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昨日の日記と思いっきり矛盾するけれども、僕は数字に弱い。っていうか、もの覚えが悪くなった。なんだかんだ言って朝から晩まで数字に囲まれてるこの現代社会において、二桁の番号すらちゃんと覚えられないのって、マジでやばい。 昔は算数/数学はかなり得意だったのに……、と旧き良き昭和の日々に思ひを馳せてみる自分。 どのぐらい数字に弱いかというと、以下のような感じ。生活に支障が出てきてるほど。恥ずかしげもなく書き出してみると……。■テレビのチャンネル どの番組が何チャンネルだったかが覚えられない。 こちらアメリカでは、チャンネル数は今や三桁。スポーツは第127チャンネルで、天気予報は33チャンネル、英国放送は115チャン、日曜大工ものは71チャンで……。 チャンネルを覚えるのが面倒という理由で、もはやテレビは観なくなってしまった。ザッピングしてるうちに日が暮れてしまう。■電話番号 ひと昔前までは、近しい人たちの電話番号は全て暗記していたものだった。暗記してるかしてないかが、その人との距離を測るひとつの尺度でもあったわけだし。 今は電話機に情報を登録できてしまうから暗記しても意味がないけど、自分の電話番号すらすぐに出てこないのはマズい。 ちなみに、アメリカ国内の市外局番って、規則性がないからわかりにくい。212はニューヨークで、213がカリフォルニアで、214はテキサス、215はフィラデルフィア? 東西南北ぐちゃぐちゃ。■道路 目的地への行き方を説明されても覚えられない。「95号線を北上して出口128番でルート29に乗って12th通りを右折して3軒め」とか。数字だけだから簡単なはずなのに。 かつて実際に起こったプチ事件。ニューヨーク市内の57th通りに自分の車を停めといて、一日じゅう遊びまくって夜遅く57thに戻ったときのこと。停めておいたはずの車が消えてて大騒ぎ。盗まれたかと思ってマジで焦ったけど、57thに停めたとばかり記憶してたら実は59thに停めていた、というオチ。あと一歩で警察に盗難届けを出すとこだった。 以来、外出先では、駐車した道の番号を手帳に書き留めたり、携帯に録音したりしてるマメなわたくし(実話)。■作品番号 クラシック音楽の場合、作品番号は非常に重要。難易度の目安にもなるし(オーパス100の呪い、とか)。 そういえば以前、モーツァルトのバイオリンソナタK376をさらってこいと言われてたのに僕はせっせとK378をさらってて、いざ弾き始めて「えっ、違うの?」ってことがあった。以来、曲の打ち合わせをするときは作品番号と調性を併せて意思疎通を図るように心がけてる。 やはり同じくモーツァルト。ピアノソナタはどの曲が好きかと訊かれたら僕はK333と答える。実際いい曲だと思うけど、ほんとの理由は「キリ番だから」。■通貨や度量衡 ずっと前にも書いたけど、海外で暮らしてると、通貨や度量衡をすばやく日本式のそれに換算する能力が鍛えられる(はず)。例えば、1ポンドあたり5ドルの肉というのは、100グラムあたり何円なのかとか、1ガロンあたり4ドルのガソリンというのは1リットルあたり何円だとか、あるいは、1平方フィートあたりの単価とか。 あー、面倒! 最近みたいに1ドル100円っていうのは、計算しやすくてほんとに助かる。←そーゆう問題か?
Apr 30, 2008
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しばらく日本を放浪していた友人マイケルがアメリカに戻ってきました。 興奮気味に旅の思い出を語りまくります。食べ物は新鮮でおいしくて盛り付けもきれいだったとか、女の子はおしゃれで細くて可愛かったとか。どの町も清潔で安全、物価は高いけど、それに見合うだけのファンタビュラスな国じゃぱぁーんっ!とのこと。 京都の町並みがなんとなくアメリカっぽかったという発言には驚きました。どうやら、碁盤の目のように道が縦横に整っている、ということらしい。確かにそう言われてみると。 ニューヨークのような大都市ですら初めて訪れてもすぐに地理感覚がつかめてしまうのは、やはり碁盤の目のおかげ。しかも、道の名前が数字なのでわかりやすいし。 南北に走ってる道はアベニュー、東西はストリート 縦横両方とも数字というのはニューヨークだけかもしれません。例えば、カーネギーホールが建ってるのは 7th Avenue と 57th Street の角。 首都ワシントンDCの場合は、東西に走るのはA、B、C、南北は1、2、3、斜めは州名(マサチューセッツ通りとかフロリダ通り)。いずれにせよ、強引なまでに合理的。 格子状の町かつ道が番号順になってるのってほんとに便利。目的地までの徒歩での所要時間が計算できてしまうのです。僕の足だと、ニューヨークでは縦方向に1ブロック移動するのに2分弱、横方向は1ブロック4分がおよその目安。だから、北に4ブロック、東に3ブロック歩かなければならないとすると、20分ぐらい見とけば充分かな、とか見当をつけやすい。 人と待ち合わせるときも、生粋のニューヨーカーなら「ロックフェラーセンターの前で」なんて野暮な場所は指定しません。「6th Av と 49th St の北東(NE)の角で」とナニゲに数字で指定してくるはず。人ごみも避けられるし、すぐに相手が見つかります。 ニューヨークのタクシー運転手は移民が多く、英語を話せない人も多いけど、利用する我々ガイジンも含めて、数字だけで意思疎通ができるのは助かります。 そう考えると、東京やロンドンとか、世界の大都市で働いてるタクシー運転手ってスゴい。規則性のない道の名前をちゃんと暗記してるのですから。 ***** アメリカ国内のインターステート道路(日本で言う国道、高速道みたいなもん)も同様。全ての道に番号がついてて、やはり合理的。原則として二桁の数字で、東西に走るのは偶数、南北は奇数。その幹線の枝にあたる道路は三桁で、下二桁が幹線の番号と同一、とか。 だから、地図を見なくてもなんとなく目的の町に行けてしまう。 アメリカでカーナビが流行らない理由はここにあるのです。←と、持ってない自分を正当化してみる。***** 思わず、「道」について語ってしまいました……。 で、そんなこんなで、存分にその合理性の恩恵を受けつつも、しかしながら、やっぱり淡白で素っ気ないと思ったりもするのです。表参道だの外苑通りだの、あるいはリーゼントだのシャンゼリゼだの、そんな奥ゆかしい名前がついてる諸国が羨ましくもなります。ロマンティッシェ街道とか。←ちょっと違う? なにも「道」に限ったことではなく、歴史の浅い国で生活してると、極端なまでの合理主義に感心する一方で、軽い抵抗感、違和感を覚えてしまう。わびさびの欠如というか。 京都、行きたい。
Apr 29, 2008
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10ドル席がまだ余ってるよとの言葉につられ、結局聴きに行ってしまった。クリストフ・エッシェンバッハの振るフィラデルフィア管弦楽団。 シベリウスの協奏曲、独奏はワディム・レーピン。この人、確かついこないだまで神童(お子ちゃま)だったはずなのに、いつのまにかオヤジと化してた。ロマンスグレーだし(←死語?)。 今シーズン聴いた多くの若手バイオリニストのなかでは一番巨匠的な演奏だった。落ち着いてて、北欧の大自然の厳しさをしかと受け止めてるよう。独奏とオケが闘ってるようなド派手な演奏では決してなく、かと言って開き直って埋没してるわけでもなく。 いかにもシベリア人の弾くシベリウス、って感じだった(←って、どんな?)。 なんとアンコールに超絶技巧無伴奏曲をご披露。大人なシベリウスとは一転、華やかに魅せまくる。15分ぐらい弾いてた。曲の紹介がなかったし、一緒に聴いた人も誰の曲か知らないって言うけど、たぶんパガニーニ。ウィエニャフスキとかサラサーテって感じではないような。 後半はブルックナーの6番。 ちなみに、今日の並び方はエッシェンバッハ流対向配置、すなわち両翼にバイオリン、ファーストの隣にチェロが来る。 チェロ/バスが舞台下手(←ヘタじゃなく)にいるオケは見慣れないので、すごく違和感があった。画的になんか落ち着かない……。 それに僕はブルックナーの交響曲ってあんまり得意ではなく、っていうか4番「浪漫的」しか知らない。昔コンマスで弾いて苦労して以来トラウマ&封印(笑)。弦の刻みもどうも苦手。 で、今日は久しぶりにブルックナーの世界に触れて新鮮だった。1楽章の水戸黄門のリズム(タン、タタタタン、タタタタン)もいい感じ。 エッシャンバッハさん、暗譜で振ってた。強引に鋭角的な音楽にすることもできる曲だと思うけど、すごく管理・統制されてるという印象だった。***** 今日の演奏会、ただでさえこってりしてたのに、オマケとして終演後に現役作曲家による室内楽作品のお披露目会があった。たまにやるみたい。 日本人団員のオカ・ヒロノさん(第1バイオリン)が無伴奏曲を披露したりしていた。 ……長ぁーい演奏会だった。1000円しか払ってないけど。追記: 会場を出て帰路に着こうとすると、某高級ホテルから出てくる私服のレーピン氏を発見。彼にアンコールの曲名を聞き出さなきゃと思って慌てて駆け寄ったのだけれど、お連れの方と共に向かいにある高級海鮮料理店へとスッと入ってしまわれた。追記2: レーピン氏のアンコール曲はやはりパガニーニであることが後に判明。パイジェッロのアリア「ネル・コル・ピウ」(わが心はもはやうつろになりて)による序奏と変奏曲 Introduction and Variations on "Nel cor più non mi sento" from Paisiello's "La molinara"。
Apr 24, 2008
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このカルテット、団体名が20世紀のチェコの作曲家にちなんでいるらしく。 僕はこのハースとかいう作曲家を知らなかったけど、今日一緒に聴いたシャーマンとジェイン(←ヲタク)ですら知らないと言うから、取り合えずは勝手にひと安心。 演奏は圧巻だった。お気に入りの四重奏団がまた増えてしまった。 個人的にはビオラ弾きの音に感銘。ムラがなく芯のある大きな音。 ハイドン:四重奏曲ニ短調作品42 d プロコフィエフ:四重奏曲1番 h スメタナ:四重奏曲1番 e「我が生涯から」 ハイドンにしては珍しい短調曲。しかも彼の弦楽四重奏曲「五度」と同じくニ短調。「五度」は文字通り五度の下降音型で始まるからそう愛称がついてるわけだけれど、作品42は終楽章が四度の音型で始まる。だから「四度」と呼ぶべきかと。 ハイドンの曲のなかでもかなり短く簡潔なほうなのに、この四人による演奏はちょっとベッタリしてる感じがした。 そもそも、この人たち、若いくせして爽やかに弾いてくれない。 特にファーストの金髪嬢がかなり強引な弾きかたをするので、それを苦手と感じる聴き手もいるに違いなく。ビブラートもウニャウニャかけまくるし、弓も奔放なまでに大胆に上下。 どちらかというと「通」に評価されそうな類の団体なのかもしれない。クセがありすぎて一般ウケしなさそう。僕も最初は抵抗があった。 でも、しばらく聴いて慣れて来ると、彼らの周到に計算された音楽づくりに素直に圧倒される。 プロコフィエフでもスメタナでも、作曲家及び彼ら四人の哲学や音楽観というものが見事に具現化されていた。 スメタナなんて、テンポをぐるぐると揺らしまくり。そしてスッと元に戻す。2楽章とかも、踊りの音楽を土臭くも天上の夢想的な響きで聴かせてくれた。***** 終演後、奏者たちを囲んでの簡単な懇親会にもちゃっかり参加。 彼らと実際に話してみると、舞台上での貫禄ぶりとの差に愕然とする。ほんとに若い。お子ちゃま? 前回のボルチアーニ弦楽四重奏コンクールで優勝して以来、ヨーロッパを中心に世界で大活躍。しかも、公演で訪れた極東の島国がいたく気に入ったご様子。特にビールが、とか言ってるし。 パベル・ハースという作曲家についてもいろいろと教えてもらった。当然彼らはハースの四重奏曲を録音しているそうで。 なにはともあれ、強烈な印象の残る演奏会だった。 Ahoj(じゃ)! と言って彼らと別れた。←唯一知ってるチェコ語。
Apr 20, 2008
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ポール先生から電話がかかってきていたようです。 三年前まで個人的にご指導いただいてたバイオリンの師匠です。南のほうの州に引っ越されて以来ご無沙汰しておりました。いきなり電話が来るなんて、何かあったんでしょうか。 当時の稽古のこととか、過去の記憶が急によみがえります。 非常に厳しい先生でして、特に弓の動かしかたについて細かく指導されました。 学生相手の指導ならともかく、僕ぐらいの歳になると、弾きかたのクセが固まってしまっているもの。僕としては「老後も楽しく弾き続けられるよう」ご指導いただければと思ってたのですが、先生曰く「基本がなってないと老後に楽しむことなんてできないっ!」。ご、ごもっとも……。 最初の稽古なんて今でもはっきり覚えてます。ヘンデルのソナタ4番 D dur を持参したら、初めの1小節だけで一時間の稽古が終了。あーでもないこーでもないとダメ出し。 そこまで突っ込まれるとは予想してませんでした。自分の人格や今までの人生そのものまで否定された気がして凹みました。夕陽の沈む土手を半分泣きながらトボトボと家路についたのでありました(←一部脚色)。 氏に診ていただいた曲は結局どれもがトラウマと化し、今となっては二度と譜面を開けるのもイヤだったりするわけで(笑)。***** で、おそるおそる折り返し電話をしてみると、「おぉっ、元気でやってるか?」とのこと。「君が今でも楽しくバイオリンを続けているのかどうか、ちょっと気になって」と師匠。 はぁ? ひとのことあんなにいじめ抜いておいて、なにを今さら飄々と……、と一瞬たじろいでしまった僕でしたが、氏もお元気そうでなにより。新天地でご家族とともに元気に暮らしてるらしく。 今思うと、ポール先生にはほんとにお世話になりっぱなしでした。 アメリカに住み始めた当初、誰ひとり音楽仲間がいなかった僕に、プロアマ問わずいろんな演奏家を紹介してくださいましたし、さまざまな催しで演奏の場を与えてくださいました。基本的な音楽用語すらきちんと英語で言えなかった僕に、多少呆れながらも根気強く教えてくれたのも彼でした。 全ては氏のおかげと言っても過言ではありません。バイオリンだけじゃなくビオラも弾けと背中を押してくれたのもポール先生。 氏がこの地を去られ、僕は別の先生を探そうとしたのですが、それがなかな見つからない。 ニューヨークの某有名音楽院の学生さんに格安で教えていただいたこともあります。でも、その先生(22歳!)、「とってもお上手ですねぇ、よく弾けてますよぉ。Good job!」とか言っちゃってあっさり終了。ネチネチいじられまくるのもイヤだけど、褒め殺しレッスンってのも意味ないし……。 ほかにも何人かの先生にご指導を仰いだものの見事に断られまくり。予算が合わなかったり、予定が合わなかったり、「貴方は私の弟子にするには下手すぎる」だの「上手すぎる」だの。 そんな話も含めて、電話の向こうのポール先生とダラダラ語ってしまいました。 氏は、「いやぁ、確かにねぇー。君は若くもないし老いてもいないし、バイオリンだって下手じゃないけど上手くもないし、一番教えにくいタイプかもなぁー。頑固だし、君。ははは。じゃっ、ごきげんよう」とのたまって電話を切られました。 あいかわらず無責任ともとれるぞんざいな発言の多い人です。そんなシュトレーゼマンみたいな師匠に振り回された当時のことを、ほろ苦くも懐かしく思い出された春の午後なのでありました。
Apr 19, 2008
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今日聴きに行ったアルテミス四重奏団 Artemis Quartet は、何年か前にナマで聴いて以来ひそかに気に入っているドイツの団体。 去年出したピアノ五重奏のCDが巷で話題になっている(らしい)。 ピアノのアンスネスと共演(動画)→ 最近二人も団員が替わったばかりか、いつのまにかチェロ以外は立って弾くようになっていた。カルテットの「立ち弾き」って、なんか世界的に流行りそうな予感。 モーツァルト:四重奏曲22番 B K589「プルシア王2番」 ストラビンスキー:四重奏のための三つの楽章 ストラビンスキー:四重奏のためのコンチェルティーノ チャイコフスキー:四重奏曲2番 F Op22 以前と比べてずいぶん丸くてしなやかな音になったかなと一瞬思ったけど、ファーストとチェロとできちっと輪郭を形成する音づくりはやはり健在。つまり、もともとの団員である肝っ玉おねーさんとハゲ頭おにーさん(失礼)の双頭型。バイオリン二人の弾きかたが統一されてないとこがあったのがちょっと気になったけど、たぶん気のせい。そう狙ったのかもしれないし。 モーツァルトの後期変ロ長調は、おそらく彼のカルテットのなかで一番難しいと僕は勝手に思ってる。でも、そうは感じさせない軽妙洒脱な演奏だった。透明感があるのにツヤもあるというか。 この曲の4楽章は「狩り」1楽章のパクリ? 調性まで同じだし。 つづいてストラビンスキーを二曲。長すぎないので気軽に楽しめる。好感度大。 「コンチェルティーノ」では、ファーストとセカンドを入れ替えて、姉御肌ロシア人さんがセカンドにまわってた。 最後はチャイコ2番。 正直言って名曲とは思えない。あまりに強引な曲づくり。それぞれのフレーズはいい感じなのに、妙にクドいし、とにかく唐突。 でも演奏自体は名演だった。粗の目立つこの曲を、長所だけを引き立たせて弾ききった。この人たち、ほんとにスゴい。タダモノにあらず。 アンコールはチャイコ1番「アンダンテ・カンタービレ」。練りに練られた演奏。弱音器つけてのノンビブラートって、音程が完ペキに合うと独特の響きがしてゾクッとする。 これは真の名曲かつ名演なり。
Apr 15, 2008
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友だちの結婚披露宴に行ってきました。インドの大富豪のご子息ご令嬢が結ばれるとあり、(一部で)話題になってた結婚式です。 本場インドでは、村人全員をまきこんで何日もかけて祝宴が繰り広げられるようですが、今日のはもちろん簡易版。それでも、昨日は前夜祭、今日も早朝から深夜までの長丁場。我々は後半の饗宴のみに参加させていただきました。 現在禁酒中のワタクシ。しかし楽器の演奏もお祝いのスピーチも頼まれていない「お気楽な」結婚式は久しぶりだし、今日ばかりは思う存分祝い酒じゃ、と気合いが入ります。行きと帰りの車の運転係も華麗に免れ、ニューヨーク郊外、白亜の「マハラジャ大御殿」(仮称)にいざ出陣っ! 500人近い招待客は当然インド人が多く、特に女性は色とりどりの衣装をお召し。新婦の派手さには及びませんが、光り物もジャラジャラ。 僕らはと言うと、アメリカ人、アイルランド人、アラブ人(UAE)、レバノン人、ベトナム人、そして日本人(僕)と、かなりの浮きまくり軍団。非インド人枠の特別待遇で、ちゃっかり上座の特等席に座らせてもらったりして。 ヒンドゥー教徒の結婚式に参加するのは初めてだったので、何もかもが新鮮でした。 で、晩餐メニューは「酒なし、肉なし、魚なし」。招待客も大半が菜食主義。ちょっと考えれば予想できたことだったのに、酒がないというのは誤算でした……。香辛料の効いた豪勢なインド盛宴料理。どれもおいしくいただけたものの、僕は友だち何人かとともに途中こっそり宮殿を抜け出し、併設されている酒場で呑んだりしてました。 おふたりのために祝いの舞い(インド舞踊)をクネクネと披露する「ヘソ出しおねーさん」も続出、アメリカ式の淡白な結婚式とは異なり、全てが濃い。さながらインドのボリウッド娯楽映画を観てるようです。(ニ、三本しか観たことないけど。) ←新婦と記念写真(ワタクシ)。 そして、さすがはインド流。ガンジス河の流れのように時はゆったり進みます。進行上の多少の遅れなど気にしない気にしない。結局はみんなで踊りまくり、ウタゲは夜更けまで延々と続いたのでありました。 ←象さんも祝福。
Apr 12, 2008
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フィラデルフィア管弦楽団の定期を聴いた。最上階最後列の10ドル席。 こってり四曲という長丁場。 LIGETI, Atmosphères BRAHMS, Violin Concerto R. STRAUSS, Also sprach Zarathustra (Thus spake Zarathustra) J. STRAUSS, JR., "On the Beautiful Blue Danube" Waltz 指揮は、今や飛ぶ鳥を落とす勢いのロシア人ウラディミール・ユロフスキ Vladimir Jurowki ……のはずが、病欠ドタキャン。代わってブラジル人 Roberto Minczuk ロベルト・ミンズク(ミンチュク、ミンツク、ミンスク?)。代振りなのに、後半なんて暗譜で振ってた。 コンマスは我らがデービッド・キム David Kim。***** リゲティの「アトモスフェール」という曲は、打楽器は含まないもののかなりの大編成。とてつもなく大音量が聞こえてくるのかと構えてたら、最初から最後まで不協和音のピアニッシモ? 弦も一人ひとり違う音を弾いてるらしく、音がぶつかりまくり。 パイプオルガンや別の楽隊(バンダ)が舞台裏に隠れてるのかと思うぐらい音響効果に富んだ楽曲/演奏。ピアノのフタをまるごと取り外し、ピアノ線(弦)を触って効果音を出すというのもやってたし。 つづいて、デンマークの若手ニコライ・ズナイダー独奏によるブラームスの協奏曲。 この人、なにがスゴいって、弾くときの姿勢。両足できちんと仁王立ち、無駄な動きが一切ない。音も安定してて、自分の身体全体で共鳴させてる感じ。しかも背が高いので舞台で映える。おそらく上げ底の靴を履いていらっしゃるに違いない。←ひがみ。 実際、昨今の若いバイオリニストの中にはやたらと動きながら弾く人が多すぎる。マイムマイムの足踏みで踊りながら弾いちゃったり、派手にイナバウワーごっこしちゃったり。でもズナイダー氏はどっしり構えての巨匠弾き。強烈な個性を誇示することはないものの、堂々として貫禄がある。いぶし銀。 弾きかただけじゃなく、全体の雰囲気が古風でお堅い人。ニトベの「武士道」でも愛読してそう。背広の前ボタンも律儀に三つ全て締めちゃって、弾きにくくないのだろうか。 コンチェルト終了後も彼は超人ぶりをご披露。休憩時間はロビーに出てきて、観客と気軽に談笑。でもって急いで舞台に戻り、後半はオケに混じってシュトラウス二曲を演奏していた。 彼が弾いてることに気づかなかった聴衆も多いはず。ファーストの6プルト(折り返し最後列)の裏にうまく埋もれてたし。 氏は、しかしながら、譜めくりにもたついてて、真のオケマンでないことをはからずも露呈なさっていた。 今日の演目は、スタンリー・キューブリック監督映画「2001年宇宙の旅」にちなんだ選曲とのこと。最後に「青ダニ」ワルツまであってお腹いっぱい。これで1000円は超お得だった。
Apr 11, 2008
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この週末は友だちの結婚式に招待されてます。会場はニューヨーク郊外にある「宮殿」。新郎新婦ともインド系の大富豪で、世界中から要人が集まってくるらしい。 思い起こせば、今まで日本や外国でいろいろな方の結婚式に参加させていただきました。僭越ながら楽器の演奏を頼まれて、「赤の他人」の結婚式に出ることもありますが、新郎新婦が知人であろうとなかろうと、結婚式に参列するのはいいもんです。 かつてルーマニアの田舎を旅したときに、現地の村人の結婚式に乱入したことがあって、んでもって酔っ払って勝手に新婦と踊っちゃったりして、傍若無人、ニッポンの恥をさらけ出してしまったという逸話もあるよーな。 ここアメリカで行なわれる結婚式も、いろんな国のいろんな宗教やならわしを身近に体験できるものばかり。さすがは移民の国であります。 会場もさまざま。山のてっぺんとか、ニューヨークの公園(セントラルパーク)内とか、あるいは川面の船上からマンハッタンの摩天楼を見上げながらとか。***** 結婚式というと思い出す曲もあります。 今は昔、知人の知人に弦楽四重奏の演奏を頼まれ、東京の超高級ホテルにて、芸能関係の方がたの披露宴で弾いたことがありました。当然ながら緊張しまくり。 招待客もスゴくて、K米クラブとかAルフィーの方とかも一曲ずつお祝いの歌を披露してたし。 PリンセスプリンセスのO居香さんが、「パパ」という曲をピアノ弾き語りで歌っていらっしゃいました。これには会場中が涙。あれは名曲であります。 以来、誰かの結婚式に招かれるたび、娘を嫁に出す父親の心境になってみては、勝手に目頭を熱くする自分なのであります。←はぁ?
Apr 10, 2008
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「楽団ひとり。」 今年に入って密かに取り組んでいるのがこのブラームスの第3ソナタ。 ピアニストと合わせる段階には全然至ってはないものの、今日はピアノのセス氏に懇願して練習につきあってもらった。1楽章と2楽章。 結果的には目からウロコ。ひとりで旋律を弾いてるだけでは決してわからなかったことが見えてきて、今後さらう際の留意点がわかった(ような気がした)。 1楽章。なにごとも初めが肝心。曲の美しさに任せてしっとりと弾くべきか、いや二拍子のアレグロなんだし、どんどん前に進むべきか。 それにしても、全般的に自分の音程の悪さにはあきれる。ピアニスト氏も顔をしかめていた……。ニ短調の主要音、レまたはラの音を常に頭の中で響かせながら弾くのがコツかも。バイオリンは開放弦のなかにレとラが含まれているわけだし、倍音をも意識しながら。 バリオラージュ(移弦うねうね)奏法もこの楽章の難所のひとつ。 2楽章はゆっくりした三拍子。カバレリア・ルスティカーナの間奏曲のような田園的幸福感。 やっぱり音程合わせに手こずった。特にハイポジの三度和音。誰かに「第2バイオリン」として三度下を弾いてほしいところ。ひとりで弾くには無理がある。少なくとも自分にとっては。 ほかの「ひとり芝居」的な箇所と言えば、1楽章の終わりもそう。無伴奏曲的な難しさ。カルテットみたいに何人かで分散して弾ければいいのに。 それとも、そんな言い訳ばかりしてるから全然上達しないのだろか。
Apr 6, 2008
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「サインはV。」 我々ヴァイオリンを学ぶ者にとって、どうしても避けては通れない作曲家というのがいる。もちろん、バッハでありモーツァルトでありベートーヴェンとかなわけだけど、それはほかの楽器の人もだいたい同じ。 ヴァイオリン弾きだけにしか弾かれない作曲家という意味では、ウィエニヤフスキとかパガニーニ、サラサーテやクライスラーとか。でもちょっと上級者向け。 僕としては、なんてったって以下の五人が外せない。カッコ内は代表作。僕は勝手に、「ヴァイオリン教育における五大V」とかと呼んじゃっている。イタリア系が多いのが特徴。 ヴィターリ Vitali (シャコンヌ) ヴィヴァルディ Vivaldi (協奏曲) ヴェラチー二 Veracini (ソナタ) ヴィオッティ Viotti (協奏曲) ヴュータン Vieuxtemps (協奏曲) ヴェラチーニは、ヴィターリと並んでズバリ一発屋。このホ短調ソナタは日本でヴァイオリンを習ったことのある人だったら大抵弾いてるはず。別名「コンチェルトソナタ」。日本人の編んだ教本にも載っている。 残念なことに演奏会でとりあげられることはほとんどない。CDもそんな出てないし、それにガイジンさんでこの曲を知ってる人は少ない。 なら自分で弾くっきゃない。きちんとピアノと合わせてみたいと思い続けて20年、本日ついに悲願達成。1楽章、2楽章、4楽章を、ピアノのセス氏に強引におつきあいいただいた。 やはり1楽章は名曲。なんてったってピアノの前奏がかっこいい。↓ 気分はベートーヴェンの「悲愴」。←どこがっ? 日本海の岸壁に打ち寄せる波のごとく?ド派手に水しぶきを上げながら、ペダル全開でピアニスティックに鳴らすのがいい。この七小節間の前奏、ほんとはチェンバロでポロンポロンと弾くんだろうけど、現代風の弾きかたのほうが面白いのではないかと。 ヴァイオリンの旋律も、ちょっとした装飾が演歌っぽい。日本人に好かれるのも当然。都はるみさん的なこぶしとバロック音楽との融合。 この曲がヴァイオリン教本に載ってるのって、今さらながら納得。ヘンデルのソナタと並んで、質感のある音を出すのがすごく難しい。
Apr 6, 2008
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「パクリと略奪。」 メンデルスゾーンって、強烈な個性がなくて無難すぎる作曲家と思われがちだけど、室内楽だけは別。なかなかどうしてクセがあって、弾くたびに新たな発見があるわけで。 歌心に満ち、愛らしいのに感傷的。健全かつエレガント。弾く者にも聴く者にも受け入れられる独特の魅力。1楽章や4楽章のみならず中間の楽章にキラリと光る珠玉の作品が隠れてるのもメンデルスゾーンの特徴。 今日の練習では作品13の第1、3、4楽章を弾いた。僕は第2バイオリンを担当。 この曲は、先に練習したベートーベンの作品135の翌年に書かれている。主題が似てるのは単なる偶然か、あるいはパクリ? 音型も似てるし、言葉を乗せてる点も同じだし。 ↑ベートーベン、作品135 Muss Es Sein? ↑メンデルスゾーン、歌曲 Ist Es Wahr? と作品13 ちなみにこのカルテット、セカンドもおいしい。 1楽章の最後、なぜかファーストは最後の音符を弾かない。いきなりセカンドがしゃしゃり出て、チャンっチャンっ!と曲を締める。 かっくいいー……。この曲で一番気に入ってる瞬間。セカンドでよかったと思う。 こうゆう下剋上ポイント、CDを聴いてるだけじゃ絶対に気づかないし。 1楽章の最後 主役の座を奪われ、ファーストのパトリシア嬢は苦虫をかみつぶしたような表情をしてた。なんか申し訳なく思ってしまったお人好しの自分。 もちろんほかの部分はファーストが活躍してるわけで、特に終楽章冒頭のレシタティーボなんて非常に劇的。パトシリアのご機嫌も回復。 一方、曲の終わりかたはすごく地味。1楽章冒頭と同じことを繰り返すのは彼のカルテット1番 Op12 と同様。 やはり最後の音符をファーストが弾くことはなく、セカンド以下三人でしっとりと和音を響かせる。 マリオン(ビオラ)とチャールズ(チェロ)
Apr 6, 2008
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「熱狂の♭シ」 今日のカルテットの練習では、前回に引き続き作品135に挑戦。一般的に言われるところの、ベートーベンの最後の作品。 3楽章と4楽章を練習した。バイオリンは僕とパトリシア、ビオラはマリオン、チェロはチャールズ。 ベートーベンの緩徐楽章って僕は実はあんまり好きじゃない。っていうか、はっきり言って「嫌い」なので、練習する前からとても憂ウツだった。 でもこの3楽章レントは意外にいい感じ。美しい曲だと思う。少なくとも、同じ後期の作品127の遅い楽章よりはわかりやすい。 幸福感を漂わせながらもどこか深刻。翳りを帯びててアンニュイ。フラット五つだし、弾いてる僕らも別の意味で翳りまくり。 この楽章は変ニ長調ではあるけれど、ヤマ場はファーストの高音の♭シ。ここに辿り着くまでの旅がまた長い。もったいぶってて、じれったい。 ベートーベンらしいなーと感動してしまうのは、ここまでじらしといて、頂点に登りつめたとたん、そこに停まることなく三オクターブ真下に急降下したりするとこ。しかもスビトピアノ。ベートーベン以外の何者でもない意を決した潔さに背筋が伸びる瞬間。 4楽章。「あらねばならぬか Muß es sein?」、「あらねばならぬ! Es muß sein!」のやり取り、第九の4楽章みたいで弾いてて楽しめる。 ベト様最後のカルテットの終楽章だし、荘厳で崇高なフィナーレを期待してると拍子抜け。意外に素朴で軽やかなのに驚く。滑稽ですらあるし。 絶望やはかなさの裏返しなのか、あるいは単に開き直ってるのか。人生の終りが見えてきてる彼の「カラ元気」っぽくも思えて不憫? それに、ころころ転調するので落ち着かない。ほんとにこれでいいのか、弾きながら不安になるけど、それがまた「かくあらねばならぬ」ということなのだというのが我々の強引な結論。 こじんまりピチカートとかやっちゃったうえ、最後の音符を弾き終えてふと我に返る。なんとも透き通った響き。ヘ長調。 ベートーベンって、弦楽四重奏1番もヘ長調だったよーな。 彼の書いた最初と最後のカルテットが同一調だなんて偶然とは思えないっ。←いや、たぶん偶然かと……。
Apr 6, 2008
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今日聴いてきた Belcea Quartet は、イギリスを代表する四重奏団と言ってもいいかも。 僕が密かにCDを愛聴している Brodsky ブロヅキー四重奏団が滅多にアメリカ公演をしてくれないのに対し、この団体は海外公演にも積極的(なような気がする)。 Belcea 四重奏団、「ベルチャ」と読むんだよ、と開演直前に事務局のお兄さんが教えてくれた。ベルチャというのは第一バイオリンのお姉さんの苗字らしく、ってことは彼女、女王様キャラなのだろうかと、開演前から気になってしょうがない。 全然違った。この団体はなんとチェロ主導型。セロ弾きが合図を出して要所要所でアインザッツを揃える。 今夜の演目は、以下のとおり。非の打ちようがない完ぺきな選曲っ……! ハイドン: ニ長調作品20-4 バルトーク: 3番 シューベルト: 「死と乙女」 ハイドンの20-4なんて、我々室内楽愛好家のあいだでは神格化されてる名曲。ファーストだけを酷使する他のハイドンとは一線を画してる(特に2楽章の変奏曲)。 チェロ主導のこの四人組に似合っているとも言える。 バルトークは意外に短い曲。四つの楽章が一気に通して演奏される。 一般的にはビブラートなしで弾きそうなところを、逆に細かくビブラートをかけたりしていて、不安かつ狂気じみた雰囲気がよく出ていた。 グリッサンド、重音、ピチカート、スルポン、コルレーニョ、など、見てても楽しめた。 で、「死と乙女」。 シューベルトって、かっちりきっちり弾かなきゃいけないという強迫観念に囚われてた自分にとって、彼らの演奏は目からウロコ。部分的には、四つの拍をいちいち強調せずに、小節単位でゆるぅーく揺らしたりもしてた。四人が多少ずれててもそれでいい。二人ずつぐらいで噛み合ってれば充分っていうか。 あんまりアクセクしてないのがとても新鮮で、かといって、メリハリがはっきりしすぎてて一歩間違うと疲れてしまうような演奏でもなく、その加減がちょうど良かった。追記: 今日の演奏会場、前方に座ってた若い男女が、演奏中にやたらとイチャイチャしてました(抱擁、接吻、またはそれ以上)。当然、非常に目障りで大ヒンシュク。誰が彼らに注意するか、観客どうしの間で緊張が走ります。 でも、ベルチャ四重奏団の鬼気迫る演奏はやっぱりたいしたもので、発情なさってたはずの若人らも、結局は途中から熱心に聞き入っていました。終演後は立ち上がってブラボーとか言ってたし。 めでたしめでたし。
Apr 3, 2008
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「前略、道の上から」 こんないい映画を公開当時に見逃してた自分が恥ずかしい。ずっと気にはなっていて、やっとDVDで観ることができた。 アイルランド人流に褒め称えるなら、グランド grand な映画。 大道芸をしてるギター弾きと、花売りの移民系少女との出会い。 演奏の場面がいっぱい。しかも口パクや指パク/弓パクじゃなくてホンモノなのが嬉しい。 撮影も、手作りで即興的な感じ。ドキュメンタリー映画かと勘違いしそう。 こないだの米アカデミー賞音楽部門で見事オスカー獲得 男は、歌やギター、作詞作曲などの才能はあるのに、それ以外は不器用。少女のほうは、純真で健気に見えるのに、実は過去にいろいろあったりもする。 筋の展開が良かった。特に、陳腐で安易な恋愛ものにならなかったとこが良かった。このテの映画で、愛だの恋だのに発展してハッピーエンディングだったりしようものなら全てが台無しになる可能性がある。ただの「そのへんの映画」と同じになってしまうし。 音楽的には、同じパターンのリズムや和音を延々と繰り返すタイプ(オスティナート系)の曲が多かったように思う。覚えやすいのはいいのだけれど、一歩間違うとマイケル・ナイマンっぽくなって危険(笑)。 なにより、主演の女の子(マルケタ・イルグロバ)が可愛い。オスカー授賞式をテレビで観てて、彼らの受賞スピーチがすごく印象に残った。スピーチの時間制限が厳しいことで知られる授賞式なのに、前代未聞、スピーチのやり直しの特例を認められたのが彼女。でもって、そのスピーチがまたとっても真摯。僕は勝手に彼女に惚れてしまったわけで。 ちなみに、音楽映画という点では、「グレイス・オブ・マイ・ハート Grace of My Heart」(1996年アメリカ映画)を思い出した。どんな映画か内容は忘れちゃったけど、サントラCDは今も愛聴しており。***** この映画にも出てくるダブリンのグラフトン通りは、確か「大道芸人のメッカ」とさえ呼ばれてるはず。僕も昔アイルランドを旅したときに、ここでひたすら芸人を観察しまくった記憶がある。クラシックの人もいて印象的だった。 「いつかオレもここで弾いてみたい」などとワケのわからない夢を抱いてたよーな、若い頃の自分(笑)。
Apr 1, 2008
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