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『マッサン』初日の一場面 朝の連続ドラマ『花子とアン』が先週で終わり、昨日から『マッサン』が始まった。『花子とアン』は児童文学者であり翻訳家であった村岡花子の生涯を描いたものであり、大正から昭和へかけての時代背景が良く理解出来た。 一方『マッサン』は我が国で初めてウイスキーを作った男の話だが、『花子』同様夫婦のあり方を描くとも言えそうだ。初日から早速、イギリスからはるばるやって来た外国人妻をいびる義母(泉ピン子)の姿が凄惨だった。今後の展開が楽しみだ。 今年もキンモクセイの香りが漂う季節になった。芳しい香りが鼻腔を衝く。我家のキンモクセイはまだ花が少なく香りも弱い。それでも樹に近づくと、あの花独特の香りがほんのりと匂う。そのうち街中がキンモクセイの良い香りに包まれるだろう。 花と言えば、先日雲南百薬の花房を切った。夏の間は良くこの葉を食べた。今秋が来て、15cmにもなる大量の花房が、一斉に白い花を咲かせるようになった。きっと子孫を残そうとしてるのだろう。先日はムカゴを採って食べた。これも雲南百薬の生殖器官。だが、これだけ大量の花に栄養を奪われると葉が萎れる。そう判断して花を切ったのだ。貴重な葉は最後まで食べ、根の部分だけを越冬させる計画。6本のうち2本の苗をお向いのKさんに譲ろうと思う。 シソは1本だけ残して、後は全て抜いた、最後の1本は種採り用。今はたくさんの花を咲かせているシソ。その小さな花房を少し摘んで、漬物などにかけて食べている。ほのかなシソの香りは食欲を誘う。種は畑のあちこちに撒く。すると来年の春、勝手に芽が出る。そのうちの何本かを定植して利用。こんな繰り返しを、もう何年も続けている。 今、畑に残っている夏野菜は雲南百薬とこのツルムラサキだけになった。今年はまだ残暑が厳しいため、ツルムラサキも成長し続けている。10月半ばには、この畝を耕して玉ネギの苗を植える。ツルムラサキはそれまでの命だが、これからも大事に食べる予定。だから彼らにも、最後まで頑張ってもらわないとね。 ブロッコリーの種は7月半ばに蒔いた。昨年の失敗を繰り返さないため、早目に対応したつもり。13本の苗は追肥が効いて成長が著しく、大きなものは高さも幅も50cmほどまでに達している。だがその葉っぱは穴だらけ。ヒヨドリが啄み、ウマオイが齧り、今は蝶々が産み付けた卵から青虫が孵り、葉を蝕んでいる。それらを見つけて退治するのが最近の重要な仕事だ。 大根は第1陣を8月中旬に、第2陣を9月初旬に種蒔きした。正確ではないが、3本の畝に30本ほどだろうか。これで一冬賄う。雪が降れば抜いて畑に埋め、掘り出して使う。来年の春まで持つ計算だ。大根の葉も他の野菜同様、青虫の餌。だから黒虫のうちに見つけて退治する。彼らも生きるのに必死で隠れんぼが上手。退治した途端、蝶々が再び卵を産み付ける繰り返しだ。虫との知恵比べが延々と続く。 春菊も2回に分けて種を蒔いた。今では15cm近くまで育ち、摘んで食べられるまでになった。間引きを兼ねて食べた方が大きく成長する。これからの季節は「鍋もの」に欠かせない素材。最後は植木鉢に移植し、軒下に移動させてビニールシートを被せる。そうすれば冬の間も何とか生きて、春先まで食べられる。これまでの経験で培った知恵だ。 白菜の種蒔きが遅過ぎた。それはスペースが限られているためで仕方がないこと。発芽も悪く、9月半ばに苗を買って植えた。種から育ったのが5本。買った苗が21本。その後の数回の追肥で、今は15cmほどまでに成長している。冬が来る前には葉が巻き、食べられるはず。今後も堆肥と化学肥料を交互に与える予定。青虫とのバトルも本格的になるはずだ。 カリフラワー(左)と芽キャベツは、白菜の苗と一緒に3本ずつ買って植えた。まだどことなく頼りない感じだが、そのうちに肥料が効いて来るはずだ。弱い苗は虫が狙い易く、柔らかい部分から食べてしまう。成長点を食べられると、その後はもう伸びない。これも虫を早目に見付けるのが勝負だ。これからの季節は虫と人間との根比べ。ただ楽しいだけでは済まないのが家庭菜園の一面だ。 2本のセロリを他の苗と一緒に同じ店から買った。暫くの間は弱々しかったが、朝夕の水やりと追肥でようやく成長して来た。収穫の時期は晩秋で、それまでも葉と茎の一部を摘みながら食べられるらしい。初めての挑戦だが、今後が楽しみな野菜だ。 最後は「おまけ」の画像。玉ネギとジャガイモは6月に収穫後陰干しして、今は物置に収納中。冬までは間に合う計算だ。狭い我が家の家庭菜園は、こんな風に1年を通じて休まない。このためコンポスト容器では生ごみから堆肥を作り、苗の残骸や抜いた雑草などからは良質な土を得て畑に戻す。ほぼ完全なリサイクル運動だ。何かと苦労を伴う家庭菜園だが、その分楽しみも多いと言えようか。
2014.09.30
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御嶽山の噴火による事故のニュースには驚きました。何人かの登山客が亡くなり、大勢の方が重傷を負ったようです。心から亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。合掌。大自然のエネルギーって、怖いなあ。 大相撲の秋場所は横綱白鵬が31回目の優勝。これで千代の富士の優勝回数に並び、もう1回優勝で大鵬の記録に並びます。新記録達成は時間の問題でしょうね。今場所は新入幕力士の逸ノ城が13勝2敗の好成績で話題をさらいました。初土俵は今年の初場所。わずか5場所目で上位と対戦し、2大関、1横綱を倒して殊勲賞と敢闘賞のダブル受賞とは大したもの。今後の活躍が楽しみですね。 さて、今日のテーマは「実りの秋、食欲の秋」。先日妻の買い物に付き合った際、店内の商品を撮りました。まさに実りの秋ですね。先ずは、真っ赤に熟れたリンゴの登場♪ 秋の果物の代表格と言えばこれでしょう。つやつやに光った柿が美味しそうですね。 栗も出始めたみたい。栗ご飯も美味しいよね♪ 最後に栗拾いをしたのは、いつだったかなあ? ミカンも店頭に並んでますよ。もうこんな季節なんですね。甘酸っぱいミカンって大好き。でもまだ高いしなあ。 秋の果物と言えば、梨も定番かな。昔は「二十世紀」や「長十郎」が多かったけど、最近では甘くて大きな品種がどんどん出て来たよね♪ 梨狩りも楽しかったなあ。 中にはこんな洋梨も。山形のラ・フランスなんて最高だね。まだ出回っていないのかなあ? ブドウも甘くて美味しいよね。昔は粒の小さな「甲州ブドウ」が中心だったけど、今は色んな種類が出てる。まるで宝石みたいなブドウって大好き♪ 地味だけど、イチジクだって秋の果物さ。我家のイチジクはまだ青くて食べられないけどね。 メロンって、果物の女王様だね。高級品は手が出ないけど、中には手ごろな値段のもあるよね。 グレープフルーツって、1年中店頭に並んでて季節感はないもんねえ。でもジューシーで美味しいな♪ こちらはご婦人方の大好きなもの。うちの女房も良く食べてるなあ。 山形の食用菊も売ってたよ。酢の物がさっぱりして美味しいね。「もってのほか」と言う種類が有名で、「こんな美しい花を食べるなんて、もってのほか」というのと、「こんな美味しい物を食べないなんて、もってのほか」の2通り意味があるみたい。 そして、秋と言えばマツタケ。でも我が家じゃずっと食べてないもんなあ。せめてお店で匂いだけでも嗅いでおくか。 さて、秋の代表格の魚と言えばサンマ。何しろ「秋刀魚」と書くくらいだもんねえ。最近海水温が低くなって、ようやく値段も手ごろになった。やっぱり1匹100円以下だと嬉しいね。 こちらは収穫が終わったばかりの新米。日本人はやっぱりこれじゃないとね。でも我が家はまだ食べてないんだ。 これは農家の人が草むらに捨てたのを俺が拾って来たのさ。勿体ないもんなあ。女房が「カボチャコロッケ」を作ったけど、十分美味しかったよ!! こちらは女房が1山100円で買って来たサトイモ。小さくて面倒と言うので俺が包丁で皮をこそげ落としたのさ。鶏肉や他の野菜と一緒の煮ものは、とろりとして美味かったなあ。 これは雲南百薬に出来たムカゴ。勿体ないからソバに入れて食べたんだ。粘り気があって美味しかったね。 これは我が家の畑で収穫した最後のシシトウさ。終わりに近づくとシシトウも先祖帰りをするのか、結構辛いのが混じってるもんなあ。今年の夏はずいぶんお世話になったよ。どうもありがとうね!!
2014.09.29
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9月23日火曜日。秋分の日のこの日、朝8時頃に花火の音が聞こえた。「これはきっと幼稚園の運動会だろう」。そう確信した私は、デジカメを持って近所の幼稚園へ行って見た。いつもは駐車場になっている広場が運動会の会場に変わり、たくさんの家族の方が園児達を応援していた。無関係の私も図々しく中へ入ったが、疑う人は誰もいなかった。 「入場門」付近に整列して、出番を待つ園児達。 これは「カード」と「もの」を見比べてゴールへ運ぶゲームみたい。 こちらは「玉入れ」。かごと玉の周囲に集まった白組さん。 真剣な表情でプレーする紅組さん。 1回戦は全くの同数で2回戦へ突入。2回戦の後、入った玉の数を数える間待っている紅組さん。結局は紅組さんが勝ち、歓声が上がった。 意気揚々と退場する園児達。 退場後も、こんな風に行儀よく列を組んでいる。 たくさんの賞品や準備の品が並ぶ本部席。 どうやら次の種目はダンスみたいだね。 ちょっぴり緊張気味の園児達。音楽に合わせて、うまく踊れると良いね♪ こちらは来年入園する予定の幼児かな?招待選手なんだね。 運動会の花形種目、リレー競走が始まった。速いなあ、この子!! こちらはマイペースで悠々と走っている感じ。 女の子も速い速い!! 男の子だって負けないぞ~。みんな頑張れ~っ!! 「大丈夫かなあの子は?」。心配そうに園児達を見守る幼稚園の先生。 これは金メダル。紙製だけど、園児達の宝物なんだ♪ これは練習風景。運動会の何日か前にマックス爺が写していたのさ。
2014.09.28
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数日前の早朝、久しぶりに11kmのコースを走りに行った。不安をよそに、ゆっくりだが最後までちゃんと走れて良かった。そして朝日の中に輝く田圃は神々しいほど美しく、デジカメを持たずに家を出たことを悔やんだ。翌日の早朝、今度は自転車に乗って朝の田圃を撮りに出かけた。その時に撮ったのが以下の写真。 だが、おかしい。私の目には見事な田圃が広がっているのだが、カメラのレンズを通すと薄暗いのはなぜ? 残念だなあ。あの美しい田圃を見せられないなんて。 これは少しマシかも知れない。こんな風景を見ながら、私は走っているのだ。 逆光だと景色は見難いが、太陽を背にすると自分の影が黄金色の田圃に映る。 この辺りはかなりの年月と経費を掛けて整備され、大型の田圃がどこまでも続いている。だがつい最近、造成が始まった場所がある。折角の美田が、住宅や病院に変わるのだ。 それに後継者がいる農家ばかりとは限らない。折角整備された美田が、そのうち虫喰い状態になることを私は恐れる。 出来ればこんな見事な風景を、いつまでも残したいもの。そう思いつつ、刈田の写真を撮りに向かった。 こちらは稲刈りが始まった田圃。これもなかなかの風情だ。 刈田に残る稲の株。ここから2番目の稲が実り、鳥の餌になる。 稲木に架けて干された稲が眩しい。近づけばきっと新米の良い香りがするはず。 青空と刈り取られた稲穂。これこそまさしく秋の風景だ。 一直線に延びる畦道と、刈田のコントラスト。 刈田に立てて干された稲束は、これからどんな風に利用されるのかな? 稲刈りが終わった農家は、さぞ安心してることだろう。今年の宮城県内の作況指数は104%で、「やや良」とか。 再び荘厳な朝の田園風景を1枚。 やっぱり田圃って良いね。米って良いね。日本って良いね。<完>
2014.09.27
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先週の土曜日、私は妻と自転車に乗って妻方の墓参りに行った。お寺は13kmほど先の郊外にある。きっときれいな田園風景が撮れる。そう思ってデジカメを持参した。そして妻には、時々止まって写真を撮ることを告げた。その結果撮れたのが以下の写真。見渡す限りに広がる秋の田を楽しんでほしい。 中央の尖がった山が太白山。我家はその付近にある。その右側が大東岳で、左側が仙台神室か。 仙台市街の後に連なるのは、向かって右側から泉ケ岳、北泉、後白髭の山々だ。仙台平野は黄金色に輝いている。 稲穂が実る田圃の風景は見事と言うしかないだろう。やはりデジカメを持参して良かった。 煙突は今泉の清掃工場(若林区)で、背後の山は蔵王山系。 東日本大震災の時、津波はこの付近まで到達した。辛うじて津波の害から免れた美田が目の前に広がる。 妻の実家のお墓があるこの寺は震災時に大津波に襲われ、父母の墓も倒壊した。海から近いこの寺には、震災で亡くなった方々の霊を弔うため、慰霊碑と阿弥陀仏が建立された。石仏の背後の田圃は未だに田植えが出来ず、荒れ果てたままだ。 さらにその数日後、我が家の付近の田圃を見に行った。ここは私のランニングコースでもある。ここも隣の市に近い郊外だ。 ここは農家の田圃を借用した、小学校の農園のようだ。 広々とした田圃を守る3体のかかし達。 お疲れ様!! お前達も良く頑張ってるね♪ 秋の空はどこまでも青く、その下に田圃が広がっている。だがこの周囲でも、徐々に開発が進んでいる。 中央の小山が区名の元になった太白山(太白区)で、東北新幹線からも良く見える。 名取川の直ぐ傍まで、こんな美田が続いている。見渡す限りの秋の田圃。 こんな風景を眺めながら走るのは最高の気分。心も体もリフレッシュされるもんね。 金色に輝く田圃の彼方に、青々とした蔵王連峰が見える。冬は真っ白な雪を戴く山々だが、ここはその時期冷たい西風が通り抜ける厳しい場所でもある。<続く>
2014.09.26
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数日前のこと、ふと田圃の写真を撮ることを思いついた。私の頭に浮かんだのは、ある小さな田圃。そこは街中に残った不思議な空間だった。ビルの谷間で揺れる稲穂の写真は、きっと新鮮な印象になるだろう。そう思い、自転車に乗って早速そこへ向かったのだ。 区役所から300mほどのところにあるこの田圃は、ある小学校の実験圃場。付近の博物館の活動の一環として、小学生が古代米を育てているようだ。田圃には黄金色の稲穂が溢れ、秋の日に輝いていた。どうやら絶妙のタイミングで、私は訪れたようだ。 道路沿いに15体ほどのかかしが立っている。これも小学生の作品みたいだ。手作りのかかしはあまりにも優しい表情で、果たしてこれで鳥が驚くかどうかは分からない。 秋の田圃に立つ可愛いかかし達。 かかし達よ、しっかり古代米を守ってね~!! 数日後にもう一度行くと、小さな実験圃場は既に刈り取りが終わっていた。 「稲木」(はざ)に干された稲穂。天日に干すことで、米の味が一層良くなる。 実験圃場と隣り合った農家の田圃。こちらの田には、一面に透明の防御ネットがかけられていた。稲穂の向こうの空はどこまでも高く、どこまでも青い。 なぜ街の真ん中にこんな田圃があるのか。いや、ここは元々田圃がどこまでも続いていたところ。そこに地下鉄が通り、農地が開発されて街になっただけの話。「私達の方が先にいたんだよ」。と稲穂がつぶやく。 向こうを走るのは仙台市営バス。緑色だからすぐに分かるよ。 こっちは貨物トラックだね。 街の真ん中とは思えない不思議な空間。ここはずっと前から私が気になっていた場所。秋になると、独特の匂いが風に乗って漂って来た。これは熟した米の匂い。私はそれを「オリザの香り」と呼んでいた。米の栄養分がオリザニンだ。 何日か後に再び訪れると、こちらの田圃も既に刈り取りが始まっていた。 収穫された米は所属農協を通じて販売されるのだろうか。それとも農家の大切な食料になるのだろうか。 刈り取り後の田圃に残された稲わらの束。まだ青さが残って良い香り。昔ならこれで縄を綯(な)ったり、草履を編んだりしたんだろうね、きっと。田圃を渡る風にも、米とわらの良い匂いが混じっていたのさ。<続く>
2014.09.25
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さて、今日は秋の花である。と言っても、花自身は自分は夏で、自分は秋の花などと意識はしていないだろう。昨日のコメントに、「今年は野生のニラの花が目立つ」と書かれた方がいた。また「今年は花も季節感が狂っているようだ」と書かれた方もいた。お二人の感想は私も全く同様の印象。それでタイトルをこんな風にしてみたのだ。だから、今日の花にも夏のが少し混じっているかもね♪ 私は大抵夜の9時頃に就寝し、老人であるため深夜何度かトイレに起きる。通常はまた床に就くのだが、時々眠れなくなることがある。その時は起き出してブログを更新することにしている。そして更新し終えると、安心して朝まで二度寝するのである。昨夜も全く同じパターンだった。少々寝不足状態で操作しているため、たまに勘違いして操作を誤ることがある。 昨夜もそれをやらかした。最後のヒマワリの1枚を、改行の間隔を縮めようとして「デリートキー」ではなく「バックスペースキー」を使ってしまった。当然>が消えたことで写真が消える。そこで慌てて>を半角で手入力し直した。「プレビュー」で確認したらちゃんと載り、その後も一日中青空の下で輝く4枚のヒマワリの写真が確認されていた。ところが本日の深夜に起きて見たら3枚に減り、配列も狂ったままの状態になっていた。不思議な話だが、原因は何なのだろう。 こんな風に写真を空きスペースなく続けて載せるのにはかなり神経を使う。色のバランスや縦横の配列にも苦心するが、縮小率が一緒じゃないと、折角の写真が不揃いになり見苦しくなるためだ。私は文体と同様、写真の縮小率をその時の気分で変えている。このため、たまにずれるのが出てしまう。さて、今日の首尾はどうか。文体も前日とは変えた。可愛い花々の陰でこんな作業をしているのだが、気にせずに花を愛でていただけたら嬉しい。
2014.09.24
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今年はまだ暑い日が続いていますね。そのせいか、夏の花がいまだに咲き続けています。その一方で、秋の花も咲き始めています。さて、パソコンを修理に出している間に溜まった花の写真を、この際一挙に掲載すべく、花の特集を組みました。小さな写真が多くて申し訳ありませんが、美しい花を観て心が和むことを願っています。 美しい花々を見て、少しでも元気が出たら嬉しいです。明日は秋の花編をお届する予定です。<続く>
2014.09.23
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ヘクソカズラ 9月15日(月)敬老の日。深夜未明、就寝中に不整脈発生。朝食後、不整脈抑制剤の服用再開。高松の長女一家宛てに手紙。Mちゃん、Rちゃんには4枚、長女には1枚を書き投函。町内会より祝い金。金5千円を会計部長が持参する。修理中だったパソコンが届き、早速旅行中に撮った写真を入力し、整理作業を開始。 カラスウリ 9月16日(火)自室の清掃。旅先の写真の整理作業終了。人物像については付近の店で現像し、長女一家と次男宛てに手紙と共に発送。妻と自分用のも含め、代金は2300円ほど。 ムラサキシキブ 9月17日(水)ブログへ「マックス爺の家族旅行」シリーズ掲載開始。野菜の苗を購入。白菜21株、芽キャベツ3株、カリフラワー3株、セロリ2株。合計で1820円。直ちに畑に植え付けて水やり。これ以降は連日朝夕2回の水やりを行う。庭と畑の草取り。別のHCで4リットル分の除草剤を購入。代金は1200円ほど。通路部分の雑草に全て散布。 カキ 9月18日(木)庭の草取り。区役所にて「敬老パス」の交換。半年間で使用した敬老パスは2枚で1万円分。残りの6枚は新規分と引き換え。歯科で歯石除去の処置。建築業者と外構工事に関する打ち合わせ。これは通路部分の雑草対策のため。東北楽天星野監督、今季限りでの勇退を発表。次期監督は元ヤクルトの古田が有望との説あり。大久保二軍監督の昇格は? ウメモドキ 9月19日(金)ようやく旅の疲れが取れたと感じ、近所の公園で36日ぶりのランニング。わずか6kmをゆっくりと走る。思いついて街中の田圃を撮影に行く。ついでに花や実なども撮る。スコットランドの独立に関する住民投票の結果、反対55%、賛成45%で、独立は否定された。 ヤマボウシ 9月20日(土)血圧降下剤の服用再開。これは不整脈抑制剤の残り数に合わせてのこと。午前中、妻と自転車で妻方の墓参りに行く。往復25km。ついでに郊外の田圃などを撮影。 山芋のムカゴ 9月21日(日)ブログに掲載中の「マックス爺の家族旅行」シリーズ最終回。残りの写真は、いずれ旅の写真集として掲載予定。自室などの清掃。天気が良いため、連日の布団干し。 10時前、町内会の集会所からマイクロバスで「地底の森ミュージアム」へ向かう。これは町内会豊齢部の事業。ボランティアで説明員をしているKさんが館内を案内しながら解説。館内、館外の風景を撮影。終了後、集会所で懇親会。バスの運転はH環境衛生部長、食事(うな丼など)の準備はY会計部長が担当。参加者は妻も含めて25名。 夜、東京の次男から電話あり、近く待遇が改善される由。親としては最も嬉しいニュース。妻から準備経費を送金予定。
2014.09.22
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9月14日日曜日。この日が旅の最終日だけど、マックス爺には、重要な使命があったんだ。それはあるテーマパークの順番取り。爺はホテルを早めに出て、U○Jの前に7時前から並んださ。子供達はどうしても今話題の「ハリーポッター」が見たいと言うのでね。問題は爺が携帯電話を持ってないこと。比較的列の前の方に並べたんだが、肝心の他のみんなが来ないと一緒に入れないしね。そこで8時過ぎにまだ来ないか確認に行ったんだ。 これがまさに奇跡でね。何とドンピシャのタイミングで5人と出会ったのさ。早速テーマパークのシンボル前で記念撮影をしたよ。そして9時開園と同時に、爺はハリポタ前まで走ったさ。6人分のチケットを持ってね。ここも予約の順番取り。2人の孫も必死に走った。その身軽なことと言ったら。爺が走るのは1カ月ぶり。おまけに心臓に電気ショックを与えた直後だったから心配したけど、何とか走れたさ。そのお陰でまたもや奇跡が起きたんだ。 何と何と予約しないで済んだどころか、40分待ちで入ることが出来たんだよ。場所も分からず、大勢の人にくっついて走ったのが正解だった。皆も直ぐ後から来てね、一緒に入ることが出来たんだ。これが今回の旅の一番の目的。特に2人の孫にとっては、ビッグイベントだったって訳さ。 中で写真は撮れないんだけど、激しく動く「乗り物」に乗ってね、ハリポタと一緒に空を飛ぶと言う趣向なのさ。爺は「偽物」だと割り切っていたから平気だったけど、家族の中には怖いやら気分が悪くなるやらで、目が開けられなかった人もいたみたいだよ。でも、2人の孫が楽しめて良かった良かった。何せこれが一番のお目当てだったからなあ。爺も空を飛んで、自分までハリポタになったような気分になったしね。 左が孫達が友達のお土産用に買ったお菓子。これは爺も食べたことがあるけど、とっても不思議な味がするんだよ。そして右側がハリポタのお話に出て来る「バタービール」ってやつ。これはとっても美味しい飲みものでね、爺は大人だから氷が入ったのを飲んだ。皆で2種類を回し飲みし、幸せな気分になったのさ。ふふふ。 左側は休憩所の中。天井には機械仕掛けで動くたくさんのフクロウが止まっていて、「ホーホー」と鳴いていたんだ。そして右側の女性は魔法使いのコスプレ姿。かなり気合が入っていて驚いたよ。園内にはこんなコスプレを楽しむ入園者の人が結構たくさんいてね、思い思いに楽しんでいたようだ。 これは園内の様子。左側は映画「ジョウズ」の人食いザメ。かなり巨大なものでね、中にはジョウズの口に頭を突っ込んで記念撮影してる人もいたんだ。右側は園内の大きな湖水。この周囲にぐるりと色んな建て物が取り囲んでいるのさ。何だか良い雰囲気。ここは外国の街だもんなあ。 「ジュラシックパーク」は映画の話で、ここは次男坊の希望で入ったのさ。80分待ちだったけど、何とか皆も頑張った。大きな船に乗って探検し、ジュラ紀の恐竜達に出逢うと言うストーリーで、最後に船が急流を下り落ちて頭から水を被ったんだ。爺達は一番先頭に乗ったもんだから、ずいぶん大量の水を被ったよ。まあそれも今になって見たら、楽しい思い出だけどね。 左側の火災現場のアトラクションは凄かった。ある工場内で起きた火災事故を再現するんだけど、目の前で大爆発が起きて火災が発生して迫力が凄かったね。昼食後に観たのが「墓場のショウ」。これはフランケンシュタインやドラキュラなどが暗闇で踊ったり歌ったりする趣向でね。これも意外に楽しめたよ。歌を習っているMちゃんやRちゃん達には勉強になったかもねえ。 古稀祝い じいちゃん70歳おめでとう!70歳には見えないくらい元気でマラソン好きのおじいちゃんに今回会えて嬉しいです。いつまでも元気で笑顔が絶えないおじいちゃんでいてください。fromM これはMちゃんの寄せ書き。 70歳おめでとう! ワンワンじいちゃん、70歳おめでとう!!マックス(これは一昨年死んだ愛犬の名前)も喜んでくれていると思います。今日は元気で優しいおじいちゃんと会えるので、とてもうれしいです。私も六年生になり、いそがしかったり大変なことも増えたけれど、おじいちゃんも畑仕事など、がんばって下さい。 これはRちゃんの寄せ書き。 さて、楽しかった旅もこれで終わり。最後にお別れのお茶会をしたんだよね。長女からは「お父さん、気をつけて沖縄に行ってね」との言葉をもらった。来月は「久米島マラソン」に出る予定。全然練習が出来てないんだけど、まあ元気で旅行出来るだけでもありがたいと爺は思っているんだよ。 次男とは10月上旬に予定している旅行の際に、東京で再会することにしたよ。その時長男も一緒だと嬉しいね。婆ちゃんは、今回の費用の3分の2を負担してくれた。心から感謝してるよ。ありがとうね。 こうして6人は、再び仙台、東京、高松へと別れたのさ。これでマックス爺の旅の話はおしまい。最後まで付き合ってくれてありがとうね。今日も気持ち良い秋空だと嬉しいな。では皆さん、ご機嫌よう。またね~!! <完>
2014.09.21
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9月13日土曜日の正午前。これからは次男坊が大活躍するのさ。マックス爺は携帯電話を持っていない。そこで新大阪に着く長女一行と天保山の某水族館で落ち合うため、2人は頻繁に連絡を取り合ってくれた。こんな時、この近代兵器は大いに役に立つんだよね。爺の武器は地下鉄の乗り継ぎが書かれた、1冊の手帳だけだもんなあ。 地下鉄天保山駅で降りたマックス爺とその女房、爺の次男の3人は、まだ時間があったので天保山公園へと向かったのさ。公園内を散々探したが「日本一低い山」は見つからない。そこで散歩中の地元の方に聞いて、ようやく見つかったのがこの場所。植え込みの横に、こんな看板があった。国土地理院が認定する日本一低い山は標高5mにも満たない普通の土地。看板がなければきっと分からないと思うよ。 これが孫のMちゃんとRちゃん。Mちゃんは中学2年生で、Rちゃんは小学6年生。長女からはブログに載せるなら後姿だけと釘を刺されていたから、こんな姿なの。嬉しくなった爺は高松から来た3人の肩を、一人ずつぎゅっと抱きしめたのさ。何せ彼女らとは実に7年ぶりの再会。爺の連れ合いは時々会っていたんだが、いつも爺は留守番だったもんなあ。姉と弟が何やら話していた。旅の直前、入院して心臓の治療を受けた爺の健康が心配だったんだね、きっと。 爺は天保山港の船着き場がとても懐かしかったんだ。徳島の鳴門勤務の時は、ここから何度もフェリーに乗ったんだよなあ。さて、これはレストラン街に立ってた「人間食い倒れ太郎」。眉の動きも含めて、まるで人形そっくり。これには皆驚いたね。6人はここでお好み焼や明石焼きなど、それぞれ食べたいものを注文したのさ。会計は全部爺に任しときって感じでね♪ ここは「海○館」と言う水族館の入口。早速水槽のトンネルがお出迎えさ。何とMちゃんの顔にはアゲハチョウのペインティングがあった。広場でしてもらったんだね。彼女が4歳の時にもここに来たみたいだけど、覚えてなくて館内では大興奮の連続だったよ。では、少しだけ中の様子を紹介するね。 人気者のアシカ君 暑がりのペンギン君 気持ち良さそうな魚の群れ マンボウ君、今日は~♪ 爺も婆も長女も次男坊も、そして2人の孫達も、みんなみんな大満足。爺と婆などはすっかり童心に帰って喜んで観ていたのさ。 さ~て、みんなでこの船に乗ろうか。これは港内を一周する観光船じゃなくて、ホテルのある対岸まで向かう連絡船なのさ。子供達は喜んだね。だって船に乗ったのは初めてだったんだもの。 サヨウナラ水族館。サヨウナラ懐かしい港。そしてサヨウナラ大観覧車。 連絡船はホテルの直ぐ裏に着くので、とっても便利。目の前に見えるのが港内を一周する観光船、そしてその後が泊るホテル。この後ホテルの部屋で、爺は嬉しいものをもらったよ。それはね・・ 長女からは爺が大好きな焼酎。そしてMちゃんとRちゃんからは、2人の写真入りの寄せ書きだよ。敬老の日には2日早かったけど、爺の古稀を祝ってのプレセントなんだ。この後、さらに爺がビックリしたこととは? Rちゃんの司会で、Mちゃんが「早春譜」を歌ってくれたんだ。春は名のみの風の寒さや・・っていうやつだね。2人はピアノと歌を習っていて、コンクールで独唱することもあるんだって。だから本格的な発声法に爺はビックリ仰天だったのさ。実はマックス爺は若い頃合唱団に入っていたんだ。2人のママ、つまり爺の長女も高校時代は合唱部だったし、きっと美声は遺伝なのかもなあ。次男坊の歴史と神社好きも、爺と良く似てるしね。 さて、その夕方はみんなで道頓堀に出かけたんだよ。爺と婆は爺の大阪勤務時代に一度だけ行ったことがあるけど、子供や孫達は初めてだったのさ。「この堀はね、阪神タイガースが優勝すると、皆が飛び込む場所なんだよ」。爺の口も滑らかだった。さて、今年は果たしてどうだろうね。 ここは有名な法善寺横丁。水かけ不動へもお参りしたよ。右の写真は「大阪ぐらし」の歌碑。いかにも大阪の下町らしい風情だろ。この後、みんなで夕食を摂った。メニューは冷麺と焼き肉。次男坊と爺は、またもビールで乾杯さ。婆と長女も少しだけ付き合った。こうして楽しい楽しい大阪の夜は更けて行ったのさ。さて、明日はいよいよ旅の最終日。最後に「ビッグイベント」が控えているもんなあ。ではまた明日、ご機嫌よう~♪<続く>
2014.09.20
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いやはやビックリ、マックス爺はすっかり度肝を抜かれた。ここ大阪歴史博物館内はまず最上階の10階に登り、そこから展示物を見ながら7階まで降りて来るシステムなんだけど、エレベーターを降りて最初に出逢うのがこの光景。暗闇の中から女官達が突然現れるものだから、一瞬これは何事?と思ってしまうのさ。もちろん飛鳥時代の難波宮内を再現したものだけど、観客は予想外のスタートに、たちまち異次元の世界へと誘われるんだよねえ。 これが難波宮の配置図。同宮は第1期と第2期に分かれて建てられているけど、これは第2期のもの。もちろん当時の記録には宮の場所すら正確に書かれておらず、全ては現代の発掘調査によって明らかになったものなのさ。 宮城県の国府多賀城跡からも同じようなもの出土しているけど、この難波宮跡地からもこんな人面壺が発掘されているんだ。恐らくは難波宮に勤めていた職人が、悪戯で仲間の顔を描いたんだろうね。 A B C さて、大阪府の歴史を考える時に欠かせないのが水との関係。面倒でもここで「おさらい」をしておこうね。Aは今から約5500年前、つまり縄文時代の地形。現在の大阪湾がかなり内陸部まで入り込み、生駒山の麓まで海水が迫っていたんだ。考古学の世界では、これを<河内湾>と呼んでいるんだ。湾の南部から半島のように細く突き出ているのが「上町台地」。後世この「半島」に、難波宮、四天王寺、石山本願寺、大坂城などが次々に築かれているんだよ。昔の人は小高いこの「半島」が堅固であることを、ちゃんと知っていたんだね。 Bは今から約2100年前の弥生時代の様子。河内湾はかなり小さく後退し、周囲の川から流れ込む真水により気水化している。これを<河内湖>と呼んでいるんだ。 Cは今から約1300年前の飛鳥時代の様子。湖はかなり小さくなって干潟化し、一面の湿地帯に変わったよ。これを<難波潟>と呼んでいる。この岸辺に難波宮(四角で囲まれた位置)が設置されたのさ。宮からは難波潟に流れ込む大和川(当時はまだ北流して潟に注がれていた)を舟で遡って奈良盆地へと入ったんだよ。 これは大阪の古地図。「大坂城」と表示されているので、新しくても江戸時代のものかな。かつての湾や潟湖の痕跡はもうないけど、排水と舟運のために整然とした街の中に掘割が通っているのが分かるだろ? これは北前船と呼ばれる運搬用の船さ。江戸時代、日本海側の産物(蝦夷ケ島(北海道)産の昆布、奥州(東北)産の紅花や米、加賀の陶器など)が、この船で大坂へ運ばれた。当時の大坂は「天下の台所」だったのさ。 これは「澪標」(みおつくし)と呼ばれる航行用の標識でね、水上交通の安全のため、目印として水路に立てられたんだ。恐らく写真は戦前のものだろうね。これが大阪のシンボルとして、市章に採用されたんだよ。 博物館の中にはこんな陶器も飾られていたよ。きっと北前船で大坂へ運ばれて来たんだろうね。ずっと歴史の勉強が続いて、歴史が苦手な人はさぞ大変だったろうね。マックス爺は気の毒に思ったけど、皆が良く分かるようにと思って頭をひねりながら書いたのさ。 さて、この博物館の目の前には大阪城公園があってね、上空から見事な景色がまる見えなのさ。これには老妻も次男坊も喜んだね。 この後、3人は天保山に移動するんだけど、あんまり長くなったので続きはまた明日にしようかね。では皆さん御機嫌よう!!明日の続きをお楽しみに~♪
2014.09.19
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9月13日土曜日。旅の第2日目。マックス爺が目覚めたのは5時頃。次男坊が空調の温度を丹念に調節したせいか、体調はそんなに悪くない。やがて連れ合いも起き出した。次男坊だけはうつ伏せになってまだベッドの上だ。爺がそっとカーテンを開けると、目の前にはこんな風景が展開していたんだよねえ。 「ここはひょっとしてNY?」。爺は正直そう思ったみたい。もちろんアメリカなどへは行ったことないんだけどね。家族で唯一行ったことがあるのは、この寝坊助の次男坊。まだ学生時代の頃、彼は何を思ったのか研修旅行のパリだけで飽き足らず、親にも内緒で友人とアメリカに行ったんだ。それが後々まで影響するのだが、その話は止めておこう。爺の労災、いや老妻も窓の外を見て簡単、いや感嘆の声を上げたのさ。 闇は次第に薄れ、やがて金色の光が空に溢れ出した。これは見事な風景。NYならぬ大阪の朝も凄いじゃん。やがて目が覚めた草食系男子が、「あれは神戸の山でしょ」とのたまう。「違うよ。あれは葛城山と金剛山」。太陽が出ているのが生駒山方向だとすれば当然そうなる。「お父さんはあそこの山を走ったことあるんだ」と爺。「お父さんはいつもマラソンの話になるんだから」と老妻。それぞれ着替えを済ませ、爺とその妻は何か食べ物を口にした。 高松に住む長女と2人の孫が新大阪に着くのは11時頃。3人とは天保山の某水族館で落ち合う予定。それまでの時間を有効に使おうと、早朝から3人は出かけたのだ。ユニバーサルシテイ駅から、3人が泊ったホテルが見える。今夜もここに泊るので、荷物はほとんど持たないで済むのが助かる。ここからJRと南海電車を乗り継いで向かった先は住吉大社。これも次男坊のリクエスト。実は前から爺も一度は訪ねてみたいと思っていたのさ。 いやあ、行ってみて驚いたね。「何と言うことでしょう」。「劇的ビフォ→アフター」の科白じゃないが、朝日の中に燦然と輝く住吉大社の境内は、実に見事だったんだよねえ。息子が「ここは宗像大社と関係があるんだって。向こうの祭神は3人の女神だけど、こちらは3人の男神なんだよ」と言うのを、爺は「ふむふむ」と聞いていた。「そうか。それじゃ「海つながり」なんだね」。それが爺の感想。ところが帰宅後、ネットで調べてさらに驚いたのさ。 住吉大社は摂津国一宮で、古代大和王権の外交と航海に深く関係していたそうだ。遣隋使、遣唐使の船が大社の南、仁徳天皇が開いた住吉津(=住之江津=細江)から出航していたと言うからビックリ。実は九州の宗像大社も、大和朝廷の航路の安全を祈願する神社だったのさ。だから「海つながり」で関係が深かったんだね。ここ住吉大社には、朝鮮半島に出征したとされる神功皇后も祀られている。 住吉津は平安初期まではシルクロードにつながる国際港だったんだって。道理で境内が輝いて見えた訳さ。南北朝時代、この大社は南朝方に就いた。境内に楠の大木が多かったのは、案外南河内を根城にしていた楠正成と関係があるのかもねえ。彼は心から皇室を尊崇する男だったからね。ここから3人が懐かしい路面電車の阪堺電車に乗って向かった先は天王寺。途中の駅や街には歴史的な地名がたくさん残っていたことにも、マックス爺は正直驚いたみたいだよ。 天王寺駅前で3人は立ち食いのうどんを食べたよ。それが次男坊の望みでもあったのさ。四天王寺に向かう途中の種屋で、爺はこんなものを見つけた。300円のテッポウユリのユリ根。これは食べるんじゃなくて、家族旅行の記念に庭に植えるのさ。俺が死んだ後も毎年ユリが咲いて、きっと庭を賑わしてくれるはず。マックス爺はそんな風に考えていたんだね。 これは四天王寺近辺のお店。お土産のお菓子を作って売っていたんだけど、なかなか良い雰囲気だね。 四天王寺の門前なんだけど、爺と奥方の後には何と鳥居が。ここはお寺なのにねえ。実はここへ来たのも次男坊の希望なんだ。爺は19年前の大阪勤務の時に一度だけ来てるのさ。四天王寺は聖徳太子が建てた七寺の一つと言われている。寺を建てる時に境内にあった大帝塚山古墳を壊して平らにしたみたいだね。別称の荒陵寺(あらはかでら)はきっとその名残だね。 寺から高さ300mの日本一ののっぽビル「あべのハルカス」が見えた。その阿倍野は陰陽師安倍清明の生まれ故郷。そしてこの四天王寺は聖徳太子が物部守屋との戦いに勝利したお礼に建てたと伝えられる、わが国最古の仏教寺院の一つなんじゃよ。境内の高校では文化祭が開かれていたね。さて、長くなったけど、もう一か所だけ訪ねて見るね。 3人が次に向かった先は大阪歴史博物館。ここは爺の希望で行ったのさ。大阪城の目の前にあるここは、難波宮の跡地。飛鳥時代二期に亘って、ここに宮殿が建てられたんだ。言って見れば明日香宮の副都みたいな形でね。ここを発掘した人が難波宮の跡地と初めて唱えた時は、気違い扱いされたみたいだよ。学者達も信用しなかったんだね。 だが次々に地中から宮の跡や倉庫の跡などが発見されると、ようやく信じるようになったのさ。これは8つあった大型倉庫の1つを復元したものでね、高床式の立派な建物なのさ。大阪勤務の頃、マックス爺は大阪城を訪ねたことがあるんだ。その時に、ここが難波宮の跡地だったことを知って驚いたものさ。 難波宮跡地の一角に建っているこの建物が大阪歴史博物館。これはマックス爺が大阪を離れたずいぶん後になって出来たんだ。だから古代史大好き人間の爺にとっては、よだれが出そうになるくらい行きたかった場所。貴船神社や住吉大社もそうだけど、今回の旅行は爺にとって別な意味でも大きな収穫になったみたいだよ。今日はずいぶん長くなったけど、最後まで辛抱強く読んでくれてありがとうね。続きはまた明日、ではご機嫌よう~♪<続く>
2014.09.18
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高瀬川である。京都である。 鴨川を背にしたマックス爺とその連れ合いである。確か2人は大阪に向かうはずなのに、ここにいる。それに写真は通行人にシャッターを押してもらったのではない。 叡山電車の車内である。マックス爺の連れ合いと、東京に住む次男坊である。3人は浜松町のモノレール乗り場前で合流し、伊丹の大阪国際空港から大阪モノレール、阪急電車、京阪電車を乗り継ぎ、出町柳からこの電車に乗ったのである。電車は北へ向かい、やがて谷間の駅で止まった。そこから3人はさらに京都バスにも乗ったのだ。 3人はこの道を北へ向かって歩いた。時間はもう4時を過ぎているが、何人かの観光客が同じように歩いている。あるいは戻ってバス乗り場に向かう人も。 この石段は貴船神社へ向かうもの。次男坊のたっての願いにマックス夫妻も付き合うことにしたのである。実は内心マックス爺も来たいと思っていたようだ。だが2日前、心臓に電気ショックを与えて不整脈を退治したばかりのマックス爺は大丈夫なのだろうか。ふうふう言いながら登っていたようだが。 本宮のご神木のカツラの木である。神社の由緒によれば、神武天皇の母親が黄色い舟に乗って淀川から鴨川、貴船川を遡ってこの地に着いたと言うが、爺はそんなことはまるきり信用していない。それよりも「気」の生まれる根源、つまり気生根(きふね)が社名の興りとする説の方が納得出来た爺であった。 ここは水の神と言うのもうなずける。それで料理や調理に関わる人達の信仰が篤いのだそうだ。鴨川の源流の一つとして、都の水害を治めたいと願った古代人の気持ちも分かるような気がする。 ここは全国の貴船神社の総本宮とのこと。つまり元締めだ。近くには鞍馬寺があるが、何でも東寺の造営に当たっていた高僧の夢の中に貴船神社の神が現れ、鞍馬に寺を建立するよう託宣した由。つまり当時の神仏混淆を表す逸話だ。 ここからさらに奥社へ行きたいと次男坊が言う。それじゃ付き合うかとマックス爺。貴船川に沿って「川床」が幾つも並んでいる。川の上に座敷を張り出して涼を楽しむのである。結構料金は高いのだろう。そんな俗っぽい感想を持った爺だった。次男坊がここへ来たかったのは、この川床を観ることも理由だったようだ。 「こんなところが何で良いのか」と爺は内心思ったのさ。「手つかずの自然が残っている東北の川はこんなものじゃない」なんてね。今年の京都は雨が多くて、きっと川床へ来る観光客も少なかったのだろう。今日も女将さんや料理人が、前を通り過ぎて行く観光客を恨めしそうに見つめているように爺には思えた。そして途中には鞍馬寺の西門入口があったこと、貴船神社の結社(中社)があったのを、爺の目は決して見逃してはいないのだ。 本宮から700m上流にあるここが奥宮。だが、爺は直感的にどこかおかしいと感じた。こんな平坦な場所に奥宮があるのは変。それに結構広い道の直ぐ傍だ。帰宅後ネットで調べた爺は納得した。この奥宮こそ、かつては本宮が置かれた場所だった由。きっと本来の奥宮はもっと山奥で、元々は山頂にあったはずなのだ。 次男坊はどうやら満足したようだ。同じ交通手段で京都へ出、河原町から大阪の梅田へ向かった。夕食は梅田の食堂街。古女房は酔客があまりにも多いのに驚いたようだが、次男坊は喜んでビールを飲んでいた。爺もご相伴に預かったんだ。もっとも代金は全部爺が出したのだがね。 JRを乗り継いで降りた駅の外の様子。もうすっかり夜景だね。駅傍のコンビニで次男坊は食料や飲料をどっさり仕入れた。この代金も出したのは爺。しかもお釣りは取っておけと太っ腹。老い先が短い爺は、金を使うのはこんな時と考えていたようだ。実は、この先に明後日行く予定のテーマパークがあるのさ。 ベンチにはこんなご婦人が座っていたよ。何だか妙に色っぽいね、このご婦人。よくよく顔を見れば、あらまあマリリン・モンローじゃあ~りませんか。日常の中の非日常。ユニバーサルシテイ駅には、きっとこんな光景が似合うのだろう。 そう言えば、テーマパーク直営のホテルのフロントにも巨大な水槽があったんだよね。これも非日常のシンボルなのかも。ここはきっと夢を売るのが仕事なのだろう。 3人が乗ったホテルのエレベーターの内部は、暗くて全面に妖しい青の世界だったのさ。3人はちゃんと眠れたのかな。続きはまた明日。明日もこびっと頑張って書こうと思う。では、ご機嫌よう。またね!!<続く>
2014.09.17
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連休が終わりましたが、皆さんはいかがお過ごしでしたか~? さて、徐々に秋が深まり、仙台の朝は窓ガラスに結露が出来るようになりました。先週末に大阪方面へ旅した際の写真は目下鋭意整理中です。その間、7月に観た展覧会の絵をご紹介します。いずれも100号以上の力作ぞろいです。芸術の秋を楽しんでいただけたら嬉しいです。 大阪から帰宅して庭を見ると、もう萩の花が咲いていました。家庭菜園の健康野菜、雲南百薬にも白い花房がたくさん出来て来ました。やはり季節は密かに移っているみたいです。一日の温度差が大きくなって来ましたね。皆様もどうぞ風邪など引かれませんように。いよいよ明日から『マックス爺の家族旅行』がスタートします。どうぞお楽しみに~♪
2014.09.16
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皆さんこんにちは~!!昨夜遅く無事大阪から帰宅しました。留守中のご来訪とコメントを、心から感謝します。さて、今回の旅の話を書くに際しては先ず写真を整理しなければなりませんが、それにはかなり時間がかかりそうです。また、近く修理中だったパソコンが帰って来る予定です。二度手間を避けるため、既に取り込んである写真をここ数日間は使いたいと思っています。 ちょうど季節は「芸術の秋」でもあり、今回は7月に観た展覧会の絵をご紹介することにしますね。いずれも素晴らしい作品ばかりですので、どうぞご鑑賞くださいませ~♪ これらの絵は妻の所属する油絵のサークルとは違って、かなり本格的な方々の作品で、いずれも100号以上の大作ぞろいです。このため、タイトルは「大きな絵」にしてみました。<続く>
2014.09.15
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9月12日(金)から出かけていた大阪方面への家族旅行から23時過ぎに無事帰宅しました。留守中いただいたコメントへの返事は明日書かせていただきます。そして明日9月15日(月)のブログ更新は、写真の整理上少し遅めになる予定です。合わせてどうぞよろしくお願いしますね~。では、お休みなさ~い。
2014.09.14
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9月11日木曜日。朝5時過ぎに起床。夜中に目覚めてからなかなか眠れなかったのだが、また眠ったようだ。眠っているうちに点滴装置は外れていた。これで少し楽になった。腕の脈を測ってみる。静かで穏やかな脈。ああ、本当に不整脈は消えたんだ。久しぶりの安堵感に包まれる。だが、ドクターの言葉を思い出す。私の不整脈はいつ何時再び再発するか分からないのだ。決して油断をせず、そしてまた起きても決して落胆しないようにしないとね。 タオルと歯ブラシなどを持って洗顔へ。その後排便。前日はあまり食べてなかったのに、ちゃんと排便があるのが助かる。食堂から古い週刊誌を借り出して、自室で読む。主な記事を読み終えると、次は古い月刊誌。こちらの方はさすがに読み応えがあった。かつての官房副長官の「河野談話」の成立過程に関する聞き取り調査は圧巻だった。もうかなりの高齢なのに、記憶が正確であることに驚いた。何故これが真実として世界に訴えられないのかと嘆く。 6時30分。深夜担当看護師Iさんによる血圧測定。上が120台で下が80台。脈拍は施術前の半分の57に落ちていた。右腕に残っていた採血と点滴用の管を外してもらった。その後、モニター用の心電図を外し、胸のガーゼも取った。これできれいさっぱり体だけになる。濡れタオルで体を清拭し、下着を交換。6時。自動販売機でコーラを買い、密かに乾杯。これはあくまでもとりあえずのもの。大阪で家族と再会した時が、本当の乾杯だ。 7時半、荷物をまとめてリュックへ。7時50分、食堂で朝食。白いご飯、納豆と刻んだネギ、青菜のお浸し、ジャガイモとキャベツの味噌汁、鶏肉と野菜の煮物。今朝もヘルシーな病院食。これでは500キロカロリーもないだろう。8時15分、最後の歯磨き。その後入院着を脱ぎ、普段着へ着替え。室内でラジオ体操とストレッチ体操。これで患者から一市民に戻ったつもり。9時55分、スリッパをしまう。 10時10分、退院会計を済ます。被災地高齢者のため1割負担で支払った金額は、1万3千円で済んだ。保険会社用の診断書が1万2千円と聞き、パスする。これではほとんど「足し」にならない計算だ。領収書を5Fのナースステーションに見せ、食堂で退院の最終チェック。看護師から退院証明書、退院療養計画書、次回の予約票、M医院への手紙を受け取り病院を後にする。急いで飛び乗ったバスの中で、大きなげっぷが出る。 帰宅後、自分で昼食用の焼きそばを作る。午後は大阪旅行の準備をし、ブログに入院日記の第1回目を書く。その後眼科で診察を受け、薬局で目薬をもらう。これは旅行中に目薬が切れそうだったため。帰宅途中に大雨が降り出す。帰宅後はブログを開き、留守中にいただいたコメントへの返事。夕食後はコメントしてくれた方のブログを訪問。入浴後21時前に就寝。 お蔭様で無事退院は出来ましたが、不整脈の再発は油断が出来ません。ランナーへの道も、かなり困難なことでしょう。今日は朝食後、大阪へ旅立ちます。家族が四国と東京から駆けつけ、私の古稀を祝ってくれるのです。7年ぶりに2人の孫にも会えます。帰宅は14日(日)の深夜。それまで留守にし、皆様の所へもお邪魔することが出来ません。いただいたコメントへの返事は帰宅後になります。私はこれから二度寝します。では、皆様ご機嫌よう。<完>
2014.09.12
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9月10日(水)11時50分。K病院で入院手続きを済ませ、5Fの循環器内科入院棟へ向かう。担当看護師のO山さんから今日の日程について説明。案内された515号室は個室だが、病院の都合のため差額は不要とのこと。入院着に着替えて採血。一連の準備をしながら彼女と話をする。看護科のある県南の女子高卒で、そこから看護学部のある県内の大学に進学した由。まだ20代半ばの新人で、彼女もランナーであることが分かった。 1Fに移動して胸部レントゲン写真撮影、次いで2Fで通常の心電図撮影。これらは前日も同じことを行ったばかり。これからの検査と処置に備えて昼食を摂っていないため、空腹感に耐えながらの行動。腕に輸液用の管を付けながら、16時ちょうど検査室で経食道心エコー検査を行う。担当は循環器内科の若い医師。これは心臓への電気ショックの前に、心室内の血栓の有無を調べるためのもの。電気ショックと同時に血栓が脳に達して脳血栓になるのを阻止するのだ。 先ず口に麻酔液を含み、喉の奥を麻痺させる。これは喉を保護し、内視鏡の操作性を高めるための措置。胃カメラと同じ要領だが、あまり気持ち良いものではない。検査は無事終了。血栓もなかったようで一安心。病室に戻って、血圧測定。上は150以上で下が110以上。脈拍数も110台。「緊張してる?」とO山さん。「それはそうだよ」と私。鼻には酸素マスク、そして胸にはモニター用の心電図を装着。これはナースステーションでの監視用。 さらに電気ショックを和らげるためのガーゼを胸に装着。これはAEDの時の位置とまるきり一緒のようだ。17時前、担当のS医師が到着し輸液に睡眠剤のラボナールを混入。話しかけるのに答えているうち、突然意識がなくなった。電気ショックに要する一連の措置は、わずか5分間だったそうだ。衝撃を避けるため、腕時計と指輪は外していた。ショックで心臓は一旦停止するそうだ。 目が覚めた時、既にドクターの姿はなかった。そしてあの禍々しい胸のざわめきも、同時に消えていた。血圧も脈拍も正常。「顔色が良くなったね」とO山さん。彼女はそれを見届けると、残念そうに準夜の看護師と交代して帰って行った。本当はもっとマラソンの話をしたかったようだが。長い間私を苦しめていた心臓の不愉快さは消え、鼓動は静かにしかも正確に刻んでいた。 18時待望の夕食。ご飯、タマネギとキャベツの味噌汁、インゲンとニンジンの煮物。野菜サラダ、鶏肉と野菜のあんかけ。19時過ぎ、巡回に来たS医師にお礼を言う。今後の治療方針などについて、ドクターから説明。それによれば私の不整脈はこれからも起こり得るが、特に酷い症状の時以外は運動を制限する必要はなく、現在通院している病院の薬を頓服的に服用すれば良いとのこと。これで少し視界が広がったような気がする。 安心して本を読んだ。持ち込んだ本は吉村昭著「プリズンの満月」。第二次世界大戦のA~C級戦犯を収容する「巣鴨プリズン」に勤務する1人の刑務職員の目を通じて描かれた東京裁判の話だ。戦勝国が敗戦国を裁くことの不合理性を、著者は周到に準備した資料を基に淡々と訴える。さほど深刻に考えていなかったこの事実を、つい最近の「従軍慰安婦問題」に関連して、改めて深く考えさせられた。良識ある人は、もう何年も前にことの本質を見抜いていたのだ。 廊下を隔てた向かいの病室から泣き声が聞こえる。女性の声だ。看護師さんが「明日は退院だからね」と宥めている。翌朝聞いた話だと彼女は救急車でここへ運ばれ、荷物も持たずに入院したようだ。大きな病院では、きっと入院患者の1人ずつにドラマがあるのだと思う。20時過ぎ、排尿後就寝。22時12分と未明2時10分過ぎに排尿。その都度心電図のコードが外れ、飛んで来た看護師に直してもらう。そちこちの病室からいびきの音。<続く>
2014.09.11
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一昨日の夕方、散歩中に1人の婦人に呼び止められた。この付近でこんな人を見かけなかったかと、1枚の紙を手渡された。6月の末から夫が行方不明になってる由。年齢は61歳。脳血管型の認知症らしい。その顔には見覚えがあるが、最近遭った記憶はない。気の毒に思いながら帰宅し、妻にその紙を見せると、彼女もどこかで会ったことがあると言う。この家を建ててから19年目。きっとこれまでも何度か出会ってるのだろう。今も無事なら良いのだが。 我が家のお月見 その夜は中秋の名月らしい。椅子の上にススキと庭のワレモコウが飾られていた。そして花瓶の横には、妻の手製の団子も。居間から煌々と照る月を観た。次に2階のベランダから月を見上げた。青白い月は、まるで私の顔のようだ。翌日は病院に行き、再び心臓の検査を受ける。私には月の美しさよりも、確率が高い入院時のことの方が気がかりだった。 テレビで楽天の試合を観た。新人の松井裕はこの夜も肝心な所でフォアボールを出して打たれ、あっと言う間に逆転された。これは完ぺきな負けパターン。そう思ってテレビのスイッチを切った。ところが翌日、あれから逆転し、楽天がサヨナラ勝ちしたことを知った。 そして昨夜も連夜のサヨナラ勝ち。9月に入ってからこれで6勝1敗のハイペース。多分最下位を脱出したはず。星野監督は松井投手を「あれはまだ高校生のままだ」と話していたそうだ。 朝、畑に出ると、何かがおかしい。先日白菜の種を蒔いた畝が、すり鉢状に凹んでいる。きっと山鳩が種を穿り出して食べたのだろう。その前に蒔いた時も発芽が悪かった。きっとその種も食べられたのだと思う。 ギザギザに切られたブロッコリーの葉は、ヒヨドリが啄んだ痕だし、丸い穴は虫が食べた痕跡。鳥も虫も生きるのに必死なのだろうが、よりによって狭い我が家の畑を狙うこともないだろうに。 全米オープンテニスの決勝が気になりながらバスで病院へ向かった。セットカウント0-2で錦織選手は負けていた。1週間ぶりの病院は、人間ドックの利用者が多くて待たされた。この日も胸部レントゲン写真と心電図を撮影。新しい薬の服用で体調はかなり改善されたが、まだ微弱な不整脈があることは心拍数で分かった。 「治ったような、治ってないような」。診察室でドクターがつぶやく。「どうしますか」と彼。「入院します」と私。このまま中途半端のままでは、再び症状が出かねない。ドクターが電話でベッドの空き具合を確かめる。入院は翌日の午後からに決まり、その日のうちに心臓内の血栓の有無を確かめた後、電気ショックを受けることになった。看護師から入院手続きに関する書類を受け取り、院内のATMで入院費用を下した。 帰宅後テレビニュースを見ると、錦織選手は残念ながら0-3の完敗だった。きっと大会直前の足の手術が響いたのだと思う。でも準優勝は立派な成績だ。試合後のインタビューも聞いたが、先ずは相手の健闘を称える素晴らしい英語の挨拶だった。彼は世界に通じる選手。きっと世界一の栄冠を手にする日も近いはず。ここからが出直しだ。 錦織圭はクロアチアのチリッチ選手に敗れたが、車いすテニスの部では日本人選手が男女とも優勝。共にシングルスとダブルスのダブル優勝なのが凄い。そして男子の国枝選手は4大大会を総なめ、つまり「グランドスラム」達成だ。 パラリンピック走り幅跳びの佐藤真海選手は、この日結婚することが決まったようだ。彼女はにこやかな笑顔で、東京オリンピック招致活動でプレゼンテーターを務めた選手。新しい門出を心から祝福したい。 さて、今日病院で受ける電気ショックは初体験。果たしてどんなものなのだろう。不安はあるが、私は思い切って「賭け」に出た。その処置を受けない選択もあったが、私はより厳しい道を選んだ。誓約書には様々な副作用のリスクが書かれているが、私はそれを読まないまま承諾書にサインした。賽は投げられた。後は自分自身とドクターの腕を信じるだけだ。明日無事で退院出来ることを祈りたい。そして、私の心臓が再び正確なリズムを刻むことを。
2014.09.10
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ヤブガラシ 9月9日火曜日。未明1時30分過ぎからこのブログを書き始めている。錦織圭の決勝戦は日本時間の朝6時からだが、残念ながらWOWOWでしか観られないようだ。もしそうでなくても私は多分観られなかったはず。朝食後は病院へ行き、検査結果が悪かったらそのまま入院することになるためだ。入院の確率は五分五分。だから今日は入院の準備をして病院へ行く。(NHKでは急遽権利を購入し、午後1時05分から録画を放送することになったようです) アシタバ 先週の火曜日、つまり一週間前のこの日、私は2年半前に手術を受けたK病院を訪ねた。激しい不整脈で体調は最悪の状態。予約は取ってなかったが、あまりの苦しさに他に採るべき方法がなかったのだ。「何かあったら来院してください」。2度の入院と手術で、K病院からそう言われていたことが頼りだった。長い間「何かあったら」とは、救急車で運ばれる時だろうか。そんな風に私は考えていたのだが、今こそその時と決断したのだった。 朝顔の種 「これで旅行へは行けませんね」。私の手を握って脈を採っていたドクターが言う。「はい、そう思ってここへ来ました」。近く大阪で家族が私の古稀を祝ってくれる予定だが、とても旅行出来る体調ではないことは、自分でも良く分かっていた。「走るのも無理ですよ」。「ええ、全然走ってません」。静かにしていても脈拍数は120を超えている。そのままで走った状態なのだ。直ちに検査に向かった。胸部レントゲン写真撮影と心電図だ。 ムラサキシキブ 検査は案外早く終わった。顔見知りの看護婦が気を利かせてくれたのだろう。一日かかると覚悟はしていたが、診察室へも早めに呼ばれた。ちらっと盗み見すると、心電図の波形がやけに鋭い。こんなのは初めて。外来で通院中のM医院でのものとは違った波形。「今どんな薬を飲んでますか」とドクター。そこで、用意していた薬の効能書きのコピーを出した。信じられないようなドクターの顔。「違う薬を出しますから、明日から今飲んでるのを止めて、これを飲んでください」。 フウセンカズラ 薬は1週間分。「来週の火曜日に検査をして治ってなかったら即入院し、心臓に電気ショックを与えます」とドクター。「では薬の効き方によるのですか」。「勿論です」。看護婦から入院のための準備用メモをもらって、帰途についた。3日間の入院の翌日に大阪へ向かう日程。意外な結果に驚いた。しかし、この薬で本当に体調が治まるのだろうか。それだけ強い薬効があるのなら、心配なのが副作用。果たしてどんな症状が出るのか。 チロリアンランプ 帰宅してありのままを妻に告げた。彼女は案外安心したようで、その後生命保険会社の担当者に、入院費用が出ることを確認したみたい。早く体を治すために、今の私に出来ることは何か。それを始めよう。9月2日(火)徒歩2km。3日(水)徒歩3km。4日(木)徒歩2km。幸いにしてあれほど激しかった動悸は治まり、心配した副作用もないみたいだ。 ホオズキ 5日(金)ランニング姿に着替え、早歩きに挑戦した。息が苦しい。胸が苦しい。長期間静養していたため、こんな運動でも心肺機能が上手く対応出来ないようだ。それでも徐々に体が慣れて来る。6日(土)徒歩2km。前日の疲れが残り、早歩きは出来なかった。 7日(日)早歩き8km。やはり最初は苦しかったが、最後は気持ち良く歩けた。8日(月)徒歩3km。1週間で歩いた距離は合計で27kmに達した。そのうち早歩きが15km。あんな体調からここまで良く回復出来たものだ。一時は三途の川を渡りかけていたのだ。 アカマンマ? この1か月間、全く走らなかった。これは私にとって30年ぶりの出来事だが、それだけ苦しかった証拠だ。日に焼けた顔は、すっかり青ざめた。だが、元の体重と体脂肪率はちゃんと維持している。 驚かれるかも知れないが、来月末の「久米島マラソン」に私は出る積りでおり、そのことを妻にも告げている。もし走れない場合は観光だけでも良い。これは私の古稀記念行事なのだ。さて、今日はどうなるか。今から二度寝して朝を待とう。 そんな訳で、今日は皆様のブログへ訪問出来ない場合や、コメントに返事出来ない場合があります。その点よろしくお願いしますね。では、ご機嫌よう♪ 皆様もどうぞお元気で~!!
2014.09.09
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土曜日の夕方、町内会の役員会があった。既にアルコールを飲んでいたし体調も悪かったが、妻が疲れていてどうしても出られないと言う。畳の部屋でじっと我慢の2時間、私は腹痛に耐え効率の悪い進行ぶりに焦っていた。日曜の朝は小雨の中、刈った草を集めた。この日は町内会の定例清掃日。汗と雨で背中がびっしょり濡れながらの作業だった。 最近は物忘れが多い。ある日は干していたシーツを取り込むのを忘れた。またある日は、歯科の予約をすっかり忘れていた。テーブルにメモを残して置いたにも関わらずだ。眼鏡の置き場所を忘れる回数も増えた。先日はテーブルの下に落ちているのに気付かず、長時間探していた。畑の雲南百薬を、てっきり中国雲南地方のものと勘違いしていた。これは何と南アメリカ原産らしい。別名は「岡ワカメ」。ヌルヌルして実に美味しい健康野菜だ。 先日O先生の奥様をテレビで見かけた。県内の民話を発掘した功労で表彰されていた。80歳だった。中国文学専攻だった先生は何年か前に亡くなっている。K先生の奥様もテレビに出ていた。バス路線縮小に関して意見を述べていた。年齢は80歳。若いころの面影があった。先生は昨年亡くなったようだ。お二人とも私がまだ青年時代の知り合いで、あれから45年以上経っている。道理で最近物忘れが多くなったわけだ。 今度の敬老の日には、町内会からお祝いを受ける予定だ。私は70歳。古稀の祝いだ。町内ではあまりにも高齢化が進んだため、規約を改正して対象者を90歳以上、米寿、喜寿、そして古稀の該当者だけに減らした。それでもまだ出費が多いと会計担当者が嘆いていた。家族でも近くお祝いの会を大阪で開いてくれる予定。2人の孫に7年ぶりに会えるのが嬉しい。老後は健康じゃないと楽しくないと、最近は強く感じるようになった。 土曜日の夜は新田次郎原作のドラマ『芙蓉の人』を観た。日本で初めて富士山頂で冬季の気象観測をした実話だ。この難事業に立ち向かったのが野中到、千代子夫妻。設備の乏しい中、厳寒の山頂で観測を続け、ついに2人は病に倒れる。救出するため麓から登る救助隊も必死。一歩間違えれば滑落死する冬の富士だ。私は第3回から観たが、この日が最終回。深い夫婦愛に泣いた。これは妻にも是非ビデオを観て欲しい名作だ。 日曜日の夜は『奇皇后』を観た。これは実話に創作を加えたドラマ。韓国の歴史ドラマはこれまでにも何度か観たが、ワンパターンが多い。共通点は偉大なる王と、彼に対抗する王族の存在。貴族階級である両班(ヤンパン)同士の対立、支配者である中国との関係、そして悲惨な庶民の暮らしぶりが描かれる。今回は両班以外のことが共通していた。 それにしても解せないのが韓国人の心境。1300年間もの間、実質上支配され続けた中国に対しては寛大なのに、わずか50年にも満たない日本支配に対しては、未だに悪しざまに罵る国民性。朝鮮半島の富を奪ったと彼らは言うが、教育、交通、産業など基盤整備に関する支出は、収入よりも相当上回っているのが真実だ。 さて、テレビドラマよりもドラマチックな出来事が、つい最近起きた。全米オープンテニスでの錦織圭選手の活躍だ。彼は難敵を次々に撃破し、準決勝では世界ランク1位のジェコビッチ選手を破って決勝に進出した。これは東洋人初の快挙で、ランクも11位から9位へ上昇。決勝の相手は、これも決勝戦初の選手だが、これまでの対戦成績では錦織が圧倒してる由。頑張れ錦織、頑張れ圭!! 明日の決勝戦では、大いに応援したいと思っている。
2014.09.08
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第二次安倍改造内閣が発足した。野党からは相変わらず酷評の組閣だが、総理自身の表現によれば「実行実現内閣」だそうだ。しっかりと強い日本を作って欲しいが、今回の人事には対中国重視の願いが込められているのだそうだ。そう言えば今回の改造に関して韓国は快い評価をしてなかったのに、中国の反応はさほど悪いものでなかったようにも感じた。私が一番驚いたのは、官房長官に沖縄の基地移転に関する問題を一部担当させたことだった。それだけ総理が沖縄について、心を傷めていた証拠だと思う。 新聞を読んで驚いた。わずか5、6行だが辺野古地区の住民に関する記事をみつけたのだ。それによればなんと辺野古の住民達は、普天間からの基地移転を受け入れる代わりに国から各戸に対し、1億5千万円の補償を願い出ていたそうだ。反対の記事は大きく取り上げるくせに、こんな重要な問題は小さな記事にしか扱わない朝日新聞の方針に、私は唖然としたのだった。 以前与那国島に自衛隊が配置される話が出た時、与那国島の住民は1戸当たり確か1800万円の補償を国に要求したはずだ。その時も私は沖縄県民の感覚を問題視した。何かが狂っているのだ。国防は国の重要機能。それなのに国から金をたかろうとする考えは、「内地」でなら決して起きないだろう。名護市内の基地を返還しようと進めたら、逆に一部の住民が反対した話もあった。基地内の借料が入らなくなるためだ。そんな矛盾は、沖縄ではごく普通のことのようだ。 老朽化した普天間基地の問題を解決するためには、名護市辺野古地区への移転は欠かせないと私は思う。これはかなり以前に合意済みのものだったが、民主党政権時代の「鳩の一声」で情勢が変わってしまった。反対派の中には、内地から派遣された活動のプロがいるとの噂は本当だろう。その中には中国の工作員が混じっているとの噂もあるようだ。中国が沖縄収奪に食指を動かしているのは既成の事実。それを沖縄県民はどう考えているのだろう。 最近ネットで新たな事実を知った。第二次世界大戦の終盤、梅沢陸軍少佐が座間味島の島民に集団自決を迫った後、自分は朝鮮人従軍慰安婦と共に死んだと言う事実はなかったとのことだ。この「事実」は朝日新聞が報道し、その後は沖縄タイムスに引き継がれ、教科書まで載っていた。沖縄に赴任した私もそれを聞かされて、つい最近まで「事実」だと信じていたのだ。ところが真実は、戦没者遺族等援護法の適用を受けるため、島民が日本兵を悪者に仕立て上げたのだ。 その話が虚偽であることは、1985年に神戸新聞の調査で判明したそうだ。だが、文部科学省が教科書を書き換えるよう指示した際、座間味の島民は飽くまでも事実だと主張したらしい。過去の犯罪が明白になることを恐れたのだろう。これは2年ほど前のことだと記憶しているが、当時の私はそんなことを知らず、内心「文部科学省も罪なことをするなあ」と思っていたのだ。だが金のために、事実が歪められていたとは。 朝日新聞の「従軍慰安婦強制連行」に関する誤報は酷かった。32年間の同社の方針が我が国を危機に陥れたにも関わらず、朝日はきちんとした説明も謝罪も未だにしていない。その上、一時は「池上彰の新聞ななめ読み」というコラムを閉じようとした。これには同社の複数の記者が驚いてツイートして問題が広がり、最終的には謝罪と共に記事を載せた。私も池上氏の記事を読んだがごく常識的な内容で、なぜ朝日が記事を差し止めようとしたのか不思議に感じた。 朝日は自社に批判的な記事を載せた「週刊文春」と「週刊新潮」の広告を拒否した。その次の週には、両社の広告は載せたが、見出しの一部を「黒塗り」にした。朝日が隠した文字は「不正」などの8字4語。そんな普通の文字すら、朝日にとってはおぞましかったのだろうか。報道の良心は一体どこへ消えたのだろう。それこそ戦争のさ中に、新聞が真実を隠した手法だったはずなのに。 社民党の前党首が、マスコミの追求から逃げているとの記事をネットで見た。彼女はあの「従軍慰安婦問題」で、韓国人婦人の訴訟の弁論に立った。その際、その元慰安婦が元々は「家族に慰安婦として売られた」と言っていたのを、「日本兵に強制連行されて慰安婦になった」と直させたそうだ。朝日の報道を裏付けようとする何らかの「意図」があったと思わざるを得ない。何が真実なのか。報道とは、そして弁護とは一体何なのか。 「沖縄は捨石だ」と書いたブログ。総理大臣の名前を正しく変換出来ないブログ。それらのブログから、私は静かに身を退いた。いずれも相当の教養がある知識人だ。だが、彼らの正義や真実は観念上のものに過ぎなかった。私は私自身の感覚を信じたい。歴史を欺こうとする者は、いずれ真実の歴史に飲み込まれるのではないか。この問題の一連の動きを見ながら、そんなことを感じた私だった。
2014.09.07
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「本質的に俺は芸術家なのだ」。男は古ぼけたカメラを持ってどこかへ消えた。その日男が撮った写真がこれ。これらの写真の意味については、恐らく男自身にも分かっていないのではないか。 この後、男の姿を見た者はいない。恐らくは今日もどこかで芸術写真を撮り続けているのだろう。<完> ある日の散歩中、私は思いつくままにたくさんの写真を撮りました。何の脈絡もない大量のスナップ写真。さて、それをどう生かすか。そこで思いついたのがこのシリーズでした。6つのテーマに分類し、載せる順番を考え、足らない分野にはそれ以前に撮ったものを加え、もったいぶって『幻想写真館』と名付けました。 読者の中には驚いて、これは真実の出来事だと勘違いをされた方もおられたようです。まあ、目論見としては成功したのかも知れません。下手な写真と文章を組み合わせて、新たな表現方法を考える。そんな実験は、これからも時々試してみたいと思っています。今回は連載中にパソコンが故障するという「おまけ」まで付きました。最後まで私の実験にお付き合いいただいたことに、心から感謝しています。
2014.09.06
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「俺は元々宿無しでね」。眠そうな顔をして男は公園へと向かった。どうやら今夜の寝床を探しに行ったようだ。 眠れそうな「寝床」は見つかったのだろうか。それに、やぶ蚊に刺されて「デング熱」にならなければ良いのだが。<続く>
2014.09.05
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「俺もたまには夢をみたい」。そう言って男は歩き出した。男が向かったのは公園。と言ってもそこは幾つかの遊具が暇そうに待ち受けている空き地なのだが。 公園を出た男の顔には、微かな笑みが浮かんでいた。ひょっとしたら子供の頃のことを、思い出していたのかも知れない。ところで、ボールやカバンを忘れて行ったのは一体誰?<続く>
2014.09.04
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「俺くらい孤独な男はいないだろう」。そう言って男はフラフラと立ち上がった。一体何処へ行こうとするのか。男の後をつけると、目の前にこんな風景が現れた。 結局男は終日ここに居て、飽きもせずに水辺の風景を見続けていたようだ。沼には男の心を癒す「何か」が潜んでいたのだろうか。<続く>
2014.09.03
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「これは不思議な眼鏡でね」。男は古ぼけた眼鏡を指差した。「これをかけると風景がこんな風に見えるんだ」。その日、男が古眼鏡をかけて見た風景というのは、こんなものだったのさ。 こんな風景が見えたのは、果たして古い眼鏡のせいか、それとも単なる男の心象風景なのかは分からない。<続く> 近所の電気屋さんのバックアップで、ようやく通常の「作業」が出来るようになりました。私のパソコンは目下修理中。これはお借りしたものです。今日は朝一で病院へ行く予定。帰宅はかなり遅くなると思います。いただいたコメントへの返事や、皆様への訪問は帰宅後になります。どうぞ悪しからず。では、ご機嫌よう♪
2014.09.02
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8月は全国的な異常気象だったのだろう。中国地方、四国、九州では日照時間が例年の4割にも達しなかったようだ。それが野菜が高騰した一番の理由だ。だが関東から南東北にかけては、例年通りの日照時間だった由。それで我が家の家庭菜園でも、まあまあの収穫だったのだろう。 トマトは最後の5段目くらいからヒヨドリに突かれ、青いまま全てを収穫した。そしたら彼らはミニトマトを突き出した。幸いこちらはトマトより不安定なため、さほど被害には遭わずに済んだ。ある朝窓を開けたら、4羽のヒヨドリが地面に落ちたミニトマトを食べていた。だが私の気配に驚き、それ以来もう飛んで来ることはなくなった。 鬱陶しくなったミョウガの茎を次々に鎌で切った。だが、それ以降も幾つかのミョウガが採れた。秋冬野菜の準備をするために畝を掘り返したら、なんと地面の中でミョウガの根が延びていた。見掛け上の弱さと違って、彼らの生命力はとても強いのだ。そのお陰で、今年の夏はさわやかなミョウガの実を幾つ刻んだことだろう。あの後、青いトマトも次々ピンク色から赤く変わり、何度も食卓に上った。 ゴーヤの残りは後1本くらいだが、佃煮はまだある。キュウリも全て処分したが、古漬けとして食べている。モロッコインゲンは茹でて冷凍中。これは冬季の貴重な青物だ。まだ畝に残っているのは、雲南百薬、ナス1本、ミニトマト3本、シシトウ2本、ツルムラサキ3本。これらは雲南百薬を除いて間もなく勢いが衰えるはず。7月半ばに種を蒔いたブロッコリーの成長は順調。今年は晩秋に収穫が出来そうだ。<8月のラン&ウォーク>ラン7回93km ウォーク50km 月間合計143km 年間合計1437km うちラン827km これまでの累計85028km (8月のランにはマウンテンバイク40%相当距離を含む) パソコンの不調も堪えたが、実は後半の体調が最悪だった。心臓は脈拍数が110を超え、それが治まると今度は脈が測れないほど微細になる。かなり激しい不整脈が持続して起きていたのだ。こんな時は、ブログ巡りをしてじっと耐えていた。体調が少し戻ると散歩したり、室内で体操をしていた。そんな時に突然パソコンがクラッシュしたものだから、私は大いに慌てふためいたのだ。 昨夜、九州の弟から電話があった。私が送った桃が、ようやく届いたようだ。これは福島産の「川中島」という品種で、最も遅く採れるもののようだ。あまりの立派さんに弟は驚いていた。四国の娘にも届いたはず。きっと電話が来ると思う。今日から9月。仙台はもう秋に入る。新しい月に、果たしてどんなことが私を待ち受けているのだろう。
2014.09.01
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