬は 身じろぎもせず推し量っていた その眼は ざわめいている 若葉の歓びを見ない なよなよとしたやさしさを避け たてがみが梳(くしけず)られる 快感の味も忘れて 鏃のように食い込んでくる荒い鞭に 網膜までやられていた その眼は かつてもてはやされた 白馬であることを放棄し 終りのない 汗の 苦役のぬかるみを見ていた 馬よ 私のいとしいもの お前の眼にはいつからか燃えている 黒い感情がある 野に放たれた獣の逞しさがある 忘れている赤い血もある
2019.03.21
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後藤瑞義の短歌(341) 3月21日(木) 旧作備忘記録 18年1月14日(日) いち早く光求めて鳴き出すか雄鶏(おんどり)の声夜半に聞こえる 葉の落ちし木蓮の枝毛衣(けごろも)をまとう莟が銀に輝く いつよりか雲の隙間に現われて砕かれるごと光差しくる なにもない時こそ歌を作ろうよ生きてることの証(あかし)となして なにごともなくて過ぎたる今日の日よなにごともないことの幸せ
2019.03.21
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よみうり文芸 入選歌 孫たちがみな帰りゆき広々と静かになりし部屋に息吸う 下田市 後藤瑞義 (読売新聞静岡版 よみうり文芸 三月二十日 入選 渡 英子 選)
2019.03.20
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3月20日(水) 「内村鑑三書簡集」(岩波文庫)より (注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。 明治35年より 懐疑の精神 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。(コリント前書従三章七節)、「すべてを信じ」というのはすべての事実を信じるということです。神の愛はすべての人に公平ですから、事実というのは、神のなされた愛の結果です、人はこれを喜んで受け入れ信ずるべきです。これは、宗教的精神であるとともに、実は科学的精神なのです。事実を事実として信ずることなく、あれこれと詮索する人は大変不幸な人です。そのような人は常に疑い、懐疑のなかに悩む人で、神の確信の中にある快楽と歓喜とを永久に楽しむことはないでしょう。世の中に神の確信を信ずることが出来ない人ほど憐れな人間はありません。懐疑者はすべてこのような心理状態に常に苦しんでいる人です。
2019.03.20
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