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また郵政民営化について権力闘争が起こってきた。いったいこの裏側にある争いの種は何だろうか。誰も解説してくれないので勝手に推測する以外にない。かつて国が管理していた鉄道を民営化したのは、鉄道事業がトラック運送におされて赤字がどんどんふくれあがり、これを国から引き離すために民営化をしたのが目的だったが、国鉄の労働組合が強くて彼らを押さえつけるのが大変だった。しかしこれを4つの会社に分割することで、それぞれ独立させ、民営化を果たしたが、まだ完全黒字会社はJR東の1社しかない。このあと、郵便事業がだんだん赤字化して同じように解決するために小泉内閣が民営化を図った。これは郵便局員が公務員なので、国の財政から切り離すことも目的だった。しかし一番の政争になったのは、なんといっても国民から集めた膨大な郵便貯金や簡易保険の金を誰がどう管理するかの権力をめぐっての争いだろう。もし完全民営化すると、これは国が手を出せなくなる。国民が一生懸命貯めて預けたお金が日本の国債とかアメリカの国債に化けてしまったり、政府の外郭団体である公益法人などに行ってしまったら、民間から見たらまったく困るわけである。しかし、民間の経営者が管理したら有効に民営事業のほうにまわるかというとこれまたわからない。やはり有利な金回りを求めて国債や政府債に回ってしまうかもしれない。おそらく小沢一郎氏や亀井大臣はこの金を民主党サイドできっちり抑えておきたいのではないかと思う。それには自分の息のかかった人にやらせる。それが亀井大臣が連れてきた元官僚の大物で、この人にやらせておけば大丈夫。西川さんでは言うことをきかないのではないかとおそれたにちがいない。この前、官僚OBのオフレコの話を聞いたが、脱官僚といっても、なかなか大変で簡単にはできないという。いくら副大臣、政務官をたくさん送り込んでも、彼らは時間がないから無理だという話であった。国の事業仕分けに新人議員を投入するという案は却下されたようだが、たしかに国の事業の事業仕分けは無駄遣いをやめさせるというより、そんな事業を官僚がする必要がそもそもあるのかというそもそも論になるほうが重大で、こっちの方の価値観が確立しているかいないかの問題である。もし仙石大臣にまかせても大臣間の意見が異なったらこれまた問題になるわけで、脱官僚といっても明治維新的な事業であるから、民主党政権が4年間あの手この手をつかってやるには、元官僚をつかうという差手もあろうし、この辺はよく説明してもらう必要があるが、手の内をさらけ出して困ると思っているのではないか。
2009/10/31
25日の日曜日は富岡製糸場を見学する。観光バスのルートで結構な人が来ていた。100メートルおよび140メートルにも及ぶ赤煉瓦の繭倉庫は圧巻であった。この工場は明治3年に着工され、1年あまりで完成し、明治5年には操業を開始している。すべてフランスの技術で進められた。どうしてこれほどの大施設が草深い田舎に突然できたかということは、このあたり一体が繭の産地だったからである。幕末から日本の生糸、繭は欧米に大量に売られていた。絹はアジアが原産で、それがシルクロードを通ってヨーロッパに伝えられ、絹産業は南フランス、イタリアが本場になるほど栄えた。アジアでは木製の糸繰り機を個人が操作してやっていたのを無効では産業革命の進展で機械による織機で能率よく大量生産が始まっていた。ところがなんとヨーロッパの蚕が伝染病で全滅し、それで向こうの商人が一斉にアジアに買い付けにきた。しかし中国は太平天国の動乱のさなかで、それで日本に集中した。生糸、繭は鰻登りに高騰して、繭ブームが起こった。悪徳商人らが不良品をたくさんつくったために日本の生糸は暴落して評判をおとした。それで明治政府は名誉挽回と国策のためにこの富岡製糸場をつくったというがいきさつである。しかし、開国してすぐであるからこの工場建設は並大抵の事業でなかったらしい。煉瓦がないので瓦職人に工夫して作らせ、大きな梁も遠くから大木を運んできた。石は近くの山から切り出して礎石にした。大工、職人、土工など数千人があつまって作業したので、富岡はいっぺんに活性化し町ができた。ガラスと窓枠はフランスから何百枚も運んできた。機械もすべてフランス製で、フランス人の工場長、技師、管理者、男女の作業監督など数十人が常駐した。工場長の月給は850円というべうな高さ。工場はほとんど今の工場のつくりと同じである。原型がここにあったと思った。女工は、外国人に生き血を吸われるという迷信でなかなか集まらなかったが、上からの政府指導で全国から集めた。ほとんど十代の工女で一番下は13歳、一番上は26歳、16,7、8歳が主流だった。月給は1円から1円30銭。士族の娘が多かった。彼女たちはここで1年半くらい働いて技術をおぼえ、全国にできた群小の製糸場に行ってリーダーになった。この工場は官営から三井の経営に移り、なんと昭和63年まで片倉製糸が操業していた。片倉製糸はその後10年毎年1億円かけて施設を保存していたが、平成17年、国の史跡に指定され、富岡市に寄贈された。いまでは世界遺産に登録を申請している。とにかく見に来てよかった。こういうものを見ると歴史を如実に感じる。しかし、富岡市の商店街は日曜だったせいもあるにせよ、ほとんどシャッターが下りていた。たまたまお祭りで山車が数台にぎやかに練り歩いているのに、それを見る市民がほとんどいない。まるで死の街をお祭り行列が歩いているみたいだ。地方の疲弊をここでもなまなましく見た。
2009/10/27
24日、足利市役所で事業仕分けを午前中聞く。生活路線バス運行補助事業だった。民間のバス事業が赤字のために廃業となり、その後を足確保のために市が2路線を運行させているが、国、県の補助は826万円で市の一般財源から3700万円を出してやっている。やはり利用客が少ない。遠くの交通不便区に住んでいる人たち(交通弱者)のためにやっているという。バスには身障者の乗り降り装置も備えてあり、身障者の利用が4分の1に達し、大変喜ばれているという。だが、本音はやめたいというのが見てとれた。遠くに住んでいる人の中にはあとから辺鄙なところを選んだ人もかなりいる。やむを得ない事情もあっただろうが、そういう一部の人たちのために主要部に住んでいる人が税金を負担していることになる。これは不公平だということもいえる。身障者は数が少ないのにその利用が4分の1というのはいかに一般客が少ないかを物語っている。これに対する評価は、やはり家族が自家用車を使うかボランティアにお願いする。身障者は別な方法を講じるなどを考えたらどうかという話になった。だいたいどこでも問題になるのは、無駄な経費を減らして他に回したいが過去のしがらみでなかなか切れないという問題である。交通弱者を助けてあげるというのはたしかに立派な考えで、そうそう反対はできない。予算が順当なバブル時期とか税収に余裕があったときは何でもなかったので、市民のためにという大義名分で余った予算をつけたが、いよいよ税収に困りだした。しかし喜んでいる人がいるのでなかなか切れない。役所の不人気につながる、ということでいつまでもやっているというのがどこでもみられる現象であるが、やはり問題解決する以外にない。市のトップは市民に事情説明して市民にわかってもらって、3700万円をもっといい使い道に回すプランをたてる以外にない。交通弱者対策は市民からアイデアを募集するなどしたらどうだろうか他にも事業仕分けを聞いたが、市民が一番関心を集めていたのが足利市の観光対策だった。その後、足利学校を見学する。日本最古の大学で、16世紀、足利幕府時代が残したものである。規模が大きく、立派だった。周辺は京都のような静謐な雰囲気だった。しかし、700年を経た実物ではなく、平成2年に忠実に再現したものだという。わるいけど私には当時のままのでないと感動がわかない。ピカピカのモノではいやだ。しかし扁額は古いモノが飾ってあった。それで当時をしのぶ。足利時代は200年も続かなかったので、ほとんど記憶に残るような歴史遺産はない。なんとなくはかなく過ぎ去ったような時代である。
2009/10/26
アメリカ国防総省のゲーツ長官が北沢防衛大臣に、沖縄の普天間移転が実現しないと、海兵隊のグアム移転もできない、土地返還もない、と脅し外交をして、オバマ大統領来日以前に解決したいとあせっているが、ここは十分外交の手を尽くすのが民主党の腕の見せどころである。日米関係に深刻な影響があると言っているが、アメリカの軍事再編は韓国、台湾、日本からの兵力削減の一環であって普天間の問題とは直接関係がない。日米関係に深刻な影響があるということは、言葉の上であって国家間の関係というものはその程度のことで悪化するものではない。一つの例は、1950年5月、まだ占領中に、GHQの教育顧問ウオルター・イールズが北大で「共産主義教授を追放せよ」と講演したところ、学生が抗議運動を起こし、全国の大学で反対運動が熾烈化した。日教組、日本学術団体、全国大学連合会が、学問の自由を踏みにじるものだとして反対声明をだした。私が大学に入って最初に加わったのが、このイールズ反対闘争で、プラカードにウナギの絵を描いてデモしたことを思い出す。それから岸内閣の頃、1957年の安保反対運動が盛り上がったとき、アイセンハウアー大統領の来日が延期された。こういう事件が日米間で起きたが、日米関係が深刻な影響を受けたかというと、受けない。お互いに民主主義というものをよく理解していたからだろうと思う。ゲーツが躍起になっているのは、逆に日本がアメリカから離れるのをいかに阻止するかに腐心しているのであるから、日米間外交を正常なものにするこれほどいい機会はない。映画「ヴィヨンの妻」を観る。太宰治が心中の2年前に書いた小説であるが、昔読んだので内容をよく覚えていないが、映画は太宰本人が玉川上水で心中するのをそのまま描いたような内容である。主人公大西はまさしく太宰本人で、終戦直後昭和21年頃の情景を再現してあったのが懐かしかった。吉祥寺、三鷹、武蔵小金井、などはその頃は農村であって、駅を出たらすぐ茅葺き屋根の農家があった。こんなところに住んでいる作家は売れない貧乏人であった。一杯飲み屋に借金のかたになって大西の妻が働くが、美人なので大繁盛する。大西は大酒飲み、愛人と玉川上水で心中するが、死ねずに失敗する。女も助かる。玉川上水ってあんなに大きかったのかな、と改めて驚く。終戦直後の風景の中で太宰のような人間がいたことは、なにかリアリティがあった。自信を消失して酒浸りになっていた復員軍人などがたくさんいたからである。しかし、酒におぼれただらしないダメ人間であることは間違いない。太宰に文学的な才能がなければ世間は単なるダメ人間として切り捨てたであろう。そういうダメ人間を愛して支える女性はたくましく美しい。「生きてさえいればいいのよ」。こんない強い根源的な言葉はない。俳優のできは広末涼子が心中した相手としてはいちばんイメージがあっていた。太宰の浅井忠信は、太宰的な影がでていなかった 。女性がむしゃぶりたくなる男の影の魅力、弱くてだらしなくて支えてあげないと壊れてしまうような男の影。それが出ないのはやはり不満だ。でも今時出せる俳優はいるかな。松たか子は好演だった。いまこれほどやれる女優はいないだろう。しかし、あまりにも育ちがよすぎて武蔵小金井あたりに住んでいた貧しい家の娘の雰囲気までいかない。安物の着物を崩して着て、帯もゆがんでいる。下駄ばき。化粧もしていない。でも結構、美人。できぱきと働く。口紅を塗ってみたくてパンパンガールから高い金をだして買うが、やはりそっと捨てる。お化粧をしてみたかった女子心。過ぎ去った美しい日本の風景である。
2009/10/23
アメリカからゲーツ国防長官がやってきて「普天間移設がなければ海兵隊のグアム移転はない、沖縄への土地返還もない」と強硬に主張しているが、これは要するに脅しであり、昔でいえば砲艦外交である。こういう要求に対して、いわれた国がどう対応したかは、歴史を開けばいくらでも実例があるし、今でも世界のあちこちでどう対応しているかの実例に困らない。アメリカという国は人権を尊重、民主主義を国是とする国であるが、一歩外に出ると、外国の民主主義などおかまいなく自己主張し、国益を押しつける国である。こういう場合は、沖縄の人たちの人権を守り、負担を軽減する大方針があり、日本の民主主義により政権が変わったので、前政権が交わした同意事項も変更した国際事例があるということを言えば、反論できないはずである。大切なことは国全体、国民全体、メディアもすべて現政権を支持する態度をつらぬくことで、内部で少しでも妥協論や弱気論が出たらかならず切り崩される。この点は沖縄県知事は国の方針に従わねばならない。あわててひきずられず、ぬらりくらりと先送りしていくというのがよく使われる外交手段である。同じアメリカでも国防総省は出先の機関にすぎないから、政府対政府が対等に話し合って決めなければならないことだ。そのための外交カードは今は実に豊富になっている。「日高義樹のワシントンリポート」がさかんに対日世論操作をしようとしているが、日高氏はハドソン研究所というところで働いていてアメリカの共和党系、しかもネオコンの本拠のようなところのスポークスマンをやっている人である。いったいどういうつもりでアメリカのロボットになっているのかわからない。
2009/10/22
私が土木建設関係者から聞いた話ではほとんどのダムは不要とのことであった。50年くらい前は治水の必要性と公共事業の絶対性が論じられたことと、予算があったことから全国のダム建設が計画され、建設が進められてきたが、その後時間がたつうちに中下流域の水田、工業用水、家庭消費などの水需要が減り、ダムによる水がめづくりの必要性はほとんどなくなった。しかし、予算があるのだからやればいいではないか、というだけで進められてきたのが実態である。しかし、住民の反対が激しいところでは、合意までに20年以上かかり、合意した後、住民の移住地区の合意、家屋の建築などでさらに時間がかかった。主に中小ダムで住民の反対が少ないところでは予算がどんどんそっちに回され、5年くらいで完成している。今度のダム建設中止で八ツ場ダムの激しい住民反対が報道されているが、不思議に思うのは、中下流の市町村、自治体、住民から水がこなくなったら困るという苦情がほとんどきていないことだ。きているのは、分担金をどうしてくれる、返せ、という苦情だけである。ということはダムはなくてもいいということではないか。これまで膨大な金を使ったのだから、作れというが、ダム建設が当初予算の二倍以上の費用がかかっている事実から追加予算がどのくらいになるかは、予想もつかない。したがって問題は、国に振り回されて被害を受けた住民の保障をどうするかに絞られる。本当にダムが必要かどうかは、利害関係者をはぶいて、純粋な第三者の専門家が判定し、どうしても水需要の関係からつくった方がよいとの結論が出たら作ればいいし、その必要がないとの結論が出れば、地元の方も納得してしたがってもらうしかないのではないか。
2009/10/19
この前、お金が回らなくて困っている中小企業とか突然の失業でローンの返済に困っている人を救済するためにお金を余計刷ったらどうかということを書いたが、あまり刷るとインフレになるおそれがあり、どこまで可能かと思っていたら、高橋洋一氏の本を立ち読みしてわかった。80兆以上刷るとインフレになるおそれがあるが、75兆円止まりだったら大丈夫だと書いてあった。この人は大蔵省の理財局とか証券局とかその関係の研究所にいた専門家だから間違いあるまい。そんなに軽率な話ではなさそうだ。しかし、貨幣の発行権は日銀にあり政府はできない。政府ができるのは硬貨つまり金属製のお金だけである。今、いちばん大きい額の硬貨は500円だが、小渕政権の頃、5000円硬貨というものが確かにあった。ここのところの金融危機をのりきるためには、困った人への救済部分だけでも1万円硬貨を発行したらどうか。また寺島さんが、これから日本が食っていく産業を創設するために新産業のプラットフォームを作らねばならないと力説しておられるが、そのための初期費用は10兆円くらいでいいそうである。だったら、こっちの方もこれでやったらどうか。アメリカはデフレを直すにはインフレにすればいいとして通貨をジャブジャブ発行して不良債権を買い取り、金融危機だけはなんとか乗り越えた。財政局とバーナンキというFRB議長がうまく連携しているが、我が国は通貨の番人である日銀が堅すぎてどうにもならないという話である。民主党が95兆円という過去最大の予算をつくり、国債発行も辞さないことになったが、いままでならかならず評論家の面々が反対したが、今回は賛成派が多数である。東谷暁氏の新書も立ち読みしたが、巻末に日本のアナリストの評価番付がしてあった。例の5角形の能力表である。私は予測的中率だけみたが、あんがい当てる人は少ない。普段えらそうなことを言っている人でもそっちはだめなのをみてナーンダと思った。
2009/10/17
今の政治家で小沢一郎ほど変化を作り出す能力をもった政治家はいない。外国でも日本に小沢ありとあまねく知られている。しかし、人気となるといま一つだ。純粋さが好きな女性は好まないし、伝統エリート層は小沢を文句なしに嫌う。東大法学部を出て官僚出世を果たしたり、育ちのよい家に生まれて銀行家になったような人たちがそうである。。小沢は田中角栄の一番弟子だ。田中は佐藤栄作まで続いた官僚政治家のあとはじめて民間出身でしかも土建屋、小学校しか出ていない学歴で見事にのし上がった。このために官僚や財界のおえら方を手なずけるために大変な努力をしなければならなかった。官僚には課長級までつけとどけをしたり、飲ませたりした。しかし日中国交回復の大きな仕事をしたり、日の丸石油をつくるためにソ連と直接交渉をはかるなど冷戦の枠を超えるようなことをした。このためコーチャンとかピーナツとかのアメリカの謀略でロッキードのワイロを暴かれ、3年で引きずりおろされた。しかし、もっとやっておれば日本列島改造などチェンジを作り出しただろう。ただあまりにもダーティなイメージを作り出したために、立花隆氏の金脈追及や特捜検察にやられてしまった。あのとき私もそっちの方を喝采していたが、今思うと短慮であったなと思う。その田中が生んだ子どもが小沢一郎である。小沢の最大の功績は小選挙区制を作り出したことである。小選挙区は僅差でも勝った候補者が多ければ政権を取れる。このおかげで自民党は寿命が朽ち果てるまで続けられたが、こんどはとうとうほとんど全区で勝った民主党に政権が移動した。 政治評論家でこんなバランスの悪い制度はやめたほうがいいという人がいるが、もし、中選挙区だったらどうか。民主党260、自民党200くらいだったら変化は起こらない。また自民党に戻るかもしれないとなると官僚や財界も様子見になるが、308対119で、自民党に再起の可能性がないとわかれば、官僚、財界は民主党に安心してなびき変化が起こる。つまり劇的な変化が起こった。政治の世界では何十年に一度、劇的な変化が起こらないといけない。そして劇的な変化は1回起こればいいのである。もし自民党が民主党をひっくり返そうとすれば、もう一度劇的な変化を起こさなければならないが、保守本流だなどととぼけたことを言っている自民党には当分そういう人材も能力もないだろう。
2009/10/12
郷原信郎氏といえば検察畑を長く勤め、特捜検察の位置にあって自民党長崎県連事件でみごとに政治献金の不正を暴き出して成功した元検事である。この方が退官後、「思考停止社会」「検察の正義」という新書を出して、検察の中のことを書いておられる。こういう良心的で勇気のある人がいて特捜検察の中のことを書いてくださるのはまことに頼もしいことである。最近これほど啓蒙された本はない。3月に小沢秘書逮捕事件が起こったとき、これは近く選挙が行われ、しかも政権交代して新内閣の首相として小沢一郎氏がつく可能性が非常に高い時に、小沢秘書をの政治献金不正記述容疑で逮捕し、結果的に小沢氏の代表辞任をもたらしたのは政策検挙ではないかと私は思ったのである。それで新聞でこの事件を批判しておられた郷原氏の講演会を開き、著書も読んだ。それで非常によくわかったのである。結論を言うと、西松建設がちがう政治団体(社員と家族を会員にしてつくった政治団体)の名で小沢氏に2003年から2006年の間に2100万円を献金した。これはヤミ献金(一切報告しないのでワイロ性がある)とちがい、きちんと表に出して報告していた。しかし、大久保秘書が西松建設からの金であることを知っていながら、その名を記入せず、他の団体名で届けたのは不実記入であるとして逮捕したのである。しかし、政治献金規正法によれば寄付を行った者の名前が外形的に記載されておれば、それでよいというのであるから、違反だとする根拠は薄いと郷原氏は言う。しかも過去の事件であり、献金額も自民党にくらべて10分の1の少額であり、野党の党首である小沢氏に出しても効果は薄いなどからして、従来の検察の方針から言えば、逮捕などはあり得なかった事件だという。したがって日本歯科医師連盟が故橋本派に対して1億円のヤミ献金事件で現場に同席していなかった村岡氏の起訴だけに終わった不手際から、焦ってやったのではないかと郷原氏は思ったという。特捜検察といっても内部は法律とか社会の事情がわかっていない人がいるらしいので、あまり神聖視しないほうがいい。特捜検察といえば正義の味方、社会の悪をどんどんこらしめてくれる国民のホープであるといった英雄視が定着しているが、特捜検察といってもお上のひとつであり、官僚である。なのにこの官僚だけは水戸黄門であり、大岡越前守だった。なぜこうなったかというと、もう50年くらい前の佐藤内閣のときの造船疑獄を思い出す。あのとき特捜部が収賄側を追い詰め、いよいよとなっとき法務大臣が指揮権を発動してこれ以上の捜査をやめさせ、巨悪をすくったような報道が行われた。あのとき法務大臣がシキ剣という刀でみごと検察をたたき斬り、法務大臣の後ろ側に佐藤総理大臣とか造船会社の社長などがすがりついてよろこんでいる政治マンガが新聞にのったが、あれ以来、特捜部は正義の味方というふうになった。後に当時の検察、法務省にいた人が実名で回顧しているところによれば、あのとき検察の捜査がゆきづまって起訴が困難になり、このままでは検察の権威が失われるおそれがあるというので、検察からお願いして法務大臣に指揮権を発動してもらったというのである。法務省というところはほとんど検察出身の人で成立っているそうだからそういうこともありえたと思う。したがってこのとき以来、特捜検察は正義の味方、最強の権力というイメージができあがった。逆にいえば選挙で選ばれて法務大臣についた者が悪者になってしまったのである。郷原氏がいうように、最終的な権力者は国民であるから、その国民の代表者の一人として法務大臣になった人が特捜検察を指揮するのが正しく、指揮権はそのためにあると思う。特捜検察といえども国民の手足であるから、不正なことをするような政治家は特捜検察に頼らず、次の選挙で落とすのが正しい。どんな政治家でも選挙でえらばれた人である以上、官僚機構である特捜検察に始末させず、国民が選挙で始末するほうが理にかなっている。
2009/10/12
台風一過、すがすがしい秋晴れ。台風は思ったほど強くなかった。庭の木が倒れはしまいかと思って急きょつっかえ棒で補強したが、その惧れはなかった。明日は秋を観に山に行こうかなと思う。台風の前夜、佐々木俊尚氏の講演を当会で行った。「2011年新聞・テレビ消滅」という文春新書の書名をそのまま頂いたわけだが、まさかあと2年で消滅するとは思わないが、新しい形態に変化(ミドル化)するという話であった。新聞もテレビもマスを対象にして発達したが、実際の読者はミドル化しており、そういうミドル化した塊の読者や視聴者にターゲットしないと広告も集まらず、自滅していく。ミドルというのは、マスほど多数者でなく数千人から数万人単位のある専門や趣好の人たちで、そういう人たちをターゲットするとどういう形態の媒体になるのか。たとえば大新聞などはいくつもの多種類の紙面をつくってターゲット化する。テレビはオンデマンドになって任意の番組を取り寄せてCMを飛ばして任意の時間で観るようになる。インターネットでいくらでも面白い番組を見られるようになると、今のテレビ編成局が作る番組はばかばかしくて見る人はいなくなる。新聞のニュースは新聞社のホームページを開けてみる人よりもヤフーニュースでみる人が多くなる。ヤフーでは各紙のニュースが横並びで出てくるが、その場合に記事の軽重は無視され、優先順位もなく羅列的に出るだけである。そうなると新聞社がもっているニュースの優先順位の選択能力とか編集権というのもがきかなくなり、新聞の権威が落ちてくることになる。したがってマスコミ各社が勝負をかけてくるところはコンテンツの良さになり、ジャーナリストが腕にものを言わせた少種で質の良いミドルメディア紙が生まれる可能性があるという話であった。オバマ大統領がノーベル平和賞というのは予想せざる話だった。核廃絶に向けた姿勢が評価されたといえよう。それにしてもオバマを誕生させたネット世代のパワーは大したものだ。ネット世代に対してこれまでネガティブにみる見方が多いが、過去の人類の中で最も賢明な世代だという説もある。私が注目しようとしているのは彼らが世界の人口の過半数に達したときには戦争はなくなる、という説である。これは興味深い。
2009/10/09
日曜日は、秋を見つけに高尾山まで行ってみようかと思ったが、午前中は曇っていたので、午後東大農学部近くの竹久夢二館に行く。昔の少女雑誌などが並べられた部屋があった。元少女のおばさん、おばあさんが詰めかけていた。中原純一のひまわり画が壁一面をうずめる。竹久夢二はやっぱりいい。夢二は詩を絵で表そうとしたというが、夢二の絵にはそこはかとない哀愁を感じさせる。夢二の女性は、水商売ふう、目が大きくて、ほつれ毛、安ものの銘仙、素足に下駄というイメージだが、私が子供の頃、そういう貧しい出身の女性がいっぱいいたことを思い出す。化粧せず、地味な和服、髪は無造作に後ろに束ね、風呂敷か信玄袋を下げていた。子供をもった母はネンネコでおぶっていた。もう遠い過去のイメージ。夢二って、青白い鬱なやさ男って思い浮かべていたが、写真をみるとごっつい感じである。若い時は車夫をしていたという。これはちょっと予想外。安野モヨコのオチビサンのマンガの原画があった。このマンガは私が朝日をとっている大きな理由の一つで、芸術の域にまで達した傑作マンガだと絶賛している。安野モヨコってどんな人だろう。夢二館の界隈はおちついていて小さな秋があった。東大の構内を抜ける。明治時代、三四郎が通った頃からあるというこの東大の建物は重厚だ。校舎の中はほの暗く、学問をするにはおちついたいい雰囲気かもしれない。しかし、他の大学のキャンパスと比べるとあまりにもちがいすぎる。こんなのをいつまでもブランドにしていいのだろうか。頭のよさそうな学生が銀杏の大樹の下で本を読んでいた。安田講堂の前に出る。40年くらい前、この講堂の屋上を全共闘の学生が占拠して、それを排除する警官隊が下からホースで水をかけ、まるで大阪城の夏の陣みたいな攻防をテレビでみたことを思い出す。しかし今考えるとなんで大学当局は警察を入れてまで排除しようとしたのだろうか。占拠させたままで勝手にさせておいたらよかったのではないか。大学の中のコップの中の嵐。当時の学生は労働者や一般国民とは無縁で、単独行動主義だった。ヨド号、浅間山荘、永田洋子事件で学生闘争は70年秋に終焉する。このときの学生たちはもう60歳だ。
2009/10/06
ネットやフリーランスも記者会見全面開放を岡田外相は記者会見をネットやフリーターなども含む全メディアに開放したというが、うれしいことだ。外務省だけでなく全閣僚の記者会見をすべてのメディアに開放してもらいたい。いろいろな小雑誌ライターもブロガーも参加できるようになると、これはすばらしい民主主義の勝利となる。国民はこれまでしばしば捻じ曲げられた報道や一部の言葉を抜き取って編集したような記事で誤解してきたようなことが、もう一方のネットブログやフリーランス記事でチェックされ、報道の正確さが保たれるだろう。もうひとつ重要なことは、ブロガーやフリーランスはしがらみのない個人の立場から会見場から感じ取り、個人の目線で伝えるようになるということだ。こうなったら、プロの記者は緊張し、より質の高い記事を書くために勉強するだろう。朝日新聞出身の池上彰氏はわかりやすい解説をするので人気が高いが、こうなるには時間をかけて相当の勉強をしてきたはずである。これからはこういうタイプの人が増えてすこし長文でも勉強度の高い解説的な報道を新聞でも雑誌でもネットでも行えば、ずいぶんいろいろなことがわかるだろう。学生や子供たちにとってもこれほどの社会勉強はない。最後に、政府関係者は、フリーランスやネットブロガーにも開放する記者会見の日時・場所を所定のホームページで案内してもらいたい。
2009/10/02
昨日は江戸東京博物館で「よみがえる浮世絵―うるわしき大正新版画展」を見た。アメリカ人のトム・ムラーと云う人が集めたコレクションでその一部が里帰りしたわけだ。浮世絵ふうの絵が半分で、あとは大正風のモダンな新しい版画だった。こういう絵は昭和の初めになってもずっと続いたので、竹久夢二、高畠華宵などの絵やデザインは私の子供のころしょっちゅう見なれていたのでなつかしい限りだ。風景画は近代的な勝どき橋の下を白帆の舟がくぐったりしているが、こういうのは私は実際に見た記憶がある。とくに惹きつけられたのは夜景の絵だった。当時の夜が月が出なければ真っ黒闇で、都界では公園などにポツンとある街燈の下だけがぼんやり明るく、そういうところに女の人がぽつんと立っている光景はそれだけでなんだか一種の絵だった。暗い電燈にぼんやり映し出された夜店の人ごみ風景などもなつかしい限りだ。この絵に書かれたような和服を着た人たちはもうこの世にいないが、そういう人たちの人生があったことはたしかだ。どういう思いで人生を送ったのだろうかと思うとなんとも不思議な気がする。 売店で版画集を買おうと思ったが、「別冊太陽の竹久夢二」を見つけて買う。電車の中や喫茶店でそれを見て感慨にふけった。夢二の最初の愛人はたまきという目の大きい美人だったという。それが夢二の美人画のパターンになった。歌舞伎風の目の細い美人画からこれで現代に抜けた感じになった。もう10月、晩秋である。私は若いころ、いまより感受性が強かったせいか、晩秋になるとなんとなくメランコリックな感じになり、どこからか聞こえてくるかすかなビオロンの音、はらはらと落ちてくる赤く染まった葉などということに少女みたいな感傷にふけったものだが、今、そういうポエムがなくなったことが残念である。しかし、さっき見てきた大正昭和の時代ならいたるところにそういう「詩心」を感じさせるところがあったのだろうと思う。もう詩は詩集の中にしかないのか。詩集を見ても詩がないから、感じることができない。こういう世界にもうずっとひたってしまった自分をさびしく感じた。doki
2009/10/01
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