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村上春樹の「1Q84」をよむ。いつもながらあやしい世界にひきこんでゆく表現の巧みさ、感性の豊かさに驚嘆する。女性の描写にかけては天下一品である。しかし、2巻をよんで結局何を言おうとしているのかがわからなかった。そこで強引に私の解釈にこじつけると、1984年というのはオ-ウエルがよく引き合いに出されるが、実際のこの年はこれといった事件は起こっていない。しかし、今考えると世の中の変わり始めの胞芽が現れ出した年だといえよう。レーガン、サッチャーが政権をとり、新自由主義がはじまった年である。日本で中曽根内閣がそれを始めた。イギリスではサッチャーが国営企業をつぎつぎにつぶして民営化し、労働組合を抑え込み、福祉予算を削いだ。アメリカではレーガンが猛烈な軍事力を強化してソ連を抑え込み、とうとうソ連を解体に追い込んだ。日本では中曽根内閣が国鉄を民営化して、総評の中核であった国労をつぶすことに成功した。小さな政府、民営化、規制緩和で日英米が進んでいった。1985年にプラザ合意があり、1ドル360円が1ドル200円くらいになり、円高不況というのを経て、過剰言流動性が行き場を失い土地・不動産に流れ込んで異常なバブルになる。そしてそれが4年後にしぼみ、失われた10年が始まる。新自由主義は小泉内閣で頂点に達し、郵便局が民営化される。いちばんひどい結果になったのは、国内の格差が著しくなり、3分の1の国民の年収が200万以下になってしまった。中小企業は軒並みダメになった。柄谷行人氏の本でいろいろ勉強させられた。新自由主義のこわさは、権力に対抗する力をもっていた中間勢力を一掃したというのである。国鉄をつぶしたことでそれが中心にいた総評がダメになった。学生運動、左翼団体、消費者団体、女性団体、部落解放同盟などが無力化した。創価学会、公明党も自民党に取り込まれてしまった。そういえば、小泉内閣のとき、中2階にいろいろな政治家がいたが、抵抗勢力と言われて、姿を消してしまった。柄谷氏はこういういろいろな勢力がいたほうが民主主義にとってはよいのだと言っている。1Q84にもどると、この小説で2人の主人公に月が2つ見えるようになる。二人とも愕然とする。ある知らない運命によって、有無をいわせず、ある世界にひきずりこまれてしまったことを感じる。この感覚は今私たちが感じている感覚と同じものではないのか。いつのまにか、アメリカが没落し、世界は無極になった。いきなり不況に追い込まれた。これからどうしてよいか、すぐにはわからない。袋小路に追い込まれた感じである。村上春樹はこのことをいいたくて、この小説を書いたのだろうか。
2009/06/29
世の中、すごい乱世、なにがあるかわからない3年前までお笑い芸人の一人だった人が今自民党の鼻づらをひっぱりまわしている。こういうことを乱世に乗じるというのだろう。今、自民党の中はしっちゃかめっちゃからしい。北海道と九州は自民党全滅の可能性があり、九州人に自民党の見直しをさせるよすがに東国丸知事を利用したいらしい。それで比例区を増やして自民党の大物を助けるネライとか。このために利用される東国丸知事が今度は自民党を利用しようと自分だけの野心を燃やす。つぶれる自民党に今から入るなんていう手合いは論外というものだ。25日の毎日新聞論説委員の岸井成格氏はテレビでおなじみだが、さすがに新聞記者だけにいろいろ政界の裏話や過去のエピソードなども交えて面白かった。最後に彼が強調したのは、サウジや湾岸諸国が自分のところは原子力発電をつくって石油は売るだけにするというのは、もう石油の埋蔵量が減ってきて、それが一部に公表されたらしい。あと何年か。20年そこらかと別のところで聞いた。だからエコ、エコ、というのはなにも地球環境問題からきているのではなく、こっち側からの理由が強いからだ。石油がこんなに高くては、産油国の政策に振り回されては輸出産業がなりたたない、という危機感である。だから太陽発電、電気自動車、燃料電池などへの流れはもはや次期産業として確実になったといえよう。車検をした。かかった経費は約8万円。自動車税3万円払った以外にまた重量税23000円もついて居る。なんでこんなに自動車の税金が高いのか、しゃくに障る。こんなに取るなら道路ばかりつくらずに電気自動車、燃料電池車の開発に注げ!。ぞろぞろいやがる道路族、道路にぶら下がっている官僚OB、こいつらを早く一掃したい。
2009/06/28
昨日、虎の門の日本財団で民主党による「国の事業仕分け」を傍聴する。仕分けの対象になった事業名は国土交通省の合同庁舎整備、財団法人道路保全技術および農林水産省の農地集積加速化事業、農村振興整備事業費補助の4つである。仕分け人は民主党のソウソウたる若手メンバーが顔をそろえた。福山哲郎、長妻昭、細野豪志、前原誠司副代表など。これに地方自治体の職員など。私の興味があった農林省の農地集積加速化事業についてのべると、ご存じのように、農地法改正で株式会社などの法人が農業に参入できるようにしたことによる事業である。航空写真で配られたある地域の農地所有別色分け図によると、所有者がバラバラでまるで色とりどりのカードをテーブルにぶちまけたように所有地が入り混じっている。同じ所有者の土地が7キロも離れて飛び地になっている。やはり1か所に集積して同じ耕作者に効率的に作業させるために、高齢者や耕作放棄者に土地を貸し出してもらい、10aあたり平均15000円の補助を最長5年間与える。一方、農地利用者に対しては、賃借料をまとめて払う場合に必要な資金を都道府県農業公社が無利子で貸し付ける。また農地をまとめるための交渉員に活動費を与えるというものである。平成21年から25年までに合計約3000億円をかけて、平成27年までに日本の農地の7割を集積するのが目標である。議論は、これは基本的には非常によい案であるが、米の値段が下がっており、増産すればなお下がる可能性があり、はたして集積しても耕作者がペイするかどうかはわからない、また、具体的な可能性の試算に積み上げられた計画でなく、かなりずさんな机上プランであることが指摘された。やはり受け手である耕作者側に厚い配慮をしなければ空論に陥る可能性がある。この辺をもっと詰めないかぎる事業案はノーということになった。もうひとつは、農村振興整備事業費補助の事業で、つまりお百姓さんが働きやすいよう、生活しやすいよう、農業施設、排水路、農業用水路、ため池、農道、ほ場整備など農業生活基盤と生活環境の一体的整備という名目で地元の農家にアンケートして要望をつのり、それを審査官が審査して合格したら、350億円かけて国が補助金を50%出し、市町村も50%出すという事業である。これは、こんなことまでいちいち霞が関の中央官僚が介入するのは時代錯誤もいいとこで、地方に財源を与えて、全部まかせたらはいいではないかということで、チョンになった。官僚という人種はどうして補助金という道具をつかってこうまでも口を出し、関与したがるのか。やはり自分たちの仕事を確保したいからであろう。さて、民主党の事業仕分け能力は見て居て、大変事業内容を調べており、きわめて妥当な結論を出していた。対する官僚側は、きわめて計画がずさんで机上プランそのものという感じがした。圧倒的に仕分け人側の勝ちである。私は民主党の政権担当能力は十分備わっていると感じた。自民党の河野太郎氏、亀井善太郎氏なども無駄撲滅プロジェクトチームで大いにやっているが、悲しいかな自民党から孤立した少数集団である。一方民主党は全党をあげてやるようだから、この違いは大きい。今朝の新聞で民主党の菅さんが、官僚から政治的な職務をそぎ落とすこと、官僚は敵ではなく、役割分担するパートナーであると言っている。要は政治家側がいかに勉強して国政の隅々まで知悉するくらいになれば、官僚に根回しされて操作されるようなことはなくなるわけである。構想日本の加藤代表が最後に挨拶したが、ここまで引っ張ってきた彼の努力は政権交代でおおいに実ることになろう。
2009/06/24
昨日は、今鉄道ものでブレークしている作家の野村先生を小田急のロマンスカーの展望車で取材するというまことにユニークな企画に参加した。野村先生の興味津々たる話はいずれ本になるから触れないが、終点の小田原で会員の石川均さんの出迎えを受け、二宮神社にお参りした。神社は亭々たる巨木の緑が境内を包み込むようにして森厳そのものであった。立派な青銅製の鳥居の奥に重厚なやしろがあった。そのあと、報徳博物館で展示品の説明を受け、理事長の草山昭氏からいろいろ話を聞いた。二宮尊徳は今、ブラジルや中国の一部で大変評価され、日本の思想を調べる学者が研究対象にしているという。さて、この二宮金次郎のたきぎをかつぎながら本を読んでいる銅像は戦前全国の小学校に安置され、修身(道徳)の教科書にいちばんでのっていた人物である。貧しい農家に生まれ、早くして両親に死なれ、他家に預けられて、一心不乱に働きながら勉強し、悲願の家を再興した。寺子屋にも行けなかったために、砂の上に字を書いておぼえ、勤勉努力、長じてからは、大名・旗本の財政再建や農村の町起こし村起こしに一身を捧げる。まことに模範的な人だったから、文部省が皇国教育、臣道実践のシンボルとしてとりあげ、全国の小学校にくまなく銅像を建て、子供たちに二宮尊徳のようになりなさいと教えた。戦後はその反動で、敬遠されるようになった。いま、60年たって、昔の呪縛が解かれてようやく純粋にその人物を見直そうという動きが出てきたといえよう。さて、二宮尊徳の思想は何だったかというと、草山さんによると、50%が神道、25%が儒教の仁義礼智信、25%が仏教の慈悲だという。しかも中国などが注目するのは「推譲」の思想だという。この「推譲」こそが神道から来ているのだと思う。では神道とは何かというとよくわからない。説明してくれる人がいない。このごろ、私はよくわからないことがいいのだと思っている。なんとなく奥がありそうだ。清廉潔白、いさぎよさ、気風、是非をわきまえる、凛とした雰囲気、などがそのムードである。一つにしぼるなら、無私無欲。公に尽くすボランティアの精神。まあ、天皇陛下が漂わせている雰囲気を思い浮かべればよい。丸山政男が無限抱擁といったが、アレである。尊徳は農民出身であり、金銭感覚も秀でたものであった。武士のように金銭をいやしむようなことはしない。だから経済人にも通じる。このごろ、経済に倫理の軸が必要であると多くの人が言うようになった。日本人のオリジナル、よさを経済に生かすことが必要である。でもしばらく行かなかった間に小田原市のたたずまいの立派になったことに驚く。名物のあじの干物とわさび漬けを買って帰る。
2009/06/22
18,19日は関西旅行。東京駅で池中万吏江さんと待ち合わせて、大阪の民族博物館で溝江玲子さんと3人で梅棹忠夫先生に会う。お元気で何よりだった。池中、溝江さんと昼食をとり、歓談した。この二人が意気投合したのをみてうれしくなった。夕方、鈴木博信氏と夙川で食事し、西宮北口のモールで遅くまで談論風発。実に快適な旅だった。70過ぎて発想が柔らかくなり、すごく伸びている人がいる。鈴木氏は「成熟が若さを創る」というヘッセの言葉を教えてくれた。私はこう考えている。現役から解放されて本を読む時間や考える時間が多くなったこと、従来なら60代で死んでいた人が長生きした結果、60代までに能力をのばせずにいた人がようやく機会を得て、遅咲きの開発を成功させ、成熟の文化というものを創り上げていること、などであろうと思う。さて、水野和夫氏の講演から得たヒントを書くと、今度のアメリカ発の金融危機で、日本は当事国でもないのに輸出が急減したことで多大の被害を受けた。自動車20兆円の輸出が10兆円減り、電気機器17,8兆円が8兆円減り、40兆の輸出が20兆になった。水野氏によればこれは資本主義の異常性が糾された必然的な結果で1974年レベルの生活水準に戻る、これで満足して暮らすか、すこしでも輸出を伸ばすには、新しい輸出品を創るしかない、という。経済産業省の「知的組み換えの衝撃」というレポートによれば、ホンコン、中国、アジアで日本の女性系ファッション雑誌が翻訳されてよく売れており、上位4つの日本系ファッション誌が55%も独占している。現地の女性はこれを見てファッションを買っているので、日本もアパレルファッションでイタリア、フランス並みに5兆円くらいの輸出を稼げるのではないかという。これからは、何でもかでも可能性のあるものを発掘して中小企業をグルーバル化していくのが手であるという。ここまで考えが及んだ時、例の117億円もかけてつくる文科省のメディア殿堂は、役人の管理をやめさせて、その分野の民間人に渡し、ファッション、マンガ、アニメ、CGなどをグローバル発信するセンターにしたらよいのではないか。
2009/06/22
5月12日に行った水野和夫氏の講演テープを起こしているが、いろいろ示唆的なことがあった。水野氏は今度の大恐慌が終わった後、どうなるかを予測した話をした。地球人口60億のうち、13%の人口の先進国が豊かな国になったわけだが、それには1600年頃から400年かけてきたわけである。これは近代化のたまものだった。しかし、その条件としてのこりの80%の人たちは豊かになれず、豊かになった先進国に安い原料や労働力を提供(つまり搾取されて)してきたからだが、それが1974年頃から局面が変わってきて、安い原料が上がり、労働力も上がってきた。石油は1バレル1ドルか2ドルだったから、先進国はたんまり儲けることができたが、今は下がっても60ドルである。これからは犠牲になっていた地球人口が50%に減り、さらにだんだん減って行く。400年かけて豊かさに到達した高原のレベルが1974年だった。そこから30年、また先進各国はバブルを演じてさらにあがったが、今度のアメリカ発の恐慌で急落、1974年の高原にもどり、これからはそのレベルの横ばい時代が始まるというわけである。つまりこれ以上は望み薄というわけである。1974年といえば、第1次石油ショック、ニクソンショックがあり、ベトナム戦争が終わった頃。大企業の課長クラスの月給は15万円くらいだった。あのころ、石油ショックで日本は大慌て、もう豊かな生活はお別れだ、という記事がおどっていたから、あの頃でも十分豊かな社会意識があった。だからまたそのレベルに戻ることを覚悟、満足しなければならないということである。水野氏は中小企業の賃金はずっと前から高止まりだから、もうすでに1974年レベルにもどっているが、これから大企業・製造業の賃金も3割くらい下がり始めるという。だから1974年レベルでの生活水準をエンジョイするしかなく、無理して、がっついても、個別に伸びることはあっても全体では骨を折るばかりになるという。日本の輸出は自動車が20兆、電気機器で17,8兆あったが、これからはそれぞれ10兆円しか輸出できなくなるから、他の産業でカバーするしかない。水野氏は有望な産業にファッション産業をあげた。この産業で5兆円の輸出の可能性があるという(つづく)
2009/06/17
私がサラリーマンをやめて独立した3年後、第一次オイルショックに襲われてたちまち商売がお手上げになった。売掛金は回収できず、金を持って逃げられる、などでとうとう破たんし、魚などの冷凍品の引き売り商売に切り替えた。これをほぼ4年半やったけれどもあれほど苦労したけれども、あれほど人生のいろいろな意味を考えさせられた時代はなかった。小売商売をやっていちばん嬉しいのはお客さんがワンサとやってきて、たちまち売れきれてしまうようなときである。しかし、お客さんがポチポチとしか来ず、仕入れた商品が余って、これをどうしようかと心配するときの苦痛は一番こたえた。セミナーなどの企画実施をするときも、何といっても会場に入りきれないほどお客さんがきて、会場全体がワンワンするようなときは天にも上ったような気持である。逆に閑散としてしまって、こんなに少なければ講師も熱が上がらないだろうというときはがっかりである。何をいいたいのかというと、つまりやる気が出る、元気が出る、というのは、おおぜい客が来るということだ。それ以外にない。これが商売のアルファでありオメガである。したがって商売というのは、いかにたくさんおお客をつくるかということだ。今日の日曜、新宿に出たが、やはりたくさん人が出ていた。これだけの数のお客さんがお金を持っていれば新宿の街は活性化するが、はたしてどれだけ商品が売れているか。いろいろな経済統計や記事などを見たり、人の話を聞いたりすると、やはり不景気で物は売れていないらしい。つまり人々の懐が小さくなっている。それとドンと物を買ってやろうという度胸というか、そういうものがなくなっている。オイルショック前と後、人々の購買態度がどう変わったかと云うと、今考えて不思議に思うことがある。あの頃つまり1960年代、月給は40代サラリーマンで10万かそこら、20代なら4万か5万。それなのに人々はドンと物を買った。家でも車でも無理して買った。5万円くらいの新商品はすかさず買った。若い人は車がほしくてアメ車の中古を争って買った。あとゴルフセット。こういうはげしい物欲が経済を活性化した。今、買う力はどこに行ったのだろうか。買う力をだんだん衰えさせてしまったのは、何かが大きく間違ったのではないだろうか。
2009/06/14
私の義父は甲府で質屋業を70年くらいやって90歳まで生きたが、いつも言っていたことは、金持ちはますます金持ちになるし、貧乏人はますます貧乏になる。そういうふうに世の中ができている、だった。たとえば預金1億円持っている人と100万円しか持たないひとでは1億円もっている人のほうが段違いに得である。いろいろビジネスチャンスはひろがるし、おいしい話がたくさん舞い込んでくる。10億円も持っている人は2億や3億はすってもかまわないつもりでハイリスク・ハイリターンの話にものれるし、うまくいればハイリターンが入ってくる。社会の構造自体が金持ちに有利にできているから、どうしても貧富の格差が生じる。1億円持っている人も100万円しかない人もあらゆる価格は同じである。公平の原則によってである。日本で最初にできた高速有料道路は横浜から東京の等々力までの弾丸道路といわれた道路。吉田首相が大磯からぶっとばすために造らせた。この道路は償却したら無料にする約束で、今では無料になっているかどうかはしらないがそれに近くなっているだろうと思う。当時言われたことは有料高速道路はすべて償却したら無料になる約束だった。それがいつの間にか、プール制にされて通行料金は他の有料道路の建設に回され、通行客は自分に関係のない道路のために支払っている。これと理屈で、私は何十年も東京のJR環状線や中央線に乗ってきたし、私鉄も乗ってきたが、料金が下がったことは一度もない。すでに償却は終わった路線でも、他の路線の建設とか新たな駅舎とかに使われ続けるから下がらないわけで、装置産業というのはすべてそうである。日本の鉄道料は高すぎるといってよいであろう。東京から大阪までの新幹線で往復すると約3万円。福岡までなら約5万円。だから大阪までもなかなか行けない。これが1万円くらいで新幹線で往復できたらもっとたくさん人々が移動するだろうし、地方は活性化するだろうと思う。東名高速、名神高速がタダになれば、大型バスが多数走るようになり人々の行き来は倍増するだろう。つまり会社と云うのは設備の償却が終わっても、料金はそのままにして、もうけつづけ、大きくなるつづけ、消費者は払い続けるということである。これに対して会社はどういう償いをすべきかというと、私は雇用をふやし、守るということである、と思う。これが事業者の社会的責任であり、国内需用を安泰にする道である。
2009/06/12
自民党無駄撲滅プロジェクトチームの文部省所管下の独法、公益法人の棚卸を傍聴したが、官僚側の抵抗はかなり熾烈であった。さて、この白熱した攻防を聞いて居て、私が民間会社にいたときに、自分が考案して推し進めた仕事について上司や他課から文句が出た場合にやはり熾烈に抵抗し、仕事の正当性を訴えて闘ったことがあった。その時の経験を思い出すと、官僚たちの自説を強硬に擁護し、絶対に引かない態度がわからないこともないと思った。しかし、違うことがある。民間会社の仕事は、いくら私が正当性を訴えても、採算があわなくなったら、アウトになり、ヤメロ、と言われたらそれまでよ、という運命になった。役所の仕事は、これと違って、採算が合わなくなるという明確な線引きができないから、やることの意義はあるのではないかという思い込みで続いて行くのだろうと思う。役人の合言葉は「国民のために」である。そのために予算をつけて民間の会社に援助して何かをさせる。おかげでその仕事は民間だけでは成り立たなかったことが実現し、継続する。こういう場合は、あくまでも何年かしたら、需要が伸びて、民間だけでやっていけるようになれば役所の補助はやめるということが前提で行われなければならないが、いつまでたってもその仕事が自立できずに、ずるずると何十年もつづき、民間会社は役所の補助をあてにしてぶらがっているだけというのが非常に多いのである。いったん切ってみろ、といわれたら「その事業そのものが消滅します。予算を切られたら2度とつきませんから」というのがやっている理由になる。ハコモノなら40年もつものとしたら、その間に得た収入で建設費を償却するというのが原則である。しかし、そんなことを考えてつくる役人はいない。もうひとつ、同じような仕事をしているセクションは同じ官庁あるいは他の官庁にある場合がある。そこであそこと統合しろ、というと、役人は猛烈に拒否する。「あそことは設置基準、政策目的が違う」「ああいう古いあまたのところとは一緒になるとこちらの思う通りにできない」。せめて管理部門だけならいいではないかといっても、管理と政策は切り離せない、微妙に違ってくる、と言い張る。このようにして、官庁の中にはつぎからつぎへとセクションが増殖していき、古くなっても廃絶しない。役人はそれこそ自分たちの既得権利、存在のアイデンティティだと思い込んでいる。「国民のために」という自分たちで考えた理屈は、二言目には法律によって正当化されていると主張し、抽象的な美辞麗句をクジャクの羽根のように繰り広げ、メリットを針小棒大的に誇張する。そういうのを聞いて居て空疎な思いがしてならなかった。こういう自意識過剰集団をどうやってコントロールするかが国民の選んだ政治家の仕事である。役人をコントロールできないような政党には投票しないようにしなければならない。
2009/06/11
昨日は自民党河野太郎議員がリードする自民党無駄遣い撲滅プロジェクトチームを9時から6時まで参観した。棚卸の対象は文科省所管の独立行政法人、公益法人で、独法は、国立美術館、日本学生支援機構、科学技術振興機構、日本学術振興会機構、日本スポーツ振興センター、国立大学財務・経営センター、日本芸術文化振興会、公益法人は、日本教材備品協会、民間放送教育協会、ソフトウエア情報センター、新国立劇場運営財団などであった。これらの組織の無駄遣いあるいは存立そのものの意義を、仕分け人と称する国会議員や識者十数名が文科省の担当課長たちに質問をあびせ、評価する仕組みである。昨日のは、仕分け人と対する文科省のお役人の間でかなり白熱する討論が展開され、非常に聞きがいがあった。いちばんケチョンケチョンに叩かれ、廃止を勧告されたのが、例のマンガ博物館といわれた国立美術館。117億円かけてお台場に建設しようというのが補正予算15兆円の中にいれられたものである。お役人側の説明によると、このハコモノ建設は、マンガ、アニメ、CGなどの優秀作品を集めて常設展示し、クリエーターに発表の機会を与え、わが国のこの方面の進んだ技術を世界に発信する基地にするという計画である。年間来場予想数は60万人、入場料平均250円とり、グッヅの販売や会場の貸付などの収入で維持費を賄うという。しかし、高熱水道費、人件費、償却計画などの質問には答えられなかった。またマンガやアニメ、CGのクリエーターの育成についてはまったく計画がないことがわかった。予想通り収支が行かない場合は、国費の支出をあてにしていることがわかった。もうひとつハコモノで叩かれたのは日本スポーツ振興センターのトレーニングセンターの建設費210億円。このセンターはナショナルチーム専用の施設であるが、維持費は、スポーツ団体からの使用量、ネーミング権などの販売などで賄うというが、団体側のスポーツ団体が使用する時間は予想の半分にすぎない。ネーム権収入もJOCに半分与えるなど不明など説明不足であった。ちょっと調べればこれほどの施設は維持が難しいのが明らかなのに、先にハコモノありきでつくってしまう。あとは税金でオンブにダッコという、作ったけれどもあとは知らない。といういつものアレ。このほか、いろいろな公益法人等の話を聞いたが、無くてもいいじゃあないかというものが大半であった。私はこの両者の討論を聞いて居て、官僚の城の堅牢無比、官僚特有の論理を展開して自分たちの既得権をあくまでも通そうとする我執の強さにほとほと感心するというか、驚いてしまった。どうしてこのような性格になるのか、また書くことにする。
2009/06/09
今日は多摩大学のリレー講座で実にいい話を聞いた。講師は財部誠一氏で、演題は「メディアを疑え」。とにかくおそろしいほど今の大新聞、テレビなどのメディアは劣化していて、まったくうそだらけで信用できない。国民はそういうメディアは単なる判断材料にして、自分の頭で考えるしかないという結論であった。そのひとつとして、今のアメリカ経済の破たんはサブプライムローンだという解説がとおっているが、ことの本質は2006年以来アメリカ経済は絶好調でバブルだった。バブルという全体の空気の中で、サブプライムなどといういかがわしいものでも買ってみようという雰囲気が横溢していた。だからサブプライムは最後のクジ的な現象で、それが原因の中枢ではないというのである。日本でもバブルのときは北海道のキツネか狸しかいないような山奥の土地でも将来別荘地になるかもしれないというので、坪千円で何万坪も買った人がいた。それと同じ現象であろう。GMはなぜ破たんしたか。いまごろそれをいうのはおかしいという。2003年の時点であきらかにダメになっていたのに、それを書いた新聞はなかった。GMがなぜ生き延びてきたかというと、たとえば、三百万円のキャデラックを買うと、GM自体が金融会社になってローンする。それで儲ける。買った人はすぐ10%のキックバックがあって、契約したらすぐ30万円の現金が入る。これを餌にして売り、これがほしくてGMにする。車の品質とか性能とか燃費とかに注意を払う人はGMなどの車を買わない。それで6年間持ちこたえたが、ここにきて融資を受けられなくなって破たんしただけの話であるという。しかし、日本の新聞はどれもこれも、GMが破たんしたのは、大きな車ばっかり作っていたからだ、という通り一遍の説明しかしない。これでは説明にもならない。ちょっと調べればすぐわかることなのにである。同じように中国は沿海部分と奥地の格差が激しくなり、それが原因で内乱がおこり、経済が破局するということを誰もがいうが、実際に四川省の奥地に行ってみると、大変成長しており、そんなことはありえないということがわかる。もし新聞社の記者が行って調べれば、こういうことも簡単にわかるはずである。しかしこういう通説がでるのは、反中国、中国ぎらいのイデオロギーがあるから信じてしまう。現地に行かないで勝手に想像とか過去の経験で日本人のモノサシで書いているのである。アメリカ経済はこれからもますます悪くなるという悲観論が根強い。財部氏は、アメリカは日本のバブルの処理を調べつくして、日本はそれに失敗したと分析している。アメリカ経済が来年頃から回復するのは、アメリカ人は何でもかんでも克服するためにやってしまう民族だからだという。不良債権を処理するには、またバブルを起こすしかない。それで札束を大量印刷してインフレ政策に切りかえている。それで石油も60ドルになり、レアメタルの価格も株価もあがってきた。アメリカ人の性格は株が下がれば、それをねらっている人が大勢いて、買いに出る。こういう旺盛な内需のポテンシャルがある。日本人は下がるとあきらめてしまって取引そのものが消滅する。中国人も同じような図太さがある。とまあ、こんな話であったが、世界中を間断なく足であるいて情報を提供してくれる人から聞くのがいちばんいい。寺島さんはそういう稀な、財部氏が信頼している2人のうちの1人であるという。
2009/06/04
今朝の朝日新聞は第一面トップに「図書館、進む民間参入」という記事をかかげている。結構なことだ。総選挙の前は変な政治記事はやめるがよい。国民の判断に影響を与えるような政局記事は報道しないがよい。テレビは北朝鮮の核実験、ミサイル発射の報道をやっているが、大新聞が報道を控えていることはよいことである。テレビのコメンテーターたちは、先制攻撃論、日本核武装論などの先走った感情的な反応を抑える発言をしている。ところがバカな自民党の元大臣が例のごとく先制攻撃だ、自衛隊を増強してアメリカと組んでやってしまえ、というようなことを言っている。そういうことをするなら、国民が宣戦布告の覚悟をして同意する必要があるという辺氏のコメントはよかった。あの田母神さんでさえ軽挙妄動的なことは考えてはいけないと言っていた。北朝鮮は金正日の後継者交替の時期に差し掛かっているが、こういう時がいちばん危ないときである。金正日に対抗的な勢力がどれだけあるかはわからないが、アメリカはかならずそこのところを押しているはずである。ただ、それが見えない。CIAが動いているかもしれない。それで金政権がいらだっている。そういうデモンストレーションだと思って児戯に等しい行為には静観すればいいだけである。さて、図書館の話にもどると、府中の図書館はほんとうに良くなった。よほどの専門書以外はここで間に合う。ここにない本はよそから借りてくれる。私は府中の図書館にはありそうもないな、とあきらめていた本を見つけたときは嬉しかった。読書室のスペースを制限しているかわりに貸出しを徹底している。1回に5冊まで借りられる。ありがたいことだ。そして広い勉強室。パソコンを操作できる席もある。おおぜいの若い人たちが勉強している。図書館は市民の知と憩いの中心となりつつある。府中の図書館は民間委託で有料ボランティアの人たちがサービスしている。運営は資金的に苦しいようだ。私は前からこんなありがたい施設は利用料100円を取ったらどうかと思っているが、図書館法はそれを禁じている。市民の自発的な寄付制度とかを考えたらよいと思う。立川市にある多摩図書館は知的生産の技術研究会の会員である鈴木邦彦前館長がすばらしい試みを実現してくださった。雑誌図書館として全国一の規模になった。絶版になった過去の雑誌もそろっている。大宅文庫をしのぐ立川市の象徴的存在になるだろう。
2009/06/01
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