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自民党の総裁選で河野太郎氏は国会議員票ではわずか35票だったが、地方票では109票もとって予想以上に善戦している。総裁は予想どおり谷垣氏に決まったが、こういう常識的総裁では立ち直りは困難だろう。自民党が民主党をひっくり返すには民主党以上のマニフェストが必要だが、そういう人が出てくるだろうか。まったく違う自民党にならなければ難しいのではないか。あと10年か20年の間に今の重鎮といわれる人たちがいなくなってからのことではないか。亀井静香大臣が、中小企業への銀行の貸し渋り、貸しはがし、ローン返済で困っている個人に対する3年間返済を猶予するモラトリアム期間を設ける政策を主張している。困っている人をすくうためには正義の案である。ただし、銀行は利子収入が減るために反対している。銀行は人に金を貸す商売であるのに、なかなか貸さないのは不良債権化するのを恐れているからだろう。人さまの大事な預金預かっているのだから簡単に貸すわけにいかないというのが銀行の言い分だが、その預金はだぶっていて、ほとんどゼロ金利である。金はダブっているのに金が回らないという不思議な世の中である。経済学をいくら勉強しても教えてくれないことがある。というのはお金をどれだけ輪転機で刷るかというのを誰がどうやって決めるのだろうか。またどれだけ刷ったらインフレになるのだろうか。たとえば、亀井大臣がモラトリアムをした場合、銀行に利子が入らなくなって困るなら、その利子を刷って渡し、一時をしのいだらどうか。円が安くなる恐れがあるが、逆にそれは輸出が増えていいのではないか。アメリカのオバマ政権が70兆ドルの銀行救済をしたが、それは刷ったお金にちがいない。その結果、インフレになったのかどうか。こういうことはさっぱりわからない。経済学者に説明してもらいたい。
2009/09/29
北康利氏の講演「プリンシプルのある男、白洲次郎」をテ-プ起こしてまとめたが、改めて、白洲次郎という男の魅力を知った。白洲ほどではないにせよ、私が若い時分、昭和も40年ころまでは、まれにこういう白洲みたいな人がいたことを懐かしく思い出す。私自身の半生でみても、数人いたかどうか。白洲次郎の名前は知っていても、実際はどういう人なのかよく知らなかった。紹介する記事とか評伝などはなかった。今度の北氏の評伝が当たったのは、白洲次郎のことを実によくあぶり出したからであろう。通産省の戦後の目覚ましい活躍は知っていたが、白洲次郎が通産省を作った男だということも知らなかった。戦時中に軍部政府は日本の電力会社を統制して半官半民の日本発送電という会社を作ったが、戦後はこの会社が解体されて九つの電力会社に分割された。白洲次郎はこの中のひとつ東北電力の会長に就任した。しかし、白洲は電源開発という会社を新しくつくった。これはまるで日本発送電の復活みたいで轟々たる反対が起こった。なぜ白洲が東北電力の会長職にありながら、いまさらこんな発想をするのか誰も理解できなかった。しかし、白洲の本音は外資を導入して大きな発電会社をつくっておかないと日本は電力が不足して産業を振興できないと考えたからだ。実際にこれで外資が導入されて大規模な只見川ダムの電源開発が可能になった。東北電力の会長であった白洲は東京電力から只見川の水利権を強引に奪い取ることで東北電力につくしている。こういうところを見ると白洲は強引で毀誉褒貶の多い男であったことがわかるが、全体をみると、彼の行った仕事がいかに大きかったがわかる。さて、城山三郎の「官僚たちの夏」は通産官僚たちの姿を描いたものであるが、出てくる官僚たちは白洲次郎の相似形みたいに、自分たちが日本を背負っているエースであると自任し、実に冴えた人物たちで国士然としてふるまう。政財界などのいうことなど聴く必要はない、俺たちが日本をみちびくのだという気概にあふれている。傲慢そのものである。民間に対してはものすごく威張っていた。ひところの通産省はMITIとして世界的に有名になった。通産省のマネをして似たような組織を作る国がたくさん出た。しかし、時移って、冷戦が終わり、日本の高度成長がおわると、官僚たちがこういう能力を発揮する機会はなくなり、調整型官僚と言われるようになり、矮小化した。「官僚たちの夏」に出てくる官僚たちは日本の復興と発展期、しかも冷戦の時期と云うきわめていい時期に恵まれた幸運な人たちだったといえよう。今の官僚はそういうプリンシプルもそれを発揮する対象もなくなり、彼らにビジョンを与える政治家もいない。官僚自身の国家目標といってもきわめて漠然としており、数ある官庁をたばねる司令塔もない。自民党にマニフェストがなかったのだから、官僚が何をやったらいいかわからないのは当然である。こうして縦割り主義、省あって国なしの状態に陥ったのは自然の勢いというものであろう。やはりこういうのがもともとの官僚で「官僚たちの夏」のような官僚はもういらない。民主党を薩長、官僚を徳川幕府と考えるとわかりやすい。西郷隆盛と勝海舟が江戸を火の海にするかしないかを談判したというが、要するに徳川家の処遇をどうするかという条件交渉をしたのである。西郷と勝が話し合って決めたのだと思う。民主党が官僚を取り込むにはこれと同じようなことをすればいいのである。明治新政府ができると、新しい国のビジョンのもとに幕府の腕のある官僚は大いにとりたてられた。そして彼らは大いに新しい国のビジョンのもとに働いた。したがって民主党対官僚という図式は、民主党が圧倒的な指導性を発揮すれば、あと2年もすれば、なんでもなかった、ということになるであろう。昨日の夕刊で構想日本の加藤秀樹氏が民主党の行政刷新会議の事務局長に抜擢された。加藤氏はここ7年ほど地方自治体の事業仕分け活動をすすめ、昨年あたりから国の事業仕分けを自民党の無駄撲滅プロジェクトの河野太郎氏と組んで実行した。私も何度かこの会を見学したが、役人のやっている仕事はずいぶん根拠薄弱で無駄なことが多いなあと思った。その仕事をやらねばならないプリンシプルというのも希薄であった。つまり官僚を動かしているビジョンなどというものはないのである。官僚が案をつくって自民党の政治家がハンコを押すというのもうそであることがわかった。
2009/09/25
鳩山首相が訪米して、早速、国連で演説し、CO2削減目標25%を掲げて鳩山イニシアティブと言われている。同時に東アジア共同体という構想を明らかにした。こういう日本の積極外交というのはおそらく戦後初めてのことだろう。中国の胡錦涛首相が早速鳩山首相に会談を申し入れた。鳩山オバマ会談より先んじて会談を申し込んだ胡錦涛のすばやい対応と云い、外交戦が切って落とされたという感じがする。日本は中国とアメリカという大国のちょうど真ん中に居て、しかも自身も経済大国であるという地理的、政治的環境はねがってもない幸運と云わねばならない。米中ともそのマーケットは日本の経済をささえるのに十分な規模にあり、ありがたい存在といえる。日本はこれからアメリカに対しては中国カード、中国に対してはアメリカカードがつかえるのである。日本が東アジア共同体をつくるといっただけで、アメリカではおそらく相当なショックと疑惑が走ったに違いない。一方、中国はそうとう歓迎したに違いない。東アジア共同体といっても、長江以北の北部中国から旧満州地域にかけての開発に日本がどう貢献するかである。それには韓国がパートナーとして加わる。南方にくらべて貧しいこの北部中国の人たちの生活水準をあげることで、日本の将来も開ける。それをどう形にして実減するか。残念なことにはそういう大構想を持った政治家も財界人もまだ現れていないということである。
2009/09/23
政権交代して新しい現実がうまれると、今までの官僚やメディアもこの新しい現実に適応しようとする動きが徐々に起こっている。こういうのを見ていると世の中ってこういうことですこしづつ変わっていくのだなと思う。いかなる勉強よりもためになる。ただ、毎日ああだ、こおだ、これからどうなる、こうなる、という予測とか予想がうるさいくらいだ。新聞は毎日発行しなければならないから、あの広い紙面をネタでうづめるために、記事や論説を作らねばならないだろうが、新聞は発行を一日おきにし、テレビは放映時間を一日10時間くらいにして、コメンテーターもすこし様子をながめるという態度をとったらどうか。この中で、民主党の高速道路無料化は、すごい発想だと感心している。すると、この結果、フェリー業界が客を取られて困っている、新幹線の客数に影響がでる、道路が渋滞する、一酸化炭素の排出が環境問題と逆行する、といった取材記事が早速出るわけである。ここではっきり筋というものがあることを言いたい。道路は長年、膨大な国民の税金で作ってきた。にもかかわらず、一部の道路を除いて交通量はすくなく、利用度は全体に少ない。一方で、日本の交通料金は高すぎる。大阪まで往復で3万円、北海道や九州なら5万円最低かかる。JRは黒字なのは、本州の路線だけで、北海道と九州は赤字で、全体として収益は漸減が続いている。したがって今の料金を下げることはできないという理屈になる。高速道路の通行料はこうした交通の全体系にあわせて設定されているようである。しかし、ここで考えてみよう。東京の親子4人が大阪の実家に正月、盆に帰るとしたら、交通費だけでも12万円くらいかかる。北海道や九州なら20万円である。こんなに高いお金をつかって実家にたびたび帰れますか。だから高速道路通行料を千円にしたらものすごい渋滞になった。ほら、みろ、渋滞だというが、渋滞でもかまわないよ、家族でかわりばんこに運転していけばいいのだからね、という親子の声をなんで新聞は取り上げないのか。とにかく安く行ける選択肢がかならずあるということが国民にとって必要なのである。国民が税金を出してつくった道路で、しかも、自分でガソリン代を負担して、リスクを負って、自分で運転労働をしていくのであるから、普通の乗り物とはちがうのである。フェリーとか新幹線に影響するというのはそういう業界にとっては迷惑だろうが、なにも業界を維持するために国民は交通料金を払っているのではない。このへんのところは、筋というものをいかに大事にするかという話なのだ。
2009/09/22
アメリカが日本に勝って得た最大の戦利品は極東への橋頭保を得たということであろう。特に沖縄はイギリスもフランスも過去のアメリカもそれを得ようとして角遂した歴史がある。これほど戦略的によい位置の島はないからである。戦争直後、アメリカは琉球列島の人種は日本列島の人種と違うことを研究して、これを日本と永久に分離して委任統治領か自国領土にしようと考えていた。しかし、これは沖縄の人たちの祖国復帰の熱情が激しくてとうとう不可能とあきらめ、日本に返還した。いま、民主党は対米密約を調べているが、かならず沖縄返還と引き換えに何らかの密約があったはずである。前回、アメリカは日本を守る意思がないが、基地の占拠で十分ペイしていることをかいたが、日本がアメリカに2度と戦争ができないようにするばかりか、日本の軍備を厳しくて制限して対米軍事依存するしか自国防衛ができないようにしむけ、日本の官僚にそのように固定させたのである。その上で沖縄を自国防衛の最前線の基地にした。今、日本人を最大の思考停止状態に陥れているのは、自分の国の防衛をどうしたらいいのかわからないということである。官僚は自衛隊の防衛能力がどの程度あるのかも明示しない。実際に調べれば近代戦に耐えられない程度のものであろう。しかも軍事研究も兵器生産も不可能であるから日本は自衛能力はきわめて低いと言わざるを得ない。わが国は今後何年かかるかわからないが、米軍基地を徐々になくし、横須賀のような立派な軍港は我が国にもどし、対米軍事依存思考をやめて、自分の国を守るにはどうしたらいいかをはっきり自覚することである。軍備不足なことはあきらかであるから、最低の抑止力保持に必要な戦力をどの程度持つか、戦争が起きないようにするのは、外交であるから、国際外交をどのように進めるのか、国民自身が自国の防衛を考えるようになることが真の独立国の条件であり、日本人が自信と希望を回復できるきっかけになる。自衛隊が我が国の防衛を引き受けてくれる存在であれば、われわれは自国の軍隊として誇りをもって彼らを遇することができるようになる。
2009/09/18
官僚は米軍に日本の防衛を依存し、駐留軍の費用を2500億円ほど負担し、米軍を引きうつけておく選択を行ったが、しかし、官僚は本当に米国は日本を守ってくれるのかということについてずっと疑問を持っていた。歴史の実例をひもとくならば、ある国が一方的に国益を損なってまで他国を守るなどということはあり得ないことだからある。かならず相互防衛同盟でバランスを合わせるというのが対等な国際間の常識であることは外交官なら知らないはずはない。日米安全保障条約は、米国が日本を守る片務的な条約であるが、片務的であるからこそ、アメリカ側からそれを解消する要求があったかというと、そういう動きはなかった。誰か高官がちょっと口をはさむことがあっても、正式にはなかった。逆に阿部内閣のときに、憲法解釈を広げて集団的な自衛権を可能にして、アメリカに日本を確実に守らせようとしたが、アメリカがそれを歓迎する態度を示したことはなかった。こういうことから何を読み取るかというと、アメリカは現状維持で満足しているということである。米陸軍が自国の防衛線の最先端をワシントン州から座間に移したことは、米国の防衛の利のためであって、西半球の不安定な弧への対応のためである。米海軍のほうは第7艦隊が極東の海域まで来ているのであるから、陸軍のほうもそれに合わせたということである。中国のミサイル基地が台湾の対岸に強化され、飛距離が台湾全土を優にカバーしたとき、台湾駐留の海兵隊は台湾の基地を引き揚げて海上に移し、グアムに一部移った。沖縄の海兵隊もグアム移転で日本政府が移転費まで補助している。こういう動きは、アメリカはいざというときには、第3次大戦に発展するようなリスクは避けるということである。日本に対しては、日本本土、沖縄の基地を借りているだけで、しかも思いやり予算つきで十分目的を達していると考えているということだ。さらにいうと、防衛してあげているという錯覚を利用して、いざと云う時には日本から軍事費などをもらうことができるということである。ところが日本の官僚の思い込みはひどいもので、湾岸戦争が起きて、日本も兵隊を出せと言ってくるととたんにびびってしまう。アメリカがいちばん敏感なのは、自国の若者の戦死者が増えることでやがては国内問題に発展するから、外国に出兵を要求する。外国の小国でも100名か200名の兵隊を出すのは、バンドワゴンといって、戦勝した場合の最恵国待遇にあずかれるからである。それを日本の官僚は読み違えて国際貢献に後れをとったらつまはじきされるというふうにあわてふためく。すでにアメリカは日本を守る意思がないのにあたかもあるかように思わせ続けことが実は外交なので、外交とはいかに外国に誤解させ、幻想を抱かせ、必要以上に恩義を感じさせる手口といってもよいであろう。
2009/09/16
冷戦の期間中は、西側の陣営に入っていたほうが有利であるという選択肢を国民は取ってきたが、冷戦が20年近く前に終わった今、そして戦争の可能性がずっと少なくなった今、いまだに日本の中に米軍基地をおいておくことが必要であるかと云うことを論議する時期に来たと言えよう。ある一国が、自己の防衛を他国に依存するということは、歴史的に見て、それは保護国の姿であり、植民地である。日本の国民がそれを望んでいないことは、米軍が駐留することによって我が国の安全が確保されていると真から考えている人はほとんどいないことを考えてもわかることである。もし国民がそれを望んでいるとすれば、国民はもっとアメリカ軍に感謝し、毎年アメリカ軍に対する感謝祭をひらいて米兵をもてなすはずであるが、誰もそんなことを考えたこともない。戦前は街を歩けば必ず軍服を着た将兵があるいていた。どこの家でもたいてい兵隊を出していた。だから軍隊は親しい存在で、休暇で街を歩いている兵隊さんに対して料理屋や小売屋は割引してあげたり、一般人は自宅に招いて御馳走したりしていた。戦争になったら一番初めに戦線で死んでくれるのは兵隊であるから、そういう国民の態度は自然であった。しかし、戦後は軍隊に裏切られたので、国民は軍隊を信用しなくなり、嫌悪するようになった。しかし、60年たった今、誰かが国を守らねばならないのだから、意識が変わらねばならない。吉田内閣、岸内閣、池田内閣など歴代の官僚内閣は、我が国が再軍備を要求されたときに、それは無理だと言って断り続け、米軍の駐留を頼んだことは、官僚の独断だったといえよう。本当ならば、米軍に居てください、お願いしますなどとは口がさけてもいうべきではなかった。官僚は泥をかぶってでも、この際、再軍備はやむをえません、日本の独立のためですから、と国民を説得すべきであったが、そういう苦労を官僚は常に行わない。常に自分たちにとって一番安易な道を選択する。それが米軍の駐留の選択であり、思いやり予算であった。
2009/09/14
約50年続いた冷戦時代と云うものはどういうものだったろうか。占領および勢力圏を固定し、維持するための縄張り争いだったというのが後世の評価になるであろう。冷戦が熱戦に転じるということは巧妙に回避された。縄張り争いの先端で代理的な局地戦が闘われた。それが朝鮮戦争であり、ベトナム戦争であり、中東戦争だった。米ソの熱戦が本当に起こるとしたら、ソ連邦が崩壊したときに、米国がロシア内に侵攻して共産党政府の転覆をはかることが一つの想定だったが、そんなことは起こらなかった。極めて「友好的に」米ロの共存が確認された。ということは、誰も本気で先進国間で核を使った大規模な戦争を起こす気などはないのである。その証拠に、戦後1度だって宣戦布告を伴う戦争などはなかった。アメリカが起こした戦争もすべて議会の承認を経ずに連邦政府が起こした戦争だった。現在の国際秩序を乱すような野心的な小国が台頭してくることを大国や国際連合がつぶす戦争であった。戦争と云うものは、国家対国家の利害が抜き差しならぬ状態になり、国民同士がカッカと頭にきて、やれやれという戦意が高まって起こる、またそのような状態に誘導されて起こった事例は歴史をひもどけばいくつもみられるが、実際にはそういう事態はめったにあるものではない。国境を接していたからといって常に起こるわけではない。戦後50年の冷戦時代は、わが国は西側陣営に属し、米国の核の傘に入って防衛されてきた。つまり米国側の勢力圏内につなぎとめられてきた。資本主義国家であることからもそれが自然であると誰しもが疑わなかった。日本の官僚は積極的にそれを希求し、米国の軍事力に依存して、そのための便宜、基地の貸与、思いやり予算などで2500億円前後の経費を投じてきた。戦後すぐ朝鮮戦争が起こったとき、アメリカからダレス国務長官がきて日本の再軍備をさかんにたきつけたが、当時の吉田内閣は、戦争で痛めつけられた国民は到底再軍備などは嫌い、お金もないから再軍備などはできないといって断り続けた。しかし圧力には抗しきれずに、警察予備隊、保安隊などと名称でごまかしつつ、徐徐に自衛隊を育ててきた。米国とは安保条約を結んで、防衛を依頼し、自衛隊は米軍の補充部隊として位置づけされてきた。さて、歴史の常識に照らすならば、敗戦国はできるだけ速やかに戦勝国の軍隊はひきあげてもらい、独立を確保するよう外交で努力し、戦勝国のほうも軍隊の駐留は経費がかかるから、できるだけ速やかに本国に引き揚げるのが普通であったが、冷戦という時代のために、米軍の駐留が正当化され、米軍の駐留に協力することが我が国の国益と考えられた。しかし、冷戦という時代にあったとせよ、ソ連と中国が日本に攻めてくるという可能性は皆無に等しかった。実際には中国側の方が恐怖に襲われていた。しかし、冷戦構造の固定化がきわめて有利であると考える福田内閣の副総理であった金丸信は米軍に思いやり予算までつけ米軍の駐留の長期化をはかった。
2009/09/12
昨夜は烈烈の人の講演を聞いた。その人の名は郷原信郎氏。島根県のご出身である。理科系で若いということから弁護士志望だったのを無理やりにという形で検察に取られたことから、検察の世界に移り、自民党長崎県連摘発事件ですばらしい働きをされて退官された。いまでは弁護士をしながらコンプライアンスの研究、著述にいそしんでおられる。さて、講演は小沢一郎秘書逮捕事件で、これは重大な選挙前という時期に一方の民主党の代表である小沢一郎氏を政治的に窮地に追い詰める謀略的な検察による介入ということで騒がれたが、郷原氏によるとこの事件は違反事件にもならぬ起訴不能の事件であるという。しかし、民主党がここにきて検察にリベンジ的な人事報復すると、事態は極めて深刻になるからなるべくそういう事態は避けることが望ましいという冒頭の話から始まり、今の社会は法令遵守という魔力のようなものにからみとられて、冷静な頭で考え対処するということがなされなくなった由々しき事態であるということを主に食品違反事件の事例をあげて説明していただいた。それから「検察の正義」という官僚サイドから主に発する正義と云うものが果たしてあるのかどうか、という根本的な話になり、頭のずいぶんと体操になった。コンプライアンスという概念が法令の遵守ということにすり替えられて矮小化されてしまったことが誤りであるというのが郷原氏の一貫して主張するとことである。民主党政権になって法曹の環境も変わってくることが予想される。司法の世界の民主化が進むだろう。と同時に、法律作りがこれまで官僚によって行われ、国民の知らぬ間に次々に法律が作られる。立法府でなく官僚がつくるということ自体を根本的に改めなければならないだろう。思考停止社会ということが郷原氏によって浮き彫りにされたが、もう一つの最大の思考停止状態にあるのが日米の地位協定である。これについてまた述べる。
2009/09/10
民主党政権がいちばんこれから苦労するのは、対米外交だろう。沖縄の基地確保に直ちに強い発言をしたのはアメリカの軍部関係者だった。軍部ならそう言うに決まっている。対米外交は知恵をつくしてじりじりやらねばならない。誰かが北朝鮮外交をみならえと言ったが、ああいう粘りも必要である。これからの対米外交で使ういろいろなカードのポイントは次のようなことだろう。まず、オバマ大統領を当選させたのは、20代、30代のネット世代で、生まれた時からパソコンやIT機器に習熟し、携帯電話で明け暮れてきた世代は今やアメリで8100万人に達している。彼らは25ドル献金をつみあげてオバマ大統領に資金協力し、当選させてしまった。この世代は多方面の情報を自主的に読んで判断し、人種差別はなく、先行世代のように戦争好きではない。アメリカの歴史でもっとも賢明な世代だという(「デジタルネイティブが世界を変える」ドン・タブスコット)。アメリカではジャーナリスト、著名評論家、学者などがネット上でブログをよく書き、これが新聞ジャーナリズムを侵食して、ネットジャーナリズムの発達が異常に早く進んでいるので、ニューヨークタイムスが苦境に陥ってついに社屋を売却した。ネット世代はこういう情報になれてきているので、もっとも合理的な日本の政策を訴えればよい。今後、アメリカの世論は時が進むにつれてかなり変化するとみてよい。もうひとつの対米関係を変える要素は、脱石油である。中東から石油を運んでくるタンカーのシーレーン防衛をアメリカの軍事力に依存しているために、どうしても日本は弱くなるが、太陽電池の活用やサハリンから石油パイプを引いてシーレーン依存度を減らすことであろう。シーレーン警護は日本の海上自衛隊がやればいいと思う。最後に最大のカードは中国との関係である。アングロサクソンの歴史的な政策は日本と中国の間を引き裂いておくことで、この両国が緊密化することは、欧米にとって悪夢だと言われている。したがってこのルートをふさぐために、アメリカのアジア政策は中国とのパートナーシップを対日パートナーシップより常に一歩先行させることにある。なんでこうなるかといったら、一晩考えたらだれでもそう思うはずである。日本は経済的にもアジア依存がどんどん深まり、北アジアの経済がだんだん一体化してくるであろう。だからといって日本はアメリカを離れていいはずはない。アメリカは実にいい友好国だからだ。アメリカとユーラシアとの間合いをうまくとるカードを使うには、日本の人全体が猛烈に勉強して、ああだ、こうだ、言うことなく協力することである。
2009/09/04
近く勝間和代氏に取材するので、今勝間本を数冊買ってきて読んでいるが、どうして勝間本が売れているのか理由がわかった。これを買って読んでいるのは女性が多いだろうと思う。ビジネス書を読んでいるのは、勝間以前だと、新入社員などの男性の若いビジネスマンだと相場が決まっていた。女性社員はビジネスにはかかわらず、小説とかエッセイなどを読んでいるのが普通だった。女性は芸術だとか生活方面だとかではずいぶん頭角を表している人が多いが、ビジネスの分野では男の天下で、私の現役の頃は、女性は男性の補助部隊、勝間氏のいうコモディティ(いくらでも代わりがきく、人件費も安く便利な存在)であったが、最近は次第にビジネスの分野でも女性管理職が増えたりして、男性と対等になりつつあるということなのであろうか。しかし、まだまだ、女性にチャンスを与えない企業、官庁が多いことは事実であるが、流れは男女平等に向かっているのだろう。こういう中にあって、勝間氏は成果にシリアスな外資系企業の中で18年は働いてきて、鍛えられ、ものすごく実力をつけた人で、その成長経験を今度は女性社員に手とり足とり懇切丁寧に、あなたも覚悟次第で生まれ変われるのだと教えているといった感じである。同じビジネス書を読むなら、女性は男の書いた本より、女性の目線で書かれた本を選ぶだろうと思う。だから、勝間本が売れたのは、これまでビジネス書を買わなかった女性が大量に買うようになったからだと思う。勝間氏はまさに女性の救世主で、彼女の書いた本が次々にバイブルのように読まれている秘密はここにある。そういえば、民主党の女性議員が大活躍して大量に当選した。これも勝間本の影響だともいえようか。
2009/09/02
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