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短歌鑑賞 (斎藤茂吉) 後藤瑞義 のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳(たらち)ねの母は死にたまふなり中学の教科書にも載っています、あまりにも有名な歌で解説する必要もないような歌です。以下はわたしの自由な解釈です、ご参考までに…。(われと同じように)悲しみでのどを赤くしているのかつばめたちよ、(いつもは飛び回っているのに、)二羽そろって(喪服のような羽をしていましずかに)梁にとまっている。そうだ、(東京のお母さまでなく、)私を乳から育ててくれた「おっかさま」がいま「死になさるんだ」…。(「おっかさーん」…。) 「玄」は黒の意味があります。「足乳(たらちね)」は、母にかかる枕詞ですが、文字通り乳でもって育ててくれたという感じがします。「母は」の「は」に強いひびきをわたしは感じます。茂吉は養子に行きましたので東京の斉藤家にも義理の母がおります。その義理の母ではなくて、「足乳(たらちねの)母は」の「は」だと思うのです。鳥の数え方は「一羽二羽」ですが、「ひとつふたつ」は幼い感じ、幼児に返った感じもあったのでしょうか。この場合、「二羽」より「ふたつ」の一音多いほうがつばめの存在感が強まる効果はあると思います。実家に帰った茂吉は、幼い頃の記憶が蘇ったのではないでしょうか。純粋な心になって死に近い母を詠んだ感動的な一首です。追記:茂吉には二人の母がいることに気が付きました。14才で上京し母のもとを離れた茂吉、そして養子になって義理の母のもとで生活していた茂吉、そうしたなかで茂吉の心の中に産みの母にたいする思慕の念が深まっていったのではないでしょうか。そんなことを考えながらこの一首を味わいますと、しみじみした思いが伝わって来ます。 のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳(たらち)ねの母は死にたまふなり
2019.11.30
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11月30日(土)万葉秀歌(下巻)(86)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十一 (26)面形(おもがた)の忘(わす)るとならばあぢきなく男(をのこ)じものや恋(こ)ひつつ居(を)らむ(巻十一・二五八○) 作者不詳茂吉:一首の意は、「あの女の顔貌(かおかたち)が忘れてしまうものなら、男子たるおれが、こんなに甲斐ない恋に苦しんで居ることは無いのだが、どうしてもあの顔を忘れることが出来ぬ、」というのである。「じもの」:「何々のごときもの」、「男じもの」は男らしきもの。
2019.11.30
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11月30日(土)島木赤彦歌集(57) 中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「氷魚」(27)大正七年(6)亡子をおもふ正彦(まさひこ)の足音ききて鳴きしとふ山羊(やぎ)も売られてこの家になし柿の木の若葉のうへに紅(あか)き月のぼりてさむき夕(ゆふべ)となれりこの家に帰り来らむと思ひけり胡桃(くるみ)の花を庭に掃(は)きつつ(つづく)
2019.11.30
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11月30日(土)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治41年よりキリスト教の極致「キリストは今なお活きてわれらとともに在(いま)し給う」、キリスト教の究極の真理はこれです。キリストがもし単に歴史上の人物であったとしたら、キリスト教の倫理がいかに美しくても、その教義がいかに深いとしても、そのすべては空虚なものになります。キリストが今生き生きとして存在しておられないなら、わたしは今直ちにキリスト教を棄てるでしょう。キリスト教が存在しうるのは、キリストが現在存在するかどうかにかかっています。
2019.11.30
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歌集「悲しき玩具」(八十二)下書き 後藤瑞義 (注)歌の順序は歌集の順序によります。名は何と言ひけむ。姓は鈴木なりき。今はどうして何処にゐるらむ。 二行目、「姓は鈴木なりき。」がもし「姓は野口なりき。」であったなら、この歌は、歌の出来はともかくとしまして、後年評判になったことでしょう。啄木は、二十一、二才ごろ一年くらいの間、北海道を函館、札幌、小樽、そして釧路と転々と流浪の生活をしました。そんな折、札幌で野口雨情と接触がありました。そして二人は、小樽に行き小樽日報社に職を得ました。しかし、雨情の方は一ケ月くらいでそこを退社したので、短い付き合いだったようです。後年、啄木の名声がたかまって、雨情の方は色々と啄木についての思い出を書いています。ただ、啄木のことをあまり良くは書いてないようです。啄木の方は、雨情についてほとんどかいておりません(わたしの勉強不足かもしれませんが)。さいはての駅に降り立ち 雪あかり さびしき町にあゆみ入りにき 「一握の砂」 北海道を一年近く転々と流浪した時代に、姓が鈴木という人間に会ったのでしょうか。わたしは、上記のように詠った釧路で出会った人間を思い出しているのではないかと空想します。北の最果ての町で会った二人、たとえば酒場ででも会ったのでしょう。「しばれますねえ」(鈴木)と、隣の席にいた男に話しかけられます。その東京言葉(標準語)を聞いて啄木の心も開かれます。東京が懐かしかったのです。「東京から来たのですか。」(啄木)「おたくも東京にいたことがあるのですか、なつかしいですね」(鈴木)…、酒を飲みながら、話がはずみます。互いに不遇を嘆くと共に、希望も語り合ったのではなかったでしょうか。今病床に伏している啄木、色々な思い出が頭の中をよぎります。苦しかった釧路時代に、一夜酒場で語り合った男。「必ず一旗あげますよ、お互いにがんばりましょう」などと言っていた男。「鈴木なにがしと言っていたが…、どうしているだろうか…。希望どおりに一旗あげているだろうか…」、そんな思い出にふけっている啄木の姿が浮かびます。名は何と言ひけむ。姓は鈴木なりき。今はどうして何処にゐるらむ。
2019.11.29
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11月29日(金)万葉秀歌(下巻)(85)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十一 (25)早行(はやゆ)きて何時(いつ)しか君(きみ)を相見(あひみ)むと念(おも)ひし情今(こころいま)ぞ和(な)ぎぬる(巻十一・二五七九) 作者不詳茂吉:一首の意は、「いそいで行って、一時もはやくお前に逢いたいと思っていのだが、こうしてお前をみるとやっと心が落ち着いた、というのだろう。この歌は、男が女に向って「君」と呼んでいる。(つづく)
2019.11.29
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11月29(金)島木赤彦歌集(56) 中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「氷魚」(27)大正七年(5)高木の家母一人臥(こや)りいませり庭のうへに胡桃(くるみ)の青き花落つるころ空はれてさむき光さす胡桃の木花長くして葉はまだ伸びぬ庭のうへの二つところに掃(は)きあつめし胡桃の花はいくらもあらず大き炉(ろ)に我が焚(た)きつけし火は燃えてものの音せぬ昼のさびしさ火をたきて烟(けむり)こもれる窓さきの柿のわか葉はいくらものびず (つづく)
2019.11.29
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11月29日(金)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治41年よりわが教会わたしには、いわゆる世の中で言われるところの教会はありませんし、教会に属してもおりません。しかしわたしには真の教会がありますし、真の教会に属しています。そうです、キリストそのものこそわたしの教会です。キリストは神様が聖(きよ)いように聖い存在です。また宇宙が広いように、同じように広い存在です。わたしには、キリストがおり、キリストこそがわたしの完全なる真の教会です。
2019.11.29
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短歌鑑賞(大野誠夫) 後藤瑞義(歌誌「賀茂短歌」平成十四年四月号より)兵たりしものさまよへる風の市白きマフラーをまきゐたり哀し 大野誠夫 歌意は次のようなことかと思います。かって兵士として国の勝利を信じまい進してきたであろう若者が、戦争に敗れ目的を失って風の吹き荒ぶ(闇)市をさ迷い歩いている。その若者は白いマフラーを巻いていた。折りしも強風に吹かれマフラーがはためいている。それは特攻隊としてさっそうと飛び立って死んでいった若い兵士達を思い出させる。この若者はこれからどうなるのだろうか。なんと心が痛む光景であろうか。 「兵士たりしもの」の「もの」とは、若者の「もの」と解釈しました。「風の市」とは、風が吹きすさぶ市場(いちば)のことでしょう。それも戦後のことですから闇市のようなところかと思います。「風の市」という表現はなかなか省略がきいていてすばらしいと思います。また、白いマフラーが非常に印象的であり、風の市が大変効果的です。問題は最後の「哀し」でしょう。よく感情語は使わないようにと言われます。それは、小我の感慨の押し付けであったり、説明であったり、言い過ぎであったりして読者に感動を与えないからだと言われます。しかし、この場合はどうでしょうか。この場合の「哀し」は、作者個人というより敗戦に打ちひしがれた国民全体に通じる「哀しみ」であろうと思います。特攻隊の生き残りの青年が白いマフラーをはためかせてさ迷う姿は、当時の若者の姿を象徴しているかもしれません。もっといえば日本人全体の象徴かもしれません。そうした光景に「哀し」と作者はつぶやいているのです。 大野誠夫(おおののぶお)氏の再婚相手のひで子さんの実家は熱海市にありました。そこで、大野氏は結社「作風社」の本部を奥様の実家に移しそのに住んでおられました。わたしが、短歌を作り始めたころ、角川書店の雑誌「短歌」に大野誠夫氏の追悼号が出されました。わたしは、そこではじめて大野誠夫氏を知りました、大写しされ写真、憂いをおびた横顔が妙にわたしの胸を打ったことを覚えています。熱海のホテルに勤めていた関係もあり早速作風社へ入会したのでした。 ほどなくして、新人賞である「花筏賞」を受ける名誉にあずかりました。しかし、主宰が奥さんから別の人に移り、本部も熱海市から埼玉県の熊谷市に移り、わたしも作風社より退会しました。次の十首は、新人賞を受賞したときに提出したものです。作風社「花筏賞」(新人賞)受賞金子貞雄選考委員長談話 今年は、候補者がバラツキ、その分、27点満点に対して一位14点、二位12点と過去に無い低い得点となってしまった。「該当者無し」とすべきところ、一位ということと歌集「祈り」の出版ということもあり、その両方を合わせて貴殿を受賞者に決定しました。十首抄(自選) 滝壷に散りたる紅葉ひとひらの浮き沈みつつ渦にもまるる 葉隠れにひよどり鳴けりはがくれに咲き散りてゆく花もあるべし 元旦の人けなき道、路地裏の街灯ひとつ点滅をする 太古より変らぬものを三日月の近くに光る星仰ぎたり 靴底にひび割れたるをそのままに履きおるは子らの知らざる世界 とげとげとひと日過ごしし身を沈めぬ今宵は少し熱き湯槽に 波しろき沖の小島に聳え建つホテルの窓のこよいも暗し 当直の窓にうねれる暗き海口笛吹けば涙溢るる 職探しさ迷う吾か舗装路に蚯蚓一匹干涸びている 舗装路に踏み潰さるる蝸牛こころ優しきもののごとくに
2019.11.28
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11月28日(木)万葉秀歌(下巻)(84)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十一 (24)偽(いつはり)も似(に)つきてぞする何時(いつ)よりか見(み)ぬ人(ひと)恋(こ)ふに人(ひと)の死(しに)せし(巻十一・二五七二) 作者不詳茂吉:一首の意は、「嘘をおっしゃるのも、いい加減になさいまし、まだ一度もお逢いしたことがないのに、こがれ死するなどとおっしゃる筈(はず)はないでしょう。何時の世の中にまだ見ぬ恋に死んだ人が居りますか、」というような意味のことを、簡潔な古語でいいあらわしている。「偽も似つきてぞする」は、偽をいうにも幾らか事実に似ているようにすべきなのに、あまりに出鱈目な偽ではこまる、ということ。
2019.11.28
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11月28日(木)島木赤彦歌集(55)中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「氷 魚」(26)大正七年(4)わが父 六月十四日早暁茅野駅下車、一里の狭道を歩みて老父を訪ふ。老父七十五。 心甚だ安静にして却りて病後の頼み少なきを思はしむ雪のこる高山(たかやま)すその村に来て畑(はたけ)道(みち)行く父に逢(あ)はむため夏(なつ)芽(め)ふく櫟林(くぬぎはやし)の家のうちに命をもてる父を見にけり古田(ふるた)のくぬぎが岡の下庵(したいほ)にふたたびも見む父ならなくに郭公(くわくこう)の啼(な)くこゑ近しちちのみの父のへに居て飯食ふ我は間(あひだ)なく郭公鳥(くわくこうどり)のなくなべに我はまどろむ老父の辺(へ)にくれなゐに楓(かへで)芽をふく窓のうちに父と我が居(ゐ)るはただ一と日のみ (つづく)
2019.11.28
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11月28日(木)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治41年より聖書の自証聖書は、神様の書物です。聖書は神様によって書かれた書物であるばかりでなく、また神様によって使用される書物です。わたしたちは、たぶん聖書を本当に解釈することは難しいでしょう。しかし、神様は聖書を使って私たちをお救いくださるのです。聖書がすべて神学者の知識によって解釈できるのであれば、聖書は神様の書物ではなくなるでしょう。聖書は神様によってはじめて完全に解釈されるのです。神様によらなければ満足に解釈できない、それが神様の書物であることの証明です。
2019.11.28
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よみうり文芸 入選歌(読売新聞静岡版) 台風の傷跡残る山々をいたわるごとく霧のおおえり 下田市 後藤瑞義(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十一月二十七日 秀逸 渡 英子 選)(選評)日本の各地に激甚な被害をおよぼした台風が過ぎて、山々の傷跡もふかい。声をあげることのない山々の傷跡を隠すように、いたわるように乳色の霧が降りる景がいとおしい。
2019.11.27
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11月27日(水)万葉秀歌(下巻)(83)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十一 (23)人(ひと)も無(な)き古(ふ)りにし郷(さと)にある人(ひと)を愍(めぐ)くや君(きみ)が恋(こひ)に死(し)なする(巻十一・二五六○) 作者不詳茂吉:旧都にでもなったところに残り住んでいる女から、京にいる男に出もやった歌のように受け取れる。「もう寂しくなって人も余り居らないこの旧都に残っております私に、可哀そうにも恋死をさせるおつもりですか、」とでもいうのであろう。「めぐし」は、愛情の切ないこと。 (つづく)
2019.11.27
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11月27日(水)島木赤彦歌集(54)中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「氷魚」(25)大正七年(3)其 二晴るる日の空にそびゆる山門より雪のまひ散る風絶えまなし雪あれの風にかじけたる手を入るる懐(ふところ)のなかに木の位牌(ゐはい)あり山門に向ひてのぼる大どほり雪厚くして黒土を見ず雪ふかき街に日照ればきはやかに店ぬち暗くこもる人見ゆ(つづく)
2019.11.27
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11月27日(水)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治41年より神の論証神様の言葉は、声でなく現実に示された事実です。神様の議論は、語ることではなく現実に示された事実です。つまり、神様は声を出して語られません、ただ黙って事実だけを示されます。神様は戦争がいけないことを、戦争の結果もたらされた事実をもって示されます。神様は教会がいけないということを、現実の教会の実情をもって示されます。みなさん論じることをやめましょう。ただ現実を見ましょう、見て過ちは改めましょう。神様は、耳から、目から、鼻から、口から、空から、地上から、あらゆるところから事実をもって、すべてのことをみなさんに示されます。
2019.11.27
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11月26日(火) 令和元年後藤瑞義入選歌(よみうり歌壇他)(11)10月号より(賀茂短歌) 舗装路の継ぎ目に生きる場所を得て一列に咲く鶏頭の花(読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月二十五日 入選 渡 英子 選) 遺されしノートの歌稿読みおれば妻亡きことを忘れ時過ぐ(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十月 九日 入選 渡 英子 選) 復旧は夜半もなされず月かげのおだしき光里をおおえり(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十月十六日 入選 渡 英子 選) 山影の小さくなりてようやくにわが家に光差し始めたり(日本歌人クラブ東海ブロック 十月二十七日 佳作 小塩卓哉 選)
2019.11.26
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11月26日(火)万葉秀歌(下巻)(82)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十一 (22)相見(あひみ)ては面隠(おもかく)さるるものからに継(つ)ぎて見(み)まくの欲(ほ)しき君(きみ)かも(巻十一・二五五四) 作者不詳茂吉:お目にかかれば、お恥ずかしくて顔を隠したくなるのですけれど、それなのに、度々あなたにお目にかかりたいのです。という女の歌である。「ものからに」は、「ものながらに」、「ものであるのに」の意。
2019.11.26
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11月26日(火) 島木赤彦歌集(53)中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「氷魚」(24)大正七年(2)善光寺 一 雪はれし夜(よ)の町の上を流るるは山よりくだる霧にしあるらしおのが子の戒名もちて雪ふかき信濃(しなの)の山の寺に来にけりのぼり行く坂のなかばより山門の雪の屋根見ゆ星空の下に(つづく)
2019.11.26
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11月26日(火)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治41年よりわが愛国心わたしは、今すぐに日本の悪いところを直し救えるわけではありません。しかし、わたしは百年後もっといえば千年後を目指しているのです。今は、そのためのしっかりした土台を作ろうと思っているのです。わたしの小さな試みが国を救えるまでになるには、日本は何度も滅亡の危機に遭うでしょう(注:第二次世界大戦のことなどを言っているのでしょうか?:ブログ作成者)。しかし、わたしは永久に壊れない土台を作ろうと思っていますので、どんな時代になっても恐れることはありません。永久に壊れない土台というのは、すなわち神様のことです。政治家のようになって国を救うのではなく、預言者のように、あるいはパウロなどのような使徒になって、あるいは大詩人のようになって、あるいは大哲学者のようになって、永遠の変わらぬ真理を求めて国を救おうと思うのです。
2019.11.26
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短歌鑑賞(石川啄木)他 後藤瑞義 (歌誌「賀茂短歌」平成十四年四月号より) 東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる 啄木は一晩に百首、百五十首と多作したことで知られています。この作品もそういった折の一首と聞いています。ですから多分に空想で作っているきらいがあると思われます。あるいは過去の記憶と空想で作ったと言ったほうが良いかもしれません。その確証として「磯の白砂」をあげましょう。磯というとわたしにはどうしても岩場、石の多いところというイメージが浮びます。「磯の白砂」という表現がどうしてもぴんとこないのです。しかし、ここで大事なのはやはり白のイメージでしょう。小島の小も必要な要素と思います。つつましい感じを出したかったかもしれません。しかし何と言いいましても、海水にぬれるのではなく泣きぬれるという表現、若い女性や友人ではなく身を硬い殻に閉ざした蟹とたわむれると結んだところに天才の面目躍如たるものを感じます。失恋をした青年でしょうか。あるいはなにかに挫折をしたのでしょうか。そんな孤独な青年を彷彿とさせ、切ない気持ちになります。 懐かしい鑑賞文です。だいたい思うところは述べていると思いますが、やはり今読みますともう一歩突っ込んでも良かったかなと思いました。 例えば、「東海の小島」は、極東の小島である日本を想起させます。「蟹」、固い殻で身を覆っている、それはあるいは啄木自身の姿でもあったかもしれません。一人二役です、つまり見ている自分も、見られている自分(蟹)も啄木自身ではなかったでしょうか。 思うように事が運ばない、極貧と病身を抱えて、孤立無援の身を歎いている啄木を感じます。なお、「磯の白砂」は、「浜の白砂」としてわたしは詠みたいと思います(改悪でしょうが)。
2019.11.25
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11月25日(月)万葉秀歌(下巻)(81)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十一 (21)斯(か)くばかり恋ひむものぞと念(おも)はねば妹(いも)が袂(たもと)を纏(ま)かぬ夜もありき(巻十一・二五四七) 作者不詳茂吉:一首の意は、「こんなに恋しいものだとは思わなかったから、妹といっしょに寝ない晩もあったのだが、こうして離れてしまうと堪えがたく悲しい。容易(たやす)く逢われた頃になぜ毎晩通わなかったのか、」と歎く気持ちの歌である。
2019.11.25
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11月25日(月)島木赤彦歌集(52) 中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「氷魚」(22)大正七年(1)正月心疲るれば眠りて起きぬ冬の日の明かき二階にいく日(にち)も居り仏壇に蝋燭(ろふそく)ともすみじか日の真昼の障子(しやうじ)明るくなれり片側の雨戸を引きぬあかあかと日の照る昼の風はげしさに籠りゐてたがひに寂し時をりに二階の下に物音する妻(つづく)
2019.11.25
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11月25日(月)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治40年より聖職と職業パウロは、自分のことを使徒パウロといいます。しかし、使徒という言葉は、パウロの職業ではありません。パウロは、タルソという町のテント(天幕)職工でした。そうした、しっかりした職業を持っていたからこそ、パウロはキリストの善き使徒となることが出来たのでした。わたしたちは、救い主イエス・キリストといいます。しかし、キリスト自身は自分のことを救い主として生活したのではありませんでした。キリストは、父ヨセフの子として父の職業である大工(木匠(たくみ))を受け継いて生活をしたのでした。そのようにしっかり職業に従事していたので、キリストは人類の優れた救い主となることが出来たのでした。聖職を職業と思ってはならないでしょう。まずは、普通の労働者として働いている人であるから、優れた伝道者になることが出来るのです。
2019.11.25
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11月24日(日) 令和元年後藤瑞義入選歌(よみうり歌壇他)(10)9月号より(賀茂短歌) その昔松陰漕ぎし湾内を水上スキー波しぶきあぐ(読売新聞 読売歌壇 八月二十六日 入選 小池 光 選) 住職の唱える和讃聞いている母に抱かるる赤子となりて(読売新聞静岡版 よみうり文芸 八月二十九日 入選 渡 英子 選) 一日の命を惜しみ朝咲ける木槿の花を花瓶に挿せり(読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月 四日 入選 渡 英子 選) コンクリの上を歩けるわが影の陽炎となりゆらめいている(読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月十一日 入選 渡 英子 選) 廃線となりたるレールはすでに錆び夏草覆う中に消えおり(読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月十八日 秀逸 渡 英子 選)(選評)生活の足として機能していた鉄道が廃止され、鉄路と呼ばれたレールも錆を深めている。一つの時代の過ぎた感慨を情景描写のみで表現されて余韻の残る作品となった。 (つづく)
2019.11.24
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11月24日(日)万葉秀歌(下巻)(80)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十一 (20)念(おも)はぬに到(いた)らば妹(いも)が歓(うれ)しみと笑(ゑ)まむ眉引(まよびき)おもほゆるかも(巻十一・二五四六) 作者不詳茂吉:一首の意は、「突然に女のところに行ったら、嬉しいと云ってにこにこする様子が想像せられて云いようのなく楽しい、」というのである。昔も今もかわりない人情の機微がでている歌である。「念はぬに」は、突然に。「歓しみと」の「と」は、「と云って」の意である。(つづく)
2019.11.24
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11月24日(日)島木赤彦歌集(46) 中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「氷魚」(22)大正六年(13)逝く子(4)入院の日を想ふ釣台(つりだい)を揺(ゆ)するなかれと思(も)ひしかば我が手をかけて坂をのぼりき釣台のそとより我の呼びしとき応(いら)へし吾子(あこ)を生くると思ひき ○かぎろひの夕べの庭に出でて見つかへることなき命をおもひて国遠くもちかへりぬ画だくみがかきてtびたる吾が子の面わを(つづく)
2019.11.24
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11月24日(日)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治40年より日本人の救済わたしが、日本人を見渡して思うことは、日本人が「神の国に入るよりは、駱駝が針の穴を通るほうがやさしい」と思わざるを得ません。日本人の虚栄心、日本人の貴族根性、日本人の人物崇拝、日本人の武士道、日本人の儒教道徳、これらが神の国に入る障害になります。わたしは、これらのことを考える時ほとほと絶望をしてしまいます。「ああ日本人は神の国へ入ることは出来ないのか」、わが叫びに答えて主はおっしゃいます。「これ人にはあたわざるところなり、されど神にはあたわざるところなし(これは、人には出来ないことであっても、神様にはいかなることも出来ないことはないので、容易に出来るのである)」と。(マタイ伝十九章二十四節から二十六節)
2019.11.24
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歌集「悲しき玩具」(八十一)下書き 後藤瑞義 (注)歌の順序は歌集の順序によります。 古手紙よ!あの男とも、五年前は、かほど親しく交はりしかな。 「古手紙よ!!」、字余りを無視して「よ」を付けています、それに加えて感嘆符も付けています。これがきいていると思います。これによって、「手紙」が単なる古い手紙ではなくなり、啄木の思いのこもった手紙であることが伝わってきます。すでに中身を読んでいることさえ思わせます。 「あの男とも、」、あの男という言い方、すこしぞんざいな言い方ですが、あるいは字数の関係で「友」では字足らずになるためでしょうか。「五年前」、「悲しき玩具」は啄木の死後に出された歌集ですので、掲載歌は晩年あるいは晩年に近い作品と想像します。それであれば、五年前は啄木が二十歳か二十歳そこそこの頃だと思われます。たとえば、北海道を流浪したころ出合った人間でしょうか。あるいは、北海道から東京へ移った後でしょうか。 「かほど親しく交はりしかな。」、昔の手紙で内容は忘れていたかもしれません。その内容を読んでみて、相手との友情を思い出したのでしょう。 たびたび、啄木の借金問題をとりあげますが、啄木が人と離れる大きな原因の一つは借金のように思います。しかし、それは、相手が啄木から離れることになる原因で、啄木から離れる原因とは言えないかもしれません。 次には、路線の違い、文学に対する方向の違い、あるいは生活環境や性格の違いなどにより、啄木のほうから離れた友人もおりました。それは「明星」や「スバル」での友、吉井勇であったり平野万里であったり、太田正雄(木下杢太郎)であったりしました。この辺がこの歌に合うのかもしれません。 啄木は物の本質を見抜く力があったようです。それが人間を見ることにも当てはめたようです。たとえば親しく交際していた吉井勇とは、「何の思想も確信もない、自惚れと空想だけの人間」と見極め交際を断っています。同様に平野万里には、偽善者のレッテルを貼って別れました。仕送りで生活している医学生太田正雄(木下杢太郎)とは、あまりにも生活環境が違っていたので、尊敬したり好意をもっていたようですが、結局は疎遠になったようでした。ですからこの歌の相手は太田正雄(木下杢太郎)ではなさそうです。「あの男」という言い方が彼にはふさわしくないように思うのです。余談ですが、啄木の長女京子さんの婿さんの名前は正雄です。ですから、婿さんは石川正雄になったのでした。北原白秋とは、お互いに刺激しあってはいたようですが、友人関係には至らなかったように想像します(わたしの勉強不足で、正しくは分かりませんが)。 何か犯人探しのような記述になって申し訳ありませんが、そんなこともいろいろ想像させる作品であることは確かだと思います。 初句で「古手紙よ!!」と思いを込めて歌い出していますが、手紙が主題ではないでしょう。今は、親交のない友のことを懐かしんで歌っているわけです。その作歌方法がやはり特徴があり、魅力があります。たとえば土屋文明の次のような歌があります。ただひとり吾より貧しき友なりき金のことにて交わり絶てり 土屋文明文明の方は、やはり真っ直ぐに友を主題にし、事実をありのままに述べています。それが読者に強く伝わって来ます。返済はもはや求めず遠くより友の笑顔を思い出しおり 後藤瑞義わたしのつたない即詠をあげる事もないですが、わたしもやはりストレートに思いを述べるようになるでしょう。ですからこそ、啄木のすばらしさ、あるいは歌の魅力を非常に感じるわけです。 古手紙よ!あの男とも、五年前は、かほど親しく交はりしかな。
2019.11.23
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11月23日(土)万葉秀歌(下巻)(79)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十一 (19)振分(ふりわけ)の髪(かみ)を短(みじか)み春草(はるくさ)を髪(かみ)に綰(た)くらむ妹(いも)をしぞおもふ(巻十一・二五四○) 作者不詳茂吉:振分というのは、髪を肩のあたりまで垂らして切るので、まだ髪をむすぶまでに至らない童女、または童男の髪の風をいう。「綰(た)く」は、髪を束ねあげること。一首の意は、「あの児は短い振分髪で、まだ髪を結(ゆ)えないので、春草を足して髪に束ねてでもいるだろうか、可哀(かわ)いいあどけないあの児のことがおもいだされる、」というくらいの意とおもう。
2019.11.23
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11月23日(土)島木赤彦歌集(50)中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「氷 魚」(21)大正六年(12)逝く子(3)とめどなく我(われ)の眼(まなこ)より涙ながれ友に面(おも)むかひ悔(く)いてとまらずあわただしく命はゆきぬわが家の窓に日あたりきのふのごとし父われを時のますらも口に呼び今もよぶかも物書きてあれば(つづく)
2019.11.23
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11月23日(土)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治40年より幸福に入るの道わたしは、今さらに大きい犠牲をすることによって、さらに大きい幸福の世界に入ろうと思っています。つまり、幸福は何か物を得ることによってもたらされるのではないということです。幸福というのは、物を棄てることによってもたらされるのです。わたしは、わたしの持っている最も大きな物を棄てることによって、最も大きな幸福に入ろうと思っています。みなさん、幸福な世界に入る道はなんとやさしいことでしょう。これほどやさしい道を与えて下さいました神様に感謝いたします。
2019.11.23
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短歌鑑賞(島木赤彦の一首) 田舎の帽子かぶりて来し汝(な)れをあはれに思ひおもかげに消えず さて、の上記歌ですが、難しいところのないそのままの歌です。ですからまずこのまま、そのままを鑑賞したいと思います。 田舎の帽子をかぶっているなあと赤彦は思ったわけです。「来し」の「し」は過去の回想の助動詞「き」の連体形です。あの時は、来たっけなあ。つまり、田舎の帽子をかぶって来たっけなあと回想をしています。田舎から都会に多分来たのだと思います。 「汝れ」は、ごく親しい者に対する、どっちかというと目下の感じがします、子供であったり、昔のことですから奥さんでもいいのだと思います。「おまえ」と言った感じです。 「あわれに思ひおもかげに消えず」は、非常に哀れ深く思ってどうしてもその面影が目に浮かんで消えないといったことだと思います。一切の事情等が分からず、この歌だけの情報で鑑賞するなら、次のようになろうかと思います。「汝れ」を例えば奥さんとしますか。 流行おくれの田舎で売っているような帽子をかぶって、(東京の私の下宿を)尋ねてきたおまえ、(都会の帽子でも買って送ってやればよかったが、)(なにか田舎田舎した)そのおまえの姿をあわれに思って、今もありありと目に浮かんでくることだ。 死んだ奥さんを偲んでいるようにおもえます。また、そういう死者に対する歌とするとより深いものとなるのと思います。 種明かしみたいで申しわけありませんが、実はこれは亡くなった子供さんを偲んだ歌なんです。 赤彦は、伊藤左千夫が急死したために、アララギの結社誌の発行などで、一時期単身で上京し、家族とは別居していたようです。 そんな別居中の夏休みかなんかでしょうか、子供さんが上京して赤彦に会いに来たときの記憶のようです。 短歌のこと、アララギのことを最優先にして、家族を顧みなかった自分を責める気持ちもあるのではないでしょうか。亡くなった子供に対してああしてやればよかった、こうしてやればよかったという後悔の気持ちを縷々述べたい気持もあると思います。そういう歌を作りたくなるのも自然と思われますが、その方法を赤彦はとりませんでした。アララギ派赤彦は「田舎の帽子かぶりて来し汝」とただありのままに写生をしています。「あはれに思ひ」は、上の句の写生があるために生きてくるのだと思います。そして、また「おもかげに消えず」も上の句の写生があるために生きてきていると思います。 島木赤彦が、長男の死を詠んだ一連の作品のなかの一首です。 田舎の帽子かぶりて来し汝(な)れをあはれに思ひおもかげに消えず 涙とか、死とか、悲しいとか、あらわな表現をを抑えている。これぞアララギ派の短歌方法なのでしょう。
2019.11.22
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11月22日(金) 令和元年後藤瑞義入選歌(よみうり歌壇他)(9)八月号より(賀茂短歌) 天に向き身の潔白を晴らさんと泰山木は大輪開く(読売新聞 読売歌壇 七月二十九日 三席 小池 光 選)(評)タイザンボクの大きな真っ白い花。あたかも身の潔白を晴らすごとくである。この比喩が大胆で気持ちが良い。 信長の弟というその名前有楽町に有楽椿に(読売新聞静岡版 よみうり文芸 七月三十一日 入選 渡 英子 選) 緑濃き山に向かいて息吸えり大きく吸えり精気もらわん(読売新聞静岡版 よみうり文芸 八月 七日 入選 渡 英子 選) 一晩を茂みにひそみ明かしたる雄鶏露に濡れてかがやく(読売新聞静岡版 よみうり文芸 八月十四日 入選 渡 英子 選) 無沙汰わび師の奥津城に額ずけば黒御影石小雨に光る(読売新聞静岡版 よみうり文芸 八月二十一日 入選 渡 英子 選)(つづく)
2019.11.22
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11月22日(金)万葉秀歌(下巻)(78)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十一 (18)苅薦(かりごも)の一重(ひとへ)を敷(し)きてさ寐(ね)れども君(きみ)とし寝(ぬ)れば寒(さむ)けくもなし(巻十一・二五二○) 作者不詳茂吉:一首の意は、「薦席(こもむしろ)をただ一枚敷いて寝ても、あなたと御いっしょですから、ちっとも寒くはありません、」というのである。「君とし」とあるから大体女の歌として解していいであろう。(つづく)
2019.11.22
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11月22日(金)島木赤彦歌集(49)中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「氷魚」(20)大正六年(11)逝く子(2)これの世に汝(いまし)やはある吾(あ)れの子の手をとり握りひたすらにあり玉きはる命のまへに欲(ほ)りし水をこらへて居よと我は言ひつる田舎の帽子かぶりて来(こ)し汝(な)れをあはれに思ひおもかげに消えずふたつの歳眼をやみしかば手をひき歩み思ひは永(なが)くこの子にのこらむ子をまもる夜のあかときはしずかなればものを言ひたりわが妻とわれと (つづく)
2019.11.22
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11月22日(金)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治40年より教会員とキリスト信者この日本にキリストの組合教会員はおります、しかし真のキリスト信者がその人たちの中におるでしょうか。キリストのメソジスト教会員はおります、しかし真のキリスト信者がその人たちの中におるでしょうか。「日本キリスト」教会員はおります、しかし真のキリスト信者はその人たちの中におるでしょうか。キリストの独立教会員はおります、しかし真のキリスト信者はその人たちの中におるでしょうか。キリストの「聖公会」員はおるでしょう、しかし真のキリスト信者はその人たちの中におるでしょうか。何々キリスト教会員は、たくさん日本に存在します。しかし、真にキリストを信じ、キリストのために苦しむ人が何人おるでしょうか。教会のために力を尽くせば、人々の同情と報酬もいただけるでしょう。しかし、教会に属さないで、ただキリストに尽くしたとしても、なんの同情も報酬も得ることはないでしょう。もしキリストのために十字架にあげられるような苦難にあったとしたら、今の教会と教会員はわたしのことを嘲笑するでしょう、あるいは悪口を言ったり、誹(そし)ったりするだけでしょう。たいへん悲しいことです。
2019.11.22
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11月21日(木) 令和元年後藤瑞義入選歌(よみうり歌壇他)(7)七月号より(賀茂短歌) 機関銃撃つごと草を刈りてゆくカエル、バッタの逃げまどうなか(読売新聞静岡版 よみうり文芸 六月二十六日 入選 渡 英子 選) 落ち水がとくとくとくと音たてて月の光に響く早苗田(読売新聞静岡版 よみうり文芸 七月 三日 佳作 渡 英子 選)(評)稲の苗を植え終ってみずみずしい緑がそよぐ水田。「落ち水」は水路から田に注ぐ水だろうか。それとも水田から落ちる水かもしれない。第二句の擬音語が月明りに響く初夏の早苗田。 朝なさな泡白くぬり髭を剃る職退きてはや十年経つも(読売新聞静岡版 よみうり文芸 七月 十日 入選 渡 英子 選) 二時間に一本通るバス停に雨に打たるる時刻表あり(読売新聞静岡版 よみうり文芸 七月二十四日 佳作 渡 英子 選)(評)マイカーを持つ人が増え、過疎化が進む時代を反映した「二時間に一本」のバス。住民の生活を支えるバスの時刻表を打つ雨に作者の深い思いが籠もる印象深い一首となった。(つづく)
2019.11.21
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11月21日(木)万葉秀歌(下巻)(77)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十一 (17)垂乳根(たらちちね)の母(はは)に障(さは)らばいたづらに汝(いまし)も吾(われ)も事成(ことな)るべしや(巻十一・二五一七) 作者不詳茂吉:一首の意は、「母に遠慮して気兼ねしてぐずぐずしているなら、お前も私もこの恋を遂げることが出来んではないか」というので、男が女を促す趣の歌である。(つづく)
2019.11.21
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11月21日(木) 島木赤彦歌集(48)中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「氷魚」(19)大正六年(10)逝く子(1) 病むこと十日。十二月十八日午前零時半小石川病院に逝くふるさとよりはるばる来つる祖父(おほぢぢ)にものを言ひたりこの日のくれまでおほぢぢの荒れし手のひらをさすりつつ国にかへりし思ひすと言ひつ日の暮れまでおほちちの手をとりてよろこびたはやすきかもわが子の命は (つづく)
2019.11.21
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11月21日(木)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治40年よりキリスト伝の研究わたしはキリストのようになりたくてキリスト伝を勉強しました。しかし、勉強しても勉強してもキリストのようにはとうていなれないことを知りました。そして、失望しました。失望してつくづく自分は罪深い人間であると覚りました。覚りて、人間の罪を贖うために十字架となられたキリストにおすがりしたのでした。おすがりすることによって少しキリストに近づいたように思いました。キリストはキリスト伝を研究してすぐにまねができるようなものではなかったのです。ただ、人間はキリスト伝を研究して、絶望することです。もっと言えば、キリスト伝によって殺されることです。それによってはじめてキリストとともに生きることが出来るようになるのだと思いました。
2019.11.21
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よみうり文芸 入選歌(読売新聞静岡版) 先頭を走りていたる自閉児がテープを切れず立ち止まりたり 下田市 後藤瑞義(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十一月二十日 秀逸 渡 英子 選)(選評)同送の「子の通う養護施設の運動会小雨降るなか決行をする」の歌から運動会の場面が浮かんでくる。一着の晴れがましい瞬間を前にたじろぐ下二句の描写に胸を衝かれた。
2019.11.20
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11月20日(水)万葉秀歌(下巻)(76)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十一 (16)垂乳根(たらちね)の母(はは)が養(か)ふ蚕(こ)の繭隠(まよこ)りこもれる妹(いも)を見(み)むよしもがも(巻十一・二四九五) 柿本人麿歌集茂吉:第三句までは、序詞。「母の飼っている蚕が繭の中に隠(こも)るように、家に隠って外に出ない恋しい娘を見たいものだ、」というのである。序詞のおもしろみよりも、実生活を離れず、農民生活を示すところがおもしろい。(つづく)
2019.11.20
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11月20日(水)島木赤彦歌集(47) 中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「氷魚」(17)大正六年(9)わが子 十月長男正彦信濃より来る。十一月上旬下谷神尾病院に 入り鼻を治療す足袋(たび)買ひて子に穿(は)かしめぬ木枯(こがらし)の落葉吹き下(おろ)す坂下の街(まち)に落葉せる大き欅(けやき)の幹のまへを二人通りぬ物言ひながら忙がしき我れの仕事を思ひつつ子を守り行く冬木のまへを木枯の埃(ほこり)吹きあぐる坂のうへの空紅(くれなゐ)に夕焼けにけり護国寺(ごこくじ)の木群(こむら)をふかみ日暮るれば木兎(つく)啼(な)く聞ゆこの街の中へ (つづく)
2019.11.20
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11月20日(水)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治40年より義の宗教キリスト教は愛の宗教といわれます。そうです、キリスト教は愛の宗教です。しかし、愛は情の世界です、ですから揺らぐことがあります。そのために、キリスト教は義の宗教とも言われるのです。義というのは、主義です、ですから主義は揺らぎません。山のようにどっしりして動かないのが義です。義の支えがなくては愛は真の愛になりません。わたしたちは、時に愛を疑うことがありますが、義から離れることはないでしょう。義は宗教の土台であり大黒柱です。義からは絶対離れないという強固な意志がなければ、真の宗教にはならないでしょう。
2019.11.20
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11月19日(火) 令和元年後藤瑞義入選歌(よみうり歌壇他)(6)六月号より(賀茂短歌) 菜の花に紋白蝶が触れており二歳に逝きし子が遊ぶごと(読売新聞静岡版 よみうり文芸 五月二十九日 入選 渡 英子 選) うぐいすとなりてわたしを慰めんと鳴いてくれるや亡き妻の来て(読売新聞静岡版 よみうり文芸 六月 五日 佳作 渡 英子 選)(評)春告鳥、歌詠み鳥、なつかし鳥などの異名を持つ鶯の啼き声はのびやかに春を知らせてくれる。甘美な鶯の声がふと亡き妻の声を引き寄せる。鶯は妻の魂を運んでくれたのだろう。 今宵無事夜警の仕事なし終えてまぶしみ仰ぐ朝の光を(佐佐木信綱祭短歌大会 題詠「光」 六月 八日 静岡県歌人協会賞 ) 妻在りし日は気付かずに過ごしたりわが家の庭の蛇イチゴなど(読売新聞 読売歌壇 六月十一日 入選 小池 光 選) やわらかき若葉おおえる山々に吐息の如き霧のかかれり(読売新聞静岡版 よみうり文芸 六月十二日 入選 渡 英子 選) 機械にて植えたる苗は小さくて皆水中に沈み揺れおり(読売新聞静岡版 よみうり文芸 六月十九日 入選 渡 英子 選) 生みたてのたまごをにぎり思ひ出づ死にしばかりの吾子の温もり(NHK短歌大会 於:伊香保 六月二十五日「題詠 温」 特選 沖 ななも 選)(評)生みたてのたまごと死にゆく吾子。命というものには温みがある。悲しい歌だが、吾子の命がたしかにあったという実感んが甦ったのだろう。温かさとは生命につながってゆくものなのである。(つづく)
2019.11.19
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11月19日(火)万葉秀歌(下巻)(75)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十一 (15)山萵苣(やまちさ)の白露(しらつゆ)おもみうらぶるる心(こころ)を深み(ふか)吾(わ)が恋(こ)ひ止(や)まず(巻十一・二四六九) 柿本人麿歌集山萵苣は食用の萵苣で、レタスのこと。茂吉:「山萵苣の白露おもみうらぶるる」は、露のために花のしなっているように心の萎える心持ちで序詞とした。「心を深みわが恋ひ止まず」の句が棄てがたい。(つづく)
2019.11.19
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11月19日(火)島木赤彦歌集(41) 中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「氷魚」(17)大正六年(8)霜月窓の外(と)に白き八つ手の花咲きてこころさみしき冬は来にけり一かぶの八つ手の花の咲き出でしわが庭の木にのこる葉もなし一ぽんの幹をめぐりて落ちしきる楓樹(かへで)の紅葉(もみぢ)ここだくたまる (つづく)
2019.11.19
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11月19日(火)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治40年より悲痛消散の途この世で生きていると色々な悲しいことに出会います。この世で生きてゆくかぎり悲しみから逃れることは出来ないでしょう。しかし、悲しみは、人生に希望を持つこと、人生に喜びを持つことによって除くことが出来ます。それは、ちょうど暗闇をなくすためには光で照らすしかないのに似ています。汚れた水をきれいにするためには、清水をどんどん注ぎ込むことに似ているでしょう。わたしたちは、この世の悲しみをなくすため、この世以外のすばらしい世界、天国への希望も必要となるでしょう。神様の力を借りないでこの世の悲しみを消すことは難しいのです。神様が消せない悲しみなどこの世にはないからです。この世でいくら泣き叫んでも悲しみは去りません。神様を仰ぎ見て、神様にすべておまかせしたなら、すべての悲しみごとは、春の日を浴びた霜のように消え去るでしょう。
2019.11.19
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11月18日(月) 令和元年後藤瑞義入選歌(よみうり歌壇他)(5)五月号より(賀茂短歌) 一休みして万歩計のぞきたり四千五百七十一歩(読売新聞静岡版 よみうり文芸 五月 一日 入選 渡 英子 選) 今日ひと日歌を作らず過ぎにけり死(しに)びとのごとく布団に入りぬ (読売新聞 読売歌壇 五月 六日 一席 小池 光 選)(評)すごい歌。この方は毎日歌を作ると決めて、たゆまず実行している。今日は遺憾ながら一首もできなかった。まるで死びとのように寝る、まさに頭が下がる思いだ。 廃校となりたる庭に子等おらずつくしん坊が列を作れり(読売新聞静岡版 よみうり文芸 五月 八日 入選 渡 英子 選) 毛衣(けころも)を脱ぎ一斉に喜びの声あげるごと木蓮の花(読売新聞静岡版 よみうり文芸 五月十五日 入選 渡 英子 選) やわらかき葉をまといたる山々のおおきなあくび赤子のあくび(読売新聞静岡版 よみうり文芸 五月二十二日 入選 渡 英子 選)(評)冬の季語の「山眠る」を重ねて読ませて頂いた。春の訪れに若葉が萌え出した山々が眠りから覚めてもらす大あくび。無心な赤子のあくびへの連想も楽しい春の讃歌である。(つづく)
2019.11.18
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