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2016年6月8日 京都新聞ホームページから 「善の研究」といった著作を通して独自の思索を展開した哲学者西田幾多郎(1870~1945年)が、京都帝国大(現・京都大)の教授時代などに暮らした京都市左京区の旧宅の解体工事が8日、始まった。住んでいた10年間は、京都学派の源流となる三木清らが訪れた一方、長男を失うなど不幸が重なった。京大文学研究科の林晋教授(思想史)は「悲哀をテーマにした西田哲学につながる経験を積んだ家」とし、書斎や廊下を京大総合博物館などで保存するという。 旧宅は木造2階建て延べ床面積約180平方メートル。1階には居間や台所、2階に書斎などがある。後に一部が改装されたが、書斎と廊下は西田が生活した当時の状態をほぼ保っている、という。 西田は京都帝大の教授に就任する直前の1912年から22年に借りて暮らした。この間、長男謙の死や妻の脳卒中、他の子どもも病にかかるなど苦難は多かった。つらい経験は哲学の動機を「悲哀」と考える西田独自の考えに影響を与えたという。次男外彦は書斎に隣接した約10メートルの廊下について「(西田は)往復しながら哲学と格闘するように思索した」と著書で回想している。 林教授と福井工業大の市川秀和教授(建築学)らが解体・保存作業に当たる。旧宅は老朽化などのため建て替えが決まっていた。西田の直筆原稿など「京都学派アーカイブ」をインターネットで公開している林教授に昨年秋、知人を介して所有者の家族から保存の打診があった。 7日は西田の命日。市川教授は「西田は京都で3カ所に暮らした。最後の現存する住居で、一部でも保存できてうれしい。調査で明治後期には建てられたと分かっており、当時の借家用住宅を知る上でも貴重」と話している。 解体前に撮影した建物内部などの画像は京都学派アーカイブのホームぺージから見られる予定。解体される西田幾多郎の旧宅。1月まで住居として使われていたという(8日午前8時45分、京都市左京区田中上柳町)西田幾多郎が思索する際に何度も往復したという廊下(8日午前8時55分、京都市左京区田中上柳町)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/06/09
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2016年6月7日 京都新聞ホームページから 祇園祭山鉾連合会(事務局・京都市中京区)は、190年前から「休み山」となっている鷹(たか)山の復興に向けた調査委員会を設置し、7日に第1回会合を開催した。2年かけて歴史文献や絵画資料、残されたご神体人形などを検証し、どの時代の、どのような形態の山を復元、製作するかを検討する。連合会が鷹山復興を正式に議論するのは初めてで、検討結果を基に復興が具体化される。 委員会は文化庁の補助金を受け開催。連合会の役員と専門家計9人で構成する。 この日の検討会で岸本吉博連合会理事長(67)は「鷹山の骨格を作りたい。山鉾行事の任に堪えうる山となるよう進める」と話した。 鷹山保存会は4月、山鉾連合会に準加盟した。過去に四つの山鉾の復興に関わった植木行宣会長(84)は「連合会に加盟するということは、国の重要無形民俗文化財とユネスコの無形文化遺産の枠に入るということ。それにふさわしく、品格のあるものにするため議論したい」と話した。出席した鷹山保存会の山田純司理事長(61)は「私たちの世代が復興の最後のチャンスという認識だ」と意気込んだ。 鷹山は、中京区三条通室町西入ルの町内にあった後祭(あとまつり)の曳山(ひきやま)だった。1826(文政9)年の大雨で懸装品が被害に遭い、その翌年から山鉾巡行に参加していない。2014年、囃子(はやし)が復活し、15年に新たに保存会を発足させた。26年までの山の復興を目指している。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/06/08
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2016年6月7日 京都新聞ホームページから 日本遺産に認定された旧軍港のある舞鶴市など4市が7日、観光アピールに日本遺産を活用する推進協議会を東京都内で設立した。日本の近代化を象徴する建造物などが多く残る特色を生かし、観光客取り込みに向けて連携を図る。 4市は舞鶴と横須賀(神奈川県)、呉(広島県)、佐世保(長崎県)。共同で文化庁の日本遺産に申請し、4月に認定された。設立総会は4市とその観光・商工団体、防衛省、文化庁から100人が出席した。 会長に就いた多々見良三舞鶴市長は、「東京五輪まで外国人観光客は堅調に増加すると予想され、地方の都市まで足を伸ばしてもらうことが大切だ」と述べ、歴史探訪ツアーなどでの密接な連携を呼び掛けた。 本年度は、通常は非公開の施設を含めて一斉に一般公開する「日本遺産ウイーク」や、11月に都内でフォーラムや物産展のイベントを予定。将来は4市を巡るクルーズ実施も検討する。旧軍港の日本文化遺産を契機とした推進協議会の設立総会であいさつする舞鶴市の多々見良三市長+(東京都千代田区のホテル)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/06/08
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2016年6月7日 京都新聞ホームページから 和歌山県の梅産地の団体でつくる「紀州梅の会」は6日、同会が制定した「梅の日」に合わせ、下鴨神社(京都市左京区)と上賀茂神社(北区)に特産の南高梅を奉納した。 室町時代の1545年6月6日(旧暦4月17日)、後奈良天皇が賀茂神社に梅を献上したところ、雨が降り五穀豊穣(ほうじょう)をもたらしたとの故事にちなむ。 この日は梅農家をはじめ、京都和歌山県人会や立命館大、京都大の学生ら約50人が平安装束や法被姿で境内を歩いた。参拝者には「梅を食べて元気に夏を乗り切って」とアピールしていた。平安装束や法被姿で行列をつくり、梅を奉納する紀州梅の会のメンバーら(京都市左京区・下鴨神社)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/06/08
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2016年6月6日 京都新聞ホームページから 食卓に上がる生き物への感謝をささげる祇園放生会(ほうじょうえ)が5日、京都市東山区の辰巳大明神前で営まれた。比叡山の大阿闍梨(あじゃり)や舞妓、住民らが参加し、アユの稚魚約2千匹を近くの白川に放流した。 殺生を戒め、魚や鳥を放つ仏教儀式の一つ。末永く祇園を人と生き物が憩う共生の場にしようと、地元の商店主や僧侶でつくる実行委員会が1985年から毎年催している。 この日は小雨模様となったが、大勢の観光客らが見守る前で法要が行われ、比叡山明王堂の光永圓道(えんどう)大阿闍梨が読経した。 僧侶が念仏を唱える中、参列者が順に木おけ入った稚アユを巽橋の上からゆっくりと放した。祇園甲部の舞妓豆純さん(17)と豆こまさん(17)も参加し、観光客らとともに、川で元気に泳ぐ稚魚を静かに見つめていた。生き物への感謝を込めてアユの稚魚を放流する舞妓ら(京都市東山区)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/06/07
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2016年6月6日 京都新聞ホームページから 斜めに傾いていた石塔が真っすぐに―。京都府大山崎町の宝積寺に建つ九重の石塔(町指定文化財)の修理がこのほど終わった。初めて解体され、調査の過程で鎌倉時代中期の仁治2(1241)年銘が再確認された。関係者は「年号が明記された石塔としては府内最古の可能性がある」という。 石塔の正式名称は「石造五重塔」(高さ約6メートル)。現在は九重の塔だが、元は五重だったとの説もある。近年は傾きが顕著となり、倒壊の危険があるため同寺と町が昨年4月から修理を進めていた。 石塔の軸部側面には「仁治二年十月」の刻銘が見られ、解体による調査で字体などを分析できた。また石塔は過去に何度も積み直されていたことが判明。このほか石屋根の形状から本来五重ではなく、もともと九重だった可能性の高いことも分かったという。 今回調査した奈良県大和郡山市教育委員会の山川均主任によると、府内最古とされる金輪寺(亀岡市)の重文・五重石塔より古い可能性があるという。山川主任は「金輪寺の石塔は、刻まれた干支(えと)の字などから鎌倉時代の建立と推定できるが、明確な年代は定かでない。年号を考えると宝積寺の石塔の方が古いのでは」としている。 宝積寺は5日午後1時から石塔の「落慶法要」を営む。修理前の石塔。上部はかなり傾いていた(2015年2月撮影、写真右)修理後の石塔。傾きは修正され、欠損部は新しい石で継ぎ足された(京都府大山崎町大山崎・宝積寺)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/06/06
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2016年6月5日 京都新聞ホームページから 幕末に新選組が屯所を置いた前川邸当主の子孫にあたる大阪市西淀川区の男性が、先祖と隊士が過ごした壬生村(京都市中京区)のジオラマを作り、東山区の霊山歴史館に寄贈した。古文書などを調べ、忠実に幕末の屯所周辺の様子を再現した精密な模型で、7月12日から同館で公開する。 田畑敏通(としみち)さん(81)は、幕末の前川邸当主・前川荘司の子孫。前川邸は1863年に浪士組が入洛してから八木邸とともに屯所として使われ、隊士山南敬助の切腹や志士古高俊太郎を拷問した現場にもなった。 完成した模型は南北を70センチ、東西を83センチに縮尺した。坊城通を中心に綾小路通から仏光寺通までを記録に基づき再現した。前川邸では拷問に使った土蔵、芹澤鴨の暗殺現場となった八木邸、清河八郎が浪士組に演説した新徳寺が配され、壬生寺北側には、現存しない「南部邸」もしっかりと作られている。 歴史好きな田畑さんは、建物の模型を4年前から作り始めた。紙やのりを使って杉本家住宅など重要文化財の模型を作ってきたが、「先祖が過ごした地を子どもたちに見せたい」と心に決めた。現在の前川邸を見学し、壬生村の町割や建物の見取り図を古文書や写真、地図で調べ、半年かけてジオラマを作り上げた。 田畑さんの祖母が、幕末の当主だった前川荘司から聞かされた話では、荘司は土方歳三のことを「トッサン、トッサン」と呼んでいたという。壬生寺に一緒に住まった新選組は身近な存在だったようで、田畑さんは「形あるものは何かの形で残していかないといけない。祖母から聞いた壬生村の様子を私の孫たちの世代にも知ってもらうことが将来のためになることを願いたい」と話していた。新選組の隊士が行き交った壬生界わいの模型を作った田畑さん。指さしているのが祖先が過ごした前川邸(京都市東山区・霊山歴史館)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/06/06
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2016年6月3日 京都新聞ホームページから 和歌にまつわる場所を巡るツアーを、NPO法人「京都観光文化を考える会・都草」(京都市上京区)がスタートさせた。歌を詠んだ人物にゆかりの深い社寺や史跡を訪ね、奥深い和歌の世界を体感できるとあって、参加者に好評だ。 「都草」はこれまで歴史探訪ウオークなどを行ってきた。今年は歴史の中で育まれた文化により目を向けようと、和歌に注目してツアーを打ち出した。第1回(4月開催)のテーマは「藤原俊成の時代を散策」。会員の木村哲夫さん(80)が講師を務め、四条烏丸交差点を起点に散策した。 牛若丸と弁慶の伝説にゆかりのある五条天神(下京区)では、源義経の辞世の和歌を紹介。「弁慶が『あの世で待ちましょう』と歌った和歌への返歌として、『極楽浄土まで共に行こう』と歌っている」と説明した。このほか、菅原道真が祭神の菅大臣神社や、曹洞宗を開いた道元の入滅の地に立つ石碑、藤原俊成をまつったとされる俊成社(いずれも下京区)を訪ね、ゆかりの和歌を紹介した。 俊成の子孫にあたる冷泉家時雨亭文庫常務理事の冷泉貴実子さん(68)も参加し、新玉津嶋神社(下京区)で俊成の和歌を披講した。ツアーを終え、「歴史学とはまた違った、京都のまちの深い歴史を感じられた」と話した。 「都草」の坂本孝志・前理事長(71)は「日本人の美意識と歴史を絡めてまちを歩きたい。会員がまず知識を深め、ゆくゆくは一般にも和歌ツアーを広めていきたい」とする。ツアー参加者の前で藤原俊成の和歌を披講する冷泉さん(左)=京都市下京区・新玉津嶋神社よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/06/04
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2016年6月3日 京都新聞ホームページから 梅の名所として知られる北野天満宮(京都市上京区)で3日、梅の実の収穫作業が始まった。雲一つない青空の下、神職や巫女(みこ)がほのかに赤く色づいた実を採取した。 境内には50種約1500本の梅の木が植わる。梅の実は塩漬けや梅雨明けを待って行う土用干しを経て、無病息災を祈る正月の縁起物「大福梅」として参拝者に授与される。 本殿南側の三光門前では白衣に緋袴(ひばかま)姿の巫女たちが、ピンポン球ほどの大きさに膨らんだ梅の実を次々と収穫していった。今年は例年並みの2・2トンを収穫する見通し。作業は1週間続く。「大福梅」用の梅の実を収穫する巫女ら(3日午前10時、京都市上京区・北野天満宮)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/06/04
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2016年6月3日 京都新聞ホームページから 総ヒノキ造りと考えられていた平等院(京都府宇治市)の鳳凰堂の一部にコウヤマキが使われていたと平等院が3日発表した。平安期から室町期にかけての大型建物での使用例はほとんどなく、京都大などの共同研究チームは「建築用材の変遷を知る上で貴重だ」としている。 コウヤマキは日本だけに分布する常緑針葉樹。耐水性があり、奈良期までの建物に使用されていたが、枯渇でヒノキが使われるようになったとみられている。 研究チームは、明治後期の修理で取り外された古材3点(長さは1・2~2・6メートル、幅は24~28センチ、厚さ1・6~3・5センチ)の木片を顕微鏡で調べた。うち1点がコウヤマキと判明し、年輪年代測定法などで、少なくとも建立時に近い1040年まで生育し、その後伐採されていたことも分かった。 部材は、屋根の下地の「野地板」として使われていたとみられている。一部が斜めに切削されており、瓦を支える「土止め」の役割で使われていた可能性もあるという。コウヤマキと判明した野地板とみられる部材(中央)=宇治市宇治・平等院よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/06/04
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2016年6月3日 京都新聞ホームページから 「暗夜の奇祭」として知られる県(あがた)祭が5日から6日未明にかけ、宇治市宇治のJR宇治駅周辺で行われる。ハイライトを飾る梵天渡御(ぼんてんとぎょ)は県神社と県祭奉賛会が別々に実施する。 県神社と、大阪や兵庫の講社でつくる奉賛会は神事を巡って決裂。梵天渡御は2004年以降、中止になった09年と、奉賛会が自粛した14年を除き、「分裂渡御」となっている。 奉賛会の渡御は午後11時に宇治神社御旅所を出発し、JR宇治駅前を経て宇治橋西詰で折り返す。梵天を豪快に回す「ぶん回し」を途中で披露する。県神社は6日午前0時に暗闇の中で祭神を梵天に移す神事を行った後、同神社周辺で渡御とぶん回しをする。 一帯には約500店の露店が並ぶ。周辺は最長で5日午前10時~翌6日午前1時に車両通行が禁止され、歩行者専用となる。人出予想は13万人。宇治署は約300人態勢で警備に当たる。雨天決行。県祭交通規制よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/06/04
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2016年6月2日 京都新聞ホームページから 「天下取り」をかけた古戦場のある京都府大山崎町と岐阜県関ケ原町の両町長は1日、観光ブランド構築に向け、共同会見を関ケ原町役場で開いた。2人は各合戦の勝者に扮(ふん)した甲胄姿で町自慢を展開。「天下分け目」の地の利を生かし、両町の共通PR動画作成などに合意した。 会見で、羽柴秀吉に扮した大山崎町の山本圭一町長は「天下分け目の代名詞は天王山。二つはいらない」と主張し、千利休の国宝茶室「待庵(たいあん)」など地元の名所を説明しながら町をアピール。徳川家康役の西脇康世町長も「合戦のスケールの大きさで言えば本当の天下分け目は関ケ原」とPRで譲らず、最後に両町長が「町民の力を取り込み、天下取りの気概で競い合い、魅力を出し合おう」と握手し、天下取りブランド発信や観光事業連携を確認した。 両町は11、12日の「大山崎天下取り決戦祭り」を始まりに各種イベントを企画。今後、両町の歴史観光スポットや見どころを合戦・対決スタイルで紹介する動画、関連グッズ作成などを予定している。事業費は国の地方創生加速化交付金1億600万円を充てる。京都・大山崎、岐阜・関ケ原握手を交わす山本町長(右)と西脇町長=岐阜県関ケ原町・町役場よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/06/03
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2016年6月2日 京都新聞ホームページから 京都府の向日神社の本殿と鳥居が、黄緑色の淡い光に照らされた。「世界禁煙デー」の5月31日夜から、受動喫煙防止などをアピールするライトアップが行われている。 NPO法人「京都禁煙推進研究会」(京都市中京区)が毎年この時期に高台寺や京都タワーなどで実施しているイベント。今年は同神社が初めて加わった。 境内では、国の重要文化財に指定されている本殿の「珍しい姿」を一目見ようと、地元住民らがカメラに収めたり、ランニングの途中に立ち寄ってお参りしたりしている。 ライトアップは5日まで。ライトアップされる向日神社の本殿よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/06/03
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2016年6月1日 京都新聞ホームページから 初夏の京都の宵を彩る「京都薪能」(京都市、京都能楽会主催)が1日、京都市左京区の平安神宮で始まった。愛好者や観光客ら約1600人(主催者発表)が、朱塗りの社殿を借景に、かがり火が照らし出す幽玄の世界を楽しんだ。 今回は「能にして能にあらず」とされる神聖な曲「翁(おきな)」で厳かに幕を開け、金剛流宗家の金剛永謹(ひさのり)さんが、天下泰平と国土安穏を祈る荘重な舞を舞った。天の岩戸開きを描く「絵馬」や、狂言「福の神」が続いた。 夕闇が迫る午後7時過ぎ、たいまつに火が入ると、特設の能舞台が幻想的に浮かび上がり、在原業平の歌に取材した「杜若(かきつばた)」と、龍神が豪快に舞う「春日龍神」が繰り広げられた。 2日は、観世流の井上裕久さんによる「翁」や、酒に目のない神獣が大勢で舞い踊る「大瓶猩々(たいへいしょうじょう)」などが上演される。午後5時半開演。有料。かがり火が揺らめき幻想的な雰囲気に包まれた能舞台(1日午後7時40分、京都市左京区・平安神宮)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/06/02
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2016年5月31日 京都新聞ホームページから 来年5月に京都市内で開催される「万華鏡世界大会in京都」のプレイベントとしてコンサートが6月5日、中京区御池通堀川東入ルの京都堀川音楽高の音楽ホールで開かれる。ギターデュオの演奏に合わせ、万華鏡の模様を投影し魅力に触れてもらう。 万華鏡世界大会は万華鏡の制作者や愛好家でつくる組織が毎年、米国で行っている。27回目の来年は米国以外で初めて開かれる。 コンサートにはクラシックギターデュオ「いちむじん」が出演する。高知県出身の男性2人で、「いちむじん」は土佐弁で「一生懸命」という意味。テレビドラマやCMのBGMを多く手がけ、演歌や三味線など幅広いミュージシャンとも共演している。 郷愁的な響きや力強い演奏とともに、映像で万華鏡の世界を映し出す。来年の世界大会事務局の一員である京都万華鏡ミュージアムの伊藤知子館長は「ギターと万華鏡の無限の広がりを楽しんでほしい」と話している。 午後3時半開演。3500円。問い合わせは同ミュージアムTEL075(254)7902。コンサートに出演するギターデュオの「いちむじん」よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/06/01
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2016年5月30日 京都新聞ホームページから 過去の悪い行いを反省し、心を清らかにする「御懺法講(おせんぼうこう)」が30日、京都市左京区大原の三千院で営まれた。経文に旋律をつけて唱える声明(しょうみょう)が雨上がりの境内に厳かに響き渡った。 御懺法講は1157年に後白河天皇が宮中の仁寿殿で営んだのが始まりとされ、門跡寺院などに伝わってきた。明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)や昭和の太平洋戦争などの影響で何度か途絶えたが、天台宗の最も重要な儀式として三千院が1979年に復興した。 法要は午前11時から宸殿(しんでん)で始まった。導師を務める三千院の堀澤祖門門主をはじめ、9人の僧侶が堂内に入り、雅楽の調べの中で高らかに声明を唱えた。儀式は2時間にわたって営まれ、終盤には花びらをかたどった紙を僧侶がまく「散華(さんげ)」があり、約290人の参列者が古儀にのっとり再現した宮中法会を静かに見守った。声明を唱え、散華しながら堂内を回る僧侶たち(午後0時15分、京都市左京区大原・三千院)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/31
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2016年5月30日 京都新聞ホームページから 松竹は30日、京都の師走の風物詩「吉例顔見世興行」について、今年は耐震改修に向けて休館中の南座(京都市東山区・1048席)に代えて、先斗町歌舞練場(中京区・540席)で行うと発表した。 先斗町歌舞練場は花街・先斗町の芸舞妓のホームグラウンドで、毎年5月に開かれる「鴨川をどり」の会場として知られる。松竹は複数の劇場を候補に検討した結果、花道など歌舞伎芝居に適した舞台機構を備えていることや、1カ月にわたる長期の興行に対応できることなどから、同歌舞練場を選んだ。 南座以外での顔見世は、劇場の大改修を行った1990年に祇園甲部歌舞練場(東山区)で開いて以来。南座の藤田孝支配人は「会場は小さくなるが、京都の人から歴史的に愛されてきた顔見世の伝統や意義を守りつつ、にぎわいを紡いでいきたい」としている。今年は五代目中村雀右衛門襲名披露興行で、公演期間や演目は後日発表する。 南座は改正耐震改修促進法に基づく診断で、耐震基準を満たしていないことがわかり、1月中旬以降、休館している。現在、改修方法について具体的な検討を進めているが、工事期間や再開時期は決まっていない。南座に代わって、今年の顔見世が開かれることになった先斗町歌舞練場(30日、京都市中京区)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/31
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2016年5月30日 京都新聞ホームページから 伏見城や大坂城の石垣の石切場だったとされる京都市山科区の山中で、「十」の印が入った大名刻印石が29日までに見つかった。漢数字か島津家か、はたまたキリシタン大名を示すのか…。山科の地に新たに現れた刻印石はどんな意味を持つのか、採石場跡の謎はさらに深まっている。 新たな刻印石は、市遺跡地図台帳に記載されている「大塚・小山石切丁場」がある同区小山の麓付近で地元住民らの研究グループが見つけた。こけむした大きな石の表面に縦棒約14センチ、横棒約10センチの「十」の印が刻まれ、石を割るための矢穴も入っていた。 採石場は豊臣時代から徳川時代にわたって使われたとみられている。これまでに毛利家の「一に○」と、「平四つ目結」など15個の刻印石が見つかっている。 「十」の意味は、研究グループの中でも議論が分かれており、漢数字で採石場の範囲を表した▽島津家の家紋で採石範囲を示した▽キリシタン大名の暗喩-などの意見が出ている。ただ、近くに毛利家の石切場があるため、同じ西国大名の島津十文字を示す可能性は高い。 研究グループの武内良一さん(75)は「採石場から切り出して麓へ運ぶ途中で置いていかれた石ではないか。淀城などでも似た刻印石があり、伏見城から転用された流れがある程度分かってきた。まだまだ多くの石があると思うのでほかの人も見つけて報告してほしい」と言う。 採石場に詳しい芦屋市教育委員会の森岡秀人さんは「初めて『十』の刻印が出てきたのは重要だ。漢数字の可能性は低く、家紋のほかにはキリシタンの印や『×』なども考えられる。今後の調査に期待したい」と話している。新たに見つかった「十」が印された大名刻印石(京都市山科区小山)「十」の刻印石が見つかった現場ワルディーのコメントこの前、牛尾観音を訪問するのに通った道沿いのようです。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/31
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2016年5月29日 京都新聞ホームページから 八坂神社(京都市東山区)に奉納する稲を植える「御田祭(おんださい)」が29日、京都府京丹波町下山の神饌(しんせん)田で行われた。青空が広がる山里に雅楽が流れ、地元女性らが扮(ふん)した早乙女が古式ゆかしく稲の苗を手植えした。 下山に分社の尾長野八坂神社があることから1970年に始めた。八坂神社の神職が清めた苗を田長の藤田正則さん(56)が8人の早乙女にそれぞれ手渡した。白と赤の着物に金の帯を締め、すげがさをかぶった早乙女は、雅楽の調べとみこの舞に合わせてゆっくりと苗を植えた。 田植えの後、八坂神社青年部が獅子舞を披露したほか、地元住民が丹波八坂太鼓を奉納した。地域住民や観光客が大勢訪れ、盛んにシャッターを切った。 成長した稲は祇園祭の神輿(みこし)に飾る。今秋収穫するわらは八坂神社本殿のしめ縄に使う。青空が広がる、雅楽の調べに合わせてゆっくりと苗を植える早乙女(京丹波町下山)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/30
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2016年5月29日 京都新聞ホームページから 西本願寺を本山とする浄土真宗本願寺派の寺院・長圓寺(京都市上京区)で、1枚の古い写真がみつかった。調査の結果、新選組隊士で、明治時代に西本願寺の夜間警備を務めた島田魁の写真だと分かった。保存状態が良く、凛(りん)とした表情が読み取れる。しかし、いつ、誰が、何のために撮影したのだろうか。そんな疑問を解き明かそうと、1枚の写真を手がかりに京都の街を訪ね歩いた。 長圓寺の9世住職来應(らいおう)は明治時代に西本願寺に奉職しており、長圓寺には当時の西本願寺21世明如(大谷光尊)が書いた絵画や、当時事務方のトップだった大洲鐵然(おおずてつねん)に関係する資料などが数多く残る。明治維新後、島田が西本願寺の守衛を務めた頃、長圓寺と接点があったとみられている。 島田の写真は2002年、長圓寺住職清水祐信さん(61)が本堂の整理中に確認した。縦約9センチ、横約6センチで、島田はちょんまげに洋服姿、脇に差した刀に左手を添えている。14年に京都ノートルダム女子大非常勤講師大喜直彦さん(55)が調査し、写真をくるむ包み紙の文章に注目した。そこには、「亡き父のかたみ」の表題で、 此の肖像の原版は亡父魁戊辰の際奥羽転戦中仏人某の撮影せし処にて実に今より去る三十有三年前即年齢四十壱歳の時の真影なり亡父の霊前にて 柳太郎 明治三十三年五月十壱日と書かれていた。 大喜さんによると、柳太郎とは島田の子で、戊辰(ぼしん)戦争中にフランス人が撮影したことや、魁が亡くなって四十九日ごろの法事に合わせて柳太郎が長圓寺に写真を納めたことが読み取れる。写真の島田の姿はインターネットでも検索できる、よく知られた写真だが、長圓寺が所蔵する島田の写真はオリジナルである可能性が高いという。 このほかに、寺に残されていた別の資料から、魁の家族は全員「太鼓堂」(現在の西本願寺太鼓楼)で亡くなったと書かれ、魁だけは「下魚棚四丁目」となっていることも確認された。 島田の孫は、遺品を東山区の霊山歴史館に寄贈している。副館長の木村幸比古さん(67)と遺品を確認するうちに、島田の写真につながると思われる複数の資料が確認できた。京都市上京区の長圓寺が所蔵する島田魁の写真明治時代の島田魁が勤務したとされる西本願寺・太鼓楼(京都市下京区)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/30
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2016年5月29日 京都新聞ホームページから 流鏑馬(やぶさめ)発祥の地とされる京都市伏見区の城南宮で28日、城南流鏑馬が行われた。時代装束をまとった射手が参道を疾駆し、矢が的に命中すると観客から大きな歓声が上がった。 平安時代に白河上皇が城南離宮で催した流鏑馬が、史料に残る最も古い記述とされる。1221年に後鳥羽上皇が流鏑馬を理由に兵を集め倒幕を謀った「承久の乱」以後は途絶えたが、2005年に復活した。今回は境内の摂社・真幡寸(まはたき)神社と近くの飛鳥田神社が「官社」に昇格して1200年に当たることから3年ぶりに開催した。 参道210メートルに砂を盛って即席の馬場を整え、京都産業大の学生が的を立てる役や矢を拾う役などで初参加した。射手は馬上から三つの的を目掛けて矢を放ち、命中してパーンと音が響くたびにどよめきが起こった。疾駆する馬から弓を放ち、的に命中させる射手(京都市伏見区・城南宮)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/30
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2016年5月28日 京都新聞ホームページから 主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)の昼食会で、京田辺市の高級茶「玉碾(ぎょくてん)」が首脳に振る舞われたのは、開発した茶師小林裕さん(41)=同市草内=に、小中学校の同級生で、パティシエの赤崎哲朗さん(41)が依頼したことがきっかけだった。小林さんは27日に記者会見を開き、「外国に玉露を広めたくて作ったお茶が選ばれて光栄」と語った。 昨年12月、日本茶鑑定士10段で、祥玉園製茶社長の小林さんは、昼食会の食後を担当する赤崎さんから「玉碾をデザートに合うお茶として使いたい」と頼まれた。2人は、市立草内小と培良中で同級生だった。 玉碾は、同市産の最高級の玉露と碾茶で作ったブレンド茶。うま味の強い玉露に、抹茶の原料として使う碾茶を、外国人好みの香りにするため配合した。赤崎さんが料理長を務める大阪市内のホテルで販売していた。 小林さんは今月上旬の新茶の時季を待って玉露と碾茶の吟味を始めた。「2日ほど茶を飲み過ぎて夜に眠れなくなった」と振り返った。15日にサミット会場に玉碾を送った。 26日の昼食会では、玉碾は和菓子、果物とともに振る舞われた。急須や茶碗は、小林さんと赤崎さんが宇治市にある朝日焼の窯元を一緒に訪ね、茶の色が引き立つように赤みがかった陶磁器を準備した。 昼食会のあった夜、小林さんの携帯電話に赤崎さんから「感想は聞けなかったが、堪能していたようだった」と連絡があった。小林さんは「茶農家の伝統を守るためにも玉露を多くの人に楽しんでほしい。そのきっかけにしたい」と語った。 サミットでは、夕食前に、茶農家吉田利一さん(68)=宇治市=が栽培した茶葉だけを使ったワインボトル入りの「King of Green RIICHI premium」が供された。玉碾を手に喜びを語る小林さん(京田辺市田辺・市役所)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/29
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2016年5月28日 京都新聞ホームページから 葵祭を締めくくる煎茶献茶祭が28日、京都市左京区の下鴨神社で行われた。梅雨入りをひかえた曇り空で、蒸し暑さも感じられる中、小川流煎茶の小川可楽家元嗣が厳かに一煎を献じた。 葵祭の後祭で、祭りが無事に執り行われたことを報告し感謝する。午前10時から神事が営まれ、本殿前の舞殿で小川家元嗣が一滴一滴に心を込めた茶をいれ、東西2神にささげた。 境内には煎茶の本席と、塩漬けしたシュンランを用いた香煎席が設けられた。訪れた約300人の列席者は、口中に広がる滋味豊かな茶を楽しんだ。厳かな手つきで煎茶をいれる小川可楽家元嗣(京都市左京区・下鴨神社)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/29
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2016年5月28日 京都新聞ホームページから 本願寺中興の祖・8代蓮如が晩年を過ごした京都市山科区音羽伊勢宿町の「山科本願寺南殿跡」の発掘調査で、南殿の中心部を囲んだ土塁の北西角の基底と堀の跡が28日までに見つかった。■京都市発掘 復元図、大幅書き換えか 北西のコーナーが確認されたことにより、北側の土塁が北東向きに斜めに築かれていたことが分かり、南殿の復元図が大幅に書き換わる可能性が出てきた。 南殿は1489年に造営された蓮如の隠居所。ほかの宗派との対立もあり、中心部を二重の土塁と堀で囲っていた。市の発表によると、見つかったのは内側の土塁で基底の幅は約5メートル。内郭の規模が東西100メートル、南北125メートルと分かった。土塁の裾には、補強のために石が敷き詰めてあり、山科本願寺ではみられない工法で作られていた。堀の幅は約8メートル。最初の堀を埋め立ててから造り直した跡がみられた。 これまで北側の土塁は、今回の調査地点から東方向に延びていたとみられていたが、調査により、北東方向に角度を付けて造られたことが判明し、市文化財保護課は「内郭の土塁は周囲の道路と同じ角度で造られていた。今は手がかりのない外郭部分でも、同様の傾きとなっている現在の道路が、土塁と堀があった範囲である可能性が高い」とみている。南殿跡で見つかった土塁の基底と堀の跡。土塁の裾には補強のために石が敷き詰められていた(京都市山科区音羽)●ワルディーのコメント何週間か前に訪れた場所です。発掘調査が行われていたんですね。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/29
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2016年5月28日 京都新聞ホームページから 清水寺(京都市東山区)が所蔵する「清水寺参詣曼荼羅(まんだら)」(府指定文化財)で、五条橋に弁慶を描いた可能性があることが26日までに、デジタル保存作業などから分かった。現存する清水寺参詣曼荼羅は2作あるが、個人所蔵の方にだけ弁慶と牛若丸が登場する。寺所蔵の曼荼羅にも弁慶が描かれていたとすれば、消された理由は何か。研究者らが想像を巡らせている。 曼荼羅は、五条橋(現松原橋)から清水寺門前までの参道や寺内の様子を描く。作者は不明だが、応仁の乱で寺が焼失した後の16世紀、絵解きを通し、清水寺信仰を広めたと言われる。 文化財の保存と継承を目的に、屏風(びょうぶ)絵などのデジタル保存に取り組む凸版印刷(東京都)と清水寺が協力し、曼荼羅を高解像度で記録。赤外線撮影によって目で確認できない背景部分の画像を取得したところ、左下の隅に描かれた五条橋の一部に紙を貼り直し、修整した形跡が見つかった。 同時代の作とされる個人蔵の曼荼羅には五条橋に弁慶と牛若丸が描かれ、親しみやすい工夫を加えたと考えられる。赤外線撮影で弁慶が見つかった部分は、個人所蔵の曼荼羅に描かれた弁慶の位置と重なる。また、橋の欄干には弁慶が持つ長刀のような形も見える。 画像を確認した下坂守・元奈良大教授(日本中世史)は、「もし描かれていたのであれば、戦国時代にはすでに弁慶と牛若丸の伝説が広く定着していたとみられ、面白い」と話す。京都国立博物館の大原嘉豊・保存修理指導室長(仏教絵画)は「こういった絵画は手本があり、さまざまな絵師が模写していた可能性がある」と指摘。清水寺所蔵の曼荼羅に牛若丸が描かれた形跡がない点に注目し、「絵師が伝説を知らずに牛若丸を描き忘れた。後年になって弁慶だけがいるのはおかしいということで修整を加えたのかもしれない」と推察する。五条橋(左下部分)から清水寺門前までの参詣道が描かれた「清水寺参詣曼荼羅」=左=と高解像度で記録し、赤外線撮影した「清水寺参詣曼荼羅」。点線で囲んだ部分に修整を加えた形跡が見られ、五条橋の奥の欄干には、長刀の形が重なっているようにも見える(いずれも凸版印刷提供)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/29
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2016年5月28日 京都新聞ホームページから 「天王山」(京都府大山崎町)と「関ケ原」(岐阜県関ケ原町)という天下分け目の戦いが繰り広げられた両町が6月1日、「天下取り」のブランド発信に向けてトップ会談を関ケ原町役場で開く。全国に知られた古戦場を縁に、両町は「大山崎天下取り決戦祭り」開催など観光客誘致事業で共闘する。 天王山は1582年、羽柴秀吉と明智光秀が天下をかけて戦った「山崎の戦い」の地として名高い。山の占有が勝敗を決したことにちなみ、勝負の重要な局面を「天王山」ともいう。 ともに有名な古戦場をもつ両町は国の「地方創生加速化交付金」を活用して今後、観光振興を進める。 当日は「キックオフ会見」として大山崎町の山本圭一町長と関ケ原町の西脇康世町長が互いの町の歴史や文化を紹介し、本年度事業を話し合う。 大山崎天下取り決戦祭りは6月11、12日に大山崎町円明寺の「天王山夢ほたる公園」で開催する。関ケ原町観光大使の歴史アイドルによる戦国トークショーや火縄銃演武など多彩な催しがある。問い合わせは同祭実行委員会事務局TEL075(284)0174へ。「天下分け目の合戦地」を紹介する石碑。奧に広がるのが天王山(京都府大山崎町・天王山夢ほたる公園) よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/29
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2016年5月27日 京都新聞ホームページから 京都市北区の大徳寺塔頭・芳春院の襖(ふすま)絵が完成し、特別拝観に先駆けて27日、関係者に披露された。現代日本画壇を代表する京都の画家竹内浩一さん(74)と下保昭さん(89)がそれぞれ本堂と大書院の襖絵を手掛けた。水墨の絵は、穏やかな自然光の中で生き生きとした表情を見せ始めた。 芳春院は、加賀藩祖前田利家の正室まつの菩提(ぼだい)寺。襖絵は、まつの400年遠忌に合わせて制作され、28日から公開される。この日は、まつの子孫ら計60人が参列し、法要が営まれた。 竹内さんは、本堂の襖絵全72面を10年以上かけて描いた。樹木から跳躍するサルをはじめ、キツネ、ウサギ、鳥、ヘビなど、生命が悠々と浮遊するように淡い墨で表現している。竹内さんは「描くことで、心とも対話ができた。ゆったりした芳春院のたたずまいの邪魔にならないよう、描きました」と話した。また、下保さんは、中国の絶景を力強い筆致と濃淡で表し、幽遠な世界を空間に広げている。 特別拝観は6月5日まで。有料。透き通るような生命感を襖絵に表現した竹内浩一さん(京都市北区・大徳寺塔頭芳春院)=撮影・松村和彦よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/28
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2016年5月27日 京都新聞ホームページから 幕末の志士桂小五郎(木戸孝允)の命日に当たる26日、京都市東山区の京都霊山護国神社で「松菊祭」が営まれ、約30人が墓前で遺徳をしのんだ。 雅号「松菊」にちなむ命日祭で8回目。創立に携わった東京女子師範学校(現・お茶の水女子大)が昨年、140周年を迎えたこともあり、参列者は男女の別のない普通教育を目指した小五郎に思いをはせた。 木村隆比古宮司(51)が祝詞を読み上げ、参列者が花束や玉串を墓前にささげた。大阪府から訪れた主婦太田佳誉さん(45)は「初めて墓前に参ることができてよかった」と話していた。京都霊山護国神社で松菊祭桂小五郎の墓前で営まれた松菊祭(京都市東山区・京都霊山護国神社)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/28
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2016年5月26日 京都新聞ホームページから 梅雨入りを前に、モリアオガエルの産卵が、生息地として知られる京都府福知山市正明寺の大興寺で始まった。白い泡状の卵塊が木の枝にぶら下がり、住民たちが新たな命の誕生を見守っている。 モリアオガエルは樹上で生活し、池の上を覆う木の枝などに卵塊を作り、その中に卵を産む。保護に取り組む同寺では毎年、裏庭の池で産卵風景が見られ、地域の名物として親しまれている。 有賀祖道住職(55)によると、今年は例年より1週間ほど遅い21日朝に最初の卵塊を確認した。ソフトボールほどの大きさで、300~500個の卵が産み付けられている。およそ1週間でふ化し、池に落ちて育つ。 産卵のピークは6月で、4日午後1時からはカエルの観察会と本堂でコンサートが催される。協力金3500円(前売り)が必要。問い合わせは同寺TEL0773(22)4771。白い泡状で、木の枝にぶら下がったモリアオガエルの卵塊(福知山市正明寺・大興寺)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/27
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2016年5月26日 京都新聞ホームページから 世界禁煙デー(5月31日)に合わせ、NPO法人「京都禁煙推進研究会」が京都タワーなどで実施しているライトアップに、今年は向日神社(向日市向日町)が乙訓地域で初めて加わる。25日に同研究会のメンバーが準備作業を行った。 世界禁煙デーは、世界保健機関(WHO)が定めたもので、国は31日~6月6日を「禁煙週間」としている。毎年、全国各地でさまざまなイベントが開催されている。 府内では、同研究会が府と京都市の協力を得て、東山区の高台寺でイベントを開いたり、同寺庭園や京都タワー、府庁旧本館などでライトアップを実施したりしている。 今年は同研究会が向日市と向日神社に依頼し、同神社でもライトアップをすることが決まった。31日から6月5日まで、本殿と鳥居をイメージカラーの黄緑色に照らす。 25日は安田雄司理事長(64)らが向日神社を訪れ、案内看板を境内に立て掛けたり、ライトを設置したりした。安田理事長は「たばこを吸う人も吸わない人も、ライトアップを見て禁煙について考えてほしい」と話していた。向日神社の本殿を照らすライトを設置するメンバー(右)ら=向日市向日町よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/26
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2016年5月25日 京都新聞ホームページから 京都市南区は、平安時代に現在の同区唐橋にあった「羅城門」をコンピューターグラフィックス(CG)で再現し、スマートフォンなどを通して実際に存在しているかのように楽しめるアプリ「AR羅城門」を作り、配信を始めた。 羅城門は朱雀大路の南端にあった平安京の玄関にあたる門。816年と980年に暴風などで倒壊し、その後は再建されなかった。 現在、跡地には1895(明治28)年建立の石碑と小さな看板が残るだけとなっている。地域の歴史をPRし、観光振興につなげようと、区への寄付金を活用して作った。 羅城門跡周辺の7地点で、アプリを起動したスマートフォンやタブレットを風景にかざすと、その地点から見た羅城門のCGが画面に表示される。GPS(衛星利用測位システム)機能を活用しており、端末の動きと連動して画像や視点が変わる仕組みだ。 CGは花園大の師茂樹教授が作成した。門の高さは約20メートルに設定し、2階建ての構造や朱塗りの柱、屋根を覆う瓦などを細かく再現した。 羅城門跡碑の地点では、天井や柱などをクローズアップして見ることもできる。道沿いに柳の木が植えられた朱雀大路や羅城門の東西にあった東寺、西寺の塔など周辺の景色も楽しめる。 iOSとアンドロイドの端末に対応している。アプリはアップストアとグーグルプレイでダウンロードできる。細かな部分まで再現した羅城門のCG画像スマートフォンをかざすと羅城門の姿が表示されるアプリ(京都市南区・羅城門跡)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/26
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2016年5月25日 京都新聞ホームページから 真宗仏光寺派(本山・仏光寺、京都市下京区)は、次の門主となる新門に、渋谷恵照(えしょう)門主(91)の孫で、前々門主の故真承(しんじょう)氏の長男覚(さとし)氏(35)を選んだ。25日開会した同派の最高議決機関、宗会で恵照門主が明らかにした。11月4日に正式に就任する。同派では、門主後継者の選定が懸案だった。 覚氏は1980年京都市生まれ。宮崎県内の高校を卒業し、会社員を経験。現在は京都市内に在住し、僧侶養成機関に通っている。 宗会の冒頭、恵照門主は「長年にわたりご心配をおかけしていた門主後継者に、真承上人の長男、渋谷覚をと考えている。11月4日に法嗣得度式を執行し、新門就任を予定している」と報告した。 同派の規則では、門主は渋谷家が世襲する。これまで昭和天皇のいとこの29代門主、故真照(有教)氏が健康上の理由で92年に退任し、長男真承氏が30代門主に就任。真承氏は95年に退任し、次男曉真(ぎょうしん)氏が31代門主に就いたが、曉真氏も2008年に退任した。120年ぶりに門主不在となったあと、10年に有教氏の妻で2人の門主の母恵照さんが32代門主に就任した。真宗仏光寺派の新門に就任する渋谷覚氏よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/26
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2016年5月25日 京都新聞ホームページから 天台宗開祖・最澄を祭る延暦寺(大津市)の浄土院の拝殿や御廟の造営時期が、伽藍復興期に当たる1662(寛文2)年であることが奈良文化財研究所(奈良市)の調査で25日分かった。造営時期を記した文献や建物内部の調査で明らかになり、歴史的価値が判明したことで20日の重要文化財指定に向けた答申につながった。 寺の依頼で2011~12年に調査。織田信長の比叡山焼き打ち(1571年)以降、伽藍の全容が把握されず、正確な年代が分かっていなかったため、全265棟に及ぶ初の全調査を行った。最澄御廟は1662年に造営よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/26
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2016年5月25日 京都新聞ホームページから 京都府伊根町の伊根湾で、夜の海面を幻想的に彩る夜光虫を遊覧船から観賞するツアーが人気を集めている。伊根観光ではあまりなかった日没後のイベントで、そのまま町内に宿泊する観光客も増えており、町の新たな観光資源になりそうだ。■口コミで評判、海外からも参加 夜光虫は体長1ミリほどの動物性プランクトン。水温が上がる春先から赤潮として沿岸に漂着するが、海の生物に害はない。潮目や風向きで帯状になって固まり、夜間に波を受けるなど刺激が加わると青白く発光する。 町観光協会は2012年に観賞ツアーを開始し、口コミなどで評判が広まった。今年からインターネットでの予約も始めた。 13、14日のツアーでは京阪神などから計87人が参加し、台湾やシンガポールなどからの海外旅行客も初めて参加。午後8時、同町日出の遊覧船乗り場から沖に出て、船の水しぶきを受けて光る夜光虫の幻想的な雰囲気を約30分間楽しんだ。 町観光協会によると、参加者の4割近い32人が町内の旅館や民宿などに泊まった。吉田晃彦事務長は「何事にも替えられない感動がある。アナウンスや多言語対応にも取り組みたい」と話している。 ツアーは6月3、4日が最終。大人2千円、子ども千円。問い合わせは同観光協会TEL0772(32)0277。夜光虫観賞ツアーの遊覧船に乗り込む観光客。台湾やシンガポールからの観光客も参加した(伊根町日出)遊覧船の水しぶきを受けて青白く光る夜光虫(伊根町観光協会提供)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/25
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2016年5月24日 京都新聞ホームページから 後醍醐天皇が鎌倉幕府と笠置山で戦った際に焼失した「春日明神社(かすがみょうじんしゃ)」の再建で、新たな社殿が完成し、23日に京都府笠置町の笠置寺に設置された。寺の関係者が685年ぶりの復活を喜んだ。 春日明神社は鎌倉時代に解脱上人として知られた僧貞慶(じょうけい)が建立した。新社殿は午前、奈良市の春日大社でおはらいを終えて笠置寺に到着。宮大工8人が社殿をみこしのように担いで運び、椿本護王宮(つばきもとごおうぐう)の隣の基壇に固定した。 檀家や奉賛会員が拍手で祝い、檀家総代長の西岡保さん(77)は「貞慶さんとの関係が深まって喜ばしい」と語った。6月1日夜に春日大社の分霊を奉鎮する。 笠置寺と春日大社が神仏習合の時代の状態に戻そうと進めてきた。社殿は春日大社の20年に一度の式年造替(ぞうたい)に合わせ、摂社・本宮神社の古材で作られた。新しい社殿を担いで運ぶ宮大工(笠置町笠置・笠置寺)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/25
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2016年5月23日 京都新聞ホームページから 武将で歌人の細川幽斎にちなんだ「田辺城まつり」が22日、京都府舞鶴市南田辺の田辺城跡(舞鶴公園)で開かれた。戦国時代を再現する鉄砲隊の演武や武者行列などがあり、大勢の観光客や家族連れでにぎわった。 舞鶴商工会議所などで作る実行委員会の主催で25回目。今年は田辺城籠城戦(1600年)で活躍した稲富鉄砲隊の流れをくむ「備州岡山城鉄砲隊」(岡山市)が火縄銃の演武で出演。ホラ貝を吹きながら登場した甲冑(かっちゅう)姿の武者18人が一斉に鉄砲を放つと、ドンドンドンと大きな音が響き、観衆を驚かせていた。 また、幽斎やガラシャに装った行列が城下町だった西地区市街地を練り歩いた。田辺城跡には屋台も並び、前夜祭と合わせて3万人が来場した。田辺城まつりで火縄銃の演武を披露する備州岡山城鉄砲隊(舞鶴市南田辺・舞鶴公園)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/24
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2016年5月22日 京都新聞ホームページから 京都府丹後地域の魅力を発信する広域イベント「mixひとびとtango」(ミクタン)が21日、京丹後市と伊根町の各地で始まった。21~23日と28~30日の期間中、両市町や宮津市、与謝野町で、計31の催しが繰り広げられる。 今年で8回目。初日は、花好きの市民でつくる「京丹後オープンガーデンネットワーク」のメンバー13人が、自宅の庭を公開。川口匡美さん(63)=京丹後市大宮町=の庭では、見頃を迎えたバラや黒色のロウバイなど、約120種の植物が来場者の目を楽しませた。川口さんは「緑がそよぐ庭でゆっくりしていってほしい」と話した。 同市弥栄町の「竹野酒造」では、1日限定の「蔵舞Bar」が開かれた。手絞りで少量しかとれない「斗びんとり」などのさまざま日本酒が販売され、九つの飲食店がこだわりのつまみを提供。特設の野外ステージでライブもあり、大勢の客が食と音楽を堪能した。 問い合わせは、事務局の携帯電話090(8094)2693。日本酒を味わいながら野外ライブを楽しむ「蔵舞Bar」の来場者たち(京丹後市弥栄町・竹野酒造)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/24
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2016年5月22日 京都新聞ホームページから 愛着のある人形を供養する法要が22日、京都市左京区の法乗院で営まれた。持ち主らが長年親しんできた人形に手を合わせ、別れを告げた。 人形供養は5月と10月の年2回実施している。今回は京都市を中心に市松人形や西洋人形、こけしなど約50体が寄せられた。 岡田翔廣(しょうこう)住職らが人形をきれいに飾り修復してから供養した。フランス人形を寄せた向日市の松永和代さん(68)は「結婚式で友人から頂いたものだった。引っ越しで手放すことになり複雑な思いだが、供養していただいてよかった」と話した。京都・法乗院で法要長年親しんできた人形を供養(京都市左京区・法乗院)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/24
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2016年5月22日 京都新聞ホームページから 今年3月、新たに国の史跡に指定された乙訓古墳群をめぐる探訪ウオークが21日、京都府長岡京市などで行われた。歴史ファンの市民ら21人が、地域で勢力を持っていた、いにしえの首長らの足跡をたどった。 定期的に地域の史跡を訪ねるイベントなどを開催しているNPO法人長岡京市ふるさとガイドの会が、史跡指定を受けて初めて同古墳群をテーマに開催した。 参加者は午前10時に、長岡京市粟生の光明寺を出発し、京都市西京区大原野の芝古墳や長岡京市井ノ内の井ノ内稲荷塚古墳、同市天神5丁目の今里大塚古墳など、計五つの古墳を歩いて巡った。 各古墳では、同会のメンバーが、造られた時期や形状の特徴、出土遺物などについて説明。「この地域では、連綿と古墳が造られており、首長の系譜をたどることができる」との解説に、参加者が熱心に聞き入っていた。 長岡第三小6年の舩橋諒丞君(11)=同市今里=は「形が残っているものから残っていないものまで、いろんな古墳が見られて楽しかった」と話していた。古墳の特徴や出土品などについて話を聞く参加者ら(長岡京市井ノ内)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/23
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2016年5月22日 京都新聞ホームページから 日本におけるモダニズム建築の先駆者とされる建築家本野精吾(1882~1944年)が設計した京都市山科区の「栗原邸」(旧鶴巻邸)の一般公開が21日始まった。 栗原邸保存研究会などの主催。栗原邸は京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大)の校長を務めた鶴巻鶴一の邸宅として1929年に建てられた。 建物は、当時の最先端の技法が使われており、コンクリートブロックを露出させているのが特徴。訪れた市民は、合理性を追究した折りたためるテーブルや装飾性が取り入れられたランプなどを興味深そうに見入っていた。 建物の修復を手がける同大学大学院の笠原一人助教(近代建築史)は「京都という伝統的な場所で、昭和初期に最先端の建築があったことを感じてほしい」と話した。公開は22、28、29日。有料。コンクリートの外壁と、玄関上部の半円形の部屋を見上げる市民(京都市山科区)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/23
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2016年5月22日 京都新聞ホームページから 煎茶道の諸流派が集う第61回全国煎茶道大会が21日、京都府宇治市五ケ庄の万福寺で始まった。流派ごとに設けた茶席で、親子や愛好家らが新緑を楽しみながら、茶を味わった。 煎茶中興の祖で江戸時代の黄檗宗僧侶・売茶翁(ばいさおう)とゆかりの深い万福寺に本拠を置く全日本煎茶道連盟が開催した。傘下の24流派と台湾の2友好団体が参加した。 公募で招待した茶席では、宇治の人気キャラクター「チャチャ王国のおうじちゃま」が同席する中、11組の親子らが指導者から煎茶の入れ方を学んだ。祖母と訪れた御蔵山小3年箱崎勇雅君(8)は「香りも色もいい。苦いと思ったけど、飲んでいるうちに甘くなった」と話した。 シャクヤクの花が飾られた野点(のだて)の席では、着物姿の参加者が鳥のさえずりを聞きながら、風流を楽しんでいた。22日まで。午前9時~午後3時。有料。人気キャラクターが同席する中、煎茶を味わう子どもたち(宇治市五ケ庄・万福寺)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/23
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2016年5月22日 京都新聞ホームページから 京都市下京区の浄土真宗本願寺派本山・西本願寺で21日、宗祖親鸞の誕生を祝う法要「降誕会(ごうたんえ)」が営まれた。重要文化財の南能舞台では祝賀能と狂言が奉納され、門信徒ら約1000人を魅了した。 西本願寺は、親鸞が生まれた1173年4月1日を新暦に置き換え、毎年5月20、21日に降誕会を行う。法事の余興だった能を室町時代に布教の手段に採り入れ、祝賀能は明治時代に恒例となった。 この日、観世流シテ方の片山九郎右衛門さんらが、初心者にも分かりやすい三つの演目を披露。一ノ谷の合戦で討たれた平家の武将で琵琶の名手の平経正(つねまさ)を扱った「経正」では、片山さんが愛器の音色に誘われて姿を現す経正の霊を巧みに演じた。扇や刀を用いた優雅な舞に、境内は大きな拍手に包まれた。宗祖親鸞の降誕会で奉納された能「経正」(京都市下京区・西本願寺南能舞台)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/23
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2016年5月21日 京都新聞ホームページから 国の重要伝統的建造物群保存地区「かやぶきの里」(京都府南丹市美山町北)で20日、防火用放水銃の一斉放水があった。大勢の観光客が訪れ、かやぶき屋根に降り注ぐ水のカーテンに見入った。 一斉放水は2000年5月に美山民俗資料館が不審火で焼失したのをきっかけに、放水銃の点検のため毎年5月と12月に行っている。この日は澄み切った青空に新緑や水田が映え、絶好の観賞日和となった。 サイレンが午後1時半に鳴り響くと水が一斉に噴き出し、約5分間にわたってかやぶき民家をぬらした。訪れた人はさかんにカメラのシャッターを切り、「想像以上の美しさ」と感想を話していた水のカーテンに包まれた「かやぶきの里」(南丹市美山町北)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/22
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2016年5月21日 京都新聞ホームページから 京都市右京区の嵯峨嵐山地域で22日に営まれる「嵯峨祭」の還幸祭で、地域を巡行する剣鉾の一つ「麒麟鉾(きりんぼこ)」の一部がこのほど、新調された。住民たちは「新しい鉾を堂々と差し、魅力を伝えたい」と練習に励んでいる。 嵯峨祭は愛宕神社と野宮神社の例祭で、住民らでつくる奉賛会が主催する。還幸祭では剣鉾5基と2基のみこしが巡行する。 麒麟鉾は、清凉寺近くの中院町が管理し、長さ6メートル、重さ38・5キロ。鈴(りん)や金具の付いた棒状の「棹(さお)」の上に、矢印のような形の剣と、麒麟の装飾を施した縦横80センチの「額(がく)」が取り付けてある。鉾差しでは、腰に巻いたひもに棹の下端を載せ、独特の歩き方で進む。 老朽化でしなりやすくなり危険だった棹を、約150万円かけて12年ぶりに新調した。費用は奉賛会を通じて市や府の補助を受け、残りを住民で負担。大阪府能勢町にある神具制作の会社が手掛け、3月に完成した。漆塗りのつややかな表面や金具の輝きがよみがえった。 中院町の住民は剣鉾を差す鉾会と、みこしを担ぐ若会を組織し、祭の伝統を守っている。技術習得は難しく、鉾会では差し手の確保や技術継承が課題となっているという。 鉾会のメンバーは4月下旬から毎日のように集まり、新調した鉾で練習に励んでいる。当日は7人が差し手として参加し、交代で約6キロの巡行路を進む。鉾差しの責任者・近藤隆紀さん(48)は「新しい鉾はふらつきにくく、差しやすい。本番では勇壮に差して多くの人に興味を持ってもらい、伝統を後世につないでいきたい」と話す。 剣鉾やみこしは当日午前10時、清凉寺近くの御旅所を出発し、大覚寺や渡月橋を巡る。新調して輝く棹の部分を点検する鉾会のメンバー(京都市右京区)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/22
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2016年5月20日 京都新聞ホームページから 建仁寺の塔頭・霊源院(京都市東山区)にある庭園「甘露庭」が特別公開されるのを前に20日、報道陣向けの内覧会があった。花祭りに用いる「甘茶」の原料、アマチャ約200株が芳香を放っている。 アマチャはヤマアジサイの変種。釈迦(しゃか)が生まれた際に甘い雨が降ったという伝説があり、生誕を祝う花祭りには「甘茶」を仏像に掛ける。霊源院の庭園(約700平方メートル)は釈迦の一生をテーマにし、アマチャのほか、仏塔を配置して仏教が広まる様子を表す。 庭は昨年から期間限定で公開され、今月中旬から青や白のアマチャの花が咲き始めた。6月中旬まで楽しめるという。雲林院宗碩住職(40)は「庭を見て仏教に親しむきっかけにしてほしい」と話している。 特別公開は5月21日から6月19日まで。6月4日は午後7時から夜間拝観を行う。拝観料500円、中高生300円。アマチャの花が咲き始め、公開される「甘露庭」(20日午後6時25分、京都市東山区・霊源院)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/21
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2016年5月20日 京都新聞ホームページから 国の文化審議会は20日、東京・日本橋の百貨店「三越日本橋本店」や大津市にある天台宗総本山「延暦寺」の浄土院伝教大師御廟など12件50棟の建造物を重要文化財に指定するよう馳浩文部科学相に答申した。百貨店の建物の指定は同じ日本橋地区の「高島屋東京店」に続き2例目。 近く答申通り告示され、建造物の重要文化財は2456件(うち国宝223件)になる。 伝統工芸の絞り染めで栄えた商人の屋敷などが並ぶ名古屋市緑区有松の町並みなど2件を、重要伝統的建造物群保存地区に選定することも求めた。保存地区は112になる。三越日本橋本店を重文によろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/21
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2016年5月19日 京都新聞ホームページから 平安時代に悲運の皇子として慕われた惟喬(これたか)親王をしのぶ法要が10月、ゆかりの地である京都市左京区大原地域で約120年ぶりに開催される。大原には宮内庁が唯一認めた親王の陵墓がある。親王没後1120年を迎えるに当たり、親王をしのぶ祭りを毎年続ける東近江市の永源寺地区と初めて連携して企画した。大原の親王伝説を掘り起こす契機になりそうだ。 惟喬親王は文徳天皇の第1皇子として生まれたが、異母弟が即位し、都を離れて各地の山里に隠れ住み、出家した。大原では親王亡き後、しのぶ法要が続いたが、明治期に千回忌法要を行って以降は途絶えた。 「惟喬親王1120年鑚仰(さんごう)御遠忌大法要」と銘打ち、三千院門主の堀澤祖門さんを導師に、地元住民らでつくる実行委員会が10月10日に大原の勝林院で営む。併せて、市立京都大原学院で講演会を開き、「大原古文書研究会」の上田寿一さん(68)が司会を務め、永源寺地区の人々に木地師の技術を伝えたとされる親王について、木地師まとめ役の子孫という東近江市の小椋正清市長が語るほか、各地に残る親王伝説をたどる。 法要に合わせ、親王の墓に近い国道367号沿いの特設会場で、大原の特産品や永源寺の木工品の製作実演・販売を行う。前夜祭でコンサートも予定する。企画した大原観光保勝会の辻美正会長(67)は「忘れかけられた親王にあらためて目を向け、観光振興にもつなげたい」と話す。大原にひっそりと残る惟喬親王の墓。120年ぶりの法要で、あらためて脚光を浴びる(京都市左京区)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/20
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2016年5月18日 京都新聞ホームページから 上御霊神社(京都市上京区)の「御霊祭」が18日、氏子らが住む同区や北区一帯で営まれた。3基の神輿(みこし)や牛車、剣鉾などが勇壮に市内を練り歩き、大勢の見物人でにぎわった。 祭りは疫病や天変地異を鎮めるため、平安時代に始まったとされる。今年は初めて、京都府立医科大(上京区)の構内に2基の神輿が、1基が清浄華院(同区)に立ち寄った。小栗栖元徳宮司は「人々の健康を願う点で共通しているお寺と病院、神社が協力した」と趣旨を説明する。 行列は正午すぎに神社を出発。担ぎ手たちは「ホイト ホイト」などの掛け声を響かせながら、烏丸紫明や寺町今出川、京都御苑内を巡行した。 行列を見物していた田中三男さん(71)=北区=は「晴天の下で、祭りを見られて良かった」と話した。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/19
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2016年5月17日 京都新聞ホームページから 時代劇などの撮影にたびたび利用される武家屋敷の庭園で自然やアートに触れるイベント「音あそび 庭あそび」が、21、22日の両日に京都府亀岡市千歳町毘沙門の和食店「へき亭」で催される。 同店の庭園は、自生の在来種タンポポなど自然の生態環境をできるだけ生かした手入れを心がけているという。季節に応じてタケノコや山野草、木の葉などを料理の食材に用いている。 当日は、竹を切り出して筒状の鉢を作り、自然に芽生えて間もないモミジを庭土とともに植えたり、さまざまな葉で人形や動物などを作る。ピアノ演奏や手と体を動かすスキップ音楽を演奏する。陶芸家による土ひねりや植木鉢製作、木工作家によるかんなで木を削るコーナー、ガラス作家の製作体験などを催す。自生の在来種タンポポ=写真(撮影は4月)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/18
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2016年5月16日 京都新聞ホームページから 奈良時代に日本に仏教の戒律を伝えた中国の僧、鑑真(688~763年)の像が中国で完成し、16日、鑑真が創建した奈良市の律宗総本山唐招提寺を経て、京都市中京区の律宗寺院壬生寺に安置された。 壬生寺と、鑑真が日本に渡航する前に通ったという中国の文峰寺が「姉妹寺院」にある関係から、日中双方の寺院で鑑真像を安置して遺徳をしのぼうと、日中文化交流協会(事務局・東京都千代田区)の創立60年に合わせて制作された。 像のモデルは、唐招提寺所蔵の鑑真和上坐像(国宝)で、同じ技法を用いて中国で2体を制作。1体は文峰寺に安置し、もう1体は鑑真が日本海を渡ったように、船で日本に運んだ。 壬生寺では、到着した鑑真像を輿(こし)に乗せて本堂に運び入れ、本尊の地蔵菩薩(ぼさつ)立像の脇に安置。中国の僧侶ら約100人を含む計約200人が参列し、中国語による読経もあった。松浦俊海・壬生寺貫主(81)は「鑑真和上は日中友好のパイオニア。その精神を引き継いでいきたい」と話した。来年一般公開する予定。 鑑真は中国の律宗の僧で日本の要請を受けて渡航を試み、6度目の挑戦で日本に渡った。戒律を伝え、奈良・東大寺に戒壇院を建立、唐招提寺を創建した。壬生寺に到着し、輿に担がれて本堂に向かう鑑真和上像(16日午後2時55分、京都市中京区・壬生寺)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/17
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