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昨日に引き続きジョルジョさんの会を回想しながら書きます。最後の質問コーナーで、今回8回目の来日と言うジョルジョさんに「日本の何に惹かれますか?」というのがありました。彼曰く、「家族のシンプルな関係。 家の中のシンプルなインテリア」と。僕は、なかば直訳する形で、お伝えしたわけですが・・・。センプリチタ semplicita'とイタリア語で表すその言葉の真意は何なんだろう、と空想するわけです。辞書には、1.平易なこと、簡単さ、容易さ2.素朴さ、無邪気さ、純真さ3.お人よし、単純さとあります。家族、親子関係のシンプルさ、とは一体何なのでしょう。そしてそれがポジティブにジョルジョに感じられる、しかもイタリアにはなくて、日本にはあるものとは一体何なのだろうと思います。例えば、スキンコンタクト、言葉による愛情の交感などは、日本にはなくてイタリアにあるものです。僕は、その不在に、日本人が近代化以降を生き延びる上での困難ささえ感じることがありますし、何人かの日本を知るイタリア人からも、それを奇異に感じるあるいは、不安に感じるという意見を聞いたことがあります。ジョルジョはそれがないことがいいと言っているのでしょうか。それとも、ジョルジョが知っている日本はもちろん東京、大阪もあれ、親交の深い人たちは、山形だったり盛岡だったり、広島だったりと地方の人が多いことも関係するのかもしれません。彼の日本滞在記を写真でいくつか見せてもらったのですが、割烹着のおばちゃんたちと料理をいっしょに作っていたり、おじいちゃんと朝の小学生の通学路で交通整理していたり恐ろしくフォトジェニックなんです。田舎の素朴な人たち、それも世代の上の方々との触れ合いから、日本独特の「ぬくもり」のようなものを感じたのでしょうか。それなら分かるような気がします。「ぬくもり」はイタリアにはないでしょう(^^;)また折に触れて彼に聞いて見たいところです。会に参加くださったお客様へ。本当に素敵な夜でしたね!ありがとうございました!!もしよろしければ、ご感想などコメントしてくだされば幸いです。
2008/02/29
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素敵な会でした。参加されたお客様の質がまず第一。初めてのお客様からヴィーテ・イタリアを長らく応援して下さっているお客様まで、心地よい一体感と賑やかさで盛り上がっていました。会場の質もとても重要な要素です。今回使わせていただいたのは、2月のワイン会でお世話なった和食&ワイン「じょうのや」の本店でしたが、20名程度で使えるスペースと言いスタッフの方の感じの良さといい、出すぎず、引きすぎず気持ちの良いものでした。そして、ゲストのジョルジョさんからのワインと農作物の数々!!彼のワインは、土着のワイン、それもピエモンテの「アスティジャーノ」という、バローロやバルバレスコの「ランゲ」の土地柄とはまた違った地味というものを感じさせてくれ、それでいて、ワインの魅力、チャーミングな佇まいがちゃんと備わっています。野菜の加工品。カポナータやペペロナータ、バーニャ・カオダ、パセリやにんじん、セロリを煮詰めて、ペースト状にしたバニェット。果物の加工品。桃、洋ナシ、チェリーの砂糖漬け。リンゴや桃のジャム。味わいのシンプルさの極地です。「凄み」というと全く大げさでしょうが、このシンプルさの美味しさこそ、人間の根源的な生の力なんだと思います。そしてそして、極めつけはヤギチーズ。ロビオーラ・ディ・ロッカヴェラーノ3連発!!1ヶ月もの、1年半もの、そしてなんと3年もの!!こんなもの、現地でもなかなか売っていないものです!!(準備段階でホール内に立ち込めたチーズ臭は 高貴さと艶かしさの結晶体、目には見えない煌き でした^^)そして、最後に、ジョルジョさんご本人!!「ジョルジョ」と呼び捨てするほうが、僕にとっては自然ですし、決して軽く見るのではなく、彼には大いなる尊敬を込めて「ジョルジョ」と呼び捨てするのが相応しいように思います。「大量生産の、規則的に植えられたポー河の平地で 化学肥料、農薬まみれで出来る野菜や果物とは 全く別物なんだ。 これらの野菜は、俺の、また俺の親戚や友人の畑で 何十年も、また何百年も自然に育てられた、それも 自分たちが食べるために作られてきた、今では ほとんどどこでも耕作されていない古い品種から できた果物なんだ。 味付けは砂糖だけ。 まずい果物は、生ではごまかせても、調理したときに 分かるんだ。 本物の果物は、生で美味しく感じなくても、調理 したときに、絶対に美味しくなる。」今夜も、「そんなこと、聞いたことがない」というハッとさせられることを何気なくエネルギッシュに言うジョルジョ。彼が持ってきた、従兄弟が作っていると言うバルベーラを飲んでいるときのこと。ヴィーニャ・デル・ソーレと名づけられたそのバルベーラ・ダスティは、小樽(バリック)熟成ながら、出すぎず、果実との交わりも素晴らしい良いワインだなあ、と思って彼に「良いワインだね」というと、彼は、「俺は嫌いだ!」というんです(^^;)「樽の匂いがする」と。この程度で樽の匂いがすると言われても困るんだけどでも、これだけでもジョルジョの性格の一面がよく出ています。ワインの本質である果実は、何者によっても隠されてはいけないんです。それは、まさにバリックというボルドーの伝統でありながら極めてグローバリズムの象徴的な存在なのです。「メディアと言うものが介在すると必ず量を必要とする。 スローフード協会だってそうだ。 彼らの原理原則は、正しすぎるほどに正しい。でも 彼らが介在すると、同時に、もうすでに量を必要として しまうんだよ。 俺がやっていることは、量に応えることはできん。」ピエモンテの農業は勝利しています。そして、そこに輝ける現代のイタリアの一側面があります。いわば、エノガストロノミーの世界では、マイナーリーグの選手であるジョルジョの生き様、エネルギーの発散を少しでも全身に浴びていたい、という思いを強くしました。文化の深みとはやはりこういうことをいうのだと思います。参加くださったお客様へ。ありがとうございました!!もしよろしければ、ご感想などコメントしてくだされば幸いです。
2008/02/28
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もう日本のベーコンは使いたくない。薬漬けされた人工的な味が支配的で豚の肉を食っている感じがしない。同じことはソーセージにも言える。パンチェッタを自分で作ってみた。ばら肉を単純に塩漬けしただけのものだが、脂から染み出る豚ちゃんの香りには、心を和ませるものがあった。イタリアのパンチェッタに比べると、いわゆる保存食としての巧みの技というか、豚そのものの味の深みとか、熟成することによって生まれる旨みの厚さだとか、物足りないものはあるけれどやはり豚の味がするベーコンが食べたい、という純粋な気持ちには忠実でありたいと思う。で、その自家製パンチェッタでスパゲッティを作り神戸ワイン「ノーブル」神戸ワイン ノーブル赤 720mlで合わせてみた。ん~、さすがに果実味の出方が控え目なだけに料理の味を損なわない素晴らしいものです。ただ・・・イタリア産の缶詰トマトを使った比較的フレッシュ感の残ったトマトソースはソル・レオーネ ホールトマトワインの落ち着いた酸と熟成香を台無しにしてしまうのです。ただ、自家製パンチェッタの脂身や肉を噛んでいる時に口蓋に広がる豚ちゃん香との相性は良くトマトソース単体だけなら離れていたワインの存在をぐっと近くに引き寄せるのに貢献しています。トマトのフレッシュさがあまりにもしっかりしていて、だからこそソース単体ならとても好きな味わいのソースに仕上げたのですが、やはりワインとの相性なら、一工夫も二工夫も必要です。まず、パルミジャーノ・レジャーノを摩り下ろしました。豚ちゃん香の臭いついでに(^^;)ペコリーノを摩り下ろしても良かったと後になって後悔しましたが、それでもトマトソースの酸を和らげ、全体的に円やかにしながらも乳臭さもしっかりとさせて熟成感の完成したこのノーブルに非常にしっくりと合わさってきて、思わず拳を握り締めました!そして、閉めは胡椒です。粗めに引いた胡椒をこのソースの上からしっかりとかけます。鼻をツンとつんざくような鋭角的で、それでいて味わいに深みを与える熱さを感じさせる風味がソースに加わります。ワインにも胡椒のニュアンスがはっきり出ているので、これだけでもう料理とワインの接点ができていることになります。パルミでトマトの酸を和らげて(残念ながら本来の良さを消してしまうことにもなりますが)胡椒で酸ではない味わいのメリハリをはっきりとつけて、相性は佳境を迎えます(^^)ふふふふ~~~ん!!もちろん、良く煮込んだ牛バラ肉の煮込みではないので、パーフェクトというわけにはいきませんが、鼻の穴が膨らむ程度の興奮を感じることはできました。余韻に残るワインの果実、トマトの風味、胡椒の香味・・・・見事なハーモニー!!ワインの味を操作するのは、時間と空気だけです。やはり料理の味を操作することになると、料理そのものの良さから少しずれてしまいますがそれでもワインと料理の相性の魅力の前ではちっぽけな拘りに違いないのです(^^)あ~~あ、幸せ!美味かった!!神戸ワイン ノーブル赤 720ml
2008/02/22
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神戸ワイン ノーブル赤 720mlざっと、目⇒鼻⇒口⇒余韻、とテイスティングしてみて、思わず「偉大」という言葉が口をついて出そうになりました。「偉大」・・・・grande vino というにはやはり無理があるかもしれません。というのもこの形容詞は、世界のトップクラスのブルゴーニュワインだとか、ピエモンテワインに冠せられるべき言葉だからです。とはいえ、「偉大」なるワインの片鱗というものをこのワインは表現しているように僕には思えました。少なくとも、このワインの名前「ノーブル=貴族的高貴」という言葉に嘘はないと確信できます。色は深みのあるルビー色で黒い色調を帯びざらざらとした奥行きのある色素の粒子をオレンジ色に変えながら、グラスの淵に向かってグラデーションを呈しています。ガーネット。香りは、良く売れた果実。ジャムにした甘みのある香りの一歩手前。この感覚が実に上品。ミネラル、スパイス・・・・黒胡椒が顕著、ナツメグ。黒スグリ&チェリー。時間と共にレザー。酸は心地よいシャープさで若さと落ち着きのちょうど境目にあるような、繊細で綺麗な酸。難を言えば、タンニンの粒子がしっかりと口蓋の粘膜に刻み込むのですが、やや浮いた印象があります。液体の滑らかさとの絡みがやや緩んだ感じがします。特筆すべきは余韻の美しさです。ミネラルとほのかに残る、良く熟れた果実とのバランス!ミネラルの土や砂の香りがやや強いのとタンニンが少し浮いた感じを除けば、ほぼパーフェクトな仕上がりじゃないかと思えます。口の中で感じる酸の匙加減。な、な!なんて素晴らしい酸なんだ!!と思わず声を上げてしまうくらいです。ど、ど、どうしたらこんな素敵な余韻の香りが出せるんだ!?と、イタリアワインとの比較を試みてもなかなかこのレベルの余韻の酸を持つワインの記憶が蘇って来ないくらいです。というのも、大げさなレベルのワインじゃない限り、神戸ワインほど、ワイナリーでボトルを熟成させることはイタリアはせず、さっさとリリースしてしまうケースが多いからです。ここまで我慢強くリリースを待っていられるワイナリーは珍しいです。そういうワイナリーがここ日本で、しかも僕の住んでいる同じ圏内に存在しているのですからまるで奇跡です。だって、イタリアと違って、ほとんどワイナリーなんてありませんからね。すごい確率だと思います。骨組みの強さ=酸とタンニンの強さ、バランスの良さ腰の強さ=酸の強さとアルコール感のバランスの良さが兼ね備わっている。ワインとしての資質をしっかり持ったこのワインのワイナリーに3年間ほど定期的に通っていますが、その誇りを新たにしました。神戸ワイン元醸造顧問の三田村先生が「神戸ワインは、エレガントで料理と楽しんで もらえるワイン作りをしている」とおっしゃっていましたが、このエレガントさを表現するのは、実は結構難しいのだと思います。果実味を出すには収穫量を抑えないといけないしかと言って、出しすぎるとエレガントさがなくなるし・・・。生産量も収益的な部分で絶対量は必要になるわけですから、質だけを求めてもいけない。それでもこれだけの質感が出ているワインがもう日本でいただけるんですね。素敵なことです。今夜は、ハンバーグでした(^^)妻がタネをつくっておいたものを、僕と息子で丸めて焼きました。ソースはトマトソースを玉ねぎとニンジンとでしっかりと煮込んだソースです。トマトの酸が、このワインの酸を汚してしまうので相性的には、シンプルにハンバーグだけと合わせた方が断然、良い相性でした。ワインのスパイシーさが肉の旨みをふわりと膨らませていました。これだけ素敵なワインですから、ちょっとした銘柄の肉のシンプルなステーキ、またはブラックペッパーをしっかりと敷き詰めたステーキは最高の相性になると思いました。それにしても、このお値段なんですね。ラベルのデザイン性もそうですが、ちょっと神戸ワイン・・・軽く見られすぎてないですか?神戸ワイン ノーブル赤 720ml
2008/02/21
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プリミティーヴォ・ディ・マンドゥーリア[2005]/ポッジョ・レ・ヴォルピ綺麗なプリミティーヴォが日本の市場を席巻しています。早熟なブドウですし、色のしっかり具合もイタリア屈指。しかも糖度も申し分なく上がるためにDOC規定の最低アルコール度数は、あのアマローネと同じ14度!!これだけアルコール度があり、その分、酸がそれなり程度のレベルなので、非常に甘みを感じさせるんですよね。べたっとした感じの甘み。酸味があまり感じられない、黒糖のような甘みの香りも。口に含むとどっしりしていて、まず甘い感覚が口蓋に広がります。アルコール度はある程度高いので、アルコールが苦手な人にはオススメできないかと言えば、さも在りなん。意外に飲み易いんです!果実香が綺麗に出ているから、変に酸やタンニンがしっかりしているワインを飲むよりは非常に心地よくすんなりとのど元を流れてくれるのです。甘いと言っても、べた甘じゃなくって、あくまでも辛口のカテゴリーの中で、甘く感じる程度ですから料理との相性もカバーできる範囲が広い。素朴な味わいで、色んな料理に近づきやすいという点で、イタリア屈指のデイリーワインだと思います。プリミティーヴォ・ディ・マンドゥーリア[2005]/ポッジョ・レ・ヴォルピまたコスト面でも、味わいに対して随分と安いと誰もが感じるでしょう(^^)合わせる料理は、とにかくその範囲が広い!肉系ならなんでも、煮込みからグリル!野菜系から白身の肉でも、あまり果実味が凝縮しないこのヴォルピのタイプならOK!チーズを使ったパスタ料理なんかも良いなあ。ミートソース系のパスタ。マトリチャーナのようなベーコンとトマトのソース。豚カツ、豚テキ、豚グリル。スペアリブの甘くてスパイシーな風味にもバッチリ!鶏の肝煮に鶏のグリル、ローストチキン。ん~~、実に適応範囲が広い!!これがスタイルの違ったプリミティーヴォになるとそうは行かないんだな。例えば、このワイン。プリミティーヴォのくせして、非常に綺麗なんです(^^;) プリミティーヴォ ディ マンドゥリア [2004/05] フェリーネ(赤ワイン)ストラクチャーがしっかりしていて、非常にモダンな佇まいを持ったプリミティーヴォですね。それに比べると上のヴォルピ社のものは良くも悪くも素朴で田舎っぽい。あともう一歩間違うと酸がとれちゃって、現地だけで消費されているような、やや酸化状態の粗悪なものにもなりますがこのヴォルピ社のものは、そういうレベルではなく、あくまでもプリミティーヴォの果実味を素直に表現している。そこに、収穫量やブドウの仕立て、醸造におけるまで創意を凝らして洗練化させたのが、このフェッリーネのプリミティーヴォでしょう。昨日のアリアニコ・デル・ヴルトゥレ同様に面白い比較テイスティングになること間違いなし!です。ガンベロロッソ誌のベストバイ部門で表彰されているのは、このフェッリーネとレオーネ・デ・カストリス社のこのプリミティーヴォです。プリミティーヴォ ディ マンデュリア サンテラ2004レオーネ デ カストリスお手軽に手が届く範囲のワイン。美味しさと相性の楽しさとそして南イタリア独自の文化と共にお愉しみください(^^)
2008/02/20
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屍と化した火山、ヴルトゥレ山の麓に立てば、このワインがイタリアでも屈指の偉大な力を発揮しうるワインであることが分かります。燦燦と輝く太陽、焼け焦がすような光線を持ちながらも、そこにはアドリア海、イオニア海からの疾風がブドウの葉を小刻みに揺らし、ブドウの実をありとあらゆる外敵から守ってくれます。アリアニコ種は、エッレーニコ、つまりヘレニズムが語源。ヘレニズムの定義は様々ですが、ようはアレクサンドロス大王の東方征服からプトレマイオス朝エジプト(あのクレオパトラが最後の女王)滅亡までの300年を指しているらしく、この品種アリアニコはその当時のギリシャ起源のブドウであり、おそらくデル・ヴルトゥレ種はイオニア海からバジリカータへ。一方タウラージのアリアニコは、ナポリからアヴェッリーノに入っていったと考えられます。ギリシャ文化は南イタリア文化の揺り籠ですね。このイオニア海経由のアリアニコ・デル・ヴルトゥレはバジリカータ州北部、カンパーニア州南部と接した南イタリアでも屈指の小さな、そして貧しい州の偉大なDOCです。洞窟住居マテーラのサッシが世界遺産として有名ですね。ワイン法なんかより、よっぽどワイナリーの個性を重視したワイン選びを強いられるイタリアにあってこのアリアニコ・デル・ヴルトゥレもその例を漏れません。ただ、冒頭に触れた微気候条件、標高の高さなどからもワイン作りに非常に適した自然の恩恵を受けているのは確か。平均レベルもとても高いDOCですし、日本に入っている生産者も極限られているでしょうから色々と試してみると良いと思います。伝統的で非常にエレガントな作りを標榜するワイナリーとして、このパテルノステルのラインをまずはお勧めしたいと思います。シンセジ アリアニコ・デル・ヴルトーレ 2003 パテルノステルこのワインがこのワイナリーのベースのワインであることはやはり優れたワインメーカーであり、優れたワインを生産できるテロワールを持つワインであることを証明しているようなものです。果実味の出方に、最初やや不満を感じますが、じっくりと飲むタイプのワインです。グラスの壁面にワインを伝わせ、グラスに涙を流させながら香りの移ろいを楽しめると思います。また酸とタンニンの強いストラクチャーのしっかりしたボディも味わう価値十分です。ミネラルの豊富さは、その「しょっぱさ」で感じることができます。ウィンクも微笑みも、グラスについでから少し時間を経たないとしてくれないワインですがそれだけに、味わい応えのある、イージーなワインではないことが分かります。アリアニコ・デル・ヴルトゥレのベースの魅力をシンプルな形で探るならこのワインで十分に足りますし、しかも単なるシンプルさではなく土やスパイスのニュアンスを含んでいて、その彩を注意深く、楽しめる深みもあるところが味わいの真骨頂でもあるでしょう。では、このDOCの頂点はどういう味わいか。それを探るのにも、パテルノステルのワインで比較テイスティングが出来、その面白さに狂喜することができます(^^)ドン・アンセルモ アリアニコ・デル・ヴルトゥーレ[2003] パテルノステルロトンド アリアニコ・デル・ヴルトゥーレ 2000 パテルノステルドン・アンセルモは、このワイナリーのフラッグシップたるワインで、アリアニコ・デル・ヴルトゥレの素朴さを研ぎ澄ましたような、つまりテロワールの原点に返ったワインとしての凄みのある作品だと思います。一方、ロトンドは、ウィンクがある。目配せ、投げキッス、満面の笑顔。同じアリアニコでもカンパーニア州で作られるタウラージDPCGに比べるとやや温かみにかけるアリアニコ・デル・ヴルトゥレですが、このロトンドにかかると、ドレスアップして、華やかで微笑ましい佇まいになります。確かに安いワインではないですね。それだけネームヴァリューもついてきたDOCということでしょうか。というか、このワインたち、ジャーナリズムでも結構受けがいいしね。注目すべきアリアニコ・デル・ヴルトゥレは沢山ありますけど、基準点としてのベースライン高級ライン、インターナショナルなラインとして味わいを知るにはこの3本が非常にオススメです(^^)
2008/02/19
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ファランギーナ[2006]/カンティーナ・デル・タブルノ麦わら色に緑を反射させた光度豊かでそれでいて、行き過ぎた濃さのない色調。香りは、グラスを鼻に近づけるとすぐそれと分かるきっぱりとした果実香。潮の香りを思わせるミネラルと、洋ナシや桃の香りの間に紛れ込んだ緑の葉の香り。ここには、かつての南イタリアワインが誇示した「肉感溢れる荒っぽい風格」はなくひたすら洗練された果実が、それもクローンを選別して、甘みをしっかり溜め込んだ文句なしに美味しい果実が、漬け込んであるかのようです。味わいにも、シンプルな野暮ったさは微塵もなく、ふくよかな肉体に、形の良い流線を描くボディがすぐに口蓋を魅了してくれます。嗚呼!かつての南イタリアは一体どこに行ってしまったのだろう。一抹の自虐的ノスタルジアを感じつつ、そう嘯きたくなるような、綺麗なワインです。無駄がない。ただ「果実」を中心にワインのありとあらゆる要素が力を終結している、という印象です。時間が経つと果実味がさらに強調されてメロンのようなふくよかな果実も現れました。夕張メロンというよりは、良く売れたマスクメロン。因みにこのメロンの「マスク」は「麝香=ミュスク」。このワインが平凡なワインで終わっていないのはやはり味わいの素晴らしさでしょう。酸のレベルが高い!綺麗な酸。舌の上にほのかな果実の香りと共にしっかりと唾液の分泌を促す酸。適度な甘みと結びついて味わいの全体像を引き締める酸。このワインを飲む人は、口の中でワインの舌の通行にすぐ青信号を出してはいけない。先ずは黄信号、そして赤信号で、ワインをじっくり味覚の交差点にとどめて、じっくりと味わって欲しい。軽いタイプの白ワインでも、その繊細さに耳を傾けるように飲むと、変化の楽しさが味わえます。じょうのやさんでのお料理との相性は厚揚げとの相性を楽しみました。大豆の淡白な甘みにもこのワインの綺麗な酸はバッチリ合います!じょうのや北浜店僕は魚介類の中でも海老やカニ、またはホタテなどの甘みを十分に持った素材の料理とあわせたいワインだと思いました。カニ鍋・・・・葱や白菜などのシャキシャキ野菜との相性も素晴らしいワイン。海老のカルパッチョ・・・つまりは甘エビのお造りとか、いいですねえ!良質のオリーブオイルとこのワインだけで、天国です。ホタテ・・・ルコラとバルサミコ酢風味のローストとかね・・・、昇天します。タブルノ醸造組合は、共同組合ワイナリーなんですよね。南イタリアでもトップレベルの協同組合ワイナリー。「ワインとコスト」という切り口なら、協同組合のワインほど今のイタリアワインを活気付かせる存在はないかもしれません。タブルノはDOCワインの名前でもあり、ベネヴェント県にある山の名前でもあります。ブドウ畑に覆われた名峰ですね。http://www.cantinadeltaburno.it/index.htmlカンパニア・フェリックス幸多きカンパーニアファレルヌム、エッレニクム、プリニウス、ホラティウス・・・・古代ローマのポジティブな豊かさを大らかに感じさせてくれる歴史の大地ですね。ローマ人の物語(1)ファランギーナ[2006]/カンティーナ・デル・タブルノ
2008/02/18
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晴れたり曇ったりの日曜日でした。妻は深夜勤務明け。大体昼前に帰宅して、軽い昼食の後に、一眠りする。超不規則な生活だけに睡眠時間は、最低限必要でしょう。息子は、少年野球です。毎週末、土曜日も日曜日も、本当に良くがんばるなあと感心すると同時に、コーチ以下、熱心に面倒を見てくださる方たちには、畏怖の念を感じるほど頭が下がります。なんせ、毎週末でしょ。それもちょっと雨が降ったり雪が降ったりしても中止にしない。もう、根性が違う!息子が家にいなくても、娘がいます(^^;)どうしてもやっておきたい仕事があると、一人遊び、テレビ、ビデオなどで、放ったらかしにするときもありますが、今日は、しっかり相手しました。家の前の路地でサッカーしたり、ヨーイドン!の競走をしたり・・・。そのうち、飽きてくると「お父さん、お散歩いこ!」と歩き始めました。いつものように八幡堀の散歩道、といっても観光地化されたところではなく、あくまでも生活者の区域を散歩します。ほとんど人のいないところですが、それだけに昔ながらの古い住居もあって、堀の水との景色はなかなか情緒的で、美しい。そういう場所を娘と歩きながら、北ノ庄町という近江八幡でも最も雰囲気のある、車行きかいが難しいほど路地の狭い集落を歩いていきます。「昔の雰囲気が残ってる。車の行きかいがない。堀の水がある」という共通点だけですが、僕はここを歩くといつもヴェネツィアのことを思い出します(^^;)昔ながらの民家の壁から、橙でしょうか、見事な果実をたわわと実らせた柑橘が深い緑の葉と澄んだ空の青の中でゆれています。「橙色とお空の青と、葉っぱの緑。綺麗やな!?」「うん・・・・なあ、お父さん、あの雲何色?」「あれは、白いところもあれば、灰色のところも あるなあ。よう見たら紫色も混じってるん ちゃう?」などなど、娘との会話には色の話が良く出ます。 娘がいつも保育園のクラスで散歩するコースにも連れて行ってくれました。丘の上にこじんまりとそれでいて堂々たる風貌で建つ北ノ庄神社を上り、さらに祠の裏から山道を登っていきます。息を切りながらも、娘は元気です。足を滑らさないように手をつなぎながらどんどん上っていきます。僕はこんなところに山道があるのを知らなかったので、ウキウキしてしまいました。「お父さん、こんな山道歩くの大好きや。 連れてきてくれてありがとう!」「うん」と頷きながらも、実直にひたすら山道を登る娘。時折、松ぼっくりや赤い木の実を拾っては僕の上着のポケットに入れていきます。途中の小さな展望台のような平地から安土山や観音寺山、そして手前に広がる西の湖が、肌を指す空気の粒子の間にくっきりと見ることができました。帰りの下り道で、行きとは違う道を辿って行くと娘の保育園横にある竹やぶに出ました。周辺には、コケをかぶった小さなお地蔵さんが沢山並んでいます。竹やぶとお地蔵さん・・・夕刻前の西日の木漏れ日を浴びるその舞台はそれはそれは幻想的な空間です。保育園でも習っているのか、娘が手を合わせて腰をかがめる様子が微笑ましく、いっしょになって手を合わせていました。「ダッコ!」のリクエストが炸裂して、仕方ないとおんぶしたり、肩車したり、ダッコしながら自宅に近づき、あと100mくらいのところまで来て、「ヨーイドン!しようか?」と誘うと、のってきたので、二人で家まで駆けっこしました。と、ゴール目前の、鎖につながれた白のスピッツ系のワンちゃんの目の前で転倒(^^;)犬の怖さと足の痛さで複雑な嗚咽をしている娘に噴出しそうになりながら、ダッコしなおし。両膝を軽く擦りむいて、大泣きに泣いての凱旋帰宅になってしまいました・・・・。街の美しい景観と自然とのバランス。やっぱ近江八幡っていいところだよな、と娘に再発見させてもらった日曜日でした。
2008/02/17
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お陰さまで、先月と今月のじょうのやワイン会でのイタリアワイン講座を終えてきました。じょうのやさんの素敵なお客様、そしてヴィーテ・イタリアのイタリア大好きなワインファンの皆様といっしょに、南イタリアのワインにどっぷりと漬かれた夜になりました。じょうのやさんの竹中シェフのお料理も冴えていましたねえ!!最初の白ワインに合わせた「厚揚げのオクラソース」の淡白な味。ファランギーナ[2006]/カンティーナ・デル・タブルノアリアニコ・デル・ヴルトゥレに合わせた「鶏テールのから揚げ」の脂身の独特なフレーヴァー。“ロトンド”アリアニコ・デル・ヴルトゥーレ[2003]/パテルノステル(サービスしたバージョンは「ロトンド」ではなく「シンセジ」でした)プリミティーヴォ・ディ・マンドゥーリアにあわせた「豚トロのチーズ煮」のこれまた脂身の豊かなフレーヴァーと舌触り。プリミティーヴォ・ディ・マンドゥーリア[2005]/ポッジョ・レ・ヴォルピそして最後のサガナに合わせた牛ロースの王道的な味わい!!サガナ[2005]/クズマーノどれも素材の美味しさが光っていて、ワインのエッセンスとはぴったりと寄り添い合っているように思いました。クイズなども出しながらグループごとに楽しんでいただいたワインタイムでしたが、世界遺産の写真や映画などの話を交えながら、ワインについてワインテイスティングについて、相性についてなどなどに触れていきました。熱心な皆さんの視線に心からの感謝を送りたいです!!そして呼んでくださった條ご夫妻にも大感謝です!!じょうのやさんのワイン会は、これからも月一回のペースで開催されます。和風創作料理とワインのコラボという、なんだか嬉しくなるような切り口なんですよね。ワインを気軽に、それでいて、大切に飲みたいあなたにオススメのお店です。じょうのや北浜店2月28日(木)にジョルジョさんの来日記念パーティーを催す会場はじょうのやさんの本店の方です。じょうのや本店※どちらも個室が充実していて、色々な使い方が 出来ると思いますよ!!生粋のピエモンテ人アグリトゥリズモオーナー、ジョルジョさんの会のご案内はコチラAmore per Piemonte ! ワインを片手に出会える人、時間、空間。これからも大切にしていきたいと思います。
2008/02/16
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痴人の愛イタリア文化に興味がある、日本映画の古い作品が好きだという人には、増村保造の映画は無視できないと思います。この東大出のインテリ監督は、ローマのチェントロ・スペリメンターレ・デッラ・チネマトグラフィアというムッソリーニが創設した世界一古い映画学校へ当時の文化庁から研究員として派遣された人であり戦後の日本映画界では有数の理論派ではなかったかと思います。彼の文章の中でも「ある弁明」と題された論文を20年前ほどに読んだ僕は、とても感銘を受けたことを覚えています。彼は、自分の作品への「情緒がなく、真実が歪められ雰囲気描写が皆無で、味も素っ気もない」という批判に対して、弁明しています。「情緒とは本来emotionであり、すべての感情の昂揚を指していい筈であるが、日本人はいつからか否定的な消極的な感情のみを情緒というようになった」「愛を果敢に要求する女性と、控え目に訴える女性とどちらに「情緒」を感じるか。率直な愛の表現が美しく感動的か、抑制された愛の表現が好感を持たれるか」「率直な表現は粗野で、利己的で、非人間的であり、抑制された表現は、優美、他愛的で人間的だというのだろうか。」「私は人間的な人間を描きたくない。恥も外聞もなく欲望を表現する狂人を描きたい」彼のこうしたemotionの質を好む態度はイタリアで培われたものと思われます。そして、その彼が谷崎潤一郎の「痴人の愛」を題材にするのは、非常に理に適っていると言うか当然出会うしかなかった運命のような気さえします。古典としての題材が存在して、それをリメイクもしくは別の形態で表現するからには、古典をベースにした論評は避けられず、だからこそ楽しいと思うので結果的にこの映画が原作に比べて楽しいのかどうかということを書けば、少々残念だった、というのが正直な感想です。一番残念だったのは、物語の舞台が大正から昭和の戦後に移し変えられたというところ。この辺りで、僕は映画は原作に敗北したように思います。大正にして原作に忠実に描くとなると、どうしても制作費がかさむでしょう。増村が、昭和に舞台設定して、描こうとしたのは昭和の高度成長のグロテスクさ、ダイナミックさとこの小市民オヤジのフェチぶりとコギャルの荒唐無稽な性癖とをたぶらせる方法です。僕は、あの谷崎の文体にある女体へのフェティシズムをどう映画で表現するか、とても興味を持っていました。だって、フェチを映像で表現するにはアップしかないわけです。ただアップを強調しすぎると、これは映画的に非常に醜くなるわけでそれを増村がどう処理しているのか興味津々でした。で、この点はすごく美味く撮られていました。つまり、彼の家で写している無数の写真を網羅して、その上にナレーションをくっつけるやり方でした。役者はほぼ素晴らしい!小沢昭一は完璧でしょう。40年前のオタッキーな日本人が美味く演じられている。安田道代・・・・当時の役者でいえば、恐らく最高のキャスティングではなかったかと言う気がします。その肉体に多少の難は感じましたが、あの西洋的な佇まいや放埓娘の感覚は良く出ていました。田村正和・・・・まあ隔世の感が強いですね(笑)昔は良い男だった。そしてキャスティングにおいてもはまり役だし、彼の演技力も素晴らしい。でも全体的に、押し付けがましく、粗野で、これ見よがしであり、テーマこそ同じであっても、時に静かに流れ、時に激流と化す河の水のような谷崎文体に比べると、唐突なカットを挟んでインパクトはあるものの、しっくり感じられない。つまり100%増村スタイルを貫いてはいるけれど谷崎ほどのエモーションは得られなかった。何故か?やはり僕は谷崎的世界と増村的スタイルのミスマッチという気がします。まるでバリック樽をかけて作ったフラスカーティのようです(^^;)とはいえ、谷崎×増村は「卍」もありますし、一度見たくらいだから、まだまだ僕も作品をちゃんと理解したことにはならないでしょう。ひとまずは第一印象ということでご勘弁ください。痴人の愛
2008/02/15
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ピエモンテからジョルジョが来ます!!一昨年のピエモンテツアーの逗留場所でもありツアーの主人公でもあった「アグリトゥリズモルペストゥル」のオーナー、ジョルジョ・チリオさんが来日され、いっしょにフェスタをしようということになっております。ルペストゥルのURL ⇒http://www.rupestr.it/ 当日は、ジョルジョさんの手がけるワインや野菜を中心とした瓶詰めの前菜料理と、会場の「じょうのや」さんの、ワインに合わせた和風料理でお愉しみ頂きます。ピエモンテ人といえば、他のイタリア人に比べて非常に寡黙で厳格なイメージの方が多い中、ジョルジョさんの気質はあくまでも地中海イタリア!!その迫力あるトークと人柄の楽しさ、温かさを感じにあなたもいらっしゃいませんか?アグリトゥリズモ・ルペストゥルをご紹介するスライド写真も見ていただきながら、ピエモンテ州アスティ地方の雰囲気を満喫していただき、生のピエモンテ人との交流を楽しんでいただけたらと思います。※今年も10月25日(土)~11月1日(土)の 予定でピエモンテツアーを決行します。もちろん 宿泊先はジョルジョさんのルペストゥル!! 興味のある人は是非、ジョルジョさんに会いに来て!(^^)日時: 2月28日(木) 19:00~場所: 大阪 本町 じょうのや 本店 http://r.gnavi.co.jp/k559100/会費: ¥5000 お料理、ワインすべて込みお申し込み: ヴィーテ・イタリア高岡まで info@viteitalia.com メール 090-3973-6688 携帯 0748-33-2034 電話※ジョルジョの人柄が表れた素朴で味わい深いワインと ともに、楽しい時間を過ごしましょう!
2008/02/13
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昨日、神戸ワイナリーにて、ヴィーテ・イタリア企画「ブドウ畑へ!」の第21回として行われました「ブレント」の前編をお送りしましたが、今日は後編です。3つのグループで吟味されたワインが勢ぞろいしました。各グループにサンプルが三つ並び、一人ひとりでテイスティングして、今回のテーマである「今最も美味しく飲めて、1~2年ぐらいで飲めて しまう果実味の豊かなもの」を個人の投票によって選ぶことになりました。さて、テイスティングに入りましょう。サンプルNo.1紫が強く出ている、メルローの砂糖系の甘さがありカベルネの砂のようなミネラル香、ミント口の中ではわずかな発泡、味わいのまとまり良余韻のナッツ香ありサンプルNo.2やや黒みがかったルビー。紫は少ない。ミネラル、土、ミント。果実はカベルネが強い。その強さ、重さでメルロー的な果実が隠れるC(カベルネの酸が強い方、昨日の日記を参照) の軽さがあまり感じられない。スパイシーさが多い。サンプルNo.3C(カベルネの酸が強い方)が強いのか、全体が閉じられたイメージの香り。Cが全体を殺している?果実があまり感じられない。が、時間と共に果実が出る。ミント、赤い果実と青い果実スパイスなどバランス良くなる。発泡あり。ということで、僕が一番気に入ったのは、No.1にしました。そして自分たち第一班が作ったサンプルもこのNo.1だと思いました。一通りのテイスティングが終わって、末松さんが挙手で票を数えてくださいました。「サンプルNo.1が良かった人?」僕は、ハイッ! と挙手したのですが、驚いたことに、手を挙げたのは、僕だけでした(^^;)サンプルNo.2 へは 4票サンプルNo.3 へは 8票ということで、優勝は(?)、サンプルNo.3ここで、ブラインドが解かれて、どのサンプルがどのグループのものかが判明しました。サンプルNo.1 ⇒ グループ3サンプルNo.2 ⇒ グループ2サンプルNo.3 ⇒ グループ1ドヒャ?僕の好んだワインは、僕のグループのワインではありませんでした。ちゃん、ちゃん!! ここで自分のテイスティングについて反省会!!サンプル1で、その香りの甘さとバランス、ストラクチャーで僕はこのワインをベストに選びましたが、意外だったのは、まろやかなBが皆無で鋭角的で若々しいCを多く配合している点。メルローの果実が隠れたカベルネの果実を引き出したという感じなんでしょうか。サンプル2に対して「カベルネ系が強い」としたのは良しとしても、Cが感じられなく、B的なスパイシーさを感じたのは、完全に判断ミス。サンプル3に対して、全体の1割も占めていないCに対して「全体を覆っているよう」に感じたのは何故でしょう?分かりません(^^;)時間と共に開いて、非常に良い感じになったときの感覚を重視していれば、少なくとも自分のグループのワインを間違うことはありませんでした。そもそも、大雑把にA果実、B複雑さ、C発酵香というような切り口で臨んだ事自体に、軽率さがあったように思います。テイスティングの怖さを知らない暴挙です(^^;)そう簡単にワインを定義づけてはいけない。その微妙な時間と空気とのコンタクトで生じる感覚の「揺れ」を大きく繊細な心で受け止める必要がある。とまあ、こんな感じで、ブレンドの会は幕を閉じたのでした。昨年の同じ会のときに、1リットルのワインに違うワインを1%だけブレンドして、ブレンド前と後の大きな違いに驚嘆したのですがhttp://viteitalia.com/allaVignaFebbraio2007.htm( ↑ コチラ参照)今回も、全く同じワインなのに、乳酸発酵を進めているのか、それとも酸をやや残したままなのか、この差のあるなしのワインをどう使うかで、味わいに微妙で大きな変化が出るんですね。そして、微妙でありながらも、全く違うワインになり得る(例えば、サンプルNo.1とサンプルNo.3のように)、というワインテイスティングの懐の深さ、ひいては、五感の繊細さ(あるいは気まぐれさ?)をも、どっしりと再確認できた素晴らしい会でした。もう一回やりたいな~、リベンジ(笑)
2008/02/12
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毎年、この季節にさせていただいている神戸ワインでの、ブレンド作業は、この「ブドウ畑へ!」という僕の企画の中でも、ワインを深く繊細に知る上でとても重要かつ有効なイベントだと自負しています。ブレンド(フランス語ではアッサンブラッジュという表現を使いますね。イタリア語でもフランス語をまねてアッセンブラッジョと言ったりします。ブレンドというと、「混ぜること」ですよね。でも、ワインを混ぜるったって、色んな混ぜ方があるわけで1) ブドウ品種2) 生産ゾーン、または畑3) ヴィンテージの違うものを混ぜるのは、容易に想像しうるでしょうがワイン以外にも4) ブドウジュースを混ぜ合わせる場合もあれば5) 蒸留酒の場合だって、あるわけで、そういうのを全部ひっくるめて「ブレンド」ということが可能でしょう。イタリア語なら、「タッリオ taglio」といいますし、フランス語なら 「クパージュ coupage」となるでしょう。これを同じ生産地域の異なったワインを混ぜることだけに限定したものをアッサンブラッジュ(仏)イタリア語でアッセンブラッジョと言います。で、神戸ワインの現在2000ヴィンテージでリリースされている「セレクト」ラインのワイン、つまりAクラスのメルロー1種、カベルネ2種を合計3種をブレンドの講習で使っていただきました。 赤いキャップの向こう側から A メルローB カベルネ・ソーヴィニョン (マロラクティック発酵を終えたもの)C カベルネ・ソーヴィニョン (マロラクティック発酵をしていないもの)です。マロラクティック発酵(以後MLF)とは、「乳酸発酵」と呼ばれていて、要は、酸の鋭いリンゴ酸が、円やかな乳酸に変わる発酵のことです。でも、ヨーグルトなんかは、我々の生活の中では比較的酸っぱく感じますよね。だからあくまでもリンゴ酸の鋭角的な酸よりは和らぐ、と考えてください。最初にそれぞれをテイスティングしてみます。A. メルロー 明るいルビー色、やや紫色 香りは、チェリー、ミント、イチゴ 苦味 味は甘さ、丸みが先立つが酸は鋭利。 タンニン粗めB. カベルネ(MLF) ブルーベリー系果実。果実に深みを感じる。 土臭さ、草臭さもあり。酸あるものの丸み グリセリンがしっかりあって、液体そのもの のトロトロ感が出ている。タンニンもメルロー より細かく丸く感じる。 C. カベルネ 紫がBよりも濃い 発酵香とスミレの香り 味は明らかに微発泡。余韻にもナッツ系の 香りをイースト系の香りが越えている。大雑把ならが、それぞれの特徴をざっくり言えばA. 赤い果実B. 青い果実 ミネラルC. 発酵香、花ということで、いろんなブレンド比率を楽しんでいくことにしました。目標とするワインは、「今飲んで美味しいワイン。1~2年ぐらいが飲み頃の ワイン」というテーマです。1. A:B:C=1:1:1Bカベルネのミネラルと果実の重さが強く、軽やかさが失われています。メルローとカベルネだけの比率で言えば1:2になるわけですから、うなずけます。ここは、メルローの比率を高めることにします。2. 2:1:1果実が綺麗に出始めました。甘み、華やかさ、むしろ優雅ささえ感じましたが、少しBの丸み、重みがまだ強く感じてしまいます。ここで、メルローが比率的に多いほうが良いと決まりBとCのあるなし、どう変わるかで見ることに。3. A:B(C除外) 7:3華やかな果実。赤い果実と青い果実のバランス良。ミネラルもしっかり。ストラクチャーもあって良い。4. A:C(B除外) 7:3果実、花、スミレ、赤い果実、軽さが良く出て心地よさはあるものの深みがほとんど感じられない。CがAを希釈した印象さえ、僕は持ちましたが同じグループ内には、コチラのほうが良いという意見も複数でました。では、もう少し極端にやってみようということで・・・5. A:B 9:16. A:C 9:1でテイスティングしてみました。5は、メルローの果実が素直に出て綺麗で、ほのかなミネラルのタッチも感じられて良かったのに対し6は、やはり二酸化炭素の強さが香りにも味にも出て、やはり深みに欠け、軽すぎるのです。というところで、3つのブレンドにもどって、色々とさらに試した後で、最終的に決定したのが次のブレンドでした。7. A:B:C 7:3:1果実の並びとして一番美味しい。赤い果実の軽やかさとブルーベリーのやや濃厚な香りとミネラルのタッチが脇を締めている。味わいにもストラクチャーの線がはっきり見えてなおかつ、わずかな発泡性がチャーミングにすら感じられる。余韻には、マカダミアナッツ的な香りも残す。ということで、サンプルを提出して、全3班のサンプルが勢ぞろいしました。 明日に続きます。
2008/02/11
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今年最初の『ぶどう畑へ!』で、神戸ワインに行って来ました。一昨日から降り始めた雪の影響がどうでるのか、近江八幡では10~20センチぐらいの積雪がありましたんで、心配していました。 出発時の八幡駅です。出発して、約1時間半の道程、三宮までず~っと曇り空で、神戸の山々でさえ雪化粧していましたから、恐らく神戸ワインでは、すっかり真っ白の景色を想像していましたら、地下鉄がトンネルを抜けて、外に出る頃にはすっかり薄オレンジ色の太陽光が指していて、気持ちを高ぶらせてくれました。今日のテーマは、『剪定&ブレンド』でしたので、最初に剪定について、触れておきましょう。剪定というのは、主に夏期と冬季の剪定に分かれるそうですが、ブドウを含めた果樹は基本的に冬季の剪定を行い、一部落葉果樹(りんご、なし、ももなど)は、夏期剪定も行うそうです。冬季剪定の目的は、いくつもあって、それが補完し合いながらより良い収穫と樹の生育を促すものです。1) 樹の形を整える ⇒ 四方八方に伸びる樹ですと、作業の 効率や樹勢のコントロールが難しくなります。2) 各枝間のバランスを保つ ⇒ 各枝の距離がまちまちですと湿気が こもったり病原菌を増やす原因をつくります。3) 樹勢を調節する ⇒ 樹勢とは、枝や葉を伸ばそうとする樹の 生命力ですが、ブドウ栽培の場合、猛々し すぎると、房が上手く育ちません。健全な樹勢を維持し(良い房を作るようにブドウのエネルギーを調整し)、病害虫の感染を防ぐのに以上3つの要素が大切なのです。4) 結果量を調節して、年々良品質の果実を安定 生産する5) 様々な管理作業を効果的、効率的に行える我々は一年一年でワインのサイクルを区切ってしまいがちですが、ブドウはもちろん生き続けています。エネルギーを出しすぎると、次の年に何らかの影響が出るでしょうし、またその逆も同じはずです。また、量産すれば、もちろん量は得られますが質を捨てることに繋がりますので、そのバランスを調整するのもブドウ栽培の大切な仕事です。と、やや仰々しい表現になりましたが、ようは作業をしやすく、質の高いブドウの房を得ながらブドウの樹に長生きしてもらうようにする、その根幹的なとても重要な作業が剪定ということになります。具体的な作業は、またHPのほうでレポートするとして、剪定前と剪定後ではこれくらいに変わります。剪定前 剪定後 今回は、3回目というだけあって、比較的スムースに仕事ができたように思います。が、でもまだまだ、芽の数をどこから数えるか、とか切断する節間(ふしま)をどこにするのか、とか色々と悩むこともありました。「3~5年ぐらいは、繰り返ししていただければ 分かるようになるんですが、でもまたその後、 また迷うようになったりするんです」とプロである、栽培課の末松さんがおっしゃるくらいです。まるで伝統工芸の匠のような言葉です。ワインとは、そういうブドウ耕作人のこの「迷いの気持ち」を背負って生まれるものでもあるんですね。やはりその奥義に到達するのは、やはり一生をかけるくらいの意気込みがないといけないのかもしれません。冬の神戸ワイナリーは、晴天が広がり、作業を進める時間と共に、身体が温かくなって、上着を脱ぐくらいでした。 ご参加いただいた方は、総勢13名。初めての方、ベテラン組みの方、そろそろちょっと慣れてきた方、などなど、ご自分のペースで楽しんでくださった事と思います。2008年ヴィンテージが素晴らしい年になってくれますように!また、我々ののどを潤し、心と身体の疲れを癒し、心のともし火になって、幸せの時間を作ってくれるようなワインになりますように!!「ブレンド」については明日書きます。※参加されたあなた、ご感想など、何かコメントして いただけると嬉しいです(^^)
2008/02/10
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朝からしんしんと雪が降っておりました。すっかり冷え切っていましたから、気温としては5度前後ぐらいまで冷えていたんじゃないでしょうか。いや、もっとでしょうか。そこに細やかで、とても数の多い、わた雪が緩やかな速度で休むことなく降っていました。解けることを知らない雪は、家の中から見ていると、決して積もる勢いを感じさせませんでしたが、それが見る見る間に午前中であっというまに軒先の路地を真っ白にしていました。近江八幡の旧市街に住んでいて良かったと思えることは多々ありますが、その中のひとつにとても美味しいうどん屋さんがあることです。「一冨士」というそのお店のうどんの汁は本当に美味しいのです。昆布出汁が良く効いていて、ほのかで綺麗な甘みがあります。麺のほうは、手打ちといったたいそうものではなく、気負いのない湯で麺です。雪が降って、旧市街の古い家屋の屋根が白く染まる頃、うどんが食いたくなりました(笑)「ようし、みんなでうどん食べにいこ!」と、雪の降る中、完全防寒をして、家族4人でうどんをたべに行きました。何故皆で外に出たのか理解しなかった娘は路地に出ると雪だるまを作り始めました。息子のほうは、防寒するように促しても上の空で外に出るやいなや、父との雪合戦勝負を挑んできます。妻は、娘を怒らせないよう気遣いながら、うどん屋さんに向かって歩くよう上手く誘導しています。僕は、雪の弾丸を数発息子にお見舞いしながらずっと雪の投げ合いをしながら歩きます。途中、銭湯の庭に差し掛かった頃に妙な胸騒ぎを覚えて、立ちすくみました。しんしんと雪が降る中に、花の強烈な香りを嗅いだからです。周りを見渡すと、そこには雪をかぶった黄色い花が咲いていて、それは梅の花のようでもあったのですが、香りは、実に高貴で、アカシアのようなゼラニウムのような香りと、雪の白の中で強く光る黄色が、妙に浮いた感じがあり、それでいて真っ白の世界に艶を与えているようにも感じました。「おお!この花すごい良い香り!匂いでみい!!」息子と妻が鼻を近づけてクンクンやってくれます。「ほんまや、良い匂い!」そのすぐ先にあるうどん屋さん「一冨士」に入って皆それぞれのうどんに舌鼓を打ちました。僕は、あんかけうどんを頂きました。このあんがまた非常に強力に粘性を持っていて、一見、ちょっと硬すぎるようなのですが、硬く固められているからでしょうか、こんぶの香りが非常に強く感じられて、みりんやしょうゆがこんぶの引き立て役になっています。なかなか飲みづらいのですが、香りがとても良いので嬉しいと同時に驚きました。息子のきつねうどんの汁もすすらせてもらいました。ここには、昆布だしの風味ときつねの甘みが加わっています。妻の鍋焼きうどんも汁をすすらせてもらいました。ここには、鶏肉のニュアンスが強く出ています。同じうどんでも、具を何にするのかで、微妙なニュアンスが出て、それがそのうどんの決定的な味わいになっている。多分、昆布をベースにしていることが、味のヴァラエティーを特に引き出しているのでしょう。こういう差を感じながら、雪景色を見て、うどんを食べれるのって、なんて素敵なんでしょう。身体を温めて、外に出ると、雪はまだ降っていました。息子は囲碁教室へ、我々は買い物へと出かけました。また、雪の日はうどんを食べに出かけたいです(^^)
2008/02/09
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自宅の本棚に目をやっていたらこの本が目配せを送っていたんです(^^;)ついつい手にとって読み始めた瞬間、自分の中に火がついた感じがしたので「やばいなあ・・・」と思っていたのです。イタリア語のタイトルでは、L'amore di uno scioccoラモーレ・ディ・ウノ・ショッコハハハ、つまり、現代どおりの訳がついています。因みに、仮面ライダーの「ショッカー」は、このショッコの女性形の「ショッカ」から来ているのでしょうか・・・。馬鹿どもという感じですね。いや、英語の「ショックを与える者」ということでしょうか。でもショッカーレという動詞で「ショックを与える」という意味もあります。語源は同じところにあるのかもしれません。さらに因みに、辞書にはscioccoショッコの意味として二番目に(トスカーナ)塩気のない、味のない、気の抜けたという意味がありました。「愚か」「馬鹿」が味の形容詞になるというのは興味深いところです。イタリア料理の中でもとりわけ塩気のきついトスカーナ料理に、塩が足りないと「愚か」ということになるんですね。分かるような、分からんような・・・。また、確か、須賀敦子さんが谷崎の全集の翻訳をされていたと記憶します。ミラノ霧の風景ウンベルト・サバ詩集さて、話が逸れすぎました。何気なく本を手にとって、目にした「私はこれから、あまり世間に類例がないだろうと 思われる私達夫婦の間柄に就いて、出来るだけ 正直に、ざっくばらんに、ありのままの事実を 書いてみようと思います。それは私自身に取って 忘れがたい貴い記録であると同時に、恐らくは 読者諸君にとっても、きっと何かの参考資料と なるに違いない。」という冒頭から、ほとんど二宮金次郎状態に突入してしまったのでした。エロ、フェチ、マゾ・・・・恐らくワインを愛する人間=あなたならこの世界とは非常に縁が深いのではないでしょうか(^^;)つまり、それは「偏愛」ということで、愛とは言葉であり、愛とは描写であり、愛とは細部であるとすれば、エロがフェティシズムを帯びるのは当然のことでしょう。またマゾにしてもサドにしても、それは表裏一体的な世界であり、愛のエモーションを求めるのであればそのどちらかの世界への耽溺を求めるのは、非常に人間的な一面なんだと思いますし、誰しもがどちらかの傾向を持っているでしょう。それにしても、見事な文体です。僕は読書をするときは、気に入った表現や大切と思われる箇所に線を引きますが、とにかく、線を引く箇所が多すぎて、全編に線を引きたくなるほどそのリズムと流れるような旋律的文章には時にうっとり、時に戦慄しながら、文の美の世界に耽溺できるのでした。『ナオミのように撫で肩で、頸が長いものは、着物 を脱ぐと痩せているのが普通ですけれど、彼女は それと反対で、思いの外に厚みのある、たっぷり とした立派な肩と、いかにも呼吸の強そうな胸を 持っていました。 ボタンを嵌めてやる折に、彼女が深く息を吸ったり、 腕を動かして背中の肉にもくもく波をうたせたり すると、それでなくてもハチ切れそうな海水服は、 丘のように盛り上がった肩のところに一杯に伸びて、 ぴんと弾けてしまいそうになるのです。 一と口に云えばそれは実に力の籠もった、「若さ」 と「美しさ」の感じの溢れた肩でした。私は内々 そのあたりにいる多くの少女と比較してみましたが 彼女のように健康な肩と優雅な頸を兼ね備えている ものは外にいないような気がしました。』こうした表現が満載なんですね!さてワインというのは、その味わいを「ボディ」で捉えますから、こういう肉体の表現を読むとそのままワインの描写にもなるように思います。「背中の肉にもくもくと波を打たせたり」という表現には思わず興奮してしまいますが、これはワインの舌触りの粘性と酸の質の絡みをイメージすることができます。「力の籠もった若さ」「美しさ」も素敵な表現ですが、そうした分かりやすい言葉で瞬時にイメージできる言葉の数々を読んでいると、あ~、これはワインの表現を学ぶには恰好の教科書だな、なんて思えたりもしたのでした。この小説は海外でも日本でも数多く映画化されていますが、やはり増村保造の映画は見なくてはいけません。痴人の愛増村保造といえば、日本人の映画人として初めてイタリアのチェントロ・スペリメンターレ・デル・チネマ、という、世界で一番古い映画学校を出た東大の超インテリ監督ですが、彼の映画の主人公になる理想的人間像と「痴人の愛」の主人公ナオミは、恐らく100%重なることができる人物だったに違いありません。何かを偏愛するものだけが人生の幸せを獲得することができる。この小説の主人公の譲治をなんら偏見で見ることなく、好感を持って慈しむことのできる時代がすでに到来しているのではないかと思います。
2008/02/08
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塩野七生ルネサンス著作集(3)「コンスタンティノープル」「ロードス島攻防記」「レパントの海戦」の地中海三部作につづいて、再び手に取ったのがこの本でした。歴史的年表が全く頭に入っていない僕は、この激動期の群雄割拠としたイタリアの都市国家群とその周りを囲み始めたトルコ帝国やらフランス、スペインといった巨大国家の台頭を整然と整理することはまだまだ不可能です。おぼろげながらでもイタリアを中心とした歴史が徐々に頭の中で明確になってくることを望みながらも目の前に繰り広げられるスペクタクル性豊かな歴史の面白さをワクワクと楽しんでいるだけに過ぎないのかもしれません。チェーザレ・ボルジアとは、15世紀後半から16世紀にかけて、父である法王アレッサンドロ6世の強力な権力を背景に、当時忘れ去られていた概念としての国「イタリア」に王国を打ち立てる野望を実現しようとした法王領総司令官のこと。ボルジアとは(イタリア語ではBorgia=ボルジャという発音)、元々はスペインの南アラゴンのヴァレンシアの豪族なんですね。「ヴァレンシアの」という意味のイタリア語がヴァレンティーノ、つまりヴァレンチノの語源というわけです。ということは、ハリウッド映画黎明期のルドルフ・ヴァレンティノは、南イタリアからの移民ですが、彼のご先祖さんは、ヴァレンシア地方の人だったんでしょう。南イタリアって、アラゴンが支配していましたから。言葉をたどるとキリがありません(^^;)最初に、ユリウス・カエサルという人がヨーロッパという概念として地図上に線を引き(ゲルマンは入ってませんけど)、その帝国なき後は、キリスト教がその地盤を固める。その教皇領の思惑と元々自己主張の強い権力のバランスが存在していたからなのか、特にイタリアは群雄割拠の戦国時代になる。そこに現れたのが、同じカエサルという名前、イタリア語でチェーザレという名の男。「毒薬使いのボルジア」などといわれ、権謀術数の人であった彼は、マキャヴェッリの「君主論」著作を促したことでも知られているだけに、冷酷非道な極悪人のイメージが強かったそうですが、塩野七生さんの筆はそういう彼の人間性を否定することも肯定することも避け、徹底的に「行動の軌跡」を描いています。その中でも、「うわ~、力籠もってんなあ」と思わせた部分がレオナルド・ダ・ヴィンチとの邂逅の章でした。『歴史上、これほどに才能の違う天才が行き会い、 互いの才能を生かして協力する例は、なかなか 見出せるものではない。 レオナルドは思考の巨人であり、チェーザレは 行動の天才である。 レオナルドが、現実の彼岸を悠々と歩む型の 人間であるのに反して、チェーザレは、現実の 河に馬を昂然と乗り入れる型の人間である。 ただこの二人には、その精神の根底において 共通したものがあった。 自負心である。 彼らは、自己の感覚に合わないものは、そして 自己が必要としないものは絶対に受け入れない。 この自己を絶対視する精神は、完全な自由に 通ずる。宗教からも、倫理道徳からも、彼らは 自由である。 ただ、窮極的にはニヒリズムに通ずるこの 精神を、その極限で維持し、しかも、積極的 にそれを生きていくためには、強烈な意志の 力を持たなければならない。 二人にはそれがあった。 』 『レオナルドとチェーザレ。この二人は 互いの才能に、互いの欲するものを見たのである。 完全な利害の一致であった。ここには芸術家を 保護するなどという、パトロン対芸術家の 関係は存在しない。 互いの間に、相手を通じて自分自身の理想を 実現するという、冷厳な目的のみが存在する だけである。 保護や援助などに比べて、また与えるという 甘い思いあがりなどに比べて、どれほど 誠実で美しいことか。 このよう関係では、互いに自己の目的を 明確にする者の間にのみ存在する、相手に 対する、真摯な尊重の気持ちが生まれてくる。 二十六歳のチェーザレも、そして五十歳を 迎えていたレオナルドも、互い相手に対して 真摯であった。 』マキャヴェッリが多く登場する後半の章にも行間からにじみ出る迫力ある文章に出会いました。 『 しかし、イタリアの統一は、チェーザレに とっては使命感からくる悲願ではない。 あくまで彼にとっては、野望である。 チェーザレは、使命感などという、弱者にとっての 武器、というより拠り所を必要としない男で あった。 マキャヴェッリの理想は、チェーザレのこの 野望と一致したのである。 人々のやたらと口にする使命感を、人間の本性に 向けられた鋭い現実的直視から信じなかった マキャヴェッリは、使命感よりもいっそう信頼 できるものとして、人間の野望を信じたのである』ミッションという言葉をよく聞く昨今の世の中ですがそれよりも野望を信じるというのは分かるような気がします。大いなる野望がない時代だからこそ、あれだけの『美』が完成した時代ということもできるだろうし野望という『愚かな徳』がない時代は、さもしく安っぽく、こじんまりとして、平和なんですね。チェーザレ(1)
2008/02/07
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随分と久しぶりになりますが、『ぶどう畑へ!』の企画、2008年度が来週日曜日、2月10日(日)に再開します!!で、今回のテーマは二つあります。ひとつは、この季節好例の「ブレンド」。神戸ワインでは「アッサンブラージュ」と呼んでらっしゃいますが、いわゆるブレンドで、異なったワインを混ぜ合わせてその配分によって随分と味わいが違うことを感じよう!という、いわば、ワークショップ的な感じで展開します。グループごとに3種類のワイン(カベルネ・ソーヴィニョン2種、メルロー1種、またはその逆)を様々なブレンドで試して、最後に一つの作品をひとつ作って、それぞれ皆で評価しあうんです。こういうことをさせてくださるワイナリーって、日本にほかにありますかね?神戸ワイナリーは本当にオープンでワインの好きな人に開かれたワイナリーだと思います。微妙な配合の違いで、感じ方が全然変わったり、この企画は今年で3回目ですが、本当に面白い!ワインのこと、あるいは味覚のことについて、好奇心旺盛なあなたにはきっと滅茶苦茶楽しんでいただけるものと思っております!!参考までに僕のHPのレポートを読んでみてください。http://viteitalia.com/allaVignaFebbraio2007.htm※もちろん優秀作品が神戸ワインの一アイテムになるわけではありません(^^;)神戸ワインは、独自に同じ3種のワインからこのワインをブレンドで作られます。神戸ワイン セレクト赤日本のワインを誇らしく感じることのできる極めて綺麗なワインだと思います。果実味があるんですが、決して出過ぎない。酸、タンニンはやわらかく、それでいて、しっかりしている。料理に寄り添ういい奴!決して、料理の前に出しゃばらない奴です。お試しになっていない方は是非に!!二つ目のテーマは、剪定です。こちらも、この季節に欠かせない春から秋にかけての葡萄の生育を左右するとても大切な作業ですが、これをヴィーテ・イタリアでお借りしている木々で展開いたします。切り落とした樹を持ち帰って、自宅栽培というのもアリですよ!といっても、僕は一度も成功していませんが・・・(^^;)ワインのみならず、葡萄の栽培もいかに難しいか、大変なことか、ということも体感していただけると思います。こちらも昨年のレポートを見てください!http://viteitalia.com/allaVignaMarzo2007.htmでは、2月10日(日) 10時~13時ごろ 神戸ワイナリー ゲート下 集合 参加費 ¥1500で、お待ちしております!!詳しくはコチラへ!!
2008/02/03
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レパントの海戦「コンスタンティノープルの陥落」「ロードス島攻防記」と続いた地中海歴史物三部作(?)の最後を飾るのがこの「レパントの海戦」です。もちろん、「海の都の物語」の続編的に描かれた世界ですから、この3部作の少なからず重要な役割を演じているのが、ヴェネツィア共和国となりますが、特にこの「レパントの海戦」においては主人公そのものといって良いでしょう。歴史上、「スペイン王フェリペ二世率いる西欧連合艦隊が無敵トルコをついに破った」といわれる輝かしい勝利のその舞台表の攻防を詳細に、そしておそらく、さらに詳細な舞台裏を描写しながら「ヴェネツィア共和国の終わりの始まり」を表現しているのでした。良い悪いは別にして、戦争という大きなリスクを冒す時には、必ずリターンというものが明確になければ意味がありません。そして、レパントの海戦の勝利によってヴェネツィアの払った代償に対するリターンは、その後70年の平和を享受することでした。また、その代償の大きさを代表するもののにこの海戦で戦死したヴェネツィア有数の貴族の多さも印象的でした。艦長クラスで戦死した十八名全員がヴェネツィア一千年の歴史を彩った名家中の名家の貴族だったことは、この共和国を支配した貴族たちの健全な考え方が繁栄しているように思えますが、そうであればあるほど、この事が、逆にその後の共和国の衰退を早めてしまった、と見ることもできないでもない・・・。土地を所有することで上げることのできる収益で金持ちになり、それで貴族ヅラできるその他の国の貴族と違って、他国との交易のみによって富をなし、(ヴェネツィアは小さな人口島ですから土地なんかありません・・・)貴族となるヴェネツィア貴族の為政面での健全性こそがこの極小国の一千年もの歴史を支えたことは想像に難くありませんが、これも歴史の皮肉、いえ、これこそが人間の歴史なのかもしれません。この海戦以降、ヴェネツィアもそしてトルコも、地中海貿易の重要度が大西洋に移ることによって衰亡の一途を辿ることになります。海戦を終えたヴェネツィアにコンスタンティノープルから帰国したトルコ大使の元老院の演説が印象的であり、またカッコイイのです。ちょっと長いですが引用します。『国家の安定と永続は、軍事力によるものばかり ではない。 他国が我々をどう思っているかの評価と、他国 に対する毅然とした態度によることが多いもの である。 ここ数年、トルコ人は、我々ヴェネツィアが 結局は妥協に逃げるということを察知していた。 それは我々の彼らへの態度が、礼をつくすという 外交上の必要以上に、卑屈であったからである。 ヴェネツィアは、トルコの弱点を指摘することを ひかえ、ヴェネツィアの有利を明示することを 怠った。 結果として、トルコ人本来の傲慢と尊大と横柄に 止めをかけることができなくなり、彼らを、 不合理な情熱に駆ることになってしまったのである。 被征服民であり、下級の役人でしかないギリシャ人 にもたせてよこした一片の通知だけでキプロスを 獲得できると思わせた一事にいたっては、 ヴェネツィア外交の恥を示すものでしかない 』これは、戦勝に沸きあがる空気が充満していたヴェネツィア元老院での演説です。(外交の本質が良く見える名演説ですね。現在の 日本の外交を思わずにはおれないところです(^^;)僕は、カルタゴを壊滅させたときにローマの滅亡に思いを馳せたスキピオ・アフリカヌスや、V8を達成した時に、チームの危機を憂いた「侍ジャイアンツ」の川上監督を思い出しました(^^;)レパントの海戦
2008/02/02
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イタリアソムリエ協会公認ソムリエ笹山等さんが営まれる京都の新しいワインバー『ロスコ』にて、最後に飲んだワインです。これは、笹山さんのセレクトで、皆でブラインドテイスティングしたんです。さあ、今からコメントしていきますので、あなたも一緒に推理してみましょう!アイテムはイタリアワインで、モノヴィティーニョ、つまり単一葡萄のワインという条件です。まず笹山さんは、おもむろに、ブルゴーニュのグラスを出されました。これは、ひとつのヒントになる場合もありますし、完全な「ひっかけ」の場合もありますからやはり中身で勝負しないといけません(^^;)赤ワインがグラスに注がれると、実に淡い色合いのそれでいて軽度の熟成感もある、美しい色調が視覚を魅了します。色の濃いワインなら、いくらでもその選択肢が広がって困るくらいですが、色の淡い、それでいて熟成感の出ているワインなら、その葡萄品種はある程度、絞り込めるでしょう。ネッビオーロかピノ・ノワールです。でも、ここはまだ視覚ですから、ぼやけたイメージで、嗅覚に進みます。 ♪ ♪ ♪これまた、非常に美しい香りです。ボリューム感はそれほどありませんが、イチゴやチェリーを思わせる果実の香りがほのかに香ります。ミネラル感は、それほど強くはありませんが、土と紅茶のような香りがあって、果実香に深みを与えています。抜栓して間もないこともあったでしょうが香りの深みは感じさせるものの、広がり、幅の広さは、それほど感じさせないワインと思いました。僕は、この段階でピノ・ノワールかと思いました。味覚に移ります。酸、タンニンが非常にしっかりしたワインです。アルコール感はそれほどたくましくありませんがそこからバランスを維持しつつも、突き出ようとする酸とタンニンの姿が美しい。余韻は、嗅覚で感じた果実と熟成のバランスの均衡が逆転して、スパイシーな香りが果実香を凌駕し、それでいて、両者が共存しながらほのかに長く続きます。そしてその熟成香も、葡萄起源の植物的な熟成香でいわゆるフレンチオーク的な出すぎた甘みを感じさせない、実におしとやかで洗練されたイメージ。ここで僕が推理したのは、消去法ですが、まず「ピエモンテではない」もしネッビオーロだとしたらランゲ系かロエロ系かはたまたガッティナーラ系でしょう。ランゲ、ロエロにある、非常に密に感じるミネラルやタンニンの香りの迫力をこのワインには感じませんでした。かといって、ガッティナーラ系にある細身のボディ、ネッビオーロはネッビオーロでもその酸のポテンシャルとして最も強烈な姿は垣間見られませんでした。ならば、アルト・アディジェのピノ・ノワールか?しかしアルト・アディジェなら、もちっと華やかな果実香とともに、やはり未熟果的なニュアンス、つまり青っぽい香りも感じていいのではないか・・・。このワインには、煮詰めたような果実は感じませんがドライにしたような甘みのニュアンスはあるんです。そうこうするうちにも、カウンターのブラインドテイスターからは、絶対、南ってことはないんだ!バルバレスコでしょ!?ん~~~?、これネッビオーロ?などなど、あれこれ推理する声が行きかってました(^^)こういう時間って、楽しいですよね。で、最終的に、なんとなく、答えに行き着きました。アルト・アディジェ的な感じもありつつ、しかしネッビオーロ的なストラクチャーも垣間見させる・・・ん~~ピエモンテとアルト・アディジェの真ん中だな~(と、イタリア北部の地図が目に浮かぶ)「あ!ヴァルテッリーナ!?」と僕がいうと、笹山さんが「正解!!」と言って、ブライドを解いてくださいました。久々に挑戦したブラインドでしたが、それこそ久しぶりに当てることができて、滅茶苦茶嬉しかったです(^^)実は隣に座っていた、ブラインドに参加しなかった人たちに、「別に当てなくて良いんですよ。どんなワインか、 ついて、イメージを膨らませるコメントをすれば いいんですよ。」などと言いながら、内心ドキドキしてましたから(^^;)それにしても、笹山さん、イメージしやすいワインを選んでくださった!(^^)で、このロンバルディア州の秀逸な赤ワインは下の写真のワインです。これは安いと思います。まだメジャーとはいえないワインかもしれませんが立派にDOCGですし、その品格は素晴らしい。価格的にも、まだまだ廉価といえるワインだと思います。是非、お試しあれ!!あ、大き目のグラスで飲むこと。抜栓してからゆっくりと香りの変化を楽しむこと。温度も十分に高くして頂くことは、忘れずに!料理なら肉そのものの味わいを愛でるような、ソースの凝らない料理が良いと思います。スパイスのみをあしらったステーキとか、和風で行くならポン酢系のしゃぶしゃぶとかね~~。ヨダレ出てきました。マゼール 2004ヴァルテッリーナ スーペリオーレ インフェルノニーノ ネグリ
2008/02/01
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