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12月31日(火)第二回 角川短歌賞受賞作品「棕梠の花」(安永蕗子)(3)(昭和31年)Ⅰ 展くてのひら(3)極北におく星白く乱れつつ眼(まなこ)潤むといふこと悲し落ちてゆく光も赦し難くゐて夕べつかれし双(さう)の眼をもつ指触れしばかりに落ちし無花果を踏みつつ寂し人世(ひとよ)のことも温かき夜を来て草にひそみ居るかかる昏さに桃の實太(ふと)れくらやみに紛るることを思ひ来ていくつ小さく泛く河の星(つづく)
2019.12.31
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12月31日(火)万葉秀歌(下巻)(119)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十三 (1)相坂(あふさか)をうち出(い)でて見(み)れば淡海(あふみ)の海(み)白木綿(しらゆふ)花(はな)に浪(なみ)たちわたる(巻十三・三二三八) 作者不詳茂吉:長歌の反歌。長歌は、「山科の石田の森の、皇神(すめがみ)に幣吊(ぬさ)とり向けて、吾は越えゆく、相坂山を」云々。もう一つ、「我妹子に淡海の海の、沖つ浪来寄す浜辺を、くれぐれと独ぞ我が来し、妹が目を欲り」云々というので、大和から近江の恋人の処に通う趣の歌。反歌は:「逢坂山を越えて、淡海の湖水の見えるところに来ると、白木綿(しらゆう)で作った花のように白い浪が立っている、」というのである。(つづく)
2019.12.31
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12月31日(火) 島木赤彦歌集(88)中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「大虗集」(20)大正十一年(10)初冬(2) 長子政彦の逝きしは十二月十八日なりき冬空の澄むころとなれば思ひいづる子の面影(おもかげ)ははるかなるかたな旅にして逝(ゆ)かせたる子を忘れめや年は六(む)とせとなりにけるかな こもりゐこの真昼炭にまじれる古き葉のけぶるにほひを寂しみにけり屋根葺(ふ)かむ萱(かや)の束(たば)ねを庭につみて日かげとなりぬ朝々の霜 (つづく)
2019.12.31
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12月31日(火)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治41年より人なるキリストキリストは人間です、そうです、キリストだけが人間と言えるかもしれません、そして、その他の人間は人間ではないでしょう。キリストだけが、完全に人間であり、その本分を尽くしたといえるでしょう。ですから、キリストがもし人間であるならば、その他の人間はみな人間ではないでしょう。もし人間がすべて人間と呼べるのであれば、キリストは人間ではなく、神様でしょう。わたしたちはキリストにお願いして人間になりたく思います。なぜなら、わたしたちは性質において、行為において、わたしたちの目的またそれを得るための手段において、人間よりは動物に近いと自覚するからです。
2019.12.31
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12月30日(月)第二回 受賞作品「棕梠の花」(安永蕗子)(2)(昭和31年)Ⅰ 展くてのひら(2)卵黄にたつ血紅もいやしまず愛にたくらむことある朝はかすかなるものに見をれど降る雪の當然にして虎杖(いたどり)を搏(う)つ蘇りゆきたる痕跡(あと)のごとくして雪に地窖が開かれてゐつ水曇る夕べの岸にひしひしと人が劫(カルバ)のごとき石積むとどまりて河洲に白き樹根あり流木よりも寂しらに乾くやはらかに小指朱肉に押しつけて心かすかにほめく時あり(つづく)
2019.12.30
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12月30日(月)万葉秀歌(下巻)(118)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十二 (11)あしびきの片山雉(かたやまきぎし)立(た)ちゆかむ君(きみ)におくれて顕(うつ)しけめやも(巻十二・三一六九) 作者不詳茂吉:旅立ってゆく男に向って女の云った歌の趣である。「片山雉」までは「立つ」につづく序詞。「旅立たれるあなたと離れて私ひとりとり残されて居るなら、もう心もぼんやりしてしまいましょう。」というのである。「顕しけめやも」は、現(うつし)ごころに、正気で、しっかりしていることが出来ようか、それは出来ずに、心が乱れ、茫然として正気を失うようになるだろうという意味。
2019.12.30
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12月30日(月)島木赤彦歌集(87) 中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「大虗集」(19)大正十一年(9) 初冬(1)わが庭に松葉牡丹の赤茎のうつろふころは時雨降るなりこのごろの光やうすきわが庭に時雨のあめは晴れにたれどもいや日けに青むみ空やこのごろは時雨のあめの降ることもなし 十一月二十五日湖(うみ)つ風あたる障子のすきま貼(は)り籠(こも)りてあらむ冬は来にけり(つづく)
2019.12.30
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12月30日(月)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治41年よりわれらの教会無教会主義者のわたしたちには、教会はありませんが、もしあるとしましょうか。それは、わたしたちの家庭です。わたしたちの書斎です。わたしたちの事務所です。わたしたちの住んでいる田園です。わたしたちの働いている工場です。わたしたちが働いているお店です。そして、おのおのそれらの場所で、わたしたちは神様につかえ、神様を賛美し、神様の栄光をあらわします。わたしたちには、特別に神聖とする場所はありません。わたしたちが座っている場所、わたしたちが立っている場所、それらがすべて神聖な場所です。神様はそこに顕れて言われました、「汝が立つところは聖き地なり」と。わたしたちは、そのときモーゼがしたようにそこにわれらのくつを脱ぎ、そこでわたしたちの神様をおがみまして、神様の神聖なる黙示に浸るのです。
2019.12.30
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12月29日(日)角川短歌賞受賞作品集(1)(雑誌「短歌」より)第一…受賞作品なし 第二回 受賞作品「棕梠の花」(安永蕗子)(1)Ⅰ 展くてのひら(1)天窗に白き虚空のあることも眠りゆく時いくばく怡し自失して眠れば浄きおのれかとくらやみに熱き掌展(てのひらひら)く倖せはしづかに来ると組みわけし髪ひややかに垂れて眠りぬ棕梠の花こぼれて青き甃のうへ禽を愛して一時(ひととき)ありしか 鎖曳く禽の歩みを瞻りゐる我もはかなし白き沙の上泡だてて白き卵を嚥(の)むときも卓に聖女のごときひだり掌(つづく)
2019.12.29
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12月29日(日)万葉秀歌(下巻)(118)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十二 (10)能登(のと)の海(うみ)に釣(つり)する海人(あま)の魚火(いさりび)の光(ひかり)にい往(ゆ)く月(つき)待(ま)ちがてり(巻十二・三一六九) 作者不詳茂吉:「まだ月も出ず暗いので、能登の海に釣りしている海人の魚火の光を頼りにして歩いて行く、月の出を待ちながら、」というのである。燈火をあまり使わずに女のもとに通ったころのことが思出されておもしろい。(つづく)
2019.12.29
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12月29(日)島木赤彦歌集(86) 中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「大虗集」(19)大正十一年(3)大和古国 明日香天(あめ)なるや月日も古(ふ)りぬ飛ぶ鳥の明日香(あすか)の岡に立ちて思ふもわたる日の光寂しもおしなべて紅葉衰ふる古国原に 中村憲吉と同行なりわがために二日(ふつか)の業(なり)を休み来し友と夜を寝(ぬ)る明日香の家に明日香川瀬の音(と)ひびかふ山峡(やまかひ)に二人言止(ことや)みあるが寂しさ (つづく)
2019.12.29
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12月29日(日)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治41年よりキリストの神外国人は言いました、神様は勢力であると。ギリシャ人は言いました、神様は智識であると。ユダヤ人は言いました、神様は聖であると。そうしてキリストはおっしゃいました、神様は愛であると。確かに神様は勢力を持ちます、ただそれは勢力を越えた力です。確かに神様は知識をお持ちになる、しかしそれは智識以上のものです。確かに神様は神聖です、しかしそれは罪を単に憎むのではなく、愛で包み込んで恩恵を施されるのです。愛は神様の精気であり、神様そのものです。わたしたちは、神様の愛に接して初めて神様が何であるかを知ることになります。
2019.12.29
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12月28日(土)万葉秀歌(下巻)(117)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十二 (9)ひさかたの天(あま)つみ空(そら)に照(て)れる日(ひ)の失(う)せなむ日(ひ)こそ吾(わ)が恋止(こひや)まめ(巻十二・三○○四) 作者不詳茂吉:「この恋はいつまでも変らぬ、空の太陽が無くなってしまうならば知らぬこと、」というのであるが、恋に苦しんでいるために、自然自省的なような気持で、こういう云い方をしているのである。
2019.12.28
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12月28日(土)島木赤彦歌集(85)中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「大虗集」(17)大正十一年(7)京都黒谷十月末つ方黒谷瑞泉院に滝留すること十日松風に時雨(しぐれ)のあめのまじるらし騒がしくして小夜(さよ)ふけにけりこの谷の松の落葉に霜白し木魚音するあかときにして冬の日は低くしあれや日もすがら黒谷(くろだに)山の木がくりにして三日月の光木(こ)の間に入りやすしはかなき思ひ湧(わ)くとあらぬに 中村憲吉黒谷を訪ひ来るわが友と朝の床に目ざめゐて物を言ふこそ親しかりけれ (つづく)
2019.12.28
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12月28日(土)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治41年よりわが所得わたしは、キリストを信じることによって何を得たでしょうか。わたしは権力のある友を得ることが出来たでしょうか、否です。世の中の人々から愛されることが出来るようになったでしょうか、否です。わたしがこれならと属することを求めるような教会を見つけることが出来たでしょうか、否です。しかし、キリストを信ずることによって、わたしは神様の本当の愛を知ることが出来ました。この宇宙のすべてのものの精気に触れることが出来ました。大宇宙の中心を知ることが出来ました。キリストによって私は、いわば真理の真珠を与えられたように思います。キリストを信じることによって、わたしが得たものは偉大です。わたしが思ったこと以上のものを得ることが出来ました。(エペソ書三章二十節)
2019.12.28
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編集より(歌誌「賀茂短歌」12月号より) 歌誌の送付が遅くなりました。申し訳ありません。すっかり押しつまりました、良いお年をお迎えください。 昨日、「歌会始の儀」の入選者十名(一万五千三百二十四首より)が発表されました。妻は時々投稿していたようです。実は、今年わたしも挑戦してみました。作品は次のようなものです、(注:題「望」)今宵つま望月となり訪ひ来るや足跡のごと早苗田ひかる 毛筆で書くとか、私にとってはちょっと大変でした。今、思いますと、「今宵つま」は、「妻こよひ」のほうがよかったのではないか。「早苗田ひかる」は、「光る早苗田」と名詞止にしたほうが良かったのではなかったか…。あれこれ反省しました。出来たら来年も挑戦しようと思っています。 NHKの全国短歌大会の方は、二首一組でしたが、一首のみ入選してもう一首は落選でした。昨年は、一首が秀作、一首が入選でしたので、今年は残念な結果になりました。作品は一月二十五日の大会まで発表しないようにということです。東京の多磨霊園に一人訪れ、恩師の墓を見つけた喜びを詠ったのですが。感動がうまく伝えられなかったのかもしれません。それでは、来年もよろしくお願いします。お体にお気を付けください。
2019.12.27
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12月27日(金)万葉秀歌(下巻)(116)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十二 (8)吾(わ)が齢(よはひ)し衰(おとろ)へぬれば白細布(しろたへ)の袖(そで)の狎(な)れにし君(きみ)をしぞ念(おも)ふ(巻十二・二九五二) 作者不詳茂吉:一首の意は、「おれも漸く年をとって体も衰えてしまったが、今しげしげと通わなくとも、長年狎れ親しんだお前のことが思い出されてならない、」という程の意である。「君」というのを女にして、男の歌として解釈した。(つづく)
2019.12.27
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12月27日(金)島木赤彦歌集(84)中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「大虗集」(16)大正十一年(6)柿蔭山房(2) 夜坐つぎつぎに過ぎにし人を思ふさへはるけくなりぬ我のよはひは 九月二十二日姥捨駅にて天(あめ)とほく下(お)りゐしづめる雲のむれにまじはる山や雪降れるらし 家の庭朝ごとに庭の胡桃樹(くるみ)の下土におのづから落ちてある果(み)を拾ふ (つづく)
2019.12.27
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12月27日(金)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治41年よりキリストの所在今、真のキリスト教はキリスト教会にはないと思っています。しかし、真のキリスト教はこの世界から完全に無くなってはおりません。真のキリスト教はダンテの詩集に存在します、カントの哲学に存在します、この世の中のすべての善人とすべての善い行いのなかにあります。キリストは単に教会の救い主ではありません、この世界全体の救い主なのです。キリストは狭い教会から抜け出し、広いこの世界のどんなところにも存在していらっしゃるのです。真のキリストの教会は世界全体です、その会員は人類全員です。わたしは、その世界全体、人類全体のなかにキリストにおけるわたしの兄弟姉妹を求めようと思うのです。
2019.12.27
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12月26日(木)黒田幸子入選歌(12)(歌誌「賀茂短歌」より)令和元年(平成三十一年)異常気象つづきし今年もバラは咲く赤く大きく花を咲かせり(読売新聞静岡版 よみうり文芸 一月十六日 秀逸 渡 英子 選)(評)「薔薇ノ木二薔薇ノ花咲クナニゴトノ不思議ナケレド」という北原白秋の短詩を重ねて読ませて頂いた。もの言わぬバラが異常気象を凌いで大きな花を咲かせる健気さが尊い。同じ花ばかりだなあと聞こゆれど仏壇にはいつも百日草の花(雑誌「短歌」平成三十一年二月号公募短歌館 佳作 安田純生 選)補聴器に眼鏡メモ帳藥など持たねばならぬもの多き旅(雑誌「短歌」平成三十一年四月号公募短歌館 佳作 香川ヒサ 選)これ着てとぬくきコートを送られて孫娘の婚に連なりにゆく(雑誌「短歌」平成三十一年四月号 題詠「コート」 入選 沖ななも 選)(評)コートさえ着れば孫の結婚に連なれる。春ですよおめざめですか黄水仙かかえて墓所への坂道のぼる(読売新聞静岡版 よみうり文芸 五月 八日 入選 渡 英子 選)(完結)
2019.12.26
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12月26日(木)万葉秀歌(下巻)(115)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十二 (7)今(いま)は吾(あ)は死(し)なむよ我背(わがせ)恋(こひ)すれば一夜(ひとよ)一日(ひとひ)も安(やす)けくもなし(巻十二・二九三六) 作者不詳茂吉:一首の意は、「あなたよ、もう私は死んでしまう方が益しです、あなたと恋すれば日は日じゅう夜は夜じゅう心の休まることはありませぬ、」というのである。
2019.12.26
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12月26日(木) 島木赤彦歌集(83)中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「大虗集」(15)大正十一年(5)柿蔭山房(1) いく久につづく旱りに蝉さへも生れざるらむ声の乏しさ 日ごと物書きつづくるほどに坐りつつただにありとし思ふだに久しくなりぬ夏ゆくらむか 八月二十四日野分はやて風枝ながら揺る柿の実のつぶらつぶらにいまだ青けれ またの日きその夜の風に傾ける玉蜀黍の青高稈(あをたかがら)を伐(き)りてたばねつ野分(のわき)すぎてとみにすずしくなれりとぞ思ふ夜半(よなか)に起きゐたりける (つづく)
2019.12.26
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12月26日(木)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治41年よりわが宗教わたしの宗教は、神様を愛し人を愛することです。わたしの礼拝するのはこのことです、わたしの信仰もこのことです、わたしの奉仕するのもこのことです。これ以外にわたしの宗教はありません。教会がなくてわたしはかまいません。儀式もわたしには役にたたないでしょう。教養がどれほどのものでしょうか、神学がにどれほどのものでしょうか、もし愛がなければわたしには神様もありません、わたしは神様に背く人間といえるでしょう。わたしが弁舌でもって、文章でもっていかに信仰深い人間であるかを語っても、わたしはキリストの真の信者ではないでしょう。わたしの愛する深さによって、わたしの信者としての深さも計られるでしょう。わたしの愛の他に信仰はありません、わたしの愛にいたらないわたしの宗教というものもありえません。
2019.12.26
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12月25日(水)黒田幸子入選歌(11)(歌誌「賀茂短歌」より)平成三十年(2)五月晴れ空は青いよ昼食はそら豆御飯二合ほど炊く(雑誌「短歌」平成三十年 十月号公募短歌館 佳作 藤島秀憲 選)ねらい来る猿より守りしいちじくのつやつや甘露珍味といただく(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十月三日 入選 梅内美華子 選)じゃがいもがとけてしまった三度目のカレーライスをいただく昼餉(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十月二十四日 入選 梅内美華子 選)神様もさぞお忙しいでしょう九十の老婆は何も御願いしない(雑誌「短歌」平成三十年 十一月号題詠「願い」 入選 林田恒浩 選)この夏の炎暑に負けて打ちすてし畑の草が手まねきをする(雑誌「短歌」平成三十年十二月号公募短歌館 佳作 久々湊盈子 選)(つづく)
2019.12.25
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12月25日(水)万葉秀歌(下巻)(114)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十二 (6)幼婦(をとめご)は同(おな)じ情(こころ)に須臾(しましく)も止(や)む時(とき)も無(な)く見(み)むとぞ念(おも)ふ(巻十二・二九二一) 作者不詳茂吉:一首の意は、「この幼婦(おとめ)のわたくしも、あなた同様、暫(しば)らくも休むことなく、絶えずあなたにお逢いしたいのです、というのである。この歌の前に、男から、絶えずお前を見たいと云って来たのであろう。それに対して、こういうことを云ったのであろう。「同じこころに」がよい。「幼婦は」というのは、「わたくしは」と同じこと。(つづく)
2019.12.25
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12月25日(水)島木赤彦歌集(82) 中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「大虗集」(14)大正十一年(4) 有明温泉たえまなく鳥なきかはす松原に足をとどめて心静けき楉原(しもとはら)ひろがりあへる若き葉にふりそむる雨は音立つるなり 湯の宿白雲の遠べの人を思ふまも耳にひびけり谷川の音 帰途山道に昨夜(ゆうべ)の雨の流したる松の落葉はかたよりにけり(つづく)
2019.12.25
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12月25日(水)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治41年より信者と不信者聖書に「愛なきひとは神様を知らない、神様は愛そのものですから」と書かれています。そうです、愛のない人は不信者です。いくら洗礼を受けられても、洗礼を受けるために聖餐式に列席しましても、また監督者になったり牧師になったり伝道師になりましても、そして神学者になったとしても聖書学者になったとしても、いかなる場合でも愛がない人は不信者なのです。わたしは、聖書にこのことをはっきりと書いてあることにたいしまして、神様に感謝申し上げます。(ヨハネの手紙一四章八節)
2019.12.25
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12月24日(火)黒田幸子入選歌(10)(歌誌「賀茂短歌」より)平成三十年(1)今日一日電話もならず人も来ず古き歌誌などめくりて過ごせり(雑誌「短歌」平成三十年 一月号公募短歌館 佳作 志垣澄幸 選)昔祖母の作りくれたる菜飯恋い小さきつまみ菜摘みてきたれり(雑誌「短歌」平成三十年 二月号公募短歌館 佳作 秋山佐和子 選)三島神社の幟立つ日に見上ぐれば青空に浮く十三夜の月(雑誌「短歌」平成三十年 三月号公募短歌館 佳作 秋山佐和子 選)しゃべりすぎ失敗したなと思うけど他人はそれほど気にはしてない(雑誌「短歌」平成三十年 四月号公募短歌館 佳作 大松達知 選)人生のたそがれどきのさみしさを優しき息(こ)なれば告げえずにおり(雑誌「短歌」平成三十年 五月号公募短歌館 佳作 永田 紅 選)(つづく)
2019.12.24
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12月24日(火)万葉秀歌(下巻)(113)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十二 (5)玉勝間(たまかつま)逢(あ)はむといふは誰(たれ)なるか逢(あ)へる時さへ面隠(おもがく)しする(巻十二・二九一六) 作者不詳茂吉:「玉」は、逢うの枕詞で、タマは美称、カツマ(籠)で、籠のは蓋があって蓋と籠が合うので、「逢う」の枕詞とした。一首の意味は、「一体逢おうといったのは誰でしょう。それなのに折角逢えば、顔を隠したり何かして、」というのである。これは、男が女に言っていること。
2019.12.24
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12月24(火)島木赤彦歌集(81) 中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「大虗集」(13)大正十一年(3)茂吉を思ふ去年洋行前病を養うて富士見にありき遥(はる)かにも隔てつるかも谿(たに)川(がは)の水を浴(あ)みつつ昨日(きのふ)ありにし蠅捕器(はへとり)につぎつぎとまるさ蠅らを見つつありしは寂しかりけむ草も木も緑ふけたる野にありて思ひしことは限りなからむ (つづく)
2019.12.24
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12月24日(火)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治41年より信仰と感情信仰は人間の意志の問題であって、感情の問題ではありません。わたしは道理に従って神様の存在を信じます。神様の存在を感じないときもあるかもしれません、しかしわたしは神様の存在を固く信じます。感情は日光のようなものだと思うのです。日光は、わたしをさんさんと照らすかと思えば、雲にさえぎられて照らさないときもあります。しかし、いかなる状態のときも太陽は存在し、それをわたしは信じて疑いません。善はわたしが感じないときがあっても善なのです。神様はわたしが感じることができないときがあっても神様なのです。わたしは、神様の存在を信じることにおいて、決して感情をまじえません、道理の上に富士山のようにどっしりと神様の存在を築き、わたしのこころはいささかも変ることはないのです。
2019.12.24
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12月23日(月) 黒田幸子入選歌(9)(歌誌「賀茂短歌」より) 平成二十九年青空の彼方にあなたの住む国のありて隣席あけてある筈(雑誌「短歌」平成二十九年一月号公募短歌館 佳作 沖 ななも 選)「さみしさ」は生きてるしるしと言うことは呆けてしまえばさみしくないのだ(雑誌「短歌」平成二十九年二月号公募短歌館 秀逸 今野寿美 選)(評)たぶんそうでしょう。でも、それが何の慰めになろうか、という抵抗感こそ一種の趣旨でしょう。おだやかにして確かな自己主張がうかがえる。ペンギンの万ほどの中の一匹の吾子の姿を見つけとび寄る(雑誌「短歌」平成二十九年五月号 題詠 「母」 入選 御供平佶 選)猪は猪突猛進文字通り体当りされし友の車よ(「短歌」平成二十九年六月号公募短歌館 佳作 大島史洋 選)里いもの皮むき乍ら奥さまに旅立たれたる人を思いぬ(雑誌「短歌」平成二十九年八月号公募短歌館 佳作 安田純生 選)
2019.12.23
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12月23日(月)万葉秀歌(下巻)(112)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十二 (4)朝去(あさゆ)きて夕(ゆふべ)は来(き)ます君(きみ)ゆゑにゆゆしくも吾(あ)は歎(なげ)きつるかも(巻十二・二八九三) 柿本人麿歌集茂吉:一首の意味は、「朝はお帰りになっても夕方になるとまたおいでになるあなたであるのに、我ながら忌々(いまいま)しくおもう程に、あなたが恋しいのです、待ちきれないのです、」というほどの歌。
2019.12.23
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12月23日(月)島木赤彦歌集(80)中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「大虗集」(12)大正十一年(2)初春朝の日の窓にうすしと思ひしは春雨(はるさめ)はれて靄(もや)の立つなり暖くすがしき朝や靄だてる枯木林に日のあたりつつ所見紅梅の花にふりおけるあわ雪は水をふくみて解けそめにけり(つづく)
2019.12.23
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12月23日(月)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治41年よりわが生涯の事業神様の子であるイエスキリストは世の中の人をキリストと同じように神様の子にするためにこの世の中に生まれたのでした。わたしもイエスキリストを信じて、世の中の人を神様の子となるように働こうと思っています。単に信者を増やすために働くのではありません。自分の同志を集めるために働くのでもありません。世の中の人を神様の子とすることが出来るように働きたいのです。この世のわたしの短い、非常に貴重なこの時間を、神様の子を一人でも多く増やすことのために費やしたいのです。
2019.12.23
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後藤瑞義入選歌台風15号を詠みました。NHK学園短歌コンクール 佳作二日間仮死状態となるわが家停電という現代の闇
2019.12.22
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12月22日(日) 黒田幸子入選歌(8)(歌誌「賀茂短歌」より) 平成二十八年(2) 来年のことは誰にもわからぬが吉野の花見に行かむと誘はる(雑誌「短歌」平成二十八年五月号公募短歌館 佳作 秋山佐和子 選)若すぎて思慮の足りぬと思いいし息子三月に停年を迎える(雑誌「短歌」平成二十八年七月号公募短歌館 秀逸 秋葉四郎 選)軍人の父の任地の北満の日本人学校に馬車で通いし(雑誌「短歌」平成二十八年九月号 題詠 「記憶」 入選 中地俊夫 選)無人駅の留守番せねばと家作るつばくろ二羽が土運びいる(雑誌「短歌」平成二十八年十月号公募短歌館 佳作 久々湊盈子 選)(つづく)
2019.12.22
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12月22日(日)万葉秀歌(下巻)(111)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十二 (3)山河(やまがは)の水(みづ)陰(かげ)に生(お)ふる山(やま)草(すげ)の止(や)まずも妹(いも)がおもほゆるかも(巻十二・二八六二) 柿本人麿歌集茂吉:上の句は序詞で、中味は、「やまずも妹がおもほゆるかも」だけの歌で別に珍しいものではない。また、「山菅のやまずて君を」、「山菅のやまずや恋ひむ」等の如く、「山菅の・やまず」とつ続けたのも別に珍しくない。ただ、山中を流れている水際にながくなびくようにして群生している菅という実際の光景、とくに、「水際」という語にこころを引かれた。
2019.12.22
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12月22日(日)島木赤彦歌集(79)中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「大虗集」(11)大正十一年(1)小寒 山居冬に入って閑更に閑なり冬の日の暮るるに早し学校より一人びとりに帰り来る子ども小鳥(ことり)来てひそけきものか土の上に茨(いばら)の赤実を食(は)みこぼしたり冬ふかみ霜焼けしたる杉の葉に一と時明かき夕日のひかり縁さきに干したる柿に日短し郵便配り食べて行きにけり (つづく)
2019.12.22
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12月22日(日)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治41年より政変と草花花は咲き、また散ってしまいます。夏が去って、秋が来ます。内閣がまた新しい内閣に変ります。ある政党が解体し、また別の名前の政党が出来ます。大自然と人の一生におきまして、不変のことがあるでしょうか。そうです、神様だけ、キリストだけ、そしてキリストの言葉だけが変らず永久です。その他のことは、庭に生える草や花のようです。政権だってそんなものです、栄誉を得てもそんなものです、この世のいかなる貴いものも、力あるものであっても、みな変わらないというものはないでしょう。
2019.12.22
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12月21日(土)黒田幸子入選歌(7)(歌誌「賀茂短歌」より) 平成二十八年(1) きましたと礼儀正しい宅急便が手に渡しくれる短歌九月号(雑誌「短歌」平成二十八年一月号公募短歌館 佳作 三井ゆき 選) 一粒づつ宝石のごと摘まれしか甲斐の国よりさくらんぼくる(第十一回自然と清流果実の里やまなし短歌大会 入選 三枝浩樹・秋山佐和子 選) 百四歳の御手のぬくとさしなやかさ握って握られ歌会終る(雑誌「短歌」平成二十八年四月号公募短歌館 佳作 秋山佐和子 選)(つづく)
2019.12.21
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12月21日(土)万葉秀歌(下巻)(110)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十二 (2)愛(うつく)しみ我(わ)が念(も)ふ妹(いも)を人(ひと)みなの行(ゆ)く如(ごと)見(み)めや手(て)に纏(ま)かずして(巻十二・二八四三) 柿本人麿歌集茂吉:「おれの恋しくおもう女が、今彼方を歩いているが、それをば普通並の女と一しょにして平然と見て居られようか、手にも纏くことなしに、」というのである。
2019.12.21
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12月21日(土) 島木赤彦歌集(78)中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「大虗集」(10)大正十年(6)初冬(2) 今更のことならねど物乏しきこのごろ少し寂しくなり万葉集をよみゐたりけりしはす福寿草の鉢をおきかふる幼子(をさなご)や縁がはのうへに移る日を追ひて福寿草の莟(つぼみ)いとほしむ幼な子や夜は囲炉裏(ゐろり)の火にあててをり福寿草のかたき莟にこの夕息(いき)ふきかけてゐる子どもはや (つづく)
2019.12.21
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12月21日(土)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治41年よりさまざまな事業進んでしなければならないことがあります。同時に立ち止まってじっと待たなければならないこともあります。目的は神様を示すことです。神様の力を示すことです。神様の忍耐を示すことです。立ち止まって待つことも神様示すのに必要なことなのです。
2019.12.21
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12月20日(金)黒田幸子入選歌(6)(歌誌「賀茂短歌」より)平成二十七年(2) 打てば響くごとき返事をする嫁にささいな事も電話するなり(雑誌「短歌」平成二十七年七月号 題詠「響く」 楠田立身 選)実家には立派な家が建ちおれど妹ととまるビジネスホテル(雑誌「短歌」平成二十七年九月号公募短歌館 秀逸 沢口芙美 選)百余り五歳になられし師の御耳大き福耳と今日気付きたり(雑誌「短歌」平成二十七年十月号公募短歌館 佳作 志垣澄幸 選)石走る垂水の上のさわらびの濃き味噌汁を主好みき(雑誌「短歌」平成二十七年十月号 題詠「走る」 御供平佶 選)(つづく)
2019.12.20
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12月20日(金)島木赤彦歌集(77) 中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「大虗集」(9)大正十年(5)初冬山のべに家居しをれば時雨のあめたはやすく来て音立つるなり光さへ身に沁むころとなりにけり時雨にぬれしわが庭の土久方の月明らけし時雨の雲はつかに山にのこりたるらし山もとに時雨の雲は動けども月の光し押し照りにけりこの朝け戸をあけて見れば裏山の裾(すそ)まで白く雪ふりにけり(つづく)
2019.12.20
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12月20日(金)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治41年よりわが祈願わたしは神様に向って何を求めましょうか。資産家になることか、権力者になることか、知識のある者になることか、それとも天才になることか、幸福になることか、安全に一生を送ることか、それとも山を移動できるほどの信仰の力を持つことか。いやいや違います、わたしは心の底から求めます、どうか神様わたくしに他の人を愛する心をお与えください、軽々しくは怒らない心をお与えください、撃たれても赦す心をお与えください、どこにいてもおだやかな香りを放つようなやさしい心をお与えください。そうすれば、わたしの心は満ちあふれ、何も持たないようであっても、この世の誰にも負けぬ人間になるでしょう。
2019.12.20
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12月19日(木)黒田幸子入選歌(5)(歌誌「賀茂短歌」より)平成二十七年(1)繰り言を神の如くにうなづきてききくれる娘(こ)は吾の神様(雑誌「短歌」平成二十七年一月号公募短歌館 佳作 米川千嘉子 選)通話後に受話器を早く置きすぎると思はぬことを非難されたり(雑誌「短歌」平成二十七年三月号公募短歌館 佳作 沖ななも 選)友だちは一生の宝心して友作りなさいと子供等にいう(雑誌「短歌」平成二十七年三月号題詠「友」 入選 大塚布見子 選)我が靴をさがすよすがの目じるしに集会にもつ洗濯ばさみ(雑誌「短歌」平成二十七年六月号題詠「印」 入選 楠田立身 選)ふと触れし人の指先のつめたさをときめきのごと心にうける(雑誌「短歌」平成二十七年六月号公募短歌館 佳作 古谷智子 選)(つづく)
2019.12.19
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12月19日(木)万葉秀歌(下巻)(108)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十一 (49)あしひきの山鳥(やまどり)の尾(を)の垂(しだ)り尾(を)の長(なが)き長夜(ながよ)を一人(ひとり)かも宿(ね)む(巻十一・二八○二) 作者不詳茂吉:「念へども念ひもかねつあしひきの山鳥の尾の永きこの夜を」(巻十一・二八○二)の別伝として載っている。内容は、「長き長きよるをひとりかも寝む」だけでその上は序詞であるが、この序詞は口調もよく気持よき連想を伴う。(つづく)
2019.12.19
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12月19(木)島木赤彦歌集(76) 中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「大虗集」(8)大正九年(8)木曽御嶽(2)未明に田の原を発す星月夜照りひろがれるなかにして山の頂に近づきぬらし山の上にわが子と居りて雲の海の遠(とほ)べゆのぼる日を拝みたり子どもらは寂しくあれや暁の岩かげにゐて物を言ひたり 往路船相川の岬をめぐる潮のいろ深く透れり群だてる岩並みの底の見ゆるばかりに 土用日出(い)づれば即ち暑しあかつきの雲の散りぼふ赤松林畑の上に掘り出されたる馬鈴薯(ばれいしょ)の土ながらなる色の美(うま)しさ(つづく)
2019.12.19
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