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小沢発言は当たり前小沢氏が、米軍の日本関与は第7艦隊だけでよいと言った発言に朝日の社説がかみついているが、新聞社の論説委員がこの程度の認識では、逆に大丈夫かというになる.アメリカの一極支配が終わろうとしているのだから、米軍の日本におけるプレゼンスが後退するのは当たり前の話で、私は、ようやくいい流れがでてきたと喜んでいるのだ.すぐこういうと、北朝鮮のテポドンが引き合いに出されるが、北朝鮮が核弾頭をつけたテポドンを持ちたがるのは弱者の包丁でこれしか頼りになるものがないと思っているからである.しかし、そんなものを使ったら自国の破滅になるのは当たり前だから使えるわけがない.日本国内にもこういう弱者に包丁の人間は巷にたくさんいるが、こういう人間に対処するにはどうしたらいいか、大人なら自分の頭で考えたら簡単にわかることだ.ロシアも中国も核をもっているが、そのことにひしひしと恐怖感をもった国民がいるだろうか.日本人の常識は、向こうが攻めてくるなどということはあり得ないと信じているからである.これはアメリカ軍がいるからではなくて、国家間で深刻な紛争が起こらない限り戦争などは起こらないからである.米軍が日本にいるからそれが頼りだというなら誠に独立国としての矜持を失ったというしかない.米軍は安全保障の一つであり、それには核をもった第7艦隊で十分ではないか.民社党の人などは、一方で、日本はアメリカの属国だと怒っていながら、米軍の軍事力に頼り、自衛隊が肥大したら軍国主義になるとこれまた想像力を拡大して怒っているのは矛盾ではないか.そしてずるいことに日本の識者はこのことを論じることを逃げている.日本は過剰にアメリカの消費市場に依存したまま打ち過ぎて、それが外されたらバラバラになってしまう体質になっている上に、政治も防衛もそうなっているのなら、まるでアメリカ保護領と同じで、そういう国民は植民地根性に堕し、やがては民族の崩壊に至る.サウジアラビアの国民でさえ、アメリカに出ていってほしいと言い始めているのは、ごく当たり前の人間の考えることだからである.私は10年ほど前にアメリカのエンタープライズが来たときに、横須賀の基地に見学にいったが、そのとき、100人位の見学者と一緒に1時間半も待たされたうえ、やっと出てきた担当課長の将校が出てきて「日本のみなさんを我が国の基地にお招きして心から歓迎します」と挨拶したが、その言動で、横須賀の海軍基地はアメリカの永久領土だという意識を彼らがあたり前にもっていることが見て取れた.戦前、私が子供のころ、この基地に連れていってもらって海軍旗のひるがえる軍艦をみて心が躍ったことをあのとき思い出して、怒りがこみ上げてきたのである.日本の大新聞社の論説委員の方は、最高のレベルの知識人であるなら、こういう問題はきちんと考えをもった上で報道をしてもらいたい.
2009/02/28
たまたま1876年から3年続いた中国の山東省、山西省の大干ばつによる被害を調べていたら、被害はおそらく人類史上最大で人口の半分、およそ1500万人から2000万人が亡くなった。1845年から4年つづいたアイルランドのジャガイモ飢饉では100万人が死に、100万人がアメリカ、カナダ、オーストラリアなどに移住した。日本でも1833年から5年にかけて起こった天保の大飢饉では推定70万人が死んだとされる。飢饉のおそろしさは、1年だけで終わらすそれが3年も4年もつづくことである。したがって蓄えも食べつくして餓死してしまう。山西省の飢饉の際の目撃記録は読むことができないくらい悲惨である。当時の中国は鉄道も自動車もなく、しかも山西省は山岳地帯で水路の便も悪かったから、救援の穀物は馬やロバに積んで運ぶしかなかった。ごくわずかな量しか運べないうえ、馬やロバが現地にやっと着くと襲われて食べられてしまい、運ぶ家畜もいなくなった。人々は土地財産を売り払って3倍に上がった食料を買い、女子供を奴隷として売り、野ネズミや蛙、昆虫まで食べつくし、木の皮を剥いで食べ、ついに人肉を食べた。自分の赤ん坊は食べるのに忍びないから、他人の赤ん坊と交換して食べたという。 この悲惨な体験から中国は、まず鉄道を敷く事が最緊急の重要事として政府関係者が自覚することになった。なんでこんな悲惨なことを書くのかというと、ほんの150年前までは、セキリティネットというものがない時代ではこのような悲惨なことが起こったということである。今の中国でもとくに北部では水害、干ばつなど災害がいとまも無いほど、数年おきに起こっているが、さいわい大きな人命被害は過去ほどに起こっていないようである。2009年現在、わが国でも、アメリカの金融恐慌、輸出落ち込みでその被害は派遣労働者を直撃したが、経済全体に被害が広がりつつある。こういうときにどういうことをしなければならないかというと、財政出動もいいだろうが、国民全部でいちばん被害の大きい人たちをまず救うということである。そして失業者を出さないことだ。失業した人は仕事がないから収入がなく、食べていけなくなる。人によっては犯罪に走る人が出るだろう。今、介護や農業など人出が足りないところで、求人の動きがあるが、しかし、あまりにも給料が安いのに驚く。1か月働いても、14、5万から17万くらい。どうしてこういうところにもうすこし金を流して給料を上げようとしないのか。日本人はアングロサクソンとちがって、不況になるとひたすら防備に走り、さほど収入が下がったわけでもないのに、ケチケチと倹約に励む。とくに主婦はそうである。こうなるとますます経済が収縮する。こういうときには消費を減らしてはならない。大金持ち、小金持ちはそれなりの財政出動してもらいたい。物を買え。金を使え。我が家も毎月清涼水を買っていたが、妻が買うのをやめましょうかと言ったが、重たい水を運んできてくれる人の商売を減らしたくないから、やはりつづけようよ、ということにした。日本というところは、金があるところにはたくさんあるのに、それが死蔵されて、一般庶民の世界に回らないということが問題なのだ。これは不況というのとはまた違った問題なのである。
2009/02/25
今日は午後から、国立市の「南の風トーク~くにたち市民討議会」というのを見学した。国立市の南部は20%が農地で、住宅もまばらで、文教都市という誇りある国立市の北部とはかなり違ったイメージで、未開発、新開地というイメージである。この地域をもっと明るいものにしたいというのはこの地域に住む住民の願いであろう。行ってみると、100人ほどの市民が参加していた。6人づつのグループに分け、南部地区を豊かにするにはどうしたらよいかについて討論し、それぞれがカード状の紙片に書いて、それを内容に応じてKJ方式に内容ごとにグループ゚化し、島に囲ってまとめて、その図を各グループの発表者がプレゼンしていた。これは研修などで極めて普通に見る光景だった。重要な書き込みを3つ以上挙げ、残したい意見を1つ書いている。各グループともにかなりこういうことに経験のある人たちだと思った。昨年8月8日から24日まで10回にわたって、国立市による南部地域整備基本計画の説明に対し、10会場で地区集会を行い、合計129名の人が参加し、数百枚のカードに意見を書いた。これを市は項目ごとにまとめてホームページに掲載している。さて、この遅れた未開発の地域の整備計画がどんなものであるかは、よく読んでいないので説明を省くが、今日の討論会の印象について、また書かれたカードを見た印象を述べると、かなり高いレベルの人たちが参加しており、その意見もきわめて成熟したものであることに感心した。このことから帰り道、思ったことは、行政からも情報が十分提供され、地域に定年退職した男女の成熟した人たちがおり、市の行政の在り方については、もう議会などより、市民の直接参加による民主主義で十分やれるのではないかと思った。行政の側でも、市民の参加を得ることでスムースに物事が運ぶのではないかと思った。日本の市民は成熟している! 下手な政治家や議員などより立派だ、と痛感した。昨日の土曜日は、熊本から華道と茶道の先生をしている親戚の女性が30年ぶりに上京したので、兄弟たち5人で迎え、谷中の墓地で八木家代々の墓にお参りした。徳川慶喜の墓が近くにあったので見学した。慶喜は神道に変えたので、墓は御陵を象った丸い石でできていた。隣に正室の墓が並んでおり、後ろのほうに側室2名の墓がちいさく建っていた。またその子供たちの小さな墓も。ガイドによると、慶喜の残した子供は合計40名といわれ、孫になると600名もいると言う。近くに勝海舟の墓もあった。墓に参った後、品川プリンスホテルで和食を楽しんだ。
2009/02/22
ここのところ、知研の総会の準備や他のことにアブソーブしてしまってブログを書かなかった。自戒。昭和記念公園を散策してきたが、そのバカ広さにおどろく。土地が無駄ではないかと思った。最近稲城にできた温泉につかりにいく。わずか900円。すっかり疲れがとれた。 最近、また大臣がつづけて阿呆なことをしでかしているが、もう末期的状況である。まるで歴史のある場面を見るかのようである。しかしマスコミって毎日報道しないと紙面が埋まらないから、テレビは時間がもたないから、新聞記者だとか、評論家のような人たちが書いたり、ああだ、こうだ、麻生の次は誰だ、とかしゃべっているが、結局政局をネタにして騒いでいるだけだ。一刻も早く解散することがベストであるが、マスコミ人は「解散しろ」ということは言えないらしい。結局マスコミ人というのは、こういう点で保守的である。アメリカのオバマは71兆円の財政出動して、不良債権買い取りその他の目的の予算を通したが、これで収まるか。まだまだ闇がとてつもなく深く、これでも半分も足りないという説がある。アメリカ人がまた住宅を買うという気分になって消費行動に出るまでにあと何年かかるか。それより、日本の危機のほうが深刻である。ドルがどこまで下がるかである。ドルが下がればユーロや豪州ドルが上がるというのは見込み違いだった。ドルに引っ張られて、どこの通貨も下がっているから、ドルは意外に下がらないで、世界中が深刻になっている。だから被害者はアメリカよりもむしろ日本や欧洲である。オバマは今アメリカの救世主とみられている。彼はとにかくこの不況を強引にのりきるだろうが、つまずきの石がアフガンになろう。アフガンに2万6千の増派をするようだが、これも焼け石に水となり、泥沼になるのは明らか。国内の再建とアフガン戦争の両立は無理である。なぜならアフガンからパキスタンに飛び火しても際限なく戦場が広がるおそれがでてきた。アルカイーダとかタリバンをテロリスト集団とみるのは誤りである。彼らはアラブとくにサウジアラビアはじめ広い範囲のアラブ部族から人や献金を公然と受けている根のあるゲリラ武装集団でどんどん増強されてくる。気の早い佐藤優氏のような人は第3次大戦がはじまっているというが、オバマは抜き差しならなくなるだろう。ベトナムでもそうだが、こういう戦争は殺戮者数の積み上げ戦争になるが、欧米の先進国ではある人数(1万以内)が戦死するとかならず戦争をやめようという国内世論が起こるが、向こうはその10倍くらい死んでも屁とも感じないからである。オバマがアフガンでつまずくとかならずアメリカの強硬派が戻ってきて、もうお前は用済みだとオバマを下す。その時期は意外に早いとみる。
2009/02/19
土曜日、黒澤作品の人気第一位の「七人の侍」をテレビで観た。この映画は昭和29年にできているが、戦後9年でこれほど高い作品がつくられたというのは驚きである。私は4回くらいこの映画を観たが、今回も新しい発見があった。同じ日に、大仏次郎賞をもらった飯嶋和一氏の「出星前夜」を読み終わったので、歴史物の作り方に非常に興味をもった。黒澤の「七人の侍」は従来の時代もの映画のパターンを崩してリアリティを出したものにする意図で、この映画を作ったというが、たしかに従来の時代もの映画とがらりと違ってこれは髷を結った現代人の映画である。11か月の時間と当初の三倍の製作費をかけたそうだが、まことに当時はかくあったかと思わせるリアリティが出ているのは、丹念に時代を調査し、デテール描写を積み重ねていることから来ている。当時の農民の実情をこれほどよく描写した映画はもう現れないのではないか。天才の仕事と言うのは、才能よりも丹念な細部の構築だなと思った。それも手を抜かずに徹底的にやる。良い作品と言うのはそれにつきるといってもいいほどだ。飯嶋氏の作品は島原の乱を描いたものだが、資料を実に詳しく読み込んで、細かい描写を怠らない。武士たちの来ている着物や武具の模様まで表現している。このためあたかも映像をみるかのように当時が再現される。作風は、吉村昭氏に共通し、資料を徹底的に調べている。私は一昨年、天草に行き、富岡城を観た。ここは天草四郎の蜂起勢が遂に落とせなかったところだが、かなり高い位置にあって難攻不落だなと思った。蜂起勢は海を渡って島原の南有馬の原城に立て籠もる。ここに2万5千の女子供老人までが立てこもって12万の討伐軍と戦い、最初は連戦連勝するが、ついに全員が斬られる。しかし討伐側も2万5千以上の損害を出す。原城といえば、天守閣などのある城とは大違いでたんにすこし盛り上がった平坦なところに石垣や土盛り、塹壕などを築いた程度の城でどうしてこんなところで戦えたか想像がつかなかったが、飯嶋氏の本でかなりよくわかった。最後にいいたいことは、時代ものを描くには、当時の資料を相当丹念に収集しないと、想像力が湧いてこないということである。資料は必ずしもすべてあるわけではなく、しかもそれぞれ偏った情報であることをまぬかれない。そこで空白が生じる。実際はここはどうだったのか、やはりあることが書かれていないのではないか、というふうにつながらないで飛んでしまう部分が出てくる。ここをつないでいくのは想像力でしかない。昔も今も人間の生活や心情はかわらないのであるから、今の自分の経験からくる想像で補っていくしかない。そのためにずいぶん長い間考えることがある。
2009/02/10
なぜ仕事がないのか 2今日のサンデープロジェクトで労働者派遣法で登録型をこっそり通した張本人の2名が明らかになった。元労働省の次官の関英夫氏と学者の高梨昌氏でこの二人が大学の同級である。派遣法は1980年、労働者派遣事業問題調査会では労働組合側の猛反対でお流れという形になった。しかし、労組の中でも中立労連はシステム・エンジニア、ビルメンテナンス、翻訳・通訳者など4業種に限って、常用雇用を条件として認めたので、1983年に労働省の関次官は、いちど立ち上げた懸案は終わらせなければいけないという理由で、派遣事業問題調査会小委員会をつくって議論を再開し、高梨教授が座長になった。この時点で高梨氏は常用型を主張したという。そして4業種が13業種に拡大した。その中にたとえばフィリング業務というものがあり、これは特殊なスキルを必要とする場合もあるが、拡大解釈がすすみ、文書整理、単なるコピーとりなどもフィリング業務だと企業は主張するようになった。そしてひそかに登録型が二人によってつけくわえられ、国会に提出され、1885年6月に派遣法が成立した。登録型派遣をみとめた理由は、そういう働き方を求める人がいるからと考えたようだが、両氏とも、自分には責任はない、業界がなし崩しにそうしてしまったからであるとしている。しかし、これが官僚の常套手段で、蟻の穴から崩していくやり方である。資本主義は悪賢い。経営者に昔のような良識・品格のある人はいなくなったからやがてぐじゅぐじゅになっていくことも見通せないようでは役人、学者の風上にもおけない。日本国民が戦争、敗戦という苦労を経て、労働者保護に厚い労働基準法や労働基準監督所などができたが、50年後にこの趣旨に逆行する政策が初めて関次官によってとられたわけである。人件費が高くて国際競争力がつかないというのが派遣労働者使用の根拠であるが、人件費が高いなら正社員の人件費を減らすことが先で、派遣労働者のセフティネットをつくっておくことが第2である。私は、派遣労働を9年やったが、契約期間は1年で3年くらい更新がきいた。失業保険も年金保険もつけてくれた。これは今でも大変ありがたかったと思っている。
2009/02/08
今日のサンデー・プロジェクトの派遣労働問題の討論は見ごたえがあった。派遣労働を13業種に限定して常用登録をみとめたのは1999年であるが、このときはコンピュータ要員などが会社によって不足し、それをおぎなう形で緊急に派遣を合法化する法律がつくられた。それが2004年に製造業に単純労働者を派遣する「登録型」がこっそりみとめられた。番組は誰が、この「登録型」をみとめたのかを追求して、当時の労働省次官の関氏、学者の高梨昌氏の名が明るみに出た。来週はどういう手口でこの法案を通したのかを明らかにするという。戦後の労働行政がここにきて一挙に崩れた分水嶺であった。来週の日曜日の番組が楽しみである。さて、今、資料として、19世紀後半、救世軍の創始者となったウイリアム・ブースの「最暗黒の英国とその出路」という古い翻訳書をよんでいるが、これをよんでいると1880年代、イギリスの人口は2100万、このうち10%~15%%は最暗黒の貧民で、この頃からいかに失業者が多かったかがわかる。この人たちは東ロンドンに集中して住んでおり、港湾で荷降ろしなどの労働をあてにして毎日早朝集まってくるが、半分はあぶれてしまう。その中の一人が「われわれは労働助成金や慈善がほしいのではなく仕事がほしいのだ」と絶叫するのだが、この頃からいかに人類には仕事が不足していたがわかる。マルクスがロンドンの大英博物館で資本論を書いていたころであるが、この頃、労働者保護の法律などはなく、労働時間は16時間、夜間労働も婦人労働もあり、12,3歳の少年まで低賃金で働いていた。要するに人類は常に「仕事がない」という現実と長い歴史の中で向き合ってきたと思う。仕事と言うのは、人間がそれに従事することによって収入を得る手段である。だから、人生を過ごすにあたっていい仕事をみつけ、それを一生の仕事にする。これがなんといっても大切である。しかし、文明が進歩した今日においても学校を卒業しても仕事にありつけない、ということが起こる。今日のように派遣切りが行われて、職を失い茫然となった人たちが大量に生まれる。どうしてこういう不幸な人が生まれるのか、いろいろ食べられなくなった人たちをどうしたら救えるか、セキュリティ・ネットということなどについて考えたことをこれから書いてみようと思う。
2009/02/01
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