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本日2本目。このブログでは、基本的に自分の企画・講座だけを載せているのですが、これは特別。かめおか、主催である笑顔クラブの会員です。それに何より、中味がいいのです!わかるひとには、この参加費、めっちゃリーズナブルだということもわかるはずですよ~!仕事上のプレゼンや、飲み会のときなど、話し上手なひとを見て、うらやましく思った経験はありませんか?もっと上手に話ができたらなあって、思った経験、あるでしょう?人前で上手に話ができることで人生が変わった人の一人。それが…中村文昭さん。彼は、あることをきっかけに講演会をおこなうことになりました。初年度は10件。2年目30件。3年目80件。4年目120件。5年目260件。6年目300件以上。(ほとんど毎日!)しかもその全てが口コミというすごさ。そこで昨年、愛知で、出版社が主催して、60名限定で、中村文昭さんによる、初の「話し方講座」がおこなわれました。35000円と、高額だったにもかかわらず、あっという間に、満席となりました。そして今回は、東京で、おなじみの笑顔クラブが主催します♪さらに人数をしぼって、40名限定。ボランティアスタッフの協力により、昨年の愛知よりおトクな価格が実現!***---------------------*** 中村文昭さん話し方講座***---------------------***日時/2011年7月9日(土) 14:00~18:00 インタビュー+ワークショップ 18:30~20:30 懇親会会場/目白台デュープレックスタワー 1F会議室 東京メトロ副都心線 雑司ヶ谷駅3番出口徒歩6分 都電荒川線 鬼子母神前駅徒歩8分 東京メトロ有楽町線 護国寺駅4番出口徒歩10分受講費/ 早割…7月1日(金)までに振り込み 23000円(懇親会費含)、18000円(懇親会なし) 前売…7月7日(木)までにお振込み 30000円(懇親会費含)、25000円(懇親会なし)お申込み/こちら!※必ず、「かめおかの紹介」とお書きください。 その場合、申し込みが7月1日までであれば、 振り込みが1~2日遅れても、大丈夫だそうです。お問合せ/こちら!笑顔クラブ/こちら!
2011.06.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪どんなことばを使うのか。ひとのこころは、簡単にこわれてしまうものだから、私たちは、もっともっと、こころを、大切に、あつかわなければなりません。乱暴なことばをかけたり、そしったり、なじったり、まして、こころにもないことを言ってはいけません。かろんじてはいけません。どうでもいいような対応をしてはいけません。相手が望まないことを一方的に、押しつけたりしてはいけません。ぶつかりそうになったときは、ていねいに、対話しなさい。意見のちがうときほど、こころを静めて、相手のことばに耳をかたむけなさい。自分の尺度ではかるのをやめて、相手の思いをまるごと汲み取る気持ちで、聴きなさい。そうして、相手への敬意を忘れずに、自分の伝えたい思いを、誠実に伝えなさい。…それだけ一気に言って、ことばは途絶えました。珍しく雄弁な語りでした。(笑)「ひとのこころは、簡単に こわれてしまうものだなあ」今朝、ふと思ったのです。思ったとたんに、それらのことばが、一気に、降り注いできたのです。もしかしたら、ひとは、ことばをもったとき、同時に、ことばによる苦しみを引き受けてしまったのではないか。そんなことを思いました。もしかしたら、ひとは、ことばの使いかたを、充分に習得する前に、ことばを使うことを知ってしまったのではないか。そんなことも思いました。それは、あたかも、おさない子どもの手のとどくところに、うっかりマッチやライターなどを置いたままにしてしまい、気がつくと、火事になりかけてしまったという話にも似て。私たち、ひとという種は、まだ、ことばというものを充分にあつかえるほどには、成熟してはいないのではないか。成熟していないにもかかわらず、手に入れてしまったものを、不用意に使ってしまっているのではないか。そんな妄想が湧いてくるほどに、ことばを介して、ひととひとは、すれちがうことが多いのです。ことばとどのように向き合うか。それは、どんなことばを使うかに、かかわります。どんなことばを使うか。それは、外がわにたいしても、内がわにたいしても、吟味が必要なことです。外がわにたいして、前向きなことばを使っていても、内がわにたいして、否定的なことばを投げかけていては、こころはかえって混乱します。もう一度、自分のこころと、ていねいに向き合う必要があると思いました。どんな自分であるために、どんなことばを使うのか。自分とことばをつなげたとき、ようやく、混乱がおさまりました。たとえば、自分にたいして否定的なことばを使いそうになったとき、それを使うことによって、どんな自分になりたいのかを考えてみるのです。わかりにくいときには、ひとにたいして、それを使ったとしたら、どうなるか、照らしてみればいいのです。そうやって、ことばと、誠実に向き合ってみるのです。そうやって、こころと、誠実に向き合ってみるのです。ありたい自分であるために、ありたいことばを選ぶのです。そうすれば、ちゃんと、ありたいこころでいられます。あとは、ただゆっくりと、積み重ねていけばいいのです。いつかそれが習慣になる日まで。今日の、私の気づきです。私も今日からはじめます。●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) 世界の医療団 ひとことメッセージが添えられます。ずいぶん前になりますが、月一回の「自助グループ」をやっていた時期があります。それぞれがそれぞれの思いを、みんなの前で語る。それだけ。批判もアドバイスもなく、ただただ、そのひとをまるごと受け止め、話を聴くのです。あまりに苦しいときには、語ることさえできず、ただ、横たわっていることしかできないこともありました。そんなときには、みんな何も言わず、代わる代わる、背中をマッサージしにきてくれたこともあります。でも、それもまた、ことばではないところで、話を聴いてくれたということなのかもしれません。それだけで、ひとは、充分にちからをとりもどせるのです。そんな「自助グループ」を、ひさびさにやってみたくなりました。初回は、ちいさな規模ではじめてみます。・自分の思いを、誰かに聴いてもらいたいひと・ひとの思いを聴けるようになりたいひとを募集します。ただし、個人的には、「自助グループ」というひびきは、実はあまり好きではないので、別の名前にしたいと思っていますが、今回は、ためしに、「かめわざ語り場」としておきます。(笑)●おためし●かめわざ語り場---------------------------------------------日時/2011年7月2日(土)18時30分~20時30分会場/かめわざセッションルーム (東急田園都市線藤が丘徒歩3分) ※参加者に、詳細のご案内を送ります。参加費/2000円(おためし価格。当日お持ちください)定員/8名申し込み/件名を「かめわざ語り場」として、 かめおかまで、---------------------------------------------この先、ずっとつづけるかどうか、わかりませんが、まずは、やってみたくなったので、やってみます。ぴんときたかたは、ぜひどうぞ♪
2011.06.30
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このところ、つらいお気持ちを伝えるメールをいただくことが、増えています。個別のお返事はほとんどできませんが、こころをこめて読ませていただいています。今日も、私なりの思いをこめて発信します。また、このブログの後半にもあるように、「語り場」をやってみようと思います。よかったら、こちらもご利用ください。★今日のフォーカスチェンジ♪感度をあげてください。この世のなかで、不幸と感じることはたくさんあるかもしれないけれど、一番の不幸は、自分は孤独だと感じることだと思います。でもね。ここはちょっとだけ、注意が必要なのです。一番の不幸は、孤独ではなく、孤独だと感じることなのです。ひとは、そうやすやすと、孤独にはなれないのです。完全にたったひとりの存在になることは、この地球上ではほぼ不可能だからです。たとえ、ひとと会わない暮らしをしていたとしても、何らかのかたちで、ひとがつくったものを享受して生きているからです。その瞬間に、私たちは、もう、誰かとつながった生きかたをしてしまうことになりますから。本当に孤独になるためには、山奥の洞窟かどこかにひとりで閉じこもって、人工的な食糧は一切絶ち、衣服さえもない状態にならなければ、なりません。でも、そこまですれば、そもそも、生命活動そのものが、困難になってしまいます。 逆に、そこまでやったら、 生きることに精一杯で、 孤独だと感じているひまが なくなってしまうかも。(^^ゞだから、私たちは本当には「孤独」にはなれないのです。ただ、「孤独」であるかのように、感じるだけなのです。そして、「孤独」と感じるとき、ひとは、自分を「不幸」だと感じてしまうのです。でも、それゆえに、そこには救いがあるのです。感じているだけなのですから、感じないという選択肢が、残されているのです。感じないという選択肢には、2通りあります。ひとつは、こころを鈍感にすることです。ただ、こころは、一部だけ鈍感にすることはできませんから、そうすると、すべての感情が、閉じてしまうことになります。それでは、生きる意欲まで減退してしまいます。2つ目は、まったく逆で、こころを敏感にするのです。自分にとって、孤独ではないと感じるところに、こころのセンサーを向けるのです。すると、自然にこころは、それを探して動き出します。よく言われることですが、バードウォッチングに行くと、普通のひとが、数種類の鳥を見つけたり、声を聴き分けたりするとき、達人は、その数倍の、鳥を見つけたり、声を聴き分けたりしています。それだけ感度が高いのです。同じように、こころのセンサーを、孤独と感じないところを探すために、使うのです。ここ、ポイントです!バードウォッチングの達人は、決して、カメムシやフンコロガシを探したりはしないのです。(笑) たまにはそういうシュミの ひともいるかもしれませんが…。バードウォッチングの達人は、ただただ、鳥を探すのです。鳥を探すことだけに、感度をあげているのです。同じように、孤独ではないと感じたかったら、孤独と感じないところに、センサーを向けるのです。わざわざ、自分にとって、やさしくないひとや、あまり好意的に接してくれないひとに、センサーを向けて、「ほーら、やっぱり孤独じゃん」と、証明する必要はないのです。それは、探しかたがまちがっています。(爆)いきなり人間相手ではハードルが高すぎるというひとは、動物を飼うところからはじめたっていいかもしれません。案外、そこから、趣味の合うひとと、コミュニケーションがはじまるかもしれません。要するに、方法は、いくらでもあるってことです。ちいさな幸福を大切にできないひとは、おおきな幸福がきても、受け取ることができません。センサーが磨かれていないからです。だから、感度をあげてください。そして、ちいさな感覚を大切に育ててください。そうすると、あなたのセンサーには、孤独ではないと感じられるものが、たくさん引っかかってくるようになります。そしてね。どうぞ、そのセンサーでもって、いつか、気がついてくださいね。あなたの幸福を願っているひとは、この世のなかに、たくさんいます。あなたは、本当は、ひとりではありません。あなたか孤独になることは、できないのですよ。●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) 世界の医療団 ひとことメッセージが添えられます。ずいぶん前になりますが、月一回の「自助グループ」をやっていた時期があります。それぞれがそれぞれの思いを、みんなの前で語る。それだけ。批判もアドバイスもなく、ただただ、そのひとをまるごと受け止め、話を聴くのです。あまりに苦しいときには、語ることさえできず、ただ、横たわっていることしかできないこともありました。そんなときには、みんな何も言わず、代わる代わる、背中をマッサージしにきてくれたこともあります。でも、それもまた、ことばではないところで、話を聴いてくれたということなのかもしれません。それだけで、ひとは、充分にちからをとりもどせるのです。そんな「自助グループ」を、ひさびさにやってみたくなりました。初回は、ちいさな規模ではじめてみます。・自分の思いを、誰かに聴いてもらいたいひと・ひとの思いを聴けるようになりたいひとを募集します。ただし、個人的には、「自助グループ」というひびきは、実はあまり好きではないので、別の名前にしたいと思っていますが、今回は、ためしに、「かめわざ語り場」としておきます。(笑)●おためし●かめわざ語り場---------------------------------------------日時/2011年7月2日(土)18時30分~20時30分会場/かめわざセッションルーム (東急田園都市線藤が丘徒歩3分) ※参加者に、詳細のご案内を送ります。参加費/2000円(おためし価格。当日お持ちください)定員/8名申し込み/件名を「かめわざ語り場」として、 かめおかまで、---------------------------------------------この先、ずっとつづけるかどうか、わかりませんが、まずは、やってみたくなったので、やってみます。ぴんときたかたは、ぜひどうぞ♪
2011.06.29
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★今日のフォーカスチェンジ♪思い出すんだ。どうしようもないほど、つらくてせつないとき、自分なんて、どうせだめなんだと感じるとき、それでも、今日まで生きてきたんだなということを思い出す。生きないという選択肢を、選ばずにきたんだなということを思い出す。眠れない夜があって、何もできないまま、ゆっくりと夜が明けて、相変わらず何もできない自分のままだけど、ああ、どんな夜だって、朝がやってくるんだなということを思い出す。できないことを数えると、果てしがないように感じ、自分のだめな部分を見れば、きりがないように感じ、そのたびに、また落ちこみそうになるけれど、そんな自分を、よしよししてあげることもできるんだってことを、思い出す。思い出す。生きてきたかなしみも、生きていくさびしさも、いのちがあるから、味わえるってこと。このいのちは、偶然に生まれてきたわけではなく、連綿とつづく、無数の、いのちの流れのなかに、あるということ。そのどこが途切れても、いま、自分はいないということ。自分を責めることも、ひとを責めることもできるけど、宇宙の長い歴史のなかで、どのみち、それは、一瞬に過ぎていく時間であるということ。その過ぎていく一瞬を決めるのは、自分であるということも。思い出す。思い出したからといって、何が変わるわけではないけれど、それでも、少しだけこころが軽くなる。だってね。思い出してみれば、できないことばかりじゃなかったよ。 できないことばかりのように 思ってた自分はいたけどね。かなしいことばかりでも、苦しいことばかりでもなかったよ。 そう思いこんできた自分も、 たしかにいるけどね。こたえはいつもひとつじゃない。方法も、いつもひとつじゃない。未来を見つめるのがつらいときは、目の前の一歩一歩を見てみるんだ。その一歩一歩を、たしかに踏みしめて歩くんだ。いまを耐えがたく感じるときは、遠い空を見るんだ。その空の彼方に、またたいている、星のきらめきを見るんだ。その星の光は、何万年もかけてこの地球に到達している。その何万年の光とつながっている、自分を感じてみるんだ。自分が終わりだと思わなければ、終わりはやってこないよ。全部、自分が決めているんだ。自分で決められるんだ。そうやって、思い出すんだ。一つひとつ、思い出すんだ。生きてきた道のりが、きっと自分を支えてくれる。出会ってきたこと・もの・ひとが、きっとこころを支えてくれる。未来のために、思い出すんだ。あなたの(私の)なかに眠っている、すべての可能性を。ゆっくりと休んだら、また歩きだそう。大丈夫。ちゃんと全部つながってる♪●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) 世界の医療団 ひとことメッセージが添えられます。ずいぶん前になりますが、月一回の「自助グループ」をやっていた時期があります。それぞれがそれぞれの思いを、みんなの前で語る。それだけ。批判もアドバイスもなく、ただただ、そのひとをまるごと受け止め、話を聴くのです。あまりに苦しいときには、語ることさえできず、ただ、横たわっていることしかできないこともありました。そんなときには、みんな何も言わず、代わる代わる、背中をマッサージしにきてくれたこともあります。でも、それもまた、ことばではないところで、話を聴いてくれたということなのかもしれません。それだけで、ひとは、充分にちからをとりもどせるのです。そんな「自助グループ」を、ひさびさにやってみたくなりました。初回は、ちいさな規模ではじめてみます。・自分の思いを、誰かに聴いてもらいたいひと・ひとの思いを聴けるようになりたいひとを募集します。ただし、個人的には、「自助グループ」というひびきは、実はあまり好きではないので、別の名前にしたいと思っていますが、今回は、ためしに、「かめわざ語り場」としておきます。(笑)●おためし●かめわざ語り場---------------------------------------------日時/2011年7月2日(土)18時30分~20時30分会場/かめわざセッションルーム (東急田園都市線藤が丘徒歩3分) ※参加者に、詳細のご案内を送ります。参加費/2000円(おためし価格。当日お持ちください)定員/8名申し込み/件名を「かめわざ語り場」として、 かめおかまで、---------------------------------------------この先、ずっとつづけるかどうか、わかりませんが、まずは、やってみたくなったので、やってみます。ぴんときたかたは、ぜひどうぞ♪
2011.06.28
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★今日のフォーカスチェンジ♪枠組みを意識してみるだけで最近、しみじみ感じていることのひとつは、ひとは、そのときどきの自分の枠組みのなかでしか、ものごとを考えることはできない、ということです。どういうことかというと、ひとは、いつでも、何かにたいして判断をして生きています。その判断基準は、そのときどきの自分の信じていることにもとづきます。たとえば、天動説を信じていたひとたちは、それを基準にものごとを判断していたのです。だから、地動説をとなえるひとは、とんでもないおばかさんか、反逆者であると思っていたのです。それがその当時の大多数のひとがもっていた枠組みだったのです。私たちは、そんなふうに、大小さまざまな枠組みのなかで、生きています。自分の枠組みが正しいと思うひとは、その枠組みに沿って、他のひとを批判したりします。批判されたひとにも、そのひとなりの枠組みがありますから、それにもとづいて、批判しかえしたりします。そうすると、ひたすら平行線で、もはや接点は見いだせません。そうではなく、ただ、お互いの枠組みがあるだけなのですね。そして、その枠組みのなかからものごとを見つめたときには、その枠組みに沿ったものしか見えないということなのですね。あたかも、四角い窓から見たら、景色が四角く見えるように。丸い窓から外を見たら、丸い景色が見えるように。どちらもまちがいではありませんが、どちらも唯一絶対の正解でもありません。でも、そのことに気づかないと、いつでもあらそいが起こります。窓を開けてみれば、それが、丸でも四角でもないことがわかります。景色は、途切れなく、360度広がっているのです。そして、その見えている景色だって、人間の目から見るから、そのように見えるだけであって、ミツバチの目から見たら、またちがって見えるはずなのです。カエルの目から見たら、またちがって見えるはずなのです。枠組みをはずすことはできません。ものごとは、枠組みがあってはじめて判断できるわけですから、それをはずしてしまうことは不可能です。ただ、自分はいま、自分という枠組みからものごとを見ているのだということに、気づくことはできます。そして、それがどんな枠組みであるかということを、意識することはできます。同じように、自分以外の人間の枠組みについても、意識することができます。それができたら、実は、ちょっとだけ枠組みを入れ換えることもできます。自分とはことなる、その枠組みを借りて、見てみるのです。そうか、この枠組みから見ると、世界はこんなふうに見えるのか、こんなふうに感じるのかと、理解することができます。もちろん、使い心地が悪ければ、使うのをやめてもいいのです。でも、こっちのほうがいいなと感じたら、それを採用してもいいのです。あなたは、どんな枠組みをもって生きていますか?それはあなたにとって、心地いいものですか?あなたのまわりのひとは、どんな枠組みをもって生きていますか?そのなかで、採用してみたい枠組みをもっているひとはいますか?いいなと思ったものは、上手に取り入れてみてください。そして、できたら、自分とはことなる枠組みのひとを、いたずらに否定したり非難したりしないように。そのひとは、そのひとにとって必要な枠組みを生きているのです。そのことを尊重してあげてください。ときどきは貸したり借りたり、おおきさを調整しあったりしながら、(^^ゞ互いが互いの枠組みを尊重しあえたら、この世界は、もうちょっと住みやすくなるような気がします。枠組みを意識してみるだけで、世界がちょっと変わるような気がします。●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) 世界の医療団 ひとことメッセージが添えられます。ずいぶん前になりますが、月一回の「自助グループ」をやっていた時期があります。それぞれがそれぞれの思いを、みんなの前で語る。それだけ。批判もアドバイスもなく、ただただ、そのひとをまるごと受け止め、話を聴くのです。あまりに苦しいときには、語ることさえできず、ただ、横たわっていることしかできないこともありました。そんなときには、みんな何も言わず、代わる代わる、背中をマッサージしにきてくれたこともあります。でも、それもまた、ことばではないところで、話を聴いてくれたということなのかもしれません。それだけで、ひとは、充分にちからをとりもどせるのです。そんな「自助グループ」を、ひさびさにやってみたくなりました。初回は、ちいさな規模ではじめてみます。・自分の思いを、誰かに聴いてもらいたいひと・ひとの思いを聴けるようになりたいひとを募集します。ただし、個人的には、「自助グループ」というひびきは、実はあまり好きではないので、別の名前にしたいと思っていますが、今回は、ためしに、「かめわざ語り場」としておきます。(笑)●おためし●かめわざ語り場---------------------------------------------日時/2011年7月2日(土)18時30分~20時30分会場/かめわざセッションルーム (東急田園都市線藤が丘徒歩3分) ※参加者に、詳細のご案内を送ります。参加費/2000円(おためし価格。当日お持ちください)定員/8名申し込み/件名を「かめわざ語り場」として、 かめおかまで、---------------------------------------------この先、ずっとつづけるかどうか、わかりませんが、まずは、やってみたくなったので、やってみます。ぴんときたかたは、ぜひどうぞ♪
2011.06.27
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本日2本目。本当は、昨日、読者の「kurumi」さんからいただいた質問の返事のつづきを…と思っていたのですが、降りてきた系になっちゃいましたので…。でも、これもある意味、お返事のひとつといえるのかもしれません…。★今日のフォーカスチェンジ♪「愛」になろう。いきなり、がつんときました。降りてきたんです。もう、「愛」なんだからさ、もっとやさしく降りてきてよ。…って言いたくなるくらい、がつんという感じでした。(笑)自分のやってきたことは何だったんだろうと思うような体験をしました。自分がちっぽけに思えて、自分が被害者のように思えて、誰かを責めたくなったり、自分を責めたくなったり。そこから抜けるために、自分にできる精一杯のことをしました。苦しい気持ちを隠さずに表現したり、ひとのサポートを受けたり、もちろん、自分にたいして、「いいこいいこ」もしました。(笑)そうこうするうちに、ふっと、見えてきたことがあります。「ああ、愛が足りなかったな」と。もっとくだいて言うと、誠意が足りなかったなと、言い換えることができるかもしれません。要するに、傲慢だったんです。自分のなすべきこともしていないで、ただ、「ほしいほしい」と、思っていたのかもしれません。さらにもっと言うと、自分の都合のいい部分ばかり見ていて、全体を見ようとしていなかったのかもしれません。そんな自分に気づこうともしなかった…。それらを引っくるめて、「愛が足りなかったなあ」と思ったのです。そしたら、降りてきたんです。がつんと。(笑)「愛になろう」って。これ、私が、「愛になろう」って、言ったんじゃないんです。「愛になりなさい」っていう、勧誘? 指示? 命令?…(^^ゞわかりませんが、とにかく、そのように言われたんです。 誰が言ったのかは よくわかりませんが。(爆)でも、ああ、そのとおりだと思ったのです。だって、そうしたら、すべて、OKになっちゃうのです。問題だと思っていることも、問題ではなくなっちゃうんです。なんたって、愛ですから。(笑)それでもまだまだ往生際悪く、しのごのぶつぶつ言いたい自分がいることもたしかなので、しばらく、こころのなかで、ころがして…いえ、あっためていようと思います。往生際の悪い自分も含めて、まるごと、私なのですから。「愛」になろう。…って、まだまだなれないワタシですが、言われちゃったので、(笑)意識してみようと思います。意識することで、きっと、少しずつ近づいていけるかな…って、思っています。あなたもいかがですか?「愛」になろう。ほんのちょっと、意識してみるだけでいいのです。たぶん、それだけで、何かが、ちょっと…変わります♪●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) 世界の医療団 ひとことメッセージが添えられます。今月は、昼間の開催になります。お友だちの百世安里(瑛衣乎さんアラタメ)さんとのコラボワークです♪夜は外出しづらいけど、昼間なら大丈夫というかたは、ぜひどうぞ♪6月28日●東京(トラウマ解凍ワーク)--------------------------------安心感とつながりのなかで、「自分にOKをあげる」感覚を育ててください。 動画第1弾 動画第2弾詳細は、こちら!申し込みフォームは、こちら!
2011.06.26
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ずいぶん前になりますが、月一回の「自助グループ」をやっていた時期があります。それぞれがそれぞれの思いを、みんなの前で語る。それだけ。批判もアドバイスもなく、ただただ、そのひとをまるごと受け止め、話を聴くのです。あまりに苦しいときには、語ることさえできず、ただ、横たわっていることしかできないこともありました。そんなときには、みんな何も言わず、代わる代わる、背中をマッサージしにきてくれたこともあります。でも、それもまた、ことばではないところで、話を聴いてくれたということなのかもしれません。それだけで、ひとは、充分にちからをとりもどせるのです。そんな「自助グループ」を、ひさびさにやってみたくなりました。初回は、ちいさな規模ではじめてみます。・自分の思いを、誰かに聴いてもらいたいひと・ひとの思いを聴けるようになりたいひとを募集します。ただし、個人的には、「自助グループ」というひびきは、実はあまり好きではないので、別の名前にしたいと思っていますが、今回は、ためしに、「かめわざ語り場」としておきます。(笑)●おためし●かめわざ語り場---------------------------------------------日時/2011年7月2日(土)18時30分~20時30分会場/かめわざセッションルーム (東急田園都市線藤が丘徒歩3分) ※参加者に、詳細のご案内を送ります。参加費/2000円(おためし価格。当日お持ちください)定員/8名申し込み/件名を「かめわざ語り場」として、 かめおかまで、---------------------------------------------この先、ずっとつづけるかどうか、わかりませんが、まずは、やってみたくなったので、やってみます。ぴんときたかたは、ぜひどうぞ♪
2011.06.26
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読者の「kurumi」さんから質問をいただきました。一部割愛してご紹介します。--------------------------------------- 亡くなった主人が一人っ子だったので、 その両親の面倒は私しか見るものがいません。 両親の面倒を見に行くのが苦痛でなりません。 本当は、私は仕事と(未成年の)子供のため だけに生きていきたいのですが、そうすると 義理の両親が不幸になってしまいます。 それでも、自分の生きたいように生きても いいのでしょうか?---------------------------------------「kurumi」さん、ありがとうございます。どんなときでも、こたえは、自分が決めるしかありませんが、私なりに考えてみたことを書いてみたいと思います。今日のメッセージだけでは終わらないかもしれませんが。★今日のフォーカスチェンジ♪すべては、自分関係私の友人のなかには、幼いときに、親と、わけあって、生き別れになったひとたちが何人かいます。あるひとは、それ以来一度も会ったことがないといいます。またあるひとは、奇跡的に数十年ぶりに再会を果たしたといいます。ひとつだけ言えることは、ひとは、それぞれのプロセスを経て、それでもそのひとの人生を生きていることです。親と生き別れになった友人たちは、もちろん大変な思いをして成長したでしょうが、いま、ちゃんと、ひとりの社会人として生きています。子どもを手ばなさなければならない状況になった親にとっては、断腸の思いであったかもしれませんが、子どもはちゃんと、しっかり成長をとげていたのです。いま、子離れできない親が急増しているといいます。また、親に依存しつづける子どもも、増えているといいます。子離れ・親離れ。自然界の生きものであれば、必ずおこなうこの行為をおこなえなくなっているとしたら、ひとという種は、一体、どこへいくのだろうと思います。離れるということは、見捨てることとはちがいます。そのひとが、そのひとであることを尊重して、そのひととして生きていくことを信じることです。また自分自身も、自分の人生を、自分の責任でまっとうすることです。そして必要なときには、必要に応じてサポートしあうことも、きちんと自立できたときには、可能になるのだと思います。とはいえ、私自身も、それがきちんとできているかといえば、「あいたたた」の部分はあるのですが、(^^ゞ少なくとも、そう意識して生きたいとは思っています。ここまで書いてきて思ったのは、結局のところ、ひとは、自分がどうあるかを決めることからしか、出発できないのだなということでした。言い換えれば、自分がどうあるかを決めたときに、ひととの関係もどうあるかを決められるのです。そして、どうあるかということは、目先のことをどうするかではなく、もっと広い視野と、深度において、自分を見つめることなのです。私たちは、自分を生きることしかできません。ひとの人生を、代わりに生きることはできないのです。だからこそ、そのひとがそのひととして生きることを尊重するのです。そのことを知ったうえで、ひとと関わっていくのです。今日のメッセージは、ちょっと堅苦しいものになってしまったかもしれません。でも、ここにきて、ふっとおりてきたことばがあります。それは、どんな人間関係も、すべては、自分関係なのだということです。自分をどう生きるかが、ひととの関係を決めていくということなのです。どうぞ、思いを深くしてください。あなたがあなたを生きることを、もっと重要なこととしてとらえ直してみてください。そうしたら、どうやって生きていけばいいかが、明確になります。ありかたがやりかたを決めるのです。あなたの生きかたを尊重します。そして、あなたの生きかたを応援します。●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) 世界の医療団 ひとことメッセージが添えられます。今月は、昼間の開催になります。お友だちの百世安里(瑛衣乎さんアラタメ)さんとのコラボワークです♪今月は、昼間の開催にしてみました。夜は外出しづらいけど、昼間なら大丈夫というかたは、ぜひどうぞ♪5月21日●東京(トラウマ解凍ワーク)--------------------------------安心感とつながりのなかで、「自分にOKをあげる」感覚を育ててください。 動画第1弾 動画第2弾詳細は、こちら!申し込みフォームは、こちら!
2011.06.25
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★今日のフォーカスチェンジ♪清明なこころで自分がどうありたいかを、瞑想のなかで、考えていました。ただただ、こころを静かにして、深く呼吸しながら。清明であること。…ふっと、そんなことばが湧き上がってきたのです。ちょっと不思議な気がしました。そんなことば、日常で、思い出すこともなかったからです。でも、静かに口に出してみると、なんともいえず、こころがあらわれるような気がするのです。それは一体どういうことかと、もう一度たずねてみたら、怖れがないこと。というこたえが還ってきました。怖れは、ひとのこころをくもらせます。それこそ、こころのなかに雲を起こし、見えるものをも見えなくさせてしまいます。ひとは、不安のなかに突き落とされ、自分がどうしていいのかもわからなくなります。そんなときこそ、深く呼吸して、もう一度、自分を見つめるのです。一切の制約なしに、ただ純粋に、まっさらの自分として、どうありたいのかを、静かに、問うてみるのです。怖れが去ると、こころはふたたび、静けさをとりもどします。そう、まさに、清明な状態。そこで、もう一度、自分に問いかけます。どうありたいのか。今度は、こんなことばが浮かんできました。誠実であること。これもまた、私にとっては、深くうなずけることでした。いくつかのことがあって、自分自身の、誠実さに欠いた部分を、振り返る機会をもらったばかりでした。自分の都合ばかりで考えていて、相手にたいして、思いをやる配慮を欠いていたことに、気づかされたところでした。こころが清明であるとき、そうしたことを、けっしてこころを騒がせることなく、思うことができるのです。いたずらに自分を責めたり、自己弁護したりすることなく、淡々と、素直に、思うことができるのです。いつでも、この清明さにもどってこよう。そう思いました。こころが騒ぐことは、これからもいくらでもあるかもしれないけれど、この感覚を、私はいま、体験しているのだから、ただ、思い出せばいいだけ。何度でも何度でも何度でも、ただ、この感覚に還ってくればいいだけ。清明なこころで、誠実に生きる。ことばで言うほど、簡単ではないことはわかっているけれど、今日、私はそう決めました。あなたにとって、ありたい自分はどんな自分ですか?どうぞ、こころを静かにして、問いかけてみてください。あなたのこころは、ちゃんとこたえを知っています。あなたはあなたの人生を、あなたのこころが、もとめるように生きることができます。あなたが、そう決めさえすれば。あなたが、あなたとして生きることを、私は、こころから応援しています。私も、私として、私を生きていきます。●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) 世界の医療団 ひとことメッセージが添えられます。今月は、昼間の開催になります。お友だちの百世安里(瑛衣乎さんアラタメ)さんとのコラボワークです♪今月は、昼間の開催にしてみました。夜は外出しづらいけど、昼間なら大丈夫というかたは、ぜひどうぞ♪5月21日●東京(トラウマ解凍ワーク)--------------------------------安心感とつながりのなかで、「自分にOKをあげる」感覚を育ててください。 動画第1弾 動画第2弾詳細は、こちら!申し込みフォームは、こちら!
2011.06.24
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★今日のフォーカスチェンジ♪不思議ちゃんときどき、何もかもが不思議に感じることがある。たとえば、朝、目が覚めたとき、目が覚めたということにおどろく。そこにちゃんと世界があるということにおどろく。パソコンの前で、原稿がすすまずに考えあぐねて、ふと髪をいじっているとき、ものごころついたときから、ずーーっと、天然パーマであることに、不思議を感じる。新しく生えてくる髪の毛は、伸びてくると、毛先がいつも、くるんと丸まっていく。そんなことが気になりだすと、何もかも全部が、不思議でたまらない。自分がいま、生きていること。地球がいま、動いていること。生きていくうえでは、いつでも、何かしら、何かが起きていて、それは幸福なことであったり、あまり幸福には感じられないことであったり、いろいろではあるけれど、それでもやっぱり生きていて、そして、朝、また目が覚める。いつかは目が覚めない日がやってくるのだろうけれど、とりあえず、今日も目が覚め、こうしてパソコンの前に向かい、今日のメッセージを書いている。(正確には、打っている)生きていることは、不思議。今日も、心臓は動き、胃も腸も肺も肝臓も…そのほかのもろもろの内臓も、たぶん、ちゃんと動き、昨日、ぶつけた足の小指が、今朝になってもちょっと痛み(笑)、生きているということを、私に知らせてくれる。そんなことを考えていると、私の頭のなかは、はてなマークに埋めつくされていき、思わず、不思議、不思議…と口ずさみながら、踊りだしたくなってくる。(笑)そう。生きているってことは、誰にとっても、どんなときも、不思議なこと。私たちは、生まれたときから死ぬその瞬間まで、不思議を生きる存在。だから、私は、不思議ちゃん。あなたも、不思議ちゃん。ちょっと気の合わない、あのひとも、不思議ちゃん。大好きな大好きなあのひとも、不思議ちゃん。まだ会ったことのない、誰かさんも、不思議ちゃん。だから、わからないことを不安に思うことはない。だって、不思議ちゃんなんだもの。通じないことも、当たり前。だって、不思議ちゃんですから。そして、そして、そんなにお互いに不思議ちゃんなのに、ときどき、びっくりするくらい、気持ちがひとつになっちゃうことがある。それって、もしかしたら、不思議を通り越して、奇跡、なのかもしれない。さらには、不思議ちゃんなんだから、明日、何が起きるかわからない。毎日が同じことの繰り返しなんて、絶対にありえない。だって、不思議ちゃんだもの。というわけで、今日のメッセージ。不思議ちゃんの自分を楽しみましょ♪何が起きるか、誰に出会うか、どんな展開になっちゃうか、ほんとは、誰にもわからない。だから、わくわくした気持ちで、今日一日を生きてみましょ♪ね♪ 不思議ちゃんの一日の、はじまり、はじまり~♪●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) 世界の医療団 ひとことメッセージが添えられます。今月は、昼間の開催になります。お友だちの百世安里(瑛衣乎さんアラタメ)さんとのコラボワークです♪今月は、昼間の開催にしてみました。夜は外出しづらいけど、昼間なら大丈夫というかたは、ぜひどうぞ♪5月21日●東京(トラウマ解凍ワーク)--------------------------------安心感とつながりのなかで、「自分にOKをあげる」感覚を育ててください。 動画第1弾 動画第2弾詳細は、こちら!申し込みフォームは、こちら!
2011.06.23
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昨日のメッセージ「助けをもとめてください」を書いたあとで、「自助グループワーク」をやってみようかなと、思いつきました。聴いてもらうだけで、ひとは、自分のなかに、ちからを取り戻せます。いま、自分のなかで、ひとりでかかえているのはつらいなあというかた、あるいは、そういう場をつくってみたいけど、すすめかたを知りたいというかた、8名以上いらっしゃったら、やってみたいと思います。7月2日(土)18時30分~20時30分、会場は、東急田園都市線藤が丘付近になる予定です。参加費は、おためしで、2000円程度。詳細は、近日中にお知らせします。さて。読者のRさんからのメールです。--------------------------------------- 自分が失敗をしてしまったことで、 周りに迷惑をかけることになると思います。 とても怖いんです。---------------------------------------Rさん、ありがとうございます。今日も、一緒に考えてみたいと思います。★今日のフォーカスチェンジ♪対話が必要です。最近、しみじみと、この2つのことばは、ひとの気持ちをくじくなあと感じています。それは、「失敗」と「迷惑」ということばです。もちろん、世のなかには、「うまくいかないこと」はあり、そのために、「まわりのひとに影響を与えてしまうこと」もあるとは思うのですが、それをどのように呼ぶかは、そこにかかわる人間関係にかかってくるような気がするのです。つまり、お互いがお互いを不完全であると見なしあって、サポートする関係のなかでは、仮にうまくいかないことがあっても、それは「失敗」と呼ばれることはないし、まわりに影響が及ぶことがあっても、「お互いさま」と助け合えばすむことのような気がするからです。そして、そんな関係が保てるならば、仕事もずっとうまく運ぶような気がするのです。でも、それには対話が必要です。うまくいかないことには、うまくいかない理由があります。それを、ひとりでかかえこむのではなく、なぜそうなるのか、そうならないためには、どんな方法が考えられるのか、話しあえば、大きな問題には発展しないですむでしょう。そして、そんな対話があれば、仮にうまくいかないことがあっても、どのような影響が生まれるのかも、事前にある程度、予測することができ、大きな問題になる前に、対応をすることも、可能になるはずなのです。こうした関係をつくっていくためには、リーダーが意識を変えていく必要があるし、また、そのチーム(組織)のメンバーもまた、そうしたありかたを受け入れていく必要があります。だから、いまそうなっていないチームの場合には、ちょっと時間はかかるかもしれません。対話が成立するためには、お互いが、異なる存在であることをみとめあう必要があります。生きかたもちがう、考えかたもちがう、好みの傾向も、判断基準もちがうことを受け入れあう必要があります。以前、あるひとと共同でひとつの作業をやっていたことがあります。そのひとと、私は、感性がちがうのか、思わぬところで、よくぶつかりました。最初は、どうしてぶつかるのか、理解できなかったのですが、対話を重ねていくうちに、ものすごく納得がいきました。ああ、こんなにちがうなら、ぶつかって当たり前だな、と。それ以来、できるだけ、そのちがいを配慮しながら作業をすすめ、ぶつかったときにも、そのつど、ていねいに話をして、すりあわせていくようにしました。おかげで、後半のほうには、ぶつかることはほとんどなくなりました。私の場合は、お互いが、対話をしようと歩み寄る気持ちをもてたことが幸いでしたが、実際には、なかなかそうもいかないよという場合も、多いかもしれません。でも、気がついたひとから、少しずつでも、やってみてほしいと思うのです。相手のことばをよく聴き、ちがうと感じたときには、ああ、そんなふうに感じるのか、そんなふうに考えるのかと、ちがいを受け止めてみる体験をしてみてほしいのです。そして、どちらが正しいかではなく、すりあわせていくためには、どんなやりかたができるかを、一緒に考えてみてほしいのです。まずは、どんなことでも、ひとりで思いこまず、決めつけず、ことばにしてみること。たとえ、「失敗」してしまったと思ったあとでも、勇気を出して、ことばにして伝えてみること。そうすれば、そこからどうしたらいいかを、一緒に考えることもできます。黙っていては、通じないし、通じないまま、誤解が誤解を生んでいくことも多いのですから。そうして、いつでも、伝えあえる関係が育っていけば、どんなところでも、人間関係は、よりスムーズになるでしょう。ひとりだけで悩むひともいなくなります。互いが互いのサポーターになりあうこともできるようになります。今日、私が書いたことは、理想論のようにとられるかもしれません。でも、私自身は、このことをやっていこうと決めています。私自身も、また、自分の対話の足りなさに、気づく体験をしたからです。「気づいたひとからはじめる」自分自身が、それを実践していこうと思います。もしも共感していただけたら、あなたも、一緒にはじめてみませんか?あなたのみぢかな場で、あなたのみぢかなひとたちと。きっと、世界が変わります。●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) 世界の医療団 ひとことメッセージが添えられます。今月は、昼間の開催になります。お友だちの百世安里(瑛衣乎さんアラタメ)さんとのコラボワークです♪今月は、昼間の開催にしてみました。夜は外出しづらいけど、昼間なら大丈夫というかたは、ぜひどうぞ♪5月21日●東京(トラウマ解凍ワーク)--------------------------------安心感とつながりのなかで、「自分にOKをあげる」感覚を育ててください。 動画第1弾 動画第2弾詳細は、こちら!申し込みフォームは、こちら!
2011.06.22
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読者のMさんからの質問メールです。--------------------------------------- 立ち止まったら沈んでしまいそうな気がして 自分をふるいたたせてしまいます。 でもその後は疲れて悲しいです。 出口が見つからないと思うとき… (どうしたらいいか)お聞きしたいです。 ---------------------------------------Mさん、ありがとうございます。私の体験もまじえて、お返事しますね。★今日のフォーカスチェンジ♪助けをもとめてください。重い荷物を運ぶとき、ひとりでは無理だなと思ったら、誰でも、助けを呼ぶでしょう?こころも同じです。ひとりで受け止めるのはきついなあ。そう感じたら、私は、友人たちに助けをもとめます。相手は、ひとりのときもあれば、グループのときもありますが。ポイントは、この問題は、最終的には、自分が解決する問題なのだと知っていることです。誰も、代わりに解決することはできないのです。では、友人たちに何をサポートしてもらうのか?ひとつには、自分がひとりではないことを忘れないためです。多くのひとにとって、孤独だと感じることは、何にもましてつらいことです。でも、悩みのなかにあるとき、ひとは、自分は孤独だと、思ってしまいやすいのです。だからこそ、勇気を出して、助けをもとめるのです。そのときのポイントは、サポートしてくれるひとに、こたえをもとめないことです。ただ黙って聴いてもらうのです。どんなことでも、まるごと受け止めて聴いてもらうのです。ずいぶん前になりますが、月一回の「自助グループ」をやっていた時期があります。それぞれがそれぞれの思いを、みんなの前で語る。それだけ。批判もアドバイスもなく、ただただ、そのひとをまるごと受け止め、話を聴くのです。あまりに苦しいときには、語ることさえできず、ただ、横たわっていることしかできないこともありました。そんなときには、みんな何も言わず、代わる代わる、背中をマッサージしにきてくれたこともあります。でも、それもまた、ことばではないところで、話を聴いてくれたということなのかもしれません。それだけで、ひとは、充分にちからをとりもどせるのです。私の場合、いまはその自助グループはありませんが、苦しいなあと感じたときには、同じことを、友人たちに頼むことができるようになりました。自分には、そんな友人はいないと思うかたもいるかもしれません。もちろん、友人でなくてもかまいません。家族やパートナーであればなおいいのです。どうしても、そんな相手は見つからないという場合は、「いのちの電話」のようなシステムを利用したり、カウンセリング、セラピーを受けることもありだと思います。大切なことは、自分にはちゃんと解決し、超えていくちからがあることを忘れないことです。あくまでもサポートなのです。自分のちからを放棄して、ただ頼ってしまうのでは、相手にとっても負担になります。 セラピストなどの場合は、 負担とは思わないでしょうが。 でも、深いところで、自分の可能性を信じているなら、そのひとの話を聴くことは、相手にとっても、自分がひとの役に立っているのだという、よろこびを受け取れます。また、自分自身も、突破する糸口を見つけやすくなるのです。ときに、出口は、果てしなく遠く感じられるかもしれません。でも、どうぞ、そんなときほど、「自分には解決するちからがある」と、自分に言い聞かせてください。そして、そのうえで、ひとのサポートをもとめてください。出口が見えないと感じることは、私も何度も体験してきました。でも、最終的には見つけることができました。だから、いま、こうして、このメッセージを書いています。助けをもとめることは、恥ずかしいことでも、情けないことでもないのです。むしろ、勇気のいることです。でも、その勇気を出したとき、ほかのひとも、その勇気を受け取ることができるのです。そのひとが苦しくなったとき、ああ、そうだ、助けをもとめていいんだと、気づくことができるようになるのです。あなたの苦しみが、いつか、誰かの助けになることだってあるのです。ひとは、そんなふうに、つながりあって生きているのです。だから、苦しいときには、自分には、解決するちからがあるのだと、信じてください。そのうえで、どうぞ、助けをもとめてください。いまは、そんなつながりが、本当にもとめられる時代なのかもしれません。●追記いま、第7期にさしかかった「『聴く』を磨く」講座もまた、そのひとつなのかもしれません。回を重ねるごとに、その確信を強めています。●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) 世界の医療団 ひとことメッセージが添えられます。こんなサポートもおこなっています。お友だちの百世安里(瑛衣乎さんアラタメ)さんとのコラボワークです♪今月は、昼間の開催にしてみました。夜は外出しづらいけど、昼間なら大丈夫というかたは、ぜひどうぞ♪5月21日●東京(トラウマ解凍ワーク)--------------------------------安心感とつながりのなかで、「自分にOKをあげる」感覚を育ててください。 動画第1弾 動画第2弾詳細は、こちら!申し込みフォームは、こちら!
2011.06.21
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★今日のフォーカスチェンジ♪誇りにもつながっていくのだと最近、職人の技を見る機会にめぐまれました。あることを依頼して、その現場に立ち会わせてもらったのです。こちらの繰り出す細かい注文に、職人さんは、淡々とこたえ、対応していきます。正直、こんな細かいことを言ってしまっていいのかなと思うようなことにたいしても、「それは無理です」なんてけっして言いません。それどころか、「こうすることもできますよ」「こちらのほうが、より、 要望に沿えると思いますが」と、提案さえしてくれます。そして、最終的には、こちらがお願いした以上の、すばらしい結果を得ることができたのです。その細かいこだわりや、妥協のないていねいさを振り返って思いました。自分は、ずいぶん、雑に生きてしまっているなあ、と。かつて、編集者をやっていたときのことも、思い出しました。そのころはまだ、いまのようにすべてがコンピューターで処理する時代ではなくて、(いつ?)(笑)最終段階の修正は、版下を切り貼りするようなこともあったのです。その日は、ちょっと忙しく、そんな切り貼りのお手伝いをすることになったのですが、めちゃくちゃ不器用な私のこと、やってはみたものの、一部ですが、1ミリほど、ずれが出てしまいました。するとたちまち、先輩から、「ここ、気持ち悪いでしょ」と、指摘されてしまいました。その先輩も、細かいところまで気配りのできるひとで、いつもていねいな仕事をするひとでした。そういうひとから見たら、雑な仕事は、「気持ち悪い」と感じるのだなと、どきんとしたことを思い出しました。日々を生きていると、ついつい、やすきに流されてしまうところがあります。指摘してくれるひとがいれば直すこともできますが、いないと、自分の判断だけになり、どんどん甘えが出てきます。気がつくと、はたから見てもはっきりわかるほどの手抜きになってしまっていたりします。そして、そんなときほど、自分ではこれでいいんだと、勝手に思いこんでしまっていたりするのです。先日の職人さんの仕事を見ながら、あらためて、自分のいまを、見つめ直してみました。ああ~、と思わず、ため息がもれてしまいました。はい。全然なってません。(>_
2011.06.20
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★今日のフォーカスチェンジ♪幸福に生きるためにあなたが生まれたとき、あなたは、自分の未来を何ひとつ疑うことはなかった。世界は、あなたにとって、すべてが好奇の光に満ちていて、見るものすべてにおどろき、聴くものすべてに耳かたむけ、ふれるものすべてにわくわくし、一つひとつをたしかめずにはいられなかった。あなたは、そんなふうに生まれ、そんなふうに育っていった。あなたにとって、世界は、一点の曇りもなく、きらきらと光り輝く、宝石箱のようだった。けれども、あなたが育っていく過程には、残念なこともたくさんあった。不当と思える扱いをされたり、思いも寄らぬ誤解を受けたり、理不尽な立場に立たされたりした。そのたびに、こころはどんどん傷ついていった。あんなに光り輝いていたはずの世界は、重くどんよりと厚い雲におおわれたようになり、歩いていく道の先にも、暗い霧が立ちこめているようで、立ち往生してしまいたくなる…。あなたは、自分を無力に感じ、あたらしいことにチャレンジすることを、怖れるようになる。一歩を踏み出すことが怖くなり、前に進む勇気が湧いてこなくなる。そうなったのは、あなたの責任じゃない。あなたは、いつも、誠意を尽くして生きてきた。あなたにできることを、あなたなりに精一杯やってきた。ただ、たまたま、まわりとうまくかみあわなかっただけ。タイミングが悪かっただけ。ただ、それだけ。本当は、誰も悪くはなかった。あなたを傷つけたあのひとも、どこかで、誰かによってこころが傷つく体験をしていた。傷ついたこころのままに、あなたに向かってしまった。あるいは、あなたの幸福を願い、そのために、よかれと思って、こうあるべきと思うことを押しつけてしまった。あなたの気持ちを直接たしかめることもなく。不完全だった。あのひとも。そして、たぶん、あなたも。 もちろん、私もね。不完全であることに、お互い気づいていれば、もしかしたら、お互いに、ゆずりあえることもあったかもしれない。お互いの足りないところを見せあって、足りているところで助けあえたかもしれない。でも、そのときは、それだけのよゆうがなかったのかもしれない。何かを思いこんで、その思いこみのまま、世界を見て、反応してしまったのかもしれない。だから、ね。いったん、立ち止まろう。思いこみのまま進むのをやめて。不完全だったあのひとも自分も、ゆるしてあげよう。ゆるして、てばなしてあげよう。そして、ね。もう一度、スタートし直すの。あのときの気持ちに還って。あのときの、曇りのないまなざしを思い出して。無理じゃないよ。だって、その感覚は、ちゃんとからだのなかに残ってる。表面では忘れていても、深く深く、うんと深いところに、しっかり刻みこまれてる。だから、ゆっくりと、ゆっくりと、思い出してみて。どんなに傷ついたと感じても、私たちの細胞は、毎日毎日、生まれ変わってる。傷ついた記憶を、あたらしい細胞に植えつける必要はないの。あたらしく、あたらしく、生き直していけばいいの。私たちの深いところにある、生きていくちからを信じて。今日は、あなたのために祈ります。あなたが、あなた本来の状態を思い出せますように。あなたが、あなたらしく生きていくための一歩を踏み出せますように。あなたが、幸福に生きることが、世界の幸福につながるのだから。何よりも、あなたは、幸福に生きるために、この世界に生まれてきたのだから。生きようね。そうして、みんなで、幸福な世界をつくりだそうよ。●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) 世界の医療団 ひとことメッセージが添えられます。
2011.06.19
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★今日のフォーカスチェンジ♪ありたい自分に照らして子どものころ、夏休みになると、夏休み全体の予定を立てましたよね。私は、あの予定を立てるのが好きでした。(笑)あれもしよう、これもしよう…と思うと、わくわくするんですね。ところが、予定を立てちゃうと、それで満足しちゃうのです。はい。予定を立てること、だけが楽しいのです。あとは、その日その日で、予定はほとんどスルーです。(笑)どうもこの傾向は、おとなになってもつづいていて、計画は立てるものの、なかなかそのとおりにできない、ということがしばしばありました。最近、このことについて、2つの気づきがありました。ひとつは、自分の好きなことは、無理しなくても自然にできてしまうということです。たとえば、中学2年生のとき、夏休みの自由課題で、詩や読書感想文などの作文を、400字詰原稿用紙・約100枚ぶん書いて、提出しました。ひとから見たらびっくりするでしょうが、ただ、書くことが好きだったのです。このブログが、8年以上もつづいていることも、結局は、書くことが好きだという土台があるからかもしれません。テーマをしぼって、それほど長いものにしていないことも、つづけやすさの理由かもしれません。 「いや、充分に長い」という ツッコミは、却下!(爆)演劇にかかわる活動もそうです。好きだから、つづけてきました。そこには、迷いはありません。でも、そうではないもの。なかなかつづきません。(笑)で、今回2つ目の気づきです。もちろん、本当にやりたくないことが、できないとしても不思議ではないけれども、そうではないけれど、なかなかつづかないものというのは、何のためにやるのかという目的が、鮮明ではないからかなあ、と。たとえば、部屋の片づけ。(笑)「片づけなきゃ」では、なかなかはじめられません。(^^ゞでも、何のために片づけるのか。「ひとに見られたら恥ずかしい」…これは、あまり高いモチベーションにつながりません。「どんな自分でありたいか」ここから入ってみたらどうかな、と思いました。片づけができていないと、何かを探すのに時間がいります。「ここにあったはずなのに」と、あちこちをひっくり返す。それで、どれだけ時間をむだにしてきたかしれません。…そんな自分で、ありたいのか?で、ここまで考えたとき、さらなる気づきが起きました。ありたい自分のイメージが鮮明でないと、「まっ、いっか」と言う自分が出てくるのです。(笑)もちろん、「まっ、いっか」も、ひとつの選択。それも否定しません。でも、今日はちょっとだけちがいました。ありたい自分を、あらためてイメージしてみました。あれこれ探して、自分に腹を立てる自分よりも、(笑)さくさく仕事がすすむ自分♪そこには、もうひとつ、先のイメージがありました。探しものにわずらわされずに、さくさく仕事がすすめば、自分がやりたいことが、もっとやれるようになるのです。ありたい、本当のイメージはそこです。というわけで、今日のまとめ。 いつからまとめをするように なったんだ?(笑)好きなことは、ほっといてもやる。できる。なので、これは問題ナシ。すごく好きではないけれど、やったほうがいい、やったほうが絶対におトク。そういうものについては、ありたい、最終イメージをありありと思い浮かべてみる。片づけであれば、片づけたときのイメージと、それが実現できた先に、何ができるかというイメージ。せっかくなので、ありたい自分になったつもりで、ありたい光景のなかで、その自分が、しゃべったり、動いたりしているところを、イメージしてもみました。かなり、かっこいいです。(爆)それができたら、あとは、そのための時間や、必要なアイテムがあれば、それを用意するだけ。途中で、「ま、いっか」が起きてきたら、ありたい自分に照らして、それが、「ま、いっか」で本当にいいかどうかを、ちょっとチェックしてみます。ここまで書いたところで、ひとつ、アイデアを思いつきました♪部屋の入り口から、全体写真を撮っておきます。毎日、確実に、片づける時間をとります。毎日、確実に、写真を撮っていきます。片づいていくようすを、写真で確認することで、モチベーションを高めます。そして、片づいたあかつきには、スライドショーにして、変化の様子を見て楽しみます♪ あ、個人的にですよ。(笑)これ、成功したら、ご報告しますね♪お楽しみに♪(楽しむ内容なのか?)●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) 世界の医療団 ひとことメッセージが添えられます。
2011.06.18
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★今日のフォーカスチェンジ♪自分が好きじゃなかったころ自分が好きじゃなかったころ、それは、実は、そんなに昔のことではないのだけれど。自分は、世界のなかで、ひとりぼっちだと感じてた。自分が好きじゃなかったころ、生きてることは、それだけでひりひりと痛いときがあった。うまくいかないことがあれば、それは、自分が悪いから。本当の理由を探そうともせず、そう決めつけることで、現実から目をそらしてた。自分が好きじゃなかったころ、自分の気持ちは、誰にもわかってもらえない。そんな傲慢なことを思ってた。自分こそ、ひとの気持ち、まるでわかってなかったくせに。自分が好きじゃなかったころ、そのくせ、考えることは、いつも自分中心。自分が、自分が…と、自分を守ることにしか、目を向けようとしていなかった。そして、いつも勝手にひとりぼっちになっていた。自分のことを好きになれたいまも、うまくいかないことは、たくさんある。気持ちがすれちがうことだって、やっぱりある。落ちこむことだって、当然ある。でも、たしかにちがうことは、自分はひとりじゃないってことがわかってる。だから、勇気を出して、「助けて」って言える。自分のことを好きになれたいまも、いじけることもあるし、すねることもあるし、立ち往生することもあるし、絶望的な気分になることもある。でも、そんなときでも、絶対に、絶対に、もうだめだ、なんて思わなくなった。絶対に、絶対に、必ず、次のシーンがやってくるんだって、信じられるようになった。だから、安心して(?)、いじけたり、すねたり、落ちこんだりできる。(笑)そんな気持ちを、ひととおり味わったら、あとは、フッカツすればいいだけ!ちょっと時間はかかってもね。そんな時間を、使うことさえも、自分にOKをあげられる。いいよ、いいよ。好きなだけ、すねてごらん。(笑)ちゃんと待ってるから。あなたの気持ちが、また前を向くまで、ちゃんと、ここにいて、待っているからって。自分で自分に言ってあげられる。どんな自分も、ゆるしてあげられる。だって、それも含めて、まるごと、自分なんだもの。受け止めて、受け入れて、そのまんま抱っこして、生きていくって決めた。私にとっては、自分を好きになるって、そんなことかなあって思ってる。自分が好きじゃなかったころ、思っていたこととは、ちょっとちがう風景だけど、(^^ゞまっ、いっか。(爆)そう思えるのも、自分のことを好きになれたから♪自分が好きじゃなかったころ、こんなにも、自分のこと、受け入れられるようになるなんて、想像もしてみなかった。もっと言うと、自分が自分のことを否定していることさえ、気づいてなくて、ただ、生きることが苦しいとしか、思っていなかったから。だから、いまは、とても幸せ。いろいろなことはあるけど、そのたびに感情はゆれるけど、それも含めて、全部OK。だって、私は私だから。世界でたったひとりの自分。でも、ひとりぼっちじゃなくて、すべてとつながってる自分。自分が好きじゃなかったころがあったからこそ、いま、ひとりぼっちじゃない自分がわかる。あれだけ苦しいと感じたからこそ、いま、やすらぐことのよろこびがわかる。だから、自分が好きじゃなかったころがあって、それもよし。過去もいまも全部、マル。もしも、いま、自分のことを好きになれないなあと感じてるひとに。今日の私のメッセージ。それもすべて、ぜーんぶOK。あなたは、あなたのプロセスを選んで生まれてきた。あなたが、あなたを好きになったとき、すべては、そこにつながる道だったことがわかるから。ほんのちょっとだけ先に、そのことに気づいた私から、いま、あなたにエールを贈る。そこからはまだ見えないかもしれないけど、「好き」というゴールはね。ほんのちょっと先にあるのかもしれないよ。ふぁいと♪応援してるよ!ほら、あとひといき♪●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) 世界の医療団 ひとことメッセージが添えられます。
2011.06.17
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えーと。今日の話題は、おにぎりづくりに人生をかけたひとのお話。…ではありません。もちろん。(笑)★今日のフォーカスチェンジ♪「おにぎり」と「人生」「見つめたものが拡大する」このブログでも、しばしばとりあげている、宇宙の法則。実は、これ、単純に、脳のはたらきなんですね。 でも、「宇宙の法則」って言ったほうが インパクトあるでしょ?(笑)脳は、コンピューターの検索機能と同じで、何か単語をひとつ入力すれば、即座に、それに関するものをピックアップしはじめるのです。簡単に言うと、「赤いもの」と言った瞬間に、身のまわりにある赤いものが目につきはじめるのも、この、脳のはたらきです。人間は、意識したものを、見つめるようになっているのです。だから、「見える」ものは、あなたが「見つめた」ものなんです。と、ここまでは、おさらい。(笑)この検索機能を使うと、ときどき、こんな遊びができます♪適当な単語を脳に放りこんで、それで、人生の問題を考えてみるのです。たとえば、「おにぎり」。 脈絡もなく思いついたので、 別に、意味はありません。「おにぎり」と「人生」はい。何か関係づけられますか?考えてみてください。 チッ、チッ、チッ…チーン。こたえは、いろいろでOKです。ちなみに、私はこんなふうに考えました。「暗闇(海苔)につつまれていても、 なかみは、あたたかく かみしめるほどに味がしみてくる。 ときには、涙(塩味)が、 その味わいを深めてくれる。 また、どのような芯(おにぎりの具)を もつかが、そのひと(おにぎり)の 味わいを決めるのだ」 …お粗末さまでした。(*^_^*)えーと。何が言いたかったかというと、要は、人生は、考えかたひとつで、なんとでもなるってことです。何か「トラブル」が起きたとしても、「深刻だ」と思った瞬間に、「深刻な問題になる」のです。「チャレンジしがいのある課題」と思った瞬間に、「チャレンジしがいのある課題」に、変わるんです。「そんなふうに思えないよ」と、思うひともいるかもしれません。そのひとは、その瞬間に、「そんなふうに思えない」というところを、見つめているのです。だから、脳も、忠実に、「思えない」と思えるような材料を検索して集めてくるのです。「時間ないし」「気力ないし」「才能ないし」なんていうふうにね。「そうはいったって…」と、抵抗したくなるひともいるでしょう。(笑)その気持ちもわかります。長年、「そうはいったって」を見つめつづけてくると、それ以外の選択肢なんて、選べないような気がするんです。でも、これも、いつも書いているように、ただの、「習慣」です。そのような考えかたを、長年「練習」してきた結果、 自分では練習だなんて 思っていないとは思いますが。「問題」→「だめだ」「できない」と、即座に考えられるような回路を、強固!につくりあげてきただけなんです。だから、日々、ちょっと気楽に、これまでとはちがう練習をしてみるといいと思うのです。脳に、いろいろなデータをあげるんです。「おにぎり×人生」みたいにね。そうやって、いろいろな変化球を投げつづけていると、脳のなかに、これまでとはちがった道すじができてくるでしょう。それら一つひとつは細くても、それぞれにちいさな流れをつくって、脳のなかに、あたらしい道をひらいてくれるでしょう。そうしたら、いつか、こんな回路がひらけるんです。「ほかの選択肢もあるぞ」ってね。どうぞ、何か「問題」にぶちあたったと感じたときには、まずは、自分が安心できるような単語を、脳に放りこんでください。「大丈夫」「なんとかなる」「ちゃーーーーーんす!」(笑)そしたら、脳は、即座に、「大丈夫」「なんとかなる」「ちゃーーーーーんす!」(笑)な理由や、解決策を考えてくれますから♪ときには、「検索」に、時間のかかることもあるかもしれませんが、どうぞ、見守ってあげてください。見つめつづけてあげてください。必要に応じて、追加の情報も放りこんであげてください♪あとは、ときどき、「よしよし」「いいこいいこ」って、かわいがってあげる?ことも忘れずに。なんたって、あなたの大事な脳なんですから♪●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) 世界の医療団 ひとことメッセージが添えられます。
2011.06.16
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★今日のフォーカスチェンジ♪ポイントは、「わくわく」です。先日、ある勉強会に出たとき、講師のかたがおっしゃっていたことです。「毎朝、早起きをして、 三十分でいいから、 自分の生きかたについて 考える時間をもちなさい」それって大切なことだなあと思いながら、「あれ、もしかしたら…」と思ったのは、「私、結果的にやってるかなあ」っていうことでした。早起きに関しては、私は、子どものころからの習慣で、苦労したことがありません。というか、いまは、大体、四時間半くらい眠ると、自然に目が覚めて、私の場合、目が覚めた瞬間に、完全に覚醒してしまうため、次の瞬間には、もう、起き上がってしまっています。最初にするのは、パソコンのスイッチを入れることです。そう、このメルマガを書くのが、朝一番の仕事なのです。かかる時間は、その日にもよりますが、小一時間ほど。ということは、しっかり三十分は、考える時間をとっていることになります。講師のかたがおっしゃっていた「自分の生きかたを考える」ことになっているかどうかは、わかりませんが、でも、この毎朝の習慣が、自分自身を振り返るチャンスになっていることはたしかです。とくに、最近、ある友人から、「かめおかさん、 書いていること、 自分で実践できてるの?」と、スルドイ指摘をもらい、「ううう…」と悶絶(爆)したこともあり、書くたびに、あらためて、自分に問うという気持ちになっています。ちなみに、「そんなに、朝すっきり 起きられないよ」というかたもいますが、ときどき書いているように、本当は、どんなひとも、起きられると思っています。毎朝が、うれしくて楽しくてしかたなくなればいいのです。よーし、明日はこれをやるぞ!こんなことをやりたい!そう思って、わくわくしながら眠りにつけば、きっと、翌朝はシャキッと目覚めることができると思うのです。いわば、遠足効果というやつ♪その三十分は、どんなかたちでもいいと思います。どこか落ち着くところで、リラックスして、でもいいし、天気がよければ、散歩しながら、というのもありだと思います。そんなふうに、時間と場所をきちんと確保して、これからの自分のことを、あれこれ思いめぐらしでみるんです。このときのポイントは、「希望を見る」じゃないかなと思います。できていないこと、うまくいっていないこと、ではなく、これからやりたいことに、まず目を向ける。そうすると、気持ちが明るくなります。あれもやりたい。これもやってみたい…。わくわくしてくるでしょう。そしたら、そのために、クリアしなければならない課題も、見えてきます。クリアする内容が、一気に終わらなさそうなときには、少し分割して考えることもひとつの方法です。実現したい未来を見ながら、課題を考えてみると、なんだか元気が出てきそうですね。まずは、早起き。始めてみませんか?ポイントは、「わくわく」です。わくわくしながら眠って、わくわくしながら目覚めてください。そしたら、その日一日も、きっと、わくわくです♪●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) 世界の医療団 ひとことメッセージが添えられます。
2011.06.15
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うれしいことに、何人ものかたから、メッセージをいただいています。「こういう発想もあるんですね」「読んで、私も感動しました」「すてきな話をありがとうございます」さらには、自分の参加するメーリング・リストに投稿してくれたり、自分が発行するメルマガに転載してくれたりするひとまで!(感謝!)でもね。ほんとに、応援せずにはいられないですから! こども夢花火 6月23日まで詳細は、こちら!★今日のフォーカスチェンジ♪ありたい自分を想像してごらん。いっさいの制限をはずして、想像してみよう。どんな自分を生きられたらサイコーかな…って。自分の実力がどうとか、お金があるとかないとか、資格があるとかないとか、そんなこと関係なしにね。ただ、ただ、想像してみるんだ。どんな自分を生きたいか?ありありとイメージして、そのなかにひたってみるんだ。うんと、よくばっていいよ。想像の世界のなかでは、不可能なことなんて、何ひとつないのだから。たっぷりとたっぷりとイメージして、味わってみるんだ。飽きるくらい味わい尽くすんだ。その瞬間、君は幸福だろうか?幸福の感覚を、しっかりと受け止めているだろうか?受け止められるのであればね、君のなかで、幸福のイメージがしっかり見えてるってこと。そのまま、まっすぐにそのイメージに向かってすすんでみてごらんよ。もちろん、いきなりは無理でも、方向さえ見定めていれば、ちゃんとすすめるようになっているから。あとは、ちいさな一歩を確実に踏んでいけばいいんだ。また、幸福のイメージを、しっかり描けなかったという場合も、悲観することはない。そのいだいたイメージは、ひょっとしたら、自分が本当にはもとめていなかったものかもしれないよ。たとえば、よく、大金持ちになりたいとねがうひとたちがいるけれど、そのひとたちが、本当にほしいのは、お金じゃなくて、お金を手に入れることによって、得られる(と思っている)何かだったりする。だったら、お金持ちになることより、それを手に入れるほうをめざしたほうが、早道ってこともあるよね。またあるいは、自分のなかのブレーキが強すぎて、純粋に、ありたい自分をイメージすることがむずかしいひとも、ときどきいる。そんなひとは、このエクササイズに取り組む前に、もう少し、自分にやさしくするレッスンが必要かもしれない。だれだって、おおきな岩を背負ったまま、自由に走ることはできないからね。ましてそれが、長距離だったりしたら、途中で絶対に息が切れちゃうから。そんなよけいな石は、自分でてばなすことが先決なんだ。もう一度。いっさいの制限を捨てて、ありたい自分を想像してごらん。ありたい自分を想像できる自分を受け入れてごらん。すべてのひとが、そうやって、ありたい自分をまっすぐに受け入れることができたら、そのままで、幸福に生きることができるだろうね。ただまっすぐに、ありたい自分を生きようとめざすなら、ゴールはずっと早くやってくるかもしれないね。今日書いたこと自体、空想だけど、こんな空想を、こうなったらいいなと、本心から思って書いたんだ。思いはね、エネルギーをもっているから、きっと、目に見えないちからが、ここではたらいたんじゃないかな。目に見えないゴールが、向こうから一歩近づいたかもしれないね。そう。そのくらいの気楽さでさ。自分が幸福になるための一歩を、歩きだしてみようよ。この先が、楽しみになるね!●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) 世界の医療団 ひとことメッセージが添えられます。
2011.06.14
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本日2本目。今日は、広島で「『聴く』を磨く」講座。帰宅は明日になります。なので、明日のぶんもアップしていきます♪たくさんの共感のメッセージをいただいています!「祭り」は、もともとが、「祀り」であり、日常の「ケ」(穢れ)を祓う、「ハレ」の役割をもっていました。その意味を見失ってから、日本人は、どんどんこころを貧しくしていっている…と私は思います。この企画を思いついたひとたちは、「祭り」の本当の意味を知っているのだと思います。 こども夢花火 6月23日まで詳細は、こちら!★今日のフォーカスチェンジ♪発達生涯ある友人に、真顔で言われました。「かめおかさんって、 一種の発達障害だよね」誤解のないように付け足しておくと、この友人は、このことばの具体例をよく知っていて、けっして、差別的に使ったわけではありません。それで、私も、「うーん」と考え、なるほどと思いいたったのです。このところ、いろいろなことがあり、自分のことを振り返る機会が、しばしばありました。そのなかで、思い起こすと、たしかに、私の「空想癖」は、尋常ではありませんでした。授業中に、「こころ」がいなくなることは、しばしばありました。「こころ」が「あちら」(どちら?)に行ってしまうと、目の前に見える景色さえ、変わってしまいました。「あちら」(だからどちら?)の世界で、歌を歌っていたら、先生に注意されて、気がつくと授業中だったということさえあります。(爆)もうひとつは、空想(妄想ともいう)が動き出すと、どんどん先に走っていってしまうことでした。みんなが、Aの話をしているのに、私の頭のなかでは、すでに、Aの次のB、Bの次のC…、いえ、X、Y、Z…へと、飛んでいるのです。だから、気がつくと、みんなと会話がかみあわなくなっていることが、よくありました。もっと始末の悪いことに、(笑)現実にできることと、できないこと(限界のあること)の区別がつきにくいのです。これは、子どもが、目の前の食べものを食べたいと思うときに、自分がどれだけ食べられるか、判断できないこととほぼ同じです。子どものころは笑ってすませられますが、 おとなになって、仕事のうえで、これをやってしまうと、できると思っていたことができず、あっぷあっぷしてしまいます。実際に、それで、〆切に遅れてしまうことが、多々、多々、多々あります。(>__
2011.06.12
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たくさんの共感のメッセージをいただいています!物資の充実はもちろん大切!ですが、こころが元気にならなければ、本当の復興はないのだと思います。 こども夢花火 6月23日まで詳細は、こちら!★今日のフォーカスチェンジ♪とりかえしのつかないこと私たちは、何かを怖れるとき、こんな表現を、よく使います。「とりかえしのつかないことに なったら…」もちろん、どんなことであれ、ただただ突っ走ればいいというものではありません。 私にはその傾向がありますが。(^^ゞとりわけ、いのちにかかわるようなことについては、どうしたらそのリスクを回避できるかを、考えながらすすめなければなりません。そして、ときには、ストップをかけることも。でもね。それが度を超してしまうと、今度は、ちっとも前にすすめなくなってしまうのですね。しかも、自分が、自分の行動にストップをかけるだけなら、まだ自分の責任ですむのですが、自分以外のひと(家族など)に、ストップをかけてしまうとき、あとあと、気持ちのすれちがいを生んでしまうこともありえます。よく言われることですが、ひとが、亡くなるときに後悔することは、やったことではなく、やらなかったことなのだそうです。そう考えたら、やっぱり、やりたいことは、やってみるという選択肢を、向けてみるのは、悪くなさそうです。そのときにね。紙に書き出してみたらいいと思うのですよ。もし、これをやったとして、とりかえしのつかないことが起きるとしたら、どんなことだろう。その可能性は、現実的!にどのくらいあるだろう。仮に、○○パーセントという数字が出たとして、それを回避するためには、どんな方法や準備が必要だろう。それらの方法や準備がしっかりできたとしたら、パーセントはどのくらいまで下がるだろう。そんなふうに、計算してみてください。その数字を、多いと思うか少ないと思うかは、そのひとそれぞれ。それでも、やってみたいと思えたら、やってみたらいいんですよ。ちなみに、私ですが、私は、算数ができないひとなので、そんな面倒な計算はしません。リスクがあろうがなかろうが、やりたかったら、やります。(爆)おかげさまで、現在にいたるまで、とりかえしのつかないことは起きていません。てゆーか、私にとって、とりかえしのつかないことがあるとすれば、それは、たぶん、宇宙が滅亡することです。たしかに、過去に、ショックだったこと、かなしかったこと、くやしかったこと、残念だったこと、腹が立ったこと…は、たくさん体験してきていますが、どれをとっても、宇宙滅亡に比べれば、たぶん、たいしたことではありません。それに、こんなことを言っては、ミモフタモありませんが、宇宙が滅亡しちゃったら、何もかもなくなっちゃいます。私自身もいなくなっちゃいますから、後悔のしようもありません。(爆)結局、気にしたってしょうがないってことです。いいえ、ほんとは、仮に宇宙が滅亡したとしても、エネルギーはなくなりません。エネルギー保存の法則にしたがえば、きっと、かたちを変えて、また、あらたな循環がはじまります。そもそも、私たち自身にしても、個体としての寿命はせいぜい100年かもしれませんが、その構成要素は、この宇宙開闢以来からつながってきています。(ですよね?)つまり、137億年前から、私たち(の要素)を含む、宇宙の生命活動ははじまっているということです。日本語として正しくないかもしれませんが、何度も、何度も、何度も、「とりかえし」てきているんですよ。(笑)とりかえしがついているから、いま、私たちは、ここにいるんです♪いったん、そのくらいのスケールで、考えてみてはいかがですか。ひとは、自分のもっているものさしで、ものごとを決めていますから、ものさしの尺度を変えることで、気持ちが変わることは、いくらでもありますからね♪あなたの人生。思いきって楽しんでください。きっと、宇宙もよろこびます♪(*^_^*)●追記ものさしを変えるのはけっこうですが、どこかの国のように、危険なものが放出されたあとで、安全基準の数値を引き上げるというのは、ちょっといただけません。あくまでも、自分が使うものさし、ということで、よろしくです♪●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) 世界の医療団 ひとことメッセージが添えられます。
2011.06.12
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本日2本目。勝手の応援告知です理屈抜きで、そして、わくわくして応援したくなることって、そうそうないです。でも、これは、ほんとにぴんときました。というか、誰が考えついたんだあ。というか、よくこれ、決定になったなあ。…というのが、正直な感想でした。でも、決定になったんですね。思いついたひと(たち)の熱い思いが、ほかのひとたちをも動かしていったんです。…見てたわけじゃないけど、きっと。 こども夢花火 6月23日まで このページ、見てください。見ていただけたら、説明は不要です。かめおか、読んで、泣きました。そして、頼まれてもいないのに、この告知文を書こうと決めました。今回の震災の被災地のひとつである、南三陸町が、寄付金ではない、義援金でもない、自分たちなりの「復興」のかたちを考えました!ひとによっては、こんなことでお金を使うなんてもったいないと思うかもしれません。でも、共感してくれたひとは、絶対にどんなかたちでもアクションを起こしてくれると信じています!1口3000円~です。よゆうのあるかたは、何口でも♪これ、おわかりになると思いますが、かなりイレギュラーなかたちです。でも、事情を受け止めて、楽天市場さんも対応してくれたのだと思います。期間は、6月23日までです。かめおかも、期日まで、全面応援します! こども夢花火 6月23日までまずは読んでください。読んで、ご自身で決めてください。
2011.06.11
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>昨日のメッセージ「全力で生きてる?」にたいして、読者さんから、こんな感想をいただきました。----------------------------- 今日のメッセージは とても息苦しいです。-----------------------------私も、きっとそんなふうに感じるかたがいらっしゃるのではないかと思い、「苦手に感じたら、スルーしてください」と、書かせていただいたのですが、それでも読んでいただいて、感想をくださったことには、きっと意味があるのでは…と考えました。それで、今日のメッセージを書いてみました。ちなみに、私は、毎日のブログを、いつも自分自身に言いきかせるつもりで書いています。世のなかには、「自分にできないことは書くな」と考えるかたもおられると思います。それはそれで大切なことですが、私自身は、自戒をこめて、自分が学ぶつもりで書いています。たまたま、ブログというかたちで読んでいただいてはいますが、けっして押しつけるつもりはありません。そのことは、どうぞ、ご理解くださいね。★今日のフォーカスチェンジ♪選ぶレッスン最近、思っていることのひとつに、「すべてのことに、意味はない」ということがあります。実は、昨日のメッセージ「全力で生きてる?」にたいして、ほぼ同時刻!に、2人のかたから、別々の感想をいただきました。おひとりは、昨日のメッセージを「息苦しい」と感じられたそうです。おひとりは、「パワーが充実している時期ですね」と、受け取られました。実は、どちらも当たっていて、どちらも、当たっていません。(^^ゞ現在、私は、ある課題を受け取って、けっこう悪戦苦闘しているのです。というと聞こえはいいですが、それなりにへこんでいる面もあります。(^^ゞもしも、完全にへこんでいるときに、このメッセージを、ひとから言われたら、はっきり言って、「うざい」です。(笑)「よけいなお世話!」って言いたくなります。(爆)だから、「息苦しい」というお気持ちも、よくわかるのです。ただ、へこんだままでいてもしかたがないなあという気持ちもあり、どうせなら、自分で自分に気合いを入れてやろうという気持ちで、昨日のメッセージを書きました。だから、パワーがあふれているかというと、必ずしもそうではなく、とはいいつつ、このままではいけないと決意したわけですから、その意味では、パワーはあがっているわけで、半分当たって、半分当たっていない状態といえましょうか。(^^ゞでも、ここで書きたいことは、それが合っているかいないかということではなく、同じメッセージでも、受け取りかたによって、まったくちがう意味になってしまうということなのです。だから、もともとのメッセージに意味があるのではなく、どのように受け取るかということに、すべての意味があるということを、今日は、書きたいと思ったのです。冒頭に書いた、「すべてのことに、意味はない」ということばは、言い換えれば、「すべてのことは、意味をつけたひとに とって、その意味をもつものになる」ということなのです。そう思ったら、「選ぶレッスン」ということばが、頭のなかに浮かびました。そう。選ぶのです。自分が何を受け取り、何を受け取らないのか。それを、自分で決めるのです。それは、ときとして、怖いことのように感じられます。失敗したらどうしよう。とりかえしがつかないことになったら、どうしよう。そんな不安も湧いてきます。でも、自分で選ぶことを放棄して生きるということは、ひとの判断に、自分の人生をゆだねることになります。もちろん、それも自分で決めたことなら、いいのです。でも、決めないままに、そうなってしまっているのであれば、こころ安らかに生きることはむずかしいかもしれません。少なくとも、仮に、本当に「とりかえしのつかないこと」が起きたとしても、自分の決めた結果としてそうなったことなら、自分であきらめもつきますが、ひとに判断をゆだねた結果だとしたら、そのほうがかえって、気持ちのやり場がなくなってしまうような気がするのです。どうぞ、立ち止まって、考えてみてください。あなたは、自分の人生を、どうありたいと感じていますか?急がなくてかまいませんから、ゆっくり、でも、しっかりと自分に問うてみてください。あなたの気持ちで、あなたの生きかたを決めてください。そしてね。自分で生きると決めたとき、「レッスン」が必要になるのです。「選ぶ」というレッスンがね。あなたが、あなたを生きるために。あなたが、あなたであるために。大丈夫。選ぶチャンスは、日々のなかにあふれています。レッスンはいくらでもできますから♪いつも書いているように、なれないひとほど、スモールステップがかんじんです。あせらないで。あわてないで。ちいさなちいさな、うんとちいさな一歩を大切にしてくださいね♪そして、ちいさなことができるようになったかなと感じたら、その次のことにチャレンジすればいいのです。それもまた、自分が選ぶこと。ほかのひとに、必要以上にあわせる必要はありません。あなたは、ほかの誰でもない、あなた自身を生きているのですからね。選ぶレッスンをとおして、あなたが、よりあなたらしく生きられるようになりますように♪応援していますよ!(*^_^*)●追記1ご理解いただけると思いますが、このメッセージもまた、自戒をこめて書いています♪●追記2とりわけ、自分にとってネガティブに感じること・もの、ここちよく感じられないものを「受け取らない」というレッスンは、とっても大切です。それも、「受け取らない」という選択のレッスンですからね♪●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) 世界の医療団 ひとことメッセージが添えられます。
2011.06.11
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今日のメッセージは、やや強めかもしれませんが、ただいまの自分に向けて書いているものです。(^^ゞなので、「こういうのは苦手」というかたは、遠慮なく、スルーしてくださってOKですよ~♪★今日のフォーカスチェンジ♪全力で生きてる?ほんとに、全力で生きてる?手抜きしてない?もっとやれることを、どこかで、パスしちゃってない?自分にできることを、もっと真剣に考えてみようよ。損得じゃなくて、本気でやりたいかどうか。やりたいことなら、一切の妥協を捨てて、全力で突っ走ろうよ。自分のことだけ、見てない?一緒に走ってくれるひとたちのこと、ちゃんと目に入ってる?そのひとたちの思い、ちゃんと受け取ってる?自分だけでがんばってる、なんて傲慢な気持ちになってない?ひとりよがりで、まわりのこと、振り回してない?そのくせ、誰も自分のことをわかってくれないなんて、勝手にすねてない?感謝してる?ほんとに、ほんとに、感謝してる?日々こうして生きていることが、たくさんのひとたちに支えられてるってこと。ひとだけじゃなくて、もっとおおきな存在を含めて、その恩恵のなかで、生かされてるってこと、本当に、わかってる?わかって、ちゃんと感謝してる?責めるために、言っているのではないよ。本気で生きることをあきらめないためにね。全力で生きることを、忘れないためにね。自分の可能性を、ちっぽけなままに終わらせないためだよ。まだまだ途上だよ。やれることはいっぱいあるよ。自分にいいわけをしているひまなんてないよ。愚痴を言ったり泣きごとを言ったりするひまがあったら、とにかく、一歩を踏み出そうね。その一歩が、たとえ徒労に終わったとしても、誰からも評価されなかったとしても、まずは、一歩を踏み出した自分を、ねぎらってあげよう。そして、それを、次の一歩のためのエネルギーに変えて、前に進もう!大丈夫。何度だって、何度だって、トライしていけばいいんだ。自分があきらめないかぎり、終わりになることはないんだよ。すべては、自分が決めている。だから、その自分に、言ってあげるんだ。ほんとに、全力を尽くしてる?全力尽くして、生きてる?何度でも何度でも問い返しながら、ありたい自分に向かって、どこまでもチャレンジしていこうよ。できる・できないじゃないんだ。やるか・やらないかなんだよ。そしたら、あとは、自分次第。生きて、生かされているこの世界で、自分のいのちをまっとうしよう。それが、自分が生まれてきた意味だよ。いまは、足りないものだらけだけど、そんなでこぼこのまま、でこぼこであることにもマルをあげて、ひたすら、突っ走っていこうよ!休むのは、死んでからで充分間に合うさ!●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) 世界の医療団 ひとことメッセージが添えられます。
2011.06.10
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最近、おもに子育て中のお母さんを対象にした、講座の講師をつとめさせていただく機会がありました。そのなかで、感じたことを書きます。★今日のフォーカスチェンジ♪だって、トマトですから。「これで、いいんですよね」何度もたたみかけるように、そのかたはおっしゃいました。「あくまでも、 ケースバイケースですよ」と、私も繰り返しお返事し、「わかりました」と、おっしゃるのですが、また、同じように質問してこられるのです。ある、子育て中のお母さんを中心にした講座でのできごとです。自分のやっていることが、正しいかどうかを、確認したいようなのです。そんなかたは、実はけっしてめずらしくありません。でも、そのたびに、いつも不思議に思うのです。たとえば、ここにトマトがあって、これは何グラムですか?正解を知りたい、というならわかるのです。はかりをもってくればいいことですからね。でも、ここにたくさんのトマトがあって、どれがトマトとして正解ですか?と言われたら、すべてのトマトが正解になるのです。だって、トマトですから。(笑)同じように、子どもたちは、子どもとして、その子なりの育ちをしている最中なのです。そこに、基準をあてはめるのは、おとなのがわであって、子どもにとって、それは意味のないことなのです。何ができる・できない、進んでいる・遅れているなど、大さわぎしたところで、おとなになるまでには、だいたい、ひとしなみにそろっているものです。私の体験的には、20歳くらいまでには、たいていの子は、育ちのうえで、それほどきわだった差異はなくなります。だったら、まだ育ちの最中である時期に、あれやこれや、細かいことは、言い過ぎなくていいのです。正解さがしをされればされるほど、子どもは、どんどんきゅうくつになってしまいます。きわだったでこほこはけずれたとしても、自分らしさを発揮できなくなってしまうのでは、本末転倒ではありませんか。そのときそのとき、一瞬一瞬を生きている子どもたちの、そのままを大切にしてあげてください。そして、何よりも、そんな子どもたちと、一緒に遊んであげてください。子どもと一緒に、泣いたり笑ったり、ときには、はめをはずしすぎて、別のおとなに、叱られちゃったりしてみてください。(笑)子どもは、きっと、そんなあなたに、深い親しみを感じるでしょう。こころをひらいて大丈夫なんだと、安心して、そばにいるようになるでしょう。そして、そんな関係が成り立ったときには、子どもたちは、ちゃんと、言うことをきいてくれたりするものです。(^^ゞ何が正解なのか。そんな気持ちに振り回されそうになったときにはね。どうぞ、言ってみてください。「だって、トマトですから」色やかたちやおおきさに、多少のちがいはあっても、どれもみずみずしいトマトです。同じように、ひとりひとりのちがいはあっても、あなたが育てているのは、かたちの見えない「正解」ではなく、生きたひとりの子どもなのです。ご縁があって、あなたと出会ってくれた、かけがえのない子どもたちです。何よりも、そのことを大切にしましょうよ。二度ともどってこない、子ども時代を、きらきらとかがやくものにするためにも♪●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) 世界の医療団 ひとことメッセージが添えられます。
2011.06.09
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読者のEさんから、質問をいただきました。-------------------------------------- 悲しい出来事があり、感情がなくなりました。 どのようにすれば、戻りますでしょうか?--------------------------------------Eさん、ありがとうございます。私は、こころの専門家ではありません。ただ、自分の体験をとおして、何か参考になることがあればという気持ちで、お返事させていただきますね。そして、必要だと思ったときには、そうした専門家のサポートをもとめることも、ためしてみてくださいね。★今日のフォーカスチェンジ♪育ててみたら友人から聴いた話です。たまたま、足をひねってしまい、刺激しないように、固定していたそうです。でもなかなか治らないので、親しくしている整体師さんのところに行ったところ、「あ、こういうのは、 そのままにしちゃだめだよ」と、そのひねったところを、ぎゅっとおさえたのだそうです。すると、その瞬間こそ、かなり痛かったのだそうですが、そのあと、うそのように、痛みが引いたのだそうです。もちろん、専門のかたの施術ですから、この文章を読んだだけで、そのまままねはしないでほしいのですが。でも、ここから受け取れるメッセージはあるなあと思いました。こころとからだの問題は、別ものではないのです。こころが苦しくなることがあって、思わず、固めてしまう。そんな体験は誰にもあると思います。たいていは、自然にほぐれていくものなのですが、あまりにもつらいときは、それが固まったままになってしまうことがあります。より正確には、固めたままにしてしまうのですが…。でも、生きている人間として、それは、とても不自然なことです。生きているということは、いつでもどこか動きつづけているということなのですから。そんなとき、最初に書いた例のように、ぎゅっと押し出すようなはたらきかけもあるかと思いますが、私が、ふっと思ったのは、何かを育ててみたらどうかな…ということてす。たとえば、それは、花の種を植えることかもしれません。花ではなく、野菜でもいいかもしれません。あるいは、ちいさな動物を飼うことかもしれません。そのちいさないのちが、あなたの支えによって、ゆっくりゆっくり育っていくのを、見守ってみるのです。植物であれば、水をやったり、日光をあててあげたり、動物であれば、えさをやったり、散歩をさせてあげたり。そして、その育っていくいのちと、自分のこころを重ね合わせてみてください。いのちが生きるということは、それだけで、あなたにやすらぎをもたらします。そのいのちを支えている自分が、ここにいるのだという意識が、目を覚まします。そのいのちの育ちを、そのまま、受け止めてください。育っていくそのさまを、しっかりと見届けてあげてください。いのちがあることそのものを、まるごと、祝福してあげてください。そんななかで、固まっていたこころが、少しずつとけてくるかもしれません。忘れていた感情が、呼び覚まされてくるかもしれません。そしてね。そこまできたら、あなたも気づくはずなんです。こころをかためていたあいだ、あなたのことを、ずっと見守ってくれているひとたちがいたということを。あなたの幸福を願い、あなたの笑顔を、待ちつづけるひとたちがいたということを。笑顔を返してあげてください。あなたの笑顔が、そのひとたちを幸福にします。あなたが笑顔になるということは、この世界に、花がひとつひらいたのと同じことなんです。あなたの笑顔が、誰かの笑顔をまねき、その誰かの笑顔が、また別の誰かに伝わって…、世界じゅうに、どんどん、美しい花が咲いていくのです。今日は、ふっと思ったことを書かせていただきました。この方法が本当に正しいのかどうかはわかりませんし、もとより、方法は、ひとつではありません。ただ、私たちは、つながっています。だから、そのどこにも、糸口は見いだせるはずなのです。それで、私も、正しい・まちがっているを抜きに、私の感じたことをお伝えさせていただきました。この投げかけた思いが、どこかを、まわりまわって、いつか、あなたに届くといいなあと思いながら。そのときには、すっかりかたちを変えて、私が投げかけたものだということも、わからなくなっていたとしても、それがあなたの笑顔につながるなら、これほどうれしいことはありません。●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) 世界の医療団 ひとことメッセージが添えられます。
2011.06.08
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金沢ドリプラ、とってもすてきでした♪そのことで報告したいこともあるのですが、出かけているあいだに、何通か、読者さんからメールをいただいていました。そのおひとり、Mさんからのメールから、質問部分を抜粋してご紹介します。----------------------------------- かめおかさんは 自分の人生はもうどうにもならないと 思ってしまったことはありますか? もしあったとしたら、 どうやって切り抜けたのでしょう?-----------------------------------Mさん、ありがとうございます。「もうどうにもならない」と「思った」ことは、何度もあります。でも、実際に「どうにもならなかった」ことはありません。(なので、いま、生きています)今日はそんなお話を書かせてくださいね。★今日のフォーカスチェンジ♪ただ、「知って」いればいいのです。自分が、自分をケアするために、どんなことをやってきたかを、ちょっと振り返ってみました。単純に、ひとつの方法として、「ためこまない」ということがあります。これは、こころもからだも両方ですね♪(^^ゞからだは、もともと、循環システムですから、不要なものは排出しないと、からだそのものをおかしくしてしまいます。こころも同じです。とにかく、「出す」ことがかんじん。何を出すのか?感情です。苦しいんだよね。かなしいんだよね。やりきれないんだよね。どうにもならないように、感じているんだよね。…そんな気持ちを、ちゃんと、受け止めてあげます。「そんなんじゃだめ!」なんて、否定しません。ただ、ありのままの気持ちを受け止めるのです。ひとりだけで思うのが苦しいときには、共感してくれるひとに、サポートを頼みます。直接的に見当たらない場合には、本やセミナーなど、サポートの助けになりそうなものを使うのも方法です。そんなことを、飽きるくらい(笑)繰り返してきた私が、気づいたことがあります。「苦しい」ことがあるのではなく、「苦しいと感じている自分」がいるだけだということです。「もうだめだ」という事実が存在するのではなく、そのとき、「もうだめだと感じている自分」がいるだけなのです。そして、「事実」であれば、変えることはできないけれど、「気持ち」は、変えることができます。「もうだめだ」と感じている自分もいるけれども、「なんとかなる」「大丈夫」と思う自分を選ぶこともできるということです。このことを、無理に信じる必要はありません。思いこむ必要もありません。なぜなら、本当にそうであることにたいして、過剰な気負いは不要だからです。目の前に、石ころが落ちているとして、「これは、石ころだ。絶対に、 誰が何と言おうと石ころだ!」なんてがんばって思うひとはいないでしょう。それと同じように、「いまはどうにもならない ように思える」けれども、「いつかちゃんと抜けられる」自分が、存在するのです。そのことを、ただ、「知って」いればいいのです。そして、それを「知って」いる自分であれば、何を選択するでしょうか?自暴自棄になることでしょうか?いたずらに、自分を責めることでしょうか?ちがいますよね。「抜ける」ということが、どのようなかたちになるのか、それは決められないかもしれません。壁を乗り越えようとしたけれど、結果的には、穴を掘ったほうが早かった…なんてことも、ときにはあることですからね。方法に固執しないことは大切です。あるいは、ニューヨークに行くつもりが、掘って出た先は、ニュージーランドで、案外、そちらのほうが、自分に合っていたりすることも、ときにはあります。その意味では、結果さえも、固執しないほうがいいのです。ただ、「知って」いること。そして、「知っている」自分として、選択しつづけること。気負わずに。がんばりすぎずに。ときには、泣きながら、ときには、地団駄踏みながら、ときには、神さまに八つ当たりしながら。 これは、けっこう安全な方法 なので、ためす価値あり。(笑)でも、「知って」いればいいのです。それらがすべて、「抜けられる(超えられる)」自分になるための、プロセスであることを。その「知って」いる自分として、ちいさなちいさな一歩を、どうぞ、踏み出してみてください。どんな大海も、ひとしずくの水からできているように、どんな砂漠も、ひとつぶの砂が集まってできているように。私たちの、ちいさな一歩が、無意味だなんてことはありえないのですから。あなたは「知って」います。そのことに気づいてください。ただそれだけでいいのです。「どうありたいか」「知っている」自分として、ただ、その先を見てください。「知っている」自分として、次の一歩を選んでください。私も、ともに歩むひとりです。そんなあなたを、応援しています!●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) 世界の医療団 ひとことメッセージが添えられます。
2011.06.07
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本日3本目。今夜、高速バスで金沢に行きます。明日5日は、ドリプラ金沢大会です。あさっての朝、帰ってきます。というわけで、まとめて発信です♪読者のKさんからいただいた質問です。要約してご紹介します。------------------------------------ 1年間の勤務評定を受けたのですが、 自分より仕事をしていない人の評定が 良いことに、半分落胆と、半分怒り とで、寝つけませんでした。 どうしても私は人と比較する生き方を 選んでしまうのです。 かめわざ的にはどう考えますか?------------------------------------Kさん、ありがとうございます。自分の状態がちゃんとわかっているという点で、Kさんはちゃんとプロセスを歩んでいると思いますよ。あとは、どうありたいか、だけです♪★今日のフォーカスチェンジ♪「あいたたた」最近、自分はつくづくやるべきことをやっていないということを痛感するちゃんす(ピンチともいう)に、恵まれました。(あいたたた)(>_
2011.06.04
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本日2本目。前回、前々回と、Mさんの質問にお返事したのですが、「感情」について、書きそびれたなあと思い、補足のつもりで書いてみます。常連のかたは、おさらいのつもりでお読みくださいね♪★今日のフォーカスチェンジ♪内がわに、意識を向けてください。私は、長いこと、自分の感情を「コントロール」できないことで、苦しんできました。そして、このときの「コントロール」とは、「抑える」ことでした。いわゆる感情的になって、泣いたり取り乱したりすると、いつもまわりから、否定的なあつかいを受けてしまうのです。「泣いたら話にならない」とも、よく言われました。でも、私のなかでは、いつも、感情は大あばれしていました。こんなにあばれる感情を、どうして抑えることができるのかとさえ、思っていました。それを理解してくれるひとは、ほとんどいませんでした。私の大あばれする感情は、 いま、私が理解している 範囲で言うと、私の、内なるちいさな子どもが、感じている感情でした。いやだよう。怖いよう。さびしいよう。かなしいよう。そう言って、その子が、大声で泣いているのです。だから、そんなときは、その子をぎゅっと抱きしめてあげます。「大丈夫だよ。怖くないよ。 ひとりじゃないよ」無視して抑えるのではなく、みとめて受け入れてあげるのです。その子は、本当に「ひとりぼっち」なのではなく、「ひとりぼっちだと感じて」いるだけなのです。だから、そのことに、気づかせてあげればいいのです。ちいさな子どもは、かんちがいをしているのです。目の前にあったおやつがなくなったからといって、世界全体から、おやつが消えたわけではないのです。(^^ゞでも、ちいさな子どもには、それがわかりません。だから怖がって泣くのです。私は、そのたびに、その子を抱っこして、よしよしします。その子は、長いあいだ、ずっと、怖がってきたのです。かんちがいしていることがわかったいまでも、やっぱり、怖いときには怖いのです。そんなにも長いあいだ、怖い思いをさせてしまったのは、私自身が気づかずにきてしまったせいなのです。だから、何度でも何度でも、抱きしめてあげるのです。いつか、安心して、泣きださずにすむようになるまで…。多くのひとは、(そして、私も長いこと)自分が感情的になるのは、目の前に、感情を刺激するものがあるからだと思ってきました。でも、本当はそうではなく、そのことに感情を動かされる受け皿が、先に自分のなかにあるのです。それに触発されて、感情が出てくるに過ぎないのです。目の前のひとやできごとは、きっかけに過ぎないのです。まずそのことに気がついて、感情をみとめてあげましょう。そして、それは、相手に反応するものではありません。根っこは、自分の内がわにあるのですから。自分を責めるのではなく、「ああ、ここにあったんだね」と。「さびしかったんだね。 かなしかったんだね」と、受け入れてあげるのです。受け入れてもらったと感じると、感情は、それだけでもずいぶん、落ち着くのです。これね。私もまだまだ、途上です。(^^ゞそして、相変わらず、まわりからは、理解してもらえないこともおおいです。でも、いまは、自分がわかっているので、まっ、いいかなと思ってます。(^^ゞ時間はかかると思うけど、これまでほうってきたぶんだと思って、ゆっくりゆっくり、つきあっていくつもりです。もう一度書きますね。あなたの感情が乱れるとき、外がわに、理由や原因があるのではありません。あなたの受け皿が、反応しているに過ぎないのです。だから、外がわを変えようとするのではなく、内がわに、意識を向けてください。そこに、必要なこたえがあります。そのこたえにたいして、どうするかは、あなた自身の選択です。●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) 世界の医療団 ひとことメッセージが添えられます。
2011.06.04
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読者のMさんからいただいた質問です。------------------------------- 自分の感情に素直になってしまった 時、自分に苦手なものが子供に ある。この場合にはこの感情は どうしたらいいのでしょうか?-------------------------------Mさん、ありがとうございます。昨日に引きつづき、考えてみましょう。★今日のフォーカスチェンジ♪そのくらいの距離感私には、妹が2人いて、1人は、5歳のときに脳性小児麻痺で亡くなりました。もう1人は、いまも、北海道で元気で暮らしています。この(生きているほうの)妹と、私は、子どものときから、あきれるくらいに、共通点がないのでした。(笑)妹もそれを早くに察知したらしく、私たちは、かなり早い時期から、一緒に遊ばなくなりました。けっして、仲が悪いわけではないのです。ただただ、興味・関心のおもむくところがちがうので、一緒に遊んでいても、あまり楽しくならないのです。より正確にいえば、妹のほうが、私に見切りをつけたといったほうがいいでしょう。(笑)私たちは、いまでも、個別に連絡をとりあうことは、めったにありません。妹は、実家と隣り合わせに二世帯住宅をつくって、家族で暮らしていますから、帰省すれば会いますが、だからといって、近況報告をしあうわけでもありません。もちろん、私のサポートが必要なときは、しますし、その逆もありですが、そんなことは、1年のなかで1回あるかないかです。(たぶん、数年に1回です)それでも私たちは、一生涯、姉妹であり、家族です。クラスのなかに、親しい友だちと、それほどでもない友だちがいるように、私の場合は、家族のなかで、そんな関係だったのです。そして、それほど親しくない友だちがいても、別にかまわないように、特別に親しくない家族がいてもかまわないと、私は思っているのです。それでも、家族というご縁をいただいて生まれてきた関係だと思っているのです。生きかたがちがっても、考えかたがちがっても、一生、家族は家族なのです。ただそれだけでいいのです。親がわかってくれない。子どもの気持ちがわからない。兄弟姉妹とうまくいかない。そんな悩みをもっているひとが、しばしばいます。もちろん、わかりあえる関係であるほうがうれしいし、望ましいことではありますが、「家族だからわかりあえる」と思うこととは、イコールにしないほうがいいと感じます。家族もまた、一人ひとりは、まったくことなる存在です。たまたま、家族という形態をもって生まれてきただけなのです。 家族という関係を選んで 生まれてきたという考えかた もありますが、ここでは、 ちがう視点で見てみます。それぞれが、別々の、一個の人間なのですから、ちがって当たり前なのです。そして、そのくらいの距離感で、お互いを見てみると、楽に感じられる部分が増えるかもしれません。ちがって当たり前なら、そのちがいを、ただ尊重しあえばいいのです。ああ、ちがうんだなあと、そのまま受け入れればいいのです。「へええ、こんなにちがうんだ」と、おもしろがっているくらいのほうがいいのです。ちなみに、妹は、早くから定職につき、結婚して三人の子どもを産み、いまも兼業主婦として健在。しかも、二世帯住宅で、自分の親と隣同士で暮らしているのですから、親からしてみたら、こんなに親孝行なことはありません。いまだにひとりみで、ふらふらと好き勝手をして暮らしている私からすると、「ちがってくれてよかったー」と、つくづく安堵する今日このごろです。(笑)もしかしたら、神さま(?)は、それを見越して、私たちをこんなにもちがうふうにつくってくれたのかもしれません。ちがうことには、ちがうだけの意味があったのかもしれません。ことの真偽はわかりませんが、少なくとも、私たち姉妹にとっては、これはこれでちょうどいい距離感なのです。「家族はこうあらねば」「親子はこうあらねば」という思いこみを捨ててみると、楽になることって、意外とあるのかもしれませんね♪●追記親子の場合、気質から見てみると、ちがいがわかることが多いものです。気質のちがいとして受け入れることができると、楽になりますね。気質のことについては、お友だちの「森の声」さんのサイトを参照してみてください。●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) 世界の医療団 ひとことメッセージが添えられます。
2011.06.04
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読者さんのMさんからいただいた質問です。------------------------------- 子育てに悩んでいます。 例えば、自分の感情に素直になって しまった時、自分に苦手なものが 子供にある。この場合にはこの感情 はどうしたらいいのでしょうか?-------------------------------Mさん、ありがとうございます。一緒に考えてみましょうね♪★今日のフォーカスチェンジ♪リスクは何もありません私たちは、日々、いろいろなことで悩むのですが、ある意味、これって、余裕があるという証拠なのですね。大昔は、生きることそのものが、いのちがけでした。いつ外敵に攻められるか、いつ天変地異があるか、いつ寒波や干ばつに見舞われるか。それを避ける手段もほとんどもっていませんでした。だから、病気になって死ぬひともおおぜいいました。ちょっとした傷が、いのちとりになることもありました。お産も子育ても、いのちがけでした。もちろん、私たちは、そんな時代のことを本当に想像することはできないし、 実際には、いまなおそうした 生活をしているひとたちも、 世界にはたくさんいるのですが。いまが本当に幸せかというと、昔にはなかったさまざまなストレスに、満ちているのもたしかです。ただ、はっきりとわかるのは、私たちには、たくさんの選択肢があたえられているということです。できるかできないかは別にして、少なくとも、それらの選択肢をどうするかについて、いのちの危険をおかさずにトライできることは、たしかです。目の前に、問題と感じることがあらわれると、私たちは、つい必要以上に身がまえます。問題(と感じること)を見つめれば見つめるほど、それが、おおきなもののように見えてきます。でも実際、ほとんどのことは、そのことで即いのちを落とすほど、重要な問題ではないのです。ミモフタモナク言っちゃうと、どんな悩みごとがあったとしても、目の前に、いきなりライオンがあらわれて、ガオーと吠えれば、 都会にライオンが出現する 可能性は低いですが…。とりあえず、その悩みは、ほうってしまえるってことです。しょせんは、そのレベルの悩みだってことです。それは、ある意味、問題(と感じること)と、距離をおくということかもしれません。どんなときでも、どんなものでも、少し離れたところから見れば、近くではわからなかったことが、いろいろと見えてくるものです。自分ではどうしようもないと思いこんでいるような問題でも、同じような問題をひとがかかえているのを見たときには、解決のアイデアが思いついたりすることもあるものです。「ひとごとになってみる」これって、案外、いい方法なのかもしれません。とにかく、この現代では、そうしたからといって、いのちの危険がせまってくることはないのですから。問題は、問題ととらえたとき、問題となります。クリスマスケーキのうえにのっかっている「おうち」が、チョコレートだと思っているあいだ、それは、あなたにとって、まちがいなくチョコレートです。いざかじってみて、ろうそくだとわかったときから、ろうそくになるのです。もっといえば、かじる前に、誰かがどこかにもっていってしまったら、それは、あなたのこころのなかでずっと、チョコレートでありつづけるのです。今日のメッセージは二つです。ひとつは、ほとんどのことは、いのちにかかわるほど重大な問題ではないということ。そして、問題は、問題としてとらえないかぎり、問題になることはないということ。実は、このメッセージを書く前、私もちょっと、あることで、「悩んで」いました。(笑)でも、これを書いているうちに、私は、「悩んでいるひと」ではなく、「悩みについてこたえるひと」になってしまっていました。つまりは、距離がおけたってことです。そしたら、当の問題(と、私が思っている)ことは、何も解決していないのに、なんだかとっても、気持ちが軽くなってしまい、「あら、なんとかなるじゃん」と、思えてきてしまいました。(笑)私が考えていた問題だって、いのちにかかわるようなことではないのですからね。どっちにしても、なんとかなるってことです。ということで、あなたがいま、何かで悩んでいるとしたら、この二つの視点、活用してみてください。ためしてみたからといって、いのちにかかわるようなリスクは何もありませんから♪●追記ただ、Mさんの質問に正面からこたえたお返事にはなっていないので、たぶん、つづきは明日また書きます。●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) 世界の医療団 ひとことメッセージが添えられます。
2011.06.03
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★今日のフォーカスチェンジ♪「私は何も知らない」ひとから、ちょっと耳の痛い話を聴く機会がありました。こちらに非があるのですから、何も言えません。が、こころのなかでは、ついつい、「そうは言っても…」と、反論したくなる自分や、「そんな言いかたをしなくても」と、泣きごとを言いたくなる自分が、顔をのぞかせそうになります。そんなとき、ふっと、このことばが浮かびました。「私は何も知らない」これ、刑事ドラマとかで、「おれはやってねえ!」ってゆー、あれとはちがいます。(笑)ほんとに、生まれたばかりの赤ちゃんのように、「何も知らない」(すべてを学ぶ)っていう感覚でした。そして実際、そういう気持ちで、聴いてみたのです。すると、びっくりするくらい、自分のなかの抵抗感が消えていくのがわかりました。いかに自分が、見栄やうわっつらの自尊心などで、自己防衛していたかがわかりました。ほんとは、ただ聴けばよかっただけなのです。自分はどうあれ、目の前の相手はこう感じているのだと。自分では見えないけれども、相手からはこのように映っているのだと。ただそれだけを受け取ればよかったのです。意識を変えた瞬間に、相手の伝えようとしていることが、わかるようになりました。いえ、本当の意味でわかったかどうかわかりませんが、少なくとも、言われたことをまっすぐに受け止めようという気持ちにはなれました。そして、そのぶんだけ、相手のことばが、すっとしみこんでくるのでした。それにたいして、「ああ、そうか。そういうことか」「なるほど、そう見えるのか」と、うなずいている自分がいるのでした。「私は何も知らない」ただそう思ってみただけで、見える世界が、これほどまでに変わってしまうことに、自分でおどろいてしまいました。知らないことを卑下するのでもなく、恥じたり、責めたりするのでもなく、ただ、純粋にそう思ったのです。ただ、純粋にそう思ったから、ただ、純粋に、相手のことばも入ってくるようになったのかもしれません。さらには、私(私たち)が、無意識のうちに、そうだと信じている世界も、本当は、自分がそう思っているから、そう意識しているから、そう見えるものに過ぎないということもわかりました。どちらが正しい・まちがいではなく、そう見たら、そう見えるのです。そう見なければ、そうは見えないのです。そういう世界を生きていることに、私は、そのとき気づいたのです。「私は何も知らない」しばらく、このことばを、こころに止めておこうと思います。とりわけ、自分の思いの強いことに関しては、ついつい、自分で勝手にフィルターをかけてしまいます。赤いサングラスをかけると、何もかもが赤く見えてしまうように、自分の思いこみが、そこに色をつけていないかを、少し気をつけて見てみるようにしたいと思います。いえ、生きているかぎりは、どうしても色をつけてしまうものなのですが、その色に、できるだけとらわれないようにして、見てみたいなと思います。そのためのキーワードが、「私は何も知らない」なのです。生まれたての赤ちゃんのように、まっさらなこころで。一瞬、一瞬、世界をとらえ直していけたらと思います。きっかけをつくってくれた(耳の痛いことを率直に伝えてくれた)相手に、感謝!です。(*^_^*)●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) 世界の医療団 ひとことメッセージが添えられます。
2011.06.02
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★今日のフォーカスチェンジ♪「脱ぎすてて」ほかのひとには聴いたことがないので、よくわかりませんが、私は、そのときの気分(状態?)によって、筆跡が変わります。ふだんは、やや丸っこい字を書きます。ちょっと正式なものを書くときには、もう少し大人っぽい、流れる筆跡で書くこともできます。が、気分が高揚しているとき、エネルギーがあがっているときは、また少し、ちがう筆跡が出てきます。そして、そんなときには、思いもよらないことばが生まれてくることがあります。昨日も、ちょっとそんな感じで、ことばが生まれてきました。それは、いまの自分にとって必要なメッセージだと思えるので、ここで共有してみたいと思います。 引用ココカラ原点に還るということは、一番低い自分にもどるということだ。何も知らず、何もわからず、すべてを師として学ぶときがきている自分であることを、素直に受け入れることだ!私は何も知らず、すべての人々の足元にいる!わかったと思った瞬間に、わかっていない自分がいる。学び終わったと思った瞬間が、次の学びの入り口だ。愛である自分でいるために、何ができるだろうか? 引用ココマデことばは、唐突にここで終わり、次からは、いつもの筆跡にもどっています。(笑)ほぼ1か月前に、「生きます」というメッセージを書きました。この1か月は、私のなかの、ひとつの課題と向き合ってきた時期でもありました。まだ完全に昇華できたとは言えないけれども、ようやくひとつの学びの通過点には、さしかかっているような気がしています。いま、感じていることは、生きるということは、何度でも何度でも、「自分を脱ぎ捨てていく」ことではないかということ。何かを得たとか、わかったとか、できるようになったとか、手に入れた…とか。そんなものも、一切がっさい、「脱ぎ捨てて」いくということ。だって、古い殻に閉じこもったままの自分でいたら、新しい世界には行けないから。そもそも、そんな殻が、(殻のなかに後生大事に ためこんでいたものが、)自分(の一部)だと思っていること自体が、かんちがいなのだから。これって、本当は、当たり前のことなんですね。私たちは、生まれるときも、死ぬときも、はだかんぼです。何ももっていないのです。何ももつことはできないのです。何ももたず、何も知らず、何もわからない自分として、何かを得たと思ったら、何度でも、それを「脱ぎすてて」生き直していくのです。ちがう筆跡の私(笑)が、残してくれたメッセージ。「愛である自分でいるために、 何ができるだろうか?」その問いにこたえるためには、愛である自分に還る必要があるのです。それは、何ももたない自分です。そのために、「脱ぎ捨てて」生きる必要があるのです。今日のメッセージは、脈絡もなく、わかりにくいものに感じられたかと思いますが、どこか、ひとつでも、気になるところがあれば、そこをひろっていただければうれしいです。そして、もちろん、読み流していただいてもかまわないのです。学ぶために、「脱ぎ捨てて」生きていきます。何度でも、何度でも、何度でも。そして、ひょっとしたら、いつか、またここにもどってきて、「脱ぎ捨てた」自分を発見するかもしれません。また気づかずにつくってしまっている殻のなかに、「あら、おもしろい」なんて、かかえこむかもしれません。(爆)それでもいいのです。そしたら、また、しょうこりもなく、「脱ぎ捨てて」いけばいいだけです。そしていつか、もう、「脱ぎ捨てる」必要もなくなる日がやってくるのです。はだかんぼで、向こうに還っていく日が、やってくるのです。それまでは、生きます。もしかしたら、その行程そのものが、「愛である自分」を探す道すじなのかもしれません…。●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) 世界の医療団 ひとことメッセージが添えられます。病気や事故などで、自分の気持ちをつたえられない状態に置かれているひとは、世界中に、どのくらいいるでしょうか。伝えられる可能性がある、その方法があるということを知らないために、どれだけのひとが、ひとりぼっちの苦しみのなかに閉ざされているでしょうか。かめおかが大応援している、かっこちゃんこと、山元加津子さんが、こんなサイトをつくられています。おはなしだいすき思いを伝えるためには、さまざまな方法があります。できることはたくさんあります。どうぞのぞいてみてくださいね♪そして、今度は、facebookにも、「おはなしだいすき」のページができました かめおか、まだ、facebookを 使いこなせているとは言えませんが。よかったら、「いいね」でご参加くださいね♪そして、まだご存じなければ、ぜひ登録してみてください。ひとがひとり生きるということが、そして、そのひとを支えつづけるということが、どれだけ、多くのひとの希望の光になるでしょうか。宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと私も毎日、元気をもらっています♪
2011.06.01
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