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今朝の朝日の朝刊、耕論に「デフレとどう闘うか」に岩田規久男氏と池尾和人氏の意見が出ていた。岩田氏は日銀が国債を受け入れて2%の金融緩和、つまりお札を刷ってインフレ政策をやれという意見。池尾氏はまだそこまでいっていない、それより成長戦略を出して国民を安心させて財布のひもをゆるめさせろ、という意見。どちらも一理あり、判定は難しい。このデフレが続けば年収600万以上の人はまだ持ちこたえるが、それ以下の人は相当きびしいところに追いやられるからなんとかしなければならないと思う。今の円高はドル安のおかげで、日本一国で金融緩和してどれだけ100円以上にもっていけるかはわからない。藤井大臣も馬鹿ではないから、85円を切ったら為替介入するかもしれぬ。経済学者の大勢は今は過渡期であるから2,3年、見守る以外にないというところらしい。いずれにしても輸出頼みは日本の宿命で、これまでは米国の浪費にちかい消費に支えられてきたが、アメリカ人も消費態度を変えていくだろうから、対米輸出は減り、アジア依存にシフトしていくだろう。内需はもう増えないというのが通説になっている。大相撲は上位がモンゴル勢に占められ、国技なのにいつの間にか外国人という違和感がなくなってモンゴルはあたかも日本の一地方の感がある。幕下、序二段あたりにはブルガリア、ロシア、カザフスタンの人たちまでたくさん入り込んでいる。これはあたかも東アジア共同体の前兆を思わせる。中国沿海の富裕層がやがて2億人くらいになるだろうから、経済はまぜこぜになるだろう。円が高くなっているから旅行者は押すな押すなである。向こうからもやってくる。日本人はもう慣れっこになっているが、外国人は富士山人気で見晴らしのいいホテルは外国人で満パイである。農業、漁業、福祉は人手が足りない。それでも失業者がそちらに移動する気配はない。3Kの仕事も同じである。だから外国人がやってくる。こういう外国人が内需を補充するという形になるのではないか。松本清張原作の「ゼロの焦点」を観た。60年前の終戦直後の立川が出てくる。あの頃はどん底に落ちた良家の子女がひそかに米軍将校のオンリーになっていた。あの時代から朝鮮戦争の特需のおかげもあったが、14年後には戦前ピークの昭和15年水準に達したのは実にスピードが速かったと思う。あの頃にくらべると今は楽である。国民の3分の2はまだ豊かだし、底力がある。あの頃を思ったら、今の苦労などは高が知れている。
2009/11/29
27日、事業仕分けの午後の部を傍聴する。すごい人出で入るまでに20分もならび、イヤホーンをかりるのにまたならび、黒山のような立見席に混ざって聞いた。聞いたのは、第3ワークグループで防衛省の次の案件である。自衛官の増員要求、防衛施設の用地賃料の水準、基地周辺対策(住宅防音)と(特定防衛施設周辺整備調整交付金、民生安定助成、最後に、駐留軍労務働者の給与水準。事業仕分け人の決定は、自衛官の増員はノー、用地借料は見直しなし、基地周辺対策は、防音対策は要求どおり承認、交付金は一部見直しだった。最後の思いやり予算は全くの当て外れだった。地位協定には踏み込まず、単に米軍施設で働いている人たちの給与高いか安いかの判定に絞られただけだった。基地で働いて居る人は現在25500人で、沖縄県9000人、神奈川県9000人、東京と3000人で、ほぼ集中しており、事務員、技術員、運転手、警備員のほかウエートレス、食堂厨房、娯楽施設などにいる人たちである。雇用主は地位協定では米軍であるが、別途特別協定として、23000人を日本側が負担し、国家公務員給与に準拠して決めている。例をあげれば、東京都が月収37万円、広島県30万円、沖縄県27万5千円である。時給計算だと全国平均790円である。22年度要求額は1233億円、思いやり予算全体の約3分の1である。この問題の複雑さは、駐留軍労務者給与を日本政府が支給していることにより、米軍対日本政府でなく日本人対日本人の問題になってしまっていることである。もしこれを削れば、日本政府と駐留軍労務者間で問題が発生することになる。さらに沖縄では駐留軍労務者と地主が駐留軍に依存しているので県民の利害が対立することになる。さらに基地内の娯楽サービス施設で働く人は本来なら営業利益で雇用すべきであるのに、国民の税金で支払うことになっているのもおかしなことである。こういうことを言い出すと、米国は日本を守っているのは米軍であり、このために日本の防衛費はやすくついている。そのくらいの金を出すのは当たり前であるという論理に押しまくられる。防衛省の説明と事業仕分け人とのやり取りを聞いていて、防衛省というところは並大抵のところではなく、他の役所と違って、基本的にいかなる介入もみとめない、という態度が強硬である。事業仕分け人の質問に対してもああいえばこういうという感じでかわす。これにくらべれば他の役所はかわいいという感じである。聞いていて権力の根幹を担っている役所だなと感じた。
2009/11/27
昨日は市ヶ谷の胸つき八丁の坂をのぼって大蔵省印刷局の体育館に事業仕分けを見に行った。3つのワークグループに分かれてやっているのでテレビでご存じのとおり。大勢の人がつめかけ会場はワンワンしていた。私が傍聴したのは、防衛庁の国際平和協力センターの建設費8億1千万円と国交省の地域以降教交通活性化・再生総合事業43億円、離島航路補助金4億8千万円、バス運行対策費補助74億円の3つの案件。国際平和協力センターとは陸海空の自衛隊がPKO活動などの研修、訓練用のハコモノである。これは廃止になった。あとの3つは全国の交通が、鉄道、フェリー、電車、バスなど軒並み乗客が減って赤字経営になっているのを、足確保のための補助である。この事業仕分けは仕分け人の意見がわかれ、離島航路補助は40万離島住民一人当たり年間1万円かかるが見直しはしないことになった。あとの2件はたとえば、70人乗りのバスに10人しか乗っていないような現状は複雑であり、一部見直しになった。傍聴した感想は、自民党の河野太郎氏がやっていたときからの傍聴をふくめて、ハコモノはまず最初からダメ、いくらお役人が意義を強調しても役人の主観的な主張、パターン化した役人ロマンチシズムとしかみられない。もうひとつだめなのは、お役人の仕事づくり、内部での都合・便益拡張のためとみられるもので、廃止か見直しである。一方、国民へのサービス的な部分は理解がえられ、微調整、一部見直し、あるいは地方自治体への移譲というのが多い。一貫しているのは脱官僚主義である。みていて、官僚もまじめにやっているし、事業仕分け人側もきわめて常識的、建設的で、ツッコミはすこし物足りない気もちさえした。要するに、今年の税収39兆円、支出は90兆円という事態であるから、財務省も必死で、民主党とベクトルが同じになり、両者が結果的にタッグマッチしている。ある事業仕分け人が、官僚が自分のことを「官」といい、「民」とわけて意識していること自体が異常だ、すくなくとも「行政」と言い換えるべきだ、と言ったが、同感。官僚といったって大学を出る前は民だったではないか。いまでも国民の一人であることにかわりはない。だから国民への奉仕は政治家も官僚もベクトルは同じで、特権意識やバトルなどが生じることはあってはならないことだ。
2009/11/24
経済秩序を破壊する行為最近、市場がどこでも安売りに転じているが、安く売っている店には客があつまり、それをマスコミが大々的に報じるから、ますます安売りがはやっている。菅副総理がデフレ宣言をしたが、こういうのはちょっとおかしいのではないかと思う。安く売っているところは、ある商品を目玉として特別安く売り、あるいは極端なマイナスで売って話題をつくって客をよぶ算段にする。広告代わりだ。ユニクロは850円のGパンを売ったら、すぐ他の店も800円で対抗手段に出た。別にユニクロは店が困って安売りしたわけでなく商戦の一手段としてやったのである。これが大きい店どおしの商戦を引き起こし、この結果、他のGパン製造業者でつぶれるところが多く出た。こうして失業者が増える。9000円の上下スーツが出たと思ったら、5000円のものが出た。ここまでしなくてもいいではないか。これが引き金になって同業者はしゃにむに安売りする。小さな店は利益が出ないからますます地獄に堕ちてゆく。こうして社会全体がデフレになる。Gパンなどは800円で売らなくても、リサイクルセンターに行けばいくらでもそういう値段で売っている。強い店は自分の店をはやらすために同業者を地獄に突き落とす。つぶれたところから失業者が出る。失業したら物を買えないから、ますます物が売れなくなる。こういうのは経済秩序を破壊する行為である。店が大きくなるのは不景気の時だという。景気がおさまったときには同業者はあらかたつぶれてしまって、自分だけが独占的に生き残る。それをねらっているのだ。
2009/11/23
標準的なビジネスマンの家庭でとっている新聞は朝日と日経、あるいは読売、毎日、産経といったところ。地方は中央紙1紙に地元紙。1家庭1紙か1.5紙。どの新聞もパッケージといって政治、経済、文化、スポーツ、社会などうちの新聞さえ取っていれば一通り何でもありますというふうになっている。しかし、だんだんこういうのが、変わってくる。あと2年か3年で様変わりする可能性がある。というのは、よその新聞はどういう記事をトップにしているのだろう、どういう面白い記事がのっているのかみてみたい、と思うようになってくる。テレビならチャンネルをちゃかちゃか切り替えればよい。しかし新聞はそうはいかない。若い人で新聞をとらない人が増えている。インターネットで朝日ならグーグルで朝日と検索すれば朝日新聞のホームページがでてきてそれを読めばだいたいわかる。しかし、朝日を見たあと、読売のホームページを開いて見るという人はぐっと少なくなる。たいていの人はヤフーのニュースを開けば主要4紙のニュースがでているから、それで済ます。しかし、それで十分かと言うと、やはり紙で開いてみたいという人もまだたくさんいる。新聞はコンテンツ(内容)にお金がかかる割合は40%、それ以外に紙代、印刷費、輸送費、配達費などが60%がかかる。いまはディスプレーが大きくなっているから、もし新聞社がインターネットでコンテンツを送ってくれば、ディスプレーで見ればよいかもしれない。そうなると新聞代は格段に下がってしまう。もう一つはパッケージの問題であるが、自分の興味がある分野だけ見れば、あれもこれもなくてもいいという人がいる。例えば経済だけといか、スポーツだけとか、文化だけとか、だから朝日経済新聞、朝日スポーツ新聞という具合に分けて、朝日総合新聞プラス好みの分野新聞というふうになればいいと考える人が多くなっている。こういうふうな専門化の傾向をミドル化という。ヤフーニュースをみると、紙にしたらトップ記事になる記事も小さなベタ的な記事も横並びで羅列的に並んでいるだけである。こうなると新聞社がこれはトップ記事だから大きな活字でデーンと出す、それで重要度、優先度を新聞社が教えます。編集者がそう判断しています、という新聞社の目線であるが、毎日のことであるからそれほど大した記事でもないのにトップ記事になっているのをみると、出す記事がなかったんだなあ、という気がする。傾向は、人々は自分で情報を探して読むようにしますから、新聞社はあまり教えてくれなくても自分で判断しますよ、1紙の見方だけでなくいろいろな見方がほしいのです、と言いだしたのである。
2009/11/22
政権が交代するといろいろ世の中のことが変わってくることがわかる。そのひとつがメディアが変わってきたということだ。自民党時代は、メディアは何かと政府や自民党を攻撃したり揶揄したりすることで紙面をにぎわした。私もこういう記事を見て、いわば生理的なストレスを解消していた。しかし、今度は自分が投票して支持した民主党政権ができると、この政権を応援したいから、あまりメディアが足を引っ張るようなことを書くと、不愉快な気持ちになる。今度の政権は単なる政権交代ではなく維新的な、これまでの官僚政治を終わらせるという意味での存在理由があるから、どうしても4年よりずっと続いて、10年くらいの間に官僚の支配システムを根こそぎ終わらせてもらいたいと思っている。国民の多くもそういう気持ちを持っているから、読売新聞の橋本五郎サンみたいに、体育館みたいなところに観客を集めて事業仕分けで官僚いじめはよろしくないなどとは思わない。それは72%の支持に現れていた。五郎サンはもう時代から置いてけぼりだ。したがって過激な週刊誌も政治批判記事が少なくなった。小沢一郎は闇将軍などという小沢攻撃も少なくなった。市井のおしゃべり、噂話で週刊誌はオール新潮かオール文春になりつつある。 いちばん顕著な変化は、私はよく飯田橋の潮社の前を通るが、いままでこの雑誌は民主党か民社党系のリベラルなライターまでが書いていたが、最近はそういうライターが影をひそめ、宗教雑誌にもどったという感じである。こういう時代になるとメディアの編集はやりにくくなるのではないか。ストレス解消剤効果がなくなるからで、下手をすると売れなくなり、面白くなくなるとさらに売れなくなる。こういう悪循環が始まったのではないか。不景気もあるが新聞、テレビへの広告額が激減し、新聞への広告額がネット広告と同じになった。
2009/11/20
原稿締め切りで国立印刷局市谷センターで行われた事業仕分けに参加できなかったことは残念だった。今朝の新聞でだいたい様子がわかった。国民監視の中でやったというが、やはり革命とか維新とかいうのはこういうものだなあと感じた。これで1割以上はもちろん2割近くまでの予算が削減できるだろう。官僚がやっている仕事は、官僚なりに正当性をかかげてやっているのだが、第3者からみた場合に、余計なことをやっているなという印象が強い。中央官僚がある産業を振興、自立させるために一定時期、ふつう5年が多いが補助金をつけている場合が多い。しかし、5年たっても自立できないで担当者が異動すると同時にやめにするか、あるいは止められないでだらだらと延長している場合が多い。こういうのは止める決断するのに相当のエネルギーが要り、結局第3者でないとできない場合が多い。結局、補助金が出るからやっているという形になっている。こういうのが実はたくさんあることに間違いない。事業仕分け人がばっさりやることに担当者は案外期待しているのではないか。しかしそうなると官僚自身の仕事がなくなるという問題が起きてくる。官僚がいちばん恐れているのはむしろこっちだろうと思う。全国一律の規格ということにも問題がある。道路の幅、学校の建築など全国一律の基準がきめられている。山奥の道路まで2車線が決められているので、道路建設には地方自治体も一定比率で負担するが、地方負担はこれにたえられないで補助金は辞退するから地方の案でやると言って、1車線にし、それも路幅を細くして地元の業者を起用したら、5分の1の経費でできたという話がある。学校の天井の高さも20センチ低くしたら数千万円も安く官僚できたという話もある。つまり全国一律という基準が高いものになっている例である。この事業仕分けで、コンクリートから人への政策転換がかなり進むだろう。
2009/11/12
今度の普天間の基地移設についての日米交渉をみて、わが国は実に外交弱者という感をもった。まず大げさに日米関係の危機という言葉を新聞社が報じる。危機とはどういうことなのか。危機になったらどういう悪いことが起こるのか。そういうことは説明しない。自民党の川口順子氏が参議院の予算委員会での質問をみても、「かつてない重大な危機」などと誇大な表現を用いる。こうしてこぞって国内でアメリカ倒れの言論が報じられ、民主党内の各大臣の発言の食い違いが報じられる。大臣間で意見の違いがあることはあり得るわけだが、それを外に出してはいけないことだ。こんな迷走的乱れをアメリカ側がみて、こんな外交交渉にもろい国は恫喝発言でどうにでもなると高をくくることになる。外交となれば与野党、マスコミを問わず国と国との交渉であるから、国益を追求することになるのであるから、国としてまとまらなければならない。すこしでも相手側に足元を見られるような報道はひかえねばならない。アメリカの議会での中継をわれわれはみたことがあるだろうか。外交はたとえ同盟国であってもときにバトル、交渉、つっぱり、じらし、のらりくらり、先延ばしなどさまざまなテクニックがあり得るわけである。帝国主義の侵略を受けた国や弱国はこのテクニックを心得て外交が達者になっている。日本は弱国ではない。堂々とした大国であり、アメリカにとって相当の価値とメリットがある同盟国である。ちっとやそっとのことでアメリカが日米関係が重大な危機などと思うだろうか。むしろあわてることになるのだろうと思う。それなのになんで対等に向き合う自信がもてないのだろうか。ということは日本の外務省や新聞人、評論家、コメンテーターなどがアメリカの話になるととたんにさわらぬ神にたたりなしで、自信を喪失し、弱くなるからである。これはなぜなのか不思議である。
2009/11/11
4日、茂木健一郎氏を取材した。たいへんよい取材だった。冒頭から、僕はずっと独学できて、もう勉強の主流はそれしかないという話から始まった。大学に入っても教えることがすぎてぴったりしない、大学の存在意義が失われている、ノーベル賞を取ろうと思えばインターネットで世界中の論文をタダで読めるから、大学に行かなくても十分だ、という衝撃的な内容だった。今の日本の知の状況はちょうど幕末か明治初めころのような状態ではないかと思う。幕末のころ、全国にこの人ありと知られた本当の意味での学者は数が少なく、しかも全国に散らばっていた。しかしそれでも師を慕って教えを乞おうとする青年は千里を遠しとせず、歩いてやってきた。松下村塾とか適塾とかはまったくの私塾であるが、天下の人材を育てた。こういう学者は、ではどう教えたかというと、まず授業料はタダかタダ同然だったと思う。教え方がうまかったかというと決してそうだったとは言い難い。まず第一にこの人たちは教えることを生業にしていなかったから、教えることより自分で学問をするほうが主で、そのかたわら教えた。だから今日のように知識を網羅的に詳細にカリキュラム化して教えるなんてものではなかった。いきなり原則論とか本質論からぶっていたので塾生はよく理解できないので、塾生同士が、今日あの先生はこう言われたがその真意は何だろうかなどと互いに聞いたり討論したりしていた。キリストの教えも仏の教えもその他あらゆる古今の学問もそんなもので、すぐにわかるようなものではなかったと思う。それであれこれ解釈した。ずっとあとになって真意がわかるというようなものであった。しかし、こういうところから自分の頭できいりきり考えるという訓練と習慣を養った。今の大学にはこういう深く学問を究めたような先生は少なくなった。ほとんどいないと言っていい。大学に入るという本来の意味は、あの大学のあの学部にこういう先生がいるからその大学に入るというのが志ある人の道であったが、そういう学生は今でもいるが、だんだんそういう志を求める機会はなくなった。それで大学に入る意味は就職などでいいメリットを獲得しようというのが目的になった。しかし、いい大学からいい企業に入ったとしても、激烈な能力の競争になり、そういうメリットはやがて無効になる。今の大学のカリキュラムは知識の伝達が主である。しかし今は知識は、インターネットや書物で読むことができる。本当に学ぶ者が求めているような講義はすくないのが現実である。したがって独学というのが、やはりという感じで最後に残る道である。大学などで教えるとすればどういう方向で知を獲得できるかという方法や技術を教えるべきであろう。学生時代は、それほど学に対する熱情とか向学心というものはないのが実情である。学生時代は遊んで過ごしてしまう。しかし社会にでてある年齢にたっするとむらむらと向学心が芽生えてくる。たいていの人が30歳過ぎてからそうなる。しかしその時にはサラリーマンの仕事に追われて勉強などする暇はない。こうしてたいていの人は向学心を満足させるには、定年後までに先延ばしにすることしかなくなる。最近は大学院で学ぶ高齢の社会人が増えているが、ほんとうは社会人をしながらでもいつでも学びのチャンスがあるというのでなくてはならないと思う。私は各大学にいる少数の大物知識人を一般の人でも聴けるように廉価な参加費による知的生産の技術セミナーをやったとき、これは当たってたくさんの社会人が聞きにきた。それからあっという間に勉強会というのが広まった。しかし、青年会議所が10万円という高額の講師謝礼を出すようになったので、私のような零細なセミナーは高額の謝礼を出せず、大物講師は呼べなくなった。この時が知をあまねく普及させるという運動の挫折の始まりだった。私の頃は講師謝礼は大物でも安く、喜んできてくれたものであるが、今はそうではなくなり、会場費も高い。何でもかんでも一般市民を知から遠ざけるバリヤーが高くなった。大学以外の場でいつでも高い知を教えられるチャネルがなくなってしまったのである。
2009/11/08
アフガンがいよいよベトム化してきた。ちょうど20年前にソ連が追い出されたような事態になってきた。タリバーンの兵士の中には相当程度全イスラム地域から来ている者が増え、自爆テロの脅威をもはや防ぎきれない。アフガンの米軍死者822人となり、イラク戦争と合わせると、合計5161人である。イラク人の死者は20万にも達する。アフガン問題はいよいよオバマ政権のアキレス腱になりつつある。一方、アメリカの健康保険問題では無保健者4700万人の保健化問題も暗礁に乗り上げている。アメリカの保健問題は複雑なのでなかなか呑み込めないが、医療の赤字が日本同様深刻になり、無保健者が保健料を払っても赤字を補えきれずに、全体の保健料が上がることが必至だということで猛烈な反対運動が起きているようだ。アメリカの平均的な所帯が払っている健康保険料は年間100万円というから相当な額であるが、これが無保健者が加わることによって、全体の医療費が増え、20万円ほどアップするという試算がされていることが反対の理由だという。なぜこれほどアメリカの医療費が高いかというと、医者の報酬があまりにも高く、製薬会社の利益も大きいからだという。したがって貧しい人がひとたび重い病気をすると、家を売らなければならないか、大変な借金を背負い込むか、死ぬしかなくなる。こんな先進国があるだろうか。ニューヨークタイムスに乗ったコラムでは、日本など儒教圏では昔から貧乏人に対する医療は「医は仁術」という哲学があったことが、医者の報酬が低く押さえられている理由でこの点、儒教圏は立派だと書いてあった。アメリカは何事も自己責任、貧乏は無能の証拠だといい、無保健者に同情する気持ちがあまりにも少ない。オバマがこれをどう乗り切るか。アフガンの問題と合わせ解決すれば歴史に残る偉大な大統領になるが、失敗すれば第2のカーターということになるだろう。普天間の基地を辺野古に移転する日米合意の見直しについて相当過熱している。沖縄の副中心部にある普天間基地は巨大な面積をとっていて沖縄の発展を阻害しているが、中にいるのは宿泊施設とか遊休施設などが多くもともと無駄な空間だった。空軍部分を辺野古に移し、海兵隊のいるところはグアムに移す、グアムへの移転費用も日本がもつという日米合意であるが、60年間も居座ったあげく、あまりにも恩着せがましい約束という以外にない。こんなにも日本が情けなくなったのは、日本がアメリカに守ってもらっているという一部の政治家や言論人などの思いこみがあまりにも強いからである。根本的な解決は戦争が起こらないような世界環境をつくり、アメリカに防衛を依存しないようにするしかない。日本人が自分の国は自分で守るという体制をあと10年かけてもつくりあげるしかない。その間の過渡期は忍耐することもあろうが、日本人全体がそのような意識に変わらない限り日本という国はだめになるばかりである。
2009/11/07
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