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このブログ「今日のフォーカスチェンジ」を、メルマガでも読むことができます。 クリックすると、登録画面に飛びます。-------------------------------------------------本日開催♪定員にまで、まだちょこっとよゆうがありますよ~。飛び入りOKです♪***----------------------------------***からだリフレッシュ・こころリラックス~音楽でこころもからだもほぐしちゃおう!~***----------------------------------***日時/2013年1月31日(木)19時~20時45分 ※18時45分から開場します。会場/都内施設(表参道7分、渋谷13分) ※参加者に直接お知らせします。参加費/おとな(中学生以上)1000円、 子ども(小学生まで)500円 (当日受付にていただきます)詳細/こちらお申し込み/こちら問い合わせ/こちら----------------------------------------★今日のフォーカスチェンジ♪かっとなったときは感情がコントロールできなくなる、というひとがいます。ついかっとなってしまって…というタイプですね。「おさえようとする けど、どうしても 出てしまう」そういうひとは、けっこう多いようです。でも、こういうときの感情って、本当はコントロールできるんです。そして、このときの「コントロール」とは、「おさえる」ことではないんです。感情的になると、人間のからだは、緊張します。全身にちからが入って、いわば臨戦態勢になります。これは太古の昔の、危険に対応する感覚がDNAのなかに残っているのかもしれません。でも、太古とちがって、それが本当に生命の危機となるような状況はほとんどありません。だから、感情的になる必要はないのです。まず、感情的になるのは、脳のかんちがいだということに、日ごろから気づいておくことが大切です♪では、実際にかっとなったときは、どうすればいいのか。簡単です。ちからを抜けばいいのです。ちからを抜くためには、息を吐けばいいです。息を吐けば、からだは自然にゆるみます。ゆるんだからだでは、かっとなることはできないのです。このとき、下あごをゆるめると、効果的です。さらに、少しでいいので、その状態で、口を開けてみてください。もはや絶対に、かっとなることができません。(実際にやってみて ください。 至難の業ですよ)(笑)これらの動作反応は、ながながとやる必要はありません。一瞬でいいのです。かっとなった感情に振り回されるひとは、それが習慣になっているだけですから、今度は、ちからを抜くことを習慣にしていけばいいだけです。本当に一瞬ですから、かっとなってからでも、充分にまにあうのです。それから、これを書きながら、もうひとつ思いつきました。ひざのちからを抜くというのも、いいかもしれませんね。(笑)いわゆる、ひざカックンという状態です。かっとなっているとき、意識は頭にいっています。ひざカックンをやると、当然ながら、意識がひざにいきます。その瞬間に、感情は抜けています。まあ、かっとなったときに、「意識をひざに!」というのは、息を吐くほどには簡単ではないので、上級編ということにしておきましょう♪いろいろ書いてみましたが、単純に思うのは、意識が頭に行っているときというのは、実は、意識が、地球から一番遠いところにいっているということでもあります。からだのなかで、頭は、地球から一番遠い場所ですからね。地球から一番離れたところに重心がいくわけですから、不安定になるのは、当たり前なのです。だから、昔から、ひとは、落ち着くために、まずは肚(はら)を意識したのです。からだの中心に、意識をとりもどすことで、自分を安定させようとしたのです。だったら、さらに安定させるためには、意識を、足の裏までもっていけばいいのです。足の裏から地球とつながっている感覚を感じてみればいいのです。このときも、息はたっぷりと吐いて吸って。ゆったりとした呼吸のなかで感じてみてください。この感覚でいるとき、ひとはかっとなることができません。さて。いろいろ書いてきましたが、今日書いたことは、いまこの瞬間、かっとなってしまっているひとには向きません。まずは、冷静にこれを読んでいるあなたから、実践してください。まずは、感情のしくみ(意識とからだのかかわり)を理解すること。それからあとは、実践(練習)あるのみ♪はい。私も練習しました。そしてまだまだ練習の途上ですが、しっかりと効果はあがっています。かっとなってしまって、後悔した体験をもつひとは、ぜひトライしてみてくださいね。人間関係が、いい感じに変わるかもしれません♪●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) 朗読劇「当たり前の奇跡」出演者大募集!----------------------------------------------●本番…2013年3月30日(土)●稽古日2月7日・14日・21日・28日3月7日・14日・21日・28日(いずれも木曜夜)19時~21時30分●稽古会場…おもに都内施設(新宿近辺など)●指導…かめおかゆみこ(表現)・金子忍(歌唱)●参加費…10000円※8回ぶんの会場費、指導者謝礼、 当日の参加費などすべてを含んだ金額です。●詳細/こちら!●お申込み/こちら!●問合わせ/こちら!------------------------------------------明日開催です!**************************************朗読劇「当たり前の奇跡」事前説明会**************************************日時/2012年2月1日(金)19時~20時会場/東京・新富区民館(八丁堀駅徒歩5分)参加費/500円(当日受付にて)※歌「当たり前の奇跡」のCDをプレゼント●お申込み/こちら!●問合わせ/こちら!------------------------------------------***----------------------------------*** 限界突破胎動の2013年 「自分を生きる」ステップアップワーク***----------------------------------***日時/2013年2月24日(日)10時~18時 ※終了が、多少延びる場合もあります。 時間の余裕をもってご参加ください。会場/市川市内施設(市川大野駅徒歩3分) ※参加者に直接お知らせします。定員/20名(定員になり次第締め切ります)参加費/20000円 ※2月15日(金)までの早割 17000円詳細/こちらお申し込み/こちら問い合わせ/こちら-----------------------------------------
2013.01.31
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このブログ「今日のフォーカスチェンジ」を、メルマガでも読むことができます。 クリックすると、登録画面に飛びます。-------------------------------------------------★今日のフォーカスチェンジ♪「分かれる」という幻想ふと、自分のなかに質問が湧いてきました。その質問は、これです。「なぜ、私は、 痛みをてばなすことが できたのだろう」いまでは、ほとんど信じてもらえないけれど、私は、かつて落ちこみの大王でした。でもいまは、笑っちゃうくらいノーテンキのあっけらかんに大変身。なぜでしょう?そこに何があったのでしょうか?私の問いに、私がこたえました。「それは、『分かれる』 体験を重ねたから」「分かれる?」そのことばにしばらく考えました。出会うということは分かれること。ここであえて、「別れる」という字を使わないのは、ニュアンスがちがってしまうから。「別」の字源は、骨と肉を、刀で分けることからきています。それはどうも、かなりちからずくというか、すっきりとはいかない感じがします。一方の「分」は、刀ですっぱりと切ること。そこには迷いはなく、その前とあとでは、分かれたふたつのものが、まじわることはありません。イメージがまったくちがう字であることがわかるでしょう。さて、話をもどします。ひとが生きるということは、その「分かれ」を体験しつづけることではないかと思うのです。ともに歩んでいたかに見えたものが、あるところから、道を異にしていく。それは人生においては、当たり前のこととして起きてくることです。たとえば、子どもの自立。どんなに大切に思っても、子どもは、いつか、親から離れていきます。そして、それは自然な流れです。仲間たちとも、ずっと一緒にいられることはありません。いつかそれぞれに進むべき道を見つけて、分かれていきます。そして、人生には、つねに、「死」というものがあります。それこそまさに究極の「分かれ」です。ひとは、そのたびに、こころをみだされます。感情が湧き上がります。私も「分かれ」のたびに、なぜそれが起きるのか、受け入れられずに苦しみました。けれども、私たちは、こころのどこかで、永遠に手に入るものなどないことを、知っているのです。手に入れたと思ったのは錯覚で、本当は何ひとつ、手に入れることも、とどめておくこともできないことを、知っているのです。私も、いつかそのことに気づいたのです。私たちが苦しむのは、その錯覚を、事実のように思ってしまうからなのだと。出会ったものは、かならず分かれる。それは、自然の摂理。そう気づいたときに、痛みをてばなすことができたのです。このとき、痛みをてばなすとは、痛みを感じないということではありません。充分に感じ尽くし、そのうえで、分かれを受け入れるということなのです。そしてね。私たちは、本当は知っているのです。そうして分かれていくものも、いつかまたひとつにもどっていくのです。おおきな宇宙のカオスとして、またひとつにかえっていくのです。すべてはそこから生まれ、そこにもどっていくだけなのですから。「なぜ、私は、 痛みをてばなすことが できたのだろう」その本当のこたえは、「分かれる」という幻想をてばなせたから…なのかもしれません。もともとは、おおきなところでひとつのもので、私たちは、一度も分かれたことなどないのかもしれないのです。なんだか、禅問答?みたいになっちゃいましたけど、(笑)ときには、こんなふうに、いつもと異なる視点で見直してみるのもおもしろいかもしれません。今日のメッセージが、あなたの痛みを、少しでもやわらげるお手伝いができるならば、幸いです。●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) ***----------------------------------***からだリフレッシュ・こころリラックス~音楽でこころもからだもほぐしちゃおう!~***----------------------------------***日時/2013年1月31日(木)19時~20時45分 ※18時45分から開場します。会場/都内施設(表参道7分、渋谷13分) ※参加者に直接お知らせします。定員/30名参加費/おとな(中学生以上)1000円、 子ども(小学生まで)500円 (当日受付にていただきます)詳細/こちらお申し込み/こちら問い合わせ/こちら----------------------------------------***----------------------------------*** 限界突破胎動の2013年 「自分を生きる」ステップアップワーク***----------------------------------***日時/2013年2月24日(日)10時~18時 ※終了が、多少延びる場合もあります。 時間の余裕をもってご参加ください。会場/市川市内施設(市川大野駅徒歩3分) ※参加者に直接お知らせします。定員/20名(定員になり次第締め切ります)参加費/20000円 ※2月15日(金)までの早割 17000円詳細/こちらお申し込み/こちら問い合わせ/こちら-----------------------------------------
2013.01.30
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2013.01.29
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このブログ「今日のフォーカスチェンジ」を、メルマガでも読むことができます。 クリックすると、登録画面に飛びます。------------------------------------------------- 限界突破 「自分を生きる」ステップアップワーク動画1「ワークをはじめたきっかけ」(1分53秒)動画2「自分の課題を超えたきっかけ」(1分32秒)動画3「これまでに影響を受けた講師やワーク」(2分5秒)動画4「自分のワークの強みは?」(1分32秒)動画5「好きなことば・好きな本」(2分6秒)動画6★「苦手なこと・2013年にやりたいこと」(1分59秒)動画7●「お互い紹介・あなたへのメッセージ」(2分2秒)1DAYで、コラボワークやります--------------------------------突然ですが、きたる2月24日(日)、1DAYで、コラボワークやります!!10時から18時まで、7時間たっぷり。テーマをふたつにしぼりました。自分をしばっているもの(限界)に気づき、 てばなす。 ありたい未来(ありたい自分)に向かって、 一歩をふみだす。これを、2人でよってたかってサポートします。誰と?佐藤久美子さんと、です。佐藤久美子さんって、どんなひと?------------------------------佐藤久美子さんこと、久美ちゃんは、「マンションが買えるくらい」(笑)のお金と、膨大な時間をかけて、さまざまな心理学のワークや、関連するワークを学び、そのいくつかを、すでに指導者の立場でおこなっているひとです。そのひとつが、ファミリーコンステレーションワーク。私もけっこうセミナーおたくですが(笑)、あれほど強烈なワークも、そうそうありません。説明はできないので(ことばで説明してもわかりにくい)あえてしませんが、(笑)私自身も体験することで、ある過去のとらわれから、解放されることができました。即、というわけではありませんでしたが、その日を境に徐々に、自分の内がわが変容し、それにともなって、現実も変化していきました。(驚)そのほか、プレイバック・シアターの俳優さんとしても知られています。以前、子ども向けのワークを主催させてもらったことがありますが、即興劇は初めてという小学生たちが、久美ちゃんの誘導で、積極的に出演者になったり、即興ミュージシャンになっていくのが、とても楽しかったです。久美ちゃんは、とにかく、ひきだしの数がハンパではないのです。場の雰囲気を読み取って、それらを瞬時に組み合わせていく対応力も抜群!私も、おおいに学ばせてもらっています!(つい感嘆符が多くなる…)(笑)なぜ、このワークをやることにしたの?----------------------------------2012年は、変容の1年でした。相当に、自分の内がわで揺さぶられるものを感じたひとも、多いはず。そして、2013年。私たちは、この年を、胎動の年と考えました。昨年揺さぶられたものが、少しずつ、新しい自分となって胎動をはじめる年。けれども、まだまだ過去の殻をかぶったままの部分が残っていて、動きたいのに動ききれない…というひともいるでしょう。で、久美ちゃんと、私が組んで、その殻をやぶり、突破するために、コラボワークをやっちゃおう!…ということになったのです。どんな手法を使うかというよりも、久美ちゃんと私がもっている、ありとあらゆる手法を総動員して、限界はずし、ブロックはずしにトライします♪限界やブロックがはずれれば、ひとは、未来に向かって動き出すことができるようになります。変容の2012年を超えて、胎動の2013年に、思い切って飛躍してほしい。そんな願いをこめてのコラボワークです。体感重視ですので、一方的に聴くだけのセミナーではありません。(そこで起きていることの意味を、 説明するために語ることはあります)参加者全員が、さまざまな観点から、自分のもつ限界やブロックに気づき、てばなしていくワークに取り組みます。部分的には個人セッションのかたちもとりいれます。それをまた、全員で共有することにより、気づき→学び→変容→突破(この順番は入れ代わることもあります)のプロセスを強化していきます。どんなひとに参加してほしいの?----------------------------どんなワークもそうでしょうが、今回のワークは、とくに、他力本願のひとには向きません。やさしくソフトにいやされたい…というひとは、キケンですから、ご遠慮ください。 (爆)…というのは半分冗談ですが。(半分本気かよ)別に、滝行をしたりとか、虎穴に蹴り落としたりとか、火の輪くぐりをさせたりとか、(曲芸じゃないんだから!)…そーゆーことはいたしません。せっかく参加していただく以上は、「自分を生きる」ために、本気で体験していただきたいのです。でないと、久美ちゃんも私も、本気でやる甲斐がありませんから♪ぜひぜひ、「やったるぜ!」という意気込みでお申し込みくださいませ。で、具体的なお申し込み方法は?-----------------------------企画を立てたのは、1月はじめだったのですが、ばたばたしているうちに、告知が遅くなってしまいました。早割、少し、期限を延ばすことにしました。(ほんとは、2月8日の予定でした)(*^_^*)このチャンスを、ぜひ生かしてください♪***----------------------------------*** 限界突破胎動の2013年 「自分を生きる」ステップアップワーク***----------------------------------***日時/2013年2月24日(日)10時~18時 ※終了が、多少延びる場合もあります。 時間の余裕をもってご参加ください。会場/市川市内施設(市川大野駅徒歩3分) ※参加者に直接お知らせします。定員/20名(定員になり次第締め切ります)参加費/20000円 ※2月15日(金)までの早割 17000円お申し込み/こちら問い合わせ/こちら-----------------------------------------もっとよく知りたいというひとは、下記を参照してみてくださいね~佐藤久美子かめおかゆみこ
2013.01.28
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2013.01.28
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2013.01.27
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このブログ「今日のフォーカスチェンジ」を、メルマガでも読むことができます。 クリックすると、登録画面に飛びます。-------------------------------------------------今日のメッセージは、私が体験をとおして、つかんできたことです。思い当たることのあるひとは、ぜひ、実際に体験してみてくださいね~♪★今日のフォーカスチェンジ♪悩んで立ち止まってしまうひと悩んで立ち止まってしまうひとには、ある傾向があります。ひとつは、意識のベクトルが、自分に向いていることです。自分に向いていますから、まわりのことには意識がいきません。本人は「いや、私はひとを 意識している」と言うかもしれませんが、その意識は、たいていは、「自分は どう見られるだろう」「まわりから見て 恥ずかしくないか」といった想いであることが、ほとんどで、結局は、自分視点なんですよ。もうひとつ。悩んで立ち止まってしまうひとは、たいてい、からだを動かすことが苦手です。「ああ~、悩んでる! よっしゃ、ジムに でも行ってくるか!」…こういうひとは、あまり悩みません。(笑)からだとこころはつながっています。てゆーか、私に言わせれば、ひとつです。だから、からだを動かすと、こころも動くのです。こころが動くと、悩んだまま、止まっていることができなくなるのです。私は、このことを劇づくりのなかで発見しました。自分に意識が向いていると、役者さんは、相手役が発している、さまざまな「情報」に気がつかないのです。とくに即興の場合、相手を見ていないと、何もかも自分でつくろうとしてしまい、立ち往生してしまいます。そうではなく、しっかり、意識を相手に向けるのです。そうすると、相手のいろいろなことが目や耳に入ってきます。いま、どんなことを話題にしているか、どんな身振り、しぐさをしているか、どんな表情をしているか。すべてが「情報」なのです。その、どれひとつをピックアップしても、次の場面をはじめることができるのです。役者さんが困って、考えはじめたとき、私は、即座に叫びます。「考えないで! 相手を見て! 相手からひろって!」そこでようやく、役者さんは気づくのです。あ、何もかも自分でやろうとしてたって。一緒にやってる仲間のこと、見てなかったって。相手をしっかり見る。相手が発しているものをまるごと受け取る。そしたら、そこから、次のシーンが見えてくる。いいえ、見える前にもう動き出しているんです。こたえは、頭よりも、からだのほうが、先にわかっているんです。稽古を終えたあと、役者さんたちが、よく、こんなことを言います。「演劇も日常も、 一緒ですね。 全部つながって いるんですね!」その気づきがうれしくて、私も満面の笑顔になっちゃうのです♪「そうだよ。だから、 稽古で知った感覚を、 しっかり日常に 生かしていってね♪」そう。私がなぜ、プロではなく、一般のひとたちの劇づくりにこだわるのか。それも、何十回と稽古を重ねるのではなく、わずか数回の稽古で、発表しちゃうような劇をつくっているのか。体験してほしいからです。自分のなかには、無限の可能性があるってことを!体感してほしいからです。自分をかがやかせて生きることが、どれほどうれしいことなのか。表現することは、そのまま、生きることにつながっているのだと。生きることそのものが、表現なのだと。そこから先は、そのひとの自由です。のめりこんで、劇団に入っちゃうひともいます。(笑)それもよしです。(*^_^*)劇づくりのときに身につけた感覚を、日常のなかで、上手に活用しているひともいます。こちらのほうが、実はずっとずっとうれしかったりします♪だって、自分を表現するって、本当はとっても気持ちのいいことなんだってこと、知ってほしいから!すべてのひとに、そのひとらしく生き生きと生きてほしいから!もしも、あなたが、悩みがちなタイプなら、ぜひ、からだを動かすことからはじめてください。そして、動きながら、まわりに意識を向けてみてください。あなたのまわりは、光に満ちあふれている。あなたのまわりは、魅力的なひとびとでいっぱい!そこからどんな未来をひらくこともできる!それがあなたの世界♪そのことに気づいたら、もう、悩みにつぶされて生きる生きかたは、選択しなくてすみますよ!●追記そんな気づきてんこもりの場を、明日27日に開催します。くわしくは、こちらをごらんくださいね!(*^_^*)●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) ***----------------------------------***からだリフレッシュ・こころリラックス~音楽でこころもからだもほぐしちゃおう!~***----------------------------------***日時/2013年1月31日(木)19時~20時45分 ※18時45分から開場します。会場/都内施設(表参道7分、渋谷13分) ※参加者に直接お知らせします。定員/30名参加費/おとな(中学生以上)1000円、 子ども(小学生まで)500円 (当日受付にていただきます)詳細/こちらお申し込み/こちら問い合わせ/こちら----------------------------------------こんなひとには、きっとぴったりついつい、同じ姿勢で仕事をしがち冬なので、からだが固まりがち肩こりは、整体にいかないと直せないと思っているからだが固いのは生まれつきだと思っている悩みごとがあると、ロダンの「考える人」 みたいになってしまう(どんなや)音楽には、こころをいやすちからがあると思っている西村直人さんのファンだかめおかゆみこの企画は とりあえずなんでもおもしろいと思っている1月31日は、予定がなくてひまだ
2013.01.26
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このブログ「今日のフォーカスチェンジ」を、メルマガでも読むことができます。 クリックすると、登録画面に飛びます。-------------------------------------------------★今日のフォーカスチェンジ♪ただ生きていく道を歩いていたら、そのことばが、ふっと浮かんできました。「ただ生きていく」ああ、いいことばだなと思いました。ひとは、生きるということに、いろいろとよけいなものをつけすぎる…。そう感じていたからです。何がなければいけない、とか、こうであらねばならない、とか。そのことで、自分をしばりつけて、かえって息(生き)苦しくなっているひとが、たくさんいます。ずっとずっと大昔のご先祖さまは、きっと、ただ生きていたのだと思います。朝、太陽がのぼると、手をあわせ、いのちをつなぐために畑をたがやしたり、漁をしたり…。そして、その暮らしのなかから、あたえられた食べものを大切にいただき、日が暮れると、眠る。いまのような、文明の利器と呼ばれるものは何ひとつないけれど、一日一日が、生きるということに直結していた。そんな気がするのです。もちろん、昔をてばなしでよかったと言っているわけではありません。昔には昔の、それなりの問題点はあったでしょう。それでも、そこにある意味や価値のようなものは、素直に受け取ってみたらいいと思うのです。私にとっては、「ただ生きていく」ということ。それは言い替えれば、「愚直に生きる」ということばになるのかもしれません。目先の損得にとらわれず、本質の部分で大切なことにフォーカスすること。そして、一日一日、自分にできることを誠実に果たしていくこと。目先のことにとらわれない、とは書いたけれども、目の前のことは大切にする。目の前にあらわれる、一つひとつのこと・もの・ひとに、誠実にかかわっていく。過去に振り回されず、未来に翻弄されず、いま・いま・いまの自分として生きる。それが私にとっての「ただ生きていく」ということ。今日のメッセージは、ちょっとぶっきらぼうに感じられるかもしれません。でもよかったら、一緒に考えてみてください。あなたは、生きるということに、どんな想いをもっていますか?あれがなければだめだとか、こうでなければ価値がない、とか、そんなふうに意味づけをしていませんか?あなたは、生きている。ただ、生きている。そして、これからも生きていく。本当は、それで充分なのだと思うのです。ただ生きていくということ。どうぞ、そのシンプルな感覚を、いま一度、味わい直してみてください。何も足さず、何も色づけせず、ただまっさらのまま、生きていくということ。もしかしたら、生きかたが、少しだけ楽になるかもしれません…。●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) ***----------------------------------***からだリフレッシュ・こころリラックス~音楽でこころもからだもほぐしちゃおう!~***----------------------------------***日時/2013年1月31日(木)19時~20時45分 ※18時45分から開場します。会場/都内施設(表参道7分、渋谷13分) ※参加者に直接お知らせします。定員/30名参加費/おとな(中学生以上)1000円、 子ども(小学生まで)500円 (当日受付にていただきます)詳細/こちらお申し込み/こちら問い合わせ/こちら----------------------------------------こんなひとには、きっとぴったりついつい、同じ姿勢で仕事をしがち冬なので、からだが固まりがち肩こりは、整体にいかないと直せないと思っているからだが固いのは生まれつきだと思っている悩みごとがあると、ロダンの「考える人」 みたいになってしまう(どんなや)音楽には、こころをいやすちからがあると思っている西村直人さんのファンだかめおかゆみこの企画は とりあえずなんでもおもしろいと思っている1月31日は、予定がなくてひまだ
2013.01.25
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もしも、あなたの大切なひとが、突然倒れて、植物状態になったら…。いままでの医学の常識では、意識がもどることはほとんどない。意識がもどっても、意思の疎通をすることは、できない。まして、歩くことなど絶対できない…。そんなふうに思われていました。けれども、そうではないという実例は、本当はたくさんあるのです。そして、その実例を追ったドキュメンタリー映画ができました。『僕のうしろに道はできる』予告編ver1.1 ※動画です。音が出ます。(1分46秒)山元加津子さんこと、かっこちゃんと、脳幹出血で倒れた、元同僚の宮田俊也さんこと、宮ぷーの、渾身の回復の記録。かっこちゃんの盟友・岩崎靖子監督による力作です。昨年12月8日、岡山にて、35分のダイジェスト版が初上映され、この3月には、フルバージョンが一般公開されます。そして、かめおかが理事をつとめるメンタルサポート・ジャパンが主催団体となり、きたる3月30日に、このフルバージョンの自主上映会を、都内で開催する運びになりました。さらには、朗読劇「当たり前の奇跡」を再演することになりました。もともとは、昨年2012年9月2日、名古屋で、かっこちゃんとかめおかのコラボ講演会が開催されたときに、この朗読劇はつくられました。宮ぷー・かっこちゃんの共著『満月がきれいと僕は言えるぞ』(三五館)を原作に、かめおかが脚本を書き上げました。上演時間約20分の作品です。宮ぷーが倒れる場面からはじまって、かっこちゃんの献身的なサポートで、少しずつ回復していくようす。意思伝達装置レッツ・チャットとの出会い。自分の気持ち、伝えたい想いを伝えることのできた瞬間のこと。植物状態と呼ばれるひとたちが本当は意識があること、回復の方法があることを知らせる「白雪姫」プロジェクトのこと。それらを、想いをこめて、語ります。劇中では、歌も歌いました。ぜひ、歌声を聴いてください♪「当たり前の奇跡」(かめおかゆみこ作詞、金子忍作曲)この朗読劇(歌も含む)を、フルバージョン上映会の日に、同時上演します!つきましては、出演者を大募集します!----------------------------------------------●稽古日2月7日・14日・21日・28日3月7日・14日・21日・28日(いずれも木曜夜)19時~21時30分●稽古会場…おもに都内施設(新宿近辺など)●指導…かめおかゆみこ(表現)・金子忍(歌唱)●参加費…10000円※8回ぶんの会場費、指導者謝礼、 当日の参加費などすべてを含んだ金額です。●定員…20名(予定)●お申込み/こちら!●問合わせ/こちら!----------------------------------------------朗読劇ですので、テキストは手に持ってやります。しっかり読みこんではいただきますが、暗記の必要はありません。参加資格はとくにありません。演劇をやったことのないひとでも全然大丈夫!朗読に興味がある、歌が好き!というひとも、大歓迎♪♪♪子どもでもおとなでも、上記の稽古時間に通えるのなら、参加OKです!本番の会場は、普通の会議室で、定員80名。照明なども使わず、通常の感覚でやるので、あまり緊張せずに参加できます。(大舞台希望のかたは ちょっと期待はずれかも)(笑)わからないことは、どんどん質問してくださいね~♪(*^_^*)「当たり前の奇跡」再演--------------------------------●お申込み/こちら!●問合わせ/こちら!--------------------------------説明会をやります!--------------------でも、どんなふうに練習するのか、自分についていけるのか、心配~!脚本の内容をもっとよく知りたい!などというひとのために、説明会をひらくことにしました。この説明会で、詳しい話を聴いてから参加を決めていただいてもかまいません♪**************************************朗読劇「当たり前の奇跡」事前説明会**************************************日時/2012年2月1日(金)19時~20時会場/東京・新富区民館(八丁堀駅徒歩5分)参加費/500円(当日受付にて)※歌「当たり前の奇跡」のCDをプレゼント●お申込み/こちら!●問合わせ/こちら!--------------------------------------次の再演は、いつになるか未定です。チャンス!と思ったら、ぜひ!あなたのご参加、お待ちしています♪
2013.01.24
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本日2本目。今週末1月27日(日)に企画していた「都電劇」あっと言う間に出演枠が埋まり、都合で一部、辞退者が出たものの、8名で、着々と準備をすすめてきました。お客さまもとっても楽しみにしてくださって、関西など遠方から「参加したい」というお申し込みもあったのですが、実は、どうしても事情で、延期せざるを得なくなりました…。 今回のこの企画は、私の友人である「ごんちゃん」(志田尊好さん)が提案し、私がそれを受けるかたちで実現しました。つまり、劇をつくる担当は私ですが、本来の主催者は、ごんちゃんなのです。当日は、鉄道大好きなごんちゃんが、都電について熱く語り、そのベースに乗って、劇を上演するという運びになっていました。つまり、「都電劇」は、単に都電に乗って劇をする、というだけの企画ではなく、ごんちゃんがいてこそ、成り立つ企画だったのです。ところが、そのごんちゃんが、先週、階段から落ちて、けがをしてしまいました。もっていた携帯、パソコンがともにだめになるほどの転倒のしかただったようで、入院こそ、していませんが、この1週間は、自宅で横になったままの状態で、仕事もお休みしているとのことです。精神的にもかなりのダメージを受けたようです。非常に悩みましたが、出演者のみなさんと相談して、最終結論を出しました。ごんちゃんにとっても、出演者のみなさんにとっても、そして何よりお客さまにとっても、ベストの状態で、「都電劇」をやりたい。そのため、都電劇は、今回は残念ながら、延期させていただきます。ごんちゃんの回復を待ち、あらためて、スケジュールを調整して、都電劇の実現をめざします!ただ、ここまで練習した成果はやはりご披露したい想いがあり、普通の会場になってしまいますが、上演会をおこないたいと思います。今回、劇をやるのははじめてというメンバーが大半のなか、しかも、即興を主体に劇をつくってきました。16歳の誕生日に「新しいことを自分にプレゼントしたい」と、飛びこんでくれた高校生もいます。なので、この2か月、稽古を積み重ねてきた成果を、披露したい!あわせて、どんなかたちで劇がつくられてきたのかを、ワークショップのかたちで、一緒に体験していただきたい。直前の変更のため、会場が、和室しかとれませんでした。汗なので、「都電のはずが和室劇」というかたちにはなりますが、よかったら、ぜひいらしてください。***--------------------------------------*** 都電のはずが和室劇+かめわざワークショップ***--------------------------------------***日時/2013年1月27日13時~17時会場/横浜市・青葉区内施設 (東急田園都市線藤が丘下車徒歩7分) ※参加者に直接お知らせします。定員/20名参加費/2000円(当日受付支払い)申込み/こちら!問合せ/こちら!------------------------------------------12時45分 開場13時10分~13時45分 都電和室劇13時45分~14時 休憩14時~17時 かめわざワークショップ個人的な感想ですが、今回の劇づくりは、かなりおもしろかったです。ほぼすべてを、即興でつくってきました。約30分の上演時間の半分以上は、ごくごく短い表現シーン。これらは、完全な即興です。そして、メインのグループシーン。これも、2人組で、3~5分のシーンを演じるのですが、ペアになってもらった2人だからこそ生まれてくるシーンなのです。だから、組み合わせが変わると、同じものは生まれません。だから、もしも、「都電でやるときに見たらいいや」と思っているかたがいるとしたら、同じものは見られません。今回は、今回きりの内容です。次につくるときは、また、あらたにつくりなおします。以前、私の劇づくりに参加してくれたあるひとが、こんなことを叫んだことがあります。「もう、セミナーに参加しなくていい!」(笑)それだけのエッセンスが、劇づくりのなかに詰まっている、と感じてくれたそうなのです。私は自分のライフワークをあらゆるひとが表現を楽しむことにおいているのですが、今回の劇づくりは、そこにかなりいい感じでアプローチできたと思っています。そして、あらためて、演劇のなかには人生のすべてがある、ということも感じました。当日は、そんなこんなの想いも語れたら…と思っています。あなたのご参加をお待ちしています
2013.01.24
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このブログ「今日のフォーカスチェンジ」を、メルマガでも読むことができます。 クリックすると、登録画面に飛びます。-------------------------------------------------★今日のフォーカスチェンジ♪「受け身のことば」を使っていないかあなたは、あなたの人生を、主体的に生きていますか?という質問をされたとき、あなたなら、どうこたえるでしょうか。そもそも、「主体的」って、どういうことをさすの? なんて疑問が生まれるひともいるかもしれません。でも、これを一瞬で判別する方法があります。とっても簡単です。「受け身のことば」を使っていないかどうか。これだけなんです。世のなかには、理不尽なことがいっぱいあることは、知っています。「私のせいじゃない」「予期してなかった」そう言いたくなるケースがあることも、承知しています。でもね。あえて言っちゃいます。「受け身のことばを 使った瞬間に、 自分の人生の主役の座 を、誰かに、ゆずり わたすことになるよ」ってね。なぜなら、受け身のことばを使った瞬間に、それは、自分のちからでは、どうにもならないことだと、みとめたことになってしまうからです。あるいは、自分がその壁を超えていける可能性を、放棄してしまうことになるからです。これは、私自身の強い自戒の想いです。私自身が、かつてそうだったのです。悪いのは自分じゃない。まわりなんだ。私は悪くない。私はかわいそうな立場の人間なんだ。そう思えば思うほど、口をついて出てくるのは、「受け身のことば」ばかりなのでした。「あのひとが○○して くれなかった」でも、冷静に振り返ってみるとき、そのひとが、本当に、それをする義務など、なかったりしました。私が勝手に期待し、勝手に思いこんでいただけだったのです。「本当は、○○を したかったのに、 させてもらえなかった」これも振り返ってみると、こころのなかでは思っていても、ちゃんと口に出して伝えていなかったりしました。あるいは、そぶりは見せても、本気でぶつかることはしていなかったりしました。それでは相手に伝わるはずもないのに、自分がしなかったことはたなにあげて、相手がしてくれなかったことばかりに、意識を向けていたのです。受け身のことばを使えば使うほど、自分を被害者の気分にすることはできました。自分の責任をのがれ、誰かのせいにすることができました。でも、そうすればするほど、自分の自尊心は傷ついていくのです。自分には何もできない。自分は無力だ。…そんな気持ちが、深まっていくのです。受け身のことばを使うのをやめよう、と思いました。どんなときにも、そこにいるのは、主体としての自分。主体としての自分として、目の前にきたこと・もの・ひとを受け止めてみよう、と思いました。そこからです。少しずつ少しずつ、私の内面で、変化が起きてきました。私が、私の意志で考えて決めるのだ。それが通用しようがしまいが、とにかく、自分で決めて、自分で選ぶのだ…。結果に左右されるのではなく、その決めた自分に、その選んだ自分に、OKをあげつづけていくんだ。何度も何度も、自分に言いきかせながら…。笑っちゃうくらい、時間はかかりました。決めたつもりが、気がつくとやっぱり、受け身のことばを使っている自分がいて、がっかりすることもありました。でも、そのつど、またやり直しました。最近、ようやく、受け身のことばを使わなくなりつつあるかなと、思っています。「あ、使ってるな」と気づいて、すぐに切り換えることができるようになりつつあります。すると、とても気持ちがいいのです。しっかり、自分にマルをあげられる気がするのです。これからやることにも、わくわく、元気が出てきちゃうのです。これをお読みのかたのなかには、すぐには納得しがたい気持ちになるかたもいらっしゃるかもしれません。冒頭にも書きましたが、実際、本当に理不尽な状況というものはあるものです。場合によっては、法的措置を必要とすることもあります。それはそれで、きちんと対応すべきだと思います。ただ、そのときでさえ、自分をどの立場におくかは、選べるのです。「たしかに、相手は ○○だった。でも、 私はそれにたいして、 ~~という 生きかたをする」そんなふうに、自分を主語にして語ることは可能なのです。そのとき、そこには、主体として生きている自分がいるのです。あなたは、あなたの人生の主人公です。どうか、そのことを忘れないでください。あなたの人生は、いつだって、あなたが主語なんです。どうぞ、すべてのこと・もの・ひとにたいして、主語をもって向き合ってみてください。そのとき、あなたの人生がひらけます。あなたが、あなたを好きになる一歩です。どうぞ踏み出してみてください。●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) ***----------------------------------***からだリフレッシュ・こころリラックス~音楽でこころもからだもほぐしちゃおう!~***----------------------------------***日時/2013年1月31日(木)19時~20時45分 ※18時45分から開場します。会場/都内施設(表参道7分、渋谷13分) ※参加者に直接お知らせします。定員/30名参加費/おとな(中学生以上)1000円、 子ども(小学生まで)500円 (当日受付にていただきます)詳細/こちらお申し込み/こちら問い合わせ/こちら----------------------------------------こんなひとには、きっとぴったりついつい、同じ姿勢で仕事をしがち冬なので、からだが固まりがち肩こりは、整体にいかないと直せないと思っているからだが固いのは生まれつきだと思っている悩みごとがあると、ロダンの「考える人」 みたいになってしまう(どんなや)音楽には、こころをいやすちからがあると思っている西村直人さんのファンだかめおかゆみこの企画は とりあえずなんでもおもしろいと思っている1月31日は、予定がなくてひまだ
2013.01.24
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このブログ「今日のフォーカスチェンジ」を、メルマガでも読むことができます。 クリックすると、登録画面に飛びます。-------------------------------------------------★今日のフォーカスチェンジ♪自分に対する誠意「中野裕弓」さんをご存じのかたも多いと思います。かつて、日本に「もしも世界が100人 の村だったら」を紹介されたひとです。中野さんは、その前、アメリカの世界銀行本部で、人事カウンセラーをなさっていました。あるとき、(正確な数字は忘れましたが)100人単位のリストラをおこなうことになり、中野さんが、その担当をまかされたそうです。訴訟社会といわれるアメリカ。中野さんは、対象となった社員一人ひとりと面談し、結果、ただのひとつも、訴訟を起こされることなく、その任務を果たされたそうです。なぜ、それができたのでしょうか?中野さんは、そのとき、「会社をやめる・ やめない」という話ではなく、そのひとの人生において、そのひとがかがやくために、何が必要なのかを、真剣に話されたそうです。とことんそのひとに寄り添って、話を聴いて、一緒に考えて、結論を出していかれたのです。何か、トラブルが起きるたびに、私は、この話を思い出します。いえ、トラブルが起きなくても、こころに止めておくべき話でしょう。これは、まさに、「ありかた」の話なのです。もちろん、精一杯やっても、うまくいかないことはあるでしょう。信じていたひとに「うらぎられた」と思う体験をすることもあるかもしれません。そんなとき、「ありかた」が定まっていないと、まちがいなくぶれます。ひとのせいにしたくなったり、何もかも投げ出したくなってしまったりするでしょう。でもね。ちょっとだけきびしいことを書きます。(もちろん自戒をこめて ですが)ひとのせいにすることも、投げ出してしまうことも、どちらも誠意を欠いているのです。誰に対して?自分に対して、です。ご先祖さまから受け継いだいのちを、かがやかせて生きることは、いのちをいただいた私たちの責任なのです。ほかの誰でもない、あなたにわたしますよと、それは、手わたされたものなのですから。そして、「はい、わかりました」と、受け取ったからこそ、私たちは、生まれてきたのですから。かがやいて生きるということは、お金や地位などとは関係なく、そのひと自身の想いひとつなのです。どう生きたいか。どうありたいか。すべては、そこからはじまり、そこにもどっていくのです。どうか、その、かけがえのない自分を大切にしてあげてください。つらいときは、泣いたらいいのです。声をあげて「つらいよ」と、大泣きして、泣くだけ泣いたら、そこからまた、立ちあがればいいのです。何度でも、何度でも。それが自分に対する誠意だと、私は思っているのです。そして、それだけの誠意を尽くせるひとが、おそらく、ひとにもそれをわけることができるのだと思うのです。湧きだした泉の水が、やがてあふれて、まわりをうるおしていくように。冒頭にあげた中野さんは、そういうことを実践されたのだと思うのです。だから、あなたが、あなたの人生を誠実に生きることは、あなた自身を幸福にするだけでなく、いつか、あなたのまわりをも、ゆたかにうるおしていくことに、つながっていくのです。あなたのいのちは、あなただけのものではないのです。あなたにつながるすべてのひとにとって、大切な存在なのです。どうか、自分に対する誠意を忘れずに。課題を背負っていればいるほど、その自分をしっかりと抱きしめて。「大丈夫だよ。一緒に 生きていこうね」と言ってあげてください。そして、絶対に離しちゃだめですよ♪もう一度、書きます。どう生きたいか。どうありたいか。それを問いつづけ、いつでもそこに照らして、生きてください。そこに、誠意を尽くしてください。誰のためでもない、あなた自身のために。●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) ***----------------------------------***からだリフレッシュ・こころリラックス~音楽でこころもからだもほぐしちゃおう!~***----------------------------------***日時/2013年1月31日(木)19時~20時45分 ※18時45分から開場します。会場/都内施設(表参道7分、渋谷13分) ※参加者に直接お知らせします。定員/30名参加費/おとな(中学生以上)1000円、 子ども(小学生まで)500円 (当日受付にていただきます)詳細/こちらお申し込み/こちら問い合わせ/こちら----------------------------------------こんなひとには、きっとぴったりついつい、同じ姿勢で仕事をしがち冬なので、からだが固まりがち肩こりは、整体にいかないと直せないと思っているからだが固いのは生まれつきだと思っている悩みごとがあると、ロダンの「考える人」 みたいになってしまう(どんなや)音楽には、こころをいやすちからがあると思っている西村直人さんのファンだかめおかゆみこの企画は とりあえずなんでもおもしろいと思っている1月31日は、予定がなくてひまだ
2013.01.23
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このブログ「今日のフォーカスチェンジ」を、メルマガでも読むことができます。 クリックすると、登録画面に飛びます。-------------------------------------------------★今日のフォーカスチェンジ♪もっと泣いていいよ悲しい事件があったり、とかく、気持ちが沈みがちになりそうなことの多い現代ですが、ひとつだけ、とってもいいなあと思っていることがあります。それは、「泣けるひと」が増えたことです。とくに、男性のね♪(*^_^*)昔は、ひとまえで泣くことは恥ずかしいことだと思われていました。とくに、男性は、感情をあらわさないことが、「男らしさ」であるかのように言われたものでした。どんなときにも表情を変えずに、どんとかまえているのが男だ、というふうにね。でもその結果、男性は、自分の悩みを、ひとに打ち明けることができなくなりました。無理して平静をよそおっていると、いつかがまんの限界がきます。その結果、病気になったり、みずからいのちを絶ったりしてしまうこともあるのです。(実際、女性よりも男性 の自殺率のほうが 高いのです)私は、子どものころから、笑っちゃうくらい泣きむしでした。本当によく泣きました。最近、お友だちの「森の声」さんのブログで、「憂鬱質のひとは、 気持ちを落ち着かせる ために泣くみたいだ」と書いてあるのを読んで、「なるほど」と、いまさらながら納得しましたけれども、そのくらいよく泣きました。でも、泣くことは、こころの浄化なのです。自分の感情に素直になることなのです。みっともないとか、恥ずかしいとか、そんな気持ちは捨てて、こころのままに、自分の気持ちを表現できるって、とっても気持ちのいいことです。だから、思いきり泣くと、こころがすっきりします。実際に、胸のなかがすっと軽くなります。泣くためには、息をたくさん吸ったり吐いたりしますので、酸素の供給もできちゃいます♪でね。最近、ひとまえで泣けるひとが増えてきたのは、とってもいいことだなあって、思ってるんです。とくに男性のね♪私が、こんなふうに感情ゆたか(笑)なせいでしょうか。私のまわりの男のひとたちは、とても素直に泣きます。(*^_^*)若い子ばかりでなく、おっさん…もとい、おとなの男性もね♪私はそれを見るたびに、「うん、うん、 もっと泣いていいよ」と、ますますうれしくなってしまうのです。涙を見せあえる人間関係でいると、ふだんから、自然に自分の気持ちを表現できますね。そして、そんなふうに自由に表現できることがわかれば、いちいち「感情的」にならなくても、気持ちを伝えあえるようになるんです。さて。あなたはいかがですか?自分の気持ち、素直に表現できてますか?自分の感情を、おもてに出せてますか?もしも、あまりできてないなあと思ったら、まずは、ひとりのときでかまいませんから、泣いてみることをおすすめします。しみじみ、さめざめと、こころゆくまで泣いてみてください。これだけでも、こころがすうっと落ち着きます。つかえていたものがとれたように感じます。そしたら、今度は、もっとレベルアップ♪口をおおきくあけて泣いてみてください。声を、思いっきり出すんです。できたら、顔も、上に向けてみてください。胸も開いてみてください。さらにできるひとは、手足をばたばたさせて泣いてみてください。まあ、家人がいると、変な目で見られるかもしれませんからね。その場合は、カラオケルームで大音量にしてからやるとか。(笑)もっといいのは、誰もいない浜辺で走りながらとか。(爆)どうか、自分の感情をころさないで。自分の気持ちと素直に向き合って。そして、それをかくさずに表現してあげてください。みんなが、自分の気持ちを、感情を素直に表現できるようになったら、そして、お互いにそれをみとめあえるようになったら、きっと、世界が変わります!●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) ***----------------------------------***からだリフレッシュ・こころリラックス~音楽でこころもからだもほぐしちゃおう!~***----------------------------------***日時/2013年1月31日(木)19時~20時45分 ※18時45分から開場します。会場/都内施設(表参道7分、渋谷13分) ※参加者に直接お知らせします。定員/30名参加費/おとな(中学生以上)1000円、 子ども(小学生まで)500円 (当日受付にていただきます)詳細/こちらお申し込み/こちら問い合わせ/こちら----------------------------------------こんなひとには、きっとぴったりついつい、同じ姿勢で仕事をしがち冬なので、からだが固まりがち肩こりは、整体にいかないと直せないと思っているからだが固いのは生まれつきだと思っている悩みごとがあると、ロダンの「考える人」 みたいになってしまう(どんなや)音楽には、こころをいやすちからがあると思っている西村直人さんのファンだかめおかゆみこの企画は とりあえずなんでもおもしろいと思っている1月31日は、予定がなくてひまだ
2013.01.22
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このブログ「今日のフォーカスチェンジ」を、メルマガでも読むことができます。 クリックすると、登録画面に飛びます。-------------------------------------------------昨日につづきのメッセージになります。★今日のフォーカスチェンジ♪生きかたを変えるチャンスです。天職とさえ思っていた編集の仕事をやめたあと、私は、強い怒りにとらわれていました。仕事を辞めたのは、最終的に自分の決断ではあったけれど、「そこまで追いこまれた」という意識が私のなかにありました。自分で決めていながら、私は、本当の意味では、自分で決めてはいなかったのですね。怒りは、あとからあとからあふれてきました。対立の関係にあったひとはもとより、ともに仕事をしていたひとたちが、関係改善にかかわってくれなかったことにも、失意を感じていました。会う人ごとに、その怒りをぶちまけていました。いま、振り返って思います。そのときの私は、どれほど、みっともない姿をしていたろうかと。誰だって、同じことの繰り返しを聴くのは、うれしいものではないはずです。それが、愚痴だったり怒りだったりすれば、きっとうんざりすることでしょう。でも、そのときの私は、そんなことに気づくよゆうもありませんでした。いいえ、むしろ、自分の正しさばかり主張していましたから、聴いてくれる相手が疑問をはさもうものなら、「あなたは私のことを わかってくれない」とばかりに、よけいに怒りをつのらせていたものでした。いまとなっては、赤面するしかありませんが、それほどに私は未熟であり、その未熟さゆえに、深く傷ついてもいたのです。私を救ってくれたのは、子どもたちでした。編集の仕事を辞めたことで、私には時間のよゆうができました。より正確にいえば、無職になったので、ありあまるくらいでしたけど。(笑)そんなとき、友人から、中学校演劇部の外部指導員をやってみないかと、声をかけてもらったのです。紆余曲折はありながらも、私は子どもたとの演劇活動に夢中になりました。子どもたちのひたむきな想いと向き合うなかで、私のこころは次第にいやされていきました。怒りや失意をかかえたまま生きるよりも、この子たちの未来を見つめるほうに、想いをそそいでいきたいと。怒りを手ばなしたと思えるまでには約5年かかりました。思い出しても、もう、こころがざわつかなくなるまでには、約10年かかりました。いまはようやく「過去のこと」と思えるようになりました。…。ときどき、過去のできごとにとらわれて、怒っているひとを見るとき、あるいは、延々と愚痴を繰り返すひとと出会うとき、私のこころは少しいたみます。まるで、かつての自分の姿を見ているように感じるからです。残念ながら、そのような姿は、ひととしての美しさやいさぎよさを感じさせてくれることはありません。むしろ、マイナスの印象しかあたえないでしょう。たとえ、そのひとに非がなかったとしてさえも。ただ、私にはそういうひとを、批判することはできません。なんたって、10年もひきずっていた自分がいるのですからね。だから、そういうひとと出会うたびに、私は、こころのなかで、そっと手をあわせます。あなたの人生を、怒りや失意のために使わないでください。あなたの一度きりの人生を、どうぞ、あなたがかがやくために使ってください。あなたの過去は、たしかに不幸だったかもしれないけれども、そこにとらわれて生きることが、あなたにとって幸せだとは思えないのです。あなたには、ちがう選択肢もあるのです。どうぞそのことに気づいてください、と。不思議ですね。怒りにとらわれていたときの私は、ひとの怒りにも、同じように反応していました。でも、いまは、怒りに反応することはありません。ただ、その底にある深いかなしみだけを感じます。そのかなしみが、一刻も早くいやされますようにと、静かに祈ります。もしも、いま、怒りを手ばなせないでいるひとがいたならば、どうぞ、ためしに鏡をのぞいてみてください。もしも、そこに、幸せそうなあなたがいないのだとしたら、それは、生きかたを変えるチャンスです。誰のためでもない、あなた自身のために。●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) 子ども料金が設定されました~***----------------------------------***からだリフレッシュ・こころリラックス~音楽でこころもからだもほぐしちゃおう!~***----------------------------------***日時/2013年1月31日(木)19時~20時45分 ※18時45分から開場します。会場/都内施設(表参道7分、渋谷13分) ※参加者に直接お知らせします。定員/30名参加費/おとな(中学生以上)1000円、 子ども(小学生まで)500円 (当日受付にていただきます)詳細/こちらお申し込み/こちら問い合わせ/こちら----------------------------------------こんなひとには、きっとぴったりついつい、同じ姿勢で仕事をしがち冬なので、からだが固まりがち肩こりは、整体にいかないと直せないと思っているからだが固いのは生まれつきだと思っている悩みごとがあると、ロダンの「考える人」 みたいになってしまう(どんなや)音楽には、こころをいやすちからがあると思っている西村直人さんのファンだかめおかゆみこの企画は とりあえずなんでもおもしろいと思っている1月31日は、予定がなくてひまだ
2013.01.21
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このブログ「今日のフォーカスチェンジ」を、メルマガでも読むことができます。 クリックすると、登録画面に飛びます。-------------------------------------------------★今日のフォーカスチェンジ♪オールOKなんですよ♪もう、10年以上も前になりますが、私は編集の仕事をしていました。ちいさな教育系の月刊誌の、実務を担当して、はりきっていました。実際、仕事は楽しく、やりがいもあったのですが、次第に疲れを感じるようになっていきました。ひとつには、仕事にかかる時間が、長くなっていったことです。契約社員として、7年あまり通いましたが、最後の1年間は、毎日、15時間以上、会社にいるのが当たり前になっていました。帰りは決まって終電。月末の〆切時期には、土日も同じように出勤。帰宅してからもなお、校正の仕事が、待っているような状態でした。気持ちの晴れない日がつづきました。休日、たったひとりで会社にいると、ふっと涙が出てくることもありました。もう、限界だと思いました。糸が切れるように、やがて、私はその職場を離れたのです。でも、本当の原因は、仕事時間のことではなかったのです。私は、編集の仕事が大好きでした。そのころは、天職とさえ思っていました。疲れていたのは、人間関係でした。仕事の関係のひとと、うまくいっていなかったのです。いまにして思えば、私にもいたらないところはありました。でも、そのときは、そのことが見えませんでした。必要な指示がまわらず、それでいて、責任だけを押しつけられているような、そんな気持ちになりました。まわりに相談しても、気の毒がってくれるひとはいても、あいだに入ってくれるひとはいませんでした。改善したいと思いましたが、相手からは、話し合いをもつことを拒否されました。もう、仕事をつづけていくことは不可能に思えました。…。これが、かつての私が、自分に対して、いだいていたストーリーです。あれから時間が経って、いろいろなことが見えてきたように思います。ひとつ、たしかなことは、相手も自分も未熟だったということです。そして、お互いに、自分の視点からのみ、相手を見て、相手を「裁いて」いたのです。こんな対応はゆるせない、こんなやりかたは理不尽だ、自分こそが被害者だ…と。ええ。お互いにね。たぶん、いまの自分であれば、もう少しだけ、やわらかに、やりとりできたかもしれません。一方的に押しつけることなく、相手のことばを聴き、想いを汲み取ることもできたのかもしれません。けれども、私はそれをしませんでした。「上の立場である相手 がするべきこと」と、こころのなかで、かたくなに、相手を責めていたのです。このことだけでなく、思えば似たようなことが何度も繰り返されていたのだと、思うのです。そうして、体験して体験して、ようやく、いまの私にいたっているのだと思うのです。今日のメッセージでお伝えしたかったこと。あなたがもしも理不尽な、苦しい想いをしているのなら、もしかしたら、あなたはちょっとだけ思いこみ度の強いめがねを、かけているのかもしれません。正しい・まちがいという考えかたではなく、いったんフラットに全体を見てみてください。それでも、やっぱり、あくまでも相手に問題があるという場合も、あるかと思います。そのときにはしかるべき対応に出ることも、ひとつの方法です。でも、もしかしたら、あなたも、かつての私のように、ちょっとだけ度の強いめがねを、かけてしまっているということもあるかもしれません。そのために、相手がきちんと見えなくなっているかもしれません。私がかけていためがねは、私なりの「上司はかくあるべし」という規律でした。もちろん、その規律のなかには、一般的なものも含まれてはいましたが、それでも全体を見れば、私が勝手に決めつけ、思いこんだ規律にすぎなかったのです。相手をひとりの人間としてではなく、ひとつの型にはめこもうとしていたのです。だからこそ、相手は、抵抗し、抵抗が拒否となり、無視に発展するにいたったのです。そこには、相手の弱さも虚勢も、器量の問題もあったとは思いますが、それは言い替えれば、そのひとの個性であり、資質でもあるのです。変えようにも変えることのできない部分であったともいえるのです。だから、いまの私は、そのときのことを責めたりうらんだりする気持ちはありません。そう思えるほどに、自分を客観視し、かつ、気持ちをフラットにすることができているのです。そのひととの出会いが、私をみがき、私を高めてくれたということもできるのです。…ええ、ようやくそんなふうに思えるようになりました。まあ、結局、いつもの結論になるのですけどね。起きたことは変えられない。でも、それに対してどんな気持ちになるかは選択ができます。自分にとって、どんな事実であったかを決めるのは、自分の気持ちひとつです。笑っちゃうほどの時間はかかりましたが、たどりついてみれば、オールOKなのですよ。そして、これまたいつもの結論なのですが、そうした過去の体験があったからこそ、いま、私はこのブログを書けているのです。あなたと出会えているのです。ほらね! やっぱり、オールOKなんですよ♪●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) 子ども料金が設定されました~***----------------------------------***からだリフレッシュ・こころリラックス~音楽でこころもからだもほぐしちゃおう!~***----------------------------------***日時/2013年1月31日(木)19時~20時45分 ※18時45分から開場します。会場/都内施設(表参道7分、渋谷13分) ※参加者に直接お知らせします。定員/30名参加費/おとな(中学生以上)1000円、 子ども(小学生まで)500円 (当日受付にていただきます)お申し込み/こちら問い合わせ/こちら----------------------------------------こんなひとには、きっとぴったりついつい、同じ姿勢で仕事をしがち冬なので、からだが固まりがち肩こりは、整体にいかないと直せないと思っているからだが固いのは生まれつきだと思っている悩みごとがあると、ロダンの「考える人」 みたいになってしまう(どんなや)音楽には、こころをいやすちからがあると思っている西村直人さんのファンだかめおかゆみこの企画は とりあえずなんでもおもしろいと思っている1月31日は、予定がなくてひまだ
2013.01.20
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このブログ「今日のフォーカスチェンジ」を、メルマガでも読むことができます。 クリックすると、登録画面に飛びます。-------------------------------------------------★今日のフォーカスチェンジ♪ゆったりふんわり「やわらかさ」ということが、誤解されているような気がします。「からだが固い」というひとは多いです。そういうひとたちは、ほぼ例外なく、その固さを表現するために、前屈の姿勢をとってみせてくれます。立った姿勢で、上半身を折り曲げ、腕にめいっぱいちからを入れて、床に向かって、手の先を伸ばす、あの姿勢です。ほとんどのひとが、床まで手の先がつくことはありません。ひとによっては、その届かなさかげんを示してみせて、「ほら、固いでしょ」と、いばっている?くらいです。(笑)逆にいえば、その手の先が、床につくことが、「やわらかい」ことだと言っているわけです。でもね。もう一度、よく見てください。前屈しようとするとき、からだは、どんな状態になっていますか?手の先から、ひじ、肩まで、ぴんとちからが入った状態です。上半身にちからが入っているのですから、下半身にも当然ちからが入ります。つまり、全身がちがちなのです。この状態で、仮に、手の先が床につこうが、上半身と下半身がぴったりくっつこうが、本当に、やわらかいというのでしょうか?野口体操の創始者・野口三千三さんは、「もしその状態を やわらかいという のなら、世界で一番 やわらかいのは、 ちょうつがいだ」と、おっしゃったそうです。たしかに、全身をかためにかためて、上半身と下半身をぴったりくっつけているようすは、まさにちょうつがいにそっくりかもしれません。(*^_^*)でも、それって、ちっともやわらかくないですよね?今度は、足は、大地に立つぶんだけのちからを残して立ちます。上半身は、どこにもよぶんなちからを入れていません。手も、ひじも、肩も、もちろん腕そのものも、だらりと垂れています。その状態で、下半身はそのままに、上半身だけ、床に向かって、ふんわりゆっくりと、自由落下させてみましょう。ちょうどボールでも落とす感じですね。こわいと感じるひとは、微調整していいですよ。首も頭も、自然に落ちます。(あ、頭だけが落ちる わけではありません。 それではホラーです)(爆)ひとによって、角度はさまざまですが、自然にちからを抜けば、そのひとにとっての自然な角度のところで、止まります。このとき、頭も首も、肩も、腕も、どこもちからは入っていません。「はたき」にたとえると、柄の部分が下半身で、上半身が、はたく布の部分という感じ。上半身は、ただ、だらーんとぶら下がっているだけの状態です。風が吹いてきたら、ゆらゆらとゆれるようなイメージです。(笑)最初の、びんびんにちからを入れきった状態に比べると、もしかしたら、角度は浅いかもしれませんが、ずっとゆるんでいて、やわらかいのです。そして、たぶん、実際には、こちらのほうが、角度も深くなっているかもしれません。おわかりでしょうか?私たちは、ずっとずっと「やわらかい」という概念を、まちがって教えこまれてきたのです。やわらかくなりたいと思うひとは、かえって、からだにちからを入れまくり、かためてきたのです。それが、どれだけからだにとって不自然なことか気づいてください。もしも、野生動物が、そんなふうにちからを入れまくっていたら、あっというまにやられちゃいます。だって、その状態で機敏に動くことなど、絶対にできませんから!どうぞ、起き上がって、呼吸してみてください。「立つ」というためのちからだけを残して、あとは、からだのどこにも、よぶんなちからを入れずにね。そのまま、ゆったりふんわりと、呼吸する自分のからだを感じてみてください。気持ちがいいはずですよ。それが一番自然なかたちのはずですから。そして、どうぞ、自分のからだをいたわってあげてください。ちからを抜いて、ゆったりふんわり。自然の流れにまかせて動くからだを大切にしてください。そのとき、きっと、あなたのこころも、ゆったりふんわり、やわらかです●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) ***----------------------------------***からだリフレッシュ・こころリラックス~音楽でこころもからだもほぐしちゃおう!~***----------------------------------***日時/2013年1月31日(木)19時~20時45分 ※18時45分から開場します。会場/都内施設(表参道7分、渋谷13分) ※参加者に直接お知らせします。定員/30名参加費/1000円(当日受付にていただきます)詳細/こちらお申し込み/こちら問い合わせ/こちら----------------------------------------こんなひとには、きっとぴったりついつい、同じ姿勢で仕事をしがち冬なので、からだが固まりがち肩こりは、整体にいかないと直せないと思っているからだが固いのは生まれつきだと思っている悩みごとがあると、ロダンの「考える人」 みたいになってしまう(どんなや)音楽には、こころをいやすちからがあると思っている西村直人さんのファンだかめおかゆみこの企画は とりあえずなんでもおもしろいと思っている1月31日は、予定がなくてひまだ
2013.01.19
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本日2本目。ひさびさ、イベントの告知です。しかも、思いつき企画さて。最近、気になっていることがあります。ちょうど今日のブログ「脳はノー♪」にも書きましたが、ひとは、からだが固いと、気持ちも固まりやすくなるんですね。「こころ」と「からだ」がほぐれていることは、生きていくうえで、とてもとても大切なことです。そして、こころが固まっているとき、こころからほぐすのはむずかしくて、からだからアプローチしたほうが早いことも多いのです。というわけで、ちょっと急ですが、1月31日、からだほぐしワークをやります。講師は、友人で、音楽療法をやっている、西村直人さん。ご自身が、うつになり、そこから回復した体験ももっているひとです。当日は、音楽を聴きながら、楽しくからだをほぐしていきましょう。今回は、初のこころみにつき、参加費は、おためし価格の1000円。こころとからだがほぐれてすっきり♪のお値段としては、超おトクです。(*^_^*)気軽に、ふらりと温泉に出かけるような気持ちでお出掛けください。お待ちしています♪***----------------------------------***からだリフレッシュ・こころリラックス~音楽でこころもからだもほぐしちゃおう!~***----------------------------------***日時/2013年1月31日(木)19時~20時45分 ※18時45分から開場します。会場/都内施設(表参道7分、渋谷13分) ※参加者に直接お知らせします。定員/30名参加費/おとな1000円、子ども(12歳以下)500円 (当日受付にていただきます)お申し込み/こちら問い合わせ/こちら----------------------------------------こんなひとには、きっとぴったりついつい、同じ姿勢で仕事をしがち冬なので、からだが固まりがち肩こりは、整体にいかないと直せないと思っているからだが固いのは生まれつきだと思っている悩みごとがあると、ロダンの「考える人」 みたいになってしまう(どんなや)音楽には、こころをいやすちからがあると思っている西村直人さんのファンだかめおかゆみこの企画は とりあえずなんでもおもしろいと思っている1月31日は、予定がなくてひまだ講師西村直人さんの略歴NPOえほんうた・あそびうた代表 音楽療法士一般社団法人メンタルサポート・ジャパン理事絵本にメロディーをのせて歌う「絵本×音楽×カラダ遊び」の新しいスタイル「えほんうた・あそびうた♪」でウクレレを片手に全国各地で音楽と絵本の楽しさを伝える。パパ’s絵本プロジェクト・メンバー、NPOファザーリング・ジャパン社員キーボーディストとして、中西圭三、永井真理子、浅香唯、アキラさん(夕方クインテット)らとコンサート等で共演。音楽療法士としても子ども達の発達支援に取り組む。また東日本大震災以降は、被災地の保育所、小学校を中心にボランティア公演を行う。うつを乗り越えた経験を持ち、うつからもらったメッセージが自身の人生を高める大きな力となっている。ホームページは、こちらではでは。からだとこころのリラックスタイム。ぜひぜひ活用してくださいね~
2013.01.18
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このブログ「今日のフォーカスチェンジ」を、メルマガでも読むことができます。 クリックすると、登録画面に飛びます。-------------------------------------------------なんか、脳の話がつづいてますが。(笑)★今日のフォーカスチェンジ♪「脳」はノー♪なぜ、こんな単純なことに、気づかなかったんだろう!私は思わずひざを打ってしまいました。一般のおとなのひとを対象に、劇の稽古をしていたときのこと。私の劇づくりは、脚本のある場合でもない場合(即興)でも、基本的に、そのひとが自分で感じたことや考えたことを、最大限尊重します。おしきせのマニュアルはない、ということです。ところが、「自分で考えて」と言われた瞬間に、かたまってしまうひとがいるのですね。いえ、むしろ多いと言ったほうが正解かも。「なんでもいいよ。 自由だよ」と、言えば言うほど、ますます考えこんでしまいます。あるとき、はっと思い立ちました。「動いて! なんでもいいから、 からだを動かして! 揺らしたり、リズム をとったりして♪」そう言って、とにかくからだを動かしてみてもらったのです。そうしたら、ふっと、今までになかった考えが出てくるのです。 本人は、こんなのでいいのかと思うらしいのですが、とんでもない。めっちゃユニークな内容だったりするのです。こころとからだはひとつ。こころが動かないときは、からだから入る。講座などでいつも言っているはずなのに、私自身が忘れていたのですね。もうひとつ。とっても落ちこんでいるひとがいました。どうしても気持ちの切り替えがきかないといいます。何を言っても、「無理」「だめ」という返事になってしまいます。からだにふれると、首も肩も背中も、がちがちでした。そこで、30分ほどですが、ゆっくりとからだほぐしをさせてもらいました。軽く揺らしたり、ゆっくりとねじったり、さすったりしながら、からだのなかをゆるめていきました。ほぐれるにつれて、そのひとの息が深くなるのがわかりました。そう。かたまっていると、息は浅くなってしまうのですね。「息」=「生き」です。かたまったからだのなかで、まさに息(生き)たえだえになってしまっていたのです。それでは前向きな気持ちになれないのが当然、というものです。どちらも、からだからのアプローチでした。どちらも、めっちゃ単純明快でした。ただ、考えているときは「脳」を使っているために、ついつい、からだのことを忘れてしまうのですね。脳だけで生きているような気持ちになってしまうのですね。というわけで、考えても浮かばないときは、脳がうまく動いていない、または動けていない状態だと思ったらいいのです。困ったら「脳」はノー♪そんなときこそ、からだの出番です!なんでもいいから、からだを動かしてみましょう。はげしい動きでなくていいのです。のびをしたり、全身を揺すったり、リズムをとってみたり、腕をぶらぶらさせたり、とにかく動いてみてください。そのとき、からだがひどくかたまっている気がするならば、よりていねいに揺らしていきましょう。私たちのからだの60~70パーセントは水分です。その水の感覚をとりもどしましょう。からだのなかの水をちゃぷちゃぷさせるイメージで、からだを揺すってみるのです。息をたっぷり吐いて、ゆるやかに吸いこみ、おおきくのびをしてみるのもいいでしょう。そのとき、できたら、にっこりと笑顔になってみるのです。「楽しいから 笑うんじゃない。 笑うから 楽しくなるんです」そんなことばもありましたよね♪というわけで、こんなことをおすすめしていると、私のまわりはかなーりアヤしい感じになります。(*^_^*)なんたって、考えながら、ゆらゆらしてるのですからね♪笑いながら「困ったー」なんて、叫んでいるのですからね♪でも、ほんとにね。こころ(頭)がかたまってきたなと思ったら、そこはまちがいなくからだの出番です!考えるのをやめて、即、からだを動かしましょう!ほらほら、考えていてもわかりませんよ。トライあるのみ!(*^_^*)●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます)
2013.01.18
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このブログ「今日のフォーカスチェンジ」を、メルマガでも読むことができます。 クリックすると、登録画面に飛びます。-------------------------------------------------一昨日の「見えない友だち」に、いろいろな感想が届いています。そのひとつ。矢澤正毅さんの感想は、昨日ご紹介させていただきました。。それから、Lさんからは、過去のつらい体験と孤独な気持ちをつづったメールを寄せていただきました。Lさん、ありがとうございます。今日のメッセージが、Lさんにとって、なんらかのヒントになればいいなあと思います。★今日のフォーカスチェンジ♪しょせん、脳は脳先日、あるかたと話をしていました。そのかたは、過去につらい体験をされて、そのことを、いまもひきずっていらっしゃるのでした。たしかに本当につらい体験だろうと想像できる内容でした。ただ、そのかたは、いつ会っても、過去のことに目を向けておられるようでした。いつも繰り返し、そのつらかった体験と、気持ちを語られるのです。まるでそれは、永遠に変わらないことであるかのように。ふと、自分のことを振り返ってみました。私は、かつて、「落ちこみの大王」とみずから豪語するほど、しょっちゅう落ちこんでいました。「落ちこみを自慢して いるみたい」と言われたことがあるくらい、本当に、よく落ちこんでいたのです。ところが、いまは、まるでノーテンキに生きている自分がいます。過去と同じような局面にいたっても、過去のような落ちこみかたは、しなくなった自分がいます。なぜなのかなあと考えてみました。いくつかの理由がありますが、そのひとつに、脳の仕組みを知った、ということがおおきいなあと思っています。脳は、意識したものしか見ることができません。しばしば書いている「見つめたものが拡大 する」そう、あのことです。過去の私は、いつも、自分の、うまくいかなかったこと、だめだったこと、苦しかったこと、つらかったことに、フォーカスしていました。そのたびに、自分は、なんてだめな人間なんだ、どうしてこんな人生なんだ、なんでまわりはわかってくれないんだ…と、思うことを、繰り返していました。これは、パソコンでいえば、「再書きこみ」機能にあたります。(*^_^*)同じことを思うことによって、その体験をより強烈にインプットし、満たされない想いを強化していたのですね。たしかに、自分の責任ではないことも、あったとは思うのです。誰かのこころないひとことに傷ついたこともあったのです。理不尽な立場におかれたこともあったのです。でも、その事実を、どうとらえ、どう生かし(もしくはてばなし)ていくかは、自分自身の選択なのでした。自分の脳ですから、何をインプットするかは、自分の選択だったのです。誰も、私の頭をこじあけて、脳を改造することはできないのですから。そのことに気づいたあたりからです。私の、脳の書き換え作業がはじまったのは。単純な話ですが、快情報を入れてやれば、脳はますます快適になり、不快情報を入れてやれば、脳は、不快になっていくのです。起きたできごとがどのようなものであれ、それをどんなかたちで自分の脳にインプットするかは、自分の選択なのです。もちろん、すぐできるようになったわけではありません。しょっちゅう、過去の再書きこみをやってしまったものでした。それでも、少しずつ少しずつ、インプットする情報を、変えていくことができるようになったのです。脳の仕組みを知れば知るほど、過去の自分の思いこみは、まさに思いこみだったのだということが、わかります。事実が問題だったのではないのです。自分の選択が問題だったのです。書き換えには、かなりの時間をついやしましたが、最近では、かなりスムーズに、書き換えができるようになりました。どんなことも、すべて、練習であり、習慣です。最近では、脳は、かなりのかんちがいを起こして、困ったことが起きると、「やった! ネタだ!」と自動反応するようになりつつあります。(笑)今日のメッセージは、ミモフタモナイように感じるひとも、いらっしゃるかもしれません。自分にはできないと感じるひとも、いらっしゃるかもしれません。でも、しょせん、脳は脳です。あなたの脳だけが、特別、がんこにあたらしい書きこみが入らないようになっているわけではありません。ただ、慣れていないだけです。まだ、習慣になっていないだけです。さらに、最近では、右脳と左脳の作用がわかってきて、どちらを優位に使うかによって、さらに書きこみがやりやすくなりつつありますが、長くなりますので、その話はまたいずれ。あなたの脳が、あなたの人生をどうとらえるかは、あなた次第です。あなたが、脳をどう使うかが、あなたの人生を変えていきます。ほかの誰でもない、あなたの脳です。しっかり使いこなしていきましょうね♪(*^_^*)●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます)
2013.01.17
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このブログ「今日のフォーカスチェンジ」を、メルマガでも読むことができます。 クリックすると、登録画面に飛びます。-------------------------------------------------本日2本目。昨日のブログ「見えない友だち」(メルマガ「今日のフォーカスチェンジ」第3363号)を読んで、読者の矢澤正毅さんが、感想を寄せてくださいました。でも、これは、感想というより、一編の詩ですね…。「見えない友だち」を読んでさて、一般に「自分」とは何か…と考えるとそれは、この皮膚に覆われたこの皮膚の内側にある何かだと思うのではないでしょうかしかし、それは産まれたときからずっと変わらない感覚ではないはずです産まれたときには自分という感覚には明確な境界線がなくこの肉体からはみ出て半径3メートルくらいまで染み出していましただからお母さんの気持ちが自分の気持ちでありお母さんがつらいと自分もつらくお母さんが楽しいと自分も楽しかったのですそれから肉体が成長するにつれて心も成長し7歳になった頃にはだいたい「自分」という感覚=皮膚の内側の何かとなりますただ、人によっては伸縮自在に皮膚の外側まで自分を拡張できたりしますがその能力も学校という場で常識と三次元感覚を繰り返し学習するにつれて失われてゆきます3歳の彼には「自分」という限界がありませんそれは、「物事を知らないから」という理由からではなく「自分」を広げることができるから「自分」はこんなちっぽけな隔離された存在ではないと知っているからに他なりません私はお日様の光でありそよぐ風であり湖面の漣であり雨滴のきらめきであり重なり合う雪の結晶であり世界にひとつとして同じ形のない新緑の一葉なのです世界は偶然に生まれ偶然に消え去るものではなく世界は今この瞬間に永遠に存在するものですそんな3歳の彼の目にする世界に恐れるものは何もなくそこには分離も断絶もありません多くの大人が「普通」だと思い込んでいる世界が本当の世界だと誰が言えるのでしょうかネイティブアメリカンの持つ世界観の方がこの世界の本質により近いと思えるのは気のせいでしょうか私もあなたも本当はひとつのもの梢から顔を出すリスも蒼天を飛翔する鷲も月夜の原野を疾走する狐もその存在はすべて今この瞬間の自分に宛てたメッセージメッセージという自分自身人はとても大切な何かを忘れてしまいましたその何かに気づくきっかけを与えてくれるものが障害という名のハンディキャップを持ってこの世にやってきてくれた方々の勇気と優しさなのかもしれません●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます)
2013.01.16
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このブログ「今日のフォーカスチェンジ」を、メルマガでも読むことができます。 クリックすると、登録画面に飛びます。-------------------------------------------------今日は、ちょっと表現しにくいテーマに、チャレンジしてみました。文字だけで、どこまで伝わるかなあ。★今日のフォーカスチェンジ♪一番遠い道をとおって先日、かめわざ流ファシリテーター講座の0期が終了しました。(1DAYワーク4回)なぜ「0期」なのかというと、私にとっても、これは初めての企画だったからです。どこまで何ができるか、未知数の部分が多く、それで、あえて「0期」とさせていただいたわけです。とはいえ、ゴールは最初からしっかりともっていました。私にとって、ファシリテーターとは、「場をつくる」ひとなのです。ワークの場では、何が起きるかわかりません。まったくゼロでその場に飛びこんでも、ちゃんとその場の雰囲気を感じとり、そのひとらしく対応できる。それが、かめわざ流でめざすところの、、ファシリテーター。さまざまなワークをやりました。終始一貫していたテーマは、「自分」でいること。え? だって、自分は自分でしょ。…と思うでしょう?でもね。ひとは、うっかりすると、自分ではない自分を演じはじめてしまうものなんです。たとえば、仕事で、お客さまと対応しているとき。気がつくと、マニュアルでしゃべっていたりしませんか?いつものパターンを繰り返しているだけで、こころここにあらずになっていることはありませんか?相手を見ているつもりで、本当には見ていないということはありませんか?それは、本当の「自分」ではありません。私たちは、うっかりすると、ついつい、「自分」ではなくなってしまうのです。外がわは、「自分」なのですが、内がわは、何かの借りものになってしまったりするのです。さも、「自分」らしくしゃべったりふるまったりはしているけれども、実際には、何かのつぎあわせか、寄せ集めのような対応をしてしまうことも、しばしばあるのです。それでは、本当の意味で「場をつくる」ことはできません。だからこそ、「自分でいる」ことが大切になるのです。どんなときでも、「自分」でいること。参加者にとって、それはとてもわかりにくいテーマでした。何しろ、ほとんど説明がありませんから。そのうえ、一切の見本が示されませんから。1DAYワーク×4回。ある参加者は、途中、迷いを感じたそうです。一体、何をやろうとしているのだろう。やっていることの意味がわからない。つづけていく価値はあるのだろうか…と。そうして、むかえた。全4回の最後の時間。参加者一人ひとりが、ワークをファシリテートする体験をしました。そのとき、そのひとは、気づいたそうです。予定外のことが起きても、対応できる自分になっていることに。それまでやってきた、ワークの成果が、ちゃんとそこに生きているのだということに。さまざまな試行錯誤と、暗中模索の末に、恥ずかしさも、ためらいも、とまどいも、怖れも、すべて自分のものとして、引き受けて、ただ、ありのままの「自分」としてそこに立ちきるとき。ひとは、なんという存在感をもつことでしょうか。「自分」は、「自分」以外のなのものにもなれないのだということに、いえ、なにものにもなる必要はないのだということに、気づいたときはじめて、ひとはまっさらな「自分」として、そこに立つのです。その気づきが、その存在感を支えるのです。マニュアルによらず、説明でわかったつもりにもならず、みずからの体験と気づきという、ある意味、一番遠い道をとおって、たどりついたゴールなのだといえるでしょう。結局のところ、どんなときも大切なのは、「ありかた」なのだ、ということなのです。「ありかた」が定まらなければ、「場をつくる」ことなどできないのです。そして、この初めての体験は、私にとっても、さまざまな学びをもたらしました。ファシリテーターを育てるという体験をとおして、私自身が一番成長させてもらったと、感じています。参加者とともに、私もまた次なる一歩を踏み出したのです。ともに場をつくってくれたみんなに、こころからありがとう!そして、ここからがまた、さらなる高みをめざしてのステップです。どうぞお楽しみに!(*^_^*)●追記かめわざ流ファシリテーターの基礎は、「『聴く』を磨く」です。「『聴く』を磨く」講座(全6回。またはそれに相当するプログラム)を終了されたかたのみ、参加できます。次回=第1期は、4月スタートです。名古屋でも、第1期を、5~6月に開催します。どうぞお楽しみに!●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます)
2013.01.16
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このブログ「今日のフォーカスチェンジ」を、メルマガでも読むことができます。 クリックすると、登録画面に飛びます。-------------------------------------------------一昨日の「本当の想い」にたいして、名古屋の小川直子さんが、フェイスブックで、こんなメッセージをシェアしてくださいました。----------------------------------------------- 大すきなおともだちは、 いつも、耳に手を当てています。 ときどき、ぴょんぴょん飛んだり ひっそりとひざを抱えて座っていたり テープをクルクルまわしたり 風を遊ぶのもすき 木の葉が舞ったり風に揺らめいているそばで 一緒に回っていたりします… 障害…と呼ばれるものをもっている… と言われる人たち… 見えていること 目の前に起こっていることに 囚われると ほんとうのことが見えなくなるのかな~~…-----------------------------------------------とてもこころにひびきました。★今日のフォーカスチェンジ♪見えない友だち子どものころ、私は、たぶん、かなりの時間を空想の世界のなかにいたように思います。たぶん…としか言えないのは、そのとき、こころは、どこかに飛んでいたから。子どものころの、友だちと遊んだ記憶が、あまりありません。たしかに、町はずれで、近くに住む友だちは少なかったけれど、それだけではなくて、私のこころのなかには、人間じゃない友だちが、たくさん住んでいたように思うのです。思い出すのは、雪に埋もれた林。踏みしめると、音立ててくずれていく足もとの感触。木の枝から下がるつらら。冬の日ざしに、先っぽがきらりと光って…。ときどき、どさりと落ちてくる雪のかたまり。降ったばかりの雪の上に、点々とついているのは誰の足あと?木々の向こうにちらりと見えたのは、あれは、キツネ?春先には、まだいてついた雪の下から、福寿草が芽吹く。こんなにもやわらかな芽が、どうしてこんな固い凍土を割って顔を出せるのか。一つひとつのことがとても不思議で、一つひとつのことが、こころをつかんで、それらは、すべて、私にとって、人間以上の友だちでした。ことばをしゃべることができなくても、いつも、私に語りかけてくれる友だちでした。だからでしょうか。私のこころは、しばしば、勝手に外に飛び出してしまうのです。授業中だというのに、気がついたら、校庭のポプラの木の上にいました。おひさまの光がまぶしすぎて、自分がまるで光になったような気がしたものでした。空もよく飛びました。ふと気がつと、まるで鳥のように、私は、風を切って、空を飛んでいるのです。山や川や町なみを見下ろしながら、どこまでもどこまでも、飛んでいくのです。風と遊びながら、夕日を追いかけながら、まあるい水平線に見とれながら…。そんな光景が、いまも頭のなかに焼きついているのです。子どものころ、私は友だちとのコミュニケーションがなぜかうまくいかないと感じていたのですが、それは、もしかしたら、この空想癖のせいだったのかもしれません。たぶん、私は、そこにいながら、そこにいなかったのです。人間の友だちは、たぶん、そんな私のことを、よくわからない子だと、思っていたのかもしれません。あれから、長い時間が経ちました。おとなになった私は、飛ぶことをやめてしまったのでしょうか。いいえ、いまでも飛んでいます。私は、それを、文字であらわすことを知ったのです。たくさんのお話を書きました。それらのいくつかは活字にもなりました。また、私は、それをからだであらわすことも知りました。いまでも気が向くと、くるくると、踊っていたりします。そのとき、私は、光や風と、遊んでいるのです。ひとは、そんな私を「ちょっと変なひと」というふうに見ます。でも、最近では、「あの、変なのが フツーの状態」と思ってもらえるので、(笑)人間関係も、なんとか成り立っています♪見えない友だちは、いまも、いつでもみぢかにいます。誰が知っていても、誰も知らなくても、いつも、いつでも、みぢかにいます。そんなふうに生きているいまの自分が、とても、好きです。●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます)
2013.01.15
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このブログ「今日のフォーカスチェンジ」を、メルマガでも読むことができます。 クリックすると、登録画面に飛びます。-------------------------------------------------★今日のフォーカスチェンジ♪「根幹」ひとを育てる…という言いかたはおこがましいけれども、そういう場にかかわりつづけてきて、思うことがあります。どんなことにも「根幹」というものが必要なのだと。それは、ものごとにおいては、いわゆる大原則とでもいうべきものであり、ひとにおいては、ぶれない信念ともいうべきものです。ここが揺らぐと、すべては、ぐずぐずになってしまうのです。それは、その組織ごとにちがっていいし、ひとによって、ちがっていいものです。が、大切なことは、ぶれないことです。終始一貫していることです。私にとっての「根幹」は、「自分で考えて、 自分で決めて、 自分で選ぶ」こと。そういう視点で、子どもたちの活動にかかわってきました。(子どもだけでなく、 おとなもですが)自分で決められない子どもほど、質問をしてきます。その質問も、「どうしたらいい ですか」などの丸投げ状態だったり、「どうやるんですか」など、表面的な方法だけを問うものだったりします。でも、そこでそれを教えても、たいていはうまくいきません。応用がきかないからです。根本のところの意味がわかっていないのです。なので、そんなときは、「自分で考えてから もう一度きて」とお返事することになります。でもね。そういう子どもたちほど、失敗を怖れているのですね。まちがったらどうしよう、失敗したら恥ずかしい、などの怖れから、自分で考えることも、自分で決めることも、避けてしまうのです。それでは、結果的には、自分の生きかたをひとにゆだねてしまうことになります。ひとにゆだねてしまうから、ときとして、自分の意に沿わないことも起こります。そんなときも、自分で決めていないから、どうすることもできないのです。不満をためこむか、自分を責めるか、いずれにしても、あまりいい結果にはなりません。どんなちいさなことからでもいい。自分で考えるんです。考えたら、実行するんです。そして、できたら、自分にマルをあげるんです。うまくいかなかったときには、トライした自分にマルをあげるんです。ほら! そしたら、いつだって、「マル」にしかならないでしょう?そうやって、ちいさなちいさな自信を、積み上げていくんです。そうして、ちいさなマルを積み重ねていったら、もっとおおきな行動にもトライできるようになっていきますから。いつのまにか、本人もびっくりするくらい、自分で決めて自分で選ぶ生きかたができるようになっていますから。私たちにできることは、そのプロセスを見守っていくこと。けっして妥協して、小手先のサポートをしないこと。(もちろん、ケアが必要 なときもあるので、 ケースバイケース ですが)その子自身の成長のチャンスを、安易にうばってしまってはいけないのです。ときには、はらはらして胃が痛くなるようなことがあっても(実際、ありました)(笑)その子自身が体験して学んでいくプロセスを大切にするのです。「自分で考え、 自分で決めて、 自分で選ぶ」私が、私自身の「根幹」を大切にすることが、その子の成長を支えることになるのです。 相手が子どもであれおとなであれ、これは、私の揺らがない気持ちです。この気持ちのまま、これからも生きます!●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます)
2013.01.14
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このブログ「今日のフォーカスチェンジ」を、メルマガでも読むことができます。 クリックすると、登録画面に飛びます。-------------------------------------------------これまで、10年以上、ブログを書いてきましたが、今日のメッセージほど、ほかのひとにも伝えてほしいと思ったことはありません。渾身の想いで書きます!★今日のフォーカスチェンジ♪本当の想い前々から行きたいと思っていた会に、参加してきました。「きんこんの会」障害の重い人たちの自発的活動にかかわりつづけてきた柴田保之さんが、主催をされています。ところで、ちょっと想像してみてください。あなたの毎日の生活のなかで、突然、自分の意思ではないのに、手足が勝手に動いてしまったら?自分の意思ではないのに、声やことばが、勝手に出てしまったら?そして、あなたには、それを止めることも、「これは想いとちがう」と伝える手段もないとしたら?「障害児」「障害者」と呼ばれるひとたちのなかには、まさにそのように、自分の意思ではないのに、勝手に手足が動いたり、声が出たりしてしまうひとたちがいます。そのために、まわりから奇異の目で見られ、知的にも遅れていると誤解されてしまっています。「きんこんの会」では、柴田さんが編み出した意思伝達の方法によって、そんなひとたちが、想いを伝えあうことができるのです。当人同士が、直接伝えあうことはできないけれども、あいだに、意思伝達の方法をマスターした「通訳」と呼ばれるひとたちが入ることによって、それが可能になります。もともとは、数人でスタートした会だそうです。けれども、かっこちゃん(山元加津子さん)のメルマガなどをとおして、たくさんのひとが、会の存在を知るようになり、この日は、当事者と関係者、そして見学者、あわせて、70~80名のかたがいらしていました。からだにふれたり、指文字や、手を添えての筆記など、いくつかの方法によって、閉じこめられていた内面のことばが表現されていきます。話には聴いていたけれど、実際に、見せていただくと、聴いて知っていたのとは比べものにならないほどの衝撃を受けました。たとえば、表面的には、まったく表情も変えず、ときには、話の最中に、ちがう方を向いたりしているお子さんが、自分の想いを、すらすらとよどみなく伝えてくれるのです。ときには、くやしさやかなしみを、うったえてくることもあります。その語彙の豊富さ、想いの深さは、思わず息をのむほどです。おそらく、実際に見たことのないひとは、これを読んでも、半信半疑と思います。勝手に、話をつくっているのではないかと思われるでしょう。けれども、そうではないことは、いくつものかたちで示されました。たとえば、障害の度合いによっては、話の内容がちがうときには、ちがうことを、手や頭を振るなどして、意思表示することができる子がいます。「これは合っている」と示すために、手を打ったり、まゆをあげたりなどして、意思表示をしてくれる子たちもいました。でも、たとえそんなことをしなくても、実に自然に、それらの話が、いつわりのないものであることがわかるのです。無表情だった子が、突然、ぱっと花が開くように笑顔を見せたりなど、ほんのちょっとのしぐさや表情や、反応のなかに、その子の想いの片鱗を、見いだすことができるのです。ああ、これはこの子たちの、本当の想いなのだと、感じることができるのです。通訳を介して想いをわかちあう会は、およそ3時間にわたりました。でも、この3時間は、私の人生観を変えてしまうのに、充分でした。会の開催は隔月です。この子たちは、また2か月のあいだ、この子たちの本当の想いを知らないひとたちのなかで、沈黙して過ごさなくてはならない。いえ、沈黙どころか、軽視や蔑視といった差別に、さらされることさえあるでしょう。2か月に一度、やっと想いをわかちあえる場にあってさえ、「自分よりほかのひと に時間をあげて」「ここにいないひとたち にも伝わるように」と、ひとを気づかう子どもたちを見ながら、私たちが、いかに無知と無理解で、おおくの障害をもつひとたちの苦しみを見過ごしてきたかを知ったのです。知ってしまった以上は、そのままではいけない。そんな想いが、ふつふつとこみあげてきました。私のミッションは、そのひとがそのひとらしく生き生きと生きることをサポートすること。私にできることがきっとある…。そう思えてなりません。そして、それが何かを、本気でさがしていこうと決めました。どうか、あなたも知ってください。そして、この事実と、この想いをわかちあってください。わかちあって、あなたの大切な誰かに、伝えてください。これは、単に、障害者と呼ばれるひとたちの問題ではありません。目の前に見えることだけに、こころをとらわれ、本当のことが見えなくなっている私たちに、つきつけられた、重い問いかけなのです。私たちが、ひととしてどう生きるかを問われる、課題なのだと思うのです。●追記ぜひ、こちらも読んでみてください。柴田保之さんかっこちゃんのメルマガ●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます)
2013.01.12
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このブログ「今日のフォーカスチェンジ」を、メルマガでも読むことができます。 クリックすると、登録画面に飛びます。-------------------------------------------------昨日に引きつづき、家族をテーマに書いてみますね♪★今日のフォーカスチェンジ♪「私からはじめるのだ」家族の問題というのは、ほとんどの場合、家系の問題です。ひとは、生きかたのモデルを、親から学ぶからです。よく、暴力的なあつかいを受けて育ったひとは、自分が親になっても、暴力を繰り返してしまう、という話がありますが、結局のところ、無意識のうちに、そのパターンがすりこまれているのかもしれません。そのほかの方法論を知らずにきたからなのかもしれません。そのパターンは、直接の親だけでなく、その親、またその親、そのまた親から、ずっと、受け継がれてきた場合がおおいのです。実際、訊いてみると、「そういえば、 おばあちゃんも…」なんて話になることは、珍しくありません。ただ、ここにきて、時代はおおきく変わりました。これまでは、ほかの家の状況など、知るよしもなかったので、自分の家のやりかたが、唯一の方法だと思いこんできました。でも、そうではないことが、わかってきたのです。暴力や一方的な命令によらないでも、親子関係はつくれるのだと。愛と尊重を基礎に、親子関係をつくることができるのだと。実際に、そういう関係をはぐくんでいる親子がちゃんといるのだということが、わかってきたのです。つまり、自分の親以外にも、モデルを見つけることができるのです。どちらの生きかたを選びたいのか?もちろん、後者でしょう。でも、そのとき、「親のようにはなりたく ない」という否定形で考えると、逆に、親のやりかたにひっぱられてしまう可能性があるのです。潜在意識は、語尾にはあまり注意をはらいませんから、(笑)「なりたくない」ということばよりも、「親のように」のほうが、インプットされてしまいやすいのです。ですから、親のことは、いったんおいておきましょう。親も、その親も、またその親の親の親も、みんな、それ以外のモデルを知らなかった、いわば犠牲者なのです。犠牲者を責めたりうらんだりしても、はじまりません。それよりも、あなたが「こうあったらいいな」と思うひとを、モデルにしましょう。みぢかにいなければ、想像してみましょう。そして、そのとおりに実行してみましょう。ときどき、胸のなかに「自分もこうして ほしかった」というせつなさが湧き上がってくるかもしれません。「なぜ自分には、あたえ られなかったのか」という想いにもかられるかもしれません。そんなときは、どうぞ、自分で自分をしっかりと、抱きしめてあげてください。そして、自分に言ってあげてください。「私からはじめるのだ」と。そうです。あなたから、はじめるのです。なぜなら、あなたこそが、家系のなかで、最初に気づいたひとだから。どんなことも、気づいたひとからしかはじめられないのです。あなたのご先祖さまたちにできなかったことを、あなたがしてあげるのです。それが、あなたがこの世に生まれてくるときにになった役割なのです。ほかの誰にもできなかった。あなたならできると託されてきた、役割なのです。勇気をもって、一歩をふみだしてください。あなたが幸福に生きることは、あなたにつづくいのちを幸福にするだけでなく、ご先祖さまたちをがんじがらめにしてきた鎖を、断ち切ってあげることでもあるのです。代々にわたってつらなってきた不幸の連鎖を、終わらせてやることでもあるのです。ですから、どうぞ、幸福になってください。どんなことがあっても、幸福になってください。それが、あなたに託された、あなたの使命です。●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます)
2013.01.12
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このブログ「今日のフォーカスチェンジ」を、メルマガでも読むことができます。 クリックすると、登録画面に飛びます。-------------------------------------------------★今日のフォーカスチェンジ♪そうか、未熟だったのか親とのあいだで、こころの傷つき体験をされているかたが、たくさんおられます。否定的なことばや態度で苦しんできたかた。やりたいことを制限されてきたかた。ことばや実際の暴力におびえてきたかた。そんな親が、びっくりするほど多い…という印象を受けます。なぜなのか、と考えてみました。私はもともと、ひとは不完全な生きものだと考えています。いまは高齢出産化がすすんでいますが、かつては、20代ではじめての子どもを産むのが普通でした。考えてもみてください。20代そこそこって、私たちは、一人前のおとなでしたか?そうではありません。自分自身が、まだまだ学ぶことがたくさんある、人生の成長過程のただなかなのです。そんな状態で、子どもを育てるという、大変な仕事をになうわけです。しかもこれまでに、誰からも教えてもらったことがないのです。完璧にできるわけがない、と考えたほうが普通だと思うのです。だからこそ、かつては、地域全体で、子どもを育てていたのです。未熟な親にまかせて、放置することなく、困ったときには、近所のひとたちが、あれこれ手助けをしたものです。年寄りは、知恵をさずけてくれました。隣近所の子どもたちが、遊びをとおして、よい「教育係」となってくれました。それらすべてをうしなったのが、ここ数十年の子育ての現状なのです。親子関係の悩みを聴かせていただくたび、私はよく言います。「つらかったですね。 かなしかったですね。 でも、あなたを育てて いたとき、あなたの 親は、何歳でしたか? あなたの親は、 まだ未熟だったんです。 子育てをするには、 あまりにも何も 知らなさ過ぎたんです。 あなたの親もまた、 苦しんでいたのですよ」納得しろとは言いません。だから、がまんしろとも言いません。でも、そのことに気づいたとき、少しは親との距離をおけると思うのです。親にたいしてもとめた「理想の看板」をおろすことができるのです。そうか、未熟だったのか、ってね。では、未熟な人間にたいしては、どうしたらいいのでしょうか?しずかに見守るしかないのではありませんか?見守る?あんな親にたいして?とんでもない。自分こそが、見守られたかったがわなのに!そう思うかたもおられると思います。でもね。私は、ひとは、年齢の問題ではないと思っています。これは持論ですが、「気づいたひとしか 変われない」のです。あなたの親にいくら変わってほしいと願ったところで、そして、それを口に出してみたところで、「気づき」とは本人の自覚の問題であり、いくら言っても気づかないときには気づけないのです。でも、あなたは、もう気づいているのです。そんな子育てのありかたでは、苦しいのだと。子どもとのいい関係は、つくれないのだと。だから、もとめるのをやめるのです。期待するのをやめるのです。そして、あなた自身が、本当にこころのつながる子育てをするのです。子育て以外の場面でも、自分がほしかったような人間関係をはぐくんでいくのです。それが、気づいたひとの役割なのです。未熟な親にはできなかったことです。でも、あなたにはできるのです。でなければ、気づくはずがありませんから。残念ながら、地域社会は崩壊してしまいました。おせっかいを焼いてくれるおばさんも、もう、存在しません。でも、インターネットという手段をとおして、いろいろな情報を広く集めることもできます。ネット上の子育てサークルをつくることもできます。そこからまた、リアルな支えあいの場をつくっていくことも可能です。あなたの気づきが、あたらしい社会をつくっていくのだとしたら、行動しない手はありませんよね?いえ、どうぞ行動してください。これからの社会を生きる子どもたちの未来に、希望の灯をともすために。あなたのかなしみの、連鎖を断ち切るために。こころから、お願いします。●追記親子関係の話って、根深いですね。たぶん、明日もつづきを書きます。●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます)
2013.01.11
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2013.01.10
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このブログ「今日のフォーカスチェンジ」を、メルマガでも読むことができます。 クリックすると、登録画面に飛びます。-------------------------------------------------★今日のフォーカスチェンジ♪あなたのなかの、眠れるあなたよく、「どうしてそんなに エネルギッシュ なんですか」とか、「よく、そこまで 熱くなれますね」とか、言われることがあります。でも、自分では、全然、そんなつもりはないんです。なんたって、これがフツーですから。(笑)そして、実際、私よりエネルギッシュに生きているひとは、世の中にはわんさかといます。そーゆーひとたちを見ていると、私など、まだまだ甘い…。と、本気で思います。でもね。もしも、私のことをエネルギッシュだとか、熱いとか思うとしたら、そのひとのなかにも、通じる根っこがあるってことなんですよ。人間は、自分のなかに何かひびくものがなければ、何も感じないはずですから。そこが気になるとか、ひかれるとか、逆に反発する(笑)とかいう場合は、つながる何かがそこにあるはずなんです。あなたも同じですよ♪ってゆーことです。もしも、誰かのエネルギッシュなところにひかれるとしたら、あなたのなかにも同じ要素があって、ただ、自分のなかにあるエネルギーに気づいていないだけなんです。私は、特別でもなんでもない、普通の子どもたちとの劇づくりを、たくさんやってきました。最近では、普通のおとなたちとも、いろいろなかたちで、劇づくりをするようになりました。そこでわかったのは、本当に、どんな子も、どんなひとも、例外なくかがやきだすということなんです。それまでは、ただ見えていなかっただけ。本人さえも気づいてなかっただけ。もともとあるんです。眠ってただけなんです。気づいてもらえなくて、すねてただけ。(爆)また、このところ、私は、何冊か「おお!」と感嘆して夢中になる本と出会ったのですが、その本は、ずっと前に出版されていたものなんです。いま、突然出現したわけではないんです。あったんです。私が気づいていなかっただけなんです。ね。同じでしょう。気づいて出会ったら、変わるんです。あたらしい何かを発見しちゃうんです。もう、それを知らない自分にはもどれないんです。(笑)さあ、あなたのなかの、眠れるあなたの目を覚まさせましょう♪でも、気をつけてくださいよ。目が覚めちゃったら、眠っていたときの自分にはもどれませんからね。(笑)もう、エネルギッシュに生きていくしかなくなりますから。そして、いつかあなたも誰かに言われるんです。「どうしてそんなに エネルギッシュ なんですか」ってね。きっとあなたは、過去の自分のことなんか忘れちゃって、こうこたえるでしょう。「いえ、これがフツー ですから」って!楽しいですね♪そんな楽しい自分との出会いに一歩を踏み出しませんか?あなたのなかに、そんなあなたが眠っている。って、ただ気づくだけでいいんですよ♪●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます)
2013.01.09
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このブログ「今日のフォーカスチェンジ」を、メルマガでも読むことができます。 クリックすると、登録画面に飛びます。-------------------------------------------------★今日のフォーカスチェンジ♪魂のふるえるままに2013年1月5日、「ドリプラ東北魂」2013を、観に行ってきました。小学生、高校生、おとな計6人のプレゼンを見てきました。それぞれに、一人ひとりが、こころにひびく発表になっていたのは、時間をかけてプレゼンを練りあげてきたこともあるでしょうが、やはり、あの3月11日が、それぞれのこころの下敷きとして、あるのだということは、感じずにはいられなかったのでした。そして、もうひとつ。強くこころに残ったことがありました。それは、発表のあいまあいまに、繰り広げられたゲストパフォーマンスの数々です。開幕前には、震災後に結成された、ご当地アイドルのグループパフォーマンス。つづいて、力強い和太鼓が披露されました。ユーモラスな郷土芸能の踊りもありました。ヨサコイもありました。しめくくりには、復興を願ってつくられた歌が、会場全体を巻きこんで歌われました。芸能のちから、アートのちから…ということばが、私の脳裏をよぎりました。歌であれ、踊りであれ、演劇であれ、それらは、人間が「生存する」ためには、絶対必要なものではありません。でも、なぜ、古来から、それらは、絶えることなく、脈々と、伝承されてきたのでしょう。労働歌、軍歌といった、ジャンル分けをされるほどに、多岐にわたる発展をとげたのでしょう。歴史を振り返れば、枚挙にいとまがありません。シベリアに抑留されながら、俳句をつづっていたひとびともいます。占領下におかれ、母国語の使用を禁じられたひとびとが、民謡や童謡を使って、母国語を伝えたという話もあります。いのちを削るようにうちこんで、絵や彫刻を遺したひとびともおおぜいいます。そして、それらによっていやされ、元気や勇気をあたえられるひとびとが、いまもなおいます。それらのものは、人間にしかなしえない活動だからではないでしょうか。他の生きものと比べようもないほど、前頭葉を発達させてきた人類。そこは、「想像力」という能力の源泉なのです。人間だけが、目に見えないものを、こころのなかに描き、それを、かたちにしてきたのです。魂のふるえるままに、歌い、踊り、表現することを選んだのです。その魂のふるえに共鳴するひとたちが、また、それらを後世に伝えていったのです。ただ「生存する」ためではなく、人間として生きていくために、それらは必要なものだったのです。そんなことをあらためて感じて帰ってきた、今回の、「ドリプラ東北魂」だったのです。想像すること、そして、創造すること。表現すること。からだを使って、こころを揺さぶること。あらためて、こうした活動の意味をかみしめているところです。あらためて、自分自身は、演劇をとおして、何ができるか、考えているところです。●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます)
2013.01.08
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2013.01.07
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このブログ「今日のフォーカスチェンジ」を、メルマガでも読むことができます。 クリックすると、登録画面に飛びます。-------------------------------------------------★今日のフォーカスチェンジ♪60兆回、「ありがとう」このブログの2009年5月17日にとりあげた「つまようじワーク」ゆるせずに生きてきた日々を、1本1本、つまようじに置き換えてみることで、実感してみるという体験。10年間、ゆるせない想いをいだいていたひとであれば、356日×10年ぶんのつまようじを、一列に並べてもらうのです。自分の貴重な人生が、どれだけそのためについやされてしまったかわかるはずです。これからもそんな想いのままで、人生を歩んでいきたいかどうか、見えてくるはずです。私のワークは、ほとんどが体感ワーク。なぜかというと、ひとは、頭ではわかっても、なかなか切り換えられない生きものだからです。でも、からだで実感できると、「なるほど」と、腑に落ちることも多いのです。というわけで。あなたのからだは、60兆個の細胞でできています。どの細胞が欠けても、あなたは、いまのあなたではいません。この60兆個の細胞すべてによって、あなたは支えられているのです。ですので、実感してみるために、つまようじを…って!森林破壊になっちゃいます!(爆)なので、ためしに計算をしてみました。60兆個…算用数字に置き換えてみると、60,000,000,000,000なんか、見るだけで、すごいですね。(笑)仮にあなたの体重が60キロだとすると、(計算を単純化する ために、割りやすい 数字にしました…)1キロあたり、1兆個の細胞が詰まっていることになります。しかし、これでも実感はできません。ちなみに、成人の脳の重さは、平均1.2~1.4キロ。(頭蓋骨全体だと 6キロ前後です)脳だけで、約1兆個の細胞を使っているわけですね。あなたが、いまこうしてちょっと考えてみる。それだけで、1兆個もの細胞に、「はたらけ」と命令しているようなものです。まあ、そのすべてが一斉にはたらいているとはかぎりませんが、少なくとも、1個や2個ってことはないでしょうから、いずれにしても、かなりの動員(笑)をかけているわけです。仮に、それを10000個としてみましょう。10000個なんて、脳全体から見たら、たったの、10万ぶんの1ですからね。でも、あなたが「あ、腹減った」で、10000個。「ラーメン食お」で、またまた10000個。「ねぎ買ってこよ」でさらに10000個。脳の細胞は、つねに動きつつけるわけです。それにともなって、からだの細胞も動くわけですから、一体どれだけの細胞が、あなたのひとことに、よって、動かされているかしれません。(笑)一体、この世のどこに、あなたの思いつきの発言で、ここまで忠実に、動いてくれる人間がいるでしょうか?10000人があなたのために動いてくれたとしたら、どれだけのお金を払わなければならないでしょうか?ましてや、あなたが悩みやコンプレックスをかかえていたとして、四六時中、そのことで頭がいっぱいになっているとしたら、…算数の弱いワタシにはもはや計算できませんが、それだけ多くの脳細胞に、甲斐のないはたらきをさせていることになるのです。それを、脳は、黙々とやっているのです。ひとことも文句を言わずに。お金も請求せずに。(笑)一度でいいから、1個1個の細胞をイメージしながら、「ありがとう」と言ってみてください。10000個ですから、10000回ですよ。(早口で言うと、案外、 言えちゃいます♪)そして、それが、一日、何万回、何十万回繰り返されているかを想像してみてください。ね。それが、あなたなのです。それだけのことを、生まれてからこのかた、無言で、無報酬で、してもらえているのが、あなたなのです。そんなあなたが、「自分には価値がない」なんてほざいたら、もう、脳は、めっちゃ、すねて、ぐれちゃいますから!だからね。本気で、1万回、「ありがとう」と、言ってごらんなさい。もしもあなたに時間があるならなおさら、60兆回、「ありがとう」と言う気持ちで、からだに「ありがとう」と、言ってみてごらんなさい。できたら、一つひとつの部分(腕、肩、胸など)に話しかけるつもりで。自分のことを大切ではないなんて、絶対に思えなくなりますよ。それどころか、いとおしくて、涙があふれてくるかもしれません。これ、冗談じゃないですから。実際に、やってみてください。そしたらきっとわかります。●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます)
2013.01.06
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このブログ「今日のフォーカスチェンジ」を、メルマガでも読むことができます。 クリックすると、登録画面に飛びます。-------------------------------------------------本日2本め。明日の「ドリプラ東北魂」に参加する関係で、今日から出かけます。なので、明日のぶんも先にアップしていきますね♪★今日のフォーカスチェンジ♪どう終わるか介護の現場でひとが定着しない理由のひとつは、かかわるひとの未来に希望を感じられないことが、あるからかもしれません。子どもであれば、伸びゆく未来がある。病人は、治った先の未来がある。けれども、お年寄りは…というふうに。でも、それは本当でしょうか。以前にも書いたことがありますが、マザー・テレサは、いまにも息絶えそうなひとを、「死を待つひとの家」に連れ帰って、からだを清め、着替えをさせ、祈りのことばを伝えて、看取りました。なぜ、助かる見こみのあるひとではなく、あと数時間で亡くなってしまうかもしれないひとを?どんな人生を送ろうと、そのひとが最期に感じた気持ちが、そのひとの一生の価値を決めます。たとえあとわずかのいのちであっても、その直前までどれほどみじめな状態におかれていようと、からだを清められ、愛あるひとの手にいだかれるとき、ひとは、誰でもやすらぎを感じます。ああ、自分はひととして、受け入れられている。愛のなかにいる。そう感じられたとき、そのひとの意識は、幸福に満たされるのです。過去がどうあろうと、その瞬間に、満たされた気持ちに変わるのです。それが、死の3分前であろうが、その価値に変わりはないのです。また、こんなことばを聴いたことがあります。「親が子どもに最後に してやれることは、 死にゆく姿を 見せることだ」(記憶なので、正確では ありませんが)なんと重いことばでしょうか。これは、必ずしも、立派な生きかたを見せなさいということではないと思うのです。心身におとろえを生ずるのは、誰でも避けられないことです。ときには、認知の病を得るひともいるでしょう。でも、そんなときでさえ、ひととして、尊重され、最後の道のりを伴走してくれるひとたちがいたら、そのかたにとっては、どれほどやすらぎに満ちた道行きになるでしょうか。遺される家族にとって、どれほど、いやされる想いになるでしょうか。それはたしかに、「伸びゆく」未来ではないかもしれません。でも、ひととして、どう終わるかを、見せてもらえる場になります。一人のひとが、それこそ、いのちの尊厳をかけて、教えてくれる場になります。効率ばかりが優先され、生産することばかりに価値がおかれ、そうではないものは、不要であるとばかりにみなされる、この社会において、もしかしたら、介護の現場は、唯一、ぎりぎりのラインで、ひとがひととしてどうあるべきかを、(あってほしいかを)確認することができる場なのかもしれません。問題は、そのことに価値をおかない社会のありようそのものであって、そこで、傷つき挫折していくひとたちの問題ではないのかもしれません。今日のメッセージは、少し話が広がりすぎたかもしれません。それでも、「生きる」ことを考えるとき、「死」は、避けてとおることのできないことです。こころのどこかかたすみに止めていただき、いつか必要なときに、思い出していただければ、幸いです。どんなひとにとっても、無関係ではいられない、この問いのこたえは、そのとき見えてくるのかもしれません…。●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます)
2013.01.04
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このブログ「今日のフォーカスチェンジ」を、メルマガでも読むことができます。 クリックすると、登録画面に飛びます。-------------------------------------------------★今日のフォーカスチェンジ♪「幸せ」のかたちひとは、どんなにお金をもっていても、それだけでは、幸せにはなれません。ひとは、どんなに安定した職業についていても、それだけでは、幸せにはなれません。それらは手段のひとつではありますが、また、あったほうがより楽に過ごせる場合もありますが、最終的な目的にはなりません。でも、たとえば、そのお金を、どこかの寄付サイトなどに送ると、それは、誰かをよろこばせるものに変わります。その仕事をとおして、誰かに「ありがとう」と言われたら、どんなに大変な仕事であっても、やってよかったという気持ちになります。ひとは、誰かの役に立っているとき、生きているよろこびを感じるのです。ひとに感謝されたとき、幸せを感じるのです。ひとは、ひととの関係をとおして、自分の存在意義を知るのです。ただ、そこには、ちょっとした隘路があります。そのことを、最初に期待してしまうと、期待どおりにならなかった場合、失望してしまうケースがあるということです。それどころか、相手にたいして怒りを感じる場合さえあります。でも、残念ながらそれはかんちがい。ひとは、ひと。そのひと自身を生きているのですから。このことを痛感したのが、介護にかかわるブログを、仲間4人で、交代で書きはじめてからです。 「きくこのつぶやき」3か月に一度、介護施設で、職員研修をさせていただいていることも一因でしょう。やたら、介護のことが気になります。(笑)で。多くの介護施設の悩みのひとつが、つとめたひとが、すぐにやめてしまうということ。そのおおきな理由は、精一杯仕事しても、「甲斐がない」と感じてしまうこと。だって、がんばっても感謝のことばひとつもらえなかったり、同じことの繰り返しで、意味がないように感じてしまったり…。そんな気持ちを感じたくないばかりに、感情をころして、機械的に仕事をしてしまうひともいます。でも、それはもっともっとさびしいこと。でも、いろいろなひとを見ているうちに、気づいたんです。同じような環境にあっても、気持ちをころさずにつづけていけるひとは、自分の仕事(かかわり)の意味を知っているひとだなあって。ひとは必ず老いるのです。人生の終末を、どう生きるかは、それぞれの努力もあるけれど、その先は、まさに、運命としかいいようのない場合もあります。不慮の事故や病気もありえます。その最期の一歩一歩を、どう歩いていくか。そこにつきあうのだと、そこを見届けるのだと、その想いがなければ、きっとどこかで苦しくなってしまうでしょう。介護職の立場ではない私が、言う資格はないと思いつつの前提で、あえて書かせてもらうなら、どんな仕事でも同じことだと思うのです。何のために、それをやるのか。自分がそこにどうあるのか。このふたつ抜きには、どんな仕事も、相手の対応に振り回されるものになってしまうのです。まず、自分がどうあるか。そのためにこそ、自分自身を誰よりも大切にしてほしい。そして、何のためにそれをやるのか。そこをしっかりと、見定めてほしい。そして、そのうえで、もたらされる感謝を、最大限に受け取ってほしいと思うのです。そのとき、感謝は、直接的なことばではなく、ふとしたしぐさから、感じる雰囲気であったり、見過ごしてしまいそうな、一瞬のあわい感覚だったりします。でも、それを受け取ったとき、ひとは、こころが落ち着くのです。ああ、これでいいのだと、思えるのです。かたちになっていようがいまいが、自分でそこにOKを出せたとき、ひとは受け取ることができるのです。そして、そのような仕事をしているとき、ひとは、幸せになれるのです。たとえそれが、「職業」と呼ばれようが、呼ばれなかろうが、そのひとは、生きている実感をもてるのです。今日のメッセージは、ちょっとまとまりがなかったかもしれませんが、ひとの「幸せ」のかたち。考えてみていただけたら、うれしいです。●追記これを書いていたら、つづけて書きたいことが、ふつふつと湧いてきました。明日、書きます!●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます)
2013.01.04
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このブログ「今日のフォーカスチェンジ」を、メルマガでも読むことができます。 クリックすると、登録画面に飛びます。-------------------------------------------------★今日のフォーカスチェンジ♪どんな気持ちで生きたいのか中学校や高校で、「将来の夢は何ですか」と訊かれたことはありませんか?ところが、このとき、たいていは、どんな「職業」につきたいかをこたえることをもとめられます。「ひとを わくわくさせたい」とか、「ひとを元気にさせたい」などと言うと、「抽象的すぎる」と、言われます。もっとひどい場合は、「ちゃんと仕事してから 考えなさい」なんて言われてしまうかもしれません。でも、逆なんですよね。将来の夢っていうのは、「職業」のことではないんです。「どう生きたいか」っていうことなんです。だから、進路指導も、「どの学校に進みたい か」と、訊いてはいけないんです。それでは、学校に行くことが目標になってしまいます。その学校に一生行きたいのなら別ですけど!ましてや、偏差値を基準に決めてはいけないんです。偏差値から、未来は割り出せません。「どう生きたいか」と偏差値は無関係です。ここ、反論の余地なしです。(きっぱり!)では、何が大切なのか。「どんな人生を 送りたいか」「どんなひとに なりたいか」(職業じゃないですよ)もう少しわかりやすく言うと、「どんな気持ちで 生きたいのか」ということなんです。わくわくしたいのか。元気でいたいのか。やさしい気持ちを大切にしたいのか。あるいは、満ち足りた気持ちになりたいのか。もちろん、ひとつにしぼらなくてもいいかもしれません。そして、そのために、何をやりたいかを考えるのです。そこではじめて、職業が出てきてもかまいません。さらに、その職業につくために、すべきことを考えるのです。でも、くれぐれも大切なことは、それが、直接の目的ではないことを忘れないことです。だから、思いどおりにいかなかったとしても、「これが失敗したら、 人生はおしまいだ」なんて、かんちがいしないことです。そんなときには、「やった! あらたな チャンスをもらえた」と思うように、指導してほしいものです。最後に、ひとつ、ヒントを書きます。これを覚えておくと、かなり役に立ちます。お金をもっていると幸せになれると思っているひとがいます。でも、無人の砂漠にひとりで住んでいて、砂がすべて金貨でできていたとしても、そのひとは、幸せにはなれません。安定した職業につくことが幸せだと思っているひとがいます。でも、家庭のなかがばらばらで、職場でも孤立していたら、そのひとは、幸せにはなれません。ポイントは、「かたち」ではないということです。「学歴」とか「職業」とか、「地位」とかではないってことです。さあ、もう一度問い直しますよ。あなたの「夢」は何ですか?どうぞ本気で考えてみてください。あなたの本気を応援しています!●追記これを書いていたら、つづけて書きたいことが、わらわらと(意味不明)湧いてきました。明日、書きます!●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます)
2013.01.03
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このブログ「今日のフォーカスチェンジ」を、メルマガでも読むことができます。 クリックすると、登録画面に飛びます。-------------------------------------------------★今日のフォーカスチェンジ♪あなたの「夢」は、何ですか?ちょっと前まで、「私には夢はない」と、豪語していました。2008年にドリームプラン・プレゼンテーションに参加して、昨年は、2月のこころ・ドリプラと、10月のドリプラ・ネクストに参加し、夢を語りまくっているのに?(笑)さらには、ティーンズドリームプラン・プレゼンテーション(ティードリ)のスタッフまでしているのに?はい。そうです。「私には夢はない」といったとき、そこに必ずこのことばを付け加えていたのです。「私には 現実があるだけだ」いつかかなったらいいなという夢を語るほど、私には時間はないのです。夢があるのだったら、いま、すぐに行動しているのです。だから、いつ実現するかわからない「夢物語」は、私はもたないのです。いつか「現実」にする想いに向けて、今日を生きているのです。だから、「夢」はないのです。でも、かなえたい想いはあるのです。それが、「そのひとがそのひと らしく、生き生きと 輝いて生きること」を応援すること。そう。私のミッションです。だから、私の「夢」は、私自身がどうなるか、ではないのです。この社会で生きるひとたちが、どうなるか。もっと言えば、この世界がどうなるか。無名の、財産も地位もない私が、そんなことをいうのは、不遜だと思うひともいるかもしれません。でも、本気で思っています。このことがわかったのは、自分のこれまでの人生を振り返ってみたときです。まわり道をしたと思うことも含めて、すべて、いまの自分につながっていました。いまにつながっていないことは、ひとつもありませんでした。そこで、ああ、そうかと思ったのです。私が過去に「失敗した」と思ったことは、すべて「方法」に過ぎなかったのだと。私の「夢」は、その先にあったのだと。10代のころは、小説家になりたかったり、教師になりたかったり、演劇人になりたかったりしました。それから紆余曲折あって、そのどれでもなく、すべてでもあるという生きかたをしています。(すべてハンパとも いう)(爆)でも、それらは、、、「実現したいこと」にいたるための「方法」なのです。それそのものが目的ではないのです。そのことが、ようやく腑に落ちたのです。目先のためだけの夢だと、実現しないとへこみます。たとえば、サッカー選手になりたいという夢。でも、なれなかったら、夢はそこで終わりです。そうではなく、たとえば、自分は、ひとを勇気づけるひとになりたい、という夢をもったとしたら、そして、そのために、サッカー選手という方法を選ぶとしたら、もちろん、サッカー選手になれるにこしたことはないでしょうが、仮にそれが実現しなかったとしても、次の「方法」をさがせばいいだけです。これは、逃げではありません。そのときには、もちろん全力を尽くすのです。でも、仮になれなかったとしても、そこで終わりではないということです。本当の「夢」は、その先にあるのです。そして、いま、私の「夢」は、この世界で生きるひとたちが、そのひとらしく、生き生きと輝いて生きること。私のやりたいことは、それを応援すること。だから、永遠に追いかけつづけていくものであり、いま現在、着々とかたちづくっているものでもあります。いま現在も私は「夢」の途上にあるし、未来もおそらく、「夢」の途上でしょう。私は一生、「夢」のなかを生きていくのです。あれ? ってことは、現実はどこにいったの?(爆)現実は、「夢」のなかにあり、「夢」は現実のなかにあります。分けることのできないまるごとひとつの世界を、私は生きていくのです。さて。あなたの「夢」は、何ですか?「方法」を訊いているのではありませんよ。●追記これを書いていたら、つづけて書きたいことが、むらむらと(笑)湧いてきました。明日、書きます!●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます)
2013.01.02
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このブログ「今日のフォーカスチェンジ」を、メルマガでも読むことができます。 クリックすると、登録画面に飛びます。-------------------------------------------------★今日のフォーカスチェンジ♪「私」から「志」へかつてないエネルギーが動いた、2012年。その最後の日におりてきたことば。「『私』から『志』へ」(「し」から「し」へ)どきりとしました。そう、同じ「し」なのだけれど、意味がちがいます。まるで私の、甘えた下心を見透かされたようなことばでした。最初の「私」とは、「私心」のこと。損得で行動してはいないつもりでした。いえ、むしろ、経済的にはマイナスであっても、やるべきと決めたことはやってきたつもりでした。それでもまだ、「私」がありました。ほんの一瞬だけど、ひとによく思われたいとか、かっこつけたいという気持ちがよぎることがありました。もっと言えば、ときに、「私はこんなに がんばってるのに」という気持ちさえ、湧いたことがありました。それを捨てろと言うのだな。このことばがおりてきたときに、思いました。そこまで徹底しろということなのだなと、思いました。そして、もうひとつの「志」とは、「こころざし」のこと。こころざしを立てて生きなさいということ。こころざしをつらぬいて、生きなさいということ。こちらも、みごとにがつんとストレート。さまざまなことに揺れ動いた2012年のなかで、たしかに、それはまっすぐにやってきていました。逃げようもなく、はっきりと見えてきていました。何をしたいか、ではなく何をすべきか。もちろん、ひとから命じられたことをやるのではなく、自分自身が選んで、決めたことをつらぬくということ。もっと言えば、天からいただいた(と自分が感じる)ことを、つらぬくこと。そのために「必要とあれば、 火中の栗をひろえ!」と、言われているような。そんなきびしささえ感じたのです。なんだか、みごとにテンパって、(笑)大晦日が暮れました。そして、2013年が明けました。明けた朝のエネルギーは、静かなやさしさに満ちていました。前夜の気負いは、まだ私のなかに残っていましたが、それさえも、やさしく包みこむエネルギーでした。そっか。気負いはいらないんだな。やると決めたことは淡々とやる。やると(天から)決められたことも、淡々とやる。ただ、それだけでよいのだなと。…ちょっと、ほっとしました。(笑)「私」から「志」へそれは、私を律するものではなく、より望む高みへ向かうための手がかりなのかもしれません。そして、これを書いているうちに、もうひとつのメッセージが、おりてきました。「私は私でいい」(わたしはわたしでいい)えー、矛盾してるんじゃないですかあ!…というツッコミを飲みこんで、ああ、そうなのだなと思いました。どんなときも、私は私なのだということ。私が私のまま、こころざしを生きるということ。そして、これを書いている、まさにいま、もうひとつ、気がついたことがあります。「こころざし」のなかに「し」(私)があるのです。「こころざし」と「私」(わたし)は、ひとつなのです。そのことを踏まえたうえで、「私」から「志」へええ、たしかに受け取りました。そのように生きていきます。顔を上げると、澄みきった空が目に飛びこんできました。2013年。あらたな旅立ちの朝です。●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます)
2013.01.01
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